ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● なんなら、奈良9(奈良大学通信教育日乗) 凍れる音楽、震えるスクーリング

 2月中旬、3日間のスクーリングに行ってきた。
 科目は「文化財学演習Ⅰ」。
 ソルティは前日夕方に京都入りし、四条河原町のカプセルホテル「ルーマプラザ」に泊まった。
 ここは屋上の露天風呂から京都市全景が見渡せて、とても気持ちがいい。
 翌朝は8時半に宿を出て、京阪電鉄と近鉄京都線を乗り継いで、9時半に奈良大学のある高の原駅に着いた。
 駅前ロータリーには大学構内に直行する臨時バスが待機していた。

DSCN7040
木津川市あたりの車窓風景
京都府内ではあるが、「奈良に来た~」という気分になった

DSCN7008
高の原駅
京都と奈良の境にある

DSCN7046
駅前は開発が進み、大型ショッピングモールもある

DSCN7044
奈良大学正門

 入学して早3ヶ月、はじめての登校である。
 バスから降り、スクーリング仲間の波に乗って迷路のような校内を進むと、キャンパスの全景が目の前に開けた。
 広々して、明るく、気持ちいい。
 すでに春休みに入っているためか、通学の若い学生らは見かけなかった。
 期待と緊張を胸に、指定された教室に入る。
 受講生は30名くらいだった。

DSCN7010


DSCN7042


DSCN7013
江戸時代の墓石であろうか
キャンパスの先住者?

 3日間のスクーリングの内容は次の通り。
  • 1日目 講義
    美術史における3つの方法論・・・様式論、図像学、図像解釈学
    卒業論文の形式および準備方法
    図書館見学
    自己紹介と各自の関心ある研究テーマ発表
  • 2日目 学外授業
    薬師寺見学
    唐招提寺見学
  • 3日目 演習(ポスター作成)
    各自の研究テーマに関するポスターを作成し、一人ずつ発表
 担当教師の関根俊一先生は、奈良国立博物館に勤め正倉院展を担当されるなどしたあと、大学に職を転じた。今は和歌山県立博物館の館長をされている仏教美術の専門家。
 いきおい1日目の講義と2日目の学外授業は、仏像に関する学習が中心を占めた。
 ソルティはちょうどテキストの『日本仏像史』を読み終えたばかり(レポートは未完)だったので、語られる内容がすんなり頭に入り、復習しつつ、大いなる関心を持って授業に臨むことができた。
 配布された資料もレポート作成に役立つ内容で、タイミングの良さに感嘆した。
 やはり仏のお導きだろうか。
 仏像に関する話のほかにも、年々ブルジョア化する博物館の実態やオーバーツーリズムの抱える問題、図書館の活用法、卒論のテーマを選ぶ際のポイントなど、とても充実した内容であった。
 同時期に、8つの科目のスクーリングがそれぞれの教室で開催されており、休憩時間の食堂やトイレは50~70代の中高年であふれた。

DSCN7017
図書館

DSCN7012
充実した蔵書
近ければ通えるのになあ~

DSCN7015
図書館エントランスに置かれた金剛力士像
杉材の一木造で、高さ約3m
平安時代後期の作と伝えられる

DSCN7014
食堂

DSCN7043
書店
歴史、考古学、文化財関係の本や雑誌が充実

 2日目の学外授業こそ、スクーリングの醍醐味である。
 屈指の名刹である薬師寺と唐招提寺を、博物館館長をつとめる仏教美術専門家に案内してもらい、見どころを懇切丁寧にレクチャーしてもらうなんて、そうそうあることではない。
 仏像についてはもちろんのこと、古代史、宗教史、寺史、民俗、建築、アジア史、文化財の保存方法、考古学など、分野を横断する幅広い知識と長年の研究から生まれた含蓄あるレクチャーは、一言も聞き漏らすまいと思わせる濃度であった。
 大学も今やサービス業とは言え、将来ある若者相手ではなく、先の見えている(苦笑)中高年相手に、ここまで熱心に丁寧に教えてくれるのかと感激した。

 薬師寺で驚かされたのは、我が奈良大学の起源は、1925年(大正14年)に薮内敬治郎が薬師寺境内に設立した南都正強中学であるという事実。
 なんとビックリ!
 先生が指し示す方向を見やると、今にも崩れそうな古風な白漆喰の木造建築があり、今にもずり落ちそうな瓦屋根の破風のてっぺんの鬼瓦に「學」という文字が刻んであった。
 100年前の校舎が今もある!
 100周年記念の年に入学したとはなんと目出度い。
 こんな由緒ある大学とは知らなんだ。

奈良大学昔の校舎
南都正強中学校舎
つっかい棒かい!

奈良大学旧校舎破風「學」

 薬師寺では、通常は見学できない僧房に入れていただき、平成21年からの大修理で役目を果たし終えた1300年前の東塔の水煙を、間近に見ることができた。
 水煙を含む全長10m、重さ10トンの銅製の相輪を、高さ約34mの東塔のてっぺんに上げて組み立てた古代の人々の建築技術、鋳造技術の高さには、まったく恐れ入る。

DSCN7024
薬師寺
約40年ぶりに訪れた

DSCN7025
金堂

DSCN7021
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲
(佐々木信綱)

DSCN7026
東塔(三重塔)
創建当時から唯一残る建物
天辺の相輪のみ平成の大修理で造り替えられた

DSCN7022
西塔
享禄元年(1528)に焼失、昭和56年(1984)に再建
創建当時の東塔もこんな風な色彩だったのだろう

DSCN7028
創建時の東塔の水煙
もとは金メッキされていた
“凍れる音楽”に乗って舞う天女が造形されている

 薬師寺と言えば、名物和尚の高田好胤師(こういん、1924ー1998)を思い出す。
 ソルティも中学校の修学旅行の際に話を聴き、噂通りの「面白いお坊さん」と思った。
 その伝統を受け継いでいるのか、境内のまほろば会館での昼食休憩時に話をしてくれたお坊さま(大谷徹奘氏)も面白かった。
 この方は、東日本大震災の際に現地を歩き、被災者の心のケアに取り組んだ人である。
「国難がある時、金堂の薬師如来さまは汗をかかれる」という。

