ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 脱力系老後 本:『定年後7年目のリアル』(勢古浩爾著)

2014年草思社文庫

 著者は1947年生まれのエッセイスト。団塊の世代である。
 本著は『定年後のリアル』(2009年)の続編とのことだが、前著は読んでいない。
 34年間洋書の輸入会社で働き60歳で定年を迎えた著者による、ありのままの身辺雑記&モノローグといった内容。


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 なんでこの本を購入した(ブックオフで)かと言えば、ソルティが高齢者の介護に関わって、そこでは徐々に団塊の世代(1947~50年生まれ)の要介護者が増えてきているからである。

 介護の仕事を始めた約10年前は、大正から昭和ヒト桁生まれの利用者が多かった。
 いわゆる戦前・戦中派である。
 歌レクで言えば、童謡をのぞけば、藤山一郎(『青い山脈』)、霧島昇(『旅の夜風』)、美空ひばり(『悲しき口笛』)、高峰三枝子(『湖畔の宿』)、並木路子(『リンゴの唄』)あたりが定番であった。
 もちろん、介護保険サービスが利用できる65歳以上の昭和フタ桁世代、あるいは65歳未満でも特定の疾病(認知症、パーキンソン病、関節リウマチ、脳梗塞など16種類が指定されている)を持っているがゆえに介護保険適用となる人たちもいるにはいたが、その数は少なく、並みいる先輩方に混じってフロアの片隅で小さくなっていた。

 10年経って、いまや団塊の世代の先陣は2022年に75歳、後期高齢者になる。
 要介護の人たちも当然増えて、大正生まれと入れ替わるように、介護サービスの主要な顧客となってきている。
 ソルティは介護施設の現場を離れてしまったが、歌レクもそろそろ『神田川』(1973年)、『なごり雪』(1975年)、『22才の別れ』(1975年)などフォークソングや、タイガースなどのグループサウンズを中心にレパートリーを変えていかなければならないだろう。

 そんなわけで、利用者のことをある程度知っておいたほうが仕事に役立つだろうと思って、団塊の世代のことを学ぼうと思った次第である。

 この世代に対しては、世間一般の最大公約数的イメージしか持っていない。
  • とにかく数が多い。ゆえに競争心が強い。
  • 議論好きで権利意識、政治意識が高い。
  • 学園紛争、全共闘の思い出を心の底で反芻している。
  • ヒッピー文化やロック文化など反体制的な志向も強い。
  • 戦争を知らず高度経済成長の恩恵をフルに受けているので、基本的に前向きで楽天的である。
  • 女性はウーマンリブやフェミニズムの影響で自立心が強い。
  • 吉本隆明、埴谷雄高、手塚治虫、吉田拓郎(あるいは井上陽水か矢沢永吉)、吉永小百合あたりが神様。
 もちろん、こういった世代観はマスメディアが作り上げた紋切り型のレッテルであり、実際には生まれや育ちや性格や人生経験によってひとりひとり違うのが当然で、十把一からげにするのはよろしくない。
 対人支援はあくまで対象者の個別性を尊重するのが原則である。
 本書の著者に団塊の世代を代表させることはできないし、団塊の世代の特徴を著者一人によって語ることもできまい。
 そのあたりを踏まえて読んでみた。

 よくある老い方指南本を期待していると、肩透かしを食らう。
 十年一日変わり映えのしない著者の平穏な日常がたらたらと書き綴られているだけで、定年後の生き方を模索する他の人が読んでも、とり立てて役立つことが書かれているとは思えない。
 読者に対して、「こういうふうに老後を生きる(老いる)べきだ」「こういうふうに考えると楽になるぜ」といった建設的な提言があるわけではなく、著者のポジティブな思考や姿勢が行間からあふれていて読者を力づけることもなさそうだ。 
 その意味で、たとえばベストセラーになった森村誠一『老いる意味、うつ、勇気、夢』や、上野千鶴子『おひとりさま』シリーズや、曽野綾子の一連の老い方指南本とは逆座標にある。
 これらの著者の本は、どうしたって“社会的にも経済的にも成功した有名人による(上から目線の)老い方指南”と受け取らざるをえないからだ。
 一方、本書は、金もなく人脈もなく、これといった「生きがい」も野心も持たない一人の平凡な60後半の男の日常がたんたんとリアルに描かれるのみで、「こんなふうになんにも持たない、毎日テレビばかり見てなんにもしない人間でも、じんわり幸福を感じながら生きているぜ」という内容。
 脱力系老後とでも言おうか。
 
 本書の読者は、圧倒的に同世代の男であろう。(活字好きも団塊の世代の特徴の一つ、というか最後の“活字文化崇拝”世代だろう)
 続編が望まれるほどには著者の本がそこそこ出ているのは、テレビ朝日『人生の楽園』に描き出されるような「理想の老後」的なものにうんざりして(あるいは絵空事と感じて)、著者の脱力系老後の実況中継にホッとする人がいるからではなかろうか。
 誰しも『人生の楽園』の主人公になれるわけではないよな~。



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● アメリカ撤退の真相? 映画:『コンタクト ー消滅領域ー』(クレマン・コジトア監督)

2015年フランス、ベルギー
104分

 同じタイトル(邦題)でジョディ・フォスター主演の名作SFがあるが、こちらの『コンタクト』はSFというより戦場オカルトサスペンスといった色合い。
 ただし、形而上学的テーマといい、本格的な野外ロケやリアルな戦場の演出といい、シリアスで落ち着いた映像といい、凡百のオカルトサスペンスとは一線を画す。
 ある意味、スピリチュアル(宗教)映画と言えないこともない。
 原題の Ni le ciel ni la terre は「天でもなく地でもなく」の意。

 舞台は2014年のアフガニスタン。
 大尉のアンタレスと部下たちは、パキスタンとの国境にある人里離れた谷での監視を任される。
 谷を挟んだ向こう側にはタリバン兵たちが武器を手に潜んでおり、谷の途中には古くからの村があって信仰深い人々が昔ながらの生活を送っている。
 アンタレスたちは谷のてっぺんに小屋を造り順番で監視を始めるが、ある夜、監視に当たっていた兵士が姿を消してしまう。徹底的な捜索も空しく、なんの手掛かりも見つからないうちに、また一人監視員が蒸発する。
 敵方のタリバンにも同様のことが起きていることが判明し、事態は紛糾する。
 ついにアンタレスは現地の村の少年より、谷にまつわる不思議な言い伝えを聞かされる。

タジキスタン
 
 まさに、日本の神隠し譚である。
 この場合の神は、もちろん、イスラム教の唯一神アッラー。 
 アッラーの領する聖地を侵した者がいづくへかに連れ去られたのである。
 
 深甚にして解答のないテーマはともかくとして、この映画は非常に男臭い。
 戦争映画だからそれが当たり前と言えば当たり前なのだが、女性の姿はヒジャブをまとった現地の村人(それもおばさん)ばかりで、女性のセリフはアンタレスと国際電話で話す部下の妻のそれだけである。
 女臭さを徹底的に排除した作品で、なんだか谷間の兵士たちが修道僧に見えてくる。
 もっともイスラム的にはジ・ハード(聖戦)するのはまぎれもなく「神の兵士」なのだから、それ以外の何ものでもないわけだが・・・。


 
おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 

● カラスと親シラズ DVD:『アート・オブ・シンギング 偉大なる名歌手たち』

1996年ワーナーミュージック制作
116分、白黒&カラー

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 右下の親知らずを抜いた。
 最後に残っていた一本であった。
 歯茎にしっかり潜り込んでいて向きもいびつなので、いつも行くクリニックでは抜くことができない、歯茎を切除する外科手術になるという。
 列車で20分離れたところにある、同じ系列の本社にあたるようなクリニックを案内してもらった。
 そこのベテラン歯科医を予約してもらった。
 午後3時から抜歯、念のため翌日は有休をとった。
 
 子供の頃の記憶があるため、歯医者はやはり苦手である。
 現存している歯の治療はもちろん、抜歯もまた昔のようには痛くないと分かっているのに、憂鬱な気分に襲われる(ペンチで引っこ抜くイメージがいまだにある)。
 直前に知人から半月後のコンサートの誘いを受けたのだが、「そういう気分になれなくて」断ってしまった。タイミングが悪いこと。

 当日、昼まで仕事をして帰宅、軽く昼食をとった。
 この世で最期のごはんになるかもしれない。
 良く味わっておこう、このかきあげ。

 クリニックの待合室はコロナ仕様で座席が間引かれていたが、それでも混んでいた。
 いまの感染の谷間のうちに急を要する箇所は治してしまおうという人が多いのだろうか。
 考えてみれば、歯医者は最も感染リスクが高い場所の一つである。
 ソルティだって、2回目のワクチンを打つまでは近所の歯医者に行くのをストップしていた。
 全国の歯医者は経営的に相当の打撃を被った(被っている)ことだろう。

抜歯

 
 ベテラン先生による治療はさすがに手早く安心感があり、20分くらいで治療を終えた。
 途中メリメリっという音がしたときが、歯茎から親知らずが抜けた瞬間か?
 そのあと、針と糸を使って切除した歯茎を縫合しているのが分かった。 
 「はい、終わり。これが抜いた歯です。削って分解して抜きました」
 見ると、ガーゼに包まれたポップコーンのかけらのような白い塊がいくつかある。
 「記念にこれください」
 ――とはさすがに言わなかった。(足の骨折のときは記念に抜釘後の釘をもらった)
 昔は歯が抜けたら、「上の歯は縁の下に、下の歯は屋根の上に」と言ったものだが、今の親たちは知ってるかしらん?
 結局、一番痛かったのは施術前の数本の麻酔注射だった。
 いまの疼痛コントロールの技術はほんとうに凄い!
 華岡青洲に感謝。
 
