ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 真木よう子に注目 映画:『さよなら渓谷』(大森立嗣監督)

2013年。

 吉田修一の同名小説を原作とするミステリー風人間ドラマ。
 十代の時に起きた集団レイプ事件の被害女性(真木よう子)と加害男性(大西信満)とが、十数年後に再会し、憎しみと償いの強い感情に結ばれて、「幸福になるためでなく不幸でいるために」同棲を始める。そこに、二人の隣りに住む女が自らの幼い子供を殺害するという事件が持ち上がり、田舎町にマスコミが押しかけ、二人の関係に微妙な変化をもたらしていく。
 
 見所は、主演の真木よう子の演技に尽きる。この作品で、第37回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞はじめ数々の演技賞を受賞している。
 昨年くらいまでよく列車内に流れていたtoto(サッカーくじ)のCMの‘冷感症の女’風の演技が印象的で気になっていたのだが、作品を観るのははじめてである。
 と思っていたら、2006年公開の西川美和監督『ゆれる』に出演していた。
 『ゆれる』は観た記憶があるのだが、作品内容も真木よう子も印象に残っていない。
 なんでかなあ?
 
 演技は確かに上手い。役の雰囲気作りも抜群である。
 加えて、スクリーン映えする姿かたちを持っているのが彼女の何よりの武器だろう。なんというか西欧風の匂いのする女優さんである。シャーロット・ランプリングのように、大人の演技ができる、大人の作品で真価を発揮する女優なのではないか。
 映画のラストで彼女が歌う主題歌が流れる。これがまた滅法味がある。むろん、プロ歌手のように上手ではないけれど、透き通った美しい声でシャンソンのような説得力ある歌唱を披露している。
 いま最も注目すべき女優であるのは間違いない。
 彼女の代表作はこれから先に現れるだろう。
 『さよなら渓谷』も、totoのCMも、彼女にはいささか幼すぎる。
 


評価:B-


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


● 本:『自由への旅 ~ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図~』(ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳)

 インターネットのミャンマー仏教書ライブラリーよりダウンロード&プリントアウトし、毎日少しずつ読み進めた。
 卓抜なる仏教解説書『仏教思想のゼロポイント』の著者、ニー仏こと魚川祐司が翻訳している。どうやらウ・ジョーティカ師は、魚川が私淑しているお坊さまのようである。

 ウ・ジョーティカ師はムスリムの家庭に生まれ、カトリックのミッション・スクールに通い、大学では電気工学を学んで、さらに結婚して二女を設け、それから出家して瞑想指導者になるという、複雑な経歴の持ち主である。
 それだけの複雑な人生を歩んできた方だから、当然、家族や周囲の人々との関係にも、複雑なコンフリクトが色々とあった。彼の著作には、そのことが包み隠さず書かれていて、それが彼の実践している瞑想によってどのように変化していったかが、豊富な知識と経験の裏打ちによって、丁寧に描写されている。
 世界の人々が、ウ・ジョーティカ師の著作を読んで感銘を受けるのは、彼が私たちと同様の日常的な問題に深く悩んだ上で、それを仏教の実践によって一つ一つ乗り越えているからであり、形而下的な煩悶と形而上的(に感じられる)瞑想の境地が、そこで有機的に結びついているからだろう。(Note「ニー仏」のページより抜粋)
 
 本書はたいへんな名著にして、涙が出るほど有難い実用書である。
 だが、仏教に関心のない一般の人にとっては何の役にも立たない。
 仏教に興味があっても瞑想をやったことのない人にとっても何の役にも立たない。
 瞑想は瞑想でも、サマタ瞑想――わが国で伝統的かつ大衆的に実践されている最も一般的な瞑想である――をやっている人にとっても何の役にも立たない。
 ただただ、テーラワーダ仏教に伝わる「悟りに至る瞑想」と言われるウィパッサナー瞑想を実践している人にとってだけ、はじめて役に立ち、実用書としての真価を発揮し得る。
 だから、本書が書物となって書店に並ぶ日が来る可能性は、今のところないだろう。(来てほしいけれど)
 その意味で、本書を邦訳して(無料で!)ネットに挙げてくれた魚川は、非常に良い業(カルマ)を積んだと断言できる。ウィパッサナー瞑想によって智慧を開発し悟りを目指す日本の仏教徒たちに、またとない指南書を提供してくれたのであるから。
 まずは謹んで感謝したい。
 
 ウィパッサナー瞑想の指南書としては、同じくミャンマーのマハーシ長老が書いた『ミャンマーの瞑想 ウィパッサナー観法』(国際語学社より1995年発行)という、すでに古典と言ってもいい名著がある。『自由への旅』はそれに勝るとも劣らない画期的な‘虎の巻’である。

ミャンマーの瞑想 001
 

 ウィパッサナー瞑想の凄いところは、きちんと瞑想のやり方をそれなりの師から学んで、教えられたとおりに日々真面目に実践すれば、「誰でも、必ず、同じような過程をたどって、前もって示されている智慧が現れて、前もって示されているある種の精神状態に達し、前もって示されているいくつかのスランプにはまり、前もって示されている11段階の智慧のステップを徐々に上がって、最終的に悟りに達する」ところである。
 つまり、普遍性と実証性とが、2000年のテーラワーダ仏教の歴史とその間の何十万人かの悟達者の存在によって証明されているのである。まぐれや偶然や生まれついての能力による悟りではなく、純粋に個人個人の精進による悟りが可能なのである。
 であるからこそ、テーラワーダ仏教徒が毎日読経する「ダンマ(法)の六徳」ではこう言っている。
 
 世尊の法は、
① 善く、正しく説き示された教えである。
② 実証できる教えである。
③ 普遍性があり、永遠たる教えである。
④ 「来たれ、見よ」と言える確かな教えである。
⑤ 実践者を涅槃に導く教えである。
⑥ 賢者たちによって各自で悟られるべき教えである。 

