ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● DA・I・KI・CHI ! 高尾山薬王院初詣

 恒例の高尾山薬王院初詣。
 今年は世間一般が仕事始めとなる5日(月)に出かけた。
 ソルティは基本テーラワーダ仏教徒なので、日本の大乗仏教しかも密教である 真言宗は関係ないのだが、年の初めに高尾山の清新な空気に触れて、生きとし生けるものの幸福を、多くの参拝者と一緒に願うのは悪くない。
 家で飲食にふけりながらゴロゴロとテレビを観ているよりは、健康にも良い。
 朝8時に京王高尾山口駅で友人と待ち合わせ。
 ケーブルカーで山頂駅に登り、9時からの護摩法要に参列した。

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今年は午(うま)歳。どうも「牛」と読んでしまう

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東京スカイツリーと相模湾を望見

高尾山薬王院
薬王院本堂
平日の9時台は空いていた
外国人を一人も見かけなかった

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開山は行基菩薩(天平16年=744年)
東大寺大仏造立のための勧進に尽くした僧である
奈良では空海より行基が尊い

行基
近鉄奈良駅前の行基菩薩像

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天狗は本尊・飯綱大権現さまの眷属

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山頂から見た富士山
尊い!
近隣の部活高校生がたくさんいた

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知る人ぞ知る福徳弁財天
薬王院の裏手の洞窟におわします

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昭和天皇即位の年に築かれたという
岩に穿たれた防空壕のような5mほどの洞穴である

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一番奥におわします
弁財天は七福神のひとりで、音楽・福徳・学芸の神様
今年も奈良大学通信教育の勉強がはかどりますよ~に!

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帰りはリフトで下山
気持ちいい~

極楽湯
ふもとの極楽湯で温泉はじめ

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DA・I・KI・CHI !









 

● 本:『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲著)

2025年講談社現代新書

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 著者は1984年生まれの評論家・近現代史研究家。
 今年42歳だ。

 自分より年下の人間が、ITや競馬について語っていたり、ファッションや映画について蘊蓄を垂れていたり、古代史や仏教史について本を書いていたとしても、別に何とも思わないのに、昭和史とくに“あの戦争”について語っていると、「お前に何が分かる?」というエラソーな気持ちになってしまうのは不思議なものである。
 ソルティだって、十分、“戦争を知らない子供たち”の一人であるのに。
 それこそ著者は、「戦争を知らない子供たち」ですら知らない子供たちである。

 おそらく、「実際に昭和を生きてきた」、「“あの戦争”を戦った人々のナマの声をずっと聞かされていた」、「昭和天皇を知っていた」という年の功(功なのか?)による身体記憶が、そういう上から目線を形づくるのであろう。
 ソルティの祖父世代(大正生まれ)は従軍経験者、父母世代は疎開体験者であり、折に触れ、戦時中の話を聞かされた。
 昭和時代には“あの戦争”に関連したドラマやドキュメンタリーが数多く作られた。
 街に出ると、傷痍軍人もとい戦傷病者の姿をたまに見かけたものである。

 84年(昭和59年)生まれだと、親世代は完全に戦後生まれ、祖父母世代は幼児記憶として戦争を知っているあたりであろう。
 昭和天皇崩御時はまだ4歳。
 戦争のようなheavyな話題が思いっきり避けられたバブル期に生を受けた世代で、選挙権をもつ頃(2004年)の首相は小泉純一郎、もっとも長く知っている首相は安倍晋三である。

 言いたいのは、“あの戦争”との距離感がソルティ以上の世代とはかなり違うということである。

 それは年の経過という当たり前の現象であって、平成生まれだろうがミレニアム世代だろうが、だれであれ、“あの戦争”を自由に語る権利がある。
 ソルティもたびたび当ブログ内で“あの戦争”について取り上げているが、ひょっとしたら、それを目にした年長者がネットの向こうで、「お前に何が分かる?」とつぶやいているかもしれない。
 “あの戦争”と日本人との距離は、どんどん遠ざかっていく一方なのである。

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沖縄本島南部のギーザパンダ(慶座集落の崖)
米軍からスーサイドクリフ(自殺の崖)と呼ばれた

 そのことは、現内閣周辺に見られる好戦的気運の高まりという危険な兆候をもたらす一因となっているのは間違いない。
 「日本は核を持つべき」などという、昭和時代だったらその一言で公職辞職に追い込まれるような発言を、官邸幹部高官がオフレコとはいえ平気でするようになったのも、台湾有事などという世界情勢の変化以上に、“あの戦争”との距離感の広がりがもたらしたものである。
 米ソの対立が激しかった“冷たい戦争”の頃だって、有事は常にあったのだから。
 
 一方、“あの戦争”を史実や史料をもとに、より客観的・国際的・長期的な視点から分析し語ることのできるスタンスが得られるようになったのも、距離感の広がりゆえであろう。
 距離感の近い人は、どうしても個人的記憶というバイアスに影響されてしまうので、主観的・狭量的・短期的な物語を形成しやすいからである。

 1984年生まれの著者が書いた本書の意義は、その点に集約されよう。
 つまり、戦後左翼の好むGHQ(戦勝国)視点の物語(右翼言うところの“自虐史観”)でもなく、戦後右翼の好む大東亜共栄圏という物語(左翼言うところの歴史修正主義あるいはオヤジ慰撫史観)でもない、脱“昭和”世代の近現代史すなわち「われわれの物語」を提出しているのである。
 左右の不毛な対立にいい加減うんざりした若い世代が、まったく新しい「物語」を自分たちの未来のために作り出そうとする試みは、推奨して然るべきと思う。

 米国をはじめとする他国の歴史展示――ソルティ注:著者は海外の歴史博物館などを取材し一章を当てて紹介している――を手がかりにするならば、われわれが日本の歴史を語る際にも、「100点か0点か」といった極端な発想にとらわれる必要はない、という視点が重要になる。
 日本では、右派と左派がしばしばそうした二項対立に陥ることで、歴史論争が硬直し、建設的な対話が困難になってきた、しかし、近代日本の歩みを、欧米列強に抗った正義の歴史として全面的に肯定する必要もなければ、逆にアジアを侵略した暗黒の歴史として一方的に断罪する必要もない。・・・・中略・・・・

・・・いま求められるのは、あの戦争を孤立したできごととして語るのではなく、幕末・明治維新以来の近代史全体のなかに位置づけ直すことだろう。
それは、日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを率直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こして現在につなげる、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。

