ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

新藤兼人

● 映画:『元禄忠臣蔵』(溝口健二監督)

前編 1941年12月1日公開
後編 1942年2月11日公開
製作 松竹、興亜映画

 まずは公開日に着目。
 赤穂浪士の吉良邸への討入りは元禄15年(1703年)12月14日であるから、12月公開は何ら不思議なことではない。重要なのは1941年という年。この年の12月8日は日本がハワイオアフ島の真珠湾を攻撃した日。この映画は太平洋戦争開戦直前に封切られたのである。
 さらに、後編の封切りは、紀元節(今の建国記念日)であり大日本帝国憲法の発布日(1889年)である。むろん、紀元節とは神武天皇の即位日とされている。
 製作は松竹だが、金の出所は情報局すなわち大日本帝国。
 忠臣蔵の主要テーマである「報復と忠義」「武士道」を、忠心愛国・大和魂に結びつけ、戦意高揚をはかったわけである。

 なにぶん古いフィルムの上に、話される言葉も時代劇調(歌舞伎調)なので、登場人物が何を言っているのかよくわからない。あらすじが分かっていなければ、途中で観るのを断念しただろう。(字幕があったらいいのに・・・)
 それでも観続けざるを得ないのは、徹頭徹尾、この映画が‘本物’だからである。
 綿密な時代考証に基づいたセットや風俗や衣装(松の廊下は原寸大だという)はもとより、格調高い演出、役者の重厚な演技、撮影技術・・・・・どれも当時の日本映画産業のなし得る最高レベルの贅沢を誇っている。
 それを可能ならしめたのは出資者がほかならぬ日本国だったから。DVD特典映像の新藤兼人監督――この作品で建築監督を務めた――へのインタビューによると、当時映画一本の製作費が6-8万円のところ、この映画はセット代だけで38万円使ったとのこと。内容以外のところでは、費用や期間に頭を悩ますことなく、やりたいことが全部できたのである。

 なにより特筆すべきは、主人公大石内蔵助を演じた四代目河原崎長十郎の存在感たっぷりの風格ある演技である。本当に昔の役者は‘格が違う’と言わざるを得ない。鷹揚とした表情はむろんのこと、身のこなしも口振りも威厳があって、「この男になら命をあずけよう」と家臣たちが思うのも無理もないと感じさせる。(この人の息子は一昔前にテレビドラマでよく温厚な父親役を演じていた河原崎長一郎である。)
 内蔵助の妻おりくを演じている山岸しづ江は、実生活上でも長十郎の連れ添いであった。なので、二人の演技の息がぴったりなのも当然である。しづ江の姉の山岸美代子もまた役者であったが、その娘が岩下志麻である。(つまり、河原崎長一郎と岩下志麻はいとこ同士になる。) フィルムの山岸しづ江の姿に志麻姐さんの面影を探したが、それほど似ていない。志麻姐さんは父親似(野々村潔)なのだな。

 キャストのうち知っている役者がほぼ皆無という中で、当時23歳の高峰三枝子が最後の最後に登場し、ミスキャストぶりを発揮している。切腹が迫っている恋する浪士と最期に一目会うために小姓姿に身をやつす一途な娘の役は、冷徹な大人の美貌をもつ高峰には似合わない。しかも、恋人の自死を前に自らの命を絶って操を捧げるとは・・・。
 おそらく当時国民的スターであった高峰の登用を決めたのは溝口ではなく、情報局だろう。高峰は溝口映画には、後にも先にもこれ一本しか出ていない。
 溝口が選びそうにない女優だもの。

