ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 壊れゆくバチカン2 映画:『ローマ法王の休日』(ナンニ・モレッティ監督)

 2011年、イタリア映画。

 タイトルと、「コメディ」というジャンル表示と、DVDパッケージのあらすじとから自分が思い描いていたストーリーは↓


心ならずもコンクラーヴェで法王に選出されてしまったメルヴィル枢機卿(ミシェル・ピッコリ)は、巨大なプレッシャーに耐えきれずバチカンからローマの街に逃げ出してしまう。
 そこで出会った市井の人々との交流の数々。民衆の悩みや喜びや苦しみや素朴な信仰心に触れるなかで自らの信仰のきっかけを思い出し、使命を自覚し、バチカンに帰還。晴れて法王の座に着く。

 途中までは確かにこの通り進むのだが、最後の最後に裏切られた。
 メルヴィルはバチカンに帰還する。が、サン・ピエトロ広場に集まった大観衆の前で、いやメディアを通じ一連の騒動に注目していた世界じゅうの人々の前で、法王になることを拒絶するのである。
 メルヴィルは言う。
「神が間違うわけがない」
「私が神によって選ばれたのも間違いない」
 ならば、結論はどうしたってこうなるはずだ。
「私が法王になるのは正しい」
 で、ありながら、メルヴィルは睨座を拒否するのである。 
 これは究極の謙虚なのか。自己卑下なのか。
 メルヴィルの真意はよく分からない。監督の意図はよく分からない。
 けれど、「えっ?」と驚く結末であった。
 この意外性は、しかし、予想していた展開が見事に裏切られたことからくる「痛快さ」「一本とられた!」にはつながらない。すっきりはしないのである。コメディと思って観ていたものが、最後の最後で何だか哲学的様相を帯びて、戸惑うのである。
 メルヴィルの爆弾宣言でバチカンは揺れる。帰還に安堵していた枢機卿たちはショックで顔を引きつらせる。
 それでジ・エンド。
 なんだろうな、この結末は?


 『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督なら、おそらく最初に自分が掲げた予想通りの物語を、笑いと涙とスピリチュアル的感動とで十全に描き出すであろう。実はそれを期待していた。たまにはそんなベタな物語に酔いたいという気持ちもあってレンタルしたのである。

 ナンニ・モレッティ監督は食わせ者だ。

 メルヴィルは法王の座を拒否し、世界の期待を裏切って、カトリックの長としての役割を放棄した。
 それは法王としてはもちろん失格以前の話である。
 しかし、逆説的だが、型どおりの「物語」を崩壊させてはじめて、バチカンを「外に向かって開いた」と言えるのかもしれない。
 メルヴィルの行為は、世界中に議論を巻き起こし、キリスト者をはじめ宗教を信じる者たちに問いを突きつけることになるだろう。
「信仰とは何か?」
「バチカンや法王の存在意義は?」
「コンクラーヴェの意義は?」
 そして、前法王の崩御が自動的に新法王の選出&誕生をもたらすという伝統に、あたかもそれが一大エンターテインメントであるかのごとく慣れきってしまい(だれが法王になるかの賭のオッズまで新聞に掲載される)、思考停止に陥っている大衆の無知蒙昧ぶり。
 その意味で、メルヴィルは、法王になることでよりも、法王になることを拒否したことで、結果的にはより「信仰」「伝統」という問題について人々が自らを省みるきっかけを作ったと言えるかもしれない。
 それも神の意図か?



評価:C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 壊れゆくバチカン1 映画:『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』(アントニオ・マネッティ、マルコ・マネッティ監督)

 2011年イタリア映画。

 ブログを書いていると、因縁の仕組みを感じる。

 このブログで取り上げる映画はそのときそのときの自分の感覚でチョイスしたもので、偶然TUTAYAの棚で見かけて「面白そう」と思って手に取ったものである。「どういうテーマの映画を観よう」とか「次はこの監督(俳優)の作品を観よう」という意図はほとんどの場合働いていない。映画の内容についても、借りる前にそれほど詳しくチェックしているわけではない。せいぜい簡単なあらすじくらい。見終わったあとで評価を下したら、自分の中では「完了」である。
 ブログで感想を書き始めてみて気づいたのは、自分では「面白そう」優先で行き当たりばったり選んでいるつもりの映画のリストを、あとから時系列で辿ってみると、作品から作品へ何らかの繋がり(関連)が連想ゲームのように浮かび上がって見えて来ることである。コメディ、シリアス、オカルト、SF、恋愛、文芸もの、伝記もの・・・。作品のジャンルや舞台背景、映画の制作年や制作国はさまざまなれど、一連の流れが存在するのだ。まるで、自分の意識(意図)とは別のところで無意識が働いて、それが勝手に棚の前に立つ自分の手を作品に導いているかのようである。
 と言って何も神秘化する必要はない。
 単に、自らの内面を流れる意識や思考や感情の流れ(連鎖反応)にきちんと気づけていないだけなのである。前の(過去の)選択結果が因となって、次の(未来の)選択を生む。自分で認識していないだけで、実はちゃんと因果は働いているのだ。
 より深いところで「自分」を動かしているもの、それが因縁である。

 アッシジの聖者『神の道化師フランチェスコ』を観たあとに、2本つづけて同じイタリア映画を借りてしまったのは、偶然でもシンクロニシティでもなく、どこかでイタリアに対する執着があるのだろう。その2本(SFとヒューマンコメディ)が、蓋を開けてみたら、どちらもはからずも「バチカン崩壊」に関わるテーマであったことも偶然ではあるまい。


 『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』は、一見月並みな映画である。
 地球(ローマ)に飛来し、家宅侵入で黒人女性に捕らえられ、当局から拷問まがいの尋問を受ける宇宙人。
 「地球に来た目的はなにか?」
 「お前が持ち歩いているこのへんてこな機械の使途はなにか?」
 宇宙人は答える。
 「地球人との交流、相互理解が目的です」
 「これは母船への連絡ツールです」
 まったく信用しない尋問官。
 激しさを増す拷問。
 その容赦無さに、宇宙人との通訳のために雇われた若き女性は、人道主義に訴える。
 だが、警備厳重な地下室で行われている長引く尋問は、宇宙人にとってはただの時間稼ぎに過ぎなかった。
 地上では宇宙人による空からの攻撃が開始される。
 壊れゆくバチカン。消えてゆくローマの街。

 それだけの話なのである。目新しい展開、意外な結末はここにはない。
 もっとストーリーの凝った、意表をつく展開はいくらでもあるだろう。地下室のセットも安っぽいし、当の宇宙人もその昔ウルトラマンに出てきたような前時代的風貌(=着ぐるみ)である。
 だが、この作品には目を離させない磁力がある。
 それを作っているのは、当の宇宙人が自らを「王(ワン)」と名乗り、中国語を流暢に喋る紳士キャラ、というところである。
 それによって、作品自体が、中国という欧米人から見たら得体の知れない国、今や経済戦争の頂点に立って世界を脅かす強大な国、欧米流のルールが通用しない唯物主義の国、に対する一種の風刺になっているのである。 
 一昔前であれば、この宇宙人は日本語を喋っていたであろう。

 宇宙人との通訳のために雇われた中国語通訳のイタリア女性は、破壊されていくバチカンのドームを窓越しに見つめながら、自らの人道主義の幼稚さを知る。
 だが自分を責めることはない。
 大宇宙を旅して地球に来ることができる時点で、その科学力はもはや地球人の比ではないのだから。闘うだけ無駄だ。



評価:C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
      
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 「無い幸福」より「有る不幸」 B.E.2557年釈尊祝祭日ウェーサーカ法要に行く

KC3Z0001 5月12日(土)渋谷区立文化総合センター大和田さくらホールにて。

 この施設は渋谷駅から徒歩5分。天文台のドームの目立つ新しい建物である。さくらホールの収容人数は729名。6割方埋まっていたから450名ほどの参加か。

 ウェーサーカはお釈迦様の「誕生」「成道(悟達)」「般涅槃(死)」の3つのできごとを一度にお祝いする記念日で、5月の満月の日に行われる。(満月は25日)
 日本テーラーワーダ仏教協会が主催する年に一度のこのイベントが、自分にとって一年でもっとも重要な日になりつつある。出席するため、職場にしっかりと希望休を出しておいた。
 と言って、ブッダの誕生日や悟った日や亡くなった日を記念する意図は自分にはない。
 誕生日も含めて何かの記念日というのは基本的にナンセンスだと思っている。季節はめぐり暦は一年で一周するので、我々は時間が循環するものとどこかで思っている。だから、誕生日とか「○○の日」などというものをお祝いするのである。
 だが、時間は循環などしない。一方向に流れていくだけだ。同じ日など一日たりともない。昨年の5月12日と今年の5月12日には何の関係もない。月や星の位置関係ですらまったく同じと言うことはありえない。昨年庭に咲いたポピーと今年のポピーはまったく別物である。年齢という概念ですら本当は意味のないものだ。人の成長の度合いは個々人によって違うのだから。

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 自分がウェーサーカを大切にするのは、修行のための動機付けになるからである。たまに人為的にでもこういった区切りを設定して、スマナサーラ長老の話を聞き、渇を入れてもらわないことには、怠け心を払拭できないからである。

