ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 本:『私は貝になりたい――あるBC級戦犯の叫び』(加藤哲太郎著)

1994年春秋社
2005年新装版

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 タイトルだけは有名なこの本をソルティは読んでいなかった。
 フランキー堺主演による1950年版(脚本&監督は橋本忍)、および中居正広主演の2008年版(監督は福澤克雄)、2本の東宝映画あるのは知っていたが、未見である。
 これは、しかし、原作を最初に読んで正解だった。

 加藤哲太郎は元陸軍中尉で、敗戦時は東京俘虜収容所新潟第五部の所長をしていた。
 終戦後に連合国軍(米国、カナダ)の捕虜虐待&殺人の罪で逮捕され、死刑の判決を受ける。いわゆるBC級戦犯である。
 が、妹の不二子はじめ家族や友人知人たちの強力な助命嘆願運動が功をなし、ついに、「泣く子もだまる」マッカーサー元帥を動かす。
 裁判のやり直しが命じられ、結果、殺人については無罪が証明され、死刑撤回。
 10年弱の囚役ののち、社会復帰を果たした。
 軍事法廷の判決が、マッカーサー直々の裁量で破棄されたのは、これが唯一の例だった。
 その意味で「奇跡の人」と言っても過言ではあるまい。
 本書は加藤哲太郎自身による獄中手記で、逃走中に逮捕された経緯から、絞首刑の判決を受け、その後判決が破棄されるまでの一連のことが書かれている。

 まず、意外だったのは、初稿の段階では「私は“カキ”になりたい」だったという点。
 加藤は、1952年に『狂える戦犯死刑囚』というタイトルの手記(本書に収録)を書いたが、それが1953年光文社発行『あれから七年』という本に収録されるに際し、「カキ」が「貝」に変わったそうだ。
 カキも貝の一種だから大きな変更ではないが、「私はカキになりたい」ではインパクトが弱かったろう。
 カタカナ表記だと「カキ→柿」と頭の中で第一変換されやすいし、「牡蠣」と書くと読めない人が多い。
 貝で正解だった。

 また、ソルティは貝のイメージとして、口をしっかり閉ざしている様を想起するので、「私は貝になりたい」とは「絶対に喋らない」という黙秘権の行使、あるいは誰か(国家?)にとって不都合な証言の拒否を意味しているのかと想像していた。(英語の成句に「カキのように口が堅い(as close as an oyster)」がある)
 しかし、そうではなかった。
 なんとこれは、「次に生まれ変わるとしたら、私は貝になりたい」という作者の輪廻転生願望だったのである。
 
 こんど生まれかわるならば、私は日本人にはなりたくありません。いや、私は人間にもなりたくありません。牛や馬にも生まれません。人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。戦争もない。

 上記は死刑判決が破棄されたあとに獄中で書いたものである。
 作者の人間不信、日本人に対する絶望、戦争嫌悪が、一言で集約されている言葉が、「私は貝になりたい」だった。
 作者がそのような思いを抱くようになった背景については、本書を読んでほしい。
 『人間の條件』の主人公梶と同じような理不尽と残虐を味わい尽くし、生きる希望を失ったことがわかる。
 
はまぐり

 映画を観る前に本書を読んでよかったと思ったのは、『私は貝になりたい』は映画に先んじてテレビドラマとして放送され大反響を呼んだのだが、その際に脚本を書いた橋本忍は、原作者の加藤に会うことはおろか、一言も作者に了解をとらず、加藤の手記を剽窃したからである。
 加藤は㈳日本著作権協会に解決あっせんを求めるが、橋本側はこれを無視。
 すったもんだあって、業を煮やした加藤は著作権法違反で刑事告訴状を東京地検に提出。
 ついに橋本は和解のテーブルに付き、原作者としての加藤の権利を認めた。
 最初に加藤と会った際、橋本は、剽窃したことを一切認めず、その上、「このまま沈黙してくれるなら10万円を出します。それは私のポケットマネーであって原作料ではない」と言い放ったという。
 なんて卑劣な男だ!
 ソルティの中の橋本忍株が大幅に下落した。
 『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『蜘蛛巣城』、『ゼロの焦点』、『切腹』、『白い巨塔』、『上意討ち 拝領妻始末』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』、『砂の器』、『八甲田山』等々、日本映画史に燦然と輝く傑作を数多くものしてきた、日本が世界に誇る名脚本家。
 が、脚本家として“人間を描く&ヒット作を作る”才能があることと、作家自身の人間性は必ずしも相関しないという、人間性の真実をまた一つ知らされた。
 この件については、「貝のように」黙ったままでいなかった加藤はえらい。

 「えらい」と言えば、加藤哲太郎の妹不二子である。
 不二子は、哲太郎が死刑判決を受けるや、助命嘆願運動を開始した。
 つてを頼って著名人に嘆願書を書いてもらい、哲太郎の友人知人に署名運動を手伝ってもらい、捕虜殺人事件の事実関係を調べるため新潟まで出向いて、多くの関係者から当時の模様を聴き、有力な証言や証拠を見つけ出す。
 果ては、皇居お堀端にあったGHQに乗り込み、マッカーサーへ直訴状を届ける。
 この不二子の果敢な行動力がなかったら、哲太郎はそのまま死刑になっていただろう。
 ここで連想するのは袴田秀子さんである。
 1966年静岡県で起きた強盗殺人事件で逮捕され死刑が確定した弟・袴田巌さんの無罪を信じ、58年間闘い続け、今秋ついに無罪を勝ち取ったことは周知のとおり。
 姉妹の力というものをつくづく感じる。

 一方、加藤哲太郎と同じBC級戦犯で冤罪により死刑になった者はたくさんいたはずである。
 加藤の場合、父親が有名なロシア文学者だった(日本で初めてのトルストイ全集の翻訳者)、当時の片山哲内閣総理大臣は父親の中学時代の同級生、キリスト教の社会運動家として有名な賀川豊彦は父親の明治学院神学時代の同級生、トルストイの三女からも支援を受けた、など強力な援軍がいた。YWCAやYMCAといったキリスト教系団体のバックアップもあった。
 おそらく、死刑撤回は、こうしたGHQが無視できない縁や政治的背景が物を言ったのであり、必ずしもマッカーサーの寛容さだけに帰せられるものではあるまい。

マッカーサー

 天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。そして日頃から常に御勅諭の精神を、私の精神としようと努力した。私は一度として、軍務をなまけたことはない。・・・・・・(中略)・・・・・・私は殺されます。そのことは、きまりました。私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。ですから、もう貸し借りはありません。だいたい、あなたからお借りしたものは、志那の最前線でいただいた七、八本の煙草と、野戦病院でもらったお菓子だけでした。ずいぶん高価な煙草でした。私は私の命と、長いあいだの苦しいを払いました。ですから、どんなうまい言葉を使ったって、もうだまされません。あなたとの貸し借りはチョンチョンです。あなたに借りはありません。もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決して、あなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。 

 無実の罪で獄中にとらわれ死刑判決を受けたいま、やっと、自らが天皇に、国家にだまされていたことに気づいた加藤哲太郎。
 子供のころから受けてきた天皇を神とする皇国教育、軍国主義教育の呪縛がやっと解けたのである。
 洗脳からの解放。
 同じように天皇を恨む声を挙げた三島の「英霊」たちと、ちょうど反対の立場である。
 「英霊」たちは、死してなお、あくまでも皇国幻想に執着している。天皇が人間宣言したことに憤っている。
 幻想の中に閉じ込められている者は、生まれかわっても、同じところにしか生を受けない。
 人間にも、動物にも、貝にもなれない。 

鬼


 戦争は、人間を発狂させる。死ぬか生きるかという、せっぱつまったとき、あらゆる価値が転倒する。殺人がもっとも大きな美徳とされるのが戦争である。自分が人を殺す、また仲間の兵隊が敵に殺されるのを見る、そして自分もまた、いつなんどき殺されるかわからないという心理が支配的となったとき、人間は発狂するのである。発狂の原因が取りさられてふたたび冷静が彼を支配したとき、あの時なぜ自分はあんな馬鹿なことをしたのか、ふしぎでたまらないのである。気の小さい、虫も殺さないような、しかも一応の教養のある人までが、いったん発狂すれば、大それたことをやらかすのだ。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● なんなら、奈良5 先達と会う!

