ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 沖縄戦跡めぐり2(沖縄陸軍病院南風原壕群~旧海軍司令部壕~対馬丸記念館)

 レンタカーを使わずに沖縄を旅するのはなかなか大変である。
 タクシーを借り切るという手もあるけれど、予算的な問題は別として、ソルティは自分が施設見学している間、運転手を待たせておくというのがどうも苦手である。
 誰にも気兼ねせず、時間の許す限り見学したい。
 となると、路線バスを上手に活用することになる。
 
 沖縄戦跡めぐりに行くと決めてから、沖縄バスマップを取りよせて路線と停留所を調べ、ネットで時刻表をダウンロードし、綿密な移動計画を立てた。
 乗り換えが必要となる場合、接続が上手くいかないと次のバスまで1時間以上待たねばならないこともあるので、事前に調べておく必要があるのだ。
 それはしかし、手間というより楽しい作業であった。
 自室の床にバスマップと時刻表とガイドブックを広げ、いろいろと計画を練っている時間はすでに旅の一部、浮かれモードである。
 路線バスの利点は他にもある。
 土地の人を観察したり触れ合う機会になるし、車窓からの景色を存分に楽しむことができる。
 方言が飛びかう停留所や車内こそが、地方色を感じさせる。
 実際、座席シートから綿がはみ出したおんぼろバスがいまだに走っているのは愉快であった。

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バスマップとOKICA
沖縄のSUICAであるOKICAは
ゆいレールとほとんどの路線バスで使える。
小銭の用意しなくて済むのでほんと便利!

 もっとも、路線バスだけではうまく回れない地点もあった。
 そこはタクシーをつかまえて最短距離で移動した。
 あるいは、那覇市内であれば奥の手があった。
 シェアサイクルである。 
 ソルティは HELLO CYCLINGというシェアサイクルのネットワークに会員登録しているので、全国どこでもサイクルステーションがあるところならば、好きな時に電動自転車を借りることができる。
 調べてみたら、那覇市にはたくさんのステーションがあった。
 施設見学した後で最寄りのステーションまで歩いて自転車を借り、次の目的地までサイクリングする。
 自転車が必要なくなったら、そこから一番近いステーションに返却すればいい。 
 これならバス停でバスを待つ必要もないし、タクシーを探す手間も省ける。
 那覇名物の渋滞も関係ないし、駐車にも困らない。
 なにより見知らぬ街を風を切って自転車で走るのは最高に気持ちいい!
 (もっとも、酷暑の時節や雨風の強い日は快適とはいかないが・・・・) 
 これまで自宅周囲で利用していたシェアサイクルであったが、観光でも使える実に便利で快適なシステムであることを実感した。
 旅先でのシェアサイクル。今後大いに活用したい。(京都市内なんかも楽しそうだ)
 ちなみに、自転車でも飲酒運転はNGである。

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ハイビスカス


日時 2022年11月25日(金)
天候 曇り
行程
 9:40 開南バス停(309番バス乗車)
10:00 福祉センター入口下車
         沖縄陸軍病院南風原壕(南風原文化センター)
13:15 南風原町役場前よりタクシー乗車
13:30 旧海軍司令部壕
15:00 最寄りのサイクルステーションにて自転車レンタル
15:30 対馬丸記念館
17:00 波上宮~波の上ビーチ
18:00 沖縄家庭料理「まんじゅまい」にて夕食
19:30 国際通りにて自転車返却

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南風原(はえばる)文化センターと黄金森(こがねのもり)
1944年10月、那覇市内にあった沖縄陸軍病院が米軍の空襲により焼失し、南風原国民学校校舎に機能を移転した。
米軍の攻撃が激しさを増した1945年3月、日本軍は住民の力を借りて近くの黄金森に約30の横穴壕を掘り、壕の中に患者を収容した。
看護婦として動員されたひめゆり学徒222人と教師18人がここで働いた。
その様子は吉永小百合あるいは津島恵子主演の映画『ひめゆりの塔』に描かれている。

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飯あげの道
飯あげとは、炊きあがったご飯などを樽に入れて炊事場から各壕(病棟)へ運ぶこと。
当時、黄金森は一面の茅畑で空から丸見えだった。ひめゆり学徒たちは爆撃の下、重い樽を下げた天秤棒を二人で担いで、急な山道を上り下りした。

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悲風の丘の碑
1945年4月1日米軍が沖縄本島に上陸し、本土決戦が始まった。
日本軍はまたたく間に首里司令部を占拠され、南部への撤退を余儀なくされる。
5月下旬、南風原陸軍病院にも撤退命令が下される。
その際、移動できない重症患者には青酸カリ入りのミルクが配られた。
(題字は沖縄返還時の首相だった佐藤栄作の手による)

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沖縄陸軍病院壕址
黄金森に約30の壕(トンネル)がつくられ、多い時は約2000人の患者が収容された。
もとからあった鍾乳洞を利用した壕(ガマ)ではなく、鍬やつるはしを使って一から掘ったものである。
戦後、壕の中からはたくさんの人骨が見つかった。

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丘全体が今ではすっかり南国らしい瑞々しい森におおわれている。
これらの樹々の下にまだ多くの白骨化した遺体が埋まっているという。

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20号壕入口
現在ガイド付きで見学することができる唯一の壕。
長さ約70m、高さ約1.8m、床幅1.8m、病室・手術室・勤務者室などがあった。
見学者には、ヘルメットと長靴と懐中電灯が渡される。

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壕の中からは、多数の医薬品類、患者の石鹸箱や筆箱や着物、ひめゆり学徒のものと思われる文具などが見つかっている。
少女たちは、まさか病院が攻撃される、まさか日本が敗けるとは思わず、はじめのうちは半ば遠足気分で働いていたという。

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壕の中
負傷した何十人もの兵士の発する体臭、腐敗しウジ虫のたかる患部、消毒薬、汗や尿や便・・・。
壕の中は何とも形容し難い匂いが立ち込めていたという。
その中をひめゆり学徒たちは瀕死の患者らに呼ばれて走り回った。

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ひめゆり学徒たちの休憩所
食事の運搬と配布、シモの世話、清拭、患部の消毒や包帯の交換、手術(と言っても患部の切断が主)の手伝い、患者の移動や寝返りの手伝い、ウジ虫の除去、亡骸の運搬と埋葬・・・。
まともな設備も医療用具も、十分な水や食糧もない中で、どれだけしんどかったことか。
だが、本当の地獄はここを離れた先にあった。

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20号壕の出口
壕の見学は事前予約が必要。
この日はソルティのほか沖縄長期滞在中の60代くらいの夫婦一組。
ここはガイドブックにはまず載っていないが、ぜひとも訪れたい戦跡の一つである。
(ここを勧めてくれた友人に感謝)

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町立南風原文化センター
南風原の沖縄戦の経緯、沖縄戦後史、ハワイや北米や南米への移民事情、昔の沖縄の暮らしなどが展示されている。
上記は黄金森の病院壕を再現したもの。1.8m幅の横穴の半分は、一人一畳分の患者の寝台が並び、もう半分が通路になっていた。

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黄金森の全景

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米軍の投下した砲弾
これが地上で炸裂し、半径数百メートルに灼熱の鉄の破片が猛スピードで飛び散った。

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これと竹槍で闘う?
なんという御目出度さだ!

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1955年(昭和30年)の国際通り
「荷馬車、三輪車、バス、タクシーが共存」とある。
むろん返還前。自動車が右側通行なのに注目。

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南風原町役場
南風原町は、県内で唯一海に面していない町。
それゆえ、軍関係の施設が多く集められたのだ。
ここからタクシーを拾って次なる戦跡へ。

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旧海軍司令部壕
1944年、地域の住民を駆り出して掘られた壕に海軍司令部を設置した。
壕内に入って見学できるほか、旧日本海軍に関する資料や銃器や軍服、家族への手紙などが展示されている資料館がある。

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ビジターセンター
那覇市の南西の小高い丘(豊見城)に位置する。
ここから資料館と壕のある階下へ降りていく。

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ビジターセンターからの風景

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東シナ海を望む

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壕への入口
南風原の壕にくらべると実に立派で頑丈なつくり

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壕内見取図
まるでアリの巣のよう。
全長450mあったと言われている。

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カマボコ型にくり抜いた横穴をコンクリートと杭木で固めてある。

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司令官室
司令官であった大田實少将はじめ幹部6人は、1945年6月13日に壕内で自決した。
実際に沖縄戦で戦死者が増えたのはそのあとである。

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幕僚室の壁
幹部たちが手榴弾で自決した時の破片のあとが残っている。

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下士官室
寝台の木枠の残骸が残っている

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旧海軍司令部壕は大概のガイドブックに載っているので、観光客が絶えなかった。
それも外国人や団体客が多かった。(自衛官や米兵らしきマッチョもいた)
ここは、「日本軍がどれだけ潔く戦ったか」「兵隊さんがどれだけお国のために尽くしたか」「沖縄県民がどれほど立派に最後まで闘い抜いたか」を強調し称揚するための施設という感じ。
自決するくらいなら最後まで住民を守れよ!

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旧海軍司令部壕の脇にある沖縄様式のお墓
墓室の屋根が亀の甲の形をしているので亀甲墓(きっこうばか、カーミナクーバカ)と呼ばれる。
17世紀後半頃より作られるようになったという。
沖縄戦では多くの墓が破壊された。

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シェアサイクルで海岸沿いを疾駆する

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対馬丸記念館
1944年8月22日の深夜、学童疎開の子供たちを乗せて那覇港を出港した対馬丸は、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。
乗船していた1788名のうち1484名(うち学童784名)が命を失った。

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犠牲者の遺影や遺品のほか、当時の学校生活を偲ばせる教科書や文具や玩具、奇跡的に助かった人々の証言映像などを見ることができる。

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亡くなった子供たちの写真が壁を埋め尽くす。
出港する子供たちは修学旅行のようにはしゃいでいたという。
沖縄の海はすでに米軍の支配下にあったが、子供たちは日本の勝利を信じていた。

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波上宮(なみのうえぐう)
創建不詳。日本神話に出てくる神々が祀られているが、もとはニライカナイ(海の彼方の理想郷)の神々に祈りを捧げる聖地であった。

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本殿
正面からは分からないが、岩の上に立っている。

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岩の上に立つ波上宮
ビーチでは修学旅行の高校生がはしゃいでいた。

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沖縄家庭料理の店「まんじゅまい」で夕食
オリオンビール、まんじゅまい(パイナップル)炒め、ピタローのバター焼き、豆腐よう
どれも優しい味で美味しかった!