 最近、仕事のハードさを言い訳として、酒は飲むわ、瞑想はさぼるわ、と自分を甘やかしている。瞑想してもサティ(念)が続かず、知らぬ間に妄想に入り込んでいることが多い。
 現在進行中の片思いのせいもある。実際、恋愛ほど妄想の膨らむものはない。妄想から成り立っていると言っても過言ではない。相手が自分に示したささいな言動をもとに、それを客観的な事実として冷静に捉えるかわりに、自分にとって都合のよい物語をまたたく間に作り上げてしまう。満たされない思いは「苦」であるが、それすらも「喜」と感じてしまうほど、頭はバカになる。
 その意味で、恋愛ほど妄想の性質、自我の罠を観察(ヴィパッサナー)できる絶好の機会はない。それをネタに瞑想しようとチャレンジするのだが、やっぱりいつでも負けてしまう。相手の魅力がそれほど強いのだ。(ってバカじゃん)

 そんなたるみがちな自分を見通すかのように、今日のスマナ長老の話は、「釈尊の教えの基本」という、瞑想を習った頃の初心に自分を帰らせ、「お前少し頭冷やせよ」とのぼせや浮つきを取り除くような、心に今一度仏教という確固たる杭を打たれたかのような、力強く破壊的で叡智に満ちたものであった。
 そうだ。これが「本当の」仏教だった・・・・。


●講演の骨子
釈尊の教えの基本 ~信仰のかわりに確信~
1.生きることは苦である。
2.私たちは自分自身が作った鎖(煩悩)で束縛されて、自由はない。
3.私たちは幸福を目指して不幸の方へと進む。
4.他に頼って、助けられること、救われることを望んでいる。
5.自分が作った束縛を絶つことで自由を得る。智慧が生じる。
6.智慧こそが唯一の財産である。
7.智慧によって執着をなくすことにより、究極の幸福に達する。
8.究極の幸福は、「あの世」でなく「今」この世で体験するもの。 


130512_1557~01 一番最初の「生きることは苦」という仏教の根本命題を、我々はなかなか理解できない。理解したがらない。「だって楽しいこと、嬉しいこともあるじゃん」と思う。「生=苦」と認めてしまうと、よけい生きるのがつらくなるだけだと思う。希望がないと思う。鬱にでもなりかねないと思う。
 だから、なかなかその先に行けない。
 生まれつきハンディキャップをもっているとか、事故にあってカタワになったとか、愛する家族を誰かに皆殺しにされたとか、そんな心理療法や趣味娯楽では変えることのできない、時間が癒やすことのできない重荷を背負った人なら、「生きることは苦」はかえって受け入れやすいかもしれない。仏道へ入りやすいかもしれない。
 だが、若くて健康でエネルギーが有り余っていて、家族や友人にも恵まれ、将来が輝いて見える時に、「生きることは苦」は歯牙にもかからない空言だ。
 自分も若い頃はそうであった。20代の時、ブッダがどういうことを言っているか知ろうと思い、岩波文庫の『ブッダのことば』を手に取ったが、とても最後まで読めなかった。究極の悲観主義だと思った。「昔のインド人は本当に苦しみばかりの人生だったのだなあ」と思った。
 今はどうか。青春もとうに過ぎて、体のあちこちにガタが来て次第に老いが見えてきた現在、そして数々の希望がくじかれ、夢が破れ、活力も損なわれつつある現在、「生きることは苦」はずいぶんと受け入れやすい。
 老人ホームで働くようになって、一層その言葉は身に沁みる。これまでどんな境遇にあろうが、金持ちだろうが、地位が高かろうが、かつては美しかろうが、子供や孫に恵まれていようが、その生涯が様々な素晴らしい思い出に彩られていようが、今現在、日々心身を責めさいなむ「老い」と「病」と、遠からずやってくる「死」とに、誰もが囚われている。どんなに楽しい思い出も、誉れ高い業績も、認知症になれば意味はない。

 「生きることが苦」という事実は、もっと簡単に確認できる。
 我々は、「楽」をなくすには何もしなくてもよい。ベッドで寝ているのは楽だ。だが、そのまま寝続ければ、体は痛んでくる、心は退屈してくる。何もしなくても楽は消えていく。
 一方、「苦」をなくすには何かしなければならない。寝ているのが苦痛になったら、起きあがらなくてはならない。腹が痛くて苦しいのなら、薬を飲まなければならない。
 つまり、人間の基本設計は、常に「苦」を感じるようにできているということだ。「苦」にせっつかれて我々は「何か」をし続ける。それが生きるということなのである。
 であるから、スマナ長老が言うように、幸福の定義は「楽がたくさんあること」ではない。楽は必ず苦に転じるからだ。「何かを得ること」でもない。得た物は必ず失われるからだ。
 

幸福を正しく定義するなら、「苦しみがない状態」ということになります。 

 
 世間には、「有る幸福」と「有る不幸」、「無い幸福」と「無い不幸」の4つがある。
 人が一番求めるのは「有る幸福」である。何もかも手に入れた成功者を羨むのはそのためだ。一方、人が一番忌み嫌うのは「無い不幸」である。ホームレスが社会で一番貶められるのはそのためだ。
 「有る不幸」は、「不幸」という点では「無い不幸」とまったく変わりはないのであるが、どういうわけか人は「無い不幸」より「有る不幸」を選ぶ。「有る」=所有する、ということはそれだけ魅力的なのであろう。少なくとも他人と比較して優越感に浸ることができる。我々は「有ること=幸福」という観念――それは多分長い原始時代に培われたのだろう――に強く洗脳されている。だから、反射的に「無い=不幸」と思ってしまうのである。
 人が最も理解できないもの、到達しがたいものが「無い幸福」である。
 多くの人は、そんなもの負け犬の遠吠えくらいにしか思っていない。
 それがどんな状態か想像することすらできないので、「無い幸福」を選ぶくらいなら、むしろ「有る不幸」を進んで選ぶのが世間一般である。アル中でDVの夫と別れられない妻なんてその典型だ。
 「無い不幸」と「無い幸福」は、実は表裏一体である。外側から見た状況は、ほとんど一緒であろう。ホームレスは和訳すれば「出家」である。清貧をこよなく愛した聖フランチェスコと、隅田川周辺のブルーテントの住人は同じくらい「何も持っていない」。(実際にはブルーテント派の方がいろいろ所有している。)

 仏教は「無い幸福」を目指す道なのだと思う。

 しかるに、この恋は捨てがたい。
 どういった因縁が陰で働いているものやら。
 お釈迦様、どうか因縁を見極めるための執行猶予をください。(笑)



● アッシジ追想 映画:『神の道化師、フランチェスコ』(ロベルト・ロッセリーニ監督)

 1950年イタリア映画。

 聖フランチェスコと言えばアッシジ、アッシジと言えば聖フランチェスコである。

 かれこれ20年になるだろうか。数ヶ月のイタリア旅行の最中に訪れたアッシジの平和で美しい田園風景は今も折に触れて思い出す。
 ローマ(バチカン)、ナポリ(ボンベイ)、シチリア、レッジョ・カラブリア、バーリ、アンコーナと列車で回り、若さに恃んで毎日朝から晩まで重いリュックを背に街を歩き回っては、『地球の歩き方』に載っている観光名所を巡り、有名な教会や美術館や博物館をしらみつぶしに訪ねた。身体の疲れと見知らぬ土地を歩く緊張感とで、南イタリアを脱したときは身も心もクタクタであった。アッシジに向かう列車の中ではグロッキー状態、同じコンパートメントの地元の人に話しかけられても、もはや返事する気力も、イタリア旅行するには欠かせないsimpaticoな(親しみやすい)笑みをつくる余裕すら失われていた。
アッシジ アッシジ駅からオリーブ畑の彼方にこんもりと盛り上がって見えるアッシジの街は、他のイタリアの街とは違う不思議な穏やかさに包まれていた。

 一週間ほど滞在しただろうか。春の喜びをさえずる小鳥たちに囲まれて、城砦のてっぺんの丘に仰向けになり、柔らかな陽光を浴びながら、大理石の家々と教会の塔と周囲に広がるもやに霞む田野を眺めていると、旅の疲れが癒されていくのを実感した。

 この感覚ははじめてではなかった。
 同じような経験を数年前のインド旅行で、ある町に滞在していたときにも感じたのである。
 そう。アッシジはブッダガヤに似ていた。

 アッシジは聖フランチェスコが生まれ育ち、回心し、伝導をはじめた土地である。ブッダガヤは釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた土地である。どちらも聖人が誕生した土地で、どちらも喧騒を離れた田舎であり、世界中から巡礼が訪れる信仰の地である。雰囲気が似てくるのは不思議ではないのかもしれない。
 しかし、アッシジの持つ雰囲気は、カトリックの中心たるバチカンや、ミラノの大聖堂をはじめとするイタリアの有名な教会で感じた雰囲気とは質が違っていた。そこには、旅の間、自分を精神的に疲れさせたキリスト教の持つ厳格で他罰的で父性的な空気がなかった。あらゆるものを優しく受け入れるような母性的雰囲気、あえて言うならば「慈悲」の気に満ちていたのである。
 伝記に見る聖フランチェスコもそのような人であったらしい。動物たちと会話するなど、キリストよりブッダに近いような気がする。