 奈良大学から届いた封書に、奈良学友会関東支部による学習相談会(東京会場)の案内があった。
 奈良大学通信教育学部を卒業したいわゆるOB/OGが、在学中の学生のために、学習の進め方や卒業論文のテーマ設定など、各種相談に乗ってくれるというのだ。
 もちろん、ボランティアである。

 場所は、地下鉄丸の内線・茗荷谷駅から歩いて7分の林野会館。
 ここはレポート合格後に受ける学科試験の東京会場となっている。
 ソルティはやっと一科目めのレポートを提出したばかりで、今のところ、是が非でも誰かに相談したいような壁にぶつかっているわけではないが、先に入学した学生たちがどんな困難や課題を抱えているのか知っておくのも為になろうと思って、試験会場の下見も兼ねて参加した。


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地下鉄丸ノ内線・茗荷谷駅

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林野会館

 参加者は思ったより少なくて十数名、アドバイザーであるOB/OGのほうが多かった。
 おおむね60~70代くらいが中心だった。
 自分が卒業したあとも、こうやって後輩のために自腹を切って相談会を設けてくれる親心をありがたく思う。
 その後も奈良大学に残り続けて博物館学芸員の資格を取ったり、興味を持った分野を究めるため別の大学に入学したり、学習意欲の高さは素晴らしい。
 スクーリングを通して新しい友人を得、関東支部主催の研究発表会を催し、交流会と称した飲み会を重ね、退職後の第二、第三の人生を楽しんでいる様子が伺えた。
 「こういう人たちは、認知症になるリスクが低いだろうなあ~」
と、日頃仕事で高齢者のよろず相談を受けているソルティは思うのであった。

 参加者は少ないながらも、多岐の内容にわたる質問が次から次へと出て、90分という短い時間では到底収まらなかった。
 合格するレポートを書くコツや、必修のスクーリングを受ける効率的な順番や、履修登録時の科目数はできるだけ多くしたほうがいい(なぜなら単位をとってもとらなくても、すべてのテキスト代は年度授業料に含まれるから)とか、卒業論文を用意するタイミングとか、有益な情報をいただくことができた。

 先輩たちの話を伺っていると、「レポート3回目でやっと合格」とか「学科試験2回落ちた」とか「60点の合格ラインで、毎回59点で落とされた」とか「3年で卒業のつもりが5年かかった」とか、結構苦労してきたさまが伺えた。
 意外と理系出身の人が多いようで、文学関係のレポートの書き方に戸惑っている声もあった。
 「会社にいた頃は何百と報告書作って来たんだが、勝手が違い過ぎて・・・・」

 通信教育は孤独との闘い。 
 先達や仲間たちの存在に触れ、声を聞いて、最初のレポートを提出していささか緩んでいたモチベーションが回復した。
 茗荷谷駅への帰り道にある占春園を散策し、見事な大イチョウと出会った。


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● 本:『源氏物語の結婚 平安期の婚姻制度と恋愛譚』(工藤重矩著)

2012年中公新書

源氏物語の結婚

 『源氏物語』について思うことの一つに、紫式部はどうやってあの長編小説を書いたのだろう、という謎がある。
 最初にどこまで全体の構想を作っていたのか、どの程度きっちりと先の筋を決めて人物を動かしていたのか。
 近現代の物故した作家ならば、創作ノートまたは担当編集者や家族の証言などから、ある程度、創作過程を推しはかることもできようが、なにせ1000年以上も昔のこと。
 『源氏物語』がどのような経過で成立したのかを根拠づける外部資料は今のところ存在しないのである。

 紫式部が、光源氏という絶世の美男貴族を主人公とした恋愛物語を書こうと思って筆をとったのは間違いないと思うが、その生涯を彩る出来事――たとえば、義母との不倫、正妻の死、須磨流し、六条院普請、柏木にコキュされるe.t.c.――を最初にどこまで決めていたのだろう?
 ほかの登場人物(多くは女人)のキャラや物語内での身のふり方――たとえば、死や結婚や宮中入内や自殺未遂や出家――を最初にどこまで決めていたのだろう?
 創作ノートならぬ創作巻き紙や、登場人物表や、主要な出来事を整理した年表のようなものを別に作っていたのだろうか?

 ソルティは、一巻書き上げるごとに発表し、周囲の反応を見ながら、次の展開を決めていったみたいなイメージがあった。
 千夜一夜物語いわゆるアラビアンナイトがまさにそうであるように、物語のはじまりはお伽噺、すなわち寝物語のように即興的なもので、語る本人も先の展開がしかとは読めないところにあると思うからだ。

 一方で、『源氏物語』のように、400字詰め原稿用紙約2,400枚に及ぶ長編で、500名近い登場人物を擁し、70年あまりの出来事が描かれる小説で、それほどの矛盾や破綻なくストーリーが編まれているからには、行き当たりばったりでないのは明らかである。
 人物関係だけとっても非常に複雑である。
 それぞれのキャラについてのプロフィールとライフヒストリーを前もってある程度決めてそれをきちんと覚えておかないと、書いているうちにあちこちで矛盾や破綻が生じ、混乱をきたす可能性が高い。
 パソコンのような記録媒体もなく、紙が貴重な時代に、どうやってこういった情報を整理していたのだろう?
 紫式部の頭の中だけですべてを行って、すべてを記憶していたのだとしたら、たいへんな天才というほかない。
 頭の中の音楽を譜面にそのまま書き写すだけだった(ゆえに譜面に訂正跡が一つもなかった)と言われるモーツァルト並みの。

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WikimediaImagesによるPixabayからの画像

 本書の白眉は、『源氏物語』の中の結婚、とくに光源氏生涯最愛のパートナーであった紫の上との結婚事情について解読した部分である。
 著者の工藤重矩は国文学者で、とくに平安時代の文学や婚姻制度を専門としている。
 「平安時代は一夫多妻制だった」という長いこと流布されてきた説に対し、重婚を禁じていた養老律令の規定を根拠に批判し、実態は、両家の合意のもとの正式な結婚によって娶った女性が唯一の正妻であり、それ以外は妾や愛人であったと喝破したのが、工藤である。
 言ってみれば、一夫一妻多妾説。
 それによると、光源氏の正妻は、元服時に結婚した葵の上と、晩年になって朱雀院のたっての願いにより娶った女三宮だけである、
 紫の上は光源氏の妾の一人にすぎない。
 紫の上は、親王が妾に産ませた娘で、当の父親から見捨てられていたので、年齢のことは別としても、光源氏と正式な結婚できる境遇になかったのである。(光源氏が北山から少女の彼女を誘拐して同居を始めた時点で、もはや正妻になれる資格はなかったと思うが)

