ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● なんなら、奈良23(奈良大学通信教育日乗) 再提出2発目  

 高市内閣が成立してからというもの、ソルティは鬱っぽい。
 むろん、戦前(大日本帝国)の日本にどんどん逆戻りしていく気配が増して、軍靴の響きが近づいていると感じるからである。
 高市早苗がああいう人なのは先刻承知なので今さら驚く話でもない。 
 ショックなのは、自民党議員が決選投票で彼女を選んでしまったという事実、そして(ホントかどうか怪しいと思うが)70%とかいう国民の支持率の高さである。
 昭和時代にはまったく考えられないことである。
 「自民党も日本国民もすっかり変わってしまった! 世代が代わるというのはこういうことなのか!」と暗澹たる思いがする。
 田中角栄元首相が、新人議員にいつも言っていた言葉が思い起こされる。

戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない。 

田中角栄
田中角栄元首相

 そんな鬱っぽい状態にあって届いた考古学概論レポート「再提出」の知らせは、黒い縁取りがありました♪――じゃなくて、ソルティを2日間ほど落ち込ませた。
 テキストはもちろん、多くの本やネット記事を読みこみ、千葉の国立歴史民俗博物館まで足を運び、1ヵ月半かけて作成した渾身のレポート(のつもり)だったので、徒労感がはなはだしかった。
 「この1ヵ月半を返してくれよォ~!」
 合格を前提に立てた今後の勉強計画も作り直さなければならなくなった。
 トホホ・・・・

 まあしかし、「もしかしたら蹴られるかも・・・」という予感はしないでもなかった。
 というのも、考古学概論のレポート設題に、「考古学とはどのような学問であるのか、自由に論じなさい」とあったので、ソルティはかなり“自由に”論じてしまったのである。
 おおむね、指定された6400字+αのうち、テキストとサブテキストに沿った部分は1/3(2200字+α)で、残り2/3(4400字+α)はテキストにないことばかり書いた。
 ソルティのつもりでは、考古学と関係あるテーマを複数取り上げ、「考古学とはどういう学問か」を自分なりの視点から論じたのだが、先生からの講評には、「あまりにも考古学と直接関係のない内容が多すぎます」とあった。
 結局、テキスト内容をふくらませたレベルの“自由度”が求められていたらしい。

 実はソルティ、そのあたりの注意ポイントは先刻承知であった。
 昨年12月に奈良学友会関東支部による学習相談会(東京会場)に参加したときに、卒業されたOB/OGからそのへんの秘訣は授けられていたし、ネットに掲載されている卒業生の体験談からも「“自由に”という文句につられてはいけない」という教訓を得ていた。
 分かっていたのにやってもうた。
 まるでオレオレ詐欺に引っ掛かった高齢者のよう・・・・。

オレオレ詐欺

 しかし、今回ソルティは“自由に”書かずにはいられなかった。
 というのも、考古学概論についてのレポートを書くために、人生ではじめて考古学関係の本をあれこれ読んだり、千葉くんだりまで遠足したりしているうちに、考古学の面白さを発見すると同時に、現在、考古学がたいへんな転換点に置かれていると思ったからである。
 その背景の一つが、考古学におけるAI技術を含む自然科学的方法の驚異的な成果である。
 たとえば、ナスカの地上絵の発見率が、AIの利用によって、これまでの16倍高まったとか、古代ゲノム(遺伝情報)研究によって、日本人の起源が「縄文人+弥生期渡来人+古墳期渡来人」の三重構造と判明した、とか凄すぎるではないか!
 もう一つが、『万物の黎明』という本の刊行(2021年)である。
 この本は、『負債論』『ブルシット・ジョブ』などの著書がある人類学者デヴィッド・グレーバー(2020年9月逝去)と考古学者デヴィッド・ウェングロウの共著で、邦訳は酒井隆史訳で2023年9月に光文社から刊行された。
 ソルティは、邦訳発行時に書店の平棚で見かけ、タイトルからスピリチュアル本と思って手に取った。
 が、違った。
 考古学か人類学の本で、難しそうで、しかも分厚い。
 すぐ棚に戻したのであった。
 それがこうして、奈良大学の学生になり、考古学を学ぶことになったおかげで、再び手に取ることになったのである。
 そして、この本がかなり衝撃的な、人類の歴史認識を揺るがせるような、パラダイム変化をもたらす可能性を秘めた爆弾であると察した。
 実際、世界でも日本でも、多くの人類学者や考古学者や歴史学者が、本書に衝撃を受け、影響されて、自らの研究の見直しを始めている。
 現在NHK教育テレビでやっている『3か月でマスターする古代文明』という番組も、間違いなく『万物の黎明』を下敷きにしている。
 すでに影響は広範囲に及んでいるのである。
 (個人的にも、高市内閣由来の“鬱っぽさ”を解消してくれる薬になった)

万物の黎明

 ソルティは、今回レポートを書くにあたり、どうしても上記2点を指摘せざるをえなかった。
 たとえ、設題の趣旨からはずれていようとも、書かずにはいられなかった。
 このたびの学びの最大の成果はそこにあったからである。
 よろしい。「再提出」も甘んじて受けましょう。

 今は、間近に迫る書誌学の試験の勉強(というより暗記)に追われている。
 本来ブログ記事をのんびり書いている余裕はない。
 とり急ぎ、現在奈良大学通信教育学部で学んでいる学友諸兄(姉)の参考になればと思い、一筆啓上申し上げた次第。

P.S. 卒業した暁には、「奈良大学通信教育・再提出レポート&不合格答案集」を記事に上げようと思っています。原稿が溜まりますように(笑)












● ゾンビ卒業宣言 映画:『28年後...』(ダニー・ボイル監督)

2025年イギリス
115分

28年後

 人間を狂暴化させるウイルスが発生してから28年後の英国を描くサバイバル・ゾンビホラー。
 『28日後...』(2002)、『28週後...』(2007)に続く3作目である。
 前2作は観ていない。

 ゾンビ映画興隆の着火点にして金字塔となったジョージ・A・ロメロ監督『ゾンビ』(1979)をリアルタイムで観て以来、ソルティのゾンビ映画鑑賞歴もずいぶんになる。
 いろいろな国で作られた、いろいろなタイプのゾンビ映画を観てきた。
 ロメロ監督ゾンビ3部作を嚆矢とし、大ヒットした韓国映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』に至る、ホラー&パニック&バイオレンス&グロの揃った“正統派”ゾンビ物。 
 80年代にキョンシーブームを巻き起こした『霊幻道士』シリーズ。
 ゾンビ以上に厄介で逞しい生命力を誇る「オバタリアン」を生み落とした『バタリアン』。
 ゾンビコメディの傑作『カミンアウト・オブ・ザ・デッド』。
 換骨奪胎の純文学系ゾンビ『高慢と偏見とゾンビ』
 超脱力系の伝説的カルトムービー『死霊の盆踊り』。
 学園ミュージカル仕立ての『アナと世界の終わり』。
 そして、ゾンビホラーがいつの間にか映画の“復活”を告げる感動ドラマに成り変わる『カメラを止めるな!』。
 これだけ豊かで奇想天外なバリエーションを生み、映画ファンを楽しませてくれたゾンビ諸君に感謝するのみ。

