ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 講演会:『医療と宗教のかかわり~ビハーラの現状と課題~』(講師:田宮仁)

 (財)日本仏教讃仰会主催の仏教セミナーに参加した。

 講師の田宮仁(まさし)氏は、淑徳大学の先生であり、仏教を背景としたターミナル施設の呼称としてそれまで使われていた「仏教ホスピス」という表現に替わって「ビハーラ」という言葉を提唱した人で、1992年には実際に新潟県長岡市に臨床の場としてのビハーラを日本で初めて開設した。いわば我が国のビハーラの生みの親である。

 講演は、まず日本でターミナルケアが重要視されるようになった背景についてから始まった。
・ 生まれる場所、死ぬ場所が、家の畳の上から病院のベッドの上になった。(後者が8割を占める)
・ 死亡原因の1位が、結核→脳血管障害→癌、と変わってきた。特に、働き盛りの世代の癌死が多い。
・ 癌における痛みの問題が浮上してきた。
・ 癌死の増加と共に「ターミナルケア」「ホスピス」という言葉がマスコミに登場するようになった。

 これまで1分1秒でも延命させる(生体反応を持続させる)ことを使命としてきた医療のあり方が問われるようになり、最期をどう看取るのが当人のために良いのかが議論されるようになってきた。同時に、「生きている間はお医者さん、死んだらお坊さん」という医療と宗教の棲み分けが当たり前の現状に疑義が呈されるようになった。

 もともと医療と宗教は分かれていなかった。
 歴史を振り返ると、僧院の役割の一つに、患者とくに末期の患者の看病をし極楽往生できるように取りはからうことがあった。平安時代の源信僧都の著した『往生要集』には、いかにして死ぬか、いかに看取るかを細かく取り決めた臨終行儀というものがあるそうだ。
 また、僧になるための修行の中に医学が組み込まれており、武士が戦地に赴く時は常に陣僧(従軍僧)が同行し、戦いで怪我をした者を治療し死者を看取り弔ったとのことである。
 医療と宗教は、時代を下るにしたがって分業化し専門家していったのである。

 一方、海外では、欧米のキリスト教系のホスピスの例を挙げるまでもなく、人の死に逝く場所には宗教者の存在が欠かせない。この世の罪を懺悔し天国に行くことを望むには死んでからでは遅いのである。
 自分が数年前にエイズの調査でイギリスの公立病院を見学した時、エイズ患者をケアするスタッフチームの中に、医師や看護師や栄養士や薬剤師やカウンセラーと並んでチャプレン(牧師)が入っているのを知ってびっくりしたことがある。
 同じアジアに目を向けると、韓国や台湾の国立病院の中には仏間があり、入院患者が好きな時に読経したり祈ったりすることができるそうだ。

 なぜ、日本だけがこんなにも医療と宗教とが分離してしまったのだろうか。
 なぜ、病院に僧侶がいると「縁起でもない」と忌避され、僧侶の仕事は死んだあとからになってしまったのか。
 田宮氏はこう言う。 

太平洋戦争で多数の死を経験したことにより、日本人の中に「死」に対する忌避感が形成されていったのではないか。
 
 これは戦後生まれの自分には思ってもみなかった見解であった。
 確かに、物心つく頃から周囲の大人達はじめ日本の社会全体が「死」を忌避し、語りたがらず、日常的に見えないものにしていく傾向は感じていた。だが、それは「明るく、前向きで、合理的で、欲望に肯定的であること」をモットーとするアメリカ文化(及び資本主義)の影響のためかと思っていた。
 昭和30年代の高度経済成長と足並みを揃えるように、畳の上から病院のベッドでの死へ、家の仏間やお寺から専用の斎場での告別式に、近所の墓地での土葬から郊外の火葬場へ。「死」は日常から隠され、日本人が持っていた「死の文化」が消失していった。
 自分はそういう傾向にどちらかと言えば奇異なものを感じていた。誰の人生にも100%やってくることが確実な「死」について、なぜそんなに向き合うことを避けるのかが若い頃からの不可解であった。大学生の頃、最初に行った海外旅行がインドであるのも、ベナレスの河岸でいわゆる‘不可触民’の男が死体を焼くのを飽かず眺めていたのも、人が生きる上で最も大切な2つのものをタブー視する日本社会の軽薄さに解せぬものを抱いていたからである。
 2つのタブーとは、一つはもちろん「死」、もう一つは「性」である。(このタブーに対する反骨が後年エイズのボランティアにつながった。)


 田宮氏は、戦後日本人がこのように「死」をタブー視し向き合おうとしない風潮に渇を入れたのは、ほかならぬ昭和天皇であったと言う。
 これも卓見である。
 1989年の正月、すべての日本人は、政府の都合で植物人間として生かされつづける昭和天皇を哀れに思い、ターミナルケアのあり方について問いを突きつけられたのであった。

