ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

評価B+

● メラニーの別の顔 映画:『不意打ち』(ウォルター・グローマン監督)

1964年アメリカ映画

 原題は Lady in a Cage 
 「籠の中の鳥」ならぬ「籠の中の女性」。そして籠とは自宅のエレベータのことである。
 腰の悪いヒルヤード夫人が豪邸に取り付けた檻のごときエレベータ。それが突如起きた事故のため、上昇中に停電してしまう。広い居間の真ん中で宙づりになったヒルヤード夫人。飛び降りることも這い上がることもできない。エレベータ内に設置した非常ベルを押すが、外を通る誰もが無関心。外出中の一人息子に電話をかけようにも受話器ははるか下のテーブルの上。(むろん携帯電話なんかない時代の話である) クーラーの停まった蒸し暑い屋内で時間ばかりが悪戯に過ぎていく。そして・・・・
 
 このシチュエーションを考え出した人がすごい。
 勝手知ったる我が家のど真ん中で閉じ込められ、身動き取れず、周囲で起こることを目撃するほかないという、あまりに理不尽な、あまりにおマヌケな、あまりに悪夢な設定が独創的である。監督のウォルター・グローマンは刑事コロンボなど主としてテレビドラマを撮っていた人らしい。映画はこの『不意打ち』のみが知られている。映画評論家の町山智浩が若き日に観てトラウマになった作品の一つに挙げているが、まったく同感である。深層心理に食い込むような不気味さと、神の「か」の字も感じさせない性悪説の救いのなさ、それでいて冒頭のクレジットで示されるようなスタイリッシュでセンス抜群の映像。ミヒャエル・ハネケ『ファニー・ゲーム』(1997)、ロバート・アルドリッチ『何がジェーンに起ったか?』(1962)、チャールズ・ロートン『狩人の夜』(1955)に連なるドメスティック・フィルム・ノワールの傑作と言えよう。
 
 この作品を単なるB級映画に終わらせていないのは、何と言っても主役のヒルヤード夫人を演じるオリヴィア・デ・ハヴィランドである。
 オリヴィア・デ・ハヴィランドは、オスカーを2回も手にしているアメリカを代表する名女優であるが、もっともよく知られている役は言うまでもない。『風と共に去りぬ』のメラニー・ハミルトンである。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルがそれぞれスカーレット・オハラとレッド・バトラーのはまり役であったのとまったく同程度に、オリヴィア・デ・ハヴィランドはメラニー・ハミルトンのはまり役であった。あたかも3人して原作から抜け出てきたような感がある。
 メラニーはおそらくアメリカ男性が求める理想の妻にして理想の母親像であろう。優しくて聞き上手、穏やかで控えめ、忍耐強く、芯がしっかりしていて、敬虔なクリスチャン。マーガレット・ミッチェルによって創造されたこの理想の女性を、ハヴィランドは見事に演じきり、永遠にフィルムに焼き付けた。ウィキペディアを読むと実際のハヴィランドはまったくメラニーとは性格が違ったようなので、やはり演技力の賜物だろう。
 この『不意打ち』でもエレベータ事故に最初は冷静に対処していた夫人が、次々と襲い来る‛不意打ち‘の連続に次第に我を失い、パニックに陥り、恐怖におびえ、狂気に陥っていく様を、徹底的なリアリズム演技で見せている。そのうえ、単純に事件に巻き込まれた可哀想な被害者という観る者の共感や同情を得るだけの役に終わらせていない。三十にもなった一人息子を「籠の中の鳥」のように利己的な愛情で支配する独善的な母親像を打ち出している。このハヴィランドはまったくのところメラニーの「め」の字も感じさせない。
 彼女の演技を見るだけでも価値ある作品である。
 
 身動きの取れないヒルヤード夫人をもて遊び、虐め、痛めつける強盗役に若き日のジェームズ・カーンが出ている。スタイルのいいドイツ系の美青年で目を惹くカッコよさ。
 この配役が面白いなと思うのは、後年今度はカーン自身がベッド上で「身動きの取れない」負傷した中年作家として、看護人である熱狂的な愛読者に痛めつけられる役をやっているからである。スティーヴン・キング原作の『ミザリー』(1990)である。
 因果はめぐる。



評価:B+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 老後の楽しみ 映画:『家族の肖像』(ルキノ・ヴィスコンティ監督)

公開 1974年
製作国 イタリア、フランス
音楽 フランコ・マンニーノ
撮影 パスクァリーノ・デ・サンティス
出演者
バート・ランカスター
ヘルムート・バーガー
シルヴァーナ・マンガーノ
上映時間 121分

 ヴィスコンティの長編映画は20代でほぼ観ている。本物のミラノの貴族ならではのゴージャスで格調高く芸術の香り馥郁たる映像世界と、ゲイならではの美的感覚と残酷さと美しき主演男優(アラン・ドロンやビョルン・アンドレセンやヘルムート・バーガー)への求愛ショットに酔わされたものである。
 しかし、ヴィスコンティが処女作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を発表したのは彼が36歳のときであり、晩年の傑作と言われるこの『家族の肖像』は68歳のときである。この2年後『イノセント』を発表した直後、ローマで亡くなっている。
 
●フィルモグラフィ
36歳 郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1942年)
42歳 揺れる大地 La terra trema: episodio del mare (1948年)
45歳 ベリッシマ Bellissima (1951年)
48歳 夏の嵐 Senso (1954年)
51歳 白夜 Le notti bianche (1957年) 
54歳 若者のすべて Rocco e i suoi fratelli (1960年) 
57歳 山猫 Il gattopardo (1963年)
59歳 熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa (1965年) 
61歳 異邦人 Lo straniero (1967年)
63歳 地獄に堕ちた勇者ども The Damned / La caduta degli dei (1969年)
65歳 ベニスに死す Death in Venice / Morte a Venezia (1971年)
66歳 ルートヴィヒ Ludwig (1972年)
68歳 家族の肖像 Conversation Piece / Gruppo di famiglia in un interno (1974年)
69歳 イノセント L'innocente (1976年)


 ヴィスコンティが上記14本の作品を撮ったときに、どんな心境でいたのか、どんな思いを映画や登場人物に託したのかを伺うには20代ではあまりに若すぎる。30年ぶりにこの映画を見てつくづくそう思った。
 年齢的にはソルティはやっと6作目の『若者のすべて』に達したところであり、これ以前のヴィスコンティ作品は語る資格があっても、これ以降の作品についての批評は的外れになりかねないなあと、正直思う。むろん、20世紀を生きたイタリア貴族の天才芸術家と、21世紀を生きている日本庶民の凡才介護職の違いは無視しての話である。単純に年齢(=生きた長さ)について問題にしている。
 というのも、ヴィスコンティの映画においてはこの「年齢」つまり「老い」というのが一つの主要なモチーフになっていると思うからである。特に54歳で『若者のすべて』を描き切ってからは、老いや世代交代や世代間ギャップや死が主要テーマになっていることは明らかであろう。その頂点を形作るのがトーマス・マン原作の『ベニスに死す』であるのは言うまでもない。

 『家族の肖像』も、独り者で落ち着いた生活を好む生真面目な老教授(=バート・ランカスター)が、自ら所有するアパートメントの間借り人として、欲望に忠実で騒々しい生活を当たり前とする若い現代的な家族(=ヘルムート・バーガー、シルヴァーナ・マンガーノら)を迎えることで、世代間や異文化間のギャップを肌身で感じることとなり、老いの孤独や陰鬱や固陋そして生への未練などが生々しく引き出され、描かれる。その演出は非の打ちどころない見事さ(残酷さ)。
 この映画を観たときのソルティは撮影時のヘルムート・バーガー(30歳)より年下であったわけで、当然老教授の心境など理解すべくもなかった。
 いまや、ヘルムートはもとより、往年の名女優であるシルヴァーナ・マンガーノの撮影時の年齢(44歳)も超えて、撮影時のバート・ランカスターの年齢(61歳)に近づいている。ようやくこの映画を、老教授の気持ちを、かたはしなりとも理解できる域に達しつつある。

 そんな目で見直してみたら、この映画は明らかに「ゲイ映画だなよあ~」と思ったのである。
 主役の独り者の老教授はおそらくゲイであろう。結婚していた過去はあるらしいが、回想の中で
快いイメージで現れるのは妻ではなくて母親である。生から隠遁し愛から身を遠ざけ絵画の中の“幻想の”家族とともに生きていた教授の前に現れたのは、若く美しく生のエネルギーを発散する無軌道な青年コンラッドである。磁石に惹かれる砂鉄のごとく、教授はコンラッドに惹かれてゆく。身の内に愛の起こりを感じる。芸術を解するコンラッドを養子にできたらと夢想すらする。
 しかし、現実はつねに残酷である。エゴイストの塊りである“現実の”家族はわがままをぶつけあった派手な喧嘩の挙句に瓦解し、未来の希望を見出せぬコンラッドは自害する。生へといったん振れた針が無残にも打ち砕かれ、教授もまた病の床に就く。待ち受けるは孤独死。“現実の”家族もまた幻想に過ぎなかったのである。

 病気のため車椅子でメガホンを取った68歳のヴィスコンティは、バート・ランカスター演じる老教授に自分自身を重ねたのではなかろうか。

 ともあれ、ヴィスコンティを本当の意味で鑑賞できるのはこれからだ、というのは嬉しい発見である。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 樹海の二人 映画:『追憶の森』(ガス・ヴァン・サント監督)

2015年アメリカ
上映時間111分
原題 The Sea of Trees 


 『エレファント』(2003)、『ミルク』(2008)、『永遠の僕たち』(2011)のガス・ヴァン・サント監督による青木ヶ原樹海を舞台とする映画。しかも出演はオスカー俳優マシュー・マコノヒーと我らが渡辺謙。
 ――と来れば「期待するな」と言うほうが無理である。
 公開当時あまり話題にならなかった気がする(ソルティはまったく知らなかった)。舞台が樹海でテーマがそのものずばり「自死」だからであろうか。日本での上映に当たって、もしかしたら様々なところから横槍が入ったのかもしれない。

 樹海と言えば、自殺の名所である。ウィキによれば、

 青木ヶ原(あおきがはら)は、山梨県富士河口湖町・鳴沢村にまたがって広がる森で、富士山の北西に位置する。青木ヶ原樹海・富士の樹海とも呼ばれ、山頂から眺めると木々が風になびく様子が海原でうねる波のように見えることから「樹海」と名付けられたという説もある。樹海の歴史は約1200年とまだ浅く、若い森である。


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 この映画の主人公アーサー(=マシュー・マコノヒー)も妻に死なれ、人生に絶望し、ネットで樹海のことを知り、アメリカからはるばる日本に死ににやって来たのである。ソルティが20代の頃ベストセラーになった『完全自殺マニュアル』(太田出版)に懇切丁寧な樹海活用ガイドが載っていた。あの本は図書館から締め出されたのではなかったろうか。樹海はいまや国際的な自殺の名所になったのだ。
 ネット、怖し。

 本作では樹海の怖さや魅力がふんだんに描かれている。方位磁石が狂うとか、動物が棲んでいないとか、いったん迷ったら抜け出せないとか、亡くなった魂が今もさ迷っているとか、怖さについては誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
 魅力とはなにか。
 もちろん大自然がある。ナチュラリストの自殺志願者なら死んで自然に帰るというイメージは魅惑的であろう。富士山に見守られて(看取られて)成仏するのも悪くはない。
 容易に死体が発見されないというのもポイント高い。腐乱状態を越えて、風化した白骨姿で発見されれば人様の手をそれだけ煩わさなくて済む。身元不明のまま葬られることを望む人には都合が良い。
 そう、樹海に入ればどんな人間も‘裸の自分’になるしかない。財産、地位、名誉、名声、賞罰、役割・・・・俗世間でのあらゆる属性が剥ぎ取られ、素の自分でいるしかない。であればこそ、本作の二人の主人公、アメリカ人のアーサーと日本人のタクミ(=渡辺謙)は樹海の中で強い結びつきを持ったのである。
 この映画は、自殺を企図して樹海に入った二人の男の出会いと別れの物語である。


 渡辺謙はアクの強い大物キャラクターを演じることが多いが、ここでは左遷され意気消沈したサラリーマンという凡庸な役を違和感なく演じている。英語も流暢だ。三船敏郎以降最大の国際派日本人スターは間違いなく渡辺謙だろう。オスカーも射程距離にある。

 タクミはいったん死を決意し二日前スーツ姿で樹海に入ったものの、結局思いとどまって帰り道を探している。行き倒れになりそうなところを、樹海デビューしたばかりのアーサーに助けられる。そうして二人の交流がスタートする。
 「家族に会いたい」と言うタクミの現世帰還を手伝うことにしたアーサーもまた、瀕死の樹海サバイバルを経て、最終的には自殺を思いとどまり救助隊に助けを求め、無事帰還することになる。
 この映画は、妻を愛し損ねたことの後悔と罪障感に苦しむ男が、樹海の中ですべての感情を吐き出し、再生する物語である。樹海は「煉獄」であり、ダンテの言う「人生半ばに現れた暗く深い森」である。