 この著者の試みが上手くいっているかどうかは、読者それぞれが読んで確認してほしいところである。
 ソルティ自身は、日本の近代史の「どの部分をどう否定し、どこをどう肯定するか」についての記述が具体性に欠けていると思ったけれど、それは本書が試論あるいは提言という性格のものであるため、あるいは紙幅の都合によるのかもしれない。
 今後、著者や後続の史家の中でさらに研究され、議論され、具体化され、熟していき、「われわれ(脱昭和世代)の物語」として形成されていくのだろう。
 平和の意志、反戦思想だけは強く持して、それをやっていただけたらと願っている。

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平和祈念公園にある平和の灯

 ときに、歴史叙述とはまた別のところで、ソルティが“あの戦争”から学ぶ大きなものがある。
 日本人の国民性である。
 戦争という非常事態、命にかかわる緊急事態だからこそ、国民性の根幹が露わになる。
 平和な時には曖昧にぼやかされている、あるいは美点として指摘されるような、“集団としての日本人の特質”が、先鋭化されて発現する。
 それは日本だけでなく、他の国でも同様である。
 ドイツ人の国民性はナチスドイツ時代において最も露わにされたし、アメリカ人の国民性は9・11直後において最も端的に世界に伝わった。

 そうした観点から“あの戦争”を振り返った時、日本人の国民性としてしばしば指摘されるのが、著者も本書で言及している「司令塔の不在」すなわち「リーダー欠如の無責任体質」であり、もっとも重要なことを「空気で決める」非合理性であり、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」「寄らば大樹の陰」の同調圧力に弱い集団主義である。
 ミステリー作家としても有名な笠井潔は、それを厳しく批判し、ニッポン・イデオロギーと名づけた。
 
 残念ながら――というか致し方ないことではあるが、この体質=国民性は“あの戦争”の時も、あれから80年経った今も、少しも変わっていないと思う。
 むしろ、昨今の排外主義の高揚や多様性に対する無理解の言説をみるに、あるいはLINEやSNSなどスマホ依存にはまった若い世代をみるに、令和の日本人のほうがニッポン・イデオロギー度が高まっているんじゃないかとソルティは危惧している。
 つまり、戦争になったら、日本人はまた同じことを繰り返すだろうと――。

 “あの戦争”を肌身で知っていた昭和の先輩たちは、そのことをよくわかっていた。
 だからこそ、たとえ“自虐史観”と揶揄されようが、声を大にして、非戦・護憲を訴えていたのだと思う。
 “あの戦争”の物語を新たにつくっていく脱昭和世代の心に留めておいてほしいのは、そのことである。
 

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おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







● 本年も仏像三昧 本:『ミズノ先生の仏像のみかた』(水野敬三郎著)

2019年講談社

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 先日、半蔵門ミュージアムに行ったときに購入した本。
 水野敬三郎(1932- )は、美術史学者にして日本の仏像研究の第一人者。半蔵門ミュージアム館長を2019年3月まで務めていた。(現在、名誉館長)
 ソルティが目下学んでいる奈良大学通信教育の美術史概論のテキストも、水野敬三郎監修『日本仏像史』(美術出版社)である。
 業績と言い、後進への多大なる影響と言い、日本の仏像研究界の大長老と言ってもいいんじゃなかろうか。
 ソルティは他に、水野が1985年に出した『奈良・京都の古寺めぐり 仏像の見かた』(岩波ジュニア新書)を読んでいる。
 いずれの本も、仏像の歴史や一つ一つの仏像のつくられた背景、造仏の技術面など、水野の該博にして深い知識は今さら言うまでもないことだが、ソルティがもっとも唸らせられるのは、仏像の像容を解説する際の水野の表現力の巧みさである。  
 豊富な語彙、適確な言葉の選び方、目の付けどころの鋭さ、仏像が観る者に与える印象をわかりやすく品格もって言語化する文学センス。
 どうやってこのような表現力を身に着けたんだろう?
 表現したいことをなかなかうまく言語化できないもどかしさにいつも苛立つソルティは、我が言語脳の未熟な配線を思い知らされるのである。(同じ思いはナンシー関のエッセイを読むときにも起こる)

 それはさておき、この本、面白かった。
 ソルティは仏像鑑賞のためのガイドブックのたぐいを数冊持っている。
 大概、まずはじめに仏像のつくられた歴史や日本に入ってきた経緯が簡単に記される。
 次に、仏像を見分けるのに役立つ基礎知識(衣装、髪型、表情、手のかたち、持物、姿勢、光背、台座などの種別)が解説される。 
 そして、各論的に仏像の種類ごと(如来・菩薩・明王・天部など)に章を分けて、ひとつひとつの仏像の特徴が紹介される。如来なら、釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来・薬師如来・昆廬舎那如・・・といったふうに。
 これはこれで勉強になるし、鑑賞の役に立つし、人に蘊蓄を垂れる際の虎の巻となるのだが、肝心の仏像の見方という点では、表面的過ぎるきらいがある。
 目の前の仏像の名前を知り、造られた年代や素材を知り、衣装や髪形や手のかたちや持物や姿勢などをガイドブックを参考に確認し、「ハイ、終わりました」となってしまう可能性がある。
 それだけではもったいない。
  • だれが、いつ、どういった理由から、仏像を造った(造らせた)のか?
  • その種類の仏像を選んだ理由は何か?(たとえば、薬師如来なら病気平癒の為)
  • その素材を用いた理由は何か?(たとえば、運慶は北円堂の弥勒仏を造るのに、当時一般的に用いられていたヒノキでなくカツラを使った)
  • その時代の仏教信仰はいかなるものか?
  • その時代の美意識はいかなるものか?
  • 中国や朝鮮半島の影響をどの程度受けているか?
  • 仏師の新たな工夫はどこに見られるか?
  • 時代によって、どのような変化(様式)が見られるか、またその背景には何があるか?
  ・・・・等々

