ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 本:『ドキュメント 単独行遭難』(羽根田治著、山と渓谷社)

単独行遭難 2012年発行。

 山登りは基本独りで行く。単独行である。
 その理由は、

1. 自分のペースで歩ける。
 ゆっくり歩くも急いで歩くも自由。
 好きな時に好きなだけ休憩できる。
 興味が惹かれた場所や物があれば寄り道できる。
 弁当を開く場所も好きに選べる。
2. 気を使わなくて済む。
 疲れている時に話しかけられるのはうざったい。
 同行者に気を使う分、周囲の景色に気が行かなくなるのはもったいない。
3. 独りでじっくりと自然を味わうことができる。
 「自分」をできるだけ無くして自然との一体化を感じたい。
 気兼ねせず瞑想ができる。
4. 気軽に行ける。
 思い立ったらリュックの準備をしてサッと列車に飛び乗れる。


 単純に言えば「ストレスがない」
 日常のストレスを解消したくて行く山登りで、ストレスを感じるのはアホらしい話である。だから、単独行になる。
 もっとも、独りで登ることがストレスになる人もいるだろう。知り合いに独りで店に入って食事することができないという男がいる。
 やっぱり「孤独が好き」なのである。

 だが、単独行の魅力は遭難のリスクと裏腹である。
 この本によれば、2011年の山岳での遭難者は2204名、死者・行方不明者は275名、うち単独行での遭難者は761名(34.5%)、死者・行方不明者154名(56%)である。遭難者の3人に1人、死者・行方不明者の半分以上が単独行である。当然、単独行でない者(パーティー)の方が母数として圧倒的に多いわけだから、単独行の遭難しやすさ・遭難した場合の死亡率は相当に高いと言えるだろう。
 テレビなどでニュースになる遭難事故はパーティーのものが多いので、「パーティーでも危ないのは同じじゃん」とつい思ってしまうけれど、単独行遭難は地味なのでニュースにならないだけなのだろう。

 この本では単独行で遭難した7人の事例が紹介されている。みな最終的には救助され無事に生還したからこそ、こうして体験をドキュメントとして読めるのである。運が良かった人たちである。
 道を誤った、道に迷った、滑落して負傷し歩けなくなった、降雪で下山予定が大幅に遅れた、熱中症になった、コースタイムを勘違いした、などいろいろな遭難理由が上げられているが、恐いなと思ったのは、彼らが遭難した山が決して人があまり登らないような、険しい、難しい、けもの道を踏むような山ではなく、コースがきちんと整備され山歩きのガイドブックにも載っているような人気の高い山であることだ。尾瀬ヶ原、両神山(秩父)、白山、奥穂高、羅臼岳(北海道)・・・。山をあなどってはいけないとつくづく思う。
 滑落による負傷も熱中症も道迷いも、単独行でなくとも起こることではあるが、連れがいるなら何とかなる。介抱してもらえる。健康な者が一足早く下って救助を呼ぶこともできる。道に迷えば独りだと焦ってしまい、墓穴を掘るような行動を重ねてしまうこともあるが、冷静な連れがいればそれは避けられる。遭難しても心強い。
 折れた足をひきずりながら十四日間も山の中をさまよったケースが出てくる。それはそれで本人の強靱な生命力と家族や捜索隊の粘りには感心するけれど、きっかけは正規のルートでのほんのちょっとした足の滑りである。日数がかかったのは、本人が事前に登山届けを出していなかったため、どこの何という山か特定できなかったのである。

 家族や職場や友人を心配させて、救助隊のお世話になり、方々に迷惑をかけたというのに、遭難し生還した7名が「これからも単独行を続ける」と言っているのが、あきれかえる。・・・と続けるべきところだろうが、「共感できる」。
 やはり、山登りは一度良さを味わうとなかなか止められないし、単独行は言わば人生のスタイルなのでそうそう変えられないのである。
 ならば、単独行のリスクを自覚して、それなりの予防をしておくことが重要である。命や健康のことばかりではない。いったん救助隊が出動され、ヘリコプターによる探索が行われると、一日何百万円という経費がかかるのである。

 これまで運良く自分はそれほど危ない目に遭ってこなかった。せいぜい山道で転んで泥だらけになったり、滑落して膝を痛めたりしたくらいで、歩けなくなったことや山の中で夜を迎えなければならなくなったことはない。
 でも、もう若くはない。油断は禁物だろう。
 先日、死亡の場合1000万円、遭難救助の場合500万円、他人を負傷させた場合1億円までの山岳保険に入った。
 むろん、使わないに越したことはない。
 今までは誰にも言わずに山に出かけることが多かったが、できるだけ登山届を残すことにしよう。それと携帯電話と充電器は忘れないことだ。
 
 図書館でたまたまこの本が目についたのも何かの虫の知らせなのかもしれない。
  

● 橋下知事の出自 映画:『人間みな兄弟 部落差別の記録』(亀井文夫監督)

 1960年日本映画。

 部落問題を描いたドキュメンタリー映画としてはもっとも早い時期に作られたものである。
 制作にあたっては部落解放同盟、全国同和教育研究協議会(現・全国人権教育研究協議会)ら当事者団体の協力を得ている。したがって、『破戒』や『橋のない川』などの文芸作品の映画化とは違い、当事者が関わってお墨付きを与えた「正しく」描かれた部落の姿および部落問題と、一応は言えるのかもしれない。
 古い映画であり、部落問題以外のところで人権的にも学問的にも現在の感覚からすれば不適切な表現が見られるので、テレビはもとより一般の映画館で上映されるわけもなくTUTAYAに置いてあるわけもない。
 上映された会場は浅草にある東京都人権プラザ、主催は東京都人権啓発センターである。上映終了後に静岡大学で部落問題を研究している黒川みどり氏の講演があった。

 上映時間は60分、モノクロである。

 部落の置かれている場所(崖の上や川べりなど人が住むのに適さない場所にあることが多い)についての言及から始まって、衣食住、路地の風景、生業、具体的な差別事例、不就学児童、信仰(浄土真宗の信徒が多い)、生活の中の楽しみなど、部落の人々の暮らしぶりが赤裸々に描かれてゆく。
 また、部落差別をいわゆる江戸時代の「士農工商穢多非人」の身分制度由来という歴史的経緯から説明するだけでなく、「近代になっても差別はなくなるどころか、むしろそれは政治にとって必要なものとして維持されており。今も一部ではつくられつつある」という認識のもと、社会構造的な見方を提示している。(江戸時代起源説は今否定されているらしいが。)
 責善教育(いわゆる同和教育)の推進によって新しい世代では部落外の人々との融和がはかられつつあるという希望も描き、部落問題を「みじめさ、悲惨さ、暗さ、恐ろしさ、絶望」といったマイナスイメージだけで語る陥穽から免れている。