 アーサーは、どこで「死から生へ」とベクトルを転換させたのであろうか?
 腹を壊すかもしれない湧き水を‘生きるために’口にしたシーンであろうか。
 暖をとるために熾した炎の前で、タクミを相手に過去のあやまちを語るシーンであろうか。
 それとも、体力を失い瀕死状態に陥ったタクミのために救助を呼ぼうと立ち上がったシーンであろうか。

 ソルティが思うに、錠剤を手にしたアーサーが木立の向こうに憔悴しきったタクミの姿を発見し、心配して声をかけた瞬間に、このベクトル転換は起ったのではなかろうか。つまり、二人が出会ったファーストシーンである。
 これから死ぬ者にとって、他人のことなどもはやどうだっていいはずである。無視することもできたはずである。自分の命を捨てようとする人間が、なぜ他人の命を問題にしよう?
 だが一瞬の戸惑いの後に、アーサーはタクミに声をかけた。
 その瞬間に、アーサーにとっての新しい「生」の流れが始まったのではないかという気がする。自分のそれであろうと、他人のそれであろうと、つまるところ命は一つだからだ。


 この映画はまた、スピリチュアルな物語である。まさかガス・ヴァン・サントがこんなベタにスピリチュアルな映画を撮るとは思わなかった。


 「悪くない映画だ。‘B-’かな」
 見終わって評価をつけてから、お風呂に入った。
 浴槽に浸かっていたら、じわじわと体の芯からあたたかな感動が込み上げてきて、ほとばしるものがあった。バスクリンのせいではあるまい。
 ‘じわじわ’はその後も続き、二日経ったところで「B+」に昇格した。
 こういうケースも珍しい。



評価 B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 開花直前‘ひまわり’娘 :オペラ映画 『アイーダ』

1953年イタリア、アメリカ制作

監督 クレメンテ・フラカッシ
撮影 ピエロ・ポルタルピ
美術 フラヴィオ・モゲリーニ
衣装 マリア・デ・マテイス
出演
  • アイーダ    : ソフィア・ローレン (歌:レナータ・テバルティ)
  • アムネリス : ロイス・マクスウェル (歌:エベ・スティニャーニ)
  • ラダメス     : ルチアーノ・デッラ・マッラ (歌:ジュゼッペ・カンポラ)
  • アモナスロ : アフロ・ポーリ (歌:ジーノ・ベーキ)
  • ランフィス   : アントニオ・カッシネッリ (歌:ジューリオ・ネーリ)
上映時間 92分

 世界文化社の『DVD決定盤オペラ名作鑑賞』シリーズ第1巻として、ルチアーノ・パヴァロッティ、マリア・キアーラ、ゲーナ・ディミトローヴァ出演1985年ミラノ・スカラ座における『アイーダ』ライブ映像と一緒にカップリングされている。いわゆる、オペラ映画である。

 最大の見所は、戦後イタリアの生んだ世界的大女優であるソフィア・ローレンがそのなまめかしいオリーブ肌を黒く塗ってエチオピア王女アイーダを演じているところにある。
 芳紀18歳。個々のパーツのくっきりした派手な顔立ちがもたらすエキゾチズムと、すでに成熟したダイナマイトボディが放つエロチシズムとが一体になった芳醇な魅力に加えて、そののち『ひまわり』(1970)のごとく開花したダイナミックで感情表現豊かな演技の萌芽も見受けられる。このアイーダなら、ラダメスが祖国エジプトを裏切るのも無理はない。橋が落ちるのも無理はない(by『カサンドラ・クロス』)。
 ほかの主要役者陣も容姿といい雰囲気といい演技といい、それぞれの役柄にぴったり。映画ならではのリアルで豪華絢爛な古代エジプト王宮セットや、馬を走らせた砂漠での戦闘シーン(野外ロケ)など、充実した画面の連続で、まさに理想的な『アイーダ』の世界が現出している。
 とりわけ、随所に盛り込まれた王宮広間での集団舞踏シーンは、イタリア人ならではの明るくメリハリの利いた色彩感覚とキレキレのテンポ感と独創的演出とで、眼福といって良いレベルに達している。こういうのを見ると、イタリア人はやっぱり‘ルネサンス人’の末裔だなと感じてしまう。ただし、踊り手が見事に黒人ばかりなのが‘ちびくろサンボ’的人種差別感を映し出し、現代ならこうは撮らない(撮れない)だろうと思われる。

 舞台なら2時間半はかかる上演時間を92分に圧縮するのだから、当然音楽が犠牲になる。悪く言えば、ぶつ切りである。たとえば、舞台なら最大のクライマックスになる第2幕の幕切れの大合唱が見事に断捨離されている。アイーダの歌う屈指の名アリア『わが故郷』も1番で終わっている。音楽よりも筋のわかりやすさやテンポの良さを優先する方針は、いっそ気持ちがいいほど。「映画はクラシック音楽とは違う。あくまで大衆娯楽なのだ」と言わんばかりのイタリア映画人のプライドを感じさせる。

 とはいうものの、音楽の魅力もしっかり味わえる。
 歌が圧倒的に素晴らしいのである。
 アイーダを歌うレナータ・テバルティの完璧な声と歌唱はソフィア・ローレンをよりいっそう美しく見せる。恋のライバルにして尊大なエジプト王女アムネリスを歌うは、往年の名メゾ・ソプラノたるエベ・ステニャーニ。アムネリスを構成する四大感情――嫉妬・怒り・勝ち誇り・苦悩――を肌理細やかに表現し、アムネリスを単なる悪役キャラ、憎まれ役に終わらせない。苦悩を通しての人間的成長まで感じさせる名唱である。他の歌い手も及第点を楽々突破。50年代のイタリアオペラ界がいかに凄かったかをまざまざと示している。

 これまでに作られたオペラ映画の中で最高の部類に入れても間違いあるまい。



評価:B+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 




 



● ブーム再来なるか? 映画:『空海』(佐藤純彌監督)

1984年東映。

監督:佐藤純彌
企画:全真言宗青年連盟
脚本:早坂暁
音楽:ツトム・ヤマシタ
キャスト
  • 空海:北大路欣也
  • 最澄:加藤剛
  • 薬子:小川真由美
  • 橘逸勢:石橋蓮司
  • 藤原葛野磨:成田三樹夫
  • 平城天皇:中村嘉葎雄
  • 嵯峨天皇:西郷輝彦
  • 桓武天皇:丹波哲郎
  • 泰範:佐藤佑介
  • 阿刀大足:森繁久彌

 弘法大師空海(774-835)入定1150年を記念し、全真言宗青年連盟映画製作本部が東映と提携して製作した映画である。青年連盟は映画公開前に前売券200万枚(総額20億円)を完売させ、巨額な製作費(12億円)を可能にしたという。
 真言宗のお墨付きで上映時間約3時間と来れば、敬遠したい向きもあるかもしれない。偉大なる開祖・空海上人を最大限持ち上げた真面目な(つまらない)布教映画であろうと想像するかもしれない。ソルティは半ばそうであった。そのうえ、空海を演じるのが北大路欣也と来ては「ミスキャストだろう」の思いがあった。北大路は三島由紀夫に愛されたほどの名役者であるのは間違いないが、あまりに濃い顔立ちと生々しい肉体性とが聖人・空海にはふさわしくないと思った。俗っぽ過ぎる。これが日蓮ならわかるのだが・・・。
 空海の生涯を復習するくらいの気持ちでさほど期待せずに見始めたのだが、開けてビックリ玉手箱。実に見応えあって面白かった。3時間モニターの前に陣取る価値は十分ある。三國連太郎監督『親鸞 白い道』同様、非常に良くできた、質の高い伝記&娯楽映画と言えよう。

 実際、空海の生涯はそのままで十二分に波乱万丈で面白い。
 四国(讃岐)の豪族の三男として生を享け、神童の名をほしいままにし、10代半ばで叔父を頼って上京。京都の大学を中退して四国の山野に修行。室戸岬で金星が口に入って悟りを開く。30歳を過ぎて京に戻るも遣唐使として中国に行き、密教の真髄を極める。帰国後は鎮護国家の要としてライバル最澄とともに朝廷に重用される一方、民衆のために治水工事を指揮し学校(綜芸種智院)を作る。62歳で高野山に没す。

 空海の生涯をおおむね忠実にたどりながら、そこに時代背景や天災や権謀術数をからませ、エンターテインメントしても一級の作品になっている。見所満載である。
 たとえば、
  1. 奈良(平城京)からの遷都風景 ・・・・行列する人々の衣装や小道具が凝っている。
  2. 薬子の変・・・・平安初期の政権争いの様子が分かりやすく劇的に描かれる。
  3. 遣唐使の困難な旅 ・・・・当時のままの遣唐使船を建造したという。嵐のシーン、広大な自然を背景にした中国ロケは潤沢な予算ゆえの本物の香りが横溢。大画面に耐える。
  4. 密教第七代の祖・恵果から密教の奥義を受ける ・・・・わずか3ヶ月で密教のすべてを習得した空海の天才ぶりが光る。
  5. 最澄と空海の出会いと別れ ・・・・平安仏教の2大天才の関係性の変化にドキドキする。最澄と空海の仏教観の違い以上に気になるのは、最澄の一番弟子であった泰範が最澄を捨てて空海に鞍替えしたエピソードである。泰範役に往年の美青年・佐藤祐介を配したあたりが「日本の男色の起源は空海」という伝承――むろんそんなことはない。男色は神代からあったはず――を思い起こさせ意味深である。
  6. 奈良仏教V.S.平安仏教 ・・・・経典研究と自己の成仏のみに勤しむ奈良仏教の僧侶たちと、あまねく人々の救いを重んじる平安新興仏教(最澄)との帝の面前での宗論シーンが、古代インドで起こったと言われる小乗仏教と大乗仏教の反目を思わせて興味深い。
  7. 万濃池の修築工事 ・・・・大量のエキストラを使ったスペクタクルシーン。
  8. 山の噴火と被災者の集団セックス ・・・・一番ビックリしたシーン。密教と言えばタントラ=性肯定ではあるが、被災し洞窟に避難した男女をその場で番わせて生きる意欲を湧き立たせるというエピソードの、そしてセックスに陶酔する男女の姿をインドの古い神々(シヴァとパールヴァティー?)に重ね合わせる演出が凄すぎ! 開いた口がふさがらない。よくまあ真言宗は許可したものだ。

 とまあ、次から次へと息つく暇もないほどに見応えある面白いシーンが続く。海外も含めた贅沢な野外ロケ、王朝時代のセットや衣装のリアリティ、大量のエキストラ、嵐や建築や火事などのスペクタルシーン。このバブリー感は80年代という時代の産物であると同時に、真言宗の意地とプライドの賜物であろう。東映の力だけではこうはゆくまい。

 見応えを底から下支えしているのが役者の魅力である。
 4人を挙げよう。
 まず、空海役の北大路欣也。
 観る前の予測を良い意味で裏切って気持ちいい聖人ぶりであった。濃い顔立ちと力強い眼力は空海の意志の強さに転換され、生々しい肉体性は不羈奔放の若さに書き換えられた。並み居るベテラン役者陣に食われることなく、最後まで主役を張っているのはさすが。
 空海の叔父・阿刀大足を演じる森繁久彌。
 ソルティは残念ながら舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』もコメディ映画の『三等重役』、『社長シリーズ』、『駅前シリーズ』も森繁の代表作と言われる『夫婦善哉』すら観ていないので、アカデミー賞の重鎮であった森繁久弥の役者としての技量のほどをよく知らなかった。とくにバイプレイヤーとしての力量が疑問であった。言葉は悪いが「はったり感」を持ってさえいた。
 しかし、この映画を観て印象が変わった。森繁はバイプレイヤーとしても勝れている。空海の叔父にして物語の語り部を担う阿刀大足の役を実に重厚に、存在感豊かに、分をわきまえながら演じている。自分を抑える演技の出来る役者なのであった。
 桓武天皇役の丹波哲郎。
 やはりただならぬ存在感と大物ぶりが漂う。『親鸞 白い道』にも重要な役で出演しているが、宗教映画には欠かせないスピリットを持っている人である。演技の質はともあれ、この人が出てくるだけで画面が引き締まる。
 一番印象に残るのは、薬子を演じた小川真由美である。
 悪女や妖婦を演じたら右に出る者はなし。『八つ墓村』でもそうであったが、素か演技か分からぬほどの自然体に見えながら、役になりきっている。ここでも時の帝をたらしこめ思うがままに朝廷を牛耳る稀代のヴァンプを美しくもしたたかに、妖しくも傲岸に演じていて、観る者を惹きつける。計略に失敗して自害するド迫力の狂乱シーンは、さすが文学座の大先輩・杉村春子をして「私の後継者は小川よ」と言わしめただけのことはある。圧倒される。その小川が70歳を過ぎて真言宗で出家したのはなんだか因縁めいている。

 最後までよくわからなかったのは、空海にとって仏教とは結局何だったのか、密教とは一体何かと言う点である。
 密教に関しては、「わからないから、秘密にされたままでいるから、密教なのである」と言われれば言葉の返しようもない。言葉で説明できるのであればそれは顕教である。映画を観ただけで理解しようと思うのがそもそも間違いである。
 一方、「ブッダに握拳なし」の言葉をそのまま受けとめれば、仏教は顕教であるべきだろう。秘密にされるべきものなどあろうはずがない。主客という二元性を越える悟りの境地は不立文字であって「言葉にできない」は仕方ないとしても、それは秘密とは違う。空海が恵果から授かったような伝法灌頂はブッダの教えにはそぐわない。
 真言宗が協力し認可したこの映画において、空海の‘仏教’は以下のようなポイントに収斂されよう。
  1.  生命讃歌(性の肯定)。生きている間に成仏しなければ意味がない。
  2.  自然讃歌。人間も自然の一部なので大宇宙(大日如来)の法則に随えば迷うことはない。
  3.  民衆の救いのための教え。
 
 なんとなく仏教というより原始神道に近い気がする。生(性)について、この世について、かなりポジティヴな見解である。
 一方、空海の残した有名な詩句がある。

三界(この世)の狂人は狂せることを知らず。
四世(生きとし生けるもの)の盲者は盲なることをさとらず。
生れ生れ生れて、生の始めに暗く、
死に死に死に死んで、死の終わりに冥し。(『秘蔵宝鑰』)

 この詩から受ける印象は、まさに「一切皆苦」であり「無明」である。仏教の根本と重なっている。
 ほんとのところ、空海はこの世をどう見ていたのだろう?


