ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 墨の下の日本 映画:『教育と愛国』(斉加尚代監督)


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2022年日本
107分

 この映画のもとになったのは、2017年に大阪・毎日放送(MBS)で放送されたドキュメンタリー番組『教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~』。
 2017年にギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞するなど大きな反響を呼び、2019年に書籍化、その後、追加取材と再構成を行い映画版が誕生した。
 監督の斉加尚代は、MBSで20年以上にわたって教育現場を取材してきたそうだ。

 漫画家の小林よしのりらによる「新しい歴史教科書をつくる会」の結成が1996年、国旗国歌法の制定が1999年、扶桑社から市販本『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』が発刊されベストセラーとなったのが2001年。
 ソルティも扶桑社の教科書を買って読み、「現場はどう判断するのだろう?」と推移を見守った。
 蓋を開けてみたら、採択率が思ったほどでないのでホっとした。
 教育現場の良識も捨てたもんじゃないと思った。
 その後、つくる会が仲間割れしたというニュースもあって、教科書問題について関心が遠のいていた。
 ソルティに子供や孫がいないことも一つの理由であろう。
 その間に、安倍晋三政権が生まれ、教育基本法の改定(2006年)があり、「美しい国」キャンペーンが日本中を覆った。
 
 2022年現在、教科書問題は、教育現場は、どうなっているのだろう?
 ――という懸念から久しぶりに若者人気ナンバーワンの吉祥寺に出向いた。
 パルコ地下にあるUPLINK吉祥寺という映画館である。
 硬いテーマだし、平日の午後でもあるし、場内はガラ空きかと思ったのだが、老若男女で6割くらい埋まった。
 注目を浴びてる作品なのは確かなようだ。

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JR中央線・吉祥寺駅南口


 従軍慰安婦問題を扱ったミキ・デザキ監督の『主戦場』(2019)に匹敵すべき戦慄の内容であった。
 ここ十数年の間に教育現場はとんでもないことになっていた。
 政治が教育に介入し、検定に合格するか否かが死活問題の各教科書会社は文科省の顔色窺いと忖度に追われ、教育現場からは教員たちの主体性が奪われ、結果として、生徒たちが国家の望む臣民たるべく育てられる方向に進んでいる。美しい国に奉仕する臣民へと。

 インタビューに応じる保守の政治家や学者が好んで用いる用語が「自虐史観」。
 戦後の歴史教育が戦時中の日本国あるいは日本軍の加害者性ばかり強調するから、自らの国に誇りを持てない、自らの国を守ろうとしない民を生んだのだ、という理屈。
 戦後数十年の自虐史観を跳ね返すためには、専門家によって確かめられている史実を無視したり、歪曲したり、忘却してもかまわない、という確信犯的詐術が繰り広げられている。
 「そういうことをする国だから誇りが持てないのだ」ということが彼らにはなぜか通じない。
 右と左で、プライド(誇り)の定義が180度違っているかのよう。
 それこそ各々が受けてきたしつけや教育の影響か?

 ロシアによるウクライナ侵攻が今後の国政や教育行政に与える影響には測り知れないものがある。
 教育現場の“戦前化”はいよいよ進むのだろうか?
 いつの日か墨で塗りつぶした文字が復活する日が来るのだろうか?
 日本は核と軍隊と徴兵制をもつ“一人前の国家”へと脱皮するのだろうか? 

 自分自身や友人が、あるいは自分の子供や孫が、兵隊にとられ戦場に送られる可能性あるを知りながら、それを推進する政党に進んで投票する行為こそ、自虐の最たるものではなかろうか。 
 こんな映画を吉祥寺で観る日が来るとは30年前には毛ほども思わなかった。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 



 

● 白土三平作画『カムイ伝』を読む 1

1964~1971年『月刊漫画ガロ』連載
1988年小学館叢書1~5巻

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 「いつか時間があったら読もう」と思っていたボリュームある小説や漫画のうちの一つであった。
 『神聖喜劇(漫画版)』といい『橋のない川』といい『チボー家の人々』といい、ソルティにとって今がその「いつか」らしい。
 間に合ってよかった(何に?)

 白土三平と言えば、子供の頃再放送されるたびに観たTVアニメの『サスケ』と『カムイ外伝』、つまり江戸時代の忍法漫画のイメージが強く、本作もまたタイトルからして当然その系列と思っていたのだが、5巻まで読んだところでは、“苛烈な封建社会に対するアジテーション”が中心テーマのようである。
 もちろん、非人あらため忍者カムイは主役の一人で、忍術を駆使した剣士や忍者とのスリリングな闘いシーンは出てくるし、忍者社会の厳しい掟(とくに“抜け忍”に対する)も語られている。
 そこは上記のテレビアニメと同様のアクション漫画としての面白さがある。(「解説しよう」で始まる忍法の種明かしこそないが・・・)
 
 カムイ以上に目立っているのは、下人(百姓と非人の間の身分で畑をもつことができない)の生まれながらも、才覚と勇気と根性で百姓に這い上がった正助である。
 下人仲間はもちろん、非人にも百姓にも(庄屋にまで!)頼りにされ慕われる正助というキャラから目が離せない。
 新しい農具(センバコキ別名後家殺し)を開発したり、稲作のかたわら養蚕や綿の栽培を始めたり、自ら読み書きを覚えた後に百姓相手の学習塾を開いたり、現状を改善していこうと骨折る正助。
 封建社会の重圧や理不尽に負けず、知恵を尽くし、持てる力を発揮し、あきらめずに仲間と共に闘っていく姿が、時代を超えた共感を呼ぶのであろう。

 正助の最大の味方であるスダレこと苔丸。
 紀伊国屋文左衛門を思わせる才覚とスケールの大きさをもつ元受刑者の七兵衛。
 七兵衛に惹かれて力を貸す抜け忍の赤目。
 男同士の友情も読みどころの一つである。

 ところで、読みながら思い当たったのは、ソルティの中の江戸時代の百姓イメージが『サスケ』と『カムイ外伝』の白土ワールドによって原型を作られ、その後のステレオタイプな時代劇で補強されたってことである。
 曰く、重い年貢と日照りや長雨に苦しめられ、悪代官や「切り捨てごめん」の武士に怯え、姥捨てや間引き(嬰児殺し)や娘の身売りが横行し、五人組や村請制度の連帯責任・相互監視によって土地と世間に縛られる。
 徹底的にみじめで不自由な人々。

 だが、本当にそれだけなのか?
 網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』を読むと、「百姓」という言葉の定義自体を見直さなければならないことが分かるが、ステレオタイプの農民像も今一度見直してみる必要を感じる。(見直してどうしようというのか?)

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 『チボー家の人々』を読み終わらないうちに本コミックに取りかかってしまったので、意識の中に20世紀初期の第一次大戦下のヨーロッパと、17世紀日本の地方の一藩と、コロナとウクライナ問題に苦しむ2022年の世界とが、並行して存在している。
 第一次大戦にプーチンが出てきたり、江戸時代の農村をジャックが飛行したり、職場の帰り道にカムイの殺気を感じたり、なんだか混乱している。






● 映画:『私は、マリア・カラス』(トム・ヴォルフ監督)

2018年フランス
113分
原題:Maria by Callas

私はマリアカラス

 20世紀最高の歌姫マリア・カラスの人生を、映像と朗読と彼女自身の歌声でつづったドキュメンタリー。
 カラスが書き残した未完の自叙伝(そんなものがあったのか!)や友人に宛てた手紙を、自身映画『永遠のマリア・カラス』(2002)でカラスを演じたことのあるファニー・アルダンが朗読している。
 
 これはもうファン垂涎の一品である。
 本邦というか世界初公開のカラスの舞台および舞台裏映像、インタビュー風景、プライベート映像が盛りだくさん。
 よくこれだけ集めたなあと感心する。
 とくに、モノクロフィルムに当時の写真をもとに着色した映像が新鮮。
 これまでに何度も目にしていた骨董品的映像が、色を付けられることで臨場感と華やぎが増し、撮影されたその場・その時代の空気を感じ、マリア・カラスが血の気の通った存在として蘇るような気がした。あたかも彫像が動き出したような。
 彼女が最も得意とした『ノルマ』の舞台映像やルキノ・ヴィスコンティの演出風景、カラス唯一の映画主演作『メディア』(パゾリーニ監督)の撮影風景など、レアな映像の数々に目が釘づけ、もちろんその奇跡の歌声に耳が釘付けとなった。
 映画のロケハンで、くもった眼鏡(カラスはド近眼だった)を磨くのにレンズに自分の唾を垂らすカラスの姿からは、エレガンスの粋を極めた彼女の本質が庶民にほかならないことを、あますことなく伝えている。

 登場する50~60年代の世界のセレブたちの顔触れも凄い!
 最初の夫バティスタ・メネギーニ(実業家)、最愛の男アリストテレス・オナシス(海運王)、最後の恋人と言われたジュゼッペ・ディ・ステーファノ(テノール歌手)はじめ、エルビラ・デ・イダルゴ(ソプラノ歌手・恩師)、ジャクリーン・ケネディ(元米国大統領夫人)、ヴィットリオ・デ・シーカ(俳優・映画監督)、オマー・シャリフ(俳優)、ブリジット・バルドー(女優)、カトリーヌ・ドヌーヴ(女優)、グレース・ケリー(女優・モナコ公妃)、エリザベス・テーラー(女優)、ウィンストン・チャーチル(元英国首相)、エリザベス女王、フランコ・ゼフィレッリ(映画監督・オペラ演出家)、ルドルフ・ビング(メトロポリタン歌劇場支配人)・・・・等々。
 どこに行っても膨大なファンとマスコミに取り囲まれ、容赦ないフラッシュと意地悪な質問を浴びせられる。その光景のすさまじさに比べられ得るのは、故ダイアナ妃のそれくらいであろうか。
 よっぽどタフでないとつとまるまい。

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 個人的には、やはり映画の中で流されるカラスの歌声に圧倒された。
 若い時分から最盛期そして晩年近くまで、録音された歌を通して聴いていると、声質や声域の変化や劣化、表現力の深化などはあるものの、生涯にわたって共通しているもの――なによりもカラスの声を特徴づけていたもの――は、“悲哀さ”だったのだと分かる。
 声自体の美しさでは他のソプラノ歌手の後塵を拝すとしても、悲哀さにおいては追随するものがいなかった、いや今に至るまでいない。
 その悲哀さゆえに聴衆は呪縛され、胸を鷲づかみにされ、涙腺を破壊されてしまったのだ。
 エドガー・アラン・ポーがどこかで「美の本質は悲哀さにある」と書いていたのを思い出す。

 皮肉なのは、その悲哀さがカラスの――マリアの人生にも浸透してしまったことである。
 あるいは、カラスが演じたヒロインたちの悲劇が、マリアに乗り移ったのだろうか。 
 あれほどの成功、あれほどの栄誉、あれほどの人気を獲得しながらも、一人の女性としてのマリアの人生を鑑みるときに「幸福」という言葉は出てこない。
 もちろん「不幸」ではない。世の女性が、いや世の人間が、滅多に手に入れられない歴史に残る名声を得たのは間違いないのだから。
 芸術の神にかくも愛されたのだから。

 幸福とは平凡な人間にのみ許される特権なのだろうか。
 その生、その死――悲哀に満ちた美しさがある。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を読む 5


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第11巻『1914年夏Ⅳ』(1936年発表)
1952年白水社より邦訳刊行
1984年白水Uブックス

 ジャックが死んでしまった!!
 墜落事故により重傷を負い、戦場を《こわれもの》として担架で運ばれる苦痛と屈辱の末、一兵卒の手で銃殺されてしまった!