 普遍性と実証性がかくも高らかに宣言できる理由は、おそらくウィパッサナー瞑想が科学的根拠を持っているから、と自分は考える。すなわち、ウィパッサナー瞑想は人間の脳に影響を及ぼし、脳の構造を不可逆的に変容させる仕組みを持っているのではないかと思う。シナプスの接続変換とか脳内物質の増加とか普段は使用されていない‘残り70%の’脳細胞の活性化とか、なにかそんなことと関係しているのかもしれない。いやしくも人間の脳であればそこに共通した構造や働きが想定できるから、誰にとっても起こりうるわけだ。
 自分の場合、ウィパッサナー瞑想をはじめた当初、頭が締め付けられるような感覚をおぼえ、知恵熱のように頭の中が熱くなったのを覚えている。(実際に熱はなかった。)
 その後も瞑想をしていると、脳を下から突き上げるような痛みを感じたり、脳が頭蓋骨の中で前転したかのような奇怪な刺激を感じたり、脳の一部が空になったような突き抜け感を覚えたりした。前頭葉あたりがうずいて、そこから何かが額の裏を通って滴り落ちるような感覚もときに起こる。瞑想が脳に何らかの作用を起こしているという感じは拭えない。
 その真偽はともかく、自分がウィパッサナー瞑想を続けている理由は、明らかに「前もってテキストに示されている」通りの現象が、まったくその通りに起こり続けているので、瞑想の効用を信じないわけにはいかないからである。このまま行けば、いつかは悟りに達するのだろうと思わざるを得ない。

 本書でウ・ジョーティカ師は、ウィパッサナー瞑想の実践者がたどる階梯を、第一の智慧から始まって第十一の智慧に至るまで、そしてその先の涅槃(=悟り)について、詳しく丁寧に解説している。実際の瞑想合宿(リトリート)の場で、参加者を前にして行っている講話なので、非常に分かりやすい言葉で具体的に語られており、章末には瞑想に関する質疑応答もついている。魚川の訳も的確で、読みやすく、よどむところがない。ここでもまた『仏教思想のゼロポイント』同様、瞑想実践者ならではの深い理解が礎になっていることが感じとれる。
 そして、言い忘れちゃいけない本書の何よりの魅力は、魚川が上に示唆したとおり、ウ・ジョーティカ師の誠実で、率直で、賢明で、慈悲深いパーソナリティが全編漂っている点である。道を求める実践者をあたたかくサポートする師のまなざしは紙面の奥から読者に降り注ぎ、穏やかで心を落ち着かせる師の声は行間から読者の耳朶を震わす。瞑想すると、こんなに素晴らしい人格に至れるのだという見本のようである。
 実践者が、いつも手元に置いて繰り返し読みたい本である。(やっぱり、刊行してほしいな。サンガさん、お願いします。)

 以下、引用。
 
 実際のところ、ウィパッサナーの洞察智には、三つの洞察智、つまり無常・苦・無我しか存在しません。しかし、無常・苦・無我を経験する度合いの差異によって、諸々の洞察智が、異なることになるのです。
 
 瞑想において得た洞察智は、あなたの日常生活、あなたの世俗的な問題にも、適用が可能です。瞑想においてのみならず、人生全体を生きるための正しい態度を、あなたは育てる。あなたの人生全体にとって、それは正しい態度なのです。
 
 死ぬ準備ができている人には、生きる準備ができているのです。私たちのほとんどは、生命活動を行っているけれども、本当の意味で生きているわけではありません。私たちは生に対して、あまりにも多く抵抗している。私たちは本当の意味で注意を払っておらず、また人生から十分に学んでもいないのです。
 
 よいことであれ悪いことであれ、物事は私たちがそれに値するから起こるのです。ひとたびこのことを、非常にはっきりと理解すれば、あなたは非難することをやめてしまいます。自分の業を非難することすらやめてしまうのです。両親や政府を、非難することもやめてしまう。
 私たちはいつも非難しています。責任を、他者や状況に押し付け続けている。十分な責任をとってはいないのです。
 物事は自分がそれに値するから起きているということを、ひとたび理解すれば、あなたは学び、成長し、そして変化する。そうすれば、物事はどんどんよくなっていきます。
 
 涅槃へと導く唯一の道は、あなた自身の精神的と身体的プロセスを観察することです。


サードゥ、サードゥ、サードゥ


● 仏の受難:ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」ほか(曽我大介指揮、練馬交響楽団)

日時 11月15日(日)14時~
場所 練馬文化センター大ホール
演目 チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」(合唱付)  
    ベートーヴェン:交響曲「ウェリントンの勝利」作品91
    ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55
指揮 曽我大介
演奏 練馬交響楽団
合唱 一音入魂合唱団

 最近知り合った人から、このコンサートのチケットを譲り受けた。
 自分から選んで行ったわけではなかったので、「英雄」以外のプログラムについては会場に到着するまで知らなかった。3曲とも生で聞くのははじめてであった。 

 3つの曲に共通する人物は誰か?
 ――ナポレオン・ボナパルトである。

 チャイコフスキー「1812年」は、ナポレオン率いる無敵のフランス軍を、ロシア軍が「冬将軍」の助けを借りて打ち破った歴史的な戦い(の年)を祝う曲。70年後の1882年に作られた。
 ベートーヴェン「ウェリントンの勝利」は、やはり1812-13年にイギリスの軍人アーサー・ウェルズリー(ウェリントン公爵)が、ポルトガルやスペインにおいてナポレオン軍を次々と撃破した勲功を讃え、1813年12月にベートーヴェンが発表した作品である。
 ベートーヴェン(1770-1827)とナポレオンは同時代の人間だったのだ!
 有名な交響曲第3番「英雄」(1804年作曲)のモデルはナポレオンと言われるように、ベートーヴェンはもともと、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」を体現する象徴的人物として、ナポレオンを崇拝していた。が、ナポレオンが皇帝(独裁者)になったという知らせを聞いて、激怒し、幻滅し、反ナポレオン派になったようである。

 3曲に共通するのはナポレオンであり、フランスの栄光と敗退の軌跡である。
 プログラムの構成として面白いが、何より感じ入ったのは、今この時期、フランスの受難を表現する楽曲が演奏され、それを聴く機会を持ってしまった因縁である。
 むろん、プログラムを決める時点では、ISによるフランスでの同時多発テロなど想像もしなかったであろう。ほんの数日前まで、「今回のプログラムはナポレオンで統一」というのは、単なる練馬交響楽団あるいは曽我大介の趣向に過ぎなかったに違いない。
 それが、突然、ビビッドに、リアルになってしまったのである。
 今日、このプログラムに接する聴衆は、フランスのテロ事件と離れて演奏を聴くことはできなくなってしまった。
 しかも、チャイコフスキー「1812年」の主要旋律は、全体主義国家を崩壊させようと目論むテロリストの活躍を描いた映画『Vフォー・ヴェンデッタ』(ジェームズ・マクティーグ監督、2005年)のテーマ曲である。映画の中で主人公の謎の男“V”が常時被っていたガイ・フォークスの仮面こそは、国際ハッカー集団‘アノニマス’が好んで身に着ける、反逆の象徴である。 
 つまり、映画『Vフォー・ヴェンデッタ』を観たことのある者ならば、チャイコフスキーの「1812年」を聴いて「テロリズム」を想起せずにいられるわけがない。(もちろん、自分は観ている)

