ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● カブトムシ・ダンスィー 本:『ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻』(P.G.ウッドハウス著)

初出1923~1930年。
2011年文春文庫より刊行。

 しばらく前にネットでお受験ママたちの間で「男子カブトムシ説」っていうのが流行った。最初に誰が言ったのかは不明だが、次のようなものである。

11歳の女の子は
新人OLだと思って
育ててください。

11歳の男の子は
カブトムシだと思って
育ててください。

 上手く言ったものだと感心した。
 この年頃の男女の精神面での成長差を表現しているのはもちろんだが、同時に男と女のジェンダーの違いを揶揄しているように思う。

カブトムシ
 
 カブトムシの生態を挙げてみよう。
  • よく食べる
  • オス同士よく喧嘩する(→どっちが上かやりたがる)
  • よく交尾する(→惚れっぽい、エッチ好き)
  • 結構臭い(→排泄物を飛ばす、不潔)
  • 一度転倒したら自分ではなかなか起き上がることができない(→挫折にもろい)
  • 夜行性(→夜になると元気)
  • エタノール(エチルアルコール)に引き寄せられる(→酒好き)
  • 完全変態である

 見事、人間のオスに当てはまるではないか!
 むろん、個別性・多様性ってのがあるから、これを男一般の性質としてステレオタイプ化するのは間違いである。が、ある程度の共通性が前提としてあるからこそ、そこから外れた男たちのオリジナリティなり孤独なり疎外感なりも存在するのである。
 男子カブトムシ説は11歳の男の子だけでなく、成人して社会で働く男たちにも、引退して地域で市民活動やサークル活動に邁進する男たちにも、障害を負って介護施設で暮らす男たちにも当てはまる。(ソルティが働く老人ホームにおいても、利用者のジェンダー差を否定することはできない。)
 もっとも、お受験ママたちの間で流行ったのは、男と女のジェンダー差に対する社会学的・生物学的・人類学的・恋愛的・福祉的興味からではなく、純粋に教育的見地からであろう。ママたちのもっかの関心や悩みは、中学受験を控える息子とどのように接したらいいのか、彼らをどのように扱えばもっと勉強に励んでくれるのか、というあたりにある。男子カブトムシ説の意義は、「おかあさん達よ。あまり難しく考えすぎないで。あまり子供に干渉しないで。管理しすぎないで。彼らの生態を理解してのびのびとさせなさい。昆虫を飼育しているくらいのつもりでお受験を一緒に楽しみなさい」といったところにあるのだろう。つまり、視野狭窄やノイローゼに陥りがちなママ達をリラックスさせるためのアドバイスである。

 さて、大好きなウッドハウスが知らぬ間に文庫になっていた。文庫化ははじめてではないだろうか。うれしい限りである。
 しかも、カバーデザインが素晴らしい。『non-no』や『anan』の装丁を手がけている森ヒカリ(1972年生まれ)というイラストレーターの作品である。本の中身の面白さを請合ってくれるような、書店で思わず手が伸びる楽しくおしゃれなデザインである。

カブトムシ男子 002
 

 あいかわらず、気はいいけれどちょっと抜けてる有閑階級の青年バートラム・ウースターと、才気煥発で頼りになる執事ジーブズの、田舎屋敷を舞台にしたドタバタ喜劇が繰り広げられている。バートラムの親友ですぐに女に惚れては失恋を繰り返すリトル・ビンゴ、悪戯と夜遊びが生きがいの従兄弟クロードとユースタス、賭け好きの仲間たちも登場し、暗さや深刻さとは無縁の楽観的世界が現出している。

 ウッドハウスの小説に出てくる男たちの生態は、まさにカブトムシである。
 カブトムシが右往左往にうごめき喧嘩に明け暮れ途方に暮れたりしている中で、ただひとり飼育箱の外に立ち、生態を十全に観察・理解しつつ、適度にえさをばら撒きながら、カブトムシを思いのままにコントロールしているのが、我らがジーブズである。


 



● スモール・イズ・ワンダフル! :介護の仕事11(開始4年2ヶ月)

 介護の仕事に就いて5年目に突入した。介護福祉士の資格も取って、職場(老人ホーム)の中では上から数えたほうが早い古参になってしまった。新人の頃、5年目の先輩職員と言ったら、「便失禁も救急対応も帰宅願望も徘徊も介助拒否も、怖いものなしの大ベテラン」という感じで見ていたが、果たしていま自分も新人からはそう見えるのであろうか。
 いささか心もとない。

 さて、ソルティは男としてはチビである。加齢により骨密度が減少してきているためか、ここ数年少しずつ背丈が低くなって160センチを割ってしまった。一時は65キロもあって生活習慣病危険区域に達していた体重も、この仕事を始めたおかげで10キロ近く減少、日々の肉体労働により上腕筋や胸筋や背筋が発達、胴回りもすっきりし、20代の奇跡のボディラインをキープしている。
 由美かおるか!
 介護の仕事のメリットの一つは、運動不足の解消と肥満防止にあるのは間違いない。周囲を見ても、新人の頃はマシュマロマンのように丸々太ってドタドタ動いていた奴が、半年過ぎると体全体が絞られて、きびきびとした身のこなしで颯爽と介助にあたっている。寿命も数年延びたであろう。

