ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

永久保貴一

● 再見~! 漫画:『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅5』(作画:永久保貴一画、語り:秋月慈童)

2016年朝日新聞出版発行

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 このシリーズもこれが最終巻。
 永久保貴一の作品としては『カルラ舞う』に並ぶ代表作と言ってもいいのではなかろうか。それくらい面白かった。
 『カルラ舞う』と一番違うのは、これがノン・フィクションであること。実在する密教僧・秋月慈童が、身の回りで起こる様々な不思議な現象や恐ろしい霊的事件を、生まれついての霊能力+厳しい修行で身につけた法力で快刀乱麻のごと解決していく。ここに描かれていることがすべて本当なら(わざわざ嘘つく必要もないと思うが)、世の中の見方を180度修正しなければなるまい。

 今回も摩訶不思議な6つのエピソードが語られている。
 一例をあげると、

  1. 永久保貴一の担当編集者であるA子さんは、パワースポットとして知られる××湖畔神社に行くが、昔その湖で亡くなった二人の女性の霊に憑りつかれる。A子さんは体調をくずす。
  2. 秋月慈童の夢枕に、A子さんが足しげく参詣している地元神社の祭神(氏神)が立つ。祭神は秋月に氏子であるA子さんを悪霊から救ってくれるよう頼み、A子さんの名前と顔を伝える。(A子さんと秋月は永久保が主宰する忘年会で過去に一度会っただけ。二人に日常的な交流はない)
  3. 秋月は永久保に連絡を取り、A子さんと会う算段をはかる。この時点では理由は告げていない。
  4. 永久保の家で秋月とA子さんは面会し、秋月は「A子さんが地元神社によく参詣すること。最近××湖畔神社に行ったこと。その後体調がおかしくなったこと」を言い当てる。驚くA子さんと永久保に詳しい説明を与えることなく、秋月はその場で除霊する。A子さんはとたんに復調する。
  5. 秋月はその足で寺に戻り、お持ち帰りした二人の女性の霊の成仏を祈念する。
  6. 後日、永久保と会った秋月は、「A子さんが、その昔××湖の生贄として村人たちに殺された二人の女性に憑りつかれていたこと。A子さんの氏神が自分の夢枕に立ったこと。除霊後に氏神から感謝の贈り物があったこと」を話す。

――といった具合である。

 こうした話をどこまで信じるか、あるいはまったく信じないかは人それぞれであろう。
 ソルティは年を取るにつれて迷信深くなったというか、目に見えないものの存在を否定しがたくなってきている。霊能力はないのであるが・・・。

 ご利益や願望成就をもとめて自己努力もせずに神仏やグルや行者や易者にすがるのはどうかと思う。が一方、科学万能信仰や人類中心主義という傲慢から距離を置くために、あるいは「俺は自分一人の力で生きている!」という錯覚に陥らないために、神仏やら天狗やら龍やら物の怪やらを意識的に心に棲まわせておくのもありかなあ~、と思うのである。

 いつの日かまた、このシリーズが再開されることを願う。


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● 左肩の痛みの正体 漫画:『封じられた霊能力』,『永久保交幽録 琉球ユタ・はる』(永久保貴一作・画)

 ブックオフの漫画コーナーに行くと、必ず作家名「な」の陳列棚に寄る。永久保貴一の新しい作品が入っていないかチェックするのだ。どうやら自分はこの人のファンらしい。
 ファンならば書店で定価購入すべきなのかもしれないが、「貧乏金なし」。
 せめてこうしてブログで紹介し、読者を増やす一助になれば・・・。


封じられた霊能力
 

 今回は、なんと2冊も未読のものが並んでいた。
 『封じられた霊能力』(大都社)は、永久保一家の友人であり永久保の心霊ドキュメント作品にたびたび登場するHさんが活躍する。
 幼いころから霊的現象に悩まされ、中学生のときに力のある霊能者に霊能力を封じ込めてもらった女性。大人になったある日、突然封印が破れ、ふたたび身の回りで霊的現象が多発する。困り果てた彼女は、知り合いを通じて永久保とHさんに相談に来る。
 話の後半では、いま一人の永久保心霊コミックの主人公である霊能者・井口清満(いぐちきよみつ)が登場する。同じ相談者に対して、Hさんと井口の対処の仕方が異なるところが面白い。これはどうやら霊というものに対する考え方、相談者に対する見立ての違いから生じているらしい。