P.S.
 来年、日中共同製作映画『空海―KU-KAI―』(原題:妖猫伝)が公開されるとのこと。原作は夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』。監督は『黄色い大地』、『子供たちの王様』、『さらば、わが愛/覇王別姫』などの傑作を撮った陳凱歌(チェン・カイコー)。主演は染谷将太。ほかに黄軒(ホアン・シュアン)、阿部寛、松坂慶子らが出演する。宗教映画ではないと思うが、面白いのは間違いあるまい。
 空海ブーム到来なるか? 

空海
 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


● 滝沢修という名優 映画:『新釈 四谷怪談』(木下恵介監督)

1949年松竹

原作 鶴屋南北「東海道四谷怪談」
音楽 木下忠司
撮影 楠田浩之
上映時間 158分
キャスト
  • 伊右衛門 : 上原謙
  • 伊右衛門の妻・お岩/お岩の妹・お袖 : 田中絹代(二役)
  • 直助 : 滝沢修
  • 小仏小平 : 佐田啓二
  • お梅 : 山根寿子
  • お梅の乳母・お槇 : 杉村春子
  • お袖の夫・与茂七 : 宇野重吉

 四谷怪談と言えば数ある怖い話の最たるものであるが、この映画は全然怖くない。お岩の幽霊は実際に現れる――この言い方は矛盾しているが――のではなく、お岩を殺めた夫・伊右衛門の罪悪感が見せる幻覚として表現される。そのことが象徴しているように、物語の主軸は、直助の甘言に乗って欲に負け罪を犯してしまう伊右衛門の心理と末路を描くところにある。欲に翻弄される人間の愚かさをテーマに据えたあたりが‘新釈’なのだろう。事実、この作品は怪談というよりもシェイクスピアばりの人間ドラマである。
 
 とにもかくにも役者の魅力が尋常でない。
 主役の伊右衛門演じる上原謙は、これが時代劇初出演だったらしい。撮影当時40歳、水もしたたる色男ぶりである。女房役をつとめる田中絹代がブスに見えるほどの美貌の輝きは、ひとえに木下恵介のイケメン愛ゆえであろう。欲と罪悪感に揺れる気の小さい侍を見事に演じて、たんなる美男スターだけではないことを立証する。
 お岩およびお岩の妹・お袖を演じる田中絹代は言うまでもない芸達者。一人二役を見事に演じ分けている。お岩はおそらくスッピンだと思うが、やっぱり美人女優とは言えない。素材の凡さを演技でカバーしているところは同じ松竹で活躍する田中裕子に引き継がれたか。
 ブスと言えば杉村春子である。口八丁手八丁の直助にコマされて、伊右衛門を自らの主人であるお梅とくっつけるお側仕いの女・お槇を、いつもながらの上手さと庶民臭さで演じている。あろうことか直助に言い寄られて「おんな」を見せるシーンがあるものだから「怖い、怖い」。作中、一番怪談じみているのは杉村春子の媚態である。
 さて、以上3人の名優によるハイレベルの演技合戦を見るだけでも相当面白いのだが、なんとまあ、ここで3人を凌ぐ役者がいたのである。
 滝沢修がその人である。
 
 どこかで聴いた名前と思ったら、吉村公三郎監督の屈指の名作『安城家の舞踏会』(1947年)で安城家当主を演じていた人である。美貌の令嬢・原節子の父親役である。元華族の役だけあって、気品とインテリジェンスあるプライド高い当主を見事に演じていた。
 『新釈 四谷怪談』での滝沢のキャラクターやイメージは、『安城家』とは180度異なる。
 直助は根っからの悪人である。人をだますことも利用することも盗みを働くことも命を奪うことも‘へ’とも思わない。悪事を働くことがそのまま適職にして天職となっている男である。目的のためには手段を選ばない。直助の唆しによって小平(=佐田啓二)は人妻お岩を手篭めにしようとし、直助の誘惑に負けて伊右衛門は女房殺しを行い、直助の口車に乗ってお槇は自らが仕える一文字家の滅亡に手を貸してしまう。直助はこの悲劇の種を蒔き、水を注いで育て、花を咲かせる狂言回しのような役を果たす。その意味で、シェイクスピア『オセロ』に登場するイアーゴを思わせる。(新劇の役者である滝沢はもちろん舞台で何度もイアーゴを演じているだろう)
 直助を演じる滝沢の表情、目つき、動作、姿勢、口調、声色、たたずまい、オーラー。どれもが完璧に計算し尽くされた上にリアリティにも不足なく、全体として一人の人間、一つのキャラクターとして息をし命が吹き込まれている。「この役者は悪役専門か」と思ってしまうほど、役者の地金めいている。
 舞台での演技は消えてしまう(消えてしまった)ので、この作品の直助こそが滝沢修という役者の歴史的名演と言っていいだろう。この演技が記録されているだけでもこの映画には十分な価値があり、この演技を観るだけでもこの作品は十二分の価値がある。田中絹代、杉村春子を食うとは、いやはや凄い役者がいたものだ。
 
 映画の冒頭の牢破りのシーン、クライマックスの炎の中での立ち回りシーン。木下恵介がアクション映画の監督としても勝れていることを十分感じさせる。木下が関心を抱いていたのは、見た目の派手さやカッコよさや観客への訴求力より、人間心理の深みや陰影にこそあったのだとつくづく思う。大人の監督なのである。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● アール・イーズ・ウェル! 映画:『きっと、うまくいく』(ラージクマール・ヒラーニ監督)

2009年インド映画

 邦題の『きっと、うまくいく』は本作中のキーワード‘ Aal Izz Well ’(アール・イーズ・ウェル)を訳したもの。‘ All Is Well ’のヒンズー訛りである。原題は3 Idiots――「3バカトリオ」といったところか。
 
 2009年公開当時、インド映画歴代興行収入1位を記録し、2010年インドアカデミー賞では作品賞はじめ史上最多16部門を受賞した大ヒット話題作である。
 TSUTAYAで見つけてずっと気になっていたのであるが、なにせ上映時間171分である。ボリウッド(=インドの娯楽映画)が面白いのは『ムトウ 踊るマハラジャ』(1995)等で経験済みであるが、なかなかレンタルする踏ん切りがつかなかった。

 覚悟を決めてDVDをセットして、いったん観始めたら、最後まで退屈することなく、泣いて・笑って・浮き浮きして・ドキドキして・ハラハラして・ジンときて・しんみりして・にんまりして・すっきりして・爽やかな気分になってe.t.c.・・・・様々な感情を掻き立てられながら楽しむことができた。
 というのも、一編に詰め込まれているドラマのジャンルがヴァリエイション豊かで、まるで4~5本分の映画を観たような気になるのだ。
 基本は3人の男の友情ドラマであるが、そこに『愛と青春の旅立ち』まがいの青春ドラマあり、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』まがいのどたばたコント&ミステリーあり、『いまを生きる』まがいの‘教育を問う’テーマあり、『卒業』まがいの恋愛ドラマ(花嫁略奪)あり、『リトル・ダンサー』まがいの家族ドラマ(父と息子の確執)あり、森三中・大島美幸まがいの感動の出産シーンあり、『フォレスト・ガンプ 一期一会』まがいの人生ドラマ(不思議な青年)あり、『ER緊急救命室』まがいの救急医療ドラマあり、そして『ムトゥ 踊るマハラジャ』まがいの豪華絢爛のヒンディー舞踏もある。人間ドラマてんこもりなのだ。面白くないわけがない。ここまで来れば「まがい」ばかりなのはご愛嬌。
 これだけ多様なジャンルを、観る者をまったく混乱させることも疲れさせることも飽食させることもなく、すっきり無駄なく分かりやすくまとめている脚本がつとに優れている。成功の主因は脚本にあろう。

 昨今のアメリカ映画にしばしば見られる、設定の非現実性や難解さ、筋の複雑さ、登場人物のリアリティや生活感の欠如、人間感情の平板化などと比べると、このボリウッド映画は一昔前(70~80年代)のハリウッド娯楽映画の王道をなぞっているように思われる。親子、家族、友情、恋愛、挫折、反抗、自由、ユーモアといった価値の称揚。つまるところそれは、基本的な人間性の信頼といったことになろうか。
 それを能天気ととるか、人間性回復(ルネッサンス)ととるか。
  
 ま、あまり難しいこと考えずに楽しめば、“Aal Izz Well!”

 

評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 北の大地の因縁 映画:『死闘の伝説』(木下惠介監督)

1963年松竹。

監督・脚本 木下惠介
音楽 木下忠司
出演
  • 園部梅乃:  毛利菊枝
  • 園部静子:  田中絹代
  • 園部黄枝子:  岩下志麻
  • 園部秀行:  加藤剛
  • 清水信太郎:  加藤嘉
  • 清水百合:  加賀まりこ
  • 鷹森金兵衛:  石黒達也
  • 鷹森剛一:  菅原文太
  • 源さん:  坂本武
  • 林巡査:  野々村潔

 木下恵介にしては珍しいバイオレンスアクション。

 岩下志麻が出ている!
 なんだか呼ばれるかのように志麻サマの作品を追っているなあ。
 そして、ここでも父娘共演。万年脇役の野々村潔は、スターである娘の演技をどんな思いで見ていたのだろう?
 
 イケメンというよりハンサムな加藤剛と、ほぼ主役と言っていい出番の多さと見せ場を与えられている加藤嘉の2ショットは、もちろん、同じ松竹の名作『砂の器』を連想させる。とにかく加藤嘉の名優ぶりが光っている。
 
 六本木の小悪魔・加賀まりこは、やはり、顔立ちやスタイルや雰囲気が都会的過ぎる。鄙まれな美人というレベルではない。加藤嘉の娘にも見えない。ミスキャストな気もするが、もう一人の鄙まれ・岩下志麻との対比、役の上での棲み分けを考えると、これで良かったのかもしれない。クライマックスで銃を構える凛々しい姿は、昔日の薬師丸ひろ子(in『セーラー服と機関銃』)にも似て可愛い。

 他に、毛利菊枝田中絹代、坂本武といったベテラン俳優陣を配して、演出にはみじんの揺ぎも無い。完成度も高い。
 
 興味深いのは、菅原文太である。
 仁侠映画やトラック野郎など東映の大スターだった文太兄いの珍しい松竹出演作なのである。1967年に東映に移る前に6年ばかり松竹に在籍していたのだ。木下作品にはあと岡田茉莉子主演の『香華』に出ている。
 本作では、村の大地主のドラ息子の役で、岩下志麻演じる黄枝子に懸想するも振られて、怒りから権力をかさに黄枝子一家を窮地に追い詰め、最後は力づくで黄枝子を強姦しようとするが逆に頭を殴られ殺されてしまうという、典型的な悪役、嫌われ役、おマヌケな役を演じている。
 菅原文太はモデル出身なだけに間違いなくハンサムなのだが、加藤剛のような甘いマスクやハーレクイーンロマンスな雰囲気は持っていない。女よりも男に持てるイケメンだ。
 松竹から東映に移って大正解だった。

 さて、この物語は太平洋戦争末期に北海道のある部落で起きた暴動を描いている(おそらくフィクションだろう)。
 暴動と言っても、虐げられた村人たちが地主や政府や軍などの抑圧者に反抗するといった秩父事件的な勇ましいもの・誇らしいものではない。
 
 本州から疎開してきた園部一家は、村の権力者に睨まれたのがもとで共同体から孤立する。権力に阿る村人らは園部一家に嫌がらせするようになる。次第に敗戦の色濃くなると、これまで戦時下の窮乏を耐えてきたストレスと、あいつぐ家族の戦死の知らせに遣りどころのない怒りと悲しみを抱えた村人たちの鬱憤は一気に爆発し、園部一家を標的に山狩りを始める。

 つまり、一つの家族に対する集団リンチがテーマである。
 
 なんて残酷な、なんて恐ろしい映画を木下は撮ったのだろう!
 共同体における自己保身と仲間意識から、よそ者に対する村人の敵意がじょじょに高まり、陰険な陰口や行為(畑を荒らす)を生み、戦時下の日常生活で蓄積された怒りとシンクロして、あるきっかけをもとに暴動が勃発する。
 人間性に潜む個的・集団的心理の怖さや醜さを、木下恵介は、実に鋭く、丹念に、サディスティックなまでに(見方を変えるとマゾヒスティなまでに)容赦なく、救いなき非情さで描き出している。観ていて、ラース・フォン・トリアー監督、ニコール・キッドマン主演の『ドッグヴィル』(2003)を想起したのであるが、そう言えば木下恵介とラース・フォン・トリアーは何となく作風が似ている。一見、ヒューマニストっぽく見えて性悪説なところが・・・。

 音楽は実弟の木下忠司。アイヌの伝統楽器ムックリを使うことにより、緊迫感を高め、同時に北海道という土地に込められた因縁を観る者に感得させるのに成功している。ビョンビョンビョンという音が、見終わった後もしばらくは耳について離れない。

 『カルメン故郷に帰る』でいくら牧歌的な田舎の風景や陽気で素朴な人間を描こうが、木下恵介が血縁や地縁を絆とする日本的共同体(=村社会)に、希望を見ていなかったことは確かである。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!






