ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● リアルとリアリティ 映画:『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ監督)

 1995年フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア共同制作。

 170分の長尺。
 よほど面白くなければ最後まで見通せない長さである。
 が、退屈することなく見終えてしまった。それだけでも監督の力量は明らかだ。黒澤明レベルの語りの力、エンターテインメント性を持っている。

 何よりまずキャラクターの面白さが飛び抜けている。
 主役の二人の男――パルチザンの義賊にして詩人、世渡り上手な共産党員のマルコ(=ミキ・マノイロヴィッチ)と、陽気で豪放磊落でカリスマ性ある元電気工のクロ(=ラザル・リフトフスキー)――の個性的なキャラと奇天烈な友情関係が見ものである。二人はナチスに抵抗する愛国者であり町のヒーローであるのだが、ストイックで清廉潔白なところなどみじんもない。盗みをはたらき、同じ女を取り合い、武器を密造し、いつも酔っぱらって専属のブラスバンドを引き連れて踊っている。文字通り「酔狂」。非常に人間くさい、というかゴロツキに近い。
 彼等が生きる世界は、非日常を日常とする戦時下。非日常でこそ輝く二人のキャラとその破天荒な行動、ストーリー展開の突飛さが、あたかもピカレスク(悪漢)小説のような爽快感をもたらす。いわばルパン三世の世界だ。
 全編に横溢する諧謔精神もたまらない。
 ナチスのユーゴ侵略からユーゴ内戦、事態は深刻で悲惨でこの上なく悲劇的。なのにベタな悲壮感がない。登場人物の個性的なキャラや奇想天外なストーリーとあいまって全体としてスラップスティックコメディ(ドタバタ喜劇)となっている。途中、何度も吹き出してしまうシーン、にんまりしてしまうシーン、ご都合主義な展開に喝采をあげたくなるシーンがあった。実際に起こったことを考えれば、ある意味不真面目な描き方である。が、それで失敗しているかといえばそんなことはない。しっかりと監督のメッセージは伝わってくる。
 悲劇的なことを喜劇で語るのは、相当の天才無くしてできなかろう。“凡庸”とは遠く離れた才能、作品と言える。

 この映画を観ると、「リアル」と「リアリティ」の違いについて考えさせられる。
 原義(英語)ではどういう差があるのか正確なところ知らないが、自分で勝手に意味づける両者の違いは次のようなものである。

 リアル   =現実、写実主義、真に迫っている
 リアリティ =本当らしさ、真実の香り

 リアルとは、本物そっくりの造花、食品サンプル、精密な写生画、一分の隙もない時代考証、ストーリーの見事な整合性。事実、現実を正確に映している様である。
 一方、リアリティとは必ずしも事実や現実の再現、複製ではない。その現実を見て聞いて体験した作者が、そこから読み取った「世界」の真実、「ものごと」の本質の表現である。バラの造花よりは本物のバラから作った香水、食品サンプルの寿司よりはネタの旨さを想像させる酢飯、スーパーリアリズムで描かれたリンゴよりはピカソのリンゴ、ストーリーの整合性よりは人間心理のもっともらしさ、といったところか。
 人が感動するのは、必ずしもリアルに対してではない。日常生活においても、芸術作品についても、事実や現実をどう調理したか、その包丁さばきに対してより深く感動するのである。さばき方にこそ、作者の汲み取った真実が表れる。人はそこに共感するのである。

 『アンダーグラウンド』がリアルを目指していないことは一目瞭然である。
 クロとマルコが窃盗に成功し村に凱旋する冒頭シーンからそれは宣言されている。二人には専属のブラスバンドがついている。物語が佳境に入ると、どこからかそれは現れて二人の周りで景気のいい民族音楽風BGMを演奏する。二人が雇っているのか、村の英雄に対する町民有志のボランティアなのか、いっさい説明はない。まあ、ありえない。
 ヨーロッパの地下深くに根を張るパルチザンによって掘りめぐらされた都市間をつなぐ大通路なんて設定も妄想かナンセンスである。ありえない。
 対独戦争が続いているとだまされたまま20年間地下に潜伏して武器を作り続ける一団なんてのもギャグか不条理劇の世界である。ありえない。(もっとも日本には横井庄一や小野田寛郎の例があるから、なんとも言えないが。)
 つまり、クストリッツァ監督は最初から状況をリアルに描こうなどと思っていない。いくらナチスや連合軍の爆撃やユーゴスラビア連邦人民共和国の誕生やトリエステ紛争やチトー大統領の葬儀のシーンなどの実際の記録映像が、合成カットによって取り入れられていようが、それは決して物語にリアルさをもたらすことを目指してはいない。(その合成手法も、ゴルバチョフと永瀬正敏が共演していたちょっと前のカップヌードルのCMを思い出させる稚拙さである。)


