ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● シンフォニア・ズブロッカ 第16回演奏会


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日時: 2024年2月24日(土)
会場: すみだトリフォニーホール 大ホール
曲目:
  • リヒャルト・シュトラウス: 交響詩「ドン・ファン」
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番「レニングラード」
指揮: 金井 俊文

 このオケを聴くのは2度目。
 1度目は2016年7月パルテノン多摩。
 指揮は金山隆夫であった。

 今回7年半ぶりに聴いて、非常に上手くなっていることにビックリした。
 ソロもトゥッティも危うげなかった。 
 団員が増えたせいもあろうかと思うが、音に厚みがあり、かつ一体感があった。
 ハンガリーで活躍している金井俊文の指導も与って力あったのだろう。
 良い演奏会であった。

 『レニングラード』を聴くのはこれで3回目だが、やはり「恐ろしい曲」という印象が深まるばかり。
 第1楽章で「侵攻の主題」が繰り返されるごとに狂気の色を帯びていく様も恐ろしいが、第4楽章の最後の「暗から明へ」の転調が背筋が凍るほど恐ろしい。
 悪魔の哄笑を聞く思いがする。
 この恐怖を和らげてくれる唯一のものは、「侵攻の主題」を使用したバブルの頃のシュワちゃん出演のアリナミンVのCMだけである。 

 チ~チン、プイプイ!

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● 芹明香という奇跡 映画:『㊙ 色情めす市場』(田中登監督)

1974年日活
83分、パートカラー
R指定

 神保町シアターに初めて行った。
 小学館運営とは知らなかった。
 昭和の古い映画を中心にプログラムを組んでいる劇場で、2/23まで『女優魂――忘れられない「この1本」』という特集をやっていた。
 その一本が、芹明香(せりめいか)主演の本作であった。

 本作は2022年に、第78回ベネチア国際映画祭クラシック部門に選出された。
 もともと日活ロマンポルノの最高傑作と評判高かったが、国際的にも認められたわけだ。
 ソルティは未見であった。
 ピンク映画を神保町で観る、しかも小学館運営の劇場で――という、なかなかクールなふるまいに心は踊った。
 平日夕方5時からの鑑賞は、99席のうち半分くらい埋まった。
 女性観客もチラホラ見受けられた。
 
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神保町シアター

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地下にホールがある
 
 とにかく凄い映画である。
 凄い、としか言いようがない。 
 フィクションには違いないけれど、70年代の大阪釜ヶ崎のドヤ街の様子がありのままに写し撮られている。
 行政上、「あいりん地区」と呼ばれる一画だ。
 日雇い労働者、路上生活者、暴力団、娼婦、女衒、ポン引き、アル中、ラリ中、指名手配された犯罪者など、社会の底辺をさまよう者たちが、戦後日本の高度経済成長から零れ落ちるように、その日暮らしの生活をしている。
 この街で娼婦をしている若い女性トメ(芹明香)が主人公である。

 同じ釜ヶ崎を舞台とする大島渚の『太陽の墓場』(1960)や、戦後の佐世保を舞台とする熊井啓の『地の群れ』(1970)同様の、戦後日本の暗部をえぐった作品と言うことができる。
 だが、本作はあくまでポルノ映画。
 しっかりと男性観客を興奮させるに十分な濡れ場が用意され、内容が重すぎて“OTOKO”がタたなくならない程度に、脚本も演出も演技も適度にコミカライズされている。
 社会派映画としてマジで撮ったら、そりゃあもう、縮むわ。
 ・・・・・。 

 どうもセクハラチックな物言いになってしまうが、実際のところ、本作は令和コンプライアンス的には、とんでもない描写の連続である。
 テレビで放映できないのは当然だが、今現在、本作をそのままの脚本でリメイクして再映画化するのは、まず無理だろう。
 知的障害者の性と自死、姉と弟の近親相姦、母から娘に乗り換えようとするヤクザのヒモ、動物虐待・・・・・。
 成人指定のポルノ映画とは言え、「よくまあ、こういう映画が撮れたなあ」と、昭和時代の表現の自由の寛容度には驚くほかない。
 バリバリのフェミニストやガチガチの人権派やコチコチの性風俗反対派が、本作を観たら、怒り心頭に発するのではなかろうか。
 ソルティは自分を、平均的な男に比べれば「人権派のフェミニスト」と思っているけれど、こと芸術表現に関しては、「実際に“ある”ものを描くぶんには、表現規制するのはよくない」と思っている。
 たとえば、実際に“ある”差別を覆い隠して、きれいごとを描くのは、偽善であるばかりか、かえって当事者の声や存在を無視する非・人権的行為と思う。
 どんな人間にも、どんな社会にも、暗部はある。
 本作で描き出されているのは、暗部を逞しく生きる、ありのままの人間の「生」であり、「性」なのだ。
 それを否認するところから生まれるのは、宗教的独善だけであろう。

 芹明香演じる娼婦トメは、どこか投げやりで人生すてているふうでいて、“自分”をちゃんともっている。他人の手づるで客を斡旋されることを拒否し、一匹狼となって、街頭で客を引く。
 「セックスは商売」と割り切るドライな一面を持つ一方、菩薩のようなやさしさを覗かせる。
 とりたてて美人でも肉感的でも演技派でもベッドシーンに長けているわけでもない女優だが、あとにも先にも、この一作でその名が長く記憶されるに十分なインパクトを放つ。
 共演者も素晴らしい。
 『四畳半襖の裏張り』でも魅せた宮下順子のただならぬエロスの奔流、トメの母親・よねを演じる花柳幻舟のケツまくった熱演、トメの知的障害の弟・実夫(さねお)を演じる夢村四郎の凄絶な演技、ヤクザのヒモを演じる高橋明のふてぶてしいリアリティ。
 フィルムから放射されるボルテージの高さは、はんぱない。
 
