ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー5

5日目(3/16)バスで島巡り(南部)
 8:40宮之浦港入口 ~ 10:18大川の滝(屋久島交通バス)
    ・大川の滝
 11:00大川の滝 ~ 11:37尾之間中央(同)
2012年3月屋久島&九州旅行 054    ・パン工房「ペイタ」
    ・尾之間の町と海岸巡り
    ・尾之間温泉 
 14:41尾之間中央 ~ 14:55中の橋(同)
    ・猿川のガジュマル
 16:05焼酎川 ~ 16:47Aコープ前(同)
    ・宮之浦地区散策(益救神社)
 宮之浦の民宿「屋久島89」泊


 今日は曇り時々雨。山の上には灰色の雲が憩っている。登山組は冷たかろう。
 しかし、こちらはバスで島巡りなので問題ない。

 宮之浦から時計回りに島をめぐり、終点が大川の滝。

 日本の滝百選に選ばれるだけあって、予想を越えた壮大さ。実に見ごたえあった。
 雄滝と雌滝が仲良く並んで80メートルを駆け下りる様は、麗しくも優美。パワフルな「気」を山間にはなっていた。
 屋久島に来たら、この滝を見なければ損。
2012年3月屋久島&九州旅行 038 2012年3月屋久島&九州旅行 037


 バスで戻る途中にある尾之間地区に下車。
 この集落のどこにいても見えるのがモッチョム岳(940メートル)。花崗岩がむき出しになったゴツゴツとした山頂は、決して他の山と見間違うことのない特異な格好をしている。まるで、生クリームを空に向かって絞っているかのような格好。いやいや、はっきり言おう。モッチョムとは「女性の性器」を表す言葉らしい。
 この集落の人々は、モッチョムに見守られながら生活を送っているのである。

2012年3月屋久島&九州旅行 042 「ペイタ」という名前の手作りパン屋さんで、噛むほどにおいしさ広がる本物のパンとカフェオレで一服。この店は落ち着けていい。
 このあたりの海岸は鋭く切り立った崖が入り組んでいて、高台から見ると壮観である。JRホテルの裏のテラスは、絶景ポイント。また、ホテルの脇にある小道を行くと、崖を降りていく階段にたどりつく。崖の上から覗き込むと、はるか下の岩棚で釣り糸を垂れている男の豆粒のような姿が確認できた。釣りキチ、恐るべし。

2012年3月屋久島&九州旅行 040


 観光ポイントだけでなく、その土地の匂いを肌で感じることも旅の楽しみである。尾之間地区をぶらぶらと路地裏探訪。まるで、チイさん。
 路地を抜けるとギョッとするような光景が飛び込んできた。
「なんじゃ、これは?」
 岡本太郎作、屋久島版「太陽の塔」か。
 ちょっと、こわい。

2012年3月屋久島&九州旅行 043


 が、角度を変えて横から見上げてみたら、ユーモラスなものになった。
 モッチョムに吼えるゴジラ。

2012年3月屋久島&九州旅行 044


 廃港となった尾之間港へと続く道は、うっそうとした森に囲まれて、森の精か魔法使いが棲んでいるようなムードであった。

2012年3月屋久島&九州旅行 050



2012年3月屋久島&九州旅行 053 歩き回って汗をかいたので、尾之間温泉に行く。
 ここは集落の人々のオアシス。素朴な、ざっかけない、こじんまりした感じが嬉しいではないか。いつまでもこのままであってほしいものだ。
 お湯ははじめ熱く感じるが、浸かっているうちに肌に馴染んできて、ちょうど良い案配になる。ちょっと硫黄の匂いがする、力強い、実にいいお湯である。地元のおじいさんが石けんを貸してくれた。

 尾之間から猿川のガジュマルに。
 ガジュマルだらけの志戸子のガジュマル園とは違って、ここは照葉樹の森の中の一角に大きなガジュマルが数本かたまって、からみあい、もつれあいながら生えている。お化け屋敷みたいな異様な雰囲気である。ガジュマルにはキジムナーという名の妖怪(座敷わらしみたいな子供)が棲んでいるという。
 富士の樹海のような森の中に一人っきりでいるのに、なぜか恐ろしくも淋しくもない。むしろ、とても心が落ち着く。なんでだろう?
 俺がもしかしてキジムナー? 

2012年3月屋久島&九州旅行 057



 宮之浦に戻って、夕食前にあたりを散策。
 海の近くにある益救(やく)神社にお参り。
 祭神は、天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)、神武天皇の祖父にあたる神話上の人物である。
 この境内にあるガジュマルもすてきだ。フランスのアーティスト、ニキ・ド・サンファルの作品のように過激で、自由奔放で、生命力にあふれている。

2012年3月屋久島&九州旅行 061 2012年3月屋久島&九州旅行 062


 夕暮れ時の宮之浦川の情景は、筆舌に尽くしがたい。
 満々と清らかな水を湛えた川と、青い山々と、澄んだ空と、緑の中に点々とある川岸の家々とが作り出す一瞬の幻のような光景。それは平和という名前の繊細な美である。泰西の名画と言う言葉が頭に浮かんだが、いやいやこれは、れっきとしたアジア特有の美である。
 江戸時代、長崎に初めて着いたオランダの人々は、その美しさに陶然となったと言う。海と山と自然と人々のつつましい暮らしとが織りなす交響曲を耳にしたのであろう。
 それに近いものがあるとしたら、この宮之浦の景色なのではないだろうか。
 実際、今回の旅で一番感動し心に残ったのは、この景色であった。


6に続く。

 
 2012年3月屋久島&九州旅行 035

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー4

4日目(3/15)白谷雲水峡ハイキング
 9:21春田 ~ 9:59小原町バス停(屋久島交通バス)
 10:09小原町 ~ 10:35白谷雲水峡(屋久島交通バス)
 10:50ハイキングスタート
       ・原生林コース
       ・白谷小屋
       ・もののけの森(苔むす森)
       ・楠川コース 
 15:50ハイキング終了
 16:10白谷雲水峡 ~ 16:37宮之浦バス停(屋久島交通バス)
 宮之浦の民宿「屋久島89」泊

 朝、「杉の里」の周辺を歩く。
 この宿は屋久島のガイドブックで見つけたのであるが、「緑に囲まれた宿」という謳い文句に惹かれた。予約電話を入れると、出てきた女性(娘さんと思われる)の第一声が、
「お客さん、猫は大丈夫ですか?」
 まさに自分のためにある宿のようではないか。
 明るい朝の光の中で見ると、確かにすばらしい環境である。家の裏にある畑では野菜や果物を作っているという。それが食卓に出される。
 猫は十匹くらいが家の外の段ボール箱の中でおしくらまんじゅうをしていた。一匹、人なつこいのが自分を追いかけてきた。
 カモもいた。どこからか飛来して、なぜか宿に居着いてしまったのだという。
 この宿のもう一つ良いところは、お風呂場に無添加の石けんやシャンプを置いているところ。タオルも無添加石けんで洗ったとわかるすがすがしい香りがしていた。
 そうそう、みそ汁がとても旨かった。
 また、泊まりたい宿である。

2012年3月屋久島&九州旅行 024 2012年3月屋久島&九州旅行 021

2012年3月屋久島&九州旅行 018 2012年3月屋久島&九州旅行 023

2012年3月屋久島&九州旅行 019 2012年3月屋久島&九州旅行 026

 本日は白谷雲水峡。
 3時間あれば回れるので、ゆっくりのんびり森を歩く予定である。前日の長距離ウォーキングの疲労も残っていることであるし。
 宮之浦からバスで山をグングン登っていく。青い海に縁取られた港町は、レリーフのように整然として美しい。今日も快晴。
 標高を上げていくと、道路脇に猿の群れが出現。バスに驚く様子もなく、仲間同士毛づくろいをしていた。

