ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 本:『関東大震災「虐殺否定」の真相』(渡辺延志著)

2021年ちくま新書

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 およそ100年前の1923年9月1日に起きた関東大震災の直後、混乱に乗じた朝鮮人が暴動を起こし、「建物に放火した」、「井戸に毒を入れた」、「婦女を暴行した」、「各地でダイナマイトを手に破壊活動を企んでいる」といったデマ(流言)が飛びかった。デマを信じた一部の日本人らは徒党を組んで、朝鮮人を見かけるやこれを捕らえて虐殺した。

 ――というのが、これまで一般に言われてきたところである。
 ソルティも、いつからか、あるいはどういった媒体からかは覚えていないが、この言説に接し、「そんな酷いことがあったのか」と歴史的事実の一つとして神妙に受けとめてきた。
 住井すゑのベストセラー『橋のない川』にはそのあたりの記述が見られるし、筒井功の『差別と弾圧の事件史』にも香川の行商が朝鮮人と間違われて虐殺された福田村事件(千葉県)が取り上げられている。1997年阪神・淡路大震災のときも、2011年東日本大震災のときも、「決して繰り返してはならない」教訓として、この話題が再燃したのを覚えている。
 しかるに、近年、「朝鮮人のかかる犯罪はデマではなく実際にあった」、「日本人による朝鮮人虐殺の事実などなかった」という意見が出回っているそうである。特にインターネットで顕著らしい。
 ソルティはそういったサイトには立ち寄らないのでよく知らないが、「南京大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦の強制連行はなかった」に続いて出てきた、国粋主義的な価値観を持つ人たちの「なかったことにしたい」シリーズの新しいトピックという印象をもった。
 次はきっと、「731部隊はなかった」あるいは「福島第一原発事故はなかった」あたりだろうか・・・・。
 いずれにせよ、「国際社会がまともに相手にするはずはない」と思っていたのだが、本書によると、米国ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授が関東大震災を取り上げた論文を書き、それが英国ケンブリッジ大学出版局が刊行する本に掲載されることになった。その中でラムザイヤー教授は、「朝鮮人による犯罪はあった」、「日本人によって殺された朝鮮人の数は言われているほど多くなかった」と論じているという。
 発行のあかつきには、国際的権威に基づく意見として流布するのは想像に難くない。
 ちなみに、同教授は2018年安倍政権時代に旭日中綬章をもらっている。

ケンブリッジ大学
ケンブリッジ大学


 本書は、このラムザイヤー教授の論文に対する検証がきっかけとなって生まれたものである。
 著者の渡辺延志(のぶゆき)は元朝日新聞記者で、明治以来の日本と朝鮮半島の関わりを調査し、『歴史認識 日韓の溝』(ちくま新書)という本を書いている。
 渡辺は、ラムザイヤーの主張の論拠となっている関東大震災直後の各紙新聞記事を丹念に探し集め、震災取材経験を持つ同業者の目でそれを読み解き、当時の国際状況や国内事情も視野に入れ、「朝鮮人の犯行」に関する公式調査による報告書にも当たりながら、“実際に起こったであろうこと”を再構成している。
 マグニチュード7.9、死者・行方不明10万人以上、全壊家屋10万棟以上という未曽有の災害の凄まじさ、逃げ惑う人々の混乱とパニック、交通機関や電話など連絡手段が断たれた中での危険きわまりない困難な取材と他社より一刻も早い報道に命を懸ける記者たちの姿、そしてどこからともなく現れたデマとそれに踊らされ常軌を逸した行動に走る者たち・・・。
 パニック&ホラー映画を観ているようなサスペンスと衝撃に、海千山千の新聞記者ならではの鋭い洞察と解析が光る社会派ミステリーの味わいが重なる。
 ページをめくる手が止まらなかった。
 
 仙台駅における水も漏らさぬ警戒ぶりは物凄いほどで、列車の着するごとに鮮人は居らぬかと鳶口(とびぐち)、棍棒を持った自警団員がホームに殺到して目を光らし、少しでも怪しいと見ればこれを取り囲んで打倒せんとする有様で仙台駅頭は殺気漲っている。民衆の興奮はもっともながら、群集心理の附和雷同から無闇矢鱈に騒ぎ廻り、何等罪なき良民を傷つくるが如き行為は謹まねばならぬ。現に鮮人と思い誤られた立派な日本人が群衆の威嚇に極度に恐怖し逃走したとして、朝鮮人だ殺して了いと喊声(かんせい)を揚げて追いまくり、一名は警察官が身をもって保護し事なきを得たが、他の一名は何者かに鳶口を背部に打込まれ二ヶ所に重傷を負い、中央篤志会の手当を受けて仙台座に収容された。
(『河北新報』に掲載された9月5日前後の避難民の目撃談) 

鳶口
鳶口(とびぐち)

 
 著者は、ほかならぬ新聞報道が「朝鮮人の犯罪」というデマを積極的に広め、それを読んだ人々に事実と思わせてしまったことを検証する。
 いわゆるフェイクニュースだ。
 
 だが、新聞記者としてその場に自分がいたならと考えると、やはり同じような記事を書いただろうと思えてならない。聞いた話の内容が本当に事実なのかを確認する手段はない。だが、語っている人たちに嘘をつく理由が考えられない。数多くの人に話を聞けば聞くほど、内容は似通っている。全国どこの新聞であっても、一本でも多くの記事を載せたいという段階だった。
 
 一方、このフェイクニュースには2種類あり、震災直後の報道陣が事実を確認しないままにデマを信じて流した“早とちり”によるもの以外に、官から意図的に流されたものもあったことを突き止める。
 震災から少したって、朝鮮人虐殺のニュースが国際問題となりつつあるのを懸念した政府は、意図的に震災直後の朝鮮人の犯罪を捏造し、マスコミを通じて世にリークしたのである。
 それは、「日本人による朝鮮人虐殺は不可抗力あるいは正当防衛であった。なぜなら、朝鮮人が最初に不届きな事件をあちこちで起こしたから」という体面(言い訳)をつくるためであった。
 このあたりは今日まで続く権力による情報操作の闇を感じさせる。
 
 ともあれ、「朝鮮人の犯罪」というフェイクニュースは悲しいことに広まっていった。
 しかし、それがただちに「相手かまわぬ朝鮮人の殺戮」という非道につながったのには、なにかしらの理由が必要だろう。上の引用にみるように、武器を持たない単独の朝鮮人(と間違えられた日本人)でさえリンチの対象となったのだから。百歩譲って、朝鮮人に恐怖や怒りを覚えたとしても、ただ捕まえて縛っておくだけでは済まなかったのだから。
 なぜ、虐殺は起こったのか?
 中心となった自警団員とはどういう人たちだったのか?
 ここでは詳らかにしないが、渡辺の説にはソルティを震撼とさせるものがあった。

軍人墓地


 最後に、この問題の論点を単純化して整理する。
 関東大震災の直後、
  ① 朝鮮人による犯罪(放火、暴行、殺人、井戸に毒投入など)はあった
  ② 朝鮮人による犯罪はなかった
  ③ 日本人による朝鮮人虐殺はあった
  ④ 日本人による朝鮮人虐殺はなかった 

 震災直後に大方の人々が抱いたのは、①→③である。各新聞社が「無責任に」、政府が「意図的に」流した情報もこの道筋に拠るものであった。つまり、「③虐殺」は、「①犯罪」に対する正当防衛だという見方である。
 その後、①は公式によって否定された。
 以降、ソルティはじめ大方の日本人が学んできた常識は、②→③である。つまり、「③虐殺」は、デマを信じ込んだ日本人の愚行であった。渡辺もまたこの前提に沿って本書を記している。
 ラムザイヤー教授が約一世紀後の今になって突如として言い出したのは、よもやの①→③への逆戻り。しかも、「③虐殺」を矮小化するニュアンスを打ち出している。
 そして、最後にネットを中心に近年見かけるようになったのが、①→④である。「なかった」ことが問題化し100年間語られてきたというアクロバティックな理屈!
 
 もっとも、ソルティも当時そこにいたわけではない。
 自分が②→③という図式を常識と思うようになったのは、活字やテレビや伝聞など他者によって作られた情報がもとで、自分の目や耳で確かめた事実ではない。
 多かれ少なかれバイアスがかかっている。
 本書もまた、著者の渡辺が“元朝日新聞記者”ということが一つのバイアスと取られる可能性大である。
 人は、自分の見たいものを見るし、信じたいものを信じる傾向がある。
 渡辺自身もまた、本書「おわりに」でこう記している。
 
 社会に力を持つフェイクニュースとは単なる嘘ではないことを思い知った。多くの人々が信じて疑わない嘘なのだ。社会や人々の中に、信じ込む背景が、待ち望む思いがある嘘だといえるのかもしれない。
 
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P.S. ラムザイヤー教授の論文だが、その後、ケンブリッジ大学出版当局から改訂の要求を受けて大幅に書き直したそうだ。関東大震災に関する部分はほとんど削除したらしい。なんだよ!