 もう一つ。聖フランチェスコと言えば、映画『ブラザーサン、シスタームーン』(フランコ・ゼフィレッリ監督、1972年)である。
 裕福な家に生まれ放蕩三昧の生活を送っていた青年フランチェスコは、戦争で負傷したのをきっかけに回心する。家も財産も家族も世間も捨てて乞食同然の修道生活に入る。理解者は少しずつ増えていくものの、既存の教会組織からの様々な妨害にあう。疑問を抱いたフランチェスコは自らの信仰の正しさを確かめるため、ローマ法王に会いに行く。
 バチカンでローマ法王に謁見する場面は最大のクライマックスである。インノケンティウス3世を演じるアレック・ギネス(『スター・ウォーズ』のオビ=ワン・ケノービ)の抑えた演技が実に素晴らしい。
 ほぼ史実に沿った筋書きだと思うが、ゼフィレッリ監督の男色趣味横溢でフランチェスコ役のイケメン俳優を衆人環視のもと丸裸にしたり、あちこちで端役の美青年をショットで抜いたり、なにかと‘ルネサンス’チックである。
 また、映画が撮られた時代の香りが全編から漂っている。体制への反抗、伝統・権威の否定、腐った大人社会に対する嫌悪と怒り、自然回帰を目指す原始共同体・・・・すなわちヒッピー文化である。
 そういうカラーはあるが、『ブラザーサン、シスタームーン』は心が乾いたときに自分が見る映画の一つで、DVDを所有している数少ない映画である。


 ネオレアリズモの巨匠ロッセリーニは、ローマ法王との謁見によって正式に伝道を認可されたフランチェスコが、故郷に帰ってきたシーンから撮っている。
 つまり、凡人が聖人となるドラマチックな過程ではなく、すでに聖人となったフランチェスコとその仲間たちの貧しくも敬虔な信仰生活の様子をいくつかのエピソード仕立てで描いている。ゼフィレッリとくらべると、実に淡々と、あおらずに、誠実に、ときにユーモラスに。フランチェスコ自身よりも、むしろ弟子たち(「兄弟」というのだろうか)のほうが目立ってさえいる。
 アッシジの草原をみすぼらしい修道服姿で走り回る兄弟たちの姿は、はしゃいでいる子供のように無垢なる喜びに満ち溢れ、軽やかである。

 人が為しうるもっとも美しい生活とはこのようなものかもしれない・・・・と思う。



評価:B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 心霊スポット探訪:八王子城址~北高尾山稜(本丸跡460m、杉ノ丸612m)

八王子城址 001●歩いた日  5月8日(水)
●天気     快晴
●タイムスケジュール
 8:40 JR中央線高尾駅・西東京バス乗車
 8:50 「霊園前」バス停
      歩行開始
 9:10 北条氏照と家臣の墓
 9:20 ガイダンス施設にてビデオ視聴 
 9:50 八王子城跡
       大手門~古道~曳橋~御主殿跡~御主殿の滝
10:30 本丸登り口
11:00 八王子神社
11:15 本丸跡
11:55 富士見台
      昼食休憩(35分)
12:30 出発      
14:00 杉ノ丸頂上
14:20 黒ドッケ頂上
      下山開始
15:20 夕焼け小焼けふれあいの里
      歩行終了
      入浴
16:33 宮の下バス停(西東京バス)
17:00 JR中央線高尾駅
● 所要時間 6時間30分(歩行5時間30分+休憩1時間)
● 歩数   約26,000歩

 八王子城跡は心霊スポットとして名高い。
 その謂われは、豊臣秀吉の関東制圧により落城した際(1590年)の阿鼻叫喚地獄にある。
 城主北条氏照の留守を預かっていた家臣と氏照の奥方を含む婦女子らが、豊臣方の前田利家と上杉景勝軍に攻められて惨死、自刃。城は焼き払われた。御主殿(日常の住居)のそばを流れる城山川は、滝から身を投げた北条の人々の血で三日三晩赤く染まったと言う。
 霊の出没する舞台としてはまさに完璧なシチュエーションである。
 
 自分は「視えない」人間であるが、わざわざ陰惨な、いわくつきの場所に行く趣味も持っていないので、これまで足が向かなかった。
 しかし、八王子城跡を起点とする北高尾山稜には行きたかった。静かな山歩きが楽しめるとガイドブックにはある。
 風薫る5月の晴天くらい霊的現象と遠いものはなかろう。
 たまには歴史探訪も悪くない。

 高尾駅北口から陣馬高原方面のバス(1番)に乗り、霊園前で下りる。石屋と寺が並ぶきれいに整備された道をしばらく行くと、右手に北条氏照の墓へと続く小道が現れる。

 この北条氏は、初代小田原城主の北条早雲にはじまる戦国時代の武家である。鎌倉時代に執権をふるった北条氏(北条政子ら)とは何の血縁もゆかりもなく、その権威ある名前だけ拝借したらしい。旧姓は伊勢と言う。紛らわしいことをする。
 北条氏照は三代目氏康の次男であり、跡目を継いだ兄・氏政と力を合わせ、関東一帯を支配していた。八王子城はこの氏照が築いた山城なのである。
 八王子城の落城により北条氏は滅亡する。小田原城に立て籠もっていた氏政と氏照は切腹する。秀吉の天下統一が成った瞬間である。

八王子城址 003

 氏照の墓は竹林の中のすがすがしい場所にあった。怨念や悲嘆や業苦の気配などまったく感じられない。家臣や親族の墓に囲まれて路傍の石と化しているかのよう。墓石の脇から顔をのぞかせるタケノコも愛らしい。
 氏照、辞世の句。

 天地(あまつち)の清き中より生まれきて もとのすみかに帰るべらなり


八王子城址 006


八王子城址 007


 八王子城跡もまた明るく開放的で、緑あふれる気持ちよい空間であった。
 当時のままに残っている石垣がある。この石垣の合間にどうやらマムシが棲んでいるらしい。ところどころに「マムシに注意」の張り紙があった。霊よりマムシの方がよっぽど恐い。
 氏照の館があった御主殿跡は青々とした芝の上に建物の礎石が残るばかり。御主殿隣りには賓客をもてなしたであろう会所を床板部分だけ再現したものがある。ここから月に照らされた枯山水の庭を肴に酒宴を開いたのであろうか。 
 自然と芭蕉の句が浮かんでくる。

 夏草や つわものどもが 夢のあと


八王子城址 008


八王子城址 009


 婦女子や武将が次々と身を投げたという滝は、水量が少なくて迫力がない。おどろおどろしい雰囲気はなく、ひっそりともの悲しい風情である。
 祀られていた観音様が麗しい。


八王子城址 010


 八王子神社の第一鳥居をくぐり、山登りのスタート。
 急峻な山道、アップダウンの多い複雑な地形、要所要所に地形を利用して造られた曲輪(くるわ)、関東平野を見渡せる絶好のポジション。なるほど、氏照がここに築城した理由が知られる。
 が、六年かけて築きあげた城の寿命はわずかに3年であった。落城はたった一日のことであった。
 ・・・・・むなしい。

八王子城址 013

八王子城址 015


 山頂には本丸のほかに、この城の守護神とした八王子権現が祀ってある。平安時代の行者華厳菩薩妙行が、この山で修行中に牛頭天王とその眷属である八人の王子に出会ったことが縁起である。「八王子」の名の由来はここから来ている。
 賽銭をあげて拝礼したが、霊験の疑わしいことは歴史が証明している。

 山頂にはテーブルやベンチが置かれ、高尾山や関東平野を眺めながら昼食をとっている男達の姿があった。歴史オタクだろうか。
 城跡を離れ、富士見台まで歩き、昼食とする。

八王子城址 019


 新緑の間からのぞく富士山が美しい。名に恥じないスポットと言える。
 ここから見える富士山は、向かって右手近くから順に、陣馬山、秋山二十六夜山、朝日山、杓子・鹿留山を、左手近くから順に、景信山、石老山、御正体山を、露払いとしている。左手奥には蛭ガ丘を頂点とする丹沢の山々が望める。
 世界遺産登録が決まったせいか、今日の富士山は格段誇らしげである。

八王子城址 024


 このコースは、どこを終点とするかが問題である。
 行こうと思えば、景信山からの道に合流し明王峠を経て陣馬山まで縦走し中央線藤野駅に下りることもできる。明王峠から相模湖駅に下りることもできる。そこまで行かずに堂所山から陣馬高原下バス停に下りることもできる。
 結局、杉ノ丸(612m)を最高到達点とし、すぐ次のピークである黒ドッケから下山開始し、夕焼け小焼けふれあいの里に下りる、最も短いコースを取った。
 城跡からずっといくつもの谷と山をひたすらアップダウンしてきたので、思いのほか体力を消耗したからである。低山だからと軽く見るのは間違いである。山の高度と疲労度は必ずしも比例しない。
 それでも、新緑と爽やかな風に吹かれ、ウグイスの鳴き声を耳にしながらの山歩きは、健康への感謝を呼び起こさずにはおかない。

