ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● ハリウッド2大名優の最初で最後の共演 映画:『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督)

1976年アメリカ
114分

 大都会の孤独なタクシードライバーが次第に狂気に陥っていくさまを描いた物語。終盤の凄まじい殺戮シーンが公開当時話題になった。

 本作で、ロバート・デ・ニーロは世界的に名を知られるようになった。
 33歳のデ・ニーロは細面のイケメンで、何より驚くのは肌の白さである。
 こんな色白だったのか!
 『ゴッドファーザー』や『アンタッチャブル』などマフィアの役が強烈だったせいかイタリア系のイメージがあったが、彼は生粋のニューヨーク生まれで、両親は北欧系なのである。

 たしかに巧い。
 完全にひとりの人格を作り上げている。
 じょじょに狂気に陥っていくさまも、緻密な演技設計と鍛錬の成果を感じる。
 何によっても癒しようのない孤独と空虚にとらわれた青年像が見事に造形化されている。
 70年代ニューヨークの夜の街の雰囲気も興味深い。 

 本作の難点は、脚本だろう。
 タクシードライバーの青年がなぜこのような孤独と空虚にとらわれているのか、なぜそこから逃避する手段として、普通よくあるように、酒や麻薬や女にはまっていないのか、全然説明されないのである。
 深夜勤務を終えた後ひとりポルノ映画を観に行くかわりに、なぜ女と遊ばないのか、なぜ酒を飲んで気を紛らわせないのか、なぜ不眠症にかかっているのか、観る者はなにも理解できないままに、彼が狂気にはまっていく姿を追うことになるので、「???」となる。
 生まれた家が属していた禁欲を旨とする宗教的バックボーンのせいかと想像しながら観ていたが、それだとポルノ映画だけOKなのが説明できない。
 この青年の抱える闇の正体はなんだろう?
 単なるサイコパスなのか?

 ――と奇妙に思いながら観終わって、ネットでいくつかの映画評を読んで、「ああ、そうか」と腑に落ちた。
 これはベトナム戦争の後遺症に悩むアメリカと一帰還兵の姿を描いた映画と解せるのであった。

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Jens JungeによるPixabayからの画像

 1976年と言えば、まさにベトナム戦争直後。
 それまで世界の勝ち組であり続けたアメリカがはじめて戦争に敗退、失意と不況が全米に広がった。
 ベトナム帰還兵の精神障害が問題となり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が生まれた。
 デ・ニーロ演じるタクシードライバーがベトナム帰還兵であることは、映画冒頭の採用面接シーンで言及されていた。
 それを鍵に、物語を読み解いていくべきなのであった。
 であれば、彼が酒や麻薬に手を出さない理由も理解し得る。
 酒や麻薬で廃人となった戦友をたくさん見てきたのだろう。
 女性とのコミュニケーションの年齢に釣り合わないつたなさも、レイプされる対象としての女性しか現地で見てこなかったためかもしれない。
 そして、癒しようのない孤独と空虚の原因は、生死のかかった非日常をアドレナリン・フル状態で生き抜いた人間が、ゆるい日常に戻ったときに感じる虚脱感、周囲との隔絶感のためと思えば納得がいく。もちろん、不眠症の原因も。
 不浄な街に対する彼の怒りは、「こんなアメリカを守るために俺たちは命を投げ出したのか!」というやりきれなさが高じてのものだろう。

 本作をリアルタイムで、少なくともベトナム戦争映画が盛んにつくられていた80年代くらいまでに観ていれば、すぐにそこに思い当たったであろう。
 だが、公開から半世紀がたった2025年。
 なんら前提知識のない人間が本作を観て、この物語の背景にあるものを推察するのは困難である。
 ベトナム戦争を知らない人間にしてみれば、ある一人のタクシードライバーが女に振られて狂気に陥り、少女売春をゆるす不浄な街に怒りを感じ、ランボーのごとく武装して悪者を成敗した物語、つまり、一人の宗教的サイコパスの話としか受け取れない。
 逆に、デ・ニーロがメルリ・ストリープ、クリストファー・ウォーケンと共演したマイケル・チミノ監督『ディア・ハンター』(1978)は、ベトナム戦争の壮絶な現場が、戦前のアメリカの平和な日常風景と対比的に描かれており、前提知識のない人が観ても、人間を心身ともに破壊する戦争の恐ろしさが伝わるはずである。

 本作でデ・ニーロと並んで高い評価を得たのが、当時13歳のジョディ・フォスター。
 大変な美少女ぶりに驚かされるが、それ以上に驚異的なのは演技の上手さ。
 この年齢でこの演技!
 二人の名優が共演したのは、本作が最初で最後だったのではなかろうか?
 その点で、映画ファンにとっては見逃せない一本であるのは間違いない。





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 中村春吉見参! 本:『幻綺行』(横田順彌著)

2020年竹書房
初出は1989~91年『SFアドベンチャー』(徳間書店)

 タイトルと本の装丁に惹かれて手に取った。
 小学生の頃に夢中になったポプラ社の「明智小五郎&少年探偵団シリーズ」を偲ばせる。
 横田順彌(1945~2019)を読むのははじめて。

