ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 「物語」の果てた先にあるもの  オペラ:  ヴェルディ 『リゴッレト』 (東京文化会館) 

 上野中央商店会が主催しているオペラBOX。
 
 全曲ではなくて、ピアノとフルート伴奏によるハイライト上演。歌手は新進気鋭の若手たち。テレビ朝日出身でフリーのアナウンサー朝岡聡がナビゲーター(進行役)をつとめた。(この人を見ると、いつも『チャイルドプレー』のチャッキーを思い出す。)リゴレット 004

リゴレット  : 谷 友博
ジルダ        : 清水 理恵
マントヴァ   : 村上 敏明
ジョヴァンナ/マッダレーナ : 高橋 華子
モンテローネ/スパラフチーレ :龍 進一郎
 
ピアノ   : 服部 容子
フルート : 上野 由恵
演出   : 久垣 秀典

 タイトルロールの谷は調子が良くなかったようだ。途中で何度か声が裏返ってひやひやした。ジルダはそつがない。アリア「慕わしき御名」はよく歌いこんでいるのだろう。見事な出来栄えだった。
 一番の喝采はテナーの村上敏明。声量といい、声質といい、高音域の力強さといい、すばらしい才能だ。日本でここまで「トランペット的に」鳴らすテナーは聴いたことがない。風格もなかなか。表現が一本調子なのが気にかかるが、脳天気なマントヴァ公爵では表現力を示しようがない。別の役で聴きたいものだ。「女心の歌」のクライマックスの最高音は、雪崩を起こさんばかりの威力があった。


 演出での不可解ポイント。
 第2幕。誘拐されたジルダは、好色なマントヴァ公爵のもとに差し出され、操を奪われてしまう。狂乱して娘を捜すリゴレットは、自分の仕える公爵の部屋から飛び出してくるジルダと出会い、事情を知って絶望し、怒りに打ち震える。
 長椅子にもたれ、薄いドレス姿で、泣きしおれるジルダ。
 と、リゴレットは、長椅子にかけてあったマントヴァ公爵の豪華なマントを娘の肩にかける。
 これはありえない。
 影のように公爵に仕えて女の手引きまでしてきたリゴレットが、マントの主を知らないわけがない。なによりそこは公爵の居室なのだ。命より大事な娘を陵辱した憎き相手の衣服を、なんの躊躇もなく、当の娘にかけるなんてあり得ない。
 演者たちは、この演出に何とも思わなかったのだろうか? だとしたら、あまりに鈍感すぎるか、観客を馬鹿にしている。少なくとも、あそこで観客のいくたりかは「えっ?」と思ったはずだ。
 ベタであるが・・・。リゴレットは、長椅子のマントを娘にかけようとする。が、途中でそれが自分の主人のものであることに気づき、床に投げ捨てる。かわりに、自分のフロックコート(なんでフロックコートを着ていたのかわからないが)を脱いで、娘にかける。
 そもそもが現代人にリアリティを感じさせるには困難なストーリーなのだ。だからこそ、心情にかかわるような細かい部分での「本当らしさ」が重要なのである。

 それにしても・・・・・。
 昔のオペラや能や歌舞伎を観ていてよく思うのだが、物語世界に入り込むことが本当に難しくなった。年齢のせいとか、感受性の摩滅というのではない。作品が作られた当時の作家や大衆が持っていた価値観や道徳観が、今ではすんなり理解できない、簡単には共感できないものになってしまっていることが多いからだ。これは、個人的なレベルで言えることでもあるし、世間一般のレベルでも言える。


 たとえば、「道化」というものの宮廷での役割や位置づけ、周囲の人々が道化に対して持つ感情(嘲笑、憐憫、軽視、滑稽)は、シェークスピアを読んでいれば、ある程度は理解できる。そこを踏まえた上での、リゴレットの抑圧された怒り、恨み、卑屈、陰険、恐れ、娘への盲愛なのだ。それを、今日びテレビをつければ必ず出てくる「お笑い芸人」同様に解釈する(人気者、お金持ち、成功者e.t.c)ほか手だてがなかったら、まったく物語世界に入り込めないだろう。そのうえ、「せむし」であることがリゴレットの歪んだ心を解釈する上で重要なポイントなのだが、今回の演出でもそうだったが、現代日本においてそこを強調することはもはや「政治的に」難しい。

 ヴェルディがよく取り上げる「呪い」とか「復讐」というテーマも同様だ。
 リゴレットは、マントヴァ公爵に娘を弄ばれたモンテローネ伯爵に向かって無慈悲な言葉をかける。伯爵は呪いの言葉で返す。それはリゴレットの心に深くつきささる。リゴレットが怯えるのは、自分と娘ジルダにも同じ不幸が起こるという恐れと不吉な予感を抱いたからではあるが、それ以前に何よりもこの作品の時代背景である中世(16世紀)においては、人が全身全霊で「呪い」の言葉を発したとき、浴びせられた当人を強い恐怖と不安のうちに呪縛せざるをえない、一種の魔術信仰、言霊信仰が生きていたからだ。日本文化も然り。呪いとはまさに「咒(じゅ)=真言」なのだ。

 「復讐」という価値観はまだ現代人にも理解しやすいかもしれない。だが、江戸時代の「敵討ち」とか「赤穂浪士討ち入り」とか、昭和時代まではなんとか大衆の共感を得ていたが、今はどうだろう? テレビでも映画でもベストセラーでもいい。復讐をテーマにして人気を博した物語を挙げられるだろうか。法的手段に訴えることに、我々はあまりにも慣れすぎてしまった。

 個人的に最も違和感を覚えるのが「純潔信仰」「処女崇拝」である。
 リゴレットは、嫁入り前の娘の貞操(この言葉自体「死語」だな)を守るために、教会に行く以外のいっさいの外出を禁じる。いったん、娘の純潔が汚されたと知るや絶望のどん底に突き落とされ(「一日で何もかも変わってしまった!」)、激しい憤りは、殺し屋を雇ってまでの敵討ち(それは自身の生計の糧を失うことを意味する)に彼を駆り立てる。
 リゴレットの気持ちと行動を理解し納得するには、同じ「娘を持つ父親である」だけでは足りなかろう。マリア信仰を持つ中世のキリスト教徒としての、強い「純潔信仰」「処女崇拝」を共有していなければなるまい。それあっての騎士道やら初夜権(『フィガロの結婚』)やらなのだ。
 もちろん、今の日本だって処女をありがたがる性文化は存在するし、娘の純潔を願い、娘を弄んだ男に憤る父親の気持ちは健在だろう。しかし、結婚相手の女性に「処女であること」を条件づける男やその家族とか、バージンを捧げたボーイフレンドに結婚を要求する女やその家族なんてのは、どこかの宗教団体に属している場合を除いては、今やギャグかナンセンスだろう。大事な娘を「傷もの」にされたという言い回しを一昔前はよく耳にしたけれど、骨董品にひびが入ったのを怒っているのと同じで、娘の商品としての価値が下落したことを嘆いているわけで、娘への愛情というよりは「お家」の対面や良縁をゲットするための駒の損失を問題にしているのである。その後の生涯を「傷もの」として過ごさなければならなくなる女性こそ哀れである。

 純潔性への信仰は、それと裏腹に、純潔でなくなった女性への蔑視を伴っている。何より切ないのは、周囲だけでなく、当の本人が自身を「汚れてしまった」と思い込んで、その後の人生を失意と投げやりな気持ちで過ごさなくてはならないことだ。公爵の部屋から走り出てきたジルダが父親を見つけて口にする第一声が「おとうさま、私は汚されてしまいました」(字幕でそうなっていた)なのは、なんともやりきれない。そうやって自分で自分を貶めた結果としての最終幕での自己犠牲なのだから、なおさらである。ジルダをレイプしたのはマントヴァだけではない。時代や文化もまた、いわゆるセカンドレイプしたのだ。
 これに関しては、先ごろ亡くなった仙台の賢人・加藤哲夫さんが憤っていたのを思い出す。曰く、
 「男と関係を持った女が‘汚された’というのは、つまり‘男が汚れている’ということを意味するじゃないか! 男は‘汚れた’存在なのか!」

 ともあれ、舞台を見ているうちにも、こうした価値観のギャップやそこに潜む構造が見えてしまい、あれこれ考えてしまうがゆえに、すんなりとリゴレットはじめ登場人物の気持ちに共感して物語世界に入り込むのが難しくなるのである。
 ヴェルディの生きていた時代(19世紀)の観客は、まだ入り込むのに苦労はしなかったであろう。リゴレットの恐れ、怒り、絶望を自分のものとし、ジルダの犠牲的精神に涙し、「傷ものとして残りの人生を生きるより、愛のために死んだほうが、いっそあの娘のために良かった」くらいのことは思うかもしれない。共同幻想が生きていたのだ。
 しかし、21世紀の日本に住む我々は、そうはいかない。破れてしまった多くの共同幻想の廃墟の中に、我々は立っているのである。

 このハンディを超えて我々が物語世界に入り込んで感動するためには、よほどのレベルの音楽と演奏と歌と演技の質が要求される。音楽家にとっては実に困難な時代と言える。(マリア・カラスなら、どんなバリアも超えて行っただろうが。)
 奇抜な演出でもってこの壁を乗り越えようとする試みが散見されるが(特にメトロポリタンでその傾向を感じる)、無駄なあがきだと思う。以前、『アイーダ』の舞台設定を現代のニューヨ-クあたりに移管して、流行のスーツを着た女社長(アムネリス)とそのライバル(アイーダ)と優秀な社員(ラダメス)が最先端のオフィスで三角関係、みたいな演出を見たことがあるが、まったくげんなりした。オペラを見る上でのもう一つの主要な楽しみであるコスチュームや舞台美術まで、このうえ奪うつもりか。舞台を現代に設定すれば、観客も身近に感じてリアリティが増すとでも思っているのだろうか?

 むろん、ヴェルディは天才である。
 今回のオペラBOXも、いろいろな紆余曲折や我ながら気難しいと思う自身の注文をなぎ倒して、最後には物語世界にこの身を引っ張り込み、はからずも涙を浮かべさせたのは、ヴェルディの音楽の偉大さにほかならない。
 そしてまた、「復讐」や「処女崇拝」という幻想(=物語)にすんなり身を任せられない自分も、なんだかんだ言って、「子供の死を悼む親の気持ち」まで幻想として退けられないからだ。

 共同幻想が次々とあばかれ、蛇の抜け殻のように捨て去られていった先に、それでもなお我々に残されるものはいったい何だろう? 
 我々は最終的に何に感動するのだろう?
 結ばれることなく果てた恋愛?(ロミオとジュリエット)
 家族愛?(北の国から)
 ペットの死?(星守る犬) 

 あるいは、「我々」がなくなるのかもしれない。
 個人がそれぞれの幻想のうちに住んで、専ら個人的に感動する世界がすでに始まっているのかもしれない。
 

● イーストウッド、ついに同性愛を撮る! 映画:『ヒアアフター』(クリント・イーストウッド監督)

 2010年アメリカ映画。


 クリント・イーストウッド監督の最新作『J・エドガー』は今秋アメリカで公開、日本では年明けに封切られるそうだ。FBIの初代長官だったジョン・エドガー・フーヴァーを描いた伝記らしいが、話題の中心となっているのは、どうやらフーヴァー長官は同性愛者(クローゼット)だったらしく、側近のクライド・トルソンとの長年にわたる恋愛関係が映画の中でふれられていることである。(なんだかどこかの大国の大統領と首相の関係を思わせる)

 クリント・イーストウッド、ついに同性愛を撮る!
 
