ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 介護の仕事1(開始一ヶ月)

 家の近くの老人ホームで働きはじめて一ヶ月が経った。

 この一ヶ月は本当にしんどかった。
 体力的にも精神的にもこれほどしんどい思いは久しくなかった気がする。
 いわゆる3K(つい、たない、けん)と言われる介護の仕事そのものの問題もあるけれど、やはり四十代後半という年齢によるしんどさをつくづく感じた。
 毎日、仕事が終わるとヘトヘトになって帰宅し、風呂を湧かすのさえ億劫に感じるほど。朝起きても疲れは抜けず、頭もすっきりせず、「この仕事、自分には無理」と何度思ったことか・・・。
「少なくとも3日坊主はかっこ悪いよな」
「少なくとも一週間は頑張ろう」
「少なくとも一ヶ月は続けよう」
 そう思いながら自分を鼓舞し、なんとか乗りきった一ヶ月であった。

 我ながら賢かったと思うのは、正職員にならず週4日のアルバイトとして採用してもらったこと。疲れが限界になる頃に休日が入るので、リセットすることができる。これが週5日だったら、絶対にもう辞めているだろう。
 本当に「へたれ」になったものだ。

 一ヶ月時点での気づきを記す。

1. 介護の仕事は覚えることがたくさん。

 基本的な仕事の手順や一日の流れ、物品の配置、同僚スタッフの顔と名前はもちろんだが、なんと言っても、利用者の顔と名前と気質とADL(日常生活動作)と介護上のポイントを頭に叩き込まなければ話にならない
 具体的に言えば、Aさんについて、
○ 食事介助は必要か。誤嚥を防ぐために飲み物にトロミをつける必要があるか。DM(糖尿病)による糖分の摂取制限はないか。食べこぼし防止のエプロンをつける必要あるか。食前・食後薬を出すタイミングはいつか。投薬の仕方は? 嫌いな食べ物はなにか。
○ 口腔ケアに介助はどこまで必要か。義歯をつけているか。
○ 排泄介助はどの程度必要か。立位はどこまで取れるか。パットは何を使っているか。オムツの場合、オムツカバーは何を使っているか。
○ 入浴介助はどの程度必要か。個浴かリフト浴か機械浴か。衣服の着脱の注意点は何か。(脱健着患~健常部から脱ぎ、患部から着る~が基本) 湯上り後に軟膏等の処置はあるか。
○ トランス(移乗)介助はどの程度必要か。ベッドに移乗したあと、ベッド柵はどの位置にセッティングするか。褥瘡や痛みを予防するための体位やクッションの配置はどうするか。
○ どんな話題を好むか。どんな話題がタブーか。どんなこだわりを持っているか。例えば、お茶は熱いのが好き、風呂はぬるめが好き、食席は定位置、お風呂は嫌い、Bさんとは仲が悪い・・・e.t.c.

 こういった利用者についてのデータを頭にインプットしなければならないのであるが、担当フロアだけで30名以上いる。基本の介助テクすらまだ身に付いていないのに、これらも合わせて覚えなければならない。
 一生懸命メモを取り、毎日帰っては読み直し、休みの日にはデータ入力し、記憶を長期記憶に落とそうと努めていたが、情けないくらい「覚えられない」。
 30代なら少なくとも1回言われれば記憶できたことが、2回も3回も同じ間違いをしでかし、そのたび指導者に注意されることになる。注意されるのは腹が立たないが、自分の頭の悪さに腹が立つ。落胆する。
 短期記憶が鈍っている。さっき言われたことをもう忘れている。
 メモリーも小さくなっている。一度にたくさんの情報が注がれると、頭がフリーズしてしまう。結局、パニックするだけで、なにも残らない。
 若年性認知ではないかと、マジ思ってしまう。
 体力的なつらさもあるが、データ処理能力の低下がこたえる。

 自分は学生時代どちらかと言えば優等生であった。この歳になって「できの悪い子」の気持ちを理解するとは、面白いものだ。



2. 介護の仕事は気が抜けない。


 1時間の休憩時間以外は、ずっと気を張りつめていなければならない。
 なぜなら、利用者の中に転倒リスクのある人が多いからだ。自分でまったく歩けず車椅子を使っている人はまだいいが、杖や歩行器を使えば自分でなんとか歩ける人で認知のある人が危ない。自分の歩行能力を自覚していないので、車椅子から立ち上がって一人で歩きだしてしまうからだ。転倒すれば高齢者は骨折しやすい。下手をすると命に関わる。
 また、居室まで車椅子で自力で漕いでいって、車椅子からベッドに自己トランス(移乗)しようとして滑落することもある。そういう人からは目が離せない。
 たとえ、目の前の一人の利用者の排泄ケアなり口腔ケアなりに携わっていようが、全体に気を配り、誰が今どこにいてどういう状態かということを把握してないとならないのである。
 聖徳太子のようなアンテナが必要だ。

