ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 映画:『ビフォア・ザ・レイン』(ミルチョ・マンチェフスキ監督)

 1994年マケドニア、フランス、イギリス共同制作。

 マケドニアの田舎の美しく幻想的な風景は、一瞬、そこがこの世の楽園であるかのような錯覚をもたらす。月明かりの下に眠る山村の素朴な表情は、平凡だが平和で穏やかな暮らしが日々営まれているような印象を与える。
 しかし、一皮むけば、そこにはロンドンや東京やグアム(!)同様、激しい憎悪と敵意、不寛容と暴力とが巣くっている。
 映像が美しければ美しいほど、人の心の歪みと醜さとが際立ってくる。
 世界は暴力に満ちている。苦に覆われている。
 人は無明に閉ざされている。

 この映画は、語り手法に特徴がある。
 三つのパートに分かれていて、それぞれが一人の主人公をめぐる愛と死別の物語である。
 第一部は、マケドニアの若い修道僧キリルが、修道院に逃げこんできた少女ザミラと出会い、密かに愛を育む。二人は新天地を目指し村をあとにするが、途中で追っ手に捕まってしまう。キリルの目の前でザミラは銃殺される。
 第二部は、ロンドンで編集の仕事に携わるアンが、カメラマンの愛人アレックスとの別れを経験する。妊娠を知り、とあるレストランで夫ニックと別れ話をしているところで事件が突発し、ニックはアンの目の前で銃殺される。
 第三部は、故郷の村に帰ってきたアレックスの物語。平穏な生活を望んでいたのに村では人種対立が起きて一触即発の状態にあった。かつての恋人は今では敵方となっていた。その娘がアレックスの従兄弟を殺してしまったのをきっかけに暴動が起こる。元恋人に懇願されたアレックスは、自分が盾になり娘を逃がしてやる。その少女こそはザミラであった。

 時系列で整理すると、第二部の前半が一番最初に来る。次に第三部、第一部と続き、最後が第二部の後半になる。
 つまり、実際に物事が起こった順序と、映画として語られる順序が違うのである。
 一見、物語は複雑に錯綜しているように見えるが、それほどでもない。アラン・レネ監督の『去年マリエンバードで』に比べれば、よっぽど単純である。
 こうやって語る順序を意図的に組み替えることで、物語全体に円環構造が生まれている。自らの尻尾をくわえる蛇のように、映画の最後まで来ると最初につながるのである。それは暴力の連鎖というテーマをより深く観る者に浸透させる。暴力の円環から永遠に抜け出すことのできない人間存在の無明を浮き彫りにする。
 そしてまた、キリル、アン、アレックスを主人公とした三部仕立てのオムニバスにしたことが目覚ましい効果を生んでいる。
 我々は普段自分自身を主人公としたドラマを生きている。自身の人生ドラマの中から退場していった人(別れた人)についてはその後どうなったか知らないことが多い。もはや関係が無くなったと思ってしまう。
 だが、世界は入り組んでいる。因縁は計り知れない。
 別れた人間がどこかよその土地で継続している人生ドラマは、回り回って自身と再び関係しているのかもしれない。第二部の後半で編集者のアンが扱う戦場写真の中に、「観る者」はある写真を発見する。それは、人種対立の犠牲となった少女ザメラの遺体と、その傍らで呆然と座り込むキリルを撮った写真である。アンはもちろん、キリルのこともザミラのことも知らない。愛人のアレックスがザメラが逃げるのに命を張ったことも、もしかしたらザメラはアレックスの娘だったかもしれないことも、知るよしもない。アンとアレックスの関係は表面上は切れてしまったからである。
 

 我々は、自らの人生ドラマの主人公となって、いわば縦割りの「生」を生きている。
 だが、本来の世界のありようは、個人の意識や物語を越えたところに不可思議な連関の糸を張り巡らせ、同時性(シンクロニシティ)の鐘を響かせながら時々刻々紡ぎ出され更新される「WWW」なのである。
 
 この作品は1994年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得している。



評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」     

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
       
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 春来襲!秋山二十六夜山(972m、山梨県上野原)

●歩いた日  3月9日(土)
●天気    晴
●タイムスケジュール
 8:28 中央本線「上野原」駅発、山梨急行バス乗車
秋山二十六夜山 002 9:13 「浜沢」バス停着
      まんじゅう屋「つるや」
 9:30 歩行開始
10:00 あずまや
10:30 眺めの良い露岩
11:20 登頂
      昼食・昼寝
13:00 下山開始
14:10 「下尾崎」バス停
14:20 「寺下」バス停
      歩行終了
14:48 山梨急行バス乗車
15:30 「上野原」駅着

●所要時間 4時間50分(歩行2時間30分+休憩2時間20分)

秋山二十六夜山 015


 なんともゆかしい名前の山である。
 二十六夜というのは新月(朔)から数えて26番目の夜のことである。古く(一説によると平安時代)から、この夜の月の出を待って山頂付近でまつりを行う慣習があったことから、この名が付いたらしい。
秋山二十六夜山 001 二十六夜の月は有明の月。夜明け前に月が昇ると、全員で月を拝みながら無病息災や農作物の豊作、養蚕の成功などを祈願したと伝えられている。この地域(秋山村)ではその名残である二十六夜碑あるいは十三夜碑をあちらこちらの路傍で見かけることができる。