多くの人が霊って言ってるのは、人が出していた気や思いが残ったものだよ。それにいい気を当てて自然の気の状態に近づけることが浄霊。(Hさんのセリフ)

浄霊は、霊が整然思い残したことを解消してあげること。たとえば遺族に伝えなきゃならないことを伝えてあげれば、霊の心残りは解消され浄化されていく。(井口のセリフ)

 二人の‘霊観’の違いに戸惑う永久保は、このように整理し納得しようとする。
 
どーも、霊を上に行く魂(こん)と地上に残る魄(はく)に分けて考えるところまでは、Hさんも井口さんも同じみたい・・・。違いは魄の人格を認めるかどうかのようです。(永久保のセリフ)


中国の道教では魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。(ウィキペディア「魂魄」より抜粋)


 ソルティは仏教徒なので、人格のようなものを持った永遠不滅の「魂」の存在は信じていない。けれど、「魄」という考え方は一考の価値があると思った。Hさんは魄を「気の塊」と表現しているが、死んだ人が残した「気の塊(つまり念)」を、見る人が見れば「霊」と認識するというわけだ。霊とは「存在する」ものではなく、「認識する」ものなのだろう。脳は、人は、生命は、「認識する」ものを「存在させる」。(その意味で、「幽霊は存在するか、しないか?」という問い自体がナンセンスである)
 「気」というのが、この世のいろいろな現象を読み解くキーワードなような‘気’がする。
 
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 『永久保交幽録』(ぶんか社)は、実在の琉球ユタの一人である‘はる’のエピソードをまとめたもの。ユタとは沖縄の霊能者(シャーマン)を指す。

ユタは、凡人にはなし得ない霊界のすがたや動きを見通すことのできる霊能力者であると見なされているが、ユタ信仰は迷信だという観念は沖縄の教育者や知識人の間に一般化しており、公式の場では穢らわしい、はしたないと軽蔑して口にも出さない。

個人レベルあるいは共同体レベルにおいて、人為の限りを尽くしても、なお解決し得ない問題につきあたったとき、その最終的決断を下すきっかけをユタの吉凶判断(ハンジ)に求めようとする傾向は、現在でも薄れていない。こうしたユタを利用する行為は「ユタ買い(ユタコーヤー)」といわれ、通常は2〜3人のユタの判断を仰ぐ。依頼者はかなりの額の費用を厭うことなくユタに支払う。沖縄県には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。(ウィキペディア「ユタ」より抜粋)

 現代に生きるユタ‘はる’は、スピリチュアルカウンセラーとして多くの相談を受けているほか、ミュージシャンとしても活躍している。コミックに掲載されている写真で見る限り、竹野内豊と綾野剛を足して2で割ったようなイケメンである。さぞかし女性人気の高いことであろう。
 本作品では、‘はる’がこれまでに体験した不思議な出来事や実際に受けた相談事例が紹介されている。
 面白かったのは、永久保とぶんか社の2人の編集者が‘はる’の浄霊を受けるエピソード。普段、首や肩の凝りで悩まされている3人は、‘はる’の浄霊を受けるや痛みとともに凝りがほぐれ、体が軽くなったことを実感する。

肩凝り・腰痛で悩んでる人は、だいたい人の念が入っちゃってる。それを取るとほとんどの人は症状改善しますよ。・・・・・
左側に入ってるのは生霊の場合が多い。
(‘はる’のセリフ)

 ここを読んで「あっ!」と思った。
 ソルティも左肩、左腕、心臓など左上半身が凝ることが最近多いからである。
 休日に山歩きして新鮮な大気に触れると、引き攣るような痛みが体表に浮き上がるように起こって、しばらくすると抜けていく。体が軽くなる。
 
 生霊――だったのかあ!! 