 知的障害の弟・実夫は、姉トメとの初体験を成し遂げた後、雄鶏を連れて通天閣のてっぺんまで上り、その後、首を吊る。
 その深みが分からないうちは、人権派を自称するには早かろう。
 
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神保町と言えば『ボンディ』のカレー

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ビーフカレー(1600円)
雨夜にかかわらず、客がひっきりなしだった





おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● ミーハーの語源 映画:『雪之丞変化』(市川崑監督)

1963年大映
109分

 これは市川崑の最高傑作と言っていい。
 ソルティ的には、「市川崑の一本を選べ」と言われたら、市川雷蔵主演の『炎上』、『破戒』でもなく、岸恵子主演の『おとうと』、『黒い十人の女』でもなく、大ヒットした『ビルマの竪琴』、『犬神家の一族』、『細雪』でもなく、本作を推したい。(『東京オリンピック』は未見)
 舶来好きスタイリッシュな映像作家としての市川の個性が爆発している。

 時代劇らしからぬ西洋芝居的な構図や演出。
 「これぞ市川印!」の細かく素早いカット割り。(一人二役の演出に役立っているのが面白い)
 光と闇の画家カラヴァッジョを思わせるライティングの冴え。
 細君である和田夏十の脚本とセリフの見事さ。
 もちろん、長谷川一夫300本記念映画に参集した大映スターの錚々たる顔触れ。
 山本富士子、若尾文子、市川雷蔵、勝新太郎、船越英二、八代目市川中車、二代目中村鴈治郎。
 完成度の高さは、大映の映画史上10本の指に入るのではあるまいか。
 市川崑の評価がこれ一作で爆上がりした。

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 本作は、長谷川にとって2度目の『雪之丞変化』。
 衣笠貞之助監督による1度目は、女形出身の美形役者だった20代後半の長谷川(当時の芸名は林長二郎)を押しも押されもせぬトップスターに押し上げた。
 つまり、当たり役である。
 「ミーハー」の語源は、当時の女性が熱狂した二つのもの――「つまめ」と「やし」――の頭文字をとったというのだから、人気のほどが知られよう。
 本作公開後、長谷川はあと一作出演して映画界を去った。
 つまり、花道を飾った作品と言える。
 
 舞台と違ってアップやバストショットの多い映画では、55歳という年齢はさすがに隠しようないものの、観ているうちにそれを忘れさせるのは、ほかでもない、長谷川の芸の高さ。 
 所作の美しさ、眼差しの艶っぽさ、立ち居振る舞いの優雅さ、セリフ回しの気品。
 しかも、女形と盗賊の一人二役を完璧に演じ分けている。(途中までソルティは別々の役者だと思っていた。市川の演出が上手すぎ!)
 女形役者では美輪明宏といい勝負である。(美輪サマも1970年にテレビで雪之丞を演じている。なんとか観たいものだ)
 雷さまも、勝新も、山本富士子も、若尾文子も、脇に回してしまう貫禄とオーラは、不世出の天才と言うにふさわしい。
 ただ一人、存在感で拮抗しているのは、憎々しい敵役に扮する二代目鴈治郎
 やっぱり、この人も天下の名優だ。

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雪之丞と闇太郎の二役を演じる長谷川一夫
おそらく中央の柱でフィルムをつないでいるのだろう
 
 それにつけても、不思議なるは日本の性愛文化
 長谷川一夫演じる雪之丞と若尾文子演じるお初は、恋い慕う間柄になる。
 女を演じる男(女形)と、その女形に恋する女。
 二人のラブシーンは、形の上ではレズビアンとしか見えない。
 外国人とくに西洋人がこれを理解できるのだろうか?
 こうした倒錯をなんてことなく楽しめる日本人って、すごいんじゃない?
 
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思いを打ち明けるお初(若尾文子)と雪之丞(長谷川一夫)



 
おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

 
 
 

● 本:『うちの父が運転をやめません』(垣谷美雨 著)

2020年(株)KADOKAWA
2023年文庫化

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 田舎に住む78歳の父親の車の運転をどうにかやめさせようと骨を折る、都会に住む50代の息子の物語。
 帰省するたびに、あちこち凹みや傷をつけている父親の車を見るにつけ、また、父親と同世代の男たちが運転事故を起こしたという近所の話を聞くにつけ、一刻も早く運転をやめさせなければと焦るのだが、当の父親は聞く耳を持たない。 
 言えば言うだけ頑なになる。
「免許を返したら、買い物できなくなるじゃないか」と父親は言う。
 通販の利用をすすめたり、ふた親を都会に呼び寄せる算段をしてみたり、いろいろ試してみるがうまくいかない。
 事故が起きてからでないと、本人を納得させるのは無理なのか・・・・

 介護業界で働いているソルティも、「うちの父が運転をやめません」という娘息子からの相談をたまに受ける。
 免許返納拒否問題。
 当人が持ちだす理由はだいたい同じで、「足が無くなると、買い物や通院に困る。バス便は少ないし、タクシー代は高すぎる」
 もっともなところである。
 だが、多くの場合、根本的な理由は別にある。
 男のプライド――である。
 男にとって、愛車を奪われるのは、去勢されるに等しいものなのだ。
 だから、免許を取り上げるのは酷でもあるし、難しくもある。