 そのことを知ったとき、「ああ、やっぱりな」と自分は思った。
 「やっぱり」というのは、クリント・イーストウッドが実はゲイだったとか、ゲイになったとか、作品を通して間接的にカミングアウト、とかというのではなくて、「この人、いつかは同性愛をテーマに撮るのではないか。」と以前から思っていたからだ。「それまで生きていられるかな?」とも。
 無事(?)間に合ったわけである。

 クリント・イーストウッドのイメージを一言で表すとしたら、十中八九の人は「男の中の男」と言うだろう。その作品は「男の映画である」と。
 マカロニウエスタンで人気に火がつき、ダーティーハリーで国際的スターになった俳優として、イーストウッドは映画の中でのイメージそのままに、アメリカを代表する男優として、その風貌においても言動においても「男の中の男」像を保ち続けてきた。グレゴリー・ペックやジェームズ・ステュアートのような理想の父親像とはまた違うが、チャールトン・ヘストンやハンフリー・ボガードに並んで古き良きアメリカの「男」を体現する一人と言える。
 監督として彼の描く世界もまた、男の小道具で満ちている。
 敵との戦い、勝利の苦味、敗残者の悲哀、プライド、見栄、野望、意地、連帯、暴力、アウトロー、一匹狼、車、タバコ、酒、拳銃、狩り、ボクシング、仕事への誇り、弱き女を守ること、共和党員・・・。
 西部劇の巨匠ジョン・フォードの正当な継承者と言えるだろう。あるいは、パパ、ヘミングウェイの。
 
 自分は、こういう世界が苦手だし関心もないので、もったいないとは分かっているが、ジョン・フォードはほとんど観ていない。日本でならさしずめ北野武だろか。映画史に残る映画作家であることは間違いないが、どうもあの暴力世界にはついていけない。
 日本とアメリカの理想の「男」像には、もちろん違いがある。
 日本の「男の中の男」というと、任侠の世界にその典型がもとめられてしまうのは不思議なことである。高倉健、菅原文太、本宮ひろ志の漫画を思い起こせば十分だ。ヒーローでも正義の味方でもなく、世間的には日陰者、社会的にはハミダシ者であることが「男」であるとしたら、やくざや暴力団や右翼にあこがれる若者がいてもおかしくはない。
 まあ、道を外さずに、マグロ漁船にでも乗ってほしいものである。この節、演歌歌手になるのも石原軍団に入るのももう難しいだろうから。


 閑話休題。

 ジョン・フォードや北野武はレンタルしてまで観ようとは思わない自分も、どういうわけかクリント・イーストウッドは気になって、すべての作品とは言わないが、時々思い出したように上映館に足を運んでしまう。
 一見、「男の映画」には違いないのだが、妙に文学的とでもいうのか、自らを相対化する深みのようなものが感じられて、惹かれるのである。
 最初に鼓動を感じたのは、『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)だった。これは、先進国の白人の「男」(イーストウッドが演じている)と現地の黒人達との相対性の苦味を描いた傑作である。そのとき、このままいけば、「男」である自分自身をやがて相対化していくだろうという予感を持った。
 その予感は『マディソン郡の橋』(1995)で見事に裏切られて、しばらくクリント作品から遠ざかった。
 2003年『ミスティック・リバー』は衝撃的であった。主人公は3人の少年、それぞれの成長を描いた物語だが、うち一人は少年時代に男に誘拐されて、レイプされてしまうのである。
 女をレイプしても「男」でいられる。男をレイプしても「男」でいられる。しかし、男にレイプされたら、もはや「男」ではいられない。その瞬間から一切の男の小道具が彼の手からは奪われてしまう。アメリカのようなマッチョの社会にあっては、社会的な死の宣告に等しい。「男」の崩壊・・・。
 2004年『ミリオンダラー・ベイビー』では、イーストウッドはジェンダーの崩壊というテーマを自らに課した。成功した。
 2008年『チェンジリング』ではまた新たなチャレンジ。母性である。
 続く『グラン・トリノ』は、自身が主役を張って、タイトル通り男の小道具をめいっぱい用意して、一見「男の映画」に逆戻りしているように見えるのだが、登場人物のアジア系の少年~園芸や料理が好きで、気が弱くてやさしい~はおそらくゲイだろう。役中のクリントは、隣家に住むこの少年を「男」に鍛えようと懸命にコーチする。そこがゲイの男がヘテロのふりをしようと努力する映画『イン&アウト』(フランク・オズ監督)を想起させて笑えるところであるが、つまり、「男」というのはこうやって作り上げられていくものだという種明かしを、クリントは描き出しているのである。映画の最後では、ダーティーハリーを髣髴とさせるよう銃撃戦になるかと思えば、さすがにもはやそのリアリティのなさは自身許さなかったのだろう。「男」としてのプライドは保ちながら、捨て身の作戦に打って出る。(観ていない人のために結末は書かない) クリントが自分自身の演技としてできるのはこれが限度であろう。そこを超えたら、培ってきたすべてのイメージが壊れてしまう。
 ここまで来たら、あとはそのものずばり「同性愛」をテーマにするだろう。もちろん、自分でない男優を使って。そう思った。
 なぜなら、同性愛とは、「男」を相対化する装置にほかならないからだ。

 そして、『ヒアアフター』である。

 クリントの作品をどうしてもジェンダーの視点がらみで観てしまう自分にとって(これもジェンダーバイアスか)、この作品の一番の見所は、マット・デイモンが霊媒師を演じているところにある。むろん、ジェンダーがらみで見なくても、この作品は、他のイーストウッド作品同様、とても丁寧に作られていて、しみじみとした感動が広がる佳作である。
 マット・デイモンは、戦争映画で主役を演じるは、ボーンシリーズで不死身のヒーローを演じるは、まさに昔のクリント・イーストウッドになぞらえるような男優である。その意味で、ここでのマットをクリント自身とダブらせることが可能であろう。(実際は、俳優としての二人の資質はずいぶんと異なる。マットは、たとえばベン・アフレックやショーン・ペンにくらべると、「男」を不思議と感じさせない。だから、霊媒師役をやっても大きな違和感がないのだ。演じられる役柄がイーストウッドより断然広いのだ。クリントが霊媒師を演ったらコメディにしかならないだろう。)

 マットが演じる男ジョージは、才能ある霊媒師であり、イタリア料理を習い、毎晩寝る前に詩を聴き、イギリスの生家に見学に行くほどのチャールズ・ディケンズのファンで、朗読会に行けば感動にふるえる。
 どうだろう?
 霊媒師、料理を習う、詩を聴く、ディケンズのファン、朗読会。
 まったく、男の小道具にそぐわないラインナップ。クリントの映画の主役にまったくふさわしくない男である。
 ジョージは、霊媒師という職業に嫌気がさして廃業し、建設現場でヘルメット(男の小道具である)をかぶって働いているのだが、リストラされてしまう。残された道は、霊媒師としての自分を受け入れることだけだ。
 彼はそこで旅に出る。イギリスに。そう、アメリカというマッチョな国からいったん離れることなしには、「男」をおりられないのである。
 イギリスで、彼を追ってきた少年のため仕方なく霊媒したのをきっかけに、ジョージは自らのありのままの資質を受け入れる心の準備を始める。そして、自らの理解者~津波から生きのびた女性、死後の世界(Hereafter)を垣間見て、それを世間の偏見に屈せず伝えることを決意した女性~との運命的な出会いがあって、物語は終わる。
 「男」をおりたからといって、「ゲイ」になるわけでも、「女」になるわけでも、女性と関係がもてなくなるわけでもない。イーストウッドにとっては、その重い鎧を脱ぐのがとてつもなく難しかったのだと思う。高倉健の例を出すまでもないが、出演作によって作られてしまったイメージ(虚像)と、本当のありのままの姿(実像)とのギャップによって生じるプレッシャーは、一般人にははかりしれない。素顔のクリントは実はこのジョージに近いのではなかろうか。 


 男の子が成長するとは、一般に「男」になることであった。
 アメリカやラテン国家などのマッチョ社会では、そのプレッシャーはとても大きい。だから、UNAIDS(国連エイズ合同計画)は、男と性行為を持っていても自らを「ゲイ」と認めることをしない「男」達へのエイズ啓発のために、MSM(Men who have Sex with Men)という造語をわざわざ作ったのである。むろん、ゲイと名指されることは、一直線に「男」から転落することであるからだ。
 「男」をおりること、「男」でなくなることは、とてつもない恐怖を伴っているのだ。

 ほかに迷惑をかけないのなら、いくらでも「男ごっこ」をしていてくれればよいと思う。
 だが、長年プレッシャーにさらされた「男達」は、長じてその抑圧を他者に向けることで鬱憤をはらそうとする。「男」ではない者たちに。別のグループ(文化、組織、派閥、チーム)に属する「男達」に。
 とりわけ、もっとも強いプレッシャーに置かれるのは、「男」を演じざるを得ないクローゼットの同性愛者であろう。彼らが勤勉と忍耐のあげくに組織の頂点に立ち、権力を手にしたとき、どんな抑圧を周囲にもたらすことか。(ロシアの今後が恐ろしい・・・。あくまで勘に過ぎない。念のため。)

 男とは何か。男の成長とは何か。
 クリント・イーストウッドが生涯考え続け、描き続けてきたのは、つまるところ、そこなのだろう。

 そういった意味では、彼の映画はジェンダー映画なのである。 

 ここから先(Hereafter)、どこに行くのか。
 それは、次回作を観るまでなんとも言えない。
 これまでの流れから推測すると、同性愛を否定的に、批判的に描くような野暮はしないであろう。実際、クリント自身、「同性婚」を擁護する発言をしているらしい。共和党員であることを考えると、面白いひねりである。
 何より楽しみなのは、フーヴァー長官の役をレオナルド・ディカプリオが演じているということだ。ディカプリオにとっても、『太陽と月に背いて』以来のソドミーもの(笑)である。もはや美少年とも美青年とも言い難くなったレオ様。どんなラブシーンを見せてくれるのだろうか?