 「死」に対する忌避観の形成は、宗教心の欠落を意味している。
 古来から日本人の宗教基盤は、神道(神社)と仏教(お寺)の二大柱であったことは今さら言うまでもないが、戦後このどちらも日本人の心を御することができなくなった。
 神道はそれこそ戦前・戦中の天皇を神とする国家神道が、敗戦と同時に崩壊したことで大きなダメージを食らってしまった。仏教は、金儲けや権威主義に走る仏教者の堕落で信を失ってしまった。
 その上に、現代日本人は、オウム真理教やら統一教会やらの影響で、宗教そのものに対するイメージが良ろしくない。
 また、西欧の近代合理主義や近代科学を小さな頃から学んでいるので、「神」や「天国」や「輪廻転生」など存在を証明できないものに対しては、はなから近寄らない。
 かくして、宗教心のない日本人があまた誕生している。

 これは、しかし、たいへんな悲劇である。
 宗教心とは、人の生き方の問題であり、死に方の問題であるからだ。
 それが「無い」人は、生きるための指針を持たず、その場その場の欲望に突き動かされて生きることになるし、老いや病や死に際してどう臨んだらよいかが全く分からないということになる。何かを「獲得すること」をのみ目的に生きてきた人ほど、つらい晩年が待っていることになる。老いも病も死も「喪失すること」にほかならないからである。
 超高齢化社会を迎える我が国の、最大の問題がここに立ちはだかっている。

 ビハーラは、その一つの解決策になるであろうか。


 「ビハーラ(VIHARA)」という言葉はサンスクリット語で「休養の場所、気晴らしすること、僧院または寺院」を意味する。

 田宮氏は「ビハーラ」の理念として次の3つを掲げる。
 

1. 限りある生命の、その限りの短さを知らされた人が、静かに自身を見つめ、また見守られる場である。
2. 利用者本人の願いを軸に、看取りと医療が行われる場である。そのために、十分な医療行為が可能な医療機関に直結している必要がある。
3. 願われた生命の尊さに気づかされた人々が集う、仏教を基礎とした小さな共同体である。(ただし、利用者本人やその家族がいかなる信仰をもたれていても自由である)

 要は、個人が仏教を基盤として「老・病・死」と向き合う場であり、そういう人たちが集う場であり、そういう人たちをサポートする場である。
 

 また、一つの基本姿勢を掲げている。

「超宗派の活動である。一宗一派の教義に偏ったものでない。」

 この理念と基本姿勢に基づいて、1992年の5月から新潟県の長岡西病院ビハーラ病棟(22床)が開設し、これまでに約2000名の人をそこで見送っている。敷地内には身寄りのない死者のために「無縁墓」ならぬ「有縁墓」がある。

 素晴らしい活動だと思う。
 仏教的空間、すなわち「慈悲」の雰囲気の中で、昔のように、心安らかに最期を迎えられる人が増えれば良いなあと思う。

 ただ、利用者の宗教心と必要性あってのホスピスでありビハーラであるのは言うまでもない。ビハーラを先に作って、「さあ、ここにいらっしゃい」というのは本末転倒であろう。
 その意味では、先に書いたように、日本人の宗教心が今後の動向を決めるのである。

 もっともありそうな可能性として、たとえば、創価学会専用の老人ホームやホスピス、幸福の科学専用の老人ホームやホスピスといったような、同一の固い信仰によって結ばれた信者たちケアする特定の宗教団体や宗派の運営する施設の登場が予想される。同じ信仰を持つ、同じ死生観を持つ仲間と最期の時を深い共感と理解のうちに過ごせるのは、それだけでも幸福であろう。ケアするスタッフ(医師や看護師や介護職など)も同じ信者であれば、患者や利用者の価値観や要望を理解できる良いケアが生まれるはずである。

 すべての人間に襲い来る「老」「病」「死」。
 そこに最初に光を当て、その苦しみからの解放の道を発見したのがブッダであった。ブッダは、『大般涅槃経』の中でターミナルをどう迎えるべきかを自分自身で模範を示している。ブッダが最期に弟子達に言い残した言葉がある。

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい。」


 ビハーラには輝かしい未来がある。



● 栄えある失敗作 映画:『ラバー』(クエンティン・デビュー監督)