● 松竹というより・・・ 映画:『女の一生』(野村芳太郎監督)

1967年松竹。

 原作は1883年に刊行されたギ・ド・モーパッサンの長編小説。日本ではこれまでに3度映画化されている。
 学生時代に新潮文庫で邦訳を読んだはずなのだが、どういう話かすっかり忘れていた。おそらく当時は、「女の一生」というテーマ自体に関心がなかったからであろう。(‘世界の名作’だから一応読んだのだ)
 
 今回、岩下志麻が目的でDVDをレンタルしたのだが、これがまあ、目茶苦茶面白かった

 舞台を日本の信州に移し変えているとは言え、登場人物の設定やあらすじはほぼ原作のとおりである。
 だから、フランス文学の古典に特徴的なわずらわしい描写表現を捨象したあとに残るストーリー自体と、映像化によって肉付けされた役者達の派手な感情表現が面白いのである。

  • 世の中を知らない温室育ちの少女・伸子(=岩下志麻)は、憧れの美男子・宗一(=栗塚旭)と結ばれる。伸子は宗一に処女を捧げる。(これから始まる初夜の‘不安と期待’に揺れる志麻さまの表情に注目!)
  • ところが、宗一は碌でもないやつだった。伸子の乳姉妹であるお民(左幸子)にも同時に手をつけていて妊娠させてしまう。
  • それを知った伸子は逆上する。が、彼女のお腹にもすでに赤子がいたのである。
  • 「あんな男の子供なんか欲しくない」と絶叫しつつ、伸子は宣一(=田村正和)を出産する。一方のお民は生まれた子供ごと、熨斗を付けてよその男のところに片付けられる。
  • 淋しい伸子は宣一の育児にかまける。夫はまたしても人妻・里枝(=小川真由美)とねんごろになる。ふしだらな二人は、嫉妬にかられた里枝の夫に猟銃で撃ち殺されてしまう。(小川真由美のファビュラスな演技!)
  • 未亡人となった伸子は、東京で大学に通う宣一だけを頼りに静かに暮らしていたが、甘やかされて育った宣一はクズのような男になっていた。無免許運転で人をはねて相手を片輪にしてしまう。
  • 伸子の父・友光(=宇野重吉)は賠償金の工面で、畑や山を処分せざるを得なくなる。
  • かくして一家の没落が始まる。
 ・・・・・・続く。 

 とまあ、次から次へと伸子に災難が降りかかり、ストーリーは目まぐるしく展開し、登場人物は、叫び、怒り、嗚咽し、苦悶する。
 このベタさ加減、何かを思い出す。
 そう、往年の大映ドラマである。
 
 1980年代に大映テレビが制作した実写ドラマは、当初から同業他社のプロダクションが制作する作品に比べて、以下のような特徴が際立っている。
  • 主人公が運命の悪戯に翻弄されながら幸運を手に入れるといういわゆる「シンデレラ・ストーリー」。
  • 衝撃的で急速な起伏を繰り返したり、荒唐無稽な展開。
  • 「この物語は…」の台詞でオープニングに挿入され、ストーリーの最中では一見冷静な体裁をとりつつ、時に状況をややこしくするナレーション。
  • 出生の秘密を持つキャラクターの存在。
  • 感情表現が強烈で、大げさな台詞。 
 これらの独特な演出から、他の制作会社のドラマと区別する意味で「大映ドラマ」と呼ばれていた。
(ウィキペディア「大映テレビ」より引用)

 ちなみに、80年代の代表的な大映ドラマを上げると・・・
  •  スチュワーデス物語(堀ちえみ、風間杜夫、片平なぎさ)
  •  不良少女とよばれて(伊藤麻衣子、国広富之、伊藤かずえ、松村雄基)
  •  スクール☆ウォーズ(山下真司、岡田奈々、松村雄基、伊藤かずえ、鶴見辰吾)
  •  少女に何が起ったか(小泉今日子、辰巳琢郎、賀来千香子、高木美保、石立鉄男)
  •  ヤヌスの鏡(杉浦幸、山下真司、風見慎吾、河合その子、大沢逸美)
  •  花嫁衣裳は誰が着る(堀ちえみ、伊藤かずえ、松村雄基)
 
 松竹なのに大映。
 だから、面白いのだ!
 そして、主演の岩下志麻がまた、押しも押されぬ松竹の看板女優のはずだのに、大映ドラマのノリに見事にはまっている。左幸子、小川真由美は言うに及ばず。
 なるほど、岩下志麻のどことなく過剰なテンションの高い演技は大映ドラマ風である。

 「傑作フランス文学の完全映画化」という煽り文句から敬遠していると損をする。四季折々の信州の美しい風景、田舎町の珍しい風習、懐かしい昭和の日本の情景、宇野重吉や左幸子の重厚な演技など、見所はいろいろあるけれど、この映画の一番のポイントは「岩下志麻、大映ドラマに挑戦」ってところにある。
 どこからか、来宮良子のナレーションが聞こえてくるかと思った。



評価:B+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● シャフクへの道10 映画:『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)

1962年日活制作。

 鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした青春ドラマ。主人公ジュン(吉永小百合)の周りで起こる貧困や親子問題、民族、友情、性など多くのエピソードを描いている。
 脚本は浦山の師である今村昌平との共同執筆であり、日活の助監督だった浦山の監督昇格デビュー作である。ブルーリボン賞作品賞受賞作品。主演の吉永も今作でブルーリボン賞主演女優賞などを受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品である。(ウィキペディア「キューポラのある街」より抜粋)
 
 何といっても当時17歳の吉永小百合の輝きが最大の見どころ。
 まさにスター誕生!
 道で擦れ違った100人が100人とも振り向かずにはいられない可憐なる美少女ぶりもなるほど凄いものではある。が、最大の魅力は、溌剌とした生の輝きと、作為をまったく感じさせない体当たり演技の爽快感である。大人になった小百合が身につけてしまった「美しく」撮られることへの使命感から来る作為や、抑制された感情表現のつまらなさ、サユリストによって作り上げられてしまった「清純イメージ」の結界の中での自縄自縛が、まったくない。――でありながら、天然に「美しく、清純」な小百合がここにいる。
 全作品を観ていないので断言できないが、おそらく吉永小百合の生涯ベスト1であろう。
 半世紀以上、彼女がこれを超える作品と出会えなかったこと、これを越える印象的な演技を生み出せなかったことは、はなはだ残念だしもったいない気もするけれど、たとえば外国の女優を見ても、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』、ヴィヴィアン・リーの『風と共に去りぬ』、リンダ・ブレアの『エクソシスト』など、若い日のたった1本の作品が女優としての代表作にして最高傑作になってしまう例はたくさんある。
 むしろ、吉永小百合と『キューポラのある街』との出会いの奇跡を祝福し、監督デビューにして見事、十代の小百合の魅力をあますところなくフィルムに焼き付けた浦山桐郎の手腕を称えるべきであろう。
 
 小百合のみならず登場する子役たちも素晴らしい。
 ジュン(小百合)の弟タカユキを演じる市川好郎は助演男優賞ものの闊達な演技。この人は、その後、『美しい十代 』(1964)、『網走番外地 悪への挑戦』 (1967)、『太陽を盗んだ男』 (1979)、『二百三高地』 (1980)、『人生劇場』 (1983)などを経て、1993年に亡くなっている。享年45歳とは若すぎる。この役者の代表作もやはりこれであろう。
 さらに、ソルティ世代では水戸黄門と言えばこの人、東野英治郎が頑固一徹の職人で酒癖の悪いジュンの父親・辰五郎を演じている。何の映画に出ていても、この人の存在感は半端ではない。
 日活時代の小百合の黄金のパートナー浜田光夫も隣家に住む青年として登場する。当時を知らない者からすると、「なぜこの人がそんなに人気あったの?」と不思議に思わざるを得ない平凡なルックス、平凡な演技である。小百合が引き立つから?
 さらに、ジュンの担任教師を演じている加藤武がいい味出している。この人は実際に英語の先生だったはず。昨年亡くなっている。市川崑監督「金田一耕助シリーズ」の「よしっ! 分かった!」が懐かしい。
 
 この映画では60年代初頭の貧しい庶民の暮らしぶりが描かれている。
 鋳物工場の危険な重労働、劣悪な労働条件、みすぼらしい路地の家々、職を失い酒浸り(今なら「アルコール依存症」)の一家の主、貧乏子沢山、お金がなくて進学をあきらめる子供たち、将来に希望が見出せず不良化する若者たち、在日朝鮮人差別と北朝鮮帰還運動、そして福祉の欠如・・・。
 ともすれば自暴自棄になりそうな底知れないぬかるみの中で、泥中の蓮のごとく、一人希望の光を放っているのがジュンこと吉永小百合であり、物語を暗さから救っているのが子供たちの無邪気さである。
 現在ソルティは社会福祉士国家試験の勉強をしていることもあって、こういうドラマを見ると、頭の中で自然とソーシャルワークしてしまう。
 この貧困と絶望の連鎖から抜け出るために、ジュンの一家はどういう制度が活用できるのか。
 シュミレーションしてみよう。
 まず、辰五郎は長年働いてきた鋳物工場を体の故障と年齢が原因で解雇される。そのことが、そうでなくとも貧しい一家の家計に深刻なダメージをもたらす。
 まず、解雇に正当な事由があるとしても、
  1. 退職金がもらえるかもしれない。
  2. 告知なしの解雇ならば、一ト月分の給料はもらえる。
  3. 雇用保険(失業保険)が3ヶ月の待機期間なしで受給できる。
  4. 辰五郎の体の故障はそもそも仕事中の事故が原因らしい。ならば、労災(労働者災害補償保険)認定が可能である。障害補償一時金や障害補償年金がもらえるかもしれない。
  5. 辰五郎夫妻には中学生以下の子供が4人いる。児童手当がもらえる。
  6. 辰五郎の再就職先が見つからず、どうにもこうにも生活が立ち行かないのであれば、生活保護を申請という手がある。
  7. 年金や健康保険料の納付に関しては減免手続きができる。
  8. ジュンの高校進学の学費については奨学金を申請する。 
――といった福祉制度の利用が考えられる。
 辰五郎一家はこのうちの一つも受給していない。社会扶助らしいものが出てくるのは、修学旅行に行く費用が工面できないジュンに川口市から補助が出るエピソードくらい。それも、担任教師の差配で可能になったのである。
 むろん、1962年にはなかった制度や特例もある。たとえば、⑤の児童手当は1972年開始だから、もらえるはずがない。(これがあったら、一家はかなり救われたであろう。今なら中学生以下4人の子供について月額50,000円もらえる勘定になる)
 それ以外の制度は、今ほど中身が充実していないにしても62年にはすでにあった。
 いくら良い制度があっても、実際に利用できないことにはどうしようもないという現実がここにはある。
 制度の存在(社会資源)と実際の活用状況(ニーズ)とのズレの原因は、いろいろあろう。
  1. 市民がそもそも制度の存在について知らない。福祉制度は基本、申請主義なので知らないことには利用できない。
  2. 制度の存在を知っていても(映画の辰五郎がそうであったように)意地やプライドから、あるいは「負け組」スティグマがつくのを恐れて、利用するのを拒む。
  3. 手続きの煩雑さにメンドクサさが先立つ。
  4. せっかく申請しても役所にシャットアウトされる。
  5. 表立って会社や公的機関と争う――争うのではなく当然の権利の行使なのだが――のを好まない日本人特有の謙譲の精神。
 映画では、一家の長である辰五郎の昔ながらの職人気質、依怙地なプライド、組合や労働運動(=アカという偏見を持っている)に対する不信感が、制度の利用を阻む主因となっている。クビになった工場の仲間たちが善意から集めた見舞金さえ、「アカの世話にはならない」と受け取るのを断る辰五郎。妻やジュンをはじめとする子供たちはそんな辰五郎をどうにも説得しようがない。気に食わないことがあれば酒を飲んで暴力すら振るうのだ。
 ここに、福祉制度の利用を阻む今ひとつの壁が指摘できる。
 ――家父長制。
 
