ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 杓子ふたたび、または慈悲の瞑想の効用(鹿留1632m、杓子1598m)

●日程  11月21日(金)
●天気  晴れときどき曇り
●行程
08:40 富士急行線「富士山」駅・内野行きバス乗車(富士急山梨バス)
09:05 内野バス停着
       歩行開始
09:35 送電鉄塔
       道に迷う
10:35 立ノ塚峠
11:35 杓子・鹿留分岐点
11:45 鹿留山頂
12:30 杓子山頂
       昼食休憩
13:50 下山開始
15:15 不動の湯
       歩行終了      
●所要時間 6時間20分(歩行時間4時間20分+休憩時間1時間50分)

 9月30日の挫折を今年中にリベンジすべく、鹿留山・杓子山に再チャレンジ。
 天気は上々。紅葉と富士山の壮麗かつ雄大な景色が楽しめるであろう。
 ・・・と期待したのだが、富士急行線富士山駅に到着したら、ホームから見える神の山は五合目まで雲隠れ。
どうなることか。

杓子山 001

 
 前回より一本早いバスに乗り、歩行開始地点となる内野バス停に着く。
 見慣れた看板、見慣れた風景。
 が、前方に我を待つ鹿留と杓子の山容はすっかり冬バージョン。てっぺんに白く見えるはまさしく雪。そう、昨夕この地域ではみぞれが降ったのである。
 滑らなければよいが・・・。

杓子山 002

杓子山 003


 前回道を間違えた因縁の道路工事現場に来た。
 前回と同じ警備員さんが現場入口に立っている。
「杓子行くの? 雪が降ったから足元気をつけて」
 自分(ソルティ)のことは記憶にないようだ。思い出してもらう必要もあるまい。
 工事は整地が済んで、かなり進展していた。
 前回、誤って入った右手の山道は通行止めになっていた。
 そうだ。この標識が間違いの元。やっぱり、わかりにくい。そもそも分岐点に立っていないのがおかしい。

杓子山 006


杓子山 005


 左手の道を進むと、すぐに右側に送電鉄塔が現れた。
 これが手持ちのガイドブックに載っている(正しい)鉄塔だったのだ。
 今回はもう大丈夫。
 と思っていたら、またしても道を間違えてしまった。

杓子山 007


 森を壊して新しく造られている道路の行き止まりに来て、道は左右に分かれる。
 そこにまたして標識がない!
 左右の道を調べるに、右側の道の真ん中に工事現場によくある立看板が進入をふさぐように置かれている。その先は小暗い森の中に消えている。左側の道は広くて歩きやすそうで、日が当たって明るい。
 左側だろうと見当をつけた。
 敷き詰められた落ち葉の下が石畳なのが若干気になるが、登っていく道の先には鹿留山の頂が望まれる。こちらで良いのだろう。
 水無しダムだか砂防ダムのようなコンクリート建築を左の谷底に見ながら高度を上げていく。
 標識が出てこない。
 どうも変だ。
 こんなダム状の建造物があるなら、ガイドブックで言及しないはずがない。
 リュックを下ろして、ガイドブックを再確認。
 地図を見ると、送電鉄塔の先の雨乞山分岐で道が二つに分かれている。そこで右側に進むとある。左側の道は鹿留山頂の方にまっすぐ向かっているが、途中で切れている。
 ・・・・・・・・・・。
 さっきの分岐点が雨乞山だったのか。
 よく調べない自分も悪いが、あそこが雨乞山だとどうやって知りようか。
 やっぱり、標示が不親切。
 道路工事もいいが、工事により地形が変わり今まであった山道が消えるのだから、建設会社はハイカーのための案内標示に責任を持ってほしい。
 おそらく自分以外にも道を誤るハイカーが多いことだろう。

 雨乞分岐まで戻り右手の道に入る。
 入って少し進んだところに、「杓子山→」の標識があった。
(だから、分岐になければ意味がないんだって!)
 
 と、いらいらしながら歩を進める。
 いけない、いけない。これではせっかく山に来た意味がない。
 休憩して、心と体を休ませる。

杓子山 009


杓子山 008


 熊の看板がある(これだけは親切)立ノ塚峠を通過して、いよいよ尾根道に入る。
 アップダウンが続く。
 左手のすっかり葉を落とした木々の間から富士山が見えるはずなのだが、やっぱり雲隠れ。気がつくと、空一面雲に覆われて、お日様の所在もつかめない。天気予報では晴れると言っていたが・・・。


 鹿留(ししどめ、と読む)の名の由来は、「源頼朝が富士の巻狩りの折、頼朝の臣仁田四郎忠常がこの地で手負いのシカを射止めた」という言い伝えにある。一方、杓子(しゃくし)とはザレ場(崩壊地)を指す言葉だそうで、なるほど杓子山の南西面は大きなザレ場が見られる。
 山頂付近は岩場が多く、それまでのなだらかな山道とは打って変わって、恐怖と緊張と多量の発汗を要するスリリングな岩登りが続く。そのうえ、溶けた雪のために足元が滑りやすくなっている。岩に据え付けられたロープを頼りに、しっかりと手の置き所、足の置き所を確かめながら、よそ見しないで、余計なことを考えないように、一歩一歩登っていく。
 たいへんな作業ではあるが、このくらいの手ごたえがあってこそ山登りは面白い。

 鹿留と杓子の分岐まで来て、ホッと一息。

 雪をかぶった熊笹の道を鹿留山頂に向かう。
 山頂には立派なブナの木がある。いまはすっかり裸だが広葉樹に囲まれた静かな頂。眺望はあまり良くない。

杓子山 010


杓子山 011


杓子山 012


杓子山 013


 さきほどの分岐まで戻って、杓子山頂に向かう。
 道は歩きやすいが、アップダウンが続き、なかなかゴールが見えない。
 いくつかのピークから見える雄大な風景にパワーをもらって邁進する。


杓子山 014


 山頂到着!!

 リベンジしたぞ~!

杓子山 015


杓子山 020


 山頂はそこそこ広くてテーブルとベンチがあり、昼食休憩に最適である。
 なによりも360度のパノラマビューに圧倒される。
 東は、後にしてきた鹿留、御正体を越え、丹沢の山々を。
 南は、石割山の背面に神秘的に光る山中湖を。
 西は、富士吉田市を取り囲む河口湖と湖畔の山々、そしてはるか彼方の南アルプスを。
 北は・・・。
 北が素晴らしい。
 東北から北西にかけて開けているので、中央線と富士急行線の沿線の山々がすっかり見渡せる。
 三ツ峠山、本社ガ丸、尾崎山、高川山、鶴ガ鳥山、九鬼山、高畑山、百倉山、扇山、権現山、生藤山、陣馬山・・・。
 自分がこれまで登ってきた山々がなんだか総集編のように勢ぞろいして、箱庭の粘土細工の山のように可愛らしく並んでいる。それぞれの山と富士山との位置関係もすっかり把握できる。
 これら中央線沿いの山々を囲繞するは、奥多摩・奥武蔵の山々、大菩薩嶺、甲府の山々、そして北アルプス。
 北の空は晴れていて、空気が澄んでいるので、遠くまですっきりと見渡せる。
 一方、南の空は一面厚い雲だらけ。
 目の前に大きく見えるはずの富士山が残念ながら見えない。一つの雲の塊が風で流れても、東からまた分厚い雲が次々と押し寄せてくる。どう見ても今日はお姿拝見ならぬようだ。
 正午を過ぎた太陽も、たまに雲間から覗き込む程度。日陰になった山頂は思いのほか寒い。


杓子山 016

杓子山 019


杓子山 024


 空いているテーブルとベンチで昼食をひろげる。
 おにぎり(昆布と梅干)、いわしの缶詰、ゆで卵、ホウレン草とニンジンと油揚げの炒め物、お茶は冷たいのを入れてきたが熱くてもよかった。

杓子山 018


 ここまで途中出会ったのは、トレイルランの男性一人、カップル一組だった。杓子山頂では二組の夫婦と会った。自分を入れて都合7名。静かな山歩きだった。
 紅葉を見るにはちょっと遅かったようだ。
 一方の目的である富士山だが・・・

