ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

カタリ派

● 異端愛、またはカタリ派と仏教 本:『聖灰の暗号』(帚木蓬生著、新潮文庫)

聖灰の暗号 002 2007年刊行。

 帚木蓬生(ははきぎほうせい)と読む。
 源氏物語の巻名「帚木(ははきぎ)」と「蓬生(よもぎう)」から取ったペンネームである。
 この著者の本ははじめてだが、著者に関心があったわけではなく、テーマに関心があった。
 この本、キリスト教の異端としてカトリック教会によって殲滅されたカタリ派をめぐるミステリーなのである。

カタリ派(Cathari)
12~13世紀の西欧に広がったキリスト教異端の一派。バルカン地方に起り、その呼称は清浄を意味するギリシア語に由来、マニ教的な善悪二元論の影響を受け、禁欲的・使徒的生活を追求。南フランスではアルビジョワ派と呼ばれた。(広辞苑)


 彼らはまず結婚はおろか、あらゆる種類の性的な行為を忌避する。生殖行為で生まれる動物の肉は口にせず、ひんぱんな食断ちを行なう。福音書が禁じている以上、たとえ自衛のためであろうとどんな殺人も許されず、動物を殺してもならなかった。所有を避けて、福音書の命じる清貧に徹し、裁かず、誓わず、嘘をつくこともなかった。彼らがもっとも賞賛した美徳は勇気であって、苦しみと死に毅然と耐えることこそ、彼らの望むところであった。(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院)


 カタリ派について興味を持ったきっかけは、セオドア・ローザックのミステリー『フリッカー、あるいは映画の魔』(1998年刊行)であった。
 映画を題材にしたミステリーというだけでも、映画好き&ミステリー好きの自分にはたまらないわけであるが、この小説の重厚なる、不気味なる、高踏なる、非日常的面白さに匹敵するミステリーは、ウンベルト・エコーの『薔薇の名前』くらいしか思い浮かばない。こういう本に出会うと、読書を生涯の趣味となるよう幼い頃から仕向けてくれた両親に感謝したくなる。
 詳しい内容は省くが、主人公の映画好きの青年はカルト的な人気を持つ過去の映画監督について調べていくうちに恐ろしい陰謀に巻き込まれていく。映画や音楽が意識(無意識)に与える効果を駆使して世界を独特の‘デモニッシュ’な思想で覆いつくそうとする邪悪な秘密結社として登場するのが、何を隠そう(隠さないが)異端カタリ派の残党なのである。深入りしすぎた青年は最後には組織に拉致されてしまう。
 小説内でのカタリ派の扱われようは、オウム真理教かショッカーか、というくらいの悪役、汚れ役だった。
 しかし、そこで明かされるカタリ派の教義内容はユニークそのものであり、妙に惹かれるものがあった。
 それから、カタリ派について書かれたものを読むようになった。 
 信者たちがバチカン(=正統カトリック)が派遣した十字軍によって虐殺されたことや、異端尋問や残酷極まりない拷問のあげくに火炙りにされた史実などを知ると、自分の中の「異端愛」がうずいた。信者の中でも「完全者(パルフェ)」と呼ばれる人々の、自らを厳しく律し他者や地域に尽くす生き方は、まさしく聖者そのもので、敬意以外の何ものそこに感じとることができない。
 それからすっかり「カタリ派」派になったのである。
 
 その後、自分はテーラワーダ仏教(上座部仏教)を学ぶようになったのだが、驚いたことに、仏教とカタリ派は似ているのである。
 いや、そもそもカタリ派が「西欧の仏教」と呼ばれていたのは上記の原田の本で知っていた。輪廻転生を信じていたことや、殺生戒や肉食の禁止などが両者に共通する。
 しかし、たいていの日本人同様、自分も仏教=大乗仏教という認識を持っていたので、もっと深いところでカタリ派と仏教(原始仏教)が似ていることに気づかなかったのである。

似ている点

○ 輪廻転生思想をもつ

カタリ派の人々が輪廻転生思想を信じていたと聞くと、数百年も前の異端信仰が俄然私たちに身近になる。真の正統キリスト教徒との自負にはなはだ似つかわしくなくても、「完全者」の努めを全うしない一般の信者は、救済にたどりつくのに死後いくつもの肉体をさまよわなければならないと考えられていたのである。(同上)