 白谷の原生林コースは実に気持ちの良い森であった。
 森に入った瞬間から、木々と清流が醸し出す清冽な「気」が充溢しているのを感じた。
 これぞ屋久島。
 弥生杉、奉行杉、びびんこ杉・・・命名された幾本もの杉の巨木や『もののけ姫』のモチーフとなった苔むす森が有名で、それはそれで素晴らしいのであるが、それ以外にも、土の上にメデューサの髪の毛のように「のたうつ根っこ」や、「考える猿」のような形状をした切り株とか、奇怪な光景をあちこちに見つけることができる。
 純粋に気持ちよいウォーキングをしたいのなら、縄文杉登山よりもこっちのほうがオススメである。 
2012年3月屋久島&九州旅行 031 2012年3月屋久島&九州旅行 032

2012年3月屋久島&九州旅行 030 2012年3月屋久島&九州旅行 029

2012年3月屋久島&九州旅行 034


2012年3月屋久島&九州旅行 069 夜は宮之浦の素泊まり民宿「屋久島89」に泊まる。
 ここは屋久島観光協会のホームページから見つけたのだが、外見も中身もまったくの民家である。2階の空いている二間(和室)を民宿として使っている。自分の部屋にいるみたいな「なごみ感」がある。2階に、流しもガスレンジも冷蔵庫も電子レンジもあるので、スーパーで新鮮な屋久島素材を買ってきての自炊も可能である。
 宿の親切なご主人に教えられた食事処「とし」で、キビナゴの塩焼き、カキ酢、揚げ豆腐を食べる。お通しに出てきたのは、血を吸って膨らむ前のヒルみたいな色と形をしたグロテスクな何か。口に入れてみると、ブリみたいにシコシコしていてなかなか美味。女将に聞いてみたら、トビウオの卵だと。
 へえ~。



5に続く。

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー3

3日目(3/14)縄文杉登山
  5:12春田 ~ 5:18屋久杉自然館(まつばんだ交通バス)
  6:00屋久杉自然館 ~ 6:40荒川登山口(まつばんだ交通バス)
   7:00登山開始
    ・トロッコ道
    ・ウィルソン株
    ・大王杉
 11:10縄文杉到着、昼食
 12:00縄文杉出発
 16:50登山終了
 17:00荒川登山口 ~ 17:40屋久杉自然館(まつばんだ交通バス)
 17:42屋久杉自然館 ~ 17:48安房(屋久島交通バス)
 安房の民宿「杉の里」泊

 暗いうちに宿を出る。縄文杉が俺を待ってるぜ。(お前は裕次郎か)
 屋久杉自然館から先は登山バスでしか行けない。ここまで乗用車で来た人々と合流してバスに乗る。2台で150名くらいか。春休みのせいだろう、学生らしきが多い。
 荒川登山口でバスを降りると、寒いこと寒いこと。0度だと言う。ノースフェイスのレインウェア(24000円)を奮発して良かった。防水だけでなく防寒効果も高いすぐれものなのだ。ちょっと、そこの学生さん。ジャージ上下に100円ショップのレインコートとは山をなめてはいませんか。

 往復10時間、道のり22キロ、最終のバスの時刻に間に合うよう登山口に戻ってこなければならないという時間制限ありのウォーキング。苦労話はこれまでいろいろなところで聞いていた。痛む足を引きずりながら土砂降りの中、走ったとか。せっかく来たのに、帰りのバスに間に合いそうになくて縄文杉まで行かず途中で泣く泣く引き返したとか。
 結論から言うと、思ったより楽であった。
 もちろん、自分が普段山登りをしているせいもあるが、4分の3はトロッコ道、つまり傾斜に気づかぬほどゆるやかな坂道なのである。息も切れない。山登りと呼べるのは残り4分の1。せいぜい2時間弱、標高差400メートル分だけなのだ。これ、東京の高尾山レベルである。特別、技術は必要ない。歩道もしっかりしている。長い距離が歩ける体力があれば子供でもぜんぜん大丈夫なのである。 
 心配していた時間制限も普通の早さで歩ける人ならば、往復8時間で行って帰って来られる。自分のように、途中何度も休憩を取り、帰りのバス待ちの時間を最短にしようと、ゆっくりと景色を楽しみながら歩いて9時間50分である。(うち休憩が1時間30分)
 朝方の寒さはどこへやら、日中は快晴、途中ヒートテックを脱いだくらい汗ばむ陽気となり、最高のトレッキング日和であった。

 渓谷沿いのトロッコ道、沢沿いの照葉樹林の道、目も眩むような高みから渓流を見下ろしながら渡る橋、大きな杉が立ち並ぶ山道、と変化があって面白いのだが、それほど特別にパワフルな「気」は感じられなかった。やはり、人がたくさん来るようになったためだろうか。同じ杉木立ならば、長野県の戸隠神社のほうが数段パワフルで、崇高なまでに清らかであった。
 ゴールである縄文杉も「ここまで歩いて来た」という達成感もあって、ありがたく感じはしたけれど、予想していたほどのパワーや偉容や神秘は感じられなかった。
 しかし、これは自分の見方が影響しているのかもしれない。

 というのも、前の夜の「杉の里」での夕食時、食堂でかかっていたビデオを観たのである。
 それは、屋久島が世界遺産に登録されて観光客がどっと押し寄せてから、いかに自然が破壊されてしまったかを描いたドキュメンタリーであった。制作されたのは7年前くらいと宿のご主人は言っていた。
 そこで知った驚愕の事実。
 なんと縄文杉の余命は、樹木の専門家の鑑定によれば、あと十数年だというのだ!
 嵐にも雷にも豪雨にも山火事にも伐採にも負けずに何千年(一説によると7千年)も生き抜いてきた縄文杉が、世界遺産に登録されてたった数年で命が尽きようとするところまでダメージを受けてしまったのだ。(登頂記念に樹皮を剥いで持って帰るヤツがいるそうだ)
 なんたることか!
 もちろん、なんとか縄文杉をよみがえらせようと専門家たちは努力を続けているわけであるが、宿のご主人が言うように「数十年単位でないと結果は分からない」。

 ・・・・・・。

 この事実を知ったために、トレッキングの意味合いがすっかり変わってしまったのである。次々と山道に現れる杉の巨木達も瀕死のうめき声を発しているように感じられる。崩壊した杉の残骸がいやでも目に入る。これでは「気」もパワースポットもあったもんじゃない。
 そんなわけで縄文杉も、包帯姿の綾波レイのように痛々しく見えたのであった。

 しかし、縄文杉を越えて宮之浦岳に続く山道を少し入ると、空気がまるで違っていた。
 清浄な、きめ細かい、打ち震えるようなバイブレーションがあたりを領していた。これがもともとのこの山の「気」だろう。人があまり入らないところには残っている。逆に言うと、それだけ人の発する「気」は強くて、粗雑ということだ。一人ならどうという影響もないが、大勢集まれば明らかにその場の「気」が変わる。

 ウッドデッキでお弁当を食べていたら、鹿の親子が遊びに来た。


4に続く。


2012年3月屋久島&九州旅行 016 2012年3月屋久島&九州旅行 002
 
2012年3月屋久島&九州旅行 012 2012年3月屋久島&九州旅行 003

2012年3月屋久島&九州旅行 009 2012年3月屋久島&九州旅行 011

2012年3月屋久島&九州旅行 007




  

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー2

2日目(3/13)屋久島到着、バスで島巡り(北部)    
  8:30鹿児島本港南埠頭 ~ 12:40屋久島宮之浦港(フェリー屋久島2)
 14:00宮之浦港入口 ~ 志戸子 ~ 16:17いなか浜
    ・志戸子ガジュマル園
    ・いなか浜
 17:43いなか浜 ~ 19:00春田(屋久島交通バス)
 安房の民宿「杉の里」泊

 海を渡るのにフェリーだと4時間(4600円)、高速船だと2時間(7700円)かかる。時間があるのなら、船酔いの心配がないのなら、フェリーが断然良い。高速船は席が決まっていてシートベルトなんかあるから、基本そこから動けない。甲板にも出られない。つまらないではないか。
フェリーで屋久島到着 フェリーなら、自由に広い船内を探索できる。風呂にも入れる。甲板に出て間近に汽笛を聞きながら遠ざかる鹿児島港や桜島を見送れる。(BGMは小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」) 大海原と大空を独り占めできる。コーヒーを飲みながらラウンジでくつろげる。通り過ぎていく大隅半島や種子島にカメラを向けられる。もちろん、客室にゴロ寝して船内図書館で借りたマンガを読みながらビール片手にうだうだ過ごすのも最高である。そして、だんだんと大きくなって近づいてくる屋久島の姿に感動できる。イケメンの逞しい男たちが、船から撃たれた縄を手際よく扱って船を係留させる姿を見るのも楽しい! 
 4時間なんかあっという間だった。

 宮之浦港の観光案内所で、登山届けを出し、バスの一日フリー乗車券(2000円)を買い、登山用ステッキを借り、昼食をすませた後は、いざ、屋久島巡りのスタート!