八王子城址 026


八王子城址 028


 唱歌『夕焼け小焼け』が生まれたのは八王子上恩方である。作詞者の中村雨紅がこの里のお寺の子供であった。
 この唄にちなんで「夕やけ小やけふれあいの里」と名づけた、農林業などレクリエーション活動が体験できる施設がある。宿泊もキャンプも日帰り入浴もできる。山と清流に囲まれたのどかな環境は素晴らしいが、お世辞にも賑わっているという印象は受けない。
 日帰り入浴(500円)を利用したところ、しばらくは自分一人きりであった。
 温泉ではないが、窓から見える新緑の山に心くつろぐ。

 日が長くなった。夕焼け小焼けを待たずして帰途についた。

八王子城址 029


追記:
 八王子城跡のガイド施設でもらった北条氏家系図によると、三代目当主北条氏康には、氏政、氏照をはじめ八人の息子(八王子)がいた。娘は六人で、それぞれ今川氏、武田氏、吉良氏、千葉氏など名だたる戦国武将のもとに嫁いでいる。これは、半場人質という格好の政略結婚であろう。娘を同盟や牽制のための駒として利用するのは珍しい話ではない。
 その中で一人、兄弟の末っ子景虎が上杉謙信の養子として差し出されているのが目立つ。
 調べてみると、上杉謙信は妻帯せず(生涯不犯)四人の息子はすべて武家からの養子であった。
 いろいろな説はあるが、やはり謙信は男色家だったのだろう。
「謙信公のご機嫌を取るのなら、娘を差し出す代わりに、イケメンの息子を差し出せ」というのが、当時の武将達の間での公然の秘密だったのかもしれない。
 景虎は北条一門の破滅を見ることなく、26歳の若さで亡くなっている。
 稚児らしい最期だな。
 って決めつけるな。



● 介護の仕事6 (開始丸一年)  

 老人ホームの仕事に就いて一年経った。
 長かったような、短かったような・・・。最初の半年は鈍行で、残りの半年は特急だった。特に今年に入ってからは、何十年ぶりに来た大波の片恋にポワ~ンとしているうちに、冬が終わり春が過ぎて、気がつくと初夏。空には恋のぼり、いや鯉のぼりが泳いでいた。
「時間を早く感じさせるもの。それは慣れと官能である。(byゲーテ)」←うそ
 このぶんだと、はるか先に思えた介護福祉士の試験も「あっ」という間かもしれない。
 4月には新しいスタッフが入ってきた。ほとんどは福祉系の学校を出たばかりか、ヘルパー免許取り立ての未経験者。一年前の自分と同じである。
 一年前の自分の苦労を思い出して、いろいろと助けてあげたいのはやまやまなれど、自分の子供と言っていい若人ばかり。やっぱり覚えるのが早い。頭の回転も早い。体もよく動く。先輩スタッフの見習いを離れてバンバン「一人立ち」していく様子を見るにつけ、「歳を取ると新しいことを始めるのが億劫になる」と言われる所以に納得する。


 1.介護の仕事は自分のADL(日常生活動作)を見つめ直すこと

  美内すずえの傑作演劇少女マンガ『ガラスの仮面』で、主人公北島マヤがパントマイムを使った一人芝居をするエピソードがある。天才少女マヤは、黒衣の師匠月影千草から「獅子の子落とし」の如く突き放されて、独力で初めてのパントマイムの稽古を開始する。そのときに、北島マヤは悟るのである。「パントマイムとは自分が普段何気なくおこなっている日常動作の一つ一つを見つめ直す作業なのだ」と。
 介護の仕事もそうである。
 たとえば、入浴介助。利用者の洗髪をするとき、どのくらいの時間頭をゴシゴシするか、指にどのくらいの力をこめるか、シャンプーを流すのに何秒かけるか。自分の頭を洗う時は何十年もやってきているので半ば無意識にやっている。他人に対して行う段になってはじめて「はて?いつも自分はどうやっていたっけ?」と振り返ることになる。体を洗うときや髭を剃るときも同じ。いつも自分は何回こすれば良しとしているか、カミソリを肌に押しつける強さはどのくらいか、唇の上はどういう角度で剃っていたか。自分でやる時は、効果を感じるのは自分自身なので案配がわかる。他人相手だと、相手の感覚は当然分からないから、ちょうどいい加減が分からないのである。 
 食事介助も同様。利用者の口の中に食べ物を入れた。咀嚼が始まる。さて、次の一口をいつ入れるか。燕下がしっかりしていて食べ物が喉を通るときの「ゴックン」が見える人ならいい。だが、中には分かりにくい人もいる。そこで自分の食べ方を振り返るのである。「自分はいつも何回くらい噛んでから飲み込んでいるだろう?」
 食事の席から立ち上がる動作も同様。両足の位置はどこにあるか、立ち上がる時の頭の軌跡はどうなっているか、両手はどこについているか、椅子はどこまで後ろに下げるか、立ち上がったあと右から出るか左から出るか(自分は左から出る方がやりやすい)。普段は何気なくやっているこういった一連の動作を意識して見つめ直さないことには、相手に対して適切な介助ができないのである。
 もちろん、自分がやっている日常生活動作をそのままの形で相手に適用できるわけではない。高齢者はそもそも動作が緩やかである。様々な痛みや身体障害を抱えていることが多いから、若い(相対的に)自分の場合と同じペースでやってはならない。洗体なども若い(相対的に)自分にやるように強く擦ると、老人の薄く弱い皮膚は簡単に傷ついてしまう。それぞれの人の身体状況や習慣や好みも考慮しなければならない。
 それでも、基本となるもの、学ぶべきものはまず自分自身のADLであるのは間違いない。無意識にやっていることを意識化する作業が、良い介助につながる。
 北島マヤ。おそろしい子。


2.介護の仕事は「段取り力」が物を云う

  介護施設での仕事、というべきか。
 やることはやまほどある。毎回シフト入りすると始めに前任者から申し送りを受けるが、その量の半端でないこと! 一人一人の利用者について2~3つの情報が伝えられる。体調の様子、介助方法の変更、排便の状況、使用しているパットの変更、家族からの要望、外出や受診の予定・・・・・もういろいろである。それが20名分ほどある。一回に申し送られる情報の数は50個近い。これが、食事・排泄・入浴・更衣・リハビリ・レクリエーションなどの基本的な日常介助業務に加えて、スタッフに襲いかかってくるのである。
 たとえば、
「Aさんの靴下が不足しているのでご家族が来たら持ってくるように伝えてください」
「Bさんの不穏時の頓用薬が出ました。不穏になったら服用させてください」
「Cさんが便失禁した衣類をバケツに浸して消毒してありますので、洗濯して干しておいてください」
「Dさんは食事量が少ないので栄養補助ドリンクを提供してください」
 ・・・・・・。
 メモは必至にとるけれど、到底すべてを限られた時間内でこなせるものではない。
 誓って云う。基本介助業務を円滑にこなし、しかも申し送られたこまごまをすべて完璧に果たした日など一日もない。(そんなことできるのは忍者ハットリ君かサマンサくらいだ)
 それでも会議は踊る、もとい介護は回る。申し送られた業務をそれなりに片付けなければならない。次のシフトの職員に手つかずのまま丸投げするのは酷である。恨みも怖い。どうにかして時間を作り出さなければならない。
 そこで重要となるのが「段取り力」なのである。
 時間の使い方、体の使い方、動線の取り方、優先順位のつけ方、利用者の動きや表情やクセを読んで次に起こることを読み取る力・・・。そんなものが大切なのである。
 たとえば、こんなふう。

  1. 共用リビングから一番遠いDさんの部屋からコールが鳴った。「なんだろう? ああ、この時間ならたぶんお茶が欲しいんだろう。」(手早くお茶を入れて持って行く) Dさんの部屋に着いた。やっぱりお茶だった。部屋からの帰りがけにテラスに寄ってEさんの洗濯物を取り込む。Fさんが夜使うポータブルトイレをセッティングしておく。倉庫に寄って、夕食分のおしぼりを補充する。Gさんの部屋に寄って、ポケットに入れて持ってきた目薬を差してもらう。共用リビングに戻る。Hさんの部屋からコールが鳴った。以下同様。
  2. Kさんが「トイレに行きたい」と言っている。Mさんも「私も行きたい」と言っている。Mさんは車椅子だが、Kさんは手引き歩行で連れて行く必要がある。まず、Mさんをトイレに連れて行き、便座に座ってもらう。「済みましたらコールボタンを押してください」と言って出る。次にKさんの手を引いて別のトイレに誘導する。Kさんが便座に腰掛けた時に、Mさんのコールが鳴る。Mさんの排泄介助が終わりリビングに戻って手を洗ったと同時に、Kさんの個室からコールが鳴る。(これが逆の順番、つまりリクエストがあった順序で実施すると、時間にロスが出るし、待ち時間が長くなるMさんが車椅子上で失禁してしまう可能性が生じる)