 社会に出たての20代の頃、体の小さいことがコンプレックスになっていた。
 背が低いと、ほかの男たちから文字通り‘下に見られやすい’。体格の立派な男に比べると、どうしたって押出しがよろしくない。貫禄に欠ける。そのうえにソルティは父親譲りの童顔であった(ある)ので、まず年相応に見られたことがない。仕事上でも日常生活上でも(たとえば混んでいる電車の中とか喫茶店で注文するときとか)人と接する場面において、どうも軽くあしらわれやすい。むろん、自意識過剰ゆえの被害妄想の部分もあろう。
 ヘテロの男だったらそこに「背が低いと女にもてない」という黄金律が加わるから、余計にコンプレックスは高まることだろう。ソルティの場合は、幸か不幸か対象が女でなかったので、そこはあまり重要ではなかった。
 スモール・コンプレックスはいつの間にやら消失した。「背丈で勝てないなら中身で勝負!」と意気込んて自分磨きに勤しんだわけではない。二十歳過ぎればもう身長は伸びない。「変えられないものは悩んでも仕方ない」と受け入れたのが一つ。そして、「他人から下に見られようが軽んじられようがどうでもいいじゃん」と思えるようになったことが一つ。風采とか押出しの良さとか威厳とかあまり関係ないような職種、競争や評価や出世と無縁な職種、単純に言えばスーツを必要としない職業ばかり経巡ってきたのである。

 そんなこんなで数十年経った今、こう思っている。
 
「体が小さくてつくづく良かった~」
 
 介護職の多くが「勘弁してほしい」とため息をつく利用者は、体の大きな、体重の重い、立ち上がることのできない利用者(ほぼ男性)なのだ。自分の力で立ち上がることも側臥位になる(横向きに寝る)こともできない体重80キロの大男を介助するのは、実に骨が折れる重労働である。
 ミステリー好きの自分は、犯人が死体を処理するのに苦労するシーンを本で読んだりテレビで見たりして、「人一人動かすのがあんなに大変なのかなあ」と不思議に思っていた。なんとなく意志(魂)の抜けた体は、当人の抵抗がない分、自由に動かしやすいといった錯覚があった。それに、学生時代ぐでんぐでんに酔っ払った友人をアパートまで連れて帰るのに肩を貸したときなど、たしかにこちらの体にいつゲロが吹きかけられるかわからないスリルもあって厄介な作業ではあったが、一人でできないことはなかった。だから、人間の体がいかに重いものか、はっきりとわかっていなかった。
 だが、80キロは80キロなのである。スーパーで売っている米袋を歩いて持ち帰ろうとするなら、やはり10キロが限度だろう。重量挙げの選手なら80キロでも持ち上げられようが、それとて数十秒のことである。
 生命のない人体、完全に意識を失った人の体、立つ意欲を失った肉体は、重い。まんま80キロの物体である。酔っ払っているときでも人は、自分の力で立とう、歩こうとしているのである。こん睡状態になったら、数人がかりで担ぎ上げて車を呼ぶしかない。

 80キロの利用者をトイレ介助するには一人では無理である。最低でも二人必要だ。
  1. 一人が車椅子の前に回り腰を低くして、両腕を利用者の両脇から差し入れて利用者の背中で両手を組む。
  2.  「いち・にの・さん」と反動をつけて、両腕を前に引きながら腰を上げて、利用者を立たせる。足で踏ん張ることのできない利用者の全体重は介助者にかかる。
  3.  その間に、背後に控えた今一人の介助者が利用者のズボンとパンツを素早く下げて、尿取りパットをはずして「OK」を出す。(このとき便失禁していると厄介である)
  4.  前側の介助者は、下半身丸出しになった利用者を抱えながらゆっくりと便器のほうに回転して、ひざを曲げて腰を落としながら利用者を便座に座らせる。
 この一連の作業にかけられる時間は、女性職員や自分のように背が低くて非力な男性職員の場合15~20秒が限界である。それを超えると腕がしびれて、力が入らなくなってくる。上背のある利用者の場合、介助者は下から持ち上げないとならないので余計に力が要る。介助している間は常に、肩や腕や腰に負担がしいられる。毎回毎回(トイレ介助は一日数回ある)、毎日毎日、これを繰り返すと痛みが固定されてしまう。介助者の職業寿命が縮む。
 だから、くだんの利用者の介助は自然と後回しになる。施設介護は常に時間に追われているので、介助者は時間のかからない軽介助の利用者から次々と対応していく(片付けていく)傾向にある。体の重い利用者を先にやることで体に負担を残したくないのもある。ほかの利用者のトイレ介助がひととおり済んで、フロアが落ち着いて、二人の介助者が個室に籠っても大丈夫なときになってようやく、くだんの80キロ利用者の番が来るわけである。
 ここだけの話、あまりに忙しい時や職員が病欠して人員不足の時など、「一番分厚いパットを当てているし。一回くらいトイレを抜いてもいいか」と飛ばされてしまうこともある。尿意や便意のない(訴えられない)利用者は黙ったままである。
 こういう介助にこそロボットがほしいと切に思う。どんなに重い利用者でもやさしく持ち上げて立位を取らせ、そのまま90度回転させて、また下にやさしく降ろしてくれるロボットだ。簡単に作れると思うがな・・・。
 