● 小津監督の遺作 映画:『秋刀魚の味』(小津安二郎監督)

1962年松竹
113分、カラー

 「秋刀魚の味」というタイトルが示すのは「庶民の哀歓」といったほどの意味だろうか。
 作中、東野英次郎演じる元教師が元生徒たちにご馳走されて泣いてよろこぶ鱧(ハモ)は出てくるが、サンマは出てこない。

 かつて原節子が演じた年頃の未婚の娘を、21歳の岩下志麻が演じている。
 岩下の小津作品出演は『秋日和』(1960)が最初だが、そのときは端役であった。
 2作目にしてヒロイン抜擢。凛とした美しさと原節子にはなかった快活感が光っている。
 岩下にとっては世界的大監督との貴重な共演機会となったわけであるが、後年の岩下の演技派女優としての活躍ぶりを思うと、俳優を型にはめ込む小津演出では岩下の真価は発揮できなかったであろうし、岩下自身もそのうち飽き足らなく感じたであろう。
 本作で小津演出に嵌まり込んで上手くいったのは、志麻サマが新人女優だったゆえ。
 その意味でも貴重な邂逅と言える。
 
 一方、父親役の笠智衆はこのとき58歳。
 若い頃から老け役を演じてきたが、ついに実際の年齢が役に追いついた。
 年相応の哀感あふれる演技は年輪を感じさせる。
 やっぱり実際に歳をとらないと出てこない味や風格、老けメイクではどうにもならないものがあることをフィルムは証明している。
 本作の笠の演技は、数多い出演作の中でも高評価に値しよう。
 それにしても、昭和の58歳は令和の70歳くらいの感覚だ。

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笠智衆58歳

 中村伸郎、東野英治郎、杉村春子、高橋とよ、三宅邦子ら小津作品のお馴染みは、それぞれに手堅い演技のうちに個性が醸し出されて楽しい。
 岸田今日子が珍しい。小津作品はこれ一作のみではなかろうか。
 翌年の文学座脱退騒動で仲違いした杉村春子との数少ない最後の映画共演作ということになる。(出番は重ならないが)

 娘のような若い嫁をもらって夜毎に励み、友人の平山(笠智衆)から「不潔!」と非難されてしまう男を北竜二という役者が演じている。
 これまで注目したことのない役者であるが、渋くて端正で、いい味出している。
 しかし「不潔!」はあんまりじゃないか・・・・。

 『晩春』(1949)で確立された小津スタイルが踏襲され、妻を亡くした男と婚期の娘、あるいは家族を失って孤独になった老境の男、すなわち家族の崩壊や老いというテーマもこれまで通り。
 ただ、どうにも気になるのは、本作は『晩春』や『東京物語』などとくらべて全般暗い。
 話の暗さや照明の暗さではない。
 原節子が出ていないからでもない。
 零落した元教師を演じる東野英次郎の演技が、あまりに真に迫っているからでもない。
 画面全体を厭世観のようなものが覆っている感があるのだ。
 この暗さはなにゆえだろう? 
 同じ年の初めに、小津が最愛の母親を亡くしたせいだろうか。
 体調の異変で死を予感していたのだろうか。
 『晩春』や『東京物語』の時とは違って、小津監督はもはや自らが撮っている世界を信じていない、愛していない。
 そんな気配が濃厚なのである。
 その暗さの中で唯一光を放っていた娘(志麻サマ)が家を出ていって、小津作品は幕を閉じる。

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嫁ぐ娘を演じる岩下志麻




おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 沖縄戦跡めぐり 1(健児の塔~平和祈念公園~ひめゆりの塔~魂魄の塔)

 本当は、地元の人が案内してくれる戦跡パッケージツアーに参加したかった。
 が、時期的にちょうど良いのがなかった。
 施設の場所や開設時間や交通機関などはネットで調べて旅程を立てることができるけれど、肝心の沖縄戦にまつわるエピソードや見るべきポイントなどは、やはり詳しい案内がほしいところ。
 どうしようかと思っていたら、近所の図書館で恰好の本を見つけた。
 大島和典著『歩く 見る 考える 沖縄』(2021年高文研発行)。 
 
大島和典『沖縄』

 1936年香川県生まれの大島和典氏は、四国放送で技術や制作の仕事に携わり、退職後に沖縄移住。
 沖縄戦の研究をはじめ、米軍基地建設反対運動の記録を撮りビデオ作品として発表するほか、戦跡を案内するガイドツアーを10年以上(計1000回以上)つとめてきた。  
 その背景には、大島氏の父親が沖縄戦に出兵し、激戦地の南部で戦死したという事情があった。
 当時、父親は33歳、和典氏は小学3年生だった。
 本書は、大島氏が修学旅行生相手にいつも行なってきた、自身の思いや願いのこもった戦跡ガイドを、語り口調そのままに収録したものである。
 取り上げられている場所は、ひめゆりの塔、平和祈念公園、魂魄の塔、米須海岸、嘉数高台、安保の見える丘。
 まさに最適のガイドブック。
 出発前に2回通読し、見るべきポイントを頭に入れた。
 さらに、沖縄に詳しい友人に尋ねたところ、南風原文化センター(沖縄陸軍病院壕)や集団自決のあったチビチリガマ、辺野古座り込みテントなどもすすめられた。
 3日間ですべてを回るのは時間的にも体力的にも無理なので、今回は南部を中心に回ることにした。

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平和祈念公園から臨む島南端の海岸
 
日時 2022年11月24日(木)
天候 曇り一時雨
行程
 8:50 開南バス停(50番バス乗車)
 9:43 具志頭バス停(82番バスに乗り換え)
 9:53 健児の塔入口下車
     健児の塔~平和祈念公園~平和祈念資料館
12:52 平和祈念堂入口バス停(82番バス乗車)
13:00 ひめゆりの塔前下車
     昼食~ひめゆりの塔~ひめゆり平和祈念資料館~魂魄の塔
16:43 ひめゆりの塔前バス停(82番バス乗車)
17:00 糸満バスターミナル(89番バスに乗り換え)
18:00 那覇バスターミナル

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宿最寄りの開南バス停で地元の人に雑じってバス待ち
桃色のマニキュアを塗った女性の爪のようなトックリキワタの花があでやか
アオイ目アオイ科の落葉高木である

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乗り換えのバス待ち
純白の漆喰で塗り固めた赤瓦屋根
沖縄らしい民家の軒先に旅情を感じた

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健児の塔
沖縄戦に召集され命を失った沖縄師範学校の教師と生徒319名が祀られている
1946年3月建立

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ひめゆり女子学徒たち同様、学校のあった中部から南部へ移動し、
海岸に追いつめられたあげく、非業の死を遂げた。

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このあたりの地形は険しい
こうした岩陰に隠れて米軍の攻撃から身を守ったのだろう

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平和祈念公園全景
くまなく見るには丸1日は必要とする広さと深さ

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国立沖縄戦没者墓苑
この地域には各県の戦没者慰霊碑が並んでいる
沖縄戦で亡くなった日本兵は、県外出身約6万6千人、県出身約2万8千人
犠牲となった一般県民約9万4千人と推定される(県資料による)

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平和の礎(いしじ)
国籍や敵味方、軍民の区別なく、
沖縄戦で亡くなった20万人余の氏名を刻んだ記念碑

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朝鮮半島の人たちの礎
上記の大島氏の本によると、1万3千~4千人の朝鮮人が
沖縄戦のため半島から連れて来られ、1万1千~2千人が亡くなったという
だが、ここに刻まれている名前はたった500名弱
その理由は推して知るべし

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平和の火
米軍が最初に上陸した沖縄県座間味村の阿嘉島で採取した火、
広島の平和の灯(ともしび)、長崎の誓いの火、3つの火を合わせ、
1995年6月23日「平和の礎」除幕式典において点火された。

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平和の火を囲む修学旅行の小学生たち
子供たちが真剣に学んでいるのを見るとホッとする

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ギーザパンダ(慶座集落の崖)
平和の火がある広場から見える風景
米軍はあの崖をスーサイドクリフ(自殺の崖)と呼んだ
日本国民は捕虜になるより自決せよと教え込まれていた

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公園内にあるガジュマルの木
遺体の集積場、焼却場があった場所
今でも土の中から銃弾や砲弾の破片が見つかるという

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沖縄県平和祈念資料館
生き残った人々の証言が圧巻!
広島および長崎の原爆資料館とともに生涯一度は訪れておきたい
とりわけ政治家と国家公務員は!

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資料館の展望室から見る景色
77年前にここに地獄が現出した

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平和への道はない
平和が道である
(マハトマ・ガンジー)

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ひめゆりの塔
大島氏によると、目の前にある「優美堂」のサーターアンダーギーは日本一
たしかに外はカリッと中は栗のようにほっこり、豊かな味わいだった

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看護要員として動員されたひめゆり学徒は、軍とともに中部から南部に移動
教師13名、生徒123名が亡くなった
第三外科壕として当てられたこのガマ(鍾乳洞)は最も死者が多かった

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こちらが最初に作られたひめゆりの塔
娘をここで失った金城和信氏が1946年4月5日に建てた

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ひめゆり平和祈念資料館(1989年6月23日設立)
生き残った元ひめゆり学徒たちの手によって設立された。
沖縄陸軍病院(南風原)における生徒たちの必死の救護活動、第三外科壕の模型、
亡くなった生徒や教師たち一人一人の名前や写真、生き残った人々の証言など、
戦火を生きた少女たちの姿が見え、声が聴こえてくる。
無事に生き残ったことがこれほど彼女たちを苦しめるとは!

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「戦争はいつも身近にあったのに、本当の戦場の姿を私たちは知らなかった」
という元ひめゆり学徒の言葉が突き刺さる。本当の戦場の姿を知らぬままに、
「天皇陛下、万歳」の軍国少女に仕立てられていったのだ。
(資料館の前庭に咲くベンガルヤハズカズラ)

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資料館の中庭
見聞した事柄について、ゆっくり考えたり、気持ちを整理したり、
共感して苦しくなってしまった心を和らげたりするのに恰好の場である

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魂魄(こんぱく)の塔
ひめゆりの塔から1.5kmほどの海岸沿いにある
戦後このあたりの至る所に散乱していた遺骨を集め、その上に建てられた。
3万5千人の遺骨が収められているという

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糸満バスターミナルへ向かうバスの中から
この日、沖縄の海は哀しい色をしていた



 

● 実朝供養

 先週日曜日(11/27)のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、源実朝(柿澤勇人)が鶴岡八幡宮の石段で公暁(寛一郎)に暗殺された。
 ネット上には実朝ロスの声が氾濫している。
 純粋で誠実すぎるゆえに周囲と齟齬をきたしてしまうナイーブな実朝を演じきった柿沢勇人は、確かに素晴らしかった。
 ゲイセクシュアリティを匂わす主人公に、ここまで世論が味方する時代になったのだな~、と時代の変化に感じ入った。

 ソルティはこの機会に源実朝の自選集『金槐和歌集』を読み、時代を超越した詩心に驚嘆した。
 ドラマの進展に合わせてツイッターに放った歌を、テーマごとにまとめて再掲載し、実朝供養としたい。

【孤独】
 実朝の孤独は、青春期にある若者なら誰でも感じるような淋しさであると同時に、生まれる時代と場所を間違えた天才ゆえの孤独である。
 王朝時代風の文学的な資質を持ちながら、武蔵という辺境の武家社会に生を享けた。
 古代から中世へと移り変わる時代に生きながら、内面的には近代的な青年そのものであった。
 実朝の孤独は、近代人の孤独――夏目漱石や正岡子規や島崎藤村や三島由紀夫や我々がもつ実存的孤独と、とっても近い。 
 それだけに、周囲に実朝の心を理解できる人間なぞ誰もいなかった。 
 
ながめつつ 思ふも悲し 帰る雁
行くらむ方の 夕暮の空
(ねぐら目指して帰る雁が夕暮れの空に吸い込まれていく。悲しくてやりきれない)

ひとり臥す 草の枕の 夜の露は
友なき鹿の 涙なりけり
(旅先で独り寝ている私の枕は露でしとどに濡れる。いいや、この露は友のいない鹿の涙なのだ)

苔の庵(いほ)に ひとりながめて 年も経ぬ
友なき山の 秋の夜の月
(心のうちを語らう友もないままに苔むすほど馴染んだ独り住まい。月の光だけが差し込んでいる秋の夜だよ)

秋風は やや肌寒く なりにけり
ひとりや寝なむ 長きこの夜を
(秋風が吹いて肌寒くなってきた。今夜も独りで長い夜を過ごさなければならないのか)

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【恋】
 そんな実朝も恋をすれば普通の男。
 相手が同性なのか異性なのか、はたまた想像上のキャラなのかは知らないが、古今東西に通じる恋心を詠んでいる。
 ただ、「山に住む木こり」の心を想像するとか、「陸奥の金山の鉱夫」の境遇に思いを馳せるとか、平安&鎌倉時代の普通の男の感性ではない。
 自らとかけ離れた庶民、それも身分的には最底辺に置かれていたであろう山の民の内面に関心を示すあたりが、実朝の近代性を表している。
 つまり、「自分とは異なる存在=他者」を意識した人なのである。

天の原 風にうきたる 浮雲の
ゆくへ定めぬ 恋もするかな
(風に流される浮雲のように、私の恋もゆくえの見えないことだ)

君ならで 誰にか見せむ わが宿の
軒端ににほふ 梅の初花
(ただ君だけに見せたいんだ。こんなに見事に咲いた我が家の梅を)

あしびきの 山に住むてふ 山がつの
心も知らぬ 恋もするかな
(山に住んでいるという木こりの心のうちなど誰が知ろう? 私の恋する人の心のうちも知りようがない)

黄金掘る みちのく山に 立つ民の
いのちも知らぬ 恋もするかも
(みちのくの山で金を掘っている鉱夫のごとく、命がけの恋をしているこの私)