  仕事の速い要領のいいベテラン達は、みな段取り上手である。彼等の動きを見てマネしながら、自分も時間と体の使い方、優先順位のつけ方を身につけてきた。
  段取りという点でよく連想するのは、料理である。料理上手な人は段取り上手である。下ごしらえから始まって、できあがった料理を食卓に供するまで、無駄な時間(=手の動いていない時間)を一瞬とて作らない。料理を作るのと食卓を整えるのと汚れた調理器具を洗うのとを同時進行でやっていき、あたたかいものは温かく、冷たいものは冷たいままに、最短時間でテーブルに乗せてしまう。手際がいい。
 別の言葉で言えば「編集力」である。
 フロアをうまく回すには編集力が要る。
 自分が入ったばかりの頃、先生役の先輩スタッフがこう言った。
 「この仕事は頭が良くないとできない」
 介護の仕事は心と体で勝負するものと思っていた自分は意外な気がした。
 今はこの言葉の真意がよくわかる。
 施設で働くには、頭も必要だ。


3.介護の仕事はワークショップに似ている

 担当したフロアを数時間たった一人で回すのはしんどい。
 性格やADLや認知の度合いや体調の具合が異なる10数名の高齢者を、看護師やリハビリスタッフが時々助けてくれるとは言え、基本的には一人きりで世話しなければならない。
 車椅子から立ち上がり歩き出そうとする一人を抑え、認知でフロアを徘徊し他人の部屋に入ろうとする一人を見守り、全介助が必要な一人にトロミの付いたお茶を介助にて提供し、その間に他の利用者と一緒に童謡を歌う。ああ、HさんとSさんが一触即発の状態だ。二人を引き離して宥めなければ・・・。Pさんが傾眠している。部屋に連れて行って横にしなければ・・・。なんだか今日は全体の雰囲気が荒れているなあ。
 最初の頃は、一人一人の利用者の対応に追われ、いっぱいいっぱいであった。目の前で起こっている事象にその都度後追いで対応するほかなかった。後任者に引き継ぐと、重い荷物を肩から下ろしたようにホッとしたものである。(それは今でも変わりないか。) 
 最近よく感じることは、決められた時間フロアを回すことは、ワークショップに似ているなあということである。フロアの利用者たちが参加者で、介護者である自分がコーディネイターである。
  市民活動の経験を通して自分は数えきれないくらいワークショップに参加してきた。NPOの仕事に関わっていた前職ではまた、学生や行政職員やボランティア志望者など様々な人を相手に数えきれないくらいワークショップの企画やコーディネイトをしてきた。ワークショップの持っている効果や面白さ、コーディネイトする上でのコツや雰囲気作り、プログラムの作り方、様々な手法について、かなり知悉していると言っていいだろう。(自分のワークショップの師匠の一人は、日本のNPO界の立役者であった加藤哲夫さんである)
 ワークショップのコーディネイターの最も重要な仕事は、参加者一人一人の自発的な参加を促し、プログラムの進行とともにその場で起こるいろいろな現象(意見の衝突、感情の噴出、講師への反感、流れからの脱線、引きこもりe.t.c.)を肯定的に受容し、必要なときに必要な介入をして(そうでないときはなるべく場に任せて)、最終的には参加者一人一人が何かを学んで持ち帰られるようにすること、そして開始時は緊張と不安とある種の抵抗感から硬くなっていた場の雰囲気が、参加者(と講師)の生み出した前向きな気のハーモニーによって和らいで明るいものに変じているよう期待すること、である。そのためには、参加者一人一人の気を読む感性と、場全体の気の流れを読んで「いま何が起こっているか」を読み取る力が必要である。 
 十数名の利用者をケアする場にいると、「今日一日をワークショップに見立てたらどうだろう」という気になる。決着点は「利用者一人一人が心地よく落ち着いて過ごせて、フロア全体が明るく和やかな雰囲気に包まれること」である。
 そこには市民活動のワークショップのような具体的なプログラムも時間割も存在しないが、介護者が使うことのできる手法は、具体的な介助と声がけとスキンシップとレクリエーションである。ある場合には不穏に陥っているただ一人に向き合って話を聴き、ある場合には自分の中に引き籠もっている利用者の肩に手を回し、ある場合には退屈そうな複数の利用者に向かって冗談を言い、他の場合にはすべての利用者と共にリハビリ体操をして『青い山脈』を歌う。
 そうやって、決着点に向かって一日の流れをつくっていく作業が面白いなあと最近感じている。

  ワークショップのコーディネイターの最も大切な資質は「‘場’に対する信頼をもつこと」である。転倒や誤燕や救急搬送が普通にあり得る介護の現場において、‘場’に対する信頼を持つのは正直難しい。何よりコーディネイターがパニックったらワークショップは失敗である。
 だが、利用者の事故や急変は避けられない。介護現場ではそれはまったくハプニングではないのである。
 いつの日にか、そうしたアクシデント込みの‘場’に対する信頼を持てる日が来るのだろうか。


4.介護の仕事は自分のすべてで勝負できる

  一年経ってつくづく思うのは、「自分がこれまでやって来たことで役に立つものが多いなあ」ということである。
 上記に書いた市民活動でのワークショップやNPOでのカウンセリング経験、「段取り力」を身に着けるのに役立った編集者の仕事、相方との呼吸が大切なコンビニ夜勤の仕事、自然食品店で覚えた美味しいお茶の入れ方、なんていった職歴も役立っているが、他にもある。 

  • ●旅行をたくさんしてきたこと →日本各地に行っているので、利用者の故郷について共有できる話題が多い。名産や風習や行事や観光名所など。
  • ●昔の歌謡曲をたくさん知っていること →これは懐メロ番組をよく見て口ずさんでいた母親のおかげである。(『ここに幸あり』『別れの一本杉』『湖畔の宿』など)
  • ●昔の映画をたくさん観ていること →昔の生活ぶり、事件、世相、スター俳優について話が合わせられる。(先日は女性利用者と「赤線」の話で盛り上がった)
  • ●本をたくさん読んでいること →ことわざや昔の風習や民俗文化などの話題が共有できる。また、利用者の昔話に興味がもてる。古い言葉を知っている。(「文学」が何かの役に立つとは思わなかった)
  • ●畑作りをしていること →農業をやっていた高齢者は多い。土づくりや苗の選び方など、薀蓄を引きだすことができる。農業の苦労や喜びに共感することができる。

 極めつけはこれだ。
   ●仏教を学んでいること!

  介助技術や知識は時間がたてば誰でも自然と身につくが、経験や教養や趣味や特技は一朝一夕には身につかない。その意味で、50歳近くなってこの仕事を始めたことはそれなりに意味があるなあと思う。
 何と言っても平成生まれの同僚は、昭和天皇を知らないのだ!美空ひばりも裕次郎も知らないのだ!


5.介護の仕事はチームプレーが大切

 やることはやまほどある。一人では到底回すことができない。それぞれの介護士に得意と不得意がある。ウマが合う利用者と苦手な利用者がいる。
 介護士同士が助け合わないことには、全体としていい介護ができないのである。
 わかりやすい例は入浴介助である。
 入浴拒否する利用者は多い。理由はそれぞれだが、「入りたくない」という気持ちは固くて、ちょっとやそっとの声がけや懇願では入ってもらうことは叶わない。一回や二回入らないくらいなら別に問題ないが、十日や二週間入らないとなると清潔の点で問題となる。不潔にしておけば健康に害が生じることもあるし、入浴は利用者の皮膚の状態を観察する機会でもある。水虫や保湿剤などの薬を塗布する必要もある。施設に預けた家族の手前もある。
 この道二十年のおばさんベテランスタッフが何とか口車に乗せて浴室まで連れ行ったはいいが、服を脱がそうとした途端に大暴れ。この百歳近い老女のどこにこんな力が残っていたのかとビックリするほど抵抗する。介助するスタッフは腕を噛まれ、メガネを吹っ飛ばされ、腹を蹴られ、口汚く罵られ、「今回もダメだった」と引き下がることになる。それを見た当の老女は満面に笑みをたたえ凱歌を挙げる。
 そんな難物利用者でも、ある特定のスタッフが付き添うと、口では「イヤよイヤよ」しながらも結局入浴してしまう。それはこの道半年の若いイケメンスタッフである。
 経験よりも相性と言うべきか。三つ子の魂百までか。
 こういうことがあるから、ベテランも新人も協力し合ってこそ何とかなる世界である。
 自分が苦手なことや相性の良くない相手については無理せずに他のスタッフにお願いするのは恥ずかしいことではない。何より利用者にとっても、気に入ったスタッフに介助してもらう方がハッピーである。
 自分一人で何もかもやる必要はないし、そもそも到底できることではない。普段から他のスタッフとのコミュニケーションを良くして、相手が大変な状況の時は進んで手伝ってあげれば、自分が困ったとき・大変な時に援助が得られる。そもそもが困っている高齢者をサポートしたいという心がけからこの世界に入った人たちなのだから、人を助けるのは好きなのである。  
 スタッフ間で一番よく使われる挨拶が「お疲れさま」と「ありがとう」である時、確かにしんどいこの仕事を今後も続けていこうと思うエネルギーを得ることができるのである。



前段→介護の仕事5
後段→介護の仕事7

● 芭蕉月待ちの湯:今倉山(1470m)、道志二十六夜山(1297m)