 2010年フランス。

 理由もなく意味もなく行く手に立ちふさがるあらゆるものを破壊していく殺人鬼の話なのだが、その正体が車のゴムタイヤ(rubber)であるというところがミソである。

 夕日に照らされながら道なき道を行くゴムタイヤの孤独な心情を描き、携帯電話で話す女子大生をドアの隙間から覗き込むゴムタイヤの抑圧された変態的セクシュアリティを描き、ドライブインのカーテンの背後でシャワーを浴びるゴムタイヤのナルシシズムと人を小馬鹿にした尊大さを描く。伝統的な撮影手法と使い尽くされた演出と過去の様々な映画の名シーンの記憶によって、ゴムタイヤにすら我々は感情や意志を勝手に読んでしまう、読んでしまわざるを得ない。映画の持つ文法は、そのまま映画の「不自由さ」でもあると、観る者は気づかされることになる。
 ご丁寧にもデビュー監督は、そのうえゴムタイヤの「物語」を劇中劇として設定する。ゴムタイヤの一連の行動を遠くから双眼鏡で鑑賞する観客たちを用意し、「物語」そのものを批評させるのである。
 作品そのものが一種の映画批評、物語批評になっているのであるが、この込み入った構造を是ととるか非ととるかで、評価は分かれてこよう。

 フランス人であり、成功したミュージシャンであり、脚本・撮影・音楽・編集・監督を自らこなすデビュー監督は、作家性(芸術志向)が強いのだろう。
 娯楽を提供するよりも、既成の映像表現に対するアンチテーゼを表現したかったのだと思われる。
 この作品を観ていて想起したのは、劇作家ピランデッロの『作者を探す6人の登場人物』であった。虚構の「物語」の登場人物達のふるまいが、現実の人生に作用して、いつの間にか現実を変容させ、虚構と現実の皮膜が破れて立場が入れ替わる。と同時に我々の認識する現実の「慥からしさ」が根底から崩されていく。
 メタフィクションの形式を利用してフィクション(虚構)の欺瞞性を暴き出すといったところか。

 残念ながら、今回はそれが成功しているとは言い難い。
 わざわざ劇中劇にしたことの効果は上がらなかった。実験作にして失敗作というべきだろう。
 しかし、である。
 すべてを破壊していくタイヤの行く先がハリウッドであることを知る時に、デビュー監督の野心の大きさが感得されよう。
 ゴダールの再来と言われる日も近いかもしれない。

 意味のある失敗作だ。

 

評価: C-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 
 
 

● 映画:『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』(イーライ・クレイグ監督)

 2010年カナダ。

 文句なしに面白いホラーコメディ。
 『13日の金曜日』シリーズと『悪魔のいけにえ』(トビー・フーパー監督)を下敷きにした抱腹絶倒の脚本が素晴らしい。絶妙なコンビネーションのタッカー(タイラー・ラビン)とデイル(アラン・テュディック)はじめ、役者たちもそれぞれにキャラが立っていて魅力的。スピード感と諧謔味にあふれた演出も巧い。

 面白いのは、パロディとして始まったものが、いつの間にかパロディを超えて、元ネタとなっているホラー作品に勝るとも劣らない傑作に仕上がっているところ。
 誰もが知っている既存の「物語」(ジェイソンやレーザーフェイスに襲われる湖畔の若者たち)がまずある。むろん、登場する若者たちも観る我々もそれを熟知していることがパロディの前提となる。
 若者たちがキャンプ場へ向かう途上で出会い、その胡散臭さから「勝手に」殺人鬼と勘違いしたタッカーとデイルは、実は単なるお人よしのさえない中年コンビに過ぎなかった。 
 しかし、愚かな若者たちは仲間の一人をコンビに誘拐されたと「勝手に」勘違いし、殺人鬼を自分たちの手で退治しようと意気込むが、ドジと偶然の積み重ねの結果、次から次へとコンビの周りで変死(自業自得の事故死)を遂げていく。仲間の無残な死体を見て恐怖とパニックに陥る若者たち。助けを求めた警察官もコンビの小屋で不慮の(お間抜けな)死を遂げるに及んで、若者たちはもはや絶望に陥るほかない。若者たちにとって、まさに「物語(お約束)」どおりに話は展開していく。

 既存の「物語」に毒された(洗脳された)若者たちが、自ら作り上げた妄想の罠に自ら引っかかって、妄想を現実化していく過程が、バスター・キートンのドタバタ喜劇のようなテンポで進行し、タッカーとデイルのとぼけた田舎者キャラと掛け合い漫才のようなセリフの楽しさとあいまって、愉快この上ない。

 やがて、パロディの底が抜ける。
 コンビの住む小屋を住人もろとも焼き尽くそうと企む若者たちは、またしてもドジを踏んで、自分たちが火の海に取り巻かれ逃げ場を失ってしまう。
 すんでのところで脱出したタッカーとデイルたち。ようやく、残酷な若者たちの理不尽な攻撃から逃げることができたとほっとしたのもつかの間、焼け跡の中から真っ黒く焼けただれた顔面をさらしながら、生き残った一人の青年がゆっくりと立ち上がる。これまで被害者面していた若者が、加害者に(ジェイソンに、レザーフェイスに)変身したのである。観る者は、今や妄想でない「怪物」が生まれる瞬間に立ち会わなければならない。
 このとき、物語は変貌する。
 コメディと思っていたものがホラーになる。パロディと思っていたものが「現実」となる。映画は既存の「物語」も「パロディ」も超えて新しい次元に突入する。B級ホラーコメディと思って、笑いつつ脱力しつつ、油断しながら観ていた我々が、不意打ちされる瞬間である。
 それは、まさしく「物語」を超えたところに生を紡ぐ生き物であるところの「映画」という怪物が生まれる瞬間である。
 あとはただこの作品がパロディであったことなどとうに忘れて、唖然として成り行きを見守るほかない。
 


