ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 2025春の奈良旅1 国宝まつり

 鈴木亮平に誘われ、ゴールデンウィーク直前に3日間の奈良旅。
 奈良のイケメンならぬ、イケ仏たちに会うがため。

1日目 国宝まつり
 斑鳩の里(法隆寺~法起寺~法輪寺)
 奈良国立博物館・超国宝展
2日目 花まつり
 室生寺の石楠花
 長谷寺の牡丹
3日目 古代まつり
 飛鳥巡り(甘樫丘~飛鳥寺~岡寺~石舞台古墳~天武・持統天皇陵)
 
 3日間とも駅前で自転車をレンタルし、効率的かつ気分良く、名所・名跡を巡ることができた。
 暑くもなく、寒くもなく、うららかに良く晴れて、それほど混み合うこともなく、花も新緑も仏も里山もすこぶる美しく、素晴らしい時が持てた。

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鈴木亮平 in 石舞台古墳

1日目(4/25)晴れ
 前泊 京都市内
 08:30 JR法隆寺駅
     自転車レンタル
 08:45 法隆寺(2時間半stay)
 11:40 法輪寺(30分stay)
 12:30 法起寺(40分stay)
 13:30 JR法隆寺駅
     自転車返却
 14:00 JR奈良駅
     自転車レンタル
 14:20 奈良国立博物館・超国宝展(2時間半stay)
 17:10 近鉄奈良駅
 宿泊 天理市内

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JR法隆寺駅
駅前の喫茶店で自転車を借りる(一日600円)。
バス便が少ないので、斑鳩の里めぐりには自転車が非常に便利。
地図をもらい、道順や駐輪場所も教えてもらった。

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法隆寺
前回来たのは2年前の春。
今回どうしてもこの時期に来たかったのには訳がある。

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夢殿に直行。

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御開帳(4/11~5/18)の救世観音を見たかった。
楠製の一木造で金箔を押している。宝冠は金銅製。
7世紀前半の作で作者不明。
聖徳太子の等身大の像として有名だが、思いのほか小ぶりに感じた。
像高約180cmはソルティより20cm高いはずなのだが。
離れたところから金網越しに見たせいであろうか?
いまひとつ迫力(霊力)が感じられなかった。
修学旅行生到着前を狙ったので、ゆっくり拝むことができた。
(画像は法隆寺発行のパンフレットより)

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もちろん、お隣の中宮寺に寄り、弥勒菩薩の神秘的な微笑に癒された。

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西院伽藍
修学旅行生が続々やって来た。
小学生が一人一台タブレットPCを持って学習していたのには驚いた。

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境内には素晴らしい古木がある

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法隆寺の裏手にある天満池
このあたりは池が多い。
年間降水量が少なく、大きな川や湖もない大和平野の農民たちは、用水不足に悩まされてきた。つまり、人造池である。

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天満池から法隆寺を望む。

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池のほとりに立つ斑鳩神社
祭神は菅原道真公
それゆえ天満池と言うのだ。

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法輪寺
聖徳太子の御子の山背大兄王子(やましろおおえのおうじ)創建と伝わる。

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三重塔は昭和19年(1944)落雷で焼失。
昭和57年(1975)に再建された。

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講堂
飛鳥時代の薬師如来像、虚空蔵菩薩像、平安時代の十一面観音菩薩像、鎌倉時代の聖徳太子2歳像、室町時代の聖徳太子16歳像、江戸時代の妙見菩薩像など、バラエティに富む仏像たちがずらり。時代ごとの仏像の様式の違いを学ぶのに恰好の陳列。
中でも、邪鬼ならぬ米俵に乗った毘沙門天(平安時代)は珍しい。お寺の人の話によると、江戸時代に改造されたとか。豊作を願う当時の里人の生んだ変体仏であろう。

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のどかな畑中の道を薫風に吹かれて快適サイクリング

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法起寺
聖徳太子が法華経を講義した岡本宮を、のちに寺に改めたと伝えられる。
太子建立7ヵ寺の1つに数えられている。

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ご本尊・十一面観音菩薩立像
像高350cm  
10世紀後半頃の作と伝わる。

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講堂
元禄7年(1694)に再建したもの。
どことなく城郭風である。

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国宝の三重塔
慶運3年(706)建立と伝わる。
現存する日本最古の三重塔である。  
Simple is beautiful.

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三重塔の中を覗く。
いかにも初期の塔らしい簡素な構造。

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法輪寺や法起寺まで足を延ばす人は少ない。
それだけに、静かでゆったりした斑鳩の里の気を満喫できた。

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奈良国立博物館へ移動

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これが今回の旅の目玉の一つ。
約110件の国宝が一堂に集められた贅沢極まりない展覧会。
仏像好きにとっては万博どころでない空前絶後の仰天企画である。
ソルティは学生なので、観覧料一般2200円のところ学生1500円。
――と思ったら、奈良大学は博物館のメンバーシップ会員になっているので、学生証を見せればなんと400円で入れる! 
超オトク!

