ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● キャスリーン・バトル賛歌 本:『史上最強のオペラ』(ジョセフ・ヴォルピー著)

2006年原著刊行
2006年ぴあ株式会社より邦訳刊行

史上最強のオペラ


 ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場(通称メット)は、ミラノスカラ座、ウィーン国立歌劇場と並ぶ世界三大歌劇場と言われている。世界中の才能あるオペラ歌手が生涯一度でもいいから舞台を踏みたいと夢見る、高校野球の甲子園、高校ラグビーの花園、演歌歌手の新宿コマみたいな存在である。

 メットは世界で最も大きなパフォーミングアートの機関である。毎年30以上の演目と240もの公演を上演する。どの公演にも国際的に有名な歌手が出演し、複雑な舞台セットが組み立てられる。それには年間に2000人以上の人材と、2億2000万ドル以上の運営費用がかかる。このようなメットを維持するためには、大工、裏方、画家、デザイナー、電気技師、助手たちの仕事の把握はもちろん、演奏家、歌手、歌の先生、ダンサー、振付師、舞台監督、指揮者、美術監督、営業、広報チームの仕事を理解してまとめ上げる能力が必要である。運営費用はチケットの収益だけではまかないきれない。寄付金によって補うのだが、これを集めてくる理事会の努力も必要だ。

 本書は、1990年から2006年までメットの総支配人であった男によるサクセスストーリーとしての自叙伝、かつメトロポリタンの舞台裏をさまざまな視点から描いたドキュメンタリーといったところ。オペラに興味ある人なら必ずや楽しめる本である。
 やはり、オペラファンの一人として面白いのは、文字通りその“名声”を知るスター歌手はじめ、世界的な指揮者や演出家たちの素顔が知られるエピソードの数々である。

 神経質で機嫌が悪くなると楽屋に引っ込んでしまうハリウッド級二枚目歌手フランコ・コレッリ、90年代に世界三大テノールとして名を馳せたルチアーノ・パヴァロッティとプラシド・ドミンゴの対照的な性格や仕事ぶり、名演出家フランコ・ゼッフィレリの豪華絢爛たる舞台(例『トゥーランドット』)を支えた気前のいいテキサス女性、メットのオーケストラの質を国際レベルまで引き上げた指揮者ジェームズ・レヴァインの人となり(後年になってホモセクハラで訴えられメットを解雇された)、リハーサルを平気ですっぽかし演出家の指示を無視する椿姫アンジェラ・ゲオルギュー。舞台では気品あふれる伯爵夫人を得意としたキリテ・カナワが、セントラルパークで著者の目の前をローラーブレードで滑っていくシーンなんて想像もつかない。

 しかしながら、暴露ネタの筆頭は、86年ニッカウヰスキーCM出演がきっかけで日本で爆発的人気を博した美貌の黒人ソプラノ、キャスリーン・バトル解雇事件の顛末である。実はソルティ、それが読みたくて本書を借りた。
 ヴォルピ―は「バトル賛歌」として丸々一章をそれに当てている。人気絶頂のドル箱の世界的スターを劇場が解雇するなんて、それも原因は歌手の我儘だなんて、前代未聞の大事件だったのである。
 実際、人格破綻しているんじゃないかと思うようなバトルの異常な振る舞いの数々が描かれ、彼女と共演した陽気で磊落なイタリア男である大パヴァロッティでさえ、「彼女の人生には何かが欠けているに違いない」と漏らすほどだったという。
 1993-94年シーズン、ヴォルピーが数か月後に本番を控えた『連隊の娘』のリハーサル中にバトルの降板を決定したことを発表したとき、劇場は歓呼と喝采が鳴り響いたという。 
 みんな我慢に我慢を重ねていたのである。

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 いまもこの記事を書きながら、キャスリーン・バトルのモーツァルト・アリア集を聴いている。
 ソルティは、過去に2回、来日した彼女のリサイタルを聴きに行った。
 なめらかな漆黒の肌に美しいドレスをまとった彼女が舞台に登場するや、優雅な仕草と愛くるしく親しみやすい笑顔にもっとも気難しいクラシックファンでさえ武装解除してしまい、一声唄い出すと、もう完全にその魅力に篭絡されてしまう。日本ファンのために披露してくれた『この道』なんか絶品だった。
 このように美しく魅惑的で大衆を惹きつけるカリスマ性を備えたソプラノが、今後そうそう登場するとは思えない。 
 86年のバトルのCMが日本のクラシック業界、とくにオペラ人気に火をつけた功績ははかりしれない。
 ジョセフ・ヴォルピーの名は、「バトルを首にした男」として残り続けるのは間違いあるまい。


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Predrag KezicによるPixabayからの画像




● 銀杏散るなり光の丘に :L.v.B.室内管弦楽団 第48回演奏会

日時 2021年11月7日(日)14:00~
会場 光が丘 IMAホール(東京都練馬区)
曲目
  • モーツァルト   : 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』K.527より序曲
  • ドヴォルザーク : チェコ組曲 作品39
  • ベートーヴェン : 交響曲第5番 ハ短調《運命》作品67
指揮 苫米地 英一

 都立光が丘公園は20代の頃よく利用した。
 都内に就職したのをきっかけに、埼玉の実家を出て、この近くのアパートで一人暮らしを始めたのだ。
 当時、IMAホールはオープンしたばかりだった。地下鉄大江戸線は開通しておらず、むろん光が丘駅もなかった。光が丘のマンモス団地は、陸の孤島のような場所だった。
 そのうち、会社を辞めて、失業保険を受けながら昼夜逆転して小説を書く生活になった。
 明け方、緊張した頭をほぐすために光が丘公園を散歩した。春は桜、秋は銀杏がきれいだった。
 自分の将来はどうなるんだろう?――不安をおぼえながら、ピンクや黄色の鮮やかなじゅうたんを踏みしめた。

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光が丘公園

 L.v.B.はもちろん、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの頭文字。
 この管弦楽団はベートーヴェン専科なのである。
 苫米地英一はオペラ指揮者としての活躍が目立つ。最近では、『ベルサイユのばら』の作者池田理代子台本によるオペラ『かぐや姫と帝の物語』を作曲・世界初演し、成功を収めたという。認知科学者でたくさんの著書を持つ苫米地英人との関係は不明である。
 定員約500名のホールは半分ほど埋まった。

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IMAホール

 まず、プログラム構成の妙に感心した。
 苫米地の得意とするオペラから、それもメリハリがあって軽快なる『ドン・ジョヴァンニ』序曲で聴衆の気分を盛り上げ、多彩な曲想を重ねつつ民族情緒豊かなチェコ組曲で聴衆の耳と気持ちをほぐし敏感にさせ、満を持しての『ダ・ダ・ダ・ダーン!』。
 しかも、3曲続けて聴くと、前プロの2曲がメインディッシュの第5番『運命』と近しい関係を持っている、似たような曲調を有していることが分かる。
 経時的に言えば、ベートーヴェンは、モーツァルトとドヴォルザークの間に入る。
 第5番『運命』は、傲岸不遜な主人公が地獄に落ちる物語『ドン・ジョヴァンニ』の強い影響を受けて作られ、第5番『運命』の深い影響を受けてドヴォルザークは激動の歴史に翻弄された祖国を謳ったのであろう。
 
 コロナ禍によるブランクで閉じてしまったソルティのチャクラ。
 前回の東京都交響楽団コンサートで半分くらい開き、覚醒のきざしあった。
 その後、静岡のルルドの泉・サウナしきじデビューで、“気”はかなり活性化された。
 なので、本日は聞く前から予感があった。
 最終的に扉を解放するのはきっと今日のL.v.B.であろう、第5番『運命』だろうと。
 
 まさしくその通り。
 第3楽章から第4楽章に移り変わるところ、いわゆる「暗」から「明」への転換が起こるところで、胸をグッと掴まれるような圧を感じ、声の出ない嗚咽のように胸がヒクヒク上下し始めた。
 中に閉じ込められているものが必死に外に出ようともがいているかのよう。
 あるいは、手押しポンプを幾度も押しながら、井戸水の出るのを待っているかのよう。
 第4楽章の繰り返し打ち寄せる歓喜の波に、心の壁はもろくも砕けて、両の目から湧き水のようにあふれるものがあった。
 気は脳天に達して周囲に放たれ、会場の気と一体化した。

 整ったァ~!
 
 時代を超えて人類に共感をもたらすベートーヴェンの魂、彼の曲を演奏することを無上の喜びとする指揮者およびL.v.Bオケメンバーたちの熟練、そして地元ホールで久しぶりに生オケを耳にした聴衆の感激とが混じり合って場内は熱い光芒に満たされ、さしものドン・ジョヴァンニも地獄の釜から引き上げられて、昇天していったようだ。

 コロナ自粛なければ、『ブラーヴォ』を三回、投げたかった。
 一回目は指揮の苫米地に。
 二回目はオケのメンバーたち、とくに感性柔軟なる木管メンバーたちに。
 最後は楽聖ベートーヴェンに。

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● 静岡・聖地めぐりの旅

 コロナ流行の谷間である。
 これチャンスとばかり、以前から行きたかった二つの聖地に足を延ばした。
 県外へのお泊り旅は、2019年11月の金沢旅行以来。
 東京から浜松までのJR往復切符を購入したとたん、旅人モードにスイッチが入った。

 一つ目の聖地は、浜松にある木下惠介記念館
 浜松は松竹の誇る名監督で、生涯49本もの映画を撮った木下惠介の生まれ故郷なのである。
 ソルティのもっとも敬愛する監督の一人で、今のところ25本観ている。
 ちなみに、個人的ベスト10(順不同)は、
  • ラストシーンの田中絹代が印象深い『陸軍
  • 岡田茉莉子の気の強い美しさが光る『香華
  • 望月優子の哀れな母親像が胸に迫る『日本の悲劇
  • 高峰秀子の演技力が存分発揮された『永遠の人
  • 阪東妻三郎の貫禄と魅力が爆発した『破れ太鼓
  • 原節子のコメディエンヌぶりに驚かされた『お嬢さん乾杯!
  • 小豆島の風光と子供たちの愛くるしさに涙する『二十四の瞳
  • 美しき鉄面皮に隠された高峰三枝子の悲しき性『女の園
  • 名優・滝沢修の悪役ぶりが凄まじい『新釈四谷怪談
  • 川津祐介主演、日本初のゲイ映画と評される『惜春鳥』(未視聴だがイイに決まっている!)
 久しぶりに下りた浜松駅周辺はすっかり“未来都市”化されて、「どこにウナギの寝床があるんだ⁉」という感がした。都心の主要ターミナル駅となんら変わりばえなく、地方独特の風情が薄れてしまったのは残念。いまさら言っても仕方がないが。
 
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JR浜松駅
もしかして隣の茶色いビル、うなぎデザイン?