評価: B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」 
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● すべてはCになる 映画:『カミングアウト・オブ・ザ・デッド』(ケヴィン・ハメダーン監督)

 2009年アメリカ映画。

 原題はZOMBIES OF MASS DESTRUCTION
 訳すと「大量破壊ゾンビ」。
 実際には存在しなかった大量破壊兵器(Weapons of mass destruction)があるとして、2003年イラクに戦争を仕掛けたアメリカ国家を揶揄しているのだろう。今度は、幻の兵器の代わりに、甦った死者をイラク人テロリストがアメリカに仕掛けたわけである。
 カミングアウト・オブ・ゼ・デッド(「死のカミングアウト」)はまったくの邦訳、というか日本の配給会社が作ったオリジナルの英語タイトルなのだと思うが、見事なタイトルの変換である。ゲイの息子が母親に自らのセクシュアリティをカミングアウトするという話の中のエピソードにも合っているし、そのまま直訳すれば「死者が外に出て来る」ともなる。
 優秀邦題賞を与えてもよい。

 はじめてゾンビ映画を観たのは30年以上前のことになる。ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(原題:"Zombie/Dawn of the Dead")である。
 その時の恐ろしさ、気持ち悪さ、不吉さ、後味の悪さを今もありありと覚えている。
 正統的ホラー&スプラッターの走りと言っていいだろう。
 以後、続々とゾンビものは作られていくことになるが、2004年の『ショーン・オブ・ザ・デッド』(エドガー・ライト監督)、2009年の『ゾンビランド』(ルーベン・フライシャー監督)、そしてこの映画に見るように、ゾンビ映画はもはや正統派のホラーとしては成り立たない。恐ろしさも残酷さもある程度極まってしまうと飽きてくるので、お決まりのゾンビの来襲に+アルファが求められてくる。で、+アルファは何かと言えば、ブラックジョークやドタバタ、すなわちコメディ要素ということになる。
 なぜなら、「お決まりの演出=お約束ごと」という世界は、どう転んでもシリアスなものにはなりえないからだ。

 ゾンビ映画に限らず、すべての物語は最終的にはコメディとして終焉するほかない。恋愛ドラマも、家族愛も、エイリアンとの死闘も、SFも、アクションも・・・・。
 なぜなら、人々は遅かれ早かれ「物語」そのものに飽いてくるからである。「物語」を幻想と知って、「物語」の仕組みを見破って、その「お決まりの」罠に気づくようになる。
 しかし、人は「物語」を必要とする心は持ち続ける。
 結局どうなるかと言えば、「メタ物語化」が始まる。つまり、「物語」に巻き込まれないで、それと一定の距離を置いた地点で、「物語」の機構そのものを愉しむ位置に立つのである。
 これが、ユーモア、ブラックジョーク、喜劇の生まれる土壌である。

 シェークスピア(『テンペスト』)もヴェルディ(『フォルスタッフ』)もたくさんの物語を書いた最後の最後に喜劇を持ってきたのは、そういうことなのではないだろうか。

 すべての物語はコメディにつながる。
 すべての人生も。



 この作品中の最高のジョーク。

 ゾンビに囲まれた教会に立てこもる人々に対して、牧師がここぞとばかり説教する。
牧師 「皆の衆よ、心配するでない。我々には史上最強のゾンビがついている。」
人々 「??????」
牧師 「イエス・キリストだ」

人々、拍手。




評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 浪華悲歌ーなにわエレジー(溝口健二監督)

 1936年第一映画。

 1917年生まれの山田五十鈴は、いま95歳である。表舞台からは姿を消したが、どうしているのだろう? 
 自分の世代(40代後半)はテレビ時代劇『必殺』シリーズの三味線弾きのおりくの山田五十鈴が、人を殺める時のあの撥さばきと共に強烈な印象として残っている。舞台は残念ながら見ることがなかった。
 あとは、リバイバル上映で見た黒澤明の『蜘蛛巣城』の城主の奥方役、すなわちマクベス夫人の鬼気迫る演技。能を手本とした緊張をはらんだ緩やかな動きと、目だけで感情を表現する能面のような表情と、黄泉からの声とでも言いたいようなくぐもる声。マクベス夫人の勝ち気と野心と狂気と苦悩をあれほど巧みに演じたのは、おそらく、他にはマリア・カラスくらいであろう。