主役級の役者たちが共演する昭和時代の年末特番ドラマ(『忠臣蔵』とか)のような豪華さに、圧倒されっぱなしだった。

大物キャスト紹介(ほんの一部、おおむね時代順)
  • 百済観音(法隆寺)・・・法隆寺では模刻が留守番していた。
  • 四天王立像(法隆寺)・・・飛鳥時代の木像の傑作。文科系の広目天が渋い。
  • 天寿国繍帳(中宮寺)・・・聖徳太子妃の橘大郎女の発願にて、太子が往生した天寿国のありさまを描いたもの。現存する日本最古の刺繍。
  • 釈迦如来倚像(深大寺)・・・三鷹からいらしてたのね。
  • 維摩居士坐像(法華寺)・・・肖像彫刻の傑作。個性爆発のユイマ。
  • 義淵僧正坐像(岡寺)・・・奈良時代にこのリアリティ。義淵(643-728)は法相宗の僧侶。
  • 釈迦如来坐像(室生寺)・・・どっしりした安定感。下腹のたるみに親近感。
  • 菩薩半跏像(宝菩提院願徳寺)・・・どこから見ても隙のない完璧な美はグレタ・ガルボか原節子のよう!
  • 吉祥天像(薬師寺)・・・2次元から飛び出てきそうな高貴な天女絵。むかし教科書でお目にかかった。
  • 金地螺鈿細毛抜形太刀(春日大社)・・・鞘に刻まれた何匹もの大和猫のデザインがキュート
  • 大日如来坐像(円城寺)・・・若き運慶の出世作。天才の出現を告げてあまりない。
  • 病草子(京都国立博物館)・・・ふたなり(半陰陽)、痔瘻の男、口臭のきつい女など、病者をリアリスティックに描いた平安末期の珍絵巻。
  • 重源上人坐像(東大寺)・・・運慶作か? 皺のひとつまで、生きているかのようなリアリティ。重源上人は平重衡によって焼かれた南都の復興に尽くした人。
  • 天燈鬼・龍燈鬼立像(興福寺)・・・奈良大学通信教育学部パンフレットの表紙を飾る。運慶の息子・康弁の手による。
 2時間半、集中して見続けてフラフラになった。
 おそらく今日一日で見た国宝の数は、過去60年間分のそれを上回るであろうし、この先もこれほどたくさんの国宝を一度に見ることはまずあるまい。
 国宝バブリーな一日であった。

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疲れた頭と体を天理の温泉で休めた。


つづく。








● ブルックナー・ニューロン 豊島区管弦楽団 第99回定期演奏会

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日時: 2025年4月29日(火) 13時30分~
会場: 所沢市民文化センター・ミューズ アークホール
曲目:
  • ベートーヴェン : 交響曲第5番 ハ短調『運命』作品67
  • ブルックナー  : 交響曲第5番 変ロ長調 WAB.105
指揮: 和田 一樹

 風薫るさわやかな午後、西武新宿線・航空公園駅から所沢ミューズに向かう足取りは、つのる期待で自然と速まった。
 なんと言っても、和田一樹&豊島オケのベートーヴェン『運命』である。
 期待するなと言うほうが無理だろう。
 ブルックナーについてはソルティはまだ開眼していないし、第5番を聴くのも初めてであるが、ひょっとしたら和田一樹&豊島オケなら、ソルティの耳糞のつまった鈍い耳を開いてくれるかもしれない。
 晴れて、ブルオタの仲間入りできるかもしれない。

 約2000席のアークホールは6~7割ほど埋まった。
 心なしか妙齢のオバ様たちが多かった。

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西武新宿線・航空公園駅

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所沢市民文化センター・ミューズ

 圧巻の『運命』!
 和田&豊島オケがこれまでに何回『運命』を演奏しているのか知らないが、もはや自家薬籠中といった感じの完成度。
 今年の初めにすみだトリフォニーホールで豊島オケを聴いた時に、「音のクオリティが上がった?」という印象を持ったが、今回聴いて、それは間違いなかったと実感した。
 ウィークデイに仕事を持ちながら余暇にオケしている人の集まりとはとても思えない。
 オケがまるで一個の生き物のように息づき、動いていた。

 第1楽章は速いテンポのうちに、刻みと粘りのメリハリ鮮やか。
 第2楽章こそ、ケン玉使い和田の真骨頂。
 緩急、強弱、明暗、硬軟、自在に玉を――じゃなくて音をあやつり、壮麗にして豊饒な世界をホログラムのごとくミューズの空間に立ち上げた。
 ホールの音響効果を十分利用した残響による余韻の興趣は心にくいばかり。
 雌伏の第3楽章を経て、第4楽章で爆発する歓喜。

 ソルティはこの曲を、モーツァルト最後の交響曲『ジュピター』に対する、ベートーヴェンなりの挑戦あるいはオマージュじゃないかと思うのである。
 それが明らかになるのが第4楽章で、向かい風の中を決然と立つ獅子のような英雄的な動機と、ピッコロの天上的響きが共通している。
 ここのピッコロは、音色の質や多少の音の狂いなどは構わずに、とにかく自在に、思い切りよく、楽天的に、「はしゃげ!」――が正解。
 ちょうど、小さな子供が元気にはしゃぎ回る声が、たとえ音楽的でなくとも、天上的に響くのにも似て。

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 ブルックナー第5番の感想はこれしかない。
 「う~ん、ブルックナーだ(笑)」
 小津安二郎の映画がまごうかたない小津印――ローポジション撮影、固定カメラ、単調なセリフの繰り返し、童謡の使用など――を身に着けていて、他の監督の作品と間違えっこないのと同様に、ブルックナーの音楽もまた他の誰の音楽とも似ていない。
 ブルックナー印がそこかしこに刻まれている。
 それを心地よく(美しく)感じられるかどうかに、ブルオタになれるかどうかの踏み絵ならぬ登竜門があるのだと思う。
 残念ながらソルティはまだそこには達していない。
 というより、いつか達する日が来るのかどうか・・・。