 としたら、正体はあいつか、こいつか。
 あの人か、この人か。
 思い当たるフシが多すぎ(苦笑)! 

 やっぱり、山登りと神社めぐりは続けたほうが身のためだ。

 ん?
 ‘気’のせい?
 職業病? 






● 漫画界の柳田国男 :『神道オカルト草子』(永久保貴一作、ぶんか社)

2005年発行。
 
神道オカルト草子

 土師宮(はじのみや)神社の神主の娘・高校生の鷲宮麻美と修行中のイケメン神官・滝上、霊能力を持つ二人が遭遇する摩訶不思議な霊的事件を読み切り形式で描くオカルトホラー。
 舞台が神社だけあって、神社特有の慣わしや行事、そして土地の神様などが登場する。その意味で、ホラーというよりも民俗漫画といった印象が強い。
 実際、永久保の作品はどれも民俗学的色合いが濃い。忘れ去られた日本の民俗文化、秘められた日本の風習や禁忌が、作品の主要なモチーフとなっているものが多い。
 そこが永久保作品のユニークかつ奥深いところである。
 そしてまた積年の怨念にかられて現代人に憑依し、祟り、呪い、取り殺す古(いにしえ)の霊たちを、単なる退治すべき‘邪’として描かずに、その怨念の形成されるに至った悲しき物語を提示し、怨霊として苦界を生き長らえなければならなかった者たちの悲しき宿命と同情すべき背景を読者に伝え想像させることで、ストーリーを単なる‘ゴーストバスターズ’の勧善懲悪に終わらせず、真の悪は人の世の冷たさや無知蒙昧や欲深さや陋習にあることを示唆し、最終的には怨霊たちの救い(=浄化)に結び付けているところが最大の魅力であろう。
 永久保貴一は弱き者、虐げられる者、差別される者、はじかれる者、いわゆる「異端者」の味方なのである。
 
 他、時代物のホラー短編が4つ収録されている。



 

● お釈迦様はウルトラマン? 漫画:『霊験修法曼荼羅3』(永久保貴一作)

2014年朝日新聞出版より刊行。
 
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 実在する密教僧(大阿闍梨)にしてサイキック(霊能者)、秋月慈童の体験を描いたシリーズ。
 今回も、修行中の秋月の周囲で起こる摩訶不思議な神仏体験、恐ろしい霊的現象、驚愕の秘儀エピソードなどが、永久保貴一の巧みな話術と卓抜なる画によって語られる。
 日常とは別の次元、まったく別のルールで動いている世界の存在に触れ、「う~む、これが本当ならもっと謙虚に誠実に生きなきゃならんな~」と襟を正す思いがする。その意味で、単なる怪談やゴーストバスター活劇以上の倫理的価値をもつ漫画と言えよう。
 創作を通じてスピリチュアル世界の神秘に触れ、愛する家族もできて、生き方に気をつけるようになったことで永久保貴一の顔が吉相になったことは、著者自身漫画で書いているし、実際昔と今の顔写真をくらべると「これが同一人物か」と思うほど変わっている。最近の雑誌に掲載された写真で見る限り、実に立派な、作家らしい風格のある、いい顔立ちをしている。それと同時に、永久保の描く絵もまた、プロとしての単なる技術力UPだけでなく、見て気持ちのよい絵柄になった。題材そのものは決して「気持ちいい」ものでない、どちらかと言えば「薄気味悪い」ものばかりであることを考えると、やはり筆跡に性格が表れるのと同様、絵にも性格があらわれる。それをして‘画風’というのだろう。
 精神的なものは早晩どうしたって表にあらわれる。気をつけたいものだ。
 (下は掲題書164-165ページ。秋月慈童らの秘儀‘魂抜き’によって墓所に眠る先祖たちを浄土に送るところ)