 紫の上を光源氏の正妻(の一人)として読むのと、あくまでも妾であるとして読むのとでは、読み方がまったく異なってくる。
 ほかの女人と浮気する光源氏を見守る紫の上の心情にも、紫の上が正妻なら単なる嫉妬で済むが、立場の不安定な妾であるならもっと複雑な色合いを帯びてくる。
 「今度こそ、源氏の君は正妻を娶られて、わたしは妾に落とされるんじゃないかしら? いいや、飽きられて捨てられるんじゃないかしら?」
 その思いを理解する光源氏はじめ周囲の配慮のさまや好奇のまなざしも見えてくる。
 そうしたフラジャイルな状況をわざと用意しながら、実際は妾に過ぎない紫の上をあたかも正妻のようにみせ、制度に依らない二人の愛情の深さを読者に伝えようとした紫式部の創作上の工夫が見える。

白いフリージア

 本書では、光源氏の最初の正妻である葵の上が亡くなったあと、空いた正妻ポジションを埋めないために、つまり、紫の上を妾の立場に落とさないために、紫式部がいかなる操作をしたかが解析されている。
 このとき候補として上げられたのは、六条御息所、朝顔の姫君、朧月夜の君の3人。
 3人とも、光源氏の正妻となるにふさわしい高貴な身分であり、光源氏からそれぞれ質は異なれど、浅からぬ愛情を寄せられていた。
 紫式部はこの三人を巧妙に排除していく。
 六条御息所は、物の怪になって人を憑り殺すような嫉妬深さが光源氏に疎ましがられ、斎宮となった娘に付き随って伊勢に下向した。
 朝顔の姫君は、生来の思慮深い性格ゆえ光源氏の求婚を拒んでいたが、そのうち、独身であることが求められる賀茂神社の斎院に選ばれた。
 朧月夜の君は、右大臣家の婿(すなわち桐壺更衣をいじめた弘徽殿の后の義理の弟)になることを光源氏が望まず、朱雀帝の要望もあって宮中に上がり尚侍となった。
 さらに紫式部は、念には念を入れ、光源氏の長年の思い人であった藤壺中宮をも、桐壺帝の一周忌に合わせて出家させ、光源氏との関係を強制終了してしまう。
 義母と息子という不倫関係、しかも子供(のちの冷泉帝)まで作ってしまった罪深さを越えて、藤壺中宮が光源氏を新しい婿として受け入れるはずはないが、出家という形によって、しつこいモーションをかけてくる光源氏に関係の継続をあきらめさせる。
 これで、紫の上の脅威となるライバル一掃。
 しばらくは、光源氏のパートナーとして揺るぎない地位に置かれ、六条院の女主人として世間から篤くもてなされ、養女にした娘(明石の姫君)が入内して女御となる、という栄華に包まれる。

 本書で分析されているようなからくりを知ると、『源氏物語』のプロットがかなり綿密に(用意周到に)編まれていることが理解される。
 紫式部の非凡な構成力をまざまざと感じ、その天才はたとえ「男の子でなくても」十二分に発揮されたと確信する。

 『源氏物語』のメイキングを読むような面白さ。
 『源氏』ファン、必読である。

紫式部





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 紅葉の旧古河庭園

 うららかに晴れた休日、東京都北区の旧古河庭園に出かけた。
 昨年3月今年9月に続いて、3度目の訪園である。
 さすがに紅葉時だけあって来園者は多かったが、この近くにある六義園ほどの混雑はなかった。

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JR山手線・駒込駅から徒歩12分
入園料大人150円

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高台から見た庭園全景

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12月に紅葉の見頃を迎えるとはね・・・

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雪吊りの 指し示したる 空のあお

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水面に映った紅葉とのアンサンブルはまさに万華鏡

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見晴台からの風景
ここにあった石のベンチが無くなっていた
座って鑑賞(瞑想)するのにお手頃だったのに・・・・

古河庭園2023年3月
同じ地点から(2023年3月)

古河庭園2023年9月
同じ地点から(2024年9月)

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紅葉の中に立つ十五層塔

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プリンセス・オブ・ウェールズ

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ツワブキ


 次は雪の庭園を見たいものだ。







  

● 因縁の書 本:『緑は危険』(クリスチアナ・ブランド著)

1943年原著刊行
1978年ハヤカワ・ミステリー文庫(中村保男・訳)

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 クリスティ、クイーン、カーといった本格推理小説の黄金時代(1920~30年代)を築いた作家たちと何かと比肩されることの多いブランド女史。
 たしかに、『はなれわざ』はクリスティの『ナイル殺人事件』や『白昼の悪魔』を想起させるゴージャスな舞台設定とアクロバティックなトリックに魅了されたし、『ジェゼベルの死』の悪魔的トリックには、チェスタトン『翼ある剣』やカー『妖魔の森の家』を読んだ時と同じレベルの戦慄が走った。
 また、短編集『招かれざる客たちのビュッフェ』の上質な味わいにも耽溺した。
 海外本格ミステリーの歴史を語る上で無視することのできない作家である。

 彼女の最高傑作とされているのが『緑は危険(GREEN FOR DANGER)』。
 実はソルティにとって、ちょっとした因縁のある本である。
 20才のときに購入して旅のお供に持って行ったところ、数ページも読まないうちに列車の中に置き忘れてしまった。「アメちゃん」をきっかけに話しかけてきた隣席の大阪のオバチャンのせいである。
 40才のときに出張先の書店で買って、ホテルの浴室で読んでいたら、最初の殺人事件が起こる前に泡風呂の中に落としてしまった。ドライヤーで乾かしたら紙がゴワゴワになって、とても読めたものじゃない。ホテルのごみ箱に投じてしまった。
 ケチがついた気がして、それ以来、読む気にならなかった。

大阪のおばちゃん
アメちゃん、あげよか~
 
 60代に突入した今、ついに何者にも邪魔されず読むことができた!
 が、なんとも拍子抜けしたことに、あまり面白くなかった
 なぜこれがブランドの“最高傑作”と評されるのか理解に苦しむ。
 子供だましのようなペンキトリックには呆れるほかなかったし、それを見抜けぬコックリル警部は名探偵と言うにはほど遠いし、全般に話の運びが雑で、殺人事件をめぐる状況(場所や時間や人物のアリバイ設定)が分かりにくく、ご都合主義の展開が目立つ。
 さすがに苦労人のブランドだけあって、人物描写には先輩のクリスティやクイーンやカーをしのぐ観察の鋭さやリアリズムが感じられる。
 男女関係の描写も、先輩作家たちの上品さにくらべると、かなり辛辣でえぐい。
 その点は他の作家に替え難いブランドの魅力と言える。(ブランド自身が恋愛で苦渋をのんだのかもしれない)
 
