ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 映画:『戸田家の兄妹』(小津安二郎監督)

 0121941年松竹映画。

 まずは音の悪さにがっかり。
 古いフィルムだから仕方ないのだが、こうしてみると、映画という表現形式は文学や音楽にくらべると、非常に脆いものであることが知られる。
 文字や楽譜は新たに書き写して、作品を元通りに再現することができる。作品そのものが失われる心配はまずない。絵画や彫刻や建築物も時の浸食を受けやすいけれど、フィルムの方が脆弱性では勝っていよう。500年前の絵画は今も残っていて鑑賞することができるけれど、わずか60年目のフィルムでさえ、途中で観るのを止めようかと思うほどの劣化ぶりである。
 もちろん、現在では作品をきれいなままデジタル化して保存もコピーもできるようになった。けれど、DVDは電気がなくなれば単なる円盤に過ぎなくなる。

 とは言え、やはり小津映画。観る価値は十分にある。
 構図の見事さ、日本家屋や女性の着物姿の美しさ(それをもっとも感得させるのが葬儀のシーンであることは奇妙である)、人の消えたショットの含蓄ぶり、セリフ回しの品の良さ、家族内で起こるちょっとしたすれ違いにドラマを生み出す冴えた演出(高峰三枝子演じる三女が、義姉に夜ピアノを弾くのを止めるよう頼みに行くシーンなど、凡百のサスペンス映画が吹っ飛ぶほどのドキドキ感がある)。8年後の『晩春』から始まる小津絶頂期の序章をここでは確認することができる。

 あらすじから言っても、この作品は『東京物語』(1951年)の雛型であろう。
 名士であった夫の急死と共に屋敷を失った後、肩身の狭い思いをしながら娘や息子の家を転々とする年老いた妻(葛城文子)と三女(高峰三枝子)。その不憫な姿は、『東京物語』の上京した老夫婦(笠智衆と東山千栄子)の姿に重なる。
 長男の家でも長女の家でも厄介者扱いされて、行き場を失った二人は、『東京』では熱海の旅館に、『戸田家』では鵠沼の荒れた別荘に追いやられる。二人に親切にする唯一の人間として、『東京』では原節子演じる義理の娘の紀子、『戸田家』では佐分利信演じる次男昌次郎とが配される。
 『戸田家』では、母と娘は、昌次郎と共に大陸で暮らすことに決まり、ハッピーエンドとなるが、それだけにそこに至るまでの他の兄妹の邪険な仕打ちは無情に描き出される。父親の一周忌に集まる兄妹の面々を非難する昌次郎の矛先も容赦ない。親の恩を忘れ、年老いた親を大切にしない身勝手な子供たちに対する小津監督自身の怒りが爆発している感がある。戸田家の兄妹たちが名門を鼻にかけていることも怒りを増幅する効果がある。
 一方、『東京』はどうだろう?
 設定こそ似ているが、ここでは最早、身勝手な娘や息子に対する怒りはほとんど感じられない。『戸田家』と違い、一族が日々の生活に追われる庶民であることにもよるが、子供には子供の生活があり、家庭があり、仕事があり、日々の雑事がある。そんな中、親の居場所はつくりたくてもつくれないのである。決して恩知らずなわけではない。老夫婦に親切な紀子が、戦争で夫を亡くした寡婦であり、子供の持たない身であることは、偶然ではあるまい。新しい自分の家族を持つことは、生まれ育った古い家族を捨てることなのだ。

 すべて動物は我が子の面倒を見るようプログラミングされている。それは種の保存に関わる本能である。
 しかし、自分を生み育ててくれた親を死ぬまで面倒を見る動物はいない。それはそもそも本能に書き込まれていない行為なのである。
 唯一、人間だけがその行為をやることができる。本能でなく、文化として位置づけたことによって。(もちろん、愛も感謝も恩も義理も文化である)

 『戸田家』ではこうした一つの文化が時代と共に失われていくことを嘆き憤った小津が、『東京』ではある種の諦観と受容において映画を撮っているように思える。
 それとともに、『戸田家』ではほとんどない自然描写が、『東京』では頻繁に取り入れられる。生いること、老いること、別れること、死ぬこと。あたかも、人間も自然も同じ宿命のうちにあると達観しているかのように。