 その薬師如来坐像およびは両脇の日光・月光菩薩立像であるが、仏像史ではいまだに解決していない問題を提起している。
 像のつくられた時代が、藤原京に都のあった飛鳥時代なのか、平城京に遷都したあとの奈良時代(天平期)なのかという問題である。
 薬師寺も遷都に合わせて藤原京から平城京(現在地)に移設したので、そのときに本尊である薬師三尊像も移したと考えるのが自然なのであるが、この像の洗練された写実性や鋳造技術の高さが飛鳥様式より天平様式に近いと思われているためだ。
 あたかも九州説v.s.畿内説の邪馬台国論争のように、飛鳥v.s.天平論争が続いている。
 なるほど、おへそを丸出しに腰をひねった日光・月光菩薩像など、サリーをまとったインドの女神像のような、あるいはボリウッド映画で歌い踊る主演女優のような、はたまた『どうにもとまらない』の頃の山本リンダのような、エロティックな雰囲気があり、飛鳥時代の仏像の清新な端正さと一線を画しているように思われる。

chikankari-2650276_1280
Renu DadlaniによるPixabayからの画像

 唐招提寺は鑑真和上の創建した寺として知られる。
 鑑真は754年に来日し、東大寺に戒壇を設けた。当時日本には正式な授戒の制度がなく、勝手に出家する私度僧が増え、社会の混乱を招いていたのである。
 鑑真は日本の造像技法にも大きな影響を与えた。
 これまで中心だった銅造や塑造(粘土)や乾漆造(麻+漆)に代わって、唐で流行っていた木造をもたらし、平安時代以降の木彫仏の全盛を導いたのである。
 その際、インドや唐では白檀が用いられたが、日本ではカヤやヒノキが代用された。
 この寺の金堂におられる仏像たち――廬舎那仏坐像(塑像)からの薬師如来立像と千手観音立像(木心乾漆像)からの梵天・帝釈天立像と四天王立像(木造)――は、まさに日本の木彫仏誕生の流れを表わしているのである。

DSCN7031
唐招提寺金堂

DSCN7035
講堂と礼堂

DSCN7173
鑑真和上像

DSCN7033
鑑真和上御廟

 この日は、気温ヒトケタで、広い境内を冷たい風が吹き抜け、時折雪が舞う、学外授業にはしんどい日であった。
 なににも増して役立ったのが、このスクーリングのため新たにWORKMANで購入した遠赤外線超厚手スパッツ。
 本当に素晴らしい機能で、丸一日、下半身の冷えを防いで、尿意の頻繁を抑えてくれた。
 通信教育のスクーリングは、大学が休みに入る冬場(2~3月)と夏場(8~9月)に行われる。
 さすがに、夏場の奈良盆地の学外授業は「灼熱地獄」と思うので、少なくとも学外授業のあるスクーリングは、しっかり防寒対策して冬場を選ぶのが、個人的には正解と思う。

DSCN7020
帰る途上の駅の構内で、かき揚げうどんを食べて温まった

 3日目は教室でポスター作成と発表。
 一人一枚ずつ模造紙が配布され、午前中は各自の関心ある研究テーマを自由に紙にまとめ、午後はそれぞれが発表した。
 一日目の自己紹介で、関東からの参加者の多さを知ったが、中には北海道や長野や山口など遠くからの人もいた。
 奈良好きが高じて、奈良にアパートを借りてしまったという人もいた。
 研究テーマが実にバラエティに富んでいることに、また、それぞれがポスター作成のためにしっかりと資料を用意していることに感心した。このあたりは社会人だなあ~(もっとも事前に通知されてはいたが)。
 胎内仏、日本庭園、英語辞書、仏像の台座、仏像に踏まれている邪鬼、根来焼、和太鼓、地域の遺跡、寺の建築様式、中山道の宿場、大和絵巻、世界の神話、飛鳥・奈良時代のガラス製品、秩父巡礼、漆文化、富士山の祭神、尺八の歴史、祟り、算額、玉川上水・・・・等々。
 同じ文化財学専攻でも、これだけ題材の幅が広く、各自の興味あるテーマが異なる。
 自分が知らない事物のこと、自分もまた以前から興味を持っていること、着眼点に感心したものなど、他の人の発表を聴くのは刺激的で、面白かった。

 順調にいけば、来年度は卒論を書かなければならない年(4年生)である。
 今年の10月までにはテーマを決めて計画書を提出しなければならないのだが、ソルティはまだ何をするか考えていない。
 昨年10月に入学したばかりで、まだ1単位もとれていないので、卒論どころではない気分。
 再来年度になるかなあ~。

 ほかの参加者と休憩中に話したのであるが、非常に中身の濃い、おトク感のあるスクーリングで、これなら年間約20万円の学費も惜しくはないと、意見の一致を見た。
 次回が楽しみだ。

DSCN7048
最終日に大和西大寺駅に寄った

DSCN7052
令和4年7月8日、安倍晋三元総理が射殺された駅前ロータリー

DSCN7050
花壇ができていた
いまなお、歴史は奈良で作られる?



 

● 邪馬台国が南海上にあった理由 本:『魏志倭人伝の謎を解く』(渡邉義浩著)

2012年中公新書

IMG_20250218_172505

 これはたいへん面白く、画期的な本。
 刊行当時、邪馬台国研究者&マニア業界で話題になったのかどうか知らないが、かなり物議をかもしたのではなかろうか?
 結論から先に言うと、著者は邪馬台国畿内説をとっているのだが、ソルティは本書を読んで、九州説支持派から畿内説支持派に鞍替えしてしまった!
 そのくらい、著者の論証に説得力を感じた。
 なによりユニークなのは、著者が邪馬台国の謎を考えるために採用した手段が、副題「三国志から見る邪馬台国」にある通り、『三国志』という書物を解析し、その特徴をもとに論を立てている点である。
 渡邉義浩は1962年東京生まれの中国古代史の研究者。とくに『三国志』を専門としている。

 邪馬台国のことは「魏志倭人伝」に載っている、と多くの人は思っている。
 が、実は「魏志倭人伝」という書物はない。
 65巻ある『三国志』の中の、「魏書(魏の歴史)」について書かれた巻1~30のうちの、巻30「烏垣・鮮卑・東夷伝」の倭(日本)について書かれた部分を指して、「魏志倭人伝」と呼んでいるのである。
 