 が、還暦も過ぎたことだし、もうゾンビ映画は“卒業”します。

 ――と殊勝気なことを思わせたのが、この『28年後...』という映画である。
 とにかく、残虐とグロテスクが尋常でない。
 CGや空撮用ドローンやスマホカメラを縦横無尽に使った映像の迫真性、昨今の特殊メイク技術の凄まじいリアリティ、コンピュータゲーム世代のスタッフらの暴力描写に対する感性(の麻痺)は、もはや昭和世代のソルティにはついていけない。
 『28年後...』を観たあとにロメロの『ゾンビ』を観たら、おそらく、リニアモーターカーと鈍行列車の違いくらいのギャップを感じることだろう。

 加齢とともに肉食を敬遠するようになったこともあるかもしれない。
 もともと、肉はあまり好きでなかったが、胃腸の働きが弱くなったせいか、肉を食べると消化が良くない。
 体が重く感じる。 
 どんどんヴェジタリアンに近づいていっている。
 ヴェジタリアンもゾンビ化するのか?
 ・・・・・。
 ともあれ、もう暴力シーンとグロシーンはできるだけ避けたい。

ビーフジャーキー

 ただ、この映画には2点ほど、語りざるを得ないところがある。
 ひとつ目は、ただの“正統派”ゾンビ映画のように見えつつ、ソルティが定義するところのウミウシ映画の匂いがするのだ。
 ウミウシ映画とは

観ているうちに「一体、なにこれ?」と頭の中が疑問符だらけになり、予想のしようもない明後日方向のシュールな展開にあぜんとし、見終えた後もなんと人に説明していいか分からない類いの、ジャンル分けを拒む映画。

 とりわけ、元医師ケルソンを演じるレイフ・ファインズが登場するあたりから、なんか明後日の方向にストーリーが進んでいく。
 ゾンビを焼いたあとの骨を集めて作った柱の森とか、頭蓋骨で作ったオブジェのような塔とか、『地獄の黙示録』のクルツ(=マーロン・ブラント)あるいはカルロス・カスタネダの本に出てくる呪術師ドンファンを思わせるケルソンの異様な風貌とか、『メメント・モリ(死を思え)』という哲学タッチのセリフとか、グロテスクが「聖なるもの」に転換する錯覚を招き起こす。
 主人公の少年のイニシエイション・ストーリー(成長物語)みたいなニュアンスもある。
 このあたりは気になるなあ。

 ふたつ目は、そのレイフ・ファインズの演技である。
 これが『教皇選挙』の首席枢機卿を演じたのと同じ人物なのかと目を疑うほどのキャラクターの違い。
 上質な赤い僧衣に身を包み金の十字架を胸に下げた気品と威厳ある枢機卿と、真っ黄色のヨードチンキを全身に塗りたくった野蛮人のような変人医師。
 よくもこれだけ異なるキャラを続けざまに演じられるものと感心する。
 まあ、賢者風で慈悲深いところは共通しているか。
 ここにきてレイフ・ファインズ、完全開花といった感。

 『28年後...』は3部作らしく、すでに2部目の『28年後... 白骨の神殿』が完成していて、2026年1月に英国公開される。
 “卒業”したつもりが、“復活”してしまうかも・・・・。 


ゾンビ集団



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 都会のオアシス : 半蔵門ミュージアムで仏像三昧

 こんなにアクセスの良い場所に、こんなに快適で清潔な施設があって、こんなに素晴らしい仏像や仏画が並んでいて、心地よいシートで映像も観ることができて、落ち着いたラウンジで1杯150円でカフェも飲めて、仏像に関する良質の図書やポストカードも購入できて、スタッフはとても親切で・・・・。
 これで入場料無料って、なんだか狐につままれたような、狸に化かされたような、コックリに取り憑かれたような、ひょっとして異次元空間に迷い込んだか?・・・・と思うような、知る人ぞ知る都会のオアシス、それが半蔵門ミュージアムである。

 その秘密は宗教法人「真如苑」運営ってところにあると思うのだが、別に入会を勧められることもないし、受付で名前や連絡先を記載する必要もないし、真如苑の案内パンフを渡されることもない。
 ただ、仏像や仏画に対する敬愛と賛嘆の念がつのり、お釈迦様や仏教に対する親しみが一層深まり、清らかで穏やかな気持ちに満たされるのみである。
 ソルティはこれが2度目の見学だが、平日であれば混み合うこともなく、自分のペースでゆったりと鑑賞し、くつろぐことができる。

IMG_20251204_113653
 今回は3時間半滞在した

 ここの目玉は、なんと言っても、運慶作の大日如来坐像である。
 栃木県足利市の樺崎寺(現樺崎八幡宮)の下御堂(しもみどう)に納められていたもので、建久4年(1193)に造られたと推定されている。
 施主は足利義兼。源頼朝に仕え、北条政子の妹と結婚した武将で、足利尊氏の先祖にあたる。
 ガラスケースに入った金色に輝く大日如来坐像は、20代運慶の出世作である奈良・円成寺のそれと像容がよく似ている。こちらは40歳頃の作。
 運慶の仏像って、ミケランジェロの「ダビデ」や「ピエタ」や「モーゼ」の彫像を思わせるところがある。それは何かというと、「空間からいま切り出されました!」みたいなヴィーナス的“誕生感”。
 いつ見てもフレッシュで、生命力にあふれ、ドラマチックである。
 運慶仏をタダで見られるのは、東大寺南大門とここだけであろう。

IMG_20251205_221734
半蔵門ミュージアム公式パンフレットより

 運慶仏のほかにも素晴らしい仏像がある。
 平安時代(10世紀)の木造の如意輪観音菩薩坐像。
 これは京都・醍醐寺にあったものらしい。
 純潔と気品の漂う青年っぽい表情が絶品。
 6本ある腕は様々な動きをとってバランスよく配置されているが、その指の美しいことったら!
 折り曲げた右足と座面がつくる角度も絶妙。
 衣の襞の流れも自然かつ流麗で、台座から垂れたあたりは上質の絹の滑らかさを感じさせる。
 この美しさ、ソルティは、京都・宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像を記憶から呼び起こしてしまうのだが、いずれの像においても、これだけ腕の立つ仏師の名が知られていないというのが不思議である。