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カバーイラスト:榊原一樹
カバーデザイン:坂野公一

 明治時代の冒険家・中村春吉を主人公とする連作短編である。
 自転車に乗って世界中を無銭旅行する中村、彼がスマトラの遊廓から救い出した雨宮志保、そこに一獲千金を夢見て宝探しをする石峰省吾が合流し、怖いもの知らずの3人がアジアからシルクロードをたどって中近東へ、ロシアに寄り道してヨーロッパ、船に乗ってケープタウンへと、痛快至極な旅をする。
 ボルネオの密林では奇怪な樹の化け物、チベットの僧院では半魚人、ペルシャの砂漠では大魔神、ロシアの寒都では吸血女、ポルトガルの火山島では異次元生命体、アフリカの古沼では巨大甲殻類と遭遇し、毎回命の危険にさらされるも、知恵と度胸とチームワークと持ち前の運の良さで乗り切っていく。
 アドベンチャーとホラーサスペンスとSFと幻想小説と怪物退治とユーモア小説がミックスした楽しい読み物である。
 巻末に収録された『SFアドベンチャー』掲載当時のバロン吉元のイラストが芸術的にグロテスク!

 中村春吉(1871-1945)は実在の人物で、自転車による世界一周無銭旅行をした明治期の傑物である。
 汽車賃・船賃・宿賃・家賃・地賃を克服して無銭旅行をしたことから、「五賃将軍」と呼ばれ、フランスの新聞では「東洋の猛獣」と称されたという。
 横田順彌はこの男に心酔するあまり、冒険小説の主人公に仕立てたのである。  日本人ではじめてチベット入国を果たした河口慧海といい、この時代の日本男児のバンカラ精神は見上げたものだ。 


中村春吉
中村春吉

 

おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 民俗学としての日活ロマンポルノ 映画:『赤線玉の井 ぬけられます』(神代辰巳監督)

1974年日活
78分

玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。永井荷風の代表作『濹東綺譚』、漫画家・滝田ゆうの『寺島町奇譚』の舞台として知られる。
(ウィキペディア『玉の井』より)

 売春防止法の施行を目前にした昭和33年(1958)新春、玉の井の銘酒屋で働く女たちを描く。
 銘酒屋とは、飲み屋を装いながら私娼たちに売春させていた店である。
 女たちは店頭で客引きし、2階にある各自の部屋に上げて、しばしの快楽を男たちに提供した。  
 原作は清水一行『赤線物語』。
 タイトル画、風俗考証は玉の井生まれの滝田ゆうが担当している。
 場末感あふれる昭和の売春窟は、なんだか懐かしくなるほど人間臭い。
 ドブと煙草と酒の匂い、饐えた畳の匂い、男の汗と精液の匂い、女の汗と化粧の匂い、火鉢で餅を焼く匂い、それらが入り混じった昭和の風景は、いまやどこを探しても見つかるまい。
 むろんソルティは、赤線のあった時代を知らないし、玉の井のあった墨田区近辺には昭和の頃は足を踏み入れたことがなかった。
 上野や浅草で遊ぶことはあったが、すみだ川より向うは長らく未踏の地であった。
 懐かしさを感じるのは、SDGsやコンプライアンスやフェミニズムなんか「への河童」の、虚飾のはぎ取られた、貧しくも逞しい庶民の姿をここに見るからなのだろう。
 だからそれは、“失ってよかった懐かしさ”である。

 博打とシャブを打つのが日課の男、その男に殴られながらも必死に貢ぎ続ける女、毎日自殺未遂する女、一日27人の客を取るという店の最多記録に挑戦する女、一般の男と結婚し玉の井を抜けられたのに飽き足らず戻って来る女、娼婦たちを働かせつつも優しく見守る女将(彼女もまた若い頃は体を売っていたのだろう)、ぶらぶら遊んでいるその夫。
 令和の若者たちの目には、お伽噺のように遠い、ありえない世界と映るに違いない。

 それだけに思ったのは、昭和時代の映画とくに性愛をテーマとした日活ロマンポルノは、かつてあった日本の性風俗の記録として、民俗学的価値があるのではないかということである。
 一般に、ポルノ映画は男たちの願望や妄想を描くので、現実と離れた絵空事の世界であるのは間違いないけれど、本作を含む神代辰巳監督の『四畳半襖の裏張り』、『赫い髪の女』や、田中登監督の『㊙色情めす市場』などは、昭和時代のリアルな街の風景や人間模様を映し出している。
 女子供が観ることのない(=PTAが騒がない)ポルノ映画だからこそ、自由に描けた社会の暗部や性愛の現実がある。
 たんなる射精映画と捨て置くのは間違っている。

 宮下順子、丘奈保美、芹明香、蟹江敬三、殿山泰司など、役者たちも味がある。




おすすめ度 :★★★★

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● 民俗学の父 本:『柳田国男入門』(鶴見太郎著)