 たまたまこの山に登ろうと思い立ったのであったが、あとから調べてみると、なんと3月9日はまさに二十六夜にあたっていた。しかも、旧暦の1月26日である。正月二十六夜の月を拝むと幸運が訪れるという。
 今回も山に呼ばれていたとしか言いようがない。

秋山二十六夜山 003 浜沢バス停で降りたのは自分を含めて4名。今日も静かな山歩きが楽しめそうだ。
 3人はさっさと近道を使って姿を消してしまったが、自分はバス停の近くのまんじゅう屋「つるや」に寄る。
 上野原は江戸時代から酒まんじゅうで有名である。「つるや」のまんじゅうは通常の3倍くらいの大きさ(150円)を誇る。素通りできるわけがない。店内を覗くと、立派な石の竈から勢いよく吹き上げる炎の上で、大きな鉄鍋がふつふつと湯気を上げている。店先の床几に腰掛け、地元の人の方言会話を聞きながらゆっくりと頬張る。程良い甘さの粒あんが美味しい。

秋山二十六夜山 004 エネルギーを充填し、歩行開始。
 バンガローが建ち並ぶキャンプ場を抜けて山道に取りつく。いきなりの急登、しかもほぼ直線である。これがずっと山頂近くまで続く。アキレス腱が痛くなった。途中途中で適宜に休憩を取るのが利口である。ちょうど良い具合に30分ごとに、気持ちの良い風が抜ける東屋、眺めの良い露岩と現れる。露岩からは、白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)が望めた。

秋山二十六夜山 006


 途中、非常に危険なところがあった。
 右側は表面が滑らかな(つかみどころのない)大岩がせり出し、左側は急斜面の崖、その間を人一人やっと通れるくらいの幅の山道が3メートルほど続く。ただでさえ注意が必要な箇所なのに、なんと岩の影になっている道全体に厚い氷が張っている。試しに片足を置いてみると見事に滑る。普通に歩いたら間違いなく崖に落ちるだろう。
 どうやって向こう側に行くか?
 10分ほど呻吟し、まずリュックを下ろし向こう側にほうり投げ身を軽くしてから、抱きつくように岩に捕まって腰を低くし、一歩一歩足の置き位置を確かめカニ歩きしながら、どうにか脱出した。
 思い出したのは、小さい頃に見たジュール・ベルヌ原作の冒険映画『地底探検』の1シーンである。あのとき感じたハラハラドキドキが山登りの趣味につながっているのだな。

秋山二十六夜山 008 山頂はそれほど広くない。木々に遮られて眺望もいま一つ。
 だが、春風の爽やかな陽当たりの良い、気持ちの良い空間である。
 反対側から登ってきた中高年の一団が賑やかであった。
 山頂近くに雑木林の広場がある。その一角に卵を立てたような形の二十六夜碑があった。この広場で昔の人は月の出を待って酒を飲み博打に興じたのであろう。
 その姿を思い浮かべつつ、誰もいない広場の片隅で昼食を広げる。
 今日は、おにぎり(しゃけと昆布)、ゆで卵、漬け物、イワシの缶詰、緑茶。
 腹がふくれたら、空を仰いで横になる。
 至福の時・・・。

秋山二十六夜山 010

秋山二十六夜山 007 秋山二十六夜山 009


 最近とある会合で知り合ったSの姿を思い浮かべる。
 結ばれる確率はゼロに近いが、思うのは勝手だからな~。と言うより、「勝手に思ってしまう」のだ。
 旧正月二十六夜詣での威力はどんなもんだろう?

 ぽかぽかの陽光にあたって一眠りしたら13時になっていた。
 1時間40分も山頂にいた。
 もっとも帰りのバスが午後は一本しかないので、早く降りすぎても仕方ない。

 下山はつづら折りが続き、登りほど急ではない。
 下りきったところに沢があるが、今は水が枯れている。
 というか付近一帯崖崩れか地滑りでもあったようで、崩れた岩や木の残骸で流れが断ち切られている。四方八方に枯枝が散乱し、森の中のあちこちに裸の岩が捨て置かれたように周囲との調和無く転がっている。
 全体に「山が崩壊している」という印象。無惨な光景であった。
 信仰が廃れると、こんな風になるのだろうか。


秋山二十六夜山 011


 バスの時刻まで時間があるので一区間歩く。
 寺下のバス停の前にも立派な二十六夜碑が建っていた。
 碑の下に座って、秋山村の日常風景を眺める。
 家の改築をしている男達の姿が目に入る。建築屋に頼まず自分たちの手で建て増ししているらしい。息子、父親、祖父、ご近所さん(?)、いろいろな世代の男達が上野原弁であれこれ言い合う姿が面白い。