 文化が壊れていくことの焦りと憤りは、わずか12年の歳月を経て、哀しみと諦念に変わった。
 1941年から1953年。
 その間に小津監督自身に何があったかは知るよしもない。
 何が日本にあったかは言うまでもない。



評価: B-

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 子供には勧めたくない:岩殿山(634m)から稚児落し

岩殿山 006●12月23日(金)晴れ

●ルートとタイムスケジュール
09:30 JR中央線・大月駅着
      歩行開始
10:40 岩殿山頂上着
      休憩
11:10 岩殿山出発
12:50 稚児落し着
      昼食
13:30 下山開始
14:10 富士急都留中央バス乗車
      歩行終了
14:15 大月駅着

●所要時間 4時間40分(=歩行3時間30分+休憩1時間10分)


 大月駅の近くにいかめしく構える異様な岩山。
 山頂からの富士山がすばらしいというので、一度は登ってみたいと思いながら、容易に人を寄せつけないオーラーを発している岩殿山。さすが、戦国時代に要塞堅固な城として名を馳せただけある。 
 
 前回は通常のルートとは逆からせめてみて、途中山道に迷ってさんざんな目にあった上、結局岩殿山まで辿り着けなかった。今回は、正攻法、岩殿山から稚児落しのコースをとった。

 岩殿山は階段が整備されているし、木々も少ないので、山登りという感じはしない。大月市街を見下ろしながら、ひたすら段を上り、高度を上げていく。

岩殿山 001 山頂からの景色は評判通り。
 ほぼ360度、山々が大月市を囲んでいる様が確認できる。平野が帯のように細くなって遠のいていく先には、山々を従えた富士山がひときわ高く空中に浮かんでいる。
 雲が多く、壮麗にして高貴なお姿をなかなか見せてくれなかったが、待っていたら、一瞬、幻のように全容が垣間見られた。

 富士山をかくまで貴くしているのは、どんなに近いところからでさえ、いつも必ず姿が見えるわけではないというところにある。
 前に、富士山の裾野にある公営施設で研修をしたときのこと。前日の午後に宿舎に入ったとき、霧でまったく周囲の景色が見えなかった。翌朝、起きて窓の外を見たら、真ん前に完璧な富士山が視界に入りきらぬサイズで出現していた。

         岩殿山 002


 山頂は陽がよく当たりポカポカして気持ちいい。ここで昼食にしたいところだが、我慢我慢。
 ここから稚児落しに向かう道がわかりにくい。表示が目立たず、最初は反対方向に歩いてしまった。
 前回も感じたが、どうも稚児落しへの道標が不親切である。大月市はなんとなく稚児落しへの登山者・観光客の入山を抑えたいと考えているのではないか、と思ってしまう。(その気持ち、わからなくもない)

岩殿山 003 やっと道を見つけて、築坂峠を経て、鎧岩に。
 ここの岩場は、手に汗握るスリルが味わえる。
 手すりやロープや鎖などがちゃんと張り巡らされており、登るのには苦労しないよう整備されてはいるが、足下は切り立った崖である。気を抜いて足を滑らせると、岩壁からまっさかさまに転落する危険がある。
 マジこわい。ここでのおふざけは禁物である。

 鎧岩から延々と尾根を歩く。
 片側(左手)は遮るもののすくない素晴らしい景色が続く。
 いい加減に休憩がほしくなった頃に、一登りで、いきなり稚児落しの大絶壁が現れる。
 面白いことに、稚児落しの大絶壁は、稚児落しに至るまでは視界に入らない。そして、稚児落しを離れるとすぐに視界から消えてしまう。稚児落しにいるときだけ、その驚くべき凄絶な景観が現れるのだ。
 おそらく、大月市のどこかの平地からこの大絶壁が口を開けているのが見えるはずである。(大月駅周辺からは見えない。) 下から見たらどう見えるのか、いつか確認したいものである。 
 
岩殿山 005 大月市に向かい西から南へ、垂直に切り立ったL字型の凄絶な岩壁。
 上からのぞくのにも勇気がいる。
 しかも、崖の突端には手すりも安全ロープも防護柵もない。足を滑らせたら、間違いなく一巻の終わりである。
 ここなら飛び降り自殺も容易だろう。