 2003年に国家消滅するまでの70年間強、ユーゴスラビアとそこで暮らす人々が体験したのは、まともに語るも虚しい馬鹿げた出来事の連続である。そこにあるのは、壮大なアホらしさである。
 だから、クストリッツア監督はまともに(リアルに)語ることを拒否したのである。虚しく馬鹿げた形式(スラップスティック)で語らざるを得なかったのである。
 状況に対する監督自身の見方や思いが、物語を語る上での表現形式を自ずから決定した。観る者はその表現形式の内にこそ、監督のメッセージを読み取るべきであろう。人間のどうしようもない愚かさという真実(リアリティ)を、笑いながら悟るべきであろう。その点で、第二次世界大戦のドレスデン爆撃を舞台にしたカート・ヴォネガットのスラップスティック小説『スローターハウス5』を思い起こすのはあながち間違ってはいまい。

 マルコ、クロはじめ主要登場人物は最後には皆死んでしまう。
 亡くなった人々(の霊?)は、海上に浮かぶ緑の島に漂着し、そこで昔の仲間が一斉に会し、お互いの裏切りや罪を許し合う。ブラスバンドの賑やかな演奏の中、仲間の結婚式を祝う。古き良き日々の再来。
 その島では地上にいた頃の肉体的苦痛も消え失せている。カタワの青年バタは芝の上を自由に歩き回っており、どもりの薄のろイヴァンは言葉を取り戻し知性のきらめきを瞳に宿している。
 イヴァンは最後にカメラに向かって(観る者に向かって)独語する。
『苦痛と悲しみと喜びなしでは、子供たちにこう伝えられない。・・・・昔、あるところに国があった。』
 この瞬間、映画の冒頭からどもりの薄のろであり続けたイヴァンが、実はシェイクスピアにおける道化同様の狂言回しであったことに観る者は気づかされる。
 この映画が、『フォルスタッフ』や『テンペスト』同様の壮大なる人間喜劇であったことを悟るのである。


評価:A-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『最強のふたり』(エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督)

 2011年フランス映画。

 フランスで大ヒットした実話を元にした介護コメディ。
 脚本も役者陣も良い。ところどころ吹き出しながら最後まで楽しめた。

 原題のIntouchablesは「触れることのできない」という意。
 一つには、主人公の一方である障害者フィリップ(=フランソワ・クリュゼ)の置かれている肉体的状況のことであろう。事故で頸髄損傷し首から下の感覚が無くなったフィリップは、まさに「触覚を失った」人間である。手や足を使って他人にも物にも触れることができない。
 もう一つはフィリップのような障害者が置かれている社会的状況の暗喩でもあろう。健常者は、障害者を前にしたとき、障害に附随する話題には「触れてはならない」と振る舞う。ジロジロ見るのは失礼だから、見てみないふりをする。誰が決めたわけでもない不文律である。「なぜカタワになったのか」「それはどういう気持ちか」「セックスはできるのか」「生きていて楽しいことはあるのか」等々、聞いてはならない問いがある。ソフィストケイト(洗練)された人々、いわゆる「意識の高い」人々ほど、そのような流儀を身につける。そのなかで、障害者は直接的な言動によって傷つけられることはないけれど、オブラートにくるまれて社会や周囲から特別扱いされる。そして、透明人間になったかのような孤絶感を持たされる。
 フィリップが自分の介護者として選んだドリス(=オマール・シー)は、貧困層の移民の若者で、まったくのところソフィストケイトされていない。フィリップの愛好するクラシック音楽や絵画や文学の世界はドリスにとってチンプンカンプン。オペラに行っては奇抜な扮装をした歌手の姿に特等席のバルコニーで馬鹿笑いする。フィリップの障害に対しても何ら特別な構えを見せない。動けないフィリップをおもちゃにし、セックスを話題にし、フィリップの健康に配慮するならばやってはいけないような介護を平気で行う。
 だが、フィリップはそれをこそ望んでいたのである。
 自分を「障害者」「病人」として扱う人間、いわゆる傾聴・共感・受容に優れ、プロの介護技術を持ち、マニュアル通りの介護をテキパキと行える人間ではなく、人としてフランクな対等な関わりをしてくれる人間を欲していたのである。つまりは、介護者でなく友達を求めていたということだ。
 Intouchablesのもう一つの意味は、「触れ合うことのない」世界だろう。
 フィリップのいる上流社会とドリスのいる下層社会には本来なら接点はない。「持つ者」と「持たない者」の関係、搾取する者と搾取される者の関係、あるいは施す者と施しを受ける者の関係がせいぜいである。
 いや、富の違いだけではない。フィリップとドリスはあらゆる意味で住む世界が違う。
 金持ちと貧乏人、生粋のフランス人と移民、白人と有色人種、障害者と健常者、中高年と若者、教養ある者と無学な者、芸術を解する者と解しない者。まさに異文化との出会いである。
 本来ならまず、触れ合うことのない二人の男が「介護」という行為を縁として出会い、お互いを知り、惹かれあい影響し合って、それぞれの人生を変えていく。 