車と男

 どういった結末に落ち着くのか、はたして父親は運転をやめるのか――という“引き”はたしかに気になる。
 けれど、読み進めているうちに、本書のほんとうの主人公は、田舎の父親ではなくて都会の息子のほうであり、ほんとうのテーマは、父親の免許返納問題ではなく息子の生き方の問題であることが判明する。
 自然豊かで地縁の根付いた故郷を離れ、憧れの都会に出て就職し家庭を持った息子は、いつのまにか仕事に追われ、夢を失い、妻や子供との食事や会話もままならない、味気ない日々を送っている。
 隣人の顔も名前も知らない、土や雨の匂いもわからないマンションで、定年だけを楽しみに生きている。
 その親父の姿をみている高校生の息子は、将来に希望が持てず、活気を失くしている。
 いったい、どこでどう間違えたのか・・・・。
 
 著者は1959年生まれ。
 ソルティとおなじく、子供時代を高度経済成長期の日本の変貌を見ながら過ごし、青春時代を「一億総中流」の幻想のうちに遊び惚け、就職したらバブルの狂騒に巻き込まれたイケイケ世代。
 豊かさの指標が、国民総生産や所有物の多寡で測られた。
 偏差値の高い大学に入り給料の高い会社で働くこと、そのような高スペックを持つ男と結婚すること、それが幸福と世間は言う。
 その教えにしたがって我武者羅に働いてきて、ふと気づくと、バブルは崩壊、日本経済は失速し続け、所得格差は広がる一方。
 次々と開発される文明の利器はたしかに生活を便利にしてくれたが、余暇が増えるかと思えば、逆に忙しくなるばかり。
 家族はそれぞれが好き勝手なことをし、地縁はとうに消滅し、引きこもりや孤独死が増えた。
 これが、我々が子供時代に夢見ていた21世紀日本の姿なのか。
 日本人はこの半世紀で、より幸福になったのか。
 著者が読者に問いかけているのはそこだと思う。
 その意味で、『パーフェクト・デイズ』と相通じるところがある。

 しばらく前から、昭和懐古ブームが起きている。
 とくに西岸良平の漫画『三丁目の夕日』に描かれた昭和30年代の下町の風景が、多くの人々の郷愁を誘っている。
 「決して裕福ではなかったけれど、あの頃は良かった・・・・」
 一方、現在放映中のTVドラマ『不適切にもほどがある!』で揶揄されているように、セクハラやパワハラや男尊女卑や父権主義やマイノリティ差別や受動喫煙の害など、昭和文化にはいろいろと問題も多かった。
 「昔は良かった」とは一概に言えない。
 本書で著者は、失われた「昭和」の美点を謳いながらも、たんなる懐旧で済まさず、新しい時代の地域像、家族像、男の生き方像を描き出そうとしている。

11番への道(移動スーパー)
移動スーパーは買い物難民の光

 今年87歳になるソルティの父親は、10年以上前に免許返納した。
 駐車場から車を出す際にコンクリートの柱に車をぶつけ、本人は怪我しなかったが、車体はかなり損壊した。
 対人事故でなくてほんとうに良かった。
 さすがに、「免許返納してくれ」という母親の要求に反論する言葉を持たなかった。
 災い転じて福となる、ってところか。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 
 
 

● 半蔵門ミュージアムでブッダに会う

 半蔵門ミュージアムは、仏教系教団『真如苑』が運営している仏教美術館。
 2018年4月にオープンしたのだが、存在を知ったのはつい最近である。
 なかなか貴重で珍しい展示があるようなので、訪れてみた。

半蔵門ミュージアムポスター

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 地下鉄半蔵門駅の真上、皇居まで徒歩3分という好立地。
 現代的で、美しくシンプルな建物。
 展示品の由来や見どころを、わかりやすく丁寧に伝えてくれるシアターホール。(座席シートが快適すぎて、上映時間の半分は寝ていた)
 コーヒーを飲みながら関連資料を閲覧できる居心地の良いラウンジ。(60分まで利用可)
 あたたかい笑顔と親切な応対が気持ちよい女性スタッフたち。
 そして、運慶作と推定される大日如来像(重要文化財)や京都醍醐寺伝来の如意輪観音菩薩坐像をはじめとする見応えある所蔵品の数々。
 これで入場料無料というのだから、『真如苑』の力のほどが察しられよう。
 スタッフの女性たちはおそらく信徒なのだろう。
 奉仕の精神が感じられた。

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ポスター右より、大日如来、如意輪観音、不動明王、こんがら童子&せいたか童子

 地下の静かな暗闇に浮かび上がる大日如来の毅然とした美しさ、片足を床におろした珍しいお姿の如意輪観音、子供のくせに典雅なたたずまいの二童子、下部に中将姫が描かれた當麻曼荼羅(写本)、見事な色彩で描かれた虚空蔵菩薩像の絹本・・・・等々。
 いずれも鑑賞者の目を喜ばせ、脳を活性化し、心を浄め、敬虔な気持ちを呼び覚ます。

 ソルティが最も惹かれたのは、仏像が作られ始めた紀元2~3世紀のガンダーラ美術。
 ヘレニズム文化すなわちギリシア彫刻の影響を帯びた顔格好の仏像や、石に彫られた仏伝が興味深かった。
 仏伝は、「前世、誕生、四門出遊(出家)、降魔成道(悟り)、梵天勧請、初転法輪(最初の説法)、アジャータサットゥ王の帰依、入滅」といったブッダの生涯を描いたもの。
 各場面におけるブッダを取り巻く人々(家族や弟子たち、世俗の人々、悪魔や神々など)の表情や動きが、当時としてはかなり写実的に表現されている。ルネサンスの端緒となった画家ジョットの『キリスト伝』を連想させた。
 別のフロアに場面ごとの詳しい解説があり、絵解きの面白さとともに、当時の人々の素朴な信仰のさまが伺える。