 「よく、こんなところが、こんな状態のままで、さらしてあるなあ~」

 驚きとも感心ともつかない感嘆の念が上がる。
 普通、転落防止のため、景色を妨げるいろいろな手すりだの、柵だの、安全ロープだの、警告板だのが、置かれてしまいそうなものである。それがいっさいないところが気持ちいい。
 その意味でも、あまり小学生や中学生などに来てほしくない。
 子供が来るようになったら、PTAが騒ぎ出し、この無防備な景観が瞬く間に工事現場みたいに殺風景になってしまうだろうから。
 稚児落とし子供(稚児)は来ないで(落し)。

 このまま知る人ぞ知る絶景のままであってほしいものだ。  
 

●  映画:『帰らない日々(Reservation Road)』(テリー・ジョージ監督)

 2007年アメリカ映画。

 目の前で息子を轢き逃げされた父親と、轢いた父親。
 被害者と加害者をめぐる物語である。
 加害者を目撃した者はおらず、車のナンバープレートも読まれず、現場には確たる物証も残っていない。
 このままなら、この二者が出会うのは難しかったであろう。

 運命のいたずらか、警察の犯人捜しに失望した被害者イーサン(ホアキン・フェニックス)は、弁護士に事件の捜査を依頼する。
 その弁護士こそが、加害者ドワイト(マーク・ラファロ)であるとも知らずに・・・。

 こうした異様な設定の中で、鏡のように向かい合う二人の父親(被害者と加害者)の心理が丁寧に描き出され、事故後のそれぞれの家族とのやりとりや関係の変容する様がドラマを深めてゆく。
 どの演技者も達者であり、登場人物のそれぞれの行動には説得力があり、全体に見ごたえのあるドラマとなっている。
 心の綾を丁寧に描くだけで、十分いい映画になりうるという見本である。
 濃密な時間が過ごせた。

 ひとつだけ気になるのは、画面が暗すぎること。
 夜のシーンが多いのだが、画面が暗すぎて目を凝らさなければならないので、疲れてしまう。
 「夜は暗いのが当たり前」ではなくて、暗さが必要なシーンと、そうでないシーンとで、もっと工夫して明るさにメリハリをつけてくれれば、まだ我慢のしようもあるのだが・・。
 なんだか全体的に暗い。
 話の暗さを、画面の暗さによって保障する必要はないだろうに。


 「光が強いほどに影も濃い」って、月影先生も言ってたぞ。(from『ガラスの仮面』)



評価: B-

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

●  枝に座ってその枝を伐採することはできない 講演:『嫉妬しないこと 誰かの美徳を喜ぶこと』(講師:アルボムッレ・スマナサ-ラ)

代々木からの富士山 12/18開催、テーラワーダ仏教協会の月例講演会。
 最近は満席続きで、予約必須になっている盛況ぶり。
 代々木のオリンピックセンターの窓から見える夕映えの富士山がきれいであった。

 いくつか心に残った言葉を羅列する。
 
○ 嫉妬は怒りのあまたある顔の一つ。自分の無能に対する怒りが「嫉妬」。一方、自分の失敗に対する反抗が「後悔」。

「枝に座って、その枝を伐採することはできない」
 貪瞋痴(どんじんちー欲、怒り、無知)も煩悩も心の本能(土台、精神的基礎)なので、そもそも「自我」がそれらを無くすことは無理な話。「自分」で「自分」を治そうとすることは誤り。

○ 貪瞋痴は心の本能であっても、常にいっぺんに機能するわけではない。状況によって悪い面が表れる。しかし、繰り返し同じ感情が起こると、心はそれに慣れてしまい、「性格」となる。

○ 欲や怒りが成長や発展の起爆剤となるというのは邪見。

○ 嫉妬の解毒剤は「喜び(ムディター)」
 他人を観察して自分の中に「喜び」が生じるように、敢えて、おのれの見方にバイアスをつけるのがコツ。これは「常に喜びや楽しみを求めている」という生命の法則にかなっているので、「正思惟」である。

○ 嫉妬を解毒する「美徳発見の探検」のやり方
1. 自分が気に入っている相手を何人か選ぶ。(性欲や愛着を起こすような相手は避けること)
2. その生命の善いところ(美徳、長所)を思い浮かべ、心の中で微笑んでみる。
3. その相手がもっと幸せになったらいいなあと思う。
4. 短所は無視する。長所を拡大する。相手が喜びを感じることを調べて共感する。