 もとより、社会主義者の反戦活動家にして良心的兵役拒否を誓うジャックが死ぬことは分かっていた。
 兄アントワーヌや親友ダニエルより早く、物語の途中で亡くなるであろうことは予想していた。
 しかし、これほど無残にして無意味、非英雄的な死を遂げようとは思っていなかった。
 なんだか作者に裏切られたような気さえした。
 このジャックの死に様によって、『チボー家の人々』という小説の意味合いや作者デュ・ガールに対する印象が一変してしまった。
 こういう小説とは思わなかった。

 フランス動員一日目、ジャックは恋人ジャンニーやアントワーヌに別れを告げ、偽造した身分証明書を用いてスイス・ジュネーブに戻る。潜伏しているメネストレルの助けを借りて、たったひとりの反戦行動を遂行するために。
 それは、フランス軍とドイツ軍が今まさに戦っているアルザスの戦場を滑空し、上空から両軍の兵士たちに向けて戦争反対のアジビラをまき散らすというものであった。
 曰く、「フランス人よ、ドイツ人よ、諸君はだまされている!」
 元パイロットであるメネストレルはこの提案に乗り、いっさいの手配を引き受けるのみならず、自ら飛行機の操縦を買って出る。
 
 これが命を賭した無謀な作戦であることは明らかである。
 2人の乗る飛行機を敵機と勘違いしたフランス軍あるいはドイツ軍により撃墜される可能性がある。
 無事使命を果たしたとしても、着陸後に待っている軍法会議による処刑は避けられない。
 そもそも命と引き換えにしてやるだけの効果ある作戦かと言えば、おそらく「否」である。

 兵役拒否を貫きたいが自分だけ安全な場所に逃げたくはない、他の社会主義者たちが次々と戦争支持へと転向していくなか「インターナショナル」の闘いを最後まで諦めたくない――そんなジャックに残された道は、日の丸特攻隊のような一か八かの英雄的行為のほかなかったのである。
 たとえそれが実を結ばず自己満足に終わろうとも、少なくとも、狂気に陥った社会に対して一矢を報い、個人の良心と正義はまっとうされる・・・・。
 ジャックはジャックでありながら生を全うできる。
 
 作者は残酷である。
 ジャックとメネストレルを乗せた飛行機は戦場に到着する前に墜落炎上し、何百万枚のアジビラは一瞬にして灰と化してしまう。メネストレルは即死。
 ジャックの野望は頓挫し、計画は徒労に終わり、あとに待っていたのは恩寵も栄光もひとかけらもない犬死であった。
 人間の尊厳をあざ笑うかのようなこの結末は、カミュやカフカあるいは安倍公房の小説を想起させる。すなわち、不条理、ニヒリズム、ペシミズム・・・。
 ここにあるのはもはや悲劇ですらない。オセロやマクベスやリア王に与えられた尊厳のかけらにさえも、ジャックは預かることができない。
 若者群像を描いた青春小説であり「青春の一冊」と呼び声の高い『チボー家』には、チボ―(希望)がなかったのである。(まだあと2冊残されているが)
 4巻の途中まで読んだ『麦秋』の謙吉(二本柳寛)は、最後まで読んで、如何なる感想を紀子(原節子)に語ったのであろう?
 
 作者デュ・ガールは厭世的で人間不信な人だったのだろうか?
 ウィキによれば、第一次大戦時に自動車輸送班員として従軍しているようなので、戦地で非人間的(人間的?)な行為の数々を嫌というほど見てきたのかもしれない。ジャックが死ぬ間際の戦地の描写は作者自身の実体験がもとになっているのかもしれない。
 次のジャックのセリフを見ても、人間性というものに対する不信の念が根底にありそうだ。
 
 ぼくは、戦争というものが、感情問題ではなく、単に経済的競争の運命的な衝突にすぎないと信じていた。そしてそのことを幾度となくくりかえして言ってきた。ところがだ、こうした国家主義的狂乱が、今日、社会のあらゆる階級の中から、いかにも自然に、なんのけじめもなくわきあがっているのを見ると、ぼくにはどうやら・・・・・戦争というものが、何かはっきりしない、おさえようにもおさえきれない人間の感情の、衝突の結果であり、それにたいしては、利害関係騒ぎのごとき、単にひとつの機会であり、口実にあるにすぎないように考えられてくるんだ・・・
 
 それに、何より人をばかにしているのは、彼ら自身、何か弁解するどころか、戦争を受諾することを、さも理にかなった、さらには自由意思から出たものででもあるように吹聴していることだ! 

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ThePixelmanによるPixabayからの画像


 本書は、とくに「1914年夏」は、ひとつの戦争論といった読み方も十分可能である。
 国家間の戦争がどのように始まるか、戦争に賛成する人も反対する人も個人がどのように社会(国家)に洗脳され脅かされ順応していくか、ナショナリズムがどれだけ強い権力と魅力を持っているか、人間がどれだけ愚かなのか・・・・。
 悪魔の笑い声が聴こえてくるような展開なのだが、その意味で言えば、ジャックを死に追いやった男メネストレル――社会主義者の仮面をかぶった虚無主義者――の名の響きには、ゲーテ『ファウスト』に登場するメフィストフェレスに通じるものを感じる。
 しかるに、ファウストが終幕の死にあってメフィストフェレスの「魔の手」から逃れ天使たちによって天界に上げられたようには、ジャックには救いの手が差し伸べられなかった。
 当然である。
 神はとうに死んでいた。
 死ぬ間際のジャックの思考には神の「か」の字もない。 







 






● 鮮烈なる工藤夕貴 映画:『ヒマラヤ杉に降る雪』(スコット・ヒックス監督)

1999年アメリカ
127分

 工藤夕貴(1973- )は好きなアイドルの一人であった。
 ハウス食品のラーメンCM 「お湯をかける少女」で一躍人気者になり、『野性時代』で歌手デビューを果たし、石井聰互監督『逆噴射家族』、相米慎二監督『台風クラブ』の鮮烈な演技で女優としての可能性を見せつけ、ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』(1989)で国際女優として歩みだした。
 向かうところ敵なしといった破竹の勢いであった。
 その“野性時代”のひとつの頂点が本作であろう。
 工藤夕貴28歳。

 原作はデイヴィッド・グターソンのミステリー小説 Snow Falling on Cedars(邦訳『殺人容疑』講談社刊)。
 舞台はアメリカ西海岸の最北端に位置するワシントン州のサン・ピエトロ島。
 太平洋戦争勃発後の日本人移民に対する偏見や迫害がもとで起きた冤罪事件を主軸に、地元の青年(イーサン・ホーク)と日本の娘(工藤夕貴)の結ばれなかった恋を描く。

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イーサン・ホークと工藤夕貴
 
 錚々たる共演陣である。
 『ライトスタッフ』『フール・フォア・ラブ』のサム・シェパード、巨匠ベルイマン作品の常連だったマックス・フォン・シドー(『第七の封印』の騎士アントニウスほか)、名脇役としてならしたリチャード・ジェンキンス、ジェームズ・クロムウェル。
 ぽっと出の新人なら緊張で固まっても仕方ないようなベテランの演技派オヤジたちの間にあって、しかも母国語でない英語だけのセリフというハンディの中で、まったく引けを取らない、むしろ周囲を食ってしまうほどの鮮烈な輝きを見せる工藤夕貴の傍若無人ぶりが印象的である。
 デビュー当時、七光りと言われるのを嫌い、往年の人気歌手・井沢八郎の娘であることを隠していたエピソードは有名だが、親譲りの才能はむろんのこと、強い意志と努力の人なのだろう。
 いまや井沢八郎こそ、工藤夕貴の逆七光り。(この関係は藤圭子と宇多田ヒカルに似ている?)

 スコット・ヒックス監督は、実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画『シャイン』で一躍有名になった。
 ソルティは未見だが、本作を観ると西洋絵画のあれこれを想起させる絵作りの巧さが特徴的である。煽らない丁寧な語りも好ましい。
 思いがけない掘り出し物といった体の傑作であった。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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● 寝た子を起こすな? 本:『今日もあの子が机にいない 同和教育と解放教育』(上原善広著)

2014年『差別と教育と私』のタイトルで文藝春秋より刊行
2018年河出書房新社で文庫化

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 上原善広は『日本の路地を旅する』など被差別部落をテーマにした本を多く書いている1973年生まれのノンフィクションライター。本人も大阪府松原市の被差別部落出身である。
 本書は副題の通り、戦後の同和教育について、特に1969年に同和対策特別措置法(同対法)が制定されて以降の同和教育と解放教育の様相を、著者自身の体験や関係者へのインタビューを組み込みながらスケッチしたものである。

 同和教育と解放教育の違いについて、著者はこう書いている。

 解放教育というのは、正確には「部落解放教育」というが、同和教育から派生した、より過激な左派的教育で、解放同盟と強いつながりをもった教師たちがおこなっていた教育運動だ。

 解放教育の中心となった大阪では、同和教育というと「主に国や都道府県の公務員、保守派が使っていた公的な名称」であったという。

 60~70年代の埼玉県で生まれ育ったソルティが受けた同和教育は、わずかに高校2年生の時の一コマ(50分)だけであった。
 部落差別の歴史を描いたビデオを見せられた記憶があるが、ビデオの内容もそのときの教師の話もほとんど覚えていない。
 ただ、授業の最後に自分が手を上げて質問したことは覚えている。
「こういった差別があることをわざわざ教えなければ、自然消滅していくのではありませんか?」
 教師は「そんな単純なことではない」と答えたけれど、その理由を納得いくように説明してはくれなかった。それ以上、問うてはいけないような雰囲気があった。
 授業後しばらくたって、新潮文庫の島崎藤村『破戒』と巻末につけられた長大な解説を読んで、自分の発した質問がいわゆる「寝た子を起こすな」論であることを知った。
 が、「寝た子を起こすな」論がなぜいけないのか、はっきりと理解できなかった。
 (そもそも知らなければ差別のしようもないのに・・・・)

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 本書には、同和教育(解放教育)をめぐって学校現場で起きた3つのケースが取り上げられている。
  1.  解放教育の「牙城」と呼ばれた大阪府松原市立第三中学校のケース(同対法制定前後から70年代)・・・・被差別部落出身の生徒が多く荒れていた中学校が、熱意あふれる2人の教師の奮闘によって立て直されていく経緯が描かれる。熱血教師が主役の青春学園ドラマを見るような面白さ。「蛇の道は蛇」ではないが、アクの強い一癖も二癖もある武闘派教師にしてはじめて、旧態依然の現場の変革と生徒たちの更生は可能だったのだと知られる。三中はその後、解放教育のモデル校となった。
  2.  解放同盟の糾弾により教職員が多数負傷し、裁判となった兵庫県養父市の八鹿高校のケース(1974年)・・・・被差別部落出身の生徒たちが「部落解放研究会」のクラブ公認を求めたところ、教職員が反対したのがきっかけとなった。概要だけは知っていたが詳しい経緯は知らなかったので、興味深く衝撃をもって読んだ。冷静に考えれば、「解放同盟という外部団体に紐づけされているクラブの認可を拒む」という教職員の決定は一理あるもので、必ずしも部落差別というわけではないように思う。
  3.  卒業式での「日の丸・君が代」をめぐって、強制する官側と反対派との板挟みとなった校長が自殺した広島県世羅町の世羅高校のケース(1999年)・・・・反対派の急先鋒は天皇制に反対する解放同盟広島県連と日教組。当時大きなニュースとなり国会でも取り上げられたので、よく覚えている。亡くなった校長先生は定年まであと3年だったそうな。この事件の5か月後に国旗国歌法が制定された。
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 2002年、ついに同対法が期限切れとなり、同和問題の解決は国策ではなくなった。21世紀になると同和教育は時代遅れとなり、同和教育は「人権教育」と名を変えた。また解放教育は過去の「過激な教育実践」として、急速に忘れ去られようとしていた。
 しかし、だからといって同和教育や解放教育の実践が、日本の教育界に何も意味を成さなかったのかといえば、そうではない。同和教育の理念は、地道に「人権教育」と取り組む教師たちを確実に残している。

 著者は同和教育に取り組む教育者たちの現状をスケッチしているが、被差別部落をめぐる状況が70~80年代とは大きく変わってしまった現在、「どのように授業を進めていってよいのか」戸惑う教師たちの姿が浮き彫りにされている。
 わざわざ扱いの難しい同和問題を取り上げずに、別のテーマで人権教育のコマを埋めようという担当者がいても不思議ではない。

 ソルティはNPOに所属しHIV感染の支援活動をしていた2000年代はじめに、「人権教育」の講師として学校に呼ばれることがよくあった。
 HIVというテーマは、感染者に対するきびしい差別が存在した(存在する)という点では人権教育の恰好のテーマとなり、一方、現在あるいはこれから活発な性行動に乗り出す生徒たちの感染予防という点では保健教育にもなりうる。
 生徒ばかりでなく、学校職員や行政職員、JICA(青年海外協力隊)の派遣隊員や企業で働く社員などを対象に話したこともある。

 その際に、一通りHIV/AIDSの歴史を説明し、80年代後半に日本でエイズパニックが起きたことや感染者に対する様々な差別があったことを話し、病気の知識と感染予防の具体的な方法を伝えるのがいつもの流れであった。
 「エイズ=死」と言われた時代を知りエイズパニックの記憶生々しい大人たちに対してはこのプログラムでとくに問題なかったのであるが、エイズパニックを知らない世代(おおむね80年以降の生まれ)に対して話すときは、いつもちょっとした懸念を抱いた。
 何も知らない白紙のような若い人に対し、わざわざ悲惨なエイズ差別の事例を伝えることで、かえって「寝た子を起こす」ことになってしまうのでは?――というためらいがあった。「悲惨なエイズ患者、可哀想なHIV感染者」というイメージだけは与えたくなかった。
 なるべく感情的にならず事実だけを淡々と話すよう心がけてはいたが、若い人に限らず人間というものは、そうした極端に悲惨なケースとか不幸な話というものにどうしても耳をそばだててしまうので、話す方としては(顧客サービスというわけではなしに)場の集中を途切れさせることなく最後まで話を聞いてもらうために、やや芝居がかって語ってしまうところなきにしもあらず――であった。