ロボット


 そう遠くない将来、そんな介助ロボットが登場するとは思うけれど、それまでは体の大きな・体重の重い・介助の必要な利用者には受難の日々が続くであろう。若いときに誇った堂々たる体格や異性の注視を浴びた上背を、「よもやこんなことになろうとは・・・」と苦々しく思いつつ、トイレの順番を濡れたパットに耐えながら待つことになる。人によっては、職員の負担となっている自分の巨躯を呪わしく感じることもあろう。
 世の若き女性たちも3Kだ何だと欲張っているのも考え直したほうがいいかもしれない。超高齢社会のこれからは、パートナーを介護しなくちゃならない日のことを考えて相手を選んだほうが利口かもしれない。なんと言っても男のほうが先に倒れる確率が高いのだし、いずれは施設に預けるとしても、それまでは妻の手で多かれ少なかれ在宅介護することになる。
 「大きいことはいいことだ♪」は昔の話である。
(――というジョークが通じたのも昔の話である。)

 



●  奇跡の年 映画:『花咲く港』(木下恵介監督)

1943年松竹。

 木下監督のデビュー作。30歳の時の作品である。
 同じ年に世界のクロサワが『姿三四郎』でデビューしている。
 まさに奇跡の年だったのだ。
 
 どうってことのないコメディ映画なのであるが、新人のデビュー作とはやはり思えない。東山千栄子、小沢栄太郎、上原謙、水戸光子、笠智衆、東野英治郎、坂本武といった並み居るベテラン役者、人気役者を見事に使いこなしている。カメラワークも達者。テンポも絶妙。
 この翌年に世界映画史上まれに見る傑作反戦映画『陸軍』を撮っていることを思えば、木下は映画監督としては早熟の天才タイプだったのだろう。
 黒澤明に比べると、扱うテーマが日常を舞台とした恋愛や友情や家族ドラマなど地味なものが多かったためもあってか、現在に至るまで世界的には知名度も評価も低い。
 しかし、こと女性を描く力量に関して言えば、黒澤明は木下恵介の足元にも及ばない。木下作品に登場する女性たちのリアル感から見ると、黒澤作品の女性たちはまるで書割りである。『陸軍』の田中絹代、『華香』の岡田茉莉子と乙羽信子、『女の園』の高峰三枝子、『永遠の人』の高峰秀子を観れば、現代にも通用する木下のフェミニズムに賛嘆の念を禁じえない。

 黒澤明の作品が今以上に深く理解されることも高く評価されることもないであろう。
 が、木下恵介の作品は、これからますます理解される度を深めてゆくであろうし、それにつれて評価も高まってゆくであろうことは想像に難くない。
 むろん、自分は木下派である。


評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


 
 

● 映画:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(ジェームズ・ガン監督)

2014年アメリカ。

 アメリカの人気コミックを原作とするSFスペースアクション映画。
 なんの気構えも予備知識も期待感もなくおもむろに観始めて、思わぬ楽しさが待っていた。
 拾い物の一本である。
 
 まず、今さらであるがCG技術の凄さに感心する。もとがコミックでスペースものなので、どれだけCGが使われていても全然気にならない。これが恋愛映画だったり歴史ドラマだったりしたら、やっぱりCGの過剰投与は製作者の‘手抜き’感を高めるだろう。
 また、コミックだけあってキャラクターの‘立ち(=個性)’が素晴らしい。とりわけ、チームを組む5人の戦士のうち、遺伝子改造されたアライグマのロケットと、彼の相棒である木のヒューマノイドのグルートのコンビが、最高にユニークで楽しい。役者世界の有名な言葉に「子供と動物には勝てない」というのがあるが、まさに「動物と植物には勝てない」といったところか。

 家族や友達と酒を飲みながら、休日前夜を楽しく2時間過ごしたいと思うならば、恰好のオススメ映画である。(そのかわり3日経てば内容を忘れる。)


評価:C+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 今さらのレリゴー♪ 映画:『アナと雪の女王』(監督クリス・バック、ジェニファー・リー)

2013年アメリカ(製作ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ)

 遅ればせながら、2014年に日本で主題歌ともども大ヒットしたアニメを鑑賞。
 ブーム真っ只中の時は乗りたくないという昔からのソルティの天邪鬼ゆえである。おかげでリアルタイムの話題にいつもついていけない。
 どうでもいいか。

 アニメだから、ディズニーだから、と馬鹿にしていたわけではないが、予想外に面白かった。
 子供たちを楽しませる分かりやすいストーリー、マジカルでビューティフルでファンタジーな映像、ユニークな脇のキャラクター(雪だるまのオラフ)、ミュージカルとして舞台にかけても十分通用するであろう高レベルの音楽表現・・・。
 さすがディズニーである。
 