 しかし、本当の地獄はこのあと。
 施療後4時間は麻酔が効いて、右頬全体に痺れるような感覚はあるものの痛みはなかった。
 夕食前に麻酔が切れた。
 矢吹ジョーにパンチを食らったかのような重い痛みが、右顎から右耳にかけて襲ってきた。
 おそるおそる手で触れてみると、かつてのAKB前田敦子のようにエラが張って、熱を帯びている。
 鏡を見たら、顔が変形していた。 
 口を開くことができないので、喋ることができない。
 もちろん物を噛むことなど考えられない。
 夕食はポタージュスープをスプーンで流し込んで、食後の化膿止めと痛み止めを飲んだ。

 自室に下がって安静にしていたが、痛み止めがなかなか効いてこない。
 ネットする気にも、読書や試験勉強する気にも、テレビを観る気にもなれない。
 痛みから気を反らしてくれるものがほしい。
「ああ、こんなことならGEOでサスペンスかホラー映画を借りておけばよかった」

 書棚に並んでいる手持ちのDVDの中に、痛みを忘れさせてくれる類いがあるかしら?
 小津安二郎(『東京物語』、『晩春』、「麦秋」ほか)?――無理。
 溝口健二(『西鶴一代女』、『山椒大夫』、「雨月物語」ほか)――無理無理。
 ヴィスコンティ(『ベニスに死す』、『家族の肖像』、『イノセント』ほか)――無理無理無理。
 ああ、どうしてもっと俗っぽい、心浮き立つものやスリル満点のもの、すなわち無我夢中になれるものを自分は持っていないのだろう?
 せめて黒澤明(『七人の侍』、『天国と地獄』、『姿三四郎』ほか)か、スピルバーグ(『E.T.』、『ジョーズ』、『未知との遭遇』ほか)でもあったならなあ~。

 仕方なく選びとったのが、15年以上前に買った『アート・オブ・シンギング 偉大なる歌手たち』のDVDであった。
 20世紀前半から中頃(60年代)にかけて、世界中で活躍した有名なオペラ歌手30人の舞台や映画における歌唱姿と歌声とが収められている記録である。
 久しぶりに観た(聴いた)。

 テノール: エンリコ・カルーソー、ベニアミノ・ジーリ、ラウリッツ・メルヒオール、ユッシ・ビョルリンク、ジュゼッペ・ディ・ステーファノほか
 ソプラノ: ローザ・ポンセル、キルステン・フラグスタート、ジョーン・サザーランド、レナータ・テバルティ、レオンタイン・プライスほか
 バリトン: ジュゼッペ・ディ・ルーカ、ローレンス・ティベットほか。
 メゾソプラノ: リーゼ・スティーブンスほか
 バスフョードル・シャリアピン、エツィオ・ピンツァほか
 
 ミラノスカラ座、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場はじめ世界の檜舞台で聴衆を熱狂させた往年の名歌手の歌声を、ヘッドホン越しに浴び続けていたら、いつしか痛みを忘れていた。
 時代を遡るほどに録音状態が良くないのでどうしても声が平板に聞こえがちで、声の威力や歌い回しの巧みさこそ分かるものの、声の微妙な表情やその歌手独特の響きが伝わらないきらいはある。これを聴く限りでは、カルーソーやポンセルがなぜあんなに騒がれたのか、いま一つピンとこない。
 それに劇場でじかに聴くのと、家でレコードやCDで聴くのとでは雲泥の差があるのも間違いなかろう。フラグスタートやテバルティの大きなよく通る声は、劇場で聴いてこそ真価を発揮したのではないかと思う。
 一方、演技の巧拙に関して言えば、映像でもはっきりと知られる。
 総じて、昔の歌手ほど演技が下手である。大根である。
 オペラ歌手に演技力は(ルックスも)要求されなかったのである。 
 
 そんなわけでやっぱり、本DVDの白眉は最後に収録されているアリア・カラス主演『トスカ』の舞台映像(1964年ロンドン)になる。
 歌唱と演技と(ルックスと)の最高レベルでの結合、そのリアリティの強度には息をのまずにいられない(共演のティト・ゴッビも然り)。
 カラスの舞台姿をその声と共に記録したものは少ない。
 かろうじて残された貴重な映像である。 

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ティト・ゴッビとマリア・カラス in 『トスカ』

 音楽にはリラックス効果だけでなく、疼痛効果があると言う。
 今回治療を受けたクリニックでも、オルゴールの音色によるポップス(浜あゆやサザンのヒット曲)が流れていた。
 なるほど、昔から「オペラは麻薬」って言うもんな。




 
 
 


● 崖の上の志麻サマ 映画:『内海の輪』(斎藤耕一監督)

1971年松竹
103分

 四国遍路を舞台とする『旅の重さ』(1972)でも示されたが、斎藤監督は野外ロケが上手い。
 本作でも、松山、尾道、鞆の浦(仙酔島)、倉敷、蓬莱峡(兵庫)、水上温泉(群馬)と、各地の美しい観光名所を背景に、美しい女と若い男との愛の不倫道中が描かれる。
 映像の艶やかさは旅情と懐旧の情を掻き立てるに十分。
 70年代初頭の日本はかくも美しかった。
 
 松本清張原作であり崖から落とされた女性の遺体発見シーンから始まるので、一応ミステリーだとは思うが、原作はともかく(ソルティ未読)映画に限って言えば、推理小説的な楽しみはほぼない。
 裕福な妻を持ちエリート街道まっしぐらの男(中尾彬)と、資産ある年上の不能の男(三國連太郎)を夫に持つ女(岩下志麻)との数年にわたる“愛欲からの愛憎”物語である。
 中尾と岩下の、あるいは三國と岩下の濃厚なラブシーンが随所に差し込まれ、そのたび感度抜群のあえぎ声を上げる志麻サマの役者魂に感心する。
 ウィキによれば、三國は芝居の勢いにまかせて志麻サマの秘所に2回触れたとか。
 あの男ならやりかねん(笑)
 
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志麻サマと中尾彬
志麻サマは着物も洋装も美しい!

「男と女、加害者と被害者が、絶崖の上で組んずほぐれつ」という2時間ドラマ定番シーンの末に、志麻サマ演じる 女は自ら足を滑らせた。つまり、殺人事件ではなく事故死だったという真相。
 そう、志麻サマは人を殺す役は似合っても、殺される役は似合わない。

 不倫は高くつくというお話。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 東京の紅葉名所人気 No.1

 思えば、前回六義園を訪ねたのはコロナ発生前の2019年の晩秋、紅葉真っ盛りの折りであった。
 JR山手線駒込駅から歩いて、正午過ぎに国の特別名勝にも指定されているこの都立庭園に着いたはいいが、正門前には30メートル以上の行列ができていた。
 入口から中をのぞいてみると、園路は人でごった返している。
 ゆっくり紅葉や散策を楽しめる感じでは全然ない。
 あきらめて駅へと引き返した。

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駒込駅近くの染井門(通常は使われていない)

 リベンジというわけではないが、今回は午前10時過ぎに行ったら、並ばずに入ることができた。
 六義園は五代将軍・徳川綱吉に寵愛された川越藩主・柳沢吉保が、元禄15年(1702年)に築園した回遊式築山泉水の名園。
 面積は約88,000㎡、東京ドームの1.9倍。
 中央の大きな池の周囲に園路が巡らされ、四季折々の自然の景観が楽しめる都心のオアシスである。
 今の時節はもちろん紅葉、それから山茶花、紫式部、雪吊りや冬囲いした木々が見どころである。

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モミジの向こうに人の群れ

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見る角度によっては都心とは思えない光景もある

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色づき始め。見頃は来週あたりか

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園内一番の高所(35m)藤代峠から池を望む
オフィスビルが借景

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 順路から外れた人の来ない場所を見つけて瞑想
 
 一時間ほど庭園を巡って正門に戻ると、やはり行列ができていた。
 ネット情報によると、ここは東京都の紅葉名所人気ランキング1位だそう。
 道理で・・・。
 もっとも、ソルティは高尾山に一票入れたいが。



 
 

● 前衛という陳腐 映画:『鉄輪(かなわ)』(新藤兼人監督)

1972年近代映画協会制作
91分

 平安時代を舞台とする能の『鉄輪』を現代劇に翻案したもの。
 いつの世も変わらぬ男の浮気心と女の嫉妬の凄まじさを描く。

 鉄輪とは、丸い輪っかに三本の長い足の付いた昔の鉄製の調理器具(五徳とも言う)で、上に鍋ややかんや焼き網などを置いて火にかける。
 これを逆さにして、そそり立つ三本の角ごとに蝋燭を刺して火を灯し、ティアラのように頭にかぶる。
 その格好で毎晩、貴船神社(京都)に丑の刻参りをすれば女は鬼となり、憎い夫と若い愛人を呪い殺すことができる。
 
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鉄輪をかぶって鬼となった女(能『鉄輪』の一シーン)


 夫(観世栄夫)に捨てられた中年の妻を演じる乙羽信子が不気味で恐い。
 監督の新藤が乙羽の実際の亭主であることを思うと、「よく自分の妻にこんな役をやらせて平気だなあ、怖くないのかなあ」と感心する。
 おのれの品行方正に自信があるゆえだろうか。
 それとも、ほかの女に目がゆかないほど乙羽を愛していたからであろうか。
 ――と思って調べたら、なんと新藤と乙羽は不倫の恋をしていたのであった。

 二人が出会って恋仲になったとき、すでに新藤には妻子がいた。
 つまり、新藤は自分の身に起こった実体験を描いたのであって、映画の中の観世栄夫が新藤自身、乙羽信子が前妻、夫を魅了する若い愛人(フラワー・メグ)が若き日の乙羽ということになる。
 それを知ってから作品を見直すと、妻の影におびえる観世の演技がよりリアリティをもって感じられる。

 日本の伝統芸能である能が原案であり、映画の中でもストーリーと重ね合わさるように能『鉄輪』の上演シーンが挟まれる。
 それゆえ、一見、文芸調とか芸術調の映画と思われるかもしれないが、なんのことはない、はっきり言ってポルノである。
 かつての日活ポルノ映画のどれよりもセックスシーンが多く、フラワーメグと来た日には最初から最後までほぼ全裸で、スタイル抜群の美しき姿態を観客に見せつける。
 丑の刻参りで乙羽(前妻)が藁人形の股間に五寸釘を打ち込むと、メグ(愛人)もまた股間を抑えてのたうち回るのだが、その姿はどう見ても「ただいまオナニー中」としか見えない。
 この映画を鑑賞する多くの男性は、股間にもう一本角を立てることであろう。