三国志は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180頃-280頃)の約100年に亘る興亡史であり、蜀・魏・呉の三国が争覇した三国時代の歴史を述べた歴史書でもある。著者は蜀の元役人で、西晋の陳寿(233-297)。
(ウィキペディア『三国志』より抜粋)

 『日本書記』を例に出すまでもなく、官によって作られた歴史書は、その時の為政者の正統性をアピールするためにある。
 陳寿は三国時代を蜀の役人として生きのびた後、司馬炎によって統一された西晋に仕えた官僚であった。司馬炎は魏の皇帝曹奐から禅定を受けて晋を建てたので、西晋の正統性を語るとは魏の正統性を語ることにほかならない。
 つまり、『三国志』において陳寿は、かつての母国・蜀の敵国であった魏の正統性を語らざるを得なかったのである。(役人はつらいよ)
 魏の正統性をアピールする書――これが『三国志』を読み解く際の重要なポイントなのである。

 独立性の高い魏書・蜀書・呉書から成る『三国志』であるが、それでも皇帝が世界を支配するという価値観を表現するための夷狄(野蛮な異民族)の列伝は、魏書のみに附された。儒教において、中華の天子の徳は、それを慕って朝貢する夷狄の存在によって証明されるためである。朝貢とは、夷狄の君主が、中華の文徳に教化されて臣下となり、貢ぎ物を捧げ世界の支配者である中華の皇帝のもと、地域を支配する国王として封建されるために使者を派遣することである。曹魏を正統とする『三国志』は、曹魏と国際関係を結んだ異民族を、正統性を示す夷狄として優先的に記述する。

 曹魏の中華としての正統性を示すために設けられた夷狄の列伝、それが『三国志』唯一の夷狄伝、巻三十、烏垣・鮮卑・東夷伝である。したがって、曹魏に朝貢した倭人の記録は、反抗的な民族も多かった東夷伝のなかで、曹魏の正統性ならびにそれを継承する西普の正統性を表現するため、政治的意図を含んだ記述となるのである。

 倭人伝は、『三国志』という史書の持つ傾向が、明確に現れている部分であり、以前から邪馬台国論争への提言を試みたいと考えていた。倭人伝には、使者の報告などに基づく部分と、史家の持つ世界観や置かれた政治状況により著された観念的叙述の部分とがあるため、両者を分けなければならない、という提言である。

 すなわち、「魏志倭人伝」には、事実に基づいた部分と、観念的叙述すなわち創作による部分とがあり、全編をそのまま事実と考えるのは適切ではない、ということである。
 考えてみればあたりまえの話だ。
 ほとんどの日本人は『日本書記』の記述を100%信じていないのに、なぜ、それよりはるか古い時代に作られた異国の書である『三国志』を100%信じる必要があるのか?
 神武天皇の実在を否定する一方で、なぜ、「倭人の寿命は100年」とか、倭族の中には「小人の国」や「裸の国」や「黒歯の国」があるなんてガリバー旅行記さながらのトンデモ記述を信じ込んでしまうのか?
 ナンセンスである。
 要は、「著者を疑え」ということで、その意味で本書は言わば、“アクロイド殺し”的魏志倭人伝解読である。
 まさに目からウロコの思いで、スリリングかつ興味深く読んだ。
 一方、なぜ今まで誰も、こうした視点から魏志倭人伝を読まなかったのか、邪馬台国問題をとらえなかったのか、非常に不思議な気がした。
 中国古代史や中華思想に詳しい人間がいなかったのだろうか?

卑弥呼

 要は、実際に3世紀に海を渡って倭(日本)にやって来て、邪馬台国を訪ね卑弥呼に会った使者たちによる事実に基づいた叙述部分と、魏や晋の正統性や偉大さを誇示するために、あるいは儒教にもとづく中華思想を展開するために、宮仕えの陳寿によって創作された部分とを、弁別することである。
 渡邉は、論拠をひとつひとつ示しながら、見事な論理展開によってそれを成し遂げている。
 文献解読かくあるべし、の見本のような切れ味。 
 説得力があり、これまで長いこと議論の焦点となってきた邪馬台国をめぐる様々な謎が、一挙に解けるような爽快感があった。
 たとえば、
  • 帯方郡(朝鮮半島の中西部)から邪馬台国に至る方角の記述の謎(東と南の取り違え?)
  • 奴国(いまの博多近辺)から邪馬台国に至る距離の記述の謎(水行十日、陸行一日)
  • 邪馬台国に見る南方風俗の謎(顔と体に入れ墨、冬でも温暖でみな裸足)
  • 倭国の人口が約16万戸(約80万人)とされた理由(当時の大月氏国=インドより多い)
  • 女性の人口が多い理由
  • 「小人国」、「黒歯国」、「裸国」の謎
  • 全般に倭人について好意的に書かれている理由
 これで邪馬台国論争に決着がつくわけにはいかないだろうが、渡邉が新たな論点を投げかけたのは確かである。
 この書を読まずして、邪馬台国論争に参戦するなかれ。
 巻末に魏志倭人伝の全文と詳細な訳注が収録されているのもうれしい。

 ソルティは3世紀に書かれた陳寿の『三国志』も、明代になって成立した三国時代を舞台とする娯楽歴史小説である『三国志演義』も――日本では一般にこちらが『三国志』と了解されている――読んだことがない。
 そのあたりの知識があれば、本書をよりよく理解できるだろう。
 そろそろ、吉川英治の『三国志』にとりかかりたいと思う。
 こうやって歴史オタクになっていく。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 花粉症三銃士

 2月6日、関東地方に吹き荒れた強風が、今年の花粉症の引き金となった。
 昨年はこの時期のスギ攻撃はなんなくやり過ごして、4月中頃からのヒノキ攻撃がひどかった。
 ゴールデンウイークが明けるまで、しんどい日が続いた。

 今年も桜の散る頃になったら気をつけようと思っていたら、いち早くスギに反応してしまった。
 のどの痛み、倦怠感、頭がボーっとするから始まって、悪寒、関節のこわばり、鼻の奥のむず痒さを追加し、「あれ?風邪かな?」と思って葛根湯を呑んだが改善する気配もなく、のど枯れ、くしゃみ、目がしょぼしょぼする、鼻水と続いて、「ああ、花粉症だ」と気づいた。熱はない。
 これから3ヶ月続く地獄のシーズンの幕開けは、まるで末法の世の到来のごとし。