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 今回面白かったのは「仏舎利」のエピソードである。
 仏舎利とは、お釈迦様の遺骨のことである。お釈迦様が亡くなったあと遺骨を細かく砕いて84000の寺院に分けたと古い経典にあるそうだ。
 人間の骨の分量は80歳代で2~4キログラムである。お釈迦様は堂々とした体躯の方だった。亡くなられ時の骨量を仮に5キログラムとしよう。それを84000で割ると約0.06グラムである。小さじ100分の1。小指の先についたチョークの粉みたいなものか。
 84000ってのは単に「とてもたくさん」の意であろう。1000に分けた(小さじ一杯ずつ)ってくらいが妥当だと思う。だとしても、仏教圏であるアジア全体で「仏舎利を擁しています」と申告している寺院の数は1000なんてもんじゃないはずだ。それこそ84000くらいあるかもしれない。調べたことはないが・・・。
 これまでほうぼう旅をしていて仏舎利塔などに遭遇するたびに、不思議に、というか怪しげに思っていた。あちこちにある仏舎利を集めて復元したら、おそらくお釈迦様はウルトラマンなみ(体長40メートル)の巨人になるだろう。
 アホらしい。
 
 秋月慈童によると、 
 舎利って仏陀の骨系と、もう一系統あるんです。
 聖者や賢者の体から湧き出るつぶつぶの・・・水晶とか乳白色の瑪瑙のような不思議な石があるんです。
 で、その舎利は拝むと大きくなったり分裂して子供を産んだりするんです。

 つまり、
1. お釈迦様の遺骨でなく、聖者や高僧が亡くなったときに出る謎の物質も「仏舎利」としている。
2. その物質は増える。
 そして、また日本テーラワーダ仏教協会ホームページのQ&Aコーナーの回答によると、
3. お釈迦様だけでなく阿羅漢(最終的な悟りに達して解脱した人)の遺骨も「仏舎利」と称している。

というわけで、仏舎利がかくもあちこちに多く存在する理由がわかった。
 本物の仏舎利(お釈迦様の骨)がどこにあるかは結局誰にもわからない。それぞれのお寺は「うちこそ本物」と、まるで「元祖か本舗か」本家本元争いしているラーメン屋みたいに、それぞれの正当性を由緒来歴を語って主張するだろうが、たとえそれが本物だとしても馬鹿げた話である。
 なぜなら、「諸行無常」「無執着」「私(仏陀)ではなく法を拠り所にしなさい」と説いたお釈迦様自身がそんなこと望んでいなかったことは明らかであるし、偶像崇拝はまったく非仏教的だからである。
 
永久保:舎利ってどういう力があるものなんですか?
秋月 :気の増幅器ですね。パワーを増幅させます。

 こうなるともはや仏教の話ではなくて‘気’の話である。
 ‘気’は存在する。よい気や悪い気、強い気や弱い気というのは一般人でもなんとなく分かる。気がなんらかの影響を人間の心身に及ぼすことは間違いない。携帯やパソコンや家電製品の電磁波が飛びかっている町の中と、電磁波の少ない山奥とでは、まったく体の感覚が異なる。また、風呂に入ったり土に直接触れたり瞑想したりすると、アースのように体に溜まった電磁波が抜けていくのが実感される。静電気体質の自分はとくに感じやすいように思われる。
 ‘気’と電磁波がどのような関係があるのかはわからないのだが、電磁波の多い生活は悪い‘気’につながりやすいという気がする。
 
 まあ、これも仏舎利と同じ、迷信のたぐいか。(でも、静電気体質は‘気’のせいではない。毎年、冬になるとドアノブ恐怖症にかかるのだから。)



● 仏直して魂入れる 本:『仏像は語る』(西村公朝著、新潮文庫)