 しかしながら、講演後に生徒たちが書いてくれた感想文などを読む限りでは、たとえば「エイズは恐いと思った」とか「感染者にはなるべく近づかないようにしようと思った」といったような否定的なものはなく、大人たちよりよっぽど素直で共感力が高かった。
 おそらく、差別事件を新聞記事のように客観的に語るのではなく、差別を受けた当事者の人となりや思いが伝わるように語るべく心がけたことが良かったのではないかと思っている。
 高校時代のソルティのような理屈をこね回す生徒ともついぞ会わなかった(心の中で疑問に思っていたのかもしれないが)。
 
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 今では「寝た子を起こすな」論は間違いと分かっている。
 「知らなければ差別しないのに」という言い分は何重にも見当違いである。

 一つには、人は「知らないうちに差別して相手を傷つけてしまう」からである。
 たとえば同和問題について言えば、根掘り葉掘り相手の出身地を尋ねたり、親の職業をきいたりすることは、悪気がなくとも相手に負担を強いる可能性がある。有名人の家柄や血筋の良さを云々する何気ない教室や職場での会話が、そこにいる当事者をいたたまれない気持ちにさせるかもしれない。
 実は、ソルティが通っていた高校のあった地域にもかつて被差別部落だった地区があり、そこから通っている生徒がいたことを、ずいぶんあとになって知った。(そもそも埼玉は有名な狭山事件があった県である)
 高校時代の自分は、「同じクラスの中にいるかもしれない」という想像力をまったく欠いていた。

 また、「知らなければ差別しないのに」は、逆に言えば、「知ったら差別してしまっても仕方ない」と言っているに等しい。
 「知っても差別しない」ことが大切なのであって、知識の有無と差別するかしないかはまったく関係ない二つの事柄である。

 さらに、部落差別についてたまたま学ばなかったがゆえに「部落差別をしない」でいられる人であっても、他のマイノリティ問題にぶつかったときに差別しないでいられるかと言えば、その限りではない。
 なぜなら、誰の心の中にも差別する心は存在しているので、世の中に存在する人権問題について知り、自らもまた人を差別する可能性のあることを自覚していなければ、いつかどこかで加害者になってしまう可能性があるからだ。
 
 ハンセン病差別在日朝鮮人中国人差別、アイヌ民族差別、障害者差別、HIV感染者差別、婚外子差別、セクシャルマイノリティ差別・・・・e.t.c.
 歴史上あった事実を「なかったことにする」のは、被害当事者にとって二重の差別になり得るのみならず、社会が同じ過ちを繰り返すもっとも簡単な方法であろう。

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Krzysztof PlutaによるPixabayからの画像


 本書のいま一つの“売り”は、路地(被差別部落)に生まれ育った上原善広自身の生い立ち、家庭内暴力が横行する“火宅”の少年時代、ケンカやシンナーに明け暮れた不良時代、解放教育との出会いにより立ち直っていく経緯・・・・などが率直に描かれているところである。
 「よくもまあ道を外れることなくやって来られたなあ」と感心するほどのしんどい育ち。
 戦争はもちろん、学園紛争も安保闘争も知らず、いまだ田んぼの残るのどかなベッドタウンで外でも内でも暴力とはほとんど無縁に生きて来られたソルティにしてみれば、関東と関西の違いはおいても、まったく異なる文化圏を生きてきた人という感じで、興味深く読んだ。
 他者を発見するのはいつだてエキサイティングである。


P.S. 本年7月、島崎藤村『破戒』の3度目の映画が公開予定である。(監督:前田和男、主演:間宮祥太朗、企画・製作:全国水平社創立100周年記念映画製作委員会)





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を読む 4

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第10巻『1914年夏Ⅲ』(1936年発表)
1952年白水社より邦訳刊行
1984年白水Uブックス

 物語もいよいよ佳境に入った。
 第10巻は、オーストリアがセルビアに宣戦布告した1914年7月28日から、オーストリア支援のドイツが、セルビア支援のロシアが、それぞれ動員を開始し、ドイツとは長年の敵対関係にありロシアとは同盟関係にあるフランスも内外からの参戦の慫慂を受けてついに動員令を発布する8月1日直前まで、を描いている。
 各国が急速に戦時体制に移行しナショナリズムが高揚する中、国を越えた第2インターナショナル(社会主義者たち)の反戦運動は弾圧され、抑圧され、はたまた内部分裂し、勢いを失っていく。
 フランスでは、第2インターナショナルフランス支部の中心人物で反戦の旗手だったジョン・ジョーレスが、7月31日愛国青年の手で暗殺されることで反戦運動の息の根が止められる(史実である)。

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ジャン・ジョーレス(1859-1914)

 堰を切るように、一挙に戦時体制へとなだれ込んでいく日常風景の描写が実にリアルで、おそろしい。 
 ある一点を越えたらもう引き返せない、もう誰にも止められない、全体主義への道を突き進む国家という巨大な歯車。
 メディアを支配し、世論を操り、祖国愛と敵愾心を焚きつけることで国民を扇動し、「戦争が必然」と思わせていく国家の遣り口。
 これは100年前の異国の話ではない。
 まさに今この瞬間に、ロシアで中国で北朝鮮で起こっていること、NATO各国でフィンランドで英国で日本で起こり得ることなのだ。

 《愛国主義者》たちの一味は、おどろくべき速度でその数を増し、いまや闘争は不可能なように思われていた。新聞記者、教授、作家、インテリの面々は、みんな、われおくれじとその批評的独立性を放棄し、口々に新しい十字軍を謳歌し、宿敵にたいする憎悪をかき立て、受動的服従を説き、愚劣な犠牲を準備することにいそがしかった。さらには左翼の新聞も、民衆のすぐれた指導者たちまで、――そうした彼らは、ついきのうまで、その権威をふりかざし、このヨーロッパ諸国間のこの恐るべき紛争こそ、階級闘争の国際的地盤における拡大であり、利益、競争、所有の本能の最後の帰結であると抗議していたではなかったか――いまやこぞって、その力を政府ご用に役だたせようとしているらしかった。

 登場人物の一人はこう叫ぶ。

「国家の名誉!」と、彼はうなるように言った。「良心を眠らせるために、すでにありとあらゆるぎょうさんな言葉が動員されている!・・・・すべての愚かしさを糊塗し、良識が顔をだすのをさまたげなければならないんだから! 名誉! 祖国! 権利! 文明!・・・・ところで、これらひばり釣りの鏡のような言葉のかげに、いったい何がひそんでいると思う? いわく、工業上の利益、商品市場の競争、政治家と実業家とのなれあい、すべての国の支配階級のあくことを知らぬ欲望だ! 愚だ!・・・」

 今日明日の動員令発布を前に、久しぶりに会ったアントワーヌとジャックは意見を闘わせる。
 たとえ心に添わなくとも祖国を守るために従軍するのは当然と言うアントワーヌと、「絶対に従軍しない」すなわち良心的兵役拒否を誓うジャック。
 同じチボー家の息子として何不自由なく育った2人、一緒に父親の安楽死を手伝うほどに強い絆で結ばれた2人が、ここにきてまったく別の道を選ぶことになる。
 いや、当初から野心家で体制順応的なアントワーヌと、体制による束縛を嫌い心の自由を求めるジャックは、対照的な性格および生き方であった。
 が、戦争という大きな事態を前にして、2人の資質の違いは生死を左右する決定的な選択の別となって浮き出されたのである。
 アントワーヌは言う。

 われらがおなじ共同体の一員として生まれたという事実によって、われらはすべてそこにひとつの地位を持ち、その地位によって、われらのおのおのは毎日利益を得ているんだ。その利益の反対給付として、社会契約の遵奉ということが生まれてくる。ところで、その契約の最大の条項のひとつは、われらが共同体のおきてを尊重するということ、たとい個人として自由に考えてみた場合、そうしたおきてが常に必ずしも正しくないように考えられるときでも、なおかつそれに従わなければならないということなんだ。・・・・」

 まるで国家による処刑に粛々としたがったソクラテスのよう。
 ジャックは反論する。

 ぼくには、政府が、ぼく自身罪悪と考え、真理、正義、人間連帯を裏切るものと考えているようなことをやらせようとするのがぜったいがまんできないんだ・・・ぼくにとって、ヒロイズムとは、(中略)銃を手にして戦線に駆けつけることではない! それは戦争を拒否すること、悪事の片棒をかつぐかわりに、むしろすすんで刑場にひっ立てられていくことなんだ!

 国があってはじめて、国民が、個人が、存在しうるというアントワーヌ。
 個人の存在は――少なくとも個人の良心は、国を超えたところにあるというジャック。
 2人の対決はしかし、議論のための議論、相手を言い負かすための議論ではない。
 アントワーヌは、体制に従わないジャックの行く末を、心底心配しているのである。

 ああ、どうなるジャック‼
 どうなる日本‼ 





 
 

● 映画:『愛のお荷物』(川島雄三監督)

1955年日活
110分、モノクロ

 「愛のお荷物」とは赤ちゃんのことであった。
 戦後ベビーブーマー時代を背景に、ある大臣一家に起こる恋と受胎の騒動を軽妙なタッチで描くコメディ。
 人口過剰問題の対策を先頭に立ってはかるべき新木厚生大臣の家庭において、本人夫婦はじめご子息・ご令嬢3人に同時に子供が授かってしまう・・・・。
 人口減少、少子高齢化が問題となっている現在から見れば、なんとうらやましい(お盛んな)時代であったことか。

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 新木大臣を演じる山村聡はじめ、轟夕起子、三橋達也、北原三枝(石原裕次郎夫人)、山田五十鈴、東野英治郎、フランキー堺、菅井きんなど、役者の顔触れが多彩で楽しい。
 三橋達也はこれまで注目したことがなかったが、喜劇がうまい。身のこなしもスマートで色気がある。
 山田五十鈴は押しも押されもせぬ名女優だが、喜劇だけは向かないと思う。存在が重すぎるのだ。
 同じベテラン名優でも東野英治郎あるいは杉村春子が喜劇もこなせるのとは対照的。
 導入部のナレーションをしている加藤武もうまい。

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三橋達也と北原三枝
ロケ地は上野の不忍池らしい

 個人的には脚本がもう少し遊んでも(はちゃめちゃしても)いいのではと思ったが、肩の凝らないセンスの良いコメディには違いない。



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● ウィーンの音楽を楽しむ会 63回(ギュンターフィルハーモニー管弦楽団)

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日時 2022年5月14日(土)18:00~
会場 小金井宮地楽器大ホール(東京都小金井市)
指揮 重原孝臣
曲目
  • モーツァルト:交響曲35番 ニ長調 K.385「ハフナー」
  • ベートーヴェン:交響曲8番 ヘ長調 op.93

 コンサート前に国分寺駅南口にある殿ヶ谷庭園(随宜園)に寄った。
 三菱の岩崎彦彌太の別邸だったのを1974年に都が買い取ったものである。 
 藤が終わってサツキにちょっと早い今の時期、花は多くないがそのぶん緑が目立ち、草いきれが強かった。

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入園料150円はお得

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かつてはここでゴルフやパーティーをしたとか

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竹林が美しい

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ハケ(崖線)が敷地内にあり湧き水が池を作っている

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紫ランとカルミア


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 小金井宮地楽器ホールはJR中央線・武蔵小金井駅南口のロータリーに面している。
 しばらくぶりに訪れたが、ショッピングモールや高層マンションが周囲に立ち並び、ちょっとしたセレブ空間になっていてビックリ。
 570名余入る大ホールに5割くらいの入り。ソーシャルディスタンス的にはちょうど良かった。

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小金井・宮地楽器ホール

 このオケを聴くのは2回目。前回は2016年12月であった。
  コロナ禍で2019年10月以来のコンサートという。見たところ、演奏者のみならず聴衆もまた高齢者率の高い会なので、スタッフはかなり神経を使ったのではなかろうか。
 再開を慶びたい。

 前回も感じたが、上手で安定感がある。
 長い年月(結成1980年)で育まれた技術とチームワークの賜物であろう。
 そこに待ちに待った舞台ゆえの喜びと緊張感が加わって、フレッシュな響きがあふれた。
 気圧の変化に弱い“気象病”のソルティは、ここ最近の天候不順のせいで軽い眩暈と耳鳴りに悩まされていたのだが、一曲目の「ハフナー」を聴いているうちに体が楽になった。
 そうか! 気象病にはモーツァルトが効くのか!