○ 五戒(殺すな、盗むな、性行為をするな、嘘をつくな、酒や麻薬をやるな)をはじめとする厳しい戒律
○ 出家と在家の関係(カタリ派では「完全者」と「帰依者」に相当)
○ 偶像崇拝をしない
○ 女性もまた出家できる
○ 非暴力主義


 もっとも驚くべき相似は、解脱思想=この世に生まれることを「苦」とする点である。


 正統教会から目のかたきにされただけあって、これら新しい信仰者たちの奉じる教えは、一見して正統カトリックとはなはだしく異なっている。この世が神の創造になることさえ彼らの教理にはない。人間の肉体を含めた物質世界は、すべて悪魔(あるいは「悪の原理」)の手で作られたものだとするのがこの教えの基本的な前提なのである。もともと天使として光輝く天にあった人間は、悪魔の奸計によって地上に拉致されたのである。現世にあること自体が受難なのであって、私たちは本来こんな地上に住むべきではない。人間につきまとう物質的要素を可能な限り断ち切り、真の祖国への復帰にそなえることこそ、人間の務めなのだ。(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院)

 
 仏教では、悟りを得ることで輪廻転生から解脱し、二度とこの世に生を受けないで済む、と説く。カタリ派では、「完全者」の努めを果たすことで救済を得て、真の祖国(天国)に帰還できると言う。
 いずれにしろ、この世の価値は低い。


 ブッダが「苦」と言ったものを、カタリ派は「悪」と言った。神と悪魔の対立という二元論を基にしていたキリスト教ならではである。
 仏教は二元論ではない。世界を誕生させた「神」も、世界を破滅させようと企む「悪魔」も存在しない。「生まれては滅する」という現象が永遠に続いているだけである。
 そして、上記の文に見るように、カタリ派は「自我」の存在を前提にしている。「地上に拉致された」とか「真の祖国への復帰」という表現は、永遠に継続して存在するアイデンティティ(魂)の存在を含意している。
 一方、ブッダは「諸法無我」と言った。アイデンティティ(魂)などないとしたのである。


 似ているようで違っている。
 
 帚木の小説は、カタリ派や宗教や中世史に興味のない読者にとってみれば、凡庸なミステリーに過ぎないかもしれない。推理(謎解き)部分もサスペンス部分も決着のつけ方も弱い。
 だが、カタリ派の復権を訴える主人公の学者の意志は、そのまま著者の思いでもあろう。
 帚木もまた「異端愛」の持ち主なのだろう。
 

● 神の名において 本:『教養としての世界宗教事件史』(島田裕巳著、河出ブックス)

教養としての世界史 2010年刊行。

 世界の宗教史の上で重要な出来事、事件を追うことで、人類と宗教がどのようなかかわりをもったのか、その典型的なケースを明らかにすることができる。そうした事件は、後世にも大きな影響を与えている。主な事件について知るだけでも、宗教史の概略を理解することは十分に可能である。(標題書)

 という趣意のもと選ばれたのは24の事件。
 学生の頃、世界史の授業で習い、試験のため必死に年号や人名や国名を暗記した有名な出来事の記述に、昔の友人と再会したかのような思いがした。
○ ラスコー洞窟の壁画
○ 巨大ピラミッドの建設
○ 一神教の誕生
○ パウロの回心
○ 三蔵法師の天竺(ガンダーラ)への旅
○ キリスト教会の東西分裂
○ ガリレオの地動説と異端審問
○ 免罪符とルターの宗教改革
○ ピューリタンの新大陸移住
○ ダライ・ラマ14世のチベット脱出
○ 毛沢東の文化大革命
他13題


 懐かしさの一方、時の移り変わり、自己ファイルの情報の老朽化を感じさせられた。
 中学生の頃、世界で一番古い壁画はスペインのアルタミラ洞窟かフランスのラスコー洞窟で発見されたものと習った。今の今までそう思っていたが、この本を読むとすでにその情報は文字通り過去のものであった。1994年にフランスのショーベ洞窟で32,000年前の壁画が発見されたのである。社会人となっていた自分はそのニュースを聞いていないか、聞いたとしても頭の中で「上書き→更新」されていなかった。あいかわらず、ラスコーかアルタミラと思っていた。一度覚えたことはなかなか更新されないものである。(今、ネットで調べたら、2012年6月のニュースによると、スペイン北部のエル・カスティージョ洞窟で見つかった壁画を調査したところ、遅くとも40,800年前の作と推定されるとあった。こうなると「元祖」を争っているまんじゅう屋みたいなものだ)
 高校生だった頃、ソ連はまだあった。ドイツは東西に分裂していた。香港はイギリスのものだった。世界情勢はくるくる変わる。研究も調査も日進月歩。数十年前に習ったことが今でも通用すると思っているのがそもそも間違いである。
 そしてまた、時代が変われば世界観も変わる。
 恰好の例が、自分が教わった「1492年コロンブスの新大陸発見」。今の教科書では「新大陸到達」とか「アメリカ上陸」に変わっている。この数十年の間に、先進国である欧米中心の「世界の見方」が一面的であり差別的であるという、いわゆる「文化相対主義=全ての文化に優劣が無く平等に尊ばれるべき」の考え方が浸透したからである。もちろん、先住民であるインディアンはじめ様々なマイノリティ達の発言や運動が背景にある。
 世界観が変われば、教育内容も変わる。伝えている事実は同じでも、伝え方に違いが生じる。
 その意味で、本書の24のテーマの中でもっとも興味深かったのは、十字軍についての章であった。