 いつもながら、明快で、歯切れ良く、ユーモアに縁取られた講演であった。
 不思議なことには、いつも、自分がまさに今抱えている問題や疑問に対する答えが示されるような気がするのである。まるでスマナ長老が自分の状況を透視しているかのように・・・。

 ところで、「生きることは苦」「すべては無常」という鉄壁の法則をとことん悟るためにテーラワーダ仏教徒は修行しているわけであるが、これと上記の「生命は常に喜びや楽しみを求めている」という法則は一見矛盾する。

 この矛盾を解く鍵こそ、「無知」であろう。
 生きることは本来「苦」にほかならないのに、そのことに気づかない、そのことを認めたがらない。それゆえに、生命は喜びや楽しみを求める。そもそも、喜びや楽しみを求めるということ自体が、「生=苦」のまぎれもない証拠であるのだが・・・。

 無知により仮りの喜びや楽しみを求める人々に、あえて共感し、その喜びの成就を願う。自分自身はそれが「苦」であり「無常」であると認識していても・・・。


 それが「慈悲」なのだろうか。 


● 映画:『パーフェクト・ゲッタウェイ』(デヴィッド・トゥーヒー監督)

 2009年アメリカ映画。

 タイトルが良くない。
 というか、これは原題なので仕方ないとしても、なぜ適当な邦訳をつけないのだろうか。
 ミラ・ジョヴォヴィッチ主演をいいことに、『バイオハザード』のようなSFアクションと勘違いさせる為か。
 『とんだカップル~血塗られたビーチ』なんてのはどうか?
 『欺かれたハネムーン』は?
 『殺楽園』は?・・・。
 
 途中までかったるい。
 奇跡のように美しいハワイの風光明媚がなければ、とても見続けられない。
 ある一点を境に、物語が逆転し、驚くのもつかの間、あとはジ・エンドまで一気呵成のスリラー&アクション。
 見終わったあとに、もう一度最初から一つ一つのシーンを確認したくなること請け合い。主役二人のせりふの掛け合いや表情、彼らの一つ一つの行動とその理由などを確認する楽しみが待っている。
 すると、なるほどうまいこと作られているなあ~、と感心する。

 レオナルド・デカプリオの『シャッター・アイランド』同様、語りそのものがトリックという点で、アガサ・クリスティの有名な戯曲を想起した。
 しかし、トリックをのぞいたら、凡庸な作品。
 


評価: C+

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

●  高野山・南山進流馨明コンサート:「馨奏一如」

 12月8日、みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)にて。
 
 声明とはお経に節をつけたもの。空海が伝えた真言声明、最澄が伝えた天台声明のほか、各宗派で伝統的に受け継がれてきた声明がある。
 当日パンフレットによると、声明と音楽の共演は本来珍しいものではなく、東大寺大仏の開眼供養会(752年)において、一万人の僧侶が雅楽や伎楽と共に声明を披露したという。しかし、近年の仏教寺院は音楽を閉め出してしまったので、今回の「馨奏一如」はまさに声明が本来持つべき音楽的原点への回帰なのである。

 高野山と題したところからわかるように、今回の声明は真言宗の法会の形式を軸としたものである。全国から集まった真言宗の僧侶たちが唱える声明と、二胡や尺八や箏や和太鼓といった伝統楽器、ギター、パーカッション、キーボードといった現代楽器とのコラボレーションである。

 結論を言うと、読経本来が持っている力―清らかさ、荘厳さ、ありがたさ、凛とした美しさ、空気を震わせ場を浄化する力など―の大半が失われてしまい、代わりにオーケストラを聴いているかのような音楽的壮麗さ、重層性、華やかさ、迫力があった。声明か音楽か、という点では音楽の方が勝っていた。というより、全体に音楽としての出来映えを優先したのではないかと思う。そこでは声明もまた、楽器の一つにすぎないという感じであった。
 これは監修者(山崎篤典)の考えなのかもしれない。声明を唱える僧侶たちが若年ばかりであったことによるのかもしれない。(たしかに、音楽をつけない声明だけを聞くと、若いだけに張りのある声は気持ちいいのだが、心境の深さようなものは感じられなかった。) あるいは、鋭角的な強い響きを持つ現代楽器に引きずられてしまうせいなのかもしれない。
 個人的には、もう少ししっかり声明そのものを聴きたかった。
 しかし、プログラムのメインを飾った「般若心経」などは、もともとのお経そのものがきわめてリズミカルで歯切れ良く、また構造もダイナミックで呪文というクライマックスも用意されているので、そういった特徴が音楽との融合により増大される結果となり、華々しい効果が見られた。