 記念館は駅から歩いて15分のところにある。
 アール・デコ様式の旧浜松銀行(中村輿資平設計)の白亜の建物が美しい。
 入館料は100円。
 1階の3室が展示室に当てられている。
  1. 木下監督の書斎を再現し、使用していた愛用品や書籍が展示されている部屋。
  2. 当時の映画ポスター、監督自身による書き込みが生々しい脚本、撮影風景の写真、受賞トロフィーなどが飾られている部屋(一角にあるソファに座って木下惠介紹介ビデオを観ることができる)
  3. 随時テーマを決めて、木下のいくつかの作品をピックアップして紹介する特別展示室(今回は「秋と冬」がテーマだった)
 空いていて、ゆっくりと木下惠介の世界を堪能することができた。
 ここでは定期的に木下作品の上映会もやっている。

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木下惠介記念館

 記念館から歩いて5分くらいの街中に、木下惠介の生家の漬物屋はあった。
 浜松市伝馬町(現・中区伝馬町)の江馬殿小路。
 戦災とその後の区画整理のため小路は消えて、生家跡をしめすものはないのだが、かつての地図をたよりに散策してみた。

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この路地のどこかに生家はあった?

 浜松の住民のどのくらいが、木下惠介を知っているだろう?
 その作品を観たことあるだろう?
 もっともっと誇っていい。
 駅中をポスターで埋め尽くしてもいいくらいだ。

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恒例のスタンプもらいました


 上り列車に乗り、静岡駅に。
 南口からバスに乗って海岸近くまで行く。

 二つ目の聖地は、いま全国のサウナー(注:サウナを愛する人)がその噂を聞き、身をもって効験を確かめに詣でる静岡のルルドの泉、サウナしきじである。

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JR静岡駅南口
 
 実はソルティ、20代からのサ道の通人。多い時は週二回、少ない時でも月一回はサウナを利用してきた。(その時々通っていたスポーツジムのサウナはのぞく)
 20代の頃は午前3時まで会社の同僚と銀座や新宿で飲んで、そのあと屋台のラーメンをすすって、ターミナル駅周辺のサウナに泊まってアルコールを抜けるだけ抜いて、2~3時間仮眠し、そのまま出勤する――なんて荒行を繰り返したものである。
 自然、都心のサウナ店には詳しくなった。

 当時、一般にサウナはおやじのオアシスであり、ビールっ腹の中高年が多かった。店内はたいてい喫煙OKで、サウナ後の休憩ラウンジには灰色の煙がもうもうと立ち込め、健康的なんだか不健康なんだか分からないところがあった。演歌もよく流れていた。
 それがいまや、男女問わず若者に大流行りの健康&美容&癒し&グルメ&娯楽の流行最先端スポットである。
 昭和香の残る古いサウナや健康ランドはつぎつぎと廃店あるいは改装されて、家族で一日滞在して楽しめる一大アミューズメントパークのようになりつつある。むろん禁煙だ。
 関連本もたくさん出版され、雑誌の特集やテレビのバラエティ企画にたびたび取り上げられ、日本全国のサウナ番付みたいなものも掲載される。
 このブームの中、一度訪れた芸能人やスポーツ選手もこぞって虜になりSNSやらで発信し、それを見たサウナーたちが訪れた結果、一躍有名になったのが「サウナしきじ」なのである。

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 バスなら静岡駅南口から「登呂遺跡」行きに乗り「登呂遺跡入口」下車徒歩15分
または「東大谷」行きに乗り「登呂パークタウン」下車徒歩5分

 休日だったのである程度の混雑は予想していたものの、着いたのは午後5時を回っていたから、人波は落ち着いているだろう――そう思ってたら、広い駐車場はほぼ満杯。
 店先で紙に名前を書いて、建物の外のベンチで順番待ちとなった。
 「いや、これ密だわ~、困った」
 が、ここまで来てもはや退くことはできない。ワクチン抗体を信頼するしかない。
 10分もしないうちに名前を呼ばれて入店。
 入口の壁には、訪れた著名人の色紙が隙間なく飾られていた。

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 ざっと見、スポーツ選手とアナウンサーが多かった
ソルティがその名を知っていたのは、三浦知良、小池徹平、宮川大輔、大野将平くらい

 店員の交通整理が上手なためか、ロッカールームは空いていた。
 が、浴室に足を踏み入れたら、人肉のジャングル。
 びっくりした。
 定員10名ほどのサウナ室が二つ、温泉風呂が二つ、滝の落ちる水風呂が一つ、周囲の壁に沿った洗い場が10個くらい。
 そのあいだのさして広くないスペースに20人くらい座れるプラスチックの椅子がずらりと並べられ、そのどれもが裸の男で埋まっていた。
 つまり、ざっと50~60人が犇めいていた。
 圧倒的に20~30代が多い。当然、誰一人マスクしていない。
 「こりゃあ、密も密だわ~」
 ワクチン効果と感染者激減を信頼し、そして温泉の放つマイナスイオンの効果を妄信し、覚悟を決めて参入した。
 南無三!

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 浴室内の“気”はたしかに物凄いのであるが、それが「しきじ」の水質によるものなのか、はたまた、聖地詣での興奮状態にある若い男たちの発するエネルギーのせいなのか、よくわからないのであった。
 サウナの一つは普通のフィンランドサウナ。もう一つがここの名物である韓国産の薬草をブレンドして蒸している薬草サウナ。
 これがとてつもなく、熱い
 サウナ慣れしているソルティでも5分と中にいられない。
 直射熱を避けるべくタオルを頭に巻いた軟弱な若者たちはウルトラマンほどの忍耐もきかず、カチカチ山のたぬきのように皮膚を真っ赤にして、小走りに飛び出していく。
 一方、ここの古くからのヌシであろうか、60~70代くらいの禿げ頭のお父さんはタオルもまかずに、10分以上悠々と座り続けていた。
 さすが!(肌の感度が鈍っているだけかも・・・)
 体験者絶賛の水風呂はたしかに気持ちいい。富士山麓の天然の湧き水だけのことはある。
 ロッカー室に掲示してあった成分表示をみると、日本では珍しい硬水(中硬水)なのだ。

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カルシウム、マグネシウム、ナトリウムが豊富
ちなみにボルヴィックの硬度は60

 午後7時を過ぎると、さすがに空いてきた。
 若者の姿が減って、中高年が増えた。
 休日を使い遠方から車でやって来た一行は帰宅の途につき、近隣に住む常連組の出番ということだろう。所作に落ち着きと手練れた感じが見られる。
 はたして常連組は、この降ってわいたようなサウナブーム、「しきじ」詣でをどう思っているのだろう? 

 コロナ禍でどこのサウナも客足が減って経営に苦労したのは間違いなかろう。「しきじ」もそれは免れ得なかったはず。
 いや、コロナがなくても、風前の灯火だったのではなかろうか?
 というのも、「しきじ」はまさに昭和レトロな空間で、決してきれいでもファッショナブルでもないのである。
 サウナ室の腰掛けは敷タオルで隠れてはいるものの、ところどころ板が腐ってボコボコしていたし、休憩ラウンジのリクライニングチェアは壊れているものがあった。
 照明は全体に暗く、ヒーリングミュージックよりは歌謡曲が似合うような場末感が漂っていた。(さすがに今は全館禁煙らしいが)
 もしサウナブームが起こらなかったら、「しきじ」は存続できなかったのではなかろうか?
 そう思うと、まさに奇跡の泉と言えるかもしれない。
 まずおそらく近いうちに大改装し、静岡が誇る一大集客スポットに発展していくと思われる。

 仮眠室がコロナ禍で閉鎖していたので、休憩ラウンジにマットレスを敷いて横になった。
 こういう場所ではよく眠れないソルティなのだが、なんと12時の消灯と共に入眠して、朝6時に自然と目が覚めるまで一回も起きなかった。夢も見ずに熟睡し、ここ最近ないほどすっきりした目覚めが得られた。
 浴室に直行。さすがに空いている。
 薬草サウナから水風呂に浸かると、昨晩は感じられなかったのだが、体がジンジンと感電したかのように痺れた。
 このパワーは、『日本の秘湯』に紹介されている温泉たちと同レベルかもしれない。
 密を避けたいなら、『日本の秘湯』で代替できると思う。

日本の秘湯


 静岡の二つの聖地を巡って、心身ともすっかりリフレッシュした。
 だが、実を言えば、ソルティにとって本当の聖地は別にある。
 列車の旅そのものだ。
 今回も新幹線は使わず、普通列車だけで数時間かけて移動した。(ほんとうはもっとスピードの遅い列車に乗りたい)
 ぼんやりと窓外の景色を眺め、文庫本を読み、おにぎりを頬張り、熱いコーヒーを飲み、列車の振動に身をまかせる。
 それが何よりのストレス解消になる。
 いや、幸福感を味わう手っ取り早い手段となる。
 ノリテツという種族は、元来、幸福の沸点が低いのである。
  
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● 本:『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー著)

1929年原著刊行
1971年東京創元社(高橋泰邦・訳)

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 江戸川乱歩推奨の古典中の古典。
 本書が一躍有名になったのは、1984~85年に日本中を震撼とさせ、犯人が捕まらないまま2000年に時効となったグリコ・森永事件の折であった。菓子類への毒物混入に関して犯人がヒントを得たのがこのミステリーではないか、と言われたのである。
 ソルティは未読だったので、そのときに買って読んだ。
 今回ページを開いたら内容をまったく忘れていた。
 もちろん、真犯人が誰かも。
 おかげで新鮮な気持ちで読むことができた(笑)

 本作は構成そのものに特徴がある。
 アガサ・クリスティの『火曜クラブ』のように、同じ一つの事件の真相をめぐって、探偵好きな男女6人が推理合戦するという趣向なのだ。
 もっとも、『火曜クラブ』はミス・マープルを主人公とした連作短編集であり、書かれたのは本作よりもあと(1932年発表)である。
 住んでいる村の中のことはやけに詳しくても外の世界についてはほとんど知らないような老嬢ミス・マープルが、警視総監や法律家や流行作家など世故に長けたライバルたちを毎回見事に打ち負かして真相を探り当ててしまう。同様に本書ではアンブローズ・チタウィックなる一見さえない無名の人物が、世間的に名の知られた警部や弁護士や推理作家などの鼻を明かして真相を暴き出す。
 当時の著作権事情は知らないが、現在だったら、クリスティはバークリーのアイデアを剽窃したと非難されるのではなかろうか。バークリーにとっては面白くないことに、後発の『火曜クラブ』のほうが今となっては広く読まれている。