 風の吹く天気のよい日は、不要不急の外出を控える。
 外出時はマスク着用。
 部屋に花粉を運び込まないよう、玄関先で衣服をはたく。
 コロナ禍の延長みたいな日々が続いている。
 なにより残念なのは、コロナ禍の時でさえ実行できた里山歩きができなくなったこと。
 日本の山は約半分が人工林で、人工林の7割はスギとヒノキ。
 ハイキングできるように整備された山は、ほとんど花粉症の爆心地である。
 そんなところに飛び込んでいったら、方向感覚を喪失して道迷いしかねない。
 馬の背をぼーっと歩いて落馬(転落)する危険もある。
 だいたいが、楽しくはない。

cedar-trees-8566828_1280
KanenoriによるPixabayからの画像 

 アウトドアが駄目なら、せめてインドアで体を動かして、体力維持とストレス発散をはかろう。
 ジムに行ってプールで泳ごう! ついでに痩せよう!
 ――と気持ちを切り換えた。
 ところが、先日、何気なくスマホで花粉症を調べていたら、とんでもない記事を発見してしまった。

 ドイツの国立環境健康研究センターのKohlhammer氏らが、35歳から74歳の2606名の成人を対象に塩素プールの使用と花粉症発症の関連について調べた研究によると、学童期に水泳プールを毎年3~11回使用していた人は、使用していなかった人に比べて花粉症を発症する可能性が74%高かったといいます。また、過去12カ月間に水泳プールを毎週1回以上使用していた人は使用していない人に比べて花粉症を発症する可能性が32%高く、さらに生涯において水泳プールを使用した経験がある人は使用経験がない人に比べて花粉症を発症する可能性が65%高いこともわかりました。泳ぐ人の尿や汗、その他の有機物質が塩素処理された水と反応して放出される三塩化窒素が影響していると筆者らは考えています。(『医療ガバナンス学会ホームページvol.089 』2019年5月17日の記事より抜粋)

 ドイツの「国立環境研究センター」ってのがどんだけ権威ある研究施設なのか、その記事を紹介した日本の「医療ガバナンス学会」がどういう組織なのか、そもそもこの説を発表したKohlhammer氏がどんだけの研究者なのか、まったく分からないので、これをそのまま鵜呑みにするのもどうかとは思うが、医療ガバナンス学会の理事たちはちゃんとした資格を持った医師らしいので、記事掲載の影響は少なくないと思われる。
 この記事を世の人々が真に受けたら、ジムのプールに閑古鳥が鳴いてしまう、スイミングスクールがつぶれてしまう、学校の体育の授業から水泳が消えてしまう、人はみな金づちになってしまう・・・・なんてことが起こりかねない。オリンピックから水泳競技がなくなってしまうかもしれない。(最近、理由は違うがプールの授業を廃止する自治体が現れている)

 ソルティは、社会人になってからというもの、数ヶ月から数年のブランクは時折あるものの、だいたい週2回以上はプールに通ってきた。
 呼吸器官や肺を鍛え、気道の中を洗い流し、体の血行を良くする水泳は、花粉症に良いものと考えていた。
 それが逆効果だったのか!?
 今さらプールで泳ぐのを止めたところで花粉症予防にはもう遅いけれど、今後悪化させないために、プールはご法度にすべきなのだろうか?
 ちょっと考え込んでしまった。
 
 Kohlhammer氏の報告は2006年のもので、その後、それを否定する記事も肯定する記事も見つからなかった。
 日本の研究者で調べている人はいないのだろうか?
 だいたい、上記のドイツの研究は内容がアバウト過ぎて、いまひとつ信憑性に欠ける。
 ドイツのプールの消毒方法(たとえば塩素の濃度)が不明だし、「学童期に水泳プールを使用しなかった人」、「生涯において水泳プールを一度も使用したことがない人」ってのが、ちょっと想像つかない。(ドイツでも水泳の授業はある)
 「体育の授業はいつも見学でした」という体の弱い人なのか、それともプールの授業というものがなかった時代の生徒、つまり高齢者なのか。いずれにせよ、「プールで泳いだことがない人」の人数は2606名の内、ほんの一握りだろう。統計的に当てにならない母数なのではあるまいか?
 さらには、過去一年「プールで泳いだことがある人」は運動好きでアウトドア派、「泳いだことがない人」は運動嫌いでインドア派であることが想像される。花粉症の発症率との関係は、単に「よく外出するかしないか」の差ということも考えられるのでは?
 あるいは、「水着を着たことがあるかないか」の差かもしれない。

man-1869744_1280
PexelsによるPixabayからの画像

 そんなわけで、背景の不確かな研究結果を鵜呑みにするのは止めて、プールは続けることにした。
 なんたって、最高のストレス解消&安眠効果があるのだから。
 また、体質改善を目して、しばらく前からコーヒーやアルコールを控え、甜茶とドクダミ茶をブレンドしたものを500㏄ポットに入れて持ち歩いている。(甜茶だけだと甘すぎて飽きが来る)
 葛根湯は効かなかったが、小青竜湯を試したところ、ずいぶん楽になることに気づいた。抗ヒスタミン薬の含まれている市販の花粉症の薬とは違って、眠くなる成分が入っていないし、中国三千年の歴史が安全を証明している生薬のほうが、安心感がある。

 甜茶とドクダミ茶と小青竜湯。
 この三銃士で今年の花粉症シーズンを乗り切るダルタニヤン。

甜茶


ドクダミ茶


小青竜湯





 
 

● 本:『世界短編傑作集 51番目の密室』(早川書房編集部・編)