 ベートーヴェン第8番を聴くのは初めて。
 5番や7番や第9のような渾身にして畢生の大作といった感じではなく、無駄なことを考えず楽しみながら作った良品といった趣き。これを作った時のベートーヴェンの精神状態は良好だったに違いない。
 ロッシーニ風の軽さと諧謔味あるつくりに「遊び心あるなあ~」と心の内で呟いたが、時間的に言うとロッシーニ(1792年生)がベートーヴェン(1770年生)に学んだのだろう。
 3番『英雄』や6番『田園』のような主題を表すタイトルが冠されておらず、また第9のようなドラマ性(文学性)が打ち出されているわけでもない。
 その意味で純粋なる器楽曲と言っていい。
 ソルティがこの曲からイメージした絵は次のようなものである。

 子どもの頃、毎年ひな祭りになると実家では雛人形を飾った。妹がいたからである。
 雛人形の白く神妙なよそよそしい顔つきは、美しさや気品と同時に、どこか不気味さを感じさせるものであった。
「雛人形は人間が寝静まった夜になると勝手に動き出して、五人囃子の笛や太鼓に合わせて、呑んだり歌ったり踊ったりする」といった話を誰からともなく聞いた。あるいは、『おもちゃのマーチ』からの連想だったのだろうか?
 朝起きると、雛飾りを調べて夜中の宴会の証拠が残っていないか調べたものである。

 8番を聴いていたら、あたかも人間が寝静まった真夜中に、楽器店に置かれた楽器たちが、指揮者も演奏者も聴き手もいないのに、勝手に動き出して合奏を始める――みたいなイメージが湧いた。
 それぞれの楽器が得意の節を披露して自己主張しながらも、互いの主張を受け入れ、一つの楽器が作りだしたメロディーやリズムを真似したりアレンジを加えたりしながら次から次へとバトンし、次第に大きな流れを作り上げていく。そこには作曲家であるベートーヴェンの姿すらない。
 「楽器たちの、楽器たちによる、楽器たちのための祭り」である。

 あるいはそれは、宮地楽器ホールという会場ゆえに起きた錯覚であろうか?

楽器や



 
  

● マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を読む 3


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第8巻『1914年夏Ⅰ』(1936年発表)
第9巻『1914年夏Ⅱ』(1936年)
1952年白水社より邦訳刊行
1984年白水Uブックス

 この小説を読み始める前は、「今さらチボー家を読むなんて周回遅れもいいところ」といった思いであった。
 100年近く前に書かれた異国の小説で、邦訳が刊行されてからもすでに70年経っている。
 新書サイズの白水Uブックスに装いあらたに収録されて書店に並んだのが1984年。しばらくの間こそ読書界の話題となり、町の小さな書店で見かけることもあった。
 が、やはり「ノーベル文学賞受賞のフランスの古典で大長編」といったら、なかなか忙しい現代人やスマホ文化に侵された若者たちが気軽に手に取って読める代物ではない。
 今回も図書館で借りるのに、わざわざ書庫から探してきてもらう必要があった。
 自分の暇かげんと酔狂ぶりを証明しているようなものだなあと思いながら読み始めた。

 なんとまあビックリ!
 こんなにタイムリーでビビッドな小説だとは思わなかった。
 というのも、第7巻『父の死』までは、主人公の若者たちの青春群像を描いた大河ロマン小説の色合い濃く、親子の断絶や失恋や近親の死などの悲劇的エピソードはあれど、全般に牧歌的な雰囲気が漂っていたのであるが、第8巻からガラリと様相が変わり「風雲急を告げる」展開が待っていたのである。

 第8巻と第9巻は、タイトルが示す通り、1914年6月28日から7月27日までのことが描かれている。
 これはサラエボ訪問中のオーストリアの皇太子がセルビアの一青年に暗殺された日(6/28)から、オーストリアがセルビアに宣戦布告する前日(7/27)までのこと、すなわち第1次世界大戦直前の話なのである。
 世界大戦前夜。
 なんと現在の世界状況に似通っていることか!
 100年前の小説が一気にリアルタイムなノンフィクションに変貌していく。
 『チボー家の人々』はまさに今こそ、読みなおされて然るべき作品だったのである。
 
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MediamodifierによるPixabayからの画像画像:ロシアv.s.ウクライナ

 第8巻前半のいきなりの政治論議に戸惑う読者は多いと思う。それも、ジュネーヴに集まる各国の社会主義者たち、つまり第2インターナショナルの活動の様子が描かれる。
 そう、当時はプロレタリア革命による資本主義打倒および自由と平等の共産主義社会建設の気運が、これ以上なく高まっていた。

第2インターナショナル
1889年パリで開かれた社会主義者・労働者の国際大会で創立。マルクス主義を支配的潮流とするドイツ社会民主党が中心で,欧米・アジア諸国社会主義政党の連合機関だった。第1次世界大戦開始に伴い,戦争支持派,平和派,革命派などに分裂して実質的に崩壊。
(出典:平凡社百科事典マイペディアより抜粋)

 チボー家の反逆児である我らがジャックは、いつのまにかマルクス主義を身に着け、インターナショナルの活動に加わっている。まあ、なるべくしてなったというところか。
 この8巻前半は登場人物――実在する政治家や左翼活動家も登場――がいきなり増え、こむずかしい政治談議も多く、当時のヨーロッパの政治状況に不案内な人は読むのに苦労するかもしれない。
 ソルティもちょっと退屈し、読むスピードが落ちた。
 が、よくしたもので、このところ左翼に関する本を読み続けてきたので理解は難しくなかった。

 読者はジャックの活動や思考を追いながら、当時のヨーロッパの国際状況すなわち植民地拡大に虎視眈々たる列強の帝国資本主義のさまを知らされる。
 厄介なのは、列強が同盟やら協定やらを結んでいて関係が錯綜しているところ。フランス・英国・ロシアは三国協商(連合)を結び、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国は三国同盟を結んでいる。そしてロシアはセルビアを支援していた。
 一触即発の緊張をはらんだところに投げ込まれたのが、サラエボの暗殺事件だったのである。
 オーストリアがセルビアに攻め入れば、ロシアがセルビア支援に動き、ドイツはオーストリアの、フランスはロシアの味方につき・・・・・。
 ブルジョア家庭に育ちながら資本主義の弊害に憤るジャックは、プロレタリア革命に共感を持ちながらも、暴力や戦争には反対の立場をとる。

 8巻の後半ではダニエルとジェンニーの父親ジェロームがまさかの自殺。
 それをきっかけに、ジャックとジェンニーは久しぶりに再会する。大切な人の死が新たな恋のきっかけになるという人生の皮肉。
 よく似た者同士でお互い強く惹かれ合っているのに素直になれず、なかなか結ばれない2人がじれったい。なにいい歳して街中で追っかけっこなんかしているのか⁉
 世の中には息するようにたやすく恋ができる者(ジェローム、ダニエル、アントワーヌら)のいる一方で、その敷居が高い者(ジャック、ジェンニーら)がいる。

恋の追いかけっこ

 第9巻はジャックが主人公。
 戦争阻止のためインターナショナルの活動にのめり込んでいくジャック。
 一方、互いに疑心暗鬼になって戦闘準備することによって、さらに開戦へと加速する悪循環に嵌まり込んだヨーロッパ各国。
 動乱の世の中を背景に、やっと結ばれたジャックとジェンニーの純粋な恋。
 なんたるドラマチック!
 このあたりの構成とストリーテリングの巧さは、さすがノーベル賞作家という賛辞惜しまず。

 第8巻におけるアントワーヌとジャックの兄弟対話が奥深い。
 プロレタリア革命の意義について滔々と語るジャックに対して、必ずしもガチガチの保守の愛国主義者ではないものの、現在の自身のブルジョア的境遇になんら不満や疑問を持たないアントワーヌはこう反論する。
 
「ドイツでだったら、立て直し騒ぎもけっこうだが!」と、アントワーヌは、ひやかすようなちょうしで言った。そして言葉をつづけながら「だが」と、まじめに言った。
「おれの知りたいと思うのは、その新しい社会を打ち立てるにあたっての問題だ。おれはけっきょくむだぼね折りに終わるだろうと思っている。というわけは、再建にあたっては、つねにおなじ基礎的要素が存立する。そして、そうした本質的な要素には変わりがない。すなわち、人の本性がそれなのだ!」
 ジャックは、さっと顔色をかえた。彼は、心の動揺をさとられまいとして顔をそむけた。
 ・・・・・・・・・・・・
 彼(ジャック)は、人間にたいして無限の同情を持っていた。人間にたいして、心をこめての愛さえ捧げていた。だが、いかにつとめてみても、いかにあがき、いかに熱烈な確信をこめて、主義のお題目をくり返してみても、人間の精神面における可能性については依然懐疑的たらざるを得なかった。そして、心の底には、いつも一つの悲痛な拒否が横たわっていた。彼は、人類の精神的進歩という断定に誤りのないということを信じることができなかった。

 社会主義体制や共産主義体制になっても、基礎となる人間の本性は変わらない。
 新しいものを作っても中味が変わらないのであれば、腐敗は避けられない。
 まさに、かつてのソ連や現在の中国のありようはそれを証明している。

 デュ・ガールが本作を書いたのは1936年。
 執筆時点では、ロシア革命(1917年)によって建てられた史上初の社会主義国家に対する期待と希望は健在であった。(デュ・ガールの敬愛する先輩作家アンドレ・ジッドがソビエトを訪れて共産主義の失敗を知ったのは1936年の夏だった)

 なんという慧眼!

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● ライブDVD:マリア・カラス in ハンブルク・コンサート


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収録日 1959年5月18日、1962年3月16日
会場  ハンブルク・ミュージックホール(ドイツ)
指揮  ニコラ・レッシーニョ(1959年)、ジョルジョ・プレートル(1962年)
演奏  北ドイツ放送交響楽団

 マリア・カラス(1923-1977)の舞台映像で昔から日本のファンの間で良く知られていて公式に発売されているのは、次の4つである。
  1.  1958年12月19日パリ・オペラ座ガラ・コンサート『トスカ』第2幕ほか(カラス36歳)
  2.  1959年5月18日ハンブルク・コンサート(36歳)・・・当DVD収録
  3.  1962年3月16日ハンブルク・コンサート(38歳)・・・当DVD収録
  4.  1964年2月9日(ロンドン)コヴェント・ガーデン王立歌劇場『トスカ』第2幕(40歳)
 他に、1974年10月19日にNHKホールで収録されたテノール歌手ディ・ステーファノ共演の東京公演の映像(51歳)もあるが、不世出のオペラ歌手としての名声偽りないことを証明し歴史的価値を有しているのは、上記4つの記録であると言って間違いなかろう。
 とりわけ、1と4のライブ映像ではカラスが最も得意とした演目のひとつであるプッチーニ作曲『トスカ』の第2幕が、最高のスカルピア役者であったバリトンのティト・ゴッビの名唱・名演と共に収録されており、息の合った2人の火花を散らす歌の応酬と「トスカの接吻(刺殺)」に至るまでのスリリングな一挙手一投足は固唾をのんで見守るほかない。
 58年と64年の二つのトスカの違い――カラスの声や容姿以上に変貌著しいのは役に対する解釈の違いである――も興味深いところである。

 ソルティは20代の時にマリア・カラスに夢中になって、彼女が出演しているオペラやコンサートのライブやスタジオ録音のCDを買い集め、彼女について書かれている本をずいぶん読み漁ってきた。
 が、このハンブルク・コンサートの映像は未見であった。
 当時この映像はレーザーディスクで観るほかなくて、ソフトも機器本体も高すぎて、おいそれとは手が出せなかった。二つのトスカ映像のほうはVHSで観ることができた。
 30代に入って急速にクラシック熱が冷めてしまい、未見のままになった。
 今やネットで『ハンブルク・コンサート』の中古DVDが数百円で手に入るし、一部の映像はYouTubeで無料で観ることもできる。このDVDも近所のゲオでなんと150円で手に入れた。
 こんなにオペラが身近になるとは・・・・!