2008年角川学芸出版

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 現在、奈良大学の通信教育で「民俗学」を勉強中。
 ソルティがこれまでに読んだ民俗学関連の本は、柳田国男『遠野物語』、宮本常一『忘れられた日本人』、小松和彦『悪霊論 異界からのメッセージ』他、赤松啓介と上野千鶴子の夜這いをめぐる対談、六車由美『驚きの介護民俗学』、在野の研究家の筒井功を数冊。
 三角寛のサンカ本も何冊か読んだが、あれは民俗学ではなくて娯楽小説の一種だろう。
 永久保貴一諸星大二郎のコミックも民俗学の範疇に入るかもしれない。 
 興味の向くままに読み散らかしただけで、民俗学を体系的に学んだことはない。
 ほぼイチから始めなければならない。

 まず必要なのは、「民俗学とは何か」を知ることである。
 民俗学と言えば、柳田国男である。
 柳田国男がどんな人物で、何を目指していたか、どんな研究を行ったかを知るのが先決と思い、「入門」を謳う本書を借りた。
 鶴見太郎は1965年生まれの歴史学者。名前から推察される通り、評論家&哲学者の鶴見俊輔(1922-2015)の息子である。

 図書館で借りた本なので文句をつけるのも大人気ないと思うが、「看板に偽りあり」であった。
 入門レベルの内容では全然なかった。
 むしろ、柳田国男や日本民俗学についてある程度の知識や見識を持っている中級者が、これまでに言及されていない新たな視点から、柳田国男を読み解くものになっているように感じた。
 内容をちゃんと確認しないで本を借りる癖がどうも治らない。

 とは言え、本書で取り上げられ分析されている柳田国男の一面、というより柳田を含む昭和時代の学者の言説を読み解く際の留意点は、知って得るところがあった。
 つまり、戦前や戦時下における言論・思想統制の問題である。

 柳田国男は「日本民俗学の父」という一般によく知られた顔をもつと同時に、東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)出身のインテリであり、農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)に勤めたお役人であり、貴族院書記官長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇りつめた高級官僚であった。
 今の言葉で言えば、上級国民である。
 太平洋戦争の始まる前には退職しているものの、体制側・権力側の人間とみなされてもおかしくはなかった。
 当然、戦前・戦時下にあっては、大日本帝国の元高級官僚として、また、世間に名の知られた言論人として、戦意高揚に向けて国民を指導することが期待されたであろう。
 柳田が当時の国策や大東亜戦争について内心どう思っていたのかはよく知らないが、国や軍部の方針を表立って批判することはなかった。
 それをしたら、間違いなく、研究を続けられなくなったはずだ。
 本書によれば、自らの頭で調べ考え判断することなく、政府やマスコミの流す情報を信じ込み、焚き付けられ、自ら戦意高揚に巻き込まれていった日本国民の事大主義を憂えていたようである。  
 だが、柳田は、国を批判し逮捕され転向を迫られた社会主義者の友人・知人らと交流を続けながらも、自身は特高に睨まれることなく精力的に研究や執筆を続け、戦前・戦中を無難に生き抜き、戦後になっても火野葦平のように「戦犯」の汚名を着せられることなく、学者として一家を成した。
 この器用な生き方、状況判断に優れたバランス感覚こそ、柳田国男の特質の一つなのではないかと思った。

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Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

 ひとり柳田国男に限らず、戦前・戦中の学者の言説は、言論・思想統制というバイアスを抜きにして、読み解くことはできない。
 戦後生まれで言論や表現の自由を当たり前に享受している我々は、つい忘れてしまいがちだけれど、権力や世間からの圧力が厳然とあった時代の人が残した言葉を読むとき、曖昧な言い回しや暗示的な表現の裏にある真意を汲み取らなければならないのである。
 時代や政治体制との関係を離れて、その時代に生きた個人の発した言葉を読むことはできない。
 そこにあらためて気づかせてくれた点で、本書を読んだ甲斐があった。

 敗戦の翌年(1946年)、柳田は次のような文章を綴っている。

 日本人の予言能力は既に試験せられ、全部が落第といふことにもう決定したのである。是からは蝸牛の匐ふほどな速力を以て、まづ予言力を育てゝ行かねばならぬのだが、私などはただ学問より以外には、人を賢くする途は無いと、思って居る。

 鶴見はこれを次のように読み解いている。

 少なくとも柳田にしてみれば、本来民俗学には単に現在の生活改善という域には止まらず、日常の営みの中から将来起こり得ることを推察するという隠れた重大な課題が含まれていた。具体的に言えば、それは自分たちがとる行動や態度によって、どのような影響が生まれるのか、その結果をあらかじめ想定できる力を養うことである。しかしアジア・太平洋戦争が生んだ惨禍という厳然たる事実を前にした時、明らかに日本人の「予言能力」はことごとく外れたものと受け止めざるを得ない。そしてそれは一部の指導者の責任にのみ帰せられるものではなく、広く日本人全体の懸念事項として考えて行かなくてはならない――柳田らしい暗示に富んだ言い回しだが、大略はその線にあるといってよい。

 暗示に富んだ言い回し。
 これが柳田国男の言説の特徴であるらしい。




おすすめ度 :★★★

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● 池上季実子はW浅野をKOするか? 映画:『陽暉楼』(五社英雄監督)

1983年東映
144分

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 昭和初期、土佐随一の料亭「陽暉楼」を舞台に、女衒の太田勝造(演・緒形拳)、その娘で芸者の桃若(演・池上季実子)、勝造の愛人で女郎となった珠子(演・浅野温子)を中心に、色と欲と暴力とプライドが入り混じる裏社会の人間模様を描く。
 原作は宮尾登美子の同名小説。