屋久島地図 屋久島はキャベツみたいな、赤ん坊のオムツ姿みたいな、五角形に近いいびつな円形をしている。島全体が山なので、道路と集落は海岸に沿ってぐるりと円周を成している。大きな集落は3つ。時計で言えば、1時にある宮之浦、3時にある安房(あんぼう)、5時にある尾之間(おのあいだ)。港は前2つの地区にある。島を車で一周すると約3時間(周囲132キロ)かかるが、島内のバスは10時にある永田浜から時計回りに島の東側を巡って8時にある大川の滝までをつないでいる。つまり、島の西部(8時から10時の区間)はバスでは行けない。時計の中心部に島内最高峰である宮之浦岳(1936メートル)と、屋久島詣をする人々の最大の目的である縄文杉が聳えている。

 今日は、宮之浦港から時計の逆回り(1時から10時)でいなか浜へと向かう。
 右手に岩壁を洗う海、左手に畑と民家を裾にして目前に迫る山々。といった景色が延々続く。(BGMは山本コータローとウィークエンド「岬めぐり」)
 亜熱帯だけあって植物は冬枯れしていない。秋と春が冬をほったらかして同居しているようである。ススキと白い木蓮が一緒に見られる不思議。
志戸子のガジュマル いっぽう、民家や畑や電柱などはまったく本土と同じなので(当たり前だが)、沖縄に初めて足を踏み入れた時に感じたような異国風な感じはない。のどかな日本の田舎といった風情。
 志戸子のガジュマル園(200円)をゆっくり見学したあと、海亀の産卵で有名ないなか浜に行く。ゴミ一つない広いきれいな砂浜を透明な波が洗う。しょっぱいとはとても思えなくて、なめてみたらやはりしょっぱかった。
 人の姿の少ない浜辺をぶらぶら歩いて、砂浜に仰向けになってボーッと夕日を眺める。(BGMはトワ・エ・モア「誰もいない海」)

いなか浜 時計回りで、今夜の宿泊先である安房の「杉の里」へ。バスを降りたら、あたりは真っ暗。宿を見つけるのに苦労した。
 懐中電灯持ってきて良かった。


3に続く。


 

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー1

 スペインでは雨は主に平野に降る。
 屋久島では一月に35日雨が降る。

 屋久島といえば縄文杉である、世界遺産である、海がめの産卵である、もののけ姫である・・・・と言いたい向きもあろうが、自分のイメージでは「屋久島=雨」だ。
 そのイメージの形成にあずかっているのは、成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』(1955年)である。冒頭の「屋久島では一月に・・・」は、この映画の原作である林芙美子の同名の小説に出てくる文句で、屋久島を紹介するパンフレットや本の中で必ずと言っていいほど紹介され、屋久島の天候を語る枕詞とされる。「屋久島=雨」を世間に知らしめた名文句であろう。(「スペインでは・・・」の出典はミュージカル『マイフェアレディ』)
 が、自分の場合、なによりも映画『浮雲』に出てきた雨に煙る屋久島の情景が強く心に残っている。それはおそらく、映画の中の恋人たち(高峰秀子と森雅之演じる)のどうしようもなくやさぐれた姿、切っても切れない間柄と言えば聞こえはいいが実のところは共依存の果てのぬかるみにはまり込んだ自暴自棄の男女の姿が、屋久島の暗い森にやむ気配なく降り続ける雨に朽ちていく二人の愛の巣(あばら家)の姿とあいまって、自分の中に強烈な「屋久島観」を形成しているからである。
 そう、映画では屋久島は社会から放擲された男が流される僻地であった。いや、元来、島とはそういうところであったろう。佐渡しかり、壱岐しかり、オーストラリアしかり。
 それが今では、世界遺産であり、国内有数な観光地であり、登山やダイビングする人々の憧れの地であり、スピリチュアル信者がこぞって訪れるパワースポットである。
 とりわけ世界遺産に登録されてからの屋久島は、365日訪問者の途切れることがない。ゴールデンウィークや夏休みの縄文杉登山などは、11キロに及ぶ長いトロッコ道と登山道がほとんど数珠繋ぎであるという。
 世界遺産登録前に訪れておけば良かった、と思ってももう遅い。
 雨と混雑。この二つにわずらわせられることなく屋久島旅行できる人は、かなりの強運の持ち主ではないだろうか。(それは私)

 3月12日~19日までの8日間、わが国最大級のパワースポットである屋久島と高千穂とを旅した。

日程は以下のとおり。


1日目(3/12)東京→鹿児島(飛行機)
2日目(3/13)フェリーで屋久島到着、バスで島巡り(北部)    
3日目(3/14)縄文杉登山
4日目(3/15)白谷雲水峡ハイキング
5日目(3/16)バスで島巡り(南部)
6日目(3/17)屋久島出発~延岡(宮崎県)到着(高速船とJR)
7日目(3/18)延岡~高千穂~熊本(バス)
8日目(3/19)熊本~久留米~博多(福岡空港)→東京(JRと飛行機)

 交通手段は、飛行機・バス・路面電車・フェリー・高速船・電車・モノレール・タクシー・徒歩と多岐に及んだが、なにせペーパードライバーである。レンタカーだけはなかった。いつもながら、車に頼らなくてもこれだけ移動できて楽しめるという証明のような旅であった。時刻表を研究してバスを上手に使うことがコツである。あとは健脚。

 全体の予算は、おおむね以下の通り。

交通費  70000円(往復飛行機、バス、フェリー、高速船、電車)
宿泊費  26000円(7泊)
飲食代  12000円
その他  12000円(土産代、入場料、ステッキレンタル代ほか) 
合計  120000円

 一から自分で組み立てたプランだったのだが、オリオンツアーという屋久島に強い旅行会社(エイチ・アイ・エス系列)が企画しているプランを利用すれば、もっと安くなったかもしれない。が、その場合、かなり前から申し込む必要があるから、天気が読めない。これは屋久島行きの場合、大きなネックである。雨の屋久島も風情があって緑も生き生きして良いのかもしれないが、デビューは印象良く行きたいところである。でなくても、やさぐれた男女のイメージが頭の片隅にあるのだから。
 まず屋久島地方の向こう一週間の天気を調べて、なんとか晴れそうだという日を縄文杉登山の日と決めてから、それに合わせて他のスケジュールを組み、飛行機や宿の手配をしたのであった。(それができるのが無職の特権)

 しからば、屋久島&高千穂スピリチュアルツアーにいざ出発!

1日目(3/12)東京→鹿児島
 15:10羽田空港  ~ 17:10鹿児島空港(スカイマーク)
 17:30鹿児島空港 ~ 18:30鹿児島市内(バス)
 市内サウナ泊


山形屋 久しぶりの鹿児島。
 路面電車も瀟洒な山形屋デパートも懐かしい。
 フランシスコ・ザビエルも懐かしい。
 この3月に新幹線が開通した鹿児島中央駅は、すっかり建物が新しく立派になって賑やかであった。東京の主要駅とまったく変わらない雰囲気。スタバなんかも入っている。グローバル化の波も新幹線と共にやってきた。ザビエル像
 忘れちゃいけない。雄々しい桜島も懐かしい。この日、歓迎の雄叫び(噴火)を上げてくれた。
 
 夜、鹿児島中央駅近くの路地で見つけた「和田屋」でラーメンを食べる。あっさりした豚骨スープ。うまい!