 まず、全編を通じて印象づけられるのは、部落の貧しさである。
 60年代初頭の日本はまだ貧しかった。「ウサギ小屋」に家族が身を寄せ合って、隣近所と醤油やお米の貸し借りしながら、継ぎのあたったお古を着て、節約第一に暮らしている民は多かっただろう。
 それでもここで描かれている部落の貧しさに比すべくもない。
 普通なら雑巾にすらしないだろうボロボロの薄汚れた肌着が、何十枚と洗濯されて「幸福の黄色いハンカチ」よろしく紐にくくられて家の外に干してあるシーンがある。その光景は、言葉による説明をどんなにたくさん差し出されるよりも、一瞬にして部落の貧しさを観る者に知らしめる。まさに映像の持つ力である。子供の頃の自分の家も貧乏だったと思うけれど、干してあるあの肌着の中のもっともましな、もっとも汚れの少ないものでさえ、子供の頃に着せられた覚えがない。
 部落外の庶民の貧しさと部落民の貧しさを分かつもっとも大きなものは、部落民は職業選択ができなかったところにある。実入りの安定した仕事は部落民には閉ざされていた。どんなに勉強して良い成績を取ろうが就職の段階ではじかれてしまう。漁村でも漁の仲間に入れてもらえず、農村でも畑が持てない。だから、昔ながらの賤業と呼ばれる実入りの悪い仕事を続けるか、下請けの下請けの下請けのような不安定な安賃金の仕事をして糊口をしのぐほかなかったのである。
 職業が自由に選べさえしたら、安定した雇用が得られさえしたら、持って生まれた自分の能力が発揮できさえすれば、収入を得て貧困から抜けられる。そうやって、部落外の日本人は戦後の貧困から抜け出していった。部落民はそれが許されなかったゆえに貧乏のままに置かれ続けていた。そこから抜けて一発逆転する道は、芸能かスポーツの分野で成功するか、裏社会に連なることくらいしかなかったであろう。

 この映画が上映された1960年は、同和対策審議会が設置された年でもある。これによって部落をめぐる環境は大きく変貌していく。同和対策事業に莫大な予算がつけられ、道路や住宅が整備され、貧困や就職差別を無くすためのいろいろな策が取られ、生活状態全般の改善がはかられた。教育水準も上がった。明らかに差別も減った。この映画に出てくるような劣悪の環境に置かれた悲惨な部落は、今や見つけるのが難しいだろう。その意味でこの映画は歴史的証言としての価値がある。
 一方で、当時の部落問題で指摘されていることが、2012年現在の労働問題・貧困問題にそのままつながる。亀井監督の発言にこうある。
「有力な会社が部落の人々を差別して就職させない事情は、驚くほどである。(中略)会社側に言わせると、部落の人々は労務管理上やっかいな問題を起こしやすいから使わないのだそうだが、実際は一般労働者の低賃金制の土台として、部落のぼう大な失業者ないし無業者群を温存しておく方が、より有利な結果になっている。」
 この「部落の人々」という言葉を「派遣労働者」「フリーター」などと変換すれば、そのまま現在の労働事情にあてはまる。


 半世紀前に作られたこの映画を見て、貧しさと同時に強く感じたことがもう一つある。
 それは部落の人々がもつバイタリティ、生きる力、生きる知恵である。それを部落民全体に一般化してしまうのはまたしても「ステレオタイプ」という偏見を作ってしまう危険はあるのだが、日本人がここ数十年で失ってしまったこれらのものを映画に登場する人々から感じとるのはさして難しくない。
 近隣の工場から捨てられて部落を通る川を流れてくるハンダのくずを、川に入ってざるで漉して拾い集める少年の話が出てくる。集めたハンダくずを火で溶かして型に流し込んでふたたび棒状に鋳造し、それを必要とする同じ部落内の職人に売るのである。ナレーションが入る。
 「部落ではどんなことでも仕事(金)にしてしまう。」
 こうしたしぶとさ、生き抜くための知恵と工夫のようなものが、日本人とくに戦後生まれには欠けている。お仕着せのもの、出来合いのものあふれる中で、何不自由なく育った人間の創造力の弱さ、バイタリティの乏しさ。
 部落の人々はある意味「開き直った」ところに生きている。これ以下のどん底はないのだ。カッコつけたり見栄を張ったりする余裕も必要もない。ギリギリのところで生きている人間が放つ逞しさ、なりふりかまわず生きるパワーこそ、今の日本に必要なものかもしれない。


 ところで、この映画の筋書きは『製作趣意書』の中で前もって提示されていた。
 閉ざされた就職の門、はばまれた恋愛・結婚、部落はつくられた、分裂政策、ニコヨン(日雇い仕事のこと)、行商、不就学児童、寺の勢力・・・等々。
 この筋書きは、その数年前(1957年)に『週刊朝日』で掲載された「部落を開放せよー日本の中の封建制」というルポルタージュ記事とほとんど一致しているそうである。
 つまり、当時『週刊朝日』は、部落問題を当事者視点で「正しく」とらえていたのである。
 橋下大阪知事の出自をめぐる記事の件で『週刊朝日』は全面的に謝罪をする結果となった。
 『週刊朝日』が橋下徹という人物およびその政治姿勢を嫌うにはそれなりの理由と因縁があるのだろう。自分もかなり危険な人物だと感じている。
 しかし、いくら嫌いだろうと、相手を貶めたかろうと、超えてはいけない規(のり)がある。
 『週刊朝日』はその規を超えてしまった。それと共に、過去の編集者が守ってきた「朝日」の良心を汚し、イメージを失墜させてしまった。
 自分は記事そのものは読んでいないけれど、あの「ハシシタ」という見出しだけで十分差別的である。橋下徹に対する差別というよりも、「橋の下」のような劣悪の環境で生きることを強いられた部落の人々に対する蔑視と悪意丸出しである。(なんで今回、解放同盟は出て来ないのだろう?)

 天下の「朝日」が人権問題でミソをつける。
 日本のマスコミはまさに「病膏肓に入って」しまった。
 そして、なにあらん。
 橋下徹を生んだのは部落ではない。まぎれもなくマスコミであった。


評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 紅葉と秘湯のパラダイス・奥鬼怒(八丁湯、鬼怒沼湿原2,030m)

日本の秘湯 八丁湯は「日本秘湯を守る会」が発行する冊子『日本の秘湯』に載っている。通人が選ぶ秘湯中の秘湯にして名湯である。実際、この冊子に載っているいくつかの温泉に足を運んだが(東北が多い)、どこも大自然の中にあるパワーあふれるリフレッシュ効果抜群の温泉ばかりであった。他の温泉、とりわけ観光地化された温泉とは一味も二味も違う神秘的な威力を感じることができる。
 介護の仕事に転職して半年経ったご褒美に、栃木県日光市の山奥にあるこの名湯と、日本で最も高い高層湿原である鬼怒沼に行くことにした。


一日目(10/26) 曇り時々晴れ、夜一時雨

八丁の湯と鬼怒沼湿原 001
●タイムスケジュール
12:38 鬼怒川温泉駅着
13:15 日光市営バス乗車
14:50 女夫渕(めおとぶち)着
15:00 歩行開始
16:30 八丁湯着


 鬼怒川温泉駅の周辺はまだ紅葉していない。駅前のコンビニ&カフェのやたらと元気のいいおばちゃんの話では、山の上は「今が見頃」とのこと。期待しつつ奥鬼怒へ向かう市営バスに乗る。
 バスの運転手の饒舌な観光ガイドを聞きながら、ホテルの建ち並ぶ鬼怒川の雑駁な町を通り過ぎる。幹線道路沿いの閉鎖した旅館の前に捨てられている粗大ゴミの山が興醒めである。
「なんとかしろよ~」

 山の奥へと向かうほどに周囲の木々が紅葉していく。窓外から一時も目が離せない。

八丁の湯と鬼怒沼湿原 002 終点の女夫渕を降りると、壮麗な紅葉の谷間の底を鬼怒川が走っている絶景にしびれる。谷間の鉄橋の上からは、川岸に設けられた露天風呂に浸かっている裸の男女の姿が小さく見えた。なんかデバ亀の気分・・・。



八丁の湯と鬼怒沼湿原 004



八丁の湯と鬼怒沼湿原 005 八丁湯の旧住所は塩谷郡栗山村、2006年に合併されて今は日光市の一部となった。昔は女夫渕から1時間半の山道を歩いていくしかないランプの宿だったのだが、林道ができて女夫渕から旅館の送迎バスが出ている。今日もバスが迎えに来ていたのだが、やはりはるばる歩いて辿り着いてこその秘湯である。迷わず「歩いていきます」と宣言する。