 そこに探偵が6人いれば6通りの着眼点があり、物の見方があり、考え方があり、6つの推理があり、6人のホシと思しき人物が誕生する。
 人は各々の性格や知識や経験や職業などに応じて、同じ一つの事件をさまざまに解釈してしまう。
 探偵自身がバイアスになる。 
 そういった人間心理と認識の仕組みの面白さを追求したところに、本作の古典としての風格がある。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● チョロの息子 映画:『生きちゃった』(石井裕也監督)

2020年日本
91分

 最近、気になっている俳優は仲野太賀である。
 ソルティ世代の代表的な男優の一人で、TVドラマ『愛という名のもとに』(1992年フジ)のチョロ役で人気爆発した中野英雄の次男である。
 中野英雄は三枚目でありながら、主役を喰うほどの熱のある演技が魅力であった。ゲイ人気も高かった。
 その血を引く仲野太賀はどうなんだろう?
 確かめるべくレンタルした。

厚久(仲野太賀)と武田(若葉竜也)と奈津美(大島優子)は子供の頃からの遊び仲間。
長じて厚久と奈津美は結婚し、女児が生まれる。が、奈津美の浮気の発覚によって、二人は別れることに・・・。
厚久は奈津美に怒りをぶつけることも、浮気相手を懲らしめることもなく、自らの至らなさを責め、奈津美の言われるがまま離婚届に判を押す。浮気相手と再婚した奈津美に仕送りさえする。
武田は言いたいことが言えない不器用な厚久を見守るが・・・・。

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左から、仲野太賀、大島優子、若葉竜也

 仲野太賀、感性がすばらしい。
 本作では自らの感情に蓋をしてきた挙句、何も感じなくなってしまった男を演じているのだが、それが作ったふうでなく、とても自然である。まるで仲野太賀自身の気質であるかのように。
 父親同様、決して二枚目ではないが、人好きのする顔立ちでカメラ映りもいい。
 親父以上に幅の広い芝居のできる俳優になりそうな気配濃厚。

 ビックリしたのは大島優子。
 ソルティはAKBにほとんど興味ないので、彼女の魅力や才能を良く知らなかった。
 ルックスはさておいても、これほど本格的な芝居ができるとは意外であった。
 濡れ場やデリヘル嬢に扮しての客へのフェラシーンなど、体当たりで挑戦しているのは立派。
 こちらもいい女優になる気配濃厚。

 作品的には、プロットの激しさとテーマのナイーブさに均衡がとれていない気がした。
 厚久のもっとも近しい身内二人が残酷な殺人事件に巻き込まれる――うち一件は奈津美が変質者に殺され、一件は厚久の実兄が奈津美の再婚相手を殺す――という強烈なプロットを用意しながら、主要テーマ自体は不器用な男の内面描写というアンバランスが、どうにも収まりのつかない印象を作品に与えている。プロット倒れというか。
 主人公の親友武田の位置づけも曖昧で、厚久と奈津美それぞれに対してどういう感情を抱いているのか、彼がどういう人間なのか、最後までよくわからなかった。

 役者たちの芝居、そして映像自体は悪くないので、もったいない気がした。



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 六本木発「銀河鉄道2021」 : 東京都交響楽団コンサート

日時 2021年10月30日(土)14:00~
会場 サントリーホール
曲目
  • ドヴォルザーク : チェロ協奏曲 ロ短調
  • ドヴォルザーク : 交響曲第8番 ト長調
指揮 小泉和裕
チェロソリスト 佐藤晴真

 久しぶりの山手線内、久しぶりのサントリーホール。
 最寄りで見る六本木スカイスクラッパーもなんだか懐かしい。

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 クラシック業界も元の賑わいを取り戻しつつあるようで、今回も入場時にどっさりとコンサート案内チラシをもらった。
 ただ、客席の入りは4~5割程度か。まだまだ外出自主規制がかかっているようだ。

 東京都交響楽団は前回の『第九』に続き、2回目になる。
 ソロ(独奏)もトュッティ(全員)もとても巧い。
 音に丸みがあるのはやはりこのオケの特徴らしい。破擦音や破裂音の少ない、飛沫があまり外に飛ばない言語といった感じ。都会らしく洗練されている。

 佐藤晴真のチェロについては残念ながら真価が良くわからなかった。
 というのも、今回はステージ背後のブロックのほぼ中央、指揮者と相対する位置で鑑賞したからだ。弾いている後ろ姿しか見えないし、音響も十全ではない。
 ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲ならともかく、チェロ協奏曲はやはりステージ前方の席を取らなければいけなかった。一つ学んだ。

 が、この席のメリットは、オケを真上から見下ろすことができること。
 オケの人たちの表情や動きがよく見えて、気持ちがびんびん伝わってくる。管楽器奏者がソロパートを無事終えた後のホッとした肩の線など、ステージ前方の席からはなかなか見えない。自然とオケを応援したくなる席なのである。
 むろん、指揮者の豊かな表情の変化や細やかなタクトさばきをガン見できるのも大きなメリットである。(ソルティは曲の最初と最後以外はほぼ目を瞑っているのだが)

 アントニン・ドヴォルザークを聴くといつも汽車の旅を連想する。
 アントニン自身が大の鉄道好きで、ソルティもまたノリ鉄だということもあるが、一曲聞いている間、蒸気機関車で旅をしている気分になる。
 朝まだきの駅のホームで機関士や整備士たちが出発の準備をするシーンから始まって、昇る朝日が鉄の車体をきらめかせ、荷物を手にした乗客たちがお喋りしながら次々と車両に乗り込み、出発の汽笛を合図に重い響きを轟かせ、列車が動き出す。
 軽快な鉄輪の響きと煙突から吹き出す蒸気と黒煙をお供に、いくつもの街を通過し、線路わきで手を振る子供たちや赤ん坊を抱いた母親を見送り、休憩する労働者たちの視線を浴び、麦畑や綿花畑をかき分け、野を越え、山を越え、渓谷を渡り、白波の立つ海辺を走る。
 やがて鎮魂色をした黄昏が下りてきて、長旅に疲れた汽車と乗客たちを優しく包む。
 汽車はそのままゆっくりと地上を離れ、見えない滑走路をつたって、星の散りばめる天上へと旅立つ。はるかなる至高の光を目指して。
 そんな郷愁と信心をあおるような美しく荘厳な旅である。


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DavidMcConnellによるPixabayからの画像

 
 小泉和裕と東京都交響楽団の演奏は、極上の旅を提供してくれた。
 コロナ禍になって初のコンサートではなかなか動かなかったチャクラが、今回は反応した。音の波動が体内の気とぶつかり合い、不随意運動が数回起こった。隣席の人はびっくりしたかも。
 扉は半分開いた。





● シルバー・プロレタリアたち 本:『メーター検針員テゲテゲ日記』(川島徹著)

2020年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 「テゲテゲ」とは鹿児島弁で「適当に」という意味で、「テゲテゲやらんな」(=あまり一生懸命やらなくてもいいんじゃない?)というふうに使うそうだ。
 著者は1950年鹿児島生まれ。巨大企業Q電力(←九州電力しかないじゃん)の下請け検針サービス会社にメーター検針員として勤務。勤続10年にして解雇される。

 検針員は、巨大Q電力や巨大T電力の正社員や派遣社員ではないにしても、少なくとも下請け会社の社員だと思っていたら、一人一人が年間契約による業務委託員。つまり、厚生年金も社会保険も労災も適用されない個人事業主なのだという。“一国一城の主”と言えば聞こえはいいが、ソープランドで働く女性たちとその不安定な立場は変わらない。実入りに関して言えば、一件40円で一日せいぜい250件(日給1万円)の検針員は、到底ソープランド嬢に敵わない。同じく針を扱う商売にしても。(←バブル親父ギャク炸裂!)

 酷暑の日も、風雨の激しい日も、雪や火山灰舞い散る日も(鹿児島ならでは!)、バイクにまたがり、ハンディ(検針用の小型携帯コンピュータ)片手に家々を訪問し、一般に目立たぬところにある電気メーターを探し、見づらい数値を読みとり、犬に噛まれハチに刺され、家人に不審の目を向けられ、やれ「植木鉢を倒した」だのやれ「洗濯物を汚した」だのやれ「挨拶もなく無断侵入した」だのと苦情を上に持ち込まれ、誤検針を年に10件もやるとクビになる。
 テゲテゲ働きたくてもなかなかそうはいかない10年間の苦労が描き出されている。
 この業界の内幕はまったく知らなかったので、非常に興味深くかつ楽しく読んだ。
 作家を目指して年収850万の外資系企業を40半ばで辞めたという著者の文章は、なかなかユーモラスで、情景が浮かぶような筆致が冴えている。

検針員
 
 ソルティもむろん子供の頃から時たま家を訪れる検針員の姿は目にしていた。アパートで一人暮らししている時も、仕事から帰るとポストの中にスーパーのレシートのような「電気ご使用量のお知らせ」が入っていて、「今日検針が来たんだなあ」と知った。
 しかるに、一昨年実家に戻ってからは検針員の姿を一度も見ていない。「電気ご使用量のお知らせ」の白い紙も見ていない。
 本書を読んでそのことにハタと気づいた。
 検針員さんはどこに行ったの?