杓子山 021

 
 山頂にいた二組の夫婦はしばらくの滞在後、あきらめて下山して行った。
 この厚い雲の大軍を動かし、ちょっとでも山頂を覗かせるには、厩戸の王子か空海かモーゼのような超能力が必要だ。
 いくらなんでもこの空模様では無理だろうと思ったけれど、慈悲の瞑想を行なう。
 
 上座部仏教に伝わる慈悲の瞑想は、その効用として次の11が挙げられている。
1. 安眠できる。
2. 安楽な目覚めが得られる。
3. 悪夢を見ない。
4. 人に愛される。
5. 人間以外の存在(神々)にも愛される。
6. 神々によって守られる。
7. 天災や人災を免れる。
8. 心の統一が容易となる。
9. 晴れやかで明るくなる。
10. 良い死に方ができる。
11. 死後、梵天界に再生できる。

 これに自分はいま一つを付け加えたい。
12.天候を味方につけることができる。


 これまでにもいろいろな山行きで、悪天候とは言わないまでも雲行きが怪しいときに、自分は慈悲の瞑想を行なってきた。それによって、何度も雲の流れが変わり、天候が回復したり、雨が降るタイミングが上手い具合にずれたりふいに霧が晴れて見事な景色が現れたり、という経験をしてきた。
 これまではそれを半ば冗談まじりに扱っていた。たんなる偶然だろうと受け取っていた。
 しかし、今回ばかりは偶然にしてはできすぎる。
 誰がどう見たって、富士山を拝められるような状況ではなかった。
 幾重もの屏風と御簾とで姿を隠したかぐや姫のような状態だったのである。
 いくら待っても雲が途切れる時が来るとは思えなかったのである。
 山頂に一人きりになって慈悲の瞑想をしてからわずか5分後、驚いたことに、まず太陽が顔を出した。そして、五合目までを覆っていた厚い雲がなんと上下に(!)分かれたのである。
 富士山の前面の雲だけが、上と下にきれいに分かれて、その雲が造る額縁の間から山頂がひょいと顔を出した。
 こんなことがあるのだろうか!

杓子山 023

杓子山 022

杓子山 028

 
 不思議がっていても仕様がない。
 シャッターチャンスとばかりカメラを向けたが、逆光である。どうやってもデジカメの画面に光の柱が縦に入ってしまう。せっかくのチャンスなのに・・・。
 と、何たることか。
 上に舞い上がった雲が触手を伸ばすように太陽を隠したのである。

杓子山 029

杓子山 030

 
 もうこのくらいで十分と思うだけ撮りまくって、下山開始した。
 山頂を離れること正確に10分、富士山は再びすっかり雲に覆われてしまった。
 その後、下山するまで雲が晴れることはなかった。
 この日、杓子山頂から富士山をきれいに眺めることができたのは、おそらく自分一人だったろう。
 
 慈悲の瞑想、おそるべし。
 
 不動の湯は、アトピーはじめ皮膚病に効くというので有名である。
 全国から皮膚病に悩む人々が訪れるらしく、旅館の傍らにある湧き水をポリタンク容器で汲みに来る人が連日あとを立たない。NHKでも「全国指折りの良質の湯」と紹介されたことがあるそうだ。
 旅館の裏には硯水不動尊が祀られている。
 例によって弘法大師がらみの逸話が残っている。興味のある人はこちらへ

杓子山 034


杓子山 035


 日帰り入浴1000円のところ、もう時間が遅いから500円にまけてもらった。(慈悲の瞑想の効用4)
 浴室はアトピーの人用と一般客用とに別れている。造りは特に凝ったところもない普通の室内風呂である。無色透明の単純泉。匂いもない。
 湯船に浸かって目が覚める。
 水の力がはんぱない。
 他に入浴客がいるのもはばからず、腹の底から思わず「ああ!」と声が出る素晴らしさ。
 これは一度入ったら、やみつきになる。
 山登りの疲れが一気に吹っ飛んだ。
 
 隣で浸かっている70がらみの人と会話する。
 聞くと、この温泉を守るボランティアをしているとか。地元の人である。
 「この水は本当にすごいよ。マイナスイオンが豊富で、汲んでから10年間は絶対に腐らない。保健所の人が調査に来ても雑菌でひっかかったことがない。」
 富士山系の水ではなく、杓子山の山腹からここだけ湧いているとのこと。鉱泉であるから源泉は冷たい。冬はマイナス10度を下回ることもあり、当然凍る。温泉は源泉を湧かしたものなのである。
 旅館の受付には、昭和59年1月1日(30年前!)に汲まれた水が、一升瓶に入って置かれていた。
 たしかに澄んでいる。

杓子山 036

 
 旅館にはふもとの町から日帰りのばあちゃん連中がたくさん来ていた。
 マイナスイオンの効果で若返って陽気にはしゃぐばあちゃんたちと、旅館のバンに同乗し、富士山駅まで送ってもらった。
 富士山駅で名物吉田うどんを食べ、心も体も胃袋も100%富士吉田を満喫した幸福な一日を終了した。
 

杓子山 038



 生きとし生けるものが幸福でありますように。



 


● 本:『人に愛されるひと 敬遠されるひと』(アルボムッレ・スマナサーラ著、角川文庫)

愛される人敬遠される人1998年国書刊行会より刊行。
2012年角川文庫より発行。

 仏教的観点から説く人間関係の極意。
 通勤電車の中で気軽に読めるくらい、やさしく、わかりやすく書かれている。
 が、やはりスリランカ上座仏教長老の本である。
 一見、女性向け月雑誌かPHP研究所が取り扱いそうな成功哲学風テーマと表装を装いながら、中味ははじめから終わりまで、釈尊の言説からはずれることない骨太の仏教書。
 冷徹な人間観察から導き出された‘ありのままの’事実にみぞおちを突かれるところが随所にある。
 冷徹な人間観察とは、つまるところ、人は無明に閉ざされている
 
 以下、引用。 
 

 世界中でほんとうにつき合いにくい存在というのは人間です。人間はいちばんつき合いにくい。それをまず覚えておいてください。人間には社会性はまったくありません。・・・・・偉そうに「人間というのは社会的な動物だ」などと言う学者がいますが、「何をバカなことを言うのですか」と言いたいのです。
 
 自分のことしか考えない私たちが、なぜ人とつき合いたがるのでしょうか。それは自分のためなのです。つまり自分の利益のために他人とつき合いたがるのです。損をするために人とつき合う人はいません。
 
 人とつき合うときに大切な心構えをいくつかお話しします。まず第一に大切なことは、自分はわがままであると正直にきちんと認め、嘘をつかないことです。
・・・・・・・次に何をどうすればいいのでしょうか。次はとても大切なポイントですからよく覚えておいてください。それは「何があっても驚かない」ということです。・・・・・・私からあえて言うならば、人が人を殺すことも当たり前なのです。一人の人が十人も二十人も殺しても、また当たり前のことなのです。
 
 悟りをひらくということは一般的にも、また仏教でも非常にむずかしいこととされています。しかしそのむずかしい悟りをひらくこと以上に、「人とうまくつき合う」ということは、さらにむずかしいことなのです。
 
 悟りを開くための修行は、少しまじめにがんばれば意外と早く終了できるのです。「生命として解脱をしました」と落ちつくことができます。
 でも残念ながら、「人とつき合う」という修行だけは終わりのない一生の修行です。「もうこれでいい」という終わりはありません。卒業することのない教育なのです。
 
 仏教から言えば、正しい人間関係というのは、「私」の、「私個人」の修行であって、「私」の心を清らかにすることであって、「私」が、「私自身」が立派な人間になることなのです。
 
 心は本来は清らかな仏性だ。神からいただいた魂だなどというのは仏教とはまったく逆の立場です。仏教では、心というのは、真っ暗で、汚くて、臭くて、悪そのものだというのです。心をちょっとでも放っておいたらどれほど悪いことをするか分からないと言うのです。自分の心に対しても、どんな悪いことをするか分からないぞと常に警戒しておくことが必要なのです。
 


● 映画:『バーチャリティ12』(ピーター・バーグ監督)