 ここにいるのは19歳の山田五十鈴である。美貌の新進女優として映画界で花開いたばかり。
 しかるに、十代の乙女に期待するような初々しさや可憐さはない。物語の筋や彼女の役柄(負けん気の強い一途な女)のせいではない。すでに19歳の時点で、山田五十鈴は初心とか清純とかアイドルとは遠い地点にいる。
 これは意外であった。吉永小百合や原節子は言うまでもないが、若尾文子も高峰秀子も田中絹代も大竹しのぶも浅丘ルリ子も松坂慶子も十代の頃は清純で売っていた。実生活がどうであろうと、清純で売れるだけの雰囲気を持っていた。以後、監督や作品との運命的出会いや実生活上の経験を経て、清純派を脱し大人の女優となっていったのである。
 山田五十鈴は十代にしてもう大人の女優の風情を醸している。別の言葉で言えば、すでに役者の顔をしている。
 彼女は日本の映画史上の三大美人女優の一人と言われる。あとの二人は、原節子と入江たか子である。
 が、あまり彼女の美貌について云々言われることがないのは、この役者魂の前では表層的な顔の美醜などを言い立てるのも愚か、という気になってしまうからではなかろうか。
 実際、流行の洋装姿の山田はグレタ・ガルボばりの美貌なのである。

 溝口監督の記念碑的作品でもある。転落していく女を描くというオリジナルテーマの追求は、ここから始まったのであろう。




評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!





 
 

● 介護の仕事1(開始一ヶ月)

 家の近くの老人ホームで働きはじめて一ヶ月が経った。

 この一ヶ月は本当にしんどかった。
 体力的にも精神的にもこれほどしんどい思いは久しくなかった気がする。
 いわゆる3K(つい、たない、けん)と言われる介護の仕事そのものの問題もあるけれど、やはり四十代後半という年齢によるしんどさをつくづく感じた。
 毎日、仕事が終わるとヘトヘトになって帰宅し、風呂を湧かすのさえ億劫に感じるほど。朝起きても疲れは抜けず、頭もすっきりせず、「この仕事、自分には無理」と何度思ったことか・・・。
「少なくとも3日坊主はかっこ悪いよな」
「少なくとも一週間は頑張ろう」
「少なくとも一ヶ月は続けよう」
 そう思いながら自分を鼓舞し、なんとか乗りきった一ヶ月であった。

 我ながら賢かったと思うのは、正職員にならず週4日のアルバイトとして採用してもらったこと。疲れが限界になる頃に休日が入るので、リセットすることができる。これが週5日だったら、絶対にもう辞めているだろう。
 本当に「へたれ」になったものだ。

 一ヶ月時点での気づきを記す。

1. 介護の仕事は覚えることがたくさん。

 基本的な仕事の手順や一日の流れ、物品の配置、同僚スタッフの顔と名前はもちろんだが、なんと言っても、利用者の顔と名前と気質とADL(日常生活動作)と介護上のポイントを頭に叩き込まなければ話にならない
 具体的に言えば、Aさんについて、
○ 食事介助は必要か。誤嚥を防ぐために飲み物にトロミをつける必要があるか。DM(糖尿病)による糖分の摂取制限はないか。食べこぼし防止のエプロンをつける必要あるか。食前・食後薬を出すタイミングはいつか。投薬の仕方は? 嫌いな食べ物はなにか。
○ 口腔ケアに介助はどこまで必要か。義歯をつけているか。
○ 排泄介助はどの程度必要か。立位はどこまで取れるか。パットは何を使っているか。オムツの場合、オムツカバーは何を使っているか。
○ 入浴介助はどの程度必要か。個浴かリフト浴か機械浴か。衣服の着脱の注意点は何か。(脱健着患~健常部から脱ぎ、患部から着る~が基本) 湯上り後に軟膏等の処置はあるか。
○ トランス(移乗)介助はどの程度必要か。ベッドに移乗したあと、ベッド柵はどの位置にセッティングするか。褥瘡や痛みを予防するための体位やクッションの配置はどうするか。
○ どんな話題を好むか。どんな話題がタブーか。どんなこだわりを持っているか。例えば、お茶は熱いのが好き、風呂はぬるめが好き、食席は定位置、お風呂は嫌い、Bさんとは仲が悪い・・・e.t.c.