2に続く。

● 本:『仏陀出現のメカニズム 拡大せし認識領界』(山口修源著)

修源 何か面白い本はないかと近所の古本屋を渉猟しているとき目についた。
 大袈裟なタイトルとハードカバーのぶ厚さ(442ページ)に最初は買う気なかった。「仏陀出現」とはいかにもトンデモ本っぽいし、大川隆法が自分のことを「仏陀再来」とかふざけたことを言っているのを連想させる。大体、輪廻を解脱した仏陀が再来するわけないのである。再来したのであれば、「もう二度と生まれ変わりません」と宣言した仏陀は嘘をついたことになるから、自身が作った五戒を破ったことになり、とうてい信用できる人物ではないということになる。山口修源という名前もまた、ちょっと前に世間を騒がせた「法の華」の福永法源を連想させて胡散臭さを感じさせる。
 著者プロフィールを見ると、

 幼少より無常観に生きる。中学より聖書を学ぶようになり、キリストに傾倒。同時に高校より仏教に目覚め、更に大学にてインド仏教を専攻。水行等の荒行や、『人間改造講座』の原型となった修行法の実践及び瞑想三昧の日々を経ながら、新聞記者を経験。啓示を受けて1986年ニュー・タイプス・ユニバースを設立、霊性向上を目指した『人間改造講座』を編纂し、指導にあたる。その後、延べ一年にわたる深山幽谷に於いての滝行を中心とした荒行と瞑想三昧の山籠りを経て、ヒマラヤにても数ヶ月に及ぶ行を為すも、目的に達せず。1990年、三十代半ばでついに因縁の地イスラエルの荒野に於いて二ヶ月の感応の行を成し、キリストの出現に出遭い、阿羅漢(悟)を得、現在に到る。


 ・・・・・・・・。

 またぞろ新興宗教団体のリーダーによる誇大妄想チックな自己宣伝本&信者勧誘本か。
 普通なら無視するところであるが、サブタイトル「拡大せし認識領界」がどうも気になる。手にとって中味をパラパラめくってみたら、思いの外であった。ずいぶんと堅気な学術書風な装いで、しかも最新の科学について書かれているらしい。各ページに付けられている用語注釈も親切でしっかりしている。
 前書きを読むとこうある。

 本書は、科学理論に基づいて述べられている。かなり難解である。これ程広い分野にまたがって論が進められ、しかも精緻に及んでいるものはほかに見聞したことがない。・・・・この種の本は、常に科学者の立場から著されてきたが、今回このような形で、行者の立場から分析されたことは意義のあることだと自負している。・・・・・
 これからの宗教は科学性を持たなければいけない。旧態依然とした形で、信じれば救われる的教義は、もはや時代遅れである。何より妄信・迷信・狂信の巣窟になりかねない。一件科学的内容を述べたものもあるにはあるが、結局は牽強付会的に自宗を擁護するところで止まっている。これでは宗教に新の未来は訪れない。


 自信たっぷりである。そこがちょっと恐いところだが、後半部分は正鵠を射ているし、冷静な分析が入っている。
 確かに、見るからに難解そうではあるけれど、4ヶ月通っていた介護の学校も終了したいまは元の無職に舞い戻り時間はたっぷりある。
 だまされるを覚悟で読んでみるか。(定価2000円のところを1000円で購入)

 読み終えるのに半月くらいかかるかなと踏んでいたのであるが、一週間足らずで読了してしまい、我ながら驚いている。
 面白くて、しかも読みやすかったのである。
 他人はどう思うか知らないが、トンデモは感じなかった。むしろ、著者の言うとおり、実に広い分野にわたる最新(この本の書かれた80年代終わり頃)の科学理論のダイジェストが、批判的な検討も加えながら、非常にわかりやすく体系的かつ客観的に紹介されており、現代の科学(物理学、分子生物学、脳生理学、精神分析学等)の最先端がどのあたりにあるのかを知る格好のテキストになっている。新聞記者の体験があるだけあって文章も実にこなれていて、うまい。
 これは当たりであった。
 やはり偏見は損をする。

 とは言え、やはり著者は行者であり宗教家である。
 自称「阿羅漢」でもある。


 阿羅漢とは完全に悟った(解脱した)人のことを言う仏教用語である。「完全に」悟ったとはどういう意味か。完全でない悟りもあるのか。
 そうなのである。
 仏教では悟りは4段階ある。
1.預流果(よるか)・・・悟りの流れに入った。今生にあと7回生まれ変わる間に解脱する。
2.一来果(いちらいか)・・・あと1回今生に生まれ変わって解脱する。
3.不還果(ふげんか)・・・今生には生まれ変わらない。天界に生まれ変わってその命が尽きて解脱する。
4.阿羅漢果(あらかんか)・・・もうどこにも生まれ変わらない。輪廻を脱した。

 こういったことが日本でこれまで伝えられてこなかったのはまことに不可解である。日本は大乗仏教の国で、釈迦本来の教えが入ってこなかった(広まらなかった)からという一応の理屈はあろうが、ことは仏教の核心たる、すべての修行者の最大にして最終目的たる「悟り」に関してである。
 悟りが何なのか、どうすれば悟れるのか、悟りには段階があるのか、伝統仏教(いわゆる小乗仏教)でははっきりと経典に示され、そのための修行体系も整っている、修行において最も重要なポイントが、我が国には明確に伝わっていなかったのである。長い日本仏教の歴史の中でどれだけ多くの行者や僧侶が悟りを求めて苦難呻吟してきたかを思うと、実にもったいないというか奇妙奇天烈な話である。おかげで、日本においては「悟り」というものが亀の毛か兎の角のように、現実にはありえない、暇で奇特な一握りの人間たちが執りつかれた世迷い言のようなものになってしまったのである。

 だが、実際に人は悟れるのである。
 最後の阿羅漢果まで行くのはさすがに難しいが、最初の預流果はきちんと修行すればそれほど期間をかけずに得られる。実際、古い経典でも釈迦の説法を聞いて一度に多くの人がその場で預流果を得た話があちこちに見られる。チャレンジする価値はある。

 話がそれた。
 山口修源は阿羅漢ということだから、完全に悟ったということである。本当だとしたら、たいしたことである。
 この本は、阿羅漢・山口修源が見出した究極の真理と、現在わかっている最先端の科学知識及び理論との整合性の確認という意味合いもある。「行者の立場から分析された」とはそういうことである。

 第一章では、著者のこれまでの人生で起った数々の神秘体験が述べられる。このあたりは好奇心も手伝って面白く読める。
 とりわけ、20歳の時に起こったという体験が興味深い。

 「アッ・・・無い!」
 「本当に無い。何も存在しない。全ては幻影ではないか」
  ・・・・・・・
 それは、劇的な体験だった。二十歳の夏の出来事だった。それまでの認識では、この世(現象世界・三次元世界)の存在は明らかに実在しており、且つ、非現象世界(四次元以上)も、三次元世界に重複して実在していると考えていたのである。もちろん、この考えは一定の法則性において間違ってはいない。しかし、これ以上の新たな認識、否、真実に気付かされたのである。・・・・・・端的に言えば、この世は存在しないーということになる。 


 修原氏(当時はまだ修源を名乗っていなかったであろうが)は、まさに般若心経で有名な「色即是空」を悟ったのである。
 面白いのは、このときの悟り方である。

 実は私にとって、この体験はもう一つの興味ある側面をもっていた。それは、従来のこの種の“神秘体験”が直感をもって行われてきたのに対し、この時に限っては、無限な程に速いスピードで脳が活動し、この把握(認識)を導き出したことである。脳が瞬時にして、信じ難い程のスピードで次々と論理を追い遂に最終結論を導き出したという驚くべき体験は、味わった者でなければ理解し難いことであろう。