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● 昭和のステゴザウルス 本:『ひとはなぜ戦争をするのか』(アインシュタイン&フロイト著)

1932年7~9月の往復書簡
2000年花風社刊行
2016年講談社文庫(浅見昇吾 訳)

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 20世紀を代表する物理学者と心理学者がこのような手紙をやりとりしていたとは、ついぞ知らなかった。
 訳者あとがきによれば、当時この往復書簡は刊行されはしたものの、翌年のナチズム政権誕生後の激動の中で埋もれてしまったらしい。
 アインシュタインもフロイトもユダヤ系であり、ナチスの魔の手から逃れるため、前者はドイツからアメリカへ、後者はオーストリアからイギリスへ亡命している。
 第二次世界大戦の渦中、影響力の大きい二大天才によるこのようなテーマの著作が陽の目を見るのが難しかったことは、想像に難くない。
 ドイツでもオーストリアでも、アメリカでもイギリスでも、むろん日本でも、戦争に異議を唱えてはいけない時代だったのである。
 本邦での出版は2000年が初めてとのこと。

 文通のきっかけは、国際連盟がアインシュタインに寄せた依頼。
 「誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交わしてください」
 この依頼に対してアインシュタインが選んだ相手が、23歳年上の精神医学の巨人ジークムント・フロイトであり、選んだテーマが、「人間を戦争というくびきから解き放つことができるのか?」というものだったのである。

 往復書簡には違いないが、両者のやりとりは一回こっきりで、難しい物理学用語も心理学用語も使われていない。
 戦争の原因を、国際政治的あるいは宗教・民族的あるいは地勢・資源的な観点から読み解いているわけでもない。
 3、40分もあればさっと読み終える、極めてわかりやすい内容である。 
 本文庫には、二人の手紙のやりとりに続いて、浅見昇吾による『訳者あとがき』、解剖学者で『バカの壁』で有名な養老孟司による解説『ヒトと戦争』、ひきこもりの研究で知られる精神科医の斎藤環による解説『私たちの文化が戦争を抑止する』の三本が収録されている。
 これら付録のほうが本文より分量が多く、テーマが複雑なくらいである(とくに養老による解説)。

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 手紙の内容を簡潔にまとめる。
 まず、アインシュタインもフロイトも「戦争が起こるのは、人の本能に破壊欲求があるから」という点で一致をみる。フロイトは、それは人間にある「死の欲動(タナトス)」が外の対象に対して向けられたものであると専門的説明をする。
 フロイトは続ける。
 人間の攻撃性を完全に取り除くことはできないので、戦争とは別のはけ口を見つけてやればよい。「死の欲動」の反対にある「生の欲動(エロス)」を呼び覚ませばよい。
 
 人と人との間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻むはずなのです。 

 単純に言えば、「死の欲動」とは憎しみ、「生の欲動」とは愛である。
 汝の敵を愛せよ――。
 しかし、物事はそんなに単純でないことはフロイト自身、分かっている。
 大衆の感情を掻き立て心の絆を作る行為そのものが、戦意高揚にもっとも効果あることは、ほかならぬナチスが立証している。
 タナトスはエロスを利用する。(逆に、エロスもまたタナトスを利用する。たとえば三島由紀夫)
 フロイトは別の戦争抑止策を提言して、書簡を終える。
 
 文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!
 
 心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方――これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません。

 このフロイトの回答に対してアインシュタインがどう思ったのか、納得したのかしなかったのか、希望を得たのか失望したのか、そこが分からないのは残念至極である。
 ただ、第五福竜丸の被爆事件がきっかけとなって彼が死の直前に書き上げた『ラッセル・アインシュタイン宣言』(1955年)の最後で、こう記している。
 
 私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

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 啓発的かつ面白いのは、養老孟司による解説である。
 養老は、二人の議論で扱われなかったこととして、次の三点を挙げる。
  1. 当時の政治情勢
  2. 人口問題と戦争との関係
  3. 情報あるいはITの技術が戦争にもたらす影響
 1と2はともかく、3はもちろん二人の議論に取り上げられるべくもない。
 二人もよもやここまでIT技術と武器開発が進み、たとえばドローンの遠隔操作によるポイント爆撃といったように戦争の形態が変わるとは想像していなかっただろう。
 今回の新型コロナウイルスがそうなのかどうかは知らないが、実戦よりも確実に楽々と大量の敵の命を奪って社会を崩壊させる生物兵器の恐ろしさには思い及ばなかったであろう。
 二人が手紙のやりとりした当時と現代とでは、社会は大きく変わってしまった。
 養老は述べる。

 パソコンとスマホに代表されるITは日常生活を変えた。そこでは新しい社会システムが創られた、あるいは創られつつある、といっていいだろう。現代のシステムはアルゴリズム、つまり計算や手続きと考えてもらえばいいが、それに従って成立する。それまでは社会システム、たとえば世間はいわば「ひとりでにできる」、あるいは「自然にできてしまった」という面が大きかった。でも現代ではそれは違う。「アルゴリズムに従って創られる」面が大きい。経済や流通、通信はそうなっている。それを合理的とか、効率がいいとか、グローバル化とか表現する。

 このあたりは、『ホモ・デウス』においてユヴァル・ノア・ハラリが詳述している通りで、神の死とともに始まった近現代の「人間至上主義」が、人間を含むすべての生物をデータというフラットなものに還元する「データ至上主義」に、変わりつつある。
 そういった人類史における大転換期にあって、戦争はいったいどうなっていくのか?
 テロリズムはどう解釈されうるのか?
 この観点から読み解いていく養老の洞察力が冴えて、一読に値する。

 ユヴァルはアルゴリズム的社会において、戦争は――少なくとも国家間の大きな戦争は、廃れていくと予言している。
 養老もまた、「ほとんどが局地戦」になるだろうと述べている。
 それが本当であるならば、ソルティも「IT音痴の旧世代」あるいは「昭和のステゴザウルス」として静かに世を去っていくのもやぶさかでないのだが・・・。

昭和のステゴザウルス



 最後に、二人の議論にも養老の指摘にもかからなかった今一つの論点を上げる。
 それはジェンダー視点である。
 「ひとはなぜ戦争をするのか」という問いそのものに、すでにバイアスがかかっている。
 なぜなら、この場合の「ひと」とは MAN すなはち「男」のことであろうから。
 戦争をするのは、戦争を好むのは、どう見たって「女」よりも「男」である。
 戦争の種は、ホモサピエンスの「男」の性質(マチョイズム)に埋め込まれている。
 アインシュタインもフロイトも養老孟司も、そこに思いが及ばない。
 「バカの壁」ならぬ「男の壁」がそこにある。

 

おすすめ度 :★★★★

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● 秋の秩父リトリート&くるみ蕎麦

 連休と有休を利用して、4泊5日の秩父リトリートを決行した。
 コロナ禍になって3回目となる。
 もう、暇があれば秩父に足が向いている。
 秩父34札所巡りを結願してから、秩父と縁ができてしまったようだ。

 今回も、NO テレビ、NO スマホ、NO アルコール、NO 会話、NO エッチ、NO 過食の環境設定で、瞑想&読書&散歩の孤独でストイックな日々を過ごした。(本は仏教書持参)
 大概の人にとってはおそらく苦痛でしかないであろうこの環境を、むしろ快と感じるこの頃なのだから、ソルティも半聖半俗というか、修行マニアというか、隠居寸前というか・・・・変わり者なのだろう。
 自分にとってはもはや苦行ではなくて、楽行なのだ。
 コロナやワクチンや政権争いや皇室スキャンダルでかまびすしい世間から、いっとき身を離すのが嬉しい。
 一日中、マスクをしないで過ごせるディスタンス度が心地良い。 

 今回は散策中に秋の花々を愛でることができ、喜びもひとしおであった。
 年をとるにつれ、花が好きになる。
 それも、誰に待たれることなく今年も咲いてくれる、道端の小さな花が愛おしい。


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曼殊沙華が満開であった(札所16番前)

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秋桜もいまが盛り

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朝顔はいまや秋の花

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桔梗は秋の七草の一つだが、実際には初夏から咲いている

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 秩父は戦災を受けなかったので、古くからの建物があちこちに残っている。
 それらを見つけるのも楽しい。
 やはり年をとるにつれ、伝統的な日本建築の美しさに惹かれていく。


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大林宣彦監督の映画に出てきさうな・・・

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散歩途中よく猫と出会う 

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荒川河川敷に降りてみた
いまはBBQ禁止になっている

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左奥に武甲山を望む

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秩父公園橋を見上げる


 毎朝、宿から秩父神社まで歩いて参拝するのが日課。
 これが実に気分いい。
 早朝の秩父盆地に憩うさわやかな大気、悠然と町を見守る武甲山の雄姿、柞の杜(ハハソのもり)に囲まれた秩父神社の神聖にして清冽なる気。
 参拝後に境内のベンチで小一時間も瞑想すると心身はこの上なく、清らかに鎮まる。
 この清らかさ、なにものにも代え難い。
 それは、欲望が満たされた時に感じるような「天にも昇る」幸福感ではないけれど、それよりずっと安定していて、自ら作りだすことができるので依存性もなく、失うことの不安や恐れもない。
 決して特別なものではなく、心が妄想に(過去や未来に)かまけてさえいなければ「今ここ」で実現しうる穏やかな静謐。
 足すことでなく引くことで、求めることでなく捨て去ることで見出せる、遠慮がちな至福である。 

 自分がずっと求め続けていたのはこれだったんじゃないか!

