ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 理想の四姉妹は? 映画:『細雪』(市川昆監督)

 1983年東宝。

 日本を代表する美しい女優達が目もあやな美しい着物を着て、日本の四季折々の美しい風景や家屋の中を歩く。観ているだけで幸福になれる映画である。この作品のために一着一着デザインし白地から染め上げたという着物の見事さに、日本の伝統技術のクオリティの高さをまざまざと知る。

 谷崎潤一郎のこの小説は、過去に3回映画化されているが、いつもその時々の最も人気のある、もっとも美しい女優達が四姉妹に選ばれ、妍を競ってきた。
 谷崎の夫人松子とその姉妹をモデルにしていると言われるが、姉妹それぞれの性格の違いが面白い。

長女、鶴子(30後半):強情でまっすぐな性格。激しやすいところがある。本家の格式を重んじる。 
次女、幸子(30過ぎ):姉妹思いで何かと気苦労が多い。姉妹の調整役を任じている。 
三女、雪子(30):奥ゆかしく引っ込み思案だが、自分の意志を貫き通す強さを持っている。
四女、妙子(25):現代風で、好きな男に惚れると飛び込んでしまう奔放な性格。

 この3回目の映画化では、次のような配役(当時の年齢)であった。
 長女:岸恵子(51)
 次女:佐久間良子(44)
 三女:吉永小百合(38)
 四女:古手川祐子(24)

 イメージ的にも性格的にもこのキャスティングは原作ピッタリだと思うけれど、四女役の古手川祐子をのぞくと年齢の点でちとみな年を取りすぎている。女優は実年齢より10歳は若く見えるから映像的には何ら問題はないのだが、年齢なりの落ち着きという部分はなかなか隠せないものがある。舞台は大阪であることだし、もっとキャピキャピした四姉妹なのではないかと想像する。

 さて、こういう作品を見ると、頭の中で自分なりにキャスティングを考えてしまうものである。
 私的「理想の細雪四姉妹」を発表する。もちろん、年齢はその女優がそれぞれの役と同じ年齢の時である。
 
 長女:京マチコ

 次女:小川真由美
 
 三女:原節子


 四女:浅丘ルリ子


 どうだろう?
 この四人が同じ画面に並ぶだけでくらくらしてきそうではないか。
 この四女優(姉妹)の中でいい思いをする男優(次女の夫・貞之助)は誰が適当だろう?
 石坂浩二はもう十分だ。
 三国連太郎あたりはどうだろう?

 
 ところで、映画の中で姉妹が交わすセリフにこんなのがあった。
 「音楽会の帰りに船場の吉兆でご飯食べましょう」


 時代は遠くなりにけり。




評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『わが谷は緑なりき』(ジョン・フォード監督)

 1941年アメリカ映画。

 いい映画である。

 西部劇はあまり好きでないのでジョン・フォード作品は敬遠していたのだが、これは西部劇ではないので借りてみた。
 やはり、ジョン・フォードは偉大だ。素晴らしい。これぞまさしく映画だ、と最初から最後まで唸りながら観ていた。

 題材の扱いも上手い。
 ヒュー少年の成長物語を軸に、ヒューを取り巻くモーガン一家の物語、ヒューの姉であるアンハラド(モーリン・オハラ)と町の牧師グリフィードとの悲恋物語、そしてモーガン家の男達が働く炭坑とその盛衰に影響され変わってゆく町の物語。いくつもの物語を交差させ、緩急をつけて、感動を生み出していく手腕が見事である。これを観ていると、スピルバーグはジョン・フォードの正統の後継者なのだなあと納得する。
 とりわけ、炭坑町の光と影の描き方が秀逸である。
 町全体に活気のあった古き良き時代が、ストライキを決行せざるを得ないような労使問題を通過して次第に廃れていき、仕事を失った人々が町を離れていくに至る。それに合わせるように、モーガン一家も両親への愛と敬意により結ばれていた子供たちが、父親と衝突して家を出て行き、最後は故郷を離れ散り散りになってしまう。歌と信仰によって固い絆で結ばれていたかに見えた町の人々も、実は心の中には不寛容と噂話を簡単に信じる悪意を抱いていることが暴露される。かくして、最後は炭坑に爆発が起こり、モーガン家の大黒柱たる父親は亡くなっていく。
 あたかも古き良き時代の終焉を告げるように。
 ヒューの少年時代の終わりを告げるように。

 よく考えると、ヒュー少年の思い出はつらく悲しいことばかりである。「わが谷は緑なりき」とは美化しすぎではないか?