 第2章からいよいよ本論である現代科学の分析に入る。
 次々と読者の前に紹介される学者や研究者の名前と彼らの提唱した理論名を挙げるだけでも、著者がいかに広い分野の本を読破し、科学素人の読者にかみ砕いて紹介できるまでに内容を深く理解しているかが分かる。そのうえ、各理論について欠陥や不足を指摘できるまでに検討・分析を加えているのである。これだけでも、修源氏が尋常でない頭脳の持ち主であることが知られる。

 詳しい内容は省くが、物理学(フリッチョフ・カプラやデイヴィド・ボームが登場)、分子生物学(今西錦司や利根川進やリチャード・ドーキンスが登場)、脳生理学(クンダリニーへの言及、ペンフィールドが登場)、精神分析学(フロイト、ユング、ソンディが登場)という多岐の異なる科学領域を闊歩しつつ、そこに浮かび上がって見えてくる‘統一理論’を著者は指し示そうとする。それはまた、著者が深い理解と敬意をもっているのが歴然である中国古来からの教えである道家思想につながる。

 われわれはこれまで、全くの自由意志の許に生きてきたと信じて疑うことはない。しかし、本書は、それを現代科学に基づいて否定してきた。実は、自由人生どころか機械的な人生であることを明らかとしてきたのである。さらには、先祖及び個人の前世にまで言及しその意識の奥に無意識なる存在があり、それによって衝き動かされているという心理学理論を紹介した。・・・・・それらを整合していくと、われわれには如何ともし難い因果の関係性を見出すのである。それは巨大な力でわれわれを衝き動かしていく。
 しかし、その巨大な力に抗し得る偉大な自我或いは自己或いは霊(たましい)の存在があることを心理学者は示してくれたのである。それは、物理学法則にいう「ゆらぎ」によって導かれるものである。われわれの透徹した意識は、このゆらぎを通して巨大な力に対抗し、すでに定められた運勢を少しでも良い方向に転換させることを可能とするのである。


 この「如何ともし難い因果の関係性」から抜けることが、いわゆる解脱なのであろう。
 修源氏は、そのための方法(修源之法)を一章をあてて読者に伝授してくれている。
 なに、おびえることはない。頭にヘッドギアなんかつける必要も、滝に打たれる必要もない。

 自観法―自分自身を観る、気づく。

 いま、あなたは私のこの本を読んでいるところだ。正にこの文字を見、理解しようと必死(?)である。そこでこの本を読んでいる自分に改めて気づけば良いのだ。これが自観法である。

 単純で簡単そうなのだが、やってみるとこれが結構難しいことに気づく。
 「今ここ」の自分自身(の身体・心・動き)に気づくことをサティ(念)と言うが、これこそ伝統仏教の悟りに至る瞑想と言われる「ヴィッパサナ瞑想」の中核を成す。してみると、修源之法はそれほどナンセンスなものではない。

 自分自身に気づくことがなぜ「如何ともし難い因果の関係性」の集合体であるところの自分を変容させるのか。
 その点について量子力学の第一命題とも言うべき次の一文が何かを示唆しているようで面白い。

 量子物理学において一個の粒子を観察すると、観察するという行為が、粒子そのものに対して何らかの影響を与える。


● ただただ傑作。映画:『近松物語』(溝口健二監督)

 1954年大映作品。

 つくづく50年代の日本映画って凄かったんだなあと思う。

 1951年『羅生門』(黒澤明)    ・・・ヴェネツィア国際映画祭グランプリ
 1952年『西鶴一代女』(溝口健二) ・・・ヴェネツィア国際映画祭監督賞
 1953年『生きる』(黒澤明)    ・・・ベルリン国際映画祭ベルリン市政府特別賞
 1953年『雨月物語』(溝口健二)  ・・・ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞
 1954年『地獄門』(衣笠貞之助)  ・・・カンヌ国際映画祭グランプリ
 1954年『山椒大夫』(溝口健二)  ・・・ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞
 1954年『七人の侍』(黒澤明)   ・・・ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞
 1954年『二十四の瞳』(木下恵介) ・・・ゴールデングローブ賞外国語映画賞
 1956年『ビルマの竪琴』(市川昆) ・・・ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジオ賞
 1958年『無法松の一生』(稲垣浩) ・・・ヴェネツィア国際映画祭グランプリ

 あまり有名でない国際賞など含め抜けているものがあると思うが、まったく凄い勢いである。海外の賞を受賞すること=傑作、と素直に認めるのもどうかと思うが(例えば小津安二郎は現在の国際的評価の高さを考えると信じられないくらいこうした賞とは無縁であった)、50年代こそ日本映画の黄金期だったのは間違いない。
 特にヴェネツィアでの評価が高いのはなんか理由があるのだろうか?
 このうち、『羅生門』『雨月物語』『山椒大夫』の3本を宮川一夫が撮影している。本当にすごいカメラマンがいたもんだ。(宮川一夫は99年に亡くなっている)

 このブログでも取り上げた『祇園囃子』『赤線地帯』同様、『近松物語』もまた溝口-宮川コンビによるものである。悪いわけがない。
 どころか、水も漏らさぬ傑作である。
 演出、構成、撮影、演技、美術、音楽、脚本(セリフ)、編集、叙情性、ドラマ性・・・どれをとっても非の打ちどころがない。

 ブログを初めて以来、初の「A+」の誕生である。(溝口作品は『西鶴一代女』がA+、『雨月物語』『山椒大夫』はA-)

 ときに、溝口健二は日本のヴィスコンティなんだと思う。いや、ヴィスコンティがイタリアの溝口健二なのか。
 テーマや作風、スタイルが似ているというのではなく、監督としての映画への向き合い方、風格のようなもののことを言っている。妥協を許さぬ完全主義、本物にこだわる貴族主義、大時代的な(歌舞伎っぽい、オペラっぽい)演出を好むところ(とくに俯瞰にあらわれる)、何より芸術家としての揺るぎない矜持。ミラノの貴族であったヴィスコンティはヴェネツィアびいきであったけれど、ヴェネツィアと溝口作品の相性の良さはもしかしたら、この二人の相似にあるのかもしれない。
 あるいは、溝口作品にときおり印象的・象徴的に出てくる水のシーンのすばらしさがヴェネツィアンのプライドをくすぐるのだろうか。
 この作品でも、物語の重要な場面で水が出てくる。不義密通を疑われて屋敷から逃げるおさん(香川京子)と茂兵衛(長谷川一夫)が湿地を横切るシーン。素性がばれて宿から逃げる二人が手を取り合って湖岸をゆくシーン。心中を決意した二人が舟上で愛を確認するシーン。
 生きがたい浮き世から主人公が逃避する場面で、溝口はいつも水を用意する。『雨月物語』でも、妖魔にたぶらかされた主人公が、夫の帰りを故郷で待つ妻を忘れて湖水で遊ぶ圧倒的に美しいシーンがある。
 現実を忘れさせ、夢と幻想の世界に旅人を誘うヴェネツィアの魔力と、溝口作品には通じるものがあるのだろう。

 素晴らしい『第九交響曲』の演奏は、指揮者の名前よりベートーベンの凄さを再認識させる。感動的な『リア王』は演出家や俳優の名前よりシェークスピアの偉大さを再認識させる。同様に、この映画も見ているうちに次第に溝口健二の名前が薄れていって、近松門左衛門の息吹が肌身で感じられてくる。
 その中で、まぎれもない溝口印がありありと浮かび上がってきたシーンがどこかといえば、湖での心中シーンである。
 舟から一緒に飛び込むつもりで、茂平衛はおさんの足を縛る。「いまわの際だから許されましょう」と茂平衛はおさんに忍び恋を打ち明ける。とたんに、死ぬ覚悟を決めていたおさんが「生」へと立ち戻るのである。
 「わたしは死にたくない。」
 茂平衛に抱きつくおさん。戸惑う茂平衛。絡み合う二人をのせて、小舟は行方も知らぬ方へと漂流していく。(ここのところのカメラワークは本当に巧い!)