 ハハソの森のどこかで、コノハズクが「ブッポウソウ、仏法僧」と鳴いていた。


秩父神社
秩父神社本殿



 最終日、秩父鉄道皆野駅から出ている無料シャトルバスに乗って、秩父市下吉田にある星音の湯(せいねのゆ)に足を延ばした。
 山と畑に囲まれた隠れ家的温泉。
 バスを降りたらどうもデジャヴュがある。
 地図を見て気づいた。
 秩父札所33番から34番への道筋にある。
 巡礼したとき、この横を通っていたはずなのだ。


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広々と解放感あるロケーション

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 平日の午前中で、露天風呂独り占めできた。
 肌がつるつる(ヌルヌル?)してくる泉質もすばらしいが、檜づくりの日本家屋に囲まれた水音ゆかしい中庭が風流であった。
 おりしも十五夜、ススキやお団子が供えられていた。


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擂ったクルミ入りのつゆにつけて蕎麦を食べるのが秩父風
もちろん、わらじカツは定番






● 映画:『異邦人の河』(李学仁 イー・ハギン監督)

1975年緑豆社
115分、白黒

 在日2世の若者のアイデンティティをめぐる葛藤を描いた青春ドラマ。
 主演は往年のロックバンド、キャロルのジョニー大倉(2014年62歳で没)。
 この映画出演を機に、自身が在日2世(朴雲煥 パク・ウナン)であることをカミングアウトした。
 つまり、演じる本人と役柄とがモロ重なっている。
 演技の上手下手はおいといて、勇気と覚悟と解放感をもって熱い思いを胸に演じているのは確か。
 瑞々しい素朴な表情が光っている。
 映画評論家の町山智浩によると、ジョニー大倉はカミングアウトがきっかけでラジオのレギュラー番組を下ろされたという。
 75年当時、在日をめぐる我が国の状況はそんなものだったのだ。
 
 恋人役の在日の少女を当時19歳の佳那晃子(当時の芸名は大関優子)が演じている。
 なんつー、美少女!
 若き日の松坂慶子似の目鼻立ちのくっきりした高貴な顔立ちは白黒画面に映える。
 デビュー2作目なのに演技も素人臭い感じはなく、ジョニーをリードしている。
 元来備わっているこの風格が、後年『魔界転生』のガラシャ夫人好演につながったのだと納得。
 
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佳那晃子とジョニー大倉


 李学仁監督についてはよく知らないが、白黒映画をここまできれいに効果的に撮れる技術は並ではない。
 構図や光の使い方にも工夫がある。

 本作では、1963年から1979年まで16年に及んだ朴正煕(パク・チョンヒ)政権下での大韓民国の実情が背景をなしている。
 朴大統領は、民主化を弾圧し独裁者と呼ばれた。(その娘は韓国初の女性大統領となったものの不祥事で罷免された朴槿恵 パク・クネである)
 ソルティは韓国の政治史についてまったく門外漢なのだが、小学生だった当時、『ユンボキの日記』という韓国の貧しい少年の物語を読んで、あまりの悲惨さに胸が詰まったのを覚えている。
 チューイングガムを売ってつくったお金でうどん一玉を買い、病弱の父親と3人の弟妹で分け合うとか、そんな話だった・・・・
 思えば、あれが朝鮮文化との最初の出会いだった。




おすすめ度 :★★★

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● 天城越えず 映画:『あした来る人』(川島雄三監督)

1955年日活
115分、白黒

 原作は、井上靖の同名小説。
 青春を過ぎたものの世間的になかなか落ち着かず、それぞれの幸せを求め続ける男女4人(月丘夢路、新珠三千代、三橋達也、三國連太郎)と、すでに老境に差しかかった社会的成功者である男(山村聰)、都合5人が織りなす抑制の効いたメロドラマである。
 “抑制の効いた”というのは、少なくとも「不倫」という言葉が市民権を得た80年代以降なら、平気で肉体関係を持ったであろうような絶好のシチュエーションで、この5人の男女は欲望を抑えるからである。
 たとえば、月丘夢路演じる美しき人妻と三國連太郎演じるやもめのカジカ(鰍)研究家は、お互いに惹かれ合っているにもかかわらず、二人きりになった伊豆の旅館で一線を越えることはない。
 この時代、『天城越え』(by 石川さゆり)はまだ遠い。
 5人の関係は面白いように複雑に入り組んでいるので、もし各々がおのれの欲望に忠実に従って倫を越えてしまえば、ぞっとするような愛憎の修羅場がそこに出現し、来るべき「あした」は地獄となるであろう。
 一線を越えるというハードルは、この時代、まだまだ高かったのである。


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伊豆の海をバックに月丘夢路と三國連太郎

 別に選んでレンタルしたわけではないけれど、ここにも三國連太郎が出ていた。
 男盛り28歳、どのカットを取っても「絵になる」。
 西欧人の血が混じっているのでないかと思うような彫りの深い美形。 
 ジャン・コクトーが観たら、ほうっておかなかったのでは・・・。




おすすめ度 :★★★

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● 映画:『アンチグラビティ』(ニキータ・アルグノフ監督)

2019年ロシア
111分

 ロシア発のSFアクション映画。
 アンチグラビティは「反重力」の意だが、原題 Koma はロシア語で「昏睡」の意。
 事故や病気や投薬によって昏睡状態になった人が赴く、各自の記憶の断片をもとに合成・創造された奇妙な世界が舞台となる。
 つまり、『エルム街の悪夢』、『マトリックス』、レオ様主演の『インセプション』と同型の、意識下のヴァーチャル世界をリアルに生きる者たちの話である。

 Koma(昏睡)世界の住人には「リーパー」と呼ばれる共通の敵がいて、その恐ろしき怪物との闘いが主筋の一つをなしている。
 この怪物の正体が、脳死患者の記憶が創造したイメージであるというのが、なんとも微妙である。
 脳死患者は本作を観て「差別的だ!」と抗議できないだけに・・・。
 
 今一つのテーマは、「現実世界と Koma 世界、どっちに生きるのが幸福か?」という問いかけである。
 Koma 世界の住人たちは、現実世界でそれなりの理由があって昏睡状態に陥る羽目になったわけで、昏睡から“幸運にも”目覚めたときに待っている現実は、決してなまやさしいものではない。
 たとえば、交通事故が原因で頭を打ち昏睡に至った者なら、目が覚めたときに、一生不自由になった身体や変わり果てた容貌や様々な人間関係・現実社会のしがらみに直面しつつ、その後の人生を生きていかなければならない。
 であるならば、五体満足で思い通りの自分になれる Koma 世界に生きるほうが幸福ではないか?
 
 本作はCGを駆使した高いビジュアル効果が売りのアクション映画――たしかに見事な驚異的な映像の連続である――なので、そこらへんはあまり深く追及されていない。
 が、真剣な考察に値する問いと言えよう。
 その点で、同じロシア――というよりかつてはソ連だった――の名監督アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(原作はポーランド作家スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』)を思い出した。


夢と現実



おすすめ度 :★★

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● いつか見た変な夢 漫画:『壁男』(諸星大二郎著)

2007年双葉社文庫名作シリーズ
初出
『壁男』1995~1996年
『ブラック・マジック・ウーマン』1979年
『鰯の埋葬』1991年
『会社の幽霊』1992~1993年
『夢の木の下で』1997年
『遠い国から』1978~1998年

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 『暗黒神話』、『自選短編集 彼方より』に次ぐ、3冊目の諸星ワールド参入。
 もうすっかりこの世界の虜となった。

 なんという奇抜な想像力!
 CGのなかった時代、まさに漫画でなければ表現できないモチーフであり発想である。
 その意味で、極めて「漫画的」な作家と言っていいのだろう。
 『彼方より』を読んで、つげ義春、伊藤潤二、赤塚不二夫、永久保貴一などを想起したと書いたけれど、今回は、安部公房(「壁男」の実存的意味)、古賀新一(「ブラック・マジック・ウーマン」のサバト風景)、レイ・ブラッドベリ―(「夢の木の下で」の幻想性)、星新一(「遠い国から」の怪奇と寓話性)などを連想した。
 つまり、読んでいるとなぜか「奇妙でおっかないけれど、どこか懐かしい」といった気分にさせられる。
 それは、悪夢というほどではないけれど、変てこりんな夢を見たときの目覚めの感覚に似ている。
 夢の中では、自分もたまに諸星大二郎になっている。

 CG全盛の現在、『壁男』や『夢の木の下で』あたりは映像化されても面白かろう。
 個人的には『遠い国から』に出てくる、驚くと団子虫のように地べたに丸まってしまう民族ピロン人に笑った。

ダンゴムシ



おすすめ度 :★★★★

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     読み損、観て損、聴き損

 

● この秋、テレビドラマ化! 本:『日本沈没』(小松左京著)

1973年光文社
2006年光文社文庫

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 上下巻合計400万部の大ベストセラーにして、日本SF界の金字塔である本作をついに読んだ。
 むろん、映画のほうは、森谷司郎監督、小林桂樹、丹波哲郎、いしだあゆみら出演の1973年版を観ているし、小林桂樹、村野武範、由美かおるらが出演した1974年のテレビドラマ版も観ている。
 なにせ小学生の頃で、火山が噴火し、地割れした日本列島が海に沈んでいく特撮シーンくらいしか記憶に残っていない。
 樋口真嗣監督、草彅剛、柴咲コウ共演の2006年版の映画は観ていないが、同じ年に封切られた『日本以外全部沈没』(樋口真嗣監督)は劇場まで見に行った。期待外れだった。
 この秋(10月10日より)TBS系列にて、小栗旬、松山ケンイチ、杏ら共演で再ドラマ化されるとか。
 小松左京リバイバルが起こっているのかもしれない。

 刊行から半世紀近く経って読んでみて、まったく古びた感がないのに驚く。
 それどころか、いよいよもって迫真性が高い。
 それもそのはず、1973年の日本人はいまだ、阪神・淡路大震災も、東日本大震災および福島第一原発事故も、今回のコロナ禍も経験していないからである。
 本作で小松が無尽の想像力を駆使して描き出している大地震や津波による都市の被害、災害下における日本人の振る舞い、緊急事態宣言下で起こるパニックや一部暴徒による利己的行動・・・。
 2021年の日本人はそれらを経験として知っている。
 自然災害によって生じる物理的被害のありようも、社会・経済的被害のありようも、「日本人」という民族的特質が絡んださまざまな心理的現象のありようも知っている。
 それが本書で、あたかも予言のように披瀝されているのを見る。

 子供の頃『日本沈没』を観たときは、“現実にはありえない”世紀末的スペクタクルとして作品を楽しむことができた。当時流行った『ノストラダムスの大予言』や『復活の日』も同じである。
 しかし、2021年の今、本作を読んでいるとデジャビュー(既視感)に襲われる。
 すでに起こったことの記録や検証のように思える。
 「今ここにある」危機を映しているように思える。
 なんたって、緊急事態宣言が形骸化する「今」なのだ!