IMG_20251204_151059
如意輪観音菩薩像

IMG_20251204_151133

 同じく醍醐寺にあったという17世紀の仏涅槃図も見逃せない。
 371.0cm×255.8cmのビッグサイズの絹に、お釈迦様の臨終場面が色鮮やかに描かれている。
 中央の寝台で側臥位をとるお釈迦様の周囲を、菩薩や四天王や護法神や、弟子たち、在家信者、さらには様々な空想上あるいは実在する動物や昆虫が取り囲み、その死に衝撃を受け、あるは泣き叫び、あるは天を仰ぎ、あるは地面にのたうち回り、あるは・・・・気絶している(アナンダ)。
 十人十色、いや百体百色の悲しみの表現が臨場感を醸し出す。
 動物や昆虫も精妙に描かれて、実に細やかに彩色されている。
 天からは白い曼荼羅華が降っている。
 現在、2階のマルチルームでは、お釈迦様の涅槃をめぐる物語を紹介し、涅槃図を部分ごとに拡大したパネルを掲示し、登場する主要な神や人物や動物を解説している。
 いろいろ発見があって面白い。(12月28日まで)

 ここには素晴らしいガンダーラ仏教彫刻もある。
 お釈迦様の前世、誕生、出家、悟り、最初の説法(初転法輪)、入滅を描いた、 いわゆる仏伝図を至近距離から観ることができる。
 ギリシャ・ローマ彫刻の影響がまざまざと知られる。

IMG_20251205_221816
初転法輪
お釈迦様の向かって左側で金剛杵を手にしているバジラバーニ(執金剛神=仁王様)

 12月28日まで、阿弥陀仏の特集展示をやっている。
 修理を終えたばかりの平安時代の阿弥陀如来立像はじめ、室町・江戸時代の絹本着色の阿弥陀仏の絵や曼荼羅が展示されている。
 ここで注目したいのが、阿弥陀聖衆来迎図。
 堂々たる阿弥陀如来が10人の菩薩を従えて、天から雲に乗って飛来する。
 蓮台をもつ観音菩薩、合掌する勢至菩薩、琵琶や横笛や鼓や花や幡をもつ菩薩たち。
 芳香漂い、妙なる調べが聞こえてくる。
 このデザインと構図、まさにジブリ映画『かぐや姫の物語』(高畑勲監督、2013年)のクライマックスを成すブッダ来迎シーンである。
 高畑監督、ここから着想を得たか!

天女来迎
原作の『竹取物語』ではもちろんブッダは登場しない
(京都・風俗博物館展示)
 
IMG_20251204_152039
皇居の内堀沿いに桜田門まで歩いた
google mapで見ると近いのだが、歩くと30分以上かかる
皇居=江戸城のデカさを実感

IMG_20251204_153203
桜田門






 

● 北風と太陽 映画:『教皇選挙 Conclave』(エドワード・ベルガー監督)

2024年アメリカ、イギリス
120分

教皇選挙

 野心まみれのカトリック狸オヤジたちのドロドロした権力争いが、コンクラーヴェという古臭いしきたりのうちに描かれているのだろう――という先入観からスルーしていた。
 ずいぶん評判が高いのでレンタルしたところ、予想を超える出来栄えで、びっくり仰天。
 たしかに野心深い狸オヤジの権力争いが主要プロットに組まれているのだが、むしろ、現在の世界情勢とリンクする部分が多く、我々が日々SNS上で見るような身近な現象と重ねられるため、ぐんぐん話に引き込まれていく。
 途中涙する場面も。
 ラストには予想を超えたどんでん返しがあり、並みのサスペンス映画以上の衝撃があった。
 脚本が天才的。
 『国宝』と並ぶ本年度1位である。(いまのところ)

 原題の Conclave コンクラーヴェとはラテン語で「鍵のかかった」の意。
 カトリック教会の最高指導者たるローマ教皇を、世界各国からバチカンに集められた枢機卿たちが、投票で選出する制度のことである。
 新しい教皇が決定するまで、枢機卿たちはシスティーナ礼拝堂内に閉じ込められ一歩も外に出られなかったところから、この名称が生まれた。(現在は、選挙期間中は外部と一切連絡しない規定のもと、バチカン内の決められた区域を移動することができる)
 本作の最初のシーンは教皇の死。
 ラストシーンは新しい教皇の誕生。
 主人公はコンクラーヴェを取り仕切るローマ教皇庁首席枢機卿。
 まさに、コンクラーヴェの一部始終を内側から描いた宗教ドラマかつ政治ドラマなのである。
 
 “現在の世界情勢とリンク”というのは、世界各国で起こっている政治思想の二極化――右v.s.左、保守v.s.リベラル(革新)の対立が描かれているからである。
 排外主義のナショナリズムで、多様性や人権に後ろ向きで、武力重視の保守派。
 個人の自由や平等に重きを置き、マイノリティの権利を尊重し、お花畑に住むリベラル。
 資本主義or共産主義、民主主義or独裁体制という政治体制の違いを越えて、現在、世界を分割しているのはこの保守v.s.リベラルの思想対立であろう。
 たとえば、日本と中国という国家間の違いよりも、日本&中国の保守派と、日本&中国のリベラル派との、国籍を超えた「保守v.s.リベラル」の思想間の違いのほうが大きいのではないかと思う。
 いま、日本と中国の関係はここ数年でもっとも悪化しているが、ソルティは高市早苗と習近平(ついでにドナルド・トランプ)はよく似ていると思う。
 人間を10個の類型で分けたときに、この3人は同じグループに入るであろう。
 保守v.s.リベラルとは、単純にいえば、童話の『北風と太陽』である。

北風と太陽

 この傾向は、バチカンに集められたカトリック枢機卿においても同様で、カトリック教会の今後の行く末を決める教皇選挙に際して、保守派の枢機卿とリベラル派の枢機卿との対立が鮮明化する。
 考えてみれば、同じカトリック枢機卿であっても、人種も国籍も言語も政治思想も人生経験もいろいろである。
 同じなのは、神やキリストに対する信仰と“性別”のみ。
 世界各地から来た100人を超える一団は、まさに世界の縮図たりうるのである。
 本作の肝は、教皇選挙を通して描かれる現代世界の様相である。

 何度目かの投票中にイスラム過激派によるテロがローマや他の都市で起こる。
 システィーナ礼拝堂も被害を受ける。
 多数の死傷者が出たことが枢機卿たちに伝えられる。
 次期教皇の有力候補である保守派の枢機卿は、ほかのメンバーの前で憤懣を爆発させる。

これが相対主義の教義がもたらした結果だ。
リベラルな諸兄が愛する相対主義は、すべての信仰と気まぐれな発想を同等に重んじる。
 
祖国にイスラム教を入れても、向うは我々を締め出す。
我々は祖国で彼らを養い、絶滅させられる。

いつまでこの弱さに甘んじる?
彼らはその壁まで来ている。

今求められる指導者は、宗教戦争が目前だと分かっている者だ。
我々が求めるのは、あのケダモノと戦う者だ!