 一つ予言をする。
 これでレオ様は念願のオスカーを手に入れるだろう。

P.S. マット・デイモンの次作『リベラーチェ』もゲイカップルもので、ピアニスト役のマイケル・ダグラス(!)とのラブシーンがあるそうだ。アメリカの「男」は揺れてるな。



評価:B+

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
         「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
         「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 
         「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」
         「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
         「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
         「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 
         「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
         「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」
         「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 
         チャップリンの作品たち   


C+ ・・・・・ 退屈しのぎにはちょうどよい。レンタルで十分。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
         「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 「ロッキー・シリーズ」

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。 「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
         「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。もう二度とこの監督にはつかまらない。金返せ~!!




 

● 映画:風の中のめんどり(小津安二郎監督)

 風の中の雌鳥1948年松竹。

 日本が無条件降伏してから3年後に撮った映画である。
 映画の中の時代背景も舞台も状況設定も、そのまま当時の日本(東京)とみていいだろう。
 その意味では、リアリズム映画と言える。よくあったであろう話。

 出来としては、当時の批評家の評した通り、そして小津監督自身が言った通り、「失敗作」なのだろう。84分という短い上映時間にかかわらず、長く感じてしまったあたりにそれが表れている。

 見るべきは、主役の田中絹代の演技となる。
 この人はぜんぜん美人じゃないけど、存在感は尋常じゃない。この人とからむと、あの京マチコでさえ食われてしまう。(『雨月物語』) 女の情念や愚かさや一途さを演じたら、この人の右に出る女優は昔も今もそうそういないだろう。
 そして、なんとなく小津監督もこの人の演技にひきずられてしまったのではないかという感じがする。
 というのは、小津映画にあっては役者の過剰な演技力は‘余分’であるからだ。それは、もっとも小津映画で輝いたのが、笠智衆と原節子であったことからも知られる。笠も原もなんだかんだいって、決して上手い役者ではない。少なくとも、同様に小津映画の常連であった杉村春子や『東京物語』の東山千栄子のように新劇的な意味で演技できる役者では、全然ない。
 だが、小津が自らのスタイルを確立する上で必要としたものを二人は持っていた。
 立体的で虚ろな顔と、純潔なたたずまい。
 言ってみれば、二人のありようこそが、真っ白なスクリーンかキャンバスみたいなもので、あとは小津マジックで、場面場面で必要な様々な感情や印象を二人の役者に投影して見せることができたのだ。そこで変に演技されると、小津スタイルを壊してしまう。

 病気になった子供の看病をするシーン。布団に横たわっている子供の顔をしゃがんでのぞき込む田中絹代は、スクリーンの中心から左半分にいる。子供の姿はそのまた左側なのでスクリーンに入っていない。凡庸な監督ならば、心配する母親の顔が画面中央に来るようにして、子供の寝姿と共に撮すだろう。
 この不思議な構図で我々の目が惹きつけられるのは、スクリーンの右半分、小卓に置かれたビールかなにかの瓶である。表面の光沢と物体としての重さ。その異様なまでの存在感。
 「物(自然を含む」)と「人」とが等価値で、時には「物」の方が尊重されて、スクリーン上に配置される。語ることなく動じることなく、ただそこにある「物」の世界の中に、ほんの一時、顕れてはドラマを演じ消えていく人間達。  
 「物」と「人」との絶妙なバランスこそが、小津スタイルの刻印である。

 杉村も東山も日本の演劇史に大きな足跡を残す名優ではあるが、微妙なところで、小津スタイルを壊すことなく、むしろ、持ち前の演技力によって逆に小津スタイルを浮きだたせる役割りを担っている。それは、小津の使い方がよかったのか、杉村や東山の呑み込みがよかったのか。きっと、もともとそれほど芝居をさせてもらえるようなテーマや脚本や役柄ではなかったことが大きいのだと思う。(杉村春子主演で小津が監督したら、やっぱり失敗作になると思う。)
 この映画での田中絹代は、小津スタイルにはまりきれていない。容貌ももちろんそうだが、何より本気で芝居している。この脚本と状況設定とでは、そうするよりほかないだろう。そう撮るよりほかないだろう。
 田中絹代は、役者に十分演技させながら独特の美を造形していく溝口スタイルにこそ向いているのだ。(『西鶴一代女』) 


 結論として、テーマ自体が小津スタイルには向いていなかったということである。

 それにしても、この翌年に『晩春』を撮っていることが驚きである。
 なんとなく、60年代くらいの映画と思ってしまうのだが、『晩春』も無条件降伏からたった4年後の話なのだ。




 評価:C+

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
         「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
         「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 
         「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」
         「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
         「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
         「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 
         「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
         「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」
         「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 
         チャップリンの作品たち   


C+ ・・・・・ 退屈しのぎにはちょうどよい。レンタルで十分。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
         「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 「ロッキー・シリーズ」

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。 「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
         「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。もう二度とこの監督にはつかまらない。金返せ~!!





● 東と西とが出会う時 本:クリシュナムルティ・懐疑の炎(ルネ・フェレ著、瞑想社)

 久しぶりのクリシュナムルティの本。クリシュナムルティ・懐疑の炎

 と言っても、クリシュナムルティ自身が書いたものではなく、クリシュナムルティの教えの熱心な共鳴者にして理解者であるルネ・フェレが、クリシュナムルティについて解説した本である。

 第一部では、インドの貧しい家庭に生まれた少年が、いかにして「世界教師」の器として英国のブルジョワのスピリチュアリスト達に見出されたか。青年時代にどのような精神的成長を遂げていったか。そして、どのようにして覚醒したか(悟りに至ったか)を紹介する。
 そこに、著者は何にもまして「懐疑の精神」を認める。既存の伝統、宗教組織、教義、哲学、霊的体験(それがいかに神秘的なものであろうとも)、権威、イデオロギーについて、鵜呑みにするのではなく、むしろ徹底的に否定する。その否定につぐ否定の道行きの先にしか真理はあらわれない。
 結果、クリシュナムルティは自らを営々と養い育ててくれた母体自体(神智学協会、星の教団)をも最終的に否定し、決別することになる。

 第二部ではクリシュナムルティの教えの核心を、彼と長年の知遇を得た著者の理解のままに、著者自身の言葉で語る。
 「異様なまでに凝縮され、研ぎ澄まされたクリシュナムルティ論」と訳者である大野純一があとがきで書いている通り、実に考え抜かれ、時の中で熟成され、言葉も引用も選び抜かれ、無駄な説明を徹底的に省いた、高い緊張感と緊密な論理をはらんだ文章である。一行たりともおろそかには読めない。ルネ・フェレのクリシュナムルティ理解が半端でないことが知られる。たんなる解説書とか伝記の域を超えて、この本自体が一つの哲学書というか思想書と言うべきであろう。

 序文を書いた英訳者は愚かにも、「本書をクリシュナムルティの教えの入門書とみなされたい」と述べているが、なかなかどうして入門書のレベルではない。適切な喩えではないかもしれないが、大乗仏教の真髄を凝縮している般若心経みたいなものだ。般若心経を大乗仏教の入門書とは言えまい。
 クリシュナムルティを相当読んできた読者が手にしてはじめて、真価を発揮する本である。一文一文があたかもタグであるかのようで、そこをクリックすれば、クリシュナムルティという広大なサイバースペースにある、膨大な彼の著書の中の他の言葉群や、他の人間が記した彼の伝記中のエピソードにつながる、そんな感じである。
 
 自分も一時、相当クリシュナムルティを読んだ。クリシュナジーにイカれたと言ってもよい。
 覚者、光明を得た人、現代の仏陀、孤高の哲人、世界教師、真理を知る人・・・。
 その神秘的な生い立ちと、古代ギリシャの哲学者のような印象的な風貌、そして、世界的な学者であろうと宗教家であろうと政治家であろうとマスコミであろうと、いかなる対談相手をも凌駕する、洞察力と観察力と存在感。また、詩人としての才能も豊かであり、同じ大野純一が訳している『生と覚醒のコメンタリー』(春秋社)などは、自然描写と彼の哲学とが客観的で抑制の効いた詩的な文体のうちに見事に融合した、第一級の随筆である。ことあるごとに本棚から抜いては、あちらこちらのエピソードを読み返し、しばし黙想にふけったものである。(いまこれと同じことをナンシー関の本に対してやっている。)
 
 しかし、あるとき、引越しを機に、持っていたすべてのクリシュナ本を友人の経営している古本屋に売ってしまった。
 なぜか?
 「もういいや」と思ったのである。
 
 亡くなって25年になる今も依然としてクリシュナムルティの人気が高いのは、どの程度本気なのかは問わず、「悟り」を求める人が多いからであろう。「真理」と言いかえてもよい。自分もまたその一人である。それが、個人においても、社会においても、唯一の「苦」からの離脱の道だと思うからだ。
 悟りとは何なのか、悟った状態とはどんなものなのか、悟るためには何をすればいいのか、悟った人は世界をどのように見ているのか・・・・。
 そういうことを知りたくて、クリシュナムルティの本を何冊も購入しては熟読してきたのであった。それが、どの本も結局、同工異曲、同じ言説の繰り返しに過ぎないとわかっていても。(真理は一つなのだから、当たり前の話なのだが)

 しかるに、たった一つ、疑問があった。
 クリシュナムルティは一切、真理にいたる手段、方法について語っていないのである。自分自身が悟りながら、世界中を旅して悟ることの重要性について膨大な聴衆に伝え、自己変容を促しながらも、「そこに至る道はない」と無情にも言い放つのである。
 
 これは最初からわかっていたことだった。
 
 クリシュナムルティが、孤高の覚者として、何ものにも縛られない一人の世界教師として、最初の咆哮を放ったのは、いわばクリシュナムルティが「クリシュナムルティ」になったのは、1929年オランダのオーメン集会。何千人という会員の前で、自らが長であった「星の教団」の解散宣言をした時である。
 彼の第一声がこうである。 

 「私は言明する。<真理>は道なき領域であり、いかなる道をたどろうとも、いかなる宗教、いかなる教派によろうとも、諸君はそれに近づくことはできない。これが私の見解であり、私はそれを絶対かつ無条件に支持するものである」。

 この言葉がクリシュナムルティ自身を縛ってしまった、とは言わない。
 しかし、クリシュナムルティは執拗に(と言っていいだろう)方法論を語ることをその後の生涯にわたって拒否した。結果として、クリシュナムルティの周囲で、またはクリシュナムルティの言葉を聴いて「悟った」人間の話はまったく聞かないのである。
 むろん、悟った人間は「私は悟った」とは言わないからかもしれない。自己主張や自己定義や自己顕示の欲望から自由なのが「悟っている」ということであるならば。
 
 ある意味では、「一切の方法論に懐疑の目を向け、それが内包する欺瞞~自我(エゴ)が存続するための巧妙な手口~を徹底的に暴き、それを否定する」という方法論を提唱したと言ってもよいのかもしれない。そうやって、すべてを徹底的に洞察し、虚偽を虚偽として見抜き、退けたさきに、「それ」が訪れる可能性がひらける。