 炭坑のオーナーの息子と結婚したアンハラドが立派な車に乗って町を出て行くシーン。
 祝いの歌を歌う町の人々の背後で一人離れて物陰から姿を現すグリフィード牧師。二人は本当は愛し合っているのだ・・・。
 普通の凡庸な監督ならグリフィードのアップを撮るだろう。嫉妬とも後悔とも哀しみとも諦めとも悲痛ともつかない表情のグリフィードを、あるいは木の枝をつかんで震える手を撮るかもしれない。スピルバーグでさえそうするかもしれない。
 ジョン・フォードはそんなことしない。
 ただ、物陰から出てきて立ちすくむ姿を、大衆の背後にさらっと撮すのである。
 このもったいないと思えるほどの慎み深さ。抑制。
 この演出姿勢こそが、古き良き時代の良心であろう。大人になったヒューが「わが谷は緑なりき」と懐かしがるのも無理もないと観る者を納得させる魔法であろう。



評価: A-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 映画:『クレオパトラ』(セシル・B・デミル監督)

 1934年アメリカ映画。

 古代史大作が得意なデミル監督の『クレオパトラ』をやっと観ることができた。
 もちろん、オールカラーで金のかけ方も特撮技術も全然レベルの違うエリザベス・テーラーの『クレオパトラ』(1963年)に比べれば見劣りするもやむなしであるが、これはこれで良くできた史劇と言える。
 クローデット・コルベール演じるクレオパトラの造形が見事であると思う。

 リズ・テーラーのクレオパトラは、当時世界一と言っても過言ではないリズの美貌とハリウッドの女王が放つゴージャスなオーラーで、リズ=クレオパトラという等式をなんの不自然さもなく観る者に受け入れさせることができた。クレオパトラを「演じる」必要など特になかった。リズであれば良かったのである。美しくて、尊大で、威厳があって、魅惑的で、女王の風格がある。リズが古代エジプトの衣装を身につけて、古代エジプト風のメイクをすれば、もうクレオパトラがそこにいた。

 コルベールは、クレオパトラを「演じて」いる。
 コルベールは美人ではあるけれど、絶世の美女というにはコケティッシュなところがある。フランスのコメディエンヌといった感じがある。風格の点でもリズ・テーラーやヴィヴィアン・リーほどのカリスマ性はない。
 そのぶん、コルベールは自らのクレオパトラ像を作り上げ、カエサルやアントニウスなど名だたる男達が骨抜きになっても無理はないと思わせるに十分な魅力と説得力を観る者に感じさせることに成功している。

 クレオパトラの魅力はその容貌よりも話術と美しい声にあったと言われるが、コルベールのクレオパトラはそれに近い。
 クレオパトラがカエサルに出会うシーンを観ると、これは歴然とする。
 リズもコルベールもあの有名な’じゅうたん攻撃’でカエサルの前に文字通り転がり出る。
 リズはじゅうたんから立ち上がった瞬間にカエサル(リチャード・バートン)を魅了する。それはまったく観客にとっても不自然でない。じゅうたんから立ち上がるリズは、開いた貝殻から立ち上がるミロのヴィーナスそのもののまばゆさと美しさと色気を放つ。
 コルベールも同じ登場の仕方をするけれど、カエサル(ウォーレン・ウィリアム)は仕事に夢中で、まったくコルベール=クレオパトラに注意を払わない。
 そこからがコルベールパトラの本領発揮である。巧みな話術と機転とで、カエサルの気を次第に自分に惹きつけてしまう。実際は(史実では)おそらくこっちに近かったんじゃないかという気がする。