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ソルティ所有のカラスCDコレクションの一部

 カラス=女神と思っていた20代の頃とは違う冷静な目で、いまこのライブ映像を視聴して思うのは、まずカラスはそれほど飛びぬけた美人ではないし、人並み以上に美しい声の持ち主でもなかった、ということ。
 ソプラノ歌手と言えば横幅たっぷりの「だいじょ~ぶ」がお決まりだった当時はともかく、映像時代の現在ではカラスより容姿の点で優れる歌手はごまんといる。モデル並みのスタイルの歌手も少なくない。
 また、カラスがそのスタイルをまねたオードリー・ヘップバーンはじめカトリーヌ・ドヌーブやエリザベス・テーラーなど、銀幕を飾る当時のスター女優たちにくらべればどうしたって容姿では敵わない。
 むしろ、アップで観ると鼻や口など個々のパーツが大きく、顔つきに険があり、美女というより烈女という感が強い。
 もっとも、『ガラスの仮面』の北島マヤのように舞台上で美しく化ける能力というものがある。カラスはまさにそれで、観客は舞台上のカラスが演じる椿姫やトスカやルチアに絶世の美女を見ていたのである。
 優雅な仕草を含め舞台映えする容姿であるのは間違いない。

 次に声であるが、これは当時から決して美しさゆえに注目を浴び絶賛された声ではなかった。
 ライバルと言われたテバルティの「天使の声」はもちろんのこと、モンセラ・カバリエ、ジューン・サザーランド、ミレッラ・フレーニ、エディタ・グルベローヴァキャスリーン・バトル、ナタリー・デッセイ等々、カラス以降に一世を風靡したどの世界的プリマ・ドンナと比べても、声自体の美しさでは後塵を拝している。
 とくに衰えが目立つようになった60年代は、全体に声が太く低くなり、高音部は金属的な響きが増して、ときに耳障りなほどである。ハンブルク・コンサートでも、59年と62年では明らかに声が違っている。(そのため62年のコンサートではメゾソプラノの楽曲がほとんどである)
 カラスの歌がカフェやデパートやプールサイドで流すような環境音楽あるいは作業用BGMに向かないのは、それが癒しや快適さや作業効率を高める類いの声ではないからである。 
 しかしこれもまた不思議なもので、その声はスタジオ録音で聴くよりオペラライブで聴く方が断然美しい。劇場空間において、美しく響く声だったのだろう。

 その声は真に個性的なものだった。
 俗に「七色の声」と言うが、ソルティの知るかぎり「七色の声」という形容にほんとうにふさわしい歌手は、マリア・カラスと美空ひばりだけなんじゃないかと思う。
 カラスは、重く強靭な本来のドラマチックな響きと、努力によって獲得した軽く滑らかに歌う技巧とを併せ持ったソプラノ・ドラマティコ・タジリタという奇跡の声の持ち主であった。フレーズごとに声を使いわけ多彩な感情を表現できる、つまり歌で芝居できるところが、まさに美空ひばりと好一対と言えよう。
 
 舞台映えする容姿、独特な声、卓抜なる技巧にもまして、カラスをカラスたらしめたのは、言うまでもなく、役に没入する力であろう。
 多くの評者によって言いつくされていることではあるが、このハンブルク・コンサートでは、これから歌うアリアの前奏を指揮者の横で目をつぶって聴いている間に、それぞれのオペラの役に次第に没入していき、いざ歌い出す瞬間には表情や姿勢や雰囲気が歌い出す前とは別人格になっている、あたかも多重人格者の人格変容の現場をとらえたかのようなカラスの姿を見ることができる。
 観客はそこに舞台上のカラスにかぶさるように、カルメンやマクベス夫人やシンデレラやロジーナや王妃エリザベッタなどオペラの諸役を見る。逆に言えば、それらの悲喜劇を生きた女性たちに憑依されたカラスを見る。
 この高い技巧に裏打ちされた役への没入ぶりは、英国の誇る国民的女優マギー・スミスに通じるものを見る。

 オペラ業界のみならず社交界や世間を騒がせた数々のスキャンダラスな振る舞いに示されたような、あれほど強烈な個性を持ちながらも、いざ舞台に立って歌うとなると「何を演ってもカラス」には決してならなかったところが凄い。
 その秘密はおそらく、カラスの中には巨大な空虚があったからではなかろうか。
 その空虚あればこそ、古代から現代までの様々な国や地域で劇的な境遇に置かれたヒロインたちが下りてきて、カラスの身体と声帯を自在に使いこなすことができたのだ。
 マリア・カラスは巫女(よりまし)のようなもの。
 あるいは、マリア・カラスというスターですら、時代によって演出され、ギリシャ系移民の子としてアメリカに生まれたマリア・アンナ・ソフィア・セシリア・カロゲロプーロス(カラスの本名)によって演じられた一個のキャラクターであったのかもしれない。

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マクベス夫人が憑依中
(1959年コンサートより)

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カルメンが憑依中
(1962年コンサートより)

 今回、はじめてハンブルク・コンサートを見て新鮮に感じたことがある。
 それは、59年のコンサートと62年のコンサートでは、カラスの表情や雰囲気や身のこなしが全然違うのだ。
 明らかに62年のカラスは幸福に輝いている。
 表情に自然な笑みがあり、雰囲気は優しく柔らかで、身のこなしはより女性的で艶っぽい。
 すなわち幸せオーラーに包まれている。
 歌唱自体は上に書いたように、59年のほうがおそらく声が保たれていて完成度が高い。役への没入も59年のほうが集中力があって深い。59年のカラスはまさに「孤高の芸術家」といった感じで、近寄りがたいものがある。
 62年のカラスは、観客にも舞台上の演奏家たちにも極めてフレンドリーで、「雌豹」というあだ名を奉られた剣呑なイメージとは程遠い。
 3年ぶりにディーバに接したオケのメンバーたちは、その変化に驚いたのではなかったろうか。
 こんな幸福なカラスがいたなんて・・・・!

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59年のカーテンコール中のカラス
優雅だが硬いところのある笑顔

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62年カーテンコールのカラス
生の輝きと希望に満ちた笑顔

 この4年間のカラスの変化の背景にあるのは、おそらく、デビュー以来のマネージャ兼夫だったメネギーニと別れて、ギリシャの海運王アリストテレス・ソクラテス・オナシス(しかし凄い名前だ)との恋に走ったことであろう。
 62年のカラスは、“女としてのよろこび”を謳歌していた真っ最中だったのである。
 
 しかるに、カラスの幸福は長続きしなかった。
 有名女性をコレクションすることに多大なる関心を抱いていたオナシスは、手に入れたカラスに飽きて、女遊び(男遊びもあったらしい)を繰り返したあげく、今度はケネディ未亡人ジャクリーンにちょっかいを出すようになる。
 カラスに冷たい仕打ちを重ねるオナシスと、もしかしたら最後になるかもしれない恋と家庭生活への希望をあきらめきれないカラス。
 その葛藤と苦しみの中で生まれたのが64年の壮絶な『トスカ』第2幕であった。
  
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64年コヴェントガーデンでトスカを演じるカラス
 
 わずか5年の間に撮られた4つのライブ映像を、カラスの恋愛事情や生活上の変化を踏まえながら視聴していくと、非常に興味深い。
 そして、生活上の幸不幸のすべてが、結局は芸術の深化に寄与せざるを得ない“選ばれし”天才のさがに思い至り、黙然とする。
 
 


● 昭和パワハラ親爺あり 映画:『彩り河』(三村晴彦監督)

1984年松竹
125分

 田中裕子が一流女優の仲間入りした名作『天城越え』の三村晴彦監督の作品というので、気になって借りてみた。
 原作は『天城越え』と同じ清張ミステリーである。

 結論から言うと、出来は良くない。
 悪徳実業家に父親を殺された青年の復讐劇という、どちらかと言えばテレビドラマ向けの陳腐な題材は措いておくとしても、脚本がすっきりせず焦点が合っていない。
 誰が主役なんだかよくわからないのである。

 本来なら復讐を胸に誓う青年・譲二(真田広之)が主役となるべきで、その悲惨な幼少期の記憶であるとか、憎き相手・下田(三國連太郎)への憤りであるとか、復讐までの一つ一つの段取りなどが描かれていくところであろう。
 その過程で愛する女ができたり、勇みがちの不用意な行動によって危うく相手方に正体がバレそうになったり、同じく下田への復讐心を持つ男・井川(平幹二郎)と知り合って手を組んだり・・・といったエピソードが盛り込まれる。
 つまり、譲二視点でストーリーを進めていけば一つの復讐譚としてすっきりする。

 ところが、これが譲二の復讐譚であることがはっきりするのは物語の後半になってからで、それまでは視点が定まっていない。
 いったい何の話なのか、誰が主役なのか、よくわからないまま、昭和の銀座界隈の欲と腐敗に満ちた世界が描き出されていく。
 結果として、欲と腐敗の代名詞である実業家下田を演じる三國連太郎がやたら目立っている。
 ただひたすら金と女と権威を追い求める、いかにも“昭和”といった感じのいやらしい中年ハゲ親爺を、三國は抜群のリアリティをもって演じている。
 そのなりきりぶりが凄い。
 三國がもともと相当な二枚目俳優として登場したことを思えば、その役者魂には称賛のほかない。佐藤浩市にはこの役はできないのではあるまいか。
 三國連太郎の圧倒的な存在感の前では、若くハンサムな真田広之も、若く凛とした美しさのある名取裕子も、王将の前の歩のようなものである。さしずめ、平幹二郎と渡瀬恒彦が金、吉行和子と石橋蓮司が銀ってところか。

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悪徳実業家を演じる三國連太郎
なんとなく原作者(清張)をモデルにした感が・・・

 通じ合った譲二と井川が、下田をやっつける密談を白昼の往来で交わしたり、第三者のいるところで復讐に用いる毒物の話を持ち出したり、脚本の粗さは首を捻りたくなるほど。
 演出もカメラワークも凡庸である。
 
 『天城越え』を越えるのは難しかった。

P.S. ラストの復讐シーンの舞台設定は、下田が主宰する「無修正ポルノフィルムの極秘上映会」
  昭和だあ~

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お口直しに
昭和の典型的美形・真田広之



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を読む 2


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第4巻『美しい季節Ⅱ』(1923年発表)
第5巻『診察』(1928年)
第6巻『ラ・ソレリーナ』(1928年)
第7巻『父の死』(1929年)
1984年白水社より邦訳刊行

 3泊4日のみちのく旅行に携えていった4冊。
 鈍行列車乗車の計14時間でどこまで読み通せるかなと思っていたら、丸々4冊読み終えてしまった。
 ほぼクロスシートを独占できて、疲れたら車窓を流れる景色で目を休めることができるし、空いている車内には気を散らすものもないし、読書には最適の空間であった。

 もちろん、小説の面白さあってこそ。
 チボー家の息子アントワーヌとジャック、読売新聞と朝日新聞のごとき相反する性格をもつ2人の若者の青春が躍動し、それが僭主のごとく振舞った父親の壮絶な死というクライマックスで幕切れを迎える。
 ストリーテリングの巧さと魅力ある登場人物の描写に、知らぬ間に残りページが少なくなっていることに気づき、いつのまにか終点が近いことに驚く。
 現実のみちのくの旅と、本の中の100年前のフランスの旅、二重に体験しているような感覚であった。
  
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JR仙山線沿線・山寺

 第4巻はずばり「恋」の章。二組の大人たちの恋愛模様が描かれる。
 中年のフォンタナン夫妻のぬかるみに嵌まり込んだような奇態な依存関係は、成瀬巳喜男監督の名作『浮雲』の森雅之と高峰秀子のよう。『浮雲』に見るような腐敗臭ある暗さから救っているのは、フォンタナン夫人の堅い信仰である。
 一方、アントワーヌとラシェルの恋は若者らしい一途さと情熱と性愛の率直さで彩られる。
 アフリカやヨーロッパを放浪し人生経験豊かなラシェルによって、仕事一筋の堅物であったアントワーヌが異なった価値観に触れ人生に開かれていく様が描かれる。
 ラシェルがアントワーヌに語る蛮地での奇想天外なエピソードの数々、長年の愛人であったイルシェという男の不気味な存在感、このあたりの描写には同時代のフランス作家アンドレ・ジッド同様、反文明・反近代を志向する著者デユ・ガールの一面が伺えた。

 第5巻はアントワーヌが完全主役。
 有能で誠実で人望ある医師としての彼の一日が描かれる。「赤ひげ」候補といった感じか。
 このアントワーヌの成長は、ラシェルとの激しく熱い恋と唐突な別れがもたらしたものである。
 その意味では、本小説は19世紀以来の教養小説――青年が様々な経験をして成長していく物語――の流れを汲んでいる。
 人間の“成長”が信じられた時代。

 第6巻はしばらく行方不明になっていたジャックの動向が描かれる。
 親友ダニエルの妹ジェンニーとの関係のもつれや父親への反発から家を飛び出したジャックは、すべての知り合いとの連絡を断って、スイスで物書きへの道を歩み始めていた。
 ひょんなことから居所を知ったアントワーヌは、ジャックをパリに連れ戻すべく、一人スイスに向かう。
 2人の父親であるチボー氏が瀕死の状態にあったのだ。
 それぞれ自分の道を歩み始めた兄弟が再会し、愛憎半ばする父親の臨終に立ち会う。

 第7巻『父の死』は物語的にドラマチックな場面には違いないが、ここで扱われているテーマもまた深い。
 一つは安楽死。父親の苦しむ姿に耐えきれなくなったアントワーヌとジャックは、モルヒネを注射することでその苦痛を終わらせる。(現代では尊厳死にあたるから違法にはならないだろう)
 いま一つは宗教と信仰の問題。父親の葬儀のあとで司祭と対話するアントワーヌの言葉に、読者は神を信じられないアントワーヌの唯物論的精神をみるだろう。それは典型的な近代人の姿でもある。
 
十字架

 本書を読んでいると、欧米人にとって父親の存在というのは非常に大きいものなのだとあらためて感じる。
 フロイトは「エディプス・コンプレックス」という概念を提唱したけれど、あれはキリスト教を基盤とする欧米文化ならではのものであって、日本をはじめとするアジア文化にはそぐわないものだと思う。つまり、人類一般に適用できる心理現象ではなかろう。
 「絶対神=父」という構造と刷り込みがまずあって、クリスチャン家庭の中の父親が「神」のごとく敬われていく文化が強化される。家族の成員は父の背後に「神」を見ざるをえない。このとき、家父長制とキリスト教は強固に支え合っている。
 「父に歯向かうことは神に歯向かうこと」という暗黙のルールが支配する社会にあって、自立(自分らしさ)を求める息子・娘たちはどうしたって葛藤に陥る。それが信仰深い家庭の子女であればなおのこと。
 チボー家の「父の死」は「神の死」のひとつの象徴である。
 神の軛から解かれた世界で、アントワーヌとジャックはどのように生きていくのやら・・・。








 


● みちのく・仏めぐり その3


5月1日(日)曇りのち雨 郡山~会津若松~大宮

 郡山駅8:29発の磐越西線に乗る。
 磐梯山を車窓の左に右に前に後ろに望みながら、会津若松到着。
 駅前のバスセンターで軽食を取りながら、坂下(ばんげ)行きのバスを待つ。

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会津磐梯山は宝ぁのや~ま~よ

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会津若松駅

 勝常寺は会津若松市の北に位置する湯川村(福島で一番小さい村)にある。
 鶴ヶ城、さざえ堂、飯森山(白虎隊十九士の墓)、七日町通り、東山温泉・・・会津若松観光の定番スポットには入っていない。
 これは勝常寺の存在とその素晴らしさがよく知られていないからであろう。
 ソルティも過去に2度会津若松に来ているが、知らなかった。

 だが、自信を持って言える。
 会津若松に来て勝常寺に行かないのは、京都に来て無鄰菴に行かないようなもの、金沢に来て鈴木大拙館に行かないようなもの、長野に来て戸隠神社に行かないようなものである。
 つまり、静けさと清らかさとゆったりした時の流れを愛する、“通”な大人向けの観想空間である。
 いまの住職があまり観光やら人寄せやらに興味を持っていないのも一因である(と村の人は言っていた)らしいが、本来ならもっと注目を浴びてもいいお寺である。
 なんといっても所蔵の仏像たちがあまりに見事すぎる!