  最後のシーンで、ドリスはこれまで自分が口説いてきたフィリップの秘書マガリーが、実はレズビアンであることを知る。そのときのドリスのリアクションに、観る者は本当の意味の「ソフィストケート」を知るであろう。
 他者との出会いによって人生は輝く。人は多様性を受け入れて豊かになる。
 
 フランスで大ヒットしたのは、移民問題に対するフランス人の良心の発露であろう。


評価:B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
     
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● フラジャイルな季節:鶴ガ鳥屋山(1,374m、山梨県大月市)

鶴ガ鳥屋山20130404 001●歩いた日  4月4日(木)
●天気     晴
●タイムスケジュール
 9:50 中央本線・笹子駅
      歩行開始
10:40 船橋沢からの登り口
11:40 鉄塔
12:40 眺めの良い岩尾根
      昼食
鶴ガ鳥屋山20130404 02313:30 出発
13:50 鶴ガ鳥山頂上
      下山開始
15:50 丸太沢からの登り口
16:30 中央本線・初狩駅着
      歩行終了
 ●所要時間 6時間40分(歩行5時間10分+休憩1時間30分)

  昨夜12時まで同僚と飲んだ酒が抜け切らない朝、サウナでも行こうかと家を出たら青空広がる絶好の登山日和。並木の新緑が目にまぶしい。引き返して登山支度をする。
 鶴ガ鳥屋山(つるがとやさん)はかつて登るも難儀な藪山であったらしい。今ではコースも整備されて、駅から駅へと気軽にハイクできる山となっている。登りも下りも清澄な気を発する沢沿いの道が続き、頂上付近にはブナやミズナラなどの広葉樹林が広がり爽やかな風と鳥の声に心洗われる思いがする。展望もまた良い。
 地味だが知られざる名山。道中出会ったのは60代後半くらいの男性一人であった。

 笹子駅の近くには笹一酒造がある。この一帯の水は良質なのである。会社のホームページによると笹子峠を源流とした御前水という水を使用しているらしい。
 船橋沢は二日間の雨のため豊富な水が勢いよく音を立てていた。渡岸に苦労する箇所がいくつかあった。
鶴ガ鳥屋山20130404 004

 枯れ葉の散り敷く道ばたにルリタテハが止まっている。久しぶりに見た。子供の頃は実家の近くの畑や森に、クロアゲハやモンキチョウに混じってたくさん飛んでいたものだが・・・。

鶴ガ鳥屋山20130404 003

 沢から離れて急な斜面を登る。ゆっくりと一歩一歩踏みしめて。
 いま一番怖いのはケガである。ねんざ一つで仕事(介護)ができなくなってしまう。頑健な体こそ肉体労働者の資本。
 鉄塔で一休み。
 滝子山からお坊山、米沢山、笹子雁ガ腹摺山が間近にデカい。

鶴ガ鳥屋山20130404 007

 植生が変わって瑞々しい緑が目に優しい。新緑というにはまだほんの少し早い、芽吹いたばかりの葉っぱたち。その様を表現する言葉を探すのだが、なかなか思いつかない。
 いたいけな、痛々しい、いじらしい、柔弱な、震えるような、可愛らしい、繊細な、か弱い、脆い・・・・。
 ‘フライジャイル’(壊れ物につき注意)という語感がピッタリか。

鶴ガ鳥屋山20130404 008

fralile

 主稜線に乗ると、眺望が一気にひらける。
 青空の下、南アルプスや八ヶ岳が遠くに白く照り輝いている。

鶴ガ鳥屋山20130404 012

 西向きの陽当たりと眺めの良い岩棚に到着。このコースで一番の好展望ポイントである。  
 西側(正面)は本社ガ丸、大沢山、大洞山がふくよかな胴体をさらしている。南側は三つ峠の背後から白富士が顔を覗かせている。
 汗でぐっしょりとなったつなぎの上を脱いで、弁当を広げる。

鶴ガ鳥屋山20130404 014

鶴ガ鳥屋山20130404 017

鶴ガ鳥屋山20130404 018

 山頂は樹木に囲まれた静かで気持ちの良い空間であった。

鶴ガ鳥屋山20130404 019

 
鶴ガ鳥屋山20130404 020

 下りはかなりの急坂が続く。
 途中で緑の木陰で樹木にもたれてひと眠り。自然との一体感を愉しむ。
 下るに連れ、沢の音が大きくなってくる。
 突如あらわれたのは鹿? いや、朽ちた木だ。
 このあたりは奇妙な形の樹木が面白い。

鶴ガ鳥屋山20130404 024

鶴ガ鳥屋山20130404 025


 丸太沢からの登り口は県道の脇にある。
 あとは県道づたいに初狩駅まで春の夕暮れの風景を楽しむ。

鶴ガ鳥屋山20130404 026

鶴ガ鳥屋山20130404 027


 高尾駅で下車。
 「高尾ふろっぴい」に寄って、抜けきったアルコールをまた補給する。


● 本:『大介護時代を生きる 長生きを心から喜べる社会へ』(樋口恵子著、中央法規)