3. 介護の仕事は時間に追われる


 シフト入りしてから上がるまで、分刻みでやることがある。
 利用者の一日のスケジュールは決まっているから、それに合わせるようにすべての利用者を介助しなければならない。
 例えば、朝食を終えて、服薬介助して、口腔ケアして、排泄ケアして、居室に連れて行って、ベッドに寝かせて、必要に応じオムツ交換して・・・。全利用者がこの流れを終えて「ホッと一息」と思った頃には、もう10時のお茶の時間がせまっている。寝かせたばかりの利用者を起こしていかなければならない。(気持ちよさそうに眠っている利用者を起こすのは可哀相なのだが、日中熟睡すると夜間に眠れなくなるから仕方ないのだ。) お茶のあとはレクリエーション実施。昼食までの時間に記録をつけて、昼食のあとにはまた口腔ケアから始まる一連の流れが繰り返される。3時のおやつのためにまた起こして、レクリエーション。この流れの中に、各利用者のナースコールに対応しなければならない。「トイレに行きたい」「今日は何曜日か」「いつ家に帰れるのか」「オムツが塗れたので交換してほしい」「コーヒーが飲みたいから食堂に連れて行ってほしい」「頭が痛い」・・・・・等々。
 一日中、フロアを駆けずり回っている感じである。
 今度万歩計をつけてみよう。



4. 介護の仕事は矛盾が多い
 
 利用者の話をじっくり良く聴いて、気持ちを受けとめて、できる限り要望に添うように介護したい、と心ある介護者なら誰もが思う。介護者と利用者とが陽の当たる気持ちよさそうなフロアで笑顔でコミュニケーションしている姿が、介護職の募集広告などによく載っているので、利用者と会話するのが介護の仕事のメインと思ってしまうが、実情はそうではない。
 コミュニケーションの大切さは職員は分かっているし、もっと利用者と話す時間がほしいと思っている人も多いのだが、忙しすぎて一人一人の利用者とじっくり向き合う余裕がない。それに、一人に深く関わりすぎると、全体が見えなくなる危険もある。
 かくして、コールに追われ、忙しくフロアを走り回っている職員達を尻目に、食堂の決まった席で日がな一日、何することもなくボーッと時間を潰している老人達。
 これではボケも進むよな~、と正直思う。
 たとえば、一日30分でもいい。一人一人の利用者と向き合い、当人が一番したい話を丁寧に聞くことができたなら、当人の意識はずいぶんしっかりしてくるだろう。なにより、生き生きしてくるだろう。それが認知の改善やADL向上につながるだろう。
 だが、それができない現実がある。
 問題の一端は、人手不足。自分のところは30名近い利用者を常時2人か3人で見ている。これはどこの施設でも似たようなものだろう。安月給でも休みが満足に取れなくても利用者のためを思ってよく働く、良心的な介護職の自己犠牲によって、どうにか日本の介護は成り立っているのだとつくづく思う。
 もう一つは、利用者の側にある。
 独りでいる自分を支えるスキルを持っていない人が多い。一人で楽しめる趣味もなく、他者とのコミュニケーション能力もなければ(これは男の利用者に多い)、あり余るほどの時間は地獄の苦しみとなろう。
 ここがボケ老人と幼稚園児との違いである。幼稚園児は一人で楽しみを見つけることができる。友達をつくって(つくるという意識もなく)遊ぶことができる。
 逆に言えば、そういう人(一人遊びができない、コミュニケーション能力がない)が認知になりやすいのかもしれない。
 施設にいる間にどんどんボケが進んでいく老人を目の前に見ていると、いったい日本の介護はこれでいいのだろうかと思う。
 いや、日本人の年の取り方はこれでいいのか、と思う。



 とりあえず、自分の第一の使命は、仕事を覚えること、介護技術を身につけること、そして利用者の役に立てる介助ができることである。

 一ヶ月後には、どんな報告ができるだろうか。
 「辞めました~」でないことを祈る。


→「介護の仕事2」http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6355170.htmlに続く。

● イタリアンであるということ 映画:『ディナーラッシュ』(ボブ・ジラルディ監督)