 この映画、昔観たような気がするのだけれど、もし観たのであれば、桃若こと池上季実子と珠子こと浅野温子が、15分間におよぶ取っ組み合いの大喧嘩をするシーンを覚えていないわけがない。
 同じ五社監督『吉原炎上』における仁支川峰子(当時は西川峰子)のタレント生命を賭けた壮絶な演技「ここ噛んで!」を、一度観た者が決して生涯忘れることができないように、池上と浅野の本気の大立ち回りも、映画の出来不出来や物語のあらすじとはまったく関係ない次元で、映画ファンの語り草になるに十分なド迫力の衝撃シーンである。
 ひょっとしたら、ソルティが観たのはテレビ放映版だったのかもしれない。
 であれば、コマーシャルからコマーシャルまでの15分間を女同士の取っ組み合いだけで埋めるのはいくらなんでも無理なので、短く編集されていた可能性がある。

 それにしても、五社監督は女同士の争いを描くのが好きだった。
 男たちの欲望の掃き溜めである料亭(その実態は芸者置屋)や遊廓で働く女たちが、序列や男客の奪い合いから互いに蹴落とし合う、言ってみれば、底辺にいて差別される者同士が強者の贔屓をもとめて争い合う。その姿を好んで描くとは、なんとも悪趣味なお人だなあという感を持つ。
 五社監督の作品からは、溝口健二の遊廓ものに見られたような、構造悪についての批判的眼差しを感じることができない。
 ヤクザをカッコいいと思う中学坊主と同じ単純な感覚で、女郎を美しいと思っていたのではなかろうか。(自身、全身に入墨をほどこしていたという)

 とはいえ、そのようなカタギから逸脱した世界で、自らの信念にしたがって懸命に誇り高く生きた人々を描いているのは確かで、裏社会の独特の「物語空間」を飲み込むことができれば、映画としては非常に面白い。
 芸者の世界だけに、着物や料亭のしつらいに見られる極彩色の映像は鑑賞し甲斐があり、着飾った女たちも美しい。

 女衒の勝造を演じる緒形拳の男らしさ、陽暉楼のやり手女将を演じる倍賞美津子の鉄面皮な貫禄、勝造の後妻で桃若の育ての親役の園佳也子の滑稽味、そしてここでも西川峰子のギャル風蓮っ葉さが印象に残る。




おすすめ度 :★★★★

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● 本:「ここまで変わった日本史教科書」(高橋秀樹、三谷芳幸、村瀬信一著)

2016年吉川弘文館

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 10代のとき習った日本史の中味が、40年経過してずいぶん変わっているのを薄々察していながらも、なかなか更新する機会が持てなかった。
 奈良大学通信教育学部のスクーリングで、広大な藤原京の跡地に立った時、刷新の必要性を強く感じた。
 とり急ぎ、主要な変更点だけでも抑えるべく本書を手に取った。
 が、これもすでに10年近く前の刊行物である。
 そのうち、最新の日本史教科書に目を通したい。
 備忘のため、ソルティの脳内記憶と大きく変わった点を列挙する。

1. 年号の変化
  • 鎌倉幕府の成立 1192年→1185年
    源頼朝が征夷大将軍に任命された年(1192)から、全国に守護・地頭を置いた年(1185)に変化している。ただ、これも確定したものでない。つまるところ、「何をもって幕府の成立とするのか」で、学者間で意見が分かれている。
2. 名称の変化
  • 縄文式土器、弥生式土器→縄文土器、弥生土器
  • 大和朝廷(4世紀)→ヤマト政権
  • 任那(みまな)→加耶(かや)・・・任那日本府の実態が疑問視されている
  • 大化の改新(645)→乙巳(いつし)の変
  • 薬子の変(810)→平城上皇の変
  • 前九年の役、後三年の役、西南の役→前九年戦争、後三年戦争、西南戦争
  • 元寇→蒙古襲来
  • 応仁の乱→応仁・文明の乱
  • 島原の乱→島原・天草一揆
3. 消えた内容(用語)
  • 武家造・・・鎌倉時代の武士の屋敷を指したが、いまは「寝殿造」のバリエーションの一つとされ、廃語となった。
  • 御家人を前に縷々演説した北条政子の話は捏造(実際は御簾の中にいた)
  • 忠臣蔵を取り上げている教科書は、いまや全体の6%のみ
  • 江戸時代には「士農工商」という身分制度があった→「武士」と「百姓・町人」の二つに分けて説明。また、百姓=農民ではない
  • 慶安のお触書(1649)・・・現在では幕府の公布した法令ではないという学説が有力。
4. 増えた内容
  • 藤原京の成立(694)と規模の大きさ
  • 江戸時代の遊女など、各時代の女性像を扱う教科書もある
  • アイヌ史や北方史や琉球史
5. 解釈の変化
  • かつては、「縄文時代=縄文土器+狩猟採集」、「弥生時代=弥生土器+稲作」とされていたが、その後、縄文遺跡からの水田遺構の発見があい次ぎ、この図式が崩れた。時代区分を、土器の相違によって分けるか(BC3世紀頃)、稲作の開始によって分けるか(BC5世紀頃)で、弥生時代の始まりが変わってくる。議論がまとまっていない。
  • 聖徳太子(厩戸皇子)の格付け低下・・・冠位十二階、十七条憲法、遣隋使派遣など、これまで聖徳太子の事績とされてきたものが、推古政権全体の政治と位置づけられている。
  • 894年遣唐使の廃止によって国風文化が興った→遣唐使は838年を最後に実施されていなかった。中国文化の基盤の上に国風文化が生まれた。遣唐使の制度は「廃止」されたわけでなく、894年の回が「停止」になっただけ。
  • 神護寺にある源頼朝の肖像画のモデルは、足利直義の可能性が高い。(甲斐善光寺にある木像の頼朝こそ実際の姿に近い)
  • 関ヶ原の戦い(1600)の西軍大将は、石田三成でなく毛利輝元。
  • 「賄賂まみれの悪徳政治家」という田沼意次のイメージは払拭されて、経済振興をはかった人と評価されている。(NHK大河ドラマ『べらぼう』では渡辺謙が演じてイメージアップに貢献している)
  • 江戸時代は「鎖国」していたという概念が薄れ、「四つの口」を通して海外と交流していたとする解釈が増えている。