 カエサルもアントニウスも、ローマであるいは占領地でそれこそ類いまれな美女たちを手に入れてきたはずである。ただの美女などもう飽き飽きしていたであろう。
 クレオパトラの魅力は何かもっと違った、独特のものだったような気がする。



評価: B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『12人の優しい日本人』(中原俊監督)

 1991年日本映画。

 脚本は三谷幸喜。面白さは折り紙つきである。
 本来舞台劇だったものを手際よく映像化した中原監督の手腕が光る。

 陪審員に選ばれた年代も職業も性格もさまざまな市井の12名の、殺人事件の判決をめぐる打打発止のやりとりと時折かまされるボケと感情のぶつかり合いとに引き込まれているうちに、最終的には推理ドラマを見るかのようなカタルシスに持って行かれる。

 ただし、舞台劇なら自然に見えるであろう登場人物一人一人のキャラの強さが、映画だとちょっと不自然(オーバー)に感じる。
 これは舞台と映画の違いだろう。
 舞台はセリフで時間を埋めなければならない。パントマイムでもない限り、適切な「間」以外に無音をつくるのは危険である。観客が不審に思うか飽きてしまう。
 一方、映画は音が無くとも映像によって時間を満たすことができる。次々と変わってゆく場面を写し出すことによって物語を進めることができる。

 どうしても舞台のほうが饒舌にならざるをえない。
 だから、成功した舞台を脚本はそのままで映画に移植するのは賭けである。どうしても喋りすぎてしまうからだ。
 この映画が成功したのは、題材がそもそも登場人物達が喋らないわけにはいかない審議の場であるからだろう。



評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



  

● インカ帝国展(上野・国立科学博物館)

インカ帝国展 001 久しぶりに行く上野公園はきれいになっていた。
 とりわけ、国立博物館前の噴水広場は、ログハウスのようなスターバックスができて、噴水を取り巻くベンチも新たに作り直され、木々の間を抜ける風も爽やかに、居心地の良い癒しの空間になっていた。
 なんと言っても、ブルーシートの家々が見あたらない。
 東京都や台東区のホームレス対策が効を奏しているのか、NPOなど民間支援団体の尽力なのか。
「彼等はいったいどこに行ったのだろう?」
 単に上野公園から追い出されて、別の人目につかない場所に居所を移しただけでなければよいが・・・。

 展示物はどれも興味深い。
 チュニックと呼ばれる、アルパカなどの毛を染色した糸で編まれた色とりどりの貫頭衣が実に見事で、色合いもデザインもクール。インカの男衆は伊達っぷりを競っていたらしい。
 もっとも人がたかっていたのはミイラであった。日本人のミイラ好きは大英博物館でも有名である。
 一番感動したのは、最後に観ることができるマチュ・ピチュの3D映像である。コンドルの目線になってマチュ・ピチュを天空からまた地を這うようなアングルから探検することができる。まるで、実際にマチュ・ピチュに行き街の中を移動している錯覚が起きるほど、臨場感あふれる映像。素晴らしい技術である。
 目の前の手の届くところをハチドリがぶんぶん音を立てて飛んでいく。
 隣のおばさんが体をよけながら呟いた。
 「映画で良かった。刺されるかと思った。」
 (ハチドリは刺さないって・・・)

 平日(木曜日)の午前中という、もっとも人出が少なそうな時間を狙って行ったにもかかわらず、終始人垣の後ろから展示ケースをのぞかなければならなかった。
 一日の来場者数は4000人~5000人位、大盛況である。
 順路の最後に開始日からの日ごとの来場者数が標してあって、少ない日でも3000人を超え、一番多い日(5/6だったと思う)は8000人を超えていた。
 面白いのは、この来場者数を表すのにインカ帝国の数の表記方法であるキープという結び縄を用いているところ。結び目の数や結び方によって、数を記録するのである。(十進法)
 このことが何を意味するかというと、インカ帝国には文字文化がなかったのである。
 15世紀に栄えた文明としては不思議なことである。
 それだけではない。
 貨幣文化も持っていなかった。物々交換である。

