2009年イタリア映画。
原題のLa doppia Oraとは「二重の時」の意。
ふと時計に目をやったときに「15:15」とか「23:23」のように同じ数字がダブっていることがある。それを何か運命的なサインとして捉える人は多いだろう。この物語の主人公ソニアもその一人。重なる数列に運命の岐路を読む。
いまひとつの意味は「二つの時間、二つの物語」の意であろう。
ソニアはデートクラブで知り合った恋人グイドと二人きりでいるところを強盗に襲われ、三日間の昏睡に陥る。その間に見た夢(=潜在意識、無意識)が一つの時間。そして、昏睡も含めてその前後に続く日常生活の出来事がもう一つの時間。観る者は二つの時間(物語)を通じて、ソニアの外的状況と内面(深層心理)を垣間見ることになる。
物語の大部分が実は昏睡状態にあるソニアの夢だったという、ある意味、観る者を馬鹿にしているような構造(=夢オチ)になっているのだが、それで憤慨するかと言えばそうでもない。
というのも、二重構造にすることで、父親をもグイドをも裏切って悪の道へと走っているソニアの深層心理が浮き彫りにされているからである。
フロイトを持ち出すまでもなく、夢は見る者の無意識を映し出す。昏睡状態にあるソニアの見る夢は、愛と罪悪感の塊である。親子の縁を切られた父親へのアンビバレンツな思い、グイドを騙している罪悪感、罪が暴かれることへの不安と恐怖、犯罪に利用するためだけに近づいたはずのグイドを愛してしまった困惑と葛藤・・・・。
ソニアと共に昏睡から醒めたとき、観る者はソニアの心に去来する思いを自分のことのように感じ取ることができる。自分に愛を捧げてくれるグイドの元を離れ、犯罪のパートナーである夫と逃避行するソニアの運命を哀しいものとして受け取ることができる。
doppia Oraのもう一つの意味は「二重の生活(人生)」だろう。
自分を幸せにする愛よりも欲を選ぶ女、そう生きざるを得ない女が、ホテルのメイドという偽りの仮面をかぶった偽りの生活の中で‘本当の愛’に出会ってしまったとき、二重の生活が時を刻み始める。
当然、破綻が待っている。
それを「自業自得」と突き放すか、「哀しい」と慨嘆するかは見る者の価値観によるだろう。
が、主役を演じるクセニア・ラパポルトの演技が妙に印象に残ることだけは誰も否定できまい。
評価:C+
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!