大介護時代 001 2012年発行。

 未曾有の高齢化時代に突入する日本。
 介護の問題は、本当に待ったなしである。
 単純に言えば、問題はこういうことだ。


 1.誰が介護するのか。(人手の問題)
 2.いつまで介護するのか。(医療の切断、尊厳死の問題)
 3.どこで介護するのか。(病院か、施設か、在宅か)
 4.どのように介護するのか。(介護の質と方法の問題)
 
 5W1Hのうち、さすがに「なぜ(介護するのか)」はこの場合必要ないだろう。
 そのかわり、これが来る。
 
 5.介護にいくらかかるのか。(財源の問題)
 
 もちろん、5つは別々の問題ではない。それぞれが関連し合って影響する。たとえば、「いつまで介護するのか」という問題と財源の問題とは切り離せないだろう。
 差し迫って問題なのは1と5、人手と財源をどうするかである。

 答えは見えているように思う。
 スウェーデンやフィンランドの北欧型、つまり高い税金によって介護の社会化を推し進めることである。たとえ、在宅で家族が介護するとしても、それによって仕事を辞めなくてもすむような福祉の仕組みをつくることである。
 新しい福祉の仕組みをこれから創造するよりは、すでに成功している北欧の国々を見習うほうが無駄もリスクも少ない。それに日本人は他国の文化を取り入れて国民性に合わせてアレンジして洗練するのが世界一上手な国民なのだから。
 著者も言っている。
 

 私の結論はわりにはっきりしていて、一足早く高齢社会に入りその歴史が長い北欧諸国のように、男女を問わず多くの国民が働いて税金・保険料を払って財源を生み出す。日本の政策は担税者を男性の世帯主に絞り込み、担税者の数を減らしてきた。超高齢社会を乗り切るには、社会の多様な分野にそれぞれが能力を生かしてできるだけ大勢が参画する方向へ、そして費用を分担し合う方向へ社会全体のギアを切り替える必要がある、と思う。 
 
 答えは出ているのに、なかなかそちらの方向に進んでいかないのが一番の問題である。
 明治維新しかり、日本国憲法しかり、日本人が変わるのに常に外圧(他国の圧力)を必要とするのは情けない話ではないか。
 だが、今度ばかりは内圧が高い。超高齢社会、大介護時代の到来はどんな予測よりも確実である。
 
 そう考えると、日本人の意識の転換をもたらす歴史的なときが目の前にせまっているのかもしれない。
 老いと病と死の前では、誰もが当事者なのだから。

● 本:『青山式 楽ワザ介護入門』(青山幸広著、廣済堂出版)

大介護時代 002 2010年発行。

 著者は、青森の老人保健施設を退職後、「おむつをしない」「機械浴に入れない」「閉じこめない」「薬に頼らない」をモットーに今までの施設の在り方を根本的に改革していことを決意。介護アドバイザー会社「ケア・プロデュースRX組」を設立。そして、京都・大徳寺近くの築100年の町屋を改修して楽技介護塾「紫野庵」を運営している。

 この本はQ&A方式で、高齢者を介護する時のコツーー介護する者にとってはより楽で効率の良い、介護される者にとってはより心地よく安心できるーーを、わかりやすく伝授している。食事、入浴、排泄、移乗といった基本の介助とともに、「ボケる、キレる、暴れる人の楽ワザ介護」とか「持病や痛みがある人の楽ワザ介護」とか介護する者と介護される者とのコミュニケーションの問題とか、実際の介護現場で汗と涙を流してきた者でなければ書けないような具体的で即効性のあるワザの数々が紹介されている。

 時間とナースコールに追われ目まぐるしい現場で働いている自分がいつも考えていることは、まさに「どうやったらもっと楽に、効率よく、素早く、けれど利用者にやさしい介助ができるだろう?」である。
 たとえば、利用者がオムツに便失禁したときの後始末。他の衣類に便が付着して二次被害、三次被害にならないように、慎重に便を処理して、肌をきれいに洗って、新しいおむつに素早く交換するにはどうしたらいいのだろう? 
 たとえば、両足に拘縮のある利用者の着替え。利用者が痛がらないように、きれいに素早くズボンをはかせるにはどうしたらいいのだろう?
 たとえば、なかなか口を開けない、あるいは飲み込みの悪い利用者への食事介助。限られた時間内で、ある程度の量の食事と水分を摂ってもらって食後の薬を飲んでもらうにはどうしたらいいのだろう? 食べ物をこぼして洋服を汚さないようにやるにはどうしたらいいのだろう?
 たとえば、体重の重い利用者をベッドから車椅子に移すとき。こちらの腰に負担がかからないように、利用者が痛がらないようにスムーズに移乗するにはどうしたらいいのだろう?
 たとえば、立ち上がりの難しい利用者のお尻を洗いたい時。どうやって一方の手で利用者の裸の身体を支え、もう一方の手でお尻を洗い、かつシャワーヘッドに手を伸ばしたらいいのだろう?
 回数を重ねることで自然と楽に効率よくできる自分なりの方法は身に付いてくるものだが、もっと良いやり方があるかもしれない、といつも考える。一つ一つの介助の現場は、利用者と介助者との密室空間であることが多いので、意外と他のスタッフのやり方を見学する機会は研修中の新人の頃をのぞけば無いのである。そしてまた、介助は身体と身体との関係なので、一人一人の利用者に応じてやり方を微妙に変えていく必要があり、一人一人の介助者の体格や筋力や柔軟性によってやり方が異なるものである。わかりやすいところで言えば、左利きである自分の介助は、右利きの人の介助をそのままマネることができない。
 介護って職人芸みたいなところがある。