 こういったところまで想像の翼を広げてこそ、仏像鑑賞の面白味や醍醐味はあろう。
 シャーロック・ホームズが目の前に置かれた一通の手紙から、会ったことのない差出人のことを推理して、詳しくその素性を語ることができるように、仏像研究者は仏像を手掛かりにいろいろなことを推察する。
 仏像がつくられた時代の社会風潮や文化や政治や国際関係、人々の信仰や苦しみや願い、とくに仏教に対するスタンス、施主(注文主)と仏師(作り手)の関係、造仏技術の進歩・・・e.t.c.
 本書はまさにそのような“一歩進んだ仏像のみかた“のノウハウを伝えてくれる。
 仏像ビギナーの聞き手がミズノ先生に問いかけるQ&A形式なので、読みやすく、わかりやすい。
 各時代の有名な仏像を掲載したカラー口絵はじめ、ミズノ先生の説明の理解を助けるイラストもふんだんにある。
 ソルティがこれまでに観てきた仏像が多く紹介されているが、読後、もう一度実物を“ミズノ目線”で見直したいという思いに駆られた。

 以下、ソルティが「へえ~、そうだったのか」と感嘆の声を上げた知見を紹介。

ミズノ:じつは、日本の仏像は、コーカソイドとモンゴロイドがごちゃまぜになった顔なのです。そのごちゃまぜになった顔が基本になって、そこからいろいろな顔立ちが表現されています。

 コーカソイドは白色人種・ヨーロッパ人種、モンゴロイドは黄色人種・モンゴル人種である。言うまでもなく、中国人・朝鮮人・日本人は後者である。 
 仏像が最初にガンダーラでつくられたとき、ギリシア・ローマ文化の影響を受けて、顔立ちはコーカソイドであった。鼻根が高く、鼻筋が通っている、ルシウス(=阿部寛)系である。
 大乗仏教とともに仏像が中国に伝わると、仏像の顔はモンゴロイド系いわゆる「平たい顔族」に変貌した。
 が、興味深いことに、如来や菩薩の鼻だけはコーカソイドのままだった。
 6世紀に日本に仏教が到来し、日本でも仏像がつくられ始める。
 やっぱり、日本でも完全モンゴロイド化せずに、鼻だけは高さを保った。
 一方、如来や菩薩以外の仏像(明王や天部など)の鼻は普通にモンゴロイド化した。
 ミズノ先生は「当時の人々がコーカソイドの鼻のかたちになにか聖なるものを感じていたのではないか」と推測している。
 今でも、日本人が整形したいパーツの第1位は「鼻」のコーカソイド化だもんね。

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コーカソイドの仏像

ミズノ:日本では平安時代後期に寄木造り、内刳りが流行しました。つまり像の中は空洞です。そこで目を刳りぬいて内刳りの中から水晶のレンズをあてる玉眼という技法が誕生したというわけです。
 
 玉眼で最も有名なのは、興福寺北円堂の無着・世親像であろう。
 2つの像がまるで生きているように見えるのは、まさに表情をたたえたあの瞳の輝きのためである。
 玉眼は中国にはなく、日本で発明されたのだという。
 仁平元年(1151)奈良・長岳寺の阿弥陀像がもっとも古い使用例で、像の作者は運慶の父・康慶ではないかという研究者もいる。

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奈良国立博物館・仏像館の展示

ミズノ:人間には、男女を問わず実の体型と虚の体型がある。実の体型というのは、胸が厚くて前に張り出して、お腹のほうがひっこんでいる。虚の体型は逆に胸が薄くて後ろに引けて、お腹のほうが前に出てくる。

 実の体型の人は朝に強い「朝型」、虚の体型の人は夜になると元気が出てくる「夜型」なのだそうだ。
 漢方で言う「陽」の体質と「陰」の体質に相応するように思われる。
 平たく言えば、「ガッシリ系」と「なよなよ系」みたいな感じか。
 仏像にも虚の体型と実の体型があって、初期のガンダーラの仏像はみな実の体型だった。ガッシリしている。
 中国にも実の体型のまま伝わってきたが、6世紀北魏時代に虚の体型に変わったという。
 日本に入ってきた仏像は北魏の仏像がもとになっているので、虚の体型から始まった。
 法隆寺の百済観音はまさに虚の体型の典型。(たしかになよやか)
 これが7世紀後半くらいから初唐の影響を受けて、だんだん実の体型に変わっていく。
 平安初期の神護寺の薬師如来像、新薬師寺の薬師如来像などは完全に実の体型。
 平安後期になると、定朝が出てきて「仏の本様」は虚の体型になる。
 これは浄土信仰の流行と関連し、浄土にやさしく迎えいれてくれる阿弥陀如来には虚の体型こそふさわしかったからではないかとミズノ先生は言う。
 鎌倉時代になると、やはり強さを求める武士の影響からか、実の体型が好まれるようになる。

神護寺薬師如来
神護寺薬師如来

ミズノ:もともと建築用材であったヒノキを使って、しかも製材した角材を像の中心で左右から合わせて仏像をつくってしまうというのは、非常に大きな意識の変化だと思います。一木造における、仏像の中枢部に対する畏敬の念とか、木そのものに霊性が宿るという観念、あとは奈良時代以来の檀像の意識とかが、次第に薄れてきた結果といえるかもしれません。

 「大理石の塊の中にすでに像が内包されている。私の仕事はそれを取り出すことだけだ」と、かのミケランジェロが言ったとか言わなかったとか・・・・。
 要は、西洋の彫刻は大理石の大きな塊を外側からノミで削っていき、形を整えていく。
 木造彫刻の場合も、一本の太い丸太を削って、像を整形していくイメージがある。
 そこで、ミケランジェロに比すべき芸術家である運慶が、一本の丸太の前に無念無想で座し、木の中にいる大日如来を感得している絵が思い浮かぶ。
 しかし、これは見当違いの想像であった。
 確かに平安時代中期までの木造の仏像は、頭部と胴体部を同じ一本の木から彫り出す、いわゆる一木造であった。
 が、藤原時代に定朝が出現してから後は、頭と胴体部を複数の材木を寄せてつくり、さらに像内を深く内刳りする寄木造が主となったのである。
 運慶や快慶をはじめとする鎌倉仏師たちは、寄木造の手法を用いて仏像をつくった。
 寄木造の利点として上げられるのは以下の通り。(勉強の成果
  1. 内刳りがしやすい(像が軽くなる、内部に物が入れられる)
  2. 分業により作業の効率化が図れる(いわゆるプレハブ工法)
  3. 大きな像の制作が可能(木の大きさに限定されない)
  4. 輸送にも便利(分解して運べる)
 たった2か月余りで完成した東大寺南大門の仁王像のように、大規模な仏像の制作を短期間で行うことが可能になったのは、寄木造が発明されたればこそである。
 一木造から寄木造へ。
 この変化を単に、機能性や利便性や作業効率の点からばかり考えてはいけないよ、とミズノ先生は言っている。
 寄木造は、仏像の頭と胴体をいくつかに分割して作る。
 仏の頭や顔を割る。
 たしかに、それは大きな意識の変化がなければ簡単にはできないことである。
 家をつくるのとはわけが違う。
 古来あった仏像や神木に対する畏敬の念が、消失とは言わないまでも、合理性の前に薄まったのである。
 ひょっとしたら、一木造に最後までこだわっていたために時代の波に乗れず、消え去っていった仏師もいたやもしれない。