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Sofia TerzoniによるPixabayからの画像


 知の巨人たる小松左京の博覧強記、徹底した取材・調査力、科学や工学に関する深い造詣、驚くべき斬新なアイデアとそれを科学的に裏付けることのできる理論構築力、そして専門家にしか理解できないような難解な事柄をきちんと盛り込みながらも読者をつかんで離さないストーリーテリングの巧みさ。
 天才とはこういう人のことを言うのだろう。

 今回、初めて知って驚いたのだが、小松左京は理系出身ではなかった。
 プロフィールに京都大学文学部イタリア文学専攻とある。
 イタリア文学専攻のSF作家だったとは!
 意外な気もしたが、読んでいるうちに「なるほど」と首肯できるところもあった。
 単なるカタストロフィ・パニック以上の文学性、哲学性が光っている。
 文章や描写もまた、非常に気高く美しい箇所が散見される。
 未曽有の悲劇において露呈される日本人の姿を描き出すことを通して、ある種の文明批評、日本人論にもなっている。
 そもそも、『日本沈没』も『復活の日』も一種の“地獄めぐり”であり、そこにイタリアの大作家ダンテの『神曲』が投影されている。
 煉獄の試練をへて“神的なもの”に至る――それが小松の終生のテーマだったのかもしれない。


 以下、引用。

 ――災厄は、何事につけても、新旧のラジカルな衝突をいやがる傾向にあるこの国にとって、むしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを地上から一掃する天の配剤として、うけとられてきたようなふしがある。
 この国の政治も、合理的で明晰で図式的な意志よりも、無意識的な皮膚感覚の鋭敏さに、より多くのものを負うてきた、この古くからの高密度な社会における政治においては、誰一人意識的にそうするわけではないにもかかわらず、結果的には、災厄を利用するという国民的な政治伝統がそなわっているみたいだった。(上巻154ページ)

 ――「大衆社会」というのは、全体的に「統制」をきらい、統制側も弱腰で「緊急事態」に対する心がまえのない、抑制のきかない社会だった。ふつうの時はいいが、いったん社会全体が危機におちいると、いたるところに、贅沢で、わがままで、傲慢になった人々によって、混乱と無秩序がひき起こされる。(上巻382ページ)

 長い鎖国――明治大正昭和も、一般民衆にとっては、一種の鎖国だった――を通じて培われた、抜きがたい「同朋意識」が・・・天皇の一声で戦争をやめ、戦後、政府、軍閥を口先では、はげしくののしりながら、十三名のA級戦犯刑の時、後ろめたさと内心の痛みを感じさせたような、「政府―指導者」との、郷党意識をはるかに越える一体感、「共同体感覚」――むしろ、子が親に、「最後は何とかしてくれる」と思い、そう思うことでつながりを保証するような「国に対する甘え」の感覚が、今もなお、大部分の民衆の心の底に根強く、わだかまっており、それが彼らに、「危機における従順と諦念」の基本的行動様式をとらせていた。(下巻219ページ)

 日本人は・・・ただこの島にどこかから移り住んだ、というだけではありません。あとからやって来たものも、やがて同じことになりますが・・・日本人は、人間だけが日本人というわけではありません。日本人というものは・・・この四つの島、この自然、この山や川、この森や草や生き物、町や村、先人の住み残した遺跡と一体なんです。日本人と富士山や、日本アルプスや、利根川や、足摺岬は、同じものなんです。このデリケートな自然が・・・島が・・・破壊され、消え失せてしまえば・・・もう、日本人というものはなくなるのです・・・・。(下巻373ページ)


 最後に――。
 本作で小松が(周到にも?)言及や解釈を避けた日本人のアイデンティティが一つある。
 天皇である。(作品の中では沈没前にスイスに移住)
 小松左京は天皇制をどう思っていたのだろう?

錦の御旗



おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 令和の少年 映画:『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(原作:吾峠呼世晴、監督:外崎春雄)

2020年 ufotable制作
117分、アニメ

 『千と千尋の神隠し』が持っていた日本映画の最高興行収入記録 324億円をほんの一年足らずで抜きさり、約400億に達した、文字通り“化け物“アニメである。
 コロナ禍にかかわらず、あるいはコロナ禍が幸いして、観客動員数は約2400万人、日本人の5人に1人が観た計算になる。
 社会現象というか社会的事件というにふさわしい。

 例によって流行に疎いソルティ、この漫画が『少年ジャンプ』に連載されていたことも、テレビ放映されていたこともちっとも知らず、作者の名前もついさっきウィキで調べるまで知らなかった。
 「ごとうげ こよはる」と読む。
 本名なのか?

機関車

 
 ついに「5人に1人」の仲間入りした。

 う~ん・・・・。

 下手なこと書くと非難コメント殺到しそうで怖いが、正直、なんでこんなに騒がれるか理解できない。
 言うまでもなくアニメの技術は見事だし、迫力あり感動ありで面白くないことはない。
 スクリーンの大画面とドルビーの大音響で観たら、興奮間違いなし。 
 が、『千と千尋』や『もののけ姫』にくらべたら、あるいは『エヴァンゲリオン』や『クレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲』にくらべたら、まったくの子供向け。
 大人の鑑賞に耐えるものではない。
 いや、これは悪口ではない。
 『少年ジャンプ』に掲載されていたのだから、それが当然なのである。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 
 ただ気になったのは、主人公の少年たちのナイーブ度、センチメンタル性。
 最近の『少年ジャンプ』のヒーローたちは、こうも傷つきやすいのか、こうも平気で泣くのか、こうも複雑なものを抱えているのか。
 ソルティが少年の頃に読んでいた同誌の作品たち――『リングにかけろ』、『キン肉マン』、『コブラ』、『北斗の拳』、『キャッツ・アイ』、『キャプテン翼』ほか――の主人公の男たちの単純さ(わかりやすさ)とくらべると、“男”のありように隔世の感がある。
 また、かつて少年たちは父親の大きな背中を追ったものだが(『巨人の星』や『美味しんぼ』のように)、本作の場合、主人公の少年たち(竈門炭治郎と煉獄杏寿郎)は母親との絆によって力を得る。
 父親の影は圧倒的に薄い。 
 そして、それが世に受ける!
  
 時代の趨勢を感じた。
 


おすすめ度 :★★

★★★★★
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● 三國連太郎、絶賛! 映画:『三たびの海峡』(神山征二郎監督)

1995年松竹配給
123分

 原作は帚木蓬生の同名小説。
 終戦までの日韓併合下、朝鮮から強制的に連れてこられ、筑豊炭田で奴隷のようにこき使われた朝鮮人の物語。
 『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』でも言及されている史実である。

 主演の三國連太郎は本作の演技で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲っている。
 「それも当然!」と大いに頷ける渾身の演技で、最初から最後まで三國の表情、喋り、一挙手一投足に魅入られてしまう。
 このレベル、『サンダカン八番娼館』の田中絹代に匹敵する。
 『飢餓海峡』、『切腹』、『親鸞 白い道』、『利休』、TVドラマ『赤い運命』の島崎など、三國には数々の名演、代表作があるけれど、本作の演技が役者人生の一つの頂点をなしているのは間違いあるまい。
 ここに至るには、佐藤浩一もまだまだ伸びしろがある。

 80年代後半にアイドル四天王と言われた南野陽子が、思いがけず、素晴らしい。
 朝鮮人の若者を愛する積極的な後家さんにして、生まれながら二つの祖国をもつことになった男児を女手一人で育てる気丈な母親を、美しくも艶やかに演じている。
 アイドルの演技では全然ない。

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ラブシーンを演じる南野陽子
色っぽいのナンノ・・・
 
 筑豊炭田で朝鮮人をこき使う冷酷無比なる日本人監督に隆大介が扮している。
 ふてぶてしい面構えと鋭い眼光、187㎝のいかつい体躯はまさにはまり役で、作品にリアリティを与えるに十分な存在感を放つ。
 が、ウィキによれば隆大介は在日コリアンだったらしい。
 どのような心境から演じていたのか興味深い。
 
 ほかに永島敏行、樹木希林、白竜、林隆三がしっかりと脇を固めていて、作品の質の高さを担保している。

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父と子の再会シーンにおける林隆三と三國連太郎 

 

おすすめ度 :★★★★

★★★★★
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● 本:『ルビンの壺が割れた』(宿野かほる著)

2017年新潮社刊行
2020年新潮文庫

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 ほんの165ページ、2~3時間もあれば読み通せるミステリーで、書簡体つまり二人の人間の手紙のやり取りでストーリーが進むので、非常に読みやすい。
 ソルティは外出中に立ち寄ったカフェでランチしながら、おもむろにページを開き、流れに引きずり込まれ、コーヒーのお代わりをしつつ、全編を驚愕とともに読み終えるまで、そのままカフェに居座ってしまった。
 飲食店に長居は無用の昨今なのに・・・・

 ファイスブックを介した30年ぶりの男女の邂逅。
 二人はかつて恋人同士で、結婚を決めた仲。
 だが、結婚式当日に花嫁は会場に現れず、そのまま音信不通となった。
 いったい花嫁に何があったのか?
 失意の花婿のその後の人生はいかに?  
 お互いの人生を決定的に変えてしまった謎、そして今となっては解明されたところでせんかたない謎をめぐって、二人のなつかしくも忌まわしい思い出話が展開する。
 二人が出会ったのは大学時代。
 演劇部の先輩後輩の間柄にあった。 