2009年アメリカ映画

近未来SF(スペースシップ物)+バーチャルリアリティ(仮想現実)=駄作
これ観るのに費やした87分がもったいない。
瞑想してれば良かった。
そのほうが「現実」が「仮想」だと体験できたのに・・・。



評価:D+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」      

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」          
        「ボーイズ・ドント・クライ」
           
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 介護の仕事8(開始2年半)

介護技術講習 先日、介護技術講習を受けた。

 専門学校を出ていない人間の場合、介護福祉士の資格を取るためには3年以上の実務経験と、毎年実施される国家試験に合格する必要がある。国家試験は1月の筆記試験にパスした者が、3月の実技試験を受けることができる。
 この実技試験がなかなか難物である。
 試験官数名の前で、その場で与えられた課題(移動、排泄、更衣、入浴、食事などの日常介護)を5分間でやらなければならない。むろん一発勝負である。どんなところが合否のポイントになるかは調べれば分かるのだろうが、当日緊張して頭が真っ白、体が思うように動かないなんてことになれば、せっかく筆記試験に合格していてもそれまでの努力が水の泡。もう一度、最初から受けなおさなければならない。
 それに、試験内容を自分なりに研究したところで、また、普段の介護業務にそれなりの自信があったところで、どうしたって「我流」であったり「職場流」であったりしがちである。実技試験のみの合格率は発表されていないのでなんとも言えないが、厳しい試験官のお眼鏡にかなって無事合格するには不確定要素がありすぎる。
 介護技術講習を受ければ、この実技試験が免除される。そうなれば、あとは筆記試験に精力を傾注できる。介護福祉士試験は、国家試験としては難易度が低く合格率が高い(6割程度)ので、かなり気楽である。自分の職場でも、あえて実技試験を選ぶという人は皆無に近く、実務3年経過したところで介護技術講習を受けるのが普通である。
 4日間の講習に5万円近くかかる。
「いい商売しているよな~。結局、お金で資格を買うようなものじゃねえか」
と苦々しい思いはしないでもないけれど、介護福祉士を持っているかいないかで職場での待遇も給与も転職しやすさも違ってくる。
 ここは経済の活性化に寄与することにした。

 4日間の講習は、座学3割、グループワーク1割、演習6割であった。
 介護過程の展開(介護計画作成含む)、実際の介護技術(コミュニケーション、移動、排泄、更衣、食事、入浴)の要点を座学と演習とで学んで、クライマックスは最終日の午後に行なわれる総合評価、いわゆる実技試験である。
 本番の国家試験の実技試験を免除するためのものなので、この総合評価で「落とされる」ことは基本ない。「合格させるための」確認試験である。出題課題も明らかで、それまでの3日間の演習でやってきた10個の介護シナリオの中から、どれか一つが出題されることがあらかじめ告げられていた。だから、10個のシナリオのセリフと動きを、役者が台本を暗記するように覚えてしまえばよいのである。
 それでも、本番さながらに、一人ずつ試験会場に呼ばれて、チェックボードを手にした試験官を前に、モデル役の講師を相手に、直前に発表された介護課題を5分以内で滞りなく行なうのは、緊張する。その場に立ってしまえば、もうまな板の上の何とやら、もう「やるっきゃない」わけだから肝も据わろうというものだが、名前を呼ばれるまでに他の受講生らと待機している教室の緊張感がはんぱない。待っている間は「私語は禁止、資料確認も禁止」なので、張りつめた沈黙の支配する空気の中、じっと何もせずに、緊張と不安と闘っていなければならない。しかも、自分の出番は最後のほうだったので、待つこと1時間弱。久しぶりに味わった緊張感であった。
 このときほど「瞑想を知っていてよかった~!」と痛感したことはない。
 1時間の待ち時間、ずっと椅子に座って、ヴィパッサナー瞑想をやっていた。
 そのおかげで、本番はとても落ち着いて、ほぼシナリオどおりにこなせたのであった。

 さて、この4日間の講習で感じたこと。


1. 介護は人なり

 演習とグループワークは、4日間を通して同じ顔ぶれで行なった。自分のところは8人グループであったが、その顔ぶれはいろいろであった。年齢も20~50代までいたし、職場も有料老人ホーム、訪問ヘルパー、老人保健施設、特別養護老人ホーム、デイサービス、重度知的障害者支援施設、障害者の就労支援施設とバラバラであった。
 超高齢化社会の現状を加味してか、介護福祉士の試験も、この介護技術講習も、高齢者介護を中心に編まれているので、障害者分野で働いている人にとっては普段全然やっていなくてはじめて知ることばかり・・・という感じだったようだ。
 演習では、はじめに講師が全員の前で食事なり排泄なりの介護課題の見本を示し、次はグループに分かれ、ペアになって介護者と介護を受ける高齢者の役を演じていく。
 面白いのは、基本全員同じこと(見本どおり)をやっているはずなのに、介護者役をする人の「普段現場でやっている介護」が出てしまうところである。荒々しい動作で介護する人、すぐに相手の体に触って助けてしまう人、上から目線で介護する人、自信なさそうに介護する人、段取りはいまいちだが気持ちのよい笑顔で相手に接する人・・・・。「たぶん、この人は職場でもこういう介護をしているんだなあ~」と丸分かりなのである。
 もちろん、自分の介護にも「自分」が丸出しになっているはずだ。
 介護には性格が出る。


2. 介護を支える人々

 介護技術講習は、専門の福祉系学校を出ていない人が受ける。多くは、ヘルパー2級講習(現在「介護初任者研修」と名前が変わった)を受けただけで、介護現場に出た人たちである。ということは、もともと介護の仕事を目指していたわけではなく、はじめは何か他の仕事に就いていて、訳あって介護現場に飛び込んだ人たちである。
 そういう意味で、バックグラウンドさまざまな人がいるのが面白い。自分の職場(老人ホーム)だってそれは同じことなのだが、職場は採用のときに面接官がある程度「職場の理念や雰囲気にあった人」を選ぶから、どことなく似たような感じの人が多くなる。
 同じ介護職でも異なった現場で働く人たちに会ってみると、介護を支える人たちのバリエーションの広さを実感する。自分と一緒のグループの人たちは、一流大学を出て名の知れた企業で働いていたものの転職を余儀なくされた中年の人、出産してから主婦一筋だったが子どもが手を離れたので「何か仕事を」と働き始めた人、高校卒業後フリーターでいろいろな仕事を渡り歩いてきた挙句に介護に辿り着いた人、不器用でどんな仕事をやっても続かなくて「介護くらいしかやれる仕事がない」という人、水商売と訪問ヘルパーを掛け持ちしている人・・・など「人生いろいろ」であった。
 一方で、福祉系の学校を出て、他の職種を経験することなく介護の仕事に関わるルートもある。純粋培養介護職とでも言おうか。彼らは、当然ながら福祉に対する思い入れが強く、理想に燃えていて、専門の学校で介護理論や専門技術をしっかり身につけてくる。概して頭もいい。(このルートだと今のところ、実務経験なしでも、国家試験を受けることなくても、介護福祉士資格が取れる。)
 2年半介護の現場で働いてみて思うのだが、「純粋培養介護職」よりも、社会に出て他の業種や人間関係を経験してきた「途中乗り換え介護職」のほうが、利用者の心に沿えるような感がある。というのは、利用者のほとんどが、介護職以外の社会人経験の持ち主だからである。
 介護職というのは、学歴社会ではないし、男女平等(むしろ女性のほうが強い)だし、会社のような上司と部下といった強い上下関係もないし、外部とのメンドクサイ折衝もないし(せいぜい利用者のご家族対応くらい)、ノルマもない。5K(きつい、きたない、きけん、くさい、給料安い)と言われるけれど、やることさえやっていれば給料は保障される。感謝もされる。経営陣を別にすれば、世間の荒波からはどちらかと言えば免れている。
 利用者の多くは世間の荒波にもまれて何十年と生きてきたのである。そういう年配者の気持ちを汲むには、純粋培養介護者ではなかなか難しいのではないかという気がしている。
(もちろん、本人の資質も大きいが。)


