2019年スペイン
94分
原題はEl hoyo『穴』
不条理シチュエーションスリラー。
上にも下にもどこまでも続くコンクリート造りの部屋の階層。
各部屋にあるのは、壁の両側に据えられた2つのベッドと共用の洗面台とトイレ。
2人用の牢獄である。
部屋の真ん中には大きな四角い穴が開いて、見上げればはるか高みに、見下ろせば奈落の底に、焦点は消える。
一日一回、その穴を上から下へとエレベーターのごとく降りてくるのは、食糧を載せたプラットフォーム。
生きるためには、上階の住人が食べ残したものを食べるよりない。
ゆえに、下の階に行けば行くほど残飯は少なくなり、途中階でプラットフォームは空の容器だけになる。
そこから下の住人は水だけ飲んで生きるしかない。あるいは・・・・
各部屋の滞在期間は一ヶ月。
一ヶ月どうにか生き延びれば、運が良ければ上階に移って、より多くの食べ物にありつけることができる。
運が悪ければさらに下層階に・・・・。
――という過酷なシチュエーションに置かれた人間たちが、どのような状況に陥り、どのような行動をするか、を描いたスリラーである。
観ていて想起したのは、仏教説話の『三尺三寸箸』。
聞いたことのある人も多いだろう。
ある男が地獄を見学した。
ご馳走の載っているテーブルの周りに、三尺三寸(約1メートル)の箸を持った罪人たちがいる。みなガリガリに痩せ細っている。彼らは我先にとテーブルの上の食べ物を取るのだが、箸が長いため自分の口に運ぶことができない。しまいには、怒りと絶望にかられて醜い争いが始まる。次に行ったのは極楽。ご馳走の載っているテーブルの周りに、三尺三寸(約1メートル)の箸を持った善人たちがいる。みな健康で幸せそうだ。彼らは自分の箸で取った食べ物を、向かいの人間の口に運んでいる。全員が満ち足りている。
地獄と極楽の違いは環境ではない。そこにいる人間の心ばえ次第という教訓。
様々な国籍・人種が入獄しているこのタワーで、三尺三寸箸の寓話は成り立つのか?
現実の格差社会を暗喩――というより、文化や倫理というきれいごとを排し、生存競争下に置かれた本能むき出しの人間を描いたグロテスクなリアリズムである。
ところで、ネットを見ていたら、三尺三寸の箸を実際に作製して、説話の虚実を確かめた人の記事があった。
この長さの箸だと、自分の口に運べないことが立証されている。
この人が実験を始めたそもそものきっかけが面白い。
中学生の時に『三尺三寸箸』を聞いたときに、「なぜ、地獄にいる人たちは長い箸を短く持たないんだろう?」と思ったからだそうだ。
もちろん、箸の先の方を持てば簡単に自力で食べることができる。
ソルティもこの話を聞いたときにまったく同じ疑問を抱いた。
が、「きっと、箸と手がくっついていて、持つ場所を変えられないのだろう」と理屈づけていた。
さすがに、実験しようとは思わなかったな。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損