 2001年アメリカ映画。

 有名人御用達、四つ星人気イタリアンレストラン「ジジーノ」で一夜の間に起こる様々な人間模様と事件をテンポ良く描く。

 最後の最後まで物語の着地点が見えないのにぜんぜん飽きることがないのは、レストランの上階(店内)の気取ったセレブたちの描写と、レストランの下階(調理場)の調理人たちの殺気だった仕事ぶりとの対比が面白いのと、下から上へと次々と運び込まれていく豪華絢爛な料理が食欲をそそるからである。

 結末は急転直下訪れる。
 その不意打ち感は気持ちいいし、そこにいたって「イタリアン」であることの意味が深々と感じられる。イタリアはイタリアでも、ミラノでもローマでもベニスでもなく、おそらくナポリかシチリアか。北ではなく南。つまり、復讐という概念が色濃く残る土地。
 そして、ヌーベルキュイジーヌを目指す新進気鋭の料理長ウード(エドアルド・バレリーニ)に対し、父親でありレストランの支配人であるルイス(ダニー・アイエロ)が昔ながらのイタリア家庭料理にこだわり続けることの意味も浮かんでくる。

 料理とは人であり、家庭であり、民族であり、気質(血)である。そこを離れたところに「料理」などない。
 そう言いたい父親は、最後には経営に絡む負の遺産を清算して息子に店を譲る。
 
 典型的なイタリアの父親(パードレ)、ここにあり。


評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 映画:『スペースノヴァ』(トーマス・リー監督)

 2000年アメリカ映画。

 SFスペースサスペンス&アクション。
 CGの出来が良い。宇宙船や船内の装置等のデザインも良い。のっけから出てくる登場人物たちの肉体美と併せて、映像の美しさがこの作品を格調高いものにしている。

 宇宙という広大な舞台背景についだまされてしまうが、実は宇宙船内という密室で起こる人間同士の闘いで、登場人物はたった7人に過ぎない。宇宙人やエイリアンが出てくるわけでも、不時着した惑星での手に汗握るミステリアスな冒険があるわけでもない。 
 それでいて最後まで緊張感と臨場感を切らさずに持っていってしまう監督の力量は評価に値しよう。
 同じ低予算制作でも『恐竜の惑星』とはケタ違いである。(→ブログ記事参照http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6221010.html )

 秘密の一つは、全編に漂うエロティックな香りにあると思われる。
 特に激しい性愛描写やお色気たっぷりの悩殺ショットがあるわけではないが、隊員たちの宇宙船外での無重力状態における気持ちよさそうなセックス描写に象徴されるように、観る者の秘められた欲望を喚起するシーンやシチュエーションが随所に織り込まれている。
 その最たるものが、物語を動かす核となる、無人惑星から発掘され発掘隊の生き残りトロイによって宇宙船に持ち込まれた9次元の物体である。
 この物体に3次元の肉体が触れると、巨大なエネルギーが充電され、全身の細胞が活性化し、気力・体力が驚異的に増強、外見が若くなる。
 いわば、不老不死の薬。
 この物体を独り占めし、地球に持ち帰り、宇宙の支配をもくろむ悪漢トロイと、それを防ごうとする副操縦士ニック(ジェームス・スペイダー)と医師カエラ(アンジェラ・バセット)らとの熾烈な闘いがクライマックスを形作る。

 最終的に、ニックはトロイをやっつける。
 9次元の物体は惑星の近くでトロイを巻き込みスーパーノヴァ(爆発)を起こす。ニックとカエラはワープによって危ういところで爆風を避けて地球への帰路に着く。
 めでたしめでたし。

 ・・・・・ではない。

 何十光年と離れたところで起きたスーパーノヴァの影響が太陽系に現れるまで50数年。9次元空間の広がりは3次元世界を飲み込んでしまう。
 つまり、地球を含む太陽系は50数年後に消滅する。
 それを避けることはニックにはできなかったのである。
 トロイをやっつけようがやっつけまいが、地球は破滅する。せいぜいニックとカエラが生きている間だけ維持されるに過ぎない。
 一つだけ残ったカプセルに一緒に入ってワープした二人の間には、新たな生命(赤ちゃん)が宿る。一見ハッピーな結末で終わるけれど、この子供は50数年後に消滅する地上に生きていかなければならない。地球から脱出して宇宙のどの地点にいようとも3次元生命体はもはや生きられない。
 つまり、ニックとトロイの対決の意味は、人類が50数年の生存の猶予を得たというに過ぎないのである。

 滅亡することが運命づけられ、それを自覚した人類がどう生きるのか。
 そこからがむしろ話としては面白いだろう。
 それはまた、死ぬことを運命づけられ、それを自覚した一人一人の人間がどう生きるのか、という問いかけでもある。