 ソルティが「面白いな」と思ったのは、この物語はもともとアンデルセン童話『雪の女王』が下敷きになっていて、少年と少女の友情物語なわけである。それがエルサ(雪の女王)とアナの姉妹愛の物語に転換されている点がまず一つのポイント。
 姉妹愛の物語って考えてみると、あまりないのである。『若草物語』くらいしか思い浮かばん。『細雪』は姉妹愛とはちょっと違うしな。
 えっ、『美徳の不幸』? 
 ・・・・・。
 とりわけ、この物語のように妹が自分の命を犠牲にして姉を助けるといった話は聞いたことがない。
 姉エルサの魔力で全身が凍りついてしまったアナを救うには、「真実の愛の接吻」が要る。この仕掛けは、同じくディズニー映画になっている童話『眠れる森の美女』や『白雪姫』と変わりない。少女が夢見る「白馬に乗った王子様のキス」という永遠にして凡庸なファンタジーである。「壁ドン」はそのヴァリエーションだろう。
(むろん最後には、アナを本当に愛している勇敢な山男クリストフの熱いキスが、アナの氷を溶かし蘇らせるのだろう。二人はめでたく結ばれるのだろう。)
と、タカをくくって観ていた。(だってディズニーだもん。)
 が、アナを救ったのは恋人ではなかった。男ではなかった。
 姉に対する自らの「真実の愛」だったのである。
 自分で自分を救ったのだ。
 ここが新鮮で面白い。
 「もう少女たちには、救ってくれる男なんて必要ありません」という、ある意味フェミニズム的な匂いがしたのである。
 そう、アナの性格はまさに、従来のディズニー的な夢見る少女、魔法使いや王子様が現れて窮地を救ってくれるのをただ待っているだけの女性とは違っている。自分の手で人生を切り開いていく気概と勇気にあふれている。
 エルサもまた同様に男を必要としていない。魔法使いであることを隠して自分自身を閉じ込めて生きてきたエルサは、自らに備わった特別なパワーを恐れ、それがバレることで起こる周囲からの攻撃に怯えている。が、全国民を前にした戴冠式の日に、あっけなく正体がばれてしまう。パニックになって山奥に逃避するエルサ。
 ここで有名な「レリゴー(Let It Go)」が歌われる。
 観る者は「おやっ?」と思うのだ。
 エルサの気持ちを想像するに、自分の正体がばれたこと、周囲から「モンスター」と恐れられたこと、妹と決別したこと、女王の座を失ったこと、国を捨てて孤独に生きざるをえなくなったこと、そんな宿命を背負うよう生まれついたこと・・・等々を、哀しみ、怒り、嘆き、呪い、恥じているのではないかと普通なら考える。共同体から追放されるあぶれ者(男が多い)を描く従来の物語であれば、それが普通だろう。
 だが、エルサが歌に籠めるのは、世間体から解放された自由であり、「ありのままの」自分自身を何の遠慮なく生きることができる喜びであり、自らのパワーを思いのままに発揮できる高揚感なのである。
 やっぱり、フェミニズムっぽい。
 同年(2013年)に公開された『かぐや姫の物語』とくらべると、主人公の女性たちのベクトルが正反対であることに思い至る。かぐや姫は、山の中で男女の別なく自由奔放に育った楽しい幼年時代を捨てて、世間体と窮屈なしきたりや習慣に支配される貴族社会(=男社会)に身を置くことになり、自らのパワーを押し殺していった。嫁ぐべき男を選ばなくてはならない羽目に陥ったわけである。
 どっちの映画のほうが、現代の女性観客に受けるかといったら、それはもう言うまでもない。
 
 昨今のディズニーがこんなにフェミニズムだなんてびっくりした。
 まあ、そうでもなければ、女性たちにそっぽを向かれるだろう。 


評価:B-


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




 

● A は Avijja (無明)の A :初期仏教月例講演会(講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老)

テーマ 『ブッダの栄養学~こころの栄養管理をしてみませんか?~』
 
日時 7月2日(土)13:30~16:30
会場 なかのZERO小ホール 
講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老
主催 日本テーラワーダ仏教協会

 10時間近く寝たのに頭がすっきりしない。
 30度を超える蒸し暑さのせいで体も重い。
 更年期障害?
 早くも夏バテ?
 職場(老人ホーム)で何かに感染した?
 それとも単なる老化?
 
 冷房の効いたなかのZEROホールの固い座席に着くや、全身を襲う疲労と倦怠感に支配された。読経が終わってスマナサーラ長老の講義に入るや、頭はどこかに行ってしまった。仏教で言う五蓋(ごがい)――修行の妨げになる五つの障害――の一つである「眠気と沈鬱」に襲われたのである。
 厚い緞帳を隔てた遠くのほうでスマナ長老のいつもの快活な声が響いている。
 30分くらいそんな感じだったろうか・・・。

 
 「絶えず!」

 スマナ長老の言葉が厚い緞帳を突き破り、数光年の距離を越えて、いきなりこちらの脳天を直撃した。
 話の前後はわからない。
 だが、この短い言葉に籠められていた鋭く凄まじいエネルギーの波動が、自分の頭の中を覆っていた靄を一気に薙ぎ払い、眠気と沈鬱がさっぱり消えた。覚醒した。
 あたかもそれは、壇上のスマナ長老が、五蓋に捕まっている客席のソルティの情けない姿にあきれて、こちらの頭めがけて‘気’が充填された言葉の矢を放ったかのように思われた。(見ると、スマナ長老はまったく別の方角を向いて喋っていた。)
 