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鬼となった乙羽信子にいたぶられる観世栄夫とフラワー・メグ


 『鉄輪』を翻案するというアイデアも、平安と昭和の二つの時代をダブらせるという仕掛けも、実際の能舞台を取り入れるという趣向も悪くはないのだが、いま一つ工夫がほしかった。
 同じシーン(たとえば闇の中をひたすら走る乙羽信子、前妻からのいたずら電話に怯える不倫カップル)が何度も繰り返されるので、しまいには退屈してしまうのだ。
 「繰り返される電話のベルがいやならば、受話器を外しておけばいいじゃん」とか、観ていてイラついてしまう。 
 リアルであるべき現代シーンに、顔を白塗りしたホテル従業員を登場させる前衛的な演出も成功しているとは言い難い。(当時、前衛と言えば「白塗り」って相場が決まっていたのだろうか?)
 時がたつと前衛が陳腐になるのは、アダルトビデオに飽きるのと同じく、避けられない運命なのか?
 91分という上映時間が長く感じられた。



おすすめ度 :

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● スピリチュアルの箱 本:『逝く人を支える』(玉置妙憂著)

2020年中央法規

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 副題は「ケアの専門家として、人生の最終章に寄り添う」

 著者は東京生まれの60代。真言宗僧侶にして現役の看護師・看護教員・ケアマネジャーである。
 ガンになった夫を自宅で看取った経験がきっかけとなって出家したという。
 思い切りのいい人である。

 タイトルまんま本書のテーマはいわゆる“ターミナルケア”であるが、延命処置の是非を含む医療の問題や終末期における看護・介護のあり方のみならず、死にゆく人やその家族の心のケアに焦点を当ている。
 その意味で、医療的ニュアンスの強いターミナルケアという用語ではなく、“スピリチュアルケア”という言葉が使われている。

 著者はスピリチュアルケアが重要になってきた背景を次のように述べている。

 命の選択を迫られる時、適切な判断をくだすには、科学と心という両輪が必要です。私たちは、科学という車輪の材料はたくさん持っています。たとえば、医師に「気管切開したらどうなりますか」「胃ろうをしたらどれくらい持ちますか」などの情報をたくさんもらうからです。
 ところが人間の心、スピリチュアルの部分については、材料をほぼ持っていません。これがどういう状況か、イメージしてみてください。片方の車輪しかないと、車は同じ場所をグルグルと回って進みません。科学の材料だけで人の命を決定しようと思っても、迷いが強くなり選べないものなのです。

 では、スピリチュアルの部分について材料となるものはなにか。
 「死生観」である。
 末期患者の家族や、患者の診療や看護や介護にかかわる者は、患者本人がどのような「死生観」を持っているのか理解しておくことが大事である。
 本人の「死生観」に沿った、あるいは最大限それを尊重した医療や看護や介護がなされることが、本人の納得のゆく「死」を実現するからである。
 著者の夫の最期は、まさに「最期まで自分らしく生きたい」という本人の望みを尊重したものであり、現代医学による無理な延命処置をいっさいとらなかった。
 
 食べられなくなったら食べないし、飲めなくなったら飲みませんでした。最期の点滴もしませんでした。
 すると、乾くのです。夫の遺体はほどよくドライで、文字通り「枯れるように」亡くなりました。

 その潔さ、美しさ、生物が本来持っている自然の摂理の見事さ――それを間近に目撃したことが、著者を出家させるほどの機縁となったのである。

 言うまでもなく、そのためには死を目前としている本人自身が「死生観」を持っていなければならない。
 ここのところが現代日本の超高齢化社会における最大の弱点と言えるかもしれない。
 「死」から目を背けて何十年と生きてきた結果、いざ自分が「死」を前にすると一種のパニックを起こしてしまう人が多いのである。覚悟が定まらないのである。
 「死」について家族と話し合う機会も持って来なかったから、いざ本人が意識を失ったときに延命処置するかしないか医師に問われても、家族もまたどうしていいかわからずパニックに陥ってしまう。
 考えてみると、「すべての人に100%必ず起こること」に対して、社会的にも個人的にも何の準備も対策もしていないというのは、狂気の沙汰である。

 著者はまた、死に逝く人のケアにかかわる看護職や介護職も「死生観」を持つ必要があると言う。
 というのは、ケア職の人は「スピリチュアルの箱」がすでに開いている人が多く、関わっている利用者の訴えるスピリチュアルな叫び(スピリチュアルペイン)――たとえば、「どうして私だけがこんな目にあうの?」「人は死んだらどうなるの?」「早く死んでしまいたい」「生きている意味がない」e.t.c.といった答えのない問い――を聞いて共鳴しやすく、つらくなってしまうからである。
 そんなときバーンアウトせずに適切に患者や家族とかかわりながら仕事を続けていくために、自分の中にしっかりした軸を持っておく必要がある。
 それが「死生観」である。

 むろん、ソルティもスピリチュアルの箱が開いている。
 おそらく十代の頃から開きっぱなしである。(でなければ学生時代の初めての海外旅行先にインドなんか選ばない)
 スピリチュアルな問いを無用の長物として退ける実社会で生き難かった理由の一つは、そこにある。
 著者同様、仏教と出会うまでは、ヴィパッサナ瞑想をやるようになるまでは、自分の軸が定まらなかった。

スピリチュアルの箱

 
 本書は、看取りに関わるすべての人にお勧めしたい良書である。
 現在、著者は「訪問スピリチュアルケア」の専門職の養成に力を注いでいるという。

 医療的な知識は勉強すれば身に付きますし、身体的なケアは技術を磨けば身に付きます。しかし看取りの際に必要な心理的なケアのための技術を磨くとなると、武器はケア職自身の「人間力」しかないのです。

 結局、そこかあ・・・・。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● This is America !  OCT第2回定期演奏会

日時 2021年11月23日(火、祝)13時~
会場 武蔵野市民文化会館大ホール
曲目
  • ガーシュウィン : パリのアメリカ人
  • コープランド : バレエ音楽『アパラチアの春』組曲
  • ドヴォルザーク : 交響曲第9番ホ短調『新世界より』
指揮 岡本隆

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 武蔵野文化会館は中央線三鷹駅北口から歩いて15分くらい。
 祝日の列車内も駅も街路も、通りがけに覗いた道沿いのカフェの店内も、ほとんどコロナ前と変わらない賑やかさ。
 だれもみな、心なしか表情にゆとりと明るさが見られる。
 このままZEROコロナ達成するといいのだが・・・。

 OCTはOrchestra Canvas Tokyo(オーケストラ・キャンバス・東京)の頭文字。
 2020年8月に発足したという。
 コロナ禍でもオケ好きの情熱は抑えられないのだ。
 見たところ、平均年齢はかなり若い(30~40代が多そう)。
 配布プログラムの団員リストをみると、女性団員のうち「〇〇子」率は17%だった。
 演奏そのものも、音楽への衒いのない真っ直ぐな姿勢と持ち前のパワーを感じさせるものだった。

 さらに驚いたことに、指揮を務めた岡村陸(りく)は1998年生まれの23歳。
 東京音大を今年の春に出たばかりという。
 若いOCTのメンバーたちよりさらに若い。(おそらくステージで一番年下だったろう)
 物腰低く、外見もジャニーズ風のスリムなイケメン。
 並みいるお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん奏者たちを指揮棒ひとつで見事にまとめていく手腕と人ったらしの才に感服した。
 プロフィールによると、あの佐渡裕の愛弟子らしい。なるほど!

 しかも、オケをまとめてただ楽譜通りに行儀よく演奏するのではなく、たとえばドヴォルザークの『新世界より』では、主要な小節でつねに半拍ほど早めにして全体的に前傾姿勢のスリリングな演奏を基本としながら、ヤングらしい焦りで走ってしまうことなく、メロディアスな第二主題を「おっ!」と思うほどのゆっくりテンポで演歌風にこぶしを効かせて、全体にメリハリをつけて曲に表情をつけていくあたり、心憎いほどの余裕を感じた。
 和田一樹に似た才を感じた。
 ただ、今回の選曲ではよくわからなかったが、エロティックな艶やかさやロココ的な華やかさを表現できる人なのかどうか。
 マーラーやチャイコフスキーを聴いてみたい気がする。

 今回のプログラムのテーマはずばりアメリカ。
 そのせいもあって、ドヴォルザークの『新世界より』がもろアメリカの風景を浮かび上がらせた。
 グランドキャニオンのような壮麗な渓谷風景の広がる第一楽章、無名戦士や黒人奴隷の眠る十字架が地平線まで立ち並ぶ第二楽章、『シェーン』が登場するゴールドラッシュの西部開拓地のざわめきが聞こえてくる第三楽章、そして『ジョーズ』が登場する出だしからいきなり最後の審判ラッパが鳴り響く第四楽章。
 こうして聴くと、大自然の迫力と民衆の活力と宗教性――This is America ! という気がする。

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武蔵野市民文化会館





● そは彼の人か 本:『オペラ歌手はなぜモテるのか?』(石戸谷結子著)

1996年文藝春秋

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 最近、細木数子、瀬戸内寂聴、長谷川和夫(認知症研究の第一人者。認知症の診断に用いられる長谷川式スケールの開発者)など大物の訃報が続いているが、ソルティが一番びっくりし畏敬の念にかられたのは、チェコスロヴァキア出身のソプラノ歌手エディタ・グルベローヴァの死を知った時であった。
 亡くなったのは10月18日だが、ほんの数日前、他人の音楽ブログを読んで初めて知った。

 「えっ、まだ若いのに・・・」と一瞬絶句したが、1946年生まれの彼女は74歳。
 歌手としての盛りはとうに過ぎているし、恋も名声もお金も伝説も手に入れた輝かしい人生であったろうから、「早すぎる」ということはない。
 彼女は日本の80年代アイドルのような童顔で、いつも若々しい雰囲気をまき散らしていたし、節制した生活で声を維持し果敢に新しいレパートリーに挑戦する人であったから、「まだまだ若い。そのうちまた来日してリサイタル開いてくれるんじゃないか」なんて、どこかで思っていたのである。
 