評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 新ジャンル提案! 映画:『ジュラシック・プラネット~恐竜の惑星』(ゲーリー・ジョーンズ監督)

 2006年アメリカ。

 21世紀後半、未知の惑星からのSOSを受信した精鋭部隊と科学者の一行は、何者かを救出するために惑星に降り立った。
 なんとそこにはロビン・フッドでも現れてきそうな中世ヨーロッパの街並みが広がっていた。不審に思う一行の姿を物陰から虎視眈々と狙うのは、残忍な恐竜たちの目。
 
 SF+アクション+アドベンチャー+サスペンス+スプラッタ=コメディ
という不思議な等式が成り立っている作品である。
 これでもかこれでもかと続く、B級いやC級攻撃にリモコンのSTOPボタンを押す手も麻痺してしまい、結局最後まで見せられてしまう。
 同じノリは、水野晴郎の『シベリア超特急』シリーズで経験したことがある。
 一言で言って「ちゃち!」
 だけど、「ちゃち」が相乗されると、「つっこみ」どころ満載という、別の意味での楽しさが生まれてくるのである。

・ 低予算の苦肉の策であることが見え見えの中世の街のセット
・ アンジェリナ・ジョリーとキャメロン・ディアスを足して2で割って紙ヤスリをかけたようなヒロイン
・ 人形劇に出てくるような恐竜たちの動き
・ バルタン星人のような惑星の先住民。なぜか突然現れて、突然死ぬ。
・ 縁日の射的と見まがう迫り来る恐竜たちへの銃撃戦
・ コルク栓のようにポンポンと抜ける隊員達の首 

 
 『シベ超』やこの作品のような類には、作品を紹介する時のために新しいジャンル名が必要だと思う。

 「張りぼて映画」というのはどうだろう?

 このレベルのままに続編を望みたい。

 猛禽1 
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 猛禽2
遂に恐竜たちに囲い込まれた生き残りの隊員たち



評価: C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

  
 
 

 

● 田中絹代と市原悦子の共通項 映画:『お遊さま』(溝口健二監督)

 1951年大映。

 見るべきは田中絹代の気品ある姉様ぶりと、宮川一夫のカメラ。どちらも際立った瑞々しさと風格がある。この二人は日本映画の至宝として、あまたの名匠や名優を措いても「いの一番」に殿堂入りすべき二人であろう。

 それにしても、飛びぬけて美人でも華があるでもない田中絹代がなぜこうも存在感があるのだろう。
 美しさという点では、映画の中の妹・お静役の音羽信子の方が「べっぴん」だろう。だが、観る者は劇中の慎之助(堀雄二)同様、お静よりも後家である姉のお遊(田中絹代)に惹きつけられる。
 もちろん、田中の演技の巧さがある。宮川のカメラマジックも預かって力ある。

 観る者を惹きつけて止まないのは、実は田中絹代の喋りにあるのではないだろうか。
 あの余分な力がいっさい入っていない自然な(自然のように聞こえる)なだらかな口調と、声音に含まれる郷愁をそそるような深い滋味ある響きこそ、彼女の魅力の秘密にして武器ではなかろうか。同じタイプの女優を挙げるなら・・・そう、市原悦子である。
 市原が『まんが日本昔話』のナレーターとしてその真価を示したように、田中の語り口もまたどこか昔話の語り部のような響きがある。それは、観る者(聴く者)を母親の膝で物語を聞いた幼子の昔に戻す。幾重の時代も受け継がれてきた日本の庶民の哀しみと貧しさと大らかさを耳朶に甦らせる。
 その快楽に惹きつけられない者があろうか。
 幼くして母親を亡くした慎之助が惹かれるのも無理はない。

 我々は映画の中の役者を見るときに、どうしても視覚的魅力にこだわってしまうけれど、サイレント映画でない以上、聴覚的魅力というものも実は馬鹿にならない。気がつかないだけで、役者の魅力の半分は占めているのである。
 いやいや、映画の中だけではない。日常生活においても、自分で思っている以上に、声の魅力、口調の魅力、話し方の魅力に我々は影響されているはずである。
 
 史書によると、クレオパトラは確かに美女であった。けれど、周囲の男たちの心をとらえたのは、彼女のまろやかな話し声と、人の話を楽しそうに聞いてくれるその笑顔であったという。

 田中絹代や市原悦子はまさに「声美人」なのである。




評価: B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 本:『なぜ、脳は神を創ったのか?』(苫米地英人著、フォレスト出版)