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「道の駅あいづ」でバスを下りる
ここから歩いて15分

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広大な田んぼの間を縫ってゆく
奥に見える森がお寺のあるところ

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参道
地元の人が協力して黒い板塀に揃えたとのこと

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勝常寺

 勝常寺は大同2年(807)、法相宗の徳一上人によって開かれた。
 徳一は最澄との間で繰り広げた三一論争で有名であるが、二十歳にして塵埃まみれの都から草深い会津に移り住み、恵日寺や勝常寺を建立し、当地で仏教を広めた道の人である。その生涯は謎に包まれている部分が多い。(おかざき真理の『阿吽』ではやたらと背の高い隻眼の坊主というキャラである)
 ともあれ、空海、最澄の両天才と同じレベルで論争できたのだから、その学識や思考力や弁論術の高さが比類ないものだったのは間違いなかろう。

 往時の勝常寺は七堂伽藍が奈良の古寺のように整然とたちならび、大勢の僧侶が学問していたという。法相宗の中心教義たる唯識論を学んでいたのだろう。
 鎌倉時代に真言宗に鞍替えして現在に至っている。

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薬師堂(元講堂)
応永5年(1398)再建
国指定重要文化財

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収蔵庫
国宝の木造薬師如来像と日光・月光菩薩像のほか
平安初期の仏像が9体もある

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湯川村の案内パンフレットより
実物の荘厳さ・迫力・気品ある美しさには
思わず膝をつき手を合わせてしまった

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徳一上人の像もあった!
なかなかふてぶてしいご尊顔

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境内は緑豊かで実に気持ちいい
昭和61年に皇嗣時代の令和天皇が訪れている

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本堂
平成22年6月に新築された

 心ゆくまで仏像と対話し所蔵庫を出たら、雨が降ってきた。
 雨宿りできるところはないかと思ったら、お寺の前に休憩所兼みやげ物屋らしき小屋がある。「角屋」とある。
 入ってみたら、天井や壁が竹細工で内装された洒落た造り。
 地元でとれた米や酒、工芸品などが置かれていた。
 店番の人によると、農機具の収納小屋だったものを改装したとのことで、なんとこの4月末にオープンしたばかり。
 村起こしのためいろいろ工夫して頑張っている様子が窺えた。

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角屋

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地元の人と交流できるのも魅力である

 ここで「湯川たから館」のチラシを見つけた。
 常設展として「湯川が生んだ撮影監督 高羽哲夫の軌跡」を展示しているという。
 高羽哲夫の名前は知らなかったが、彼の撮影した映画は有名である。
 なんと、山田洋次監督とのコンビで渥美清主演『男はつらいよ』シリーズの第1作から第48作までを撮っているほか、高倉健主演『幸福の黄色いハンカチ』や倍賞千恵子主演『霧の旗』などのカメラを担当している。
 湯川村出身だったのだ。
 『男はつらいよ』シリーズを順繰りに観ていこうかな~、と思っていた矢先のこの出会い。これを宿縁と呼ばずになんと呼ぼう(偶然?)
 そぼ降る雨の中、お寺の裏手にある「たから館」に足を向けた。

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高羽(たかう)という姓は湯川村でも珍しいらしい

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湯川たから館

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第1作から最終作まで、時代を映すポスターの列は壮観

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ゴッホを愛読していたというのが興味深い
ゴッホの光と影に学んだのだろうか?

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撮影現場の後藤久美子と高羽哲夫
ゴクミが国民的美少女と言われたころ

 寅さんファン、日本映画ファンなら、一度は訪れる価値がある。
 勝常寺、たから館、そして「湯川村が一枚の田んぼ」と言われる昔ながらの田園風景も都会人には新鮮である。
 新しい会津若松の観光スポットになる日も遠くあるまい。
 
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湯川村はコシヒカリの名産地
(湯川村案内パンフの写真より)

 郡山に戻り、東北本線に乗る。
 帰りの窓外はずっと雨。
 角屋で買った凍み餅をかじりながら、『チボー家の人々』を開いた。

凍み餅
もち米・うるち米・紫黒米をつき、自然乾燥して味付けたもの


 振り返ってみれば、お墓とお寺をめぐった旅であった。
 仏に出会う旅。これがソルティの黄金週間か。



 終わり





● みちのく・仏めぐり その2


4月30日(土)晴れ 仙台~山形~寒河江~郡山

 昨晩は東北随一の歓楽街・国分町のカプセルホテルに泊まった。
 露天風呂に入っていたら土砂降りになった。気温もぐんぐん下がって、夜半にはみぞれとなった。
 リクライニングチェアの並ぶ広い休憩室には漫画本がごまんとあった。
 読みたかったおかざき真里『阿吽』を発見。小学館『月刊スピリッツ』で連載されていた作品である。

 同時代に生きて真摯に仏法を追い求め、それぞれ真言宗と天台宗の開祖となった弘法大師空海と伝教大師最澄の出会いと別れ、友情と対立の熱いドラマである。
 佐藤純彌監督の『空海』にも描かれているように、当初は互いに深く尊敬し合っているかに見えた2人の関係は、密教の主要経典である『理趣経』の貸借をきっかけに、そして最澄の一番弟子であった泰範が空海のもとに走ってしまったのをとどめに、決定的な決裂に至った。
 これまで漫画化されていなかったのが不思議なほど、面白いライバルドラマがそこにはある。
 2人を取り巻く登場人物もすこぶる魅力的。
 平安京を開いた豪傑・桓武天皇、第一皇子で精神不安定な安殿の皇子(のちの平城天皇)、その側室となって政権を乗っ取ろうと謀った妖婦・薬子とその兄・藤原仲成、唐の都・長安で空海に密教の奥義を授けた恵果和尚、そして昨年岩波新書から発行された師茂樹著『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』によって俄然注目を浴びている気鋭の法相宗僧侶・徳一などなど。

 全14巻のところ立て続けに6巻まで読み、さすがに寝不足を思って手を止めた。
 が、ここでソルティは因縁を受け取った。
 帰りは会津若松に寄って、徳一の開いた勝常寺に行ってみようと思いついたのである。
 ネットで調べてみると、勝常寺には国宝3体はじめ、平安初期に造られた素晴らしい仏像がたくさんあるという。
 これは行かねば・・・・。
 そう決心しながらカプセルに潜った。
 
 翌朝はよく晴れた。
 仙山線で山形へ。宮城と山形の県境の長いトンネルを抜けたら、雪国であった。
 よもやゴールデンウィークに雪を見るとは思わなかった。

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JR仙山線・面白山高原駅

 一足早く山形入りしていたP君と合流し、左沢線で寒河江に行く。
 左沢は「ひだりさわ」でも「さざわ」でもなく、「あてらざわ」と読む。
 読めないよなあ~、ふつう。
 ウィキによると、最上川の右岸を「こちら」、左岸を「あちら」と言っていたのが、なまって「あてら」になったとか・・・(他の説もある)。
 寒河江駅からタクシーに乗り、K君のお墓のあるお寺まで。
 道中はサクランボの白い花が満開であった。

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山形駅

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左沢線と寒河江駅

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寒河江駅

 K君はソルティより3つ4つ年下だったろうか?
 いいとこのお坊ちゃま風な真面目な外見を一皮むけば、美川憲一風のオネエさまであった。
 20年以上会っていなかったので詳しい事情は知らないが、お堅い事務系の仕事をしていてストレスが半端なかったようだ。精神安定剤を飲んでいたとも聞く。
 一昨年の正月早々にK君急逝の知らせをP君からもらった。
 その後にコロナが始まって、墓参りどころでなくなった。
 
 K君のお墓は見晴らしと日当たりの良い小高い丘の上にあった。
 父方の先祖代々の土地のようであった。
 持ってきたお花を活けて、線香をあげた。
 缶ビールを墓前に捧げ、ソルティとP君もご相伴に預かった。
 K君の思い出で一番残っているのは、ある時、寺山修司作×美輪明宏主演で有名になった『毛皮のマリー』を演じるというので、サークルEの仲間数人と連れ立って山形まで観に行ったことである。K君は演技素人なれど、堂々の主演女優であった。
 芝居の途中でマリーに仕える下男役が、食器の乗ったお盆を引っくり返すハプニングがあった。
 しばしのスリリングな間のあとに、マリー扮するK君が「ちゃんと片付けておきなさいよ!」とアドリブでつなげた一言が忘れられない。
 冥福を祈る。

さくらんぼ畑
さくらんぼの花

 今回初めて知ったが、寒河江は源頼朝の側近・大江広元ゆかりの地なのであった。
 鎌倉幕府成立後の文治5年(1189)、その功績により広元が寒河江荘の地頭に任じられたのがそもそもの起こりで、その後天正12年(1584)に18代大江高元が山形城主・最上義光との戦いに敗れて自害するまでの約400年間、寒河江は大江氏の治政下にあった。
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では俳優の栗原英雄が奸智に長けた広元を気品をもって演じているが、いま寒河江は密かな広元ブームに湧いている。
 昨日の味方が今日の敵に転じるような鎌倉幕府成立期の混乱にあって、大江広元は最後の最後まで頼朝はじめ北条政子や義時に信頼され、かつ信頼にこたえた男であった。
 ドラマの最終回が近づくにつれ、クローズアップされることであろう。

 その大江一族が篤く庇護したお寺が慈恩寺。
 慈恩寺こそは知る人ぞ知る寒河江の一大名所であり、駅にはポスターが張り巡らされ、多くの観光客が足を運ぶ。
 墓参りを終えた後、参詣することにした。

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寒河江駅で見かけたポスター

 慈恩寺は天平18年(746)聖武天皇の勅命によりインドの婆羅門僧正が開基したと伝えられている。
 江戸時代には東西1キロ、南北5キロにわたる東北一の境内を誇り、本堂や三重塔をはじめ50近い院坊が、寒河江を見下ろす一山全体に散らばっていた。
 国指定重要文化財である木造聖徳太子立像や木造十二神将立像など、鎌倉期の仏像が多く残っており、また山のふもとには令和3年5月にオープンしたばかりの総合案内施設「慈恩寺テラス」があって、地産そばに舌鼓を打ちながら慈恩寺の歴史を学ぶことができる。
 なにより境内の空気のすがすがしいことったら!