ガイ・フォークス仮面


 クラシック音楽は「古典音楽」と訳され、ともすると箱書きの付いた桐の箱に入っている骨董品のように扱われがちである。
 が、作曲された当時、演奏されたリアルタイムにおいては、時代の証言であり、その時代を生きる人間の思想表現かつ感情表現だったのである。19世紀初頭の西欧人の多くは、ベートーヴェン同様、ナポレオンの出現を寿ぎ、その活躍に喝采を上げ、「自由と平等と友愛」を希求しつつ、「英雄」を聴いた。ナポレオンがヨーロッパにとって危険な存在であると判明した後は、ベートーヴェン同様に、ロシア軍やイギリス軍の戦勝を心から喜び、「ウェリントンの勝利」を聴いた。(この曲はベートーヴェンの生涯における最大のヒット曲だったそうである。)
 音楽はまさに生きて、民衆と共にあったのである。
 「1812年」においても、「ウェリントンの勝利」においても、作曲家の指示として、曲中に実際の大砲の音が使われている。当時の聴衆に、どれだけビビッドに響いたことだろう!
 
 このようなプログラム構成を持った今回のコンサートが、仏のテロ直後の日本において、しかもパリに次いでISテロの標的になりうる可能性の高い“安部政権下の”東京において、ほかならぬ曽我大介――年末に国連難民援助活動支援チャリティコンサート「第九」を振る――の指揮で演奏されたという、驚くべきシンクロニシティ(共時性)を、なんと思うべきであろうか。そこにたまたま知人からチケットを貰った自分が居合わせたという偶然(=必然)をどう解釈したものか。
 
 なるほど、演奏自体は目覚しいものではなかった。
 全体に歯切れが悪かった。
 けれど、クラシックがこれほど‘リアルタイムに’響いた経験はかつてない。


 
 
 
 
 

● 二人の母の物語 METライブヴューイング オペラ:ヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』

上演日 2015年10月3日
会場 メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)
キャスト
レオノーラ アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ルーナ伯爵 ディミトリ・ホヴォロストフスキー(バリトン)
マンリーコ ヨンフン・リー(テノール)
アズチェーナ ドローラ・ザジック(メゾソプラノ)
フェルランド ステファン・コツァン(バス)
指揮 マルコ・アルミリアート
演出 デイヴィッド・マクヴィカー
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団

 今シーズン(2015-2016)のMETライブビューイング第一作は、大好きなオペラ『トロヴァトーレ』。
 世界一流の歌劇場で一ヶ月前にかかったばかりのオペラのライブ映像を、日本にいながら映画館の大スクリーンで観られるという夢の企画<ライブビューイング>も早10周年だとか。
 本当のライブに較べれば、感動はおそらく1/30にも満たないだろうけれど、現在最高の指揮者・演出家・歌手陣・管弦楽団・合唱団からなる最高級にして最先端の舞台を、たった3600円で味わうことができるのだから、文明の進歩に感謝するばかりである。
 都内の上映劇場は、銀座・新宿・六本木・昭島の4つあるが、人混みを避けてJR青梅線昭島駅近くのMOVIX昭島に出かけた。はじめて降りる昭島駅は、レンガ造りのお洒落なショッピングモール「モリタウン」が駅前広場に広がって、ハウステンボスの一角のようであった(持ち上げ過ぎ)。

昭島駅

モリタウン

昭島MOVIX

 
 『トロヴァトーレ』は主役の4人の力量が高レベルで拮抗するときに凄い威力を発揮する作品なのであるが、さすがに世界のメト。文句のつけようのないカルテットであった。
 
 あえて順位をつけるなら、やはり筆頭に来るのは、ジプシーの母親アズチェーナを演じたドローラ・ザジックであろう。
 世界の桧舞台でこの役を25年歌い続けているだけあって、履き慣れた靴のようにすっかり馴染んでいる感がある。1988年に同じメトで収録したライヴ映像(VHSで観た←懐かしい!)では、あの(!)パヴァロッティ、シェリル・ミルンズ、エヴァ・マルトンら往年の大歌手に伍して、まったく引けを取らない歌唱と演技を披露し、コソットの後継者が現れたなと思ったものである。
 ただあの時は彼女も若かった。25年を経た現在、デンとした腰回りで貫禄たっぷりによたよた歩く中年女の姿は、京塚昌子か森公美子のよう。つまり肝っ玉母さんになった。アズチェーナを演じるにもっとも欠かせない要素である<母親>がそこにいた。
 であるがゆえに、単純に、目の前で母親を焼き殺された可哀想な娘、無残にもその手で実の息子を焼き殺してしまった愚かで悲惨な女、ルーナ一族への復讐を誓い、復讐を成し遂げた執念深い狂気の女、という暗くて陰惨なイメージだけでなく、敵の子供を長年育てるうちにわが子のように愛してしまった、中国残留孤児の育ての親にも似た「人類の母」たるイメージが付与されたのである。その意味では、ほかならぬ今こそが、ザジック=アズチェーナの完成型であろう。
 アズチェーナが登場してすぐに歌う第2幕の有名なアリア「炎は燃えて」は、聴いて涙するような歌では決してない。なのに、ここで自分は思いがけず落涙したのである。彼女が歌い演じるすべてに、母性が沁みわたっているからにほかならない。