3. 介護のプロ化

 介護福祉士という国家資格が創設されたのは、介護のプロ化が目指されているからである。
 この「プロ化」が意味するのは、介護技術が巧みになるとか、利用者の様態の変化を敏感に察知できる観察力が備わるとか、利用者とのコミュニケーション能力が高まるといったような日々の具体的な介護力の向上を意味するだけではない。何よりも介護過程の展開を理解し、目の前の利用者について目的に沿った適切な介護計画を立てられ、計画通りのことが看護師や理学療法士等の他職種と、必要に応じ連携しながら実行できる、というところにある。目的とは「その人らしい尊厳のある自立した生活の実現」である。
 介護保険の開始に伴い、ケアマネジメントが導入され、介護計画が必須となった。介護福祉士たるもの、この介護計画を理解し、そこに沿った介護を提供できなければならない。行き当たりばったり、困っているところに手を貸す介護ではダメなんである。
 今回の講師がいみじくもこう言った。
「現在介護を受けている戦前生まれの高齢者は、‘介護してもらっている’という感覚の人が多い。自分たちが受けている介護のあり方について文句を言うことも少ない。でも、これから団塊の世代が介護を受けるようになります。権利意識の強い彼らはどんどん介護のあり方に口を出すようになるでしょう。そのときに介護職は、‘なぜいまこういう介護をするのか’という彼らの問いに、きちんとした根拠をもって答えられるようにならなければなりません」
 つまり、介護には「頭」が要る。
 「途中乗り換え介護職」が「純粋培養介護職」に後れを取るのはここであろう。
 福祉系学校で介護を学んできた者は、時間をかけて、体系的・理論的・学際的に介護を勉強してきている。介護保険という国の決定した枠組みの中で、今の介護がどうあるべきかを教室で専門家から学んでいる。その最たる部分が介護過程の展開である。
 今回の技術講習の最終日は、サンプルとなった利用者について、アセスメントによって取得した情報から分析を行ない、課題を見つけて、介護計画を立てるというグループワークであった。
 やはりここで、ある種の学力の差が出てくるのは否めない。リーダーとなって作業を進める人、自分の意見はガンガン言えるが作業全体の流れが読めない人、一言も発言せず他の人に任せきりの人、分析の意味が理解できない人・・・。ふと、中学校時代に戻って、授業でやったグループ作業(模造紙にグループで話し合った意見をまとめるようなもの)を思い出したのである。
 差別的に聞こえるのは本意ではないが、介護の仕事はかつてはどちらかと言えば「頭を使わないで済む仕事」=「たいして頭の良くない人でも就ける仕事」であった。逆に言えば、頭でっかちでない、心の優しい人や体力には自信のある人、ちょっとトロくても人あたりが良くて利用者に慕われる人が重宝されたはずである。
 介護のプロ化(資格化)は、そういう人たちに「心」や「体」だけでなく、「頭」を要求する。
 時代の流れ、状況の要請なのだろうが、本当に心やさしくて利用者を和ませる雰囲気を持った人が、資格(試験)の壁に阻まれて、介護の現場からはじかれるとしたら、もったいない話である。


介護の仕事7
介護の仕事9
 


● 犀の角 仏教講演会『結果を出すチーム力』(講師:アルボムッレ・スマナサーラ)

 11/7(金)中野ゼロ 日本テーラワーダ仏教協会主催の月例講演会。

 いつものように開始間際に会場に入って席に着き、おもむろに周りを見渡し、なんとなく変な感じがした。
「なんだ?」
 しばらくしてハッと気がついた。
「男が多い!」
 会場にいる約300名のうち9割以上が男性である。
 いつもは男女半々くらいか、若干女性のほうが多い印象があるのに・・・。
 いったい、どういうことか。
 スマナ長老に急に男性ファンが増えたのか?
 女性会員に人気のイケメン僧侶が、どこか別のところで法話をおこなっているのか?
 何か女性会員に総スカン食うようなことを事務局がしでかしたのか?
 ・・・・・と、数秒のうちに様々な憶測が頭の中を駆けめぐったが、答えは単純であった。
 本日のテーマ、副題は「元気な組織、ダメな組織」。
 男は組織論が好きなのである。
 これが「仲のいいグループ、仲間割れするグループ」とでも副題を立てれば、おそらく女性参加者がもっと増えたであろう。

 話の内容は、まさに組織論で、上手くいく組織のあり方というものを仏教的観点から説明するものであった。

 今回、もっとも面白かったのは、原始仏教経典『スッタニパータ』の中の有名な「犀の角」の解釈についてであった。
 『スッタニパータ』は数多い仏典のうちもっとも古く、お釈迦様の言葉を最も忠実に伝えているものとみなされている。邦訳では岩波文庫から中村元氏の訳により『ブッダのことば』というタイトルで出ている。
 「犀の角」の教えは、その最初のほうに出てくる。
 

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ一人歩め。(岩波文庫『ブッダのことば』)

 という偈(げ=詩句)から始まって、

今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。(同上)

 という偈まで、41ある偈の末語がすべて「犀の角のようにただ独り歩め」で終わる。
 岩波文庫の中村元氏の解説を読むと、こう書いてある。 

「犀の角」の譬喩によって、「独り歩む修行者」「独り覚った人」の心境、生活を述べているのである。 「犀の角のごとく」というのは、犀の角が一つしかないように、求道者は、他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ、の意である。(同上) 


 これに対してスマナ長老は異を唱えた。 

「犀の角」は聖者が自らの心境を語ったものです。「汝、~せよ」と他人に命じるものではありません。

 原始仏教経典は古代インドの俗語であるパーリ語で伝えられているのだが、その厳密な文法解釈から、末尾は命令形ではないと言うのである。
 すなわち、悟った人(=聖者)が己の心のありようを披瀝した独白(モノローグ)であって、弟子たちや在家信者に「このように振る舞いなさい」と説いているものではない。
 上記の最後の偈を、スマナ長老は次のように和訳した。

人は何かの理由あって人づきあいする。自利を目指さないつきあいは珍しい。自利のみを目指す人間は不潔です。聖者は犀の角のように独り歩む。  

 中村元氏の訳とは、かなりニュアンスが違ってくる。
 中村訳だと、「人づきあいにおいて自分の利益をめざさないような人は少ない(特に今日では)」という意味になる。スマナ訳だと、「(いつの世にあっても)人は自分の利益をめざして人づきあいするものである」と解釈できる。
 中村訳は、世俗の人間関係のありようを嘆いているようにとれる(『徒然草』の吉田兼好風に)。スマナ訳は、人間存在のありよう(=無明)を根源において喝破している。
  すごい違いだ。

  よくよく考えるに、スマナ訳の否定できなさが痛感される。
 人が誰かと付き合おう(仲良くしよう、関わろう)とするのはなぜか?
1. それによって物質的利益が得られる。
 例.金持ちとつきあって贅沢ができる。
   上司に可愛がられて出世して収入増。
2. それによって精神的利益が得られる。
 例.恋人ができて心や性欲が満たされる。
    家族ができて生きがいができる。
    友達ができて寂しさや退屈が満たされる。
    有名人と知り合って友人に自慢できる。
3. それによってスピリチュアルな欲求が満たされる。
 例.他人に奉仕(ボランティア)して自己イメージがUPして気分がいい。
    世界を救うために自己犠牲を払い、自分の存在価値が生み出せる。
    見知らぬ人に親切にすることで善業を積み、極楽往生できる。

  人が誰かと関わろうとするのは、究極的には「自分のため(エゴのため)」であるというのは、心の奥の奥まで覗き込んで正直に分析するならば、ごまかしようのない事実である。
 聖者はそのことを知っているから「独り歩む」のであろう。
 聖者でない我々は、せめて「相手のためにやっています」と言いたがる表面的な動機の底に潜むエゴの声を自覚(自己覚知)しながら、「100%自分のため」よりは、「70%自分のため、30%世のため人のため」を目指して、人と関わっていきたいものである。 



● 本:『破戒と男色の仏教史』(松尾剛次著、平凡社)