 心は一瞬にして変わる。
 以後の講義は覚醒状態にて参加した。
 
 以下、講義の概要。
 
生命を維持する栄養素は4つ。
 
1.食べ物(物質的な栄養)

 食事するときの注意点。
    •  肉体を維持するという目的のために食べる。
    •  感情で食べない。理性で食べる。
    •  一日に必要な量を理解する。(必ずしも3食必要ない)
    •  決して満腹にはならない程度にする。
    •  食べ物は生命である。慈しみの気持ちで食べる。
    •  体が常に壊れゆくこと、維持管理するのは大変であることなどに気づきながら食べる。

2.触(パッソ)

 触とは、六門(目、耳、鼻、舌、身、意)に六種類のデータ(色、音、香、味、触、法)が触れること。
 生きているとは、「触」機能によって、内外のデータを瞬間瞬間認識することである。触れて感じる機能を失ったら生命は直ちに死ぬ。
 
 
3.意志(チェータナ)
 
 意志とは、「何かをしたい」という衝動。
 生命は常に何かをやりたがっている。結果も気にかけず、何故やるのかも分からず、止めることも制御することもできず、ただ闇雲に何かをやって感情を引き起こし、存在欲(=渇愛)にフィードバックする。(感情の波を立てることで生きている実感を得る。)
 業(カルマ)を形成するのは意志である。どうせ何かするなら、意図的に善行為(善い意志からの行為)をするのがよい。善いカルマをつくるから。
 
 
4.識(ヴィンニャーナン)

 識とは、認識のことではなく、認識する以前の‘こころ’のこと。
 識は純粋な水のようなもの。この水にいろいろな感情が溶け込むことで、いわゆる‘心(=心所)’が生まれる。存在欲も執着も識の中に起こる。
 単なる物質の固まりである物体が「命」になるのは識が働いているから。(母体に宿った受精卵が数週間で細胞のかたまりになる。そこに‘識’が吹き込まれることで生命が誕生する) 
 この‘識’こそが、瞬間瞬間生滅し、データを更新しつつ、輪廻転生している真犯人である。 


 4つの栄養素の原因は存在欲(=渇愛)である。
 存在欲ある限り、栄養を得つつ生命は輪廻転生する。
 仏道修行とは、生命に栄養を施すのをストップし、存在欲を滅尽させる道程である。
 すなわち、生きながら死ぬこと。


 質疑応答の際に長老が発言した「すべての生命は無明から始まる」という言葉が面白かった。
 すべからく生命は、「無明」からスタートし、紆余曲折しながら、完全なる「智慧」に至って「解脱宣言(ゲームオーバー)」する、心の進化ゲームを大宇宙を舞台にやっているのであろうか。


サードゥ、サードゥ、サードゥ


※以上は、ソルティがスマナサーラ長老の講義を聞いて、独自の見解(=主観)でまとめたものです。文責はソルティにあります。




 


● カリンニコフと「宿命」 :OB交響楽団第190回定期演奏会

日時 2016年6月26日(日)14:00~
会場 ティアラこうとう大ホール(東京都江東区)
指揮 松岡究(はかる)
演目
  1. リスト:交響詩「前奏曲」
  2. シューベルト:交響曲第7番「未完成」
  3. カリンニコフ:交響曲第1番ト短調
  4. アンコール ラフマニノフ:ヴォカリーズ

 OBとはなんの略だろう?
  ――と思い、公式ホームページを開いてみたが、プロフィールがない。というか、ホームページというものがこの世に登場したばかりの頃のそれのような大層シンプルなデザイン。建設中のページもある。
 謎めいている。
 
 今回選曲のカリンニコフもまた謎めいている。はじめて聞く名前だ。

ヴァシリー・カリンニコフ
1866年ロシア(旧ソ連)生まれの作曲家。貧困の中、苦学して音楽を習う。24歳のとき結核に罹患。26歳のときチャイコフスキーに認められてモスクワのマールイ歌劇場の指揮者に任命される。29歳のとき代表作となる『交響曲第1番』作曲。2年後の1897年に初演され大成功をおさめる。が、本人は結核が悪化し初演に立ち会えず。まさにこれからというところ、全ての職を辞してクリミア南部のヤルタへ隠棲。1901年34歳にして逝去。

 まさに薄倖の芸術家である。
 長らくクラシック業界から忘れ去られた存在だったが、1995年NAXOSから発売された「交響曲第1番・第2番」のCD(テオドル・クチャル指揮ウクライナ交響楽団)が異例のヒットとなったのがきっかけとなって、埋もれた鉱脈の発見のごと一躍脚光を浴び、以降こうして演奏会に取り上げられるようになったらしい。

 惹かれる。
 どんな音楽なのか、ぜひ聴きたい。
 今回の目的はずばりカリンニコフにあった。

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 《第九》合唱の記憶が蘇るティアラこうとう大ホールは5~6割がた埋まっていた。
 配布されたプログラムを見ると、OB交響楽団の紹介があった。

昭和12年(1937年)大学オーケストラ各校の有志OBによって結成された、在京で最も古いアマチュアオーケストラです。戦争により第10回の演奏会をもって一旦演奏活動を中断せざるを得ない状況もありましたが、戦後の混乱期を経て、昭和23年、再び演奏会にこぎつけます。それ以来、年に2回、第50回以降は年3回のペースで演奏活動を続けて今日に至っており、来年は80周年を迎えます。

