1987年新潮文庫
収録作品
『友達』(1967)
『棒になった男』(1969)
『榎本武揚』(1967)
安部公房の戯曲ははじめて読む。むろん、舞台を観たこともない。
『砂の女』、『箱男』といったSFチックで寓意風の奇妙な小説で知られる作家が、いったいどんな芝居を書いたのだろう?
――と思ったら、やっぱり、寓意風の奇妙な作品だった。
――と思ったら、やっぱり、寓意風の奇妙な作品だった。
収録されている3作の中では、『友達』が抜きんでている。
どこからか突然現れた9人家族(祖父、父母、息子3人、娘3人)に家を乗っ取られる平凡な男の話。
この家族の正体や意図が明かされないだけに、否、かれらが「隣人愛によってひとりぼっちの人を救う」という使命を帯びて行動しているらしいだけに、底知れぬ怖ろしさが募る。
単に物盗りが目的であるのなら、一般的理解の範疇におさまるのだが・・・。
男は、家の管理人や警察やフィアンセに助けを求めるが、だれも男の話を本気にせず、助けになってくれない。
そのうちに男は諦めモードになって、9人家族との奇妙な同居生活が始まる。
そして・・・・ 日常を不意に襲う非日常。
その非日常にいつのまにか慣れて、それが日常になっていく。
その非日常にいつのまにか慣れて、それが日常になっていく。
――というプロットは、『砂の女』に重なるところがある。
なんだかコロナ禍を思い出した。
我々日本人が、どれだけすんなりと黙食や黙浴や黙席といった「新しい日常」に馴染んでいったことか。
我々日本人が、どれだけすんなりと黙食や黙浴や黙席といった「新しい日常」に馴染んでいったことか。
9人家族とは、母体に寄宿し、内側から母体を破壊し変容させていくウイルスみたいなものか。
あるいは、人を“ひとりぼっち(=個人)”にさせておかない「世間」という怪物の比喩か。
いろいろな読み方ができて面白い。
ソルティは、正体不明のこの9人組の姿に、ルイジ・ピランデルロ作『作者を探す6人の登場人物』(1921年初演)を想起した。
『友達』は約60年前、『作者を探す6人の登場人物』は100年以上前の作である。
どちらの作品も、現在上演しても十分通用し、観る者に衝撃を与える。
やっぱり、安部公房は凄い。
1994年の大江健三郎のノーベル文学賞受賞は、三島由紀夫の短命(1970年、享年45)と安部公房の急死(1993年、享年69)に依るところが大きかったのであろう。
安部公房はソ連(現ロシア)をはじめとする共産圏の国々で高い評価を受けた。
それはおそらく、SFチックな設定を用いて閉塞状況に陥った人間の姿を描く安部の作品が、全体主義管理社会の中で生きる人間たちの寓意のように解されたからだろう。
そこでは個人の尊厳や表現の自由は、徹底的に否定される。
スターリン時代のソ連やチャウシェスク時代のルーマニアがその典型である。
先頃ついに日本初公開されたピョトル・シュルキン監督のポーランド〈暗黒SF4部作〉もまた、全体主義管理社会(その実体は独裁政権である)の実相を描いていた。
90年代に起きた世界的な民主化の機運から一周して、いま世界は“新しいスターリズム”の勃興が危惧される状況にある。
安部公房がふたたびブームになるのではなかろうか。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損











































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