 いくつかの固有名詞を入れ替えたら、現在、日本のテレビや週刊誌やネットであふれている保守派の言説そのままではないか!
 隣人愛や寛容を説くべきキリスト教会の最高指導者候補が、上記のようなセリフを大っぴらに口にする。
 ここバチカンで起きていることは、世界で起きていること、日本で起きていることである。
 (念のため、本作はロバート・ハリス原作のフィクションです。現実のバチカンや枢機卿たちがこの映画の通りだとは限りません)

 上記の保守派枢機卿の発言に対して、人々を納得させる反論のできる者がいるのか?
 他民族、他宗教による祖国への侵犯や文化破壊、強大な武器を持った独裁国家の脅威、テロリズムによる無差別殺戮・・・・こうした危険から身を守るのに、多様性理解や人権がいったいなんの役に立つ?
 そもそも多様性も人権も分からない相手に、どう対応しろと言うのか?
 甘い顔を見せれば蹂躙されるがオチ。
 文化や伝統や社会を守るためには戦わなければならない。
 “太陽作戦”など、文字通り、お伽噺の世界に過ぎない。

 では、信仰との齟齬はどうする?

 答えが簡単には見つからない世界で、どの道を選ぶのがキリスト者としてふさわしいのか。
 枢機卿たちが最後にどういう選択をし、どの候補を教皇に選出したのか、今の世界情勢を憂うすべての人に目撃してほしい。
 驚くべきラストについては、秘しておこう。

 教皇選挙を取り仕切る首席枢機卿を演じるレイフ・ファインズが素晴らしい。『ハリー・ポッター』シリーズのヴォルデモート役で有名だが、本作も十分彼の代表作たりうる。
 『ブルーベルベット』(1986)でデビューしたイザベラ・ロッセリーニが、修道女役で出ているのも見どころ。出番は多くないのにその貫禄たるや! 日本で言えば、山田五十鈴のごとき。
 映像も凝っていて、あらゆるショットがルネッサンス絵画のように美しい。
 実際のバチカン内で撮影したのではないと思うが、教会建築や聖具の美しさ、枢機卿たちの衣装のゴージャスにも目を奪われる。
 システィーナ礼拝堂の天井を飾るのは、もちろんミケランジェロのフレスコ画「創世記」である。

sistine-chapel-263573_1280




おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損
























● CWA賞の信頼度 本:『天使の鬱屈』(アンドリュー・テイラー著)

2000年原著刊行
2006年講談社(訳・越前敏弥)

IMG_20251202_164502

 ソルティが次に読む海外ミステリーを選ぶ基準の一つは、CWA賞受賞である。
 これはイギリスの推理作家協会(The Crime Writers' Association)によって、その年にイギリスで出版された推理小説の中から選ばれる。
 過去には、ルース・レンデル、P.D.ジェイムズ、ロス・マクドナルド、ジョン・ル・カレ、ライオネル・デヴィッドスン、コリン・デクスター、パトリシア・コーンウェル、ピーター・ラヴゼイ、ミネット・ウォルターズ、サラ・パレツキーなど、錚々たるメンバーが受賞している。(日本で人気のあるアンソニー・ホロヴィッツが受賞していないのは不思議)
 同じ英語圏の栄誉ある賞では、アメリカ探偵作家クラブ(Mystery Writers of America)が創設しているMWA賞がある。
 ソルティはどちらかと言えば、イギリスを舞台にしたミステリーが好きなので、CWA賞受賞作のほうに惹かれてしまう。
 ちなみに、個人的にあまり当てにならない指標と思うのは「このミス1位」である。何回か裏切られた経験がある。
 CWA賞受賞作は、いつも読後それなりの満足感を与えてくれるので、信頼していた。
 が、2000年CWA最優秀歴史ミステリー賞に輝いた本作は、その信頼を揺らがせるものであった。

 歴史ミステリーの傑作と言えば、ジョセフィン・テイ『時の娘』、ダン・ブラウン『天使と悪魔』、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』、ディクスン・カー『ビロードの悪魔』、短編ではあるがG.K.チェスタトン『折れた剣』などが思い浮かぶ。
 梅原猛の『隠された十字架』も歴史ミステリーとして一級の娯楽作と言える。(本人は真面目な歴史書のつもりで書いたと思うが)
 これらほどの傑作でなくとも、かりにもCWA歴史ミステリー賞を受賞しているのならば、一介の歴史オタクを唸らせるレベルの史料分析や推理が見られるものと期待してもあながち間違ってはいまい。
 実在する歴史上の人物や書物や団体や事件などをめぐる謎を、のちの世の人間(たいていは学者や研究者でない素人)が自分なりの方法で調べていく。その最中に起こる脅迫や殺人事件。
 過去と現在がクロスオーバーするところに歴史ミステリーの面白さはある。

 本作も一応はその基本に則っている。
 半世紀前に亡くなった聖職者にして詩人フランシス・ユールグリーヴに興味を持った語り手(ウェンディ)が、彼について調べ始めた時から、彼女の周囲で不可解な事柄が発生する。
 調査に向かう行く先々でウェンディの先回りをしてフランシスを調べる謎の人物の存在。ウェンディの周囲にばら撒かれる虐待された動物の死体。半世紀前にも同じようなことがあったという。
 興味をそそる謎は散りばめられているのだが、物語は遅々として進まず、「いったい、いつになったら殺人事件が起こるのだろう?」と、残りのページ数を数えてしまう。
 フランシスに関する調査も片手間の感じで、むしろ話のメインはウェンディが寄宿する親友ジャネット一家の様子を描くところにあるようだ。
 美しく真面目なジャネット、美男子で進学校副校長の夫デイヴィッド、天使のごとき2人の娘ロージー、そしてジャネットの認知症の父親ジョン。
 この特に変わったところもない聖職者一家の日常風景がくわしく描写される。
 著者テイラーの筆力が冴えているので、ついつい読み進めてしまうのだが、いったい自分は何を読まされているのだろうか、という思いを抱かざるを得ない。
 殺人事件が起きるのはページ数にして全体の7割過ぎてからである。
 肝心のフランシスをめぐる謎の解明についても中途半端な感じは否めず、ウェンディが最終的に到達した推理は、根拠を欠き、説得力に欠ける。
 これでCWA賞受賞とはいったい・・・・・?

 この謎の解明は難しくない。
 実は、本作はアンドリュー・テイラーによる「天使シリーズ」3部作の一部であり、『天使の遊戯』、『天使の背徳』に続く最終巻だったのである。
 時間的には、1990年代のロンドンを舞台とする『天使の遊戯』や、1970年代のロンドン郊外の町を舞台とする『天使の背徳』より前の1950年代のこと、つまり物語の時系列では一番最初に来るのだが、書かれた順番・出版された順番は本作がラスト。
 ソルティは本作を図書館で借りるときにそのことを知っていた。
 でも、文庫本の冒頭に「どの作品もそれぞれ完結した物語」「どういう順序で読んでもかまわない」と(原著者 or 訳者の)コメントとしてあったので、3部作であることを気にかけずに借りたのだった。
 しかるに、やっぱりこれは書かれた順に読むべきであった。
 『天使の鬱屈』に登場するある人物が、ほかの2作品に重要なキャラクター=サイコパス殺人者となって登場する。本作は、その前哨戦であり、そのキャラ誕生の背景を描いた作品だったのである。
 先に2作品を読んだ読者なら、たとえば『羊たちの沈黙』のレクター博士の過去を描いた『ハンニバル・ライジング』を読むように、多大なる関心と高揚をもって本作を読むことができよう。
 3部作全体の出来をもって、CWA賞受賞にも納得することができるのかもしれない。
 本作一作の単体評価でそれにふさわしいとは思えない。

 そういうわけで、肩透かしを喰らった。
 もちろん、これから刊行された順番とは逆に読んでいく、つまり時系列に沿って物語を追うことはできる。
 天使を追うべきや否や。
 どうしようかな?