 マチュ・ピチュに代表される高度な石積みの技術からすると、文化度の高さはかなりのものである。他国との交流がまったくなかったわけでもない。
 これはもう意図的に文字と貨幣を持たなかったとしか思われない。
 合わせて、土地の私有も認められていなかったというから、「財産」という概念がなかったのではないだろうか。

 もちろん、ホームレスなどいるわけがない。

 
国立科学博物館




  


 


● 映画:『ザ・フェイク』(クルト・M・ファウドン監督)

 2003年ドイツ映画。

 のっけから主役の青年エイドリアン(ケン・デュラン)のイケメンぶりに惹きつけられる。
 金髪長身、白皙青眼、明るい顔つきをした好男子である。
 カメラもその美貌を引き立てるように最初から、車を運転するエイドリアンを正面からアップで捉え続ける。
「なんだ、この監督ゲイか?」
と思うほどであるが、あとになってこのアップ撮影の意味が分かってくる。小憎らしい演出である。

 雪で閉じこめられた村落で起こる殺人ミステリーという道具立てに、なんだかアガサ・クリスティの世界一のロングラン芝居『ねずみ取り』を連想する。登場人物達の動きといい、セリフといい、出ハケのタイミングといい、なんだか舞台劇っぽいなあと思うのであるが、これも果たしてはじめから計算し尽くされた演出であることが分かる。ますます小憎らしい。

 観る者は、途中まではエイドリアンと視点を共にし、役者志望のエイドリアンを不意に襲った災厄に同情し、彼を取り巻く登場人物達の謎めいた行動に、どんな恐ろしい陰謀が裏に潜んでいるのか想像を働かせることになる。
 しかし、種明かし以降は、今度は他の登場人物達の側に立って、エイドリアンの一挙手一投足をハラハラしながら見守ることになる。
 エイドリアンに仕掛けられた大がかりな罠の正体は何か?
 それは観てのお楽しみである。


 それにしても、ドイツ映画というのはこういう心理的サディズムが好きだなあ。
 普通こんな目にあったら精神壊れるよ。
 人間信じられなくなるよ。

 
 
評価:C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 本:『一生、仕事で悩まないためのブッダの教え』(アルボムッレ・スマナサーラ著、知的生き方文庫、三笠書房)

一生仕事で悩まない 人が仕事に関して抱える様々な悩みについて上座仏教(テーラワーダ)の立場から回答したものである。
 すなわち、ブッダならこう答えるだろう。

 この本を手にしたのは、自分が一ヶ月ほど前から介護という新しい職種、老人ホームという新しい職場に飛び込んで、いろいろなストレスを感じている真っ最中だからである。
 仕事を覚える大変さ、同僚や利用者の顔と名前を覚える大変さ、職場の雰囲気に馴染むまでの緊張感、次第に見えてくる人間関係とそこへの配慮、何もできないことの焦りと苛立ち、年下の先輩から叱りつけられる情けなさ・・・・。転職にあたって予想はしていたので「まあ、こんなものだろう」と思うくらいの余裕はあるが、何度重ねても新しい仕事、新しい職場に馴染むのは一苦労である。
 そう。いつの間にか転職の多い人生になってしまった。
 アルバイトも含め一年以上続いたものをピックアップすれば、これで7回目となる。40代後半という年齢ではきっと多いほうだろう。一番長く続いたもので8年ちょっとである。
 「転がる石に苔生さず」ということわざは良くも悪くも解釈できるというが、自分はどっちだろう。

 振り返ってみると、自分の転職は常に人生のリセットのようなものであった。積み上げてきたすべてをチャラにしてゼロから再スタートするみたいな。前職で蓄積された経験や技術を踏み台にして次の職場を選択するという考えがハナからないし、一つの職場を辞めるときに次の職場が決まっていたことも一度もない。
 だから、仕事と仕事の合間には無職の日々が入る。失業保険や退職金で生計を立てながら、人生の中休みとかうそぶきながら次の仕事を探すのである。綱渡りの人生、というよりも空中ブランコの人生である。
 よくまあ、やって来られたなあと思う。