 母性という点では、実はレオノーラも重要である。
 むろん、レオノーラは母親ではない。恋人マンリーコと結ばれて間もないうちに、マンリーコを助けるために毒をあおって自害する。役の位置づけとしてはジュリエット(by裟翁)に近いだろう。最後まで<永遠の恋人>としてのイメージをとどめる。
 だが、自分はレオノーラの中に、レオノーラの音楽の中に、母性を見るのである。
 それは、第4幕第1場のアリア「恋はバラ色の風に乗りて」から、修道僧の合唱「ミゼレーレ」を経て、カバレッタ「私ほどあなたを愛する者はいない」に至るシーンである。
 ルイスに案内されて登場し最初の物哀しくも美しいアリアを歌うとき、まだレオノーラは「マンリーコの恋人」である。その後、僧たちの陰鬱な祈りの合唱を聴いて、彼女はマンリーコの処刑の近いのをまざまざと感じて恐怖に震える。悲痛の叫びを上げ続ける。そこへ、塀の中からマンリーコの声がする。
「僕を忘れないでくれ、レオノーラ」 
 レオノーラはすぐさま否認する。「あなたを忘れるですって! この私が!」
 一瞬の沈黙。
 そこからカバレッタに入るために、おもむろに顔を上げたとき、レオノーラは「マンリーコの母」になっている。恋人の死の予感にうち震え苦しみもだえる娘が、自分の命に代えてでも‘息子’を助けようとせん強い母に変貌するのである。いわば、「聖母たちのララバイ」(by岩崎宏美)の世界。このカバレッタの持つ尋常でない意志の強さの表現は、レオノーラが娘っ子から母親に変貌した瞬間をとらえているからであろう。であればこそ、彼女の身を挺しての犠牲が納得いくものとなる。作曲したヴェルディも台本を書いたカムマラーノも意図していないとは思うが、そして当のレオノーラも気づいていないのだろうが、もしかするとこのときレオノーラのお腹のなかにはマンリーコとの愛の結晶が宿っていたのかもしれない。
 このカバレッタは慣例として省かれることが多いのであるが、それは間違いである。レオノーラの人物造型とその行動をリアリティあるものとするために、カバレッタは絶対に省くべきではない。
 この娘から母への変貌を完璧に表現したソプラノの筆頭に上げられるのは、やっぱりマリア・カラスである。1956年録音のカラヤン盤(ミラノ・スカラ座管弦楽団)を聴くと、アリアとカバレッタの間にある谷間で、一人のか弱い女が愛する者を守るために決意し、覚悟を決め、性根を据えていく瞬間を見ることができる。カラスの天才の証である。
 まぎれもなく当代最高の人気ソプラノであるアンナ・ネトレプコは、この大切な見せ場で、当代きっての名歌手でもあることを証明してみせた。娘から母への変貌を鮮やかに成し遂げている。歌の面でも、表情の面でも、演技の面でも。確信犯と言っていい知性的なアプローチが成されている。
 かねがねネトレプコは他の追随を許さぬ素晴らしい美貌と声の持ち主であるとは思っていたけれど、表現の点では単調でつまらないと思っていた。が、いつの間にやら進化していたのだな。謹んで前言撤回する。METのシーズンオープニングの主役を務めるにふさわしいプリマドンナである。
 で、彼女の進化を可能にしたものは何なのかという疑問の答えが、まさにこのビューイングで窺い知ることができるのが面白い。ネトレプコはライブの幕間にレオノーラの扮装のまま、同僚歌手スーザン・グラハムのインタビューを受けている。その彼女にまといつきじゃれつくのは、ほかならぬ実の子供なのである。仕事場である楽屋に連れてくるほど溺愛しているのだろう。カメラを意識することなく自由奔放に振舞う可愛い7歳の息子に、恋多き美女にして天下のプリマドンナもメロメロである。
 必ずしもすべての女性表現者に当てはまるものではないが、少なくともネトレプコの場合、母親になったことが表現の幅を深めたのは間違いないようである。
 それにしても、コロラトゥーラソプラノの持ち役である「リゴレットのジルダ」「ランメモールのルチア」「清教徒のエルヴィーラ」から、より重めのソプラノリリコの役である「椿姫」「ボエームのミミ」「愛の妙薬のアディーナ」、そして強靭な声を必要とする「アンナ・ボレーナ」「マクベス夫人」「レオノーラ」まで、ひたすら成功街道を邁進するネトレプコの向こうところ可ならざるはなし。なんと言う奇跡の声帯の持ち主であろうか。インタビューによれば、お次は「アイーダ」に挑戦するらしい。となると、経歴の頂点を飾るのはやはりMETの「ノルマ」になるのだろう。

 銀髪の高貴な風貌が目を惹くバリトンのディミトリ・ホヴォロストフスキーは、この夏に脳腫瘍の診断を受け、公演をキャンセルし治療を開始したとのこと。今回、その復帰舞台となったこともあり、大変な喝采を受けていた。カーテンコールでは場内総立ちの割れんばかりの拍手。そして、それに値する名歌手、名役者であるのは間違いない。ただ、声はまだ本調子ではない。
 
 このあまりに素晴らしいカリスマ性のある3人と、立派な体格に中世の騎士姿がカッコよすぎるバスのステファン・コツァンの朗々たる歌唱と存在感に押されて、テノールのヨンフン・リーは、貧乏くじを引かされ、割を食ってしまった感じであった。歌も芝居も決して悪くはないし、曲中随一の聴きどころである第3幕アリア「燃え盛るあの炎」の最後の高い「ド」の音も見事に決めている。ただ、姿勢が悪いのが気にかかる。片方の肩がいつも上がっているのだ。ベテラン3人に囲まれて緊張していたのかな。

 とにかく次から次へと繰り出される歌が素晴らしかったので、指揮にもオケにも演出にも全然注目できなかった。まあ、そのくらいがベルカントオペラにおける3者の然るべき位置づけなのであろう。
 ライブで観たら、確実3日間は余韻が残り、歌声が耳について離れないような、舞台姿が瞼に浮かんで消えないような、素晴らしい舞台だったであろう。
 ライブビューイングでさえも、丸一日、そのような自分であった。 

 


 


● 終わった・・・ 高松山(800m、神奈川県山北町)

 先日、社会福祉士の受験資格を得る為の5週間にわたる障害者施設での実習が終わった。
 カレンダーに残りの日数を記入して指折り数えて待ちかねた最終日だったが、奇妙なことに、終わってみると解放感や達成感はさほど湧いてこなかった。ただ虚脱感のみに支配された。
 それでも自分へのご褒美に、夕食はロイヤルホストでステーキを食べた。

 終わったらとにかく山に行こう!と思っていた。
 手持ちのガイドブックから手頃なところを選んだ。アクセスが良く、それほどきつくなくて、休日でも静かな山歩きが楽しめそうなところ。帰りに温泉に寄れればなお良い。
 丹沢の高松山に白羽の矢が立った。