 男に愛されていることを知った瞬間に、「生」へとベクトルを逆転させる女の性(さが)。
 これを溝口は描きたかったんだろうなあ。

 女の溝口、男の黒澤か。



評価: A+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 本:『ケアの本質』(ミルトン・メイヤロフ著、ゆみる出版)

ケアの本質 介護の仕事をしている友人から教えられた本である。その友人もまた介護の仕事に携わっている看護師さんから薦められたのだそうだ。自分も読み終わって、参加しているボランティア団体のメーリングリストに紹介した。こうやって本当に良い本は、クチコミを中心に広がって、いつの間にか古典の地位を獲得していくのだろう。(初版発行1971年)

 自分は18年間エイズのボランティアを通してケアの活動に関わって、多くのことを学んできた。エイズという病気の知識は言うまでもないが、エイズを通して見える社会のありよう(医療現場の欠陥、福祉の不備、教育現場の無責任、行政の限界、企業の良心の欠如、南北問題、根深い女性差別、売買春、そして感染者に対する差別e.t.c)、あるいは感染不安に陥った人々の状況、感染した人々の状況、支援する人々の心意気、NPO活動の意義と運営の難しさ、仲間と共に活動することの楽しさ・・・。数え上げればきりがない。
 しかし、活動の当初から今に至るまで、一番自分が考え続けてきたこと、折りあるごとに自らの心に問いかけ続けてきたこと、答えを探し続けてきたのは何かといえば、「人が人を助ける、ケアするとは一体どういうことか」ということであった。
 活動を始めたばかりの「自分がやっていることは偽善ではないか」という問いから始まって、「自分に何ができるのだろう」「自分に人をケアする資格があるのか」「助けることは本当に相手のためになっているのか」「何が本当に相手の役に立つのだろう」「結果がうまくいかなかったとしても、助けに関わったという行為そのものに意味はあるのだろうか」「自分の人生において他人をケアする意味はなんだろうか」などなど、様々な問いが立ち現れては、明確な解答も見出せずに時が過ぎていった。いや、おそらく言葉にはできないままに、仲間と一緒に心の中でそれなりに納得して、一つ一つクリアしながら、次なる新たな問いへと向かっていったのだろう。
 その証拠に、最初の問い「ボランティアは偽善ではないか」については、それを口にする者が目の前に現れたら、鼻で笑って答えてやる。
「お前は偽善を口にできるほど善なのか」と。

 この本は、自分がボランティアをやってきて言葉にできずに感じていたことのすべてを、適確な言葉にしてくれた。一読、心の中が整理され、これまで心という花器の離れた地点にばらばらに活けられていた概念たちが、それぞれを包括するより大きな視点のもとに統合され、全体として見事なデザインをもった生け花となるのを実感した。
 その全体像は、本書の序章で簡潔に惜しみなくまとめられている。

 一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。

 一人の人間の生涯の中で考えた場合、ケアすることは、ケアすることを中心として彼の他の諸価値と諸活動を位置づける働きをしている。彼のケアがあらゆるものと関連するがゆえに、その位置づけが総合的な意味を持つとき、彼の生涯には基本的な安定性が生まれる。すなわち、彼は場所を得ないでいたり、自分の場所を絶え間なく求めてたださすらっているのではなく、世界の中にあって“自分の落ち着き場所にいる”のである。他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである。


 この要旨を柱に、訳者まえがきにある通り、「読者自身をケアの動態に巻き込んで展開する稀有な著作」である。
 ケアに関わったことのない人、あるいはケアに関わりながらも「ケアとは何か」を自身に問いかけたことのない人にとっては、おそらくこの本に書いてあることはチンプンカンプンだろう。
 その意味では、読者を選ぶ本と言える。

 とりわけ、自分が「ああ、これだ」と思わず膝を打ったのは、自分の中で雲のようにもやもやと存在していた概念を見事に言葉にしてくれたと胸のすく思いをしたのは、次の3つの表現である。

①「場の中にいる」

 私たちは全面的・包括的なケアによって、私たちの生を秩序だてることを通じて、この世界で“場の中にいる”のである。・・・・前もって、ある“場”というものが私たちのために用意されているわけではない。私たちは、コインが箱にあるような具合に、ある場にいるのではない。むしろこう言うべきだ。つまり、自らを“発見する”人が、自らを“創造する”ことについて大いに力をつくしたと同様なやり方で、私たちは自分たちの場を発見し、つくり出していくのである。
 ・・・・成長していこうという他者の要求にこたえて私たちが応答すること、これこそ私たちに場を与えてくれるものだからである。

 “場の中にいる”ということにより、私は人生に十分没頭できると同時に、私たちの社会に広く存在している成長を妨げるような生き方から自由でいられるのである。


 活動中、「自分はこのためにここにいるな」とか「今までのすべての経験は、失敗や挫折も含めて、これをやるためにあったんだな」と思う瞬間がある。その時、自分は“場の中にいた”のだろう。



②「私と“補充関係にある”対象」


 ・・・・自分が“場の中にいる”ことができるほど十分包括的なケアについて、その対象となっているものを、私と“補充関係にある対象”と呼ぶことにしよう。・・・私と補充関係にある対象は、私の不足を補ってくれ、私が完全になることを可能にしてくれるのである。


 私と補充関係にある対象を見い出し、その成長をたすけていくことをとおして、私は自己の生の意味を発見し創造していく。そして補充関係にある対象をケアすることにおいて“場の中にいる”ことにおいて、私は私の生の意味を十全に生きるのである。


 長いこと、自分にとっての“補充関係にある対象”とは、性に悩んでいる人、差別に苦しんでいる人であった。
 これからは・・・・。



③「了解性」

 私が自己の生の意味を生きているとき、自分の生の中へしだいに了解性が浸透してくる。・・・・了解性とは、私の生活に関連しているものは何か、私が何のために生きているのか、いったい私は何者なのか、何をしようとしているのか、これらを抽象的なかたちではなく、毎日の実生活の中で理解していくことなのである。


 同様に、了解性は、存在の持つはかり知れない性格を排除するのではなく、むしろ私たちがもっとそれに気づくようにするのである。存在の持つはかり知れない性格とは、解決すべき無知という事柄でもないし、知識を増やしたり、特別な知識を持つことによって克服すべき事柄を指すのでもない。では何かというと、それは驚きと全く同じなのだが、経験し、理解し、感得するものなのである。・・・・私は、存在の持つ神秘そのものについて言っているのであり、そもそも森羅万象がここに存在しているという壮大な神秘、驚異について言っているのである。




 ところで、著者は、ケアとは「その人が成長することをたすけること」と定義しているのであるが、では、そもそも「成長とは何か」という疑問が湧いてこよう。
 それにも著者は答えている。

ある人が成長するのを援助することは、少なくともその人が何かあるもの、または彼以外の誰かをケアできるように援助することにほかならない。またそれは、彼がケアできる親しみのある対象を発見し創造することを、励まし支えることでもある。そればかりでなく、その人が自分自身をケアすることになるように援助することであり、ケアしたいという自分自身の要求に目を閉じず、応答できるようになることをとおして、彼自身の生活に対して責任を持つように彼を援助することである。(下線はソルティ)


 極めて明快である。ここまで成長についてはっきりと定義した文章を、西洋の哲学や心理学や教育学の書の中にこれまでに見たことがない。もちろん、日本のそれらにも。
 つまり、こうなる。
 我々は人をケアすることを通して、その対象自身が別の誰かをケアできるようにしていく。
 人の生きる意味は、ケアの輪を広げていくこと。
 なんという思想だろうか。


 最後に、この本で触れられていないケアの領域について指摘したい。
 それは死にゆく者のケアに関してである。
 死を前にした90歳の寝たきりの老婆をケアすることの意味はなんだろうか。
 目も見えない、耳も聞こえない。彼女はもはや成長とは無縁の存在である。他の誰かを、あるいは何かをケアすることもできない。穏やかに死ぬのを待っているだけである。
 彼女にとっての自己実現とはなんだろう?
 彼女をケアする者にとっての「了解性」とはなんだろう?