男色と破戒の仏教史2008年発行。

 仏教では在家信者が守るべきとして五戒がある。

 1. 生き物を殺さない。
 2. 与えられていないものを取らない。
 3. 淫らな行為をしない。
 4. 偽りを語らない。
 5. 酒や麻薬をやらない。


 出家者にはずっと厳しく、250もの戒がある。タイやスリランカやミャンマーなどの上座部仏教の出家者(僧侶)たちは今もこの250の戒を守って生活を送っている。もちろん、妻帯はご法度である。
 日本の僧侶たちの多くが五戒すら守っていないのは、いまさら指摘するまでもない。
 明治5年(1872年)に発布された「太政官布告」により、僧侶の「肉食・妻帯・蓄髪」が容認されて以降、僧侶が結婚するのも当たり前になってしまった。
 日本では出家と在家を隔てるものがない。せいぜい頭を丸めているか否かくらいか。上座部仏教の国に見られるような僧侶に対する敬愛の念など、伺うべくもない。
 では、江戸時代以前の僧侶たちは、しっかりと戒を守っていたのかと言うと、これまた違うのである。
 本書は、いつのまにか日本仏教界にはびこっていた男色文化を中心に、僧侶たちの破戒の様相と、それを正そうと一部の僧侶が起こした戒律運動の展開について、紹介したものである。

 五戒のうち、1と2と4は守るに難しいものではない。在家信者でも、仏教徒でなくとも、それほど困難なく守ることができるだろう。
 難しいのは3と5である。3は性欲という本能に関わることだからであり、5は依存性に関わることだからである。(3もまた依存性になる。)
 本書で紹介される鎌倉時代の高僧・宗性(そうしょう、1202-1278)もまた、この性と酒におぼれ、破戒と反省と再決心と破戒と反省と・・・・の繰り返しに一生を費やした人であった。
 宗性は鎌倉時代の東大寺を代表する学僧で、いわば功なり名を遂げたエリート僧侶である。
 彼が36歳のときに書いたという五箇条のご誓文がある。
 これが面白い。

 五箇条起請のこと
 一.41歳以後は、つねに笠置寺に籠るべきこと。
 二.現在までで95人である。男を犯すこと100人以上は、淫欲を行なうべきでないこと。
 三.亀王丸以外に、愛童をつくらないこと。
 四.自房中に上童を置くべきでないこと。
 五.上童・中童のなかに、念者をつくらないこと。
 右、以上の五箇条は、一生を限り、禁断すること以上のとおりである。


 「現在までで95人である」ってのに驚くが、それをまた1から数えていたことにも驚く。41歳を超えたら笠置寺に籠って、戒をしっかり守った清い修行生活を送ると決心した宗性であったが、結局守られなかった。資料によると、74歳(!)頃に力命丸という愛童がいたとのこと。精力絶倫だったようだ。

 また、1243年(41歳)のときには次のような誓文を書いている。

 敬白す 一生涯ないし尽未来際断酒すること
 右 酒は、これ放逸の源であり、多くの罪の基である。しかるに、生年12歳の夏より、41歳の冬に至るまで、愛して多飲し、酔うては狂乱した。つらつら、その犯すところの過ちを思うに、さだめて、それ悪道の業である。先非を顧みるごとに、深く後悔を致すものだ。自今以後、尽未来際、永くこれを禁断する。但し、如法真実に病気が難治の時は除く。


 12歳から飲んでいるのだから、はっきり言ってアルコール依存症であろう。なかなか止められるものではない。「病気の時は除く」なんて、最初から抜け道を作っているあたりがなんとも頼りない(笑)。男色のほうもまた稚児の頃に年かさの僧侶たちによって仕込まれたわけだから、筋金入りである。セックス依存になっていたであろう。
 寺院自体が、アルコール依存とセックス依存の患者を生み出す温床になっていたのである。とてもとても戒を守るどころではない。ましてや、他人に戒を授けるなんて・・・。

 それにしても宗性さま。人間らしいといえば人間らしいが、800年後にこんなふうに秘密を暴露されてしまうなんて。草葉の陰でヤケ酒をくらっているのでは・・・。

自戒、自戒・・・。





● 言うも汚らわしい? オペラDVD:プッチーニ作曲『トスカ』(リッカルド・ムーティ指揮)

上演日時  2000年3月14-17日
上演劇場  ミラノ・スカラ座(イタリア)
キャスト
 指揮   リッカルド・ムーティ
 演出   ルカ・ロンコーニ
 出演   トスカ ・・・・・・・マリア・グレギーナ(ソプラノ)
       マリオ・カヴァラドッシ ・・・・・サルヴァトーレ・リチートラ(テノール)
       スカルピア ・・・・・レオ・ヌッチ
 オケ&合唱  ミアノ・スカラ座管弦楽団&合唱団

 オペラハウスとして世界最高峰のスカラ座で、名実共に現代最高峰の指揮者であるムーティが、マリア・グレギーナはじめ当代最高峰の歌手を揃えて創り上げた舞台なので、それこそ現代最高の『トスカ』となっても不思議ではないはずなのだが、どういうわけか退屈な舞台である。
 歌手は素晴らしい。
 マリア・グレギーナははじめて観た(聴いた)が、高音から低音まで非常に良くコントロールされた豊麗な声の持ち主で、演技もなかなか。決して美人ではないが堂々とした舞台姿は、プリマドンナの名にふさわしい貫禄とオーラがある。トスカはまさにはまり役。
 テノールのリチートラも、パバロッティを彷彿とさせるような癖のないまっすぐな歌い方と輝かしい高音で好感持てる。
 レオ・ヌッチのスカルピアは、謹厳実直な高級官僚のような外見と慇懃無礼な振舞いの中に異常なセクシュアリティを隠し持ち、現代的な性的逸脱者の姿を映し出す。マリア・カラスとのコンビで一世を風靡したティト・ゴッビのスカルピア(いかにもSMチックな黒光りする革ブーツ)とは対照的である。
 演出もごく普通である。
 なんで退屈なのだろう?

 思うに、ムーティの指揮が上品過ぎるからである。
 この作品はぶっちゃけ、陰惨で残酷で下品な内容である。トスカの歌う全曲中もっとも有名なアリア『恋に生き、歌に生き』だって、よく考えれば「恋人を助ける代償として一回だけでいいからやらせろと迫るサド男の言葉に途方にくれて」身の上を嘆く歌である。
 哀れ、というより下品でしょう?

 この曲に限らず、プッチーニのオペラにはどことなくSMチックなところがある。
 『ラ・ボエーム』しかり、『蝶々夫人』しかり、『トゥーランドット』しかり・・・。
 内容的にもそうだが、曲調もなんとなく痛めつけるような、締め付けるような、窒息させるような不自然なところがある。「そこが甘美だ」という人も多いのだろうが・・・。
 いずれにせよ、プッチーニのオペラに「上品」という言葉は当たらない。
 舞台が映えるためには、聴衆を熱狂させるためには、あえてドラマチックに(ベタに)振ったほうが面白いのがプッチーニなのではないか。




● 演出の勝利:オペラDVDドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』

上演日時  2003年6月27日
上演劇場  カルロ・フェリーチェ歌劇場(イタリア、ジェノバ)
キャスト
 指揮   パトリック・フルニエ
 演出   グレアム・ヴィッグ
 出演   ルチア ・・・・・・・ステファニア・ボンファデッリ(ソプラノ)
        エドガルド・・・・・マルセロ・アルバレス(テノール)
        エンリーコ・・・・・ロベルト・フロンタリ
        ライモンド・・・・・ミルコ・パラッツィ
        アルトゥーロ・・・クリスティアーノ・オリヴィエーリ
 オケ&合唱  カルロ・フェリーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団


 映画を観るのに監督で選ぶことはあっても(「黒澤作品が観たい!」)、芝居を観るのに演出家で選ぶことはあっても(「蜷川作品が観たい!」)、オペラを観るのに演出家で選ぶことはまずないので、オペラ演出家というものに注目したことがなかった。現役の演出家で名前を知っているのもフランコ・ゼフィレッリくらいか。それもゼフィレッリが映画監督としても有名だから知っているのである。とは言え、ゼフィレッリ演出だから観に行こう、とはやはり思わない。
 やっぱりオペラは歌手でしょ、演目(=作曲家)でしょ、と思う。
 純粋に歌に酔いたい者にしてみれば、あまりに奇抜な演出や‘新解釈’とやらは、歌唱への集中力がそがれるし、下手するとシラけてしまう。「基本、オーソドックスでいいよ」というのが本音である。
 しかし、このグレアム・ヴィッグ演出の『ルチア』に限っては、オペラ上演における演出の勝利というものを認めざるを得ない。