 目指せ、必殺介護人!(ってそれまずいじゃん)
 


● 映画:『ゴーストライター』(ロマン・ポランスキー監督)

 2010年フランス、ドイツ、イギリス制作。

 この映画はベルリン国際映画祭監督賞をはじめセザール賞やヨーロッパ映画賞など、いろいろな賞をもらっている。
 まずそこのところが謎である。

 確かに手慣れた演出と破綻のないストーリー運びで手堅く仕上げてはいる。演技陣も悪くない。
 しかし、凡庸である。
 一種のミステリーなのだが、パズルストーリーに慣れている人間ならば真相はすぐに見抜けるだろう。どんでん返しの意外な結末なんてものではない。
 演出やカメラワークが斬新かと言えば、そんなこともない。凡庸である。
 現代的で深い人間ドラマが描かれているかと言えば、そうでもない。
 ユーモアもない。
 すべてにおいて凡庸である。
 と言って、B級映画にもなりきれていない。
 始末が悪い。
 ポランスキーにとって、この映画を撮る必然性はどこにあるのだろう?

 受賞リストの長さは、過去(60~70年代)の偉大な監督ロマン・ポランスキーへの功労賞的な意味合いなのかなと思ってしまう。
 主演のユアン・マクレガーやキム・キャトラル(『セックス・アンド・シティ』のサマンサ)も映画・演劇青年だった時代に憧れた偉大な監督の作品に単に出演したかったと言う理由で、役を引き受けたのではないだろうか。
 


評価:D+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
    
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 
 
 
 
 

● 春を探して

春を探しに 006 春を探しに 002

春を探しに 003 春を探しに 004

探春
盡日尋春不見春
杖藜踏破幾重雲
歸來試把梅梢看
春在枝頭已十分

春を探(さぐ)る
盡日(じんじつ)春を尋ねて 春を見ず
杖藜(じょうれい)踏破す 幾重(いくちょう)の雲
歸來(きらい)試みに 梅梢(ばいしょう)を把(と)って看れば
春は枝頭(しとう)に在りて 已(すで)に十分


春を探して (ソルティ訳)
一日中、春を探して自転車で走り回った。
あそこにも ここにも 春の徴は鮮やかだ。
(けれど何だか晴れがましすぎて、しっくりこない)
家に帰って庭に目をやった。
ああ、こんなところに土筆ン坊が!



春を探しに 001



 

● 映画:『プロメテウス』(リドリー・スコット監督)

 2012年アメリカ映画。

 人類の起源の謎に迫る、という煽り文句に惹かれ結構楽しみに観始めたのであるが、凡庸な結末でがっかりであった。これなら『フォース・カインド』(オラントゥンデ・オスサンミ監督、2009年)のほうが気が利いている。

 人類がある目的のために「何者か」によって創られた、というテーマを題材とする作品に惹かれるのはなんでだろう?
 人類の存在理由、換言すれば「生きる意味」について思考することの意味(の無さ)を自分に悟らせるからだろうか。
 だから、崇高にして遠大な目的で人類が創られたとするストーリー(たとえば、宇宙が自分自身を見るために惑星と生物の進化の果てに人間を創造した)なんかより、人間の発する気を食料とする宇宙人がいて人間牧場として地球は存在している、というブラックジョーク的なストーリーのほうが自分は好きである。変に自分たち人類のみを高等生物として持ち上げるスピリチュアル的傲慢さに一矢報いたいという偏屈なところがある。
 実際、人間は地球の主役でも勝者でもない。ごきぶりや細菌の方が長く広く地上に存在しているし、仮に人類を現在の地上の支配者と考えたとしても、生存年数で言えばかつての王者である恐竜の百分の一にも達していない。今、地球が滅びたとしたら、どこかの惑星の宇宙史研究家はこう記すだろう。
 「この地球という惑星でもっとも勢力を奮った生物はウイルスと恐竜であった」
 