 ありがたいことに、ソルティは全盛期のグルベローヴァの奇跡の声をじかに聴いた一人であるが、あの声を聴くと、ストラディヴァリであろうがベヒシュタインだろうが源博雅の奏でた琵琶の玄象だろうが、いかなる楽器も最高度に鍛え上げられた人間の美声には敵わないと確信する。
 あらゆる楽器演奏家を絶望させるに十分な美声とテクニックの極地、それがグルベローヴァその人であった。

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「もののけ姫」の米良美一とコンサートで共演している
 
 80~90年代に世界を舞台に活躍した一流オペラ歌手や指揮者の素顔にせまった、肩の凝らない楽しいエッセイである本書によると、グルベローヴァは親日家で桜が大好きだったという。
 忙しい公演スケジュールの合間を縫って、京都の平安神宮のしだれ桜を見に行って子供のようにはしゃいだエピソードが書かれている。
 つつしんで冥福を祈る――というより、世界中の音楽ファンに愉悦と感動をもたらした彼女が天に召されないはずがない。
 神の合唱団に無試験で迎えられて、カールソーやカラスやテバルティやフラグスタートなんか往年の伝説的歌手に混じって讃美歌を歌っているにちがいない。
 
 久し振りにオペラに行きたくなった。
 
 

おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● 英樹、感激! 映画:『けんかえれじい』(鈴木清順監督)

1966年日活
86分、白黒

 ソルティ世代で高橋英樹と言えば、鬼面をかぶっての「ひとつ、人の世の生き血をすすり・・・」の決めゼリフが格好良かった『桃太郎侍』と、「正解は越後製菓!」のCM、最近では高橋真麻の子煩悩な父親としてのイメージが強い。
 時代劇のヒーローで、渋いオッサンだ。
 が、本作では昭和初期の旧制中学校(いまの高校)のバンカラ学生を演じる、青春真っ盛りの英樹がここにいる。
 若い! カッコイイ!

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高橋英樹と浅野順子

 当時22歳。
 顔立ちも体型も大人びているので、高校生というにはとうが立っているが、それはご愛嬌。
 なんと言っても、桃太郎侍が勃起したペ×スで障子破りならぬピアノの鍵盤を叩いたり、下宿先の美しいお嬢さん(浅野順子←なんと大橋巨泉の妻だった!)の前でモジモジしたり、取っ組み合いの勢いで畑の肥溜めに頭を突っ込んだり・・・と、いままでソルティが抱いていた渋い英樹イメージを覆すようなやんちゃシーンの連続に興奮した。
 タイトル通り――と言ってもエレジー(哀歌)でなくてラプソディ(狂詩曲)がふさわしいが――最初から最後まで、エネルギーを持てあました若い男たちが、たいした主義も主張も理由もなく四六時中喧嘩しているだけの話で、「昔の日本の青年はよく喧嘩したんだなあ~」と変に感心する。
 この本来なら外に向かって発散されるべきエネルギーが内に向かったことで、現代の若者のひきこもりや鬱の多さにつながっているのだろうか。

 話の単純さと相対的に凝っているのは、画面である。
 ここでも『東京流れ者』や『ツィゴイネルワイゼン』同様、スタイリッシュな舞台装置と構図と演出による清順美学が貫かれている。
 それによって、単純バカたちの喧嘩と初恋と無為の青春が一篇の詩に昇華するのである。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● フェミニズム以前のヒロイン 映画:『居酒屋』(ルネ・クレマン監督)

1956年フランス映画
112分、白黒

 ルネ・クレマン監督は『禁じられた遊び』、『太陽がいっぱい』の世界的巨匠。
 原作はフランスの自然主義文学の大家エミール・ゾラの同名小説(L'assommoir)。
 19世紀後半パリの下層社会に生きる庶民のありのままの姿を描いている。

 原作は未読なのでどうか知らないが、少なくとも映画で物語の主要な舞台となるのは「居酒屋」ではない。主人公ジェルヴェーズが経営する「洗濯屋」である。
 「居酒屋」というタイトルから想像されるストーリー、たとえば木の実ナナ&五木ひろしのデュエット「居酒屋」(1997年発売)、高倉健主演『居酒屋兆治』(1983年)、あるいは昭和の歌姫ちあきなおみの新宿西口『紅とんぼ』(1988年)のような、渋い大人の恋愛模様や庶民の哀歓を期待していると肩透かしを食らうかもしれない。
 本作は、一人の可愛い女の波乱含みの半生と哀れな顛末を描いた悲劇である。
 岩下志麻主演で邦画化されたモーパッサン原作『女の一生』や木下惠介監督『永遠の人』に近い。
 すっかり身を持ち崩して安酒場で一人うらびれているラストなどは、ヴィヴィアン・リー主演『美女ありき』(1941年)を想起した。
 つまり、男に振り回されて一生を棒に振った可哀想な女の物語である。

 その意味で、本作をフェミニズム的視点から読むことはたやすい。
 DVDパッケージの作品紹介で映画評論家の山田宏一が書いているように、「貧困にあえぎ、卑怯で狡猾で自堕落な男たちに苦しめられ、転落の運命をたどる薄幸の女の一生」という解説はまったくその通りで、公開当初からそのような見方をされて評価されてきたのは間違いなかろう。

 若く美しいジェルヴェーズは、ハンサムな遊び人ランティエにかどわかされ、結婚しないままに二人の子を生むが、ランティエは他の女と浮気し駆け落ちしてしまう。
 貧困のうちに洗濯女をしながら子育てするジェルヴェーズに、屋根職人のクーポーが求婚する。二人は結ばれ、やっと幸福が訪れたかと思いきや、クーポーは屋根から落ちて大怪我してしまう。仕事ができなくなったクーポーはアルコールに溺れ、すさんでいく。
 ジェルヴェーズを優しく見守り、洗濯屋を始める資金を貸してくれたのが、鍛冶屋のグジェ。ジェルヴェーズの息子の一人を徒弟として面倒見てくれてもいる。
 洗濯屋が軌道に乗り、やっと安定した生活が送れるかと思った矢先、女と別れたランティエが街に戻ってくる。クーポーはこともあろうに、住まいを探すランティエに自宅の一室を提供する。
 かくしてジェルヴェーズは元の恋人と今の亭主との奇妙な同居生活を送ることになる。

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左からランティエ役のアルマン・メストラル、クーポー役のフランソワ・ペリエ、
ジェルベーズ役のマリア・シェル

 自分を裏切った元の恋人ランティエ、怪我がきっかけで自堕落になった今の亭主クーポー、そしてプラトニックな関係ながら相思相愛の第三の男グジェ。三角関係ならぬ四角関係に翻弄される女主人公。
 たしかに、「卑怯で狡猾で自堕落な」ランティエとクーポーが、ジェルヴェーズの幸福をことごとく潰す。誠実で優しいグジェは街を去り、ジェルヴェーズは破滅に追いやられる。
 「悪い男の犠牲となった弱い女」というよくあるパターン。

 しかしながら、ソルティは健気で可愛いジェルヴェーズの姿に、どうしても大竹しのぶをダブらせてしまったのである。
 大竹しのぶは若い頃、まさに“健気で可愛い”感じで売っていた。その一方、TBSディレクターや明石家さんまとの結婚をはじめ、演出家の野田秀樹や若手俳優など、いったん狙った男を逃さない握力の強さで「男日照り」と無縁な生涯を送ってきた(ように見える)。
 しかも、つき合った男たちをことごとく芸の肥やしにし、いまや泣く子も黙る天下の名女優。あのさんまでさえ、彼女の前では脇役になってしまう。
 一見、“健気で可愛い”ブリっ子、実はしたたかで確たる自己愛の持ち主。
 同じことは松田聖子にも言えるかもしれない。
 
 思うに、女というものは本質的にそのようなものではなかろうか。
 長い男社会の歴史の中で、そのような戦略をとることこそ有利な条件下で生き残れるがゆえに、身についてしまった体質というべきか。
 あるいはまた、少しでも良い遺伝子(=精子)を受け取るために、選択肢(=候補となる男)は多くしておこうという、利己的遺伝子の生物学的戦略か。
 
 つまりソルティは、元の恋人と今の亭主と本命の男の3人に囲まれて苦悩するジェルヴェーズの姿に、竹内まりや『けんかをやめて』的な女の自己陶酔の匂いを感じたのである。どこかでジェルヴェーズはそういった状況を楽しんでいるんじゃないかな・・・と。
 でなければ、元の恋人ランティエを同じ屋根の下に住まわせるという非常識で世間体の悪いことを、いくら今の亭主が強く言ったって、そのまま許してよいはずがない。亭主に押し切られたような形をとって、自ら許しているのである。
 男と女の間のことで「どっちか一方だけが悪い」というのは基本ないだろう。
 ジェルヴェーズは本来、「喧嘩上等」の気の強さとたくましい生活力をもつ、しっかり者なんである。一方的に男たちの犠牲になった弱い女という見方は、一面的に過ぎる気がする。

 “健気で可愛い”大竹しのぶや松田聖子が、男を手玉に取って成功街道を突き進んでいったのに比して、“健気で可愛い”ジェルヴェーズは、男に翻弄されるのを(自ら許して)転落への道をたどっていった。
 その差にフェミニズムの意義が存在するのだろう。  


 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● ガラ携からのガラ携

 ソルティはここ数年、ガラ携( au のフィーチャーフォン)と格安スマホの二刀流。
 日常の連絡はガラ携の電話やメール機能を使い、なにか物を調べたり、品物を注文したり、写真を撮ったり、一時的なメールアドレスが必要になったりした時には、スマホ(と自宅PC)を使っている。
 LINE も SNS も PAYPAY もやっていない。
 それで不都合は感じていない。

 しばらく前から、au から頻繁に通知が届いていた。
 2022年3月末で今使っているガラ携は使用できなくなるという。
 au だけでなく、ドコモもソフトバンクも同様で、社によって終了期限は異なるが、順次3Gサービスは終了するという。
 そもそも3Gが何を意味するのか良く分からないが、自分が持っている携帯が3Gで、それが来年4月以降は使えなくなることは分かった。
 スマホ一択になるほかないのか?
 