 OBって、まんまOB(=Old Boy)だったのか・・・。
 歴史と風雪を感じさせる紹介文にちょっと感動。
 ステージに登場した団員たちの姿にも風雪と風格を感じる。50~70代が中心であろうか。ホームページの謎が解けた。
 指揮の松岡究は1958年生まれだから58歳。団員の平均年齢くらいか。たしかに演奏経験も人生経験も豊富なOBたちを御するに、若造指揮者では難しいだろう。プロフィールを観ると、オペラ分野での活躍と高評価が目立つようだ。

160626_1550~02
 
 リストの交響詩――。
 まず感じたのは音の厚みと粘っこさである。コンクリートの壁のような打ち抜き難い分厚さがある一方で、それゆえに生硬かと思えばそうでなく、泥のように粘っている。押せば撥ね返すような、形を変えていけるだけの自在さはある。変な喩えだが、一番ぴったりくるのは――スライム
 で、やっぱりこれは亀の甲より年の功という気がした。このスライム感、若いオケではまず出せないだろう。海千山千の人生をくぐり抜けてきた者が持つ強さと、何事も押してばかりでは駄目なんだということを身をもって知る者の持つ賢い身のこなし(処世術)との結合が自然に滲み出ている感じがした。
 若いからどうの、年とっているからどうの、アマチュアだからどうの、という先入観で聴くのは良くない、つまらないと重々分かっているけれど、このスライム感にくらべると、ワセオケワグネルはガラス板のようである。
 むろん音楽的にどっちがいいってわけではない。ただ、弾き手の属性が集団になるとオケの音に反映されることを実感し、興味深く思った。
 一曲目は決して悪くはなかった。が、ワグネルの素晴らしく‘気’の充実したリストを聞いたばかりの耳には凡庸に響いた。

 シューベルトの「未完成」――。
 これは意表をつく演奏だった。テンポが遅い。スローワルツのよう。
 何か考えあってのことだと思うのだが、このペースによって、OBオケではただでさえ出しにくいであろう‘リアルタイムの青春感(=未完成)’が、まったく楽曲から消失してしまった。25歳でこの曲を書き、31歳で夭折した青年シューベルトの影がない。青春の情熱も不羈も不安も焦燥も孤独も甘美な夢も感得されない。青春の残り香すらなくて、老人ホームでアルバムを開きながら若い頃の自分のセピア色の写真を懐かしく眺めている長い午後といったふうである。
 重ねて言うが、演奏者の属性によって固定観念を持って聴いていたのではない。そうしないように努めて、目を閉じて聴いていたのだが、この未完成は率直に言って退屈であった。

 ミカンの次はいよいよカリンニコフ――。
 素晴らしい。
 いい曲だ。
 スラブ風の哀愁漂うメロディがマーラーを連想させる。が、マーラーほど暗くも不安でもない。甘美なメロディがチャイコフスキーを連想させる。が、チャイコほど悲愴的でも女性的でもない。
 ロシアと縁の深い西本智実が振ったら、この曲の真価が十全に引き出されるのではないかという気がする。西本は以前、映画『砂の器』のテーマ曲である『宿命』(菅野光亮作曲)を振っている。ソルティが、交響曲第一番を聴きながら幾度も思い出されたのは『宿命』であった。
 OBオケの厚みと粘っこさのある音が、そして年輪ゆえの含蓄の深さが、最も素晴らしく反映され発揮されたのはこのカリンニコフであった。
  

 コンサート終了後、会場隣りの猿江恩賜公園の池の端で余韻に浸った。

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● 映画:『ゼロ・グラビティ』(アルフォンソ・キュアロン監督)

2013年アメリカ、イギリス製作。

 ゼロ・グラビティ(無重力)の宇宙空間で船外活動中に事故にあい、宇宙に放り出されたライアン・ストーン博士(=サンドラ・ブロック)が、次々と襲いかかる絶体絶命のピンチを根性と強運とで切り抜け、無事地球に帰還するまでを圧倒的映像でスリリングに描いたSF映画。
 広大無辺の宇宙空間や我らがミスター・ブルー(by八神純子)の美しくもシュールな映像、宇宙船の船体や機器の精密なセット、全編にみなぎるスピードと迫力。これは大画面で観たい映画である。
 主たる登場人物がライアン博士と同僚のマット・コワルスキー(=ジョージ・クルーニー)のほぼ二人だけというのも面白い。ドラマを描くのにたくさんの人間は必要ないことの証明である。
 孤軍奮闘するサンドラ・ブロックの演技は、実質的な映画デビュー作『スピード』(1994年)を思い出させるが、さすがにあの頃より深みある熟成した演技を見せてくれる。湖に着水したあと、地球の重力を全身に感じながら砂浜に立ち上がるシーンは、なんだか両生類がはじめて陸に上がった3億6千年前の地球の光景を見るかのような、あるいは憧れの王子様を求めて砂に上がった人魚姫の試練を目の当たりにするかのようなドキドキ感がある。エロティックと言ってもいいくらいの。
 ジョージ・クルーニー。あいかわらず渋くて飄々としてイイ男っぷりである。

 それにしても、事故の原因がロシアのせいってのはどうよ?
 アポロ時代か? 『ロッキー』か?
 いくら宇宙開発が進んでも、人類は進歩しないっていう皮肉か。



評価:B-(大画面&3Dで観たらB+かも・・・)


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!