 かくして、約40年待った出会いは期待外れに終わってしまったのだが、ふと思ったのは、もし40年前あるいは20年前に本を失うことなく完読していたら、別の感想を持ったかもしれない。
 さすがブランド! 最高傑作と言われるだけある!――と思ったかもしれない。
 というのも、60代の今、物語に入り込むまでに苦労を要したからだ。

 本作には7人の主要登場人物(=容疑者)がいる。
 この7人の名前とプロフィールを頭に入れるのが容易でなかった。
 もちろん、全員イギリス人なので英語名である。カタカナ表記だ。
 そして、たとえばその中の一人フレデリカ・リンリーならば、ある時はフレデリカと表記され、別のところではミス・リンリーと呼ばれ、仲間内の会話ではフレディーと愛称で呼ばれる。
 それが同一人物であると認識するために、何度も冒頭の登場人物リストに戻らなければならなかった。
 その手間が7人分ある。
 しかも、7人の関係は複雑で、誰と誰が付き合っていて、誰が誰にお熱で、誰が誰を嫉妬しているか、人物関係図でも作らないことにはなかなか理解できない。
 登場人物を整理するのに手間取って、肝心の内容に身が入らない。
 「筋が分かりにくい、ご都合主義」と思ったのも、ひょっとしたら、ソルティの記憶力の衰えのせいで、読むそばから前に読んだ部分を忘れてしまっているからなのかもしれない。
 つまり、若い頃に比べて、海外小説を読むのが圧倒的に不得手になったのである。
 そうでなくとも、老眼は小さな活字を嫌うのに・・・。
 ブランドが「ミステリーの女王」クリスティにかなわないのは、クリスティ作品のもつ簡潔さ、平明さ、読みやすさに欠けるからだ。

 最近、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ40代後半の友人が、「ロシア人の名前が頭に入って来なくて難儀した」とこぼしていた。
 さもありなん。
 ソルティは、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を老後に読もうと思っていたのだが、もう手遅れかもしれない。


 
 
おすすめ度 :

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● 文学座ライブDVD : 杉村春子の『女の一生』

文学座女の一生

1961年1月第一生命ホール(日比谷)にて収録
1961年3月NHK放送
2005年製作
白黒、179分

作:森本薫
演出:久保田万太郎、戌井市郎

 行きつけの図書館で見つけた。
 こういった貴重な記録が残っていることに感激した。
 日本演劇史のビッグネームである杉村春子の演技は、映画では小津安二郎監督『晩春』、『東京物語』、『麦秋』の紀子3部作始め、様々な名監督の作品中に数多く残されている。
 ソルティが特に印象に残っている役は、上記3部作以外では、稲垣浩『手をつなぐ子ら』の精神障害児の母親、成瀬巳喜男『流れる』のおちゃっぴい芸者、黒澤明『わが青春に悔なし』の泥にまみれた百姓の妻、新藤兼人『午後の遺言状』の華やかなる老女優である。出番は少ないが、溝口健二『楊貴妃』の女官役もインパクトあった。
 テレビドラマにも多々出演していて、ビデオやDVD、あるいはNHKアーカイブなどで見ることができる。
 しかるに、杉村春子の本領である舞台の記録、それも実に生涯で945回も演じた代表作『女の一生』のそれがあるとは思わなかった。

 残念ながらソルティは、商業演劇にほとんど興味なくて、杉村春子の舞台を見ることはなかったので、今こうやって全盛期の彼女の芸を確かめることができるのは幸運としか言いようがない。
 と書くと、「いや、杉村春子の芸は死ぬまで高められたから、全盛期は晩年だ」という声もあろう。
 それも一理あるが、能や歌舞伎など“型”を演じるのを基本とする古典芸能とは違って、商業演劇のようなお芝居は肉体が勝負なので、脂の乗り切った時期というものがある。
 本公演は、杉村春子55歳の折りのもの。
 まさに心技体が最高度に充実した円熟の境地にあって、しかも、布引けいという一人の女性の16歳から56歳までを演じるに過不足ない社会経験も身体能力も備わっている。
 カラーでなく白黒映像であるとか、画像が粗いとか、まったく関係ない。
 第一級の文化遺産として後世に残すべき至高の芸がここにある。

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「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの」
有名なセリフのシーン

 文学座の共演陣も達者で、感服しきり。
 けいの姑役の賀原夏子の温か味ある貫禄ぶり、夫役の宮口清二の見事な引きの演技、義姉役の南美江のコミカルな味、けいの義理の叔父で狂言回し的存在の三津井健のセリフ回しの見事さ。
 長らく演じてきたゆえに演者たちの呼吸もピッタリで、観客の気を少しも逸らさない。
 市川崑監督・金田一耕助シリーズの警部役でお馴染みの加藤武(当時32歳)が、いなせな職人役で出演しているのも、本DVDの魅力である。

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「よーし、分かった!」

 しばらく前より、大竹しのぶが『女の一生』をレパートリーに入れてきた。
 今度こそ、ナマ舞台をこの目で見たいものである。




おすすめ度 :★★★★★

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● 野口五郎の謎2

 最近、野口五郎をよく聴く。
 手元にあるのは、CD『野口五郎ゴールデンベスト』。
 演歌路線のデビュー曲『博多みれん』が全然売れず、ポップス路線に変更した2曲目『青いリンゴ』で火がついたことは、1970~80年代の黄金期の歌謡曲ファンなら、誰もが知るところ。(そうでもない?)
 その後、遅れてデビューした郷ひろみ、西城秀樹とともに"新御三家”として一世を風靡した。

野口五郎ゴールデンベスト

 本CDには、1971年『青いリンゴ』から1983年の『19時の街』までの12年間に発売された曲の中から、19曲が選ばれている。
 ほぼソルティの10代と重なる。
 ソルティは、毎月『明星』と『平凡』のどっちを買うか書店の棚の前で悩むような歌謡曲大好き少年だった。

 当時から野口五郎の歌唱力は高く評価されていて、御三家の中では一頭地抜いていた。(その代わり、ひろみと秀樹のファンたちは五郎の足の短さを指摘し、シークレットブーツを履いているんじゃないかと噂した)
 ほかの二人と比べると、演歌出身のせいか地味なイメージがあり、歌もまた大人っぽくて、舞台衣装もスーツが多かった気がする。
 ひろみや秀樹のほうが目立っていた。(80年代半ばにコロッケがモノマネするまでは)
 
 いま聴きなおしてみると、歌の上手さや若い声の色気はいうまでもないが、楽曲の良さにしびれる。
 とくに、下記の曲は昭和歌謡の名曲と思う。

 『君が美しすぎて』 (詩・千家和也/曲・馬飼野俊一)
 『甘い生活』 (詩・山上路夫/曲・筒美京平)
 『私鉄沿線』 (詩・山上路夫/曲・佐藤寛)
 『きらめき』 (詩・山上路夫/曲・筒美京平)
 『むさし野詩人』 (詩・松本隆/佐藤寛)
 『季節風』 (詩・有馬三恵子/筒美京平)
 『19時の街』 (詩・伊藤薫/筒美京平)

 『むさしの詩人』のサビの部分、

 20才の春ははかなくて
 生きてることは哀しい詩だ
 15行目から恋をして
 20行目で終わったよ

 20才の春は淋しくて
 手を花びらがすり抜けてゆく 
 恋を失くした人はみな
 寒い詩人になるという

 ちょっと思いつかないようなグッとくるフレーズではないか。  
 さすが、松本隆!

