答えがないという快感シリーズに、その後も日本美術史における神護寺三像論争が加わり、一筋縄ではいかない生きた学問の面白さを感じているところである。
しかしここに、書誌学における「ソウテイ問題」が眼前に広がるにあたって、
いくらなんでもこれはどうよ
ソウテイ外の事態にいささかげんなりしている。
いくらなんでもこれはどうよ

ソウテイ外の事態にいささかげんなりしている。

ソウテイ問題は二つある。(もっとあるかもしれない)
一つは、書誌学が主として対象とする日本の古典籍(江戸時代以前の本)のソウテイを論じるにあたって、「ソウテイ」をどう漢字表記するかという問題である。
現在、国語辞書で「ソウテイ」を引くと、「装丁」が標準的な表記として最初に出てくる。多くの辞書は、「装幀」「装釘」は誤用であると併記している。「正しくは〈装訂〉」と追記しているものもある。
つまり、「ソウテイ」の「テイ」に、「丁」、「幀」、「釘」、「訂」の4種類の漢字がこれまでに用いられてきた歴史があり、現在も混在しているのである。(一部には、「綴」を当てる研究者もいる)
ちなみに、手元のWord 2016で「ソウテイ」と打つと、「装丁」か「装幀」が出てくる。「装釘」と「装訂」を一発で出すためには、日本語辞書への単語登録が必要である。
現在の書誌学界の動向をうかがうに、「装訂」という表記を正しいとする意見が多いようだ。が、「装幀」や「装釘」を用いている研究者もいる。
さらに、プロの“ソウテイ”家いわゆるブックデザイナーをはじめとする編集・出版界隈では、「装幀」という表記が用いられることが多い。次点が「装丁」だ。(ソルティが新卒で出版社に入った時、「装丁」と教わった。「そうちょう」と呼んで、先輩方に笑われたものだ)
『暮しの手帖』創刊者として知られる名編集者兼グラフィック・デザイナーの花森安治(1911-1978)などは、「文章はことばの建築だ。だから本は釘でしっかりとめなくてはならない」と言い、あえて「装釘」を用いたという。
2010年改定の常用漢字表に載っているのは、「丁」と「訂」の2つのみである。
まったく悩ましい。
いま一つのソウテイ問題は、古典籍における“装訂”(とりあえずこの表記を用います)の歴史的な変遷を論じる際に直面することである。
むしろ、こちらの問題のほうが深刻度は高い。
日本の書物は、巻物から始まった。
横に長く貼り継いだ紙を、末端に付けた軸に巻いたもので、正式には巻子本と言う。
奈良時代までは巻子本一択であった。
その後も、時代劇などに見るように、家系図とか一子家伝の秘伝書など、大切なものは巻子本が用いられた。
巻子本は、読みたい部分を探すのがたいへんである。
文字通り“巻末”のほうにそれがある場合、巻物をいちいち広げなければならない。
そこで、折本が生まれたと考えられている。
横に長く貼り継いだ紙を等間隔に山折り谷折り(ジャバラ折り)し、最初と最後に表紙をつけたものである。
今でもお経の折本はよく見かける。
表紙と裏表紙を一つにつないで、ジャバラが横に長く伸びないようにしたタイプもある。
平安後期頃から冊子本が登場する。
まとめた紙を一カ所で綴じて、パラパラとめくって読める形。現在のほとんどの本や雑誌はこれである。
古典籍の冊子本でもっとも多い装訂は、袋綴じである。
二つ折りした紙を重ね、折り目の反対側を綴じる。
袋状態になった外側の両面に文字や絵が描かれ、内側は当然何も書かれない。
NHK大河ドラマ『べらぼう』に出てくる江戸時代の刊本は、ほとんどがこの袋綴じである。
NHK大河ドラマ『べらぼう』に出てくる江戸時代の刊本は、ほとんどがこの袋綴じである。
冊子本・袋綴じ
袋綴じと聞くと、昭和のオッサンはどうもにんまりしてしまう。
成人男性向け雑誌に、袋綴じページがよく仕込まれていたのを思い出すからだ。
そこだけ紙の質が上等で、カラーであった。
そこだけ紙の質が上等で、カラーであった。
街の書店などで、袋綴じの上側開口部から中味を覗こうとする立ち読み客をよく見かけたものである。
つまり、昭和の袋綴じは、折り目部分をハサミやカッターで切ってはじめて現れる、内側のグラビア写真こそ値打ちだった。
閑話休題。
上記のように、巻子本⇒折本⇒冊子本といった大まかな装訂の変遷は跡づけられる。
しかし、より詳しく見れば、紙の使い方・綴じ方の違いによって、さまざまな種類の装訂方法が存在し、その分類は煩雑を極める。
旋風葉、粘葉装、胡蝶装、綴葉装、綴帖装、双葉綴葉装、折帖仕立、大和綴、画帖仕立・・・・e.t.c.
旋風葉、粘葉装、胡蝶装、綴葉装、綴帖装、双葉綴葉装、折帖仕立、大和綴、画帖仕立・・・・e.t.c.
困るのは、研究者によって、同じ装訂の本が異なる名称で呼ばれたり、異なる装訂の本が同じ名称で呼ばれたり、紙の使い方と綴じ方が同列に扱われたり、さらには、研究者が独自の名付けを行っていたり・・・もう何が何だか分からない。
今回、書誌学の答案を作るにあたって、この道の権威と言われる往年の研究者から、中堅・若手の最近の研究者まで、何冊もの著書に目を通したが、読めば読むほど混乱し、袋小路に、いや泥沼に陥っていく。
とてもまとめきれない。
とてもまとめきれない。
いったい、これは何事なのか?
装訂方法の分類と名称という、いわば書誌学のとば口で、富士の樹海のような迷宮が待ち構えている。
はっきり言って、学問以前の問題である。
よくこれで、研究者同士、お互いに誤解することなく、議論したり、論文を評価したり、合同研究したり、つまりは意思疎通できるものだ。
よくこれで、研究者同士、お互いに誤解することなく、議論したり、論文を評価したり、合同研究したり、つまりは意思疎通できるものだ。
げんなりを通り越して、あきれてしまった。
さすがにこれを「答えのない快感」シリーズに入れることはできない。


























