 山道は最初のうちこそきつい上り下りが続くが、鬼怒川にかかった大きな吊り橋を渡ると、川沿いの平坦な道となる。紅葉と清流を愛でながらの気持ちのいいウォーキング。気分がいい時の癖で、オペラのアリアが口をついて出る。
 きっかり90分で八丁湯到着。


八丁の湯と鬼怒沼湿原 007


 鬼怒川のほとり、きれいなログハウスの立ち並ぶ気持ちのいい施設である。玄関前の二本のもみじの紅と黄色の鮮やかなる協奏に遠路の疲れも吹き飛ぶ。
 宿帳を書きながら「日本秘湯を守る会」の提灯を確認する。

   八丁の湯と鬼怒沼湿原 014  八丁の湯と鬼怒沼湿原 009 

八丁の湯と鬼怒沼湿原 008八丁の湯と鬼怒沼湿原 011

 案内された部屋は、川に一番近いログハウス。広くて清潔であたたかみがあり、窓からの眺めは言うことなし。「おひとりさま」で使うとは、この上ない贅沢である。
 一服して露天風呂に直行。

 ここの露天の素晴らしさは、目の前の山肌を落ちる滝を見ながらお湯に浸かれるところである。滝壺の真上に温泉があるのだ。気持ちよくないわけがない。泉質は無色透明の単純泉、源泉温度53度、湯ノ花が浮き沈みし、軽く硫黄臭の漂うやわらかいお湯である。だが、このお湯の力強さの前では泉質がどうのこうなんて関係ない。入った瞬間に「ああ!」と思わず声が出る凄さである。一瞬にして、心と体が別次元に運ばれる。この瞬間のためだけでも来た甲斐があった。

八丁の湯と鬼怒沼湿原 012


 
 旅館に着いた時曇っていた空は、夜に崩れて雨となった。
 明日は山登り。どうだろうか?



二日目(10/27) 曇り一時晴れ


八丁の湯と鬼怒沼湿原 040●タイムスケジュール
07:45 八丁湯出発
      歩行スタート
08:45 オロオソロシの滝展望台
10:10 鬼怒沼湿原着
      休憩(40分)
11:30 鬼怒沼湿原出発
12:30 オロオソロシの滝展望台
13:30 加仁湯着
      露天に浸かる(30分)
14:15 八丁湯着
      歩行終了

●所要時間 6時間30分(歩行時間5時間+休憩時間90分)


 5時半起床。瞑想して朝風呂に浸かる。
 朝食を済ませチェックアウト。
 曇っている、というより靄(もや)が立ち籠めている。途中、降るかもしれないのでレインウェアをつなぎの上に着る。準備体操をして、いざ出発!

 鬼怒川を遡って加仁湯(かにゆ)、日光温泉を過ぎて登山道につく。いよいよ靄が濃くなってゆく。
 川から離れるにつれて登りが険しくなっていくが、思ったほどではない。
 八丁湯と鬼怒沼湿原との標高差は726m、これを150分かけて登るのは、東京の高尾山が約400mを90分かけて登るのと比較すれば、たいした急勾配ではない。登山道の入口付近に「遭難者・行方不明者多数。山道をあなどるな。」などという立て看板がいくつも現れるので、ちょっと緊張したのだが、おそらくこれは温泉目当てできた客がハイキング気分で十分な装備もなしに「湿原に行こう」と思い立って痛い目に遭うのを防ぐためだろう。あるいは、本当に危険なのは、急斜面や岩場よりも、湿原ならではの霧なのかもしれない。オロオソロシの滝展望台では、向かいにあるはずの山も滝もまったく見えなかった。

八丁の湯と鬼怒沼湿原 020 楡、柏などの広葉樹林が、杉やアスナロなどの針葉樹林となって、傾斜が次第に緩やかになっていく。シラビソと笹藪の林に入るとすっかり高原の雰囲気だ。板の歩道が始まって、ゴールの近いことを告げる。
 ぱっと視界が開けて鬼怒沼湿原!

 と言いたいところだが、林を抜けて現れたのは文字通り五里霧中の湿原であった。木道が5メートル先で消えている。周囲にあるはずの山も、大小250あるという池も白く重たい霧のカーテンに隠れている。グループで来た人々の話し声が近いところから聞こえるが、姿は見えない。
 木道を踏み外さないように慎重に歩いていると、まるで夢の中の景色のような、あるいはこの世とあの世の狭間に迷い込んだかのような、不思議な気分がしてくる。幽玄というのだろうか、夢幻というのだろうか。能の舞台としてなら完璧だ。
 この木道ははたしてどこに続いているのだろうか。
 現世に無事戻って来られるのだろうか。

   八丁の湯と鬼怒沼湿原 016 

   八丁の湯と鬼怒沼湿原 017

 これはこれで味わい深いけれど、せっかく2時間半登ってきたのだ。やっぱり少しは広大な湿原の爽やかさも味わいたい。
 そう思って祈ってみることにした。慈悲の瞑想をして、霧を振り払うようにステッキを空中でぐるぐると回す。


 えっ!?
 ま、まさか。
 5分もするとサーッと霧が晴れてきたのである。


八丁の湯と鬼怒沼湿原 019


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八丁の湯と鬼怒沼湿原 022

八丁の湯と鬼怒沼湿原 026


 目の前に現れたのは、穏やかな晩秋の湿原の風景。
 一面の芝紅葉の中を遠くまで伸びる二筋の木道。
 針葉樹の林とその背後に静かに鎮座する紅葉の山々。
 地上から天に舞い上がった雲の連なりとその合間からついに顔をのぞかせた秋の遠い青空。
 刻々と姿を変える空合いを鏡のように映し出すあちこちのコバルトブルーの池の面が、乾ききった芝紅葉の色合いと見事なコントラストを成しながら、控えめに照り輝いている。

 お天道様、ありがとう。これも半年間、糞尿と汗にまみれて頑張ったおかげでせうか?


 人影少ない鬼怒沼湿原を逍遙すること80分。
 湿原の入口に戻ったとたん、ふたたび霧が後方から押し寄せてきた。
 しばらくして振り返るとまたしても湿原は靄の中にかき消えてしまった。


八丁の湯と鬼怒沼湿原 029

 

 
 下りは来た道を戻ることもあって気楽。足も軽い。
 高度を下げるに連れて靄が晴れてきて、行きは見えなかったオロオソロシの滝がすっかり全貌を現した。
 八丁湯からほぼ同時に出発し、途中何度も抜きつ抜かれつしながら歩いてきた中年の夫婦とまたここで一緒になった。お互いの「普段の行いの良さ」を讃え合う。

八丁の湯と鬼怒沼湿原 030


 陽の光のもとに見る紅葉は、燦然たる効果を谷間に生み出している。
 誰のためでもなく、人のためでもなく、なぜにこれだけ美しくある必要があるのだろう?
 いや、人はなぜこれを「美しい」と感じるのだろう?