 これ以上の中味については触れないのが礼儀というものだろう。
 つまらない出来の良くないミステリーならば、がんがんネタバレして欠点をあげつらいたくもなるが、本作は完成度が高く、スリリングで面白い。
 ラストが近づくにつれ、加速度をつけて変転していくストーリーと盛り上がっていくサスペンスは比類ない。
 そして、ついに明かされる花嫁失踪の真相。
 この衝撃、ぜひ味わってもらいたい。
 
 著者の宿野かほるは覆面作家で、プロフィールは非公表とのこと。
 デビュー作となった本作は、新潮社への原稿持ち込みによるらしい。
 詮索したところでなんの意味はないけれど、ソルティが推察するに、
  • おそらく現在40~50代の女性(昭和40年代生まれ)
  • 過去に演劇をやっていたことがある
  • 関東圏在住
  • 出身は静岡か?
  • フェミニスト

 最後のフェミニストってところが、本作の一つのポイントである。
 本作は、ある意味、男と女の性的な事柄に対する感じ方や、愛に対する意識、罪や噓に対する感覚の違いがあぶり出される小説である。
 なので、読み手が男であるか女であるかで、かなり異なった印象なり感想なりがもたれる可能性が高い。
 いや、「男か女か」と固定すること自体、ジェンダー差別かもしれない。
 フェミニストかそうでないかで読後感は相当違ってこよう。
 その点で、乾くるみの『イニシエイション・ラブ』と響き合うところがある。
 読者を唖然とさせるどんでん返しも然り。
 


おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
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● 思わず解析したくなる 映画:『クワイエット・フレンド 見えない、ともだち』

2019年カナダ
84分

 8歳のジョシュは、優しい両親と何不自由なく暮らす感受性の強い男の子。
 学校で孤立し、いつの間にか空想上の友達と遊ぶようになる。
 それがZである。(本作の原題は『Z』)
 最初は気にしなかった母親エリザベスであったが、ジョシュの問題行動があらわになり、周囲に不可解な現象が続くようになって、恐怖と不安に襲われる。
 もしかしたら、Zは実在するんじゃなかろうか?
 旧知の精神科医に助けを求めたエリザベスは、驚愕の事実を伝えられる。
 Zはもともとエリザベスが子供の頃に作りだして一緒に遊んでいた友達であり、エリザベスはくだんの精神科医の治療を受けていたのだった。
 彼女はなぜかその記憶を失っていた。 
 そう、Zの真の標的はジョシュではなくて、エリザベスだった。 

 一見、超常現象オカルトサスペンスである。
 Zを孤独な少年少女に憑りつく悪霊と取れば、リンダ・ブレア主演『エクソシスト』に通じる。
 エリザベスやジョシュに救いの手を伸べるのが修練を積んだエクソシスト(悪霊払い)ではなく、精神科医であるところが、現代的と言える。
 結局、精神科医の手には負えず、エリザベスは自殺未遂したあげく精神崩壊、Zはジョシュの“見えない友達”として存在し続けることを暗示する、すっきりしない陰鬱なラストが待っている。
 エリザベスの夫はZに殺されてしまうし、家は火事になるし、何も解決していない。
 ハッピーエンドと程遠いのはともかく、謎が解明されないまま終わってしまう。
 Zとは何だったのか?
 一つのホラー作品として観た場合、観る者にまったく理解もカタルシスももたらされないので、失敗作と評価されてもおかしくはない。

燃える骸骨

 
 しかるに、心理サスペンス&家族ドラマとして観た場合、非常に解析欲をそそる題材となっている。
 ソルティは、通常モードで1回、2倍速で2回観て、手がかりを探してしまった。
 そう、普通のオカルトドラマなら必要ないような細部のエピソード、とくにエリザベスの生まれ育った家庭にまつわる描写が多く、どうも普通のオカルト映画以上のなにかがあるように思えてしまうのである。
 ソルティが気になったいくつかのポイントを上げる。(ここからネタバレになります)
  1. エリザベスには腹違いの妹ジェナがいる。ジェナは母親との間に確執があるらしく、母親の最期を看取ることができない。今は独り身でアルコールに溺れる荒れた生活をしている。
  2. 死の床にあるジェナの母親は、見舞いに来たエリザベスの示す好意を拒絶する。むろん、血のつながっていない義理の娘ではあるが、なにかそれ以上の理由が隠されているように見える。
  3. エリザベスとジェナの父親は、二人が子供の頃に家の中で首つり自殺をしている。エリザベスはそれを発見したらしい。(彼女の記憶喪失はこの時のショックからかもしれない)
  4. 母親(義母)が亡くなったあとの実家で、壁に飾られた父親の写真を見たときから、エリザベスとZとの再会が始まる。
  5. エリザベスの実家に連れていかれたジョシュは、祖父の自殺現場に引き寄せられてしまう。(自殺の事実をおそらくは知らないのに)
  6. Zは破壊的で独占欲が強い。
  7. 精神科医は子供の頃のエリザベスの臨床風景を録画していた。そのビデオの中でエリザベスは、「お父さんが好きでない。Zと結婚する」と発言している。
  8. Zの嫉妬からジョシュの身を守るために、エリザベスはジョシュを妹に預け、Zと二人きりの生活を始める。途端に彼女は幼児化し、あたかも子供の頃の自分に戻ってしまったかのよう。
  9. 義母の残したウエディングドレスを着てZとの結婚式をあげるエリザベス。テレビ画面に映る古いビデオ映像を憎々し気に見つめる。そこには義母と父親との結婚式の模様が流されている。
  10. 精神科医は言う。「子どもが空想上の友達を作る原因の一つは、現実との間に壁を作る必要があるから」
  11. Zは最初は妖怪のような恐ろしい姿をして現れるが、最後には首に何かを巻いた裸の男の姿になって出現する。
  12. エリザベスはZとベッドを共にしている。
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上記4 自殺した父親の写真を目にするエリザベス


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上記5 祖父の自殺現場を凝視するジョシュ


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上記11 精神科医の背後にZの姿を見るエリザベス


 さて、以上からソルティが作りだした解釈は次のようになる。

 実の母親を失ったエリザベスは、独占欲の強い父親から夜毎に性虐待を受けていた。
 その現実を認めたくないため、エリザベスは空想上の友達をつくり、それをZと名付けた。
 実の父を拒絶し、Zを理想の父(恋人)とした。
 父親は再婚し、ジェナが生まれた。ジェナの母親は、夫とエリザベスの関係に薄々気づいていた。(ゆえにエリザベスを受け入れることができない)
 その後、父親は自害する。その光景を見たエリザベスはショックから幼児期の記憶を失う。義母の目を盗んで父親と関係を持ったことが自殺の原因と思い、無意識下に強い罪悪感を抱えこむ。
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 大人になったエリザベスは結婚し、ジョシュが生まれる。
 義母の病と死をきっかけに、抑え込んできた幼児期の記憶が浮上する。(あるいは抑えつけられていたZの霊が解放される)
 相手が実の父であったことを受け入れられないエリザベスは、それをZの仕業ととらえる。
 エリザベスは、Zを相手に幼児期の父親との関係を反復し始める。

 つまり、Z=エリザベスの父親、というのがソルティの解釈である。
 そう考えると、幼児化したエリザベスが、部屋にやって来るZとベッドを共にするシーンが、何とも言いようのない痛々しさで迫ってくる。

 勝手に深読みして、勝手に不快な思いを抱いているのだから世話ないが。



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 本:『マンション管理員オロオロ日記』(南野苑生著)

2020年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 著者は、妻と共に住みこみでマンション管理員をしいる72歳の男。
 かつては広告代理店勤務で「空気を商売にしている」ようなバブリーな生活を送っていたが、思い切っての独立後、不況で経営に行き詰まる。
 ホームレス寸前までいった59歳の時、マンション管理員に転身する。
 これまでに関西地区の三つのマンションを渡り歩いてきた。
 
 ソルティはマンションに住んだことがないので、管理員の大変さを知らなかった。
 いや、住んでいる人でも知らない人は知らないであろう。
 共用スペースの切れた蛍光灯を取り換えたり、ゴミ収集所の管理をしたり、駐車場・駐輪場に目を光らせたり、建物周囲の植え込みに水をやったり、留守宅の宅急便を預かったり、定時巡回したり・・・・日々そんなことをしているんだろうなあというイメージがあった。
 どのマンションでも定年退職者らしき高齢者が従事しているのは見知っていたので、「それほど骨の折れる仕事ではあるまい」と思っていた。
 小中学校の用務員さんみたいなイメージだ。(と言って小中学校の用務員の実情をよく知らない。本シリーズで、『学校用務員グダグダ日記』を企画してはくれまいか)
 
 本書を読むと、日課となっている上のような基本業務――ただし宅急便の預かりはやってないようだ。マンション住人は私用を管理員に頼んではならないと決まっているのだ――はそれほど大変でもなさそうだ。
 なんと言っても、大変なのはクレーム対応。
 著者によれば、集合住宅の三大クレームは、①無断駐車、②ペット、③生活騒音、とのこと。
 ほかにも、器物損壊、上階からの水漏れ、悪臭、共用スペースの私物化、自殺志願者(自殺名所となっているマンションは多い)、認知症老人の世話、住民同士のいざこざ、敷地内の緑地にあるベンチで昼間からイチャイチャする高校生など、四方八方からさまざまな事件やクレームが飛び込んでくる。
 他の住民のためにもなる正当なクレームならまだしも、クレームのためのクレームすなわちモンスタークレーマーがいた日には、うんざりを通り越して疲弊するばかりである。
 通常の場合、管理員も他の勤め人同様に9時-5時で雇われているので、勤務が終われば仕事から解放される。
 が、著者夫婦のような住み込みの場合、ほとんど24時間対応に追われることになる。
 