秋山二十六夜山 016


秋山二十六夜山 017



 帰りは藤野駅で下車し、やまなみ温泉に浸かる。
 露天にいた3人の男が「会派がどうの」「地域活性化がどうの」「パーティーがどうの」と盛んに話していた。どうやら相模原の市会議員らしかった。
 聞いていると、「前の相模原」という言葉が会話のはしばしに出てくる。
 そう、1955年に誕生した藤野町は、2007年に相模原市に編入されたのであった。
 (風呂の入口にかけてある大きな凧はそのときの記念のものらしい。)

 風呂上がりの生ビールの一杯と共に、下界に降りてきたなあと感じた瞬間であった。

秋山二十六夜山 018



● 映画:『ミケランジェロの暗号』(ヴォルフガング・ムルンベルガー監督)

 2011年オーストリア映画。

 原題はMein bester Feind「我が最良の敵」
 『ダ・ヴィンチ・コード』の向こうを張って二匹目三匹めのドジョウ狙いの邦題である。
 ミケランジェロが描いたモーゼの素描(400年前にバチカンから盗まれたという設定)を巡って、ナチスドイツと決死の駆け引きをするユダヤ人画商の息子を主役とした娯楽サスペンス。――という説明が過不足なく言い切っている。


 この物語には三つのストーリが絡んでいる。
 一つ目は、くだんの幻の絵画の在り処を探すミステリーであり、その熾烈な争奪戦。最も『ダ・ヴィンチ・コード』に近い部分である。
 二つ目は、裕福なユダヤ人画商の息子ヴィクトル(モーリッツ・ブライプトロイ)と、一家の使用人の息子でヴィクトルとは25年間共に暮らしてきたドイツ人の親友ルディとの愛憎・確執の物語。原題はここから来ていよう。
 三つ目は、ナチスドイツによるユダヤ人迫害の物語。

 三つの流れを絡ませて、ユダヤ人にとって最も過酷な時代に、親友に裏切られ、恋人を奪われ、アウシュビッツで父親を殺されながらも、「一休さん」ばりの機知で幾度も生命の危機を潜り抜け、最終的には友(=敵)を出し抜いてフィアンセと絵画を手に入れることに成功した男の物語を小気味良く描こうとしているわけである。
 その意図はわかるが、「かなり無理があるなあ~」という気がする。


 まず、一つ目のミステリー部分であるが、謎が凡庸である。絵画の隠し場所がポイントなのだが、これが見抜けない者がいるだろうか。「木を森の中に隠す」じゃないが、これを見つけ出せないナチスの輩はよっぽど馬鹿じゃなかろうか。あまりの意外性のなさは、かえって意外であった。
 二つ目の友情ドラマについては、描き方があまりに粗雑過ぎる。ルディは25年間お世話になってきたユダヤ一家を、幼馴染の親友をナチスに入党することで裏切るわけである。それなりの心のドラマがあってしかるべきである。それがまったく描かれない。
 なるほど、ルディとヴィクトルは同じ女性レナ(ウーズラ・シュトラウス)を好きになり、レナは権力を笠に着るドイツ人のルディでなく、身ぐるみはがされる宿命にあるユダヤ人ヴィクトルを選ぶ。それはルディがヴィクトルを憎む理由の一つにはなるかもしれない。しかし、それならそれで嫉妬から憎悪に至る心の過程が描かれるべきである。
 ルディの半生を描くだけでも深い人間ドラマ足りうるはずなのに、それをあっさりと片付けてしまう。あまりにも不自然、というかお座なり。
 三つ目のユダヤ人迫害は、映画に扱われる古今東西のテーマのうちもっとも重いものの一つと言える。ヴィクトルの両親はアウシュビッツに収容される。父親は殺されてしまう。ヴィクトル自身も今や虫けらのような存在である。十分シリアスである。
 しかし、シリアスさが伝わってこないのである。父親を殺されたヴィクトルの怒り・悲しみ、婚約者をルディに奪われた怒り・苦しみ、たくさんの同胞を虐殺された怒り・無念さ、ナチスドイツへの憎しみ・恨み、自身の無力への苛立ち、未曾有の悲劇を前にした絶望と神への懐疑と信仰の揺らぎ・・・。当時のユダヤ人なら抱いたであろう感情がヴィクトルからはほとんど感じ取れない。ヴィクトルは本当にユダヤ人なんだろうか?と思ってしまうほどだ。


 これは役者の演技の拙さというより、設定そのもの、脚本自体の拙さのせいだ。
 それぞれ一つだけでも十分語り甲斐のあるストーリーを一緒くたにしてしまったところ、つまり盛り込みすぎ、欲張りすぎたのが失敗の一因。
 しかも、それらのストーリーの比重が違いすぎてバランスが悪い。盗まれた絵画ミステリーとしての軽やかな娯楽性と、親友の裏切りやアウシュビッツの惨劇といった重いシリアス性とは一緒くたにできなかろう。たとえて言えば、「南京大虐殺を舞台に従軍慰安婦A子がラストエンペラー(愛新覚羅溥儀)の所有していた秦の始皇帝の秘宝を探す娯楽ミステリー」なんて感じだ。
 ラストで絵画を手に入れたヴィクトルが母親とフィアンセ共々、あっけにとられるルディを尻目に得意満面に立ち去るシーンなど、虐殺された父親や同胞の悲劇や恨みを背負っていないかのような颯爽とした表情のヴィクトルが鉄面皮か薄のろに見える。