わが兄子(せこ)を 真土(まづち)の山の 葛かづら
たまさかにだに くるよしもがな
(愛しの君とたまにでもいいから会いたい。なんとか手繰り寄せる手段はないものかな)

夏深き 森の空蝉 おのれのみ
むなしき恋に 身をくだくらむ
(真夏の森の蝉の抜け殻のような空しい恋ばかりしている私。この身がばらばらに砕けそうだ)

さむしろに 独り空しく 年も経ぬ
夜の衣の 裾あはずして
(独りぼっちで寝るようになってずいぶんになる。着物の裾を合わすほどの人もいないままに)

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【乱世】
 時は戦国。 
 源頼朝亡き後の鎌倉幕府の実権を誰が握るかで、陰謀や裏切りや謀殺や仲間割れが日常茶飯であった。
 3代将軍実朝は、北条義時をはじめとする周囲の御家人たちの陰謀術数や血で血を洗う争いに巻き込まれざるを得なかった。
 誠実で潔癖な人柄だけに、罪悪感や自責の念を背負うことになる。

宮柱 ふとしき立てて よろづ世に
いまぞ栄えむ 鎌倉の里
(社殿に立派な柱を立てて、万世も栄えあれ、わが鎌倉よ)

もののふの 矢並つくろふ 籠手のうへに
霰たばしる 那須の篠原
(那須の篠原では御家人たちが箙に差した矢の並び具合をたしかめている。その籠手の上に霰が勢いよく降りかかっている。狩りが始まる)

世の中は つねにもがもな 渚こぐ
海人の小舟の つなでかなしも
(波打ち際を綱に引かれながら漕いでいる小舟。なんとしみじみと平和な光景だろう。こんな世が続くといいのになあ~)

みよしのの 山に入りけむ 山人と
なりみてしがな 花に飽くやと
(ああ、鬱陶しい鎌倉を離れて、吉野の山奥に行きたいなあ。飽きるほど桜を見たいものだ)

身につもる 罪やいかなる つみならむ
今日降る雪と ともに消ななむ
(この身に積もった罪はいったいどれくらいの深さか。降ったばかりの今日の雪のように消えてくれたらどんなによいことか)

炎のみ 虚空に満てる 阿鼻地獄
ゆくへもなしと いふもはかなし
(今さら言ってもせんないことだが、この身は地獄の底に落ちて灼熱の炎で焼かれる宿めにあるのだ)

大海の 磯もとどろに 寄する波
割れて砕けて 裂けて散るかも
(とどろくばかりに押し寄せる磯の波のごとく、私の身も心も、割れて砕けて裂けて散るのだ)

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【無常】
 心を寄せた御家人たちのあいつぐ死、親子兄弟間の醜い諍い。
 最終的には、この世の無常さや儚さ、人間の測り知れない煩悩と無明のさまを達観していただろう。
 自らの最期もある程度は受け入れていたと思われる。 
 なんと言っても、1052年から末法の世に入っていた。

月影も さやには見えず かきくらす
心の闇の 晴れしやらねば
(月の姿もはっきり見えない。悲しみにくれた心の闇が晴れないので)

うつせみの 世は夢なれや 桜花
咲きては散りぬ あはれいつまで
(この世は夢のようなもの。桜の花が咲いては散っていくように儚いものだ。この身もいつまであることか)

かくてのみ ありてはかなき 世の中を
憂しとやいはむ あはれとやいはむ
(かくも儚い世の中。つらいとか悲しいとか言うことすらむなしい)

世の中は 鏡に映る 影にあれや
あるにもあらず なきにもあらず
(世の中は鏡に映る影のようなもの。実在でもなく非在でもなく)

神といい 仏といふも 世の中の
人の心の ほかのものかは
(神とか仏とかいったところで、結局は人の心がつくったものでしかない)

四国遍路1 2745


【純真】
 源実朝がどんな人であったかは、『吾妻鏡』のような歴史書よりも、むしろ彼が詠んだ歌から想像するのが真実に近いと思う。
 次にあげる歌などは、実朝の純真さや、小林一茶に通じるような動物や子供など弱い者に対する慈しみの心を感じさせる。

ものいはぬ 四方の獣(けだもの) すらだにも
あはれなるかなや 親の子を思ふ
(言葉を知らない獣でさえ、親が子を思う気持ちを持っているではないか。親兄弟で争い合う人間たちの愚かしさよ)

時により 過ぐれば民の 嘆きなり
八大龍王 雨やめたまへ
(八大龍王よ。いくら天候を司る力がある次の歌からと言って、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。もう雨を止めてくれ。民が泣いているのが見えぬのか)

旅を行きし あとの宿守 おのおのに
私あれや 今朝はいまだ来ぬ
(私が昨夜遅くに旅から帰ってきたことを知らないためか、今朝はまだ誰も出仕していない。それぞれに用事があるのだろう。閑散とした御所の静けさよ)

乳房吸う まだいとけなき 嬰児(みどりご)と
ともに泣きぬる 年の暮れかな
(生まれて間もない赤ん坊が母親の乳房を吸いながら泣いている。それを見ている私も知らず泣いてしまった。ああ、また一年が終わろうとしている)

谷深み 人しも行きて 告げなくに
鶯いかで 春を知るらむ
(鶯が鳴いている。谷が深いので誰も春の訪れを知らせに行くことができないはずだのに、どうやって春が来たのを知ったのだろう)

 
 以上28首。
 源実朝の享年と同じ数である。


四国遍路1 2813




● 忘れられぬ殺人 本:『バースへの帰還』(ピーター・ラヴセイ著)

1995年原著刊行
1996年早川書房より邦訳(山本やよい訳)
2000年文庫化

バースへの帰還


 ピーター・ラヴゼイ(1936- )は英国のミステリー作家。
 1982年発表の傑作『偽のデュー警部』で一躍、世界中のミステリーファンにその名を知らしめた。
 本作はラヴゼイが創造した名探偵ピーター・ダイヤモンドが活躍する、シリーズ3作目である。
 沖縄への旅のお供にせんと、ブックオフで購入した。
 昔読んだような気もするが、カバー裏のあらすじを読んでもピンと来ないし、読み始めてみても先の展開が見えない。
 読んだとしても、いい具合に忘れている。

 ITやら最先端の科学捜査法やらは出てこない牧歌的な時代(ウインドウズ95以前)で、コンピュータ音痴・科学音痴のソルティにしてみれば、気楽に読めるのが最大の長所。
 空港での待ち時間や狭苦しい機内、宿で寝入る前のひとときにちょうど良かった。
 
 終盤に来て、「あっ、これは読んだ」と真犯人の正体がその動機とともに記憶から浮かび上がった。
 その通りだった。 
 どうせなら完全に忘れてしまって、意外な犯人にビックリしたかった。
 まったく、いいところで思い出すんだから!
 記憶力だけはどうにも制御できない。
 
 気になったのは、内容よりむしろ解説。
 本邦のミステリー作家の二階堂黎人が、本作を「現代本格ミステリーの最高峰に位置する傑作」と評している。(帯にも書かれている)
 本作は駄作でも凡作でもないけれど、ちょっと持ち上げすぎ。
 あっと驚く奇想天外なトリックがあるわけでなし、名探偵の快刀乱麻の鋭い推理があるわけでもなし、サスペンスやホラーにとくだん秀でているわけでもない。
 ソルティが記憶していなかったのがなによりの証拠だ。
 二階堂氏、早川書房に忖度したのか?
 
 それを思うと、アガサ・クリスティのミステリーは、読後40年経つ今でも真犯人を記憶しているものが多い。
 『アクロイド殺し』『オリエント急行殺人事件』『そして誰もいなくなった』『予告殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』『ゼロ時間へ』『葬儀を終えて』『ねずみとり』『カーテン』などは、犯人やトリックや筋書きを忘れたくても決して忘れることができない。
 同じ高校時代にはまったエラリー・クイーンの国名シリーズなどは、筋書きも犯人もトリックもまったく覚えていないというのに・・・・。 
 クリスティの筆力の凄さをつくづく思う。





おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 

● アニメ映画:『竜とそばかすの姫』(細田守監督)

2021年スタジオ地図
121分

 細田守監督の『時をかける少女』(2006)、『サマーウォーズ』(2009)はとても良かった。
 とくに後者!
 サイバー空間のカラフルで緻密で魔術的な映像と、平和で美しい信州の日常風景との対照が面白かった。
 IT時代の脅威といった現代的テーマも興味深く、監督の才能に感嘆した。

 本作もまた、IT時代ならではの数々の現象が描かれている。
 匿名による中傷やいじめ、デマの瞬時の拡散、現実生活における鬱憤やコンプレックスを覆い隠し反転させるネット上の「もう一人の自分」いわゆるアバター、国や民族や人種を超えた情報共有とつながり、驚異的な再生回数が示す超短時間でのネットスターの誕生、そしてネット外の現実生活の希薄化・・・・。
 まさに今の時代にふさわしい素材だなあと思う。

 一方、物語的には「普段はさえない少年/少女が不思議な力を身につけて、ヒーロー/ヒロインに変身して大活躍。大切なものを守るために闘う」という、少年/少女漫画に類型的なパターン。
 ただ、「大活躍」する場所が主人公が生きる現実世界でも宇宙空間でもタイムワープした過去や未来でもなく、サイバー空間であるところがミソであり、「変身」とはすなわちネット上のアバターになること、である。
 そのうえ、本作はディズニーアニメにもなったシャルル・ベローの童話『美女と野獣』のパロディでもある。
 IT全盛で現実世界より“リアルな”サイバー空間の登場という環境の変化はあれど、人々が希求する物語の質は変わらない。
 
 気になったのは、『サマーウォーズ』では、主人公らが生きる現実の信州の田舎の日常が、サイバー空間の非日常より生き生きと描写され「サイバー空間=虚妄」という視点が強かったのだが、本作ではなんだか「現実の日常生活=虚妄」のような逆転現象が感じられるところ。
 登場人物たちのリアリティはサイバー空間のほうにあるみたいで、現実の日常生活における存在感や生命力や説得力が乏しいのである。

 たしかに、列車内で一心にスマホを覗き込んでいる人々をみるにつけ、「いまや、人々のリアルは、窓外を流れる景色や目の前に立っている妊婦さんではなく、スマホの中にあるんだなあ」と、たまに嘆息するソルティである。
 また、サイバー空間における匿名の“開かれた”関係のほうが、現実世界における見栄や同調圧力で歪められた“偽り”の関係よりリアル(本当)である――という現実はある。
 ハンドルネームやアバターこそが「本当の自分」と思っている人も少なくないだろう。
 サイバー空間と現実世界の“リアル”の反転は、十分に現代的テーマとなり得るものである。

スマホと脳
 
 が、本作の場合、そこまで意図的とは思えない。
 本作の現実世界におけるリアリティの欠如は、単純に脚本の不備のためだろう。
 たとえば、主人公少女と父親との他人行儀な関係とか、家庭内暴力を振るう男のもとに少女が単身乗り込むとか、それを父親を含む大人たちが誰も止めようとも一緒に行こうともしないとか、ちょっと非常識な設定が目立つ。(この父親の態度こそ、放置という名の児童虐待だろうに・・・)
 サイバー空間の「ありえない」はあり得るが、現実世界での「ありえない」は物語を根幹から揺るがしてしまう。
 映像については「凄い!」の一言に尽きる。

 主人公少女の声と歌を担当したのは歌手の中村佳穂。
 この人をはじめて知ったが、耳に残る歌唱である。
 ほかに声優として、森山良子、清水ミチコ、坂本冬美、岩崎良美、役所広司、石黒賢、佐藤健らが出演している。
 せっかくの豪華キャスト。森山や坂本や岩崎にもっと歌わせてほしかった。






おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 
 

● 天国と地獄

 沖縄3日めは、普天間基地を見に行った。
 オスプレイがカトンボのように並んでいた。
 人間というものは、作ったからには使う機会を作るものだ。
 戦争に勝つための武器から、武器を試すための戦争、武器を売るための戦争を必要とするようになる。
 オス(男の)プレイ(行為)は、そういう倒錯にはまりやすい。

 沖縄最後の夜は、庶民的な飲み屋が軒を連ねる安里に行った。
 ちょうどアメ横の飲み屋横丁のような感じだ。
 狙っていた居酒屋がいっぱいだったので、酔っぱらい浮かれ騒ぐ市場をうろうろしたあげく、海老料理専門店を見つけた。
 メニューのすべてが海老を使っている。
 ソルティのような海老好きにはたまらない店だ。
 海老めしと海老クリームコロッケと海老チンジャを頼んだ。
 海老アレルギーある人には地獄のような店。
 もちろん、海老にとっても。

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● 疲れの正体?