 当時はちっとも分からなかったのだが、野口五郎の初期の歌(とくに『甘い生活』と『私鉄沿線』)は、かぐや姫の『神田川』やガロの『学生街の喫茶店』同様、団塊の世代の青春を歌っていたのだなあ。
 つまり、内容的にはフォークソングに近く、純粋ポップスのひろみや秀樹と一線を画していたのである。

 当CDには入っていないが、作詞・藤公之介/作曲・平尾昌晃による『愛よ甦れ』も名曲である。(これはタイトルが良くなかった。なぜ、すばり『飛行船』にしなかったんだろう?)
 
 これらの名曲も野口五郎の歌唱あっての輝き。
 まぎれもなく、昭和の名歌手の一人である。



 

● 光が丘管弦楽団 第58回定期演奏会

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日時: 2024年11月17日(日)14:00~
会場: 光が丘IMAホール
曲目:
  • シューベルト: イタリア風序曲第1番
  • ハイドン: 交響曲第101番「時計」
  • モーツァルト: 交響曲第41番「ジュピター」
指揮: 小野 富士

 会場に向かうバスの中、アナウンスが言った。
 「次は、光ヶ丘いま、光ヶ丘いま、お降りの方はブザーでお知らせください」

 光ヶ丘IMAを知ってから数十年、今日はじめて「いま」と読むのだと知った。
 ちょっとした衝撃。
 たしかに、そのままローマ字読みすれば「いま」なのだが、「アイエムエー」と英語読みしていた。
 IBMを「アイビーエム」と読むのに釣られていたのかもしれない。

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光ヶ丘IMA

 本日はオール古典派プログラム。
 秋らしくて良き。

 シューベルトの『イタリア風序曲』、はじめて聴いた。
 20歳のときの作品である。
 当時ウィーンではロッシーニ・ブームが起きていて、それに触発されて作曲したという。
 たしかに、作曲者の名前を知らされずに耳にしたら、「ロッシーニかな?」と思うような、バーゲンセール風狂騒感がある。
 当時シューベルトは窮乏に苦しんでいたから、大金持ちのロッシーニに「あやかりたい」という思いがあったのかもしれない。

 ハイドン『時計』は親しみやすい曲。
 とくに時を刻む振り子のリズムさながらの第2楽章はCMに使用されることが多い。
 ソルティは、やはり、旺文社系列の(財)日本英語教育協会が制作し、1958~1992年まで文化放送で流されたラジオ番組『百万人の英語』のテーマ曲の印象が強い。
 この曲と、やはり旺文社『大学受験講座』のテーマ曲になったブラームス『大学祝典序曲』が蛍雪時代の音楽的記憶である。
 J・B・ハリス先生には直接お会いして、著書『ぼくは日本兵だった』にサインをいただいたこともあった。

 モーツァルトやベ―トーヴェンを押さえて「交響曲の父」と冠せられるだけあって、ハイドンのオーケストレイションの技と完成度は素晴らしい。 
 『時計』や『驚愕』やドイツ国歌になった『神よ、皇帝フランツを守り給え』など、メロディメイカーとしての才能にもきらきらしいものがある。
 もっとハイドンを攻めていきたい。

ぼくは日本兵だった
旺文社刊行

 生の『ジュピター』は久しぶり。
 名曲なのに、なぜか演奏される機会が少ない。
 i-amabile の「演奏される機会の多い曲」ランキングでも30位に入っていない。
 なんでだろう?

 『ジュピター』と言えば平原綾香、と言う人は多いと思うが、あの曲の原曲はイギリスの作曲家ホルストの管弦楽組曲『惑星』の第4楽章「木星」である。
 ソルティは『ジュピター』と言えば、かわぐちかいじのコミック『沈黙の艦隊』を思い出す。
 20代の会社員時代にずいぶんはまった。
 実を言えば、モーツァルトの交響曲41番『ジュピター』あるのを知ったのが『沈黙の艦隊』によってであり、BGMにしながら『沈黙の艦隊』を読もうとレコード店に足を運び、人生で初めて手にした交響曲CDこそ『ジュピター』であった。
 『ジュピター』と『沈黙の艦隊』こそは、ソルティのクラシック街道の日本橋(=出発点)であった。(声楽についてはキャスリーン・バトルである) 
 購入したのは、レナード・バーンスタイン指揮×ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1984年1月のライヴ・レコーディングである。

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交響曲40番と41番のカップリングだった

 そういういきさつがあるので、20~30代の頃は『ジュピター』を聴くとどうも戦闘的気分になりがちだった。
 還暦を迎えた今は、「天界からのお迎え」の響きのように聞こえる。
 第4楽章なんか、天使たちの吹きならすラッパと笛の調べに乗って、このままホールの座席で昇天してしまいそうな、「まっ、それも悪くないな」と思うほどの美と愉悦と神々しさに包まれる。
 ちょうど、高畑勲監督のアニメ映画『かぐや姫の物語』で、彩雲に乗ったブッダや天女たちに伴われて地上を去っていくかぐや姫のように。

かぐや姫の昇天

 数日前にベートーヴェンの第5番『運命』を「人類史上最高の名曲」と書いたばかりであるが、モーツァルトの第41番『ジュピター』もそれに匹敵する奇跡である。
 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。
 この4人はベートーヴェンを介して、つながっている。
 つくづく凄い時代だ。

 光が丘管弦楽団による演奏は素晴らしく、光ヶ丘“いま”を体感した。









● すかんぽ畑の中のきみ 本:『手長姫/英霊の声』(三島由紀夫著)

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2020年新潮文庫
収録作品
 酸模――秋彦の幼き思い出(1938)
 家族合せ(1948)
 日食(1950)
 手長姫(1951)
 携帯用(1951)
 S・O・S(1954)
 魔法瓶(1962)
 切符(1963)
 英霊の声(1966)

 三島由紀夫13歳から41歳までの軌跡を味わえる短編集。
 これはとても良い企画。
 宇能鴻一郎の2つの短編集、川端康成のBL小説『少年』など、新潮文芸部にはセンスのいい編集者がいるのだなあ。

 選ばれている作品も、ファンタジー風あり、私小説風あり、犯罪譚あり、現代風俗あり、怪談あり、檄文調あり、とバラエティに富んでいて、三島の圧倒的な文才に唸らされつつ、楽しく読むことができた。
 修辞の卓抜さ、表現の精度、語彙の豊穣、日本語に対する感覚の鋭敏さ。
 これだけの文章が作れる作家は、100年に1人と現れまい。

 とくに印象に残った作品について、発表時の三島の年齢とともに記す。

『酸模』(13歳)
 酸模(すかんぽう)とはスイバのことである。
 タデ科スイバ属の多年草で道端などに生え、丈は60~100cm。初夏から夏にかけて赤褐色の花穂をつける。
 春の山菜で天ぷらにすると美味しいイタドリ(虎杖)のことをスカンポという地域があるが、虎杖の花は夏から秋に咲き、花の色は白いので、この作品の酸模とは違う。

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スイバ
松岡明芳 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