死せるキリスト
ジョット「死せるキリストへの哀悼」
(イタリア、スクロヴェーニ礼拝堂)

 平日だったので館内は空いていて、落ち着いた空間で心ゆくまで鑑賞できた。
 なんとまあ、4時間近くも滞在してしまった。
 ブッダ推し、仏像ファンなら、一度は行っておきたいオアシスである。
 (「真如苑」への勧誘行為はなかったよ)

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虚空菩薩坐像(ポストカード)
記憶力を増強する力があるとのことで、かの空海も念仏した。
認知症予防を期して購入。







● 映画:『奇蹟の人 ホセ・アリゴー』(グスタボ・フェルナンデス監督)

2022年ブラジル
108分

 1955~1971年にかけて、200万人を無償で治療したブラジルの心霊手術師ホセ・アリゴーを描いたノンフィクションドラマ。
 原題は、Predestinado, Arigo e o Espirito do Dr. Fritz 「運命、アリゴーとフリッツ医師の霊」

ホセアリゴー

 この医師の奇跡については、子供の頃(70年代)にテレビの超能力特集番組でよく観たものである。
 つのだじろうの漫画『うしろの百太郎』にも紹介されていた記憶があるし、手塚治虫『ブラックジャック』でも名前こそ挙げられていないが、心霊手術を行う外国人とBJとの対決がテーマになっていた回があった。(令和の人権感覚からすると、「ちょっとどうかな?」と思われるBJのセリフがある)

 そんなわけで、懐古趣味とオカルト的興味からの軽い気持ちでレンタルしたのであったが、開けてビックリ、とてもいい映画であった。
 それこそ、扇情的なバラエティ番組風のもの、ブラジル制作らしいベタで騒々しいタッチを予期していた。
 しかるに、真正面から人間を描いた正統派ドラマで、役者たちの演技も、脚本も、映像も、演出も、質が高い。
 とくに、アリゴーを演じる男優と、その妻役の女優の演技が、ともに主演賞レベルで見ごたえある。
 誇張や粉飾をせず、事実に忠実で丁寧なつくりも好感持てる。
 オカルト次元を超えてスピリチュアルに達していた。
 久しぶりに映画を観て、泣いた。

十字架

 子供の頃は、アリゴーの起こした奇跡にばかり目が向き、最大の関心事はその真偽にあった。奇跡は本物なのか、それとも何らかのトリックがあるのかってところに・・・。
 いま大人の目で、それが起こった当時のブラジルの騒ぎやアリゴーの周囲の人間模様を見るにつけ、「大人社会の難しさを子供の頃はなにも分かっていなかったなあ」、とつくづく思う。
 アリゴーを敵視する地元のカトリック神父や正規の医師たちの苛立ちや恐れ。
 国中から患者が押し寄せるアリゴーの集客力に目をつけて、営業に訪れる製薬会社の思惑。
 村の平凡な雑貨店の親父からカリスマ心霊治療師に変わってしまったアリゴーに、振り回されると同時に放っておかれる妻や子供たちのストレスや寂しさ。
 裁判に訴えられたアリゴーを裁く判事や、有罪となったアリゴーを収監する刑務官の心の動揺。
 なにより――平凡な生活を望んでいたのに、ドイツ人の医師フリッツの霊に憑依されて心霊治療師として生きざるを得なかったアリゴーの苦悩と、運命の受容。
 一つの奇跡のうしろに、こんなにもドラマがあることに思い及ばなかった。
(それにつけても、ネット時代の現在だったら、それこそ世界中を引っくり返すような騒ぎになるだろう)
 
 アリゴーは自らの死を予言していて、そのとおりに亡くなった。
 53歳だった。

 心霊手術の不思議より、運命の不可思議を味わうべき映画である。

 
 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




 

● 映画:『フィア・インク』(ビンセント・マシャーレ監督)

2016年アメリカ
91分

 原題は、Fear, Inc.
 B級ドタバタホラー。
 
 感想を書くのすら億劫に思われる駄作。
 『デスパレートな妻たち』に、メアリー・アリスの怪しい夫役で出ていたマーク・モーゼスが出演しているのが拾い物というくらい。
 しかし、こんな映画に出なくても・・・。

 ああ、90分。
 瞑想修行に使えたのに・・・・

羅漢山1




おすすめ度 :

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● オペラライブDVD: グルベローヴァの『椿姫』

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ジュゼッペ・ヴェルディ作曲『ラ・トラヴィアータ』

収録日 1992年12月
場所  フェニーチェ劇場(ヴェネツィア)
キャスト
  • ヴィオレッタ・ヴァレリー: エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ)
  • アルフレード・ジェルモン: ニール・シコフ(テノール)
  • ジョルジョ・ジェルモン: ジョルジョ・ザンカナーロ(バリトン)
指揮:カルロ・リッツィ
演出:ピエル・ルイジ・ピッツィ
オケ&合唱:フェニーチェ座管弦楽団&合唱団