 あと数年で電気メーターの検針の仕事はなくなってしまう。
 スマートメーターという新しい電気メーターの導入で、検針は無線化され、電気の使用量は30分置きに電力会社に送信されるからだ。

 すでに多くの家庭はスマートメーターに切り替わっているという。
 すぐさま実家の電気メーターを確認したら、アパートにあったものとは見かけが違っている。
 その名の通りスマートで、ITチックになっている。

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スマートメーター

アナログ電気メーター
かつての電気メーター
透明な容器がキカイダーを思わせる

 明治時代の街灯はガス燈であった。点消方(てんしょうかた)という専門職が、点灯や消灯、部品交換などのメンテナンスを行っていた。点灯夫とも言った。
 その姿は街灯が電気に切り替わるとともに街から消えていった。
 あるいは、ソルティが子供の頃、家のトイレは汲み取り式だった。便器の下にある便槽に溜まった糞尿を、定期的に業者が汲み取りに来た。先に野球ボールをはめ込んだ緑色の長いホースを大蛇のようにくねらせて、作業服に長靴を身に着けた男が門から侵入して便所のある家の裏手に回る。大蛇が飲み込んだ家人の糞尿は、ホースをたどって、車体に付いた大きな緑色のタンクの中に吸い込まれていく。 
 水洗トイレになって、その姿も消えた。
 それと同じように、ITの導入がメーター検針員を日本から消していく。
 本書が、失われた職業の証言になる日も近い。

 この三五館シンシャ、フォレスト出版による3K仕事シリーズを、『ケアマネジャーはらはら日記』の著者である岸山真理子氏がプロレタリア文学と評したのに、ソルティは膝を打った。
 いみじくも本書の「まえがき」で著者の川島徹はこう記している。

 低賃金で過酷で、法律すら守ってくれない仕事がどこにでも存在しつづけ、そこで働く人たちも存在しつづける。
 ただ、そうした仕事をしている人たちも、自分の生活を築きながら、社会の役に立ち、そして生きていることを楽しみたいと思っているのである。過酷な仕事の中にも、ささやかな楽しみを見つけようとしているのである。それが働くということであり、生きるということではないだろうか。

 
 本シリーズの著者の多くは、どちらかと言えば高学歴で、かつては“恵まれた”労働環境で高給をもらっていた人である。理由は各人それぞれだが、自らそういった環境を離れて、きびしい生活に入り込んでいった。
 それを「落ちぶれた」とか「人生を誤った」とか「若気の至り」と言うのは当たらないと思う。
 本シリーズで表現される庶民の哀歓と人生の機微を、Q電力やT電力のような大企業に守られている社員たちは、決して知ることがないだろう。 
 本シリーズをシルバー・プロレタリア文学と称したいゆえんである。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● バブルの記憶 漫画:『夕凪の街 桜の国』(作画:こうの史代)

2004年双葉社

 『この世界の片隅に』が面白かったので、もう一つの代表作を借りてみた。

 こちらはずばり、著者の故郷である広島の原爆投下とその後の被害がテーマである。
 『この世界~』同様に、庶民の平凡な日常生活を描きながら、その中に見え隠れする戦争の災禍や傷痕をあぶり出していく。

 本作を読んで蘇った記憶がある。
 80年代後半のバブル華やかなりし頃、大学時代のゼミの友人(♀)の結婚式に出席した。
 都内の人気ホテルでの豪華な挙式であった。
 滞りなく式は進行し、新郎の会社(誰もがその名を知っている一流商社)の同僚である3人の若い女性が挨拶に立った。当時の流行りで3人とも黒いロングヘア、きれいに着飾っていた。
 順番に、新郎の知られざる社内外での微笑ましいエピソードを語り、祝辞を述べていくのだが、最後の一人がこんなことを言った。
「●●さんは、夏はサーフィンとテニス、冬はスキーと一年中アウトドアのスポーツマンで、いつも真っ黒に日焼けしているので、私たちはまるで被爆者みたいと言っていました」
 一瞬ドキッとし、会場がざわめくか静まるかと思いきや、新郎側のテーブル席からは笑い声が起こったのである。
 帰り道、一緒に出席したゼミの友人と、「もしかしたら、この結婚うまく行かないかもな・・・」とささやき合った。所属していたゼミの教授は広島出身で、我々は折々被爆者の話を聞いていたのである。
 数年して予感的中した。

 おかしな時代であった。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『SNS―少女たちの10日間』(監督:バルボラ・ハルポヴァー、ヴィート・クルサーク)

2020年チェコ
104分

 12歳の少女に扮装した3人の女優にSNS上で友人募集させ、彼女たちにコンタクトしてきた男たちとのやりとりを映したドキュメンタリーである。
 10日間で2500人を超える男からのアクセスがあったというから驚く。

 撮影されているのを知らない男たち(画像処理されて個人が特定できないようにされている)は、相手が“12歳の少女”と知りながら、卑猥な問いを投げかけ、服を脱いで胸を見せろと要求し、変態画像を勝手に送り付け、ズボンを下ろし勃起したペニスを見せ、その場でシコってみせる。少女が男の要求に応じて裸の写真(偽造したもの)を送ると、それをネットに流すと脅かし、さらなる要求を仕掛けてくる。
 アクセスしてきた男の中には撮影クルーが個人的に知っている人物もいて、その男の職業は子供たちのキャンプの世話人だという。
 ぞっとする話である。


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 インターネットはある意味、人間の心の暗部の投影だと思うが、SNSはとくに怒りや欲望を焚きつけ、とめどなく膨らましていく作用がある。
 年端の行かない少年少女が、好奇心や退屈や淋しさからSNSを始めて、飢えを高じている捕食者の手につかまって、取り返しのつかない事態に追い込まれていく。
 自分がいま、12歳の子供を持つ親だったら、「絶対子供にSNSはさせない」と思うけれど、親自体がすでにSNS世代でそれを当たり前として生きていたら、子供に禁止するのはなかなか難しいことだろう。
 子どもを持つ若い親たちに観ておいてほしい映画である。 

 それにしても、迂闊なのは危険を知らない子供たちばかりではない。
 少女たちにアクセスしてくる男たちも、録音録画される可能性だって十分あると予測がつきながら、PCモニターに平気で顔をさらし、声をさらし、ペニスをさらし、恥をさらし、自らの罪の確たる証拠を残していくわけである。
 いったんバレれば、職を失い、家族を失い、収入を失い、社会的な地位を失い、身の破滅になり得る可能性大なのに・・・。
 性欲ってのは、ほんとに人の脳みそを破壊してしまう。
 



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 本:『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(加藤直樹著)

2019年
ころから発行

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 少し前の記事で、加藤康男著『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』を取り上げて、自分なりに書かれている内容を検証し、著者の説く「虐殺否定説」がまったくのナンセンスであることを証明したけれど、ソルティがやるまでもなかった。
 
 『九月、東京の路上で』の著者・加藤直樹による徹底的な検証と反論が本書でなされていた。
 ソルティが目を付けた「関東大震災時の朝鮮人の被害者数に関する論理のほころび」もしっかりと記述してある。
 まあ、普通に読んで、まともに考えれば、中学生でも気づくようなへんてこりんな論理ではあった。

 ほかにも、加藤康男の著書のおかしな点が、具体的に証拠を上げて明確に述べられている。
 読者を馬鹿にするこすっからい手口の数々が、快刀乱麻、白日のもとに晒されている。
 これはもう勝負あった、というところだろう。

 二つの書を続けて読んで、まだ「朝鮮人虐殺はなかった」と主張する人がいるとしたら、その人は知性や理性や正義とは訣別した、ある種の“信者”というほかない。
 何を信仰するかはその人の自由だが、事実を歪めて世間に吹聴するのは迷惑千万。
 子供たちにも悪影響を及ぼす。
 自分が「〽わたしはやってない」教の信者だということを自覚してほしいところである。

なにかオウム

おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
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● 赤い鉄壁 映画:『レッドクリフ Part I,Part II』(ジョン・ウー監督)

PARTⅠ 2008年、145分
PRATⅡ 2009年、144分
製作国 中華人民共和国
中国語


 映画というものは、もっとも金と労力と人手がかかり、もっとも投機リスクの高い芸術である。社会的には必ずしも無くてはならないものでもない。
 それだけに、前編・後編合わせて5時間近い本格歴史&戦闘ドラマを、このようなレベルの高さで制作できてしまうところに、現代中国の国力の大きさがありありと示されている。
 国力を効率的に傾注できる共産主義国家か否かという点や、欲しい映像効果が自在に得られるCGやVOXの活用という点は別にしても、もはやアメリカでさえ、このレベルの大作映画を製作するのは困難であろう。
 セットの豪華さ、エキストラ(動物含む)の数、野外ロケの迫力、戦闘シーンの凄まじさ、美術も音楽も撮影も役者も見事に揃って、超弩級のエンターテインメントに仕上がっている。(音楽は日本の岩代太郎と東京都交響楽団が担当)
 ハリウッド映画全盛期に作られた『風と共に去りぬ』(1939)のみが、これに匹敵する圧倒的パワーを有す。
 恐るべき中国!

 もちろん、これだけの大作映画を作ることができる国民的物語を持っているということも背景にある。
 『三国志』の舞台は2~3世紀。日本はまだ弥生時代、邪馬台国はあったかもしれないが、日本という国はなかった。
 アメリカ大陸と来た日には、まったくの先史時代である。
 中国文明の長さと深さには恐れ入る
 
 本映画を観て疑問に思うことの一つは、『三国志』に登場する古代の中国人の人生観なり死生観、国家観なり君主観、処世術なり教訓といったものが、現在の共産主義国家下の中国人にどの程度受け継がれているのか、という点である。
 たとえば、登場人物のセリフの中で、ハッとしたものがある。


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呉の国の王・孫権を演じるチャン・チェン

 いわゆる「天命思想」である。

中国の独特の政治哲学思想。その意味は天の下す命令で、有徳者に天子たるを命じ、無徳者に喪亡を下すのみならず、政治や行為の善悪にも福祥や災禍を下して賞罰警戒するものと考えられた。(『旺文社世界史事典』三訂版より抜粋)


 天下を取る者になにより必要とされるのは「徳」という思想。

 本作でも、呉の武将たる周瑜(しゅうゆ=トニー・レオン)や蜀漢の国の王たる劉備(りゅうび=ヨウ・ヨン)が、リーダーたる資格を周囲に示し「この人についていこう」と思わせるのは、彼らが部下や庶民にほどこす優しさや謙遜の姿勢であることを描写するシーンが出てくる。
 決して武芸や腕力などの戦闘能力、政治力や駆け引きの巧みさなどの知力だけではないのである。

 今の中国にも天命思想は生きているのだろうか?
 中国人は、共産党の幹部たち、とくに習近平国家主席にはたして「徳」を見ているのだろうか?
 日本の約26倍もの国土や14億の民を率いる「赤い鉄壁」のリーダーとして適格だと思っているのだろうか?
 それとも、上から下まで「徳」よりも「得」を重んじているのだろうか?