 読んだばかりの『銀河ヒッチハイクガイド』も実は隠れたテーマとして地球創造の謎を扱っている。この謎の答えはあっと驚くような奇抜なもので、著者のセンスの高さは尋常でない。この本では地上の真の支配者も登場するが、その正体もあっけに取られる。天才性では、リドリー・スコットはダグラス・アダムズの足元に及ばない。
 

 映画自体は凡庸でつまらないが、ロボット役のマイケル・ファスベンダーは見物である。『SHAME シェイム』を観たときは感じなかったが、この人、イアン・マクレガーに似ている。ともに巧い役者である。

 最後まで観ると、これは人類の起源の謎というよりも「エイリアン」の誕生秘話だったのだということが分かる。



評価:D+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」      

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● 八重さんに感謝 八重山(530m、山梨県上野原)

八重山 001●歩いた日  3月21日(木)

●天気    晴

●タイムスケジュール
 9:10 中央本線・上野原駅
      歩行開始
 9:25 牛倉神社
 9:50 根本山頂上(322m)
10:15 秋葉山頂上(391m)
八重山パンフ10:40 八重山ハイキングコース入口
11:30 展望台
12:00 八重山頂上(530.7m)
      昼食
12:50 下山開始
13:10 能岳(向風山)頂上(542.7m)
13:30 虎丸山頂上(468m)
14:00 虎丸山登山口(西シ原)
14:50 中央本線・上野原駅
      歩行終了
15:00 秋山温泉送迎バス乗車
15:20 秋山温泉

●所要時間 5時間40分(歩行4時間10分+休憩1時間30分)

 手元にある数冊のガイドブックには載っていない。秋山二十六夜山に登った折、上野原駅改札脇の情報コーナーでパンフレットを見つけ、「次はここにしよう」と取っておいた。上野原駅から歩いて登れて、コースも整備されていて、低山ながら展望も良さそうで、自然も満喫できそうで、早めに下りて秋山温泉にデビューするのも良い。
 家を出る朝方は冷たい風に気後れしそうであったが、上野原駅で下車した時にはポカポカ陽気に変わっていた。

 上野原駅の北側に広がる上野原宿は名前の通り高台にある。台地の崖っぷちを中央本線が走っていて、駅のホームからは南側の盆地を見渡すことができる。盆地の中央に湖のように光っているのは、獲物を呑んだ蛇のごとく胴体を膨らませた桂川。なんとも変わった地形である。
 パンフレットで紹介されている通り、まず駅から階段を上がって上野原宿に向かう。
八重山 003 15分も歩くと最初の目的地である牛倉神社に到着。上野原の鎮守で、祭神の筆頭に挙げられているのは保食神(うけもちのかみ)である。この女神は、アマテラスの弟であるツキヨミによって殺されてしまうのだが、その屍体の頭からは牛馬、額からは粟、眉からは蚕、目からは稗、腹からは稲、陰部からは麦・大豆・小豆が生まれたと言う。つまり、食べ物の神様である。しっかり拝んでおこう。
 拝殿からは銀か鉛のようなイメージの強い気が感じられた。
八重山 004 境内には「撫牛」と呼ばれる腹這いになった牛の像がある。説明板にこうある。
「この神牛を常に撫でれば穢れや災いを祓い除き、吉事を招くと言われています。また痛む処のある人は、自分の患部を撫で、その手で神牛の同じ個所を撫でさすれば、たちまち病気が平癒するとも言われております。」
 さっそく腰を撫でる。介護の仕事ももうすぐ丸一年になる。今後も続くかどうかはひとえに腰の具合にかかっているのだ。

 神社のすぐ近くの路地から根本山に向かう。
 パンフレットで紹介しているコースは、上野原の町を取り囲むように連なっている五つの山(根本山・秋葉山・八重山・能岳・虎丸山)を踏破する縦走コースである。
 と言っても、どれも300~500mの低山なので疲労感は少ない。眼下の町との距離を確認しながら、町の彼方に壁のように聳えている青い山脈(その親分はひとり白く輝く富士山)を眺めながら、気持ちのいい森林浴が楽しめる。
 根本山の木の間から、試合をしている日大明誠高校の球児達が見えた。


八重山 008


八重山 009


 秋葉山の頂上には社が立っている。火防(ひよけ)・火伏せの神として信仰されている秋葉大権現(あきはだいごんげん)を祀ったものだろう。ここからの眺望は素晴らしい。富士山が真正面に望める。落ち着いた雰囲気のある山頂で、思索にふけるのにぴったりだ。
 墓場の中を通り抜けていったん町の道路に下りる。
 路肩の桜の向こうに見える扇山が優美だ。
 上野原中学校の正面に八重山ハイキングコースの入口がある。ここからが本番。


八重山 012

八重山


八重山 015


八重山 016



 八重山は、昭和の初めに上野原で生まれ育った水越八重さんにちなんで命名された。というのも、この山一帯(東京ドーム7個分)はもともと八重さんの家のものだったのである。それを子供たちの学習と上野原のためにということで寄贈されたそうである。
 偉かおなごばい。