 権力と決定権を持った一家の主が「ウン」と言わなければ、どんなに良い社会資源があっても、またそれが家族にとって役立つものであることが明白であっても、ニーズと資源とがマッチングすることは叶わない。妻子は、頑固親父の犠牲になるしかない。

 物語の最後で、元の職場にめでたく復帰することが決まり、祝い酒に酔う辰五郎に向かって、ジュンは宣言する。
「わたしは全日制の高校には行かないことにした。昼間は工場で働きながら、自ら稼いだお金で定時制高校に通う。お父さんにまた何かあると困るから」
 こうやって、戦後の女性たちは自立の道を歩んで行ったのだろう。
 
 「キューポラ」とは家父長制の象徴なのかもしれない。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● 映画:『草原の実験』(アレクサンドル・コット監督)

2014年ロシア映画。

 美しい映画である。
 セリフが一切ないことが観る者の意識を、その美しい映像にのみ惹きつける。
 真の意味で‘衝撃的な’ラストシーンをのぞく、あらゆるシーン、あらゆるカットが、世界の豊饒と生のエロスを謳い上げていて、観る者の官能を悦ばせ、映画を観ることの根源的な至福を追認する。
 とりわけ美しいのは主役の少女を演じるエレーナ・アン。
 韓国人の父とロシア人の母を持つモスクワ生まれの17歳(撮影当時14歳)。アレクサンドル・コット監督の目にとまり、一切の演技経験がなかったにもかかわらず主役に抜擢されたとのこと。JK(女子高生)には関心なくても美少女にはコロリと参ってしまうソルティなのだが、エレーナの美少女ぶりには完オチした。少女時代の浅丘ルリ子や吉永小百合、後藤久美子や沢口靖子、エリザベス・テーラーやジェニファー・コネリー・・・・・といった系列に連なる正統派美少女。今後どのような美女に成長していくか楽しみである。

 怖ろしい映画である。
 川床から砂金を拾い集めるようにして90分淡々とデリケートに積み重ね磨き上げてきた「美」の結晶を、最後のシーンで、観る者に心の準備を与えることなく、完膚なきまでに破壊してしまう。その残酷さは比類ないものである。
 よくよく観れば、伏線はあった。セリフは一切なくとも、いくつかのシーンから少女を中心とする登場人物たちの置かれている状況は、推測することが可能であった。なにより、『草原の実験』という変わったタイトルから、この映画が単なる家族ドラマや思春期の恋愛ドラマではないことは予測してしかるべきであった。(原題Ispytanieは「実験」の意)
 しかし、映像はあまりにも美しく、物語はあくまでも牧歌的で、よもやこのように壊滅的なラストが観る者を待ち受けているとは思いの外であった。
 観る者は、映画を観終わったあと、登場人物同様、まったく言葉を失うことになる。



評価:B+ 

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 東海テレビに「あっぱれ!」 映画:『ヤクザと憲法』(東海テレビ制作)

 2015年3月30日(1年前)深夜に東海テレビで放映したドキュメンタリーを、数日前にポレポレ東中野で鑑賞した。クチコミや雑誌記事等で話題となっていたせいか満席であった。

 ヤクザは社会のガンであるとよく言われる。ほうっておくと次々と隣りの細胞を蝕み、患部を広げ、あるいは血液に乗って転移し、体全体を駄目にする恐れがあるから、早めに発見して切除するに限る。ガンが悪性新生物と呼ばれるのと同様、ヤクザ=悪の権化という見方である。
 この見方に沿って、昨今のヤクザ対策すなわち暴力団対策法や暴力団排除条例は制定され、マスコミ報道もなされている。清原元プロ野球選手の覚醒剤使用や激化している山口組の分裂抗争などの報道を見ても、ヤクザ=悪の権化というイメージを視聴者にいっそう強く植え付けるものとなっている。
 だが、「紋切り型」は思考停止のスタートである。
「ヤクザは悪の権化だ。怖い。庶民は近づかないに限る。警察にまかせておけばいい。警察が一掃してくれるのに期待しよう。自分たちとは関係ない」
 そこから先は思考停止となり、想像力は遮断される。
 すると、人々が見失うのはヤクザの「実質」である。「実態」ではない。ヤクザ・暴力団と呼ばれている人々の素顔が見えなくなる。
 いったい、どういう人たちがヤクザになるのだろう?
 なぜヤクザになったのだろう?
 どうしてヤクザで居続けるのだろう?
 ヤクザでいて幸せなんだろうか?
 更正することは可能なのだろうか? 
 どんなことを考えて生きているんだろう?

 単純に考えても、ヤクザでいることで得することよりも損することのほうが圧倒的に大きいだろう。一般市民からは嫌われ恐れられ排除され、警察からはマークされ、対立するグループあれば常時身の危険にさらされ、当節ではたいした贅沢もできない(資金繰りに困っているヤクザ事務所は少なくない)と聞く。そのうえ、家族ができたら家族にも不利が生じる。愛する我が子が「ヤクザの子供」として周囲から扱われることになる。就学、就職、結婚、友達づきあい等々、いろいろなことに負荷がかかる。「子供を自分のような立派なヤクザに育てたい」と思う親はまずいないだろうから、結局ここでも社会との摩擦に悩むことになる。
 それでもヤクザになりたい、居続けたいと思うのはなぜだろう?
 それとも、ヤクザになるしかない、ヤクザで居続けるより道はないというのが、正味のところなのだろうか?
 としたら、それは何故だろう?

 このドキュメンタリーをつくった東海テレビのプロデューサー阿武野勝彦は次のように制作理由を語っている。

「暴力団排除条例以降、ヤクザと接触ができなくなり、実態がつかめない」「ヤクザは地下にもぐり始めている」「ヤクザのかわりに半グレやギャングなど面倒な連中が蔓延してきた」
 この番組のディレクターは最近まで事件・司法担当記者で、捜査関係者からそんな話を聞いていました。テレビドラマや映画などで描かれるヤクザは縄張りをめぐって抗争を繰り返す輩たちで、拳銃を所持し、地上げに介入し、覚せい剤を密売する犯罪集団…。しかし、現実はそうではなさそうだ…。ディレクターは、暴力団対策法、続く、暴力団排除条例以降のヤクザの今を知りたいと考えました。
 「取材謝礼金は支払わない」「収録テープ等を放送前に見せない」「顔のモザイクは原則しない」。これは、私たちがこの取材の際に提示する3つの約束事です。しかし、この条件に応えるヤクザはいません。彼らにとって、姿をさらしても、何の得もないし、警察に睨まれたくないのです。
 そんな中、大阪の指定暴力団「東組」の二次団体「清勇会」に入ることになりました。


 カメラは、東海テレビのスタッフが清勇会事務所にはじめて入って行くところから回りだす。
 住宅地の中にある窓の少ない堅牢な造りの3階建てのビル。道路に向けて取り付けられた巨大な監視カメラ。外階段を上がって2階にある事務所の入口は、ぶ厚い鋼鉄製の扉で厳重に守られている。中に入ったとたん目にするのは、巨大なグロテスクな木彫りのオブジェ。
 カメラと共に侵入しはじめて目にする現実のヤクザ事務所の光景になんだかドキドキする。映画に出てくる暴力団事務所のセットに似ているような、似ていないような。ソファセットがあって、観葉植物があって、テーブルの上に灰皿があって、事務机があって、電話があって、机の上に現金の入った茶封筒があって、壁に‘読売新聞の’カレンダーがあって、中年の腹の出た目つきの鋭いおっさん達がタバコをぷかぷか吹かしていて、立派な会長(親分)の部屋があって・・・・・。どちらかと言えば、昔ながらの不動産屋の事務所に似ている。明らかに違うのは、壁に掲げられた墨痕鮮やかなる「任侠道」の木のパネル。
 カメラが奥に入ると、部屋住みの舎弟たちが居住する畳の部屋があって、布団があって、服役中の組員に差し入れられていた文庫本や漫画がいっぱい詰まった本棚があって、お勝手があって、風呂があって、洗濯物が干してあって・・・・・。このへんは体育会の合宿所みたいだ。
 大阪という土地柄もあるのだろうか。想像したよりもずっとざっかけない庶民的な雰囲気である。
 この事務所を中心に、半年ほどのヤクザの生活の断片が映し出される。そして、数名の組員の素顔が垣間見られる。

 清勇会が取材をOKしたのは、それなりの理由があってのこと。
 バブルの頃の石田純一はたまたJリーグの初代チェアマン川淵三郎を髣髴とさせるお洒落で二枚目の親分は、スタッフを自室に招き入れ、資料を見せる。それは、全国の組関係者から収集した「ヤクザとその家族に対する人権侵害の事例」である。子供の入園が拒否された、銀行口座がつくれず子どもの給食費が引き落とせない、生命保険に入れない、刑事事件の弁護を断られた・・・。
 撮影中にも、自動車事故に遭った組員の一人が通常通り自動車保険の請求をしたところ、警察が出てきて詐欺容疑で逮捕されるという一幕がある。また、日本最大の暴力団山口組の顧問弁護士が登場するが、彼は自ら被告になった裁判やバッシングに疲れ果て引退を考えている。
 こうした事態に憤り、世に訴えたいというのが取材許可の背景にあるようだ。
「俺たちヤクザに人権ってないのか!」

 もちろん、カメラに映されたものは、一面に過ぎない。本当にまずいところは撮影許可が下りないし、組員たちも口を閉ざす。
 たとえば、「この事務所に銃は置いてないんですか?」「あれ、今のシノギですよね? もしかしてクスリですか?」「いま茶封筒に入れた札束は賭けの配当ですか?」等々。
 スタッフもむろん、彼らが答えられないと分かっていて尋ねている。正直に肯定されたら、今度は自分たちが法的に困った立場になるだろう。
 その意味では、このフィルムが映しているのは地球の側を向いた月の半面である。陰になった部分は隠されている。テレビ放映を前提として制作されている以上、放送できないものはここでは省かれている。撮影の段階でも、編集の段階でも。
 なので、これがヤクザの真実の姿だとか、ヤクザもつき合ってみれば普通の市民と変わらないとか、ヤクザにも人権があるのだから差別はやめようとか、安易に結論づけることはできない。このフィルムだけからヤクザの実質を云々するのは、あまりに軽率、あまりにナイーブだろう。

 しかし、見ようと思ってみれば見えてくるものがある。
 フィルムの中でのスタッフによる説明や注釈は、過去にあった実際の事件のあらましやヤクザの組織構成についてなど、一般とは異なる独特の世界の背景理解を視聴者に促し、鑑賞上の混乱を避けるための最低限のものに限られている。つまり、スタッフの意見や主張は表面には出てこない。せいぜいがタイトルで示唆されている「ヤクザの人権について問題提起してみましたが、どうでしょう?」くらいである。他の多くのすぐれたドキュメンタリー同様、これをどのように見て、どう思い、どう判断するかは視聴者に任されている。
 我々は何を見なければならないのだろう?

 部屋住みの青年がいる。まだ19歳である。ヤクザに憧れて東組本家の門を叩いたところ、清勇会に預けられたという。事務所の電話番、掃除や買い物などの雑用を、水を得た魚のように喜々としてやっている。話し出してすぐに分かるが、何らかの発達障害を疑わせる。当たり前に考えれば分かるようなことができなくて兄貴分に叱られてばかりいる。その彼がたどたどしい言葉でカメラに向かって熱弁する。「ヤクザが変わり者だからといって排除するのではなくて、人と違うところがある者とそうでない者とが両方存在できるほうがいい」といったようなことを真剣な面持ちで言う。
 観る者は思うのだ。教室の中で彼はどんな存在だったのだろう? 学校は彼にとって居心地良かっただろうか? 親はなぜ十代の息子がヤクザの道に入るのを阻止しなかったのか? 教育機関は、福祉は、何をしていたのか?