 いやいや、他国のことばかり言ってられない。
 日本の民こそ、リーダーに何を求めるべきか考えないといかん。


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呉の武将を演じるトニー・レオン
こういった風水的セリフも『三国志』の定番だが。
いまのリーダーは「天候」ではなく「核」と思っているのでは・・・

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 蜀漢の軍司・諸葛孔明を演じる金城武
 日本の芸能界には大きすぎた人
(深キョン、中山美穂と共演したこともあったっけ)




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
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● 本:『非正規介護職員ヨボヨボ日記』(真山剛著)

2020年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 この介護職員編こそは、ソルティが実態を良く知る、共感の高い一編である。
 ここに書かれていることのほとんどは、五十歳近くなってからヘルパー2級を取得し高齢者施設の介護職員となったソルティも、現場で体験し、感じ、戸惑い、考えたことであった。
 1960年生まれの著者の場合、56歳から介護の世界に足を踏み入れたというから、慣れるまでは心身共に、ソルティ以上にきつい日々であったことだろう。

 年下の同僚になめられ叱られ、職場のお局様のご機嫌を伺い、仕事がなかなか覚えられず何もできない自分に苛立ち、利用者からの罵倒や暴力に耐え、認知症患者の突拍子もない言動に振り回され、利用者家族の理不尽な要求に辟易し、利用者と会話する暇さえない寸刻みの業務に追われ、腰や肩の故障におびえ、夜勤で狂った体内時計に頭が朦朧とし、転倒事故や誤薬や物品破壊の始末書をため込み、安月給に甘んじ・・・・。
 こうやってエッセイを書けるまで余裕ができたことを祝福したい。

 ――と書くと、「いいことなんか一つもないじゃん」と思われそうだけど、それでも介護職を続けることができるのは、著者が「あとがき」でも書いているように、「人と関わること」の面白さなのだろう。
 それも、家族やパートナーのように“深く長く”関わるのではなく、施設という閉鎖空間で、利用者が死ぬまであるいは退所するまでの短期間だけ、“濃く短く”関わるところにポイントがある。
 通常の人間関係なら長いつきあいののちに初めて見せてくれるようなありのままの姿を、死期の近い老人たちは年若い介護職員たちにさらけ出してくれる。
 人間の良い面も醜い面もすべて――。
 それを役得と感じられるような人が、介護職を続けられるのだと思う。

 心身の故障で現場を退いてしまったソルティであるが、たまにあの修羅場のような、コールが鳴り響くフロアを懐かしく思うことがある。
 数秒で正確にオムツを当てる神業のようなテクニックが、今やすっかり錆びついているのを、もったいなく思う。
 認知症の人たちとの不思議なコミュニケーション空間を貴重なものに思う。 
 それにあの頃はいくら食べても太らなかった。
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 山吹と無名戦士 大高取山(376m)

 手元のガイドブックによれば、この山は「体力、技術」の初級レベル。
 かかとの骨折後のリハビリにはちょうどいいと思い、ハイキング気分で出かけたのだが、とんだ誤算であった。
 山登りのしんどさは、山の高さではなく傾斜によって測るべし――という黄金律を叩きこまれていたはずなのに、ガイドブックの甘言にだまされた。1000mを超える山でも、ここより楽なところはいくらでもある。
 思いがけない急斜面にすっかり息が上がり、下山後に生じた骨折部の痛みと足の引きずりは、翌日の今も続いている。
 それでもやっぱり・・・・・山はいい。

登山日 2021年10月20日(水)
天気  晴れ、風やや強し
行程
09:00 JR越生線・越生駅
    歩行開始
09:25 越生神社
09:45 世界無名戦士の墓(15分stay)
10:15 西山高取(262m、15分stay)
11:00 高取山頂上(376m、10分stay)
11:30 幕岩展望台(295m、30分stay)
12:50 桂木観音(10分stay)
14:00 オーパークおごせ
    歩行終了
所要時間 5時間(歩行3時間30分+休憩・見物1時間30分)
最大標高差 310m


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JR越生駅
埼玉県入間郡越生町にあり、越生線と東武東上線が乗り入れている
 朝のこの時刻、降りたのは4~5名

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なんと、越生は江戸城を築いた戦国の武将太田道灌の生誕地なのであった。
 落語にもなっている有名な山吹の逸話もここ越生が舞台とか。
 
 狩りに出た道灌がにわか雨にあい、雨具を借りに一軒のあばら家を訪ねたところ、娘が山吹の枝を差し出した。
 七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき
という古歌にかけて雨具はないと断ったのだが、道灌にはそれが分からない。家来に解説されて、「余は歌道に暗い」と反省し、のちに立派な歌人になった。
(佐藤光房著『東京落語地図』、朝日新聞社刊より抜粋)

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 山吹の品種のうち、昔から日本に栽培されている八重ヤマブキが実を結ばない
「実」と雨具の「蓑」をかけた駄洒落であるが、
じつはこの故事、後世になって作られたらしい


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 越生神社
八幡神社、日吉神社、八坂神社、稲荷神社などいくつかの神社が合祀されている
祭神は大物主命、すなわちオオクニヌシノミコトである
登山の無事を祈る

 車道を一登りすると、世界無名戦士の墓に着く。
 白亜の屏風のようなデザインが目を惹く。
 この階段、高齢者は登るのが大変だろう。

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越生町の医師長谷部秀邦氏が発起人となって昭和30年(1955年)に落成
第二次世界大戦で亡くなった世界60余か国251万の兵士を慰霊・追悼している
 展望塔からの景色は「これを見るためだけでも来てよかった!」と思うほど

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 右端に白く光る西武球場ドーム(所沢)から、新宿・池袋の高層ビル群、
スカイツリー、さいたま副都心、左端におぼろに霞む筑波山(茨城)まで、
関東平野150度を見渡すことができた

 墓の横手から山道に入る。
 ここからが険しかった。

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 西山高取
 木のベンチで一服
 ここから尾根までまた急登続き

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 石灰岩の露頭
チョークの原料である

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 高取山頂上

 着いた!

 ガイドブックでは眺望が得られないとあったが、東面の木々が伐採されて、正面に筑波山が丸見えであった。
 今日は昼食を持参しなかった。栄養補助食品をパリパリ。

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 山頂を離れ、眺望の良いという幕岩展望台に寄り道。
 が、眺望自体は無名戦士の墓にかなわない。
 昼食をとるには絶好の場所。

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 ベンチで30分ほど昼寝する。
 形を変えながら流れる雲をボーっと見る。
 こういう時間が自分には必要なんだと、つくづく思う。

 四国遍路を思い出させる鈴(りん)が聴こえてくる。
 と、やおら木々の陰から男が出現。
 最近山登りを始めたという71歳。心筋梗塞をやって健康の大切さに目覚めたとか。
 本日山中で会ったのは中高年男性ばかり5名であった。
 
 さあ、あとは下るのみ。
 が、足に負担がかかるのも、転倒して負傷しやすいのも、登りでなく下りであることも山登りの常識。
 ステッキを使って注意深く下山。


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桂木観音

 養老3年(719年)、紫雲に曳かれて当地を訪れた行基上人が、観音のお告げを受けて山中の大杉を用いて彫像したという伝説がある。
 無人の寺だが立派な鐘楼があった。
 生きとし生ける者の幸せを念じながら、一回撞かせていただいた。

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観音が降り立った山

 携帯はところどころ圏外。
 都会のIT生活で電磁波の溜まった身体を、杉木立がデトックスしてくれる。
 鳥のさえずりを耳に、馬の背を吹き抜ける秋風に身をまかせれば、ネット空間の浮薄さが募るばかり。
 真のリアリティは秋の里山にある。

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左右が崖となっている馬の背

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 昨今のグランピング&キャンプ流行を受けて開設された。
 もちろん、日帰り入浴もできる。
 岩露天風呂にゆっくり浸かって、足をもみほぐした。
 缶ビールとスナックを買い、リラックスエリアでくつろぐ。
 
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窓からの景色
紅葉時はきれいであろう

 無料送迎バスで越生駅に戻る。
 駅前広場には太田道灌の像が建っていた。

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大河ドラマ主演を狙っている
演じるとしたら誰かな?

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 越生駅のホームからすでに世界無名戦士の墓が見えていたのに気づく。
 “無名”とは、亡くなった兵士の名前が分からないという意味ではなくて、「位階を超越し、一切無名平等にお祀りする」という意味からの命名。
 すばらしい見識だが、やっぱり戦士の墓がないのに越したことはない。
 彼らは故郷の家族のもとに帰れなかったから、ここにいるのだ。
 
 七重八重 花は散れども 山吹の 身の一つだに なきぞ悲しき


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● 鍋の水は熱くなっている 漫画:『この世界の片隅に』(作画:こうの史代)

初出:双葉社『漫画アクション』2007年12月号~2009年2月号
2011年コミックス発行

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 昭和9年(1934年)から昭和21年(1946年)に亘る、広島県の海沿いの街に暮らす一女性、浦野すずと家族をめぐる物語。
 原爆の投下された昭和20年8月6日に向かって、そしてポツダム宣言受諾の8月15日に向かって、物資の不足に苦しみ、空襲警報におびえ、愛する家族や友人を戦火に失い・・・と、傍目には(現代日本から見ると)地獄のようなしんどい日々でありながらも、明るくドジでのんびりした主人公を中心に平凡でささやかな日常を営む庶民の姿が描かれる。
 北川景子、松本穂香をすず役としてこれまで2度テレビドラマ化され、2016年にアニメーション映画として公開された。ソルティ未見である。

 作者のこうの史代は1968年生まれなので、すずは作者の祖母世代にあたる。
 よく昔のことを調べて絵に描いていると感心した。
 まるで、さくらももこと『ちびまる子ちゃん』の関係のように、作者の子供時代の記憶をもとに描いた作品のように思えるほど、生き生きした実感と豊かなリアリティがある。
 『YAWARA!』、『MONSTER』、『20世紀少年』の浦沢直樹を柔らかく幻想的にしたようなタッチの画風も、温かみがあり読みやすい。
 ちょっと抜けていて絵をかくのが得意な主人公すずは、作者の分身なのではなかろうか。