 グレアム・ヴィッグ(グラハムと表記してある資料もある)はイギリス生まれのベテラン演出家で斯界ではその名を知らぬ人のいない、押しも押されもせぬ‘時の人’らしい。日本でも昨年(2013年)新国立劇場で『ナブッコ』の演出を手がけている。
 実は、1996年にフィレンツェ歌劇場の来日公演にも参加していて、この『ルチア』演出をお披露目しているのである。このときのタイトルロール(主役)は、あの100年に1人の逸材エディタ・グルベローヴァであった。自分はこのステージをあとからテレビ(たぶんNHK教育の「芸術劇場」)で観た。自分好みの素晴らしい演出だと思ったが、なにせグルベローヴァである。すべて彼女一人に持っていかれてしまい、舞台はエディタ色に染められていた。

 グルベローヴァほどの美声と超絶テクニックは持ち合わせてはいないものの、美貌とスタイルと演技力と共演者とのコラボレーションの良さではグルベローヴァを上回るステファニア・ボンファデリを主役に得て、ヴィックの演出の凄さが際立っているのが、この2003年のプロダクションである。
 
 まず、舞台背景に大きく光る月の効果が目覚しい。
 18世紀スコットランドの古城を舞台とするゴシック調の物語に欠かせない幻想性を、皓々たる月の光が醸し出す。もちろん、「月=Luna<Lunatic(狂気)」である。家運を盛り返そうと画策する兄エンリーコの謀略で、最愛のエドガルドとの仲を裂かれ、政略結婚の場に無理やり引き出されたルチアが次第に常軌を逸していくのを、月はその不吉な白い輝きで象徴し、かつ扇動する。
 幕の使い方がまた素晴らしい。
 舞台の上からも下からも左からも右からも、どの位置からでもせり出してきて、舞台のどの位置にでもストップさせることのできる仕組みの幕を縦横無尽に使うことで、一つの舞台を様々な形状・大きさに区切って、めざましい視覚効果を生み出している。
 一例だが、舞台の奥に斜めにかしいでいる立ち木があるのだが、それを下から迫り出した幕によって幹の途中で断ち切る。まるで木は空中に浮いているかのような不安定な恰好――通常ではありえない絵柄――になる。それによって、観る者は知らず知らず不安な落ち着かない印象を抱かされる。それはルチアの心象風景そのものなのである。
 この月と幕との相乗効果が最も巧みに引き出されているのが、劇中のクライマックスである「ルチア狂乱の場」である。陰鬱な音楽に合わせて、真っ暗な舞台中央にポツンと現れた光の点が、上下左右に幕が引いていくに連れてだんだん大きくなっていき、満月の青白い光が舞台に満ちる。その月の曲線の下、乱れた髪と血痕のついたドレス姿で亡霊のように立つのは、ついに一線を越えたルチアである。
 「月の中の女」――まるでオーブリー・ビアズリーの世界。
 実に鬼気迫る。


 『ルチア』を歌うソプラノには、第一幕の登場シーンでアリア「暗い夜更け~燃える思いに」が与えられている。かつて泉のほとりで殺された女の幽霊を見たルチアの怯えと、悲劇の予感と、それでも抑えることのできない若さとエドガルドへの熱烈な思い、おそらくははじめての恋の喜びとを、超絶技巧のうちに多彩な音色で表現する難しいアリアである。
 たいていのソプラノは、第一幕ではまだルチアを恋に落ちた普通の乙女として表現する。大人しいけれど、激しい情熱を内に秘めた、可憐な乙女として描いている。作曲家(ドニゼッティ)もそれ以上のことは望んでいまい。正常な精神を持った乙女が、愛の破綻と過去の亡霊の憑依?によって、狂気に落ちたのである。つまり、第一幕ではまだ「狂って」いない。
 マリア・カラスやグルベローヴァは、そこに明らかに心理学的な解釈を持ち込んでいる。ルチアの狂気は元来の気質の中に含まれていたものという解釈で第一幕を歌っている。表面的には、繊細な心と情熱的な気質を持った恋に酔う乙女の姿にはちがいないが、コロラトゥーラのパッセージや繰り返される高音の部分で、ほんのちょっと隠れた狂気の気配をにじませるのである。「ああ、彼女は危うい領域にいるんだなあ~」と耳のいい視聴者は理解する。
 
 グレアム・ヴィッグの演出は、ステファニア・ボンファデッリのルチアは、明らかに第一幕から「狂って」いる。
 ここが、これまでの伝統的ルチアと大きく違う部分である。
 まるで、神経症患者をモデルにしたかのようなボンファデッリの演技は明らかに確信犯である。キョロキョロと落ち着きなく動く瞳、不安と心的外傷の存在を想像させる神経質な手の動き、すでに死相が現れている真っ青な顔を取り巻く赤い髪。
 このルチアは明らかに病んでいる。病んでいるルチアが、やっと見つけた救出のための出口(=光)がエドガルドなのだと、観る者は感じる。確かに、ルチアは母親を亡くしたばかりで、生気を失っているのは仕方ないけれど、ヴィッグとボンファデッリによって体現されたこの女主人公の造型はそれで説明できる範囲を超えている。
 いったいヴィッグの意図はなんなのか。

 ここからはもしかしたら独自の解釈なのであるが・・・・。

 第2幕第1場、ルチアと兄エンリーコとの対話場面である。ここで、ルチアはエンリーコが捏造したエドガルドの偽の手紙を見せられ、エドガルドが他の女に心変わりしたと信じ込まされる。そして、エンリーコの強引な要求に応じ、泣く泣く(自暴自棄となって)アルトゥーロとの政略結婚を承諾する。
 この場面のエンリーコ(=ロベルト・フロンタリ)の仕草が衝撃的である。
 エンリーコは最初から最後までルチア(=ボンファデッリ)の体のあちこちを触りまくり、撫で回す。
 明らかに、通常の兄と妹の関係を超えた、性的な欲望を丸出しにしている。
 そして、ルチアはまるで‘いつものことのように’それを受け入れ、いっさい拒絶も嫌な顔もしない。
 自分の読み過ぎかもしれない。
 が、エンリーコとルチアは近親姦にあるのではないか。
 大人しくてやさしい少女ルチアは、強引だが魅力ある青年期のエンリーコの求めに応じてしまい、以後その関係から逃れられなくなってしまったのではないか。
 それが、ルチアの心的外傷の原因ではないのか。
 狂気につながる主因ではないか。
 エドガルドとの出会いで、このあやまった関係=兄の支配からようやく逃れられると思っていたルチアだが、またしても自己中心的なエドガルドによって、すべてをなし崩しにされてしまう。ルチアが「狂う」には十分である。
 

 もちろん、ドニゼッティはこんな裏筋など考えもしなかっただろう。
 その意味で、傍若無人な解釈である。
 ヴィッグの真の意図は知らないけれど、どうだろう?
 この演出からそんなふうに読むのは自分だけだろうか?
 両親を亡くし荒野の中の古城で二人きりで暮らすこの兄妹の姿に、エドガー・ポー『アッッシャー家の崩壊』の兄妹の姿を、あるいは70年代に人気を博したポップスター、カーペンターズのリチャードとカレンの姿を重ね合わせてしまうのは自分だけだろうか?
 だが、この解釈を通過して、第一幕のボンファデッリのルチアの異様なまでの‘病み方’が説明されるように思うのである。