 なぜこんな不具合が起こったのか。
 筋の面白さ、巧みさを優先して、人間の心理をなおざりにしてしまったからである。
 『ダ・ヴィンチ・コード』のように、純粋に絵画ミステリーに焦点を絞って、背景ももっとフィクショナルなものにしておけば良かったのに・・・。

 カメラを回す前の時点での失敗である。


評価:D+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
     
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 本:『老いへの不安 歳を取りそこねる人たち』(春日武彦著、朝日新聞出版)

老いへの不安 2011年発行。

 信じ難いことに、自分は初老期に位置しているわけである。五十代も終わりに近づいている。老人となるのを目前に控えているーーだがそれにしては貫禄もないし、深みもない。落ち着きもなければ他人に年輪を感じさせることもできない。言葉にも態度にも説得力を欠き、欲望は未だに生々しく、枯淡の境地には程遠い。

 どうやって「きちんと」歳を取ったらいいのか分からないのである。しかも自分の周囲を見回し、世代の近い人間を眺めてみても、彼らも上手く老人になれそうに思えない。

 と、慨嘆する著者による「老い」をめぐるモノローグ。
 書店に並んでいる良くある「老い方指南」みたいな鬱陶しいもの(曾野綾子に代表される)ではないのが好感持てる。「功成り名を遂げた六十手前の有能な精神科医にしてこのザマか。春日がこれほど惑うなら一般人が途方に暮れるのも無理はないではないか」という妙な安堵感を与えてくれる。


 著者が「うまく」歳を取る鍵を探るために利用した手持ちの駒は、幼少の頃からこれまでに出会ってきた「カッコいい、粋な」老人たちの思い出であり、いろいろな小説に描かれている年寄りの姿である。様々な老人たち、老いのカタチを掲げて、ああでもないこうでもないとあれこれ寸評しながら、著者自身の求める「老い」のカタチ、そして「老いとは何か」の輪郭を描いていく。 
 輪郭であって中味でないのは仕方ない。実際に自らが老いと対峙するその日まで、結局「老いとは何か」分からないのだろう。他人の語る「老い」は、それがいくら当事者の口から発しられたものであろうと、結局他人のものでしかない。その意味では、「幸せ」と同様かもしれない。

 初めてこの著者の本(『病んだ家族、散乱した室内』医学書院)を読んだとき、何より印象に残ったのは著者の「偏屈」であった。
 で、2冊目を読んで「やはり自分の印象は正しかった」と思った。
 春日自身が十分自覚している。

おそらく、わたしは老いていくに従って、偏屈で意地悪で寂しい老人となっていくであろう。ひと筆描きの描写で事足りそうな「いやなじじい」で片付けられてしまうだろう。
 
 当方だって人間関係が面倒なあまりに子供を儲けなかったし、友人だって驚くほど少ない。携帯電話は持ち歩かない(番号メモリーも、妻の携帯と当方の勤務先の二つしか登録していない)。仕事と散歩以外は引きこもった生活だし、小鳥よりは鉱物の結晶のほうがもっと心が慰められる。もっとも猫だけは例外だが。

 なんだか自分(ソルティ)と重なる部分が多くて苦笑してしまう。

 一方、この本を読んでいて妙に引っかかった部分がある。
 いろいろな小説の中に出てくる「老人」を原文を引用しながら紹介するにあたって、春日はまず作者を紹介する。多読家である春日が取り上げる作家たちは世間的には知られていない人が多い。吉行淳之介や井上靖や橋本治はともかく、塩野米松とか中原文夫とか高井有一とか聞いたことのない(当然読んだことのない)作家の名前が次々と出てくる。
 春日は読者の便宜をはかって、それらの作家について簡単に紹介してくれる。
 その際に、どういうわけか「芥川賞受賞歴がある」とか「芸術院会員である」とか、なんか世間的に座りのいいプロフィールを必ず付すのである。

 高井は昭和七年、東京都出身。いわゆる「内向の世代」の作家として括られ、このグループには・・・・(略)・・・・などが含まれる。芥川賞のみならず谷崎潤一郎賞や野間文芸賞など受賞歴は華やかで、現在は日本近代文学館理事長。

 一回や二回なら普通に流せるが、毎回この調子なんである。なんだか春日自身が世間的価値に追従している俗物みたいに思えて、いささか鼻白む。「芥川賞」も「芸術院会員」も、タレントの「二科展入選」というプロフィール同様、「どうでもよいこと」というのが「偏屈者」たる者のスタンスではないかと思うのである。(自分が「理想的な偏屈者」の勝手なイメージを抱いているせいもある。他人に勝手に抱かれるイメージを裏切るからこその「偏屈」なのだから。)
 これは「世の中にはこういう素晴らしい埋もれた作家がいるのだよ」と無知な読者に啓蒙したい一心から来る文学愛好家の世間的価値への不請不請の「歩み寄り」であろうか。
 それとも、春日自身が「芥川賞」に対するオブセッションを抱いているのだろうか。
 としたら、まだまだ十分若い。