●歩いた日  4月27日(土)
●天気     晴
●タイムスケジュール
 8:10 富士急行線「都留市駅」発・道坂隧道行バス乗車(富士急山梨バス)
道志二十六夜山 035 8:40 道坂隧道着
 8:50 歩行開始
 9:50 今倉山東峰
10:10 西峯(御座入山)
10:40 赤岩(松山)
11:50 二十六夜山頂上
      昼食休憩(40分)
12:30 下山開始      
14:20 芭蕉月待ちの湯
      歩行終了
15:54 富士急山梨バス乗車
16:25 富士急行線「都留市駅」
● 所要時間 5時間30分(歩行4時間15分+休憩1時間15分)
● 歩数   約22,800歩

 GW初日。晴天。案の定、早朝の下り列車は登山客でいっぱい。帰省客のラッシュはこれからか。
 どこも名の知れた山は混雑必至と思い、知られざる山をピックアップした。

 道志二十六夜山は、山梨県の最東端、神奈川県との境に位置する道志村にある。お隣の上野原市には秋山二十六夜山がある。このあたり一帯に月待ち信仰があった名残である。
 ちなみに道志村の面積は約80キロ平方、人口約1900人、人口密度は1キロ平方あたり約24人である。これは山梨県では4番目の「ゆとりあるまち」ということになる。(2010年国勢調査によると、日本で一番人口密度が小さいのは福島県檜枝岐村の1.6人、一番大きいのは東京都豊島区の21881.5人)

道志二十六夜山 001 都留市駅からのバスは山道をぐんぐん登ってきて道坂隧道を終点とする。
 今倉山は標高1470mの結構高い山であるが、バスが稼いでくれるので実際に歩く標高差は460mくらい。高尾山(標高差410m)とさほど変わりない。
 一緒にバスを降りたのは20名ほどか。団体客が多い。
 空は晴れているが風が強いので、立ち止まっていると寒くなる。
 隧道の脇から登山道に入る。

 同じ月待ち信仰があったせいだろうか、登山道の雰囲気は秋山二十六夜山とよく似ている。尾根まで続く急な直線の幅広い道。二十六夜のお祭りのために提灯やロウソクを手にした村人達が、列をなして山頂目指して登った姿が思い浮かぶ。秋山と異なるのは、背後に大きくわだかまる御正体山、そして高度を上げるに連れてその背後から徐々にせり出してくる、白いペンキを乱雑に塗りたくったような富士の頂き。

道志二十六夜山 002


道志二十六夜山 003


 今倉山の東峰まできっかり1時間。
 周囲は木立に囲まれている。まだ葉が生い茂っていないので木々の間から富士山はもとより、北側にひろがる山脈も垣間見える。あと少ししたら展望はなくなるだろう。
 山頂からは菜畑山、朝日山に向かう道もある。反対方向に10分ほど進み、西峯(御座入山)に到達。朽ちた標識もさびしい地味な山頂。ここで立ちションする。

 少し下りたところで前方の視界が開け、御正体山と杓子・鹿留山とにはさまれた富士山が大きく現れる。強い風が幸いし、抜群の展望だ。シャッターチャンスとばかり、デジカメを構えたけれど、本当のシャッターチャンスはまだこの先であった。

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 どこから見ても見間違いようのないお馴染み三つ峠を正面にして、しばらく下って登りきったところが赤岩である。
「すんばらすぃ~い!!」

 思わず叫ぶ。
 360度の「視界は良好、わたしは亮子」(って知っている人いるのか?)
 額に入れて浴室に飾りたいほど見事な富士山。
 南アルプス(聖岳、赤石岳、悪沢岳、仙丈岳、鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳)、北アルプス、八ヶ岳、朝日岳、金峰山、妙義山、大菩薩嶺、東京で一番高い雲取山、筑波山、陣馬・景信の彼方にうっすらと見える都心とスカイツリー、下りてきた今倉山をはさんで、丹沢山塊、相模湾、箱根の山々(明神ガ岳、金時山)。これらを外周とする円の中に、形・大きさ・色さまざまな中央線沿線の山々を一望にできる。

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道志二十六夜山 016

道志二十六夜山 013

道志二十六夜山 012

道志二十六夜山 020

 赤岩からのすんばらすぃい展望は山座同定含め下記のサイトで見ることができる。感謝。
 http://www.kei-zu.com/main/akaiwa/akaiwa.html
 この光景をいったん生で見たら、山登りは到底止められるものでない。


 赤岩から林道をまたいで1時間ほどで道志二十六夜山に到達。
 ここも素晴らしい景色である。
 二十六夜碑をカメラにおさめて昼食とする。
 今日一日、後になり先になり一緒に歩いてきた人々が座して富士山を見ている。
 背後の中年男性グループは缶ビールを開けている。
 (山をなめちゃいかんぞ~)


道志二十六夜山 019


道志二十六夜山 025


道志二十六夜山 022


 下りは緑の多い気持ち良い道が続く。
 途中で仙人水という湧き水で顔を洗い水筒につめる。やわらかい水。

 下りきったところに沢がある。これもまた秋山二十六夜山と同じだが、あちらは荒れていて山が崩壊している感じであった。こちらは昔ながらの清浄な気が一帯に満ちていて、身も心も癒される。

道志二十六夜山 027


道志二十六夜山 029


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 山道から車道に出る。歩いて15分ほどのところに「芭蕉月待ちの湯」がある。
 アルカリ性単純温泉。源泉35.4度というぬるま湯に長々と浸かっていると体の感覚が無くなるかのような不思議な心地がしてくる。

道志二十六夜山 033


 松尾芭蕉がこの地に立ち寄って一句詠んだと言う。

  名月の 夜やさぞかしの 宝池山


 宝地山とはこの近くにある正蓮寺の山号だそうだ。
 新緑と小鳥の声に囲まれた露天風呂に浸かれば、芭蕉ならずとも一句詠みたくなる極楽気分。
 
 名月を 待たず楽しむ けふの山  


● 本:『親を寝たきりにさせない介護術』(腰塚裕著、幻冬舎)

 最近知ってショックだったことに「介護保険法第四条」がある。

(国民の努力及び義務)
第四条  国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする。
2  国民は、共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。

 介護職のクセして介護保険法に目を通したことがなかったのは迂闊というか怠慢であった。ヘルパー2級の資格を取るのに介護保険法の知識は必要なかったのである。
 介護福祉士ならば、国家試験があるから目を通しておかなければならないだろうけれど、ヘルパー2級は講習と実習さえ受ければ誰でも取得できるし、講習の中に介護保険法の条文を読むなどというコマもなかった。
 だが、この介護保険法に則って日本の介護保険制度は動いていて、施設や居宅で多くの老人介護が行われていて、国民から徴収した介護保険料から我々介護職員の給料は支払われているのだから、介護保険法を知らないのは介護職として恥ずかしい。日本国憲法を読んだことのない国会議員みたいなものである。(いそうだな)

 四条の何がショックだったかというと、介護保険を使う以上はリハビリすることが国民の義務とうたっていることである。年齢に関係なく、いくつになってもリハビリし続けなければならないのである。「しんどいからやりたくない」「このまま寝たきりになってもいいから早くお陀仏したい」「多少動けるようになったところで自宅に戻れるわけでなし、ホームから出られるわけでなし。何のためにリハビリするのか」「もう堪忍して」・・・・というような老人のワガママは許されないのである。介護職員はそんなワガママを許してはいけないのである。使えるところが残っているうちは使い回される紙ヤスリのように、老人は最期の最期まで頑張らなければならない。
 もちろん、排泄や食事など人の手を借りるよりは自分でできたほうが良い。そのためにもリハビリは重要である。介護保険法1条にあるように、介護を必要とする者の「尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」支援することが老人介護の基本理念である。そのことに別段文句はない。
 しかし、何か引っかかる。
 なんだろう?