● 無人島の一冊 本:『ブッダが説いたこと』(ワールポラ・ラーフラ著)

1959年刊行。
2016年岩波文庫より邦訳発行。

 「純粋仏教徒の妄想世界の散策記」というブログを読んで、この本を知った。ブログの主によると、「無人島に一冊だけ持っていくとしたら、この本を選ぶかもしれない」ほどの名著らしい。これが読まずにいらりょうか。

 ブッダの息子と同じ名を持つワールポラ・ラーフラ師(1907-1997)は、スリランカ出身の僧侶つまりテーラワーダ仏教の修行僧であり、同時にスリランカ大学、カルカッタ大学、パリ大学、ノースウエスタン大学で大乗仏教含む仏教全般について広く深く学びかつ教えていた学者としての顔を持つ。この本を執筆していた時はパリに住んでいたようだ。
  What the Buddha Taught という原題どおり、本書は最古の仏典においてブッダが実際に語ったことをたよりに、仏教の基本的な教えを体系的にまとめている。

 私はこの小冊子を、仏教に造詣はないけれども、ブッダが本当に何を説いたのかを知ろうとする、教育があり、知性のある一般読者を対象に著した。そのために、私はブッダが実際に用いたことばを忠実かつ正確に、そしてできるだけ簡潔に、直裁に、平易に伝えようと心がけた。(本書まえがきより)

 著者の目的は見事に果たされている。
 2時間もあれば読み終えてしまう200ページに満たないブックレットにもかかわらず、ブッダの中心的・基本的な教え――四聖諦、八正道、五蘊、カルマ(業)、再生、因縁、無我、ニルヴァーナ(涅槃)、修行法――が網羅されている。ラーフラ師のたゆまぬ修行の成果と真摯な学問的追求との最高度の結合である。現在の仏教研究の最高権威者(オックスフォード大学の教授だそうだ)は、本書を「現時点で入手できる最良の仏教入門書」と評価している。ソルティもまったく同感である。
 それだけに、この本がなんと57年間も邦訳されなかった=ほうっておかれたことが、ほとんど犯罪的と思われるのである。日本の仏教界、出版界はいったい何をしていたのか。岩波書店は何をためらっていたのか。
 間違いなく、本書は、2016年に日本で発行される星の数ほどの新刊本のNO.1に君臨するのみならず、90年の歴史を誇り日本人の教養のメルクマールたる岩波文庫の過去何千冊の輝けるラインナップのうち、最良の一冊である。
 これほどすぐれた書が(真理が!)、日の出ずる国で日の目を見るのに60年近く要するとは!!
 文化とはなんてヘンテコリンで恣意的なものなのだろう。
 もっとも、テーラワーダ仏教そのものが2000年以上にわたって日の出ずる国に到来しなかったことを思えば、岩波書店はじめ関係諸氏を責めるわけにもいくまい。
 これもまた因縁なのだろう。

 訳者の今枝由郎は、国民総幸福量(Gross National Happiness)を提唱する「世界一幸せな国ブータン」の草分け紹介者として有名である。 日本にいるあまたの仏教研究者ではなく、チベット研究者のこの人が訳しているのもなんだか面白い因縁である。
 

 以下、引用。

 仏教は、ほとんどの宗教において信仰あるいは信心といわれるものにはほとんど関知しない。
 信仰は、ものごとが見えていない――「見える」ということばのすべての意味において――場合に生じるものである。ものごとが見えた瞬間、信仰はなくなる。・・・・・・・・・
 肝心なのは、知識あるいは叡智を通じて見ることであり、信心を通じて信じることではない。

 仏教は悲観主義でも楽観主義でもなく、しいていえば、生命を、そして世界をあるがままに捉える現実主義である。仏教はものごとを客観的に眺め、分析し、理解する。

 この肉体的身体が機能しなくなっても、それとともにエネルギーは死なない。それは何か別なかたち、姿をとって継続するが、それが再生と呼ばれる。・・・・・・・・・
 永続的、不変的実体が存在しない以上、ある瞬間から次の瞬間に継続するものは何もない。それゆえに、ある生から次の生へと生まれかわる永続的、不変的なものは何もないことは明らかである。途切れなく継続するのは連鎖であるが、それは一瞬一瞬変化する。連鎖とは、実際のところ運動に他ならない。

 仏教でいう絶対真理とは、世界には絶対的なものはなく、変わることなく、永続する絶対的な自己、魂、あるいはアートマンといったものは内にも外にもない、ということである。

 ブッダによれば、人間が完全であるためには、注意深く啓発しなくてはならない二つの資質がある。一つは慈しみであり、一つは叡智である。慈しみは、愛、慈善、親切さ、寛容といった情緒的な気高い資質であり、叡智とは、人間の知的な心の資質である。もし情緒的側面だけを発達させ、知的側面を無視すれば、人は心やさしい愚か者となりかねない。その逆に知的側面だけを発達させ、情緒的側面を無視すれば、他人を考慮しない無情なインテリとなりかねない。