八丁の湯と鬼怒沼湿原 032



 行きは通り過ぎた加仁湯に立ち寄って乳白色の露天風呂に浸かる。谷を挟んだ向かいは常緑樹と紅葉からなる色彩のシンフォニー。

八丁の湯と鬼怒沼湿原 037

八丁の湯と鬼怒沼湿原 036



 すっかりリフレッシュして八丁湯に戻る。
 宿の犬たちが尻尾を振って出迎えてくれた。


 八丁の湯と鬼怒沼湿原 010

 帰りは宿のバスを利用する。
 山の高いところを走る林道から、山々の全景を眺める。
 全山燃えるようである。
 神の手によって色を配合されたつづれ織りの絨毯。

 女夫渕のホテルでカレーうどんを食べる。山間の午後3時はやはり冷える。
 バスに揺られながら、もはや窓外の紅葉にも目もくれず、鬼怒川温泉まで惰眠を貪る。

    このたびは 幣も取りあえず 手向け山 
    もみじの錦 神のまにまに        (菅家)

八丁の湯と鬼怒沼湿原 041



  






● 本:『不動の身体と息する機械』(立石真也著、医学書院)

不動の身体と息する機械 2004年発行。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)は難病中の難病と言われている。運動神経が冒され筋肉が萎縮して動かなくなっていく進行性の病であり、原因不明で治療法も見つかっていない。有名人では宇宙科学者のホーキング博士がいる。
 病気が進行すると、身体の自由はおろか話すことも食べることもできなくなり、やがて呼吸することもできなくなる。
 一方、感覚、自律神経と頭脳は健常なままでいられる。そこがいわゆる「植物人間」とは異なるところである。
 ある患者はそれをこんなふうに表現している。
 「永遠に続くカナシバリ」
 
 この本はわが国のALS患者達が置かれてきた状況、置かれている状況について、膨大な資料を渉猟し、その時々の患者や家族の声を丹念に拾い上げることによって、これ以上は望み得ないほどの十全さで描き出している。A5版450ページ弱の分厚さは、この病気の深刻さを、この病気について述べることの重さをそのまま表している。
 そして、過去数十年間の当事者の声をこれだけ沢山集め紹介していることは、ALSという病気を医療者側からでも介護の負担を背負う家族側からでも、もちろん宗教や哲学や生命倫理の観点からでもなく、患者の側から捉えようとする著者の姿勢を示している。
 むろん、著者が記しているように、患者の声と言ってもそれは「生き続けていて、自らのメッセージを何らかの形で発することのできる環境と能力と気力とを有している(いた)、相対的に恵まれた患者」に限られるのだけれど。その意味で、どちらかと言えば前向きな言説が多くなるというバイアスは仕方ない。

 その辺の事情を勘案しても、この本は滅多にない労作であり、メルクマールである。
 何のメルクマール(指標)か。
 ALSについて今後何かを述べようと画する人にとってのメルクマールというだけではない。安楽死や尊厳死について、病名告知について、近代医療と延命治療について、自己決定について、自己肯定について、死ぬ権利について、生きる意味について、何かを考え何かを述べようとする人にとってのメルクマールである。何かを言う前に「少なくともこれだけは踏まえておきたい」基本綱領とでも言うべき本である。

 
 ALSを発病した人を待ち受けているハードルにはどんなものがあるか。

 まず、病名告知がある。
 他のどんな難病でも告知されるのはつらいものだが、ALSはことに残酷である。
 「自分でできることが次第になくなっていく。思うこと感じていることを周囲に伝えるすべさえ奪われていく。感情や知能は残っているのに身体をコントロールすることがいっさいできなくなり、24時間他人の世話にならなければ生きていけなくなる。余命は長くて10年くらいである」
 それが他ならぬ自分の身に起こることが告げられる。
 
 次に、症状がある程度進んだところで、人工呼吸器をつけるかつけないかという、これまた究極の選択が待っている。
 機械につながれて話すことも口から食べることもあきらめて生き続けることを選ぶか、それとも呼吸を止めて死ぬことを選ぶか、である。呼吸器をつければ10%の人がその後10年以上は生きられる。だが、わが国では約7割の患者は呼吸器をつけないことを選んでいると言う。呼吸器をつけない患者の多くが言うのは「これ以上生きていても他人に迷惑をかけるばかり」。


 呼吸器をつけた人はひとまず生き延びる。呼吸困難の苦しさからも解放される。
 だが、これからどうやって暮らしていくかという難題が待っている。呼吸器が何らかの不備で止まったら窒息死である。24時間体制の見守りが必要となる。介護人をどう確保するのか。そのための費用、あるいは生活費をどうつくるのか。残念ながら、今の社会福祉制度では家族をあてにせずに患者が在宅生活を続けることは難しい。


 介護の問題、生活費の問題がクリアできたとする。
 今度は、周囲とのコミュニケーションもままならない状態で、寝たきりで生きることの困難がある。圧倒的な無為は退屈なのか、苦痛なのか、とてつもないストレスなのか、生き地獄なのか。
 それでも、身体のどこかが動くうちはコミュニケーションは可能である。目も見えれば耳も聞こえる。まばたきの回数と五十音表で周囲に意思を伝えることもできる。
 だが、やがて最終的な状態がやってくる。


 トータリー・ロックトイン・ステイト(TLS)

 完全閉じこめ状態。
 もはや動く箇所が一つもなくなって、周囲への発信がいっさいできない状態である。どこかがかゆくてたまらなくとも、「掻いてくれ」と伝えることもできない。それがどんなものなのかは本人にしか分からない。そして、そのまま亡くなることが通常なので、そこから帰還した人に体験を聞くこともできない。
 患者を見守る家族の体験だけが今のところすべてである。

 母の目玉が止まって、もう二年以上が経つ。残酷な(これ以上ひどい仕打ちは想像できない)病といわれる所以である。家族は最愛の母親を「母の肉体」の中に失い、母は出口を失った。・・・・そうして暗い数ヶ月を過ごした。母の心情は「顔色」「血圧」「体温」が明確に表し、娘や身近な介護者は、動かぬ顔に「表情」を見出そうとした。
 ・・・・母のこのかわいそうな状態を見続けて、こっちまで頭がおかしくなりそうだった。・・・・哲学に一時救いを求めた。人間はなんのために生きているのか。生きている価値とは、どこに見出せるのか。どういうことが生きがいと呼べるのか。母は今どこにいて、何を思っているのだろうか。そんなことばかり朝から晩までえんえんと考えた。 


 ALS患者を待ち受けるこれらのハードルはひとつひとつがとても厳しい高さである。どこかの段階で「死」へと気持ちが傾いても無理はないと思ってしまう。患者の中にも呼吸器をつけないことを選択する人が多いのはすでに述べた。(興味深いことに、日本より欧米諸国の患者の方が呼吸器をつけないという選択をする傾向にあるのだと言う。)
 だが、そのように単純に「質の悪い生」より「尊厳ある立派な死」を願ってしまう人々(自分もその一人である)の「気分」の総和が、世間の価値観を醸成し、社会的な制度や法や習慣や言説を作り出してしまうとき、ALS患者は最初から生き続けることを否定される環境に置かれてしまう。
 これは現実に起こってきたことだと、この本は立証している。
 たとえば、人工呼吸器の登場とALS患者への呼吸器普及には時間差があった。呼吸器はすでにあったのに、「使う必要がない」という言説が一昔前の医療の常識だったのである。呼吸器の使用を望みながら、呼吸器がそこにありながら、医療機関に断られて死んでいった患者が多くいたのである。
 冷静に考えれば、これは殺人行為である。
 だが、そのときにはALS患者は「生きていても仕方ない」というのが、医療界の(世間の)多勢を占める「気分」だったのである。