 ブルックナーを好きになる人は、もともと脳内のブルックナー・ニューロンが人より発達しているんじゃなかろうか。
 そして、その発達は女性より男性のほうに多く見られ、同じ男性でも鉄っちゃん・ニューロンを有している人と相関が高いのではないか。
 ――なんてことを思う。
 今日も、終演後に、「やっと終わった」というオバ様たちの安堵の表情をよそに、「ブラボー!」が多く飛び交っていたが、それはすべて男性の野太い声であった。
 ブルックナーがメインの演奏会では男子トイレに列ができる、「ブルックナー行列」という言葉さえある。

 ブルックナーの音楽はクリスチャンであった作曲家自身の信仰の表現とか言われるが、必ずしもブルオタ=クリスチャンではないと思うし、生粋のクリスチャンが、たとえばバッハの音楽を愛するようにブルックナーの音楽を愛することができるのかどうか、ソルティははなはだ疑問に思う。
 ブルックナーの音楽を難解とは思わない。
 ただ、マーラーやショスタコーヴィチの音楽以上に、聴く人を選ぶのではないか。

 和田一樹&豊島オケでも、ブルックナーの壁は越え難かった。




● 本:『秘仏探偵の鑑定紀行』(深津十一著)

2020年宝島社

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 秘仏とは、一般に、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が閉じられたまま祀られている仏像のことを言う。
 有名な秘仏――という言い方もなんだか矛盾しているが――を挙げると、法隆寺夢殿の救世観音、東大寺法華堂の執金剛神像、東大寺二月堂の十一面観音立像、唐招提寺の鑑真和上坐像、浅草寺の聖観音像、長野善光寺の阿弥陀三尊像、吉野山金峯山寺の金剛蔵王大権現など、枚挙のいとまがない。
 これらの秘仏は、特定の日に限って公開されるものから、例年期間限定で公開されるもの、数年~数十年に一度だけ公開されるもの、そして公開されるあてのないものまで、御開帳の度合いもいろいろである。

 基本、ソルティは秘仏文化には反対である。
 仏教は本来顕教であるべき(ブッダに握拳なし)なので、秘匿するという思想は“邪見”もいいところだと思う。
 まあ、そもそも仏像をつくること自体、「諸行無常・諸法無我」、「自灯明・法灯明」を説いたブッダの教えとはそぐわないことなのであるが――実際、仏滅後500年ほどは仏像はつくられなかった――そこは今さら言っても仕方ない。
 非公開の理由として文化財保護の観点が上げられることも多い。が、保存科学の技術が進んだ現在、仏像を公開しながら保護する方法はいくらでもあるはず。
 仏像は人の目に触れて日々祈られてこそ、本来の用途をなす。
 「ちょっとだけよ、あんたも好きね」みたいなカト茶的“じらし”方はいい加減やめてほしいところである。

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東大寺三月堂の執金剛神像
(毎年12月16日のみ公開される)

 本書でいう秘仏は、しかし、上記の“じらし仏”とは違う。
 つくられた過程がよくわからない、謎に包まれた、その存在を人に知られていない、無名の仏像というほどの意味である。 
 仏師修行中の青年・織田真人は、R大学で仏教研究をしている八代准教授に見込まれて、20年前に出版された作者不明の小冊子『秘仏探訪』に登場する仏像の謎を解き明かすべく、共に旅に出る。
 が、“見込まれた”のは、織田の仏師としての技量ではなかった。
 織田には、仏像に手を触れると、制作者の思いや制作過程を追体験できる不思議な能力があったのである。
 京都伏見の古刹に江戸時代から伝わる地蔵菩薩像。
 修験道のメッカ奈良県大峰山に秘された虚空地蔵菩薩像。
 アイヌコタンの土産物屋の奥にしまい込まれた野性味あふれる木彫りの仏たち。
 仏像のつくられた背景が織田の脳裏にダウンロードされるとき、それが秘仏である理由も、制作者が仏像に込めた思いも明らかになる。
 そして、いにしえの人々が抱いていた信仰の深さに触れることになる。

 仏像好きにはたまらないミステリー。
 こういった秘仏こそ、ありがたい。
 
 

おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● ヘイト女子たちの祭典 映画:『ソフト/クワイエット』(ベス・デ・アラウージョ監督)

2023年アメリカ
92分

ソフト&クワイエット

 今年ここまでに観た映画の中で一番ショッキングな作品。
 二重の意味でショッキング。

 一つ目。本作はなんとワンカット撮影。
 すなわち、最初から最後まで、手持ちカメラ一つで、途中カットをまったく入れずに撮り続けている。
 92分の上映時間は、そのまま物語的時間であり、撮影にかかった時間である。
 そんなことが可能なのかと言えば、前例がある。
 スティーヴン・ナイト監督『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』(2013)は、ワンカット撮影の上に、一人芝居で、ほぼ全編ドライブ中という、とんでもない高難度の演出&演技、加えて好脚本でバツグン面白い、奇跡のような作品であった。
 
 うまくはまれば、生放送のごとき臨場感あふれる作品を生むことができるこの手法にチャレンジする監督も、昨今ちらほらいるようだ。
 本作は見事にはまった例である。
 いったい、どこまで最初につくりこんで、つまり、92分間の動きとセリフを役者たちにしっかり覚えてもらい、カメラ(撮影者)の位置と照明を設計して、「用意スタート!」を切ったのか。
 いったい、何回リハーサルをしたのか。
 何回、最初から撮り直しの目に遭ったのか。
 複数の登場人物が出演し、車での移動や水上ボートの撮影もあり、後半すさまじい暴力シーンが続くので、これをワンカットで撮ったことに衝撃を受ける。