 騒音問題の仲裁であったり、部屋で暴れる奥さんの緊急対応や立ちション目撃者からの通報などなど、日ごろのウップンの聞き役であったり、癪にさわることを注意してもらおうという人たちの受け皿、もしくは苦情承りと目されているのが、マンション管理員の実情なのである。

 
 マンション管理員を雇っているのは管理会社で、管理会社と契約しているのはマンションの理事会である。
 なので一般に管理員は、管理会社の当該物件担当者であるフロントマンに逆らえず、フロントマンは理事会とくに理事長には逆らえない。
 管理員は、フロントマンと理事長の顔色を見ながら仕事をしなければならない。
 これがまためんどくさい。 
 著者が二つ目に勤めた大阪のマンションでは、フロントマンと理事長が結託して住民から集めた管理組合費の私的流用をするわ、それを咎めた著者を煙たがって時間外労働を押し付けるわ、裁判も辞さない覚悟で法令遵守を訴えた著者にヤクザまがいの台詞で脅すわ、さんざんな目に遭ったようだ。
 むろん著者はそこを即刻辞めたのであるが、分譲マンションの住民は簡単には逃げられない。
 こんな腐っている理事会と管理会社をもつ住民こそ哀れである。

集合住宅

 
 著者は京都と大阪のマンション管理員を経験してきたようだが、「どこの地域にある、どの社会階層(収入・学歴・年代・国籍など)が住むマンションか」によって、管理員の大変さもずいぶん異なってくるだろう。
 管理員の大変さは、地域の治安レベルや居住者の“民度”に左右されるところが大きい。
 もっともそれは、たとえば警察(交番)、お役所、学校、介護施設など地域住民を相手とする他の仕事にも共通するところである。
 著者の紹介するエピソードには、自転車のサドル狙いの暴走族やら、その筋の男(暴力団員)やら、詐欺を稼業とする夜逃げ一家が登場する。
 なかなかの修羅場地域とお見受けした。
 
 ソルティはマンションにこそ住んだことはないものの、集合住宅(賃貸アパート)は何件か渡り歩いた。
 都合、25年くらいになろうか。
 本書を読みながら、これまで住んだアパートで体験したいろいろな被害が走馬灯のように浮かんできた。
 隣室の騒音(アノ時の声含む)、自転車盗難、上階からの水漏れ、ガス漏れ、ぼや騒ぎ、警報機の誤作動、水道管の凍結と破裂、自殺、救命救急、洗濯物盗難(なぜ三十路の男物を?と当時思った)、ストーカー大家による室内無断侵入、シロアリ、ペットに対する苦情(これは無断で猫を飼っていたソルティが悪い)・・・・・。

 ああ、なつかしい。
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 遊び心あるかあ! 映画:『真空地帯』(山本薩夫監督)

1952年新星映画社
129分、白黒

 原作は野間宏の同名小説。
 反戦映画であるが、舞台となるのは激しい戦闘が繰り広げられる外地の戦場ではなく、初年兵などの軍事教練の場である大阪の兵営である。
 野間宏も山本薩夫監督も従軍経験があり、実体験に基づいた迫力ある描写に慄然とさせられる。
 真空地帯とは、一般社会から隔絶された軍隊の謂いである。

 きびしい規律と上下関係に支配された軍隊内に日常的にはびこる暴力や私的制裁(リンチ)、閉鎖された環境で起こる洗脳や群衆心理、利権がらみの組織の腐敗などをリアルに描いて、軍隊という組織の怖ろしさを暴いている点では、大西巨人の小説『神聖喜劇』と双璧である。
 ものの本によると、大西は野間の『真空地帯』を批判し、両者の間で激しい論争が繰り広げられたとか。
 ソルティは、それぞれの作品を映画とコミックとでしか触れていないのでいい加減なことは言えないけれど、戦争や国家主義という共通の敵を前にして論争しなければならないほどの大きな違いがそこにあるとは思えなかった。
 「自分こそ正しい」という固執こそが不和と戦いの種であろうに、まったく男ってやつは・・・・。
 戦争の一番の原因はマウンティングしたがる男(♂)の本能にあるとソルティは思っている。
 男の頭の中には理性がすっ飛んでしまうような真空地帯があるのだ。(むろんソルティにも)
 まあ、机上で論争できるのは世の中が平和で表現の自由があるからこそ。
 そこを忘れない遊び心が肝要である。

 主役で刑務所帰りの木谷一等兵を演じるは木村功。
 なんだか誰かに似ているなあと思いながら観ていたが、歌手の長渕剛だ。
 内向する生真面目さと暗い眼差しは、島崎藤村『破戒』や三島由紀夫『金閣寺』の主人公にも合っていたと思われる。(どちらも雷様こと市川雷蔵に取られてしまった)
 木谷の唯一の理解者であるインテリ一等兵を演じるは下元勉。
 繊細な表情が印象に残る好演。
 木谷が刑務所に収容されるきっかけをつくり、のちに復讐される林中尉を加藤嘉が演じている。
 このとき嘉さん39歳、彫りの深い外人のような風貌。
 年齢相応の役は珍しいのではないか。
 
 加藤嘉と下元勉には驚くべき共通点がある。
 二人とも大女優・山田五十鈴の亭主だった。  
 
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加藤嘉と木村功



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 昔はジュリー、今なら・・・? 漫画:『魔界転生』(原作:山田風太郎、作画:石川賢)

1998年
講談社漫画文庫

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 『魔界転生』と言えば、先ごろ新型コロナウイルスに感染し亡くなった千葉真一(合掌)が柳生十兵衛に扮した、1981年の角川映画版にとどめを刺す。
 エリマキトカゲのような衣装を身に着けたジュリーこと沢田研二は、その美しく妖しいカリスマ性が異教のメシアたる天草四郎時貞にピッタリだった。
 劇中ジュリーが忍者役のうら若き真田宏之に口づけするシーンは、JUNE系(その後のヤオイ系→BL系)女子たちの間に熱狂を巻き起こした。
 ジュリー(四郎)の瞳が黄金色にらんらんと光り、胴体を離れた首が飛び回るラストシーンなど、撮影技術に驚いたものである。
 佳那晃子の細川ガラシャ夫人もおどろおどろしくて良かった。

 2003年には天草四郎=窪塚洋介、柳生十兵衛=佐藤浩市で東映で再映画化されている。
 こちらは未見である。
 佐藤浩一の十兵衛はともかく、窪塚の天草四郎にはどうも食指が動かない。

 何度か舞台化もされている。
 ソルティが観たのは、2018年の日本テレビ開局65周年記念公演で、天草四郎=溝端淳平、柳生十兵衛=上川隆也であった。
 最先端CGを駆使したスペクタルな舞台は驚異的であったが、芝居としては妙に集中力を欠いた残念感があった。
 役者の実力不足を舞台効果に頼っているように見えた。
 
 ともあれ、最初の映画化の大成功以来、非常に人気の高い作品なのだ。
 ソルティは原作を読んだことがないので、あくまでヴィジュアルイメージ観点からなのだが、令和の現在、天草四郎役にピッタリなのは誰か?
 ずばり、フィギュアスケートの羽生結弦ではなかろうか。
 美しさ、妖しさ、カリスマ性、強靭な精神、高貴な雰囲気、どれを取っても不足はない。

十字架と光と羽生


 さて、本コミックを図書館で見つけたとき、てっきり永井豪による漫画化と思った。
 表紙にちゃんと「石川賢」と書いてあるのに、絵柄からすっかり永井豪と思い込んで、読んでいる最中も永井豪作品と思って、それほど違和感なく読んでいた。
 確かに『デビルマン』や『凄ノ王』にくらべると、描線の繊細さや化け物のグロテスクさ加減は偏執的なほど微に入り細に入って、明らかに永井豪のそれとは違うのだが、女性キャラの風貌はじめ全般的なタッチがよく似ているのである。
 『あとがき』を読んではじめて、「あ、永井豪じゃなかったんだ」と気づき、表紙の著者名を確かめた次第である。
 先入観ってのは厄介だ。
 
 弁解するならば、石川賢は永井豪のアシスタントとして出発した人で、永井豪が設立したダイナミックプロダクションでずっと永井豪の手足とも共作者ともなって仕事してきた人。
 『ゲッターロボ』は二人の共作である。 
 似ていて当然なのであった。
 エログロ度の高い、壮大なスケールの『魔界転生』であるが、難を言えば、最初から最後まで絵のテンションが同じような高さで続くので、読んでいて疲れてしまうのが玉にキズ。
 こういったストーリーには手を抜いた(ように見える)部分も必要なのだ。 
  
 石川賢は2006年に58歳という若さで亡くなっている。
 怪奇時代小説の傑作として名高い国枝史郎の『神州纐纈城』を漫画化しているらしい。
 読んでみたい。
 
 
おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 小松左京の教え 映画:『復活の日 VIRUS』(深作欣二監督)

1980年角川春樹事務所/TBS制作
156分日本語、英語、ドイツ語
 
 〽イツ ノッ ツレート ツスターラゲーン(It’s not too late to start again)

 ――というジャニス・イアンの主題歌が耳に残る小松左京原作のスペクタクルSF映画。
 40年前に観たきり、すっかり内容を忘れていた。
 人類が破滅し、生き残った一組の男女(草刈正雄とオリビア・ハッセ―の超美男美女カップル)が砂浜で再会するという感動のラストシーンは覚えているが、「そもそもなぜ人類は破滅に至ったか」を忘れていた。
 今回見直して、映画のサブタイトル(英語版タイトル)に VIRUS とあったことに気づいた。
 そう、致死性ウイルスが原因だったのだ。