 1996年刊行。

仏像は語る

 著者は仏師・仏像修理技師にして、天台宗の僧侶。2003年に88歳で亡くなっている。
 美術院国宝修理所に所属し、京都・三十三間堂で十一面千手観音千体像の修理に携わったのを皮切りに、日本全国の仏像を修理してきた。
 本書では、著者の長い仏像修理人生において体験した様々な興味深いエピソードが語られている。一つ一つの語りが興味深く、文章にユーモアと味わいがあり、謙虚でまっすぐな著者の性格が表れている。
 不思議な糸に引かれるように、中学の美術教師から仏像修理の道へと入り込んでいって、無事戦地から戻って復職し、しまいには廃寺同然だった京都・愛宕念仏寺の住職になって寺を再建してしまう著者の人生は、まさに仏縁に導かれているとしか言いようがない。謙虚さはその自覚から来るのであろう。
 戦地(中国)に4年間もいたにもかかわらず、著者は敵兵を一度も見たことがなく、もちろん弾一発も撃たないですんだと言う。つまり、人殺しをしないですんだのである。
 人を殺した手で仏像をつくったり、修繕したりすることは、到底できないだろう。
 まるで本土で修理を待つ仏像たちが西村を守ってくれたかのよう。


 はじめて知った面白い話はいろいろあるが、仏像に御魂を入れる話(開眼)、抜く話(撥遣)が興味深かった。 

 仏像が仏像になるためにはある儀式が必要です。仏像を造ったからといって、すぐにそれが仏の法力を発揮するわけではありません。仏像が完成して、祭壇に安置し、御魂入れの儀式、つまり開眼式というものを行なって、はじめて仏像は本来の仏像になるのです。

 仏像に御魂を入れるのは僧侶の役目であるが、その御魂をしっかりと仏像に結びつけるのは信者の信仰の力だそうだ。


 信者と仏の関係が真剣であればあるほど、いかに仏像そのものが壊れていても、御魂はその全身に、すみずみまで入りこんでいるのです。仏像の修理はごく頻繁に行なわれていますが、しかし修理するからといって、御魂が抜けているわけではありません。ですから修理するときには、まず御魂を抜いておかなければなりません。そうしないと御魂のある仏像に直接鑿をあてることになってしまうからです。

 撥遣式のやり方は、これも宗派によって異なりますが、天台宗の場合ですと、御魂を自分の手の中に取り上げてそれを空中に散らし、本宮へ帰っていただく、というやり方をします。手の中に取り上げるとは、まず両手を合掌の形にします。これは蓮華の蕾の形です。次に両親指と両小指はくっつけたままで他の指を開き、蓮弁が八葉にひらいた形にします。その八葉の蓮華の上に、これから修理する仏の御魂を乗せたと観想して、本宮へ帰っていただくのです。そして、
「あなたは今までここに御魂を宿し、私たちに多大なご利益を与えて下さいました。しかし長年の歳月の間に、あなたが宿っていた館が破損してしまいました。そこで修理をして完全なお姿にしたいと思います。その間、御魂は本宮へお帰り下さい。修理が終わりましたら必ず勧請いたします。お呼びいたします。そして開眼の式を行ないます。その後は今まで以上のご利益を私たちにお与え下さい」というような意味の誓いの言葉を唱え、さらに「オン、アソハカ」と呪文を唱えて、八葉の蓮華上に乗せたと観想した御魂を空中に散らします。

 そして、修理が終わった後に、再び御魂を入れる法要を行なうのである。


 御魂とは何なのだろう?
 迷信、気のせいと片付けてしまえば済むのだけれど、修理技師である西村には「抜けているか抜けていないか」が当然分かるのだろう。


 永久保貴一の漫画『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅①』にも、主人公たる秋月慈童が二十年間封鎖していたお堂の本尊の魂抜きをして、開眼しなおすエピソードが出てくる。大体、上記の記述と同じような方法を用いている。

 世の中にはどうもまだ良く分からない、不思議なことがある。

 
P.S.今日テレビでたまたま観たが、起訴後、刑が確定しない段階で保釈金を支払って身柄の拘束を解く制度がある。この保釈金は本人に返還される、ということを自分は知らなかった。てっきり、国庫に没収されるものだと思っていた。まだ良く分からないことがある。
 

● 聖天茶枳尼に近づくな:待乳山聖天(浅草)