老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。
 難儀なことを解決するのか、避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないかとわたしは思っていたのだ。だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。
 だから老人は鬱屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。



● 宿敵はワトソン 映画:『シャーロック・ホームズ』(ガイ・リッチー監督)

 2009年イギリス・アメリカ共同制作。

 主要キャラクターの設定をコナン・ドイルから借りているが、ストーリー自体はまったくのオリジナルである。同じストーリーを、そのために新しく創造したキャラクター達で演じたとしたら、これほどの面白みも人気も出なかっただろう。ホームズ、ワトソン、アイリーン・アドラー、レストレード警部、モリアティ教授、ハドソン夫人・・・。ドイルの創造したキャラクターの尽きせぬ魅力と彼等に対する読者の熱い人気が、この作品を成功に導いたのは間違いない。その意味で成功の60%以上はドイルに帰すべきである。


 推理とアクションとサスペンスと友情ドラマとCGと19世紀ロンドンの風景とをバランス良く楽しめる。
 ワトソン役のジュード・ロウが良い。ホームズの引き立て役として愚鈍で愚直な男として設定されることの多いワトソンのイメージを一新する色男ぶり。下手すると主役のロバート・ダウニー・Jr.を食いかねない魅力を打ちだしている。いや、もしかしたらこれまでのホームズもの史上もっとも魅力に富んだワトソンかもしれない。
 宿敵モリアティとの闘いがテーマとなる第2作はすでに作られたが、第3作はどうだろう?
 そろそろロバートがへそを曲げるのではないだろうか?
 ワトソンが目立ちすぎるのも考えものだ。



評価:C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
      

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える』(トッド・フィリップス監督)

 2011年アメリカ映画。

 前作の大ヒットを受けて予算アップしたのだろう。今回はタイ・バンコクを舞台にしたバチェラーパーティーご一行様の大暴れ。
 だいたいPART2やPART3が出来映えの点で最初の作品を超えることはまれである。続編につきまとうマンネリズム(お約束ごと)と一作目の成功に気をよくした役者達が気合いを入れすぎるがゆえに生じるキャラの誇張化は、固定ファンを喜ばす一方で、作品としては新鮮さの欠如をもたらす。
 が、この作品は一作目と同レベルの面白さに達している。
 監督の才気、脚本の妙もあるが、一番の魅力はやはりアランことザック・ガリフィナーキスの演技にある。彼が登場した瞬間からマンネリズムの空気が消え失せてしまう。2作目でもアランはやっぱり新鮮である。
 アランが出てくるシーンでは、目は自然とアランに行ってしまう。よく演技に関しては「子供と動物にはかなわない」と言われるが、ザック(と脚本家)はアランの精神年齢を10歳くらいで止めているのだろう。風変わりで異常で変態でトラブルメイカーなのに愛らしさを感じざるを得ないのはそのためなのだろう。
 立ち上がったオットセイのような体型ですら愛らしい。




評価:B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」     

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
   
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● シェイクスピアと紫式部 映画:『から騒ぎ』(ケネス・ブラナー監督)

 1993年アメリカ・イギリス共同制作。

 原作はシェイクスピアのMuch Ado About Nothing
 まんま「から騒ぎ」である。
 惚れ合っている二組の男女が結ばれるまでのすったもんだをイタリアの片田舎を舞台に陽気に描いたコメディである。

 お互いに惚れ合っているのだから「好きだ」「私も」・・・で結ばれれば簡単なのだが、そうは問屋が卸さない。二人を引き裂く陰謀があったり、誤解があったり、両人のプライドがあったり、意固地な性格があったりして、当人同士も周囲もヤキモキする。
 また、そうした波乱や障害がなければそもそも「物語」は生まれない。あらゆる「物語」は、まさにMuch Ado About Nothing「意味のない大騒ぎ」である。
 もちろん、「人生」という物語も同じである。シェイクスピアは『マクベス』にこう語らせている。
 

Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury
Signifying nothing.  
人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、
舞台の上でおおげさにみえをきっても
出場が終われば消えてしまう。
白痴のしゃべる物語だ、
わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、
意味はなに一つありはしない。 
 
 このようなある種の「虚無」の地点から人生や世間や周囲の人間たちの紡ぐドラマを観ていたのがシェイクスピアである。
 凄いとしかいいようがない。
 一方、この「虚無」からこそ、あれだけ豊かな深みのある物語が生まれ得たとも言える。「物語」を超越した地点にいて、冷めた目であらゆる「物語」の機構を読み抜いたのであろう。神の視点から人間を見るように、自在に「物語」を創り得たのであろう。
 先般亡くなった名女優山田五十鈴が、親友が夫を亡くし嘆き悲しんでいるのをじっと観察して演技の参考にしたという話を、中野翠がどこかに書いていたが、才能ある芸術家というのはどこか透徹した目で世を見ているのかもしれない。
 中世から抜けたばかりの産業革命前の時代。まだイギリスが封建的で牧歌的な空気を宿していて人々が陽気で暢気だった時代。そしてまたエリザベス一世の絶対王政で世界の覇者となったイケイケバブリーな時代。そんな時代に一人そんな境地にいたというところが本当に凄いとしかいいようがない。時代の寵児というより、時代の「超」児=異端者だ。
 日本で比肩できる人物を挙げるとすれば紫式部をおいてない。