 時は東西冷戦たけなわの1982年、生物兵器として某国で造られたウイルスMM88が輸送途上の墜落事故で漏出してしまい、その地域の動物から人へ、人から人へ、国から国へと感染し、またたくまに全世界に広がって、35億(当時の世界人口)の人間とほとんどの脊椎動物の命が奪われていく。
 わずか数ヶ月で、南極大陸の各国基地で働く約800人をのぞいて、人類とその文明は滅亡した。MM88はマイナス10度以下で不活性化するのである。
 生き残りをかけて連帯し、ワクチン開発やたった8名の女性頼りの種の存続計画など、新たなルールのもと奮闘する極地の人々であったが、脅威は終わっていなかった。
 生命のいなくなった不毛の大国アメリカのホワイトハウス地下では、愚かな軍人官僚によって解除設定された核ミサイルの自動報復装置が、地震によって作動し、ソ連を含む世界中に核ミサイルが撃ち込まれてしまう。
 連動するようにソ連の自動報復装置も起動し始める。
 標的の中には南極も入っていた。

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草刈正雄放浪中のこのシーンが有名だった


 原作は今から半世紀以上も前の1964年に刊行されている。
 前半はまさに新型コロナウイルスの発生とその猛威を予言していたかのような展開。
 緒形拳演じる医師や多岐川裕美演じる看護師たちが、際限なくやって来るMM88感染者の対応に身も心も疲れ果てて、仕事場である病院の休憩室でへたばっている場面は、現在のコロナ専門病棟もかくやと思わせる。
 MM88の主症状が肺炎であるというのも恐ろしさを煽る。

 映画史上初の南極大陸ロケ、多数の外国スター含む豪華キャスト実現、メインのセリフは英語、山となった死体に覆われた都市の風景、エキストラ大量動員のパニックシーンなど、並大抵でない予算と手間ひまがかかったであろう。
 この小説を映画化するために会社を継いだという角川春樹の意気込みと、ヤクザ映画でアクションシーンや大人数を動かす腕を鍛えた深作欣二監督の底力を感じる作品である。
 エンターテインメント性も十分で、156分という長さを感じさせない。

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南極ロケ


 どうしても気になってしまうのは、主役の草刈正雄の演技。
 ジョージ・ケネディ、グレン・フォードなど並いる外国ベテラン役者の中に混じって、観ているこちらが恥ずかしくなる稚拙さ。
 うっかりすると、人類滅亡という作品の深刻なテーマと黙示録的ムードを破壊しかねないレベル。
 アイドルばりの端正な美貌と爽やかすぎる笑顔が、かえって仇となっている。
 「人類が破滅したのに、白い歯見せて笑ってるんじゃないよ」と思わず突っ込みたくなる。
 もちろん、今や堂々の実力派人気俳優の一人であるのは知っての通り。
 当時の草刈の人気の高さと外人に引けを取らない身長の高さ(185㎝)が、この抜擢の理由だったのだろう。
 あるいは、80年代は華のある若手男優の払底期だったのかもしれない。
 
 オリビア・ハッセ―は日本人に人気の高い女優であった。
 白い肌にストレートな黒髪の美しい、バタ臭くない清楚な容姿もさることながら、歌手の布施明を亭主に選んでくれたことで、日本男性に潜む外人コンプレックスを払拭する働きをしてくれた。 
 ソルティは、フランコ・ゼッフィレリ監督の『ロミオとジュリエット』(1968)が忘れられない。
 映画史上最高のジュリエットであろう。

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オリビア・ハッセ―と草刈正雄
 
 半世紀前に観たときから、ジャニス・イアンの歌う主題歌「ユー・アー・ラブ」の歌詞の最後が不明であった。
 英語ではないらしく、“トューザ キムシャ”とか聞こえるのだ。
 今回調べてみて、Toujours gai mon cher というフランス語と分かった。
 直訳すると、「いつも元気に、愛する人よ」
 「お元気で」「お達者で」といったところか。 

 ウイルスは確かに怖い。
 だが、もっと怖いのは人と人、国と国との不信や憎み合いや理性の喪失である。
 小松左京はそう教えてくれる。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
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● 新潮文庫の快挙! 本:『姫君を喰う話』(宇能鴻一郎著)

2021年新潮文庫
初出一覧
「姫君を喰う話」1970年
「鯨神」1961年
「花魁小桜の足」1969年
「西洋祈りの女」1962年
「ズロース挽歌」1969年
「リソペディオンの呪い」1970年

 あたし、宇能センセイの短編集が出てるって新聞広告で知って、アソコがジュンとしちゃったんです。
 それも、芥川賞にかがやいた幻の傑作『鯨神』や、伝説的なエッチ怪談『姫君を喰う話』がすっぽり入ってるって・・・。
 とても我慢できなくて、本屋に走っちゃったんです。
 平棚におかれている真新しい文庫本のカタい手ざわり。思わず、ほおずりしたくなっちゃった。
 表紙には、妖怪美人画で有名な九鬼匡規(くきまさちか)センセイの「清姫」の絵がつかわれていて、長い黒髪をたらした白い肌の王朝美人が、悩まし気な顔してあたしを睨むんです。
 もう胸がバクバクして、体の奥の方からうずくものがあって、潮がじゅるじゅるって、満ちてくる気配にその場にしゃがみ込んじゃった。


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 ――とまあ、大げさに感動を書いてみたが、この令和になって宇能鴻一郎作品が文庫で復刊されるとはよもや思わなかった。
 むろんソルティは、純文学時代の宇能鴻一郎を知らず、もっぱらスポーツ新聞やお父さん向け週刊誌に掲載されていた女性一人称文体によるポルノ小説の愛読者であった。
 普通、ヘテロの男性作家がポルノ小説を書くときは、書き手と同じ“性”の男を主人公とし、男の視線から女を描き、女体を描写し、女とのセックスを描いていくわけだが、コペルニクス的転回というか花びら回転というか、宇能センセイは自分が女になりきって女の目から見たセックスを描いたのであった。(自然と「センセイ」になってしまった)
 おそらくそれゆえに、宇能センセイのポルノ小説はお父さんのみならず、女性たちやソルティのようなゲイの男にも広く愛読されたのであろう。
 そこに描き出されたのは、男が被写体とされるポルノであった。 

 もっとも、エロ小説の主人公に女をもってきた男性作家は珍しくなく、有名どころでは『ジュスティーヌ 美徳の不幸』のサド侯爵がいる。
 サド侯爵は『ソドム百二十日』でそれこそソドミスト(男色)も描いているが、宇能センセイにも『公衆便所の聖者』という同性愛者を描いた傑作短編がある。
 サド侯爵と同じく宇能センセイもまた、「女好き、女体好き、女性を征服するのが好き」という凡百の男性ポルノ作家とは次元を異にする、「人間の性」そのものについての探究者だったのである。
 高い文章力と卓抜な構成力もさることながら、その哲学性ゆえに純文学の領域に揺蕩っておられたのだろう。
(失礼ながら過去形にしてしまったが、1934年生まれの宇能センセイは存命でいらっしゃる!)
 
 実際、ここに選ばれた6編いずれも、抜群の面白さと衝撃力にあふれている。
 人間存在の不可思議さ、不条理、性愛に憑かれた男と女の悲喜劇、極限において発動される人間の生命力、食べることとまぐわうことの根源的なつながり、男と女の根源的なちがい。
 やっぱり、痩せても枯れても芥川賞作家。
 痩せても枯れても新潮文庫。
 出版界本年一番の快挙である。

女性ヌード


 ――とまあ偉そうに書いてきたが、実はソルティ、宇能センセイのポルノ小説以外の作品は、件の『公衆便所の聖者』以外、読むのは初めてであった。
 本短編集を読んで、宇能鴻一郎の才能の豊かさ、昭和文学のレベルの高さをつくづく思い知った。

 6篇の中ではやはり『鯨神』が力強い。
 『白鯨』のメルヴィルを思わせる重量級の傑作である。
 次に、タイトルに冠された『姫君を喰う話』は、一生トラウマに刻まれるような凄まじくも美しい、泉鏡花や小泉八雲に通じる怪談。
 『西洋祈りの女』は、『飼育』『芽むしり仔撃ち』など初期の大江健三郎や『楢山節考』の深沢七郎を思わせる土俗的匂いが濃厚である。
 『ズロース挽歌』は、最近某所で起きた女性監禁事件を想起した。犯人は本作を読んでいたのではないか?
 『リソペディオンの呪い』は、鍾乳洞が重要な舞台となるため、横溝正史の『八つ墓村』を連想した。リソペディオンとは、子宮の中で石灰化した胎児のことである。
 『花魁小桜の足』は諧謔性に富む江戸時代の踏み絵奇譚であるが、『沈黙』の遠藤周作に対する揶揄のようにも読めた。

 6篇を読んで明らかなのは、宇能センセイの古典の教養および文壇の大先輩たちへの敬意とその影響である。
 泉鏡花、谷崎潤一郎、芥川龍之介、三島由紀夫、江戸川乱歩、このあたりは間違いない。
 解説を書いている作家の篠田節子は、宇能鴻一郎と三島由紀夫の関連について理解が及ばないらしいが、文体への影響は明らかであろう。
 『鯨神』の次の一節など、三島が書いたものと言っても通るくらいだ。

 白波をくだいておれのすすむところ、おれのまわりは、明け方は薔薇いろの褥となり、まひるには一めんにかがやく金ののべ板の大広間となり、夕暮れどきには蒼穹をおおって真紅の天蓋が垂れこめ、夜には、ながながと曳かれたおれの航跡はすべて、月の光をあびて蒼白とかがやく練り銀の波うつ裳裾とかわった。