 前後編あわせて3時間40分もあるこの映画には、なんと肝心要の吉良邸への討入りシーンが出てこない。40分くらいはそこに使われるだろうと思っていたので、肩すかしの感があった。
 自分(ソルティ)は時代劇のチャンバラシーンや西部劇の銃撃シーンが昔から好きではないので、別にがっかりということはなかったのだが、世間一般的には「なぜ一番大事な、一番心湧き立つシーンを撮らなかったの?」であろう。
 上記の新藤兼人のインタビューによれば、「リアリズムを重視した溝口監督が討入りシーンを撮るなら、本当に人を斬らなければならないから」とか、「映画全体のトーンを配慮して」とか、「あくまで原作(青山青果)にしたがったまで」とか、確たる理由は明らかでない。
 ここからは推測だが、溝口監督はやはり国策映画を撮らされることに内心忸怩たるものがあったのではなかろうか。
 だから、もっとも観客を興奮させ戦意を奮い立たせる討入りシーンをあえて挿入しないことで、秘めたる抵抗を示したのではないだろうか。
 溝口健二と反戦思想は馴染まない気もするが、孤高の芸術至上主義者で個人主義的であった溝口監督とファシズム(情動に煽られた全体主義)は、まったく相容れない関係のように思うのである。
 
 だとしたら、木下恵介とはまた異なったふるまいによる戦時の芸術家の世過ぎと言うべきか。 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 



● 映画:藪の中の黒猫(新藤兼人監督)

 1968年 制作:近代映画協会 配給:東宝

 時は平安、舞台は京の羅城門。
 と来れば、魑魅魍魎の跋扈する怪しの世界と決まっている。
 しかも、「黒猫」である。本邦なら入江たか子の化け猫シリーズを連想するし、アメリカならエドガー・アラン・ポーである。大島弓子の『綿の国星』もある。
 ぞくぞくする面白さを期待できよう。

 カラーでなく、あえてモノクロで撮っているのは正解。
 平安の闇の底知れない不気味さともの哀しさとが豊かな陰影のうちに見事に描き出されている。太地喜和子演じる女の霊がその夜の犠牲者となる侍を案内して竹林を歩くシーンなど、真っ直ぐに立ち並ぶ竹がつくる檻のような黒い縦格子を透かして、淡い月の光の中を歩む二人の影が、まさにこの世からあの世への、現実から夢幻世界への、道行きのようである。息を呑むような美しさと緊張感は、新藤の師匠であった溝口健二の『雨月物語』に決して劣らない。

 役者もみな達者である。
 とりわけ、太地喜和子の美しさが光る。
 この女優は演技の巧いことは言うまでもないが、美人ではない。どころかむしろ、不美人の部類に入ると言ってよい。
 だが、「女」を演じた瞬間から、造形の善し悪しをいっさい不問にしてしまい、「きれいな、いい」女になってしまう。「きれい」もまた演技の力であることを、この人ほど証明している女優はない。
 いや、いた。田中裕子もそうだ。『ガラスの仮面』の北島マヤもそうだ。 
 演技力は別としても、平板な太地の顔は「引き目、かぎ鼻、おちょぼ口、下ぶくれ」を理想とする平安美人に似つかわしい。
 発声も所作も印象的で、新藤監督の妻にして生涯の仕事上の相棒たる乙羽信子を食っている。太地は物語の途中で消えてしまう(地獄に堕ちてしまう)が、太地が画面から姿を消したあとの画面全体の妖美さの消失は否めない。
 
 『原爆の子』や『第五福竜丸』(→ブログ記事http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6114889.html )など社会的テーマを描くことの多い新藤監督であるが、この映画もたんなる怪奇ものでも悲恋ものでもない。大黒柱を戦に取られ、貧苦に苦しみ、侍達に陵辱された揚げ句に家ごと焼き殺された女二人の、戦に対する憎しみ、戦を行う侍達に対する尽きない恨みが、二人の霊を黒猫に化身させ、妖怪を生んだのである。
「この世に戦をする侍どもがいる限り、私はその生き血を吸い続けなければならない」と言って姿を消す乙羽信子の声に、本当の悪は妖怪や幽霊に属するのではなく、それを生み出し続ける現実社会の側にあることを、白黒反転させて、映画は終わる。