 シェイクスピア作品の映画化は難しい。
 そもそもが舞台のために書かれた脚本である。それをそのまま使って映像化するのは無理がある。セリフ自体がまた冗長で古めかしくて「芝居がかって」いる(あたりまえだ)。
 閉鎖された非日常空間である舞台の上なら映えるものも、日常生活同様の開放された空間と日常生活を凌駕する視点の自在さを有する映画ではリアリティを欠く危険がある。それでもシェイクスピアに敬意を示してか、たいていの場合、脚本を映画用に書き換えるということをしない。この映画もおそらくセリフはほぼ原作そのままであろう。
 すると、監督の演出手腕が見所となる。
 ケネス・ブラナーは非常に才能豊かな演出家であることを証明している。実に巧く映像化している。舞台用に書かれた本であることを忘れさせるくらい、演出とカメラ回しとテンポの付け方が巧みでダレがない。ドン・ペドロ(デンゼル・ワシントン)が仲間ともども凱旋するのを村中で迎える最初のシーンなどは、まさに映像でなければ表現できないリズムとお色気を生み出して、村人の喜びの爆発する様を描ききっている。この芝居には欠かせない、舞台はイタリアだがこの時代のイギリスにも欠かせないラテン的な明るく陽気で享楽的な雰囲気が横溢している。モーツァルトの『フィガロの結婚』を聴いているかのようだ。
 しかも、ケネス・ブラナー自身が主役の一人、恋する男を演じている。これがまた実に巧い。本当に才能ある人だ。 
 マイケル・キートンの演技もトンでいて笑える。『ビートルジュース』しかり、独特な体の動きと喋り方によって奇天烈な人物を造型するという点で、ジョニー・ディップ(=ジャック・スパロウ)に先んじている。
 ブレイク前のキアヌ・リーブスの暗い眼差しもまた魅力である。

 『から騒ぎ』は2012年にジョス・ウィードン監督により再映画化されている。
 DVD化されると良いのだが・・・。



評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」      

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」          
        「ボーイズ・ドント・クライ」
          
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 


● 映画:『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(トッド・フィリップス監督)  

 2009年アメリカ映画。

 アメリカのドラマや映画を観ていると、当然日本文化にないアメリカ人の風習に気づく。その代表的なものの一つが「バチェラーパーティー」である。日本語でこれに相当する言葉(=概念)がない。そして、多くのアメリカの風習をカタカナ語にして輸入してきた日本文化だが、なぜか「バチェラーパーティー」はいまだに浸透していない。他では「プロム」と「ガレージセール」もそうか。

  自由を謳歌した独身(バチェラー)生活ともついにおさらば。結婚を前に仲のいいダチ公とつるんで最後の羽目を外そう。酒だ、女だ、ギャンブルだ、男同士の乱痴気騒ぎだ、無駄遣いだあ~・・・・・・というのがバチェラーパーティーである。
 花婿ダグとその友人らはラスベガスの一流ホテルに泊まり、一夜の狂乱に我を忘れる。これが単なる二日酔い(hangover)でなく、知らずに飲んだ麻薬の影響で本当に我を忘れてしまう。翌朝目覚めると、ホテルの部屋はとんでもない混乱状態に陥っていて、花婿は消えていた。いったい一晩の間に何があったのか? 花婿を見つけて結婚式に間に合うよう無事帰ることができるのか。
 空白の記憶を探り出し消えた花婿を探すという点ではミステリー。理由も分からずなぜか怪しい一味に付けねらわれるという点ではサスペンス。花嫁はじめ親戚一同がイライラして待っている結婚式に間に合うよう帰れるのかという点ではスリラー。全体としては、肩の力を抜いて観るにふさわしいお間抜けなコメディである。
 テンポも良い。脚本も良い。登場人物一人一人のキャラが立っている。特に、花嫁の弟アランを演じたザック・ガリフィアナキスの「変人」演技は際立っている。素か演技か分からないほどである。「超」のつくオタクな変人なのに、どういうわけか愛くるしさを感じさせ、タグの古くからの友人たちの輪に納まって仲間として受け入れられてしまう。観る者も最後はアランというキャラを楽しんでいる自分に気づく。こうしたキャラを創造できる演技力はかなりの質の高さであろう。注目の俳優である。 同じメンバーで続編が見たいものだ。
 と思っていたら、すでに続編があった。ザックも同じ役で出ているらしい。観てみよう。