 新潮社には、『公衆便所の聖者』『むちむちぷりん』を含む第2弾の発行を検討されたい。




おすすめ度 :★★★★

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● 漫画:『わたし中学生から統合失調症やってます。』(作画:ともよ)

2018年合同出版

 副題『水色ともちゃんのつれづれ日記』
 タイトル通り、ともちゃんは中学生の時から統合失調症を患い、根拠のない不安や強い自己否定からリストカットや不登校を繰り返し、15歳で精神科入院。
 退院後は精神科デイケアに通ったり、社会復帰(というより社会デビュー)を目指して就労支援を受けたり、興味をもったピアノを習い始めたり、こうして自らの経験を漫画に描きブログ投稿したり・・・。
 統合失調症とのつらく苦しい闘いと、本人がその状態を受け入れ、「この相棒と共生」するようになるまでの日々が、『オバケのQ太郎』に出てくるO次郎(「バケラッタ!」)みたいな可愛いキャラに託されて描かれる。
 1990年生まれとあるから現在21歳か。
 統合失調症患者が書いた闘病記は世界にも珍しく、例外的に『ボクには世界がこう見えていた』(小林和彦著)があるが、十代の当事者によるものはさらに珍しいのではないか。
 その意味で、貴重な症例記録と言えよう。

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 病気に関する解説を主治医の成重竜一郎氏(若宮病院児童精神科医長)が書いている。
 統合失調症について、また患者の内面世界について知り、病気への理解を深めるのに恰好の一冊である。
 
 人の脳は、日々膨大な量の知覚情報や思考の流れを処理しています。通常であればそれらのほとんどは意識されず、必要なものだけを意識に上げて処理するよう自動的に調整されています。視界には入っていても気づかないということが起きるのはそのためです。
 ところが、統合失調症にかかるとどういう理由かは不明ですが、このシステムの働きが悪くなり、普段であれば不要だとみなされ、意識に上らない知覚情報や思考の流れが、部分的に意識されるようになります。その際に、本来意識されないものが意識されてしまうことのつじつまを合わせようとして、脳が勝手な意識づけしてしまうのが“幻覚”であり、“妄想”です。
(成重竜一郎による解説より) 


おすすめ度 :★★★

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● 辰っちゃん、満鉄小唄を歌う 映画:『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』(山下耕作監督)

1975年東映
93分

 渡哲也主演『仁義の墓場』(1974)と並ぶ東映ヤクザ実録シリーズ中の異色作。
 1950年代の暴力団抗争を描く。
 主役の花木勇(=小林旭)のモデルとなったのは、当時全国制覇を企む山口組の傘下にあって切り込み部隊として全国にその名を轟かした柳川組の頭、柳川次郎である。
 “殺しの軍団”としてヤクザからも恐れられた柳川組は、柳川次郎(本名は梁元錫 ヤン・ウォンソク)はじめ在日コリアンを主とするグループだったらしい。
 そこに焦点を当てたところが、単なる殴り合いとドンパチの暴力団映画、血糊飛び交うスプラッタ映画、組同士が奸智を弄する壮絶な国盗り合戦、とは異なる“文学的・政治社会的”なニュアンスを作品にもたらしている。
 つまり、在日コリアンの悲惨な歴史と彼らがこの国で受けてきた差別が通低音として響いている。
 
 クールで寡黙なボスである花木勇とは違い、情熱家で率直な感情表現をこととするのは花木と固い絆で結ばれた兄弟分、金光幸司(=梅宮辰夫)。
 彼もまた在日である。
 金光の吐くセリフからは、在日コリアンが背負ってきた重荷が伺える。
「わいの親父は無理やり日本に連れてこられて、炭鉱にぶち込まれて、モグラのように殺されおった」(彼は2世なのだ)
「わいらには墓はない」
(戦後、在日コリアンは地域の共同墓地に墓を立てることができなかった)
 また、酔っぱらった金光が必ず歌うのが、1930年代の満州でヒットした軍歌の替え歌である『満鉄小唄』。
 この唄は、満州で日本人相手に売春する朝鮮人女性を描いた春歌で、元歌をはるかに凌駕する知名度と生命力を得て、歌い継がれてきた。
 大島渚監督『日本春歌考』の中でも、吉田日出子演じる在日らしき女子高生によって口ずさまれている。
 次のような歌詞だ。

雨がショポショポ降る晩に
カラス(ガラス)の窓から覗いてる
満鉄の金ポタンのパカ野郎

触るはゴチ銭(五十銭)、見るはタダ
三円ゴチ銭くれたなら
カシワ(鶏)の鳴くまでボボ(セックス)しゅるわ

登楼る(あがる)の帰るの、どうしゅるの
早くセイチン(精神)決めなしゃい
決めたらケタ(下駄)持ってあがんなしゃい

お客さんこのごろ、紙高い
帳場の手前もあるでしょう
ゴチ銭、祝儀をお足しなさい

そしたらアタイもせい出して
フタチ(二つ)もミッチ(三つ)もオマケして
カシワの鳴くまでボボしゅるわ

ああ、騙された騙された
ゴチ銭硬貨と思うたに
ビール瓶のフタだよ、騙された

南満州鉄道
南満州鉄道


 花木勇を演じる小林旭が超カッコイイ。
 クールで暗い眼差しと精悍な顔立ちは、松田龍平を思わせる。
 ソルティの世代だと、“赤い”トラクターのCMと大ヒット曲『熱き心に』のイメージが強いので、歌の上手くて田舎っぽい無口なトッチャンという印象が強かった。
 こんなにカッコよく、芝居も(もちろん歌も)上手く、陰を出せる役者だとは知らなかった。
 もっとも、陰の表現の見事さは演出や照明の力によるところも大きい。

 辰っちゃんこと梅宮辰夫も他の役者に替えがたい個性が光る。
 河原での死闘の果てに、血まみれになった金光がたくさんの真っ白いシーツ(?)に取り囲まれて息を絶えるシーンの美しさは、全編中の白眉である。
 組の幹部を演じる小松方正、遠藤太津朗らのふてぶてしい貫禄も見物である。
 また、冒頭に出てくる当時の大阪の朝鮮人部落(鶴橋あたり)の描写も興味深い。

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小林旭と梅宮辰夫

 厳しい差別を受けてきた(受けている)からと言って、暴力行為を免罪することはできない。
 言い訳にはできない。
 だが、己の命も将来もまったく顧みない花木の捨て鉢な生き方には、蓄積された怒りや恨みや絶望や哀しみが潜んでいるのは確かであろう。
 ラストシーンで花木は、命令に背いて金光の仇を取ったことにより、属していた天誠会から破門される。
 ナレーションはこう締めくくる。
「だが彼は、もともとすべてから破門されていた」



おすすめ度 :★★★★

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● 映画:『風の電話』(諏訪敦彦監督)

2020年日本映画
139分

 2011年3月に起きた東日本大震災および福島原発事故をテーマにしたドキュメンタリータッチのドラマ。
 岩手県大槌で津波被害に遭い両親と弟を失った女子高生が、数年後、震災後に身を寄せていた広島の叔母の家から故郷大槌までヒッチハイクする。
 旅の途中で出会う様々な人との交流を描いたロードムービーである。

 主役の女子高生ハルを演じるは、モトーラ世理奈というモデル兼俳優。
 難しい出ずっぱりの役を熱演している。
 ハルに関わる大人たちを演じるは、三浦友和、渡辺真起子、山本未來、西島秀俊、西田敏行といった実力ある役者たち。
 そのおかげで、見ごたえある作品に仕上がっている。

 ハルが道中出会う人もまた、様々な苦しみや悲しみを抱えていた。
 広島で被爆体験をもつ老女、父のない子を産み育てる決意をした妊婦、入管に家族を収容されているクルド人一家、原発事故によって破壊された郷土に残り続ける一家、事故で父親を亡くしたばかりの家出少年。
 ハルの抱える苦しみと悲しみが彼らのそれと共振し、自然と彼らの語りを引き出していく。
 それによって、両者の間に目に見えない絆が結ばれて、一期一会が果たされていく。

 ブッダの説いた「からし種」のエピソードにあるように、悲しみはあらゆる人に分け隔てなくもたらされる万人の軛(くびき)であり、と同時に万人の宝なのだ。
 悲しみゆえに人は一つになれる。
 悲しみを深く味わえる人ほど、他人と深くつながることができる。
 浦河べてるの家についてのドキュメンタリー『治りませんように』(みすず書房)の中で、著者の斉藤道雄はこう記している。

 べてるの家には、人間とは苦労するものであり、苦悩する存在なのだという世界観が貫かれている。苦労を取りもどし、悩む力を身につけようとする生き方は、しあわせになることはあってもそれをめざす生き方にはならない。苦労し、悩むことで私たちはこの世界とつながることができる。この現実の世界に生きている人間とつながることができ、人間の歴史へとつながることができる。(斉藤道雄著、みすず書房)  


 タイトルの意味についてソルティは知らなかった。
 「風の電話」は、実際に岩手県上閉伊郡大槌町の浪板海岸のそばにある電話ボックスの愛称。
 白い電話ボックスの中に電話線のつながっていない黒電話が置かれていて、亡くなった人と会話できるという。
 2011年に大槌町在住のガーデンデザイナー・佐々木格さんが自宅の庭に設置して以降、たくさんの人が訪れて、失った縁者の声に耳を傾けている。
 土台だけの廃墟となった実家を目撃したハルは、帰りの駅で出会った家出少年から風の電話のことを聞いて、共に浪板海岸を訪ねる。
 吹きすさぶ風の音に囲まれて、亡くなった家族に別れを告げるシーンで映画は終わる。


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風の電話


おすすめ度 :★★★

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