 昨晩はあんなにへたばったのに、今夜は元気もりもりだ。
 今日も一日中、那覇市内外を路線バスやタクシーやレンタサイクルを駆使して飛び回り、3つの戦跡巡りをしたというのに・・・。
 やはり、ウコンが効いたのか?
 
 思うに、「疲れた」は「憑かれた」なのだろう。
 昨日の南部海岸巡りでは、平和祈念公園はじめ、いろいろなところで手を合わせ祈り、沖縄戦を生き残った人たちの証言に耳を傾けているうちに、だんだん心と体が重くなった。
 しまいには、歩くのさえしんどくなった。

 その疲れは、丸一日山歩きしたときの疲れとは、まるっきり違う。
 考えたら、四年前には四国遍路で1400キロ歩き通したソルティである。
 今だって週に3回、500米弱泳いでいる。
 アラ還とはいえ、こんなにいきなり体力が落ちるはずがない! 
 何かを背負って宿に帰ってきたに違いない。
 よく覚えていないが、なんだか重苦しい夢を見た。

 夜通し降り続いた雨は、昼前に上がった。 
 雨が上がると共に体は軽くなり、旅の楽しさが実感されてきた。
 午後は、電動アシスト自転車でスイスイと那覇の海岸沿いを走り抜けた。
 波の上ビーチで潮風に当たったら、すっかりいつもの調子を取り戻した。
 夕食は沖縄家庭料理を堪能した。 


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波と遊ぶ修学旅行の生徒たち



 






● 国際通りの雄叫び

 昨晩から那覇にいる。
 国の旅行支援事業を利用して、3日間の戦跡巡り。
 今日は、平和祈念公園とひめゆりの塔、つまり最も被害の甚大だった南部の海岸沿いを巡った。

 後日、記事にまとめたいと思うが、とにかく身も心も疲れ果てて、今、宿に帰って風呂入って、床に伸びている。
 せっかく1万円分の自由に使える地域クーポンが手元にあって、名店並ぶ国際通りが目の前にあるというのに、外出する気力が湧かない。

 昨晩はワールドカップで日本がドイツに勝ったため、夜1時過ぎまで国際通りの若者たちの雄叫びが轟き渡っていた。
 おそらく夜通しどこかで祝勝会して飲むのだろう。
 ああいう時代も自分にもあったと思うにつけ、加齢を実感する。
 いや、むろん愛国心のことではない。若さのことだ。

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 コンビニで見つけたウコン入り活力剤を試してみた。
 効いてくれるといいのだが・・・。
 さんぴん茶は沖縄名物の一つだが、何のことはない、ジャスミン茶のことである。

 明日はまた重要な戦跡に行く予定。
 夜遊びをあきらめて、大人しく寝ることだ。

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ひめゆり平和祈念資料館の中庭


 

● 生まれ変わりは希望? 映画:『インフィニット 無限の記憶』(アントワーン・フークア監督)

2021年アメリカ
106分

 マーク・ウォールバーグ主演のSFアクション映画。
 見せパンの元祖でやんちゃ者のマーキー・マークもいまや51歳。
 いったいいつまでこんな激しいアクション映画の主役を張るんだろう?
 どこまで若作りして、マッスルな体を晒すつもりなのだろう?
 と、話の筋より余計なことばかり考えてしまう。
 いい加減、こういう役は若い俳優に譲って、演技派バイプレイヤーにシフトチェンジしてもよいのではなかろうか。
 余計なお世話か。 
 
 本作をレンタルしたのは、輪廻転生がテーマだからである。
 世界に500人しかいない、すべての前世の記憶を保持しているインフィニットたち。
 いくつもの前世で身につけた様々な知識や特技を備えている超人である。
 数世紀前から彼らは、二つのグループに分かれて戦っていた。
 一つは、「もうこの酷い人間界に生まれ変わるのは懲り懲りだから、すべての生命を解脱させ、この世界を終わりにしよう」と目論むグループ。ニヒリスト(虚無主義者)と呼ばれる。
 もう一つは、「生まれ変わっていくうちに人類は学び進歩することができる。輝かしい未来がある」というポジティブなグループ。ビリーバー(信じる者)と呼ばれる。
 ニヒリストの首領であるバサーストは、前世において、人類を絶滅させる“エッグ”という装置を開発した。
 が、使用する前にビリーバーのトレッドウェイに奪われてしまった。
 両者ともに生まれ変わった現世で、バサースト(演:キウェテル・イジョフォー)と元トレッドウェイであるエヴァン・マコーリー(演:マーク・ウォールバーグ)の“エッグ”の行方を巡る熾烈な戦いが始まる。
 
 物語そのものは荒唐無稽。
 派手なアクションシーンの連続で、CG多用の特撮技術には驚くほかない。
 予想通り、トレッドウェイらの活躍によって“エッグ”は破壊され、人類は破滅から救われ、輪廻転生は続く。
 戦いで命を失ったトレッドウェイが、インドネシアに生まれ変わったことを伝えるシーンで映画は終わる。(バサーストは特殊な銃弾を浴びて魂をチップに封じ込められ、生まれ変われなくなったという無理筋)
 伝統的アメリカ映画らしい勧善懲悪である。

生まれ変わり
 
 しかしながら、「もはや生まれ変わることはありません」という輪廻転生からの解脱こそが、ブッダが追い求め、修行と悟りの果てに実現し、弟子たちに推奨したところであるのは間違いない。
 本来の仏教の目標はそこにある。
 もちろん、それは個々人の意志において求められるところであって、ハザーストのように、生命すべてを個々の意志に反して道連れにすることは許されない。
 ハザーストがこの人間界を嫌悪し生まれ変わりたくないなら、仏道修行によっておのれ一人の悟りと解脱を目指すべきである。
 その意味で、ニヒリストグループの動機と行動は許容できるものではなく、「悪」と言っていいものではある。
 が一方、輪廻転生を進歩と希望の名によって肯定し「善」とするビリーバーの動機と行動は、究極の楽天思考という気がしないでもない。
 少なくともそれは仏教とは別の道であるので、本作でビリーバーグループの者たちが、仏像の前で坐禅や瞑想をしているシーンや、「生まれ変わるたびにアンコールワットで再会する恋人たち」といったロマンチックエピソードには、首をひねらざるを得ない。(良い転生を狙っての修行と解せばいいのか?)
 監督や脚本家は、仏教をまったく理解していないか、あるいは、仏教徒=ニヒリストというあらぬ誤解を観る者に与えるのを避けるべく、仏教をビリーバー側に引き寄せたのだろうか。
 悟り&解脱という目的を伴わない輪廻転生は苦である、というのがブッダの仏教の根本である。
 
 そもそもが荒唐無稽な娯楽作品なので、どうでもいいことではあるが・・・・。
 

 
おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 本:『運命の人』(山崎豊子著)

2009年文藝春秋
2011年文庫化
全4巻

 映画『ひめゆりの塔』、ドキュメンタリー『沖縄戦』と、このところ沖縄戦がマイブームになっている折、最寄りのブックオフに行ったら店頭ワゴンで一冊105円で売っていた。
 沖縄をテーマとした山崎豊子の最後の完成作である。

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 『暖簾』『ぼんち』『女系家族』『白い巨塔』『沈まぬ太陽』と山崎作品には原作や映画でずいぶん接してきたが、共通して言えることは、実に良く取材していること、骨太で構成がしっかりしていること、そして男を描くのが上手いこと。
 とくに、男を主人公とした『白い巨塔』『沈まぬ太陽』『運命の人』を読むと、よくもまあ女の身で、男の欲望や嫉妬やコンプレックスや孤独が分かるものだなあと感心する。
 男を描いてここまで成功した本邦の女性作家は、紫式部をのぞくと他に見当たらない。
 骨太の構成力という点も合わせて、著者自身かなり男性的な人だったのではなかろうか。

 本作は、1985年8月の日本航空123便墜落事故を描いた『沈まぬ太陽』と同様、「事実を取材し、小説的に構築したフィクション」である。
 1972年の沖縄返還をめぐる日米交渉の中で実際に起こった事件がもとになっている。
 俗に言う、沖縄密約暴露事件あるいは西山事件である。

 沖縄返還協定成立直後の1972年(昭和47)3月末から4月初めにかけて、衆議院予算委員会を舞台に、社会党の横路孝弘代議士ら野党議員が、外務省の極秘電報2通を材料に、沖縄返還交渉をめぐる日米間の密約問題を暴露し、佐藤内閣の責任を追及した。
 これをきっかけに、同年4月4日外務省は、同省の蓮見喜久子事務官が電報の内容を新聞記者に漏らしたという疑いで、同事務官を国家公務員法第100条(秘密を守る義務)違反容疑で告発した。警視庁は、蓮見事務官と、同事務官に秘密漏洩をそそのかした容疑(国家公務員法111条)で毎日新聞社政治部の西山太吉記者を逮捕、起訴した。
(『コトバンク 小学館日本大百科全書』より抜粋)

 当時ソルティは小学生だったので、この事件について知らなかった。
 長じてからも、沖縄密約と言うと在日米軍基地にある核の有無にかかわる問題という認識であった。
 が、当事件で問題となったのは核ではない。
 沖縄返還にあたって地権者に対する土地原状回復費400万ドルをアメリカ政府が支払うことになっていたが、実際には日本政府がその分を肩代わりして、形の上だけアメリカが支払ったように見せかける「密約」をしていたのである。
 毎日新聞記者だった西山太吉は、外務省事務官の蓮見喜久子に近づき男女関係を結んだうえで密約の証拠となる資料を手に入れ、政府の不正をすっぱ抜いた。
 佐藤栄作首相を頭にいだく政府は密約を全面否定し、西山と蓮見を国家機密漏洩のかどで裁判に訴えた。

 結果だけ言えば、西山と蓮見はともに有罪となり、職も家庭も社会的信用も失った。
 どちらも既婚者だったのでW不倫(当時この言葉はなかったが)であり、男女関係をもとに西山が蓮見を「そそのかし」罪を冒させたというストーリーが出来上がって、週刊誌を中心にマスコミを騒がす桃色スキャンダルとなり、二人(とくに西山)は世間の非難を浴びることになった。
 裁判では西山の取材方法が、法にてらして適切か否かが問われた。
 
 結果だけ言えば、密約はあった。
 後年になって、米国側の資料からそれは裏付けられた。
 つまり、密約による国民への背信行為および国民の「知る権利」という重要な問題が、大衆の喜ぶ桃色スキャンダルに覆い隠されていったのである。
 のちにノーベル平和賞をもらうことになる佐藤首相にとって、自らの花道を飾る沖縄返還に関してケチをつけられることは、絶対に許容できなかったのであろう。
 
 もちろん、「事実を小説的に構築して」いる本書に実名は出てこない。
 西山太吉は弓成亮太に、蓮見喜久子は三木昭子に、佐藤首相は佐橋首相に変えられている。
 ほかにも、ナベツネもとい渡邊恒雄、大平正芳、田中角栄、福田赳夫、横路孝弘、後藤田正晴ほか、それと分かる著名人が別名で登場する。
 フィクションとノンフィクションの合い間を狙った小説は、裁判になった三島由紀夫の『宴のあと』に見るように、プライバシー侵害や名誉棄損や営業妨害などの問題が生じやすいので、書くのは難しいと思うが、同じ手法を用いた『沈まぬ太陽』で成功をみている山崎にとって、お手の物だったのだろう。
 言うまでもなく読者にとっては、どこまでが事実でどこからが創作(想像)なのだろう?――という好奇心をくすぐって、面白いことこのうえない。
 地裁から高裁、そして最高裁へと続く“国家権力V.S.ジャーナリズム”の法廷闘争の描写も、被告原告双方をめぐる人間関係の模様とともに関心をそそられる。
 あとがきによると、すでに80歳を超えていた著者は病気をおして執筆していたらしい。
 前作の『沈まぬ太陽』にくらべれば筆力の低下は否めないものの、驚くべきパワーである。
 