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康成作、金峯山寺仁王門・金剛力士立像(南北朝時代)
像高約5mの像を吉野山から奈良国立博物館まで運び入れることができるのも寄木造りなればこそ

 知れば知るほど、仏像鑑賞の奥の深さに感じ入る。
 今年もいろいろな仏像との出会いが待っている。
 “敬派”のはしくれとして鑑賞眼を磨いていきたい。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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● 2025年映画ベストテン

 今年は50本の映画を観た。
 昨年は61本、一昨年は77本。
 どんどん減っていく。
 一番大きな理由は、昨年10月から奈良大学通信教育学部に入学したことだろう。
 空いている時間のかなりの部分が、勉強に費やされるようになった。
 齢を取って、寝るのが早くなったことも大きい。
 仕事を終えた後に映画を観るのがきつくなった。
 20~40代の頃には考えられなかったなあ。

 以下、鑑賞した順に10本を上げる。
  • クロース』(ルーカス・ドン監督、2022)
    胸痛のボーイズラブ映画。主人公の少年を演じる子役の演技と映像の美しさに涙そうそう。
  • ソフト/クワイエット』(ベス・デ・アラウージョ監督、2023)
    92分ノンストップのワンカット撮影のド迫力。“トランプのアメリカ”の恐怖を描破したホラー・ポリティカル映画。
  • 奇跡』(カール・テオドア・ドライヤー、1955)
    モノクロ映像の効果が十全に発揮された古典的傑作。映画が映像芸術であることを証明してあまりない。
  • 国宝』(李相日監督、2025)
    動員数1200万人超え。日本人10人に1人が観た2025年を代表する一本。3時間近い長尺を感じさせない脚本&演出&演技の勝利。
  • 宝島 HERO'S ISLAND』(大友啓史監督、2025)
    この映画がヒットしなかったことが、今後の日本の暗い行方を暗示している気がしてならない。役者たちの熱い魂の叫びがスクリーンから放射されている稀なる映画なのに。
  • Playground/校庭』(ローラ・ワンデル監督、2021)
    子供たちが遊ぶ小学校の校庭が描き出すのは、現代社会の歪み、迷走する世界。徹頭徹尾、子供目線のカメラが、観る者を事件の目撃者に引きずり込む。
  • あ、春』(相米慎二監督、1998)
    今年いちばん後味の良かった映画かもしれない。佐藤浩市(あ、名前がすぐに出た!)、山崎努、富司純子のコミカルな演技が痛快。
  • 教皇選挙』(エドワード・ベルガー監督、2024)
    個人的にはこれが今年のベスト1。寛容と隣人愛を忘れたカトリック本山に希望はあるのか? 人類は再び『創世記』から始めなければならないのか?
  • 日本鬼子 リーベンクイズ』(松井稔監督、2000年)
    10人に1人の日本人が本作を観てくれたら、日本は変わる。自らの過去の悪行を正直に告白する元日本兵たちが、酷いところに生まれ変わりませんように。
  • MOTHER』(大森立嗣監督、2020年)
    長澤まさみの役者としての力量に感嘆した。美人で演技もできるって、どういうこと? 「天は二物を与えず」の例外がここにある。
 うち7本が2020年以降の公開。
 今年は結構新しい作品が揃った。
 全般に、社会問題や政治がテーマのものが多い。
 世界を見ても、日本を見ても、キナ臭い空気が蔓延していて、それに触発されたせいかもしれない。
 もっと明るく笑える映画、しみじみと心温まる映画、ストーリーより映像の素晴らしさに酔えるような映画が観たいのだが・・・・・。
 『日本鬼子』を観に行ったときなど、映画館の前で、あるいは上映中に、右翼ピーポーの妨害を受けるんじゃないかと心配した。
 知る限りでは別段何事も無かったけれど、そういう想像が「杞憂」と笑って済まされない2025年現在の日本である。

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生きとし生けるものが幸福でありますように!








● ウクライナ国立歌劇場管弦楽団・合唱団『第九&運命』

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日時: 2025年12月29日(月)13:30~
会場: 東京オペラシティ コンサートホール
ソリスト:
 ソプラノ   テチアナ・ガニナ
 メゾソプラノ アンジェリーナ・シ ヴィチカ
 テノール   ドミトロ・クジミン
 バス     セルゲイ・マゲラ
指揮: ミコラ・ジャジューラ

 ベートーヴェンの「運命」と「第九」のカップリングという贅沢きわまりないプログラムで、今年の音楽シーンを締めくくった。
 しかも、1834年の誕生から2世紀近い歴史と伝統を誇るウクライナの名門オケ&合唱団で。
 チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、ラフマニノフ、グラズノフ、ショスタコーヴィチなども、このオケを指揮したという。
 むろん、1922~91年までの約70年間は、ウクライナはソビエト連邦の一部であった。

 2022年2月のロシアのウクライナ侵攻によって始まった戦争もなかなか終結が見えないが、その間、たびたびこのオケは来日し、各地で演奏を重ねている。
 今回もウクライナ国立バレエ団の『ドン・キホーテ』『雪の女王』『ジゼル』を演奏したほか、1月にはオペラ『アイーダ』『トゥーランドット』上演を予定している。
 ソルティは初めて聴いた。

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 会場の東京オペラシティも初めてであった。
 ソルティはアマオケを中心にクラシックを聴いているのだが、アマオケは滅多にここを使わないからである。
 会場費が高いせい?
 たしかに立派で美しいフォルムである。 
 ただ、アクセス(新宿)やホールの音響効果はいいのかもしれないが、客席の設計はとても褒められたもんじゃない。
 ソルティは、ホール後ろ寄りの3階バルコニーの最前列に座ったが、ここからだと舞台が半分しか見えなかった。
 もっと舞台寄りの席だと、舞台の2/3は隠れてしまうんじゃないか?
 管弦楽はまだしも、オペラなどまったく楽しめたもんじゃない。
 高い料金に見合わない。