 人が、自分自身の避けがたい問題から逃避しようとする一切の企ては失敗に帰着するということを悟るに至るとき、彼は真の孤独の何たるかを知るであろう。クリシュナムルティが単独性(aloneness)と呼ぶものは、たんなる寂しさではなく、真の、根源的孤独である。彼は全的裸形と全的責任の苦悶を経なければならない。彼は己の最も内奥の苦痛であり、そしてそのなかで彼が生きている社会風土に助けられて無数の自己欺瞞の下にひた隠しにしてきた、基本的恐怖に直面しなければならない。彼はいまや、この恐怖に充分に気づく。それは彼の骨髄までしみ通り、彼をその氷のような手で締め付ける。けれども、この死の苦悶は新生の陣痛に他ならない。彼の恐怖の叫びは、突如として最終的な解放の歌になる。苦悩はそのクライマックスに達し、そして突然消え去る。人は、一切の<私>意識が置き去りにされた後の、ある新しい、名状しがたい状態のまばゆい光のなかへ入る。

 筋道は明瞭だ。
 しかし、誰がこの困難極まりない道程、自分が正しい方向に進んでいるのかどうかさえ検討がつかないような道を、たった独りで、誰の助けも、何の手段も用いることなく遂行できるだろう? それができるのは、クリシュナムルティのように「選ばれた」人のみではないか、と皮肉の一つも言いたくもなる。
 そしてまた、こうも思う。
 いかに生来の資質に恵まれていようとも、クリシュナムルティ自身もまったく独力で「そこ」に達したわけではない。少年の彼を見出し、然るべく教育した人々がいて、何がしかの霊的知識を与えつつ、世界教師への道を整えてくれた組織が存在し、個人的にもヨガや瞑想を指導してくれた師がいたはずである。それらがなければ、彼は生まれ故郷のインドにいて、バラモンの伝統のままに生き、ちょっとぼんやりした、仕事のできない貧相な男のままで一生を終えていたことだろう。・・・・・

 言いたいことは分かった。もう言葉は十分だ。
 要は、頼りにする杖を持つなということだろう。
 ならば、まずクリシュナムルティを片づけよう。
 そうして、自分はクリシュナムルティのすべての本を手放したのであった。


 クリシュナムルティの教えは、よく革命的と言われる。
 その通りである。
 しかし、実のところ、それは西洋人にとって革命的なのであって、東洋人、とりわけ仏教徒にとってはなんら目新しいものではない。もっと断定的に言えば、仏陀の教えをそのままに伝える南方系の仏教を学ぶものにとっては今さらの言説のオンパレードである。
 クリシュナムルティの教えは、まったくのところ仏陀のそれとかわりがないのである。(その意味では、両人がインドから出たということは何か因縁を感じる)
 たとえば、上記の引用文は、そのまま仏陀の教えの中核となる「四聖諦」と重なる。
 まず、一切行苦に対する認識があり(苦諦)、そこには渇愛という原因があることを見抜き(集諦)、それを終わらせることができることを確信し(滅諦)、そのための道を示す(道諦)。仏陀もまた「苦」こそが、解放への手がかりになることを説いたのである。
 しかも、仏陀にあってクリシュナムルティにないものがある。そう、4つめの道諦、真理へ至るための方法論である。仏陀は、道諦の具体的な内容として八聖道を伝えたのであった。

 クリシュナムルティが革命的と称えられる最大のポイントは、近代西洋文明の根本基盤となっている「自我」を否定したところにあろう。確固たる自我があると考えることがそもそもの誤りであって、その自我の固定化と拡張傾向こそが諸悪の根源と喝破したのである。そして、自我の形成にあずかるところ大である「思考」を、害悪以外の何ものともみなさなかった。

 これもまた仏陀の専売特許である。
 諸法無我。そして、思考を退治するための修行方法としての観冥想(ヴィパッサナー)。


 クリシュナムルティは、幼くして東洋(インド)から西洋(イギリス)に渡り、上流階級の間で西洋文化の洗礼を受け、西洋的学問やマナーを基礎から身につけた。日常会話も講話もクイーンズイングリッシュだったと言う。
 だからこそ、西洋的概念と語彙を使って、古くから東洋に伝わる教えを、西洋人に理解しやすいスタイルのうちに伝え広めることができたのだ。
 だからと言って、別にクリシュナムルティを貶めるつもりは毛頭ない。仏陀と同じ真理にほとんど独力で達した。それは、圧倒的に偉大なことである。

 そうして、西洋はクリシュナムルティを通じて、ようやく仏陀を発見するのである。

 

● 現代の能が抱える危機 :吉祥寺薪能 「経正」「葵上」

 10月6日、吉祥寺月窓寺境内で毎秋恒例の薪能があった。

2012吉祥寺薪能 001 今年で26回目という歴史ある催しだが、自分ははじめてである。
 まずは、晴れてなにより。風もよし。気になっていた日没後の寒さも問題なかった。

 境内にはいってまず目にはいるのは、舞台背後にそびえ立つケヤキの大木。能楽堂なら老松の絵が描かれている位置だ。
 あたかも大黒柱のようにどっしりと会場の中心を担い、ほぼ満席に近い客席を睥睨(へいげい)しつつ、舞台と夜空とを結んでいる。
 葉の生い茂った枝は四方に十分のびて、屋根のように舞台と橋がかりを覆い、戸外ではありながら閉鎖されたような、しかし圧迫感とはほど遠い空間を生み出している。ちょうど橋がかりに顔をのぞかせる一本の松とともに、すばらしい舞台環境である。
 これは、いやがおうでも期待が高まる。

 見所(座席)は脇正面、前から5列目くらいであった。

 演目
 1.【能】        経正 (シテ:関根祥丸、ワキ:村瀬堤)
 2.【狂言】    樋の酒 (シテ:三宅右近)
 3.【仕舞】  遊行柳 (関根祥六)
 4.【能】        葵上 (シテ:岡久廣、ワキ:村瀬堤)

 狂言は無難に面白かった。仕舞は話の設定を知らないので、よくわからない。

 能はどちらも、とても面白く、熱演でもあり、椅子から身を乗り出して見入ってしまった。
 「経正」はいくさで討たれ死霊となった若き公家の昔日の遊興に対する執着、「葵上」は光源氏との恋に執着するあまり生き霊となった六条御息所のすさまじい嫉妬。対照的な曲に、プログラム構成の妙を感じた。

 経正を演じた関根祥丸(よしまる)は、1993年生まれとあるからまだ18歳。青春の頂きにある。
 平経正が亡くなった年齢はわかっていないが、おそらく30代以下ということはないだろう。
 この曲は、いくさで命を奪われ今や修羅の世界で苦しむ経正が、親王はじめ人々に愛された、楽しく、華やかなりし青春の頃を懐かしむとともに、琵琶の名手として名を馳せた一人の芸術家が芸事への尽きせぬ思いに身を焦がす、というテーマである。
 失ったもの(過去)への恋慕と執着。
 祥丸は、さすがにそれを表現するには若すぎる。
 だから、今若の能面のままに、若い経正を若いままに演じている。
 青春の情熱と喜びとをほとばしるようなテンションで表出し、若さの絶頂で戦争に身柄を取られ、撥を持つ手に刀を握らなければならなくなった無念さ、管弦の調べのかわりに阿鼻叫喚を聞かなければならなくなった運命の不条理を、子供のような、手放しの泣き顔で表す。薪に照り輝く能面のほおが涙で濡れているかのようだ。

 経正の物語が、一挙に千年の時を超えて、現代に直結する。
 それは、太平洋戦争で志半ばで戦地に散った画学生の遺作が展示されている、長野県上田の無言館へと思いを運び、輸入血液製剤でHIVに感染し10代でこの世を去った血友病の子供達の姿を眼前に浮かばせ、そして、聖戦という大義のもと物心つかぬうちから銃を担ぎ戦士に仕立て上げられる遠い国の子供たちへとつながっていく。

 能で感涙にむせんだのははじめてだ。

 
2012吉祥寺薪能 002 六条御息所を演じた岡久廣もすばらしかった。
 能楽という、形式のきまりきった言葉と動きの中の、ほんの一瞬、ほんの一呼吸のズレに、御息所の嫉妬と憤り、自らのあさましい姿に対する恥とためらい、老いてゆく女性の哀しみ、それでも断ち切れぬ光源氏への恋慕を生き生きと表現する。能がこれほど肉体的になりうるとは思いもよらなかった。いったい光源氏のどこがいいのか分からんという個人的な思いはおいといて、見事というほかない。
 燃えさかる薪は、御息所の嫉妬に狂える心と、来たるべき来世の苦しみとを暗示する。
 前ジテの完成度は圧巻である。

 しかるに、後ジテとなって、行者横川の聖とのたたかいになるあたりから、テンションが落ちていく。
 これはどうしたことか。

 行者に迫力も貫禄も感じられない。
 いくら真言を唱え、数珠をならそうとも、法力のなさそうな感じは否めない。これで、御息所を折伏できるとはとうてい思われない。とくに、前ジテであれだけ執念の強さと恨みの深さを見たあとでは。
 だから、「この後またも来たるまじ(もう二度とここには来ません)。」という御息所の言葉が本当らしく響かない。橋がかりを去っていく姿も、なんだか頭を左右にふりふり、納得いかずに、未練がましく去っていくみたいに見える。

 「きっとまたやって来るな」

 
 だが、よくよく考えてみると、これは行者役のワキの演技のせいとも言えないようだ。

 そこには現代における能が抱える根本的危機の要因がある。(なんて大げさか?)

 多くの謡曲は、仏教の功徳によって、現世に執着し迷っているシテの霊が成仏する、あるいは成敗されるという大団円を持っている。
 清経、実盛、松風、砧、道成寺、江口、卒塔婆小町、山姥、海人、船弁慶、殺生石、鵜飼・・・・。あげればキリがない。
 引導を渡すのはたいていワキの僧侶である。
 僧侶はその非俗性と法力ゆえに、シテの霊があの世からこの世へ渡ってくるための道を開く。と同時に、加持祈祷や念仏によって、霊たちの荒ぶる心を抑え、魂を浄化し、あの世へと押し戻すのである。その結果、仏教の大いなる功徳とありがたさが称揚され、能を見る人たちの信心を強固にする仕儀となる。

 そもそも、こうしたストーリーが成り立つのは、源氏物語よりはるか昔から観阿弥・世阿弥の時代を経て、つい最近に至るまで、日本人の心の核に仏教に対する篤い信仰心があったからである。
 念仏を聞いた霊たちが形相を変えて苦しんだり、じゅんじゅんと反省の色をしめしたり、すごすごと退散したりすることは、仏の功徳を信じ、ことあれば念仏を唱え、お坊様をありがたがる民衆にとって、ごく自然の展開であっただろう。水戸黄門の印籠よろしく、しぶとい悪鬼怨霊も神仏の大いなる力の前には最終的には降参し、尻尾を巻いて逃げるほかない。万事解決。そこには、溜飲を下げるという心地よさ(カタルシス)も潜んでいたはずだ。 
 六条御息所が横川の聖の加持祈祷に苦しみ、七転八倒したあげく、降参するという展開も、何ら疑いをはさむことなく、リアリティを持って受け止めたことであろう。

 ひるがえって、現代の我々は、そこにリアリティを感じるだろうか?
 それだけの信仰心を持っているだろうか?
    