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David MarkによるPixabayからの画像

 本書の主人公は弓成(西山)なので、事件は弓成の視点から描かれている。
 弓成は、有能でエネルギッシュで野心あふれる一記者として描かれる。
 政府の隠したがる機密を暴いて時の首相の逆鱗に触れたため、権力を敵に回すことになり、記者生命ばかりか家族をも失うことになった悲劇の人として描かれている。
 特ダネを手に入れるため男女関係を巧みに利用した卑劣な男としてではなく・・・。
 一方、某週刊誌がスクープした30代女性事務官の涙の告白――「私は弓成記者に酔った勢いで体を奪われ、一方的に利用されたあげく捨てられた」――は、現在なら鼻白むところであるが、70年代は十分通用した物語であった。
 男と女の間のことだけに、真相はどこらにあるのか、正直わからない。
 ただ、弓成(西山)が「取材源の秘匿」という記者の使命を守れなかったのは事実であり、一審判決のように秘密書類を持ち出した女性事務官だけが有罪となるのは、心情的に解せないところではある。
 
 社会的破滅に追いやられた弓成が、自死すら考えて沖縄へと渡る最終巻が、この物語の真骨頂であろう。
 弓成はそこで沖縄戦の真実に触れていくことになる。
 住民たちが集団自決した洞窟(読谷村のチビチリガマ)や、爆弾が雨あられと降り注いだ本島南部に足を運び、生き残った人から想像を絶する体験を聞く。
 米軍に集団レイプされた現地の女性から生まれ、父からも母からも捨てられた女性の苦しみに寄り添う。
 米軍統治下において先祖伝来の土地を収用された住民たちの怒りの声に耳を傾け、粘り強い奪還運動のさまを知る。
 また、1995年の3人の米兵による少女暴行事件と怒りの県民大集会、2004年の琉球大学キャンパスへの米軍大型ヘリ墜落事件を、リアルタイムで経験する。
 そこには、米軍そして日本政府から沖縄が被ってきた圧倒的な暴力と冷遇と無視の歴史がある。

 沖縄はつねに本土を守るための犠牲、人身御供になってきた。
 本土の大新聞社のエリート記者としてばりばりと特ダネをものにし、ある意味権力のお膝元で働いてきた弓成は、人生ではじめて挫折し、逃げるように沖縄にわたった。
 そこで現地の人々のあたたかさと美しい自然に触れて心の傷をいやし、沖縄の歴史と沖縄戦の真実を学び、人々の深い悲しみや怒りを知って、「語るべきこと」を見出し再生してゆく。
 これは一人の人間の成長の物語でもある。
 
 日本にある米軍基地の75%が集中している沖縄という島の現状と、そこで日々起きている様々な理不尽の因は、ひとえに戦後の日米間の不平等な関係にある。
 沖縄に犠牲を強いてきた政府もとい本土の人々の冷たさと無関心にある。
 戦後75年経つのに一向に改善できない、どころか緊張高まる東アジア情勢においてますます物騒な様相を呈している。
 沖縄戦で亡くなった20万を超える御魂も浮かばれまい。
 
さとうきび畑



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 映画:『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』(レジス・ロワンサル監督)

2020年フランス、ベルギー
105分、フランス語

 サスペンスミステリー。
 原題は Les traducteurs 「翻訳者たち」

 世界的大ヒットのミステリー『デダリュス』完結編を各国語に翻訳するために、出版元によって人里離れた豪邸の地下室に閉じ込められた9人の翻訳家。
 それは世界同時発売前の内容流出を未然に防ぐための措置であり、翻訳が完成するまでの2ヶ月間、各自の携帯電話など通信機器は取り上げられ、外部との連絡は一切できない。

 しかるに、出版元の計らいを嘲笑うかのように、ネットには原稿の一部が流出され、脅迫メールが出版エージェントのもとに届く。
「この先の流出を防ぎたいなら500万ユーロ払え」
 いったい、9人のうちの誰が、どんな手を使って、原稿を流しているのか?
 そして、その目的は何なのか?

著作権

 フォレスト出版の『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(宮崎伸治著)を読むと、出版翻訳家という職業がいかに身分不安定で、出版社によっていいようにこき使われ、理不尽な目に合わせられるか、なまなましく迫ってくる。
 とくに未熟な契約社会である日本は、フリーランスで仕事をしている人たちの立場が非常に弱い。
 いっとき欧米ミステリーの翻訳家に憧れたこともあるソルティだが、昨今の出版不況というか出版オワコンに言及するまでもなく、結局のところ、翻訳では食っていけなかっただろう。
 慢性的に人材不足である介護業界に目を向けて良かった。 
 いや、そもそもそんな英語力ないか・・・・・。

 宮崎伸治のような痛い体験を持つ翻訳家ならば、非人道的な仕打ちを受ける9人の翻訳家に共感至極だろうし、傲岸不遜で金の亡者のような出版エージェントが報復される結末に、喝采の叫びを上げ留飲を下げるだろう。
 ミステリーとしては強引な展開が目立つ。

 本映画の設定は実際にあったことで、『ダ・ヴィンチ・コード』で世界的ベストセラー作家となったダン・ブラウンの第4作『インフェルノ』出版に際して、出版元がダン・ブラウンの同意のもと、各国の翻訳家を地下室に隔離して翻訳を行なわせたという。
 ダン・ブラウンのイメージ爆落ち。





おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
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● 宇宙も夢を見るのかしら? 本:『死は存在しない』(田坂広志著)

2022年光文社新書

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 副題は「最先端量子科学が示す新たな仮説」

 本書を読みながら、仙台に住んでいた30代の頃に出会ったディープエコロジーや精神世界関連のさまざまな本や人や言説のことを思い出した。90年代のことである。
 仙台の街中に、自然食品店&出版社『ぐりん・ぴいす&カタツムリ社』という店があった。
 経営者の加藤哲夫氏は、反原発運動やディープエコロジーの日本への紹介やHIV感染者の支援活動など、平和・環境・人権・食・市民活動・精神世界など幅広いヴィヴィッドなテーマを追究し、現場主義で実践行動していた人で、後年日本におけるNPO普及の立役者となった。
 自然、『ぐりん・ぴいす』は精神世界や市民活動(当時は「ボランティア活動」という呼称が一般だった)の情報の集積地&発信地となり、さまざまな分野の面白い人々が出入りする広場となった。
 ここにソルティも出入りするようになって、加藤哲夫氏の薫陶を受けながらいつのまにか市民活動にのめり込むようになったが、それと同時に、バブル真っ盛りの東京の20代会社員生活では触れたことのない新しい概念や思想と出会って、世界の見方が一変した。
 それが、ディープエコロジーであり精神世界であった。
 当時、周辺に飛びかっていた固有名詞やフレーズを思いつくままに上げると、

上田紀行『覚醒のネットワーク』、映画『ガイア・シンフォニー』、レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』、自然農、自然療法、マインドフルネス、個人と世界は繋がっている、心と体は繋がっている、思いは現実化する、百匹目の猿、ボディーワーク、聖なる予言、山川紘矢&亜希子、金子みすず、トランスパーソナル心理学、P・ドラッカー、ワークショップ、マヤの預言、アクエリアス革命、バシャール、NPO、ティク・ナット・ハン・・・e.t.c.
 
 三十過ぎのフリーターで、こういったものに進んで染まっていった自分を、ずいぶんと“怪しい”人間になってしまったと思った。
 「堅気=スーツを着たビジネスマン」という固定観念がまだまだ世間的にも個人的にも強かったし、ほとんどのビジネスマンは精神世界にも市民活動にも見向きもしなかった。(例外は経営コンサルタントでオカルティストであった船井幸雄の周辺くらい)
 
 田坂広志は1951年生まれ。東京大学工学部卒業、原子力工学博士。
 立派な肩書が並ぶプロフィールからは具体的にどういう仕事をしてきたのか良く分からないが、本人曰く、「科学者と研究者の道を歩んできた」理系の人。
 「21世紀の変革リーダー」を育成する田坂塾を経営しているというから、船井総合研究所を主宰していた船井幸雄と近いものを感じる。
 巻末には他の著作を紹介するページがあって、その膨大な量と広いテーマに驚かされる。
 PHP研究所はもちろん、東洋経済社、ダイヤモンド社、日本実業出版など、ビジネス書出版の王道を総なめしている。
 
 本書は、科学者である著者が、上に挙げたような90年代流行ったディープエコロジー&精神世界言説に、量子論や宇宙物理学といった最先端の科学による根拠を与えて、スピリチュアルを「非科学的」「いかがわしくて危ない」と言って敬遠する層(たとえば堅気のビジネスマン)にも受け入れやすくしたもの、という印象を受けた。
 それが著者が目指すところの「宗教と科学の架け橋」の意なのだろう。
  
 筆者は、あくまでも、「科学的・合理的な思考」によって、
  • なぜ、我々の人生において、「不思議な出来事」が起こるのか
  • なぜ、世の中には、「死後の世界」を想起させる現象が存在するのか
  • もし、「死後の世界」というものがあるならば、それは、どのようなものか
を解き明かしたいと考えた。そして、永遠の探究と思索の結果、たどりついたのが、最先端量子科学が提示する、この「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」である。

 「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説なのである。 

 このゼロ・ポイント・フィールドには時間が存在しないので、我々の世界における「過去・現在・未来」のすべての情報が存在し、それは永遠に消滅しないという。
 祈りや瞑想によって心の技法を高めることによって、あるいは突発的な精神的な危機にあって、人は自我に覆われた通常意識を脱し、高次の意識の段階を通過し、ゼロ・ポイント・フィールドにある情報に触れることができる。
 予知や予感や占いやデ・ジャヴューやシンクロニシティや輪廻転生などの不思議な現象は、これで説明することができる。
 また、ゼロ・ポイント・フィールドは、善悪・真偽・美醜・愛憎・好悪・幸不幸・・・といった二項対立を超えた「すべては一つ」という超自我意識すなわち「愛」しか存在しない領域なのだという。
 つまり、それが宇宙意識であり、古来より人々が「神」や「仏」や「天」と呼びならわしてきたものの正体なのだという。

 我々の意識は、「現実世界」の「現実自己」が死を迎えた後、このゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に中心を移すのである。そして、フィールド内にすでに存在する様々な情報、フィールドに新たに記録される様々な情報と相互作用を続け、変化を続けていくのである。
 すなわち、死は存在しない。

光の波動
 
 新書なれど活字が大きくて改行も多い。
 科学素人にもわかりやすい砕いた説明をしていいるので、3~4時間あれば読み終えることができる。
 滅多に新刊本を買わないソルティが、駅の本屋で本書を見たとたん、「これは読まなきゃ!」と思って購入した。
 ゼロ・ポイント・フィールドはいったい何を企んでいるのだろう?
 