 こういった利用者についてのデータを頭にインプットしなければならないのであるが、担当フロアだけで30名以上いる。基本の介助テクすらまだ身に付いていないのに、これらも合わせて覚えなければならない。
 一生懸命メモを取り、毎日帰っては読み直し、休みの日にはデータ入力し、記憶を長期記憶に落とそうと努めていたが、情けないくらい「覚えられない」。
 30代なら少なくとも1回言われれば記憶できたことが、2回も3回も同じ間違いをしでかし、そのたび指導者に注意されることになる。注意されるのは腹が立たないが、自分の頭の悪さに腹が立つ。落胆する。
 短期記憶が鈍っている。さっき言われたことをもう忘れている。
 メモリーも小さくなっている。一度にたくさんの情報が注がれると、頭がフリーズしてしまう。結局、パニックするだけで、なにも残らない。
 若年性認知ではないかと、マジ思ってしまう。
 体力的なつらさもあるが、データ処理能力の低下がこたえる。

 自分は学生時代どちらかと言えば優等生であった。この歳になって「できの悪い子」の気持ちを理解するとは、面白いものだ。



2. 介護の仕事は気が抜けない。


 1時間の休憩時間以外は、ずっと気を張りつめていなければならない。
 なぜなら、利用者の中に転倒リスクのある人が多いからだ。自分でまったく歩けず車椅子を使っている人はまだいいが、杖や歩行器を使えば自分でなんとか歩ける人で認知のある人が危ない。自分の歩行能力を自覚していないので、車椅子から立ち上がって一人で歩きだしてしまうからだ。転倒すれば高齢者は骨折しやすい。下手をすると命に関わる。
 また、居室まで車椅子で自力で漕いでいって、車椅子からベッドに自己トランス(移乗)しようとして滑落することもある。そういう人からは目が離せない。
 たとえ、目の前の一人の利用者の排泄ケアなり口腔ケアなりに携わっていようが、全体に気を配り、誰が今どこにいてどういう状態かということを把握してないとならないのである。
 聖徳太子のようなアンテナが必要だ。

3. 介護の仕事は時間に追われる


 シフト入りしてから上がるまで、分刻みでやることがある。
 利用者の一日のスケジュールは決まっているから、それに合わせるようにすべての利用者を介助しなければならない。
 例えば、朝食を終えて、服薬介助して、口腔ケアして、排泄ケアして、居室に連れて行って、ベッドに寝かせて、必要に応じオムツ交換して・・・。全利用者がこの流れを終えて「ホッと一息」と思った頃には、もう10時のお茶の時間がせまっている。寝かせたばかりの利用者を起こしていかなければならない。(気持ちよさそうに眠っている利用者を起こすのは可哀相なのだが、日中熟睡すると夜間に眠れなくなるから仕方ないのだ。) お茶のあとはレクリエーション実施。昼食までの時間に記録をつけて、昼食のあとにはまた口腔ケアから始まる一連の流れが繰り返される。3時のおやつのためにまた起こして、レクリエーション。この流れの中に、各利用者のナースコールに対応しなければならない。「トイレに行きたい」「今日は何曜日か」「いつ家に帰れるのか」「オムツが塗れたので交換してほしい」「コーヒーが飲みたいから食堂に連れて行ってほしい」「頭が痛い」・・・・・等々。
 一日中、フロアを駆けずり回っている感じである。
 今度万歩計をつけてみよう。



4. 介護の仕事は矛盾が多い
 
 利用者の話をじっくり良く聴いて、気持ちを受けとめて、できる限り要望に添うように介護したい、と心ある介護者なら誰もが思う。介護者と利用者とが陽の当たる気持ちよさそうなフロアで笑顔でコミュニケーションしている姿が、介護職の募集広告などによく載っているので、利用者と会話するのが介護の仕事のメインと思ってしまうが、実情はそうではない。
 コミュニケーションの大切さは職員は分かっているし、もっと利用者と話す時間がほしいと思っている人も多いのだが、忙しすぎて一人一人の利用者とじっくり向き合う余裕がない。それに、一人に深く関わりすぎると、全体が見えなくなる危険もある。
 かくして、コールに追われ、忙しくフロアを走り回っている職員達を尻目に、食堂の決まった席で日がな一日、何することもなくボーッと時間を潰している老人達。
 これではボケも進むよな~、と正直思う。
 たとえば、一日30分でもいい。一人一人の利用者と向き合い、当人が一番したい話を丁寧に聞くことができたなら、当人の意識はずいぶんしっかりしてくるだろう。なにより、生き生きしてくるだろう。それが認知の改善やADL向上につながるだろう。
 だが、それができない現実がある。
 問題の一端は、人手不足。自分のところは30名近い利用者を常時2人か3人で見ている。これはどこの施設でも似たようなものだろう。安月給でも休みが満足に取れなくても利用者のためを思ってよく働く、良心的な介護職の自己犠牲によって、どうにか日本の介護は成り立っているのだとつくづく思う。
 もう一つは、利用者の側にある。
 独りでいる自分を支えるスキルを持っていない人が多い。一人で楽しめる趣味もなく、他者とのコミュニケーション能力もなければ(これは男の利用者に多い)、あり余るほどの時間は地獄の苦しみとなろう。
 ここがボケ老人と幼稚園児との違いである。幼稚園児は一人で楽しみを見つけることができる。友達をつくって(つくるという意識もなく)遊ぶことができる。
 逆に言えば、そういう人(一人遊びができない、コミュニケーション能力がない)が認知になりやすいのかもしれない。
 施設にいる間にどんどんボケが進んでいく老人を目の前に見ていると、いったい日本の介護はこれでいいのだろうかと思う。
 いや、日本人の年の取り方はこれでいいのか、と思う。