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虎杖(いたどり
KENPEI - KENPEI's photo, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 13歳でこれほどの小説が書ける早熟さには驚くばかり。
 泉鏡花『朱日記』を思わせる郷愁をあおる美しいファンタジーである。
 『朱日記』は美しい少年と山から下りてきた不思議な美女との邂逅を描いた作品で、一方『酸模』は6歳の秋彦少年と丘の上の刑務所から脱獄した男との出会いを描いたものである。
 『朱日記』から、泉鏡花の花柳界の女性および幼くして亡くした母親への尽きせぬ思慕の念を読み取ることができるように、『酸模』からは思春期の三島=平岡公威少年のすでに芽生えている同性愛志向をうかがうことができる。
 それも、『仮面の告白』でも吐露されたとおり、囚人や汚穢屋(糞尿汲取人)や鳶職人といった下層階級に属する、インテリとはほど遠い男衆に対する愛である。

 昭和の昔、同性愛者向けのエロ雑誌がいくつか発売されていた。
 老舗どころの伊藤文学編集長『薔薇族』が有名だが、ほかにも読者の性的指向に合わせて、『さぶ』、『アドン』、『サムソン』、東郷健編集長『The Gay』、遅れて『バディ』などの棲み分けがあった。
 後年、角刈りに褌、色黒、マッチョのスタイルを好んだ三島の性的指向は、「漢・野郎・SM・硬派」のハードコア路線で、読み物の中に下町の職人や飯場の土方や軍人が多く登場する『さぶ』だったのではないかと思う。
 『さぶ』は愛読者にインテリが多いことで知られ、紙面は圧倒的に活字が多かった。

『家族合せ』(23歳)
 三島の自伝的小説で出世作となった『仮面の告白』の素材が散らばっている点で興味深い。
 女中に囲まれた幼年時代、自慰の習慣に対する罪悪感、柔弱な体に対する劣等感、周囲の少年たちとの齟齬、初恋相手となった年上の青年近江を連想させる堀口、女郎屋での初体験と失敗の屈辱。
 この短編の発表後、大蔵省を退職し、『仮面の告白』執筆に専念した。

『手長姫』(26歳)
 お姫様(おひいさま)と呼ばれた高貴な出でありながら、少女の頃から手癖が悪く、万引き常習犯となった女性の半生を描いた異色作。
 ソルティが高齢者介護施設に勤めていたときに出会ったS子さんを思い出した。
 良い家柄の出で裕福な専業主婦であったS子さんは、白く細い腕で車いすを器用に操って、我々スタッフの目を盗んでは他の入居者の部屋に入り込み、物色した物を自分の部屋に持ち帰っていた。
 彼女が好んで集めるのは、カナリアの羽のような美しい色合いの仕立ての良い洋服であった。
 施設の相談員は、S子さんと同じフロアの入居者の家族に、「お持ち込みになる洋服には必ず名前を書いてください」と頼むことになった。
 じかにS子さんに言っても無駄なのは、認知症だったからだ。

『切符』(38歳)
 非常によくできた怪談。こんなものを書いていたとは知らなかった。矢本悠馬あたりを主演でショートドラマにしたら面白いと思う。名作!

『英霊の声』(41歳)
 ずっと「えいりょう」の声だと思っていた。
 「えいれい」である。

英霊
① 死者、特に戦死者の霊を敬っていう語。
② (英華秀霊の気の集まっている人の意)才能のある人。英才。
(小学館『大辞泉』)

 2・26事件で処刑された青年将校らと太平洋戦争で死んだ特攻隊員らの“霊言”という①の意味で使われているのだが、②の語義によって三島由紀夫の“肉声”という意味とも取ることができる。
 つまり、これを書いた時の三島由紀夫と青年将校と特攻隊員とは三位一体、後者二つの霊団が三島に憑依したかのような気迫が文面に漲っている。
 構成といい、表現といい、力強さといい、完成度といい、読後に残る強烈な印象といい、一編の短編小説として見たとき、これは三島の傑作のひとつと言っていい。
 なんとなく気色悪くて、これまでまともに読むのを避けてきたのだが、これほど見事な作品とは思わなかった。
 三島作品は英語をはじめ多くの外国語に翻訳され海外で読まれているけれど、この短編だけは翻訳不可能、というか外国語に変換したとたん作品の持つ魅力と価値が根こそぎ奪われてしまうと思う。
 言霊(ことだま)が充満しているゆえに。
 あたかも神社の祝詞のような作品である。

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Kohji AsakawaによるPixabayからの画像

 いろいろな読み方を可能ならしめる奥の深い作品という点でも秀逸である。

 まず、オカルト小説と読める。
 審神者(さにわ)と霊媒が出てきて降霊を行うという禍々しい設定が、ポーやホーソンやコナン・ドイルや『エクソシスト』といった西洋ゴシックの系譜を思い起こさせる。
 と同時に、おどろおどろしい中にも日本的な物悲しい湿気をまとった小泉八雲や泉鏡花の怪談に通じるものがある。
 寒気がするような結末の不気味さは言わんかたなし。 

 軍人が心情を吐露する、広い意味での戦争小説でもある。
 むろん反戦小説ではない。
 2・26事件、特攻隊の当事者として結果的に無益な死を遂げさせられた者の怒り、恨み、慚愧の念が渦巻いている。
 『平家物語』のような敗残者の呪詛に満ちている。

 政治小説でもある。
 天皇を現人神(あらひとがみ)に祀り上げ、皇国史観、尊王論、神風神話、武士道精神、玉砕上等を旨とする祭政一致の国体顕揚である。
 少なくとも晩年の三島由紀夫が、そうした思想の持主にして吹聴者であったことは確かである。
 その意味で、一種のプロパガンダ小説とみなすことも可能だ。

 ただ、プロパガンダ小説にありがちの生硬さはここには見られない。
 それは一水会の鈴木邦男(2023年没)が『右翼は言論の敵か』に書いているように、

もともと右翼は左翼との論争を嫌う。左翼は論理で迫るが、右翼は、天皇論、日本文化論などは日本人として当然の考え、常識と思っているし、それ以上に信仰的な確信をもっている。だから、左翼とははじめから相容れない。論争など無用と思っている。「言挙げ」を嫌うのだ。憂いや憤怒は和歌をつくって表現すればよい。

 左翼が理屈、理性、論理を振りかざすのに対し、右翼の言動は信仰に裏打ちされている。だから、言挙げ(プロパガンダ)を嫌う。
 大切なのは、プロパガンダではなくて、神託である。神の言葉である。
 それを無条件に信じ、それに従って“生き死に”し、自らの行動によって神への信仰の篤さを示すことが大切である。
 なので、この“右翼的プロパガンダ”は、檄文の形をとる。
 言霊となる。詩となる。
 本作の美しさは、これが一編の詩であるからだ。
 作中で、霊媒の若者の口を借りて青年将校や特攻隊員らが歌う「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」を畳句とする詩だけでなく、この短編小説は全体でひとつの詩なのである。
 理屈や理性や論理の介入する余地はそこにない。
 この美しさに共感できるか否か、この“耽美”を味わえるか否か、である。

