1994年春秋社
2005年新装版
タイトルだけは有名なこの本をソルティは読んでいなかった。
フランキー堺主演による1950年版(脚本&監督は橋本忍)、および中居正広主演の2008年版(監督は福澤克雄)、2本の東宝映画あるのは知っていたが、未見である。
これは、しかし、原作を最初に読んで正解だった。
加藤哲太郎は元陸軍中尉で、敗戦時は東京俘虜収容所新潟第五部の所長をしていた。
終戦後に連合国軍(米国、カナダ)の捕虜虐待&殺人の罪で逮捕され、死刑の判決を受ける。いわゆるBC級戦犯である。
が、妹の不二子はじめ家族や友人知人たちの強力な助命嘆願運動が功をなし、ついに、「泣く子もだまる」マッカーサー元帥を動かす。
裁判のやり直しが命じられ、結果、殺人については無罪が証明され、死刑撤回。
10年弱の囚役ののち、社会復帰を果たした。
軍事法廷の判決が、マッカーサー直々の裁量で破棄されたのは、これが唯一の例だった。
その意味で「奇跡の人」と言っても過言ではあるまい。
本書は加藤哲太郎自身による獄中手記で、逃走中に逮捕された経緯から、絞首刑の判決を受け、その後判決が破棄されるまでの一連のことが書かれている。
まず、意外だったのは、初稿の段階では「私は“カキ”になりたい」だったという点。
加藤は、1952年に『狂える戦犯死刑囚』というタイトルの手記(本書に収録)を書いたが、それが1953年光文社発行『あれから七年』という本に収録されるに際し、「カキ」が「貝」に変わったそうだ。
カキも貝の一種だから大きな変更ではないが、「私はカキになりたい」ではインパクトが弱かったろう。
カタカナ表記だと「カキ→柿」と頭の中で第一変換されやすいし、「牡蠣」と書くと読めない人が多い。
貝で正解だった。
また、ソルティは貝のイメージとして、口をしっかり閉ざしている様を想起するので、「私は貝になりたい」とは「絶対に喋らない」という黙秘権の行使、あるいは誰か(国家?)にとって不都合な証言の拒否を意味しているのかと想像していた。(英語の成句に「カキのように口が堅い(as close as an oyster)」がある)
しかし、そうではなかった。
なんとこれは、「次に生まれ変わるとしたら、私は貝になりたい」という作者の輪廻転生願望だったのである。
こんど生まれかわるならば、私は日本人にはなりたくありません。いや、私は人間にもなりたくありません。牛や馬にも生まれません。人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。戦争もない。
上記は死刑判決が破棄されたあとに獄中で書いたものである。
作者の人間不信、日本人に対する絶望、戦争嫌悪が、一言で集約されている言葉が、「私は貝になりたい」だった。
作者がそのような思いを抱くようになった背景については、本書を読んでほしい。
『人間の條件』の主人公梶と同じような理不尽と残虐を味わい尽くし、生きる希望を失ったことがわかる。
映画を観る前に本書を読んでよかったと思ったのは、『私は貝になりたい』は映画に先んじてテレビドラマとして放送され大反響を呼んだのだが、その際に脚本を書いた橋本忍は、原作者の加藤に会うことはおろか、一言も作者に了解をとらず、加藤の手記を剽窃したからである。
加藤は㈳日本著作権協会に解決あっせんを求めるが、橋本側はこれを無視。
すったもんだあって、業を煮やした加藤は著作権法違反で刑事告訴状を東京地検に提出。
ついに橋本は和解のテーブルに付き、原作者としての加藤の権利を認めた。
最初に加藤と会った際、橋本は、剽窃したことを一切認めず、その上、「このまま沈黙してくれるなら10万円を出します。それは私のポケットマネーであって原作料ではない」と言い放ったという。
なんて卑劣な男だ!