 グルベローヴァ46歳のみぎりのライブである。
 あえて年齢を書いたのは、ほかでもない。
 最盛期の声が記録されていることを言いたいがためである。
 この2年前にソルティは渋谷オーチャードホールで開かれた彼女のリサイタルに行った。
 人間のものとは思えない銀色の玉のような声と、ITコントロールされているかのような超絶技巧、それでいて人情味あふれる温かくふくよかなタッチは、本作でも十分発揮されている。
 そのうえ、長年の経験で身につけた“声の”演技の見事さ。
 どのフレーズも完璧にドラマ的に、つまり多彩な感情表現で、色付けされている。
 そのため、有名なアリアや重唱だけでなく、レチタティーヴォ(セリフにあたる部分)も聴きどころたっぷりで、最初から最後まで耳を休めるヒマがない。
 もとがコロラトゥーラソプラノという鈴が転がるような声質のため、軽やかなパッセージが要求される第一幕の類いない完成度に比べれば、重くドラマチックな表現が要求される第二幕が「いささか弱いかな」という向きはあるが、ないものねだりというものだろう。
 スポーツカーの敏捷性とダンプカーの重量性を兼ね備えたマリア・カラスの声と比べるのは酷である。(サナダ虫ダイエットしたと噂されたマリア・カラスのモデル体型とも)

 アルフレード役のニール・シコフは、眼鏡をかけ、苦学生のような雰囲気を醸している。
 尻上がりの熱演。
 
 聞き惚れるのは、アルフレードの父親役のジョルジョ・ザンカナーロ(本名と役名が同じ!)
 歌唱も舞台姿も、スタイリッシュで品格あって、カッコいい。

 オペラを聞き始めた若い頃は、どうしたってソプラノ歌手やテノール歌手に注意が向いてしまうものだ。
 ソルティも多分にもれず、グルベローヴァやマリア・カラスはじめ、ジューン・サザランド、モンセラ・カバリエ、キャスリーン・バトル、ナタリー・デッセイなど、ソプラノ歌手を味わうのが一番の目的だった。
 ものの本には、「バリトン歌手を味わえるようになったら、一人前のオペラ鑑賞家」とあったが、その兆候はなかなか見られなかった。
 が、40歳を過ぎた頃からだろうか、バリトンの魅力を知るようになった。
 レナード・ウォレン、エットーレ・バスティアニーニ、ティト・ゴッビあたりが好みである。(しかし、古い世代ばかり)

 考えてみれば、映画やTVドラマにしても、いまは主役よりも脇役に目が行く。
 脇役の中にうまい役者を発見するのが楽しみになった。
 小津安二郎の映画は、セリフも動きも間合いもあらかじめ決められていて、「型にはまった芝居」と悪口を言われることが多いが、脇役の面白さや味わいの深さは比類がない。
 杉村春子、高橋とよ、中村伸郎、加藤大介、高橋貞二、高堂國典、島津雅彦・・・・ 
 「型にはめる」からこそ滲み出てくる個性というものがあるのだろう。

 演出・美術はオーソドックスで、奇を衒ったところがない。
 『椿姫』はやはり、タキシードとドレスで飾られたパリの社交界(文字通り「パリピ」)が舞台でないと映えないよな。

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 naobimによるPixabayからの画像





● 本:『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(ジョナサン・ハイト著)

2012年原著刊行
2014年紀伊國屋書店(訳・高橋洋)

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 SNSにおける「ネトウヨ V.S. パヨク」の中傷合戦に象徴されるように、右翼(保守)と左翼(革新)の分断と対立が、国内でも国外でも先鋭化しているように思われる。
 アメリカの場合とくに顕著で、共和党陣営と民主党陣営の二極化は、国を分断し、民主主義の危機が叫ばれるまでになっている。
 いったい、人はなぜ右翼になったり、左翼になったりするのか?
 両者の違いはどこにあるのか?
 対立は乗り超えられないものなのか?
 
 そうした疑問に答えんとするのが、「対立を超えるための道徳心理学」という副題をもつ本書である。
 原題は、The Righteous Mind――Why Good People Are Divided by Politics and Religion  『正義心――なぜ善良な人々が政治と宗教によって分断するのか』
 著者のジョナサン・ハイトは、1963年アメリカ生まれの社会心理学者でユダヤ人。
 もともとはガチガチの民主党支持のリベラル(左翼)だったのだが、アメリカとはまったく異なる文化を持つインドで数年暮らしたり、心理人類学者で多元主義者のリチャード・シュウィーダーや歴史学者のジェリー・ミュラーの影響を受けたり、道徳に関する様々な調査研究を重ねたりするうちに、自らがWEIRD社会のマトリックス(枠組み)に囚われていたことに気づき、自らを相対化するのに成功し、それまで理解するのが困難だった保守側の主張にも耳を傾けられるようになったのだという。
 WEIRDというのは、Western(欧米の)、Educated(啓蒙され)、Industrialized(産業化され)、Rich(裕福で)、Democratic(民主主義的な)人々、という意味である。
 WEIRD文化に属するのは、世界でも限られた人々であり、そこでのものの考え方や世界の見方を世界標準とするのは、当然片寄っている。

 WEIRD文化の特異性の一つは、「WEIRDであればあるほど、世界を関係の網の目でなく、個々の物の集まりとして見るようになる」という単純な一般化によってうまく説明できる。これまで長いあいだ、欧米人は東アジア人に比べて、自己をより自立的で独立した存在と見なすとされてきた。たとえば、「私は・・・」で始まる文を20あげさせると、アメリカ人は自己の内面の状態を表現しようとする(「幸せだ」「社交的だ」「ジャズに興味がある」など)。それに対し、東アジア人は役割や関係をあげようとする(「一人息子だ」「妻帯者だ」「富士通の社員だ」など)。