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 天皇主義者でも国粋主義者でもないソルティは、共感できなかった。
 この作品の完成度の高さ、神レベルの表現力、全編に漲る気迫、行間に込められた作者の魂魄には恐れ入るけれど、ここに吐露された2・26事件の青年将校らや太平洋戦争の特攻隊員ら、ひいては三島由紀夫自身の思いは、ソルティの目には歪んだものとしか映らなかった。

 「などてすめろぎは人間となりたまひし」の言葉に象徴されるように、英霊たちの恨みの焦点は天皇の人間宣言にある。
 
 日本の敗れたるはよし
 農地の改革せられたるはよし
 社会主義的改革も行はるるがよし
 わが祖国は敗れたれば
 敗れたる負目を悉く肩に荷ふはよし
 わが国民はよく負荷に耐へ
 試練をくぐりてなほ力あり。
 屈辱を嘗めしはよし、
 抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし

 すなわち、敗北もGHQ占領も農地改革も財閥解体も日米安保条約も東京裁判も問題ではない。それこそ日本が共産主義国家となってもかまうところではない。

 されど、ただ一つ、ただ一つ、
 いかなる強制、いかなる弾圧、
 いかなる死の脅迫ありとても、
 陛下は人間なりと仰せられるべからざりし。

 昭和天皇が神たることをやめて人間になったことだけは許せない、というのである。
 なんとなれば、

 陛下がただ人間と仰せられしとき
 神のために死したる霊は名を剝奪せられ
 祭らるべき社もなく
 今もなほうつろなる胸より血潮を流し
 神界にありながら安らひはあらず

 天皇を神と信じればこそ捧げるに価値あった、自らの命が、人生が、いさおしが、男が、無駄になってしまったからである。
 いわば、“推し”アイドルの結婚によって裏切られた熱狂的ファンの心理である。

 勝手に祭り上げられ、神格化され、妄想の対象とされた昭和天皇こそ“いい迷惑”ではなかろうか?
 昭和天皇ご自身が「われは神なり。崇拝せよ。」と言ったわけではあるまいに。
 英霊たちが恨むべきは、そのような天皇の神格化を図って国民を洗脳した大日本帝国であり、元老たちであり、政治家であり、軍部であり、マスメディアであり、学校の教員たちであり、祖父母であり、父母であり、隣近所の大人たちであり、それを見抜けなかった自身のアタマであろうに。

 いま、旧統一教会のマザームーンこと韓鶴子が突然改心し、「自分は全人類の真(まこと)の母ではない。総裁は下りる。教団は解散する」と宣言したとして、それにショックを受けた信者がマザームーンを恨んで暴動を起こしたとしたら、世間に向かって、「マザームーンは真の母の座を降りるべきでなかった」と訴え出たとしたら、彼らに理があると思うだろうか? 彼らに共感するだろうか?
 たいていの人は「自業自得」と思うのではないだろうか。
 「いい機会だから、目覚めなさい」と諭すのではないだろうか。
 彼ら信者がマザームーンと教団のために費やしてきた時間やお金やエネルギーなどがあたら無駄になってしまったことについては、いささかの同情を寄せないものでもない。
 けれど、彼らが奪われた人生の補償を求めてマザームーンと教団を訴えるというのならともかく、「マザームーンは止めるべきでなかった」と憤るのは、到底受け入れ難いトンチンカンと思う。
 
 しかも、マザームーンや“推し”アイドルは、ある程度まで最初から自らを神格化すべき企図して、意識的にそのように振る舞っているわけだが、昭和天皇自身が国民に信者たることを強いたわけではあるまい。
 昭和天皇もまた、“国のため、国民のため”、元老や閣僚や御前会議が決めたように振る舞うほかなかったろう。
 つまり、英霊たちが昭和天皇を恨むのは「お門違い」と思うのだ。

壺を拝む女

 ソルティは、1970年11月25日市ヶ谷自衛隊駐屯地における三島由紀夫の映像や写真を見たり、自決までの経緯を記した記事を読んだりするたびに、いたたまれないような、目をそむけたくなるような居心地の悪さ、しいて言えば気色の悪さを感じてきた。
 本作を読んでそれがどうしてなのか、明確になった。
 英霊たちや三島由紀夫は、昭和天皇を、言わば、“ズリネタ”にしていたのだ。
 頭の中で勝手にこしらえた妄想という名の耽美小説の偶像(まさにアイドル)に据えていたのだ。

 2・26事件の青年将校らと太平洋戦争の特攻隊員らはまだしも、ホモソーシャルな愛の対象として、つまり天皇との精神的な紐帯を求めていたにすぎない。
 しかるに三島由紀夫の場合は、明らかにホモセクシュアルな愛(エロス)が潜んでいる。
 三島由紀夫の割腹自殺とは、「神への信仰のために犠牲となり、裸体を射抜かれた」聖セバスチャンの殉教の再現である。
 そのシチュエーションこそ、かつてグイド・レーニ作『聖セバスチャンの殉教』でマスターベーションを覚えた『仮面』の少年の至高のセクシャルファンタジー、すなわちズリネタであった。
 『仮面』の少年が三島由紀夫その人であることは、後年になって、カメラマン細江英公による『薔薇刑』において三島自身が聖セバスチャンに扮しているところからも明らかである。

 三島由紀夫の公開オナニー。
 ――それが三島事件の核心なのではないか。
 ソルティが感じる気色悪さの因はそこにある。

聖セバスチャンの殉教
グイド・レーニ作『聖セバスチャンの殉教』
 

 『英霊の声』は、霊媒となった青年が怨霊に命を奪われるところで終わる。

死んでいたことだけが、私どもをおどろかせたのではない。その死顔が、川崎君の顔ではない、何者とも知れぬと云おうか、何者かのあいまいな顔に変容しているのを見て、慄然としたのである。

 このラストが昔読んだ何かの小説を連想させたのであるが、それが何だったのかどうにも出てこない。
 死と同時に美青年から醜い老人に成り変わったドリアン・グレイか?
 人々が仮面を剥いだら、その下には何もなかった『赤死病の仮面』か?
 どうも違う。
 手がかりを求めてウィキ『英霊の声』を読んだら、次のようなエピソードがあった。

瀬戸内寂聴は、最後の〈何者かのあいまいな顔に変貌〉した川崎青年の死顔の、その変容した顔が天皇の顔だといち早く気づき、「三島さんが命を賭けた」と思い手紙を送ったと述べている。すると三島から、〈ラストの数行に、鍵が隠されてあるのですが、御炯眼に見破られたやうです。以下略。〉

 「あいまいな顔」とは人間宣言した天皇だというのだ。
 どうもソルティはこの解釈にはすっきりしない。
 百歩譲って、瀬戸内寂聴の見抜いた通り、三島が、「もはや神でなくなった天皇という存在の虚偽や空虚を比喩的に表現した」と認めるにしても、読者にはその奥に隠されている真相を想像し、自由に解釈する権利がある。  
 文庫の解説では、保阪正康が次のように書いている。