 演者はどうだろう?
 ワキの行者は、はたして自分の力をどこまで信じているだろうか? 仏のご加護を信じているだろうか? 
 シテの御息所は、仏の力を畏れているだろうか? 畏れながらも一方で仏に救われたいと心底思っているだろうか?
 言葉をかえると、自分の演じていることにどれほど納得しているだろう?

 ワキも、シテも、観客も、そこにリアリティを感じられないとしたら、御息所と行者とのたたかいは単なる力くらべ、形だけの合戦になってしまう。

 御息所の生き霊が立ち去るには、それだけ十分な理由が必要である。
 その必然性を感じさせる工夫を編み出さない限り、現代の能はどこかかたちんばにならざるをえないのではないだろうか。
薪能ちらし

  
 
 


  


 
  




● 大和路の秋に憩う~浄瑠璃寺、岩船寺、大華厳寺~

10月3日

 別件で関西に来たついでに、秋の奈良を散策することにした。

 近鉄奈良駅から浄瑠璃寺行きのバスが1時間に1本出ている。それに乗れば30分足らずで静かな当尾(とおの)の里に到着する。
2012秋の関西旅行 012 市内の有名なお寺とはくらべるまでもないが、テレビや雑誌などで取り上げられることが多くなったせいか、浄瑠璃寺も最近とみに人気である。名前も良いのだろう。
 自分も、テレビ朝日のニュース番組だったと思うが、夜のしじまに金色に光る九体の阿弥陀仏が池のほとりに神秘的に並んでいる映像を見て、「行ってみたい」と思ったのであった。
 が、なによりもこの寺を有名にしたのは、2002年に松坂慶子がここでヌード写真を撮影し、写真集『さくら伝説』を出したことであろう。あとから知って写真集を見たが、50歳とは思えない肌の美しさと、そういう企画をのんでしまう浄瑠璃寺の住職のふところの広さ(あるいはふところの寒さか?)に感心したものである。

 平日朝10時の境内はほとんど人がいない。
 木漏れ日が池の面にチラチラと揺れるのが、落ち着きなく思われるほどの静かさ。
 いい庭である。派手派手しさがなく、禅寺のようにシンプルすぎず、過度に人工的でなく、広すぎず、狭すぎず、周囲の自然と調和している。ほっとする。
 山門から入って、なぜか自分は右手にある本堂のほうに行かず、左手にある三重塔に先に足を向けた。これが正しいことがあとでわかった。パンフレットにこうある。

 この寺は東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀堂から成り立っている。寺名は創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられた。
 薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遺送仏である。阿弥陀仏は西方未来の理想郷である楽土へ迎えてくれる来迎仏である。
 薬師に遺送されて出発し、この現世へ出て正しい生き方を教えてくれた釈迦仏の教えに従い、煩悩の川を超えて彼岸にある未来をめざし精進する。そうすれば、やがて阿弥陀仏に迎えられて西方浄土へ至ることができる。
 この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝である。
 
 三重塔のある高台から池越しにふりかえったとき、阿弥陀堂の扉が全部開いていれば、九体の阿弥陀仏が横一列に並んで微笑んでいる、壮観な、ありがたい姿を見ることができるのだろうが、やはりそれは特別なときだけのご開帳。普段は扉は閉ざされていて、阿弥陀仏を見るには拝観料が必要である。

 九体の阿弥陀仏を奉納するブームは、いわゆる末法が目前に迫った平安時代後期(藤原道長の頃)に流行ったが、九体とも揃っているのは、いまこのお寺だけだそうだ。なぜ九体かというと、浄土にもランクがあって、下の下、下の中、下の上からはじまって、最高の上の上まで九つの往生の段階があるから、それぞれの段階ごとに一体ということらしい。どこに行くかは、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件次第という。(お寺へお布施の額とか)
 枕草子で、清少納言が「極楽に行けるなら九つのランクの一番下でもかまわない。」と言ったのに対し、「そんなんじゃだめよ。どうせ望むなら一番上等なものを望みなさい。」と、主人である中宮定子にたしなめられる場面がある。 
 なるほど、それぞれの仏像をよく見ると、いわゆる印相(手の形)こそ同じであるが、顔の表情が微妙に異なっている。向かって左から順に、右に進むほど、品のある高貴な顔になっていく。中にはちょっと漫画チックなユーモラスな顔もあって、九つの仏の顔を、その浄土にやって来る人の心の成長の度合いによって彫り分けなければならなかった彫刻家の苦労が偲ばれる。
 本堂一番右端の不動明王像の左右に、まるで二卵性双生児のように控えている「智慧」を表すせいたか童子と「慈悲」を表すこんがら童子。その対照的な表情は一見の価値あり。この二体のフィギュアをセットで売らないものかしら。
 猫たちが幸せそうに我が物顔で境内を歩き回っているのも、この寺の良いところ。
 まったく、日向で居眠りしている猫の顔ほど、見る者の心をほぐすものがあるだろうか? 
 いかなる仏像の顔もこれにはかなわない。
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 浄瑠璃寺から岩船寺(がんせんじ)までは、歩いて40分。
 この道が本当に気持ちよい。
 柿の木、コスモス、野菜や梅干しの販売スタンド、ところどころにひょっこり出現する石仏、野菜畑、蛇の横切る竹林の山道。日本の里山の風景がそこにある。
 小春日和と言うには早いが、やわらかな日差しで、すっかり心くつろぐ。

 「こういうのどかな山歩きは久しぶりだなあ」

 そう思って、考えてみると、今年の春は山歩きを楽しむどころではなかったのであった。

 震災のために、春が抜けていた。

 
 岩船寺は、天平元年(729年)、聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まるというから、相当歴史の古いお寺である。
 本堂にも、平安時代(946年)の阿弥陀如来像から、鎌倉時代の十一面観音像(これがまことに美しい!どことなく浅田真央に似て)、室町時代の十二神将像(これが実にカッコイイ!一人一人のキャラが立っていて少年マンガの登場人物のよう)と、いろいろな味わい深い仏像がたくさん並んでいる。

「こんな田舎に、こんなすばらしい仏像が、隠れていたとは・・・・」
 
 当尾(とおの)地区はもともと、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結んだところから発展したらしい。最盛期(平安後期)には、岩船寺だけでも東西十六町、南北十六町(約1、7キロ四方)の敷地に39の坊舎があったという。石仏の多くもそのころに作られたようだ。
2012秋の関西旅行 019 まさに信仰の土地だったのだ。
 
 三重塔の屋根(というのだろうか)の四隅の垂木の下に、あたかも屋根を支える力士のような姿で、天の邪鬼が座っている。この表情が愉快。


 バスで加茂駅に。
 JR関西本線で奈良駅に。
  奈良駅が新しくなっていることに驚く。とともに、昔日の思い出が蘇る。
http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/5041714.html

2012秋の関西旅行 022 新しくなったのは駅だけではない。
 奈良駅からずっと猿沢の池や興福寺へとまっすぐ続く道がきれいに舗装されていて、両側には小ぎれいでオシャレな店が並んでいる。京都にくらべ、野暮ったかった奈良駅とその周辺が生まれ変わった。そうなってみると、あの野暮ったさが妙になつかしく思えるのだから勝手なものである。

 大華厳寺とは、東大寺の別称である。
 南大門の額にそう書いてある。
 名前が違うと、ずいぶん受ける印象も違うが、東大寺は何より華厳宗の大本山なのである。
 奈良の大仏は、華厳宗の根本教典である「華厳経」の中で本尊とされている盧舎那仏(るしゃなぶつ)、またの名は大日如来である。鎌倉の大仏(阿弥陀如来)とも兵庫大仏(薬師如来)とも異なる。

 華厳宗っていうと、高校時代の日本史で頑張って記憶した覚えがある。奈良時代に栄えた南都六宗(三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・律宗・華厳宗)の一つである。
 Yahoo百科事典によると、

華厳宗の教理は、すべてのものの円融無碍(えんゆうむげ)なる関係を説くもので、大乗仏教の縁起説(えんぎせつ)の究極的な発展形態を示す。密教の教理の背景は華厳思想で、さらに禅の思想のなかにも生きている。東大寺を中心として栄えた華厳宗は、明治初年に浄土宗の所轄となったことがあったが、1886年(明治19)に一宗として独立し現在に至っている。寺院数60、教会数26、布教所数38、教師数880、信者数4万2639(『宗教年鑑』平成14年版)。

なんと(洒落を言ってるつもりはない)、現在もちゃんと一つの宗派として生き残っているのだ。真言宗(空海)や天台宗(最澄)の登場と共にとっくに衰退していたと思っていた。

 いったい自分はこれまで東大寺をどう認識していたのだろうか?
 日本で一番大きい、世界遺産である大仏を保存管理し、それを参観させることで運営している観光名所の事務局、みたいなイメージだ。宗教を司る寺の機能としての東大寺など考えたこともなかった。ましてや、どこの宗派かも知らなかった。
 我ながらひどい・・・・。

 ちなみに、南都六宗の他の宗派のお寺が現在どうなっているのか調べてみた。
  三論宗・・・寺はない
  成実宗・・・寺はない
  法相宗・・・法隆寺、興福寺、薬師寺
  倶舎宗・・・寺はない
  律宗 ・・・唐招提寺
  華厳宗・・・東大寺


 なんと(洒落を言ってるつもりはない)、まあ明らかではないか。
 今も残っているのは、世界遺産に登録されているお寺を有しているところだけ。
 つまり、宗教としての意義で残ったのではなくて、文化遺産としての価値にあやかって残っているのである。

 だが、考えてみると、現代日本人の多くは自分が参拝しているお寺がどの宗派に属するのか、どの経典を奉っているのか、賽銭をあげ祈りや願いを捧げている本尊である像がいったい何なのか、よく知らないのではないか。盧舎那仏という名前くらいは知っていても、それが仏教の中でどういう立場にあるかは、熱心な仏教信者か、よほどの仏像オタクでもない限り、人に説明できないだろう。
 区別できるのは、せいぜい仏教(お寺)か神道(神社)かの違いくらいで、あとは「仏教」というラベルの付いた合切袋に何でもかんでも放り込んでしまって、袋ごとありがたがっているのが実情ではないだろうか。
 逆に言うと、仏教というラベルさえつけてしまえば、大方の宗派はその内容を子細に調べられたり存在価値を追究されることなく、葬儀と法事と墓参りを担当する職業集団として社会に存在し得る。有名な仏像か建物の一つでも所有していれば、あとは安泰である。