評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 映画:『第五福竜丸』(新藤兼人監督)

 1959年近代映画協会、新世紀映画制作。

 この作品を観ている途中、急に寒気に襲われ体の震えが止められなくなった。風邪ではない。
 マグロをもとめてミクロネシアに漁に出た第五福竜丸の23名の乗組員たちが、3月1日の早朝、洋上はるか遠くに明るく輝く光のショーを、寝起き姿のほとんど裸に近い恰好で並んで目撃しているシーンで、ぞっと寒気が走ったのである。その数分後に爆音が鳴り響き、キノコ雲が起立する。

 今でこそ我々は、キノコ雲が原水爆の爆発に附随する現象であることを知っているし、放射線被曝が相当の範囲にまで及ぶことも知っている。もし、現在の船員が同じ場面に遭遇したら、すぐに救助信号を発して甲板から船底に退避するだろう。
 しかし、当時(1951年)の焼津の漁師達は、そんなこと知らなかった。

 1時間後に空がかき曇って、白い粉雪のようなものが降ってきた。強い放射線を放つ、いわゆる死の灰である。もちろん、船員達はその恐怖も知らない。甲板やマストに降り積もる灰の中、何の防御もせずに作業を続ける。灰を浴びた食料を帰港の日まで食べ続ける。
 結果、23名全員が重い放射能症にかかり、数ヶ月後、無線長だった久保山愛吉が脳症を発症して亡くなった。

 ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験。
 この作品は、実際にあった事件を映像化したものである。

 カメラは、家族らに見送られて福竜丸が焼津港を華々しく出立する場面からはじまって、船内での男達の活気ある生活ぶり、荒々しい漁の様子、被曝する瞬間、帰港してから事件がマスコミに知られ騒がれるまでの経緯、船員達の悪化する症状、病院内での生活、日米の医療者の対峙、船員と家族らの関わり、そして全国民が注視する中の久保山愛吉の死までを、急がずに、あおらずに、淡々と描き出していく。ナレーションも、説明ゼリフも、過剰な演技も、凝った演出も、音楽による盛り上げも、主義主張の押しつけもない。焦点は、あくまでも、漁師達の被った被害の様子に置かれている。
 その謙虚なまでのつつましさが、かえって事件のリアリティを浮き上がらせている。この悲劇の持つ意味をえぐり出している。そこには観る者がなんらかの「物語」を仕立てて味わうべき余地などもはやないのだ。
 若者達の未来の剥奪、家族の別離、被爆者への偏見と励まし、医療者の奮闘と絶望、国民的な関心と反核運動の高まり、日米関係の不均衡が生み出す様々なレベルの情報操作、犠牲者の死・・・・。どのエピソードも元来なら観る者の感情移入を許し、物語に酔いしれる快楽(=娯楽性)をくれるに十分な要素を持っている。スピルバーグなら、ここからどれほどの感動の波を作り出し、観客の涙を絞り出させることだろう。
 しかるに、新藤兼人は律儀に娯楽になりきることを拒絶するのである。感動的ドラマも政治的意味づけも、気軽に生みだし味わうことを許さないような潔癖さを保つのである。


 そして、それは正しい。
 我々が紡ぐいかなる「物語」も、地上にある何万発という核兵器(+何百基とある原発)の前では死の灰一片ほどの重さも持たないのだから。我々は、死刑台の上でマタタビに酔って踊っている猫みたいなものなのだ。

 イギリスの小説家アーサ・ケストラーはこう述べた。

 有史、先史を通じ、人類にとって最も重大な日はいつかと問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は「個としての死」を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は「種としての絶滅」を予感しながら生きていかねばならなくなった。


 核は共同幻想(=物語)を崩壊させるに十分な力を持つ。国という幻想、主義という幻想、宗教という幻想、民族・人種という幻想・・・。
 実に皮相で、逆説的なのだが、核の前でやっと人類は一つになった。
 一つの運命共同体に。

 


評価: B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」 
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!




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