2014年カナダ映画(フランス語)
上映時間 138分

 グザヴィエ・ドランは1989年カナダ生まれ。今もっとも世界から注目され、惜しみない喝采と賞賛に浴し、次回作が期待される映画監督である。「映画界の救世主」という声すらある。
 ちなみにゲイである。

 未亡人のダイアン(=アンヌ・ドルヴァル)には、15歳の可愛い息子スティーヴ(=アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)がいる。スティーヴは入居している施設で放火騒ぎを起こし強制退所させられてしまう。ダイアンは息子を引き取り、母子2人の生活が始まった。ありあまる若さと持って生まれた障害ゆえのスティーヴの型破りな行動に、ほとほと手を焼くダイアン。
 二人の家の向かいに住むカイラ(=スザンヌ・クレマン)は、夫の仕事の都合で転々とする生活を送っている。元高校教師だったカイラは精神的なストレスのため言語障害となり、現在静養中である。ひょんなことから知り合った3人は仲良くなり、スティーヴを中心に笑いの絶えない関係が育くまれてゆく。
 生きる希望を取り戻すダイアンだったが、スティーヴの放火で火傷を負った施設の入居者家族から治療費を支払うよう訴えを起こされ、窮地に陥る・・・・

 第67回カンヌ国際映画祭において審査員賞を受賞しただけあって、確かに傑出した才能に圧倒される。とても20代の青年が撮ったものと思われない。技術的にも内容的にも。早熟の天才か、幼形成熟(ネオテニー)か、あるいは‘アンファンテリブル(おそるべき子供)’か。(この‘アンファンテリブル’という言葉を聞くと、いつも『ティファーニで朝食を』で有名なアメリカの小説家トルーマン・カポーテを思い出す。そう言えばカポーテもゲイだった)

 この映画のテーマは「母と息子の愛」。陳腐にして永遠なる催涙テーマである。
 が、そこにひとひねり加えている。スティーヴは注意欠陥・多動性障害(ADHD)なのである。

注意欠陥・多動性障害(attention deficit hyperactivity disorder、ADHD)は、多動性(過活動)、不注意(注意障害)、衝動性を症状の特徴とする神経発達症もしくは行動障害。
次のような症状が特徴的である。
  • 簡単に気をそらされる、細部をミスする、物事を忘れる
  • ひとつの作業に集中し続けるのが難しい
  • その作業が楽しくないと、数分後にはすぐに退屈になる
  • じっと座っていることができない
  • 絶え間なく喋り続ける
  • 黙ってじっとし続けられない
  • 結論なしに喋りつづける
  • 他の人を遮って喋る
  • 自分の話す順番を待つことが出来ない
  (以上、ウィキペディア『注意欠陥・多動性障害』より抜粋)

 日本では、自閉症、アスペルガー症候群、学習障害などと共に発達障害の一つに含まれ、発達障害者支援法(2005年成立)により、障害の早期診断・療育・教育・就労・相談など様々な公的支援が受けられるようになった。

 ただでさえ子育ては大変なものであるが、発達障害の子供を育てるのはどんなにしんどいものだろう。

 ソルティは社会福祉士の資格を取るための実習で障害者施設(生活介護)に行き、そこではじめて発達障害者(大人である)と近しく関わった。むろん、それまでも自分がそうとは気づかないだけで発達障害者(児)は周囲にいたであろうし、たまに電車の中で不可思議な言動をしている人に気づくと、他の乗客同様、見て見ぬフリ聞いて聞かぬフリをしていた。発達障害と統合失調症の区別すら、よく分かっていなかった。
 実習で出会ったのは、自閉症の人たちだった。

 まあ、大変であった。
  • 奇声を上げる。
  • 忙しい職員を捕まえて同じ質問を一日中し続ける。(職員はそのたび同じ答えを返す)
  • 部屋の中でぴょんぴょん飛び跳ねる。
  • 一つところでイスラム舞踏のように旋回し続ける。
  • いきなり自分の顔面を拳骨で思いっきり叩きだす。
  • 床に頭をゴンゴン打ち付ける。
  • コマーシャルの文句をオウムのように繰り返し言い続ける。
  • 大の男が急にぼろぼろ泣き出し、自らの腕を血が出るほどに噛む。
  • 突発的に他人に突っかかって、容赦なく殴り始める。
  • いきなり服を脱ぎ、全裸になる。
  • てんかん発作を起こす。 

 正直に告白する。
 最初に自閉症フロアに入ったとき、「いったいここは動物園か?」と思った。
 「この人たちとコミュニケーションなんかできるのだろうか?」
 「いや、それよりも身の危険はないだろうか?」