 日本人はもちろん東アジア人であるけれど、戦後GHQによる民主化政策を受け、資本主義陣営に取り込まれて以来、WEIRDの一員になったと自負(錯覚?)しているところがある。
 東アジア的心性とWEIRD的心性のあいだで分裂しているのが、現代日本人なのかもしれない。

崖

 本書は、読みやすく、わかりやすく、面白い。
 論旨が明確で、文章は簡潔にして平易。
 著者が仲間たちとおこなった道徳に関するユニークなアンケート調査の数々が紹介されていて、その結果分析には興味をそそられる。
 論述の一つ一つは、可能なかぎり科学的な裏付けが施されているので、説得力がある。(科学妄信もまたWEIRDの“悪い”癖なのかもしれないが)
 各章の末尾には「まとめ」があり、全部を読むのがめんどくさい人は、「まとめ」ページだけ拾って読めば、本書の要点を理解できるようになっている。
 「左・右」どちらの立場の読者も引き込み、最後まで飽きさせず、知らぬ間に著者の説を受け入れさせる叙述テクニックは、さすが多元主義の心理学者だなあと思った。

 内容に入る前に、右翼(保守)と左翼(革新)の定義を確認しておきたい。
 言葉の起源が、フランス革命時の国民議会における保守派と革新派の座席の位置関係にあることはよく知られている。
 右翼席に陣取った保守派が国王(ルイ16世)や貴族に寛容な姿勢をとったのに対し、左翼席の革新派は不寛容であった。
 そこから、

 右翼=保守、伝統や権威を尊重、急な変革を嫌う、体制維持
 左翼=革新、伝統や権威を重視せず、変革を好む、反体制


という性格付けが生じた。(ここで留意したいのは、アンシャンレジーム〈絶対王政〉打倒という点では、どちらもすこぶる“革新”だったという点である)
 しかるに、今では西洋資本主義社会の多くの人が、「左翼=社会主義、共産主義」というイメージを持っていて、元来の語義に訂正が必要となっている。
 というのも、旧ソ連や今の中国のような共産主義国家においては、右翼(保守)であることはすなわち共産主義体制維持を意味し、左翼(革新)であることは「欧米化」を意味するからだ。
 現代日本においてもそれは言えることで、79年間続いてきた日本国憲法下における戦後民主主義体制はもはや「日本の伝統」「正統な体制」と言ってもよく、それを変えて「大日本帝国」化を目指さんとする自民党をはじめとする改憲勢力こそが、「革新」すなわち左翼なのではないかとすら、ソルティは思うのである。(大日本帝国の寿命は78年)
 そんなわけで、右翼と左翼の定義は混乱している。
 〈右翼―左翼〉二元論にとって代わる、現代世界の政治思想を説明する、多くの人が納得できるマトリックスはないものか?
 ソルティがもっともすんなり受け入れられる説明は、アメリカの政治家であるデイヴィッド・フレイザー・ノーラン(1943-2010)が考案した下図のノーランチャートである。

Nolanchart-japanese

 これは、「思想や行動の自由度」と「経済活動の自由度」の二つの側面から、個人と国家の関係を分類したものと言える。
 上に行くほど、右に行くほど、個人(民間)に対する国家の統制や束縛が弱まる。自由が増加する。
 このチャートに則れば、日本や欧米の資本主義国における“伝統的”右翼は下半分の「権威主義から保守」に入り、“伝統的”左翼は上半分の「リベラルからリバタリアン」に含まれる。
 現代アメリカの政治思想状況を取り上げている本書における右翼と左翼の定義も、これに準じている。(本書では、右翼を「保守」と、左翼を「リベラル」と表記している)
 また、国際的視点をとれば、日本や欧米の国々は「リベラルからリバタリアン」に、ロシアや中国や北朝鮮やイスラム教国は「権威主義から保守」に入るだろう。

サフランモドキ

 さて、The Righteous Mind (正義心)とは何か?
 著者はそれを The Moral Mind(道徳心)と区別している。
 後者が「普遍的な正義を求める心」だとすれば、前者は「道学的、批判的、判断的な本性を持つ心」であり、しいて言えば「偏狭な正義感」である。
 この「偏狭な正義感」=「正義心」が、人類には普遍的かつ生得的に備わっているということが、本書の基盤となる命題である。  
 論理はざっと以下のように展開する。
  1.  人間は〈理性〉より〈直観〉によって動く。→換言すれば、〈意識〉よりも〈無意識〉によってコントロールされているということで、「自由意志」の存在を否定する最近の遺伝生物学や脳科学の知見に依っている。
  2.  生存競争に打ち勝ち現代まで生き残ってきた人類(ホモ・サピエンス)の遺伝子や脳内には、生き残りに役立った道徳が植え付けられている。それが「正義心」であり、人類の〈直観〉を成している。→ここでは、進化生物学や進化心理学、とくに集団選択(集団レベルで作用する自然選択)の理論などが援用されている。
  3. 「正義心」は5つの基盤から成る。それは、〈ケア〉、〈公正〉、〈忠誠〉、〈権威〉、〈神聖〉である。(道徳基盤理論)→のちに補修され、6つに増えている。
  4. 5つの基盤のうち何を重視するかが、その人の思想傾向(保守的or革新的)に影響を及ぼす。→生育環境や人生上の体験によって、比重は変わり得る。
  5. 左翼(革新)の人は5つの基盤のうち、〈ケア〉、〈公正〉の2つだけを重視する。対して、右翼(保守)の人は5つの基盤すべてを平等に重視する。→したがって、有権者により多くアピールできるのは、右翼(保守)のほうである。 
  6. 人類史において、自集団の生き残りに役立ってきた「正義心」は、必然的に自集団中心の郷党的なものにならざるを得ない。→かくして、「正義心」は人々を結びつけると同時に盲目にする。
 5つの基盤について簡単にまとめると、
  • 〈ケア〉・・・・人を害から守りケアすることへの関心。キーワード「介護、親切」
  • 〈公正〉・・・・双方向の協力関係の恩恵を得る。キーワード「公正、正義、信頼性」
  • 〈忠誠〉・・・・結束力の強い連合体を形成する。キーワード「忠誠、愛国心、自己犠牲」
  • 〈権威〉・・・・階層制のもとで有益な関係を結ぶ。キーワード「服従、敬意」
  • 〈神聖〉・・・・汚染を避ける。キーワード「節制、貞節、敬虔、清潔さ」
 また、極右(非常に保守的)から極左(非常にリベラル)まで、それぞれの政治思想を持つ人が、5つの基盤のうち、どれにどのくらい重点を置いたかを示すグラフが以下である。