 二つ目。なんと途中からワンカット撮影であることを忘れてしまう。
 それだけ内容がエグイ!
 恐ろしい‼
 人権や多様性という言葉に反感を抱く白人女性たちが教会でミーティングを持ち、積もりに積もった鬱憤をここぞとばかりぶちまける“ヘイト祭り”。
 酒に酔って気炎を上げ、たまたま店頭ですれ違った有色人種の女性二人に因縁をつけ、彼女たちの家まで押しかける“ヤンキー女子学生乗り”。
 留守宅に不法侵入しイタズラしようとしたところ、突然二人が帰宅してパニックに陥る“お馬鹿っぷり”。 
 二人に対する口止めのための恫喝が次第に凄惨な暴力に発展していくさまは、まさに“集団ヒステリー”、というか“魔女のサバト(饗宴)”。
 女性が同じ女性に対して、ここまで残酷な暴力をふるう映画を見たのは、はじめてかもしれない。(名前からして女性監督と思われる)
 途中から「ワンカット撮影がどうの」なんて技術的なことをすっかり忘れて、目の前で展開される暴力と狂気に言葉を失い、画面に没頭し、展開を後追いするばかりとなった。

 「男女同権、ジェンダー平等、多様性、ポリティカル・コレクトネス、アファーマティブ・アクション」といった言葉を心底憎み、昔ながらの良妻賢母こそ真のアメリカ人女性、と唱えるトランプ派の女性たち。
 その暴力性ばかりはしっかり男と同列である。
 
 現代アメリカのヘイト問題の根深さに慄然とさせられた。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 本:『熊楠と幽霊』(志村真幸著)

2021年インターナショナル新書

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 南方熊楠(クマグス)の名を最初に知ったのは、たしか男色がらみだったと思う。
 画家で男色研究家の岩田準一(1900-1945)と、男色をめぐる往復書簡をした人物というので興味を持った。
 調べて見ると、博物学・生物学の大家であり、とくに粘菌の研究では世界的権威という。
 昭和天皇にキャラメル箱に入れた粘菌標本を献呈した話もよく知られる。
 裸族のはしりでもあり、夏の間は真っ裸で過ごし、周囲から「てんぎゃん(天狗)」と呼ばれていた。
 平賀源内同様、奇行の多い天才であった。

 肖像写真を見ると、ギョロっとした眼のむさくるしい感じの親爺で、男色家っぽくない。(どういったのが“男色家っぽい”のか自分でもよくわからないが。ジャニーさん? 三島さん?)
 図書館で著書を探して手に取ったが、文章が難しいというか、とりとめがないというか、わけがわからなくて読むのをあきらめた。
 以来、疎遠となっていた。

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南方熊楠(1867ー1941)

 実はクマグスは民俗学者としても有名なのである。
 柳田国男を民俗学の「父」とすれば「母」はクマグスだとか、いや、「父」がクマグスで「母」が柳田だとか、ジェンダー観念にとらわれた意味不明な議論があるようだが、ともあれ、日本民俗学の誕生に多大な貢献をした人である。
 柳田とは生涯に一度きり、和歌山県田辺の自宅で会っている。
 二日酔いのクマグスは布団にくるまりながら柳田と話したそうで、実りある対談とはいかなかったようだ。
 二人はその後も頻繁に書簡のやりとりをしていたが、民俗学における「性」をめぐるテーマの扱いがきっかけで袂を分かってしまった。
 男色を始めとする日本人の性風俗について、すすんで学問として取り上げようとしたクマグスの姿勢を、柳田は受け入れられなかったようだ。
 それでも柳田は、クマグスが亡くなった際に「日本人の可能性の極限」と評した。

 本書は、クマグスの生涯や業績や思想について述べたものではない。
 『クマグスと幽霊』のタイトルが示す通り、スピリチュアルな視点から読むクマグス、あるいはクマグスにおけるスピリチュアリズム(心霊主義)の概説である。
 クマグスは、若い頃から不思議な体験を多くもった。
 熊野の山中で幽体離脱したり、夢の中に出てきた父親から新種のキノコの生息地を告げられたり、知人の死を予知したり・・・。
 自然、博物学や民俗学の研究に勤しむのと並行して、心霊研究にものめり込むようになる。
 世界各地の幽霊や妖怪に関する証言を集め、英国の著名な心霊研究家フレデリック・マイヤーズの書を熟読し、18歳から亡くなるまで明恵上人のごとく見た夢の記録を日記に書きとめた。
 ただ、さすがに科学者である。
 本書によれば、降霊術のようなオカルティズムには懐疑的で、予知や幽体離脱や輪廻転生などの不思議な現象に対して、なんらかの科学的な説明が可能なのではないかと思っていたようだ。

 著者の志村真幸は1977年生まれの比較文化史研究者。
 南方熊楠顕彰会の理事をしている。
 知の巨人クマグスの別の一面を知ることのできる一冊である。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● なんなら、奈良12(奈良大学通信教育日乗) カンムリワシの暗号解読

 入学して2週間後、履修登録した科目のテキスト数冊が家に届いたとき、パラパラと中味を見て、いちばん手強そうと思ったのは『古文書学』であった。
 博物館で展示されている古文書の巻き物なんかを少しでも読めたらカッコいいじゃん、と思って履修登録したのだが、あまりに内容が高度過ぎる!
 『日本人の手習い 古文書入門』なんて、いかにも易し気にうたっているけれど、まったく入門レベルではない。