P.S. 別記事で書いたばかりのアーサー・C・クラークの有名なSF『幼年期の終わり』が、最後に登場したのにシンクロを感じた。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 鎌倉アルプスを歩く(大平山159m)

 月曜の午前中という、もっとも空いていそうな時間をねらって、大河ドラマブームに湧く鎌倉を逍遥した。
 鎌倉市最高峰の大平山より街並みを見下ろす天園ハイキングコース。

● 歩行日 2022年11月7日(月)  
● 天気 くもり
● 行程
10:00 JR鎌倉駅
    歩行開始
10:15 鶴岡八幡宮
10:45 建長寺
11:40 勝上献展望台
12:20 大平山(159m)
12:30 天園
    昼食休憩(20分)
13:30 下山口(瑞泉寺門前)
13:40 永福寺
14:30 JR鎌倉駅
    歩行終了
● 最大標高 159m
● 最大標高差 150m  
● 所要時間 4時間30分(歩行4時間+休憩30分)

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JR横須賀線・鎌倉駅
案の定、人混みはなかった


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鶴岡八幡宮
この石段で源実朝は公暁に刺殺されたという

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本殿より参道を見やる

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建長寺は日本初の禅寺(臨済宗)
開基は第5代執権北条時頼(1253年)
けんちん汁発祥の地である

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樹齢760年を超える見事な柏槇(びゃくしん)

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仏殿
空間と拮抗する見事な反り屋根

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本尊は地蔵菩薩

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法堂(はっとう)の釈迦苦行像と千手観音
苦行像は2005年にパキスタンより寄贈された

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こんなところに朝鮮石人像が・・・

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観光客のいない静かな奥へと進む
きつい石段を上れば天狗が並ぶ半蔵坊本殿

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勝上献(けんじょうけん)展望台より
鎌倉市街を望む
晴れた日には相模湾越しに富士山も見える

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出会う人は稀
静かな山歩きが楽しめた

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本日の最高峰・大平山(159m)
木々に囲まれて眺めはない

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ススキとセイタカアワダチソウの熾烈な縄張り争い
やはり外来種が強い

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南東方向に横浜のビル街が霞む

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横浜市と鎌倉市の境に位置する天園
かつて茶屋があったところが空き地となっている

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天園より相模湾と鎌倉市街を望む
ここで昼食

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森のヌシたる巨木との交感も山歩きの醍醐味

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下山口に到着
鎌倉は基本、山なんだと実感した

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永福寺(ようふくじ)跡
源頼朝が1189年平泉を攻めた後、数万の兵の鎮魂のために建てたと言われる。
幾度も大火に遭い、1405年頃に廃絶した。

CG永福寺
CGによる復元図
平泉の毛越寺や中尊寺をモデルとしたという
ここで頼家や実朝は蹴鞠や花見や歌会に興じた

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JR鎌倉駅に帰着


宮柱 ふとしき立てて よろづ世に
いまぞ栄えむ 鎌倉の里
(社殿に立派な柱を立てて、万世も栄えあれ、鎌倉よ)

三代将軍源実朝















 

● 本:『美少年日本史』(須永朝彦著)

2002年国書刊行会

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 歌人にして作家の須永朝彦が、あまたの史書や古記録を紐解いて、日本史を彩る美少年たちを時代を追って紹介したもの。
 神代の昔から語り起こして、在原業平や世阿弥や森蘭丸といった有名どころから、はじめてその名を聞く稚児や喝食(かつじき)やお小姓や若衆、しまいは銀幕の美男スターやジャニーズ事務所のタレントに至るまで、何十人もの美少年が登場する。
 ちなみに、密教寺院にいた美少年を稚児、禅宗寺院にいた美少年を喝食と呼んだそうな。

 あとがきで著者が書いているように、

 かつての日本では、性愛の在り方が西洋などとは相当に異なり、男性の同性愛に対するタブーが殆ど無かったので、美少年の迹を追う事は、取りも直さず男色の歴史を辿るに等しく、必然的に本書も〈衆道史〉の色を帯びるものになった。

 まったくのところ、全編これ、日本男色史と言っていい。
 どこそこの偉い僧侶が稚児に執着したとか、どこそこのお武家様がお気に入りの小姓を取り立てたとか、どこそこの念者が嫉妬に駆られて若衆を斬り殺したとか、そんな話のオンパレード。
 しまいには飽きて、面白そうなところだけ拾い読みした。

 それにしても、男色は日本のお家芸とは知っていたが、こうまで広く深く浸透しているとは!
 世界史を見ても、ここまで大っぴらな男色の伝統を(近代まで)有しているのは、日本以外にはなかろう。
 日本って、日本の男って、ほんとフシギ。
 とりわけ、武家社会になってからの男色の横行には唖然とするものがある。
 戦国大名は、隣接するライバルと良好な関係を築くため、自らの娘はむろんのこと、最も美しい息子を贈り物として差し出した。
 足利義満、伊達政宗、武田信玄、織田信長、豊臣秀次、徳川家康、徳川家光、徳川綱吉・・・・。
 これら権力者は揃って美少年を好み、側近に引き立てた。
 つまり、男色文化が日本の政治に大きな影響を与えたということである。
 男色というテーマを抜きにして日本の歴史を考えることは、たいへんな片手落ちなのではあるまいか?

青い蓮

 さて、最後にソルティが選ぶ「日本美少年ベスト10」を発表したい。
 歴史に登場する順で。
  • ヤマトタケル・・・実在人物かは不明。熊襲征伐の際に女装して酒席に乗り込み、その美貌で敵をメロメロにして打ち取った英雄。
  • 厩戸皇子・・・山岸涼子の人気コミック『日出処の天子』の印象が強い。厩戸皇子は女嫌いのゲイで、ノンケの蘇我毛人に恋慕するという設定。
  • 在原業平・・・『伊勢物語』に出てくるプレイボーイ。かつて、美男子のことを「今業平」と言ったとか。
  • 平敦盛・・・平清盛の甥っ子。17歳の若さで討ち死にした。「一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の 公達あわれ」で知られる唱歌『青葉の笛』は敦盛を歌ったものである。
  • 源義経・・・「京の五条の橋の上」で軽やかに宙を舞う牛若丸のイメージが強い。『鎌倉殿の13人』では令和の美青年・菅田将暉が演じていた。
  • 世阿弥・・・その美貌ゆえ足利義満にいたく寵愛された。能が世界に誇る伝統芸能となったのも世阿弥の美貌と義満の男色趣味あってのこと。
  • 森蘭丸・・・織田信長の秘蔵っ子。本能寺の変に際しては槍をとって防戦に当たり、最後は信長に殉じた。その死に様も誉れ高い。
  • 天草四郎時貞・・・島原の乱でクリスチャンらが担ぎ上げたカリスマリーダー。不思議な力を持っていたところもポイント高い。昭和の世に生まれ変わって美輪サマになった話は有名。
  • 長谷川一夫・・・銀幕一の美男スターと言えば、必ず名前が上がる。林長二郎という芸名だった昭和12年、暴漢に襲われて顔を傷つけられ、日本中を騒然とさせた。
  • 美輪明宏・・・「神武以来の美少年」と讃えられ、江戸川乱歩や三島由紀夫に可愛がられたのはもはや伝説。この人の素晴らしいのは外見のみならず、心や生き方も美しいところ。
 あなたが選ぶベストテンは如何に?

長谷川一夫
長谷川一夫



 
おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 喜ばしき降伏:フィルハーモニック・ソサエティ・東京 第10回定期演奏会


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日時 2022年11月6日(日)14:00~
会場 ミューザ川崎 シンフォニーホール
曲目 マーラー:交響曲第3番 ニ短調
指揮 寺岡 清高
メゾソプラノ 中島 郁子
合唱 東京アカデミッシェカペレ
児童合唱 すみだ少年少女合唱団

 前の晩は12時前に床に就いて、たっぷり8時間は寝た。
 9時に朝ごはんを食べて、昼飯は抜いた。
 開演2時間前に最後の水分を取って、開演30分前にトイレを済ませた。
 指定予約した席は1階席の一番前列だった。
 周囲1.5mは空席。
 考えられる限り最高のマーラー第3番を聴く用意が整った。
 これから100分間、待ったなしの一本勝負が始まる。

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ミューザ川崎

 第1楽章が一番の難関。
 長いうえに構成がつかみにくい。
 荒れ狂った波に、右に左に、上に下に、ゆるく激しく、引きずり回される。
 終わったと思ったらまだ続く。
 船酔い寸前!
 最もマーラーらしい、意地悪な楽章と言えなくもない。
 この楽章の狙いは聴衆のぬるま湯的日常を揺さぶり、実存不安に突き落とすことにあるような気さえする。
 寺岡のタクトはきびきびと容赦なく突き進む。

 打って変わって第2楽章は甘ったるさ全開。
 優しいフレグランス満ちるお花畑でしばし夢心地。
 これはもしやケシの花か・・・。

 清新な気が吹き込まれる第3楽章。
 動物たちの躍動と自然讃歌はまるで「ダーウィンが来た!」
 世界は人間なしで完成していた。
 自然も大地も、なんの過不足なく調和していた。
 そこに、唐突に現れるポストホルンの響き。
 人類の登場――。
 生物界にどよめきが走る。

 人間界は深い悲しみと憂いに閉ざされている。
 世界は痛みに覆われている。
 果てしない戦争と自然破壊によって滅ぼされた大地と生き物たち。
 人々の孤独と叶えられなかった祈りが、虚空に残響のようにこだまする。
 第4楽章のメゾソプラノの荘厳な歌唱はあたかも被災地に響く鐘の音のよう。

 天使たちが歌っている。
 天使たちがはしゃいでいる。
 苦しみ多い地上から解き放たれた魂は、永遠を目指して、天使に伴われて飛翔する。
 軽やかに、明るく、屈託なく。
 ちょうど、メフィストフェレスの魔の手から逃れたファウストのように。

 そして・・・第6楽章。
 長い長い歳月を経て、大地は再びよみがえる。
 焦土に降り注ぐ最初の雨。
 廃墟を優しく照らす落日の光。
 大地にあまねく満ちる大宇宙の慈悲が、ふたたび生命の誕生を予感している。
 
地球


 第3番をライブで聴くのはこれが2回目なのだが、ソルティはこの曲の肝をつかんだような気がする。
 第3楽章のポストホルンこそ、全曲の転回点であり、前半と後半をつなぐ要である。
 すなわち、自然界への人類の登場。
 なので、このポストホルンはとっても重要。
 個人的には、傲岸なほどの自信をもってしっかりと吹き鳴らしてほしい。
 (マーラーがどういう指示を出しているかは知らないが・・・)
 何か決定的なことが世界に起きたのだ、もう後戻りはできないのだ、と聴衆に知らしめてほしい。
 その衝撃で、ここまででかなり疲れている聴衆の耳を覚醒させ、集中力を今一度呼び戻し、ドラマチックな後半部に備えさせてほしい。
 声楽が入る第4楽章からは一気呵成に進んでほしい。
 
 第6楽章は、これまで頑張って聴き続けてきたことへのご褒美みたいな感すらある。
 長い紆余曲折があったからこその歓び。
 心も身体もすべて音楽に預けて、喜ばしき降伏の中で感涙に咽ぶのだ。

金山出石寺夕焼け


 マーラー交響曲第3番を、音響のすぐれた立派なホールで、それなりのレベルのオケの生演奏で、庶民価格(1500円)で聴けるという歓びは、なにものにも代えがたい。
 平和と安全と文化的豊かさとが揃わなければ実現しない奇跡である。
 いまの日本に生まれて良かったとつくづく感じる。
 そして、この贅沢な日常ができる限り続くことを祈らざるを得ないし、クラシックを愛する者なら、やはり平和のために何かしなければならないと思うのである。

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終演後、川崎駅前の家系ラーメンでお腹も満たされた
平和ってやっぱり美味しい











 
  
 

● ホモ・ミリターレ 本:『新・戦争論 「世界内戦」の時代』(笠井潔著)

2022年言視舎

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 「考えたくないことは考えない、考えなくてもみんなで頑張ればなんとかなる」という、日本に固有の自己欺瞞的な精神構造を「ニッポン・イデオロギー」と定義し、それが日本社会における「空気」の支配と歴史意識の欠落をもたらしていることを検証した『8・15と3・15 戦後史の死角』(2012年NHK出版)を読んで、ソルティは笠井に大いに共鳴した。
 重要な問題ほど議論を後回しに、決定を先送りにし、いざとなるとその場の空気に引っ張られて成り行き決行するニッポン・イデオロギーは、太平洋戦争(8・15)や福島第一原発臨界事故(3・15)だけでなく、このたびの安倍元首相国葬においても遺憾なく発揮されていた。

 上記書で笠井は、このニッポン・イデオロギーを克服するための処方箋として、「原発拒否」と「親鸞」という2つのキーワードを上げていたが、いまひとつピンと来ないところがあった。
 笠井潔という、たいへんな博識で理論家で鋭い世界認識と深い洞察力をもつ人間が、いったい何を目指しているのか、笠井の政治的立ち位置がどこらにあるのか、よく分からなかった。
 若い頃に学生運動をやっていたことは確かだし、彼の手による『オイディプス症候群』などのミステリーを読めば、いまも左の人・反権力の人であるのは間違いないのだが・・・。