 ヤクザの事務所に電話が入る。某政党からの投票のお願いだ。電話に出た組員は、卑屈なほど丁重に答える。「はい。みんなに(投票するように)言っておきます」
 いまさら暴力団と某政党との癒着を言いたいわけではない。ヤクザも選挙に行くことに驚いているわけでもない。
 スタッフがそこにいた組員一人一人に問いかける。「あなたも選挙に行きますか?」
 肯定の返答が続く中、一人の組員が答える。「行かない。自分は選挙権がないから」
 一瞬わけが分からず絶句するスタッフ。「それはどういう意味ですか?」
 どう見ても日本人(関西人)の組員が答える。「国籍のことがあるから。帰化しない限りできない」
 在日のこの男が前述の部屋住みの青年の面倒を親のように見ている。
 
 ある組員は妻子と別れてヤクザになった。貧乏の家に育った彼はもともと工場で働いていたが、労働環境のあまりの酷さに窮して、どうしようもなくなった。
「誰も助けてくれなかった。どうにもしようもなくて追い詰められていた時に、声をかけて救ってくれたのが親分だった」
 
 フィルムでは触れられていないが、やはり考慮に入れるべきは部落差別問題だろう。
 東組の本部がある大阪市西成は、かつて被差別部落の多いところであった。(「ふらっと人権情報ネットワーク」記事参照)
 差別がいかに人の心を踏みつけ、萎縮させ、屈折させ、蝕み、絶望や自暴自棄に追いやっていくか。環境の劣悪さがそこに住む人にどれほど不健全な影響を及ぼすか。
 被差別部落出身のノンフィクションライター角岡伸彦はこう述べている。
 
 以前、関西の大手ヤクザ組織を取材したことがある。会長の話によれば千人以上いるメンバーのうち、半分以上は部落出身者だという。この比率は、いかにも多い。もっとも、年齢が若くなればなるほど部落出身のヤクザは少なくなる。これは就学、就労の機会がここ数十年、部落民にも開かれた結果であろう。一方、在日韓国・朝鮮人のヤクザは若い世代でも減っていない。在日に対する差別が、いまなお厳しいことの証左である。
 
 部落出身のヤクザが多いと書いたり発言したりすると、「誤解を生むからやめてくれ」と言われることがある。冗談ではない。なんらかの背景や理由があるから、人はヤクザになるのであって、それを見ずして「差別反対、暴力はいけません」「部落はけっして怖くありません」などと言うのはきれいごとに過ぎない。
(角岡伸彦著『はじめての部落問題』、文藝春秋2005年刊)

 障害のある青年(そうとは限らないと一応言っておく)、ブラック企業の被害者、在日朝鮮人、部落出身者・・・・・。こういった者たちが集められているヤクザ事務所とはいったいなんだろう?
 日本社会の「負」の終着駅か。
 病巣部か。
 福祉の網に引っかからなかった者たちの最後のセーフティネットか。
 
川と芥


 知り合いにいくつもの難病を抱えた人がいた。その人は不自由極まりない、いつ倒れても不思議ではない体で、障害者支援の活動に身を捧げていた。左目はガンに侵され失明し、右目の視力も良くはなかった。
 あるとき、医者が言った。「左目をそのままにしておくとガンが転移する可能性があるから、眼球摘出したほうがいい」
 その人は手術を断ったのだが、その理由をこう教えてくれた。
「左目があるおかげで、ガンが広がらないで済んでいます。左目を取ってしまったら、きっと今度は右目をやられるでしょう。そしたら全盲になるでしょう。左目は自らを犠牲にして、防波堤のように他のところを守ってくれているのです」
 この言葉が医学的にどれだけ妥当性があるのかどうかは知らない。だがそれは、何十年もの間、いくつもの難病を持ちながら専門医の余命宣告を裏切って奇跡的に生き伸びてきた者の知恵だったのは間違いない。その人にとってガンは闘うべき悪ではなかった。命の防波堤だったのである。

 ヤクザは社会のガンだと言われる。病巣部という点ではその通りであろう。
 だが、それを実質も知らず、因果関係も見ず、結果も考えず、善後策も講じず、何の考えもなしに切除してしまった時に、いったい何が起こるだろう?
 清流の中の岩でできた自然の堰には、枯葉や生き物の死骸などの芥が集まる。堰を壊すと、芥は川全体に広がって清流を一気に汚す。同じように、やくざ組織を切除すれば、そこに吸収され「同類相食む」抗争ゆえにカタギ社会への流出を免れていた「負の怨霊」は、社会全体に広がることになろう。放たれた怨霊は、市民に憑依することだろう。市民のヤクザ化が始まるだろう。否、前述のプロデューサーの言葉が示しているとおり、それはすでに始まっている。
 そしてまた、ヤクザを「悪」とする紋切り型の言説が氾濫する裏で、我々はいま本当に憂えるべき・阻止すべき事態の進行を見過ごしているのではないか。闘うべき「巨悪」を見逃しているのではないか。国家権力の巨大化と、それを企む連中とを。(そのうちに「暴力団を一掃するために自衛隊を出動させます」と言う政治家が出てくるやもしれない)


 フィルムの最後のほうで、事務所内をただ漠然と映しているカットがある。
 暇な午後らしく、組員たちは思い思いにあちこちに座って、退屈そうに煙草をふかしている。最初のうちスタッフとの間にあった「壁」も半年の取材ですっかり消えたようで、何ら構えることなく、緊張することなく、無防備な表情を晒している。あたかも母親の帰りを待っている留守番の中学生のような。
 そのカットを観たときに、事務所の入口の分厚い鉄の扉の意味を理解したのである。
 あの分厚い鉄の扉は、あの巨大な監視カメラは、この窓の少ない堅牢な作りの建物は、「砦」なのだと。対立するグループや警察の急襲から彼らを守る「砦」であるばかりでなく、どこにも居場所のない彼らがかつて自分に冷たかった「世間」から身を守り立て籠もるための最後の「砦」なのだと――。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 
 
 

● 映画:『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』(スティーヴン・ナイト監督)

2013年イギリス。

 登場人物は男一人きり。(声のみの出演は複数あり。)
 舞台は夜のハイウェイ、男が運転する車の中。
 男が車に乗り込みエンジンをかける音と共に物語はスタートし、男が目的地に到着する寸前に物語は終わる。映画の経過時間がそのままドライブの経過時間と重なる。つまり、86分の上映時間、観る者は男の86分のドライブに徹頭徹尾付き合うことになる。(なので、夜仕事が終わってから観ると臨場感が増すこと間違いなし。)
 なんとも画期的な手法である。前例としてはヒッチコックの名作『ロープ』(1948年)がある。が、一人芝居という点ではこの映画は前代未聞ではなかろうか。
 しかも、スリルとサスペンスと人間ドラマが堪能できる上質な作品に仕上がっている。
 一人の有能な役者(トム・ハーディ)と一つの簡単なセット(車)と優れた脚本さえあれば、十分に面白い映画は作れるという見本のような作品。制作費150万ドル(約1億8000万円)、撮影日数8日間とは! ちなみに『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は2億ドル(約240億円)をつぎ込んでいる。
 
 この映画の成功はひとえにスティーヴン・ナイト監督自身による脚本の巧さとトム・ハーディーの演技に拠っている。
 トム・ハーディーはイギリス出身の1977年生まれの38歳。レオナルド・ディカプリオ主演の『インセプション』(2010年)やクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト ライジング』(2012年)に出演している。(ソルティ未見) 
 この一作で演技派としての名声を確立したと言っていいだろう。
 
 この映画を観ると、ドラマを生み出すのは‘枷’であるという基本的事実を思い起こす。CGでも豪華なセットでも人気スターのオーラーでもない。派手なアクションシーンでも残虐なスプラッタシーンでもエロティックシーンでもない。ましてや、複雑難解なパズルストーリーでもアっと驚くどんでん返しでもない。
 人間が背負っている‘枷’こそが、ドラマを生み出すのである。
 
 主人公アイヴァン・ロックが嵌まっている‘枷’は3つある。
 一つは、有能な建築現場監督としての責任。明朝は巨大ビルディングの土台作りのため現場を仕切らなければならない。男一世一代のビッグな仕事が待っている。仕損じたらクビだ。
 一つは、愛する妻と息子たちの待つ家庭。彼らは、サッカー試合を一緒にテレビ観戦するためアイヴァンの帰りを今や遅しと待っている。
 残る一つは、アイヴァンが一夜限りの心の隙から孕ませてしまった孤独な女性。彼女はいまアイヴァンの子供を生むためにたった一人で病院のベッドに伏している。アイヴァンが夜の道路を猛スピードで走りながら向かっているのは、彼女とベイビーの待つ病院である。
 アイヴァンは3つの‘枷’のすべてを上手く乗り切ろうと、車内電話を駆使しながら孤軍奮闘する。
 だが、そうは問屋がおろさない。
 二兎追うものは一兎も得ず。
 では、三兎追うものは・・・?
 
 「アイヴァンのこれからの人生に幸あれ!」
 86分間助手席で見守ってきた観る者はそう思わざるを得ないだろう。
 
 
評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 
 
 
 
 
 
  
 

● 映画:『元禄忠臣蔵』(溝口健二監督)

前編 1941年12月1日公開
後編 1942年2月11日公開
製作 松竹、興亜映画

 まずは公開日に着目。
 赤穂浪士の吉良邸への討入りは元禄15年(1703年)12月14日であるから、12月公開は何ら不思議なことではない。重要なのは1941年という年。この年の12月8日は日本がハワイオアフ島の真珠湾を攻撃した日。この映画は太平洋戦争開戦直前に封切られたのである。
 さらに、後編の封切りは、紀元節(今の建国記念日)であり大日本帝国憲法の発布日(1889年)である。むろん、紀元節とは神武天皇の即位日とされている。
 製作は松竹だが、金の出所は情報局すなわち大日本帝国。
 忠臣蔵の主要テーマである「報復と忠義」「武士道」を、忠心愛国・大和魂に結びつけ、戦意高揚をはかったわけである。

 なにぶん古いフィルムの上に、話される言葉も時代劇調(歌舞伎調)なので、登場人物が何を言っているのかよくわからない。あらすじが分かっていなければ、途中で観るのを断念しただろう。(字幕があったらいいのに・・・)
 それでも観続けざるを得ないのは、徹頭徹尾、この映画が‘本物’だからである。
 綿密な時代考証に基づいたセットや風俗や衣装(松の廊下は原寸大だという)はもとより、格調高い演出、役者の重厚な演技、撮影技術・・・・・どれも当時の日本映画産業のなし得る最高レベルの贅沢を誇っている。
 それを可能ならしめたのは出資者がほかならぬ日本国だったから。DVD特典映像の新藤兼人監督――この作品で建築監督を務めた――へのインタビューによると、当時映画一本の製作費が6-8万円のところ、この映画はセット代だけで38万円使ったとのこと。内容以外のところでは、費用や期間に頭を悩ますことなく、やりたいことが全部できたのである。

 なにより特筆すべきは、主人公大石内蔵助を演じた四代目河原崎長十郎の存在感たっぷりの風格ある演技である。本当に昔の役者は‘格が違う’と言わざるを得ない。鷹揚とした表情はむろんのこと、身のこなしも口振りも威厳があって、「この男になら命をあずけよう」と家臣たちが思うのも無理もないと感じさせる。(この人の息子は一昔前にテレビドラマでよく温厚な父親役を演じていた河原崎長一郎である。)
 内蔵助の妻おりくを演じている山岸しづ江は、実生活上でも長十郎の連れ添いであった。なので、二人の演技の息がぴったりなのも当然である。しづ江の姉の山岸美代子もまた役者であったが、その娘が岩下志麻である。(つまり、河原崎長一郎と岩下志麻はいとこ同士になる。) フィルムの山岸しづ江の姿に志麻姐さんの面影を探したが、それほど似ていない。志麻姐さんは父親似(野々村潔)なのだな。

 キャストのうち知っている役者がほぼ皆無という中で、当時23歳の高峰三枝子が最後の最後に登場し、ミスキャストぶりを発揮している。切腹が迫っている恋する浪士と最期に一目会うために小姓姿に身をやつす一途な娘の役は、冷徹な大人の美貌をもつ高峰には似合わない。しかも、恋人の自死を前に自らの命を絶って操を捧げるとは・・・。
 おそらく当時国民的スターであった高峰の登用を決めたのは溝口ではなく、情報局だろう。高峰は溝口映画には、後にも先にもこれ一本しか出ていない。
 溝口が選びそうにない女優だもの。

 前後編あわせて3時間40分もあるこの映画には、なんと肝心要の吉良邸への討入りシーンが出てこない。40分くらいはそこに使われるだろうと思っていたので、肩すかしの感があった。
 自分(ソルティ)は時代劇のチャンバラシーンや西部劇の銃撃シーンが昔から好きではないので、別にがっかりということはなかったのだが、世間一般的には「なぜ一番大事な、一番心湧き立つシーンを撮らなかったの?」であろう。
 上記の新藤兼人のインタビューによれば、「リアリズムを重視した溝口監督が討入りシーンを撮るなら、本当に人を斬らなければならないから」とか、「映画全体のトーンを配慮して」とか、「あくまで原作(青山青果)にしたがったまで」とか、確たる理由は明らかでない。
 ここからは推測だが、溝口監督はやはり国策映画を撮らされることに内心忸怩たるものがあったのではなかろうか。
 だから、もっとも観客を興奮させ戦意を奮い立たせる討入りシーンをあえて挿入しないことで、秘めたる抵抗を示したのではないだろうか。
 溝口健二と反戦思想は馴染まない気もするが、孤高の芸術至上主義者で個人主義的であった溝口監督とファシズム(情動に煽られた全体主義)は、まったく相容れない関係のように思うのである。
 
 だとしたら、木下恵介とはまた異なったふるまいによる戦時の芸術家の世過ぎと言うべきか。 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 



● 日本で一番高い山は? ドキュメンタリー映画:『台湾人生』(酒井充子監督)

2008年日本。

台湾人生

 勤め先の老人ホームのレクリエーションでクイズをやったとき、「日本で一番高い山は?」という問いかけに、90歳の男性Kさんが瞬時に自信ありげにこう答えた。
「ニイタカヤマ!」