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 さらに酷いのは、座席と手すりとの間のスペースが狭い上に、手すりの高さが腰位置くらいなので、身を乗り出すと1階席に転落する危険がある。
 開演前に先に座っている人の前を通って自分の席に着こうとする人は、手すりから上半身を外に傾けるようにして移動しなければならず、子どもやお年寄りなどの場合、はたで観ていても非常に怖い。
 手にしているバッグやスマホを落として、1階席に座っている人の頭に当たったら、大ケガする危険がある。
 しかも、手すりの下部を成す木の台座が水平ではなく、外側(座席と反対側)に向って傾斜している。滑り台そのものである。
 スマホを落としたら、そのまま台座を滑って、1階席に落ちて行くのは間違いない。
 なんてアホな設計をしたのだろう!
 もし、子どもが3階席から転落したり、落としたスマホが1階席の人に当たって大ケガした場合、オペラシティは訴えられても文句言えないと思う。(アメリカなら相当な賠償金を課せられるだろう)
 山登りが趣味のソルティは、これまで数百の山に登って危険な崖道に数多く出会ってきたが、ここはそれらに匹敵する危険地帯である。
 観客のことを全然考えていない人が設計したとしか思えない。
 JR京都駅を思い出してしまった。

 ホールの管理者もそのことを悟ったらしく、台座に注意書きが貼ってあった。
 また、演奏の始まる前に複数の女性スタッフが客席を回って、手に持ったパネルを示しながら、「手すりから身を乗り出さないでください」と注意喚起していた。
 アホな設計のせいで無駄な仕事を増やしたのである。

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3階バルコニー席の最前列 
1階客席に向かって台座が傾斜している

 そんなこんなで、演奏が始まる前から苛立たしさを覚えたが、ひとたび演奏が始まるやいなや、苛立ちなど吹っ飛んでしまった。
 やっぱりプロは凄い。
 やっぱり本場の音は深い。
 技術が高いのは当然と言えば当然だが、なにより一つ一つの音がすっきりして美しい。
 指揮者の求める音色、自分の出したい音色を自在に出せるのは、楽器を完璧に操ることができればこそ。
 CDでも聴いているような完成度と安定性であるが、それでいて機械的でなく、人間的な情感に満ちている。

 んん~、プロだからというよりも、苦難と向き合う者だから出せる音なのかもしれない。
 日本のプロオケの優等生的で洗練された響きとは違う。
 たぶん、苦難を知る者だけがベートーヴェンと出会うことができるのだろう。
 優等生的で洗練されたベートーヴェンが平和の証拠なのであれば、それはそれで祝福すべきことなのかもしれない。

 『第九』第4楽章のソリストと合唱も、日本人の歌い手では聞けないたぐいだった。
 なんと言っても、声量。
 3階後方までしっかり届く各ソリストの朗々たる声と力強さ。
 それぞれのメロディラインがくっきりと際立って、ソプラノ・メゾソプラノ・テノール・バスの掛け合い漫才のような四重唱の面白さが、はじめて了解できた。

 合唱団は総勢で50名ほどか。
 ステージに登場し並んだときは、「こんな少なくて大丈夫?」と思ったのだが、まったく杞憂であった。
 日本人100名集めたくらいの迫力があった。
 オケに負けていない。
 男性陣は20名(テノール、バス各10名)ばかりであったが、女性陣にまったく負けず、しっかりと存在感を示した。
 いつもは四声が入り乱れてごった煮のように聞こえる第4楽章中間部の二重フーガの部分も、各パートのメロディが明瞭に聴こえたので、曲の構造が把握できて愉快であった。
 やっぱり、ガタイの違いは大きいなあ。

 途中からはもう、オケやソリストや合唱団や指揮者の凄さより、ベートーヴェンの偉大さに驚嘆し、楽聖への感謝しか頭にのぼらなかった。

 人間は、こんな奇跡のように美しい音楽が作れるほど進化しているのに、なぜ互いに戦うのだろう?

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P.S. 東京オペラシティの公式ホームページによると、2026年1月1日~6月30日まで、コンサートホール他は設備改修のため休館するとの由。改善されることを願う。







 

 

● 長澤まさみの猛演 映画:『MOTHERマザー』(大森立嗣監督)

2020年日本
126分

MOTHER

 2014年3月に埼玉県川口市で起きた17歳の少年による祖父母殺害事件、そして同事件を取材した毎日新聞記者山寺香が書いた『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』をもとに作られた作品。
 ソルティは同事件を覚えておらず、山寺の本も読んでいない。
 「こんな事件があったんだ」という驚きとともに、2014年当時の自分の脱世間ぶりにおののいた。

 少年は母親にそそのかされて祖父母を手にかけたらしい。
 普通17歳にもなれば善悪の判断はつくし、損得も判断できる。
 母親に指示されたからと言って、人を殺める息子などありえない。
 それも、ほとんど親交のなかった自らの祖父母を金目的で殺すなんて。
 しかも、捕まった当初、少年は母親から指示されていたことを否定した。
 母親を守るために。

 少年は、子供のときから学校に行かせてもらえず、離婚した母親にあちこち連れ回され、養父に虐待され、公園で野宿するなど悲惨な暮らしを送らされていた。
 その中で無力感に追いやられ、母親にマインドコントロールされた状態になっていたのである。
 彼にとってはMOTHERが世界のすべてだった。
 本作は、事件が起きるまでの母親と少年の十数年にわたる日常生活、そこで築かれた異様な母子関係を時系列で描いている。

夜逃げする母子

 MOTHER(母親)を演じる長澤まさみが凄い。
 本作でアカデミー最優秀主演女優賞を獲ったが、それも納得の猛演技。
 最初のうちはあまりの美貌と抜群のプロポーションが、生活破綻した貧困女性に扮するには不自然すぎるという気がしたが、そのうちにその美しさが逆に怖さを生みだすのに益しているように思えてくる。
 聖母のように美しいがゆえに、周囲の男達は簡単にだまされ手なずけられてしまい、息子もまた逆らい難いものを感じてしまうのだと。
 美しさが凶器になっているのである。
 長澤は、『黒い家』の大竹しのぶ、『誰も知らない』のYOUとはまた違った毒母像を生み出すのに成功している。