 バチェラーパーティーが日本に根付かないのは、日本の男は結婚前と結婚後とでアメリカの男ほど失うものがないからであろう。「結婚は人生の墓場」とはよく聞く言葉であるが、日本にはもともとそういう考えはなかった。少なくとも男に限って言えば。
 日本の男は、結婚しても女遊びするし、ギャンブルもするし、酒も飲むし、男同士つるんでバカ騒ぎもする。
 結婚によって一人の女性に縛られる、家族のくびきにつながれるというのは、アメリカ文化の根底を形作っているキリスト教の影響であろう。唯一絶対神の前で誓い合うのであるから縛りは強い。日本の神と来たら、平気で浮気はするし(ヤマトタケル)、酒は飲んで乱暴するし(スサノオ)、子殺しすらする(イザナギ)。神前結婚にはなんの縛りもない。せいぜい「産めよ、増やせよ」くらいだ。
 さて、どっちが幸せなんだろう?
 男にとって。
 女にとって。


評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」    

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● インドに行け! 映画『四つのいのち』(ミケランジェロ・フランマルティーノ監督)

 2010年イタリア・ドイツ・フランス共同制作。

 ヨーロッパでかなり評判になった映画らしい。
 南イタリアののどかな田舎町を舞台に、人、ヤギ、木、炭の四つのいのちが循環する様をロングショットを多用して淡々としたタッチで描く。

 会話らしい会話がない。音楽もない。ナレーションもない。説明のための字幕もない。それどころか演技と言えるものもほとんどない。(プロの演技者は老人が飼っている犬だけらしい。)
 絵と自然のサウンドだけでストーリーを進め、観る者にテーマを伝えていくという点では「映画的」と言える。
 実際、南イタリアの牧歌的な風景、古い石造りの町と素朴な住民の紡ぐのどかな日常、静寂を引き立てるヤギの鈴の音や犬の鳴き声など、観ていると何ともくつろいだ平和な気分に満たされる。プロの俳優たちの過剰な演技がないぶん、作品から作為の気配が薄まって「いのちの循環」という大仰な、また説教的になりそうなテーマをさりげなく観る者に気づかせることに成功している。


 好感の持てる映画と言いたいところなのだが、何か引っかかる。どことなくしっくり来ない。
 なんでだろう?
 とつおいつ考えて浮かび上がった言葉は「オーガニック」「スローフード」。
 この作品は、この2つの言葉から自分が抱くイメージに近い。
 原義というか、英語で本来使われている意味合いはよく知らないが、日本に紹介されるとき「オーガニック」も「スローフード」も、欧米で流行の生活様式、それも意識の高い人たちの熱中するファッションみたいなニュアンスがつきまとっている。おそらくは、英語をそのままカタカナ語にして日本文化に取り込むときに必然的に生じる弊害なのだろう。カタカナ語そのものに、外来の、流行の、おしゃれな、底の浅い、軽佻浮薄な、「ええかっこしい」のイメージがつきまとうからである。
 この映画も、なんだか「きれいなところでまとめている」という印象を受ける。
「いのちの循環」ってそんなきれいなものではないだろう。
 たとえば、老いた牧夫の死と同時に生まれた子ヤギが、山中で迷って大きなモミの木の根方に眠るシーンがある。次のシーンは雪をかぶった大地とモミの木である。季節が変わるとモミの木は切り倒されて炭に変わっていく。
 子ヤギが老人の死と共に生まれたのならば、炭がモミの木の伐採と共に生まれたのならば、当然モミの木の成長は子ヤギの死と共にある。死んだ子ヤギの腐った遺体を糧として、モミの木はその根を張り枝を伸ばし葉を広げたのである。
 しかし、ここでは子ヤギの死は映さない。ぼかしている。死体はきれいな白雪に隠されている。
 ヨーロッパに根強い動物愛護の精神のためであろうか。
 だが、実際の死体は映さなくともヤギの死を観る者に分からせる手段はいろいろあるはずである。
 死を語らずに、死のグロテスクと向き合わずに、「いのちの循環」がありえようか。
 そう考えると、わざわざ南イタリアの美しいロケーションを舞台としたのもなんだかこすっからい気がしてくる。都会のゴミための中にだって「いのちの循環」は発見できるはずだ。インドに行けばいくらだって発見できる。


 

評価:C-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」    

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
       
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 地球の中心 高川山(976m、山梨県都留市)

 高川山は5年前の冬に登っている。

 多くの山に登ってきたので、一度だけ登った特定の山の名を挙げられて、その印象や登山道のわかりやすさや険しさ、山頂からの風景などを聞かれても、もはや答えることができない。少なくともブログを書く以前については。
 だが、高川山だけは違う。
 圧倒的な好印象と共に記憶に刻まれている。あっという間に山頂に立てる手軽さ(90分)とは不釣り合いなほど見事な360度のパノラマゆえに。
 頂上からの視界がこの山ほど利いている山はほかに知らない。
 大抵の山はある方角だけ(中央線沿いの山の場合は富士山のある方角が)開けていて、他は木々や岩で視界が覆われているのが普通である。陣馬山でも300度はないだろう。草木の生い茂る季節などはもっと見える範囲は狭まってしまう。
 高川山は東西南北すべての方角に見通しが利く。北側で20度ばかり、山頂周囲に立つ木に邪魔されて奥多摩方面の山々(三頭山、鷹ノ巣山など)が立ち位置をずらさないことには見えないのだが、ぐるりを空と山とに囲まれた岩場に立っていると、まるで地球の中心にいるみたいな気分になる。山座同定がこれほど楽しい山はない。
 もちろん、山頂から望む富士山も一度見たら忘れられない美しさ。
 風のない晴天を選んで、冬にこそ登りたい山の一つである。