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 このたびのコロナ騒動でつくづく思ったことの一つは、突如として非日常的な出来事がやって来ても、人はこれまで通りの日常生活をたんたんと続けようとし、いつのまにやら非日常を日常に取り込んでしまうのだなあ~、ということである。
 最初のコロナショックに見舞われた時こそ、戒厳令のようなものものしい空気が満ちて、街路や飲食店や列車から人が消え、宇宙服のような完全防備の通行人も見かけたものだが、人々が徐々にコロナウイルスの正味のリスクと予防手段を学び、繰り返される報道に飽き飽きしてしまえば、長年続けて習慣になっている日常生活が取り戻されていく。
 三度三度飯を食って、クソして、眠って、働いて、遊んで、人と会話して飲んで、家事をして、恋をして、ふられて、結婚して、出産して、子育てして、喧嘩して、仲直りして・・・・という日常生活(ルーチン)は腰の強いものだなあと思う。
 しばらく前までは、毎夕報告される感染者数の増加に蒼ざめていたものだが、最近ではなんだか「我々は数値をコントロールできる」という妙な自信さえ、世間に漂っている感がする。
「第六波よ、来るなら来い!」みたいな・・・・。
 むろん、ワクチンのおかげが大きいが。

 茹でガエル理論というのがある。
 水を張った鍋に入れられたカエルは、鍋が火にかけられて水の温度が次第に上がっても、そのまま鍋の中に居続け、しまいには熱湯で焼け死んでしまう。
 急に熱湯に入れられたら驚いて飛び出すが、水からはじめて、ぬるま湯、熱湯と徐々に慣らされていくと、逃げる機会を逸してしまう。
 それと同じように、日常生活の中に非日常的な事柄が少しずつ紛れ込んでくると、一時は違和感を持ちはするものの、日常の持つ強さがそれを飲み込んでしまい、非日常だったものが日常になる。免疫ができる。
 次は、最初より強度の高い非日常がやって来る。免疫のできた日常は、今度はそれをも飲み込む。より免疫が強くなる。
 そうやって、昔ながらの日常生活を送っているつもりが、気づかぬうちに、最初の日常とはまったくかけ離れた非日常の日々を不思議とも何とも思わないで送っている。
 戦時下の生活とはそんなものだったのではないだろうか?
 原爆が落とされたときに、玉音放送を聞いたときに、人々ははじめて、自分たちがはじめにいたところからずいぶん遠くまで来てしまったことに、国にだまされて連れて来られたことに、気づいたのではなかったろうか?

茹でガエル
 
P.S. 茹でガエル理論は俗説であって、実際にはカエルは鍋から逃げるらしい。



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

  

● Q.E.D. 本:『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(加藤康男著)

2014年ワック株式会社

 関東大震災における朝鮮人虐殺を否定する意見が、昨今ネットを中心にかまびすしいと言うが、どうやら否定論の最大論拠になっているのがこの著書であり、否定論者の急先鋒がこの著者、加藤康男とその妻・工藤美代子であるらしい。
 加藤康男は1941年東京生まれの編集者、ノンフィクション作家。
 出版元のワック(WAC)は、1996年に設立された出版・映像制作などをメインとする会社で、高市早苗、ケント・ギルバート、渡辺昇一、山口敬之などの本や、月刊誌『WiLL』を発行している。


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 ソルティは、『関東大震災「虐殺否定」の真相』(渡辺延志著)および『九月、東京の路上で』(加藤直樹著)という虐殺“認定”論者の本を続けて読んできた。(虐殺“肯定”論者と言うと別の意味に取られかねないので、虐殺認定論者=「虐殺はあった」と認める立場をとる者、と定義する)
 否定論者 V.S.認定論者。
 喧嘩両成敗ではないが、ここは公平に反対側の意見にも耳を傾けるべきだと思って本書を借りた。
 「虐殺はなかった」という主張が果たしてどのくらい正当性があるのか、説得力を持っているのか、できるだけ虚心坦懐に読んで検討してみるのも一興と思った。

 先だっての記事で、この問題の論点を次のように整理した。
 関東大震災の直後、
 ① 朝鮮人による犯罪(放火、暴行、殺人、井戸に毒投入など)はあった
 ② 朝鮮人による犯罪はなかった
 ③ 日本人による朝鮮人虐殺はあった
 ④ 日本人による朝鮮人虐殺はなかった 

 これまでの共通認識は、「②犯罪はなかった」→「③虐殺はあった」である。朝鮮人による犯罪というデマに踊らされパニックになった一部日本人が、罪のない朝鮮人を虐殺したというものである。
 本書で加藤康男が主張しているのは、「①犯罪はあった」→「④虐殺はなかった」である。朝鮮人による犯罪――とくに日本の社会主義者と結びついた抗日運動家によるテロリズム――が実際にあったのであり、地域の自警団をはじめとする勇敢な人々は、不逞な朝鮮人や危険な社会主義者から地域や国を守るために止む無く武器を手に立ち上がった。それは断じて虐殺ではない、というものである。
 
 いずれの方角から調査しても、関東大震災時に日本人が「朝鮮人虐殺」をしたという痕跡はないのである。
 あったのは、朝鮮人のテロ行為に対する自警団側の正当防衛による死者のみである。


井戸


 加藤康男の論理を検討してみよう。

 まず、「④虐殺はなかった」について。
 「虐殺はあった」という証言がたくさんあり、歴史の教科書にも史実として載っている以上、新たに「虐殺がなかった」という論を立てて証明するためには、すでに発表されている数多くの「虐殺があった」という具体的な証言を一つ一つ反証を挙げて否定していかなければならないはずである。「虐殺がなかった」という目撃証言など集めようがないのだから、「虐殺があった」を否定するほかない。
 そして、“虐殺”を否定するためには、日本人による朝鮮人殺しが純然たる正当防衛であったことを証明しなければならない。つまり、殺した相手が「朝鮮人かつ犯罪者(テロリスト含む)」であったことを証明しなければならない。
 しかるに、本書ではまったくこの作業が行われていない。たとえば、『九月、東京の路上で』で挙げられている、どの朝鮮人殺害事例についても子細に検証すべく俎上に載せられてはいない。
 この時点ですでに、「④虐殺はなかった」説は宙に浮いている。

 次に、「①テロリズムを含む朝鮮人の犯罪があった」ことを証明するためには、具体的な目撃証言が必要である。
 これは別に、特定の地域に住む数人の証言といった限定的なものであってもよいと思うが、実在する人物(実名)による直接証言が必要であろう。匿名者の発言を載せた新聞記事や伝聞では駄目である。犯罪を立証するのに、新聞記事や伝聞情報を証拠に上げる検察などいない。
 だが残念ながら、ここでも納得いく証明はなされていない。
 朝鮮人の犯罪として著者が挙げる事例は、新聞記事や伝聞情報ばかりで、実名と所属を出して「私は見た!」とはっきり語っているケースが見出せない。

 思うに、政府による戒厳令が敷かれた震災直後なら、あるいは治安維持法(1925年~)があった戦前・戦中までなら、顔と名前を出して目撃証言する者がいなかったことは理解できる。
 しかし、表現の自由が認められた戦後になっても、震災時における「朝鮮人の犯罪」の目撃証言が一つも出てこないのはおかしなことである。(逆に、「朝鮮人虐殺」の目撃証言は次々と出てきたのに・・・)
 とりわけ、著者が言うような「国家転覆(昭和天皇暗殺)を狙ったテロリズム」という大謀略があったのなら、なおさら証拠文書や証言記録が歴史研究者あたりから上がってきそうなものである。
 ここでもまた、「①朝鮮人の犯罪はあった」は証明しきれていない。

 念を入れて証明して然るべき2つのポイントをさらりとかわして、その代わりに著者が紙幅を費やしているのが、大正時代の朝鮮半島の情勢説明であり、社会主義者と結託して抗日運動する過激な朝鮮人テロリストたちの暗躍ぶりである。
 「日韓併合して天皇陛下の恩恵のもと朝鮮の近代化を推し進めてあげたのに、それに反発して独立を叫ぶ、ましてや抗日運動するなんてけしからん!」という著者の憤懣がみなぎっている。
 朝鮮人テロリストの無節操と恐怖を読者に伝えようという心積もりからの記述なのだろうが、ソルティは逆効果と思った。
 どこの国の民衆が、国体と自治権と伝統ある王朝を奪われて黙ったままでいられるだろうか?
 「朝鮮人の犯罪」に対して武器を持って闘うのが正当防衛ならば、日本人の「乗っ取り」に対して武器を持って闘うのも正当防衛と言えないだろうか?


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李氏朝鮮第4代国王世宗(セジョン)
Y.H LeeによるPixabayからの画像


 さらに、本書において著者が「朝鮮人虐殺はウソっぱち」とする決め手として自信満々打ち出しているのは、震災時の在日朝鮮人の人口に関する検証である。
 曰く、「虐殺認定論者は、虐殺された朝鮮人の数を、2607人とか6419人とか2万人以上とか言っているけれど、当時東京近辺にいた朝鮮人の数から推察してみれば、それが見当はずれな大風呂敷なのは明らかだ。だから虐殺認定論は成り立たない」というのである。
 この具体的な数字を上げての証明は、伝聞や新聞記事とは違って科学的で実証性が高い手段と思えるので、どんなものかちょっと紹介したい。

 まず、著者は震災当時、もっとも被害が大きかった東京や横浜にいた朝鮮人の数を9800人と推定する。この数値が正しいかどうかは正直わからない。もっと多かったという説もある。ただ、ここでは数字が問題ではなく、著者の論理の進め方が興味深いので、数値の正確さにはこだわらないことにする。
――A.9800

 次に、震災で亡くなった朝鮮人の数を1960人と推定している。これは、震災時の日本人の死亡率は15%だが、在日朝鮮人は一概に貧しくて、壊れやすく燃えやすい家に住んでいたであろうから、日本人より5%高く見積もって死亡率20%とし、総数の9800人に0.2を掛けた数値である。
――B.1960

 次に、暴徒化した日本人の見境ない攻撃から朝鮮人を保護するために、軍や警察は急遽、各地の収容所に朝鮮人を連行した。その数は6797人と分かっている。
――C.6797

 A-(B+C)=1043人

 すなわち、京浜地区において虐殺された(とされる)朝鮮人の数は、最大値を取ったって1000人がいいところで、虐殺認定論者の上げる数値には全然届かない。(著者は、この1000人のうち800人程度がテロリストだったと決めつけている)
 
 当時、在日した人口から、彼ら(ソルティ注:虐殺認定論者)の言う「虐殺」人数を引けば、震災による朝鮮人の死者はゼロになってしまう。その一点に誰も目を向けてこなかったのが、この九十年だった。


 金田一さん、見事な推理です!
 と拍手を送りたいところだが、この計算には奇妙な点がある。
 関東大震災の被害の90%を占めたのは、東京市(いまの東京23区)と横浜市であった。当時の両市の人口はあわせて262万人。うち死亡者(行方不明含む)は約9万5千人。死亡率は3.6%になる。
 これは著者の用いた日本人の死亡率15%には程遠い。
 15%という数字は一体どこから出てきたのだろう?