 一つには、養うべき家族がいないことがある。自分一人を食わせれば良いので腰が軽いのだ。
 一つには、地位や名誉や贅沢には関心がないことがある。金のかかる趣味もないので、生活保護レベルの収入があれば快適に暮らせる。
 将来への不安、老後の心配はあるにはあるが、こればかりは金があっても家族があっても決して安泰できるわけではないと知っている。むしろ、健康が重要である。いまのところあちこちにガタは来ているものの、まずまず健康と言える。
 
 一つの職場である程度働いて仕事をそれなりにこなせるようになると、どういうわけか次に駒を進めなければという思いが募ってくる。「ここで自分ができること、やるべきことは終わった」という声が胸の奥から聞こえてくる。そうなると、次なる道も確かに見えていないのにリセットボタンを押してしまうのである。
 それは、思慮の結果ではなく、直感に近い。
 世間一般からすれば、愚か者なのだろう。

 しかし、この年齢になって気づいてきたのだが、個々の間では一見何の脈絡もないように思われる過去の仕事やそこで得た経験の一つ一つが、こうやっていくつか揃ってみると、ジグゾーパズルのピースが埋まっていくように一つの大きな絵が浮かび上がってくるような気がするのである。
 その図柄が何かはまだ明瞭にはなっていないが、「こうなるべくしてなったんだな」という受容の気持ちは、過去の自分、今の自分を肯定する力になる。
 思考よりも直感のほうが賢いのかもしれない。

 さて、新しい職場に飛び込むときは、自分をサラにして臨まなければならない。過去の仕事で得た地位や肩書きやプライドは邪魔にこそなれ役には立たない。それを振りまいていたら新しい職場に馴染むことはできまい。人間関係もうまくいくはずがない。

 新人というのは、何でもいいから勉強し、少しでも役に立つ人間になれるよう、ひたむきに努力しなければなりません。
 新人が我を張って「ああだ、こうだ」と不満をいうなど、あり得ない話なのです。
 人に何かを教わるときは、そのくらい徹底した意識が必要です。

 学校を卒業したら、もう学ばなくていいとでも思っているのでしょうか。
 そんなことは絶対にあり得ません。
 生きている限り、一生学び続ける。それが、人間の本来の姿です。

 
 幾つになっても学ぶことができる。誰からでも学ぶことができる。
 その幸せを噛みしめなければいけないなと思う。

 ブッダの教えは常に心強い指針となる。


● 映画:『ミッション:8ミニッツ』(ダンカン・ジョーンズ監督)

 2011年アメリカ映画。

 SFサスペンス&ミステリーといったところか。
 一種のタイムパラドックスものなのであるが、正直、もうこの種の仕掛けには飽きてきた。
 列車爆破事件の犠牲者の一人の事故8分前の意識に侵入し、その8分間で犯人を探すという困難な使命(ミッション)を負ったアフガニスタン帰りの兵士(ジェイク・ギレンホール)の話であるが、そもそもこの仕掛け自体に無理がある。相対性理論だか量子力学だかの応用という、いかにもこじつけっぽい説明で観る者を馬鹿にしている。
 そんなことができるくらいなら、列車内のすべての人の意識を検索すれば、すぐさま犯人がわかるではないか。
 同種のものなら、清水玲子の傑作マンガ『秘密ートップシークレット』のほうがよっぽど将来実現しそうな設定であり、物語の装置としても面白い。

 ジェイク・ギレンホールというキャスティングもどうだろうか。
 『ブロークバック・マウンテン』のイメージを引きずっているというのではなく、この男優は見るからにゲイっぽい。実際はどうか知らないが、このゲイっぽい相貌は男女間の恋愛を演じるにはリアリティの点で難しいものを感じる。アフガニスタン帰りの無骨な兵士というキャラクターもそぐわない。実際にゲイの兵士はたくさんいるだろうけれど、ゲイっぽい男優がスタンダードな(男らしい)男を演じるとどうしても違和感を醸し出す。高倉健が男っぽい伍長を演じてもサマになるが、竹野内豊ではスタンダードにはまらないというような感じか・・・。