 テレビで観たグルベローヴァのルチアでは、ここまで演出が徹底されていなかった。グルベローヴァがエンリーコ役のバリトン歌手に体を撫で回されることを拒否したのかもしれない。あるいは、近親姦という解釈に異を唱えたのかもしれない。第一幕から狂気を演じることにNOと言ったのかもしれない。
 いずれにせよ、相手が世紀のソプラノではさすがのヴィッグもごり押しできなかったであろう。
 ボンファデッリという、女優顔負けの美貌で、歌もうまく、演技力もあり、演出家の意図を汲んで動ける柔軟性もあり、かてて加えて驚くべき憑依体質の持ち主(ルチアに成りきっている)を主役に得て、ヴィッグ演出の真髄が発揮されたのが、この舞台ではなかろうか。

 

● 3Dのパワフル展望:笠山(837m)~堂平山(876m)

 東武東上線の小川町駅から白石車庫に向かうイーグルバスの路線からは、奥武蔵でもっとも展望にすぐれた2つの名山を目指すことができる。ダイダラボッチ伝説や山頂の秩父高原牧場で知られる大霧山(767m)と、この堂平山である。これに堂平山とセットで縦走される笠山を合わせて、比企三山と言う。
 大霧山は以前登ったのだが、その名のとおり霧が深く、山頂からの展望は得られなかった。
 今回は文句なしの快晴。堂平山および笠山を目指すことにした。

●歩いた日  10月25日(土)
●天気     快晴
●タイムスケジュール
 9:05 東武東上線・小川町駅発イーグルバス乗車
笠山から堂平山201401025 003 9:40 「皆谷」バス停
10:00 歩行開始
11:50 笠山・西峰
12:00 笠山・東峰
12:40 七重峠 
13:10 堂平山頂上
      昼食休憩(90分)
14:40 下山開始      
15:05 白石峠
16:15 「白石車庫」バス停(イーグルバス)
      歩行終了
16:29 バス発車
17:10 東武東上線・小川町駅着
      花和楽の湯へ
● 所要時間 6時間15分(歩行4時間15分+休憩2時間)


 白石車庫行きのバスは登山客で満員であった。最後に乗った自分は、乗車口のステップに身を縮めるはめになった。紅葉盛りの頃は臨時バスが出ることだろう。
 大霧山の登山口となる橋場バス停を過ぎて、皆谷(かいや)で降りるグループと、終点の白石車庫で降りるグループが最後に残ったが、どちらも目指すは同じ――笠山と堂平山――である。こういう場合、どちらから登りどちらから下るのか、つまり、どちらの山から攻めていくかが迷いどころである。自分は、堂平山頂でゆっくり昼食休憩を取って、あとは下るだけにしたいと思い、笠山から攻めることにした。(これが正解であった)
 
 皆谷バス停で降りたのは、数名の単独行と20名くらいの高齢者グループであった。単独行たちは先にスタスタと行ってしまい、自分は高齢者グループが出発して10分待ってからスタートした。時間的に、自分のあとにはもう誰も登ってこないだろう。

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 バス通りから民家の並ぶ高台に少し入ると、そこはもう秩父の山里のおだやかな秋の景色が広がっている。空気も澄んでいて気分爽快。向こうに見えるは大霧山。ダイダラボッチが顔をのぞかせないかな。
 道端の二十二夜碑は、このあたりに月待ち信仰があったしるしである。笠山山頂に鎮座する笠山神社がその中心であったと思われる。

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 笠山山頂までは林道を何回かまたいでいく。途中で、先を譲った高齢者グループに追いついてしまったが、そこでまた休憩を入れて、間隔をあける。帰りのバスの時刻まで十分な余裕があるので、今日はゆっくり風景や木や花を楽しみながら歩くことができる。ついでに、「右・左・右・左・・・」と足に注意を向けて、ヴィッパサナー瞑想しながら雑念を追い払う。
 そうしているうちに、心が落ち着いて、頭がすっきりしてきた。


 笠山山頂は西峰(837m)と東峰(876m)がある。
 西峰からは木々の間から、赤城山や上越、日光の山々が望めるらしいが、今日は大気が霞んでよく見えない。眼下の小川町が海に浮かぶ藻屑のように頼りなげに見える。高齢者グループはここで昼食休憩をとっていた。

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 東峰にある大岩を上ると、向こうに秩父の山々が望める。そこで昼食を広げていたカップル(夫婦?)に声をかける。
「いい場所、見つけましたね」(ただの、あやしい、おっさん?)

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 笠山神社は鳥居側の一部の木々が伐採されて東側が開けている。連なる山々のはるか先に都心が見えるらしい。(「スカイツリー」という表示板が木にぶらさがっていた。よく晴れた冬日には見えるのだろう。) 

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 笠山神社に詣でる。
 ネットからの資料によると、

第12代景行天皇41年に皇子日本武尊が東夷征討の際、4月8日に笠山に上り、地形を賞嘆してイザナギ、イザナミの両尊と天照皇太神の三神を奉祀したと言われているそうです。五穀守護の神であり、天下地変虫害消除・養蚕倍盛の霊験ありと信仰を集めています。
(「神社人」http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=4595


 秋山二十六夜山で学習したことだが、養蚕と月待ち信仰には関連があるらしい。お蚕さまとお月さまにどういう関係があるのだろう? 養蚕→女性の仕事→月のもの→月待ち講、という連想が働くけれど、どうかな?

 ここからいったん下って七重峠に出る。

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 林道が抜ける峠は殺風景だが、展望は広々としている。
 足元の秋の花が可愛らしい。

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 雑木林を一登りで、堂平山頂に到着。
 まず、いきなり目の前に開ける芝の広場に驚かされる。
 なぜ、こんなところにゴルフ場が・・・?
 と、目を丸くするなかれ。
 これはパラグライダー広場なのである。下から風の吹き上がる堂平山はパラグライダーに最適なのであろう。
 芝の広場を上っていった高みに、天文台のドームが光る。
 これは「ときがわ町星と緑の創造センター」。国立天文台の堂平観測所であったものを、埼玉県比企郡ときがわ町が譲りうけ、整備したとのこと。このドームは東武東上線の車中からも見えるという。

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 さて、おもむろに振り返って、大パノラマに息を呑む。

「ヒュ~!!」

 視界の左いっぱいから右いっぱいまで、南から西を通過して北まで、180度以上の展望が横たわっている。
 雲取山をボスとする奥多摩の山々、武甲山・両神山をシンボルとする奥武蔵の山々は、ほぼすべて網羅されていて、手前の大霧山、丸山から、奥の甲武信岳や大菩薩嶺まで、山々が上下・左右・遠近の3つのベクトルに思う存分、積み重なって、まるで3D映像を見ているような(という比喩もおかしいが)見事な立体感に圧倒される。
 谷の底にちんまりと見える集落は、「そこから自分は登ってきたのだ」という自負心を抱かせる。

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 山頂は天文台の横にある。
 これまた爽快な風景が飛び込んでくる。
 東に広がる関東平野、その上の広い空、丹沢の山々(その奥には富士山)。
 これだけ素晴らしい展望はそうそうにない。
 さすが、比企三山(大霧・笠山・堂平)と称されるだけのことはある。

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 来て良かった~!!