●日程  10月31日(土)
●天気  くもり
●行程
08:30 JR御殿場線・山北駅
      歩行開始
08:50 高松山入口バス停
09:10 ビリ堂分岐
09:35 舗装道終了、山道に入る
10:50 ビリ堂
11:40 山頂
      昼食休憩(80分)
13:00 下山開始
13:30 瞑想(50分)         
14:30 尺里峠
15:20 最明寺史跡公園
16:40 小田急線・新松田駅
      歩行終了
●所要時間 8時間10分(歩行時間5時間30分+休憩時間2時間40分)
●標高差  約700m

 新宿発の小田急線特急あさぎり1号に乗る。
 特急券を購入する時間がなくて、発車間際の特急列車に乗り込んで中で車掌を呼び止めたのだが、車内で指定席券を買うと通常より300円増しになると言う。
 なんというあこぎな商売!
 松田駅でJR御殿場線に乗り換え、山北駅で下車。
 無人でスイカの読み取り装置もない。(窓口の営業時間は9-17時)
 下車したのは5~6名くらい。間違いなく静かな山歩きが楽しめそう。
 北口駅前広場にはウッディで瀟洒なつくりの観光案内所がある。 

高松山 001

高松山 002


 駅を背に県道76号線を右に進む。
 茅葺屋根の美しい民家やもっちりした実がたわわに成っているキウイ畑(はじめて見た!)を横目に進むと、高松山入口バス停がある。左に折れて東名高速の下をくぐり、尺里川(ひさりがわ)に沿って進むと、ビリ堂分岐に着く。
  観音様が並んでいる。道中の安全を祈る。

高松山 003

高松山 005

高松山 008

 
  道を左にとって、みかん畑を緩やかに上っていく。足柄みかんは山北町の特産品の一つである。
   高度が上がるに連れ、秋の里山風景が眼下に広がる。

高松山 010

 道なりに進むと、舗装道路の終点に着く。ここから山道に入る。
 と言っても、杉木立に囲まれた歩きやすいなだらかな上り。
 道が険しくないせいもあって、雑念が浮かぶ。とりわけ、終わったばかりの実習のことをいろいろ考えている。反省点とか、不満な点とか、そこで出会ったスタッフや利用者のこととか、いくつかのエピソードとか・・・。まだ気持ちの整理がついていない。達成感や充実感がないのはそのためらしい。自分の中で「終了」させていないのだ。一ヶ月以上も関わったのだから仕方ない。

 1時間ほどでビリ堂に到着。
 ひときわ高く聳える杉の根方に二対の観音様が並んでいる。その横に立つ案内板によると、ビリ堂の名の由来は「一番最後(ビリ)にある馬頭観音だから」という。

高松山 014

高松山 015


文化10年(1813年)に尺里の人々が近村の人と協力して村内安全、五穀豊穣を祈って建立した12体の8番目に位置している。

 8番目ならビリじゃないのでは・・・?
 この手の案内板って意味不明なものが多い。

ここのお山は、花の百名山(田中澄江)の一つになっており、楽しい山である。

 『花の百名山』とは、作家の田中澄江(1908-2000)が1980年(昭和55年)に発表した随筆集の題名であり、また同書で紹介された花の美しい100の山のことを指す。その後、田中は1995年(平成7年)に『新・花の百名山』を著し、新たに100の山とその代表的な植物を紹介している。
がしかし、田中の紹介した「百名山」および「新・百名山」のいずれにも、高松山は入っていない。まさに「看板に偽りあり」だ。
 調べたところ、田中澄江ではなく、山と渓谷社がNHKの番組のために選定した「花の百名山」の中に高松山は入っている。代表的な花としてキブシが挙げられている。

キブシ
 

 春に咲くキブシは当然見られなかったが、気をつけてみると、なるほど山道や里山には可憐でゆかしげな花が咲いていた。

高松山 017

高松山 036

高松山 037


 杉を伐採する電ノコの興ざめな音を聞きながら、最後の急な斜面を上り詰めると広々とした山頂に到着。
 あいにくの曇り空で展望はイマイチだが、人の少ない山頂は気持ちがせいせいする。
 ベンチで昼食を食べ、芝に横になって、しばしまどろむ。
 その間の80分、山頂を通り過ぎたのは20名弱。
 

高松山 023

高松山 018

高松山 022


 下山途中の杉山で、倒木に座って瞑想すること50分。
 気持ちが落ち着き、心が軽くなった。
 軽い足取りで尾根を進む。
 いい加減に見飽きた杉林から、気持ちの良い雑木林に突入する。
 やはり、いろいろな木があったほうが楽しい。気持ちいい。

高松山 024

高松山 025


 尺里峠(ひさりとうげ)で観音を拝む。
 予定ではここから山を下ってビリ堂分岐に戻って、山北駅に戻るつもりだった。
 が、なんだか歩き足りない。疲れてもいない。それに天気が回復して日が射してきた。
 そのまま尾根を進みJR松田駅まで歩き通すことにする。
 山道が終わり、里山風景の中を舗装路を行く。
 道端のススキが輝かしい。

高松山 027


 最明寺史跡公園の矢印をたよりに進むと、民家は途絶え、またしても山の中に入っていく。鬱蒼とした森の登り道が続く。
 この道で本当にいいのか?
 はや15時を回っている。
 気もそぞろになりかけた頃、看板が現れた。
 まさに山の中のお寺だったのだ。

高松山 031

人里離れた松田山山頂付近、海抜550mの地に広がる静謐な公園です。池の近くの石段をのぼると護摩堂跡と最明寺の由来を記した石碑があります。池の周りは桜の木に囲まれ、水面を草花や樹木が彩ります。野鳥がさえずる散策路を歩き、池をひとめぐりすれば、心が解き放たれるような不思議さを覚えます。承久3年(1221年)、この地に浄蓮上人(源延)が夢のお告げをうけて金銅の仏像を安置したのが西明寺(最明寺)の始まりとか。一時は興隆を極めた寺も戦乱にあって衰え、現在の大井町金子に移されました。4月には施餓鬼会が執り行われ、仏縁の深い地であることを今に伝えています。(松田町公式ホームページより)

高松山 029

高松山 030

 今は池の周囲に植えられた菊が、セピア色の昔の写真のようにくすんだ感じの廃寺を、どうにかこうにか色気づけているばかりである。桜の頃は華やかに多くの人を招くようだ。

最明寺の桜


 公園の駐車場から松田駅方面へと車道を下る。
 しばらくすると、一面のみかん畑が現れた。
 果実が夕日に反射して、オレンジ色の灯りのよう。
 はるか下方には、足柄平野を抜けて小田原市で相模湾へと注ぐ酒匂川(さかわがわ)が、滔々とうねっているのが見える。限りなく透明に近いブルーの空と、蜃気楼のように霞んだ山裾を額縁にして。
 晩秋の平和な光景に心が静まった。

 次の瞬間。

高松山 033

高松山 035

 
ああ、やっと実習が終わった・・・!