 そんなふうにして、上のハードルすべてについて、医療・社会の側からの「否定」が突きつけられてきた。それは今も多かれ少なかれ続いている。


・ ALS患者に告知するな。告知するなら本人でなく家族に。
・ いったん人工呼吸器をつけたら、もうはずすことはできないから(本人は当然できない。周囲の者がはずしたら犯罪になる)、本人によくよく呼吸器をつけることのメリット・デメリットを説明し熟慮させよ。
・ ALS患者を受け入れる病院を見つけるのは難しい。在宅で暮らし続けるには、まだまだ十分な環境が用意されていない。
・ 「他人に迷惑かけるな」「ムダな延命措置は自然に反する」「医療費や社会保障費を圧迫する」「自分で何もできなくなる前に、人様のお荷物になる前に、死にたい」「最期まで人間としての尊厳を保って死にたい」といった、それ自体一つ一つは決して間違っているとは言えないし、思うも語るも実践するも個人の自由であるが、どんな状態になろうとも生き続けることを願う当事者にとってみれば「存在そのもの」を否定された気持ちになるであろうことが予想される言説の数々が世の中に蔓延している。


 このような四方八方からの否定に継ぐ否定の圧力の下で、ALS患者たちが生き残ってきたのは、「生」へとベクトルを傾けてきたのは、医療従事者たちの否定的な考えを変えさせたのは、患者本人の生きる意志であり、患者同士の出会いと交流であり、実際に生き続けている患者がいるという事実の力(=エンパワメント)であった。

 

 以下、本文より引用。



★告知について

 ALSであること、それがどんな状態をもたらすものであるのかを、一度にすべてを伝えることはないにしても、かなり短期間の間に、本人に、伝えるべきである。それは、ALSがすぐに亡くなる病気ではなく、しかし状態の進行は早く、それがわかった上でそれに対する対応をとる必要があるからである。そして、家族に負担を偏らせなくとも、なんとか生きていくことは不可能ではないからである。
 もちろん、まちがって悲観的な情報が伝えられるべきではない。三年で死ぬと言われるのと、十年生きている人「も」いると言われるのと、私なら知らされた時の受け取り方が天と地ほど違う。
 そして知らせることは、その人が生きていくことをまずは前提したものであってよいはずであり、あるべきである。生きるためにはこれこれの手段がありますが、と言い、その各々がどんなものかを説明することである。いやそんなものはいらないと言われたら、どうするか。この問題はあるし、残る。しかし、そのことは、伝える時に「中立」であるべきことを意味するものではない。


★「中立」であることの弊害

 生きることを積極的に勧めず、その意味で中立の立場を取るのであれば、それは、否定性があってなお生きていくだけのものが与えられることにならないのだから、その人は死ぬだろう。否定をそのままにして、その人の価値や決定に委ねるなら、その人は自発的にこの世から去っていくことになる。ALSにかかる人の多くは分別盛りの年代の人たちであり、その分別ある人が去っていく。


★暮らしていくこと

 まず、暮らしたい場所で暮らせた方がよい。そしてその場が自宅であることは多い。そして病院に常時いなければならないことはALSの場合にそう多くはない。・・・・・
 自宅で暮らしたい人は、自宅で暮らせるのがよい。そのためには人手がいる。人手さえあれば暮らしたい場所で暮らせる。・・・・・
 基本的な方向としては、家族の負担に依存しないかたちでの在宅での生活を可能にすればいい。


★近代医療・社会と死の関係

 近代医療は「たんなる延命」を志向する、それに対して「人間的な死」「自分の死」を対置するという図式がある。この把握はまったくの間違いというわけではない。しかし基本的にははずれている。実際に起こってきたことを見ればそれがわかる。医療の側が延命に専心してしまうというのは一面的であり、見てきたように、生きるのをやめさせる側にもついてきた。だから、むしろこの紋切り型自体が説明されるべきものとしてある。医療はいつも生きる方向に人をもっていったりはしない。そしてそれは医療に限ったことではない。とても単純に言えば、この社会はその人たちが生きることを阻んできた。
 ここに何かの中心があるわけではなく、とくに誰かがそれを命令したわけでもない。しかしたんに無秩序があるのでなく、見通せない場所に迷い込むような仕掛けになっている。緩衝剤を経て、曖昧に事態は処理される。そしてただ現実がそのようになっているだけでなく、それでよいのだという理由も用意されてはいる。生きてきた人たちはその中で偶然のように生き延びることができたのでもあり、またこの仕掛けに抗して生きてきたのでもある。


★安楽死について

 ・・・身体の苦痛の多くは除去できる。少なくとも軽減できる。だから人はそれ以外の理由によって死ぬ。そしてALSの場合に固有に起こることは、自分のできることが少なくなっていくことである。
 ・・・ここでは仮に、生きるための現実的な条件自体は用意されているものとしよう。それでも生きないことにすることがあるかもしれない。ある文化に属する人は「自分ができることがなくなったから」と言い、また別の人は「人に迷惑をかけるから」と言うかもしれない。・・・・・
 そして、こうした価値をその人が住む社会から受け取ったにせよ、あるいはーあまりありそうにないことだがーその人一人で考えついたにせよ、その価値の妥当性について私たちは考えることができるし、考えたことを伝えることはできる。そこで考えると、やはりおかしいと言うしかない。ここでは生存のための行いを自らできなくなることが自らの生存を否定してしまっている。つまり、生存のための手段の価値が生存の価値を凌駕してしまっている。



★自立について

 まず、正しさの軸をすこし変えること。ALSは普通に暮らしていた人が突然かかる病気である。その人たちの多くはいわゆる分別盛りの年代の人たちで、さらにその多くは普通にきちんと生きてきた人たちである。行儀のよいことはもちろんよいことだ。ただ、それではこの病気の場合には生きにくい。「自分のことは自分でする」とか、「他人に迷惑をかけない」といった徳をそのまま遵守しようとしても、そのままでは生きがたい。だからこの部分は考え直すことになる。
 


★生きることの価値について

 行うこと、行えることの価値が存在の価値を決めることがある。たしかに自らが何かをなせることには価値があるだろう。自分の役にも立つし、他の人の役に立つこともあるし、それだけでない達成感が得られることもある。しかし、役に立つとは生きるための役に立つということであり、それに生きることよりも大きな価値が与えられるというのは明らかに逆転している。自分で行えることはそれほどには大切なものではない。



 最初に書いたように、この本はALS患者の声を中心に編まれたものであり、上に挙げたバリア一つ一つについて様々な考え方・向き合い方・選択をした当事者の声が取り上げられている。だが、ただそれらを羅列し紹介するにとどまってはいない。こんな考えもある、こんな立場もある、こんな意見もある、と著者自身が「中立」を保って判断を保留にしているのではない。人工呼吸器をつける人とつけない人、どちらも必要な情報を十分に得たうえでの自己決定により選択したのだから、本人の自由だと突き放しているのではない。
 同時に、様々な意見や見方をそのまま提示して、判断や評価を読者に任せようとするものでもない。
 著者はそのような「中立」について異議を唱えている。
 自らの基本的な立場を鮮明にしている。

 人の存在・生存に無関心な社会でなく、それを支持する社会であることが基本的に肯定されるとしよう。とすれば、そのためにすべきことが肯定されるし、生存の方を示し、そのための支援を本人に伝えることが支持される。そして、今までのところでは、生存に向かうーたしかに偏りがないとは言えないー行いを不当と考えるためのものは見つかっていない。


 生きることの無条件の肯定がそれである。



●  よしりんの予見 映画:『逆噴射家族』(石井聰互監督)

 1984年日本映画。

 『水の中の八月』が良かったので、石井監督の初期の作品を借りてみた。
  
 まず、役者達の個性が光っている。
 当時DJとして人気絶頂だった、というよりDJという職業を大衆に認知させた小林克也が、真面目で小心で思い込みの激しい父親役に見事にはまっている。母親役の倍賞美津子は上手い。息子役(有薗芳記)と娘役(工藤夕貴)も漫画チックなキャラクターを存分に愉快に演じている。祖父役に植木等を配して、完璧なペンタグラム(五角形)を成している。
 バランスのいい家族の間の死のバトル・ロワイヤル。