ソルティの中の橋本忍株が大幅に下落した。
『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『蜘蛛巣城』、『ゼロの焦点』、『切腹』、『白い巨塔』、『上意討ち 拝領妻始末』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』、『砂の器』、『八甲田山』等々、日本映画史に燦然と輝く傑作を数多くものしてきた、日本が世界に誇る名脚本家。
が、脚本家として“人間を描く&ヒット作を作る”才能があることと、作家自身の人間性は必ずしも相関しないという、人間性の真実をまた一つ知らされた。
この件については、「貝のように」黙ったままでいなかった加藤はえらい。
「えらい」と言えば、加藤哲太郎の妹不二子である。
不二子は、哲太郎が死刑判決を受けるや、助命嘆願運動を開始した。
つてを頼って著名人に嘆願書を書いてもらい、哲太郎の友人知人に署名運動を手伝ってもらい、捕虜殺人事件の事実関係を調べるため新潟まで出向いて、多くの関係者から当時の模様を聴き、有力な証言や証拠を見つけ出す。
果ては、皇居お堀端にあったGHQに乗り込み、マッカーサーへ直訴状を届ける。
この不二子の果敢な行動力がなかったら、哲太郎はそのまま死刑になっていただろう。
ここで連想するのは袴田秀子さんである。
1966年静岡県で起きた強盗殺人事件で逮捕され死刑が確定した弟・袴田巌さんの無罪を信じ、58年間闘い続け、今秋ついに無罪を勝ち取ったことは周知のとおり。
姉妹の力というものをつくづく感じる。
一方、加藤哲太郎と同じBC級戦犯で冤罪により死刑になった者はたくさんいたはずである。
加藤の場合、父親が有名なロシア文学者だった(日本で初めてのトルストイ全集の翻訳者)、当時の片山哲内閣総理大臣は父親の中学時代の同級生、キリスト教の社会運動家として有名な賀川豊彦は父親の明治学院神学時代の同級生、トルストイの三女からも支援を受けた、など強力な援軍がいた。YWCAやYMCAといったキリスト教系団体のバックアップもあった。
おそらく、死刑撤回は、こうしたGHQが無視できない縁や政治的背景が物を言ったのであり、必ずしもマッカーサーの寛容さだけに帰せられるものではあるまい。
天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。そして日頃から常に御勅諭の精神を、私の精神としようと努力した。私は一度として、軍務をなまけたことはない。・・・・・・(中略)・・・・・・私は殺されます。そのことは、きまりました。私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。ですから、もう貸し借りはありません。だいたい、あなたからお借りしたものは、志那の最前線でいただいた七、八本の煙草と、野戦病院でもらったお菓子だけでした。ずいぶん高価な煙草でした。私は私の命と、長いあいだの苦しいを払いました。ですから、どんなうまい言葉を使ったって、もうだまされません。あなたとの貸し借りはチョンチョンです。あなたに借りはありません。もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決して、あなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。
無実の罪で獄中にとらわれ死刑判決を受けたいま、やっと、自らが天皇に、国家にだまされていたことに気づいた加藤哲太郎。
子供のころから受けてきた天皇を神とする皇国教育、軍国主義教育の呪縛がやっと解けたのである。
洗脳からの解放。
同じように天皇を恨む声を挙げた三島の「英霊」たちと、ちょうど反対の立場である。
「英霊」たちは、死してなお、あくまでも皇国幻想に執着している。天皇が人間宣言したことに憤っている。
幻想の中に閉じ込められている者は、生まれかわっても、同じところにしか生を受けない。
戦争は、人間を発狂させる。死ぬか生きるかという、せっぱつまったとき、あらゆる価値が転倒する。殺人がもっとも大きな美徳とされるのが戦争である。自分が人を殺す、また仲間の兵隊が敵に殺されるのを見る、そして自分もまた、いつなんどき殺されるかわからないという心理が支配的となったとき、人間は発狂するのである。発狂の原因が取りさられてふたたび冷静が彼を支配したとき、あの時なぜ自分はあんな馬鹿なことをしたのか、ふしぎでたまらないのである。気の小さい、虫も殺さないような、しかも一応の教養のある人までが、いったん発狂すれば、大それたことをやらかすのだ。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損