 歴史上の事件や事象を何と呼ぶか、そこには使い手やその時々の評価・歴史観、後世の価値観などが入り込みやすい。研究用語のみならず、史料に出てくる言葉であっても、その史料の書き手の見方が投影されている。また、その時代には意識されていなかったものの、後の時代になって、差別的であるとの理由などで忌避されていった用語もある。

 歴史は残された史料というレンズの破片を通して映し出された像であり、その像は必ずしも「真実」ではないこと、「正しい」歴史的評価など存在しないことに気づかせ、それを知ることこそが、「正しい」歴史学習の姿なのかもしれない。
 
 それにつけても、日本史だけでこれだけの変化がある。
 世界史と来た日には、どんだけ脳内記憶が古くなっていることやら!

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Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像




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● べらぼうに残酷 映画:『噂の女』(溝口健二監督)

1954年大映
83分、白黒
脚本 成澤昌茂、依田義賢
音楽 黛敏郎
撮影 宮川一夫

 本年度のNHK大河ドラマ『べらぼう』は江戸時代の吉原が舞台となっている。
 吉原は幕府公認の遊郭で、最盛期には300軒近い女郎屋が立ち並び、数千人の女たちが性を売っていた。
 もっともドラマの主役は女郎ではなく、吉原で生まれ育ち、歌麿や写楽を世に送り出した江戸のメディア王ツタジューこと蔦屋重三郎(1750‐1797)である。
 ツタジューの生涯を描くには、どうしたって吉原を描かないわけにはいかないのである。


吉原遊郭

 性的な表現やジェンダー案件について厳しい目が向けられるご時世にあって、あえて吉原を舞台に選んだNHKの英断には正直驚いた。
 民放ですら迂闊に手を出せない題材を、天下のNHKが、しかも家族揃って茶の間で観ることの多い大河ドラマで扱うとは!
 「遊郭って何? 花魁って何?」と無邪気に訊ねる子供に、一緒にテレビの前にいる親御さんがどう答えるのか気になるところだけど、小中学生はともかく、今の高校の日本史の教科書には「江戸時代の遊女」を取り上げているものもあるという。
 吉原で亡くなった女たちを墓穴に投げ込むように始末したことから「投げ込み寺」の異名をとった浄閑寺のこと、死亡時の平均年齢が21歳であったこと、全国の宿場にも飯盛女と呼ばれた娼婦がいたこと、ほかにも非公認の女郎たちがいたことなどが書かれているそうな。

 貧しい女性たちが性を売らなければ生きていけない現代につながる社会の現実。  
 立場の弱い女性たちを搾取し、悲惨な境遇に追いやる男社会の構造。
 男たちの覇権争いと為政者の事績だけを学ぶこれまでの歴史の授業は、偏ったものであるのは間違いない。

 さらに、性とジェンダーと言えば、『べらぼう』にはエレキテルと土用の鰻で有名な平賀源内も登場する。
 源内は男色家であり、生涯妻帯しなかった。
 ドラマでは源内の男色指向もしっかり描かれている。
 歌舞伎役者の2代目瀬川菊之丞を愛したこととか、街行くイケメンにちょっかいを出すところとか、吉原より湯島を好むところとか。(湯島には男色専門の遊郭である陰間茶屋があった)
 江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチとも称される讃岐生まれのこの天才を、「変態キャラ」で知られる安田顕が実に魅力的に演じている。
 そろそろ殺人事件を起こして牢屋に入れられる頃合いと思うが、どんな最期を見せてくれるか楽しみである。
 NHKの果敢なチャレンジを素直に称賛したい。
 民放よりよっぽど攻めている。