 大乗仏教は間口が広い。
 自らの悟りの完成より、慈悲による大衆の救済を謳ったそもそもの起こりからして、その傾向はしからしめるところである。それが日本に入ってきて、多様化し、時代の要請や為政者の都合や民衆の苦しみに対する共感を産屋にして多数の宗派が生まれた。
 しかるに、その昔、当尾の地をおおっていたような僧達の真理に対する熱い究明心も、民衆の素朴で純粋な信仰心も、今は見る影もなくなってしまった。
 にもかかわらず、多くの宗派が、仏教というブランドを身につけて、要請がなくなった現在でも生き残り続けている。
 現在、大乗仏教が救っているのは、民衆よりはむしろ、いろいろなレベルで社会に寄生する宗教者達自身なのかもしれない。


奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
    声きく時ぞ 秋は悲しき

           猿丸太夫『古今集』


 

2012秋の関西旅行 026



 








● 世界的観光都市の冷たいデザイン

 先日久しぶりに奈良に行き、JR奈良駅が新しくなっているのにびっくりした。

 数年前、ここで苦い思い出がある。
 身体障害で車いすを使っている知人と一緒に奈良駅ホームに降り立ったのであるが、エスカレータもエレベータもなく、改札まで行けないのである。人手があれば、車いすを持ち上げて階段を乗降すればよいのだが、駅員も少ない。ならば、ホームの端から駅の外に出られる駅員専用の通路を使わせてほしいと頼んだのだが、いい顔しない。
「これが、世界中から観光客がやって来る日本の代表的な観光都市かよ!」
と怒りに震えたのを覚えている。

 新しくなった奈良駅は、きれいで、広々としていて、表示もわかりやすく、もちろんバリアフリーである。世界遺産を有する都市としての名に恥じない立派さがある。駅から観光客の主要目的である興福寺や東大寺に向かう道もきれいに舗装されて、奈良漬けを連想させるような昔の野暮ったさから脱皮しつつある。

 しかし、奈良駅の巨大なコンコース~これなら修学旅行生や中国人団体客がいくら来ても大丈夫~を見渡して、あることに気づいた。
 1.ゴミ箱がない
 2.時計がない
 3.ベンチがない

 この3つは最近の公共交通機関の特徴といえる。
 オウム真理教事件をきっかけに駅や列車内のゴミ箱が撤去されるようになった。9.11テロはそれに拍車をかけた。むろん、エコロジー意識の高まりもあろう。しかし、やりすぎではないかと思う。ゴミ箱を設置しないなら、駅や列車内でものを売るな!と言いたくなる。
 時計がないのも不便である。腕時計や携帯電話があるからというのが理由だろうが、忘れたり電池が切れていることだってある。それに、先だっての地震のときの東京のように、突然災害があった時など駅に閉じこめられることだってある。携帯の電池だってそのうち切れるだろう。その前に電波が届かなくなるかもしれない。そんなとき、誰にでもすぐ見えるところに大きな時計があれば、安心できるし、規律が保てるというものだ。

 1や2はまだ大目に見られる。一番問題なのは「ベンチがない」ことだ。
 大体、駅に到着する人というのは、どこかから移動してきたわけで疲れている。重い荷物やおみやげを持っていればなおさらである。一服してから、次の行動にうつりたい。列車待ちの間もどこかに座って、ゆっくりしたい。なのに、まるで「発車時刻ぎりぎりに来い。着いたら早く構内から出て行け。」と言わんばかりの殺風景さ。
 おそらくは、ホームレスが駅構内に居着くのを避けるための手だてなのかもしれないが、それとこれとは別問題である。
 日本がこれから超高齢化社会を迎えるという事実が分かっているのだろうか? 移動で疲れたお年寄り達に向かって、立ったまま列車の来るのを待っていろと言うのか。冷たいタイルの地べたに座っていろというのか。
しかも、広々としているだけに構内は寒い。
 なんと非情なんだろう!

2012秋の関西旅行 027
 帰りは夜行バスに乗るため、京都駅に行った。
 京都駅もまったく同じである。いや、輪をかけてひどい。
 時計もない。ゴミ箱もない。そして、あの無駄に垂直方向に広いコンコースの中にも駅の外にもベンチがまったく見あたらない。どこで列車を待てばいいのか。金出してどこかのお店に入っていなさいということか。
 しかも、わざとそういうデザインにしたのか(原広司デザイン)、巨大な吹き抜けになっている上に、外壁がない部分が多いものだから、大気がそのまま入ってくる。駅構内の寒いこと。10月はじめで構内にずっといられないくらいなのだから、冬はたまらないだろう。昔の京都駅は汚かったけれど、どこかに寒さを避けるための居場所があった。

 いったい、京都の気候を考えて作ったんだろうか?

 今回、バスの待ち時間に吹き抜けの上まであがってみた。
 なんだろう、あの大階段?
 宝塚か?
 蒲田行進曲か?
 毎年2月に「JR京都駅ビル大階段駆け上がり大会」というのをやるそうだ。

 ばっか!

 あんなもの作るくらいなら、なぜあそこをフリーの待合所にしなかったのか?

 人に優しくない設計して何が建築デザインだろ? 何が世界遺産だろ?
 
 形だけのバリアフリーなんて、古都の名をおとしめるだけだ。

 


 


 

 
  
 
 

 

● オペラ映画の難しさ 「ボエーム」(ロバート・ドーンヘルム監督)

 銀座の東劇にプッチーニの「ボエーム」がかかっているという新聞記事を見た。

 「ボエーム」はそれほど好きなオペラではないけれど、現代最高のソプラノの一人と称されるアンナ・ネトレプコが主役のミミを歌っているとあっては聴かなきゃ損だ。本場(ニューヨークのメトロポリタン劇場)に聴きに行くことを思えば、たとえ映像であれ、1800円なんてべらぼうに安い。
 東劇近くのうどん屋で軽く腹ごしらえをし、久しぶりのオペラ鑑賞に、いざ出陣!

 435席の館内に10人ばかり。これで運営していけるんだろうか?と他人事ながら心配になる。
 いや、他人事ではない。東劇は、数年前からMETライブビューイングをやってくれている数少ない劇場の一つである。世界三大オペラハウスの一つであるメトロポリタンの、最高の指揮者、オーケストラ、歌手、演出家らによる、今シーズン上演したばかりの取れたてのオペラを、ライブ撮影の上映によって日本にいながら数千円で体験できる。貧乏なオペラファンとしては、誠にありがたい、夢のようなプロジェクトなのだ。ぜひ、今後も続けてほしいのだ。
がんばれ、東劇。がんばれ、松竹。

 場内が暗くなり、予告編なしにオペラが、プッチーニの音楽が、始まった。スクリーンには、雪に白く覆われた昔のパリの下町風景が写った。
 
 「あっ、失敗した!」
 
 METライブビューイングではなくて、普通のオペラ映画だったのである。
 よく調べなかった自分が悪い。道理で上映時間も短いし、料金もいつもより安いはずだ。実際に上演した舞台のライブ映像だったら、幕間の休憩時間も含めて3~4時間はかかるのが普通である。その覚悟で腹ごしらえしておいたのだ。入場時にもぎりの人に上映時間を聞いたら「2時間くらいです」と言ったので、「あれ?妙に短いな?」と思ったのだった。よもやオペラ映画とは!

(2008年ドイツ・オーストリア制作。114分。)


 オペラを映像化するのは難しい。
 これまで観たいくつかのオペラ映画の中で成功していると思ったのは、フランチェスコ・ロージの『カルメン』くらいである。あとは、残念ながら残念な結果ばかりである。映像があるばかりに純粋に音楽としても楽しめなくなるし(目をつむって座っていればよい? それだったら家でCDを聴きながら、自分の頭の中で場面を想像したほうがよい)、純粋に映画として観るにはあまりにつらすぎるのだ。だから、なるべく避けてきたのである。
 METライブビューイングも映像であることには変わりはないが、実際の舞台を撮影したものなので、映画を観ているというより舞台(芝居)を観ているという感覚のほうが強い。それならば、たとえライブの臨場感や迫力に欠けていようとも違和感は感じずにすむ。

 残念ながら、このオペラ映画「ボエーム」もまた、幸福な例外というわけにはいかなかった。

 終映後、帰りの電車に揺られながら考えた。
 オペラ映画の持つ、この違和感、つらさの正体はなんなのだろう?

 おそらく、一番の原因は、映像を音楽に合わせなくてはならない不自由さにあるのだろう。
 オペラの熱烈な観客を考慮してだろうか、音楽を断ち切るとか一部だけ使用するということをまずやらない。舞台の時と同様に、一曲のオペラを、前奏から始まってアリア(詠唱)も重唱もレチタティーヴォ(語り)もインスツルメントも間奏も、最初から最後まで通して使うのが通常だ。いきおい、映像のほうを音楽に合わせて作らなければならない。ということは、台本もセリフも変えられない。
 もちろん、舞台でもそれは同じことで、舞台を動き回らずに一つところに立ったまま歌うのが慣例となっているアリアはともかく、重唱やレチタティーヴォやインスツルメントでは、音楽に合わせて役者に芝居をさせないとならない。そこが演出家の腕のみせどころでもある。
 が、舞台上なら格好のつく役者たちの立ち回りや小芝居や歌っている際の表情が、スクリーンになるとどうにもこうにも不自然に見えてしまう。客席と距離がある舞台上で書き割りの前で形式的な演技をするのは自然に見えるのに、スクリーンにアップになって実写風景の中でリアリティのある演技をされると不自然に見える。
 ミミ役のネトレブコもロドルフォ役のローランド・ビリャソンも、さすがというほかない見事な歌唱と演技とを披露しているのだが、役に入り込んで熱心に演じれば演じるほど、観ているこちら側はシラけてくるのである。二人のせいでは決してない。
 つくづく、オペラというものはリアリティとは馴染まないものなのだと思う。
 リアリティを追求しようと頑張れば頑張るほど、もともとオペラが持っている奇形性が目立ってしまうのだ。たとえば、歌いながら芝居すること。荒唐無稽なご都合主義のストーリー。陳腐で大げさなセリフ。ルックスが映像向きでないソプラノ。(ネトレブコはルックスはバッチリである)、いまわの際に大声を張り上げ続けるテノール、音楽によって無視される芝居の上での「間」。そして、映像ならワンカットで説明できるシチュエーションを、台本通りという制約のせいで説明ゼリフを何度も何度も繰り返し歌い続けることで発生するくどさ。
 