 とりあえず、自分の第一の使命は、仕事を覚えること、介護技術を身につけること、そして利用者の役に立てる介助ができることである。

 一ヶ月後には、どんな報告ができるだろうか。
 「辞めました~」でないことを祈る。


→「介護の仕事2」http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6355170.htmlに続く。

● イタリアンであるということ 映画:『ディナーラッシュ』(ボブ・ジラルディ監督)

 2001年アメリカ映画。

 有名人御用達、四つ星人気イタリアンレストラン「ジジーノ」で一夜の間に起こる様々な人間模様と事件をテンポ良く描く。

 最後の最後まで物語の着地点が見えないのにぜんぜん飽きることがないのは、レストランの上階(店内)の気取ったセレブたちの描写と、レストランの下階(調理場)の調理人たちの殺気だった仕事ぶりとの対比が面白いのと、下から上へと次々と運び込まれていく豪華絢爛な料理が食欲をそそるからである。

 結末は急転直下訪れる。
 その不意打ち感は気持ちいいし、そこにいたって「イタリアン」であることの意味が深々と感じられる。イタリアはイタリアでも、ミラノでもローマでもベニスでもなく、おそらくナポリかシチリアか。北ではなく南。つまり、復讐という概念が色濃く残る土地。
 そして、ヌーベルキュイジーヌを目指す新進気鋭の料理長ウード(エドアルド・バレリーニ)に対し、父親でありレストランの支配人であるルイス(ダニー・アイエロ)が昔ながらのイタリア家庭料理にこだわり続けることの意味も浮かんでくる。

 料理とは人であり、家庭であり、民族であり、気質(血)である。そこを離れたところに「料理」などない。
 そう言いたい父親は、最後には経営に絡む負の遺産を清算して息子に店を譲る。
 
 典型的なイタリアの父親(パードレ)、ここにあり。


評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 映画:『スペースノヴァ』(トーマス・リー監督)

 2000年アメリカ映画。

 SFスペースサスペンス&アクション。
 CGの出来が良い。宇宙船や船内の装置等のデザインも良い。のっけから出てくる登場人物たちの肉体美と併せて、映像の美しさがこの作品を格調高いものにしている。

 宇宙という広大な舞台背景についだまされてしまうが、実は宇宙船内という密室で起こる人間同士の闘いで、登場人物はたった7人に過ぎない。宇宙人やエイリアンが出てくるわけでも、不時着した惑星での手に汗握るミステリアスな冒険があるわけでもない。 
 それでいて最後まで緊張感と臨場感を切らさずに持っていってしまう監督の力量は評価に値しよう。
 同じ低予算制作でも『恐竜の惑星』とはケタ違いである。(→ブログ記事参照http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6221010.html )

 秘密の一つは、全編に漂うエロティックな香りにあると思われる。
 特に激しい性愛描写やお色気たっぷりの悩殺ショットがあるわけではないが、隊員たちの宇宙船外での無重力状態における気持ちよさそうなセックス描写に象徴されるように、観る者の秘められた欲望を喚起するシーンやシチュエーションが随所に織り込まれている。
 その最たるものが、物語を動かす核となる、無人惑星から発掘され発掘隊の生き残りトロイによって宇宙船に持ち込まれた9次元の物体である。
 この物体に3次元の肉体が触れると、巨大なエネルギーが充電され、全身の細胞が活性化し、気力・体力が驚異的に増強、外見が若くなる。
 いわば、不老不死の薬。
 この物体を独り占めし、地球に持ち帰り、宇宙の支配をもくろむ悪漢トロイと、それを防ごうとする副操縦士ニック(ジェームス・スペイダー)と医師カエラ(アンジェラ・バセット)らとの熾烈な闘いがクライマックスを形作る。

 最終的に、ニックはトロイをやっつける。
 9次元の物体は惑星の近くでトロイを巻き込みスーパーノヴァ(爆発)を起こす。ニックとカエラはワープによって危ういところで爆風を避けて地球への帰路に着く。
 めでたしめでたし。

 ・・・・・ではない。

 何十光年と離れたところで起きたスーパーノヴァの影響が太陽系に現れるまで50数年。9次元空間の広がりは3次元世界を飲み込んでしまう。
 つまり、地球を含む太陽系は50数年後に消滅する。
 それを避けることはニックにはできなかったのである。
 トロイをやっつけようがやっつけまいが、地球は破滅する。せいぜいニックとカエラが生きている間だけ維持されるに過ぎない。
 一つだけ残ったカプセルに一緒に入ってワープした二人の間には、新たな生命(赤ちゃん)が宿る。一見ハッピーな結末で終わるけれど、この子供は50数年後に消滅する地上に生きていかなければならない。地球から脱出して宇宙のどの地点にいようとも3次元生命体はもはや生きられない。
 つまり、ニックとトロイの対決の意味は、人類が50数年の生存の猶予を得たというに過ぎないのである。