平賀源内
香川県志度町の生家に建つ平賀源内像

 『べらぼう』人気にあやかろうというのか、現在、神保町シアターでは『花街、色街、おんなの街』と題し、芸妓や遊女らをテーマにした映画を特集している。(5月2日まで)
 五社英雄監督の『陽暉楼』、『吉原炎上』、吉永小百合の『夢千代日記』、永井荷風原作『墨東綺譚』、加藤泰監督『骨までしゃぶる』、日活ロマンポルノから『赤線最後の日』、『四畳半襖の裏張り』、『赤線飛田遊廓』・・・など、総計16作のラインナップは、日本にかつてあった遊廓文化の深さや彩りの証言である。
 と同時に、華やかさと悲惨さ、エロスと暴力、まことと偽りとが小判の裏表をなす遊郭という舞台が、映画という表現形式にとても合っていたことを示してあまりない。そこで生まれる男と女の、あるいは女と女のドラマの濃さは言うに及ばず。

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 遊廓や赤線を好んでテーマにしたのが溝口健二監督である。
 『祇園の姉妹』、『夜の女たち』、『西鶴一代女』、『祇園囃子』、『赤線地帯』など、零落した女たちの生態を圧倒的リアリズムで描いている。
 『噂の女』は、京都・島原遊廓の老舗置屋が舞台である。
 女手一つで子供を育てたしっかり者の置屋の女将(演・田中絹代)と、失恋して東京から帰って来た娘(演・久我美子)。
 それぞれが抱える葛藤と、理解し合えない母と娘の関係が、花街に生きる女たちの悲哀を背景に描き出されている。
 本物志向の溝口が作り上げる遊廓の風景は、セットとは思えないリアルさ。
 水谷浩による美術、宮川一夫による撮影、溝口による演出、そして田中絹代をはじめとする役者陣の演技のクオリティの高さによって、虚構が本物に成り変わる。
 すぐにセットであることやCGであることが分かってしまう、昨今の映画やTVドラマの薄っぺらな映像は、単に金がかけられないためだけなのだろうか?
 デジタル上映で画面も美しい。

 一番の見どころは、田中絹代の演技である。
 遊廓のやり手女将としての貫禄や艶やかさを醸し出す一方、年下の医師(演・大谷友右衛門)との恋に揺れ動く女の弱さといじらしさを漂わせ、さらには同じ男を娘と取り合うことになるや、嫉妬と怒りと老いの羞恥を見事に表現する。
 この難しい役を実に自然に、品位を落とすことなく演じ切り、観る者を感情移入させる田中の芸の高さこそ稀有なものである。

 母(田中)と娘(久我)、そして母から娘に乗り換えようとする若い医師(大谷)の三人が、並んで狂言を見るシーンがある。
 演目は分からないが、老女の恋をテーマにした狂言で、舞台には老いらくの恋をあざけられる醜い老婆が登場する。
 それを若い二人の後ろで鑑賞する母。 
 溝口らしい残酷な(サディスティックな)演出には怖気をふるう。
 この残酷さゆえに、ソルティは溝口健二とルキノ・ヴィスコンティの相似を思うのである。

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おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『ザ・マジックアワー』(三谷幸喜脚本&監督)

2008年フジテレビ、東宝
136分

マジックアワー

 このたびのフジテレビの不祥事と運営危機で影響を被った関係者の一人が、三谷幸喜であるのは間違いなかろう。
 『やっぱり猫が好き』、『振り返れば奴がいる』、『古畑任三郎シリーズ』、『王様のレストラン』などTVドラマの三谷の代表作はフジテレビ系列で制作・放送されてきたし、映画に至っては処女作『ラジオの時間』をのぞくすべての作品がフジテレビ&東宝で制作されている。
 民放に関しては、フジテレビ専属の作家というイメージがある。
 三谷がどれだけフジテレビの内情や体質に詳しかったかは知るところでないし、本来、プロデューサの質と作品の質とは関係ないと思うのではあるが、ダーティーイメージがついてしまうのはいかんともし難い。
 この『ザ・マジックアワー』に高い評価を与えられないのも、ソルティがフジテレビ制作と知りつつ鑑賞したせいなのだろうか?
 どうにも判然としない居心地の悪さがある。

 三谷の今後については、すでにNHK大河ドラマを3本も書いている巨匠なのだから、なんの心配もなかろう。
 フジテレビ以外の民放局での活躍が見られるかもしれない。
 もっとも、三谷もまた昭和どっぷり世代なので、その笑いが平成育ちの若い視聴者にどこまで通用するかは別の問題ではあるが・・・。

 売れない役者村田大樹(演・佐藤浩市)のもとに、ある日、ギャング映画主演の話が舞い込んできた。それは正体不明の殺し屋「デラ富樫」の役であった。
 村田のマネージャーである長谷川(演・小日向文世)は、映画を撮るのはこれが初めてという備後登監督(演・妻夫木聡)の話を怪しみ、依頼を断ろうとする。
 が、あとのない村田は役者生命をこれに賭けようと決意し、備後の言うまま、ある港街にロケ入りする。
 実は、備後はその街を牛耳る天塩幸之助(演・西田敏行)の部下の一人でクラブの支配人に過ぎなかった。天塩の女に手を出したことがばれてしまい、命と引き換えに天塩から出された条件が、「5日以内に裏社会で名の知れた殺し屋であるデラ富樫を見つけて、事務所に連れてくること」だったのである。
 進退の窮まった備後は、デラ富樫の偽物をつくるという策に打って出た。 
 かくして、映画の撮影だと信じ込んでいる村田は、本物のヤクザの巣に乗り込み、ニセの「デラ富樫」を演じるのであった。
 