 少年を演じているのは奥平大兼。(子供時代は郡司翔)
 2003年生まれなので、撮影当時ちょうど17歳。
 事件を起こした時の少年と同年齢である。
 母親との関係に閉じ込められ、MOTHER以外の世界を思い描けず、奴隷のような無力感を生きる息子の表情と雰囲気を、見事に醸し出している。

 チャランポランな養父を演じる阿部サダヲの上手さは相変わらず。
 この長澤まさみと阿部サダヲの巻き散らす厄介加減が、行政はじめ周囲の大人たちが介入して少年と妹を救いだすのを妨げていたことが、十分納得できる。
 
 事件に至るまでの推移を淡々と描いていく大森監督の演出も冴えている。
 変にドラマチックな演出を取り入れないことで、ドキュメンタリー性が加味されるとともに、母親と少年の関係に観る者の焦点が向く。
 少年が祖父母を刺し殺す場面では、まったく暴力シーンを映し出さない。
 出血サービスも、少年のシャツについた返り血だけの絵で済ませている。
 この抑制力、さすがベテラン監督である。

 どう頑張っても後味のいい映画にはならないので、感動したとは素直に言い難い。
 だが、この衝撃をそのまま胸に受け止め、現実から目をそらさないでいることが、大切なのだろう。

 実際の少年は、懲役15年の判決を受け、現在も服役中。
 母親は強盗罪で裁かれ、懲役4年6ヵ月の勤めを終え、“社会復帰”している。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『アメリ』(ジャン=ピエール・ジュネ監督)

2001年フランス
122分

アメリ

 子供時代の育ちのせいで人とのコミュニケーションが苦手になってしまったフランス人女性アメリ。
 もちろん、恋愛もうまくいかず、性体験はあれど本当の恋は知らない。
 そんな昨今どこにでもいるような不器用な女性が、平凡な日々の中で楽しみを発見し、恋を知り、自らの殻を打ち破って本当の恋をつかむまでの物語。
 制作国フランスでも日本でも予想外の大ヒットとなって、主人公アメリのおかっぱ頭や部屋のインテリアなどを真似する“アメリ現象”が流行ったという。
 ソルティはどうも、同じ頃(2000年)に公開されたジュリエット・ビノシュ主演『ショコラ』と入り混じってしまい、お菓子作りの話かと思っていた。

 この映画が日仏問わず若い女性たちの間で人気を得たのは、やはり、鑑賞者が自身をアメリに投影し共感できたからであろう。
 人間関係に苦手意識や不器用さを持つ人の存在は、万国共通ってことだ。
 一方で、素敵な恋を望むのも万国共通の女性のならいで、とりわけ恋愛が宗教の位置にまで高められているフランスの場合、一種の強迫観念になっているんじゃないかと思う。
 不器用なアメリが、勇を鼓して、目の前の恋に飛び込んでいく結末に希望を感じ、力づけられた女性観客は少なくなかったろう。

 『エイリアン4』で示されていたジャン=ピエール・ジュネ監督の美術センスあふれる映像も、都会のオシャレな女性たちのツボにはまったものと思われる。
 オドレイ・トトゥが魅力的なアメリを演じているほか、『ミッション・クレオパトラ』でその存在を知った片腕俳優ジャメル・ドゥブーズが、ここでも個性的な八百屋の青年に扮している。子犬のようなウルウルした黒い瞳が、庇護欲を搔き立てる。(いまはすっかりオッサンになった)

 ところで、映画館というのは、ある意味、人間関係が苦手な人たちの格好の逃避所すなわちオアシスになっているわけで、一人で映画を観に行くことが若い頃から日常化しているソルティもその例に漏れない。
 飲み会に行くよりも、一人で映画館に行くほうが、ずっと楽しいし、くつろげる。
 40年以上映画館に通ってきて思うのは、一人で映画を観に行く男は普通に多いが、一人で映画を観に行く女は少ない。
 やっぱり痴漢の危険があるからかなあって思っていた。
 これは厚生労働省が5年以上前に実施した調査結果なので信頼度は???だけれど、「誰と映画を観に行くことが多いか?」という問いに対して、
  • 男性・・・・ひとり(35%)、家族(35%)、友人(23%)
  • 女性・・・・家族(41%)、ひとり(27%)、友人(18%)
 意外に女性でも「ひとり」が多い。
 ソルティが観に行くようなたぐいの映画を女性は好まない、だから映画館で女性と会わない、ってのが答えだったようだ。(たしかに、『アメリ』も『ショコラ』も映画館に足を運ばなかった) 

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seok shinによるPixabayからの画像


おすすめ度 :
★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● Maiden をめぐる考察、あるいはメラニーの覚醒 本:『静寂の叫び』(ジェフリー・ディーヴァー著)

1995年原著刊行
1997年邦訳刊行
2000年ハヤカワミステリー文庫(飛田野裕子・訳)
原題:A Maiden’s Grave

静寂の叫び

 現代アメリカの代表的なミステリー作家ジェフリー・ディーヴァー。
 もっとも有名な作品は、デンゼル・ワシントン、アンジェリーナ・ジョリー共演で映画化された『ボーンコレクター』(1999)であろう。(ソルティ未見)
 作家デビュー7年目に発表した本作は、ディーヴァーの最高傑作の呼び声高い。 
 期待大でディーヴァーデビューした。

 原題 A Maiden’s Grave は「乙女の墓場」という意。主要登場人物の一人で聴覚障害をもつ女性が、有名な讃美歌 Amazing Grace(偉大なる恩寵)を A Maiden’s Grave と聞き違えたというエピソードから取られている。
 また、それは本作のプロットを含意している。
 3人の凶悪な脱獄犯によって拉致され、廃屋となった食肉加工場に監禁され、人質にとられた聴覚障害をもつ Maiden(乙女)たちの境遇をたとえているのである。

 本作の読みどころは、人質を救い出し犯人を投降させるべく派遣されたFBIのネゴシエーター(交渉人)アーサー・ポターと、立てこもりを続ける脱獄犯の首謀者ルー・ハンディとの息詰まる心理的攻防の模様。そして、人質にとられた聾学校の女教師2名と女子生徒8名が、耳が聞こえない・口が利けないというハンディを乗り越えて、いかに危機を脱していくかという点にある。
 人質奪還の交渉術についても、聴覚障害者の日常についても、非常によく取材調査していることを伺わせる、リアリティと説得力ある筆致である。
 さらに、敵は身内にあり、すなわち、主導権と功績をFBIから奪いたい州警察の暗躍や妨害、特ダネを取りたいマスメディアによる情報漏洩など、いかにも“全米的”な欲得入り乱れの副筋も面白い。
 二転三転する先の読めない展開の果てのどんでん返しというミステリーらしさも十分備えている。
 文庫で上下2巻の長編であるが、いったんハマったら、最後まで徹夜必至のスリルとサスペンスに溺れることだろう。