 客席は高齢者が圧倒的。

 自分の精神はすでに老後にいるのか。



● 本:『反社会学講座』(パオロ・マッツァリーノ著、ちくま文庫)

002 最近読んだ本の中で、最も面白かった。

 「反社会・学」―つまり、テロリズムや極道やアナーキズムやソーローの『森の生活』的社会離脱のすすめとか、そういった類いの本かと思って手に取ったら、「反・社会学」なのであった。
 うさんくさい統計や怪しげなアンケート調査を手がかりに社会問題を提起し、具体的な解決への道筋も方策も示さないままに無責任な悲観論を繰り広げるのをこととする社会学、そして社会学的手法によってもっともらしいウソの要因を捏造し、自分にとって都合の悪い真の原因から世間の目をそらせようとするスーパーペシミスト(スーペー)に対する反旗ののろしなのである。

 まな板にのせられるテーマは、だから、世間一般的にもっともらしく聞こえ、思わずうなずいて賛同してしまいかねない言説ばかりである。曰く、
 
○ 昨今、少年凶悪犯罪が増加している。
○ 日本人は勤勉な国民である。
○ 欧米の若者は自立している。
○ 読書にはすばらしい効用がある。
○ 人と人とのコミュニケーションやふれあいが大切である。
○ 少子化により労働力が減り、日本経済は破綻する。
○ 少子化により年金制度は破綻する。
○ イギリス人は立派で日本人はふにゃふにゃ。
○ パラサイトシングルやフリーターやひきこもりの増加が、日本をダメにする。 

 こういった言説の一つ一つを、論拠とされている統計の不備や欠陥をあばき、情報を流す者によって半ば意図的に隠されているデータ(特に海外の実態)を添えることによって、あれよあれよとひっくり返していく。そのやり方が、「正義感に燃えて」とか「怒りにうち震えて」とかではなくて、ちょっと毒を聞かせたユーモアで、日本人読者のプライドを傷つけかねない棘をやわらかく包みながら、時には爆笑させ、時にはニヤっと苦笑させながら、すいすいと運んでいくところがニクイほどうまい。

 自分もさまざまな日本の制度や風習の欠点を指摘するときに、つい「欧米では~」とやってしまいたくなることがある。文明開化以来日本民族に刷り込まれた欧米賛美、というか欧米コンプレックスが、敗戦後のアメリカ文化洗脳でさらに拍車をかけられて、心の中に根付いているのだろう。
 自戒、自戒。

 福祉や教育の分野でも今や当たり前のように使われて神棚に奉られている「自立」とか「自己決定」という言葉に対しても、著者は容赦なく刃を向ける。 


「自立している」人など、どこにもいやしません。世界中の誰もが誰かに依存して成り立っているのが現代社会です。他人に迷惑をかけずに生きることなどできません。自立の鬼は、自立という幻想を喰らって太る妖怪です。
 それじゃあ、なにもしなくてもいいのか、とはなりません。依存と努力の両立こそが大切ですが、やっかいなことに、日本人は努力も幻想にしてしまっているのです。「やればできる」と励ます人がその元凶です。やってもできない人のほうが圧倒的に多いというのに、あまりにも無責任なことをいいます。・・・・・・・
 「やればできる」は努力を勧めているようで、じつは暗に結果を求めています。教育者たるもの、そんなウソを教えてはいけません。「できなくていいから、やってみろ。それでダメなら生活保護があるさ」と教えるのが、本物の教育者です。

 すべてのもっともらしいウソをひっくり返した先の処方箋がここにある。
 これこそユーモアとブラックジョークによって覆い隠されたいま一つのもの、著者のやさしさの核であろう。
 