 現在の日本では、むろんこの答えは間違っている。
 しかしKさんが子供の頃、それが正解だった。
 台湾にある新高山(現・玉山3,997m)は、富士山(3,776m)より高い。Kさんが学校教育を受けた時代を含む1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間、台湾は日本の統治下にあった。子供たちは、「日本で一番高い山はニイタカヤマ」と習ったのである。(ちなみに新高山という名称は明治天皇がつけたということだ。)
 他の利用者が出した「富士山」という答えを聞いて、Kさんは「ああ、そうか。そうだったな」と納得した。
 子供の頃に受けた教育の影響というものを実感する機会であった。

 元新聞記者の日本女性(撮影当時30代)によるこのドキュメンタリーは、日本国が無視し、戦争を知っている世代が口を噤み、グルメやエステや自然観光をエンジョイするきょうびの台湾好きの若い女性たちが知らない、台湾と日本の切っても切れない深い関係を浮き彫りにする。かつては日本だった現代の台湾で、かつては日本人だった老人たちを取材し、彼らの日本に対する複雑な感情を見事に映し出して見せた、非常に質の高い、かつ面白い、力作である。
 自分(ソルティ)もまた、このあたりの事情に疎かった。最も好きな映画監督が台湾出身の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)であるにも関わらず・・・。最も好きな映画がヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲った彼の『悲情城市』(1989年)であるにも関わらず・・・。
 『悲情城市』は、1945年の敗戦による日本統治の終わりから、1949年12月に蒋介石率いる中国国民党政府が台北に遷都するまでの動乱の台湾社会を描いている。あまり歴史や時代背景に詳しくない自分のような者でも感動させてしまうあたりが傑作中の傑作たるゆえん、と言えばいいわけがましいか・・・。
 
 酒井監督は、台湾に住む5人の老人たち(1925~1928年生まれ)を取材し、彼らの穏やかな日常を映しながら、日本統治時代の話や忘れられないエピソード、日本と日本人に対する思いなどを、‘日本語で’聴いていく。日本語教育を受けた5人は、日本語ができるから通訳は要らない。
 日本人の経営するコーヒー農園で働いていた仕事好きのヤン婆さん。
 同世代の夫との会話は今も日本語、「台湾独立」の運動をしている男勝りのチンさん。
 映画完成後の2008年に癌で亡くなった台湾原住民のタリグさん(最期の言葉は日本語で、家族の誰も理解できなかったという)。
 日本から赴任してきた小学校の担任の先生の恩を終生忘れることなく、毎年日本まで墓参りに来るソウさん。
 ビルマ戦線で日本兵として戦い、今は日本人観光客のためガイドボランティアをしているショウさん。
 個性豊かで、誠実で、義理堅く、人懐こい笑顔の5人の元日本人の姿を見ると、「ああ、昔の日本人はこんな風だったんじゃないかな~」という感慨を覚える。戦後のアメリカ文化や日本国憲法や経済成長ありきの価値観に洗脳される以前の‘古き日本人’が、台湾という土地に隔離されていたおかげで、しかも1972年日本が中華人民共和国と国交を結び、中華民国(台湾)とは国交断絶したおかげで、奇跡的に(ガラパゴス的に)残っている、という印象を持った。チンさんが言う「私たちは、今の若い日本人より、よっぽど日本人よ」というセリフは、まさにその辺の事情を表しているのだろう。
 彼らの日本人としての誇り、日本に対する愛着は、今の日本社会に置かれたら、相当なナショナリスト(=右翼)の範疇に入るだろう。
 「三つ子の魂百まで」である。
 
 彼らはみな、日本に生まれ、日本人としての教育を受け、日本の為に戦い、友や家族を戦争で失い、本土の日本人と同じように玉音放送を聴き、敗戦を迎えた。
 そこから事態は一変する。
 日本だった祖国が中華民国(国民党)になった。為政者による弾圧が続いた。反体制運動を抑えるため、1949年から1987年まで、実に38年間にわたる戒厳令が敷かれた。およそ6万人が殺され、15万人が投獄されたと言われている。
 その間に中華民国は国際的地位を失い、日本を含む多くの先進国から国家として承認されなくなった。
 いわば彼らは、日本に二度見捨てられたのである。
 なんという宿命、なんという変転の人生だろうか。
 だが、5人は激動の歴史に翻弄されながらも、力強く、前向きに、それぞれの生を生きてきた。
 
 いつの時代に、どこの国に、どういう家庭に生まれるか、人は選ぶことができない。どういう政治・経済体制の下、どんな文化や価値観や法や宗教に制約されるかも、ほとんど選び取ることができない。とりわけ、子供の頃に受けた教育やしつけの影響を自力で脱するのは困難である。それがその人のアイデンティティの核となっている場合はなおさらに。
 様々な因縁が合い絡まった結節点に、人は生まれてくる。
 周囲に氾濫する‘物語’を内面化して、自己は生まれる。 
 人間はなんと不自由なものだろうか。
 生涯、戒厳令に敷かれ続けているようなものだ。
 「条件付け」という戒厳令に。
 
 終始穏やかな笑顔をカメラに向ける話し好きのショウさんが、長年のつき合いで心を許した酒井監督を前に、ほとばしる怒りを抑えきれず、思いのたけをぶちまけるシーンがある。
「自分は日本人には親しみを感じる。が、日本という国は許すことができない。自分たちは、日本に捨てられたのだ。」

 彼らも高齢である。
 亡くなる前に、天皇・皇后両陛下の訪台が実現できないものなのか。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!






 



● シャフクへの道5 映画:『ショート・ターム』(ディスティン・ダニエル・クレットン監督)

2013年アメリカ。

 現在、自分(ソルティ)は社会福祉士国家試験の受験資格を得るために、障害者施設で実習中である。
 馴染んだ職場を離れて、約一ヶ月(180時間以上)の他施設での現場研修は、緊張と戸惑いの連続であり、結構疲れるものである。指導担当者(イケメン!)は自分の息子世代であるし、スタッフの9割は間違いなく自分より年下である。変なプライドがあったら、とうてい続くものではない。
 我ながらよくやってる
 スクーリングの時の先生が言っていたが、「実習から一番傷ついて戻ってくるのは、児童養護施設に行った学生たち」だそうである。
 さもありなん。
 親に虐待されたり育児放棄されたりした子供たちの可愛そうな姿に若く純粋な心が傷つくのではない。ケアの対象者であるほかならぬ子供たちに苛められて傷つくのである。言葉をかけても無視されるのはまだいいほうで、暴言・暴行・持ち物を隠される・帰りがけに下駄箱から靴を取り出したら、中にウンコが詰まっていた、なんて学生もいたそうだ。
 「恵まれない子供たちのために、私はマザーテレサのような無辺の愛を注ぐ」なんて気高い志を持って入っていったら、みじんに打ち砕かれることだろう。

 この映画は、そんな子供たち――家庭環境に恵まれず行き場を失ったティーンエイジャーが、次の行く先が決まるまでの短期間(ショートターム)を仲間とともに過ごす寮が舞台となっている。深い傷を負い‘ぐれた’子供たちの起こす様々な問題行動と、怒りの裏側に彼らが抱える孤独や絶望や悲しみを描くことが、一つのテーマとなっている。
 主人公は、この寮で働く若く有能な女性グレイス(=ブリー・ラーソン)と、彼女の同僚かつ恋人である優しく剽軽なメイソン(=ジョン・ギャラガー・Jr)。二人は、互いを信頼し尊敬し愛し合っているかに見える。が、グレイスはメイソンには言えない子供の頃の深い傷を抱えている。それが二人が結婚し親になる上での障害となっている。これがもう一つのテーマ。
 二つのテーマをうまく絡ませながら、大団円に導いていく脚本が優れている。
 子役を含め演技者も良い。とくにブリー・ラーソンは存在感があって、美しく知的で、かつてのジョディ・フォスターを髣髴とさせる。(もしやレズビアン?) 休学して施設に研修に来た学生ネイトを演じるラミ・マッレクは、オリエンタルな風貌のキュートなイケメン。息詰まりそうなディープな物語の中で、“箸休め”のような役割を果たしている。
 
 グレイスやメイソンは、なぜこのように大変な骨の折れる仕事をユーモアを持ってできるのだろうか。囚人を見張るサディスティックな看守のようでもなく、慈愛あふれる(しかし子供たちに裏切られる)教会のシスターのようでもなく、なぜ子供たちの心に入り込み、信頼を得られるのだろうか。
 メイソンは、孤児院育ちであることが明かされる。素晴らしい養父母に出会えて、愛されることの喜びを知ったことで、「今の自分がある」と自覚している。彼の経歴が、仕事のモチベーションになっているのである。
 一方、グレイスはどうか。彼女が、どうしようもない両親のもとに育ったことが少しずつ明かされていく。男をひっかえとっかえする母親。刑務所に収容されている父親。子供の頃から続く自傷癖。
 しかし、彼女が悲惨な身の上をはじめて打ち明けたのは恋人のメイソンではなかった。怖くてそれはできない。彼女が気を許せた相手は、寮にやってきたばかりの少女、父親の虐待を受けているジェイデンだったのである。自分と同じ境遇に置かれている少女を目の前にし、救いたいという一心が、グレイスに勇気をもたらしたのであった。

 すべからく、人を助ける人間は、助けられる相手によって、また助けられている。
 そんな真実を教えてくれる一本である。
 (自分の実習も利用者に助けられている部分が大きい。) 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● あまりに映画的な病 映画:『レインマン』(バリー・レビンソン監督)

1988年アメリカ映画。

 ダスティン・ホフマンの‘いかにも上手な’演技があまり好きでなくて、この有名なオスカー作品を観ていなかった。
 社会福祉士養成過程の実習で障害者施設に行くことになり、そこで自閉症の利用者と接することになって俄然興味を持ち、遅ればせながらDVDを借りた。
 むろん、この映画は自閉症患者を描いた作品としてもっとも有名だからである。

 自閉症は、通常生後30ヶ月までに発症する先天的な脳の機能障がいです。 視線が合わなかったり、1人遊びが多く、関わろうとするとパニックになったり、 特定の物に強いこだわりが見られたり、コミュニケーションを目的とした言葉が出ないなどといった行動特徴から明らかになります。 その障がい名から、「心の病気」という誤った印象をもたれがちですが、自閉症は心の病気ではありません。
 自閉症とは、先天的な脳の中枢神経の機能障がいで、自分を取り巻く様々な物事や状況が、定型発達者と呼ばれる私たちと同じようには脳に伝わらないために、 結果として対人関係の問題やコミュニケーションの困難さ、特定の物事への執拗なこだわりを呈するという障がいです。(特定非営利活動法人ADDS-Advanced Developmental Disorders Support-ホームページより抜粋)

 一口に自閉症と言ってもいろいろである。知的障害を伴う人もいれば、通常あるいは通常以上の知的能力をもち社会生活を送っている人もいる。この映画の主人公レイモンド(=ダスティン・ホフマン)のように特定の分野で驚異的な才能を発揮する人もいる。
 最近ではこうしたグラデュエーションのような多様性を表すために、「自閉症スペクトラム障害(Autistic Spectrum Disorder)」と称するのが一般になってきているらしい。
 多様性はあるものの、そこに何がしかの共通した特性が見られるからこそ、「自閉症」という名のもとに統合される。
 共通した特性、すなわち自閉症スペクトラムの診断基準はなにか。
 以下の三つが上げられる。
1.対人関係の形成が難しい「社会性の障害」
2.ことばの発達に遅れがある「言語コミュニケーションの障害」
3.想像力や柔軟性が乏しく、変化を嫌う「想像力の障害」

 レイモンドはまさにこの3つの特徴を兼ね備えている。
 実習先の自閉症患者たちもまったく同様である。「定型発達者」と呼ばれる自分から見れば、一番の特徴と思えるものは、「何を考えているのかわからない」ということに尽きる。彼らの表情や行動から、「いま喜んでいるんだな(手を叩きながら笑顔でそこらじゅう飛び跳ねる)」とか、「いま悲しいんだな(手の甲を噛んで涙を流している)」とか、「いま怒っているんだな(血走った目で壁やいすを何度も蹴る)」とか、「いまパニックに陥っているんだな(自分の両頬を手加減なく血が出るまで叩く)」といった人間の基本的な喜怒哀楽の感情こそ分かるものの、「じゃあ、なんで喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒っているのか、パニックに陥っているのか」が分からない。彼ら自身、それを他者に説明することもできない。
 いや、そもそも彼らにとって「他者」は存在しているのか。

