文化財学購読Ⅱのスクーリングで藤原京の広大な跡地に立った時、「こりゃあ、日本史をやり直さないといかん」と痛感した。
古代史における藤原京の占める比重が、知らないうちに爆上がりしていた。
藤原京跡
右手に耳成山を望む
考えてみれば、40年以上前の大学入試で日本史を勉強して以降、日本史を学ぶ機会を持たなかった。
時代劇や戦国物のドラマやゲームには関心なかったし、NHK大河ドラマも初回から最終回まで通して視聴したのは、佐久間良子がねねを、西田敏行が秀吉を演じた1981年『おんな太閤記』が最後で、それ以降は追っていなかった。(2022年『鎌倉殿の13人』からは毎回視聴している)
ある時代の特定のテーマについて、あるいは特定の人物について、興味を持ち歴史関連本を読むことはあったが、日本史を通して復習することはなかった。
そのため、この40年間で日本史教科書の記述がずいぶん変化していることに疎かった。
当然、新たな発見や研究成果によって、40年前に身につけた知識は古くなっていたのである。
これでは、せっかく奈良大学で過去の文化財や文学や出来事について学んでも、新しい酒を古い革袋に入れるがごとく、とんだ勘違いをしかねない。
とり急ぎ、大きく変わった点についてのみ、吉川弘文館発行『ここまで変わった日本史教科書』でさらった。
秩父武甲山
このゴールデンウィークは秩父でリトリートした。
毎度の読書や瞑想や散策に加え、一日のうち数時間を日本史の復習に当てようと思い、受験生時代にお世話になった山川出版の日本史教科書を購入し、持って行った。
社会人のためにとくに編纂された2017年発行のテキストである。
ただ読むだけではなかなか身につかないと思い、簡単な入試用の問題集も用意した。
頭にハチマキの受験生に戻った気分で机に向かい、疲れたら初夏の秩父を歩いて、目と頭を休ませた。
たしかに、いろいろ変わっていた。
隔世の感ってやつ。
が、むしろ、忘れてしまったことのあまりの多さにあきれた。
とくにソルティの場合、鎌倉時代の後半あたりからの記憶がおぼろで、楠木正成がどういう人物か、応仁の乱の原因は何だったか、江戸時代の三大改革は何か、明治以降の主な首相の名前と事績など、イチから学び直すことばかりであった。
これで文化財歴史学科の学生とは、お恥ずかしい・・・・。
一般に、社会人学生が現役の学生にかなわないところは、まさにこの点であろう。
現役学生諸君は、高校の授業と受験勉強で学習したばかりの最先端の知識を土壌にして、大学ではそこに新たな種を捲けるのだから。
WINDOWSだってヴァージョンアップしなければ、新しいソフトは読み込めない。
40年前のOSではどうしようもない。
40年前のOSではどうしようもない。
今回新たな目で日本史教科書を読んで、ハタと気づいたことがあった。
40年前の学生時代は、日本史を「自分とは関係ない“他人事”」のように読んでいた。
今現在(10代の)自分がいる地点=昭和50年代の日本と、そこで習っている過去数千年の日本の歴史とが、断絶している二つのもののように見えていた。
それはおそらく、歴史の勉強を“試験のために”仕方なくやっている――人名や年号などを暗記するのが最優先――というスタンスだったためだろう。
“現在”との関係で歴史を見るという学び方ができなかったのだ。
“現在”との関係で歴史を見るという学び方ができなかったのだ。
が、理由はそれだけではない。
自分のいる昭和50年代の日本が、“出来あがった社会”に思えていた。
平和で、豊かで、治安が良くて、大人たちはみな懸命に働き、子供たちはみな学校で学び、おおむね判で押したような規則正しい一日や一年が繰り返され、学校卒業後の人生のルートも生まれや学歴であらかた決まってしまうように思えた。
空前の景気に日本中が浮かれたバブルの頃などは、リッチでイケイケの日本がこのまま永遠に続くものと思われた。
ロッキード事件やリクルート事件に代表されるような政財界の腐敗や自民党内の派閥争いはあるものの、日本史の授業で学ぶような大きな内乱や対外戦争や極端な貧困や差別や独裁政権はすでに文字通り過去の話で、ある種の“達成”が果たされた地点に自分たちがいるものと感じられた。
その思いに拍車をかけたのが、1989年に起こったベルリンの壁崩壊や中国天安門事件、91年のソ連解体とそれに続いて起こった東欧社会主義国の民主化である。
それは、自由主義経済と国民主権を楯の両面とする「リベラルな民主主義」の勝利宣言と映った。
いわゆる、歴史は終わった。
それが間違いであったことを、2000年以降の国内および国外の状況は知らしめている。
金一族の独裁下にある北朝鮮はともかくとして、誰が、現在の中国やロシアやイスラエルやアメリカ!の姿を思い描けただろうか。
誰が、西欧諸国のナショナリズム(自国ファースト)と排外主義の高まりを予知しえただろうか。
誰が、憲法9条や基本的人権の改悪を臆面もなく訴えるリーダーを、日本国民の多くが支持する日が来ることを予想し得ただろうか!