  
 

● オタクかゾンビか? 映画:『ゾンビランド』(ルーベン・フライシャー監督)

 2009年アメリカ映画。

 スパッ、ビューッ、ドボドボ、ガブッ、ドロドロ、ゲボゲボのスプラッタムービー。
 こういうのが苦手な人には絶対におすすめできない。


 掛け値なしのB級映画である。
 が、制作費を4倍以上上回る大ヒットを記録。各地の映画祭での評判も高かったようだ。コメディ映画の往年の人気スターであるビル・マーレイが本人役で出演していて、あっという間に非常にオマヌケな情けない殺され方をするのも見ものである。


 スプラッタは好きではないが、「生き残るために必要な32のルール」設定など、語り口にいささかのセンスのよさが感じられたので、我慢して見続けたら、単なるスプラッタではなかった。
 スプラッタの部分をのぞけば、主人公の青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)の成長物語となっているのだ。その意味では西洋の伝統的なビルデュングスロマン(教養小説)の系譜に連なる。
 ただし、いにしえの成長物語は、「世間知らずの若者が夢や野心を持って社会に飛び出すが、厳しい現実にぶつかって挫折する、または幻滅する。が、その過程で、友情や愛を育み、新たな目で世間を見ることを覚え、大人になっていく」というパターンであった。『真夜中のカウボーイ』や『ソフィの選択』が典型的である。
 現在のそれ、少なくとも、この作品で描かれたそれはいささか異なる。
 「ひきこもりでオタクの若者がどうしようもない周囲の状況から否応なく社会におっぽり出され、同じようなハミダシ者たちと出会い、共通の敵と闘いながら友情や愛を育み、世間とは違った価値観を生きる自分を肯定していく。」


 昔は、「社会化すること=世間に同化すること=成長」という図式があったが、今では「社会」も「世間」も必ずしも成長のゴールではない。そこにいるのが死にぞこないのゾンビばかりだとしたら、社会化に何の意味があろう? オタクから脱皮してゾンビになるのではつまらないではないか。
 ゾンビとの血みどろの戦いをくぐり抜け、生まれてはじめて「仲間」を見つけたコロンバスの最後の気の利いたせりふが、B級スプラッタコメディに過ぎなかったこの作品を、現代社会とそこに生きる孤独な人々を揶揄するB級風刺作品へと不意に変貌させる、その鮮やかさに感服した。




評価: B-

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 千の船を連れてきた顔 映画:『トロイのヘレン』(ロバート・ワイズ監督)

 1955年アメリカ映画。

 CGも3Dもデジタル合成もない時代に、大がかりなセットと大人数のエキストラと莫大な制作費を使い「ハリウッドの威信をかけて」作られた、いわゆるスペクタクル史劇。
 「アメリカは偉大だった。元気だった。単純だった。」としみじみ思う。
 剣闘シーンも戦闘シーンも見ごたえたっぷり、おなかいっぱいになれる映画。 
 
 アメリカ人はなぜかこういうスペクタクル史劇が好きである。
 よく知られていてレンタルショップで見かけるものだけ挙げても、

  57  十戒 (セシル・B・デミル)
  59  ベン・ハー (ウィリアム・ワイラー)
  60  スパルタカス (スタンリー・キューブリック)
  63  クレオパトラ (ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)
  65  偉大な生涯の物語 (ジョージ・スティーブンス)
  66  天地創造 (ジョン・ヒューストン)

 ハリウッド黄金期(30~40年代)が終わった後に、こういった大作が続々と出てくるのも興味深いけれど、アメリカ人のスペクタクル史劇好きは、『グラディエーター』(2000年)、『アレキサンダー』(2004年)、『トロイ』(2004年)と今も健在である。
 考えてみると、これは不思議である。