2010年ハヤカワ・ポケットミステリーブック

IMG_20250218_081031~2

 早川書房が1972年から1973年にかけて刊行した『世界ミステリー全集』の第18巻「37の短編」の中から、以下の12編を選んだアンソロジー。
  1. クレイグ・ライス 『うぶな心が張り裂ける』(小笠原豊樹訳)
  2. ヘレン・マクロイ 『燕京綺譚』(田中西二郎訳)
  3. カータ・ディクスン 『魔の森の家』(江戸川乱歩訳)
  4. ロイ・ヴィカーズ 『百万に一つの偶然』(宇野利泰訳)
  5. Q・パトリック 『少年の意志』(北村太郎訳)
  6. ロバート・アーサー 『51番目の密室』(宇野利泰訳)
  7. E・A・ポー&R・ブロック 『燈台』(吉田誠一訳)
  8. コーネル・ウールリッチ 『一滴の血』(稲葉明雄訳)
  9. ロバート・L・フィッシュ 『アスコット・タイ事件』(吉田誠一訳)
  10. リース・デイヴィス 『選ばれた者』(工藤政司訳)
  11. エドワード・D・ホック 『長方形の部屋』(山本俊子訳)
  12. クリスチアナ・ブランド 『ジェミニイ・クリケット事件』(深町真理子訳)
 編集方針からおおむね1950年以降の作品に限られているので、ポーやドイル、チェスタトンやクリスティやクイーンなどミステリー黄金時代以前の作品は含まれていない。
 そんななかで、ディクスン・カーの『魔の森の家』(1947)、クリスチアナ・ブランドの『ジェミニイ・クリケット事件』(1968)の2編が、黄金期ミステリーの香気を伝える傑作短編として、他の10編を数馬身ひきはなす独走状態にある。
 『燈台』は、エドガー・アラン・ポーの未完作品(1849年執筆と推定)をブロックが補完したものというので期待して読んだが、内容にも文章にも“ポーらしさ”を感じとることができず、がっかりであった。
 ホームズ物のパスティーシュである『アスコット・タイ事件』も凡作で、これならジューン・トムスンのいくつかの短編のほうがずっと面白い。

 選者の石川喬司がどういったスタンスで選んだかが、巻末収録の稲葉明雄、小鷹信光との座談会で明らかにされているが、ソルティはこの選には疑問を覚えざるをえなかった。
 いくら黄金期を過ぎたからと言って、もっとほかに面白い短編があるだろうに。
 この12編によって、これまでミステリーを読んだことがない人にミステリーの面白さを知ってもらい、ミステリーの虜にさせるのは甚だ難しいと思う。
 あるいは、このアンソロジーが組まれたのは1973年。50~60年代はミステリー不毛の時代だったのか?

african-boerboel-2138273_1280
Reinout DujardinによるPixabayからの画像

 カーとブランドの2トップを除いて、もっとも面白かったのは、『百万に一つの偶然』。
 これは犯人を突き止める“手がかり”が秀逸で、これだけユニークなものはちょっと聞いたことがない。
 タイトルがいま一つ。
 ずばり、『マスチフ犬の思考形式』で良かったのでは?
 ――と思ったが、それを本の表題にしたら、犬の飼育マニュアルと間違って購入する客が続出したかもしれない。

 次に面白かったのは、『長方形の箱』。
 これは殺人の動機が変わっている。
 一見あり得なさそうで、「事実は小説より奇なり」の世の中では現実にあってもおかしくはない話。
 その虚構の絶妙なさじ加減、驚きとブラックジョークのバランス加減が上手い。

 巻末の座談会を読んで思ったのは、ミステリーの評価や好みは人によって実に多様であるということ。
 本格ミステリーが好きな人、スパイ物を好む人、ハードボイルドを愛する人、サスペンスやアクションが無くてはつまらないという人、猟奇的な描写に痺れる人、社会派のリアリティを評価する人、歴史物が苦手な人・・・・いろいろだ。
 だから、一人の選者によるアンソロジーは当然、嗜好が片寄りがちになる。
 ソルティが選んだら、たぶん、本格ミステリーばかりになってしまうだろう。
 読者投票によるランク付けで掲載作品を選ぶという趣旨でない限り、読者個々が不満を感じてしまうのは致し方ないことなのかもしれない。
 やはり、選者の労をねぎらうべきである。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 宇多天皇の憂鬱 本:『平安時代の男の日記』(倉本一宏著)

2024年角川選書

IMG_20250216_163827

 倉本一宏は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の「時代考証」としてクレジットされていた。
 平安時代の研究者として第一線にいるのだろう。 
 藤原道長『御堂関白記』、藤原実資『小右記』、藤原行成『権紀』の現代語訳を行っているほか、『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)、『敗者たちの平安王朝』(角川ソフィア文庫)など一般向けの著書も多い。
 これから、ちょこちょこ読んでいきたい。

 本書は、平安時代の天皇や上級貴族ら都合11人の日記を抜粋で紹介したもの。
 これまでになかったアプローチ――少なくともソルティは類書を知らない――なので、興味深く読んだ。
 取り上げられているのは以下の11人とその日記。
  宇多天皇『宇多天皇御記』
  醍醐天皇『醍醐天皇御記』
  村上天皇『村上天皇御記』
  藤原忠平『貞信公記』
  藤原実頼『清慎公記』
  藤原師輔『九暦』
  藤原行成『権記』
  藤原道長『御堂関白記』
  藤原実資『小右記』
  源経頼『左経記』
  藤原実資『春記』

 ジェンダーバランスを考えてか、あるいは読み物としての取っ付きやすさを配慮してか、前半には有名女性陣の日記も取り上げられている。
 すなわち、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『枕草子』、『紫式部日記』、『更級日記』。
 これらは、正確な意味では日記ではない。
 つまり、「〇月〇日 かくかくしかじかのことがあった・・・」という形式をとっていない。 
 現代マスコミ風に言うならば、『蜻蛉日記』は大物政治家の愛人による暴露本、『和泉式部日記』は王子様との身分違いの恋物語、『枕草子』は「女房は見た!これが後宮生活の実態」、『紫式部日記』は気苦労多し宮仕え身辺雑記、『更級日記』は元夢見る乙女の回想録、といった感じ。
 これらの“日記”は、無味乾燥になりがちな通常の日記形式でないからこそ、面白いのである。