“歴史の終わり”など幻想もいいところだった。
それをして「お花畑に住んでいた」と言うなら、まさにその通りであろう。
今回、日本史の教科書を読んでいて最もヴィヴィッドに感じたのは、明治維新による近代化からアジア・太平洋戦争に至るまでの歴史の流れが、敗戦後のGHQによる民主化(日本改造)から令和現在に至るまでの流れと、よく似ている点であった。
外圧による徹底的な欧化の洗礼を受けて、国を挙げて「脱亜入欧」に取り組んできた日本。
変わり身の早さと言えば聞こえはいいが、あたかも過剰適応したアダルトチルドレンのように欧米に追従し、どこかに無理が蓄積されていた。
そのバックラッシュとしての国粋主義の高まりが、やがて社会全体の右傾化へとつながっていく。
この流れが、明治維新後と太平洋戦争後とで二重写しのように思われたのである。
すなわち、
- 黒船=マッカーサー
- 近代化=民主化
- 列強の仲間入り=GNP2位の経済大国への成長
- 第1次世界大戦後の好景気=バブル景気
- 大正デモクラシー=フェミニズムをはじめとするマイノリティ運動
- 1920年代の金融恐慌=バブル崩壊からの不況
というように。
いまはちょうど、国外では国際連盟成立後の国際協調が行き詰まりを見せ、国内では政党内閣にかげりが見え始める頃合い、昭和初め頃の空気感だろうか。
いみじくもタモリが「新しい戦前」と言ったのも頷ける。
歴史は繰り返す。
歴史は繰り返す。
昭和6年、“軍部の独走”による柳条湖事件(かつて柳条構事件と習った)が勃発、満州事変へと拡大し、2・26事件を経て、日本は日中戦争の泥沼へとはまり込んでいく。
この“軍部の独走”というのが、40年前に近現代史を習った時の決まり文句だった。
独走する軍部をだれも止められなかった。悪いのは軍部だ、と。
しかるに、最新の教科書では次のような記述がほどこされていた。
かねてから“満蒙の危機”を国民に強くうったえていた多くの有力新聞は、満州事変がおこるといっせいに日本軍の行動をたたえる記事や写真で紙面をうめつくした。このようなジャーナリズムの活動をつうじて、満州事変における軍事行動を全面的に支持する熱狂的な世論がつくりだされた。若槻内閣の不拡大方針は失敗し、軍部をおさえることができないまま、1931(昭和6)年12月、内閣総辞職に追いこまれた。(P.321)
軍部の独走は確かにあったが、政府はそれをおさえ込もうとしていた。
それができなかったのは、好戦的なマスメディアのキャンペーンであり、それに乗せられた圧倒的な国民の声だったのである。
大正14年に成立した普通選挙法(25歳以上の男子すべてに選挙権を付与)により、時の内閣を選ぶ権利が国民に存した以上、戦争責任の大半は国民にあったと言うべきだろう。
そこもまた、令和の現在と変わりない。
ソルティが、現首相の支持率70%というマスコミ報道を憂慮せざるを得ない所以である。





























LOVE


















