なぜ、脳は神をつくたのか なんと言っても本のカバーに記された著者プロフィールの量に圧倒される。
 老眼には厳しすぎる細かいポイントで43行×25字=1000字びっしり、苫米地氏の輝かしい経歴とこの世における成果の数々がここぞとばかり刻まれている。同じようなプロフィールは、ドクター中松と深見東州に見た覚えがある。
 だからなんだ、というわけではないが、自身をここまでアピールする人間に反感とは言わないまでも胡散臭さを感じてしまうのは、日本人である証拠だろうか。それとも単なる羨望か。こういった燦然としたプロフィールを見ると、イソップに出てきた他の鳥の羽根で自らの体を飾り立て自慢していたカラスの話を思い出すのである。
 いずれにせよ、著者のなんたるかはその著書が何よりも語ってくれよう。

 一読、苫米地氏の言っていることには同感できるものが多かった。(なんのこった!)
 自らの主義主張を押しつけるというものでは全然なく、客観的・論理的に神とは何か、宗教とは何か、宗教の役割とは何か、といったことを、いくつかの興味深いエピソード(広島・長崎に原爆を投下したエノラゲイには実は乗員達の心の安定をはかるべくカトリックの神父が乗っていたなど)を織り交ぜ、分かりやすく説明している。

 著者の意図はどこにあるのか。

 本書では、
・ なぜ、人は宗教(信仰)を求めてしまうのか?
・ なぜ、幸せを求める信仰心が人殺しにつながるのか?
これらのことを、脳科学、認知科学、分析哲学の視点から解明し、これからの時代、宗教に頼らなくてもいい幸福な生き方を探っていきたいと思います。

 
 著者は、人が宗教(信仰心)を求めてしまう3つの理由を挙げている。

① 人間が(自分自身が)不完全な情報システムであることを自覚して、完全な情報システムに対する憧憬や畏怖の念が生まれるから。
② 自分が持つ自我と情動を祖先から受け継いだものととらえ、祖先崇拝(シャーマニズム)が生まれるから。
③ 死への根源的な恐怖によって、死後の世界に対する何らかのストーリーが生まれるから。 

 完全な情報システム(=神、主義、思想)に対する信仰心が宗教現象を生み出していくが、組織化した宗教は政治や戦争に利用され、世の中を混乱に貶めていく。キリスト教徒もイスラム教徒もそれぞれの「神の名のもとに」闘って殺戮を繰り返している現況を見れば、宗教というものが人類にとっていかに愚かな、危険なおもちゃであるかが分かろうものである。

 苫米地はそこでニーチェばりに「神は死んだ」と述べ立てる。
 いや、苫米地が血迷って勝手にほざいているのではない。現代数学でそのことが証明されていると言う。

 宗教哲学者のパトリック・グリムは、1991年にグリムの定理を発表し、神は存在しないと証明しています。
 彼の証明は、数学で記述されているのですが、簡単に言葉でまとめれば、「神を完全な系として定義するとゲーデル=チャイテンの定理により、神は存在しない」という非常にシンプルなものです。

 グリムの定理が発表された1991年は、神が正式に死んだ年だといわなくてはなりません。

 次なる疑問はこうなる。

 我々は神(信仰心)なしで生きられるのだろうか?

 ここで苫米地が持ち出してくるのは、釈迦=仏教である。

 およそ2500年前に、釈迦は、「ブラフマンはいない」と唱えました。人々がみな神を信じ、その権威のもとに生きていた時代に、その存在を真っ向から否定したのです。

 ブラフマンとは、当時インドで支配的であったバラモン教において「宇宙の根本原理」とされる究極で不変の存在である。

 釈迦は、神を否定した結果、人々が神を必要とする理由を全部解決してしまいました。
 神を必要とする理由のひとつは、部分情報である人間が完全情報に憧れることです。そこで、釈迦が「完全情報はこの世にありません」といえば、あこがれは消えてしまいます。
 また、死を恐怖する人に対しては、「死んだら、その怖がっている君はいないんだよ」の一言で終わりです。


 釈迦の教えは、神が人間に寄せる無条件の愛といった、人間の心に強烈に突き刺さる幻想を売り物にはしていません。むしろ、人間にまとわりつくそうした幻想を徹底的に剥ぎ取り、その足かせや頸木から自由になることを教えています。
 その意味で、宗教的には非常に貧弱かもしれませんが、神の存在が科学によって正式に否定されたいま、思想的には非常に強烈な生命力を放ちつつあります。