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本堂は山の中腹にある

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立派な山門
建造物は江戸時代に再建された

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本堂は国指定の重要文化財
屋根は茅拭き!
中に聖徳太子立像がある

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三重塔
中には木造大日如来座像(ポスターの主役)
御開帳中で拝観なりました


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長い石段を登る
四国遍路を思い出させる風情

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展望台から寒河江町を見渡す
手前を流れているのが寒河江川

 左沢線で山形に戻り、P君と別れる。
 夕食の弁当を買って奥羽本線に乗る。
 GWどこ吹く風のガラ空き車両。 
 ここから郡山まで3時間強の“乗りテツ”夢時間。
 リュックの中には数冊の『チボー家の人々』がある。
 幸せなひととき。

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米沢駅で買った名物ミルクケーキと山梨ワイン



続く

● みちのく・仏めぐり その1

 連休前半に宮城・山形・福島をまわる旅をした。

 主たる目的は、2年前から行方知れずになっている仙台の旧友・X君の捜索、および一昨年の正月に亡くなった山形の旧友・K君の墓参りである。
 一人旅の多いソルティであるが、今回はX君・K君とは共通の友人であり、現在は東京に暮らしていてたまに会って食事する間柄のP君と部分的に同行した。
 X君、K君、P君、そしてソルティの4人は、世代こそ異なれ、ソルティが仙台にいた頃(90年代)に参加していたセクシャル・マイノリティのサークルEのメンバーであった。

 せっかくの、そして久しぶりの仙台行なので、東日本大震災による被災と運行休止を経て2020年3月14日についに全線復旧を果たした常磐線を使い、被災11年後の沿線風景をこの目で確かめることにした。
 あとは足の向くまま気の向くまま、ゴールデンウィークの人混みもおよそ関係ない、普通列車4日間の“乗りテツ”を楽しんだ。

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東京都区内~仙台~山形~福島~大宮~川越のJR乗車券
常磐線→仙山線→奥羽本線→東北本線→宇都宮線→川越線を乗り継ぐ
(上野・山形往復より1000円以上安くなる!むろん途中下車可)


4月28日(木)晴れ 上野~仙台(常磐線)
 
 津波による被害が甚大だったのは、海岸線に近い久ノ浜駅(福島県)~亘理駅(宮城県)間であった。
 このうち最後まで不通になっていた富岡~浪江間(20.8キロ)は、津波の被害はもとより、福島第一原発事故の放射線汚染による避難区域となり、復旧が遅れた。この区域の沿線は、いまだに更地や整備中の土地が多く見られ、津波の被害を受けていない内陸側の沿線でも、人が住んでいる(戻って来ている)のかどうかは定かではないが、荒れ果てた物寂しい光景が目に付いた。

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JR東日本ホームページ掲載の路線図より

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JR常磐線・富岡駅

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 東日本大震災のことをまったく知らない人(たとえば外国人観光客)がいま常磐線に乗って沿線風景を目にしたら、おそらく、ここが地震と津波に襲われて壊滅的被害を受けたとはとても信じられないだろう。
 それほどまでに復興している。
 ただ、観察力のある人がこう思うだけだ。
 「なんだか沿線の住宅も駅もみんな新しいな。やけに墓地が多いな」

 福島県の最北にある新地駅で途中下車した。
 この駅はもとは海岸から200m弱のところにあり、ホームの一部と跨線橋以外すべてが押し流された。
 停車中の列車に乗り合わせていた乗客40名は、警察官の誘導で高台に避難し、全員が無事だったという。

新地駅(旧駅舎)
被災前の新地駅

新地駅・常磐線
被災直後の新地駅周辺

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現在の新地駅
海岸から500m弱の位置に移設された

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新地駅・海岸側

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新地駅・内陸側

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かつての田園風景は失われてしまった

 列車を乗り継ぐこと数回、上野から延々10時間かけて20時に仙台駅着。
 ソルティが仙台にいた頃、仙台駅2階コンコースのステンドグラス前に伊達政宗騎馬像があった。
 県外から列車で来た人にとっては「ああ、仙台に来た!」という感慨に浸れる場所であり、渋谷におけるハチ公のような恰好の待ち合わせの場所でもあった。
 実際、インターネットも携帯電話もない当時、サークルEの月に一度の集合場所は騎馬像前であった。(それを告知するのはゲイ専門の月刊誌であった)
 現在、新しい騎馬像が駅3階に設置されているが、やっぱりステンドグラス前にないのは淋しい限り。
 駅近くのカプセルホテル「とぽす」に泊まる(4800円)

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仙台駅

 
4月29日(金)曇りのち雨、一時みぞれ 仙台 

 午前中は定禅寺通りにある仙台市立図書館(仙台メディアテーク内)に行く。
 昔住んでいたアパート(家賃35,000円だった)のあった界隈なので無性に懐かしい。
 思えば、震災のあった年に被災した友人・知人を訪れて以来だから10年ぶりの来仙である。
 が、街を歩いていて思い出すのは、10年前のことでなく、30年前のあれやこれやである。自分が年をとったせいなのか、あるいは思い出にふけられるほど震災ショックが和らいだせいなのか・・・。
 定禅寺通り突き当りの市民会館前には中国人一家が経営していた美味しいラーメン屋があった。今やフォルクスワーゲンのショールームが入っているビルに代わっている。もうあの味は消えたのか?
 
 図書館に来たのは地方紙のデータベース検索が目的。
 行方不明のX君は2年前にある事件に巻き込まれて、地方紙に名前が載った。
 その後いっさい連絡がつかなくなった。フェイスブックも更新ストップしたままである。
 その後の彼の動向を教えてくれるような記事が同じ地方紙に載っていないか、確認しに来たのである。
 残念ながら――ホッとしたことにと言うべきか――検索には引っかからなかった。

 その後、仙台でHIV関連の市民活動を共にやっていた仲間の一人(♀)と会って、カフェで2時間ばかり談笑した。
 互いに“アラ還(60前後)”と言える年齢になって、出てくる話の一等は親の介護。
 親を見送るのはつらいし悲しい。けれど、長生きしてもらって病気や老衰で治療や介護が必要になった時、先立つのはお金とケアしてくれる人の手。嫌でも向き合わなければならないのは、それまでに築いてきた(築きそこなった)親との関係。
 そして、互いの親の話をしながらも、二人ともに「次は自分たちの番なのだ」と暗に思っている。
 順繰りにやって来るだけの話なのだが、若い時分には身に迫らなかった。

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ケヤキ並木の鮮烈なる定禅寺通り

 東京から到着したばかりのP君と在仙のS氏と勾当台公園で待ち合わせて、S氏の出してくれた車でX君探しの開始。
 S氏もまたX君の古い友人である。X君と連絡が取れないのを不審に思い、住んでいた仙台のアパートを訪れたところ、すでに退去していた。その後、くだんの地方紙にX君の名前あるのを見つけて、P君に連絡くれたのがS氏である。
 ソルティはS氏と会うのははじめてであった。
 
 探す手段として、県北にいるはずのX君の母親(再婚して別の家庭をもっている)のもとを訪ねて、じかに居場所を尋ねてみるのがいいだろう――ということになった。
 とは言え、母親の連絡先も住所も再婚後の姓も知らない。数年前にX君と一緒に列車で訪ねたことがあるというP君のおぼろげな記憶を頼りに、最寄り駅までドライブし、そこから歩いて母親の家を探す。
 なんだか雲をつかむようなとりとめのない話。家の場所も確かでなく、今もそこに母親が住んでいるのか定かでなく、連休の祝日に家にいるかもわからない。たとえ、運よく会えたとして、快く話をしてくれるかもわからない。 
 「たぶんこの家だろう」と半信半疑で玄関のチャイムを推すP君。
 しばらく間があって、出てきたのはまさにX君の御母堂その人だった!
 
 ここまではラッキーだったが、探索はそこでストップ。
 御母堂もまたご子息の行方も連絡先も知らず、数年前から訪問はおろか、一本の電話もメールももらっていないという。
 「亡くなった夫と数年前に大喧嘩して、それからこちらには一度も顔を出していない」
 よくある話であるが、X君は母親の再婚相手すなわち義理の父親とは昔から仲が良くなかった。義理の父親は一年前に亡くなっていた。
 それなら実の父親と連絡取り合っていないかと思い、その所在について伺うと、「前の夫もすでに亡くなったと人づてに聞きました」・・・・

 母親という、何かあればもっとも連絡してきそうな人に連絡して来ないのであるから、これ以上の探索はいまのところ難しいであろう。
 帰りの車で、「本人から何か言って来るまで待つしかないね」ととりあえずの結論に達した。
 その後、P君の発案で、やはりサークルEのメンバーであったオネエのS様のお墓参りをした。
 仙台市内の高台にある緑美しい墓地で拝んでいると、急に雨足が強くなった。
 「あんたたち、来るのが遅すぎるわよ!」とS様になじられている気がした。


続く



● 映画:『真珠湾攻撃』(ジョン・フォード監督)

1942年アメリカ
82分
原題:December 7th

 ウクライナのゼレンスキー大統領が米国連邦議会の演説で「パールハーバー(真珠湾攻撃)を忘れるな」と言ったとか、ウクライナ政府が昭和天皇の顔写真をヒトラーやムッソリーニの顔写真と並べた動画を作ったとか、このところ日本の旧悪を責め立てるようなニュースが続いている。
 古い証文を今さら突きつけられても・・・・という感がしなくもないが、人類の歴史や民族の記憶力という観点からすれば、80年という歳月は時効にするには短すぎるのかもしれない。
 
 本作は西部劇の名手であるジョン・フォード監督が手がけた戦意高揚映画で、公開時は34分の短編であった。
 これは、前半部分(48分)の内容が米軍の怒りを買って没収されてしまったからである。
 公開されたのは、日本軍による真珠湾攻撃の残虐とその後の復興や勝利の誓いを描いた後半部分のみであった。
 切られた前半部分には、仕事と自由を求めてハワイに移住した日本人の生活ぶりや、一部の日本人スパイがハワイの地勢や米軍の機密情報を故国に送った様子が描かれている。
 軍部が怒ったのは「日本人に対する罵りがない」からとも、「海軍が真珠湾の軍務を疎かにしていたように描かれている」からとも言われる。
 結局、激しい戦闘シーンが中心となる後半部分が上映され、第16回アカデミー賞短編記録映画賞を獲得した。

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 確かに後半部分は、まるで12月8日の真珠湾攻撃の一部始終を実際に撮影したかのようなリアルで迫力ある映像で、特撮レベルの高さに感嘆する。
 すべてがロケやセットを使った再現だというのが信じられないほどの臨場感。
 攻撃を受けた翌年(1942年)に、早くもこのレベルのドキュメント映画を制作できてしまう力を持っていたのだから、やっぱり日本が敗けたのもむべなるかな。
 
 お蔵入りした前半部のフィルムがその後見つかって復元され、82分の完全版で世界初公開されたのは1995年12月、なんと東京の三百人劇場において(2006年まで文京区にあった、懐かしい!)。
 制作から53年後のことだった。
 個人的には、カットされた前半部分こそ興味深かった。
 ソルティは、明治の文明開化以降に海外移住した日本人が大勢いたことは知っているが、彼らについて書かれたものも撮られたものもほとんど知らない。
 日系移民というとブラジル移民がすぐに思い浮かぶが、本作のように、ハワイに移住した日本人(日系アメリカ人)について描かれているものにははじめて触れた。
 このテーマは自分の欠落であった。

 本作の情報がどこまで正確なのか知らないが、1941年当時、ハワイの人口は42万3千人で、うち38%にあたる15万7千人が日本からの移住者だったという。アメリカ籍を取った、つまりアメリカ人になった日本人は12万人。そんなに多かったとは!
 彼らは主としてサトウキビやパイナップルの農場で働いていたそうだが、日本人町もできて、寿司屋や日系銀行や邦人の医師やナースの勤める病院、それに神社などもあったようだ。
 思うに、大日本帝国憲法下の日本より、常夏の楽園でアメリカ憲法のもと暮らしていた日本人のほうが幸せだったのではなかろうか?