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テキスト教材

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古文書の例
(上のテキストとは関係ありません)

 ソルティのようなまったくの古文書ビギナーと、このテキストが想定している読者の間には、河岸段丘のごとき数段のギャップが存在する。
 とうてい読みこなせるものではない。
 しかも、事前に大学から送られた科目修得試験の設題集――あらかじめ出題された5つの問題の中から、試験当日いずれか1題が出題される。つまり、5題すべての回答をあらかじめ準備して記憶しておく必要がある――を見ると、ミミズがのたくったような墨書きの文章が載っていて、「これを楷書に書き改めて解説しなさい」とある。
 いやあ、無理無理、カンムリワシ(完無理ワシ)。

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LapinVertによるPixabayからの画像

 テキストを読めるレベルに達するためには、ほんとにほんとの初心者入門レベルから始める必要があると思い、図書館でその手の本を探し出し、他の教科の勉強をする合間に少しずつ読んできた。
 4,5冊くらい読んだろうか。
 とにかく、旧仮名遣いに馴れなければならないわ(たとえば「ちょうちょう」でなくて「てふてふ」)、漢字も現在は使われていない異体字が多いわ(たとえば「」でなくて「體・躰」)、候(そうろう)文や証文独特の堅い言い回しには面食らうわ、高校の漢文の授業を思い出させる返り点(レ)や「一・二点」が必要な文章が頻繁に出てくるわ、同じ日本人が書いた文章とは思えない。
 たとえ楷書で書かれていたって、読み解くのは難しい。(現代のアメリカ人やフランス人は200年前の同国人の書いた文章を難なく読める。日本人はそれができなくなってしまった。恐ろしいことだ。)
 そのうえに、くずし字である。
 厄介なのはくずし方は一様でなく、一つの漢字(たとえば「御」という字)にいくつものくずし方があるところ。
 「一体全体、どうやったらこれを“御”と読めるの?」と思うようなものも多い。

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「御」のくずし字の例
(柏書房『新編 古文書解読辞典』より)

 それでも今のところ面白く学習できているのは、昔読んだコナン・ドイル作のミステリー短編『踊る人形』を思い出すからだ。
 名探偵シャーロック・ホームズが、踊る人形の絵が並んでいる暗号文を、論理的思考によって見事に解読していく物語である。
 そう、古文書を読むのは暗号解読に等しい。


踊る人形
暗号文書
 ビギナー本を数冊読んだところで、「やっぱり、独学だけじゃ駄目だ。専門家から実地で習わないと進歩しない」
 そう思って、ネットで古文書講座を探したところ、千代田区の日比谷図書文化館(日比谷公園内にある)で「古文書塾てらこや」なるものが開催されていた。
 まずは体験講座を受けてみたら、これがなかなか面白かった。
 そのまま4月からの入門コース(全5回)を申し込んだ。
 いま、通い始めたところである。

 驚いたのは、古文書学習はとても人気があり、受講者が多い。
 一教室40名近い。
 ひょっとしたら、今やっているNHK大河ドラマ『べらぼう』が江戸時代の本屋の話で、毎回くずし字満載の古文書が画面に映し出されるからなのかもしれない。 
 配布された古文書のテキストを先生と一緒に読んでいると、なんだか少し読めるようになった気がするのだけれど、気のせいである。せいぜい「完無理ワシ」の「完」が取れたくらいか。
 ただ、古文書学習は抵抗感を解くのがまず先決で、「習うより慣れろ」が正解――ということを察しつつある昨今である。

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日比谷公園

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日比谷図書文化館


P.S. 実はTOPPANN(株)が古文書解読アプリ『古文書カメラ ふみのは』を開発している。スマホのカメラで解読したい古文書資料を撮影すると、コンピュータが自動的に解読してくれる。(1日30回まで無料) 精度70%という。なんたる福音! IT革命、ここにあり。


● “現代音楽”としてのショスタコーヴィチ :新交響楽団 第269回演奏会

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日時: 2025年4月19日(土)18時~
会場: サントリーホール 大ホール
曲目:
  • 芥川 也寸志: オルガンとオーケストラのための「響」
     オルガン: 石丸 由佳
  • シチェドリン: ピアノ協奏曲第2番
     ピアノ: 松田 華音
  • 〈アンコール〉シチェドリン:バッソ・オスティナート(『2つのポリフォニックな小品』より)
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番
指揮: 坂入 健司郎

 今年は芥川也寸志生誕100年だという。
 ということは、三島由紀夫と同年生まれだ。
 父親の芥川龍之介は也寸志が生まれた2年後に自害しているから、龍之介と三島は面識がなかったのである。
 芥川也寸志の音楽を自分はほとんど知らないと思っていたのだが、実は映画音楽を結構つくっている。
 『地獄門』(1953年)、『戦艦大和』(1953年)、『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)、『拝啓天皇陛下様』(1963年)、『八甲田山』(1977年)、『八つ墓村』(1977年)、『鬼畜』(1978年)。
 観たことあるものばかり。
 『砂の器』では音楽監督をつとめているが、あの印象的な主題曲をつくったのは、弟子の菅野光亮である。

 芥川也寸志は1954年にソ連に密入国し、半年間滞在した。
 その際に、ショスタコーヴィチに会って自作を見てもらっている。
 その縁もあって、1986年にショスタコーヴィチ交響曲第4番の日本初演を指揮した。
 そのときのオケが新交響楽団だったので、タコ4はこの楽団にとって名誉あるプログラムなのである。