 自閉症患者は、我々「定型発達者」が共有する「物語」を内面化していない、それをもとに生きていない、というふうに見える。
 この映画で象徴的にそれが表れているのは、最後のシーンである。
 アメリカ縦断の車の旅を通して‘心が通じ合った’かに見える兄レイモンドと弟チャーリー(=トム・クルーズ)は、停車場で別れることになる。チャーリーは住まいと職場のあるロサンゼルスに、レイモンドは子供の頃から過ごしてきた施設に--。
 別れの抱擁を終えて、レイモンドは列車に乗り込む。チャーリーは名残惜しそうに、窓際の席に収まった車上のレイモンドを見やる。
 が、レイモンドはすでに無関心に前を見ているだけで、窓外のチャーリーの存在はすでに蚊帳の外だ。レイモンドに対するチャーリーの思いは一方通行。というより、チャーリーが持っている(我々通常の社会人が持っていることが期待される)‘兄弟愛’という物語を、レイモンドはそもそも共有できないのである。
 上記3つの特徴がその通りだとすれば、それは自閉症患者が、「物語」を形成する能力に欠いているということになるのではなかろうか。
 あるいは、こうも言える。
 自閉症患者は、我々「定型発達者」を苦しめている「物語」の呪縛から解放されている。
 本当かどうかは知らん。
 少し前に話題になった当事者の東田直樹の書いたものを読むと、「物語」を理解する能力はすこぶる高い。というか彼はプロの童話作家なのだ。「物語」を理解するどころか、創作できるのだ。
 彼が特別なのか。それとも、自閉症患者は「物語」を十分理解しているけれど、出力が困難(稚拙)だから理解していないように見えるだけなのか。それとも、これもまた多様性のグラデュエーションのどこに位置するかの問題なのか。
 いずれにせよ、「物語」の呪縛からいい加減脱出したい自分にとって、世間一般の「物語」をはぐらかすかのように見える彼らの行動は魅力的に映るのである。 
 
 自閉症患者は、視覚優位の世界に住んでいると言われる。また、通常の人とは幾分違った‘物の見方’をしているらしい。たとえば、景色や物を全体として見ずに、10円玉くらいの範囲の一点のみしか見えていない。規則正しく流れるもの・並んでいるものに惹かれる。(だから列車がすきなのかな?) キラキラしたもの・光るものが好き。
 
 物語からの解放、視覚優位、クローズアップ、列車愛好、光に対する感受性・・・・。
 こうしてみると、まさに映画的感性そのものではないか。
 自閉症患者は世界を「映画的に」見ているのではないだろうか。
 
 『レインマン』において、観る者はたびたびレイモンドの視界を共有することになる。チャーリーの運転するスポーツカーの助手席からレイモンドが見る景色(=ショット)がしばしば挿入される。
 それはまさに自閉症患者の‘物の見方’なのである。と同時に、ダスティン・ホフマンの過剰な演技でつい物語化――兄弟愛という名の―されてしまいそうなこの作品を、すんでのところで‘映画’に引き留めている鮮烈な楔なのである。
 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


● 戦後は終わった! 映画:『地の群れ』(熊井啓監督)

1970年ATG制作。
 
 原作は井上光晴の同名小説。
 熊井哲は『サンダカン八番娼館 望郷』の監督。 

 ともかく暗く、重く、忌まわしさに満ちた映画である。
 「地の群れ」というタイトルが示すとおり、日本社会の最下層を鼠のように蠢く者たちの恥と苦しみと抑圧された怒りと呪い、貧困と差別と絶望と無明とが、全編から漂っている。よくこんな映画が撮れたなあと感心するほかない。表現の自由に関しては今より70年のほうがよっぽど進んでいる。
 
 戦前戦後の佐世保を舞台に、炭鉱、在日朝鮮人、被差別部落、被爆者、米軍基地、水上生活者、アカ(共産党)、強姦、リンチ、暴徒・・・・といったトピックが、何らわかりやすい説明もないままに次々と描き出されていく。(ストーリーを理解するには2回は観なければならない。) 
 日本社会の負の部分を抉り出したという点では、ドキュメンタリー映画『山谷 やられたらやりかえせ』(1985年)に近い。
 しかし、圧倒的に『地の群れ』のほうが暗くて重い。
 なぜなら、『山谷』には労働条件の向上をもとめるドヤ(低額宿泊所)の男たちの連帯と勇気に満ちた闘いがあった。一方、『地の群れ』には差別された者同士の足の引っ張り合いのようなネガティブないさかいがあるばかりで、そこになんの希望も見出せないからである。後味悪い。
 
 物語の最後、主人公の青年・信夫は、生まれ育った被爆者の隠れ住む村・海塔新田を飛び出し、佐世保が包含するすべての負から逃げ出すように、何処へかに向って走り去る。被差別部落を抜け、米軍基地を抜け、港を抜け、河原を抜け、教会を尻目にする。いつのまにか、白い団地が整然と並ぶ新興住宅地にやってくる。樹木に囲まれた美しい公園、ベンチで談笑する子連れの主婦たち、明るく屈託のない笑顔、豊かさを感じさせる整った身なり・・・。これまでの画面にはまったくなかった眩いばかりに清潔なカットが続く。主婦たちは不思議そうに、団地の中を懸命に走りぬける信夫に目を向ける。なかば無関心な目を。
 信夫が駆け抜けたこの二つの世界こそ、「地」と「天」であり、戦中および戦後の貧しい日本から、「もはや戦後は終わった」高度経済成長時代の日本への転換であり、アメリカから輸入された近代消費社会という毛皮によって日本人がいかにしておのが恥部を隠したかの象徴である。
 「地の群れ」を生きる人びとがいなくなったわけではない。『山谷』に見るとおり、それはバブルの頃でさえ、わが国の重低音として地の底から響いていたのだ。多くの日本人はそれを聴かなかった。「暗さ、重さ、忌まわしさ」に蓋をして、「明るさ、軽さ、屈託のなさ」ばかり追求してきた。一億総「躁」状態になっていたのである。
 バブル崩壊、ホームレス増加、雇用の崩壊、格差社会、ヘイトクライムの増加、少子化と高齢者の孤独死、原発事故、安保・・・・・・。
 そのつけが今になって回ってきた。
 --なんて、うがったことを高みから言うつもりは毛頭ない。
 むしろ、自分はこう思う。
 いまやっと、戦後が終わったのだ。
 アメリカナイズされた個人主義の大量消費社会という夢(=呪縛)から解けて、いまやっと、日本人はおのれが抱える「暗さ、重さ、忌まわしさ」を、否認することなく、怯えることなく、地の底に引き摺り込まれることなく、冷静に向き合えるときがやって来たのだ、と。
 戦後70年にしてPTSD(トラウマ)は消失した。
 
 この映画はいまこそ観るにふさわしい。



評価:B+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● バンツマ絶賛!!  映画:『破れ太鼓』(木下恵介監督)

1949年松竹。

 往年の大スター阪東妻三郎主演のホームドラマコメディ。
 ――なのだが自分はバンツマをよく知らない。田村高廣、田村正和、田村亮の父親であるということ以外に・・・。
 映画代表作の『雄呂血』(1925年、二川文太郎監督)も『無法松の一生』(1943年、稲垣浩監督)も観ていない。「殺陣が一番巧かった」と評される時代劇にいたっては皆無である。
 ウィキで調べると、なんと51歳という若さで1953年に亡くなっている。代表作のほとんどは戦前に撮られていて、『無法松』を含むいくつかの作品は国家検閲により無残にもカットされて、上映機会も少ないため、バンツマの何たるかを知らないのも無理はない。
 手元にある文春文庫ビジュアル版『大アンケートによる日本映画ベスト150』(1989年刊行)によれば、高倉健、笠智衆、三船敏郎を退けて、「好きな男優ベストテン」の第1位に選ばれている。凄いことではないか。短い役者人生で、いかに強い鮮烈な印象を観客に与えたかが伺われる。その点では、市川雷蔵(享年37歳)や石原裕次郎(享年52歳)――しかし若いな――と似ている。いや、短い人生だったからこそ、かえって印象に残るのだろう。
 
日本映画150
 
 最盛期の、時代劇役者としてのバンツマを知らない人間でも、この映画を観ればその魅力の片鱗を窺い知ることができる。
 圧倒的な存在感、天衣無縫の演技、画面からあふれ出る人間味。他の役者が一丸となって向かっても太刀打ちできないほどの抗し難い磁力を発している。それが、家族全員を支配下におく粗野で無教養な頑固親父というキャラクター設定とあいまって、もう魅力全開である。誰がどう観たって、この映画の成功はバンツマの功績、そして彼を縦横無尽に走らせた木下恵介監督の手腕にある。
 
 バンツマの他の映画を探してみようっと。


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




 

● 高峰三枝子礼讃! 映画:『女の園』(木下恵介監督)

1954年松竹映画。

 戦後、時代錯誤で封建的な私立女子大学の寄宿舎。厳しい規則でがんじがらめになっている女子学生たちの学校(教師たち)への反乱の一部始終を描いている。
 ストーリーそのものも面白いし、当時の風俗や街の様子を知るのも楽しいけれど、なんと言っても最大の見所は戦後を代表する4人の大女優の競演に尽きる。
 
 女子大生に扮するは、久我美子、岸恵子、高峰秀子
 岸恵子の切れ長のパッチリした目の美しさは、パリジェンヌの自由奔放さとともに中山美穂に受け継がれたのか。もっとも岸恵子のほうが意志が強くて気風がいい。高峰秀子は泥臭くて個人的にはどうも好きにはなれないが、演技力はピカイチ。情緒不安定で鬱っぽくヒステリー気質の女性を確かな演技で表現している。久我美子は蝶になる前のサナギといった感じ。
 一方の敵役、冷酷な舎監に扮するは高峰三枝子。
 これが素晴らしい。上記3人の人気女優を含む多数の女子学生たちを一人で相手にし、いささかも臆するところのない圧倒的な存在感。能面のように上品で無感情な美しさを、一部の隙ない日本髪と着物姿で引き立てて、女子学生の模範たるべき見事な言葉遣いで、規則違反の学生たちを容赦なく叱責する。これははまり役と言っていいだろう。この映画の主役は誰かと聞かれたら、高峰三枝子である。
 
高峰三枝子3 高峰三枝子と言えば、まず想起するのは思春期の頃に観た『犬神家の一族』(市川崑監督、1976年)の真犯人・犬神松子である。信州の片田舎の広いお屋敷のきれいに目の揃った畳の上に、隣りに白い覆面をしたスケキヨをはべらせて怖い顔で正座している着物姿が目に浮かぶ。
 そして、同じ金田一耕介シリーズ『女王蜂』(1978年)でのほんの脇役にすぎないのに強い印象に残る元宮様の奥方役。事件の隠された真の根源は「この女か」と思わせるほどの悪役高慢キャラであった。
 とどめに同年公開された手塚治虫原作『火の鳥』の邪馬台国女王ヒミコ。
 この3作連打で自分の中の高峰三枝子の印象はほぼ決まった。
 鉄面皮で高慢な女王様。
高峰三枝子2 その後、夏目雅子が三蔵法師を演じたテレビドラマ『西遊記』でお釈迦さまに扮したり、国鉄(現・JR)「フルムーン」のCMで夫役の上原謙と共に温泉に入り豊満な乳房を披露して話題になったりと、上記イメージを覆すようなお茶の間路線を打ち出したが、どうにも印象は変わらなかった。フルムーンのCMなど、確かに谷間くっきりのたわわな乳房がお湯の中で浮いているけれど、少年にとっては見たくもない「ババアの谷間」である。むしろ、当時国会議員であった山東昭子がそれをシリコン入りの贋物と中傷し、それに高峰が怒り心頭となって反論したことのほうが愉快なエピソードとして受け取られ、既存の高峰イメージを固定化させるのに役立った。
 
 鉄面皮で高慢。
 一番の原因は、やはり顔立ちにある。目尻のこころもち釣り上がった細長い目、若干の三白眼、すっと長くて先の尖った鼻、自然に結ぶと両端の垂れ下がる唇、がっちりした顎。これらのパーツが集まると、美しく高貴だけれど人を寄せ付けない風情が漂う。
 だから、自分が物心つく前の若い時分の高峰三枝子の人気のほどを聞くと、意外な気がする。
 松竹の清純派シンデレラから看板スターへ。
 歌う映画女優の草分け。(『湖畔の宿』はじめ、いくつものヒット曲を出している)
 戦地慰問の花形。
 フジテレビのワイドショー「3時のあなた」の人気司会者(1968-1973年)。
 この流れがあって、「フルムーン」の巨乳に世の中高年男性大はしゃぎという現象がはじめて理解できるのだ。

 高峰三枝子の昔の映画は小津安二郎の『戸田家の兄妹』(1941年)くらいしか観ていない。
 たしかに美しかったけれど、あまり印象は残っていない。他のどの女優がやっても構わない。高峰じゃなければこの役は映えないという域には達していなかったように思う。 
 一方、『犬神家』の松子夫人、『女王蜂』の東小路隆子、それにこの『女の園』の五條真弓は、高峰でなければ面白くない。‘鉄面皮’の美貌を持つ高峰だからこそ、ここまでの存在感とドラマ性を醸し出せる。キャラが立っている。
高峰三枝子1 高峰秀子ら演じる女子学生の前に絶壁のように立ちはだかる五條真弓は、自由と人権を求める若者に共感する観る者にしてみれば、実に憎らしく、手強く、取り付く島のない女ヒトラーのようなキャラである。しかも無類の美人ときては、どこからも崩しようがない。
 それが映画の最後には、実は悲しい過去を持つ一人の弱き女であることが明らかにされる。鬼の目にも涙、五條の能面から大粒の涙がほとばしる。 
 鉄面皮の下に隠された女の業や哀しみが一瞬かいま見られるとき、女優としての高峰三枝子の素晴らしさが光り輝くのである。



評価:B+

+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

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