 「無人島に持って行きたい一冊」と言うのも、真摯な仏教徒ならば決して大げさではない。
 ソルティもまた考えた。
 無人島の一冊・・・・・。
 最初に浮かんだのは、やはり仏教書、ポー・オー・パユットーの『仏法』(サンガ発行)である。ラーフラ師の本より分厚く難解であるが、修行の進展とともに読み返すたびに発見があるから、無人島での瞑想修行のお供に最適であろう。 

仏法 002

 
 二冊(作品)めを許されるなら、チャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』か。いや、長さで言ったら、山岡荘八の『徳川家康』(全26巻)も捨てがたい。栗本薫の『グイーン・サーガ』シリーズは未完だし・・・・・。
 いろいろ楽しく考えていたが、大事なことを忘れていた。
 火の熾し方も知らない無能な自分が何より優先すべきはサバイバル・マニュアルだろう。となると、さいとうたかおの漫画『サバイバル』がベストか・・・・・。

 だからそれって結局、「生存欲です」というスマナ長老のお叱りの声が聞こえてきた。


サードゥ、サードゥ、サードゥ


 

 

● シャフクへの道7 飯塚慶子に賭けてみる!

 来年1月末の社会福祉士国家試験に向けて、勉強を開始した。
 
 まずは、実際の試験がどんなものなのかを知るために、昨年度(第28回)の試験問題いわゆる過去問に挑戦してみた。全19科目計150問、制限時間250分である。
「・・・・・・む、むずかしい」
 予想はしていたが、今年受けたばかりの介護福祉士国家試験とは比べものにならない難レベル。合格率26~27%というのも頷ける。「これは正答だ」と自信を持って言える問題が3割もない。介護福祉士試験は、一般常識で答えられるもの(専門職でなくても正答できるもの)が3割程度あったが、こちらは1割ない。しかも、介護福祉士試験のときは、すでに介護現場で3年以上働いているという強みがあった。こちらはそれも効かない。
「う~ん。性根を据えてやらないと、こりゃ一発合格は難しいぞ」
 冷水をかけられた気分で答え合わせしたところ、なんと150点中94点(正答率62.7%)。
 第28回試験の合格ラインは88点(58.7%)と発表されている。
「えっ?合格??」
 驚いた。勘の良さに・・・。
 介護福祉士試験のための勉強を3ヶ月やっていたから試験問題慣れしていたようだ。5つの選択肢の中から「当たっていそうなもの」を見抜く勘がついているのだろう。
 しかし、62.7%はこころもとない。安心することなど全然できない。勘にかけるわけにはいくまい。
 8割(120点)獲得を目指して、これからギャップを埋めていけば間違いないだろう。

 まずはテキストが必要だ。
 通信教育で使った中央法規「社会福祉士養成講座」のテキスト20冊はあるが、もちろんそれ全部読み直すのは時間と労力のムダ。試験によく出るポイントだけをしっかりと学んで記憶できる、それさえ熟読しておけば何とかなる、やる気を失うほど分厚くない、かと言って頼りなさを感じるほど薄くもない、19科目を網羅したテキストがほしい。
 ブックオフや書店を回って、各社のテキストをパラパラとめくって、一冊を選んだ。
 医学評論社『2017社会福祉士の合格教科書』。約450ページ。

P6210016

 
 著者の飯塚慶子は、慶應義塾大学文学部、全国社会福祉協議会中央福祉学院卒業。株式会社ベネッセコーポレーションや横浜市内介護老人保健施設相談員を経て、現在は大学や養成施設で社会福祉士やケアマネや精神保健福祉士などの資格取得のための受験対策講座を担当している。
 読みやすい紙面で、字も大きく(中年にとってはこれが一番大事)、整理・暗記しやすいような図表もたくさん載っている。450ページなら途中で息切れすることなく読み通せるだろう。
 よし。この一冊に賭けてみよう!

 福祉制度は変化が激しい。法や制度はコロコロ改正されるし、新設されるし、廃止される。通信教育で学んだ内容も2年たてば古くなる。
 刻々更新されていく福祉情報に触れる手段として週刊『福祉新聞』というのを購読することにした。霞ヶ関にある福祉新聞社から出ている4ページの新聞である。昨年、社会福祉士養成課程の実習で障害者支援施設に行ったとき、読売新聞や朝日新聞などと一緒にロビーに並べてあるのを見て存在を知ったのである。現在論議されている法律や制度についてのみならず、現場で起こっている問題(たとえば利用者への虐待や介護離職など)や福祉分野での新しい潮流・取り組み(たとえば介護ロボットや認知症カフェなど)が取り上げられていて、わが国の社会福祉の動向を知るにはもってこいだ。介護・社会福祉士の読者が一名、毎回顔写真入りで登場し、普段の仕事の様子や福祉への思いなどを語るリレーエッセイもなかなか面白いし、資格取得へのモチベーションを高めてくれる。

福祉新聞
 

 よし、これで用意万端。
 来年1月まで社会福祉士合格を目標に、生活にハリをもたせることにしよう。
 脳の老化防止、認知予防にもなるから、一石二鳥である。





 
 
 


 
 



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