 女房によって仮名で記された「日記文学」に対し、男性貴族(皇族含む)によって和風の漢文(変体漢文という)で記録された日記を「古記録」というそうだ。
 古記録は、〇年〇月〇日の体裁をとっている日記らしい日記である。
 女たちの「日記」が表現することの喜びに満ち、率直で豊かな感情にあふれているのにくらべると、男性貴族たちの「古記録」は全般、不自由で堅苦しく感情が抑えられている。まさに無味乾燥。
 それは、仮名文字と漢文の違いという以上に、政治の中枢にいて出世競争しながら家を守らなければならない男たちと、そこから疎外された女たちの立場の違いによるものだろう。
 男性貴族が日記を書いた一番の理由は、子孫たちのために実務上の記録を残し、いわゆる有職故実を伝えるところにあったのである。
 この時代、何をやるにしても前例を調べ、それを踏襲することが重視された。
 完全なる官僚主義のありさまは、崩壊直前の貴族政権のマンネリズムをみる思いがする。

 そんな中で意外や意外、天皇たちの日記が面白かった。
 たとえば、時の関白藤原基経から、「代々の天皇は相撲を楽しむのに、聖主(宇多天皇)はなぜ相撲の会を開催しないのか?」と問われた宇多天皇による、寛平元年(889)8月10日の記述。

朕(宇多天皇)は、もとより筋力が微弱であって、相手をする者はいない。今、乱国の主として、毎日、愚慮を致さないことはない。万機を思う度に、寝膳が安らかではない。あれ以来、玉茎は発(おこ)らず、ただ老人のようである。精神の疲極によって、この事にあたらなければならないのである。

 「あれ以来」とは基経が宇多天皇を屈服させた「阿衡の紛議」以来という意味であろうと、倉本は推測している。

阿衡の紛議(あこうのふんぎ)
 平安前期におきた天皇と藤原氏の政治的抗争。887年(仁和3)11月に即位した宇多天皇は、太政大臣藤原基経(もとつね)を関白として先代の光孝天皇と同様に政務を一任しようとした。基経は当時の慣例に従い辞退したが、それに対して橘広相(ひろみ)が起草した勅書に「よろしく阿衡の任をもって卿(けい)の任となすべし」とあった。
 「阿衡」とは位のみで職掌がないとする藤原佐世(すけよ)の言に従い、基経は以後出仕するのをやめた。事件は政争となり、翌年6月、宇多天皇は左大臣源融(とおる)の助言で勅書を改訂して収拾しようとしたが、基経は天皇の信任の厚かった広相の断罪を図った。
 基経には関白としての政治的立場を確認するねらいがあったと推定され、10月、女の藤原温子(おんし)の入内により事件は落着した。
(出典/山川出版社『日本史小辞典 改訂新版』)

 基経のイチャモンに振り回される宇多天皇が憐れであるが、「玉茎が発(おこ)らない」という表現がなんとも面白い。
 天皇の「それ」だから、まさに「玉」茎である。
 宇多天皇がいかにストレスフルな日々を送っていたかが推察される。
 一方、ひょっとするとこれは、関白基経の娘・温子を妃に娶らざるを得なかった宇多天皇の精一杯の抵抗だったのかもしれない。
 つまり、「玉茎が起こらない」ゆえに、お前の娘は抱けない。ゆえに、お前に孫をつくってやることができない。ゆえに、お前は未来の天皇の外戚になることができない。(してやるものか!)

 左大臣源融(みなもとのとおる)の勧めた露蜂(ろほう)を服用することで、宇多天皇の玉茎は蘇ったらしいが、結局、宇多天皇と温子の間に皇子はできなかった。
 露蜂とは漢方で蜂の巣のこと。当今のプロポリスのことではなかろうか?

bees-352206_1280
PollyDotによるPixabayからの画像
 
 平安時代の男性貴族の日記と言えば、ソルティが一番読みたいのは、藤原頼長(1120ー1156)の『台記』である。
 苛烈で他人に厳しい性格ゆえ「悪左府」の異名をとった頼長が、稚児や舞人や家臣、武士や青年貴族たちとおこなった男色遊戯が赤裸々に書かれているという。
 本書に上げられている古記録とはずいぶん事情が異なる。
 王朝時代にあって、すごい変わった男だと思う。
 どなたか現代語訳してくれないものか。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● ガラパゴス村 映画:『スキャンダル』(ジェイ・ローチ監督)

2020年アメリカ、カナダ
108分

 アメリカのニュース専門放送局FOXニュースの創立者にして元CEOのロジャー・エイルズは、長年にわたり、女性職員に対しセクシャル・ハラスメントをおこなっていた。
 2016年7月、解雇されたグレッチェル・カーソンが、エイルズを相手にセクハラ訴訟を起こした。
 それを発端に、FOXの花形司会者であるメーガン・ケリーを含む何十人もの女性がエイルズによるハラスメントを次々と告発し、SNSと全米を揺るがすスキャンダルとなった。
 エイルズは辞任し、FOX社は被害女性らに多額の賠償金を支払った。

 本作は、この事件の顛末を描いたドキュメンタリー風再現映画。
 シャーリーズ・セロンがメーガン・ケリーに、ニコール・キッドマンがグレッチェル・カーソンに、マーゴット・ロビーがメインキャスターの座を狙う貪欲な若手職員ケイラ・ホスピシルにそれぞれ扮している。
 3人とも見事な演技で、美しい。(女性の外見を「美しい」というのもそのうちセクハラになりそうだ)

 どうしたって、フジテレビと中居正広をめぐるスキャンダルに重ね合わさずにはいられない。
 アメリカで起きたことは数年のちに日本でも起こる、という習わしどおり。
 時差は約8年。
 日本の場合、発端をつくった被害女性が顔も名前も出していないし、裁判にも刑事事件にもなっていないので、かえって決着のつけ方が難しい。
 世間の関心、とりわけSNSの反応は熱しやすく冷めやすい、長続きしないのが常なので、これといったケジメのつかないうちにフジテレビのスポンサーCMは復帰し、世の関心は別の新たなスキャンダルに移っているのではないかと予測される。

 それにしても、80~90年代には間違いなく時代の先端を走って流行を作り出していたフジテレビが、令和の現在は、日本でもっとも意識改革の遅れた時代錯誤の住人の集まりになっていたという事実。
 お台場とはガラパゴス諸島だったのか。

お台場

 監督のジョン・ローチは、『オースティン・パワーズ』(1997)、『銀河ヒッチハイクガイド』(2005)、『奇人たちの晩餐会USA』(2010)などコメディ映画を得意とする。
 色彩センスに優れた映像は、本作でも存分に発揮されている。