 パラグライダー広場で昼食とする。
 目の前に広がる絶景をおかずに、おむすび、いわしの味噌煮缶詰、冷たいお茶。
 陽射しはあたたかいが、風はすっかり秋。日が翳るととたんに寒くなる。
 1時間以上の昼寝と瞑想。
 鳥の声、風の音、遠くのバイクの音・・・。
 疲れもストレスもすっかり解消された。

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 下山路は、車道が下に見え隠れする山道を行くので、ちょっと興ざめ。
 白石峠からは、沢音を聴きながら、いくつもの滝の発する‘気’に心身を清められながら、ゆるやかに下っていく。早朝はかなりのパワースポットであろう。

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 山道を抜けて里に出ると、秋の夕暮れの安らかな光景(昔の週刊新潮の表紙のような)に心ほぐれる。
 日本人だなあ~。

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 白石車庫バス停に発車時刻15分前に到着。
 小川町駅から歩いて8分の「花和楽(かわら)の湯」に寄る。
 広くて、きれいで、落ち着けて、皓々としていない照明が心地よくて、裏山を借景とした露天に風情があって、料理も美味しくて、いい温泉である。
 湯上りの生ビールと「天麩羅そばとミニ海鮮丼(1380円)」で、無事下山を祝す。

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 次は紅葉ハイキングだな。


● オペラ:ヴェルディ作曲『アイーダ』(マリボール国立歌劇場)

日時    10月17日(金)18:30~
会場    練馬文化センター大ホール(東京都練馬区)
aidaキャスト
 指揮     フランチェスコ・ローザ
 アイーダ  クリスティナ・コラル(ソプラノ)
 ラダメス   ミロ・ソルマン(テノール)
 アムネリス  イレナ・ペトコヴァ(メゾソプラノ)
 アモナズロ ダヴィド・マルコンデス(バス)
 ランフィス   ヴァレンティン・ピヴォヴァロフ(バス)
 エジプト王 アルフォンス・コオリッチ(バス)
 管弦楽&合唱 マリボール国立歌劇場管弦楽団&合唱団
 舞踏     マリボール国立歌劇場バレエ団


 マリボール国立歌劇場はスロヴェニアにある。
 スロヴェニアは、イタリアの右、ハンガリーの左、オーストリアの下に位置し、アドリア海に面した人口約200万人の小国である。国土の58%が森林という自然豊かな美しい国である。
 今秋、芸術レベルの高さで知られるマリボール国立歌劇場が来日し、日本各地で18回の『アイーダ』公演を行う。
 今日は、その初日であった。

 今回の公演の目玉は、世界的なドラマティックソプラノの双璧と言えるマリア・グレギーナとフィオレンツァ・チェドリンスが特別出演(ダブルキャスト)で主役のアイーダを歌うところにある。もっとも、全公演を通してではなく、東京近辺の名の知れた劇場のみで、あとはマリボール歌劇場のプログラムで主役を務めた若手のソプラノによるダブルキャストとなっている。
 もっとも、こうした情報はあとからネットで調べて知ったことで、たまたまどこかのホールで手にした練馬文化センターの『アイーダ』のチラシを観て、久しぶりに生オペラを聴きに行きたいと思い、チケットを取ったのであった。アイーダ役は若手ソプラノである。
 チェドリンスが出ると知っていたなら、それを聴きたかった気もするけれど、おそらく高額なチケットはすでに完売であろう。

141017_1659~01 練馬文化センターははじめてである。
 早く着きすぎたので、近くにある白山神社を詣でてパワースポットとして有名な大ケヤキを見物する。
 樹齢推定900年。1083年、源義家が「後三年の役」で奥州へ向かう際、戦勝を祈願して苗を奉納したと伝えられている。都内最大のケヤキで、高さ19メートル、幹周り8メートル、国の天然記念物に指定されている。枝の先のほうから色づき始めていた。完全に紅葉したら見物であろう。
 神社のご祭神はイザナミノミコト。
 両手を合わせ、慈悲の瞑想をする。
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 『アイーダ』は好きなオペラである。
 まず、舞台が古代エジプト王宮なので、ゴージャスで神秘的でエキゾチックな舞台美術を楽しむことができる。
 第二幕「凱旋の場」においてクレッシェンドしていく管弦楽と合唱のクライマックスは、いつも興奮させられる。第三幕ナイルのほとりでアイーダによって切々と歌われる「おお、わが故郷」のリリシズムも陶酔させられる。
 人質として捕らえられたエチオピアの王女アイーダとファラオの王女アムネリスの、将軍ラダメスをめぐる女同士の火花を散らす争い(ののしりあい)も面白い。
 アムネリス「私からラダメスを奪えるものなら奪ってみるがいい。この女奴隷め!」
 アイーダ 「受けて立ちますとも! 私だって世が世なら・・・・ああ!」
 まるで、一昔前の大映テレビドラマ(『スチュワーデス物語』ほか)のようなエグ味とコクのあるベタな展開に心はやるのは、自分の中のオネエ気質のせい?
 歌唱、管弦楽、バレエ、芝居、服飾、美術、演出、舞台セット・・・・総合芸術たるオペラの真髄をこってり味あわせてくれるのが『アイーダ』である。


 座席は2階席の舞台正面。舞台全体が非常によく見える好位置。料金はA席1万円だった。渋谷のオーチャードホールならきっとS席(2万4千円)扱いになるであろう。1階席はほぼ埋まっていたようだが、2階席には空席が目立った。もったいない。

 舞台装置や演出は、非常にオーソドックスで、気を衒ったところがない。そこが好感持てる。やはりアイーダはゴージャスでなければ。
 あえて独創的な点を挙げるなら、幕開け(序曲)では時を現代とし、エジプトの遺跡を発掘していた考古学者が抱き合っている男女1対の骸骨を発見する場面から始まる。それがつまり二千年後のアイーダとラダメスなのである。
 やっぱり、大映ドラマ風のえぐさ(笑)。
 そこから、時ははるか遡って、古代エジプトに飛ぶ。


 ラダメス役のミロ・ソルマンは、顔立ちも体型も物腰も仕草も声も発声も、悲劇より喜劇向き。大軍を率いるカリスマ戦士というイメージではない。初日で緊張していたのか、声もあまりよく出ていなかった。
 アムネリスのイレナ・ペトコヴァも不調。声が管弦楽に消されてよく響かない。途中、歌詞を忘れたようなところもあった。アムネリスが強靭でないと、この作品は面白くない。最後まで持つかハラハラしたが、最終幕のアムネリスの見せ場では奮起して、愛する男を嫉妬から死に追いやった愚かな哀しい女の苦悩を熱演していた。
 ランフィス、エジプト王は及第点。
 アモナズロを演じたマルコンデスは黒人で、わざと褐色の肌を露出する衣装をまとい、いかにも囚われたエチオピア人って感じを出していた。そこはインパクト大であるが、やはり声が弱い。アモナズロに与えられた非常に魅力ある、アクの強いメロディを御し切れていない気がした。まだ若いためか。
 素晴らしいのはアイーダを歌ったクリスティナ・コラル。他の歌手の不出来を補って余りある見事な歌唱であった。ドラマティックソプラノだから、声が大きいのは当然だが、本当に良く通る、強靭な声で、低い音から高い音までホールの隅々までしっかり響いていた。ピアニシモも美しく伸ばせていた。第一幕のアリア「神よ、慈悲を(Numi, pieta)」の苦悩表現、第3幕のアリア「おお、わが故郷」の叙情表現も上手かった。ただ、ラダメスを色仕掛けで落として戦闘の極秘情報を聞き出す場面は、説得力(=フェロモン)が不足していた。これから女として経験を積んでいくであろう。
 いずれにせよ、この歌手はこのまま行けば国際的なレベルまで行けそうである。なんか、掘り出し物を見つけた気分。

 指揮と管弦楽は、優れた部分と妙にたるんだ凡庸な部分とが交互していた。優れた部分では、登場人物の心象風景が音として表現されているのを(ヴェルディがそのように作ったすごさを)発見する思いがした。
 合唱とバレエは文句なく素晴らしかった。
 全体として、良い舞台であり、良い歌唱であった。

 「あれ???」と思ったのは、観客の反応の鈍さである。
 普通なら拍手が鳴るところで拍手がなく、「ブラボー」が飛び交って然るべきところで無言。喝采の持続時間も総じて短く、「この出来なら3倍長くていいはずなのに・・・。」「いったん引っ込んだ歌手を拍手で引っ張り出してもいいくらいの出来なのに・・・。」とたびたび思った。
 自分一人、頑張って拍手して、「ブラボー」を叫んだが、やっぱり一人じゃシラける。
 「歌手も指揮者も楽団員も奇異に感じているだろうなあ~」と変に気をまわしてしまったのだが、最後の幕が下りると、それまで控えていたエネルギーが噴出したかのように、盛大な喝采が湧き起こった。
 おそらくオペラを聴きなれていない人が多かったのであろう。

 久しぶりに生の舞台に接してつくづく思ったのは、超一流の舞台を家でDVDで観るより、たとえ二流の舞台でも――マリボール歌劇場は二流ではないが――なまで観る(じかに聴く)ほうがずっと良い、ということ。ナマ音の波動を体で受け止めるに如くはない。


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