 物語の仕掛けの複雑さと、描き込まれた人間感情のありきたりさと、あまりにギャプありすぎて、まるで「仕掛けのための仕掛け」みたいになってしまっていて、ちょっと白ける。



評価: C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 講演会:『医療と宗教のかかわり~ビハーラの現状と課題~』(講師:田宮仁)

 (財)日本仏教讃仰会主催の仏教セミナーに参加した。

 講師の田宮仁(まさし)氏は、淑徳大学の先生であり、仏教を背景としたターミナル施設の呼称としてそれまで使われていた「仏教ホスピス」という表現に替わって「ビハーラ」という言葉を提唱した人で、1992年には実際に新潟県長岡市に臨床の場としてのビハーラを日本で初めて開設した。いわば我が国のビハーラの生みの親である。

 講演は、まず日本でターミナルケアが重要視されるようになった背景についてから始まった。
・ 生まれる場所、死ぬ場所が、家の畳の上から病院のベッドの上になった。(後者が8割を占める)
・ 死亡原因の1位が、結核→脳血管障害→癌、と変わってきた。特に、働き盛りの世代の癌死が多い。
・ 癌における痛みの問題が浮上してきた。
・ 癌死の増加と共に「ターミナルケア」「ホスピス」という言葉がマスコミに登場するようになった。

 これまで1分1秒でも延命させる(生体反応を持続させる)ことを使命としてきた医療のあり方が問われるようになり、最期をどう看取るのが当人のために良いのかが議論されるようになってきた。同時に、「生きている間はお医者さん、死んだらお坊さん」という医療と宗教の棲み分けが当たり前の現状に疑義が呈されるようになった。

 もともと医療と宗教は分かれていなかった。
 歴史を振り返ると、僧院の役割の一つに、患者とくに末期の患者の看病をし極楽往生できるように取りはからうことがあった。平安時代の源信僧都の著した『往生要集』には、いかにして死ぬか、いかに看取るかを細かく取り決めた臨終行儀というものがあるそうだ。
 また、僧になるための修行の中に医学が組み込まれており、武士が戦地に赴く時は常に陣僧(従軍僧)が同行し、戦いで怪我をした者を治療し死者を看取り弔ったとのことである。
 医療と宗教は、時代を下るにしたがって分業化し専門家していったのである。

 一方、海外では、欧米のキリスト教系のホスピスの例を挙げるまでもなく、人の死に逝く場所には宗教者の存在が欠かせない。この世の罪を懺悔し天国に行くことを望むには死んでからでは遅いのである。
 自分が数年前にエイズの調査でイギリスの公立病院を見学した時、エイズ患者をケアするスタッフチームの中に、医師や看護師や栄養士や薬剤師やカウンセラーと並んでチャプレン(牧師)が入っているのを知ってびっくりしたことがある。
 同じアジアに目を向けると、韓国や台湾の国立病院の中には仏間があり、入院患者が好きな時に読経したり祈ったりすることができるそうだ。

 なぜ、日本だけがこんなにも医療と宗教とが分離してしまったのだろうか。
 なぜ、病院に僧侶がいると「縁起でもない」と忌避され、僧侶の仕事は死んだあとからになってしまったのか。
 田宮氏はこう言う。 