この最後の一節が語っていたのは何か。三島の中に「合一」した時の、自らの姿が予兆されていたという意味に解釈できるだろう。

 すなわち、この死んだ川崎青年は、この作品の書かれた4年後に自決した三島を予兆するものだったというのである。
 ソルティの感じたのも保阪説に近い。

 読後数日たったある晩、そろそろ眠ろうと布団に横になった瞬間、パッと脳裏に浮かんだ言葉があった。

 芥川龍之介『ひょっとこ』

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 主人公の平吉は、いつも嘘ばかりついていて、酔っぱらうと、ひょっとこのお面をつけて馬鹿踊りする癖があった。
 あるとき、隅田川の船の上で群衆に野次られながらいつもの馬鹿踊りをしていた平吉は、脳溢血で倒れて、そのまま息を引き取ってしまう。
 駆けつけた人々がお面をとると、そこにはいつもの平吉の顔とはまったく似ても似つかぬ見知らぬ男の顔があった。

 「あいまいな顔」の死者とは、まさに『ひょっとこ』の主人公平吉のことではないか!
 嘘をつくのが習い性となったがゆえに、真実の顔が人から見分けられなくなった平吉。
 それと同じように、霊媒となって様々な霊たちに憑かれ、その代弁者となることを職としてきたがゆえ、おのれの顔を失った川崎青年。
 偽りの「仮面」をかぶり続けざるを得なかった人間の悲劇がそこには暗示されている。
 
 我々はこの珠玉の短編集を通して、いくつもの厚い仮面の下に埋もれた13歳の三島由紀夫と、そして6歳の秋彦少年と出会うことができる。
 一面のすかんぽ畑の中で。

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HansによるPixabayからの画像 
 



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● なんなら、奈良4(奈良大学通信教育日乗) 初レポート投入!

 勉強開始から正味20日。
 『平安文学論』のレポートが完成し、大学に送った。
 Wordで原稿を書いてメール添付で瞬時に送れるのは、楽だし、お金もかからないし、コピーしなくてよいので助かる。
 もちろん、手書き原稿を郵便で送ってもかまわないのだが、郵便局やポストが身近にある受講生ばかりとは限らないし、障害のある人だっているだろうから、メール送付方式は良いことだ。
 ソルティが一回目の大学生だった頃には想像もつかなかった進歩。

 レポートの課題そのもの――平安貴族の男女関係に見られる「正妻、妾、召人(めしうど)、行きずり」のそれぞれについて定義せよ云々――は、大学から送られてきたテキスト『平安朝の結婚制度と文学』(工藤重矩著)とサブテキストの『学習指導書』を読み込み、いくつかの参考文献を渉猟して、それほど苦労せず作文できた。
 が、3200字プラスマイナス1割(2980~3520字)という字数制限を守るのがなかなか大変だった。
 「原稿用紙8枚くらいすぐ埋まる、むしろ下手するとオーバーするぜ」
 と思って書き始めたものの、見出し、図表、引用文、参考文献、改行や段落変えの際の空きマスを含めないで、つまり自分の作り上げる地の文だけで3200字というのは結構な労力であった。
 Wordには字数を自動的にカウントしてくれる便利な機能がついているが、なかなか下限の2980字に達しなくて、字数を増やすのに苦慮した。
 科目によっては6400字を要求されるものもある。
 今から戦々恐々としている。

 NHK大河ドラマ『光る君へ』ファンのソルティ、興味ある分野だったこともあって勉強は楽しかった。
 「平安時代は一夫多妻制だった」とよく言われ、『源氏物語』や『蜻蛉日記』なんかを読んで「なるほど、その通りだ」と常々思っていたけれど、その実態は「一夫一妻多妾制」だったというのが、昨今その筋の間で共通見解になりつつある。
 女性史学のパイオニアと言われる高群逸枝(1894-1964)の「平安時代は一夫多妻の招婿婚で、妻たちの間に格差はなかった」という説がこれまで強く学界を支配してきたところに、藤原道長と二人の妻(倫子と明子)の間にできた息子たちの叙任・昇進、および娘たちの嫁ぎ先の格差を綿密に調べ上げて、「いや、妻たちの間には歴然たる格差があった」と立証したのが梅村恵子、そして、法令(当時は養老律令)の観点から「重婚は禁止されていた」と一夫多妻説を正面きって否定したのが本講義のテキストを書いた工藤重矩だったのである。
 言ってみれば、工藤はこれまでの通説を打ち破るような画期的な研究をした人で、まさに「一夫一妻 or 一夫多妻?」議論に火をつけた渦中の人。
 いや、奈良大学の教授選定の素晴らしさを知って学習意欲が増した。

奈良大学キャンパス1
奈良大学キャンパス風景
公式ホームページより転載)

 この問題が重要なのは、男女関係を「一夫一妻(多妾)」と見るか「一夫多妻」と見るかで、『源氏物語』や『蜻蛉日記』などの平安文学の解釈に大きな違いが生じてくるからである。
 登場人物の女性が、「わたしは光源氏サマの正妻の一人だ」と思っているのと、「わたしは光源氏サマの妾の一人にすぎない」と思っているのとでは、読み方やキャラの印象が異なってくるのは言うまでもなかろう。
 現実社会においても、藤原道長(『光る君へ』では柄本佑演ず)の主要な妻である倫子と明子には無視できない格差があり、正妻は倫子(黒木華)で、明子(瀧内公美)は妾であった。
 そこをちゃんと踏まえてドラマを見ると、明子やその子供たちの鬱憤や懊悩が理解できるし、役者の演技をより深く楽しむことができる。(明子の息子の一人は世をはかなんで出家した)

 それにつけても面白いのは、研究者たちがつくる学界という不思議な世界である。
 実社会からすれば実にトリビアなことで議論白熱して牽制し合っているさまもおかしいが、これまで通説とされてきたものが引っくり返るプロセスというかダイナミズムが、ちょっと内幕を知ると面白い。
 女性史学界の権威で平塚らいてうと並ぶ女性運動家であった高群逸枝が、自説に都合の悪い事例を隠していたとか、工藤が「一夫一妻説」という石を投じた際に起こった斯界の反応(黙殺も含めて)とか、複雑怪奇な学界のありようを垣間見させてもらった。
 これもまたひとつの社会勉強である(笑)。

猿の一夫多妻

 レポートを書くにあたっては、地元と都心の行きつけの図書館を利用したが、両図書館でも見つからない資料があった。
 そこで約40年ぶりに母校の図書館に行った。
 卒業生は身分証明すれば1日100円で利用できる制度があった。
 現役中はあまりいい勉学の徒ではなくて、講義の間に昼寝する場所として図書館の静寂を利用していたことが多かった。
 しかるに、今回久々に訪れて驚嘆したのだが、蔵書の豊かさには凄いものがある。
 もちろん、探していた資料も即座に見つけることができた。
 コンセント付きの閲覧席やWi-Fiなんかも備わっていて、勉強する人間にとっては至れり尽くせりの環境なのであった。
 お腹が空いたら、安くておいしい学食がある。
 キャンパスのあちこちに立つ看板には、外部の人間も参加できる興味深い講座や催し物の案内がある。
 なんという贅沢な空間だろう!
 踏みつぶされた銀杏の匂いが立ち込める静かなキャンパスを現役学生に混じって歩いていたら、幸福な気分に満ちた。(いや、自分も現役学生だった

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 自分はなんと4年間を無駄に過ごしたことか!
 でも、還暦にして学生生活の“本分”を取り戻せるのはうれしいことである。
 レポートの結果は約1か月後に判明する。
 (ここまでで2171字。ブログだとあっという間に字数が稼げるのだけど・・・・)





  

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