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 残念ながら、ソルティはそれほどハマらなかった。
 上巻がなかなか読み進まず、挫折してしまうんじゃないかと一瞬思った。
 1週間以上かかった。
 下巻に入ってからは、さすがにページをめくるスピードが上がって、3日で読み終えた。
 それなりに面白かったけれど、これがディーヴァーの“最高傑作”ならば、他の作品を読むのに躊躇する。

 その理由を考えるに、少女たちが拉致監禁されるという設定を、読者を惹きつける“キャッチー(仕掛け)”に使っているという点に、どうもすっきりしないものを感じる。
 3人の脱獄犯のうち1人は、女性をレイプすることしか頭にない野獣のような男で、図体のデカさや腕力の強さや凶暴性から、小説内では“熊”というニックネームを奉られている。
 人質事件の始まりも、脱獄した犯人たちによる路上での強姦殺人の現場を、学校のバスで通りかかった教師や生徒たちが目撃することがきっかけである。
 ストーリーの根幹に性暴力が深く絡んでいる。 
 して、原題にある Maiden は俗にいう「処女」の意である。
 つまり、聴覚障害を持つ教師や美しい少女たちの“純潔”が暴力的に奪われる危機を、エロチックなくすぐりを背後に匂わせつつ、サスペンスを盛り上げる仕掛けとして使っているのである。
 ソルティは女性が性暴力を受けるたぐいの話が昔から苦手というか好きでないので、この仕掛けには乗れなかった。
 おそらく、多くの女性読者やフェミニストも同じであろう。
 また、中年太りのオッサンやもめであるポターが、若く美しく賢い乙女(Maiden)に一方的に愛されるという展開も、世の男性読者の願望を見事に撃ち抜いている。
 本作の愛読者は女性より男性が多いのではないか?

 ディーヴァーの名誉(?)のために言っておくと、結果的に人質たちの Maiden(処女)は守られた。
 危機一髪のハラハラ場面はあったが、レイプされ“凌辱”された Maiden は一人も出なかった。(1名射殺されてしまったが)
 ただ一人、生徒たちの目の前で“熊”に暴行されたのは女教師であり、彼女は夫も子供もいるミセスであった。
 そこのところもまた、「なんだかなあ~」という気がした。
 まるで、「彼女は処女でないから、いいだろう?」とでもディーヴァーが言っているような気がしてしまった。
 こんなふうに読むソルティの心が歪んでいるのか?
 性的な妄想で病んでいるのか?
 でも、わざわざ Maiden をタイトルに持ってくるのは、そこに何らかの作者の下心があると思うのだよなあ・・・・。

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tayphuong388によるPixabayからの画像

 プロットにおいては、以下の2点で不自然を感じた。
 (ここからネタバレ)

 まず、FBIの交渉人ポターを中心とする交渉人チームが、女刑事に成りすましたハンディの恋人を偽者と見抜けなかった点。
 普通、会ったこともない人間を人命のかかった重要なチームに迎え入れる前に、徹底的にその相手について調べ上げるだろう。当然、顔写真入りの履歴を取り寄せるだろう。
 警察官と犯罪者の区別もつけられない交渉人って頼りになるの?

 次に、自ら法の執行者でありながら、ポターたちを裏切って、ハンディら脱獄犯の逃亡に手を貸していたある人物の行動の謎。
 その人物は、ハンディらが無事に食肉加工場から脱出して逃げ延びられるよう、陰でいろいろ手はずを整える。
 というのも、その人物は自らが理事をしている銀行の不正に絡んでいて、その証拠を消すためにハンディの力を借りたという過去があったのである。
 この場合、ソルティがその人物の立場なら、ハンディらを助けるより、人質奪還のどさくさに紛れてハンディらの口封じを行うことを考える。
 一生、ハンディに弱みを握られたままでいる桎梏から逃れる、願ってもないチャンスではないか。 
 助けてどうする!?
 よくわからない御仁である。

 最後にひとつ。
 人質にとられた10人の女性から最強ヒロインが立ち現れる。
 彼女の名はメラニー。
 最初のうちは大人しくて泣き虫で自らの意志を持たない人形のような軟弱な女性として描かれる。
 が、仲間たちの犠牲を前に俄然覚醒し、エイリアンと闘うシガニー・ウィーバーさながらのスーパーウーマンへと変貌する。
 自らの内に隠れていた強さに気づいたのである。
 ラストシーンでの復讐の女神ぶりは、清々しいほどのカタルシスをもたらす。

 ソルティ思うに、このメラニーという名前とパーソナリティは、『風と共に去りぬ』のメラニーから思いついたのではないか?
 スカーレット・オハラの初恋相手であるアシュレ・ウィルクスの妻として、良妻賢母、いつも穏やかで思いやりに満ち溢れ、表立って目立つような言動はつつしみ、周囲の人々から慕われるメラニー。利己的で世の批判を一身に浴びるスカーレットをいつもかばってくれるただ一人の親友。
 そのメラニーが、実は登場人物中、一番強い心の持ち主であることが、マーガレット・ミッチェルの書いた大河小説の最後に明らかになる。

 メラニーという女性名を、『風と共に去りぬ』のメラニー像と切り離して考えることは、おそらく米国人には難しいのではないか。
 メラニーは、一見たおやかなれど実は芯の強い女性の代名詞なのである。

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『風と共に去りぬ』でメラニーを演じたオリヴィア・デ・ハヴィラント



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損









● キラキラネームとシベリウス : 東京学芸大学管弦楽団 第60回定期演奏会

学芸大60回演奏会

日時: 2025年12月20日(土)16時~
会場: さいたま市文化センター大ホール
曲目:
  • A. ドヴォルザーク: 序曲「謝肉祭」 作品92
  • P. チャイコフスキー: イタリア奇想曲 作品45
  • J. シベリウス: 交響曲第2番 ニ長調 作品43
  • アンコール シベリウス: 組曲『カレリア』より「行進曲風に」
指揮: 苫米地 英一

 埼玉会館と勘違いして浦和駅まで行ってしまった('A`|||)
 さいたま市文化センターは南浦和駅西口から徒歩8分のところにある。
 南浦和にこんな立派な施設があったとは!
 35年以上埼玉県民やっているのに知らなかった。

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さいたま市文化センター
市立南浦和図書館を併設している

 苫米地英一の指揮は、ベートーヴェンを専門とするL.v.B.室内管弦楽団との共演を過去に聴いている。
 熟練のオケによる安定度の高い素晴らしい演奏であった。
 学生オケとの共演はどうであろうか?