 まさに革命的なブッダの思想は、今もテーラワーダ(いわゆる小乗仏教)に伝え続けられているが、その昔根本分裂によって分かたれ生まれた大乗仏教が、中国を経て日本に到来する間に、いかに変貌したか、なぜ変貌したかを分析している章は非常に面白い。日本の仏教では読経と苦行が重視されているが、そのどちらもブッダは重視しなかった。ブッダが出家達に勧めたのは瞑想であるが、この肝心な瞑想のノウハウは日本には伝えられなかったのである。

 さて、人々が宗教にたよらない世界、精神的に完全に自由である世界、絶対的な唯一の価値が存在するという幻想が否定された世界において、なにが一番大切か。
 苫米地は語る。  

 私が真っ先にイメージする世界は、餓死する人間が1人もでない世界です。
 日本国憲法をはじめ、たいていの国の憲法で保障されていることに、生存権があります。これをまず。世界的に保障することです。
 そして、もうひとつ必ず保障しなければならないのは、機会の均等です。

 ここにいたって、苫米地英人という人物が極めてグローバルな視点を持つ、博愛主義者であることが知られる。
 プロフィールの長さだけのことはある人なのかも・・・・・。



● 映画:『エボリューション』(アイヴァン・ライトマン監督)

 2001年アメリカ。

 SFコメディ。宇宙から飛来した謎の物体に宿る未知なる生命体は、瞬く間に単細胞から多細胞へ、昆虫、植物、無脊椎動物を経て、魚類、両生類、爬虫類へ、そして大型化し空飛ぶ恐竜や猿人類に・・・・。
 と、生命の進化(evolution)が猛スピードで成し遂げられていく様子がCGで描かれていくのが見物である。それぞれの生物のデザインも凝っていて面白い。
 増殖していく新生物たちは凶悪な性質を持ち、このままだと地球は乗っ取られてしまう。
 そこで、我らがヒーロ達は立ち上がる。

 出世作『ゴースト・バスターズ』同様、このヒーロー達がちょっと抜けていたり、ださかったり、ファンキーだったり、ドジだったり、親しみが持てるところがライトマン監督の独壇場である。中でも、黒人の研究者ブロック役のオーランド・ジョーンズとちょっとネジが緩んでいる消防隊志願者ウェイン役のショーン・ウィリアム・スコットがいい味出している。ここでもまたジュリアン・ムーアは巧い。

 ライトマン監督はSFとコメディの絶妙なバランスをとることに成功している。
 楽しい映画である。



評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭に行く

 5/12土曜日、テーラワーダ仏教協会主催のウェーサーカ祭に参加した。(渋谷区立文化総合センター大和田)

 ブッダの誕生・成道・入滅という三つの偉大なできごとを記念するイベントで、テーラワーダ仏教諸国(タイ・ミャンマー・カンボジア・スリランカ・ラオスなど)では最も神聖で盛大な法要とされている。
 日本では4月8日がブッダの誕生日とされ、甘茶を誕生仏に注ぐ花祭りが行われているが、テーラワーダでは誕生・成道・入滅の3つともが5月(インド暦のウェーサーカ月)の満月日に起きたと伝えられ、国の祝日になっているのである。

 参加するのは4回目になる。
 いつの間にか毎年恒例の行事になってしまった。このイベントに参加することで、マンネリに陥りがちな瞑想修行にカツを入れ、新たなエネルギーを充電するのである。

 参加者は200名くらいだったろうか。例年より若干少ないような気がする。
 いつものように、日本の大乗仏教各宗派の僧侶達とテーラワーダの僧侶達とが客席の間を縫って入場し、舞台に上がる。
 面白いのは、舞台左右に居並んだ二つのグループの僧侶達を客席から見ていると、ずいぶんと雰囲気が違うのである。
 日本の僧侶達は、大方黒い法衣を着て金色の袈裟をまとっている。座禅を組むように背筋をピンとのばして椅子に座り、長時間でも微動だにしない。宗派は違っても統一された規律を感じさせ、整然として見事である。読経の声もきれいに揃っている。
 一方、テーラーワーダ(主にスリランカの僧)の僧侶達は、日本では目立つことこの上ない派手なオレンジ色の袈裟をまとい、大きな団扇を手にしている。椅子にべったりと腰掛け、大切な儀式の最中とは思われないほどくつろいでいる。熱いのか団扇で顔をあおっている者もいる。隣の僧侶と耳打ちしている者もいる。読経は各人てんでばらばら、節を一つに合わせようという思いもないようだ。
 これだけパッと見ると、日本の僧侶達のほうがカッコいいし、格が高そうに、精神的にランクが上のように見える。普段の修行の成果がこういうところに顔を覗かせるのかと思ってしまう。
 しかし、これは国民性というものだろう。日本人はやはり、規律と統一を美しいと感じるし、儀式の中に美や崇高さを見出したがる傾向がある。告別式がいい例である。
 だが、外面の美や崇高さが内面のそれと連動しているかと言えば、そういうわけではない。    
 例えば、規律と統一と言えば軍隊だろうが、軍隊にスピリチュアルな高さを求める者は三島由紀夫のような倒錯者をのぞけばよもやおるまい。
 加えて、仏教の悟りの第一段階である預流果(よるか)を得た人の特徴として「戒禁取(かいごんしゅ)」がある。特定のしきたりや行にこだわるのは意味がないと悟ることである。迷信や占いの類い、儀礼、典範、作法、禁忌などがナンセンスとわかって、それらにとらわれないのである。
 今回日本に招かれた舞台上のテーラワーダの長老達は、少なくとも預流果は得ておられるだろうから、こういった儀式(法要)に臨む際も、日本人のようにしゃちほこ張って生真面目に振る舞うことはないのであろう。