 戦闘前のサスペンス効果を盛り上げるのに、映像表現に依らずロック音楽に頼っている、肝心の戦闘部分の演出が雑で今ひとつ迫力に欠ける、など稚拙さは目立つけれど、家を失った一家が高速道路の高架下で食卓を囲む最後のシーンに見られる映画的時間と空間の幸福感には、石井監督の才能の曙光が紛れもなしに認められる。



 ところで、小林よしのり原案・脚本である。
 『東大一直線』『おぼっちゃまくん』『最終フェイス』など、自分は小林よしのりの漫画を楽しんできた。ファンであったと言ってもよい。それが『ゴーマニズム宣言』以降、楽しめなくなってきた。どんどんどんどん右傾化し、教条主義になり、今では彼がどのあたりにいるのか見当もつかない。もう二度と『おぼっちゃまくん』のように子供達に愛される作品は描けないだろう。残念である。
 だけど、小林よしのりが「変わった」「おかしくなった」というわけではなかろう。そう思うのはこちらの勝手な偏見と期待の押しつけで、もともとああいう狂気なところがある人なのだと思う。彼としては過去の人気少年漫画家時代の自分と今現在の自分との間に整合性はみているのだろう。彼の漫画の面白さは明らかに狂気と紙一重のところにある発想の天才性にある(あった)。
 そういう目で見ると、この映画の主人公・小林勝国(小林克也)が次第に精神を破綻させていく姿は、小林よしのりのその後の変貌に重なる。
 「自分の家族(国)はどこかおかしい」という正確な認識から始まって、「自分がなんとかしなければ」という(誰に頼まれたでもない)過剰な責任感を背負い、元軍人の父親の扱いに困り果て、その居場所作りのために買ったばかりのマイホーム(戦後民主主義)のリビングの床に穴を開ける。本来の生真面目さが目覚めた狂気を煽り立てる。愛する家族を守るためには家族を皆殺しするしかないという本末転倒に陥り、最後は家を全壊させる。

 あたかも84年の時点で、小林よしのりは今後の自分を予見していたかのようである。



評価:C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」       

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『バルカン超特急』(アルフレッド・ヒッチコック監督)

 1938年イギリス映画。

 原題はThe Lady Vanishes「消えたご婦人」
 『バルカン超特急』という邦題はカッコ良くていい。


 列車を舞台にしたミステリー映画あるいはサスペンス映画というと、『オリエント急行殺人事件』『カサンドラクロス』『シベリア超特急』なんかがすぐに思い浮かぶ(最後のはコメディか)。いずれも観る者をワクワクさせてくれる。
 ミステリー要素(走る密室、素性の知れない行きずりの乗客達)、サスペンス要素(スピード感、転落のリスク、逃げ場がない)から必然的に生じるワクワク感だけでなく、発車ベルから終着駅まで登場人物達と一緒に旅をしている気分を味わうことができるところが魅力である。とりわけ、海外ものは異国情緒が味わえるし、自分のような列車好きにはコンパートメントタイプ(側廊下式)の客室や食堂車などの構造やインテリアを見るのも楽しい。
 映画を観ている間、車上で進行中の物語を楽しむ一方で、登場人物達が走っている列車に揺られていることを無意識に感じている(実際には走っている車内で撮影しているわけではないけれど)ので、生理的にも非日常感が持続する。列車の揺れと線路の響きと蒸気機関の発する音とを基底音としてとらえながら、そのせわしない効果のもとに物語に没入するのである。


 ヨーロッパ大陸横断鉄道の醍醐味は、何と言っても様々な国籍のひとが乗っているところにある。列車に乗り合わせた乗客達の文化や言語や相貌の違いが、物語を(旅を)面白く豊かにするのである。日本のブルートレインではこれがない。
 この映画でも、国籍の異なる乗客達が登場するが、国民性の違いのようなところが典型的に描き出される。
 特に滑稽なのは二人のイギリス人男性である。
 女性が着替える時は礼儀正しく背を向けて、列車の遅延よりクリケットの試合の結果に心奪われ、婦人失踪事件が起こって自分たちがその件で有益な証言ができるのを知っていながらも面倒事に関わるまいと「我関せず」の振る舞いをし、しかし、いったん危機が訪れ銃撃戦が始まるやいなや他の誰よりも冷静沈着かつユーモアを忘れずに果敢に闘う。
 イギリス男って面白いなあ。
 というより、自分の中のイギリス男のイメージが、こうした映画に出てくるイギリス人やシャーロック・ホームズやMr.ビーンあたりから形成されているのである。
 どんな状況にいようが、とりあえず午後の紅茶は欠かせないってイメージ。




評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 本:『ジーヴスとねこさらい』(P・G・ウッドハウス著、国書刊行会)

ジーブス 1974年刊行。
 2012年日本語訳発行。

 ドジで抜けてて暢気でお人好し、騎士道精神と友愛精神に満ちた愛すべき英国紳士バーティことバートラム・ウースター青年と、才気煥発にして謹厳実直なる有能な執事ジーヴスの名コンビが、英国有閑階級の日常を舞台に縦横無尽に活躍する、抱腹絶倒なるシリーズの一編である。
 93歳という長寿をまっとうしたウッドハウスが最期に書き上げた作品であると同時に、国書刊行会から発行されたジーヴスシリーズ全14巻の最終巻である。もう次がないと思うと残念だけれど、忘れた頃にまた読みかえして爆笑するは必至なので、早く忘れよう。

 ウッドハウスの作品、ことにこのジーヴスシリーズを読んでいて誰でも気づくであろうことは、登場する女性達の気の強さである。我らが主人公バーティーはもちろん、バーティーの一癖も二癖もある友人達も、中には2メートルを超える巨体とラグビーでならした馬鹿力を誇る輩も出てくるのであるが、紳士だろうが実業界の大立て者だろうが会社員だろうが登場する男達のいずれもが、苦手とする女性を持っていて、彼女たちにちょっとした偽りやら失態やら旧悪が露見するのを魂が震えるほどに怖がっているのである。それがこのドタバタ喜劇を進める重要な枷の一つになっているのだが、作品世界の中で男達は母親にいたずらがばれて怒られるのに怯える少年達そのものである。

 この女性上位はウッドハウス作品の特徴なのか、英国有閑階級の特徴なのか、それとも英国社会の特徴なのか。
 自分は英国文化に詳しくないが、どうも英国社会は女性天下という気がする。
 何と言ってもイギリスは女王の国という印象が強い。男の王様ももちろんあまたいたけれど、世界に名だたる大英帝国を実現したのはエリザベス1世しかりビクトリア女王しかり、女王が統治する御世だった。男の王たちの印象と言えば、再婚するために宗旨替えしたり(ヘンリー8世)、男色を嗜んだり(ジェームズ1世)、どもりで悩んだり(ジョージ6世)、となんとなくお間抜けな逸話が多い。
 また、女性の政治リーダーで最も有名かつ有能なのはサッチャー首相であろう。英国病に苦しみタイタニック同然に沈没せんとするイギリスを、「鉄の女」と言われたその強硬な手腕で再び世界のリーダー格に甦らせた人物である。

 女性に仕切らせたほうが物事は上手くいくと英国の男達は分かっているのだろうか。
 そして、そのほうが自分たちは好きな趣味に没頭できるということも。

 ウッドハウス作品に出てくる男達のマニアックな趣味はまったく「オタク」そのものである。

 『強い女とオタクの男の国、イギリス』

 日本もいまそうなってきている。






● 森林浴二乗:景信山(727m)&陣馬山(855m)