 本書を読んで、やっと笠井の目するところが見えてきた。
 ちょっと驚愕した。
 
 21世紀の今日、アメリカと中国で同時革命が勝利し、樹立された新政府が国際ルールを合意してしまえば、世界はそれに従わざるをえないことになる。ただし、その新権力は、なにもしません。なにもしないことに意味がある。大衆蜂起の自己組織化運動を肯定し、容認しているだけでいい。そして大小無数の自己権力体が下から積み上げられて国の規模まで成長し、あるいは国境を越えて横に連合していく過程で、静かに退場していくこと。なにもしないことを「する」、これが樹立された「革命」政権の仕事ならざる仕事です。

 わたしは全共闘時代にルカーチ主義のコミュニストでした。連合赤軍事件や『収容所群島』の体験からポリシェヴィズムは放棄し、マルクス主義批判に転じましたが、ラディカルであることをやめたつもりはありません。だからリベラリストとは立場が違います。リベラルというのは主権国家、主権権力は否定できないものとして前提にしたうえで、そこから自由の領域を少しずつ拡大していこうという立場です。・・・・・(略)
 ラディカリストが求めるのはリベラル、リバティとしての自由ではなくフリーダムです。日本語にしてしまうと同じ「自由」ですが、リバティとフリーダムの違いについてはハンナ・アレントが『革命論』で論じています。どう違うかというと、フリーダムは権力と関係がないのです。権力に関係した、権力からの相対的な自由ではなく、権力とは無関係である自由、いわば絶対的自由です。

 主権国家・主権権力を否定し絶対的自由の獲得を目指すというと、反国家主義・反近代主義の無政府主義者のように思えるが、このへんの正確な定義はソルティにはわからない。
 笠井が最終的に目しているのは「世界国家なき世界社会」というもので、それを実現する手段は、「自治・自律・自己権力を有する無数の集団を下から組織し、近代的な主権国家を解体していくこと」だという。
 う~ん。ソルティの貧困な想像力では今ひとつイメージが結ばれない。
 ともあれ、ここまでラディカルな人だとは思わなかった!
 もはや社会主義者・共産主義者という枠組みにすらはまらない。

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 本書は、『自閉症裁判』『ルポ 認知症ケア最前線』『評伝 島成郎』などの著作をもち、『飢餓陣営』という批評誌を発行している佐藤幹夫の問いかけに対して笠井が答えるという形式をとっている。
 語り言葉なので読みやすい。
 一番の特色は、「戦争論」と冠しているように、近代以降の戦争の特質の変容についての笠井の解釈が呈示されていることである。
 近代以降の戦争を、19世紀の国民戦争(植民地をめぐる列強同士の戦争)⇒20世紀の世界戦争(第1次、第2次世界大戦~冷戦)⇒21世紀の世界内戦(湾岸戦争~アメリカ同時多発テロ~現在)という3つの時代区分でとらえ、それぞれの特徴を世界情勢と絡めてわかりやすく説明している。
  • 国際法というルールの下で“紳士的”に行われた国民戦争は、日露戦争を最後に途絶えたこと。
  • 世界戦争とは、国家間の争いを終結してくれる強い力を持つ“メタ国家”を抽出するための、国家総動員体制による勝ち抜き戦であったこと。
  • その勝者となったアメリカの覇権と核の平和によって一時は「歴史の終わり」が宣言されたものの、2001年9月11日の同時多発テロを契機にアメリカもまた世界国家(世界警察)としての地位から転落したこと。
  • 世界はいまや複数の国家や武装ボランティア組織や民間軍事組織などが入り混じる、大義もルールもない修羅場と化し、いわば世界内戦の状態にあること。
  • また、近代的な福祉国家というものが、国家総動員を旨とする世界戦争の国内体制として必然的に生じたこと。
  • それが世界内戦時代への移行によって「自国ファースト」の新自由主義に取ってかわり、福祉政策の縮小や排外主義や格差社会をもたらしたこと。
  • 秋葉原事件の加藤智大、やまゆり園事件の植松聖など、いわゆる“中流”の没落によって疎外された者の暴力はこうした文脈でとらえることができること。
 まさに戦争こそが人間社会を駆動する力学であり、人間社会の質を定めていく主要モチーフであることがまざまざと解き明かされていく。
 人類はホモ・サピエンスならぬ、ホモ・ミリターレ(homo militare たたかうヒト)なのだ。

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剣の騎士

 次に、こういった世界情勢の変貌のもと、日本はどんな立場に置かれてきたかが概観される。
 鎖国で近代化の遅れた日本は、明治維新後、懸命に近代化をはかり、列強の仲間入りを果たそうとした。
 その成果が、不平等条約の改正と、国民戦争の形式で行われた最後の戦いである日露戦争の勝利であった。
 その後、世界戦争で敗北し、憲法9条と日米安保で縛られる“アメリカの犬”となった。
 アメリカの傘の下、奇跡的な復興を果たし、戦後70年以上続いた平和と経済的発展を謳歌した。
 その歴史上稀なるお花畑的安寧も、バブル崩壊と世界王者アメリカの権威失墜と世界内戦の始まりによって風前の灯火となっている。
 北朝鮮の挑発やロシアのウクライナ侵攻や中国の脅威を前に、天皇と日米安保と平和憲法と沖縄問題の四すくみで動きが取れなくなっている。
 その根本的な原因は、日本の「不徹底な敗戦」にある。必要なのは「本土決戦」のやり直しだ、というのが笠井の説である。

 日本の「68年」世代がドイツの同世代と違ったのは、親たちの思想的不徹底性と退廃がさらに痛切に感じられた点でした。なにしろ本土決戦さえやらないで、天皇を担いで一目散に逃げだしたわけだから。親たちの世代が自己保身から不徹底な「終戦」に逃げ込み、悪かったのは軍閥や戦争指導部で、自分たち一般国民は軍国主義と侵略戦争の被害者だと居直っている。その結果の平和で豊かな戦後民主主義社会には、その根本のところで倫理的な欠落や空白があって、そのため自分たちは生の不全感を抱え込んで苦しんでいる。この空虚感を埋めて本当に生きるためには、親世代が自己保身的に放棄した本土決戦を再開し、最後までやりぬくことだ・・・・・。

 ここまで率直に内面を開示してくれた全共闘世代の発言を見るのは初めてかもしれない。
 むろん、すべての全共闘世代の思いを代弁するものではなかろうが、彼らの親世代に対する不信感の根底にはこのような感情があったのかと、腑に落ちるものがあった。
 しかし、今の時代にやり直せる「本土決戦」とは何なのか。
 それに対する笠井の答えが面白い。
 「移民を無制限に受け入れること」である。

 そうなると市民社会のいたるところで、隣近所レヴェルでも言葉の通じない外国人と否応なく付き合わなければならなくなる。ごみの捨て方を教えるというレヴェルから始めて、さまざまなコミュニケーションの努力が求められることでしょう。・・・(略)・・・国家の統治形態でない本物の民主主義は、さまざまな国や地域から吹き寄せられてきた、難民のような人々が否応なく共同で生活する場所、先住民と移民とが雑居していたニューイングランドや、カリブ海の海賊共同体のような場所で生まれます。(ゴチはソルティ付す)

 つまるところ、笠井の言う「本土決戦」の先にある徹底的な敗戦とは、ニッポン・イデオロギーや天皇制のような“国体”を棄却して、他者との共生から生まれる新たな共同体、本物の民主主義を生み出すためのガラガラポンなのだろう。
 せっかくの無条件降伏によって日本は(ドイツのように)生まれ変わる機会を得たのに、GHQの戦略による中途半端な占領政策=敗戦処理によってその機を逸してしまった、ということだ。
 笠井のこの見解が的を射ているものなのかどうか、ソルティには判断できない。
 広島や長崎への原爆投下ほどの決定的な本土決戦=敗北があるのか、という異論も出てこよう。
 もし、1945年に皇統が絶たれ天皇制が廃止されていたら、何か大きな変容が日本人に訪れていただろうか?(安保闘争以上に、天皇制復活運動が盛り上がったのではあるまいか)

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教皇

 本書の発行は2022年9月30日だが、佐藤による笠井へのインタビューは2020年9月と2022年6月の2回に分かれている。
 ロシアによるウクライナ侵攻という異常事態の発生を機に、2回目のインタビューが持たれた。
 第3章では、世界内戦時代を背景とするロシア×ウクライナ戦争について論じられている。
 ここでも国民戦争⇒世界戦争⇒世界内戦の流れの中でロシア=ソ連がどのような立場にあったかが検証されるとともに、ロシアの核使用の現実性やメディア戦略を組み入れたハイブリッド戦争の様相が語られる。
 アメリカやNATO諸国が唱える「武力による現状変更は許さない」という一見“正義の味方”的言説が、実質的には既得権を持つ国家の権益維持であるがゆえ、既得権を持たぬ国々に対しては何ら説得力を持たず、戦争の抑止にはつながらないというのはもっともなところ。

 本書を手に取ったのは、国防について考えるための『蒙古襲来』『新・国防論』に続く教材第3弾としてであった。
 早くも第3弾において、ソルティは自らの限られた視野と思考の壁を思い知った。
 なぜなら、本書は戦争論は語っていても国防は語っていないからである。
 日本という主権国家をあくまでも守らなければならないというのが国防論であるなら、主権国家の否定すら射程に入れる本書は国防論ではない。
 そう、何のための国防なのかという視点がそもそもソルティには欠けていた。
 領土や国体やニッポン・イデオロギーを守るための防衛なのか。
 それとも市民――行政機構として国の下に置かれる「市」の民という意味ではなく、自己決定権を持った自立した自由な個人という意味での市民――を守るための防衛なのか。
 
 国家を守るための国防軍か、市民を守るための市民軍か。この選択を正面から提起しなければならない。市民軍の本格的な組織化に向けて構想を練る必要があります。個人や家族、自立的な民間組織を基礎的な戦闘単位として位置づけるとか、それを自治体ごとに集約するとか。絶対主義の常備軍以来の中央集権的な軍隊に対する、分散的に自由に運動する小規模な戦闘単位が、必要な場合は集結して戦えるような下からの組織。反復訓練によって、規範を内面化し身体化する規律訓練システムは、軍隊からはじまって監獄や病院から学校や工場にまで広まったわけですが、それとはまったく異なる分子的な戦闘主体を産出しなければならない。
 自衛隊の国軍化に9条平和主義を対置するのではなく、現代的な戦争機械として市民軍の組織化を対置すべきです。

 人民の権力は憲法という紙切れの中にあるのではない、議会という閉じられた特権的な場所にあるわけでもない。人民の権力は街頭から生じる。蜂起する大衆の意志こそが人民主権の実質をなしている。

 笠井潔は本気である。
 青雲の志をかくも失っていない男も珍しい。
 「凄いな」と思う一方、連合赤軍や革マル派の残党と同じく、見果てぬ夢を追い続けている少年革命家(ゆたぼん?)という印象を拭うこともできない。
 笠井の目する世界の実現を信じるには、ソルティはあまりに性善説からほど遠い。
 もっとも、ソルティがたまに夢想するアーサー・C・クラーク的世界平和プロセス――圧倒的な力を持つ宇宙人が飛来し、地上の独裁者や核を一瞬のうちに消滅させ、既存の国家機構や差別的な制度を取っ払って、地上に平和をもたらしてくれる――にくらべれば現実性があるけれど。

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愚者
 



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 




● ポワロ殿と13人 TVドラマ:『オリエント急行殺人事件』(三谷幸喜脚本)

2015年フジテレビ放映
前編170分、後編163分
原作 アガサ・クリスティー
監督 河野圭太

 フジテレビ開局55周年特別企画として制作された5時間を超える長編ドラマ。
 三谷幸喜の脚本と豪華キャストが話題となった。 

 原作や海外での2度の映画化作品と大きく違うところは2点。
 一つは、原作と同じ1930年代前半を時代設定にしながらも、場所がヨーロッパから日本に変換されている点。
 登場人物はすべて日本人であり、下関から東京に向かう豪華寝台列車「特急東洋」(英語にするとオリエント)が殺人現場に設定されている。
 この変換は、原作に見られる豊かな国際色や乗客の多様性の面では興趣を削がれている感なきにしもあらずだが、そこは島国で多民族国家でない日本ゆえ、致し方ないところ。
 おおむね、不自然さを感じさせない変換に成功している。
 もちろん名探偵ポワロもベルギー人から日本人・勝呂(すぐろ)に変換されている。