 自分が学生だった頃、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回しようとして始まった十字軍は、輝かしい、カッコいい、勇ましい行動に受け止められた。十字軍という名前の響きのせいもあろうし、世俗的な目的でなく信仰のために騎士や民衆が馳せ参じたというところも思春期の自分にとってはクールに思えた。キリストを刺した槍の発見や少年十字軍といった伝説的エピソードも、想像の中でのヴィジュアル的インパクトと共にワクワクするような面白さがあった。
 また、よくは知らないイスラム教徒よりテレビや映画でたまに見ていたキリスト教の聖人の方が親しみやすく理想的人間像(当たり前だ、聖人だもの)に思えた。教科書の記述や掲載されていた写真や数回にわたる遠征を示す図も十字軍サイド(=欧米視点)に沿ったものであったし、先生の教え方もまたそうであった。 
 だから、「十字軍=善=正義」v.s「イスラム教徒=悪=不法占拠者」というイメージがインプットされたのである。
 しかし、事実は「聖戦」とは程遠いものであった。 
 

 当時、文明の質ということで考えると、イスラム教世界の方がキリスト教世界に比べてはるかに進んでいた。というのも、イスラム教世界は、古代から文明が発達していた地域に勢力を拡大しており、エジプトやギリシアの文明を摂取することが可能だったからである。・・・・・

 イスラム教文明に比較すれば、キリスト教文明ははるかに遅れをとっていた。つまり、十字軍の戦いは、野蛮なヨーロッパのキリスト教徒による、高度な文明をもつイスラム教徒に対する攻撃という側面があった。

 十字軍は進軍攻略した各都市でレイプ・虐殺・略奪を繰り返し、その残虐ぶりはイスラム教徒たちを震え上がらせた。
 十字軍が標的にしたのはイスラム教徒ばかりではなかった。キリスト教の異端を征伐するためにも十字軍は結成された。参戦した者は罪が軽減されるという「贖宥(しょくゆう)」を求めて、多くの無法者が参集した。この贖宥が後年の「免罪符」を生むきっかけとなる。
 十字軍による異端征伐の代表的なものが、南仏に勢力を拡大していたカタリ派に差し向けられたアルビジョワ十字軍(1209-1229)である。  
 
 十字軍参加者には、これからさき犯すであろう罪も含めて、あらかじめ赦免が与えられた。それに、聖地への十字軍と同様、南仏に派遣された軍隊のなかには素性の正しい騎士のほか、赦免に与ろうとする民間人の有象無象、それに野盗かならずものまがいの、命知らずの傭兵も加わっていた。迎え撃つ側もこの種の傭兵を使ったが、十字軍の方にはすべて神の許すところという大前提があった。
 こうなると、数々の残虐な、醜悪な行為が行われない方が不思議であろう。同時代の、いちおうは封建制度の約束と騎士道精神を考慮に入れた戦闘に比べて、奇妙にも神がかかわった分だけ、アルビジョワ十字軍の戦いは中世でもっとも人間性に乏しい戦争の一つとなったのである。


 十字軍兵士の残忍さの根拠には、自分たちには神がついている、悪魔に操られた異端者相手には何をしてもよいのだ、というきわめて二元論的な割り切り方があった。そしてそこから生じる行為は、まさしく「歴史は地獄」だと痛感させる性質のものであった。
(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院) 

 

 2000年3月、時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世はキリスト教会史上はじめて十字軍の過ちを認め、こう謝罪した。
「かつて一部のキリスト教徒が、真実に仕えるためにふるった暴力について許しを求めます。異教徒に対して不信の念を抱き、敵意を持ったことに許しを求めます。」