神さまと神社 002 本書は、整形外科医にしてリハビリテーションの専門家である著者が、高齢者のリハビリの重要性、とりわけ著者の開拓分野である訪問リハビリテーションの重要性について、縷々として述べている。
 理屈は納得する。「親を寝たきりにさせない」という思いは当然自分にもある。
 著者は言う。

 人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むことでしょう。たとえ病気になり介護が必要となった場合でも、個人として尊重されたいという思いは変わりません。
 こうした思いに家族として応えるためには、人間としての尊厳を保ったまま生活ができる環境をつくること、そして本人の人生を自分で決め、それが尊重されることが必要だと考えます。

 まったく一分の隙もない。立派だ。文句はない。
 だが・・・。

 他人の世話になることは「人間としての尊厳」を破壊するのだろうか。寝たきりになったら、他人にシモの世話を受けるようになったら、もうそこに尊厳はないのか。
 また、「本人の人生を自分で決め、それが尊重されることが必要」と言うが、本人が「リハビリなんかしたくない。自然にまかせて死にたい」と自己決定したらどうするのだろう? 介護保険はそれを尊重してくれるのか?
 リハビリを国民の義務とすることは、人の老い方・死に方を一つの尺度におさめるような、「良い老人とは一所懸命リハビリする老人です」とでも標語にするみたいな、何か不自由な感じがある。
 「老」「死」さえも国家管理を受けるのか。

 著者に別段文句はない。
 やっている仕事は立派である。書いていることももっともである。
 本書を読んでいて感じる「違和感」はだから本質的に自分の「ひねくれた」ものの見方のせいなのだろう。

 違和感の核はどこにあるのか。
 問いかけてみたら答えが出た
 
 どうやって生きるのか、どうやって死ぬのか、それすらわからないままに、ただただ健康に、なるたけ他人に迷惑をかけずに長生きすればよい、という無責任な考え方にあるのだ。死生観のないままにダラダラと生き続けさせて、その空虚を「その人らしく」「尊厳をもって」という、うわべは立派だが中味は曖昧模糊とした言葉でごまかしている社会の詐称に不快するのだ。
 これはリハビリだけでなく終末期医療にも通じることである。

 本書の最終章のタイトルはこうである。
「尊厳をもって老いさせるために」
 やっぱり不快だ。

● 本:『神さまと神社――日本人なら知っておきたい八百万の世界』(井上宏生著、祥伝社)

神さまと神社 001 著者の井上宏生(ひろお)は伊勢にある皇學館大学を中退後、マスコミの世界に身を置き、現在はノンフィクション作家として『日本人はなぜカレーライスが好きか』などの著書を出している。
 本書によれば、皇學館大學は東京の国士舘大学と並ぶ神主養成機関であり、「伊勢神宮や明治神宮など大規模な神社の神主のほとんどは、この2つの大学の出身者」だそうである。神社の跡継ぎでもなく神主を目指していたわけでもなさそうな著者がなぜ皇學館大學に籍を置いていたかは明らかでないが、学生時代の3年間を神宮のある伊勢の地で過ごしたことが神々のことを考えるきっかけとなり、後年この書に結びついたという。
 その意味で、神主でも学者でも政治家でも思想家でもない者が書いた神道に関する本として、読みやすく面白いものとなっている。国粋主義者がやるように神道及び日本人を過剰に持ち上げるでもなく、大政翼賛という誤った道を突き進む梃子として使われた(国家)神道を糾弾するでもなく、一定の距離を置いて「ありのまま」の神さまと神社を描いているところが好感持てる。

 知っているようで知らない神道であるが、この本を読んで「へえ~」と思ったことを挙げる。

1. 神の世界にも「神階」があった
 神社に格があるのは知っていた。
 たとえば、一番格の高い神社はアマテラスオオミカミを祀る伊勢神宮である。三種の神器のうち草薙の剣を擁す熱田神宮や、国譲りの功績を持つ出雲大社も格が高い。この格の高さは一般に、国家への忠誠や功績の度合い及び祀られている神様の格に対応する。
 が、神様にも冠位十二階のような「神階」があったとは知らなかった。

 人の世界の律令制のもとでは諸王や廷臣たちに位階を与えていたし、その最高ランクは「正一位」と呼ばれていた。以下、正二位、正三位と下がっていくが、それぞれの「正位」の下には「従位」がつく。正一位の下には従一位となり、正二位が次にきて、その下に従二位が控えており・・・・・。
 神々の世界にもこの人の世界の位階が応用されたのだった。
 
 周知の通り、久能山東照宮には江戸幕府を開いた徳川家康が祀られている。当然、弱い立場の朝廷は家康を冷遇するわけにはいかない。そこで1617年(元和3)、後水尾天皇の勅使、万里小路孝房らが久能山を訪ね、家康に「東照大権現」の神号を贈り、正一位の神階を授けている。現世の力と名声が、神々の世界でも最高位の神階を獲得したのである。

 神の世界でも殿上人となるには最低でも五位が必要だったのだろうか。


2. 神様には神紋がある

 神様の世界にも家紋ならぬ神紋がある。 

 家紋の起源は平安時代にさかのぼり、公家が牛車に自分の目印をつけたことにはじまり、やがて衣服や旗にもつけられ、家の紋章となっていった。武家社会ではそれが不可欠のものとなっていく。戦地で敵と味方とを区別する目印が必要だったからだ。のち、それらの紋章は子孫に踏襲され、一族を象徴する家紋として定着していったのである。
 これに対して、神紋の起源はあきらかではないが、神々の世界がヒトの世界の反映だとすれば、神殿にもヒトとおなじ紋章が必要だと考えたのかもしれない。・・・・・
 ヒトの世界の家紋は動植物や文字などでつくられたが、神々の紋章は祭神にまつわる伝承やゆかりの植物、あるいは家紋から転用された紋章が多い。

梅鉢 有名な神紋では大宰府天満宮の「梅鉢」がある。
 ここの祭神である菅原道真が梅をことのほか愛したからである。


 東風吹かば 匂いおこせよ梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ



3. 明治神宮と日光東照宮は神社本庁に所属してない

 日本にある神社の総元締めは、精神的(霊的?)には伊勢神宮であるが、体系的には代々木にある神社本庁である。日本にある約7万9千の神社を束ねており、傘下の神社のために年金などの福利厚生の業務や神主の認定などを行っている。その目的は「包括下の神社の管理と指導を中心に、伝統を重んじて祭祀の振興や道義の高揚をはかり、祖国日本の繁栄を祈念し、世界の繁栄を実現する」ことにある。
 だが、戦前・戦中の国家統制を離れた今は民間の宗教団体であるので、各神社はそこに参加する義務はない。
 明治神宮と日光東照宮は神社本庁を脱会したのだそうだ。
 観光や事業収入(明治神宮は神宮球場や絵画館や国立競技場を所有している)などで単独で稼げる神社にしてみれば、本庁の下にいて様々なしがらみを受けるのは鬱陶しいということだろう。
 人間的な判断である。


 ところで、日本人の宗教を考えるとき、神道、仏教、儒教の三つが重要であるのは言うまでもない。
 この三つが互いに影響しあい、それぞれに変貌し、絡まりあい、重なり合い、くっついたり離れたりしながら、日本人の宗教基盤をつくってきた。三つ巴というべきか。
 この三つ巴状態を読み解くのはなかなか困難である。
 なにより、三つの宗教のそれぞれが、時の流れとともに、日本の風土や国民性や統治者の都合によって変容してしまって、もともとの姿をとどめていないからである。
 神道は明治時代の国家神道によって大きく変貌した。大方の日本人は、いまだに神道に右翼的なものを感ぜざるをえないだろう。
 また、儒教も神道に色をつけた。 

 伊勢神道から発展したのが江戸中期の「度会(わたらい)神道」である。
 その提唱者は外宮の神主、度会延佳だった、伊勢神道では儒教や仏教は日本の神々に従うとされたが、延佳は日本の神々と儒教を合体させ、儒教でいう君臣、親子、朋友といった道こそが日本の神々にふさわしい道だと説いたのだった。

 もともと神々の世界には教義は存在しなかった。それが渡来の神々にも寛容だった理由だったし、逆に、求心力という点では弱点だった。仏教の脇役に甘んじできたのもそのためだった。そこで神々の側にいた人びとは強力な援軍を探しはじめ、それが君臣の道や徳を説く儒教だった。儒教の論理が日本の神々の世界を補強してくれたのである。

 一方、仏教は仏教で、日本に伝わった最初の時点で、いやインドから中国大陸に伝わった時点で、元来の仏陀の教えとは異なるものになっていた。それが大乗仏教である。日本で仏教の中心思想をなす阿弥陀信仰とか本覚思想は、本来の仏陀の教えとはまったく異なるものである。それがまた、神仏習合や廃仏毀釈を経て、山岳信仰や密教を孕みながら、なんだかよくわからないものに化してしまった。
 儒教はまた、民法と因習的な家族制度と男尊女卑と体育会の中にしか生き残っていない。
 それら三つの混合である日本の宗教はまったく「わけわからない」。
 唯一神と明文化された根本聖典を擁するイスラム教徒やキリスト教徒からみれば、あるいは小乗仏教の徒からみれば、日本の宗教は「なんでもありのごった煮」のようなものだろう。
 それが悪いというわけではないが・・・。 

 自分が興味あるのは、こうした「ごった煮」以前の日本人の宗教である。天皇中心の国家統制を目して創作された『古事記』や『日本書紀』以前の、仏教伝来以前の、大和朝廷誕生以前の、日本人の宗教がいかなるものであったかである。
 そこには神道の本来の姿があるだろう。
 日本人のアイデンティティの核が窺えることだろう。

 地方を旅しているとふと田圃の真ん中にこんもりとした杜が見えたりする。杜を目指して畦道をすすむと、松や杉の杜は森閑とし、日なかは人の姿も見かけない。その奥まったあたりには必ず小さな神殿が静かにたたずんでいる。伊勢の内宮のような清冽な大気が漂っているわけでも、倭姫宮のような薄闇のなかの厳粛さも感じない。それでも、そこには木々にかこまれたおだやな空間があり、訪れた者を安堵させてくれる。
 そこにいるとき、神々の成り立ちや神々と支配者の関係などは忘れてしまう。祭祀や参拝のあり方も関係がない。ただ、そこにいるだけ妙に心が安らぐのである。そんなとき、「ああ。これが日本の神々の世界かもしれない」、私はふとそう思ったりする。