 正直、ガラ携でじゅうぶん間に合っている。
 持ち運びの利便性といい、落とした時の頑丈さといい、バッテリーの持ちといい、月々の使用料といい、日常よく使う機能(電卓、アラーム、カウントダウンタイマー、漢字チェックなど)の操作しやすさといい、なにより文字の打込みやすさといい、携帯のほうが使い勝手がいいと感じる。
 とりわけ、趣味の山登りにおいてはバッテリーの持ちと頑丈さは重要なポイントである。
 
 スマホは、便利なことは違いないが、とにかく目が疲れる、腕がしびれる、肩が凝る、頭が痛くなる、電磁波を浴びる、たまにフリーズしてイライラ感が募る、こまめに充電しなくちゃならない、依存性が高く時間の浪費になりがち・・・とデメリットも少なくない。
 とくに、50歳を過ぎてから、スマホ画面の光線がどうにも不快に感じる。(必要以上にまぶしさを感じる羞明という目の症状がある)
 最近では、外出する際にわざと家に置いていくことも多くなった。
 それで困ったことはない。

 そもそもスマホもガラ携もインターネットもPCもない時代の生活感覚が自分のデフォルト(初期値――という用語はまさにポストPCならではである)になっているから、なければないで、「ああ、これで初期値に戻ったなあ」という子供時代のまったり感が蘇るばかり。
 むろん、LINEやSNSでつながる人間関係にも電子ゲームにも興味がないことは大きい。
 元来、たくさんの人と付きあう器用さを持っていない人間なのだ。
 SNSやってるより好きな本を読んでいたい。

読書の秋


 先日、近所の家電店で au コ ーナーに立ち寄ったら、最新型のカッコいいスマホがずらりと並ぶ端っこのほうに、あたかも道端のすみれのごとく、ひっそりとガラ携が置いてあった。
 説明を読むと、4G対応のガラ携という。
 つまり、3Gから4Gに乗り換えれば、引き続きガラ携が使える!
 やっぱり、ソルティのようなガラ携愛好者は決して少なくないのだろう。

 早速、申し込んでバージョンアップしてもらった。
 新しいガラ携の端末代金は無料。住所や電話番号などデータの移し替えは手数料として1000円強かかるが、auポイントが4000円分たまっていたので、それでやってもらった。
 つまり、無料交換できた。(月々の使用料は若干上がった) 
 
 電車の中でガラ携をパカパカさせている男がいたら、それはソルティかもしれません。
 
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3G(左)から4G(右)へ
使える機能はほとんど変わらない





● 本:『ヒルダよ 眠れ』(アンドリュウ・ガーヴ著)

1950年原著刊行
1957年邦訳刊行
2008年ハヤカワ・ミステリ文庫(宇佐川晶子訳)

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 「昼だよ眠れ」と誤変換された(笑)
 原題は、No Tears for Hilda 「ヒルダに流す涙はない」

 ヒルダはもちろん、本書に登場する女性の名前で、のっけからガスオーブンに頭を突っ込んだ死体となって読者に紹介される。殺人事件の被害者である。
 犯人と目され警察に逮捕されたのは、夫のジョージ。
 確たるアリバイもないうえに、精神病院に入院している16歳の娘ジェーンの担当看護師ルーシーと浮気していたことも発覚し、嫌疑濃厚である。
 休暇でドイツから一時帰国したジョージの親友マックスは、ジョージの無実を信じ、真犯人を見つけるための捜査を開始する。

 ガーヴのもっとも有名な小説であり、ミステリーの古典としての地位を確立している本作を読んだのは、高校時代か大学時代だったと思う。
 例によってすっかり筋を忘れていた。
 それほど感銘を受けなかったのであろう。
 今回読みなおしてみて、その理由が分かった。

 本作はミステリーとしては凡庸なのである。
 個性的な名探偵が出てきて見事な論理を駆使して名推理を披露するわけでもないし、あっと驚くどんでん返しで意外な犯人が名指されるわけでもないし、ユニークで驚愕のトリックが使われているわけでもない。
 親友の絶体絶命のピンチを救うという点では、ウィリアム・アイリッシュのかの名作『幻の女』同様の制限時間付スリラーではあるが、そこに重点が置かれてるわけでもなく、読者をドキドキハラハラさせる緊迫感は薄い。
「なんでこの小説がそんなに評価されるんだろう?」
 若かりしソルティはそう思ったに違いない。

 本作の一番のポイントは、ヒルダという女の人物造型にある。
 鈍感な夫のジョージは彼女のもっとも近くにいながら良く分かっていなかったのだが、ヒルダはとんでもない性格異常者だったのである。
 現代で言うなら、サイコパスあるいは反社会性パーソナリティ障害。

 最大の特徴は「良心の欠如」であり、他人の痛みに対する共感が全く無く、自己中心的な行動をして相手を苦しめても快楽は感じるが、罪悪感は微塵も感じない。(ウィキペディア『精神病質』より抜粋)

 今でこそ、こうしたタイプの人間が一定数いることは日本でも知られるようになったが、ソルティが本書を読んだ70~80年代はまだこういった概念は社会に普及していなかった。
 むろん、上記のような傾向を強く持つ人間は昔から存在していたのだろうが、精神障害というカテゴリーではなく個々人の性格上の特性として、すなわち「悪人」や「悪女」として扱われていたであろう。
 また、戦争や内乱などの混乱の時代にはむしろ、そうしたパーソナリティを有するバイタリティあふれる人のほうが、逞しく(図々しく)賢く立ち回れ、生き残るであろうことは想像に難くない。
 世の中がまがりなりにも平和で安定し、社会に適合した平均的な人間が求められるような(つまらない)時代になったからこそ、こういった“型にはまらず、周囲に忖度することのない、身勝手な人間”が悪目立つし、問題視されるのである。
 織田信長なんか、絶対サイコパスである。

 本書を始めて読んだ時、ヒルダという女をリアリティもって感じることができなかった。
 サイコパスやパーソナリティ障害について知らなかったし、実生活においても狭くて浅い人間関係しか知らなかったので、そういったタイプの人間と関わることがなかった。
 むろん、家庭内にもいなかった。
 野村沙知代も初代・細木数子(追悼)もまだテレビに登場していなかった。 
 おそらく一読して、「こんな女、いるかあ?」と思ったことであろう。
 作者の創造したリアリティのない架空キャラクターの特徴ゆえに殺害動機が成り立つ、凡庸で不自然なミステリーと感じたことだろう。
 なんのことはない、ソルティが世間知らずだったのである。
 
 今、改めて読みなおしてみると、ガーヴが1950年にこうした特異なキャラを登場させ、見事に描き切っていることに、感心するほかない。実際にガーヴが知っている(振り回された)女をモデルとしたのだろうか?
 スティーヴン・キング『ミザリー』(1987)のアニー・ウィルクス、トニー・ハリス『羊たちの沈黙』(1988)のハンニバル・レクター博士、貴志祐介『悪の教典』(1999)の蓮実聖司、森博嗣『すべてがFになる』ほかに登場する間賀田四季・・・・。
 その後のサイコパスヒーロー(?)たちの活躍する口火を切ったのが、まさにこのヒルダだったのである。
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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● 福祉住環境コーディネーター試験に向けて

 高齢者や障害者の介護を考えるにあたって欠かせないものに、福祉用具と住宅改修がある。

 福祉用具は、よく知られている車いすや杖や補聴器にはじまって、装具・義肢、歩行器、手すり、スロープ、介護ベッド、ポータブルトイレ、入浴用のいす、認知症老人徘徊感知器など、ごまんとある。
 「福祉用具法」(1993年制定)では、「老人または心身障害者の日常生活上の便宜を図るための用具、およびこれらの者の機能訓練のための用具並びに補装具」と定義されている。
 介護保険を使って、お手頃価格でレンタルや購入できるものも多い。

 住宅改修は、階段や廊下に手すりをつける、扉を開き戸から引き戸に替える、段差を解消する、滑りにくい床材に替える、便器を和式から洋式に取り換えるなど、当事者がより安全で快適な生活が送れるように住宅の一部を改修工事する。
 介護保険では20万円までの補助が出る(一人原則一回限り)。

 介護の仕事をしていると、当事者や家族から福祉用具や住宅改修について相談を受けることが多い。
 また、こちらから本人のADL(日常生活動作)や家屋の様子をみて適切なアドバイスを与えられなければ、とても「プロってる」とは言えまい。
 たとえば、
  • 膝や腰が悪くて低い位置から立ち上がるのが難しい人に、高さの調節できる介護ベッドや、通常(ケロヨンタイプ)より高さのある入浴用のいすをすすめる。
  • 歩行がおぼつかなくて転倒しやすい人に、家の要所に手すりの設置、段差解消のためのスロープや踏み台の設置をすすめる。
  • 夜間、介助者なしにトイレまで行くのが難しい人に、ベッドの脇におけるポータブルトイレの購入をすすめる。
といった具合に。

ポータブルトイレ
ソルティが足の骨折時に使っていたポータブルトイレ

 しかし、専門業者や理学療法士ならいざ知らず、ソルティが保有している介護福祉士とか介護支援専門員(ケアマネ)では、資格取得の過程において福祉用具や住宅改修に関する具体的な知識や技術を学ぶ機会は少ない。
 車いすの扱い、装具のつけ方、ポータブルトイレ設置の要不要の判断など、介護施設の現場において見よう見まねで覚えていったことも多いけれど、住宅改修などはほぼ未知の世界である。
 当事者や家族に相談されてもその場では答えられず、「業者の人に確認してみます」、「リハビリの先生(理学療法士)に聞いてみてください」などと答えざるを得ないこともしばしば・・・。