P.S. ロジャー・エイルズは辞任の翌年に77歳で亡くなった。
 


おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 世界初演「ミ・ファ・ミ・ラ・レ♪」 ザッツ管弦楽団 第22回定期演奏会

satzorc22 (1)

日時: 2025年2月11日(火)13:30~
会場: すみだトリフォニーホール
曲目:
  • ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第3番  
     ピアノ: 槙 和馬
  • (アンコール)即興演奏:「ミ・ファ・ミ・ラ・レ」
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番「革命」
  • (アンコール)ショスタコーヴィチ: 組曲『モスクワ・チェリュームシキ』より第1曲「モスクワ疾走」
指揮: 田部井 剛

 若目の大所帯ならではの迫力ある演奏と、観客を楽しませる心意気、それがザッツ管弦楽団の持ち味である。
 今回も、パワフルかつアメイジングなコンサートで、満腹になった。
 約1800席のすみだトリフォニーをほぼ満席にできる集客力は、アマオケ随一かもしれない。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲なら、やはり浅田真央が日本中を感動の渦に巻き込んだ、2014年ソチオリンピックのフリープログラムに使用された第2番に尽きる。
 今でも、鮮やかなブルーの衣装をまとった真央ちゃんが、トリプルアクセルを含むすべてのジャンプを成功させ、全身全霊のステップから流れるような軌道を描いて圧巻のフィニッシュ!の映像を想起することなしに、第2番第1楽章を聴くことは困難である。
 ショートプログラムでの致命的失敗でメダルを逃したことがもはや決定的となった絶望のどん底から、不死鳥のごとく蘇り、あの完璧な演技が生み出されたとき、その悲哀と不屈の精神と自己超越の三重唱は、まさにラフマニノフの音楽をあますところなく表現していた。
 浅田真央は、演技でラフマニノフを表現したのでなく、生き方で表現したのだ。
 こんな芸当ができるスケーターは、なかなかいない。
 ピアノ協奏曲第2番第1楽章は、日本のフィギアスケート界における永久欠番といったところだろう。

 ピアノ協奏曲第3番は、2番にくらべるとつまらない。
 ソルティがあまり聴き込んでいないというだけで、クラシック通はむしろ3番を好むのかもしれない。
 ピアニストにとってたいへんな難曲であろうことは、3階席から槙和馬の手元をオペラグラスで観ていて、ありありと知られた。
 実に高度な技術と並々ならぬ集中力と甚大なパワーが要求される曲である。
 童顔でソフトな雰囲気の槙のどこにこんな馬力があるのか。
 天賦の才ってのはあるなあ、と思った。
 とくにアンコールでは、客席2人、オケメンバー2人、そして指揮の田部井の5人から、5つの音をアトランダムに選んでもらって、選ばれた「ミ・ファ・ミ・ラ・レ」を使って即興曲をつくった。魔術師のようなその才には舌を巻いた。
 リアルタイムで槙の手から生み出されホールに放たれていく曲は、そのままテレビドラマ『家族のメモワール(仮題)』のBGMとして使用しても、まったく遜色ない完成度であった。
 御年27歳。
 この人は、いつの日かNHK大河ドラマのテーマ曲を書くのでは?

IMG_20250211_154318
 
 ショスタコの5番を生で聴くのは3回目。
 聴けば聴くほど、この曲のテーマは、『プロレタリア革命の成功』でもなく、『苦難のち勝利』でもなく、ましてや『共産主義の栄光』でもなく、『独裁者の横暴と虐げられる庶民の悲劇』としか聴こえない。
 全曲通して安らげる瞬間は第3楽章の一部のみであるが、そこはおそらく、独裁者の暴虐の犠牲となった人々への鎮魂がうたわれている部分なので、結局、死者だけが安らぎを知ることができる。 
 残りのすべての部分は強い不安と緊張が持続している。
 それこそは独裁政権下の社会の空気そのものであろう。
 いまのロシアや北朝鮮や中国に嗅げるような。

 とりわけ、最終楽章で冒頭から最後まで鳴り続けるトロンボーンとトランペットの耳を聾するばかりの絶叫は、緊急避難警報としか聞こえない。
 この楽章のどこに「心からの歓喜」が見いだされよう?
 ソルティは、しかし、心をパニックに陥れるような警告の響きに、髭を生やしたスターリンや禿頭のプーチンやふてぶてしい面差しの習近平を思い起こすことはなかった。
 先ごろ米国第47代大統領に就任したドナルド・トランプの顔ばかりが浮かんだ。

IMG_20250211_130633
JR錦糸町駅北口 


 
   

● 本:『文学者とは何か』(安部公房、三島由紀夫、大江健三郎対談)

2024年中央公論新社
初出
1958.11 『群像』
1964.09 『群像』
1965.07 『世界』
1966.02 『文芸』
1990.12 『朝日新聞』

IMG_20250209_152254

 今年は三島由紀夫生誕100周年(没後55周年)。
 いろいろな関連イベントや出版企画が打たれることだろう。
 本書はその先駆と言っていい。

 昭和を代表する3人の小説家のおこなった5回の対談を収録したものである。
 もっとも、3者揃ったのは最初の1958年『群像』誌上だけで、あとの4回は、三島v.s.大江、安部v.s.大江、三島v.s.安部の組み合わせである。(最後の1990年の対談は当然、安部v.s.大江である)

 ソルティが20代の頃によく読んだのは、まさにこの3人の新潮文庫版だった。
 本書の表紙に3人の名前が並んでいるのを見て、なんだか青春懐古というか、昭和ノスタルジーというか、80年代によく通った池袋TOBUの旭屋書店の店頭にタイムスリップしたような気がした。
 3人の対談を読むのははじめてである。

 まず、3人の共通点として、東大卒であることが上げられる。
 3人とも非常に頭が切れる。回転が速い。
 読書量は言うに及ばず、知識量も記憶力も連想力も理解力も語彙力もすごい。
 『三島由紀夫 vs 東大全共闘50年目の真実』(豊島圭介監督)を観た時にも感じたが、東大生(卒)同士の会話は難しすぎて、ソルティのような凡人にはついていけないと思った。
 とりわけ、最初(1958年)の対談では、まだ東大に在学中で作家デビュー間もない23歳の大江が、一回り年上で時代の寵児となっていた三島と安部に伍して、まずまず対等に喋っているのだから、感心した。 
 まさに天才の出現、だったのだなあ。