 フランス人が『ナポレオン』を撮ったり、ロシア人が『イワン雷帝』を撮ったり、イギリス人が『エリザベス』を撮ったり、イタリア人が『カリギュラ』を撮ったり、日本人が『日本誕生』を撮るのは不思議ではない。自らのアイデンティティのルーツであるし、観客にとってもどこかで一度は耳にしたことがある親しみやすい物語であり、良くも悪くも祖国のヒーロorヒロインであるからだ。
 しかるに、なぜアメリカ人が、エジプト人が撮るべきクレオパトラを撮るのだろう? ギリシヤ人が撮るべきアレキサンダーを撮るのだろう?
 モーゼやキリストについてならまだ分からなくもない。旧約聖書も新約聖書もキリスト教という点では、アメリカ人の心の拠り所であり、ルーツと言えるから。
 たとえ、莫大な制作費があろうとも、日本人監督が日本の俳優を使ってクレオパトラを撮るなど、まず考えられない。昔、コミックが大ヒットした「ベルサイユのバラ」が映画化されたが、さすがに俳優は外国人を使っていた。そもそもこれは、漫画のヒットの二匹目のドジョウをねらっての映画化なので別物と考えるべきだ。史劇と言うより恋愛ドラマだし、あれは・・・。

 アメリカ人の史劇好き。
 それは、アメリカの歴史の浅さコンプレックスの裏返しなのかもしれない。
 国民に共通した「神話」を持たない民族の羨望なのかもれない。

 アメリカという国が生まれたとき、日本は江戸時代中頃である。天皇によって体現された神話と滔々たる歴史とを持った「アイデンティティのできあがった民族」だったのである。
 一方、アメリカはどうか。
 キリスト教徒(特にプロテスタント)であるというだけではアイデンティティとして弱い。なぜなら、キリスト教国など他にもたくさんあるから。プラスアルファとしてアメリカ人が基盤として誇れるものは、つまるところ、独立宣言と合衆国憲法と奴隷解放宣言にほかならない。すなわち、「自由」「正義」「平等」「権利」。それ以外に求めるとしたら、「金」と「武力」になる。
 いずれにせよ、「平和」がない。
 そのアメリカが日本に「平和憲法」を押しつけた(もたらした)のだから、不思議な巡り合わせである。

 話がそれた。

 トロイのヘレンは歴史上1,2をあらそう美女である。
 スパルタの王であるメネラオスを捨てて、トロイの王子パリスと出奔。怒ったメネラオスはギリシャ全土から「千艘の船を引き連れて」トロイを攻撃、滅亡に追いやった。いわゆる、トロイ戦争である。
 国家を揺るがすほどの美女を「傾城」と言うが、まさに、クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ傾城である。
 それだけのことを巻き起こしたヘレンの美貌が尋常であるわけがない。ただ美しいだけでなく、見た者を虜にする魔性の輝きを放っていたであろう。

 ヘレン役のロッサナ・ポデスタはまぎれもなく美女である。が、男を狂わせ国の命運を左右するだけの魔力は感じられない。
 もっとも、この映画ではヘレンは悪女ではなく、平和と愛をもとめる賢い女性として設定されていて、パリスとの駆け落ちも彼女の本意でなく状況的に止む終えなかったものと描かれている。だから、作品上では十分なヘレン役ではある。
 だが、やはり個人的には傾城のヘレンこそ観たかった。その魅力に酔いたかった。
 としたら、やはり、この人しかいない。

 グレタ・ガルボ。

 彼女がテクニカラーに間に合わなかったことが本当に残念である。
 


評価: B+

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 映画:『今日も僕は殺される』(ダリオ・ピアーナ監督)

 2007年アメリカ映画。

 主人公イアン青年は、毎日午後5時過ぎになると何者かに殺され、記憶を消されて、新たな人生に送られる。
 そのことに徐々に気づいてきたときから、奇怪な人物や出来事が次々と襲いかかってくる。
 一体なにが彼に起こっているのか?

 シチュエーション自体は面白いと思う。
 テンポも悪くない。
 観る者は、イアンの立場に身を置いて、混乱や疑惑や恐怖を体験し、次第に明らかにされていく真相に強く気を引かれることになる。

 しかし、その真相とやらがいただけない。
 新機軸もなければ説得力もない。
 イアンが毎日殺されなければならない理由も釈然としないまま、理屈の分からない解決方法で決着する。
 不条理ミステリー&サスペンスと思っていたものが、化け物ホラーに堕してしまうのも残念。

 同様の設定でなら、ジョン・オーガスト監督の『9-ナイン』(2007年)のほうが断然素晴らしく、気が利いていて、感動的。(「ナイン」と題した映画はたくさんあるので要注意)



評価: D+

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!






 
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