 そのへん情けなさを感じていたところ、「福祉住環境コーディネーター」という資格があることを知った。
 高齢者や障害者に住みやすい住環境を提案するアドバイザーを養成することを目的に、東京商工会議所が検定試験(1~3級)を実施している。
 福祉用具と住宅改修について体系的に一から学ぶことができる。
「よし、これを受けてみよう!」

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 いまのところ、この資格を持っていなければできないことは特にない(ケアマネの資格で包括できる)ので、資格を取ることが目的ではないけれど、受験料を払って期限を設けないとなかなか学習する気にならないのが、長年身についた悲しい受験生体質である。
 12月の2級検定試験を目指して、公式テキストなるものを購読、現在は過去問をやっている。
 ちょっとでも、利用者へのアドバイスに自信がつけば御の字。
 
 学習意欲を高めるためというわけではないが、先日、以前から気になっていた埼玉県さいたま市にある介護すまいる館に足を運んでみた。
 JR京浜東北線・与野駅西口から歩いて10分、福祉関連の事業所が集まっている「彩の国すこやかプラザ」の1階にある。

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与野駅西口

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彩の国すこやかプラザ

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介護すまいる館入口
福祉用具の情報提供・相談・展示・販売を行っている
埼玉県社会福祉協議会が運営


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食事に使われる福祉用具

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ずらっと並ぶ車いす(試乗もできる)

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介護ベッドや手すりのコーナー

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男性のソレを直接さしこむタイプのオムツ

 ソルティが介護施設で働いていた時に目にしたもの、手にしたもの、扱ったものが多く、その福祉用具と共にそれを使っていた利用者の顔や体の一部(!)が浮かんできて、懐かしい思いにかられた。
 一方、初めて見る福祉用具も多く、医療や工学の進歩とともに新しくより快適に使える福祉用具が、次々と生まれていることを実感した。
 とくに、今後現場での活用が期待されている介護ロボットのコーナーが一角に設けてあるのを見て、「介護スタッフの重労働が少しでも軽減され、肩や腰の痛みで仕事を辞めなくても済むようになればなあ~」と、離職経験者の一人として思った。
 現在50代のソルティが介護を必要とする頃には、イケメン介護ロボットまもる君のケアが期待できるかしらん?

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与野駅の近くの洋食店でランチ

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昼から優雅で贅沢でしょ(運動しなければ!)

 

● キャスリーン・バトル賛歌 本:『史上最強のオペラ』(ジョセフ・ヴォルピー著)

2006年原著刊行
2006年ぴあ株式会社より邦訳刊行

史上最強のオペラ


 ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場(通称メット)は、ミラノスカラ座、ウィーン国立歌劇場と並ぶ世界三大歌劇場と言われている。世界中の才能あるオペラ歌手が生涯一度でもいいから舞台を踏みたいと夢見る、高校野球の甲子園、高校ラグビーの花園、演歌歌手の新宿コマみたいな存在である。

 メットは世界で最も大きなパフォーミングアートの機関である。毎年30以上の演目と240もの公演を上演する。どの公演にも国際的に有名な歌手が出演し、複雑な舞台セットが組み立てられる。それには年間に2000人以上の人材と、2億2000万ドル以上の運営費用がかかる。このようなメットを維持するためには、大工、裏方、画家、デザイナー、電気技師、助手たちの仕事の把握はもちろん、演奏家、歌手、歌の先生、ダンサー、振付師、舞台監督、指揮者、美術監督、営業、広報チームの仕事を理解してまとめ上げる能力が必要である。運営費用はチケットの収益だけではまかないきれない。寄付金によって補うのだが、これを集めてくる理事会の努力も必要だ。

 本書は、1990年から2006年までメットの総支配人であった男によるサクセスストーリーとしての自叙伝、かつメトロポリタンの舞台裏をさまざまな視点から描いたドキュメンタリーといったところ。オペラに興味ある人なら必ずや楽しめる本である。
 やはり、オペラファンの一人として面白いのは、文字通りその“名声”を知るスター歌手はじめ、世界的な指揮者や演出家たちの素顔が知られるエピソードの数々である。

 神経質で機嫌が悪くなると楽屋に引っ込んでしまうハリウッド級二枚目歌手フランコ・コレッリ、90年代に世界三大テノールとして名を馳せたルチアーノ・パヴァロッティとプラシド・ドミンゴの対照的な性格や仕事ぶり、名演出家フランコ・ゼッフィレリの豪華絢爛たる舞台(例『トゥーランドット』)を支えた気前のいいテキサス女性、メットのオーケストラの質を国際レベルまで引き上げた指揮者ジェームズ・レヴァインの人となり(後年になってホモセクハラで訴えられメットを解雇された)、リハーサルを平気ですっぽかし演出家の指示を無視する椿姫アンジェラ・ゲオルギュー。舞台では気品あふれる伯爵夫人を得意としたキリテ・カナワが、セントラルパークで著者の目の前をローラーブレードで滑っていくシーンなんて想像もつかない。

 しかしながら、暴露ネタの筆頭は、86年ニッカウヰスキーCM出演がきっかけで日本で爆発的人気を博した美貌の黒人ソプラノ、キャスリーン・バトル解雇事件の顛末である。実はソルティ、それが読みたくて本書を借りた。
 ヴォルピ―は「バトル賛歌」として丸々一章をそれに当てている。人気絶頂のドル箱の世界的スターを劇場が解雇するなんて、それも原因は歌手の我儘だなんて、前代未聞の大事件だったのである。
 実際、人格破綻しているんじゃないかと思うようなバトルの異常な振る舞いの数々が描かれ、彼女と共演した陽気で磊落なイタリア男である大パヴァロッティでさえ、「彼女の人生には何かが欠けているに違いない」と漏らすほどだったという。
 1993-94年シーズン、ヴォルピーが数か月後に本番を控えた『連隊の娘』のリハーサル中にバトルの降板を決定したことを発表したとき、劇場は歓呼と喝采が鳴り響いたという。 
 みんな我慢に我慢を重ねていたのである。

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 いまもこの記事を書きながら、キャスリーン・バトルのモーツァルト・アリア集を聴いている。
 ソルティは、過去に2回、来日した彼女のリサイタルを聴きに行った。
 なめらかな漆黒の肌に美しいドレスをまとった彼女が舞台に登場するや、優雅な仕草と愛くるしく親しみやすい笑顔にもっとも気難しいクラシックファンでさえ武装解除してしまい、一声唄い出すと、もう完全にその魅力に篭絡されてしまう。日本ファンのために披露してくれた『この道』なんか絶品だった。
 このように美しく魅惑的で大衆を惹きつけるカリスマ性を備えたソプラノが、今後そうそう登場するとは思えない。 
 86年のバトルのCMが日本のクラシック業界、とくにオペラ人気に火をつけた功績ははかりしれない。
 ジョセフ・ヴォルピーの名は、「バトルを首にした男」として残り続けるのは間違いあるまい。


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Predrag KezicによるPixabayからの画像




● 銀杏散るなり光の丘に :L.v.B.室内管弦楽団 第48回演奏会

日時 2021年11月7日(日)14:00~
会場 光が丘 IMAホール(東京都練馬区)
曲目
  • モーツァルト   : 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』K.527より序曲
  • ドヴォルザーク : チェコ組曲 作品39
  • ベートーヴェン : 交響曲第5番 ハ短調《運命》作品67
指揮 苫米地 英一

 都立光が丘公園は20代の頃よく利用した。
 都内に就職したのをきっかけに、埼玉の実家を出て、この近くのアパートで一人暮らしを始めたのだ。
 当時、IMAホールはオープンしたばかりだった。地下鉄大江戸線は開通しておらず、むろん光が丘駅もなかった。光が丘のマンモス団地は、陸の孤島のような場所だった。
 そのうち、会社を辞めて、失業保険を受けながら昼夜逆転して小説を書く生活になった。
 明け方、緊張した頭をほぐすために光が丘公園を散歩した。春は桜、秋は銀杏がきれいだった。
 自分の将来はどうなるんだろう?――不安をおぼえながら、ピンクや黄色の鮮やかなじゅうたんを踏みしめた。

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光が丘公園

 L.v.B.はもちろん、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの頭文字。
 この管弦楽団はベートーヴェン専科なのである。
 苫米地英一はオペラ指揮者としての活躍が目立つ。最近では、『ベルサイユのばら』の作者池田理代子台本によるオペラ『かぐや姫と帝の物語』を作曲・世界初演し、成功を収めたという。認知科学者でたくさんの著書を持つ苫米地英人との関係は不明である。
 定員約500名のホールは半分ほど埋まった。

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IMAホール

 まず、プログラム構成の妙に感心した。
 苫米地の得意とするオペラから、それもメリハリがあって軽快なる『ドン・ジョヴァンニ』序曲で聴衆の気分を盛り上げ、多彩な曲想を重ねつつ民族情緒豊かなチェコ組曲で聴衆の耳と気持ちをほぐし敏感にさせ、満を持しての『ダ・ダ・ダ・ダーン!』。
 しかも、3曲続けて聴くと、前プロの2曲がメインディッシュの第5番『運命』と近しい関係を持っている、似たような曲調を有していることが分かる。
 経時的に言えば、ベートーヴェンは、モーツァルトとドヴォルザークの間に入る。
 第5番『運命』は、傲岸不遜な主人公が地獄に落ちる物語『ドン・ジョヴァンニ』の強い影響を受けて作られ、第5番『運命』の深い影響を受けてドヴォルザークは激動の歴史に翻弄された祖国を謳ったのであろう。
 
 コロナ禍によるブランクで閉じてしまったソルティのチャクラ。
 前回の東京都交響楽団コンサートで半分くらい開き、覚醒のきざしあった。
 その後、静岡のルルドの泉・サウナしきじデビューで、“気”はかなり活性化された。
 なので、本日は聞く前から予感があった。
 最終的に扉を解放するのはきっと今日のL.v.B.であろう、第5番『運命』だろうと。
 
 まさしくその通り。
 第3楽章から第4楽章に移り変わるところ、いわゆる「暗」から「明」への転換が起こるところで、胸をグッと掴まれるような圧を感じ、声の出ない嗚咽のように胸がヒクヒク上下し始めた。
 中に閉じ込められているものが必死に外に出ようともがいているかのよう。
 あるいは、手押しポンプを幾度も押しながら、井戸水の出るのを待っているかのよう。
 第4楽章の繰り返し打ち寄せる歓喜の波に、心の壁はもろくも砕けて、両の目から湧き水のようにあふれるものがあった。
 気は脳天に達して周囲に放たれ、会場の気と一体化した。

 整ったァ~!
 