 答えは簡単。
 死亡率は地区によって大きな開きがあるのだ。同じ東京市でも、岩盤の硬い山の手と、海に近く人口密度の高い下町とではまったく被害の大きさが異なった。15%というのは、もっとも被害の大きかった本所区(現在の墨田区の南部)、深川区(現在の江東区の北西部)を合わせた数値なのである。
 著者が死亡率15%(さらに朝鮮人バイアス載せて20%)に設定したのは、この両区に朝鮮人が多く住んでいたからと言う。
 だが、9800人の朝鮮人の何%が両区に住んでいたのか、震災の起きた日中の就業時間帯に何人が本所と深川にいたのか、そこは検討されていない。
 朝鮮人9800人全員がゲトーのように両地区に起居し働いていたということが前提にならなければ、全数に0.2を掛けるのはナンセンスである。
 いや、ソルティも当時、朝鮮人がどこに住み、どこで働いていたかなんて知らない。
 ただ、震災当時、京浜地区のすべての在日朝鮮人が両区にいたなんてあり得ないだろう。B.1960はもっと少ない数値になるはずだ。

 そもそも、「朝鮮人が襲撃する」というニュースは9/1の震災当夜、横浜から始まったという。
 著者自身、横浜における目撃者の談話として、「不逞の鮮人約二千は腕を組んで市中を横行し、略奪をほしいままにするは元より、婦女子二、三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふてゐる」と書かれた新聞記事(9月5日付、河北新報)を、朝鮮人テロの証拠の一つとして上げている。
 この2000人の朝鮮人は、いったいどこから湧き出したというのだろう? 
 阿鼻叫喚の本所と深川から、一瞬にして横浜にテレポーテーションしたのか?
 
 とてもとてもこの論理では、ミステリー読書歴40数年、読破数百冊のソルティは説得され得ない。

Q.E.D.(証明終わり)

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ウチのかみさんも納得しませんよ!
PrawnyによるPixabayからの画像画像
 


おすすめ度 :★★

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 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 北朝鮮にも雨が降る 映画:『クロッシング』(キム・テギュン監督)

2008年韓国
107分、朝鮮語

 DVDパッケージの解説を読むと、「北朝鮮の現実、脱北者の姿を描いたフィクション」とあったので、悲惨で重苦しいドキュメンタリータッチの社会派ドラマを予想していた。
 が、最初の数シーンで印象が変わった。
 まぎれもない“映画”である。

 貧困や病気や暴力などの悲惨な現実を映しながらも、ただならぬ美しさと背筋がざわざわするようなフィルムの手触りがそこにあった。
 語り口や撮影や演出もうまい。
 キム・テギュン監督の作品を観るのはこれがはじめてだが、韓国のスピルバーグと言っても遜色ない才能を感じた。

 北朝鮮ナショナルチームの元サッカー選手キム・ヨンス(=チャ・インピョ)は、結核で妊娠中の妻の薬を手に入れるため中国に密入国するが、公安につかまってしまう。人権団体の助けによりなんとか強制送還を逃れ韓国に渡ったものの、その間に故国に残された妻は亡くなり、一人息子ジュニは路頭に迷ったあげく収容施設に入れられてしまう。
 妻の死を知ってショックを受け、自らを責め、神(イエス)をののしるヨンスであったが、せめて息子を韓国に呼び寄せようとブローカーに依頼する。
 ブローカーの差し金で収容施設から救い出されたジュニは、国境を越えて中国に入り、モンゴルの砂漠に解放される。
 ジュニは父親との再会を願って、ただひとり砂漠を歩き出す。

 クロッシング(crossing)というタイトルはおそらく、「横断、縦断、越境」すなわち「国境を超える」意であると同時に、キム親子の心のつながりであるサッカーの「クロス(センタリング)」であり、さらには「十字を切る」すなわち「神への祈り」を含意しているのではなかろうか。
 はたして、息子と会いたいというヨンスの祈りは届くのか?
 父と子の再会は果たされるのか?
 二人はふたたびドリブル練習できるのか?


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父を探して砂漠をさすらうジュニ少年


 とにかく主人公の少年ジュニを演じるシン・ミョンチョルが凄い。
 これだけ観る者を泣かせる少年の演技は、往年の名作『穢れなき悪戯』のパブリート・カルボ、『誰も知らない』の柳楽優弥、『マイ・フレンド・フォーエバー』のブラッド・レンフロ、そして『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』の野原しんのすけ――くらいではないか。
 ソルティの涙腺は少なくとも4回は崩壊した。

 というと、お涙頂戴のあざといドラマと思うかもしれない。
 だが、豊かな国に生まれ育った観客たちの“上から目線”の皮相な見方や醒めたコメントをはねのけるに十分な、あまりにむごい北朝鮮の現実があり、その中で家族とともに生き延びようともがく庶民の姿がある。
 なんと言っても、国自体が強制収容所なのである。


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収容所からの脱走者を捕らえる北朝鮮の兵士


 この映画が製作されたのは2008年で、当時の最高指導者は金正日(キム・ジョンイル)。
 それからすでに13年が経っている。
 今もこの映画に描かれているような庶民の生活が続いているのだろうか?
 それとも、金正恩(キム・ジョンウン)のいや増す狂気とコロナ禍により、地獄化が進行しているのだろうか?
 気になるところである。

 江戸時代の百姓なら、隣国の現実、世界で起こっている悲劇など知らないで太平楽に生きられた。
 現代では、ミャンマーの内紛もアフガニスタンの混乱も新疆ウイグル自治区のジェノサイドも、情報はリアルタイムの映像付きでスマホを通して飛び込んでくる。某バーガーチェーンのクーポン券と横並びに・・・。
 世界の悲惨を知らないでハッピーに生きるか。
 知って多少の後ろめたさや抑鬱気分とともに生きるか。
 あるいは、知って無視してハッピーに生きるか。
 我らはいずれかを選択しなければならない時代に生きている。



おすすめ度 :★★★★★

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● 本:『派遣添乗員ヘトヘト日記』(梅村達著)

2020年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 このシリーズを手に取るのもこれで5冊目。
 ケアマネ翻訳家交通誘導員マンション管理員、いろいろな業界の内幕を楽しませてもらっている。(あとは介護職員、メーター点検員、タクシー運転手が残っている)

 書き手が20~30代の夢と野望あふれる若手ではなく、第一線で活躍するバリバリの40~50代でもなく、いくつかの業界で荒波をくぐって来て人生の酸いも甘いも知った60~70代の人間であることが、本シリーズのユーモアとペーソスまじりの渋い味わいを生んでいる。
 それぞれの現場で、取引先との関係に苦慮しながら、舞い込んでくるクレームに追われ頭を下げながら、低賃金や時間外就労などの劣悪労働条件をぼやきながら、一歩引いた大人の目でもって業界と人間と自分自身とを観察しているあたりが、やっぱり「亀の甲より年の功」という気がする。
 だから、それが3Kと呼ばれるような仕事であっても、派遣や非常勤であっても、悲壮な感じはしない。
 伊波二郎によるヘタウマ感あるイラストがまた、本シリーズ人気の理由であろう。
 ソルティは図書館で借りているが、どの本も予約待ちのことが多い。

 今回の書き手は、団体旅行の添乗員を15年以上やっている60代後半の男。
 映画制作、塾講師、フリーライターなどの世界を渡り歩いてきたという。
 国内旅行、国外旅行、修学旅行、社員旅行、日帰りツアー、関連イベント手伝い等々、いろいろな現場で著者が見聞きした愉快なエピソード、旅行先で起こった様々な珍事やヒヤヒヤや思いがけない感動、委託元である旅行会社との気を遣うやり取り、楽しく読ませてもらった。

トラベルトラブル


 ソルティも旅行好きなほうであるが、成人してからは団体旅行というものに参加したことがない。
 あらかじめスケジュールが決まって、時間と行く先が自由にならないというのが性に合わない。旅先では気分次第で動きたい。
 それに、団体旅行は人気の高いスポットをめぐることが多いので、どこ行っても混雑する。これがまたストレスである。
 国内国外問わず、圧倒的に閑散期をねらった一人旅が多かった。
 
 しかるに、年をとったらそう言ってもばかりいられないかもしれない。
 足腰が弱って、頭も働かなくなり、宿の予約や飛行機の手配など自分で段取り付けるのも億劫になり、加えて人恋しくなってくれば、団体旅行の便利さと賑やかさが好ましく思われてくるのかもしれない。
 これまで添乗員さんの世話になることはなかったけれど、今後はあるかもしれない。
 その時には旅の終わりに添乗員さんにあたたかいねぎらいの言葉の一つでもかけてあげよう。

 コロナ禍で一年半以上の旅行自粛が続く中、添乗員の仕事も閑古鳥だったろう。
 本作の印税が少しでも著者の生活の助けになっていればよいのだが。
 (――って図書館で借りたお前が言うな!)



おすすめ度 :★★★

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● 100枚のチラシ:読売日本交響楽団コンサート

日時 2021年10月10日(日)14時~
会場 東京芸術劇場コンサートホール(豊島区池袋)
演目
  • シベリウス:交響詩〈フィンランディア〉
  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番
  • シベリウス:交響曲第2番
指揮:沖澤のどか
オケ:読売日本交響楽団
ピアノ:ペーター・レーゼル

 実に1年9ヶ月ぶりのクラシックコンサート。
 昨年1月20日に同じ東京芸術劇場で聴いたチャイコフスキー第6番『悲愴』を最後に、すっかり生オケ離れしていた。
 一昨年12月に踵の骨を折って松葉杖生活が続いていたせいもあるが、メインの理由はもちろんコロナである。
 昨年3月頃よりエンタメ業界はまさに「悲愴」に突入した。
 なんと長い冬であったろう!