天使と悪魔



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損








● 柄本明の背後霊 映画:『ある男』(石川慶監督)

2022年日本
121分

ある男

 3年以上ともに暮らし子供までこさえた夫・谷口大祐が、事故で亡くなった。
 葬儀後にはじめて会った夫の兄は、仏壇の遺影を見て、「これは弟ではない」と言う。
 妻・谷口里枝は、知り合いの弁護士に調査を依頼し、夫が谷口大祐に成りすましていたことを知る。
 いったい夫の正体は?
 ほんとうの名前は何なのか?
 谷口大祐はどこにいるのか?

 原作は平野啓一郎の同名小説なので、純文学ジャンルに入るのかもしれないが、ふつうにミステリーロマンとして楽しめる。
 石川慶監督ははじめて観たが、役者の好演を引き出す丁寧な演出が光る。
 撮影は『マイ・バック・ページ』、『桐島、部活やめるってよ』、『万引き家族』、『怪物』の近藤龍人。もはや日本映画ベストキャメラマンと言っていいだろう。
 「ある男」の過去を探るミステリーという点で、今年公開された坂口健太郎主演『盤上の向日葵』を、他人への成りすましという点で、杉崎花主演『市子』(2023)を想起した。

 IT全盛の現代に、戸籍を偽って他人に成りすますということが実際に可能なのかどうかは知らない。が、「過去を隠したい、過去を変えたい」と思う人がいるのは、いつの時代も変わらぬ現実なのだろう。
 技術の進歩ほどには、人間は進歩しないのだ。

 本作で提起されるテーマは、犯罪加害者家族のその後の生である。
 ちゃんと統計的に調べたわけではないが、犯罪加害者の家族が自殺しているケースをしばしば見聞きする。
 1989年に逮捕された幼女連続誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤の父親、2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の犯人・加藤智大の弟、2014年佐世保市で起きた女子高同級生殺害事件の犯人の父親などが、すぐに思い浮かぶ。
 被害者家族の苦しみ・悲しみ・怒りは一般世間の共感や同情を呼びやすいが、加害者家族については“犯罪者を生んだ家庭”といった目で見られ、あたかも共犯者のようにみなされてしまう。犯人の実の子の場合など、“犯罪者の血”が流れているといった偏見にさらされやすい。
 XのようなSNSが発達している現代、加害者家族の一員が、いつ実名や住所や勤務先が特定されて顔写真とともにネットにアップされ、血祭りにあげられる日が来るかと、生きた心地もせず日々過ごしているのは、想像に難くない。
 別人になって、別の人生を歩めたら・・・と願うのも無理ないではないか。 

SNS炎上

 役者の演技も見どころである。
 夫を亡くした妻を演じる安藤サクラの上手さは、なんだかもう鼻につくほど。
 樹木希林や大竹しのぶや高畑淳子に連なるレベル。
 最近、庶民の妻役・母親役が多いが、それ以外の役(たとえば悪役)を観てみたい。

 窪田正孝は、戦後沖縄を描いた『宝島』で、役者としての真価を知った。
 陰ある風情が、演技に奥行きをもたらしている。
 ちょっと危険な匂いがする役者である。

 谷口大祐の兄役の眞島秀和もいい。
 老舗温泉旅館の自己中心的で頭のカタい主人の雰囲気をよく出している。
 この兄がいたら、弟の大祐が家を飛び出したくなるのも無理もない。

 やっぱり、破格の演技者は柄本明。
 『盤上の向日葵』で渡辺謙とやり合った鬼気迫る将棋の真剣師役も凄かったが、本作における詐欺の囚人役も圧巻の迫力とリアリティ。
 この男・小見浦憲男を主人公とした続編やシリーズ物が観たいと思うほどの特異な個性を身につけている。
 海外俳優で比するなら、アンソニー・ホプキンズか、ベン・キングズレーか。
 2人の息子(柄本佑、柄本時生)が役者デビューしてからの柄本の演技は、なんかグレードアップした感がある。
 ライバル心を焚き付けられたのだろうか。
 ソルティはどうも、柄本明の演技を観るたび、志村けんを背後に見てしまふ。

 安藤サクラ(演じる母親)の息子役の坂元愛登(まなと)。
 2009年生まれ(!)の16歳。
 感性素晴らしく、将来期待できる役者の卵とみた。
 小津安二郎映画に出てきそうなたたずまい。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 異界からの帰還 絵本:『龍潭譚』(作・泉鏡花、絵・中川学)

2011年私家版発行
2023年国書刊行会

IMG_20251128_121657~2

 京都三条河原にある古刹瑞泉寺の住職にしてイラストレーター、中川学の絵本デビュー作。
 これに続いて、やはり泉鏡花原作の『化鳥』、『朱日記』、『榲桲(まるめろ)に目鼻のつく話』を絵本化している。
 切り絵のように美しく、影絵のように幻惑的、アニメのようにポップな中川のイラストレーションで、現代人には取っ付きにくい泉鏡花の作品が一気に親しみやすいものとなった。
 しかも、近代日本作家の中でひときわ異彩を放つ鏡花の美と幽玄と妖しの世界を、少しも損なうことなくヴィジュアル化している。
 素晴らしい才能だ。

 中川学のイラストがすごいと思うのは、戦後の国語教育を受けた現代人にはいささか難しい鏡花の文章を難なく読ませてしまうところである。
 もちろん、現代かなづかいに改めたり、ルビを振ったり、ポイントを大きくしたりと適宜編集上の配慮はしているが、そればかりではない。
 中川のイラストは、物語の理解を助け、あざやかなイメージを立ち上げ、行間に潜んでいる含意まで引き出し、鏡花ワールドの魅力を堪能させてくれる。
 その結果、鏡花ワールドはたしかにこの文体でなければならないのだという確信に導き、泉鏡花という作家の比類なさを知らしめる。
 つまり、イラストによって文章が輝くという芸当が生じている。
 オーブリー・ビアズリーのイラストによって、オスカーワイルドの戯曲『サロメ』が一段と輝くのに似ているかもしれない。

