あんぽん2012年発行。

 「あんぽん」とは安本のこと。安本正義という名前で日本に帰化した男が、もとの韓国姓に改姓して、孫正義になった。
 ソフトバンクの創業者にして社長、日本で五指に入る大富豪、脱原発を唱え私財100億円を投じて自然エネルギー開発に取り組む、稀代の変革者である。
 東北大震災の折りの俊敏かつ積極的な救援活動は、並み居る政治家を恥じ入らせるに十分すぎるものであった。

 この本は、一人の野心溢れる青年起業家が成功するまでの道のりを描いた通常の伝記やサクセスストーリーとは異なる。でなければ、サクセスストーリーにも企業経営にもITの将来にも政治的駆け引きにも興味のない自分のような読者が、あえて手に取ろうとは思わなかったであろう。
 本書が他の伝記と違っているのは、これが在日朝鮮人の昭和・平成史と読めるところである。

 孫正義の父方の祖父と母方の祖父(ともに朝鮮人)は、日本の鉱山で働いていた。母方の祖父は強制連行に近い形で朝鮮から連れて来られ、筑豊の炭鉱で最も危険な仕事をやらされた。孫正義の母親の弟(叔父)は、国鉄職員を希望したものの出自をもとに断られ、やはり鉱夫となり1965年に炭鉱爆発事故で亡くなっている。孫正義の両親(在日2世)は、佐賀県鳥栖駅前の朝鮮部落で養豚や密造酒づくりで何とか生計を立てていた。孫正義は、豚と酒の匂いの充満するその路地で生まれ育ったのである。
 貧困からの脱出をはかる孫の父親・三憲には事業の才覚があり、金貸し業で財を成した後、九州最大のパチンコチェーン店のオーナーとなる。むろん、それ以外の事業で在日が伸し上がるのは不可能に近かったろう。
 きわめて貧しい幼少時代のあと、きわめて豊かな少年時代を経て、幼少期から抜群に利口で意志の強かった孫正義は、実業家の道を選んで、自由の空気に触れるべく単身アメリカに行く。あとはもうサクセス街道まっしぐら。在日3世にして花形産業の青雲児に、ITやエネルギー政策を手綱に日本の未来を左右する存在にまでのし上がったのである。
 この本をサクセスストーリーと言うのであれば、それは孫正義一個人のサクセスストーリーではなくて、三世代にわたる在日朝鮮人のサクセスストーリーである。孫正義が在日の星と仰がれるのも無理はなかろう。
 が、単なるサクセスストーリーに終わっていない。
 著者は、孫正義という男が、三世代にわたる「血と骨」の在日朝鮮人一家の中で、どのように作られたかを検証している。未来を熱く語り周囲の人間を惹きつけ巻きこんでいく孫正義の類まれなるパーソナリティの形成を、血縁・文化・民族的背景に探っている。
 一人の個人を創っているのは、その個人の誕生からあとに起こった出来事だけではない。むしろ、誕生前に起こった有形無形のことの結果として、個人は運命づけられる。著者のそんな考えが紙面から立ち現われて来るようだ。

 著者の佐野眞一もまた毀誉褒貶ある人だ。
 作品が高く評価されている一方で、剽窃事件を起こしたり、『週刊朝日』の橋下徹人格否定記事でバカをしている。おそらく、この伝記でやったようなことを橋下徹に対してもやりたかったのではないかと推測するが、相手が悪かった。在日朝鮮人問題と部落問題じゃ、歴史も深みも異なる。


 著者は、孫の父親はじめ、出会えるかぎりの様々な関係者に出会って、話を聴いている。韓国にまで飛んでいる。その徹底した取材ぶりはプロと言うにふさわしい。
 次第に明らかになってくる孫正義のルーツに、日本の近代の闇を見ると言ったら大げさであろうか。
 もっとも、在日朝鮮人の来歴および家庭環境を、孫一家に代表させることは間違いであろう。もっと穏やかな、平凡な家庭のほうが圧倒的に多いはずである。
 孫正義の父親のキャラクターの濃さ、取材過程で登場する親類たちのアクの強さ(孫の叔父は元ヤクザ、孫の祖母は子豚に自らのおっぱいを吸わせていた)、親類縁者の魑魅魍魎のごとき争い、男たちの激しやすさ、粗暴なふるまい、そして朝鮮人差別・・・。こういったあまりにも濃すぎる情念の坩堝から、ITという無機質な産業の覇者が登場するという、ある種不可思議な、ある種納得のいく運命の皮肉。
 一見、優しそうで穏やかそうな孫正義の表情の背後には、虐げられてきた在日朝鮮人の怨みと怒りと哀しみと復讐心と、自分を育ててくれた日本という国に対するアンビバレントな思いと、朝鮮・韓国という国に対する複雑な思いと、貧困の中にあった親族の愛と助け合いの思い出と、裕福の中に発現した親族の裏切りと罵りあいの醜悪さと、震災被災者に対して発動されたような非利己的な自発的な愛と、それらもろもろが、天才脳のサイバー空間を四六時中、経巡っているのかもしれない。

 そう言えば、孫正義は興福寺の阿修羅像に似ている。

仏像は語る