 森の中は実に気持ちいい。歩きやすく整備はされているが、高尾山のように観光地化されていないので、素朴な静かさに満たされている。可愛らしい沢もある。いまはまだ芽吹く前だが、新緑の頃はどんなに爽やかなことだろう。
 ところどころに立てられた子供の自然学習のための掲示板を読みながら、ゆるやかな山道を登っていく。星型の屋根をした木造の展望台が見えてきた。

 展望台からは実に素晴らしい景色が楽しめる。
 360度に近い大パノラマ。
 こんな低山でこれだけの山々を視界におさめることができるとは奇跡のよう。八重山が絶妙な位置に存しているためだろう。
 この位置からだと、矢平山と倉岳山の間に富士山が顔を覗かせる。
 倉岳から時計回りに、高畑山、三ツ峠、本社ガ丸、扇山、不老山、3時の位置に権現山が大きい。三頭山や笹尾根を遠くに望み、6時の位置に生藤山、頂上に売店が小さく見えるのは陣馬山、城山・高尾山は9時の位置(真東)に遠くかすみ、石老山を回ると、丹沢、蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山といった丹沢軍団が居並んで、道志山塊をたどって矢平山に達する。近くから遠くまで実によく見えるので、地図を片手に山の位置関係を調べるのに飽きることがない。
 高尾からほんの少し(3駅)足を伸ばすだけで、高尾山に勝るとも劣らない豊かな自然と、高尾山をはるかにしのぐ眺望と静けさが味わえる。しかも、高尾山の景観を台無しにしている圏央道はここにはない。はっきり言って、ここは穴場である。「ああ、いい山だなあ~」と心の底から思える。

八重山 019



八重山 018


八重山 021

八重山 020

八重山 023



 展望台の先客は地元の老夫婦。話し好きで、いろいろなことをレクチャーしてくれた。
「あそこに見えるのが談合坂。よく交通情報で出てくるでしょ。その向こうの山腹にあるのは新しい住宅地だけど、アパートの半分は空き家になっている。帝京科学大学上野原キャンパスの学生を当て込んで作ったんだけど、アルバイトがないから若い人は居着かない。あれが権現山。昔はあの頂上でよく博打をやっていた。高いところにあるから警察が登ってきてもすぐに分かるからね。これはタラの木だね。芽をうまくむしればまた生えてくるのに枝ごと折って持って行ってしまう人がいるから困るんだよね。・・・・・・」
 地元民ならではのローカルな情報に惹きつけられる。
 展望台から階段を一登りで八重山頂上。
 東屋やベンチが並ぶ気持ちのいいスペースである。ここで昼食。


八重山 026


八重山 028


 今日の最高点である能岳(542.7m)からは、北側の生藤山が間に何も挟まずに真正面に見える。ということは生藤山からも八重山は見えていたはずである。先日登ったときの写真を確認する。一番手前の低い山がそうかな?


八重山 030


生藤山&三国山 011



 コースをちょっと戻って虎丸山に向かう。山頂までの登りが意外ときつい。虎模様のロープ゚を頼りに息を切らしながら登る。
 頂上にはこれまた社があった。何も説明が書いてないので祭神も由来も分からないが、手を合わせる。きつい登りのあとで鼓動がバクバクしている。息も荒い。それが鎮まるまで手を合わせ続ける。

 ここからパンフレットのコースをはずれて、西シ原方面に下る山道をとる。
 ハイキングコースでないだけあって、これまでの道にくらべて道幅も狭く、整備も行き届いていない。が、それがまた雰囲気があって良い。
 人が通らないところには思わぬ宝が眠っているものである。
 しばらく下ると、不意に緑あふれる谷間が現れた。植生が急に変わったのか、本来のこの山の様相なのか。森の精でも出てきそうな清浄な空間であった。おそらく、ここが今日一番のパワースポットだろう。


八重山 031 八重山 036

八重山 033


 山から下りた西シ原の集落にあった二十三夜碑。ここでも月待ち信仰があったのだ。
 権現山での博打の由来は、おそらく月を待つ間の遊興なのかもしれない。村人達はそうやって実際に「ツキ」を待っていたのだ。

八重山 038


八重山 041 上野原駅北口から100メートルあたりの停留所から秋山温泉行きの無料送迎バスが出ている。15時のバスに乗って秋山温泉に行く。
 大人800円、年中無休。
 温泉スパ(プール)あり。露天あり。源泉掛け流しあり。
 泉質はアルカリ性低張性温泉。天然の炭酸ガスを含み、源泉温度は約37度とぬるめである。身体に負担なく、いつまでも入っていられる。
 周囲を山に囲まれた、実にくつろげる温泉であった。 
 帰りのバスは、若々しいばあちゃん達で満員であった。
 (あんたらくらいの歳じゃ、もう驚かないよ、私は。)



八重山 042







● これぞイギリス式 本:『銀河ヒッチハイク・ガイド』(ダグラス・アダムス著、河出文庫)