 さて、余興として、カンボジアの古典舞踏を鑑賞したあと、休憩を挟んで、行事の目玉であるスマナサーラ長老の記念法話を聞く。
 今日のテーマは「在家はどのように生きればよいのか」。
 ブッダと、そのいとこであるマハーナーマとの対話を記録した経典から説かれる。

 マハーナーマの上記の問いに対して、「それは素晴らしい質問です」と褒め讃えたあとブッダは次のように答える。
 
「5つのものを育てなさい。」
 
1.信(確信・納得)
 これは「信仰」ではない。仏教は信仰するものではない。物事を客観的に徹底的に自分で調べて納得することである。

2.精進
 決して怠け者にならないように。人間はほうっておくと怠けるようにできている。

3.念(気づき)
 いつも気づきを保てるように。

4.定(集中力)
 集中力が現れるように励みなさい。心が混乱した人間にならないように。

5.智慧
 無知の人間にはならないように。
 
「そのための6つの実践方法があります。」
 
1.仏を念じる
 と言っても、「南無阿弥陀仏」などのいわゆる念仏ではない。完全に悟った人、真理に達した人(如来)のことをいろいろ調べ、その人のようになりたいと励むこと。

2.法を念じる
 ブッダの説いた法(ダンマ)について自分で観察する。

3.僧を念じる
 ブッダ同様、真理に達した阿羅漢達のことをいろいろ調べ、その人達のようになりたいと励むこと。

4.戒(道徳)を念じる。
 汚点なく、隙間なく、自分が戒律を守っていることを観察する。

5.チャリティを念じる。
 自分の普段行っている布施行為、寄付行為、ボランティアなどを観察する。

6.神々のことを念じる。
 この神はキリスト教やイスラム教にみる一神教の神ではない。仏教にはその種の神はいない。経典に出てくる神は、人間とは別次元(天界)に住む生命のことで、創造者でも完全無欠でもない。それなりの力は持っているが、悟りに達しておらず、凡夫同様、ブッダに教えを乞う存在である。だから、神を念じるとは「祈る」ことではない。
 経典を読むと、ある神が生前どのような良い行いをしたおかげで、死後天界に行けたかが書かれている。こうした神の行いを観察して、善行為をつくるよすがにしなさいということ。


 ウェーサーカらしいテーマの法話だったのだが、はじめたばかりの仕事(介護)の疲れで眠くてたまらなかった。もったいない。
 テーラワーダの僧侶達による最後の祝福の読経もあたかも子守歌のように心地よく・・・・・。

 


● ダイナミズムを演じる女優 映画:『夜の女たち』(溝口健二監督)

 1948年松竹。

 溝口健二はフェミニストだろうか?
 社会派だろうか?

 もちろんこの質問は反語である。
 溝口健二はフェミニストでも社会派でもない。


 『祇園囃子』『赤線地帯』そしてこの『夜の女たち』と並べると、どの作品も共通して、(男)社会の中で弱い立場に置かれ虐げられている悲惨な女たち―売春婦―を描いているので、一瞬、溝口は「女の味方」であり、こういった不平等で残酷な社会に対して現実を示すことで一石を投じているのだと思いたくなる。
 しかし、『西鶴一代女』を挙げるまでもなく、溝口はこういった女たち、女性群像を好んで描いているのである。つまり、「転落する女の姿」に対するフェチズムがあるのではないかと思うのだ。
 であるから、これらの映画に出てくる女たちが売春業から足を洗って更正する姿は決して書き込まれることはなく、一等底に落ちた地点で物語は終わるのである。女たちを更正させようと目論む善意の人々のかけ声のなんとしらじらしいことか。溝口は更正を信じていないかのようである。
 しかるに、なぜか不快な印象を与えないのは、溝口がこれらの女たちに向ける視線にはまぎれもない愛情と讃嘆の念が宿っているからである。自分が愛し讃美するものの転落する姿を悦ぶというのは倒錯に違いない。それとも、転落してはじめてその女を愛することが可能となるのか。としたら、溝口の劣等感は強烈である。