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(本書256ページより転載)

 なるほど、明らかに保守のほうがまんべんなく基盤を押さえている。つまり、人々の「直観」に訴えかけるスイッチを持っている。
 ただ、5つの道徳基盤すべてに重点を置いている保守の集票的有利を語ることで、著者が右翼の味方をしていると思った人がいるなら、それは誤解である。
 著者は今でもリベラルには違いないようで、民主党を応援するために民主党支部に出かけて、本書の内容をレクチャーしている。
 また、5つの道徳基盤は、左右問わず誰の脳内にも組み込まれているものであり、どれがどれより重要だということもなく、時と場合により比重が入れ替わることを著者は示唆している。
 たとえば、同じ一つの国でも、戦時には〈権威〉や〈忠誠〉がほかの要素よりクローズアップされ、自然災害後や不況時には〈ケア〉や〈公正〉が求められてくるであろうことは、想像に難くない。同じ一人の人でも、若くて独身のときは〈権威〉や〈忠誠〉を嫌って〈自由〉や〈公正〉を求める闘士たらんとハッスルし、結婚して守るべき家庭を持ち会社で重い立場を与えられたら、自然と〈権威〉や〈忠誠〉に重きを置くようになるだろう。子供や孫を持てば、あるいは自らの老化が進行すれば、〈ケア〉の価値に目覚めることにもなろう。
 さらに言えば、著者が記しているように、「遺伝子の進化が過去5万年のあいだに著しく加速していた」ことが事実ならば、今後その加速度がさらに高まり、5つの道徳基盤が数世代のうちに変貌する可能性も想定されよう。

 本書の一番の価値は、5つの道徳基盤とそれが形成された人類史的背景を知ることによって、読者が自らの道徳マトリックスに気づき、さらに、それが形成された個人史的背景を顧みることによって、著者がやったように自らを相対化し、多元的視野のもとに、対立陣営に属する人たちと向き合うことを提言しているところにある。

 本書では、なぜ人々は政治や宗教をめぐって対立するのかを考察してきた。その答えは、「善人と悪人がいるから」というマニ教的なものではなく、「私たちの心は、自集団に資する正義を志向するよう設計されているから」である。直観が戦略的な思考を衝き動かす。これが私たち人間の本性だ。この事実は、自分たちとは異なる道徳マトリックス(それは通常6つの道徳基盤の異なる組み合わせで構成されている)のもとで生きている人々と理解し合うことを、不可能とは言わずとも恐ろしく困難にしている。
 したがって、異なる道徳マトリックスを持つ人と出会ったなら、次のことを心がけるようにしよう。即断してはならない。いくつかの共通点を見つけるか、あるいはそれ以外の方法でわずかでも信頼関係を築けるようになるまでは、道徳の話を持ち出さないようにしよう。また、持ち出すときには、相手に対する称賛の気持ちや誠実な関心の表明を忘れないようにしよう。

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Nino Souza NinoによるPixabayからの画像

 著者グループが10万を超える人々を対象に実施した「道徳に関するネットアンケート」は現在も継続中であり、以下のアドレスから参加することができる。

 ソルティもアカウント登録してアンケートに回答した。
 結果は正直びっくりするものであった。

ソルティはかた道徳マトリックス

注:2024年現在、5つの道徳基盤の中の〈公正〉が、〈平等〉と〈比例配分〉の2つに分かれ、
全部で6つの道徳基盤となっている。〈比例配分〉とは「各自の努力に見合った報酬を
手に入れるべき」という「正義心」のことで、結果の平等を重視する〈平等〉と異なる。

 傾向としては間違いなく「リベラル」な人間であるが、〈ケア〉をのぞくすべての要素において、平均値を下回っていた。
 〈忠誠〉や〈権威〉をたいして重視していないのは若い頃から自覚していたが、〈平等〉がこんなに低いとは・・・・!
 また、30歳くらいから福祉関係の仕事やボランティアをしていたので、〈ケア〉がもっと高い点を採ると思っていた。世界標準からすると「まだまだ」なのね~。
 すべての点数が低いのは、非社会的人間ということなのか、それとも遺伝子のコントロールから比較的逃れていることを意味しているのか・・・・。
 やってみて図らずも自覚したのだが、いままでずっと自分を「左翼(リベラル)」と思っていたけれど、思想的にはもはや「左」でも「右」でもなく、単なる「仏教徒」なのだ。
 ソルティが「守らなければ」と思っている道徳は、八正道なのである。 






おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● 離被架 映画:『HUNGER/ハンガー 静かなる抵抗』(スティーヴ・マックイーン監督)

2008年イギリス
96分

 北アイルランド紛争をテーマとするノンフィクション刑務所ドラマ。
 『SHAME シェイム』、『それでも夜は明ける』のスティーヴ・マックイーン監督の長編デビュー作であり、両作で主役を務めているマイケル・ファスベンダーが、強い意志でもってハンガーストライキをやり遂げる囚人を演じている。
 
 しばらく前まで、リアルタイムなイギリスを舞台にした小説を読んだり映画を観たりすると、決まって北アイルランド問題に触れられていた。
 IRA(アイルランド共和軍)とか、アルスター義勇軍(UVF)とか、血の日曜日事件とか、ロンドン地下鉄の爆弾テロとか、穏やかでない言葉が出現するたびに、「紳士の国とか言われるわりには物騒なところだな」、と思った。
 ソルティは2000年にロンドンを訪れる機会があって、その際にはじめて北アイルランド紛争について調べたのだが、とにかく紛争の歴史が長く、経緯も複雑で、よくわからなかった。(ウィキのない時代である)

 大雑把なところで、アイルランドという島がいろいろな因縁から、南部のカトリック派と北部のプロテスタント派に分かれてしまい、北部は同じプロテスタントである英国の一部となった。
 が、北部にもカトリックの人々がいて、その人たちは英国から離脱してのアイルランド統一を願った。
 そこで、親・英国のプロテスタント派と脱・英国のカトリック派が争うことになり、当然、英国は前者の、南部アイルランドは後者の味方につく・・・・という図式で理解した。

 面白い(といったら語弊があるが)のは、英国という巨大権力にプロテスト(抵抗)しているのがカトリックであるという逆説である。
 考えてみたら、かつてソ連であったウクライナの東部でいま起きていること――親・ロシア派と脱・ロシア派の対立――と構造的によく似ているのかもしれない。
 
google map より
 
 本作は、長きに渡る北アイルランド紛争の中で、1981年に発生した北アイルランドの刑務所内での出来事に焦点を当てている。
 アイルランド統一のために闘うIRAの若者たちが、親・英国側に捕らえられ収容されている。
 そこでは、囚人に対する凄まじい虐待がある一方で、祖国統一を夢見る囚人たちの不屈の精神によるレジスタンスが行われている。
 時の英国首相は、“鉄の女”マーガレット・サッチャーであった。

 カメラは前半、一致団結して抗議行動する囚人たちの様子を映していく。
 「自分たちはテロリストでも罪人でもない。祖国のために闘う政治活動家だ」という誇りから、囚人服の着用を拒み、寒い牢内でも素っ裸に毛布一枚で過ごす男たち。
 待遇の改善を求め、牢内に設置されているトイレを使わず、尿を通路に垂れ流し、便を壁に擦りつける。(これは絵的にキツイ!)
 それに対する刑務所側は、彼らを牢から引きずり出して、殴り、蹴り、突き飛ばし、体中の穴という穴を調べ尽くし、無理やり体を押えつけて髪を切り、浴槽に放り込んでデッキブラシで体を擦り上げる。
 その報復として、牢の外にいるIRAの仲間は、休日の刑務官をつけ狙い、銃で射殺する。
 暴力シーンの連続に、言葉を失う。
 セリフの少ないことが、暴力だけが支配する世界の残酷さを強調する。
 キリストはどこにいるのやら?
 
 囚人たちのリーダーであるボビー(演・マイケル・ファスベンダー)は、ついに、ハンガーストライキを決行する。
 映画の後半は、凄惨な餓死に至るボビーの様子が映し出される。
 やせ衰え、体中にひどい褥瘡(床ずれ)ができ、自力で立つ力を失い、最後は妄想のうちに家族に見守られながら息を引き取る。
 これは実際にあったことで、ボビー・サンズは1981年3月1日から5月5日までの66日間の絶食の果てに亡くなった。27歳だった。(ウィキペディア Bobby Sands より)
 
 介護施設で働いていたとき、自力で体を動かせなくなり、あちこちに褥瘡ができた高齢者をずいぶんと見た。
 褥瘡は、足のかかとや臀部や肩甲骨や肘など、寝具や椅子に触れる骨張ったところにできやすく、栄養失調や皮膚の湿潤により悪化する。
 ひどい場合は、タオルケットを掛けるくらいの圧力でさえ、悪化し、痛みを訴える。
 そんなときは、毛布が直接患部に触れないよう離被架(りひか)というアーチ状の架台を使う。
 映画の中で、骨と皮だけになったボビーが離被架を使っているのを見て、懐かしく思った。

りひか
離被架(りひか)

 刑務所で働く看護師たちは、ボビーの褥瘡に軟膏を塗ったり、柔らかい毛皮の敷物をマットの上に広げたり、離被架を使用したりと、プロに徹して必要なケアを施すのだが、最後まで決して、点滴で栄養補給することはしない。
 あくまで、ハンガーストライキを邪魔せず。たとえ死のうが、受刑者の自己決定を尊重する。
 こうした刑務所の(英国の)姿勢が、虐待の様相とちぐはぐで、なんだかおかしい。
 日本の刑務所だったら、どうするかな?
 
 1998年に英国とアイルランドの間で結ばれたベルファスト合意により、北アイルランド問題は一応の解決を見た。
 時の英国首相は、トニー・ブレアであった。





おすすめ度 :★★★

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 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





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