 滅亡することが運命づけられ、それを自覚した人類がどう生きるのか。
 そこからがむしろ話としては面白いだろう。
 それはまた、死ぬことを運命づけられ、それを自覚した一人一人の人間がどう生きるのか、という問いかけでもある。


評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 新ジャンル提案! 映画:『ジュラシック・プラネット~恐竜の惑星』(ゲーリー・ジョーンズ監督)

 2006年アメリカ。

 21世紀後半、未知の惑星からのSOSを受信した精鋭部隊と科学者の一行は、何者かを救出するために惑星に降り立った。
 なんとそこにはロビン・フッドでも現れてきそうな中世ヨーロッパの街並みが広がっていた。不審に思う一行の姿を物陰から虎視眈々と狙うのは、残忍な恐竜たちの目。
 
 SF+アクション+アドベンチャー+サスペンス+スプラッタ=コメディ
という不思議な等式が成り立っている作品である。
 これでもかこれでもかと続く、B級いやC級攻撃にリモコンのSTOPボタンを押す手も麻痺してしまい、結局最後まで見せられてしまう。
 同じノリは、水野晴郎の『シベリア超特急』シリーズで経験したことがある。
 一言で言って「ちゃち!」
 だけど、「ちゃち」が相乗されると、「つっこみ」どころ満載という、別の意味での楽しさが生まれてくるのである。

・ 低予算の苦肉の策であることが見え見えの中世の街のセット
・ アンジェリナ・ジョリーとキャメロン・ディアスを足して2で割って紙ヤスリをかけたようなヒロイン
・ 人形劇に出てくるような恐竜たちの動き
・ バルタン星人のような惑星の先住民。なぜか突然現れて、突然死ぬ。
・ 縁日の射的と見まがう迫り来る恐竜たちへの銃撃戦
・ コルク栓のようにポンポンと抜ける隊員達の首 

 
 『シベ超』やこの作品のような類には、作品を紹介する時のために新しいジャンル名が必要だと思う。

 「張りぼて映画」というのはどうだろう?

 このレベルのままに続編を望みたい。

 猛禽1 
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 猛禽2
遂に恐竜たちに囲い込まれた生き残りの隊員たち



評価: C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

  
 
 

 

● 田中絹代と市原悦子の共通項 映画:『お遊さま』(溝口健二監督)

 1951年大映。

 見るべきは田中絹代の気品ある姉様ぶりと、宮川一夫のカメラ。どちらも際立った瑞々しさと風格がある。この二人は日本映画の至宝として、あまたの名匠や名優を措いても「いの一番」に殿堂入りすべき二人であろう。

 それにしても、飛びぬけて美人でも華があるでもない田中絹代がなぜこうも存在感があるのだろう。
 美しさという点では、映画の中の妹・お静役の音羽信子の方が「べっぴん」だろう。だが、観る者は劇中の慎之助(堀雄二)同様、お静よりも後家である姉のお遊(田中絹代)に惹きつけられる。
 もちろん、田中の演技の巧さがある。宮川のカメラマジックも預かって力ある。

 観る者を惹きつけて止まないのは、実は田中絹代の喋りにあるのではないだろうか。
 あの余分な力がいっさい入っていない自然な(自然のように聞こえる)なだらかな口調と、声音に含まれる郷愁をそそるような深い滋味ある響きこそ、彼女の魅力の秘密にして武器ではなかろうか。同じタイプの女優を挙げるなら・・・そう、市原悦子である。
 市原が『まんが日本昔話』のナレーターとしてその真価を示したように、田中の語り口もまたどこか昔話の語り部のような響きがある。それは、観る者(聴く者)を母親の膝で物語を聞いた幼子の昔に戻す。幾重の時代も受け継がれてきた日本の庶民の哀しみと貧しさと大らかさを耳朶に甦らせる。
 その快楽に惹きつけられない者があろうか。
 幼くして母親を亡くした慎之助が惹かれるのも無理はない。

 我々は映画の中の役者を見るときに、どうしても視覚的魅力にこだわってしまうけれど、サイレント映画でない以上、聴覚的魅力というものも実は馬鹿にならない。気がつかないだけで、役者の魅力の半分は占めているのである。
 いやいや、映画の中だけではない。日常生活においても、自分で思っている以上に、声の魅力、口調の魅力、話し方の魅力に我々は影響されているはずである。
 
 史書によると、クレオパトラは確かに美女であった。けれど、周囲の男たちの心をとらえたのは、彼女のまろやかな話し声と、人の話を楽しそうに聞いてくれるその笑顔であったという。

 田中絹代や市原悦子はまさに「声美人」なのである。




評価: B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


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