喜びがじんわりと湧き起こった。

小田急線の新・松田駅前の「箱根そば」で、好物のかき揚げそばを食べる。
かき揚げが大きくて分厚い。

高松山 039

高松山 040


鶴巻温泉で途中下車し、ハイカージャックされて芋を洗うような弘法の里湯に浸かる。

余は満足じゃ~!


 
 

 

● シャフクへの道5 映画:『ショート・ターム』(ディスティン・ダニエル・クレットン監督)

2013年アメリカ。

 現在、自分(ソルティ)は社会福祉士国家試験の受験資格を得るために、障害者施設で実習中である。
 馴染んだ職場を離れて、約一ヶ月(180時間以上)の他施設での現場研修は、緊張と戸惑いの連続であり、結構疲れるものである。指導担当者(イケメン!)は自分の息子世代であるし、スタッフの9割は間違いなく自分より年下である。変なプライドがあったら、とうてい続くものではない。
 我ながらよくやってる
 スクーリングの時の先生が言っていたが、「実習から一番傷ついて戻ってくるのは、児童養護施設に行った学生たち」だそうである。
 さもありなん。
 親に虐待されたり育児放棄されたりした子供たちの可愛そうな姿に若く純粋な心が傷つくのではない。ケアの対象者であるほかならぬ子供たちに苛められて傷つくのである。言葉をかけても無視されるのはまだいいほうで、暴言・暴行・持ち物を隠される・帰りがけに下駄箱から靴を取り出したら、中にウンコが詰まっていた、なんて学生もいたそうだ。
 「恵まれない子供たちのために、私はマザーテレサのような無辺の愛を注ぐ」なんて気高い志を持って入っていったら、みじんに打ち砕かれることだろう。

 この映画は、そんな子供たち――家庭環境に恵まれず行き場を失ったティーンエイジャーが、次の行く先が決まるまでの短期間(ショートターム)を仲間とともに過ごす寮が舞台となっている。深い傷を負い‘ぐれた’子供たちの起こす様々な問題行動と、怒りの裏側に彼らが抱える孤独や絶望や悲しみを描くことが、一つのテーマとなっている。
 主人公は、この寮で働く若く有能な女性グレイス(=ブリー・ラーソン)と、彼女の同僚かつ恋人である優しく剽軽なメイソン(=ジョン・ギャラガー・Jr)。二人は、互いを信頼し尊敬し愛し合っているかに見える。が、グレイスはメイソンには言えない子供の頃の深い傷を抱えている。それが二人が結婚し親になる上での障害となっている。これがもう一つのテーマ。
 二つのテーマをうまく絡ませながら、大団円に導いていく脚本が優れている。
 子役を含め演技者も良い。とくにブリー・ラーソンは存在感があって、美しく知的で、かつてのジョディ・フォスターを髣髴とさせる。(もしやレズビアン?) 休学して施設に研修に来た学生ネイトを演じるラミ・マッレクは、オリエンタルな風貌のキュートなイケメン。息詰まりそうなディープな物語の中で、“箸休め”のような役割を果たしている。
 
 グレイスやメイソンは、なぜこのように大変な骨の折れる仕事をユーモアを持ってできるのだろうか。囚人を見張るサディスティックな看守のようでもなく、慈愛あふれる(しかし子供たちに裏切られる)教会のシスターのようでもなく、なぜ子供たちの心に入り込み、信頼を得られるのだろうか。
 メイソンは、孤児院育ちであることが明かされる。素晴らしい養父母に出会えて、愛されることの喜びを知ったことで、「今の自分がある」と自覚している。彼の経歴が、仕事のモチベーションになっているのである。
 一方、グレイスはどうか。彼女が、どうしようもない両親のもとに育ったことが少しずつ明かされていく。男をひっかえとっかえする母親。刑務所に収容されている父親。子供の頃から続く自傷癖。
 しかし、彼女が悲惨な身の上をはじめて打ち明けたのは恋人のメイソンではなかった。怖くてそれはできない。彼女が気を許せた相手は、寮にやってきたばかりの少女、父親の虐待を受けているジェイデンだったのである。自分と同じ境遇に置かれている少女を目の前にし、救いたいという一心が、グレイスに勇気をもたらしたのであった。

 すべからく、人を助ける人間は、助けられる相手によって、また助けられている。
 そんな真実を教えてくれる一本である。
 (自分の実習も利用者に助けられている部分が大きい。) 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 映画:『シンプル・シモン』(アンドレアス・エーマン監督)

2010年スウェーデン映画。

 アスペルガー症候群のシモンは、イケメンで優しい兄サムが大好き。
 でも、シモンの非常識な行動が原因で、サムは恋人から捨てられてしまう。
 落ち込むサムのために、シモンは新しい恋人を見つけてあげようと奔走する。
 
 アスペルガー症候群とは、知的障害を伴わないものの、興味・コミュニケーションについて特異性が認められる自閉症スペクトラム(ASD)の一種である。・・・・・・・・
 アスペルガーの人は、多くの非アスペルガーの人と同様か、またはそれ以上に強く感情の反応をするが、何に対して反応するかは常に違う。彼らが苦手なものは「他人の情緒を理解すること」である。(ウィキペディア「アスペルガー症候群」より抜粋)
 
 他人の情緒(=物語)を理解しないゆえに、トンチンカンな行動をくり返し、事態をますます紛糾させてしまうシモン。でも、心は純粋(シンプル)そのもの。
 そんなシモンが最後にはなんと、物語のなかの物語たる“恋”に目覚めてしまう。
 
 アスペルガーという枷を除けば、普通の楽しい恋愛娯楽映画である。


評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


 
 
 
 

● あまりに映画的な病 映画:『レインマン』(バリー・レビンソン監督)

1988年アメリカ映画。

 ダスティン・ホフマンの‘いかにも上手な’演技があまり好きでなくて、この有名なオスカー作品を観ていなかった。
 社会福祉士養成過程の実習で障害者施設に行くことになり、そこで自閉症の利用者と接することになって俄然興味を持ち、遅ればせながらDVDを借りた。
 むろん、この映画は自閉症患者を描いた作品としてもっとも有名だからである。