 聖天(しょうてん)も茶枳尼(だきに)も、ヒンドゥー教の神様に起源を持つ仏教の守護神である。
 聖天は、歓喜天、象鼻天とも言われ、多くは象頭人身の単身像、または抱擁している象頭人身の双身像の姿で表される。本地垂迹説では十一面観音菩薩の化身である。
 茶枳尼は、一般に白狐に乗る天女の姿で表され、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物とする。日本では稲荷信仰と習合し、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体としている。
 どちらの神様も祈願すれば叶わぬ願いはないと言われるほど効験あらたかなのだが、祀るのが非常に難しく、生涯かけて正しく祀らないと怒りだして子孫に至るまでの災いをもたらす、という恐ろしい神様でもある。
 そこで、昔から「下手に近づくな」と戒められてきたのである。
 とりわけ、聖天様は2体の象がみっちりと抱擁した形態が男根のシルエットを映し出すセクシュアルなお姿のためもあってか、古来秘仏とされ、厨子の中に納められているのが一般で、行者以外が目にしたら命にかかわるとまで言われている。
 
聖天様 001 この聖天様にまつわる不思議なエピソードを描いた漫画が、永久保貴一の『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅』(朝日新聞出版)である。
 永久保の作品は、どれも面白くて、不思議で、奥が深くて、勉強になるが、特にこの作品は実在の密教僧の体験談をもとにしたノンフィクションだから、「いやあ。この世にはまだまだ人知の及ばぬことがたくさんある、不思議な力を持つ人がいるもんだ」と謙虚にならざるをえなくなる。
 現在2巻出ているが、続きが楽しみである。

 さて、日本の三大聖天様の一つが、浅草の待乳山聖天である。「まつちやましょうでん」と読む。 

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待乳山は、浅草は隅田川の西岸に臨む海抜九米半、わずか千坪に満たない小丘陵でありますが、下町の平坦な地の一画に、うっそうとした木立に囲まれた優美な山の姿が、遠い昔から多くの人々の関心を呼び起こしてきたといえましょう。
 
推古三年九月二十日、浅草寺観世音ご出現の先瑞として一夜のうちに湧現した霊山で、その時金龍が舞い降り、この山を守護したことから金龍山と号するようになった。その後、同じく推古九年夏、この地方が大旱魃に見舞われた時、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天と現われたまい、神力方便の御力をもって、この山にお降りになり、天下萬民の苦悩をお救いあそばされた。これがこの山に尊天が鎮座ましました起源であると記されております。
(待乳山本龍院の案内パンフレットより)

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 正面から階段を上る参道のほかに、正面右側に回って、隅田川の方角から入る門がある。ここから入ると、小さな可愛らしいケーブルカーを使って本堂まで上がることができる。足の悪い人はこちらを利用すると良い。

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 本堂は立派である。
 中に入って座敷で祈ることができる。
 ここでビックリするのが、目の前の祭壇に積まれた大根の山。
 ?????とハテナマークが頭の中を飛び交う。

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 実は、大根と巾着が聖天様のトレードマークなのである。
 大根は、人間の迷いの心、怒りの毒を表し、大根を供えることで聖天様がこの体の毒を洗い清めてくださる。巾着は商売繁盛を表し、聖天様の信仰のご利益の大きいことを示す。
 境内のあちらこちらに大根と巾着の意匠を発見することができる。

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 境内からはスカイツリーがきれいに見える。
 また、庭園も見ることができる。

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 仏教的な聖天様の意義は、仏道修行に専念できるよう、まず身内にある強い欲望を叶えてくれるところにあるそうな・・・。
 
 おみくじを引いたら、じゃーん、だった。

 
 生きとし生けるものが幸福でありますように。


● マンガ:『永久保怪異談 パワースポット交幽録』(永久保貴一作、ぶんか社)