 ソルティは、職場(老人ホーム)で認知症高齢者のケアをしているので、わけのわからない言動には慣れていた。わけのわからない言動でも、本人の中ではちゃんと筋が通っていてそれなりの意味があるのだ、ということは知っていた。だから、本人の表情や仕草から、「いまどんな気持ちでいるのか」「何をしたいのか」「何がほしいのか」を読み取るよう努め、気持ちに沿うように介入する。なによりも本人の感情(不安や怒りや焦燥感や寂しさ)を受容し共感することが大切であり、その地点に立ってはじめて適切な介助もコミュニケーションも可能となる、と学んでいた。基本、同じ人間である以上、自閉症の人もそこは同じであろう。
 結論から言えば、確かに同じであった。受容・共感・傾聴・自己覚知の姿勢は対人援助の黄金律であり、相手が誰であろうと通用する。最終的には、自閉症の人たちに受け入れられ、仲良くなることができた。(誤解を恐れず言えば、自閉症の人はピュアで感情表現がまっすぐで何とも言えず可愛いらしかった。40歳のヒゲ面のおっさんでさえ!)
 ただ、認知症高齢者と違うのは、自閉症の彼らはまだ若く(20~40代)、エネルギーにあふれていて、腕力も脚力も人一倍強く、感情の起伏も激しいという点。そして、おそらく、自らが置かれている状況について、認知症の人よりもクリアに理解できている点。それだけに、当人も介助者も大変なのである。(自閉症スペクトラムという言葉があるように、自閉症にもいろいろなタイプが存在する。自閉症の作家東田直樹の本を読むと、外見からは見誤ってしまわれがちだが、多くの自閉症の人が高い知性と深い感情と瑞々しい感性を持っているらしいことが推測される)
 ともあれ、ソルティも慣れるまでは、彼らの破壊的なパワーと感情の暴発ぶりと予測のつかない行動に圧倒された。
 と同時に、彼らと毎日一緒に過ごしケアをしている職員に頭が下がった。
 本当に、並みの体力、並みの腕力、並みの精神力ではつとまらない仕事である。
 一例を挙げると、自閉症の人たちの行っているプログラムに「散歩」があった。毎日午後、隊列を組んで、近くの公園まで数時間かけての散歩に出かけるのである。自閉症の人は一般に自然に触れるのが好きだと言うこともあるし、若い彼らのエネルギーを幾分でも発散させて疲れさせ、家に帰って暴れないよう、つまり家族支援としても散歩は有効なのである。ソルティも毎日のように散歩に付き添った。
 毎日公園を散歩できるなんて、なんて楽な仕事かと思ったら大間違い。はしゃいだ彼らは、道中いろいろやらかすのである。ピンポンダッシュしたり、帽子を脱いでよその家の中に投げ込んだり、興味を示した看板の前で立ちどまって石のように動かなくなったり・・・。こういう一群を、来る日も来る日も、安全に気をつかいながら引率する職員の気力というかモチベーションはどこからくるのだろう? 給料だけでは到底つとまるまい。(まあ、認知症高齢者の介護の仕事も外野からはそう思われているのかもしれない・・・)

 しかし、職員は結局のところ赤の他人である。当事者と関わる時間と場所は限定されている。休日には自由な時間を満喫できる。仕事が嫌になったら辞めることもできる。
 それが許されないのは家族、とくに親である。
 実習施設には毎日、自閉症の子供(すでに大人であるが)を送迎する親たちが来ていた。ほぼ母親だった。中には自分がそろそろ介護施設の世話に・・・という年代の母親もいた。みな明るく、逞しく、実習生に過ぎない自分にも丁寧に挨拶してくれた。
 わが子が他の子供とどこか違うと気づいてから、あるいは自閉症と診断されてから、どれだけ苦労してきたことだろう。どれだけ周囲を気遣い、謝ってきたことだろう。
 若くして亡くなった戸部けいこ(1957 - 2010)の漫画『光とともに・・・ ~自閉症児を抱えて~』(秋田書店)を読むと、自閉症の子供を持った親御さんがどれだけ苦労するかがよくわかる。それだけに、わが子の成長を実感したり周囲から理解を得られたときは喜びも一入(ひとしお)であり、そこにドラマがあるわけだが・・・。この漫画の描かれた頃(2001~2010年)には日本でも自閉症についての研究や支援が進み、主人公光君の母親は然るべく場所に相談に行って専門家から自閉症児の育て方のコツなんかを伝授されている。同じ自閉症の子を持つ親たちと知り合い、励ましあいもする。それでも、やっぱり苦労の連続には違いない。
 ましてや、自閉症の原因が脳の障害にあることが判明していなかった時代、親の育て方に原因があるなどと誤解されていた時代は、針の筵を這いつくばって暗闇を手探りで進むような状況だったのではないかと想像する。

公園


 さて、映画の主人公スティーヴは、最終的には閉鎖病棟に入れられてしまう。母親の愛だけではどうにもならなかったのである。
 ある日、「旅行に行く」とスティーヴを騙して病院に車を乗り入れたダイアン。建物から3人の屈強な看護士が出てくるのを見て事態を悟ったスティーヴ。
 逃げるスティーヴ。
 追う看護士。
 泣き喚くダイアン。
 あっけにとられるカイラ。
 映画のクライマックスであり、おそらくほとんどの観客を泣かせるシーンであろう。
 たしかに切なすぎる。
 しかし、ソルティは泣けなかった。
 なぜなら、老人ホームで働くソルティの立ち位置は、上の「屈強な看護士」にあたるからだ。愛し合う家族を力づくで切り離す無情で無慈悲な塀の中のケアラー。映画の中で看護師が着ていたグレーの制服に象徴されるように、自由を希求する者を束縛する、事務的で非人間的な法(福祉制度)の手先。
 しかしなあ~。
 『カッコーの巣の上で』は75年のアメリカ映画である。法だって、福祉制度だって、施設だって、治療法だって、施設利用に対する世間の価値観だって、当時とはずいぶん変わっているだろうに。「家族を施設に入れること=家族を見捨てること」という固定観念こそ、当事者を苦しめる枠だろうに。
 母と息子の絆を表現するために施設収容による離別の悲劇を利用するというステレオタイプな筋書きが、映画界の新しい旗手にしては‘あまりにアナクロ’という気がした。



評価:B-


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!