サロメ
ビアズリーの「サロメ」

 なぜこうした芸当ができるのか不思議だったのだが、昨春京都に行ったとき、たまたま三条河原にある瑞泉寺に足を踏み入れて、そこが中川学のお寺だと知った時に、腑に落ちるものがあった。
 瑞泉寺は豊臣秀吉の甥で、謀反の疑いで秀吉に切腹を命じられた豊臣秀次一族の菩提を弔う寺なのである。
 境内には、秀次はじめ息子・娘・34人の側室などの墓があり、一族および家臣たちをかたどった49体の京人形が地蔵堂に祀られていた。
 一族は鴨川の河川敷で惨殺されたという。
 秀次がほんとうに謀反を企てたかどうかは明らかでなく、無辜の罪の可能性も高い。 
 この因縁を知ったときに、そして瑞泉寺の裏手の三条大橋から夕暮れの鴨川を眺めたときに、中川学の描くイラストがなぜ鏡花ワールドと響き合うのか、その秘密の一端を知ったように思った。

瑞泉寺地蔵堂
瑞泉寺地蔵堂

鴨川
鴨川
四条大橋から五条大橋を望む

 『化鳥』は、橋のたもとに住む貧しい虐げられた母と子供、そして川向うに暮らす被差別の民たちの物語。
 『朱日記』は、山から下りてきた薄幸の美女と、怒りに狂って城下町を焼き尽くす魔坊主の物語。
 『榲桲に目鼻のつく話』は、男たちに買われる可憐なる少女の物語。
 そしてこの『龍潭譚』は、異界に入り込んで魔に憑かれてしまう少年の物語。
 少年が異界に入り込む境界で出会うのは、日頃少年が父母や祖父母から「一緒に遊ぶな」とかたく戒められている「かたい(乞食)」の子供たちである。

 もっとも有名な作品『高野聖』がまさにそうであるように、泉鏡花は常界と異界のはざまを描くのに巧みであった。
 常界に生きる主人公が、なにかのきっかけで異界に住む者と出会い、その妖しい魅力に惹きつけられて異界に入り込んでしまい、しばしの幻想的経験を経たあとに、常界に帰還する。
 いわば、浦島太郎潭である。 
 鏡花ワールドの特徴の一つは、この異界を、「差別され疎まれる民、虐げられる女子供」のいる世界に設定している点にあるのではないかと思う。

 泉鏡花は、金沢で幼少期を過ごした。
 父親は彫金職人で、生家は市の中心を流れる浅野川のほとりにあった。
 川向うには、芸妓や娼妓が働く茶屋、いわゆる女が買われる遊廓があった。
 城下町には被差別部落があるのがふつうだった。
 鏡花は、このような異界に対する畏怖と憧憬、親しみと哀れみとが入り混じった幼少年時代を過ごしたのではなかったろうか。

 龍潭(龍の棲む淵)の彼方にある九ツ谺(ここのツこだま)という“異界”から無事帰還した少年が、常界に住む者たちから、「神隠しにあった者」と化け物あつかいされ疎まれるストーリーに、日本の歴史に潜む哀しくも愚かな“物語”に思いはめぐる。

IMG_20251128_121739



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 仁王像とポアロの共通点 本:『ガンダーラ美術にみる ブッダの生涯』(栗田功著)

2006年二玄社

IMG_20251125_222527

 昭和歌謡で育った人間にしてみれば、ガンダーラと言えば堺正章主演『西遊記』であり、ゴダイゴが歌った主題歌である。
 They say it was in India.(それはインドにあると言う)
という歌詞(山上路夫、奈良橋陽子作詞)の一部から、ずっとインドのどこかを指す地名と思っていたが、実際には現在のパキスタン北東部、インドとアフガニスタンの間あたりにあった古代王国である。
 Wikiによれば、「ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀に存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた」とある。
 このガンダーラを中心に、紀元前後から5世紀頃まで栄えた仏教美術をガンダーラ美術と呼ぶ。

 ガンダーラ美術の特徴は、東と西をつなぐ交通の要所という地理的特性そのままに、インド、ヘレニズム(ギリシア・ローマ)、シリア、ペルシャなど多様な文化が融合した独自のスタイルにある。
 紀元1世紀頃にこの地で仏像が誕生したとされるのも、アレクサンドロス大王(紀元前356-323)の東方遠征によってヘレニズム文化が当地に伝わり、ギリシア彫刻の素晴らしさが知れわたったからという。
 実際、ガンダーラの仏教彫刻は、ギリシア・ローマ彫刻と見まがうものが少なくない。
 西洋人っぽい彫の深い顔立ち、ヒラヒラしたドレープ付の薄手の衣装、肉体美の肯定、写実的な感情表現などである。
 場所がどこだったかは忘れたが――東京国立博物館だったか?――はじめて初期の仏像というものを見たとき、あまりに風貌がアジア人離れしている(鼻筋通り過ぎ!)ので驚いた記憶がある。
 ちなみに、仏像誕生の候補地はガンダーラ以外にもう一カ所、北インドのマトゥラーも上げられている。こちらの仏像は土着的要素が強く、インド人っぽい。
 元祖をめぐっての攻防はいまも続いている。

東博ガンダーラブッダ
東京国立博物館にあるガンダーラ・ブッダ

 仏像がつくられるようになると、ブッダの生涯を描いた浮彫り、いわゆる仏伝図もたくさんつくられるようになった。
 ありがたいことに石造であるため、かなりの数の作品が今に伝えられている。
 本書は、世界各地の美術館や個人が所蔵しているガンダーラ彫刻の仏伝図から代表的なものを選んで写真掲載しつつ、ブッダの生涯を辿ったものである。

 著者の栗田功は、1941年生まれの古美術愛好家。
 フランス電子機器メーカー東京支社に勤務していたとき、フランス出張帰りにパキスタンに寄り、ガンダーラ美術と出会ったことがきっかけで、この道にはまったらしい。
 もともと、美術評論家でも仏教学者でも仏像研究者でもない。
 それが趣味が高じて、全2巻セット50000円のガンダーラ美術の豪華本を出版し、ガンダーラ仏教美術と中国古美術の専門店「欧亜美術」を都内に開くまでに至ったというのだから、人生なにがあるか分からない。(店舗は現在は閉めたらしい)
 マーラー交響曲第2番『復活』に憑りつかれて、それを指揮するためにのみ30才過ぎてから指揮法を一から勉強し、40代でついにコンサートデビューし、レコードまで出してしまった実業家のギルバート・キャプランを思い出した。  
 こういう生き方はカッコいい。

 栗田がガンダーラ彫刻のどこにそれほど惹かれたのかは分からないが、掲載されている石造の群像彫刻(レリーフ)の写真を見ていると、登場人物の会話が聞こえてくるような錯覚にとらわれる。
 マンガのように、人物の横に吹き出しを書いてセリフを入れたい気がする。
 2次元(平面)と3次元(立体)のあわいにあることが、かえって、物質に生命力の吹きこまれる刹那を目撃しているような印象をもたらすのかもしれない。
 ちょうど、諸星大二郎のコミック『壁男』のように。