 文化相対主義とはつまるところ「宗教相対主義」でもある。
 キリスト教原理主義やイスラム原理主義などの宗教的原理主義が世界を跳梁し、テロリズムの脅威が跋扈している現在、自らを相対化し、客観的に世界や人間を見る目を養うことが肝要であろう。
 著者は、ほかならぬ日本人こそ、それができる好位置にいると言う。

 自分たちの宗教についてしか知らなければ、それは宗教そのものについて知っているとは言えない。逆に、自分たちの宗教について主観的な知識をもつだけでは。客観的にそれを眺めたり、他の宗教と比較することはできないのである。
 それに比べれば、無宗教である日本人は、まだしも宗教についてそれを客観的に眺め、異なる宗教を比較できる立場に立ちやすいとも言える。日本には神道があり、そこに中国や朝鮮半島を経由して、仏教や道教、儒教が入ってきた。近世のはじまりには、キリスト教とも接し、禁教の期間を経て、近代になって改めてキリスト教から大きな影響を受けた。最近では、まだ数は少ないものの、イスラム教徒も国内に入ってくるようになった。

 私たちは、そうした環境が存在するということを利点として生かしていくべきである。その上で、世界の宗教を眺め、それぞれを比較し、人類にとって宗教がいかなる意味をもっているのか、人類が宗教をもった根本的な要因はどこに求められるのか、それを考えていく必要がある。その作業を怠れば、世界の動きを正しくとらえることができない。また、将来を見通すこともできない。


 まさしく著者の言うとおり。
 そうでないと、我々はラスコーの昔からちっとも進歩していないことになる。
 おっと。
 エル・カスティージョか。

● 映画:『記憶の棘』(ジョナサン・グレイザー監督)

 2004年アメリカ映画。

 統計によると、アメリカ人の4人に1人は輪廻転生(生まれ変わり)を信じているという。キリスト教徒に限っても5人に1人が信じているらしい。(出典はホームページ「忘却からの帰還」http://transact.seesaa.net/article/59854004.html

 そりゃ、キリスト教徒じゃないだろう!

 と、つっこみたくなる。
 もっとも、原始キリスト教時代、イエスは輪廻転生を説いていたという説もある。(この地下水脈は中世フランスにおいてカタリ派となって表に現れ出でて異端として虐殺される。隣人愛も何もあったもんじゃない。)

 NHKが2008年に行った調査では、日本人の約4割が輪廻転生を信じている。(出典は「NHK放送文化研究所」ホームページttp://www.nhk.or.jp/bunken/research/title/month/2009/2009_05/index.html

 一応仏教国の日本で信じる人が多いのは分かるが、なぜキリスト教国のアメリカ人が・・・?と不思議になるが、英国の調査でも同じような結果が出ている。
 つまり、どの先進国の国民も3~4割は輪廻転生派なのではないだろうか。(チベットやタイやミャンマーならもちろん100%近いだろう。)

 この映画は、輪廻転生をモチーフとした‘恋愛映画’である。
 ‘   ’をつけざるをえないのは、恋愛関係に陥るのがアナ(ニコール・キッドマン)とショーン(キャメロン・ブライト)だからであり、キャメロン・ブライトは10歳の少年だからである。
 10歳の少年が突然目の前に現れて、「ぼくはあなたの夫だった」と告げ、二人の間でしか分からないような秘密の出来事を話し出す。アナは混乱の極みに置かれてしまう。
 果たして、少年は本当に夫の生まれ変わりなのか。

 品格のある大人のミステリーである。
 この品格を作り出しているのは、長回しを多用した撮影(ニコールのアップを延々1分以上も映しているだけのシーンがある!)であり、室内装飾の優美さに見られるような美術の素晴らしさであり、なんといってもアナ(=ニコール)の母親を演じる往年の大女優ローレン・バコールの風格である。画面にいるだけで作品そのものをグレイドアップするさすがの存在感である。
 伏線の張り方もうまい。
 
 大人の男の心を持った少年を巧みに演じたキャメロン・ブライトは、今や20歳目前である。どんな男に成長しているのか、追ってみたいと思わせるに十分な、独特の雰囲気のある子役ぶりである。

 考えてみると役者稼業というのが、あるキャラから別のキャラへと着ぐるみを替えていく輪廻転生ゲームみたいなものであるよな。


評価: B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

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