銀河ヒッチハイクガイド 1979年出版。2005年河出文庫発行。

 中学生の頃、実家で祖母と『奥様は魔女』を観ていたときのことである。
 楽しそうに観ている自分に祖母が聞いた。
「テレビの中で笑っている声がする場面で、やっぱり面白いと思う?」
「うん、面白い」と自分は答えた。
 祖母は感心したような顔をした。
「おばあちゃんには、どこがおかしいのかさっぱりわからないよ。」

 祖母がお笑いやジョークを理解できない堅物だったわけではない。『笑点』や漫才番組や『八時だよ、全員集合!』を観て声を立てて笑っていたから。彼女が理解できず共感できなかったのは、アメリカ人の笑いのツボやユーモアセンスだったのである。そのことに自分は逆に驚いた。
 そう言えば、父母もまた『奥様は魔女』を一緒に観ても笑いはしなかった。サマンサの繰り出す魔法はもとより、ダーリンとエンドラ(黒柳徹子似)の丁々発止の掛け合い、愛すべきハガサ叔母さんのドジぶり、隣人のグラディス夫妻のとぼけた会話など、自分が笑っているときでも両親は黙って見ていた。
 確かに、『奥様は魔女』の面白さと、『八時だよ、全員集合!』や『時間ですよ』の面白さは別物であった。分析はできなかったが子供心にもそれは気づいていた。前者が言葉の応酬から生まれるおかしさであるのにくらべ、後者はいわゆるドタバタのおかしさである。が、それだけではない。落語や漫才は形の上では前者に入るが、笑いの質という点ではやはり『奥様は魔女』よりは『時間ですよ』に近い。というより、日本人の笑いの原点をつくっているのが落語や漫才なのだろうから、後発のドラマやバラエティがその流れを汲むのは当然である。
 なぜ、祖母や両親が理解できないアメリカンジョークを子供である自分は楽しめるのであろう?
 『奥様は魔女』が何度も(子供枠である)夕方に再放送されている現実を考えると、自分以外にこのドラマを楽しんで観ている子供たちが大勢いるのは明らかであった。
 となると、世代の差ということになる。
 小さい頃(60年代)から浴び続けてきたアメリカ文化の洗礼がこうした笑いに対する感性をつくったのであろうか。それは大人になってからでは遅いのであろうか。
 そんなことを中学生なりに考えたのであった。


 マイケル・J・フォックス主演の『ファミリー・タイズ』やレオナルド・ディカプリオ出演の『愉快なシーバー家』や『アーリーmy love』を持ち出すまでもなく、アメリカンジョークは今では多くの日本人に浸透している。今では『奥様は魔女』を面白く観ていた世代によって日本のテレビ番組や映画は制作されているはずである。
 ・・・のわりには、どうしてこうもつまらない番組や映画ばかりなのだろう。アメリカンジョークの面白さが分かる、というのとそれを創りだすというのはまったく別次元の話なのだろうか。三谷幸喜はわりとそれに近いところをやって成功していると思うが・・・・。

 さて、この本はイギリス人の作者によるSFコメディである。
 2005年に映画化されて、その出来映えはかなりのもんである。
 今回はじめて原作を読んだ。
 で、『奥様は魔女』と祖母の一件を思い出したのである。

 この本の面白さを理解できる日本人がどれくらいいるのだろう?

 イギリス人の笑いのツボというのもまた、日本人のそれとはもちろん、アメリカ人のそれとも異なる。同じ西洋で、アメリカはイギリスから独立したのだから根っこは同じで感性も近いはずと思うのであるが、やっぱり違う。イギリスの方が醒めている。シニカルである。自虐的である。乾いている。文字通り「痛快」である。『ミスター・ビーン』が代表である。
 自分が好きなのはイギリス人の笑いであるが、これはまだまだ日本人に受け容れられているとは言い難い。これを受け容れるためには、何かアメリカ的なものを捨てなければならない。ポジティブシンキングとか底抜けの陽気とかファミリータイズ(家族の絆)とか人類愛とか・・・。

 なんとも痛快なのは、アメリカ人(ブルース・ウィリスやバットマン)が最後まで必死に守ろうとする地球と人類を、ダグラス・アダムスは最初の数ページで何のためらいもセンチメントもなく消滅させてしまうのである。これ以上の自虐はあるまい。いっそ清々しい。
 そこから物語は始まる。
 主人公のアーサー・デントにはもはや帰るべき故郷もなく再会すべき家族もなく守るべき価値もない。宇宙の大海原(という言い回しもよく考えると矛盾だが)をペテルギウス人とヒッチハイクするハメになったアーサーの姿は、『銀河鉄道999』の鉄郎とどれだけ懸隔あることか! 
 意味のない世界を生きるのに必須なのは、武器でも愛でも哲学でも芸術でも希望でもなく、ユーモアそして「一杯のお茶」なのである。






 
 

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