 アイデアは抜群に面白い。
 虚構の世界である映画が、現実と重なり合い、現実に影響を及ぼし、しまいには現実を変えてしまうという、映画フリークの三谷ならではの発想。
 本物の銃を小道具と信じ、ヤクザたちによる本物の銃撃戦を無名の役者たちによる火薬を使った芝居と思い込み、派手な立ち回りをする村田。
 その大胆不敵な行動を見て、村田を本物の「デラ富樫」と信じ込む天塩たち。
 笑える仕掛けがあちこちに用意され、「コメディの天才」の名に恥じない三谷ワールドが展開される。

 いつものように出演者もゴージャス。
 村田を演じる佐藤浩市はじめ、妻夫木聡、深津絵里、綾瀬はるか、西田敏行、小日向文世、寺島進、戸田恵子、伊吹吾郎、寺脇康文、谷原章介、中井貴一、鈴木京香、香川照之、天海祐希、唐沢寿明など、フジテレビの力と三谷の人脈を感じる。
 中でも、“殺し屋を演じる売れない役者”を演じる佐藤浩市は、コメディアンとしての才能を本作で開花させたが、それは父親の三國連太郎には望めなかった。――少なくとも同年齢において。(ソルティは『釣りバカ日誌』シリーズを観ていないので、晩年の三國のコメディ演技を知らない)
 何を演じても役なりの雰囲気を醸し出せる戸田恵子と西田敏行の柔軟性ある演技も見どころ。
 
 作品の評価が微妙なのは、村田の正体がばれたあたりから勢いが失速し、話がつまらなくなるからだ。
 これが映画ではない現実であり、虚構が虚構でなく、自分の演技がすべて無駄だったと知った村田は、落胆して街を去ろうとする。
 それを引き留めるきっかけとして、三谷は感動エピソードを持ってくる。
 一つは街の映画館でスクリーンいっぱいに映し出された村田の姿、もう一つは村田がずっと憧れてきた往年の名優との出会いである。
 これがもうベタというか陳腐であり、感動のための感動というお仕着せ感たっぷり、デジャヴュー感満載で、しらけてしまう。
 観客のレベルを中高生くらいに設定しているのではないかと邪推したくなる。

 “どこかで見たような安っぽい感動”というのが、三谷幸喜作品の特徴である。
 それが役者の演技や脚本や演出の巧み(とくにテンポの良さ)とあいまってバランス良く機能すれば傑作になるのだが、いったんバランスが崩れると、あざとさが目につき、ぐだぐだになる。
 本作はその意味で、アーティスト三谷幸喜の長所と短所がよくわかる作品と言える。



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● なんなら、奈良11(奈良大学通信教育日乗) 入学半年後の雑感

 入学して半年がたった。
 ここまでをふりかえる。
  • 単位取得 2科目
    文化財学演習Ⅰ、文化財学購読Ⅱ(いずれもスクーリング)
  • レポート合格 3科目
    平安文学論、文化財学購読Ⅰ、美術史概論(いずれもテキスト科目)
 レポート合格した3科目は、5月から始まる修得試験に合格することで、単位取得となる。
 今年度(9月末まで)の目標として、スクーリング3科目、テキスト5科目の単位取得を掲げているので、いまのところ、まずまず順調に推移と言っていいように思う。
 テキスト科目の筆記試験通過がどのくらい難しいかが、後半の鍵を握りそうだ。
 最初に提出した平安文学論のレポートでいきなり「再提出」を喰らったものだから、この先どうなるものか危ぶんだけれど、冬のスクーリングで会った仲間たちの噂話から、平安文学論は「採点がなかなかきびしい」科目として知られているようなので、2回で合格はむしろ寿ぐべきことなのかもしれない。
 現在、4科目目の民俗学に取り組んでいるところである。

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 ふりかえると、やはり、奈良でのスクーリングの愉しさが印象に強い。
 自宅でのテキスト学習で新しい知識を得ることはもちろん面白いし、いろいろな文献を渉猟しながら幾度も推敲を重ねレポートを仕上げていく過程も、“物を書く喜び”を満たしてくれる。
 が、斯界のプロフェッショナルによるライブ講義は、生涯を調査や研究や教育に捧げた人間の情熱や人となりや深い教養にじかに触れるぶん、学ぶことの喜びが大きかった。
 これがZOOM講義ではやはり味気なかったろう。コロナ禍の学生たちにはお気の毒であった。(この先、同じような疫禍のないことを祈る)
 また、全国から集まった仲間たちと同じ時と空間を共有できたことも、モチベーションを高めるのに役立った。
 文化財歴史学に興味を持つ人の特性なのか、コロナ禍の“無言行”を引きずっているためなのか、いったいにもの静かな人たちの集まりという印象を受けたけれど、言動のはしばしに向学心の高さや人生経験、それに第二の人生を学びによって楽しもうという意気込みが感じられ、さすが平均年齢60歳の大学生たちと、親しみとともに頼もしく思った。奈良愛は言うに及ばず・・・。
 