 時代を超えて人類に共感をもたらすベートーヴェンの魂、彼の曲を演奏することを無上の喜びとする指揮者およびL.v.Bオケメンバーたちの熟練、そして地元ホールで久しぶりに生オケを耳にした聴衆の感激とが混じり合って場内は熱い光芒に満たされ、さしものドン・ジョヴァンニも地獄の釜から引き上げられて、昇天していったようだ。

 コロナ自粛なければ、『ブラーヴォ』を三回、投げたかった。
 一回目は指揮の苫米地に。
 二回目はオケのメンバーたち、とくに感性柔軟なる木管メンバーたちに。
 最後は楽聖ベートーヴェンに。

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● 静岡・聖地めぐりの旅

 コロナ流行の谷間である。
 これチャンスとばかり、以前から行きたかった二つの聖地に足を延ばした。
 県外へのお泊り旅は、2019年11月の金沢旅行以来。
 東京から浜松までのJR往復切符を購入したとたん、旅人モードにスイッチが入った。

 一つ目の聖地は、浜松にある木下惠介記念館
 浜松は松竹の誇る名監督で、生涯49本もの映画を撮った木下惠介の生まれ故郷なのである。
 ソルティのもっとも敬愛する監督の一人で、今のところ25本観ている。
 ちなみに、個人的ベスト10(順不同)は、
  • ラストシーンの田中絹代が印象深い『陸軍
  • 岡田茉莉子の気の強い美しさが光る『香華
  • 望月優子の哀れな母親像が胸に迫る『日本の悲劇
  • 高峰秀子の演技力が存分発揮された『永遠の人
  • 阪東妻三郎の貫禄と魅力が爆発した『破れ太鼓
  • 原節子のコメディエンヌぶりに驚かされた『お嬢さん乾杯!
  • 小豆島の風光と子供たちの愛くるしさに涙する『二十四の瞳
  • 美しき鉄面皮に隠された高峰三枝子の悲しき性『女の園
  • 名優・滝沢修の悪役ぶりが凄まじい『新釈四谷怪談
  • 川津祐介主演、日本初のゲイ映画と評される『惜春鳥』(未視聴だがイイに決まっている!)
 久しぶりに下りた浜松駅周辺はすっかり“未来都市”化されて、「どこにウナギの寝床があるんだ⁉」という感がした。都心の主要ターミナル駅となんら変わりばえなく、地方独特の風情が薄れてしまったのは残念。いまさら言っても仕方がないが。
 
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JR浜松駅
もしかして隣の茶色いビル、うなぎデザイン?

 記念館は駅から歩いて15分のところにある。
 アール・デコ様式の旧浜松銀行(中村輿資平設計)の白亜の建物が美しい。
 入館料は100円。
 1階の3室が展示室に当てられている。
  1. 木下監督の書斎を再現し、使用していた愛用品や書籍が展示されている部屋。
  2. 当時の映画ポスター、監督自身による書き込みが生々しい脚本、撮影風景の写真、受賞トロフィーなどが飾られている部屋(一角にあるソファに座って木下惠介紹介ビデオを観ることができる)
  3. 随時テーマを決めて、木下のいくつかの作品をピックアップして紹介する特別展示室(今回は「秋と冬」がテーマだった)
 空いていて、ゆっくりと木下惠介の世界を堪能することができた。
 ここでは定期的に木下作品の上映会もやっている。

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木下惠介記念館

 記念館から歩いて5分くらいの街中に、木下惠介の生家の漬物屋はあった。
 浜松市伝馬町(現・中区伝馬町)の江馬殿小路。
 戦災とその後の区画整理のため小路は消えて、生家跡をしめすものはないのだが、かつての地図をたよりに散策してみた。

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この路地のどこかに生家はあった?

 浜松の住民のどのくらいが、木下惠介を知っているだろう?
 その作品を観たことあるだろう?
 もっともっと誇っていい。
 駅中をポスターで埋め尽くしてもいいくらいだ。

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恒例のスタンプもらいました


 上り列車に乗り、静岡駅に。
 南口からバスに乗って海岸近くまで行く。

 二つ目の聖地は、いま全国のサウナー(注:サウナを愛する人)がその噂を聞き、身をもって効験を確かめに詣でる静岡のルルドの泉、サウナしきじである。

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JR静岡駅南口
 
 実はソルティ、20代からのサ道の通人。多い時は週二回、少ない時でも月一回はサウナを利用してきた。(その時々通っていたスポーツジムのサウナはのぞく)
 20代の頃は午前3時まで会社の同僚と銀座や新宿で飲んで、そのあと屋台のラーメンをすすって、ターミナル駅周辺のサウナに泊まってアルコールを抜けるだけ抜いて、2~3時間仮眠し、そのまま出勤する――なんて荒行を繰り返したものである。
 自然、都心のサウナ店には詳しくなった。

 当時、一般にサウナはおやじのオアシスであり、ビールっ腹の中高年が多かった。店内はたいてい喫煙OKで、サウナ後の休憩ラウンジには灰色の煙がもうもうと立ち込め、健康的なんだか不健康なんだか分からないところがあった。演歌もよく流れていた。
 それがいまや、男女問わず若者に大流行りの健康&美容&癒し&グルメ&娯楽の流行最先端スポットである。
 昭和香の残る古いサウナや健康ランドはつぎつぎと廃店あるいは改装されて、家族で一日滞在して楽しめる一大アミューズメントパークのようになりつつある。むろん禁煙だ。
 関連本もたくさん出版され、雑誌の特集やテレビのバラエティ企画にたびたび取り上げられ、日本全国のサウナ番付みたいなものも掲載される。
 このブームの中、一度訪れた芸能人やスポーツ選手もこぞって虜になりSNSやらで発信し、それを見たサウナーたちが訪れた結果、一躍有名になったのが「サウナしきじ」なのである。

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 バスなら静岡駅南口から「登呂遺跡」行きに乗り「登呂遺跡入口」下車徒歩15分
または「東大谷」行きに乗り「登呂パークタウン」下車徒歩5分

 休日だったのである程度の混雑は予想していたものの、着いたのは午後5時を回っていたから、人波は落ち着いているだろう――そう思ってたら、広い駐車場はほぼ満杯。
 店先で紙に名前を書いて、建物の外のベンチで順番待ちとなった。
 「いや、これ密だわ~、困った」
 が、ここまで来てもはや退くことはできない。ワクチン抗体を信頼するしかない。
 10分もしないうちに名前を呼ばれて入店。
 入口の壁には、訪れた著名人の色紙が隙間なく飾られていた。

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 ざっと見、スポーツ選手とアナウンサーが多かった
ソルティがその名を知っていたのは、三浦知良、小池徹平、宮川大輔、大野将平くらい

 店員の交通整理が上手なためか、ロッカールームは空いていた。
 が、浴室に足を踏み入れたら、人肉のジャングル。
 びっくりした。
 定員10名ほどのサウナ室が二つ、温泉風呂が二つ、滝の落ちる水風呂が一つ、周囲の壁に沿った洗い場が10個くらい。
 そのあいだのさして広くないスペースに20人くらい座れるプラスチックの椅子がずらりと並べられ、そのどれもが裸の男で埋まっていた。
 つまり、ざっと50~60人が犇めいていた。
 圧倒的に20~30代が多い。当然、誰一人マスクしていない。
 「こりゃあ、密も密だわ~」
 ワクチン効果と感染者激減を信頼し、そして温泉の放つマイナスイオンの効果を妄信し、覚悟を決めて参入した。
 南無三!

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 浴室内の“気”はたしかに物凄いのであるが、それが「しきじ」の水質によるものなのか、はたまた、聖地詣での興奮状態にある若い男たちの発するエネルギーのせいなのか、よくわからないのであった。
 サウナの一つは普通のフィンランドサウナ。もう一つがここの名物である韓国産の薬草をブレンドして蒸している薬草サウナ。
 これがとてつもなく、熱い
 サウナ慣れしているソルティでも5分と中にいられない。
 直射熱を避けるべくタオルを頭に巻いた軟弱な若者たちはウルトラマンほどの忍耐もきかず、カチカチ山のたぬきのように皮膚を真っ赤にして、小走りに飛び出していく。
 一方、ここの古くからのヌシであろうか、60~70代くらいの禿げ頭のお父さんはタオルもまかずに、10分以上悠々と座り続けていた。
 さすが!(肌の感度が鈍っているだけかも・・・)
 体験者絶賛の水風呂はたしかに気持ちいい。富士山麓の天然の湧き水だけのことはある。
 ロッカー室に掲示してあった成分表示をみると、日本では珍しい硬水(中硬水)なのだ。

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カルシウム、マグネシウム、ナトリウムが豊富
ちなみにボルヴィックの硬度は60

 午後7時を過ぎると、さすがに空いてきた。
 若者の姿が減って、中高年が増えた。
 休日を使い遠方から車でやって来た一行は帰宅の途につき、近隣に住む常連組の出番ということだろう。所作に落ち着きと手練れた感じが見られる。
 はたして常連組は、この降ってわいたようなサウナブーム、「しきじ」詣でをどう思っているのだろう? 