陣馬山 00210月9日(火)くもりのち晴れ

●タイムスケジュール
09:50 JR中央線高尾駅着
10:12 小仏行きバス乗車(西東京バス)
10:30 小仏バス停到着
      歩行開始
11:20 小仏峠
12:15 景信山頂上
13:30 明王峠
14:20 陣馬山頂上
      昼食
15:40 下山開始
      人里峠~藤原峠
17:15 陣馬登山口バス停着
      歩行終了
17:25 藤野駅到着

●所要時間 6時間45分(歩行時間4時間45分+休憩時間2時間)


 高尾山~城山~小仏峠~景信山~明王峠~陣馬山と、東京と神奈川の境を縦走するコースは、東京近辺のハイカーには有名である。紅葉の頃には京王電鉄がスタンプラリーをやっていて、家族連れや熟年のグループなどで賑わう。休日などは巣鴨のとげぬき地蔵通りか原宿の竹下通りかというくらいにハイカーで渋滞するのである。
 道も歩きやすく、道標も親切でわかりやすく、どの山も見晴らしが良くて、どの山頂にも茶屋があるので水や食事の心配もいらない。山登り初心者がちょっと自信をつけた頃に挑戦するのにちょうど良い長丁場(7時間くらい)のコースと言える。
 自分は全部通して歩いたことはない。制覇することに別段意義は感じないし、日没や帰りのバスの時刻を気にしながら早歩きするのは、かえって山歩きの楽しみを削ぐ結果になるのでつまらない。登れば登るほどに、あるいは年を重ねるほどに、ゆっくりじっくり周囲の景色を愛で、鳥の声、風の肌触り、木や花や虫との出会いを楽しむのが、また自然に心身をゆだねて「我れ」をなるべく空っぽにするのが、山登りの最大の醍醐味と感じるようになった。

陣馬山 009 そんなわけで、今回は小仏峠から陣馬山までを歩いた。
 高尾駅発小仏行きのバスは平日にも関わらず満員であったが、ほとんどの客は小仏から城山や高尾山に向かうらしく、景信山への道は空いていた。
 あっという間に景信の山頂に到着。
 景信山は、高尾と陣馬の両巨頭に隠れて名前の通り目立たないのであるが、滅多にないほどの優れた眺望を誇る。富士山や相模湖を臨む南西側も見事であるが、都心を臨む東側が息をのむほど素晴らしい。筑波山から江ノ島まで関東平野全景と言ってもいいほどの幅と奥行きでさえぎるものなく都会を丸ごと見下ろしている。双眼鏡で観ると、スカイツリーがひときわ高く地平線に聳えているのが見える。やっぱり高い。

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陣馬山 011 景信山から陣馬山までの尾根歩きが気持ちよくて楽しい。
 巻き道をたどればアップダウンはきつくなく、反対側から縦走する人々と挨拶を交わしながらさわやかな森の道を鼻歌気分で歩ける。
 明王峠は一服するのに最適な陽当たりの良い山腹である。アザミやコスモスはじめ季節の花々が斜面を飾っている。






 急な階段をひと登りすると陣馬山のシンボルたる白馬の像が青空をバックにくっきりと見えてくる。山頂だ。

陣馬山 012 

陣馬山の人気の秘密は、360度の眺望と広々した高原さながらの山頂の開放感にある。弁当を広げるには最高の場所である。中央線で藤野駅まで行って陣馬山から高尾山方面に向かえば帰りのアクセスが便利なのであるが、あえてそうしなかったのはこの山頂をこそ到達点にしたかったからである。汗も疲れも吹き飛ぶ気持ちよさが待っている。

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 陣馬山 015


 茶屋でなめこ汁を頼んで、山々を眺めながら遅い昼食とする。
 山の上を吹く風はすっかり秋のそれで、日陰にいると寒くなってくる。下界では10月とは思えない嘘のような暑さが続いているが、高原の草の色にも遠い空の色にも秋を感じる。
 草の上に大の字になって30分ほど仮眠。

 3時半を回った山頂は、自分の他に4、5名が残っているばかり。この寂しさも秋っぽい。
 清らかな早朝登山もいいけれど、日が西に傾いたものわびしい山の風情も味わい深いものがある。
121009_1659~01 下山は和田分岐のある一の尾根をとる。途中は誰とも会わなかった。
 藤野方面への下山路は途中に3軒の温泉旅館がある栃谷尾根もある。前回はこちらをとって、陣渓園という旅館の日帰り入浴に浸かった。いいお湯であった。
 今回一の尾根をとったのは、このコースの山から出るあたりの里山風景を見たかったからである。一昔前の『週刊新潮』の表紙絵のような、山々に抱かれた懐かしい日本の里山が(それも秋の!)まるで「おかえりなさい」と言ってくれているかのようなやさしさで迎えてくれた。



 陣馬登山口バス停到着。
 時刻表を見たら3分後に藤野駅行きが来る。なんというラッキー! ちょうどいいバスがなかったら藤野駅までの30分弱を歩こうと思っていたのだが、渡りに船、もとい渡りにバスだ。

 藤野には駅からバスで行ける温泉が二つあるのだが、今日は高尾駅まで戻って「高尾ふろぴい」に浸かった。山登り客用に2時間半で800円というコースがあるのがいい。ここの露天風呂も良いが、古代檜を贅沢に使った檜風呂が好きである。お湯がやわらかく肌に馴染むし、檜の香りが心をほぐしてくれる。
 
 森林浴二乗。

121010_0854~01











 
 
 
 




 


  




● 本:『驚きの介護民俗学』(六車由美著、医学書院)

驚きの介護民俗学 2012年刊行。

 著者の六車由美(むぐるまゆみ)は1970年生まれ。民俗学者として前途有望な大学職員の職を四十目前にしてなげうって、静岡県東部地区の特別養護老人ホームで介護職員として働いている。
 もちろん、大学を辞めたからと言って民俗学者を辞める必要はない。新しい職場には、昔の生活や風習や伝承などをよく知っている翁、媼がたくさんいる。正史には残らないような、教科書や市町村など公の編纂物には載らないような、知られざる庶民の暮らしぶりや出来事、「忘れられた日本人」の姿を驚くべき詳細さで正確に記憶している人々がいる。
 かくして、介護と民俗学が結合し、著者の提唱する「介護民俗学」が誕生したのである。


 著者は、週に数回、時間を決めて、勤めている施設の利用者の昔語りを仕事の一環として聞き書きすることを始める。


 まず、これがうらやましいというか、理解のある施設だなあ~と思う。
 自分も介護施設に勤めているが、利用者である老人の話をじっくり聴ける機会などないに等しい。
 シフト入りしてから上がるまで、息つく暇もなくやることがある。一日の流れは決まっている。すべての利用者を見守りながら、転倒や誤嚥などの事故なく、業務を円滑に遂行していかなければならない。利用者とのコミュニケーションより業務優先になる。
 たとえ、たまさか手が空く時間があっても、一人の利用者だけに集中することはできない。フロアのどこで何が起こっているのか、どの利用者がどこで何をしているのか、把握していないとならないからだ。職員の見えない死角で車椅子から立ち上がって歩き出し、転んでいるかもしれない。他人の部屋に入って、そこの床に放尿しているかもしれない。
 記録をつける煩雑さも馬鹿にならない。8時間のシフトの内、おそらく1時間近くは記録作成にあてられる。行政の監査や評価、利用者の家族からの問い合わせにいつでも対応できるように、利用者一人一人についてこまかい記録をつけなければならない。バイタル、食事量、水分量、排泄記録、服薬記録、レクリエーションでの様子、入浴時の様子、他の利用者との関わり・・・e.t.c 必死こいて記録をつけている職員の周りで、何か言いたそうな利用者がウロウロしているという光景は日常茶飯事である。
 何が起こるのかわからないのが介護である。みんな何かしらの病気を持っているのだが、ちょっとしたことで体調悪化につながる。ついさっきまで元気に動き回りよく喋りよく食べていた利用者が、突然「熱発」し意識朦朧とし救急搬送になることがある。あるいは、廊下で転倒している利用者の存在を他の利用者から教えられることもある。
 そうなると業務の流れがストップしてしまう。それによって混乱が生じる。他の利用者も不穏になってしまう。
 だから、ほとんどの職員は前倒しに業務を行っていく。手が空けば、次の時間帯の作業でできることを済ませてしまう。突然何か不測の事態が持ち上がっても、業務の流れへの影響が最小限で済むように。
 そんなこんなで、利用者と膝つき合わせて、じっくり会話する時間が取れないのである。
 利用者とマンツーマンで話をする機会があるのは、入浴介助の時くらいである。それも、こちらは介助の手を休めることなく話を聞かなければならない。せいぜい15分が関の山。