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東大寺南大門

 もともと奈良の古い仏教文化をもっと知りたいなあ~というところから始まったチャレンジであるが、学べば学ぶほど、現地に通えば通うほど、奈良愛が高まっていき、いろんな遺跡や社寺や仏像を訪ね、その偉大さや美しさを味わい、来歴を調べ、謎の解明を自分なりに図りたくなる。
 皇族や貴族から、僧侶や官僚や庶民、渡来人、奴婢にいたるまで、いにしえの日本人の“物語”に思いを馳せたくなる。
 この半年でつくづく思ったが、ひとつのことを学ぶと、それに関連したことが気になって、調べたくなってしまう。
 いまはインターネットという便利なものがあるから、ある程度の知識や情報は即座に手に入れることができる。(ただしネット情報は玉石混交で間違いも多いことは踏まえておく必要がある)
 ネットのない時代はいちいち事典や本を探して調べなければならなかったのだから、ほんと学習者には便利な時代になったものである。
 ネット情報だけでは飽き足らないものについては、関連本を検索し、図書館で借りることになる。(読みたい本が増えて困る

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三角縁神獣鏡

 ある程度の年齢になってから人文系を学び直すことの面白さは、数十年間の社会生活で身に着けた知識や雑学、経験や世間知、多角的なモノの見方が、それなりに生かされるところにあると思う。
 十代の頃は、教科書の内容をテストに備えて覚えるだけで精一杯で、紙背にあるその時代を生きた日本人の価値観や死生観や喜怒哀楽を洞察するところまで、なかなか行かなかった。
 歴史、国語(古文・漢文)、美術、音楽、地理、倫理社会などの教科も、それぞれが脳の別々の場所に収納されるばかりで、各教科で学んだことを連関させて、より包括的な視点から時代を見るには、脳のモジュールが未熟であった。
 また、社会人となってから読んだ本、観た映画、旅の記憶、友人や年輩者から聞いた話、日々の仕事やプライベートにおける様々な経験などがタグとなって、歴史を机上だけの狭いものから、自らの人生上の出来事に照合させながら理解を深められる生きたドラマとして体験できる。

 そうやって学んだ先に何かあるのか?――と聞かれたら、「別に何もない」と答えるほかないのだけれど、知的快楽は肉体的快楽や心理的快楽より、自分にとっても他人にとっても害が少ないのではなかろうか?
 学びの旅には終わりがないし、たいして費用もかからないし、一人でもできるし、認知症予防にもなるので、老後の暇つぶしには最適だと思う。 

 いまの望みは、奈良と京都の中間に家を借りて長期滞在し、心ゆくまで両都を探索することである。
 ――って、まずは単位をとらなけりゃな。

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奈良大学キャンパス






 

● 牡丹のひとよ 本『平家慕情』(中津文彦著)

1999年実業之日本社

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 京都醍醐寺見学の折りに日野の平重衡の墓を参ったことから、本書につながった。
 平重衡の生涯を描いた歴史小説である。
 著者は1941年生まれで、『黄金流砂』で第28回江戸川乱歩賞をとっている。

 むろん、『平家物語』をベースとしており、東大寺の盧遮那大仏ふくむ南都焼討ち(1181年)という前代未聞の悪業を背負った悲劇的人物として、同情的まなざしで描かれている。
 三位の中将の位をもつ公家として品格教養あり、平清盛の血を引く平家の武将として勇猛果敢にして、敵方の源頼朝や義経にさえ一目置かれた潔さと思慮深さを備え、加えて、牡丹の花のごとき容色の持主で女性に優しい。
 光源氏のごとき、パーフェクトなキャラである。
 つまり、南都焼討ちというマイナスポイントがなければ、これ以上に近寄りがたい、理想的人物(凡夫からしたら嫌味な男)はいないわけである。
 一点の陰りをまとった人間のほうに魅力を感じるのは世の常なので、南都焼討ちこそが、平重衡を物語的に忘れ難いキャラに押し上げた要因とも言える。

 織田信長が比叡山延暦寺を焼討ちしたと聞いても、「あの神仏をも畏れぬ第六天魔王(サイコパス)ならやりかねん」とそこになんら驚きもなければ、実行者である信長に対して、心の葛藤や後悔や懺悔を期待するのは無駄と思うだけであるが、最期に法然上人に自ら受戒を請い願った重衡については、そこに罪悪感からくる様々な宗教的葛藤を想像できるぶん、仏教徒であるソルティとしては興味がひきつけられるのである。(――最近の考古学的考証では信長の比叡山焼討ちは相当誇張されているらしい)
 
平重衡
平重衡(安福寺所蔵)

 『平家物語』では、恨み骨粋に徹した南都衆徒の手に引き渡され処刑される直前、重衡は日野の地で妻の輔子と再会し、今生の別れをすることになっている。物語を聴く者、読む者の涙をそそる名場面である。
 本書では、輔子ではなく、重衡が源頼朝の捕虜下にあった鎌倉で出会った女人、千手の前との逢瀬に置き換えられている。
 『平家物語』にはいくつかのバージョンがあるというから、別バージョンからの採用なのだろうか?
 いずれにせよ、しっかりした構成と簡潔で抑制の効いた文章、タイトル通り、運つたなく散った者への慕情が横溢する歴史小説の佳品である。

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