IMG_20251120_124427
四天王捧鉢(東京国立博物館)
悟ったばかりのブッダに食事を提供するため
四天王それぞれが鉢を差し出すの図

 それにしても面白いのは、ガンダーラを通過点かつ中継点として、ギリシア彫刻の影響が日本の仏像彫刻にも及んでいるという点である。
 奈良・中宮寺や京都・広隆寺の飛鳥時代の菩薩半跏像に見られるアルカイック・スマイルは有名だが、次のような「ギリシア⇒ガンダーラ⇒中国・日本」の神の変化(あるいは神の特徴の相続)を指摘する説もある。
  • ヘルメス ⇒ ファッロー神 ⇒ 多聞天(毘沙門天) 
  • ヘラクレス ⇒ バジラバーニ ⇒ 執金剛神(仁王様)
 東大寺南大門の仁王像の起源が、ギリシア神話の英雄ヘラクレスというのは実に面白い。(ヘラクレスは実は名探偵エルキュール・ポアロ〈Hercule Poirot〉の語源でもある)
 そうとは知らずに仁王像を見て、「ニッポン、凄い! 運慶、グレイト!」と目を丸くしているギリシア人観光客のなんと多いことか!

Untitled design


東大寺南大門仁王像



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 映画:『ベイビー・ガール』(ハリナ・ライン監督)

2024年アメリカ
114分

ベイビーガール

 1967年生まれのニコール・キッドマンは御年58。
 それでこのトンでもない役を引き受けて、完璧にこなしちゃうんだから!

 日本でこの役をやれる女優がはたしているだろうか?
 ニコールと同世代の女優達――沢口靖子、高島礼子、山口智子、薬師丸ひろ子、柏原芳恵、米倉涼子、石田ゆり子、天海祐希、内田有紀、松嶋菜々子、鈴木京香e.t.c.――をあれこれ思い浮かべたものの、これはという人が見当たらない。
 最後に、「あっこの人がいた!」と思いついたのは杉本彩。
 団鬼六原作のSM映画『花と蛇』のヒロインを文字通りの体当たりで演じきった彩姐さんなら、日本版ベイビー・ガールになりきれるかもしれない。
 つまり、本作はほとんどポルノ映画なのである。

 と言っても、ニコールの裸が出てくるのはほんの少しだけで、それも本人なのか吹替え女優なのか分からない。
 男優とのセックスシーンやニコールのオナニーシーン、床にうつぶせに押し付けられ男の手によって“イかされる”シーンなど、衝撃的なシーンは次々出てくるけれど、そこで写されるのはニコールの顔のアップであって、身体の動きや局部付近が写されることはない。
 演技とはいえ、欲情と絶頂と恍惚のあられもない表情をさらけ出すニコールの女優魂には驚嘆する。
 アカデミー賞常連の名女優で、もはや注目を集めるためにスキャンダラスな役を引き受ける必要なんてまったくないはずなのに、こんな冒険に挑戦するとは!

actress-3479205_1280
Uki EiriによるPixabayからの画像

 裸とセックスシーンばかりのポルノ映画は、実は猥褻でも害毒でもない。
 それは勝敗のつかないスポーツみたいなもので、最初は「おおっ!」と興奮するが、同じことの繰り返しに観る者はやがて飽きてしまう。
 大島渚の『愛のコリーダ』がそのいい例である。
 観る者にいかがわしさや猥褻を感じさせるのは、裸そのものでもセックスという行為自体でもない。
 抑圧され秘められたセクシャルファンタジー(性的妄想)こそ、いかがわしさの肝である。
 他人のセクシャルファンタジーがさらけ出されるのを垣間見たとき、観る者は「見てはいけないものを見てしまった」ような決まりの悪さや猥褻を感じる。
 なぜなら、往々にして、個人のセクシャルファンタジーのうちにその人の魂の秘密が隠されているからである。
 それを目撃する者は、全裸を見るよりずっと、その人の恥部に接近する。

 本作の場合、CEOという地位も金も家族も美貌も手に入れた成功者であるヒロイン(ニコール・キッドマン)のセクシャルファンタジー(=魂の秘密)は、“屈辱されながらのセックス”というものであった。
 長年連れ添った優しく物わかりよい夫(アントニオ・バンデラス)は、頻繁に彼女の体を求めて愛の言葉をささやいてくれる。
 けれど、彼女がしんに求めている“それ”だけは与えてくれなかった。彼女からも求めることができなかった。
 それゆえ、彼女は欲求不満に陥っていた。
 ある日、若いインターン(ハリス・ディキンソン)が彼女の会社に現われ、彼女の心の奥の秘密を見抜いてしまう。
 社の誰もが敬い怖れる彼女を、インターンはぞんざいに扱う。
 2人は、鍵と鍵穴がはまるように、性の深淵へと突き動かされていく。
 彼女は、母という立場も、妻という立場も、CEOという立場も忘れて、淫欲の罠にみずから嵌っていく。
 人生で手に入れたすべてを失ってしまう危険にさらされても、彼女はその快楽を捨てることができない。
 単に肉体的なエクスタシーを得たいとか、真実の愛をつかみたいというのとは違う衝動がそこにはある。
 この映画は、人間の性の不可解を描いた作品と言えよう。

アイズワイドシャット
アイズワイドシャット(1999年)

 最後まで観て、なぜニコールがこの作品に出ようと思ったのか、ハリナ・ラインという女性監督と組もうと思ったのか、腑に落ちるところがあった。
 本作は、ニコールが当時の夫であったトム・クルーズと共演して話題になった、スタンリー・キューブリック監督の遺作『アイズワイドシャット』(1999年)へのオマージュであると同時に、女性側からの答えなのだ。
 『アイズワイドシャット』では、夫(トム)の妄想と性的冒険が、男性目線で描かれていた。妻(ニコール)はそこから追いやられていた。男の性の物語であった。
 本作は逆に、妻(ニコール)の妄想と性的冒険が、女性目線で描かれている。夫(バンデラス)はそこから追いやられている。徹底的に女性が主役、女の性の物語なのである。
 しかも、『アイズワイドシャット』の夫は、最終的には一線を踏み越えなかった。妻を裏切ることはなかった。
 が、本作の妻は夫を裏切って、若い男との性の快楽に身をゆだねてしまう。

 1999年から2024年の四半世紀におけるフェミニズムの浸透を実感するとともに、ニコール・キッドマンがもはやトム・クルーズが到底かなわないほど、表現者として高みにたどりついたことを、本作は実証する。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 運慶行列、あるいは四天王像の秘密(東京国立博物館)

 11/16(日)放送のNHK日曜美術館で、東博開催中の『運慶 祈りの空間 興福寺北円堂』展が取り上げられたので、平日の午前中でも結構混むだろうなあと予想していた。
 開館10分前に到着したら、正門前にはチケットを事前購入している60名近くがすでに並んでいた。
 その最後尾についたが、どんどん後ろに人が付き、列が長くなっていく。
 それとは別に、これからチケットを買う人たちの列がある。
 全部が全部、運慶目当てとは限らないが、混むのは間違いない。
 展覧会開始10日後の9月18日に来たときは、まったく並ぶことなく入場し、余裕で鑑賞できたのに・・・・。
  