太平洋戦争で多数の死を経験したことにより、日本人の中に「死」に対する忌避感が形成されていったのではないか。
 
 これは戦後生まれの自分には思ってもみなかった見解であった。
 確かに、物心つく頃から周囲の大人達はじめ日本の社会全体が「死」を忌避し、語りたがらず、日常的に見えないものにしていく傾向は感じていた。だが、それは「明るく、前向きで、合理的で、欲望に肯定的であること」をモットーとするアメリカ文化(及び資本主義)の影響のためかと思っていた。
 昭和30年代の高度経済成長と足並みを揃えるように、畳の上から病院のベッドでの死へ、家の仏間やお寺から専用の斎場での告別式に、近所の墓地での土葬から郊外の火葬場へ。「死」は日常から隠され、日本人が持っていた「死の文化」が消失していった。
 自分はそういう傾向にどちらかと言えば奇異なものを感じていた。誰の人生にも100%やってくることが確実な「死」について、なぜそんなに向き合うことを避けるのかが若い頃からの不可解であった。大学生の頃、最初に行った海外旅行がインドであるのも、ベナレスの河岸でいわゆる‘不可触民’の男が死体を焼くのを飽かず眺めていたのも、人が生きる上で最も大切な2つのものをタブー視する日本社会の軽薄さに解せぬものを抱いていたからである。
 2つのタブーとは、一つはもちろん「死」、もう一つは「性」である。(このタブーに対する反骨が後年エイズのボランティアにつながった。)


 田宮氏は、戦後日本人がこのように「死」をタブー視し向き合おうとしない風潮に渇を入れたのは、ほかならぬ昭和天皇であったと言う。
 これも卓見である。
 1989年の正月、すべての日本人は、政府の都合で植物人間として生かされつづける昭和天皇を哀れに思い、ターミナルケアのあり方について問いを突きつけられたのであった。

 「死」に対する忌避観の形成は、宗教心の欠落を意味している。
 古来から日本人の宗教基盤は、神道(神社)と仏教(お寺)の二大柱であったことは今さら言うまでもないが、戦後このどちらも日本人の心を御することができなくなった。
 神道はそれこそ戦前・戦中の天皇を神とする国家神道が、敗戦と同時に崩壊したことで大きなダメージを食らってしまった。仏教は、金儲けや権威主義に走る仏教者の堕落で信を失ってしまった。
 その上に、現代日本人は、オウム真理教やら統一教会やらの影響で、宗教そのものに対するイメージが良ろしくない。
 また、西欧の近代合理主義や近代科学を小さな頃から学んでいるので、「神」や「天国」や「輪廻転生」など存在を証明できないものに対しては、はなから近寄らない。
 かくして、宗教心のない日本人があまた誕生している。

 これは、しかし、たいへんな悲劇である。
 宗教心とは、人の生き方の問題であり、死に方の問題であるからだ。
 それが「無い」人は、生きるための指針を持たず、その場その場の欲望に突き動かされて生きることになるし、老いや病や死に際してどう臨んだらよいかが全く分からないということになる。何かを「獲得すること」をのみ目的に生きてきた人ほど、つらい晩年が待っていることになる。老いも病も死も「喪失すること」にほかならないからである。
 超高齢化社会を迎える我が国の、最大の問題がここに立ちはだかっている。

 ビハーラは、その一つの解決策になるであろうか。


 「ビハーラ(VIHARA)」という言葉はサンスクリット語で「休養の場所、気晴らしすること、僧院または寺院」を意味する。

 田宮氏は「ビハーラ」の理念として次の3つを掲げる。
 

1. 限りある生命の、その限りの短さを知らされた人が、静かに自身を見つめ、また見守られる場である。
2. 利用者本人の願いを軸に、看取りと医療が行われる場である。そのために、十分な医療行為が可能な医療機関に直結している必要がある。
3. 願われた生命の尊さに気づかされた人々が集う、仏教を基礎とした小さな共同体である。(ただし、利用者本人やその家族がいかなる信仰をもたれていても自由である)

 要は、個人が仏教を基盤として「老・病・死」と向き合う場であり、そういう人たちが集う場であり、そういう人たちをサポートする場である。
 

 また、一つの基本姿勢を掲げている。

「超宗派の活動である。一宗一派の教義に偏ったものでない。」

 この理念と基本姿勢に基づいて、1992年の5月から新潟県の長岡西病院ビハーラ病棟(22床)が開設し、これまでに約2000名の人をそこで見送っている。敷地内には身寄りのない死者のために「無縁墓」ならぬ「有縁墓」がある。