 ロディオン・シチェドリン(1932-)はソ連生まれの現存する作曲家で、日本にも何度か来ている。
 入口でもらったプログラムによると、1988年にホリプロ(!)からの依頼で青山劇場のミュージカル『12月のニーナ 森は生きている』の作曲をするために、2ケ月間、真夏の伊豆の旅館に滞在したという。
 きっと浴衣うちわで曲作りに励んだのだろう。 
 奥さんは世界的に有名なバレリーナであるマイヤ・プリセツカヤである。
 当然、母国の大先輩であるショスタコーヴィチとは深いかかわりがあり、音楽的な影響も受けている。
 今回の曲目選定は、ショスタコつながりというわけだ。

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サントリーホール

 この渋くて難解なラインアップにもかかわらず、サントリーホール(約2000席)を9割がた埋める新交響楽団の人気はすごい。
 創立70周年近い歴史により積み重ねられた安定した実力と知名度、固定ファンの多さによるのだろう。
 これといった瑕疵も見当たらず、安心して聴いていられる。
 ホールの音響効果とあいまった迫力ある重厚な響き、空間を切り裂くような鋭い打楽器、共演のパイプオルガン(石丸由佳)とピアノ(松田華音)も見事なテクニックを披露し、日本アマオケ界のレベルの高さをつくづく感じた。

 しかし、残念なことに、前半は眠くて仕方なかった。
 実を言えば、半分寝てしまった。
 これは主として聴く側(ソルティ)に原因がある。
 まず、「メロディ・リズム・ハーモニー」が疎外された現代音楽が苦手である。
 美しさを感じることができず、心は宙にさまよう。
 次に、週末のアマオケ演奏会は午後2時開演が多いが、今回は午後6時開演だった。
 日中、都内の図書館で奈良大学のレポート提出のため、5時間ぶっ続けで勉強して、頭が疲れていた。
 さらに、桜が散った頃からヒノキ花粉症の兆候が現れた。
 ここ数日、のどの違和感と鼻づまり、倦怠感が続いている。
 音楽を聴くには、良い状態とは到底言えなかったのである。
 (3曲中せめて1曲は馴染みやすい曲を入れてほしかった)

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JoggieによるPixabayからの画像

 ショスタコーヴィチは活動年代的には現代音楽の人なのだが、作った曲はマーラーなど後期ロマン派の香りが強い。
 これは、スターリニズムによる芸術家への抑圧――社会主義リアリズムの勝利を表現する内容と形式の強要――ゆえに強いられた、反動的創作姿勢の結果なのかもしれない。
 そのおかげでショスタコーヴィチの作品が、現在も、ベートーヴェンやブラームスやマーラーと並んで演奏・録音される機会が多いのだとしたら、皮肉と言うほかない。
 もし、全体主義独裁国家で作曲するという抑圧が無かったら、ショスタコもまた、大衆にしてみれば「よくわからない、つまらない」現代音楽を量産していたのかもしれない。
 案の定、コンサート後半は覚醒した。
 
 第4番を聴くのははじめて。
 第3楽章までしかないのは未完成のためなのかと思ったが、全曲60分もあり、最後はチェレスタのもの悲しい響きで余韻を残しながら終わるので、これが完成形なのだろう。
 全体に面白い曲である。
 マーラーへのオマージュといった感じ。
 第2楽章は、マーラー交響曲第4番第2楽章の諧謔的な皮相「死神は演奏する」のパロディのように思われたし、第3楽章は、ビゼーの『カルメン』序曲っぽいフレーズも飛び出すものの、全般、さまざまな音楽の“ごった煮”のようなマーラーの絢爛たる世界を忠実になぞっているように感じられた。
 『マーラー交響曲』と名付けてもいい。

 ただ、マーラーの音楽が、どちらかと言えば、作曲家個人の精神遍歴の表現、つまり近代的自我の苦悩と喜びの表出とすれば、ショスタコの音楽は、自身が生きている環境の狂気と不条理の表現に聴こえる。
 20世紀初頭にマーラーが個人的に体験した“狂気と崩壊”が、「わたしの時代が来る」の予言通りに、ショスタコの生きたソ連において国家的に現実化してしまった――そんな因縁を想像させる。
 一方、スターリンの亡くなったあと(1953年)から作曲家としての活動を開始したシチェドリンの音楽からは、体制による抑圧や矯正の匂いが感じられない。
 “普通に”現代音楽である。
 比較的自由な時代の芸術家なのだ。

 いまのロシアはどうだろう?
 ウクライナ侵攻に反対した芸術家に禁固7年の実刑が下ったというニュースを見たが、スターリン時代に舞い戻ってしまったのではなかろうか。
 ロシアだけでなく、ミャンマーでも、イスラエルでも、中国でも、アメリカでも、全体主義の恐怖が募っている。
 ショスタコーヴィチこそが「現代音楽」だと思うゆえんである。

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● 二つの墓をもつ男

 2018年の秋に四国88札所歩き遍路をしたとき、ゴール間近い86番志度寺に隣接する自性院境内に、平賀源内の墓があった。
 香川県さぬき市志度は平賀源内の生まれ故郷なので、なにも驚くことはないのだが、それ以前にソルティは、東京都台東区橋場にある源内の墓をたずねていたので、「どっちが本当の墓なんだろう?」と思った。
 その場でスマホを取り出して調べたところ、遺体が葬られたのは橋場のほうで、志度にあるのは妹婿の平賀権太夫が建てた参り墓との由であった。どのサイトを見たかは覚えていない。
「そうだよなあ。江戸はあまりに遠すぎる。人を殺めた罪人とて、家族や親類縁者にとっては大切な血族。参拝できるお墓が地元にほしいよな」