 前プロの2曲は、非日常的なお祭り(カーニヴァル)がテーマであったり、イタリア旅行に触発されたチャイコが作った異国情緒あふれるカプリッチョ(気まぐれ)であったり、いわゆる“ノリのいい”曲。
 若くエネルギッシュな学生たちに向いている。
 教員養成校として知られる学芸大学の生徒ゆえか、総じて真面目で教科書的な演奏であったが、そこに若いエネルギーとフレッシュネスが加わり、バランスよい音楽となった。
 休憩中にプログラムを開いて、唖然とした。
 オケのメンバーたちの名前のあまりのキラキラしさに。

愛萌、叶望、咲季、颯世、唯花、愛菜、咲綾香、美音、日、実都葉、
綺花、夕姫、陽日樹、海央、華衣、芽瑠萌、桃花、美空、彩愛、
心音、藍菜、麻飛、帆乃花、理桜、花音、貴城、柚穂・・・・。

 よ、読めない (; ̄Д ̄)
 なんか凄いことになっている。
 彼らの親御さんたちは、大体70~80年代生まれだろう。
 キラキラネームは90年代半ば頃から増えたと言われるが、まさに第1世代が社会人デビューを迎えているのだ。
 大切な子供に美しい名前をつけたいという親心は理解できるものの、学校の先生は苦労しているだろうなあ~。
 ――と思ったら、彼らこそが先生になる可能性大の人たちであった。

 ちょっと前に、ソルティは仕事で地域の小学校に認知症の話をしに行った。
 生徒たちの机の上には、各人の名前が書かれた三角ネームプレートが貼り付けてあった。
 漢字の上に(あるいは英語やタガログ語の上に)大きくふりがなが振ってあった。
 そういう時代なんだな。

世界の子供

 さて、後半のシベリウス第2番。
 やはり、実直な演奏で、大きな乱れはない。
 シベリウスの代表曲と言われるほどの名曲なので、あやまたず感動をくれる。
 最終楽章ではソルティの胸のチャクラに矢が突き刺さった。

 死の淵をさまようような重苦しい第2楽章から、苦しみと哀しみを避けられない運命の受容といったふうの第3楽章を経て、生々流転・自然法爾の第4楽章。
 ソルティはこの曲に東洋的・道教的なエッセンスを聴く。
 なので、この曲を指揮し演奏するには、やっぱり人生経験がものを言うと思うのである。

 キラキラネームを持つ若者たちが、いつかこの曲の真価を悟り、自らの人生や心と呼応させながら演奏できる日が来るのだろうか?
 苦しみや悲しみを知らないまま、いつまでも子供のように無邪気に罪なく美しく生きてほしいと親は願うものだが、それが子供にとって必ずしも幸福であるとは限らないのである。
 









● 1089(トウハク)舞台裏ツアーに行く

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 東京国立博物館(東博=1089)では、不定期で『文化財を未来につなぐ・博物館舞台裏ツアー』を行っている。
 本館の第17室(保存と修理)から始まり、普段職員しか入れない本館地下通路を通って中庭に出て、法隆寺宝物館の裏手にある管理棟を職員が案内してくれる。 
 管理棟は、文化財の調査・研究・修復を行なう施設で、2019年に竣工した東博の最も新しい建物である。
 東博の内部に侵入し、文化財の保存・修復に関する取り組みを学ぶ、またとないチャンス。
 奈良大学通信教育で学んだ『文化財保存科学』の復習を兼ねて、ツアーに申し込んだ。
 参加料金は一般3,000円(税込)のところ、貧乏学生のソルティは2,500円(税込)だった。

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 当日10時半に本館受付に集合。
 参加者は10名、女性が多かった。
 各々に渡されたヘッドフォンを頭に付け、先頭で誘導してくれるスタッフのマイクを使った説明を聞きながら、展示室の中へ。ほかの来館者の鑑賞の邪魔にならないための配慮である。
 撮影は本館の中と管理棟において可能だった。
 スタッフによる口頭説明のほか、モニターを使ったわかりやすいレクチャーや、実際の修復現場の見学もあり、質問にも応じてもらった。
 申し込んだ甲斐あるワクワク体験であった。

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管理棟

管理棟廊下
作業室内は気温や湿度が一定に保たれ、飲食は厳禁。
当然、通路からガラス窓越しの見学である

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博物館にやってきた文化財の現状を詳細に記録

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修復の過程も詳細にカルテに記録
学芸員の仕事はマメで器用で根気よくないとできない
ソルティには到底無理

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最新の科学機器により文化財を診断
今や科学技術なしの文化財保存・修復はあり得ない

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蛍光X線分析装置
物質の化学組成や化合状態を知ることができる
家一軒買えるお値段だとか

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大型CT撮影装置(垂直型)
360度の方向からX線を照射する、いわゆるCTスキャンにより、
3Dデータとして対象を立体的に把握できる

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CTスキャンを用いて模造された縄文時代の遮光器土偶
外側も内側も原型まんまの凹凸がある

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修復に使うさまざまな道具が並ぶさまは、
おしゃれ工房みたいなイメージ

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日本画の接着剤として用いられている膠とふのり

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屏風に用いる和紙もいろいろ
本格修理は年間約70件、対症修理は年間約500点以上行っているという

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東博では、作品保護の観点からジャンルごとに展示期間を定め、展示替えを行っている。たとえば、浮世絵は4週間が限度という。
ふた月続く展覧会の前半と後半で展示品の一部が変わるのは、鑑賞者に再度足を運んでもらうための工夫かと思っていた。

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最後におみやげをもらった!
UTAMAROO !

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庭園

 美しく懇切丁寧な展示の裏に、たくさんの地道で根気のいる作業があることを実感した。















 

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