 著者がこの領域に触れなかったのは、この件に関して何らかの見解がなかったからではあるまい。おそらく、どうしてもそれを語るに宗教がからんでくるからであろう。西洋の著書であってみれば、キリスト教を持ち出さずにはおれないだろう。となると、天国とか地獄とか復活とか最後の審判というナンセンスを語らざるを得ない。あるいは否定せざるを得ない。
 賢い著者のこと、もちろん、そんなことするわけがない。

 あるいは、キューブラ・ロス『死ぬ瞬間』(1969年)に譲ったのか。


 


● 腐ったミカンの多元連立時空方程式、または一つの死刑廃止論

 光市の母子殺人事件の死刑判決が確定して、死刑についての思いがまたもや頭をもたげるこの頃。
 世間では、この判決確定を「当然である」「あまりに遅すぎる」「とっとと執行せい!」とする声が大きいのは重々承知しているが、やはり、むなしさ、悲しさを感じざるを得ない。
 自分が死刑制度に反対する理由は言葉にするのがなかなか難しくて、ましてや死刑賛成論者と議論するなど到底無理な話と思っているのだが、自分が反対する理由に近いものをこれまであまた語られてきた死刑廃止論の中には見つけることができないので、ここで不十分ながらもまとめておくのもよいかと思う。


 まず、この問題を考えるとっかかりとしてベタは承知の上、段ボール箱に詰められたミカンを持ち出してみたい。

 どこからか箱ごと送られてきたミカンは、早いとこ食べるか人に分けるかしないと、他のミカンの重さを引き受け空気の流通も悪い、箱の一番下のミカンからカビて腐っていく。腐ったミカンを取り除いて捨てたところで、保管方法を変えなければ、また一番下になったミカンが腐るだけである。
 なぜ腐ったのか原因をつきとめて、時々箱をさかさまにするとか、すべてのミカンを取り出して分散して保管するとか、一部はミキサーで搾って冷凍するとか、保管方法をそれなりに工夫しなければ状況は変わらない。「腐ったら捨てればいいじゃん」は、保管方法をこれまでどおり維持する口実となるばかりでない。そのうち腐ったものをそれと気づかずに口にしてしまう危険だってある。
 死刑もそれと同じである。
 犯罪者をこの社会から抹殺しても、何の解決にもならない。
 解決するように見えるものがあるとしたら、それは犯罪者を収容し続けるあるいは更生するためにかかる経費の削減と、殺された被害者の家族らの感情がいささかでもなだめられるという点である。経費の削減のために死刑を執行するというのはいくらなんでもとんでもない話であるから無視するとして、被害者の家族らの感情についてはどうであろうか。 
 たとえ加害者が死刑になったとしても亡くなった者が帰ってくることはないし、受けた苦しみが消えることはないだろう。「なぜ自分の愛する者が・・・」「なぜ自分がこんな目にあうのか・・・」という理不尽は生涯ついて回るであろう。
 死刑は、なぜ「彼(彼女)がそうした犯罪を行ったのか」という問いと追究を封じて、そうした行為が二度と起こらないようにするための対策への努力を怠る口実となる。
 「社会のゴミは処分すればいいじゃん。」


 引き続き、ミカン箱の比喩を用いよう。
 台所の隅に無造作に置かれたミカンの段ボール箱。このような保管方法をしている限り、いずれ一番劣悪な状況にあるミカンが腐るのは時間の問題である。
 同様に、このような社会構造がある限り、いずれ誰かが犯罪の加害者となり、誰かが被害者として選ばれるのは時間の問題である。今回は、たまたまAさんが「加害者」になり、Bさんが「被害者」となったけれど、Aさん、Bさんでなければ、きっとCさんが加害者、Dさんが被害者になったであろう。このような社会構造の中で、いずれこのような事件がどこかで生じることは避けられないのであり、AさんやBさんは今回たまたま「加害者」「被害者」の役を振り当てられたと見るのである。
 このような社会構造とは、むろん、戦争があり、飽くなき欲望の追求とその称賛があり、熾烈な競争があり、他者との比較があり、差別があり、不平等があり、虐待があり、福祉の欠如があり、無知が蔓延しているこの社会のありようである。

 あれがあるからこれがある。
 あれがなければこれがない。


 これは仏教で言う因縁の見方である。


 この世は因縁で成り立っている。
 因(原因)があり、そこにいくつかの縁(条件)がそろって、果(結果)が生じる。生じた果はそのまま新たな因となる。この流れが気の遠くなるような過去から現在まで、一枚の落葉から銀河の衝突に至るまで、複雑微妙にからみあって、しかし完璧な秩序をもって運行している。その意味では、世界は瞬間瞬間「完全」である。
 ある事象が起こる因縁が調ったとき、それは不可避に生じざるを得ない。社会の中である事件が起こる因縁がそろったとき、それは起こらざるを得ない。その当事者となるのがどこの誰であるかは、私たちには読み取れない。
 この考え方に、個人の意志や理性というものについての軽視をみるかもしれない。
 その通りである。個人とは、結局、歴史の大海の中に現れたある特定の「社会」という渦巻きの中の波のしぶきのようなものである。言葉を換えて言えば、個人とは歴史と社会によって条件付けられた「土のかけら(人間は炭素からできている)」である。個人は社会(世界)の不出来なミニチュアである。自分の意志なんてものは錯覚にすぎない。
 とすると、犯罪が起こるのは仕方ない、人が悪事を犯すのは止められないという極論に導かれそうだが、そうではない。
 我々人間が行う一つ一つの行為は、それが意図的であろうとあるまいと、必ずや因縁の流れに組み込まれ、なにがしかの結果をもたらさずにはいない。歴史と社会に条件付けられた意識が、その条件付けの範囲内の因縁しか流れに加えることができないのは火を見るより明らかであろう。悪い社会の悪い環境に生まれ育った青年は、流れに悪い因を加え、結果として社会をいっそう悪くするのに力を貸す。遅かれ早かれ自身も悪い果を得るだろう。
 だが、この条件付けに気づき、そこからちょっとでも身を引き剥がすことに成功した人間は、よい因縁(と自ら判断したもの)をつくりだして、流れに加えることができる。そこが、本能(自然)だけで命をまっとうする(まっとうできる)動物と、どういうわけか本能の壊れた人間との違いである。
 人は犯罪を犯した人間を裁くが、その人間がその犯罪を起こすことになった因縁は見たがらない。あたかも、その人間が悪い意志を持った、悪い人間であるかのように考える。良くなる意志を欠いた怠け者のように扱う。
 だが、良くなろうとする意志もまた、その背景(因縁)がそろってはじめて生まれるものなのである。事件を起こすまでの半生の中で、その因縁をつかめなかったのは当人の所為であろうか。良き親との出会い、良き人との出会い、良い本との出会い、そもそも「良いとは何か」を知る機会がなかったのは当人の努力不足であろうか。ミカン箱の一番下になったのは、そのミカンの所為だろうか。

 東日本大震災で、我々は被災した多くの人々の苦しみ・悲しみに共感し、援助を捧げることに何のためらいも見せなかった。日本人であれば、被害にあったのが自分であったかもしれないことを誰もが知っているからであろう。地震大国の日本では早晩大地震が起こるであろうことは知れていたし、どこに来るかは誰にも予測できなかった。今回、被害にあった地域と住民たちは、いわば、幸いにして被害にあわなかった自分たちの身代わり、人身御供になったのである。
「自分の地域だったかもしれない」
「自分の家族だったかもしれない」
 その思いが当事者とそれを免れた者とを結びつける。
 一方、誰も地震や津波そのものを責めはしない。このように不安定な岩盤を持つ土地に暮らしている以上、いつかは来ることは覚悟していたからである。
 社会における犯罪というのもそれと同じように自分には思われる。
「加害者は自分だったかもしれない」
「被害者は自分や自分の家族だったかもしれない」
 死刑という制度は、このような世のしくみ(=因縁)に対する無知のあらわれのように思われる。と同時に、条件付けから解かれないがゆえに、このような社会構造をそのまま持続させることに加担してしまっている、社会の一員である自分に対する負い目が、死刑を声高に唱えることを控えさせるのである。