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アメリカ人としてハワイに暮らしながら神道を捨てない日系移民

 もちろんそれも、真珠湾攻撃が始まるまでの話。
 太平洋戦争が始まってから日系移民たちの舐めた苦渋はいかなるものであったか。
 本作ではむろんそこまで語られないけれど、米軍や現地の住民たちに敵視されないためには、日本人としてのアイデンティティや信仰を抹消しなければならなかったはずである。
 ちょっとこのテーマを追いたくなった。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を読む 1


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第1巻『灰色のノート』(1922年発表)
第2巻『少年園』(1922年)
第3巻『美しい季節』(1923年)
1984年白水社より邦訳刊行
 
 新書サイズの白水Uブックスで8部13巻からなる大長編。
 今年のゴールデンウィークの楽しみ(と暇つぶし)はこれと決めた。
 骨折休職中に読んだ住井すゑ著『橋のない川』以来の文芸大作にちょっと及び腰のところもあり、おそるおそるページを開いたら、なんとこれが面白いのなんの!
 連休に入る前に第3巻まで読んでしまった

 作者はフランスの小説家ロジェ・マルタン・デュ・ガール(1881-1958)。
 本作でノーベル文学賞を獲った。
 第一次世界大戦期のフランスを舞台に、厳格なカトリックで富裕なチボー家に生を享けた2人の男子アントワーヌとジャック、かたやプロテスタントで自由な家風に生まれ育ったダニエル、3人の若者の人生行路が描かれる大河小説である。

 とにかく物語のスピードが早く、起伏に富んでいる。
 『少女に何が起こったか』や『スチュワーデス物語』などの往年の大映ドラマか、大ヒットしたBBC制作の英国上流階級ドラマ『ダウントン・アビー』を思わせる波乱万丈と濃い人間ドラマが繰り広げられる。
 たとえば、初っぱなの第1巻だけで以下の事件が立て続けに起こる。
  • 幕開けは同じ中学に通うジャックとダニエルの熱いボーイズラブ。
  • 2人の関係がバレて教師や親から責められる。ダニエルは放校処分。
  • 思いつめた二人は手に手を取って駆け落ち。
  • 港町で2人ははぐれてしまい、ダニエルはその夜泊めてくれた女の家で初体験。
  • 2人は警察につかまり親元に連れ戻される。
  • ジャックは、業を煮やした父親の命によって感化院に放り込まれる。
といった具合だ。
 第2巻も第3巻もこの調子で続く。
 先の見えない展開にワクワク&ハラハラさせられる。
 これをそのまま映像化あるいは漫画化したら面白いことであろう。
 フランスでは過去に2度テレビドラマ化されているらしいが、邦訳はされていないようだ。
 映画化されていないのが不思議。

 もちろん、豊かな物語性だけでなく、近・現代小説としての巧さもたっぷり味わえる。
 フランス近代文学にありがちな延々と続く情景描写や高踏なレトリックが抑えられる一方、キャラクター造型と心理描写が卓抜で、登場人物たちの(本人さえ気づいていない)心の底を恐いほど抉り出して、それを見事に文章化する。
 夏目漱石と三島由紀夫を足して赤川次郎フィルターをかけたような感じ・・・(かえってよく分からない?) 
 小津安二郎監督の映画『麦秋』の中で、紀子(原節子)がのちに結婚することになる謙吉(二本柳寛)と緑濃き北鎌倉駅で『チボー家の人々』の話をするシーンがある。
 明らかに小津安二郎もチボー家ファンだったのだ。

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「どこまでお読みになって?」「まだ4巻目の半分です」
(映画『麦秋』より)

 第2巻では、感化院の虐待まがいを知った兄アントワーヌの手によって、ジャックは家に連れ戻される。心の健康を取り戻す過程で、ある年上の女性に恋をして初体験する。(ジャックもダニエルもそうだが、「年上の女性との初体験」というのはどうもフランス文化の十八番のようだ)
 一方ダニエルは、どうしようもない放蕩者で女ったらしの父親が、優しい母親を泣かせているのを目の前で見ながら育ったにも関わらず、自分の中に目覚めてくる父親の血を押えつけるすべを持たない。すでにジャックとのボーイズラブは、彼の中では過去のお遊び。

 第3巻では、ダニエルの放蕩者の資質が全開する。狙った獲物を逃さないスケコマシぶりがいかんなく発揮される。
 アントワーヌは新進の医師としての力と自信を着けはじめ、人生で最初の情熱的な恋に陥る。野心的で仕事第一のアントワーヌの恋による変貌が面白い。
 二人に比べて不器用で潔癖なところもあるジャックは、なかなか世間や社会に馴染まない。ダニエルの妹ジェンニーの存在が気になりだすが、恋の成就は先のことになりそうな気配。
 
 実を言えば、大学時代に本書を読んだような気がするのだが、こんなに面白い小説を覚えていないはずもなく、誰かにあらすじや感想を聞いて読んだ気になっただけなのだろうか?
 それとも本当に忘れてしまった!? 痴呆け?
 この先読み進めていくうちにはっきりするかもしれない。
 しないかもしれない。





● バルトリ22歳 オペラライブDVD :ロッシーニ作曲『セビリャの理髪師』


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収録年 1988年
場所  ロココ劇場(シュヴェツィンゲン、ドイツ)
指揮  ガブリエル・フェルロ
演出  ミヒャエル・ハンペ
演奏  シュトゥットガルト放送交響楽団
合唱  ケルン歌劇合唱団
キャスト
  • アルマヴィーヴァ伯爵: デイヴィッド・キュープラー(テノール)
  • バルトロ: カルロス・フェラー(バス)
  • ロジーナ: チェチーリア・バルトリ(メゾソプラノ)
  • フィガロ: ジノ・キリコ(バリトン)
  • バジーリオ: ロバート・ロイド(バス)
  • ベルタ: エディト・ケルテス・ゲブリー(ソプラノ)
演奏時間 158分

 オペラ名歌手列伝にすでに殿堂入りしている世紀の名歌手チェチーリア・バルトリ(1966- )の22歳時のライブ。
 いまだスカラ座にもメトロポリタン歌劇場にもデビューしていない駆け出しの頃の記録という点で、貴重である。
 観客もどちらかと言えば、フィガロを歌ったジノ・キリコにより多くの拍手を送っている感じがする。後年、これほどの大歌手になるとはさすがに想像できなかったろう。

 とは言え、一回りも二回りも年上の先輩歌手たちをしのいで圧倒的な技巧とベルカントぶりを発揮しているのは、明らかにバルトリである。
 コロラトゥーラに荒削りなところもあり後年の流れるような滑らかさは欠けるけれど、「20代初めでここまで完成していたのか!」と驚かざるを得ない。
 声は美しいし演技も適確、なにより観客に対するアピール力と視線を集めてしまうオーラーは、すでに十分なプリマドンナの貫禄。
 この舞台の成功はひとえにバルトリの歌唱に拠っている。
 栴檀は双葉より芳し。

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ロジーナの有名なアリア『今の歌声は』を歌うバルトリ

 『セビリャの理髪師』の映像は、ジョイス・ディドナートがロジーナを歌った2002年パリ・オペラ座ライブもある。
 こちらはロジーナはじめフィガロ、アルマヴィーヴァ伯爵、バルトロの主要キャラ4人の歌手が高レベルで拮抗して、聴きどころ満載だった。
 ベルタ役のジャネット・フィッシャーの元気溌剌な演技も良かった。
 パトリス・シェローの演出も楽しかった。
 総合的なレベルではパリ・オペラ座版に軍配を上げたい気がする。

 いずれにせよ、ロッシーニの音楽には人を中毒にさせる魔力がある。
 遊園地で一番人気のアトラクションの秘密は、「スピード・回転・浮遊感」の3つを備えていることにあると言われるが、ロッシーニの音楽はまさにそれなのだ。
 観客は劇場に居ながらにして、ジェットコースターに乗っている感覚を味わうことになる。





● 陰毛に関する不毛な争い 本:『エロスと「わいせつ」のあいだ』(園田寿、臺宏士著)


2016年朝日新書

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 まえがきによると本書は、

 最近、社会的に話題になったいくつかの出来事を素材にして、文化としての「エロス」と刑罰の対象となる「猥褻」との差異を考察するものである。また、性表現と規制の攻防をめぐる戦後の歴史をたどり、明治から続く刑法175条の存在意義を問い直そうとするものである。

 最近話題になった出来事としては、
  1. 春画を掲載した週刊誌を警視庁が指導したケース(2015年)
  2. 自らの女性器をかたどった石膏にデコレーションを施した「デコまん」を発表した漫画家・ろくでなし子が逮捕され裁判となったケース(2014年)
  3. 写真家の鷹野隆大が全裸の男女を写真撮影した作品を愛知県美術館に展示したところ、愛知県警から撤去を求められた「平成の腰巻事件」(2014年)
  4. モザイク処理が不十分としてアダルトビデオの規制団体「日本ビデオ倫理協会」の審査部長らが逮捕され裁判となったケース(2008年)
  5. 松文館発行の単行本コミック『蜜室』が猥褻物だとして作者ビューティ・ヘアと出版元2人が逮捕され裁判となったケース(2002年)
 などが挙げられている。
 戦後の歴史としては、文学作品の猥褻性が問われた『チャタレイ夫人の恋人』、『悪徳の栄え』、『四畳半襖の下張り』の各裁判の経緯がたどられている。

 ソルティは、上の1~5の最近の出来事についてほとんど知らなかったので、「司直はいまだにこういうことをやっているのか・・・」とあきれかえるばかりであった。
 「いまだに」と言うのはもちろん、インターネット全盛でクリック一つでいくらでも“猥褻”文書や画像や動画に触れることができるこの時代に、という意味である。
 成人しか入店が許されないアダルトショップに飾られたオブジェのごとき「デコまん」が槍玉にあげられる一方で、未成年が自分のスマホでそのものずばりの男性器も女性器も、リアルな性行為の動画も自由自在に観ることができる現状にあって、いったい刑法175条にどんな存在意義があるのか、猥褻物摘発や裁判のために使われる警察や法務関係の費用や労力は税金の無駄使いでないのか――誰だって疑問に思うところであろう。

 むろんソルティも、未成年を含む誰の目にも触れるような公の場所や状況において、それが実物だろうと画像や映像や音声だろうと、乳房や性器が素のままでさらされたり、他人の性行為のさまを見せつけられたり、猥談が耳に入ったりするのはよろしくないと思う。
 そこは何らかの規制や刑罰や倫理が必要だろう。
 だが、成人が自ら好んでプライベートに鑑賞する場合、他人に迷惑をかけないのであれば、あえて社会が規制する必要はないと思っている。
 そこは著者と同意見だ。

 そのようなもの(ソルティ注:露骨で直接的な性表現)を直接見たくない、直接聞きたくないという人の感情を刑罰によって保護することは、社会秩序を守るうえで必要不可欠なことだと思うのである。逆に言えば、露骨で直接的な性表現であっても、見たい人だけに提供するならば、それは刑法で規制するような行為ではなく、個人の自由な判断に任せるべきではないかと思うのである。

 「①見たい人だけが見られる、②見たくない人は見なくて済む、③未成年には見せない」
 単純にこの3条項が満たされれば、誰にとっても害はないのでOKではないかと思うのだが、そうは問屋が卸さない。
 
 裁判所は、およそ日本のこの社会において、性器や性行為の露骨で直接的な表現、あるいはそのような表現物が流通しているということ自体を問題としているのである。つまり、自らは直接接することがなくとも、そのようなものが〈この社会に存在していること〉について、不快感や嫌悪感をもつ人びとの仮想的な感情が問題になっているのである。

 すなわち、裁判所は「そのようなものが〈この社会に存在していること〉について、不快感や嫌悪感をもつ人びと」に対して忖度しているわけである。

 これは同性愛をめぐる議論の中でもよく聞かれるところである。
 自分とは赤の他人である男性同士(あるいは女性同士)がよそで恋愛しようがセックスしようが一緒に暮らそうが、自分や家族にはなんの物理的被害も経済的被害も受けないであろうに、同性愛が〈社会に存在すること〉が許せないという人たちが一定層いる。
 自らの持っている倫理や価値観から外れた人々の権利を認めないというのは、ある意味、宗教的信念に近い。あるいはプーチンか。
 実際、キリスト教原理主義やイスラム教、そしてプーチンは同性愛に不寛容である。

 残念なことに、往々にしてそうした信念を抱く層が社会において強い影響力を持っている(つまり保守層と重なる)ことが多いので、警察や裁判所も忖度せざるを得ないのだろう。
 他人の宗教的信念や価値観を変えるのは相当の困難を伴うので、猥褻裁判もまた最初から負けが決まっているような不毛な闘い(ありていに言えば「茶番」)になることが多い。
 本書では、戦後から平成に至る猥褻裁判のさまざまな茶番のさまが描かれている。
 チャタレイ裁判の起訴状の抜粋が引用されているが、その文面たるや、原作(邦訳)をはるかに上回るねちっこさと下劣さといやらしさ。
 声に出して読んでほしい。

 完全なる男女の結婚愛を享楽し得ざる境遇の下に人妻コニイはマイクリスとの私通によってこれを満たさんと企てたが、本能的な衝動による動物的な性行為によっても自己の欲情を満たす享楽を恣(ほしいまま)にすることが出来ず、反って性欲遂行中の男性に愉悦の一方的利己的残忍性すらあるを窃(ひそ)かに疑い失望に瀕したとき、自分の家庭で使用する森の番人で教養の度に優れず社会人としても洗練されて居ない寧ろ野生的でそほんな羞恥心をわきまえざる有婦の夫メラーズを発見するや、不用意な遭遇を機会に相互の人格的理解とか人間牲の尊崇に関し些(いささか)の反省批判の暇なく、全く動物的な欲情の衝動に駆られて直に又これと盲目的に野合しその不倫を重ねる中・・・・・・(続く)。

茶番垂れ幕

 そうこうしているうちに、状況はドラスティックに変わってしまった。
 いまや、「①見たい人だけが見られる、②見たくない人は見なくて済む、③未成年には見せない」の3条項さえ守ることは難しくなった。
 つまり、未成年がスマホやパソコンを用いて猥褻情報に接するのを防ぐ役割が、国家や自治体の手を離れ、各家庭の保護者に託されてしまった。
 子どもがどのような性的価値観、倫理観を身につけるかについて、各家庭が責任を負わなければならないのである。 
 この流れを押しとどめることは、日本が中国やロシアのような管理主義的独裁国家にならない限り不可能であろう。

 結局のところ必要なのは、メディアリテラシーと性教育。
 結論は何十年も前から出ているのだが・・・・・。




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