高川山 001●歩いた日  2月21日(木)

●天気    晴

●タイムスケジュール
 9:30 中央本線・初狩駅
      歩行開始
高川山 002 9:50 男坂・女坂登山口
11:00 高川山頂上
      昼食
12:10 下山開始
13:50 富士急行線・田野倉駅
      歩行終了

●所要時間 4時間20分(歩行2時間50分+休憩1時間30分)

●歩数   16000歩


 初狩駅で降りると、目の前にボリュームたっぷりの山塊が構えている。殿平山、鞍吾山、そして中央線沿線で圧倒的な存在感を誇るマツコデラックス・滝子山である。駅の南東にはこれから登る高川山が冬の朝のやさしい光を浴びて、丸まった猫のようにくつろいでいる。
 我の前に行く人の影なし。我の後に続く人もなし。
 空気は冷たいが、身も心もすっきり。

高川山 004


高川山 006


 前回来た時は、ガイドブックに従い寒場沢コースを取ったが、夏はともかく冬の沢は体を冷やすこと間違いない。今日は女坂コースを取ることにする。男坂コースは落石の危険があると看板にあった。
 道はわかりやすい。傾斜もそれほどきつくない。露出した木の根っこがうまいことにちょうど良い足がかりになってくれる。
 木々の間から見えたゴツゴツした裸の岩山こそ目指す山頂に違いない。
 寒場沢コース、男坂コースからの道と順次合流し、一登りで山頂に立つ。

 見事だ。

 ペイルブルーのケープの裳裾を長く引きずった女王様然とした富士山。
 その両脇に重臣の如く控えるは、半月前に登ったばかりの倉見山と、杓子、鹿留、三ツ峠、御巣鷹の山々。
 そこから幾重にも円をなして貴族たちが女王を取り巻く。
 鶴ヶ鳥屋山、お坊山、滝子山、ハマイバ丸、黒岳、雁ヶ原摺山、権現山、扇山、陣馬・景信・高尾の人気三銃士、旭山、大室山、今倉山、御正体山、石割山・・・。
 バルコニーから顔を覗かせている賓客は、甲斐駒ヶ岳、薬師岳など南アルプスのお歴々。しらが頭が貫禄を感じさせる。
 方位盤の周りを何度もぐるぐる周りながら、一つ一つの山の名前を確かめていく作業に時の経つのを忘れる。

高川山 008


高川山 016


高川山 017


高川山 018


高川山 019


高川山 015


 山頂には先客がいた。
 富士山を撮影している60代くらいの男性。
 登頂してしばらくすると、残念ながら女王は雲のベールで顔の一部を隠してしまわれた。それが取り払われるのを、岩に腰掛けじっと待っている。
 一方、自分は弁当を広げられる場所、冷たい風のあたらない日当たりの良い岩陰を求めて山頂をウロウロ。岩だらけで平らな場所がない。土が露出しているところは、霜が解けてぐちゃぐちゃ。到底、座れない。
 やっと場所を決めてランチにする。
 はるか下方にゴルフ場が見える。池とグリーンとバンカーと宮殿のように立派な建物と。双眼鏡を覗くと4人の男性がプレイしていた。彼らも休日か。それとも、定年後の第二の人生を楽しんでいるのか。

高川山 022 下りは富士急行線・禾生(かせい)駅に着くルートを選んだ。
 このコースはあまり使われていないらしく、道がよく踏まれていなくて気をつけないと迷いそうになる。しかも、途中で崖崩れがあって5メートル位にわたって登山道が崩れた木の残骸でふさがれていた。
 いったん、道を外れ、崖を下りて迂回する。

 途中の分岐まで来ると、看板がある。

高川山 020


 結局田野倉駅に着くコースにルート変更。
 
高川山 024 山道を抜けて林道に下りて一安心。
 と思ったら、ここでやってしまった。
 アスファルトの表面が凍っていて、二度も滑って尻餅をついた。
 山道の雪よりアスファルトの氷の方がよっぽど危険と知る。アスファルトは表面が平らだから、凍りつくとスケートリンクみたいになるのだ。アイゼンなしの登山靴ではトリプルアクセルもできない。

 民家を抜けると、九鬼山が目の前に現れる。
 山腹を東西にぶち抜いているのは、リニアモーターカーの実験線。東京・大阪を1時間で結ぶ夢の超特急。山道を何時間も歩くのが好きな種族には、まったく理解できない計画である。
 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」は、1973年の交通標語。標語というのは実際上の効果はもたらさないという見本である。

 レトロな西洋風建築の旧尾県(おがた)学校校舎、稲村神社を経て、田野倉駅に着く。

高川山 026


高川山 027


高川山 029


 大月行き列車の発車3分前であった。
 途中下車して、高尾ふろっぴいで温泉に浸かる。
 フロント横におおきな雛飾りが置かれていた。
 春、近し。

高川山 030

 

 

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