 考えてみると、たしかにフランチェスコ・ロージの「カルメン」は、広い風景の中でのロングショットばかり使っていたような覚えがある。

 むしろ、映像に合わせて音楽を編集して使ってみたらどうだろうか? ミュージカル映画のように。
 だが、その場合は、セリフができる、芝居のうまい、ルックスの良い歌手を起用しなくてはならない。あるいは、芝居は俳優にさせて、歌の部分は歌手がアフレコする。(昔、八千草薫がこのやり方で「蝶々夫人」を演じたはずである。一度観てみたいものだ。)
 
 さて、落胆して見始めた「ボエーム」であったが、面白いなあという点も実はあった。
 一つは、ミミとロドルフォが出会ってから結ばれるまでの時間である。なんと、この映画では出会ってから20分足らずでベッドインしてしまうのだ。これには驚いた。確かに、リブレット(台本)上でも、出会って、暗闇で一緒に鍵を探して、アリアで自己紹介しあって、すぐに愛を口にするせっかちな(動物的な)二人である。でも、まさか、そのままヤってしまうとは! それも、ミミが自分の部屋にロドルフォを招き入れるという形で。
 19世紀のモンマルトルではこれが当たり前だったのだろうか? それとも、現代人にリアリティを感じさせるには、これくらいしなければならないということなのか? 淀川長治さんが観たらなんて言うのか、知りたいものである。 
 もう一つ。ムゼッタ役のソプラノが強烈な存在感を出していて、たまらないものがある。ニコル・キャベルという名のアメリカ人歌手であるが、松任谷由実と欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)と戸川昌子と室井滋とルーシー・リューを足して4で割ったような個性的な外見を生かした、叶恭子ばりのビッチな演技で思いっきり愉しませてくれる。
 「私が街を歩くとみんなが振り返る」と彼女が歌うと、
 「そうだろうな~」と納得せざるを得ない。
 なるほど、これはこれでリアリティがある。
 プロフィールを見ると、アフリカ系アメリカ人の祖父を持ち、コーカサス/コリアン系とある。歌もうまい。
 これだけの突出した個性によってはじめて、オペラ映画の持つ不自然さを耐えさせてくれるのだと思った。
 


● 受動意識仮説の衝撃 本:『脳はなぜ「心」を作ったのか』(前野隆司著)

前記事の続き。

心と脳との関係についての3つの見解。

1. 心(意識)と脳(体)はまったくの別物である。(心身二元論)
2. 脳が心を作り出した。心(意識)は脳(体)の産物である。(身的一元論、唯物論)
3. 心が脳を作り出した。脳(体)は心(意識)の働きによって生み出された。(心的一元論、唯心論)

 偏見を承知で言うと、1は文系の人が、2は理系の人が、3は宗教系(スピリチュアル)の人が抱きやすい考え方だと思う。
 そして、1と3は、ある意味、魂の存在を信じることや、肉体上の死後の生を夢想することにつながる。2は、「死んだら終わり。はい、それまでよ~。」である。

 自分はどうか。1と3の中間くらいである。(2というわけではない。1のような気もするし、3のような気もするってことだ)
 もちろん、なんらかの根拠があるわけではなくて、「2が本当だったら、なんか嫌だなあ~」と思うからである。
 なんで嫌かと言うと、いまある「私」という意識は肉体によって産み出されたものにすぎず、肉体の崩壊=死とともに消失し、あとには何も残らないというふうに考えることが、「つまらない」「冒涜的」「屈辱的」「人間の尊厳を壊しかねない」「社会的にリスキー」と思うからである。要は「わたしがかわいい」のである。
 「社会的にリスキー」というのは、天国も地獄も来世の存在をも否定することは、「生きている間に好き勝手しよう」という刹那的な考えを蔓延させると思うからだ。21世紀の現代でも、やはり人々の心のどこかには天罰とか因果応報とか自業自得という観念が巣くっている。(例:震災についての石原慎太郎発言) それが、やけになって他人を傷つけたり自殺したりせずに、なんとか最期までまっとうに生き抜くためのよすが、砦となっているからだ。

 しかし、「そう思いたい」という願望や幻想、「そういうふうにしておいたほうが無難」といった方便と、科学的事実とは、分けて扱われなければなるまい。

 前野は、徹底した身的一元論者。2番である。
 茂木健一郎は、著書を読む限り、世に華々しく登場した最初のうちは明らかに2番だったが、徐々にあやしくなってきて「魂」とか言い始めている。今では1番に近いのではないか。(なるほど、この人には文系に対する憧れのようなものを感じる。)
 
 ところで、ここまで、「心」と「意識」を同一のもののように扱ってきたが、前野の見方に従って、次のように分別しよう。これは、脳科学者の松本元の説だそうだ。
 
心を成り立たせる部品は5つ・・・・ 知(知性、知力)、情(感情)、意(意図、意思決定する働き)、記憶と学習、意識 

 これ以外に「無意識」がある。無意識を心に含めるかどうかは微妙なところだ。無意識だけで生きている生物、たとえば微生物に「心がある」とは言いにくい。

 さて、意識とは、「知・情・意・記憶と学習」全体を主体的に統合する作用だと一般に考えられている。これは普段、我々が「私が知る」「私が考える」「私が感じる」「私が意図する」「私が決定する」「私が記憶する」「私が思い出す」「私が学ぶ」と認識していることを考えれば、首肯できるところだ。5つの部品のうち、上の4つはどれも「私」すなわち意識において起こっていると実感できる。

 知・情・意・記憶と学習については、脳科学の進歩によって、ある程度、そのシステムが解明途上にある。少なくとも、脳のどこの部分で働きを担当しているかがマッピングされている。
 一方、意識については、一体どこにあって、どんなふうに働いているのか(どのような生化学的作用が意識を立ち上げているのか)がまったくわかっていない。
 なぜ、科学的な法則で説明可能であるはずの肉体(脳)から、科学的にその存在すら証明できない心(意識)が生まれたのか。どうやってそれは他の部品を統括できるのか。「私」が認識する対象の生々しさ(夕日の赤、鳥の声、お好み焼きの匂い、アイスクリームの甘さ、絹の下着の肌触り、いわゆるクオリア)は一体なぜ、どうやって生まれるのか。「私」という感覚はなぜ、どうやって生まれたのか。
 わからないことだらけである。
 まさに、お手上げ。

 この人類最大の謎の一つに、前野が出した答えが、「受動意識仮説」である。

 自分とは、外部環境と連続な、自他不可分な存在。そして、「意識」はすべてを決定する主体的な存在ではなく、脳の中で無意識に行われた自律分散演算の結果を、川の下流で見ているかのように、受動的に受け入れ、自分がやったことと解釈し、エピソード記憶をするためのささやかな無知な存在。さらに、意識の中でもっとも深遠かつ中心的な位置にあるように思える自己意識のクオリアは、最もいとしく失いたくないものであるかのように感じられるものの、実は無個性で、誰もが持つ錯覚に他ならない。

 
 クオリアとは、エピソード記憶のどこを強調するかを決め、索引をつけるためのものなのだ。
 
 <私>とは、記憶とも「知」「情」「意」の多様さとも関係なく、ただ単に、ピュアに、「<私>というクオリアは<私>である」、という決まりが脳の中に定義された結果、作り出されたクオリアに過ぎないと考えられる。 (標題書より、以下同)


 ポイントは、心と体を合わせもった途轍もなく見事な「自分」というシステム全体の、主役であり、主体でもあるとこれまで考えられていたイシキ君について、『いや、そうではない。あいつは実は主役ではなくて脇役に過ぎない。本当の主役はムイシキ君だ。ただ、上演の関係上、都合がいいからイシキ君には自分が主役だと思わせておこう。』というところにある。
 真の主役は、舞台と客席と舞台裏で起こるすべてのことを把握して統括管理している演出家ムイシキ君である。そして、イシキ君の正体はと言えば、演出家の思うがままにしゃべり演じることができる、イケメンだけが取り柄のスター気取りの看板役者のようなもの。

 無意識のできごとを単純化して、錯覚し、わかったような気になっている井の中の「私」というのが、生命の真実なのだ。

 一体全体、なぜ、生命は、自然は、そんなことをしたのか?

 「無意識」の小びとたちの多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に変換するために必要十分なものが、「意識」なのだ。「意識」は、エピソード記憶をするためにこそ存在しているのだ。「私」は、エピソードを記憶することの必然性から、進化的に生じたのだ。

 生物は進化の過程において、記憶力を発達させてきた。それは生き残るために有利な条件だからだ。サケが生まれ育った川に帰ってくるような本能による記憶装置だけでは、環境の大きな変化に対応できない。敵に襲われた場所と時間と状況を覚えておくことができなければ、予防することができず、また同じ状況を繰り返し作ってしまう。虫歯の痛みを覚えておけなければ、毎食後に歯を磨くという面倒くさい行為をやり続けることができず、健康を害してしまう。
 記憶力が優れている類人猿ほど、高い確率で生き残っていく。
 そして、記憶をエピソードとして、「物語」として脳内に残すことができるようになったのが人間なのである。まさにそのために、物語を体験し記憶に残すために、巧まずして生じたのが「意識」であり、「私」なのである。
 つまり、単に記憶力が向上した結果として、「意識」や「私」が生まれただけであり、そこに何も「ミッシングリング」とか、宇宙人による類人猿ロボトミー(脳手術)を持ち出してくる必要はない、ということだ。

 どうだろう?
 
 コロンブスの卵というか、コペルニクス的転換というか。
 あまりにも単純な説明なので、かえって真実らしい気がしてこないだろうか?
 意識に関するさまざまな難題、ゴルディアスの結び目を一挙に断ち切る説ではないか。
 自分は一読、感嘆の声を挙げた。

 この説のなんともビックリするところは、これがまたしてもブッダが言ったことに符合していることだ。

諸法無我。
「私」というのは幻想に過ぎない。心と体の中のどこを探しても「私」の実態はない。

 ブッダの言葉を現代までそのままの形で伝え続けるテーラワーダ仏教の長老アルボムッレ・スマナサーラはこう述べている。

人は、感じたものは、認識します。そして認識があるから、「私が知った」ということに自動的になるのです。「私は知った」という気持ちは一生続くので、「私」という概念、「私に魂がある」という強烈な誤解が、この「受(感覚)」から生まれるというわけです。この「感じる」というはたらきから、「私」という考え方が出てきます。なにかを感じるから「私はいる」と思ってしまうのです。(『心の中はどうなってるの?』サンガ) 


ブッダ、すげえ~!!
 