 自分は老人から昔の話を聞くのが好きなほうである。
 戦争に行った話、疎開した話、大陸からの引き揚げの話、関東大震災の話、昔の田舎の暮らしの話、貧乏の話、バリバリと働いて日本の屋台骨を支えていた頃の話・・・。同世代の人と話すより好きかもしれない。
 あるいは、一般の日本人とはちょっと違った経歴をもつ人たち―例えば、在日朝鮮人とか元ホームレスとか天涯孤独であるとかーそういう人達がどのような苦労を重ね、どのような辛さを乗り越え、どのような経緯をたどって今日まで辿り着いたかに興味がある。もちろん、ちょっとやそっとでは当人に聞けることではないけれど。
 もっとも、自分の興味は民俗学的なものではない。老人達は長い人生の中で最も印象に残ったいくつかのエピソードを繰り返し語る習性がある。そこから共通して浮かび上がってくるその人の「人生のテーマ」みたいなものを推察するのが面白いのである。いわば、スピリチュアル的興味といったところか。


 そういうわけで、老人達の話にじっくり耳を傾けることのできる著者の立場をうらやましく思ったのであるが、やはりそうは甘くはないようである。

 民俗学者としての矜持と知的好奇心を拠り所に、老人達の昔話に「驚き続けること」をエネルギーに介護民俗学を進めてきた著者であるが、あるときから急に驚けなくなってしまう。 
 職場の配置換えで職員の不足している現場に配属となり、あまりの忙しさのため聞き書きができなくなったのである。
 

 驚けないというより、最初は「驚かない」ようにしていた。業務を滞りなくこなすには、驚いている時間がなかったからである。


 さらに、私は驚けなくなってから、一方で、介護の技術的な達成感の喜びは強く感じるようになっていった。たとえば午後の排泄介助の時間、寝たきりの利用者のオムツ交換をするのだが、オムツを開けた時に大量の排便があったりすると、いかにこの便を素早く、しかも丁寧に拭き取り、利用者の臀部をきれいにしてオムツを交換するか、と俄然張り切ったりするのである。
 そんな感覚は今まで味わったことがなかった。介護技術が高まったということなのかもしれないが、そこで感じる介護の喜びは、これまでの利用者との関係のなかで感じられるものとは明らかに異なる。極端に言えば、利用者と接しているのに、そこには利用者の存在が希薄となっている。ただ自分の技術に酔っているだけなのだ。驚きのままに聞き書きを進めていたときに、目の前の利用者の背負ってきた歴史が立体的に浮かび上がってきて、利用者の人としての存在がとてつもなく大きく感じられたのが嘘のようだった。なんだか私は自分が恐くなった。


 そう。自分も正直恐い。
 介護技術が高まり、他の職員に迷惑かけないよう業務をスムーズにこなせるようになるのと反比例するかのように、利用者との心の距離は離れていくような気がする。
 就寝介助中、寝巻きへの着替えを手伝っている間に話しかけてくる利用者を、次に寝かせないといけない別の利用者のことに気が行って、適当にあしらうことを覚えてしまった自分に情けない思いがする。

 しかるに、高齢者はどんどん増えていき、施設への入所を待つリストはどんどん長くなる一方で、介護職員は慢性的に不足している。「利用者とのコミュニケーション(傾聴)」が介護保険で利用できるサービスの一つとして算定される可能性などゼロに近い。


 知恵と豊かな経験に満ちた老人たちが口をつぐんだままあの世に赴くことは、民俗学的見地から、次世代への生きた歴史と知恵の継承という点からもったいないというばかりでなく、ターミナルケアのあり方としてどうなんだろうか?
 業務優先の今の仕事は仕方ないとは思うけれど、「どこか違う」という気がしてならない。利用者の話を聴くのが介護の一番大切な仕事なのではないだろうか。自分の話をきちんと聴いてもらえることは、自分が受け入れられたという実感をもたらす。それが利用者を落ち着かせ、最期の時を安らかに迎えるための何より効き目ある薬なのではないだろうか。


 介護に携わる者にとって、一読に値する本である。




● 映画:『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(三浦大輔監督)

 2010年公開。

 平成の世も20年以上過ぎた今になって、これほど‘純’な、これほど‘ストイックな’これほど面白い映画が出るとは思わなかった。
 この数年の日本映画の中のピカイチである。
 加えて言えば、主役を演じる峯田和伸にどんなものであれ主演男優賞を、脇を演じるYOUに助演女優賞を与えることのできなかった日本映画界の鈍感さ、不甲斐なさは、日本映画の歴史に泥を塗る破廉恥である。


 峯田和伸という俳優(兼ミュージシャン)については何も知らなかったが、役者としての才能はデビュー当時の窪塚洋介や松山ケンイチを凌駕していると思う。これからメキメキと頭角を現してくることだろう。


 原作は花沢健吾が「ビッグコミック・スピリッツ」に連載した青年マンガなので、物語そのものは「単純で紋切り型でご都合主義でたわいない」。一言で言うと「馬鹿」ということになる。
 だが、その性質は「男」そのものを表す。男とは、「単純で紋切り型でご都合主義でたわいない」馬鹿な生き物だから。
 昨今の男は病んでいて、さまざまな関係のしがらみの中で、あるいは「上手く」生きようと立ち回るうちに、原始的な気質を見失ってしまう。いったい、彼女に見せる「標準的な(マニアックでない)」アダルトビデオを友人に借りに行くため、夜中に3時間も自転車をこぐ馬鹿(=男)がいまどこにいようか。しかも、借りたビデオの中味は違っていて「獣姦もの」だったというオチ。
 主人公タニシは、29歳にして「男」の純粋な核を体現する存在である。
 だから、周囲の男達は、仕事もできない、職場の女ともロクに話せない、ダメ男の典型のような彼を好きにならずにおれない。片思いの女をもてあそんだ男の会社に殴り込みをかけるタニシのために一肌脱がずにはいない。たとえその助力が失敗に終わろうとも。(ビートたけしを思い出すなあ。でも、たけしは独りでなく軍団で行ったところがイヤだ。)
 こういう男を「キュート」だと思ってくれる唯一の女が、母親をのぞけばYOU演じるソープランド嬢‘しほ’のような、優性遺伝子(精子)争奪戦から退いた女であるという皮肉も効いている。


 生きるとはぶざまに生きることである。
 青春とはかっこ悪いものである。
 男とは不器用な生き物である。

 そんなベタな原点を直球勝負で描き切ったところ、演じきったところに惜しみない喝采を送りたい。




評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


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