 源内は安永8年(1779)11月、酒に酔った上でのいざこざから2人の男に斬りかかり、うち1人を死に至らしめた。すぐ江戸伝馬町の牢屋敷に入れられたが、判決が出ないまま、12月18日に病死した。享年51歳。
 当時橋場にあった曹洞宗総泉寺に源内の菩提を弔ったのは、親友の杉田玄白である。『解体新書』で有名な人だ。
 その後、総泉寺は1923年(大正12年)の関東大震災で罹災したため板橋に移転した。源内の墓はそのまま橋場に残された。
 
源内の参り墓
志度の自性院にある源内の墓

源内の埋め墓
台東区橋場にある源内の墓

 四国遍路を無事結願し東京に戻ってから、何かの折に、日本にはかつて両墓制があったのを知った。
 民俗学の父と言われる柳田国男が昭和の初め頃に学術誌で取り上げてから、その分野では広く知られ、研究・議論されるようになっていたのだ。

両墓制とは、遺体の埋葬地と墓参のための地を分ける日本の墓制習俗の一つである。遺体を埋葬する墓地と詣るための墓地を一つずつ作る葬制で、一故人に対し二つの墓を作ることから両墓制と呼ばれる。遺体の埋葬墓地のことを埋め墓(葬地)、墓参のための墓地を詣り墓(まいりはか、祭地)と言う。
基本的に一般民衆の墓を対象にし、その成立、展開は近世期以降である。両墓制は土葬を基本とし、遺体処理の方法がほとんど火葬に切り替わった現在では、すでに行われなくなった習俗と言ってよい。(ウィキペディア『両墓制』より抜粋)

 なぜこのような風習が起こったか、はっきりと分かっていない。
 死に対するケガレ意識が強かった時代、村の居住地から離れたところに遺体を埋めて、それとは別に、ふだんお参りしやすいところに供養のための墓を立てたという説が有力である。
 たしかに、土葬が普通だった時代、遺体を埋めた墓所から腐臭が漂ってきたり、野犬に掘りこされ食い散らかされたり、蛆虫や鳥から病原菌が人に広がったりする危険はあったろう。
 火葬が一般化するにつれて消えていったことは、まさに心理面でも衛生面でも死穢に対する忌避感が大きかったことを示しているのではないかと思う。

 平賀源内の場合ももしや両墓制?
 橋場にあるのが埋め墓で、志度にあるのが詣り墓?
 ――そう思って調べてみたところ、両墓制の風習があった地域は限られていて、近畿地方に圧倒的に多く、関東、中部、中国、四国にはピンポイントに存在した。
 香川県では、東側の瀬戸内海沿岸の村や島々に集中し、高松より西側には見られない。
 志度は西側の海辺に位置するので、両墓制はなかったと言っていいだろう。
 しかも、幕府が遺体の引き渡しを許さなかったので、志度にある墓にも、橋場にある墓にも、源内の遺骨は埋まっていないという説もある。
 両墓どころか、両空?
(源内を贔屓していた老中の田沼意次が、密かに牢から逃がし、地方にかくまったという説もある)

回向院
南千住回向院(えこういん)

 橋場の近くには、江戸時代の名だたる処刑場である小塚原刑場があった。
 江戸時代の初期の頃は、処刑された遺体はそのまま野ざらしにされ、夏になると臭気が充満し、野犬やイタチが食い散らかして地獄のような有様だったと言う。
 寛文7年(1667)に本所回向院の住職である弟誉義観(ていよぎかん)が、刑場の隣りに常行堂を建て、死者の埋葬と供養を行った。これが後の南千住回向院である。
 杉田玄白はここで死体の腑分け(解剖)を行い、オランダの医学書『ターヘル・アナトミア(解体新書)』の記述の正確性に驚いたのであった。
 順当に考えれば、平賀源内の遺骨は回向院に埋められた可能性が高いのではなかろうか?

 ともあれ、平賀源内が2つの墓をもつのは、生まれ故郷の志度でも、亡くなった江戸の地でも、多くの人から愛され、その死を惜しまれたからであるのは間違いない。

志度の海
源内の愛した志度の海



● ハリウッド2大名優の最初で最後の共演 映画:『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督)

1976年アメリカ
114分

 大都会の孤独なタクシードライバーが次第に狂気に陥っていくさまを描いた物語。終盤の凄まじい殺戮シーンが公開当時話題になった。

 本作で、ロバート・デ・ニーロは世界的に名を知られるようになった。
 33歳のデ・ニーロは細面のイケメンで、何より驚くのは肌の白さである。
 こんな色白だったのか!
 『ゴッドファーザー』や『アンタッチャブル』などマフィアの役が強烈だったせいかイタリア系のイメージがあったが、彼は生粋のニューヨーク生まれで、両親は北欧系なのである。

 たしかに巧い。
 完全にひとりの人格を作り上げている。
 じょじょに狂気に陥っていくさまも、緻密な演技設計と鍛錬の成果を感じる。
 何によっても癒しようのない孤独と空虚にとらわれた青年像が見事に造形化されている。
 70年代ニューヨークの夜の街の雰囲気も興味深い。 

 本作の難点は、脚本だろう。
 タクシードライバーの青年がなぜこのような孤独と空虚にとらわれているのか、なぜそこから逃避する手段として、普通よくあるように、酒や麻薬や女にはまっていないのか、全然説明されないのである。
 深夜勤務を終えた後ひとりポルノ映画を観に行くかわりに、なぜ女と遊ばないのか、なぜ酒を飲んで気を紛らわせないのか、なぜ不眠症にかかっているのか、観る者はなにも理解できないままに、彼が狂気にはまっていく姿を追うことになるので、「???」となる。
 生まれた家が属していた禁欲を旨とする宗教的バックボーンのせいかと想像しながら観ていたが、それだとポルノ映画だけOKなのが説明できない。
 この青年の抱える闇の正体はなんだろう?
 単なるサイコパスなのか?