 前野がブッダの説いたところと同様の結論に至るのは、もはや不思議でもなんでもない。

あぁ、何十億人もの我が人類は、何千年もの長い時間、死を恐れ続けてきた。それは<私>という存在のこのあまりのはかなさを知らずして、その存在の終焉を恐れていたということだったのだ。なんという無知。
・・・・・私たちが理解したいと願い、失うことを心から恐れていたものは、なんと、無個性でだれもが持つ、単なる<私>という錯覚のクオリアだったのだ。

 ただし、前野説と仏法には大きな違いがある。

 ブッダは輪廻転生を伝えた。生まれ変わりのシステムから抜けることを「解脱」と言ったのである。これは、肉体の死後もなんらかの現象が引き続いていることを含意している。ブッダはそれが何であるか言明していないようだが、少なくとも「私」でないことだけは確実である。ともあれ、ブッダは一元論者ではない。
 もう一点。
 前野の説は、「すべてを決定しているのは無意識である」と言い切ってしまうことで、結果的に宿命論に陥ってしまいかねない。なにしろ、「私の意志」すら、私のものではなく、無意識による民主主義的多数決の結果というのだから。人間が向上するも堕落するもすべて無意識のせいになりかねない。
 それとも、無意識は常に個人や社会の向上を、種としての生き残りを目指して良心的に働いているはず、という前野自身の楽観主義のなせるわざか。
 現実の社会を見る限り、どうもそうとは思えない。
 ブッダは、輪廻からの解脱方法として、あるいは幸福への必須条件として修行や智慧や慈悲を重んじた。なぜなら、人間が何の努力もしないで心の赴くがままに(無意識のなすがままに)生きていれば、人も社会も必ず堕落すると考えていたからだ。
 ブッダは宿命論者ではなかったのである。


 ひとつだけ確かに言えることは、前野説を受け入れるための最大の反対者は、二元論者でも唯心論者でもなく、「私(意識、心)」そのものだという点である。
 有史以来、人類が、それこそ古今東西の偉大なる宗教家や哲学者や科学者が、「私」や「心」について考え続けた挙げ句、最後に到達した答えが、「私も意識も心もイリュージョン(錯覚)である。そもそも、そんなことを考えること自体、無意識のしわざであって、残念ながら、あなたはそれに気づかないで、自分が高尚なことを考えていると錯覚しているだけのオメデタい奴にほかならない。」では、あまりにお間抜けではないか!
 いったいどんな卑屈な「アイデンティティ(私)」が、この結末を素直に受け入れられるだろうか?


前野の受動意識仮説。
トンデモ本と取るか、意識の本質に迫る画期的なパラダイム転換の書と取るか。


より深い洞察を期待して、次作を待ちたい。




● トンデモ本か、稀代の名著か 本:『錯覚する脳』(前野隆司著)

 最近、脳と認識に関する本をよく読んでいる。

 ラマチャンドラン博士の『脳の中の幽霊』はスリリングでとても面白かった。オリヴァー・サックスの『火星の人類学者』、『妻を帽子とまちがえた男』も、良くできたミステリーのように謎に満ちていて好奇心を刺激し、一気呵成に読ませる。
 いずれも脳の損傷やその回復によって知覚や認識がどう変わるかということを、実験結果や患者のエピソードを取り混ぜながら、科学素人にもわかりやすく、面白おかしく教えてくれる。著者の非凡な文才を感じる。

 日本でも、科学畑で文才のある人が目立つ。
 ベストセラー『唯脳論』の養老孟司、「クオリア」で一躍マスコミの寵児となった茂木健一郎、『生物と無生物のあいだ』の福岡伸一、他にも柳澤佳子や竹内久美子も有名だ。
 文系である自分にとって、最新科学の知見を、学術論文のように専門用語や研究者の論文名を散りばめたオカタいものではなしに、物語風にわかりやすく絵解きしてくれるこれらの作家や作品はとてもありがたい。
 
 前野隆司もまた、これらの科学者兼作家にならんで、脳と知覚・認識・意識の関係についての自説を、わかりやすい喩えと曖昧さのない物言いでもって披瀝する。ところどころ差しはさまれるエピソードからは、著者の率直さや偉ぶるところのない庶民性が伺えて好感が持てる。(家族思いのところとか、納豆が大好物なところとか)

 それにしても前野説は衝撃的である!

 この前野説の内容と、その衝撃の度合いをうまくここに表現できるだろうか?
 まあ、やってみよう。

 実験や研究によって次々と明らかにされてきた脳の働きを踏まえ、昨今の脳科学の知見は、ランボーに言えば、「この世界にあって我々が知覚しているものは、すべて脳が作り出したものである」という方向をたどっている。人間は、五感によって身の回りにあるものを知覚しているが、それをまさに「見ているように、聞こえているように、匂っているように、味わっているように、触れているように」感じているのは、脳の働きによるものだ。

 たとえば、目の前に赤い花がある。
 この「赤い」色を感じているのは視覚であり、目という道具を使って情報を取り入れている。
 だが、実際に網膜が知覚しているのは、いろいろな波長を持つ電磁波(=光)にすぎない。それが電気信号に変換されて、視神経によって脳に情報として伝達される。脳は「この信号ならこの色だな」と判断し、「赤」を人間に見せる(認識させる)のである。
 つまり、「赤」を見ているのは目ではなく、脳なのだ。

 同様なことが、他の感覚についても言える。
 前野が挙げた例で「目から、もとい、耳からウロコ」だったのは、聴覚に関するものだ。

聴覚は、耳から入ってきた二十ヘルツから二万ヘルツまでの空気の振動を検出し、両耳の情報を使って音源の位置を同定するとともに、音色や母音・子音のクオリアを生成するものだ。

 すなわち、「なにが」「どこから」「どのように」聴こえているかを決めているのは、音源そのものではなくて、脳の中の聴覚野のしわざであるということだ。
 すると、こうなる。

 空気の振動は、二つの耳の基底膜の振動に変換され、そこにある有毛細胞で検出されているに過ぎないはずなのに、なんと、会話相手の話し声は相手の口元から聞こえるのだ!

 話し相手の声が相手の口から聞こえるなんて、あまりにも当たり前すぎて不思議にも思わなかったが、考えてみると奇跡的なことなのである。もし、耳の基底膜に、あるいは聴覚野に、なんらかの異常があったら、音源とは別のところから「音」が聞こえる、なんてこともあり得るのかもしれない。幻聴なんてのはそのせいなのではないか。

前野は言う。

 私たちが五感を感じるとき、それは感覚器で感じているのではない。断じてない。脳の「知」の働きが、あたかも感覚器のある場所で感じたかのように見せてくれている。

 これを逆手にとって映画にしたのが、『マトリックス』である。
 すべての感覚を脳だけで作り出せるならば、眠らせた人間の脳を電極につないでおいて適当に脳を刺激し、バーチャルな世界を体験させることができる。本人はまったく気づかない。あたかも自分が「現実に(を)」体験しているかのように感じる。


 『マトリックス』のようなことができるには、脳科学とコンピュータ工学とはまだ数世紀待たなければならないだろう。(それとも、もうすでに我々はどこかの非常に文明が進んだ星に棲む宇宙人の子供の遊んでいるゲーム上のアバターかもしれない。)

 「脳がすべてをつくりだしている」ということが示す衝撃は、空おそろしいばかりである。(タイトルから勘違いしやすいが、養老の「唯脳論」は、これとはまったく違うレベルの話である)
 それは、つまり、我々の周囲に存在するものの本当の姿はわかりえない、ということを意味しているのだ。

「空」ーおそろしいでしょう?

 おそらく、これをもってブッダは「一切行空」と言ったのだろう。般若心経の「色即是空」である。禅なら「不立文字(ふりゅうもんじ)」。認識できないものは、表現できないがゆえに。

 「悟り」とは多分、この認識を超えた「ありのままの世界」を一瞬垣間見ることなのだと思う。
 「何で(何を使って)」「見る(知覚する)」のかは不明であるが。

 
 ここまでも十分衝撃的であるが、別に前野の専売特許ではない。歴史に残っている限りで最初に獅子吼したのは、ブッダである。『スッタニパータ』でこう言っている。

 六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親しみ愛し、世界は六つのものに執着しており、世界は六つのものに悩まされている。(『ブッダのことば』岩波文庫)

 ブッダは五感に付け加えて、「意(意識)」を世界を知覚する門としている。この場合、知覚する世界とは外部ではなくて内部(心)である。


 系統的に調べたわけではないが、他にもいろいろな人が指摘している。

無限は感覚の対象にはなりえないからです。まことに感覚を介して無限を知ろうとする者は、実態や本質を目で見たいと願う人間と同じです。感ぜられもせず見もせぬからといって事象を否定する者は、実態や本質そのものを否定せんとする者です。・・・・感覚されうる事物以外のものには感覚は適用されません。(ジョルダーノ・ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』岩波文庫)


視覚実質、聴覚実質が存在しなければ、吾々の周囲の、かかる色彩の美しい、妙音ある世界は暗黒であり、沈黙であるであらう。(デュ・ボア・レーモン『自然認識の限界について』岩波文庫) 


環世界には純粋に主観的な現実がある。しかし環境の客観的現実がそのままの形で環世界に登場することはけっしてない。それはかならず知覚標識か知覚像に変えられ、刺激の中には作用トーンに関するものが何一つ存在しないのにある作用トーンを与えられる。それによってはじめて客観的現実は現実の対象物になるのである。(ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』岩波文庫)

 
 「環世界」とは、「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え」を言う。文中の「作用トーン」こそ、「クオリア」のことである。

人間に限らず、あらゆる生命体は自らに与えられた認識装置によって世界を理解するしかない。認識装置に依存する部分の弁別材料無しでは、世界を理解することはできない。・・・・昔の哲学者だったら、こんなふうに言うだろう。「私達は存在を捉えているのではない。捉えたものを存在としてしまっているのだ。」(時枝福治『象のシッポ』新風社)

  もちろん、茂木健一郎も言っている。

私に見えていることの全ては、本当は、私の外にあるのではなくて、私の頭蓋骨の中にあるニューロンの発火の結果生ずる現象に過ぎないのだ。(『クオリア入門』ちくま学芸文庫)

 ある意味、ブッダが2000年以上昔に述べたことに、やっと今日の科学が追いついたわけである。
 
 ブッダ、すげえー。

 ここまではいい。
 ここから先が前野理論の真骨頂。

 それは、こうやって感覚器と外界との接触によって集められた情報を、加工し、編集し、系統立てる「脳」と、それを認識する「意識(心)」との関係についての考察から始まる。

 脳と心との関係は、次の3つの論に集約される。

1. 心の正体がなにかはともかくとして、心(意識)と脳(体)はまったくの別物である。(心身二元論)
2. 脳が心を作り出した。心(意識)は脳(体)の産物である。(身的一元論)
3. 心が脳を作り出した。脳(体)は心(意識)の働きによって生み出された。(心的一元論)


 古くから洋の東西問わず議論されてきて、いまだにまったく解明の糸口すら見えていない、この人類最大の問題(ハードプロブレム)について、前野は果敢に挑戦したのである。

この続きは別記事(http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/4977087.html)で。

TO BE CONTINUED.....

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