長久保マンガ 永久保貴一のマンガは面白い。
 絵やコマ割りはそれほど上手くないが(特に最初の頃はひどかった)、代表作『カルラ舞う』に見られるように、綿密な調査と取材、着想の奇抜さ、国枝史郎の伝奇小説ばりの独特の忌まわしい雰囲気と幻想性、そして社会において虐げられてきた民への熱い共感から生まれる善悪の二元論を超越した哀しみの視点が読む者を惹きつける。
 もちろん、純粋に超能力対決を軸とするアクションとして読んでも楽しい。

 創作マンガの他にも、作者の身辺で次々と起こるスピリチュアルにして怪奇な事件を描くこの『怪異談』シリーズもまた面白い。
 永久保自身には霊能力は無いようだが、そういった人々を周囲に集める才能があるらしい。永久保の妻が幼少より霊体験に事欠かない人であり、生まれた娘も「栴檀は双葉より芳し」、生い先楽しみな(?)「不思議ちゃん」ぶりを発揮して、ネタの提供元として父親孝行している。
 こうした永久保サークルの中でやはり一番凄い人物と思われるのが、師匠Hさんである。二人はひょんなことから知り合い、酒の席を通して意気投合し、その後Hさんは永久保の霊的アドバイザーとしてマンガに登場し、様々な助言やレクチャーをする。子供の頃から怪異な現象を経験し、「気」の修行をしてきたHさんは、相当の『気』の読み手・使い手であるらしく、気によって酒の味を変えることなどお茶の子さいさいである。
 ある時などは、人気絶頂のさなか新宿四谷にある所属事務所のビルから飛び降りて命を絶ったアイドル歌手O・Yの除霊を永久保と一緒にしたりする。(それによると彼女は世間で言われているように大物男優との失恋の痛手で亡くなったのではなく、あまりの忙しさに精神的に参っていたということだ。)

 そんなHさんによる『気』の講座が今回も秀逸である。



●水子の霊なんていない。

 中絶した人って腰にコリのある人が多いんですよ。
 体にコリがある所は気の状態も悪くなってます。
 で、女の人の意識はコッてる腰にどうしたって向いてきます。
 その時「私が子供を中絶したから…」ってイメージを持ち腰に意識を集中すると不健康な気がどんどん腰まわりにたまります。
 この女の人の不健康な気で作られた子供を「水子の霊」と呼ぶ霊能者さん多いです。


●カウンセリングは相手の話を聞くだけでいい。

 自分の悩みを誰かに聞いてもらって全部吐き出す。話すことによって自分の悩みが整理され、悩みの原因が見えてくる。
 そこからなんです! 自分がこれから何をすればいいのか考えられるようになるのは・・・。
 カウンセリングで一番重要なのは、相談者が自分で解決策を考えられる心の状態にもっていくこと。


●人相について

 怒ってばかりいる人と笑ってばかりいる人じゃ、顔の使う筋肉が違う!
 どういう生き方をしてきたかで顔は変わってくるんです。脳みそをどう使ってるかでも変わります。


●意識を後頭部の首に近い所に集中すると自分を客観的に見やすい。

 自分を客観的に見られるようになると、自分の意識、脳のいたるところで起こる雑念、勝手に聞こえる声、考えぬいた思考・・・。その他もろもろ全部ひっくるめ、総体としての自分を意識できるようになってくる。


●パワースポットで得られるものは「ツキ」 

 パワースポットに行くだけじゃ運は開けない。運はそう簡単に変わらないですよ。
 大雑把に言うと運は人との出会いだな・・・。どういう人とつき合うことになるのか。仕事にしろ家庭を持つにしろ。
 開運につなげるなら(パワースポットに行ったあと←ソルティ補足)人に会うこと。特に初めて会う人に・・・。パワースポットのいい気をまとった状態で人に会えば、とても気持ちのいい人間に感じてもらえる。逆に悪い気を放っている人間とは縁がつながりづらい。
 第一印象の影響は長く続くよ~。

 て具合で含蓄のある言葉が並ぶ。

 Hさんによると、「幽霊」と呼ばれるものの大半は、生きている人々が作った「気の塊」だそうである。


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