 久しぶりに生オケを聴きたいなあと思って、クラシック専門情報サイトをググったら、間近で見つけたのが本公演であった。
 ベートーヴェンにシベリウス。
 冬からの復活を祝うには最適なプログラムではないか。
 早速予約を入れようとしたら、結構席が埋まっていた。
 みんな待ち望んでいたよね~。

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東京芸術劇場


 コンサートホールに入るときは、入口でスタッフにチケットの半券をもぎってもらい、本日のプログラムと一緒に他のコンサートの案内チラシを大量にもらうのがお決まりである。
 今回は、スタッフにチケットを見せたら自ら半券を切って、置いてある箱に入れる。その先のテーブルに積み重ねてあるプログラムと案内チラシの束を自分で取る。
 セルフサービスだ。
 いつもならほとんどがゴミ箱行きになるのでもらうのを迷うチラシの束であるが、今日はなんだか嬉しくて、いそいそと手に取った。
 これまで見たことないほど大量のチラシも、クラシック業界に生きる人々の復活の喜びと今後への意気込みと思えば、家に持って帰って一枚一枚有り難く拝見する気になる。

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なんと100枚あった


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 席は客席中央の一番後ろ。
 舞台と全体を見渡すにはベストな位置である。
 8割がた埋まっているようであった。

 ソルティは、クラシックコンサートで良い演奏に出会うとチャクラがうごめく
 音波があちこちのチャクラを刺激し、その部位の気の流れを良くする。
 すると、会場のルクスが上がったかのように、周囲に光を感じる。
 体も心も生まれ変わったようにリフレッシュする。
 良い演奏は針治療や整体に匹敵する効果があるのだ。
 1年9ヶ月ぶりの生オケで体はどんな反応を示すだろうか。
 期待大であった。

 しかるに、今日はなぜかチャクラが大人しかった。
 ペーター・レーゼルによる木漏れ日をそのまま音符に変換したかのような至芸のピアノ演奏も、2019年プザンソン国際コンクール覇者の期待の新人・沖澤のどか&ベテランぞろいの読響によるシベリウスの豊穣世界も、「素晴らしい、さすがだ」とは思いはしたけれども、音波は胸のチャクラを突きはするものの、それ以上入り込む力がなくて、感動には至らなかった。(拍手喝采は凄かった)

 たぶん、演奏の質の問題ではなくて、一年9ヶ月のブランクでソルティのチャクラが固く閉じてしまったのだろう。
 どこにいるか分からないコロナウイルスに対する恐怖、自分が感染する・他人に感染させるんじゃないかという不安や緊張、医療先進国にあって入院できずに自宅で病死した人のニュースを耳にしたときの怒りと絶望、自粛生活に慣れてしまったがゆえの心身の柔軟性の低下・・・・こういったものが知らず知らず心身に影響を与え、頑なにしてしまったのではなかろうか。
 来場者全員マスクして発話は禁じられているものの、間隔を開けずに隣の人と接している状態に、どこか落ち着かないものを感じながら聴いていたのだから。
 細胞が、神経が、心の琴線が、音楽をやわらかく受け止める用意が整っていないような気がした。

 もとのようにチャクラが活性化するまで、もうちょっと時間がかかりそうだ。


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帰宅する人々
シベリウス好きはおしゃべりしないように思う








● 日本人だけじゃない? 本:『九月、東京の路上で』(加藤直樹著)

2014年、ころから発行

 「九月、東京の路上で」何があったか?
 日本人による朝鮮人・中国人のジェノサイド(大量虐殺)があった・・・・。
 約100年前(1923年)の話である。

 本書は、リアルタイムで現場を見た人々の証言に、周辺状況が把握できる解説を付け加えて、時系列に並べたものである。
 取り上げられている場所も、品川、四ツ木、神楽坂、上野公園、池袋、高円寺、熊谷、寄居、習志野など、東京・埼玉・千葉と多所に亘っている。
 表紙の絵は、関東大震災直後に小学4年生が描いたもので、一人の朝鮮人を武器を持った日本人が大勢で追跡しているところらしい。

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 本書を読んでいる間、ソルティの気持ちは深~く落ち込んだ。鬱がぶり返すのではないかと思ったほど。
 震災時の朝鮮人虐殺の話は、これまでもあちこちの本で読んでいた。が、単発だったので全体像は見えなかった。
 本書のようにまとまったものを読むのは初めてであった。
 結果、「ジェノサイド」という言葉が決して誇張ではない様相に、ショックを受けた。

 日本人ってなんだろう?
 なんという残虐な国民なのか?
 なんと附和雷同しやすいメンタルか?

 落ち込みの理由は自虐的気分におちいったからである。日本人というアイデンティティに誇りを感じられなくなりそうだったからである。

 いやいや、日本人だけではない。デビ夫人亡命後のインドネシア人だって、ポル・ポト政権下のカンボジア人だって、奴隷制時代のアメリカ人だって、ベトナム戦争時の韓国人だって、一介の庶民による庶民への虐殺行為はあったはず。特別なことじゃない。

 そう考えて気をとり直したけれど、それはまったく言い訳にも説明にもならないことは自明の理であった。
 
 夜は又朝鮮人のさはぎなので驚ろきました。私たちは三尺あまりの棒を持って其の先へくぎを付けて居ました。それから方方へ行って見ますと鮮人の頭だけがころがって居ました。わすれたがあのだいろくの原と云ふ所は二百人に死んでいたと云ふことであった。
(横浜市高等小学校1年【現在の中学1年】女児による作文)

 子供たちも含めリアルタイムを生きた人々の証言は、生々しいまでに率直で、映像喚起力があり、作為的なところがない。
 本書には、芥川龍之介や折口信夫や千田是也など著名人の証言も載せられている。
 これだけの証言を前に、「虐殺はなかった」と言うのは自己欺瞞としか言いようがない。
 罪に罪を重ねるような破廉恥は止してほしいものである。

 著者は、「虐殺はなぜ起こったか」という章を設けて、次のように考察している。

 突然の地震と火事ですべてを失った人々の驚き、恐怖、怒りをぶつける対象として、朝鮮人が選ばれたのだろうか。

 だがそうした感情をぶつける対象として朝鮮人が選ばれたのは、決してたまたまのことではない。
 その背景には、植民地支配に由来する朝鮮人蔑視があり、4年前の三一独立運動以降、日本人はいつか彼らに復讐されるのではないかという恐怖心や罪悪感があった。そうした感情が差別意識を作り出し、目の前の朝鮮人を「非人間」化してしまう。そして防衛意識に発した攻撃が「非人間」に対するサディスティックな暴力へと肥大化していったのだろう。

 しかし、庶民の差別意識だけでは、惨事はあそこまで拡大しなかった。事態を拡大させ、深刻化させたのは治安行政であり、軍である。

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1906年サンフランシスコ大地震(M7.9)の情景


 「まえがき」によると、本書が生まれたきっかけは、朝鮮人が多く暮らす新大久保(新宿区)に生まれ育った著者が、2012年から始まった在特会(在日特権を許さない市民の会)によるヘイトスピーチを目にし、怒りを感じ、抗議行動に参加したことにある。
 2000年代に入ってからの石原慎太郎都知事による「三国人」発言、在特会の活動、ネットにあふれる嫌韓コメント・・・・、関東大震災で朝鮮人ジェノサイドを引き起こした“空気”は今もこの国に漂っている。

 関東大震災は過去の話ではない。今に直結し、未来に続いている。 

 然り。
 ソルティも、今回のコロナ禍で各地で起こった感染者差別や風評被害、秋篠宮長女の結婚に対するバッシングの嵐を鑑みるに、「日本人は変わっていない、変わらない」とつくづく思う。
 一言で言えば、日本人の国民性のネガティヴな面の一つは、「匿名を隠れ蓑にしたいじめ体質」である。

 いや、日本人だけじゃない日本人だけじゃない日本人だけじゃない・・・・。
 虚しく繰り返す秋。


P.S. 関東大震災時に千葉県福田村で起こった香川の行商グループ虐殺事件を、森達也が映画化するという。震災100周年の2023年公開を予定している。
 


おすすめ度 :★★★

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● ノーベル漫画賞ってないのか : 『諸星大二郎展 異界への扉』

 最近すっかりファンになった諸星大二郎展が三鷹でやっているというので行ってみた。
 デビュー50周年記念だという。

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案内チラシ

 会場は中央線JR三鷹駅南口の目の前にあるCORALというビルの5階にある三鷹市美術ギャラリー。
 はじめて足を運ぶ。
 ネットで調べたら、密を防ぐためか予約制になっている。もっとも空いていそうな平日の開館直後(10時~10時半)の枠を選んだ。

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三鷹駅南口

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CORAL

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会場入口

 1970年のデビュー作『ジュン子・恐喝』から現在連載中の『西遊妖猿伝』まで、B4大の原画がカラーページも含めて約350点、迷路のように仕切られた展示室にずらりと並んで、圧巻であった。
 ソルティがここ最近読んで感銘を受けた文庫版の『暗黒神話』、『壁男』、『彼方より』に収録されていた傑作群のワンシーンも見つけることができ、縮小サイズで発行された印刷物と原画との違いが興味深かった。
 塗ったばかりのような黒々したベタ、緻密な描線、迫力ある効果線、一つ一つの吹き出しに手作業で貼った写植文字(セリフ)の凹凸、そして編集者が原稿に入れたさまざまな校正記号が一つの作品が出来上がるまでの苦労と情熱とを感じさせる。(実はソルティ、昭和時代に編集の仕事をしていました)
 
 やはり、原寸で見ると諸星の絵の上手さ、漫画家としての技術の高さに驚嘆する。
 正確なデッサン、丁寧な細部処理、ペンの使い分け、人や物体の造形力、構図、コマ割りなど、基本的なところがしっかりしている。
 その安定した基礎の上に、独創的にして大胆な発想と個性的なタッチと唯一無二の世界観が、豊富な知識(美術、歴史、民俗、生物、神話、哲学、宗教e.t.c.)と卓抜なるストリーテリングを伴って、作品として結実するのだから、しかも、残酷なまでに浮き沈みの激しい漫画界にあって半世紀ものあいだ質の高い作品を生み続け、新しいテーマや描法にも果敢にチャレンジし、幅広い世代の読者を楽しませ続けているのだから、これはもう国宝級、いや世界遺産、ノーベル漫画賞ものである。
 
 2時間じっくり堪能したあと、受付に戻ってムック『文藝別冊総特集 諸星大二郎』とカオカオ様キーホルダーを買った。

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 これから、『妖怪ハンター』や『マッドメン』や『諸怪志異』や『栞と紙魚子』などが自分を待っていると思うとワクワクする。
 展示は10/10まで。 

P.S. 展示の最後のほうにあったダ・ヴィンチばりの裸の美少年の絵にはたまげた。諸星センセイ、ついにBL漫画にチャレンジか!?
 


おすすめ度 :★★★★★

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