 自閉症は、通常生後30ヶ月までに発症する先天的な脳の機能障がいです。 視線が合わなかったり、1人遊びが多く、関わろうとするとパニックになったり、 特定の物に強いこだわりが見られたり、コミュニケーションを目的とした言葉が出ないなどといった行動特徴から明らかになります。 その障がい名から、「心の病気」という誤った印象をもたれがちですが、自閉症は心の病気ではありません。
 自閉症とは、先天的な脳の中枢神経の機能障がいで、自分を取り巻く様々な物事や状況が、定型発達者と呼ばれる私たちと同じようには脳に伝わらないために、 結果として対人関係の問題やコミュニケーションの困難さ、特定の物事への執拗なこだわりを呈するという障がいです。(特定非営利活動法人ADDS-Advanced Developmental Disorders Support-ホームページより抜粋)

 一口に自閉症と言ってもいろいろである。知的障害を伴う人もいれば、通常あるいは通常以上の知的能力をもち社会生活を送っている人もいる。この映画の主人公レイモンド(=ダスティン・ホフマン)のように特定の分野で驚異的な才能を発揮する人もいる。
 最近ではこうしたグラデュエーションのような多様性を表すために、「自閉症スペクトラム障害(Autistic Spectrum Disorder)」と称するのが一般になってきているらしい。
 多様性はあるものの、そこに何がしかの共通した特性が見られるからこそ、「自閉症」という名のもとに統合される。
 共通した特性、すなわち自閉症スペクトラムの診断基準はなにか。
 以下の三つが上げられる。
1.対人関係の形成が難しい「社会性の障害」
2.ことばの発達に遅れがある「言語コミュニケーションの障害」
3.想像力や柔軟性が乏しく、変化を嫌う「想像力の障害」

 レイモンドはまさにこの3つの特徴を兼ね備えている。
 実習先の自閉症患者たちもまったく同様である。「定型発達者」と呼ばれる自分から見れば、一番の特徴と思えるものは、「何を考えているのかわからない」ということに尽きる。彼らの表情や行動から、「いま喜んでいるんだな(手を叩きながら笑顔でそこらじゅう飛び跳ねる)」とか、「いま悲しいんだな(手の甲を噛んで涙を流している)」とか、「いま怒っているんだな(血走った目で壁やいすを何度も蹴る)」とか、「いまパニックに陥っているんだな(自分の両頬を手加減なく血が出るまで叩く)」といった人間の基本的な喜怒哀楽の感情こそ分かるものの、「じゃあ、なんで喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒っているのか、パニックに陥っているのか」が分からない。彼ら自身、それを他者に説明することもできない。
 いや、そもそも彼らにとって「他者」は存在しているのか。

 自閉症患者は、我々「定型発達者」が共有する「物語」を内面化していない、それをもとに生きていない、というふうに見える。
 この映画で象徴的にそれが表れているのは、最後のシーンである。
 アメリカ縦断の車の旅を通して‘心が通じ合った’かに見える兄レイモンドと弟チャーリー(=トム・クルーズ)は、停車場で別れることになる。チャーリーは住まいと職場のあるロサンゼルスに、レイモンドは子供の頃から過ごしてきた施設に--。
 別れの抱擁を終えて、レイモンドは列車に乗り込む。チャーリーは名残惜しそうに、窓際の席に収まった車上のレイモンドを見やる。
 が、レイモンドはすでに無関心に前を見ているだけで、窓外のチャーリーの存在はすでに蚊帳の外だ。レイモンドに対するチャーリーの思いは一方通行。というより、チャーリーが持っている(我々通常の社会人が持っていることが期待される)‘兄弟愛’という物語を、レイモンドはそもそも共有できないのである。
 上記3つの特徴がその通りだとすれば、それは自閉症患者が、「物語」を形成する能力に欠いているということになるのではなかろうか。
 あるいは、こうも言える。
 自閉症患者は、我々「定型発達者」を苦しめている「物語」の呪縛から解放されている。
 本当かどうかは知らん。
 少し前に話題になった当事者の東田直樹の書いたものを読むと、「物語」を理解する能力はすこぶる高い。というか彼はプロの童話作家なのだ。「物語」を理解するどころか、創作できるのだ。
 彼が特別なのか。それとも、自閉症患者は「物語」を十分理解しているけれど、出力が困難(稚拙)だから理解していないように見えるだけなのか。それとも、これもまた多様性のグラデュエーションのどこに位置するかの問題なのか。
 いずれにせよ、「物語」の呪縛からいい加減脱出したい自分にとって、世間一般の「物語」をはぐらかすかのように見える彼らの行動は魅力的に映るのである。 
 
 自閉症患者は、視覚優位の世界に住んでいると言われる。また、通常の人とは幾分違った‘物の見方’をしているらしい。たとえば、景色や物を全体として見ずに、10円玉くらいの範囲の一点のみしか見えていない。規則正しく流れるもの・並んでいるものに惹かれる。(だから列車がすきなのかな?) キラキラしたもの・光るものが好き。
 
 物語からの解放、視覚優位、クローズアップ、列車愛好、光に対する感受性・・・・。
 こうしてみると、まさに映画的感性そのものではないか。
 自閉症患者は世界を「映画的に」見ているのではないだろうか。
 
 『レインマン』において、観る者はたびたびレイモンドの視界を共有することになる。チャーリーの運転するスポーツカーの助手席からレイモンドが見る景色(=ショット)がしばしば挿入される。
 それはまさに自閉症患者の‘物の見方’なのである。と同時に、ダスティン・ホフマンの過剰な演技でつい物語化――兄弟愛という名の―されてしまいそうなこの作品を、すんでのところで‘映画’に引き留めている鮮烈な楔なのである。
 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


● 声聴くときぞ秋は・・・ 乾徳山(2031m、山梨市)

●日程  10月10日(土)
●天気  くもり
●行程
08:30 JR中央本線・塩山駅 西沢渓谷行バス乗車(山梨交通)
09:05 乾徳山登山口バス停着
09:10 歩行開始
09:40 乾徳山登山口
10:05 銀晶水
10:50 錦晶水
11:10 国師ヶ原
11:30 扇平
12:30 乾徳山頂上
      昼食
13:00 下山開始
14:20 国師ヶ原
16:00 乾徳山登山口バス停着
      歩行終了
16:08 塩山駅行バス乗車
●所要時間 6時間50分(歩行時間5時間40分+休憩時間1時間10分)