 開門と同時の運慶ダッシュを避けるための措置だろう。
 「運慶展をご覧になる方はこちらにお並びください」
 というスタッフの声に誘導され、運慶展ポスターを手にした別のスタッフに先導され、アヒルの行列よろしく敷地内を遠回りしながら本館に近づいていく。
 運慶行列のお通りだ!
 伊豆の願成就院、逗子の浄楽寺、岡崎の瀧山寺、都内の半蔵門ミュージアムで、運慶を1時間近く独り占めできたことを思うと、このギャップはなんか滑稽である。
 北円堂ならではか? 
 それでも早起きしたおかげで、待たされることなく、特別5室に入場できた。
 身動き取れないほどではないが、気を付けて歩かないと人にぶつかる程度の混み具合だった。(ある程度入れたら、入場制限している)

IMG_20251120_105741

 中央にまします弥勒如来像、無着像、世親像の素晴らしさは、云わんかたない。
 運慶の最高傑作であると同時に、法隆寺の百済観音像、中宮寺の菩薩半跏像、興福寺の阿修羅像、宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像、宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像などと並んで、日本の彫刻の最高峰に位置するのは間違いない。
 いや、世界の彫刻の中でも、ミケランジェロの「ダビデ」やロダンの「考える人」やバチカンの「ベルヴェデーレのアポロ」などに匹敵する人類の宝である。
 人間の精神性の深さを表現したものとしては、レンブラントの人物画に匹敵するのではなかろうか。
 観る角度によって印象ががらりと変わる無着と世親の不思議な表情は、千変万化する人間の心模様そのものであり、観る者の心の投影であり、また、真剣な学問と修行の末に2人の仏教者が達した境地、“この世の一切を分け隔てなく包含する慈悲”のあらわれのような気がする。
 少なくとも、“無の境地”ではない。

IMG_20251121_021425~2
無着(上)と世親(下)

 今回は、四天王像をよく見たかった。
 仏教や国を守護し、外敵を威嚇・退治する役を担った四天王は、それぞれに武器や宝物を手にし、おっかない顔して四隅に立っている。
 像の前に立つと、「睨まれている」、「見透かされている」、「怒られてる」、「威嚇されている」という畏怖感に襲われる。
 しかるに、今回じっと見ているうちに、怒っているような表情のうちに、より繊細な感情が秘められていて、4体それぞれ、かなり違いがあるように思った。

 持国天は、観る者を正面からぐっと睨み、「お前は何者だ?」と誰何し、威嚇する。
 4体のうち、もっともストレートに怒りを表出している。
 が、その奥に感じるのは、この男の生真面目さ、誠実さ。
 大事な仕事をまかせるなら、この男を措いてほかにない。

 増長天は、つかみどころがない。
 剣を前にかまえて、相手を威嚇しているようにも見える。
 ネズミを前にした猫のように、相手の出方を観察しているようにも見える。
 かと思えば、角度によっては、深い思索中の哲学者のようにも見える。
 さまざまな印象を装うことによって、相手を翻弄するのを楽しんでいるように見える。

 広目天は、激しい感情の爆発が特徴的。
 4体の中で一番気が短そう。
 だが、その爆発の原因を怒りのせいとするのは早とちりかもしれない。
 大きく開いた口からのぞくチャーミングな歯列や、その奥で震える舌は、「ひょっとしてこの男、怒っているのではなくて、哄笑しているんじゃないか?」と感じさせる。
 自由闊達な体の動きも、喜びの爆発ゆえではないか。

 多聞天こそ、不可思議である。
 多聞天=毘沙門天は四天王のリーダーであり、もっとも風格がもとめられる存在であるはずなのに、この男、像の前に立つ者と目を合わせようとしない。
 威嚇するのを忘れてしまったようだ。
 その視線は、左手に掲げた宝塔に向いている。
 なんだか自分の世界に籠っているメンタル系男子みたい。
 しかも、その表情、なんだか泣いているように見える。

IMG_20251121_005006~2
右下より時計回りに
持国天・増長天・広目天・多聞天

 持国天の「怒」、増長天の「楽」、広目天の「喜」、多聞天の「哀」。
 そう、この四天王は、あたかも「喜怒哀楽」の表現のようなのだ。
 これらの像を造るにあたって、設計図となるデッサンを書いたのは、あるいは寄木造の原型となる何分の1かの雛型を造ったのは、総監督であった運慶の可能性が高い。
 もし、雛型を作ったのが運慶で、それぞれの像を実際に担当したリーダーが運慶の長男(湛慶)、次男(康運)、三男(康弁)、四男(康勝)であるのならば、この四天王は、息子たちの性格をつかんでいる父・運慶が、それぞれの像に託して4人の息子たちを写し取ったものなのではないか、とさえ思えてくる。
 すなわち、真面目で誠実な湛慶、飄々としてつかみどころのない康運、天真爛漫で感情表現ゆたかな康弁、そして、ナイーブでスピリチュアルな気質をもつ康勝。
 4つの像の表情の多様さと深みの秘密は、眼の前の息子たち兼弟子たちを深い愛情をもって育ててきた父のまなざしに由来するのではないか、と思うのである。

 もう一つ感銘を受けたのは、四天王像のたくましい体つき。
 がっしりした肩、力強い腕、見事な背筋、でっぷりした腰回り、どっしりした脚、全身から発する野性。
 やはりこれは、運慶と関東武者の出会いの産物なのではないかと思う。
 京都の糖尿病予備軍の貴族たち、奈良のインテリ僧侶たち、都会育ちの垢ぬけた平家の武者たちを見慣れていた運慶の目に、草深い東国で野山を駆けまわって狩りをし、藁と汗にまみれて農作業をし、礼儀も風流も知らない武骨な関東武者たちの姿や生態は、きわめて新鮮なものに映ったのではなかろうか。
 野性のもつ生命力との遭遇が、運慶の中にある野生をも目覚めさせて、これまでの仏像にない力強い表現を生んだのではないか。

IMG_20251120_105651
東博本館より上野公園噴水広場を望む

 1時間弱で鑑賞終了。
 会場の外に出たら、本館入口前に20mほどの運慶行列ができていた。
 「ただいま10分待ちです」とスタッフが連呼する。
 平日でこれなら、休日はどうなることやら。
 展覧会終了まで、この状態が続くのは間違いあるまい。

IMG_20251120_122841
東洋館のシアターで「VR作品 興福寺阿修羅像」を鑑賞
やっぱり、和風美少年だな
先月亡くなったビョルン・アンデルセンの少年時代とはタイプが異なる


IMG_20251121_004726
入口で学生メンバーズパス(1200円)を購入
東京・京都・奈良・九州の4つの国立博物館の常設展を何度でも鑑賞できる
学生ってほんとにお得!
使いまくるぞ~















 




  
 
  

記事検索
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文