 いま一つは、犯罪が起きてから事件が解決するまでを描いた原作や映画化作品とは違って、犯人が犯行に至るまでの経緯をじっくりと描いた点。
 つまり、列車の中での殺人事件発生とポワロの活躍が中心となる探偵視点の前編に加えて、犯行の動機となった過去の出来事や犯罪計画実施に至るまでの苦心惨憺を描いた犯人視点の後編が付け加えられている。
 別の言い方をすれば、推理ドラマに加えて人間ドラマの味が濃厚になっている。

 むしろ、本作の大きな特徴はこちらのほうにあるだろう。
 脚本家である三谷の創作モチベーションを高め、腕の見せどころと言えるのも前編より後編にある。
 それがうまく行っているかどうかは、原作ファンそれぞれの感想にまかせるほかあるまい。
 ソルティ自身は、2017年にケネス・ブラナー監督&主演で映画化された作品のほうが、人間ドラマとして感動大であった。
 三谷は根がコメディ作家であるので、観る者に瞬発的な衝撃は与えられても、深い人間悲劇を描くには向かないように思う。いまやっている『鎌倉殿の13人』を観てもそれは感じる。
 とは言え、クリスティの原作から想像を発展させて犯人たちの心模様や人間関係を描こうとしたチャレンジ精神は、敢闘賞に十二分に価しよう。
 なんと言っても、5時間超えのドラマを退屈させずに見せる筆力は尋常ではない。

蒸気機関車
 
 ポワロ(勝呂)役の野村萬斎、ハーバード夫人(羽鳥夫人)役の富司純子――2015年の映画ではミッシェル・ファイファーの好演が光った――が芝居巧者ぶりを発揮している。
 轟侯爵夫人(草笛光子)のメイドを演じる青木さやかも意外なうまさ。お笑いタレントの印象が強いが、もはや立派な女優だろう。
 『鎌倉殿』でも重厚感と存在感を見せつけた西田敏行と佐藤浩市の至高のバイプレイヤーぶりは言うまでもない。この二人は三國連太郎で結びついてるのだな、きっと。
 


 
おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 本:『コールセンターもしもし日記』(吉川徹著)

2022年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 フォレスト出版の××日記シリーズを、ソルティは基本近所の図書館で借りているのだが、新刊は大人気でいつも順番待ちとなる。
 本書は予約してから3ヶ月以上待った。
 同じ日に予約した『住宅営業マンぺこぺこ日記』は現時点で5人待ち、『ディズニーキャストざわざわ日記』は8人待ちである。
 忘れた頃に通知がやって来る。

 最近は書店の平棚に並んでいる本シリーズを見ることもある。
 版元としては、10作を超える思いがけないヒットにびっくり&ホクホクだろうが、決め手はやはり中味。うまい書き手が揃っている。
 不安定な労働条件やきびしい労働環境に翻弄されながらも、決して捨て鉢になることなく家族や生活のために働き続け、若い頃夢見たのとは違ってしまった人生を粛然と受け入れようとする書き手たちの姿が共感を呼ぶ。 

 本作もコールセンターにおける仕事の実態が赤裸々に描かれて、興味深かった。
 クレーム電話の伏魔殿とも言えるコールセンターで、派遣社員として働いてきた著者(1967年新潟生まれ)の喜怒哀楽。
 食品店や相談業務や介護現場といった対人業務を渡り歩いてきたソルティ、身につまされた。
 客あるところクレームあり。
 人あるところ変人あり。
 モンスタークレーマーはどこにでもいるものだ。

モンスター
オレは悪くない!

 著者は今、コールセンターから足を洗って、障がい者の介護現場でイキイキと働いているらしい。
 介護現場もまたクレームはつきもの。
 でも、それ以上に感謝されること多く、人や社会の役に立っているという自負も得られる。
 電話とは違って、相手の笑顔も見られる。体温も感じられる。
 全身を使う仕事なので、肩や腰に気をつければ、健康にも良い。
 コールセンターの仕事で身に着けた忍耐力やコミュニケーション力が生かされているようでなによりだと思う。
 体に気をつけて頑張ってほしい。
 いや、介護現場に携わる同じ50代、互いに頑張りましょう。


 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







● 粛清された官能 クラースヌイ・フィルハーモニー管弦楽団 第4回定期演奏会


 クラースヌイとはロシア語で「赤」あるいは「美しい」「情熱」を意味する言葉だという。
 2018年に発足した20~30代中心のアマオケで、ロシア音楽を中心に演奏している。
  
 発足時にはよもや今のような状況になるとは思わなかっただろう。
 ロシアのウクライナ侵攻が始まって、ロシアの国際評価は急降下。
 海外で活躍するロシア出身の音楽家たちも肩身の狭い思いをしている。
 配布プログラムによれば、当オケの団長さんも、「このままロシア音楽中心のオケでいいものだろうか」と逡巡したそうだ。
 
 しかし、音楽自体に罪はないこと、そして、特定の国家の文化をすべて拒絶してしまうことは、その国家への差別や偏見を生み、果ては惨事を生み出す基となると考え、音楽活動を継続することを決意しました。(第4回定期演奏会プログラムより抜粋)
 
 そのとお~り!
 音楽にお国柄はあっても国境はない。
 むしろこういう時期だからこそ、人間らしさ・庶民らしさてんこ盛りのロシア音楽の神髄を市民に送り届けて、ロシア国民もまた日本人を含む全世界の人々同様、赤い血潮に満ち、愛する人のために熱い涙をこぼす人間であることを訴えてほしい。

クラースヌイ演奏会


日時 2022年10月29日(土)18:00~
会場 和光市民文化センター・サンアゼリア大ホール
指揮 山上 紘生
曲目
  • 伊福部 昭: SF交響ファンタジー 第1番
  • G. スヴィリードフ: 組曲《時よ、前進!》
  • A. モソロフ: 交響的エピソード《鉄工場》
  • D. ショスタコーヴィチ: 交響曲第1番 ヘ短調
サンアゼリア
和光市民文化センター・サンアゼリア

 まずもって選曲のユニークさに惹かれた。
 《SF交響ファンタジー第1番》は、伊福部昭が音楽を担当した東宝の『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『宇宙大戦争』『フランケンシュタイン対地底怪獣』『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣総進撃』の6本の特撮映画の楽曲から構成されている。
 幼い頃からスクリーンやTVモニターを通して聴いたことある曲ばかりだが、生演奏で聴くと迫力が違う!
 金色に輝くチューバの巨大な朝顔部分を、キングギドラの首と錯覚した。

 映画音楽作家としての伊福部昭の才能はいまさら言うまでもないところだが、ソルティが特に感心したのは、東宝の『日本誕生』である。
 古代が舞台の物語において、ヤマト(和風)、熊襲(中国・朝鮮風)、蝦夷(アイヌ風)と場面ごと民族ごとにふさわしい調子で書き分ける器用さには舌を巻いた。
 昨今、『砂の器』などシネマコンサートが流行りであるが、デジタルリマスタ―した『日本誕生』も上演候補リストに入れてもよいのではなかろうか。
 アマテラスを演じる原節子の類なき美貌や、ヤマトタケルを演じる三船敏郎の名演とともに、伊福部の天才を若い人々に伝導する機会となること間違いなし。

 G. スヴィリードフとA. モソロフは初めて耳にする名前。
 むろん曲を聴くのも初めて。
 組曲《時よ、前進!》は、1965年にソ連で上映された同名のドラマ映画のために作られた。1930年代の製鉄所を舞台とする話だとか。
 一方、交響的エピソード《鉄工場》は、1926年に作曲された短い(たった4分)管弦楽曲。タイトル通り、人類初の社会主義国家として誕生したばかりのソ連の製鉄所の風景が描かれている、いわゆる叙景音楽。
 製鉄という共通項がある。

 ソ連の国旗を見ると分かるが、鎌と槌こそは農民と労働者階級との団結を示し、共産主義の最終的勝利を象徴するシンボルだった。
 リズミカルに力強く響きわたる鉄打つ槌の音に、指導者も人民も、古い世界を打ち壊して新しい世界を創造する「希望と力と連帯」とを感じ取ったのだろう。
 いまや100年も昔の話である。
 《鉄工場》の最後のほうに、舞台上で実際に鉄板を木槌で打ち鳴らす箇所がある。
 プログラムには、理想の鉄板を求めて徳島の鉄工所まで旅する団員達のエピソードが載っていた。
 苦労の甲斐あって、本番では「希望と力と連帯」を感じさせるイイ音を発していた。
 鉄板奏者に限らず、全体的に金管楽器奏者の奮闘が目立った。 

ソ連国旗

 最後のショスタコーヴィチ。
 衝撃的であった!
 ソルティは今年1月に、東京大学音楽部管弦楽団の定期演奏会でショスタコーヴィチを初めて聴いた。
 交響曲第5番《革命》、指揮は三石精一であった。
 そのときに、スターリン独裁の地獄と化してしまった全体主義国家における、一人の芸術家の苦悩と鬱屈、抑圧され歪んでしまった才能を感じ取った。 
 滅多にない素晴らしい才能であるのは間違いないけれど、ショスタコーヴィチの本来の感性や生まれもっての個性が不当に歪められ押し潰されている。
 そんな印象を受けた。

 今回衝撃だったのは、第1番を聴いて、ショスタコーヴィチの本来の感性や個性がいかなるものであるか知らされた気がしたからである。
 そう、第1番作曲は1925年。誕生して間もないソ連では革命の英雄レーニンが亡くなり、スターリンが最高指導者に就いたばかり。ショスタコーヴィッチはまだ19歳の学生だった。
 スターリンによる大粛清が始まったのは30年代に入ってからなので、この頃はまだ自由に好きな曲が作れたわけである。
 1937年に作られた第5番との曲想の違いがとてつもない。
 同じ作曲家の手によるものとは思えないほどだ。
 
 なにより驚いたのが、全曲に染み渡っている〈美と官能〉。
 まるでワーグナーとシェーンベルクの間に生まれた子供のようではないか。
 とりわけ、第3楽章、第4楽章のエロスの波状攻撃ときたら、客席で聴いているこちらのクンダリーニを刺激しまくり、鎖を解かれた気の塊が脊髄を通って脳天に達し、前頭葉からホールの高い天井に向けて白熱する光が放射されている、かのようであった。
 こんなエロチックで情熱的な作曲家だったなんて!
 まさに、モーツァルト、マーラー、ワーグナー、サン・サーンス、シェーンベルク、モーリス・ラヴェル、R.シュトラウスら“官能派”の正統なる後継ではないか。(スクリャービンは聴いたことがありません、あしからず)
 
 クラシック作曲家の才能とは結局、音を使って「美」を表現する天賦の才のことだと思うが、その意味ではショスタコーヴィチの天賦の才は、ひょっとしてワーグナーやマーラーを超えるものがあったのではなかろうか。
 というのも、19歳でこのレベルなのだから。
 交響曲第1番は、これから作曲家として世に出ようとする将来有望な若者が、美の女神に捧げる贈り物であると同時に、人生を音楽にかける決意といった感じ。
 この才能が、体制によって歪められたり矯正されたり忖度を強いられたりすることなく、そのまま素直に伸びていったら、どんなに凄い(エロい?)作曲家になっていたことだろう。
 いや、いまだって十分に凄いわけであるが、進取の気と創造力と愛欲みなぎる人生の数十年間を、無駄に費やしてしまったのではないか?と思うのである。
 
 この美と官能の世界に見事にジャンプインして、巧みに表現した山上紘生には恐れ入った。
 初めて接する指揮者であるが、貴公子然とした清潔感あふれる穏やかな風貌の下には、おそらくエロスと情念の渦がうごめいているのだろう。
 若いオケとの相性もばっちり。

 次回(2023年3月11日)は、ショスタコーヴィチ第7番《レニングラード》をクラースヌイ&目白フィル合同で振るという。
 これは聴きに行って事の真偽を確かめなければ。
 
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 ホール内にあったハロウィン飾り
 




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