 久々の2000m級の山に登る。
 ケントクサン。
 山頂付近は険しい岩場が続き、垂直な巨岩をクサリや梯子を頼りに登るスリリングなシーンが展開するという。大丈夫か。
 三連休の初日なら多少無理しても休み明けに響くことはあるまい。
 大丈夫だろう。
 同じことを思った人が大勢いたのか、塩山駅前の乾徳山行バス発着所は長蛇の列。終点の西山渓谷を目指す人ももちろんいるのだが、装備を見る限り自分と同じ目的地と見た。
 バス2台に分乗する。
 
PA100032

 乾徳山登山口はバス停から30分ほど歩いたところにある。
 途中の里山の風景に心和み、乾徳神社に登山の安全を祈る。祭神は大山祗命(おおやまづみのみこと)、その名の通り「山ノ神」である。山頂に奥宮があり、かつては修験道の場として栄えたという。


 
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 登山口から植樹杉の山道となる。
 九十九折の単調な登りを下界の種々の思いにとらわれながら歩きつめると、まず銀晶水がある。冷たい湧き水で顔を洗い、口をゆすぎ、一服する。
 
PA100037

 このあたりから周囲は自然林となる。
 ヒノキの香りが鼻腔をくすぐる。「山に来た!」という実感が湧きあがる。
 だんだんと、下界の思考が薄らいでいく。
 錦晶水は水量の多い湧き水が小川をつくっている。すでに汗びっしょりになっていたので、頭から水をかぶる。
 川原にリュックを下ろし休憩する。同じバスに乗ってきたハイカーたちを先に見送る。
 乾徳山はこの時期、見るべき花がない。紅葉にもまだ早い。
 山中唯一目立つのはマムシグサ。トウモロコシのように密集する緑の実が赤く変貌しつつある。
 
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 国師ヶ原から乾徳山山頂を仰ぎ見る。
 あそこまで登るのか!
 山頂の形容が、中世キリスト教の異端カタリ派の聖山だったモンセギュールを思わせる。と言って自分は写真でしか見たことがないのだが。

 
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 背の低い潅木がまばらに生える切り立った岩山。目の眩む断崖。峻厳な山容。天に向けられた指先のような山頂の城壁はまた、真の「存在」に登るための台座とも、光を集めるべき聖なる杯とも、これまでさまざまの形容を受けてきた。(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院)

モンセギュール


 無人の高原ヒュッテが立つ国師ヶ原から一登りで扇平に着く。
 ススキの波打つ爽快な原っぱである。
 ここから南方に振り向いて、今日はじめて見る富士山が実に麗しい。
 疲れが一気に吹っ飛んだ。
 爽快な秋風に吹かれて一休み。
 もはや頭は空っぽ、ただ景観を楽しんでいる。
 
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 ここからお待ちかね(?)の岩道に入る。
 巨岩、奇岩の合間を縫っていく。
 その名も髭剃り岩では、好奇心旺盛なハイカーたちは、スパッと二つに裂かれた岩の割れ目をメタボ診断のごとく通り抜ける。割れ目の先は、尾てい骨の震えるような絶壁。あと半月もすれば谷底の紅葉が壮麗なことだろう。
 
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 きつい鎖場は二箇所ある。
 特に山頂直前の鎖場が難関。
 20メートルくらいの垂直の巨岩に垂れた鎖を頼りに、足先で岩の割れ目を探しながら、一人ずつ上っていく。自信のない人のために迂回路はあるが、やはりほとんどの人は挑戦していく。
 まあ、難関と言っても、グループで来た人が崖の途中で振り向いてピース写真を撮ってもらうくらいの余裕はあるのだが・・・。
 鎖のない、道の整備されていない時代は、なるほど苦行の場としては最適だったろう。
 鎌倉から室町時代に活躍した臨済宗の禅僧・夢窓国師(夢窓漱石)は、この山に来て修行したと言われている。京都の西芳寺(苔寺)や天竜寺の庭園の設計で知られるお坊様だが、当地(甲州市)に恵林寺(えりんじ)を開基し、その庭園は国の名勝に指定されている。(どうにも国士無双と間違えやすい名前である)
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 山頂到達!
 
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 ごつごつした岩ばかりの狭いスペースに、ハイカーたちが密集している。
 紅葉ピークの頃は、山頂から押し出された人が深い谷底にまっさかさまに転落する様が見られるという。(←ウソ)
 360度の景観はただもう拝するばかりの神々しさ。山名同定などする気も起こらない。
 紫雲のなかに幾重にも連なる尾根を蓮華座のようにして、ひときわ高く天空に浮かぶはもちろん霊峰富士。
 いったいこれほど現実感を欠いた浄土風の山が世界にあるだろうか。
 富士山がなければ、間違いなく関東在住のハイカーは半減、どころか1/10減するだろう。

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 岩陰に平らな場所を見つけて昼食。
 山頂は肌寒い。隣で若い男がすすっているカップラーメンがやけに美味しそう。
 奥宮にお賽銭を上げて慈悲の瞑想をする。
 この数ヶ月で溜まった心の澱がすっかり溶け去り、心身ともに澄みきっていく。
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 下山は、上りとは別のルートでさきほどの鎖場を回避する。
 足場のおぼつかない急斜面をひたすら下って、国師ヶ原で行きの道と合流する。
 ここで野生の鹿と遭遇!
 人馴れしているのか、近づいても逃げない。
 
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 あとは来た道をたんたんと戻る。
 静かな秋の山中を無心に歩いていると、ひと際高く「ケーン」と鳴く声がした。
 
 奥山を もみじ踏みわけ 鳴く鹿の
 声聴くときぞ 秋はかなしき
 (猿丸太夫)
 

● 映画:『プリズナーズ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)

2013年アメリカ映画。

 『X-MEN』『レ・ミゼラブル』のヒュー・ジャックマン、『ブロークバック・マウンテン』のジェイク・ギレンホール共演のサスペンスクライムドラマ。
 脚本も演技も演出も及第点に達しているので、長尺(153分)にも関わらず、最後までダレなく面白く鑑賞できた。
 ジェイク・ギレンホールの刑事役がなかなか渋くて良い。『ブロークバック・マウンテン』(アン・リー監督、2005年)や『ミッション:8ミニッツ』(ダンカン・ジョーンズ監督、2011年)では感じなかったけれど、意外に年ふるごとに名優に近づいていくタイプの役者なのかもしれない。主役よりもバイプレイヤーで光るのではなかろうか。
 今後に期待。
 

評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




 



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