 例によって、田中絹代が圧倒的に見事である。
 きまじめな戦争未亡人が、ひょんなことから夜道で客を獲るパンパンに身を落としていく、その変わり様をまったく不自然を感じさせず、いずれの役をもリアリティを持って演じている。これを観ると、小津安二郎が『風の中のめんどり』においていかに田中絹代を生かせなかったかが非常に良くわかる。どちらも普通に暮らしていた未亡人が春を売らざるをえなくなるという設定であるのに、小津には溝口のようなダイナミズムが感じられない。そう、小津が描いたのは「喪失」であって「転落」ではなかった。(→ブログ記事参照http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/5091416.html )
 そして、田中絹代はなによりダイナミズムを演じる女優なのである。



評価: B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 映画:『その男は、静かな隣人』(フランク・カベロ監督)

 2007年アメリカ。

 原題はHE WAS A QUIET MAN.
 犯罪が起こった時に犯人を知る隣人たちがテレビカメラに向かってよく言うセリフである。日本語にするなら、「大人しそうな人でしたよ」ってところか。
 この「大人しそうな」男の内面を描いた映画である。

 カメラも良く、テンポも良く、諧謔精神に富み、退屈することなく観られる。
 しかるに、後味が悪い。
 最近よくある「夢落ち」もの。つまり、話の流れのある一点(映画の一場面)で時間は止まっていて、それ以降画面に流れるストーリーは主人公の夢や妄想や白昼夢であった、それが結末に至って暴露される、という構成。
 物語につきあう側からすると、「夢落ち」はある意味反則だと思うので、よほど巧い使われ方をしないと、落胆するか頭に来てしまう。「ここまで観る者を引っ張っておいて、その決着はないだろう」と感じてしまうからだ。
 今まで観た映画の中で「夢落ち」が巧く機能していると思ったのは、『未来世紀ブラジル』(1985年)、『オープン・ユア・アイズ』(1997年)、『パッセンジャー』(2008年)、『ステイ』(2005年)なんかである。いずれも「夢落ち」というトリックが、単なるトリックのためのトリックになっておらず、物語のテーマや主人公の置かれている心理状況と強く絡み合った現象として位置されているので、結末が分かった時に、謎が解けたカタルシスと同時に物語のテーマや主人公の心理がより一層観る者に伝わる仕組みとなっている。
 この『その男は、静かな隣人』は、そう言う意味で、「夢落ち」が失敗しているように思う。それまで延々と語られ、観る者がつきあわされてきた「ほのぼの恋愛サクセスストーリー」が、実は主人公ボブ(クリスチャン・スレイター)が死ぬ前の一瞬の間に頭の中で描いた「夢」だったということを知った時に、あまりいい気持ちがしないのだ。
 なぜなら、観る者は最初のうちこそ、鈍重でオタッキーで野暮ったい窓際会社員ボブに反感を持つとは言わないまでも好意を抱かないけれども、ボブが身体障害者となったヴァネッサ(エリシャ・カスバート)とつきあい始めるあたりから、ボブの不器用さと純情ぶりに共感を持ち始めるからである。つまり、ボブに感情移入し、応援している自分に気づくようになる。これは、クリスチャン・スレイターの演技が素晴らしいからである。そしてたぶん、観る者はこの不器用なボブの後ろに、麻薬や痴漢や拳銃不法所持などの不始末を重ね続ける不器用な役者クリスチャン・スレイターの姿を重ね合わせる。応援したくなるのが人情ではないか。
 そこに来て「すべては夢でした」はあんまりだと思うのである。

 作り手の狙いとしては、競争社会の落ちこぼれが抱えたストレスと精神の病みが一縷の望みのごとく紡ぎ出す妄想と、その絶望的な末路を描くことで、現代社会の不条理を伝えたかったのだろう。
 が、現代社会の不条理というもはや陳腐なテーマを伝えるのに「夢落ち」が許容できるかという点は於くとしても、クリスチャン・スレイターはミスキャストであろう。

 


評価: C+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 


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