 コロナ禍でどこのサウナも客足が減って経営に苦労したのは間違いなかろう。「しきじ」もそれは免れ得なかったはず。
 いや、コロナがなくても、風前の灯火だったのではなかろうか?
 というのも、「しきじ」はまさに昭和レトロな空間で、決してきれいでもファッショナブルでもないのである。
 サウナ室の腰掛けは敷タオルで隠れてはいるものの、ところどころ板が腐ってボコボコしていたし、休憩ラウンジのリクライニングチェアは壊れているものがあった。
 照明は全体に暗く、ヒーリングミュージックよりは歌謡曲が似合うような場末感が漂っていた。(さすがに今は全館禁煙らしいが)
 もしサウナブームが起こらなかったら、「しきじ」は存続できなかったのではなかろうか?
 そう思うと、まさに奇跡の泉と言えるかもしれない。
 まずおそらく近いうちに大改装し、静岡が誇る一大集客スポットに発展していくと思われる。

 仮眠室がコロナ禍で閉鎖していたので、休憩ラウンジにマットレスを敷いて横になった。
 こういう場所ではよく眠れないソルティなのだが、なんと12時の消灯と共に入眠して、朝6時に自然と目が覚めるまで一回も起きなかった。夢も見ずに熟睡し、ここ最近ないほどすっきりした目覚めが得られた。
 浴室に直行。さすがに空いている。
 薬草サウナから水風呂に浸かると、昨晩は感じられなかったのだが、体がジンジンと感電したかのように痺れた。
 このパワーは、『日本の秘湯』に紹介されている温泉たちと同レベルかもしれない。
 密を避けたいなら、『日本の秘湯』で代替できると思う。

日本の秘湯


 静岡の二つの聖地を巡って、心身ともすっかりリフレッシュした。
 だが、実を言えば、ソルティにとって本当の聖地は別にある。
 列車の旅そのものだ。
 今回も新幹線は使わず、普通列車だけで数時間かけて移動した。(ほんとうはもっとスピードの遅い列車に乗りたい)
 ぼんやりと窓外の景色を眺め、文庫本を読み、おにぎりを頬張り、熱いコーヒーを飲み、列車の振動に身をまかせる。
 それが何よりのストレス解消になる。
 いや、幸福感を味わう手っ取り早い手段となる。
 ノリテツという種族は、元来、幸福の沸点が低いのである。
  
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● 本:『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー著)

1929年原著刊行
1971年東京創元社(高橋泰邦・訳)

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 江戸川乱歩推奨の古典中の古典。
 本書が一躍有名になったのは、1984~85年に日本中を震撼とさせ、犯人が捕まらないまま2000年に時効となったグリコ・森永事件の折であった。菓子類への毒物混入に関して犯人がヒントを得たのがこのミステリーではないか、と言われたのである。
 ソルティは未読だったので、そのときに買って読んだ。
 今回ページを開いたら内容をまったく忘れていた。
 もちろん、真犯人が誰かも。
 おかげで新鮮な気持ちで読むことができた(笑)

 本作は構成そのものに特徴がある。
 アガサ・クリスティの『火曜クラブ』のように、同じ一つの事件の真相をめぐって、探偵好きな男女6人が推理合戦するという趣向なのだ。
 もっとも、『火曜クラブ』はミス・マープルを主人公とした連作短編集であり、書かれたのは本作よりもあと(1932年発表)である。
 住んでいる村の中のことはやけに詳しくても外の世界についてはほとんど知らないような老嬢ミス・マープルが、警視総監や法律家や流行作家など世故に長けたライバルたちを毎回見事に打ち負かして真相を探り当ててしまう。同様に本書ではアンブローズ・チタウィックなる一見さえない無名の人物が、世間的に名の知られた警部や弁護士や推理作家などの鼻を明かして真相を暴き出す。
 当時の著作権事情は知らないが、現在だったら、クリスティはバークリーのアイデアを剽窃したと非難されるのではなかろうか。バークリーにとっては面白くないことに、後発の『火曜クラブ』のほうが今となっては広く読まれている。

 そこに探偵が6人いれば6通りの着眼点があり、物の見方があり、考え方があり、6つの推理があり、6人のホシと思しき人物が誕生する。
 人は各々の性格や知識や経験や職業などに応じて、同じ一つの事件をさまざまに解釈してしまう。
 探偵自身がバイアスになる。 
 そういった人間心理と認識の仕組みの面白さを追求したところに、本作の古典としての風格がある。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● チョロの息子 映画:『生きちゃった』(石井裕也監督)

2020年日本
91分

 最近、気になっている俳優は仲野太賀である。
 ソルティ世代の代表的な男優の一人で、TVドラマ『愛という名のもとに』(1992年フジ)のチョロ役で人気爆発した中野英雄の次男である。
 中野英雄は三枚目でありながら、主役を喰うほどの熱のある演技が魅力であった。ゲイ人気も高かった。
 その血を引く仲野太賀はどうなんだろう?
 確かめるべくレンタルした。

厚久(仲野太賀)と武田(若葉竜也)と奈津美(大島優子)は子供の頃からの遊び仲間。
長じて厚久と奈津美は結婚し、女児が生まれる。が、奈津美の浮気の発覚によって、二人は別れることに・・・。
厚久は奈津美に怒りをぶつけることも、浮気相手を懲らしめることもなく、自らの至らなさを責め、奈津美の言われるがまま離婚届に判を押す。浮気相手と再婚した奈津美に仕送りさえする。
武田は言いたいことが言えない不器用な厚久を見守るが・・・・。

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左から、仲野太賀、大島優子、若葉竜也

 仲野太賀、感性がすばらしい。
 本作では自らの感情に蓋をしてきた挙句、何も感じなくなってしまった男を演じているのだが、それが作ったふうでなく、とても自然である。まるで仲野太賀自身の気質であるかのように。
 父親同様、決して二枚目ではないが、人好きのする顔立ちでカメラ映りもいい。
 親父以上に幅の広い芝居のできる俳優になりそうな気配濃厚。

 ビックリしたのは大島優子。
 ソルティはAKBにほとんど興味ないので、彼女の魅力や才能を良く知らなかった。
 ルックスはさておいても、これほど本格的な芝居ができるとは意外であった。
 濡れ場やデリヘル嬢に扮しての客へのフェラシーンなど、体当たりで挑戦しているのは立派。
 こちらもいい女優になる気配濃厚。

 作品的には、プロットの激しさとテーマのナイーブさに均衡がとれていない気がした。
 厚久のもっとも近しい身内二人が残酷な殺人事件に巻き込まれる――うち一件は奈津美が変質者に殺され、一件は厚久の実兄が奈津美の再婚相手を殺す――という強烈なプロットを用意しながら、主要テーマ自体は不器用な男の内面描写というアンバランスが、どうにも収まりのつかない印象を作品に与えている。プロット倒れというか。
 主人公の親友武田の位置づけも曖昧で、厚久と奈津美それぞれに対してどういう感情を抱いているのか、彼がどういう人間なのか、最後までよくわからなかった。

 役者たちの芝居、そして映像自体は悪くないので、もったいない気がした。



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 六本木発「銀河鉄道2021」 : 東京都交響楽団コンサート

日時 2021年10月30日(土)14:00~
会場 サントリーホール
曲目
  • ドヴォルザーク : チェロ協奏曲 ロ短調
  • ドヴォルザーク : 交響曲第8番 ト長調
指揮 小泉和裕
チェロソリスト 佐藤晴真

 久しぶりの山手線内、久しぶりのサントリーホール。
 最寄りで見る六本木スカイスクラッパーもなんだか懐かしい。

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 クラシック業界も元の賑わいを取り戻しつつあるようで、今回も入場時にどっさりとコンサート案内チラシをもらった。
 ただ、客席の入りは4~5割程度か。まだまだ外出自主規制がかかっているようだ。

 東京都交響楽団は前回の『第九』に続き、2回目になる。
 ソロ(独奏)もトュッティ(全員)もとても巧い。
 音に丸みがあるのはやはりこのオケの特徴らしい。破擦音や破裂音の少ない、飛沫があまり外に飛ばない言語といった感じ。都会らしく洗練されている。

 佐藤晴真のチェロについては残念ながら真価が良くわからなかった。
 というのも、今回はステージ背後のブロックのほぼ中央、指揮者と相対する位置で鑑賞したからだ。弾いている後ろ姿しか見えないし、音響も十全ではない。
 ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲ならともかく、チェロ協奏曲はやはりステージ前方の席を取らなければいけなかった。一つ学んだ。

 が、この席のメリットは、オケを真上から見下ろすことができること。
 オケの人たちの表情や動きがよく見えて、気持ちがびんびん伝わってくる。管楽器奏者がソロパートを無事終えた後のホッとした肩の線など、ステージ前方の席からはなかなか見えない。自然とオケを応援したくなる席なのである。
 むろん、指揮者の豊かな表情の変化や細やかなタクトさばきをガン見できるのも大きなメリットである。(ソルティは曲の最初と最後以外はほぼ目を瞑っているのだが)

 アントニン・ドヴォルザークを聴くといつも汽車の旅を連想する。
 アントニン自身が大の鉄道好きで、ソルティもまたノリ鉄だということもあるが、一曲聞いている間、蒸気機関車で旅をしている気分になる。
 朝まだきの駅のホームで機関士や整備士たちが出発の準備をするシーンから始まって、昇る朝日が鉄の車体をきらめかせ、荷物を手にした乗客たちがお喋りしながら次々と車両に乗り込み、出発の汽笛を合図に重い響きを轟かせ、列車が動き出す。
 軽快な鉄輪の響きと煙突から吹き出す蒸気と黒煙をお供に、いくつもの街を通過し、線路わきで手を振る子供たちや赤ん坊を抱いた母親を見送り、休憩する労働者たちの視線を浴び、麦畑や綿花畑をかき分け、野を越え、山を越え、渓谷を渡り、白波の立つ海辺を走る。
 やがて鎮魂色をした黄昏が下りてきて、長旅に疲れた汽車と乗客たちを優しく包む。
 汽車はそのままゆっくりと地上を離れ、見えない滑走路をつたって、星の散りばめる天上へと旅立つ。はるかなる至高の光を目指して。
 そんな郷愁と信心をあおるような美しく荘厳な旅である。


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DavidMcConnellによるPixabayからの画像

 
 小泉和裕と東京都交響楽団の演奏は、極上の旅を提供してくれた。
 コロナ禍になって初のコンサートではなかなか動かなかったチャクラが、今回は反応した。音の波動が体内の気とぶつかり合い、不随意運動が数回起こった。隣席の人はびっくりしたかも。
 扉は半分開いた。





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