● よくぞ男に生まれけり 登山:笹尾根(浅間峠~笛吹峠~槙寄山1188m)

●歩いた日  4月14日(日)
●天気     晴
●タイムスケジュール
 8:22 JR五日市線「武蔵五日市駅」発・数馬行バス乗車(西東京バス)
 8:50 上川乗バス停着
 笹尾根20130414 0029:00 歩行開始
10:10 浅間峠
11:05 日原峠
12:15 丸山頂上
12:30 笛吹峠
      昼食休憩(60分)
13:55 数馬峠
      展望休憩(20分)      
14:40 田和峠
15:00 西原峠
      槙寄山頂上
16:10 仲の平バス停
16:15 蛇の湯温泉「たから荘」
      歩行終了
● 所要時間 7時間15分(歩行5時間25分+休憩1時間50分)
● 歩数  約30,000歩

 久しぶりの長丁場。これも日が長くなったおかげである。
 笹尾根は東京(檜原村)と山梨(上野原市)との境界を走っている峠から峠へとたどる山道である。昔の人は、この稜線を越えて交流し嫁取りや物物交換したのだと言う。

 武蔵五日市駅で下りると、数馬行きのバス停には行列ができていた。さすが行楽日和の日曜。もう一台臨時バスが用意されていた。
 「今日の山登りは混雑必死だな」と覚悟したが、上川乗で下りたのはせいぜい15名。ほとんどの人は終点「都民の森」まで行って三頭山に登るらしい。
 ああ、良かった。
 西武秩父線の廃線が話題になっているが、団塊世代の大量退職を受けてこれから登山者がグンと増えるのは間違いない。いっそ「秩父登山列車」と改名して車両も登山仕様に改造してみてはどうだろうか。デパートに客を引き寄せる時代はとうに終わっている。西武秩父線沿いの山々と温泉とを組み込んだハイカーサポート事業を興してはどうだろうか。狙いは団塊世代のつるみたがる習性と豊かなふところである。

笹尾根20130414 003 上川乗バス停付近に広がるのどかな春の田舎の風景をあとに、浅間(せんげん)峠を目指す。グループ客をひとつ追い越したら、あとは先を行く一人の男の後ろ姿しかない。
 やはり、山登りは静かな方がいい。
 
 山路来て なにやらゆかし すみれぐさ (芭蕉)

笹尾根20130414 006


 杉木立が、生まれたての葉っぱも瑞々しい広葉樹林に変わる頃、あずま屋の立つ浅間峠に到着。涼風に汗があっという間に引いていく。
 生藤山、三国山(神奈川県)に向かう道、棡原(山梨県)に向かう道、そして三頭山(東京都)に向かう道。人々の出会いと別れをいつも変わらず浅間様(富士山)が見守ってきたのである。二本の大杉の間に浅間社の小さな祠がある。

笹尾根20130414 008


笹尾根20130414 010


笹尾根20130414 012 日原峠に向かう平坦な山道の木の間から、富士山の白い頂きがぽっかり宙に浮かんでいる。視界の良かった季節は過ぎ去った。
 日原峠の道の真ん中にちょこんと立っている可愛らしいお地蔵さんに会釈して、丸山(1098m)を目指す。ゆるやかな登りが続く。

 いつも山登りに際して頭を悩ます(というほどのことでもないが)のは、どこでランチをとるかである。
 いくつかの条件がある。

  1.展望の良いところ
  2.陽当たりの良いところ(夏なら木陰)
  3.座って弁当を広げられる平らなところ
  4.人の少ない静かなところ
  5.風の強くないところ
  6.最もきつい登りは終わってから(できればあとは下るだけ)

 普通は山頂が一番なのだが、これらの条件すべてが適うことはむしろ少ない。展望の良いところはたいてい人がいっぱいで落ち着かないし、眺めを遮る木々がない分、風をまともにくらって弁当を入れたビニール袋が飛んでいったりとなかなか忙しない。
 また、必ずしも山頂がその山一番のビューポイントとも限らない。条件にそぐわない山頂で妥協してランチを取り休憩したあと、10分ほど下ったところにまさにすべての条件を満たした絶好のランチポイントがあったりすると、「なんだ。もうちょっと待てば良かった」などと思うのである。逆に、頂上目前で「ここはランチに最高の場所だなあ」と思ったところがあっても、「いやいや、やっぱり頂上に着いてからだ。より上にある山頂の方がもっと眺めが良いだろう。」と通過する。で、山頂が木々に囲まれてまったく展望が得られなかったりすると、「あそこで弁当食っておけば良かった」などと後悔する。もちろん、今さら戻るなど考えられない。
笹尾根20130414 041 そんなこんなで、ガイドブック編集者にはその山のランチポイントも掲載してほしいと願うわけである。
 持参したガイドブック『奥多摩奥武蔵日帰り山歩き』(ブルーガイド)では、丸山が大休止に向いていると書いてあったので、そのつもりで目指したのだが、着いてみるとほとんど展望は得られない。いや、山は見えるが木々の間からなので、今ひとつ迫力に欠ける。
「どうしようか」と思っている内に、反対側からやってきた中高年グループ客が弁当を広げだしたので、他を当たることにした。

 笛吹峠(うすしきとうげ、と読む)へと向かう道は、この尾根の名の由来であろうクマザサが繁っていた。昔は尾根全体に生えていたのであろうか。

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 笛吹峠には大日如来を祀る岩があり大日峠とも呼ばれている。大日如来と言えば真言宗である。

 日本では平安時代に浸透した密教において最高仏として位置づけられ、大日信仰が成立した。また、日本では古来から山岳信仰が存在していたが、平安末期の久安年間には駿河国の末代が富士登山を行い、大日如来を富士の本尊とする信仰が創始されたという(『本朝世紀』)。富士における大日信仰はその後、大日如来を富士の神である浅間大神の本地仏である浅間大菩薩とする信仰として発展し、富士信仰において祀られている。(ウィキペディア「大日如来」)

 密教か富士信仰か、どちらだろう?
 山伏も花嫁と共に笹尾根を歩いたのだろうか?

 笛吹峠をすこし登ったところに松林に囲まれた日当たりの良い広いスペースがあった。丸太で作られたベンチもある。甲州から吹く南風は強いが、ここでランチにする。松の向こうに見える権現山の黒々とした長い尾根は、寝ている恐竜の背中のよう。

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 昼寝後に出発。
 スギの植林の織物のような幾何学的な美しさに見とれる。

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 まもなくすると、数馬峠の素晴らしい展望に覚醒する。権現山との間に深い谷間をはさんで南側に広がるは、丹沢、道志、富士山、大菩薩嶺。ベンチもいくつか置かれている。すべての条件をクリアしたランチポイントだ。
「ん~。ここまで待てば良かったかな。」


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 山登りの密かな楽しみ。それは立ちションである。
 便所は少ないので、道中どこかで用を足さなければならない。
 周囲に誰もいないのを確認して、目の前に広がる大パノラマに向かって放尿するのは原始的な気持ちよさを呼び起こす。
 おそらく、ヤマトタケルも弘法大師も国定忠治も夏目漱石も、同じ快感に身をゆだねたことだろう。
 よくぞ男に生まれけり。

 ここから先は、これまでの行程の木々に遮られた展望のもどかしさを払拭するような見事な眺めが続く。田和峠、西原峠、そして笹尾根の最高点である槙寄山。
 数馬へと下る道からは、御前山、大岳山など奥多摩の代表的な山が望めた。


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 数馬は兜造り(かぶとづくり)の家で有名である。
 兜造りは、合掌造りが原型だが、上階を養蚕に利用するために破風を大きくとり妻側の屋根を小さくし、採光、通風を良くした建築様式である。外観が兜に似ていることからこの名がある。築200年以上のものが村内に残っている。
 実用的であると同時に形態も美しい。自然にあった建築だなあと感心する。


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笹尾根20130414 034 仲の平バス停からすぐのところに蛇の湯温泉「たから荘」がある。
 昔傷ついた大蛇が川原の湯で傷を治したのでこの名があるという。
 今回の登山の目的の一つはこのたから荘に来ることであった。
 なぜなら、ここは「日本秘湯を守る会」に選定されている東京で唯一の温泉だからである。この会が出しているガイドブック『日本の秘湯』に載っている温泉は、裏切られることがないパワフルな気を宿している。落ち着いた木の宿の雰囲気も素晴らしい。
笹尾根20130414 040 秘湯を守る会の提灯を確認し、日帰り入浴(1000円)する。
 壁の二面に大きな窓をとった浴室からは、周囲の森林や宿の脇を流れる渓流を見ることができ、露天風呂のような錯覚を起こす。
 「ああ、気持ちいい~」
 湯に浸かるやいなや、腹の底から声が出る。
 まぎれもない良質のお湯。
 体の気を甦らせるマグマの力。
 近くには人気の高い公共施設「檜原温泉センター・数馬の湯」があるが、源泉の近いからだろうか、お湯の力が格段に違う。
 いっきに心と体のコリが吹っ飛んだ。
 次に来る時は宿泊しよう。

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 帰りの武蔵五日駅のコンビニで地場産の山菜わさびを買う。
 メシが旨いぞ、絶対!

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