 素晴らしい活動だと思う。
 仏教的空間、すなわち「慈悲」の雰囲気の中で、昔のように、心安らかに最期を迎えられる人が増えれば良いなあと思う。

 ただ、利用者の宗教心と必要性あってのホスピスでありビハーラであるのは言うまでもない。ビハーラを先に作って、「さあ、ここにいらっしゃい」というのは本末転倒であろう。
 その意味では、先に書いたように、日本人の宗教心が今後の動向を決めるのである。

 もっともありそうな可能性として、たとえば、創価学会専用の老人ホームやホスピス、幸福の科学専用の老人ホームやホスピスといったような、同一の固い信仰によって結ばれた信者たちケアする特定の宗教団体や宗派の運営する施設の登場が予想される。同じ信仰を持つ、同じ死生観を持つ仲間と最期の時を深い共感と理解のうちに過ごせるのは、それだけでも幸福であろう。ケアするスタッフ(医師や看護師や介護職など)も同じ信者であれば、患者や利用者の価値観や要望を理解できる良いケアが生まれるはずである。

 すべての人間に襲い来る「老」「病」「死」。
 そこに最初に光を当て、その苦しみからの解放の道を発見したのがブッダであった。ブッダは、『大般涅槃経』の中でターミナルをどう迎えるべきかを自分自身で模範を示している。ブッダが最期に弟子達に言い残した言葉がある。

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい。」


 ビハーラには輝かしい未来がある。



● 栄えある失敗作 映画:『ラバー』(クエンティン・デビュー監督)

 2010年フランス。

 理由もなく意味もなく行く手に立ちふさがるあらゆるものを破壊していく殺人鬼の話なのだが、その正体が車のゴムタイヤ(rubber)であるというところがミソである。

 夕日に照らされながら道なき道を行くゴムタイヤの孤独な心情を描き、携帯電話で話す女子大生をドアの隙間から覗き込むゴムタイヤの抑圧された変態的セクシュアリティを描き、ドライブインのカーテンの背後でシャワーを浴びるゴムタイヤのナルシシズムと人を小馬鹿にした尊大さを描く。伝統的な撮影手法と使い尽くされた演出と過去の様々な映画の名シーンの記憶によって、ゴムタイヤにすら我々は感情や意志を勝手に読んでしまう、読んでしまわざるを得ない。映画の持つ文法は、そのまま映画の「不自由さ」でもあると、観る者は気づかされることになる。
 ご丁寧にもデビュー監督は、そのうえゴムタイヤの「物語」を劇中劇として設定する。ゴムタイヤの一連の行動を遠くから双眼鏡で鑑賞する観客たちを用意し、「物語」そのものを批評させるのである。
 作品そのものが一種の映画批評、物語批評になっているのであるが、この込み入った構造を是ととるか非ととるかで、評価は分かれてこよう。

 フランス人であり、成功したミュージシャンであり、脚本・撮影・音楽・編集・監督を自らこなすデビュー監督は、作家性(芸術志向)が強いのだろう。
 娯楽を提供するよりも、既成の映像表現に対するアンチテーゼを表現したかったのだと思われる。
 この作品を観ていて想起したのは、劇作家ピランデッロの『作者を探す6人の登場人物』であった。虚構の「物語」の登場人物達のふるまいが、現実の人生に作用して、いつの間にか現実を変容させ、虚構と現実の皮膜が破れて立場が入れ替わる。と同時に我々の認識する現実の「慥からしさ」が根底から崩されていく。
 メタフィクションの形式を利用してフィクション(虚構)の欺瞞性を暴き出すといったところか。

 残念ながら、今回はそれが成功しているとは言い難い。
 わざわざ劇中劇にしたことの効果は上がらなかった。実験作にして失敗作というべきだろう。
 しかし、である。
 すべてを破壊していくタイヤの行く先がハリウッドであることを知る時に、デビュー監督の野心の大きさが感得されよう。
 ゴダールの再来と言われる日も近いかもしれない。

 意味のある失敗作だ。

 

評価: C-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 
 
 

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