 因縁を別の側面から取り上げてみよう。
 我々のすべての行為が新たな因となり縁となって流れをつくるのであってみれば、死刑という行為自体も当然因縁をつくる。それははたして良い因であろうか。良い縁であろうか。良い果を生むであろうか。
 死刑は、理由や背景がどうであれ、人を殺す行為である。決してポジティブな結果を生むとは思われない。
 単純な結果だけ見ても、それは国が合法的に人を殺すことを認める行為である。戦争と同じである。戦争放棄をうたっている日本が、合法的に人を殺すことを認めるのは矛盾している。この矛盾は憲法9条の存続を揺るがしかねない。
 また、主権在民の国家において、「国」とは国民である私たち一人ひとりである。すなわち、国による殺人である死刑の実情とは、私たち一人ひとりによる殺人なのである。国が殺すのではない。法律が殺すのではない。裁判所が殺すのではない。死刑執行人が殺すのではない。ましてや電気椅子や13階段が殺すのではない。私たちが、一億二千万分の一の責任を背負って殺害者になるのである。その自覚と覚悟がおありだろうか。


 再び、ミカン箱に戻る。
 社会がミカン箱であり、個人は社会のミニチュアであるならば、ミカン箱はまた個人の中にも存在する。個人の中味は社会の中味そのものなのである。
 社会がミカン箱から腐ったミカンを捨て去った(=死刑を執行した)時、それはその社会に住む個人が己の中からも同じ腐ったミカンを捨て去ったことになる。自分自身の一部を理解することなく、受け入れることなく、切り捨てたのである。切り捨てるのを許容したのである。腐った部位だからかまわないだろうか。だが、それはほかでもない自分の一部なのだ。自分の中のある部分が、許容できない別の一部を阻害した。それは自己分裂のはじまりであろう。

 このことを自分が強く感じたのは、1980年代終わりに連続幼女誘拐殺人で世間を騒がした宮崎勤の死刑が執行された時(2008年6月17日)であった。
 自分と同世代の人間として、つまり、生まれたときから同じ時代の変遷を経験し、同じ年齢でその都度同じ社会の有する価値観の内面化をはかった人間として、宮崎勤にはどこかつながりを感じていた。犯罪こそ起こさないけれど、自分の中にも「宮崎的なるもの」は育まれ、潜んでいた。フローベルに倣って言えば、「宮崎勤は私だ!」
 これは、他の世代の人間にはなかなか理解できないものであろう。けれど、一つの世代にはその世代にだけ理解できる、なんとなく共感しうる代表的な犯罪者がいるはずである。たとえば、『無知の涙』の永山則夫、『佐川君からの手紙』の佐川一政、神戸連続児童殺傷事件のサカキバラ、秋葉原通り魔事件の被疑者・・・・。彼らは、同世代の人間が隠し持つ「負の部分」の結実であり、同世代の中から選ばれた社会に対する生け贄なのである。
 宮崎勤が死刑になったとき、自分の中から何かが奪われるのを感じた。自分の中の「宮崎的なるもの」が結局、社会に理解されることも、そういうものが「ある」と認められることさえなく、捨て去られたような気がした。切り捨てられた「何か」は、どこにも落ち着くところがなく、今もどこか中空を漂っているような感覚がある。自分の中で統合される機会を持たないままで・・・。
 死刑とは、自分自身の一部を殺すことである。否、自分自身の一部が社会に殺されるのを黙って見過ごすことである。


 加害者が自分であったかもしれないのと同様、被害者も自分であったかもしれない。被害者は、他の人に代わって、このような社会構造の犠牲になってくれたのである。
 であってみれば、被害者とその家族に最善のケアをすることが社会の義務であるのは当たり前の話である。なぜこのような事件が起こったのか、加害者はどんな人間でなぜこのような犯罪を起こすに至ったのか、どういう償いが妥当なのか、更生はうまくいっているのか。こういった事件の詳細にまつわる情報を知る権利がある。また、その被害を社会が何らかの形で賠償する義務がある。

 被害者の身内の怒り、苦しみ、悲しみはどうしたらなくなるだろうか。そもそもその怒り、苦しみ、悲しみはなくなるものだろうか。克服すべきものだろうか。その怒り、苦しみ、悲しみの大きさこそが、もはや帰ってこない奪われた身内に対する愛情のバロメーターであるときに・・・。
 「なぜ自分の家族が・・・」「なぜ自分がこんな目に・・・」という問いかけに、答えは見つからない。だが、「他の家族に起きれば良かったのに・・・」「自分でなく隣の人であれば・・・」と彼らが思うわけもなかろう。

 苦しみが避けられない世の中に、我々は共に生きている。

みかん




●  映画:『狩人の夜』(チャールズ・ロートン監督)

 1955年アメリカ映画。

 驚くべき映画である。
 今日では俳優としてほとんど名前が口にされることのないチャールズ・ロートンの生涯ただ一つの監督作なのであるが、この一作にして監督としてのロートンの名前は永遠に映画史の中にゴチック体で刻まれることになった。とりわけアメリカ映画史の中に置かれたとき、この真に独創的な実験映画的なスタイルは異彩を放っている。
 公開当時は不評で批評家にも大衆にも受け入れられなかったものが、現在ではカルト的な人気と高い評価をほしいままにしているという点でも、驚くべき作品である。日本初公開が本国に遅れること35年の1990年ということからもそれが知られる。
 
 リリアン・ギッシュ、ロバート・ミッチャムといったアメリカを代表する名優が出演していながら、なぜかアメリカ映画っぽくないところがある。
 モノクロの象徴主義的な映像は確かにヒッチコックやオーソン・ウェルズ(『市民ケーン』)の系統という気もするが、『カリガリ博士』や『吸血鬼ノスフェラトゥ』やフリッツ・ラングなどドイツ表現主義の流れをくむ作品のようにも思える。一方、全編(特に後半部)に漲っている幻想的でみずみずしい詩情は、『雨月物語』の溝口健二あるいは北欧の影絵のような印象を与える。
 ロートンの突出したオリジナリティは国籍を超えている。

 実際、いくつかのショットに想起したのは、なんと我らが「モー様」もとい萩尾望都の『ポーの一族』であった。
 たとえば、殺人鬼である義理の父親ハリー(ロバート・ミッチャム)から逃げる子供たちが農家の納屋の二階に隠れるシーン。わらのベッドに横たわり疲れた体を休める子供たち。大きな窓からのぞむ三日月の輝く美しい夜景、はるかな地平線。美しく、幻想的な、童話のような世界。と、豆粒のように小さく、画面左から現れて地平をゆっくり右へと移動していくのは、馬に乗ったハリーの黒い影。この美しさと恐ろしさのバランスはまさに「モー様」風。
 たとえば、ベッドに横たわる妻のウィラを殺そうともくろむハリー。天井の梁がベッドを底辺とした二等辺三角形を描いて、その中にたたずむハリーの月光を受けた姿は、これからアランに吸血の儀式を行うエドガー・ポーツネルのようである。
 萩尾望都がこの映画を観たとは思えない。むろん、ロートンが『ポーの一族』を読んだわけもない。
 二人に共通する芸術上の祖先がいると思うのだが、残念ながら見当がつかない。

 厳格な説教師にして妻殺しの男を演じるロバート・ミッチャム、不遇な子供たちを引き取って一人で育てる信仰に支えられた芯の強さと愛情深さとを合わせ持った女を演じるリリアン・ギッシュ。この二人にこの年のオスカーがいかなかったことは、アメリカアカデミー賞の歴史上、最大の失策だろう。
 真の価値が見出されるまで時間を必要とする作品があるということがその要因である。


評価: A-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」 
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」 
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

記事検索
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文