 ――と奇妙に思いながら観終わって、ネットでいくつかの映画評を読んで、「ああ、そうか」と腑に落ちた。
 これはベトナム戦争の後遺症に悩むアメリカと一帰還兵の姿を描いた映画と解せるのであった。

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Jens JungeによるPixabayからの画像

 1976年と言えば、まさにベトナム戦争直後。
 それまで世界の勝ち組であり続けたアメリカがはじめて戦争に敗退、失意と不況が全米に広がった。
 ベトナム帰還兵の精神障害が問題となり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が生まれた。
 デ・ニーロ演じるタクシードライバーがベトナム帰還兵であることは、映画冒頭の採用面接シーンで言及されていた。
 それを鍵に、物語を読み解いていくべきなのであった。
 であれば、彼が酒や麻薬に手を出さない理由も理解し得る。
 酒や麻薬で廃人となった戦友をたくさん見てきたのだろう。
 女性とのコミュニケーションの年齢に釣り合わないつたなさも、レイプされる対象としての女性しか現地で見てこなかったためかもしれない。
 そして、癒しようのない孤独と空虚の原因は、生死のかかった非日常をアドレナリン・フル状態で生き抜いた人間が、ゆるい日常に戻ったときに感じる虚脱感、周囲との隔絶感のためと思えば納得がいく。もちろん、不眠症の原因も。
 不浄な街に対する彼の怒りは、「こんなアメリカを守るために俺たちは命を投げ出したのか!」というやりきれなさが高じてのものだろう。

 本作をリアルタイムで、少なくともベトナム戦争映画が盛んにつくられていた80年代くらいまでに観ていれば、すぐにそこに思い当たったであろう。
 だが、公開から半世紀がたった2025年。
 なんら前提知識のない人間が本作を観て、この物語の背景にあるものを推察するのは困難である。
 ベトナム戦争を知らない人間にしてみれば、ある一人のタクシードライバーが女に振られて狂気に陥り、少女売春をゆるす不浄な街に怒りを感じ、ランボーのごとく武装して悪者を成敗した物語、つまり、一人の宗教的サイコパスの話としか受け取れない。
 逆に、デ・ニーロがメルリ・ストリープ、クリストファー・ウォーケンと共演したマイケル・チミノ監督『ディア・ハンター』(1978)は、ベトナム戦争の壮絶な現場が、戦前のアメリカの平和な日常風景と対比的に描かれており、前提知識のない人が観ても、人間を心身ともに破壊する戦争の恐ろしさが伝わるはずである。

 本作でデ・ニーロと並んで高い評価を得たのが、当時13歳のジョディ・フォスター。
 大変な美少女ぶりに驚かされるが、それ以上に驚異的なのは演技の上手さ。
 この年齢でこの演技!
 二人の名優が共演したのは、本作が最初で最後だったのではなかろうか?
 その点で、映画ファンにとっては見逃せない一本であるのは間違いない。





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 中村春吉見参! 本:『幻綺行』(横田順彌著)

2020年竹書房
初出は1989~91年『SFアドベンチャー』(徳間書店)

 タイトルと本の装丁に惹かれて手に取った。
 小学生の頃に夢中になったポプラ社の「明智小五郎&少年探偵団シリーズ」を偲ばせる。
 横田順彌(1945~2019)を読むのははじめて。

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カバーイラスト:榊原一樹
カバーデザイン:坂野公一

 明治時代の冒険家・中村春吉を主人公とする連作短編である。
 自転車に乗って世界中を無銭旅行する中村、彼がスマトラの遊廓から救い出した雨宮志保、そこに一獲千金を夢見て宝探しをする石峰省吾が合流し、怖いもの知らずの3人がアジアからシルクロードをたどって中近東へ、ロシアに寄り道してヨーロッパ、船に乗ってケープタウンへと、痛快至極な旅をする。
 ボルネオの密林では奇怪な樹の化け物、チベットの僧院では半魚人、ペルシャの砂漠では大魔神、ロシアの寒都では吸血女、ポルトガルの火山島では異次元生命体、アフリカの古沼では巨大甲殻類と遭遇し、毎回命の危険にさらされるも、知恵と度胸とチームワークと持ち前の運の良さで乗り切っていく。
 アドベンチャーとホラーサスペンスとSFと幻想小説と怪物退治とユーモア小説がミックスした楽しい読み物である。
 巻末に収録された『SFアドベンチャー』掲載当時のバロン吉元のイラストが芸術的にグロテスク!

 中村春吉(1871-1945)は実在の人物で、自転車による世界一周無銭旅行をした明治期の傑物である。
 汽車賃・船賃・宿賃・家賃・地賃を克服して無銭旅行をしたことから、「五賃将軍」と呼ばれ、フランスの新聞では「東洋の猛獣」と称されたという。
 横田順彌はこの男に心酔するあまり、冒険小説の主人公に仕立てたのである。  日本人ではじめてチベット入国を果たした河口慧海といい、この時代の日本男児のバンカラ精神は見上げたものだ。 


中村春吉
中村春吉

 

おすすめ度 :★★★★

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