 いま一つ共通点を上げると、3人とも国際的評価が非常に高い。
 三島は欧米で、安部はソ連をはじめとする(旧)社会主義国で、生前から評価が高く、よく読まれていた。
 3人ともノーベル文学賞候補に上げられていて、結局、93年の安部の死を待って、翌94年に大江が受賞した。
 90年代に吉本ばななと村上春樹がブレイクするまでは、この3人が海外でもっとも読まれていた日本人作家であった。
 日本人以外にも通じる普遍性があるってことだ。

 一方、小説のスタイルは三者三様。
 安部公房は『壁』、『砂の女』、『箱男』に代表されるように、SFチックで無国籍で寓意的。
 三島由紀夫は『潮騒』、『金閣寺』、『サド侯爵夫人』に見られるように、人工的で虚構性が強く論理的。
 大江健三郎は『飼育』、『万延元年のフットボール』、『洪水はわが魂に及び』にあるように、私的世界の混沌が神話的世界につながるフォークロア風。
 これだけ重なり合うところがないのも面白い。

 政治的立場の違いとなると、さらに画然としている。
 天皇制国粋主義者で自衛隊決起を促した三島と、戦後民主主義の信奉者で護憲論者の大江、そこに元共産党員(1950-1961)だった安部が絡む。
 晩年の三島の政治的な思想や言動を、安部と大江はまったく理解できなかったことであろうが、それでもこうして仲良く文学談義できるところが、不思議と言えば不思議。
 それはもしかしたら、三島亡き後の安部v.s.大江の対談(1990年)にある次のくだりが関係しているのかもしれない。

大江 :この秋にヨーロッパに行きましたが、日本に先だって三島由紀夫ブームでした。三島さんの芝居がやられている。あわせて安部さんの戯曲の話がよく出た。いま思うと、三島さんと安部さんは一番の対立項でしたね。

安部 :確かにそう。でも三島君って、変わり者だった。思想と人格が、完全に分離していた。思想は気に入らなかったけど、人格は好きだったな。

 自決の4年前の1966年の対談では、次のような箇所がある。

三島 :僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向かって無意識に成長する。無意識に、しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかをつかむ。そうして僕は死んじゃう。
・・・・(中略)
それにしても、僕はしかし、自分が非常に自由だという観念は、伝統から得るほかないのだよ。僕がどんなことをやってもだよ。どんなに西洋かぶれをして、どんなに破廉恥な行動をしてもだね、結局、おれが死ぬときはだね、最高理念をね、秘伝をだれかから授かって死ぬだろう。

安部
:きみ、死ぬときに授かるのか。

三島
:そう、死ぬときに授かる。(笑)

 やっぱり、なんだかんだ言って、主役は三島由紀夫になる。

三島由紀夫

 3人揃った最初の対談で、「もはや、戦前にあったような“文壇”は存在しない」という点で、3人は意見の一致を見ている。
 1958年(昭和32)の時点で、純文学作家たちはそういう感慨を持っていたのだ。
 しかるに、現在、本書を読むと、「ここにちゃんと文壇があるじゃないか」と思わざるをえない。
 つまり、自ら文学者を名乗り、小説技法や批評や政治やセックスや世界を語れる作家がいて、かれらの対談が設けられる場があって、それを掲載した『群像』、『世界』、『文芸』といった文学専門誌が町の本屋にならんでいて、毎月の発行を心待ちにしている読者が日本中にいた。
 
 三島由紀夫生誕100周年。
 文学は遠くなりにけり、とつくづく思った。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● マッチョ+1 本:『深夜プラス1』(キャビン・ライアル著)

1965年原著刊行 
1976年早川書房(菊池 光・訳)

IMG_20250208_114927

 『週刊文春』が1985年に実施した東西ミステリーベスト100において、第6位に輝いている本作を、ソルティは読んでいなかった。
 第5位のジャック・ヒギンズ著『鷲は舞い降りた』も読んでいない。
 これではミステリーファンを名乗る資格がない?
 ちなみに、同企画は、日本の推理作家や推理小説の愛好者ら約500名にアンケートを実施し、各回答者にベスト10を選んでもらったものを集計した結果である。
 海外(西洋)ミステリーのベストテンは以下の通りだった。
  1. エラリー・クイーン 『Yの悲劇』
  2. ウィリアム・アイリッシュ 『幻の女』
  3. レイモンド・チャンドラー 『長いお別れ』
  4. アガサ・クリスティ 『そして誰もいなくなった』
  5. ジャック・ヒギンズ 『鷲は舞い降りた』
  6. ギャビン・ライアル 『深夜プラス1』
  7. F・W・クロフツ 『樽』
  8. アガサ・クリスティ 『アクロイド殺し』
  9. S・S・ヴァン=ダイン 『僧正殺人事件』
  10. アーサー・コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの冒険 (短編集)』
 5位と6位以外の作品は10~20代のうちに読んでいる。
 つまり、ソルティはハードボイルド(非情)が苦手だったのである。
 3位のチャンドラー『長いお別れ』もハードボイルドの古典として名高い作品ではあるが、大学でアメリカ文学を専攻していた関係上、さすがに読まないわけにはいかなかった。
 チャンドラーはアメリカ文学史においても重要な作家の一人とみなされているのだ。
 実際に読んでみたら、面白かったし、感動した。
 ハードボイルドには違いないが、感傷的でウェットな風があった。
 ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』、トルーマン・カポーティの『冷血』に近い感じがした。

 なぜソルティがハードボイルドが苦手だったのかと言えば、やっぱりマチョイズム芬々たるからだし、ハードボイルド小説に欠かせない「車、銃、煙草、酒、暴力、ギャンブル、女」にあまり興味が持てなかったからだ。
 興味が持てない一方で、マッチョに(“男”らしく)なれない自分にかつてはコンプレックスを抱いていたので、ハードボイルド小説を読んで卑屈な気持ちにさせられるのが嫌だった。 
 「つまんない、くだらない、バカ男どもの小説」と一刀両断できればよかったのだが。

 ほんとに、今では考えられないくらい、昭和時代はマチョイズムがはびこっていた。
 ドラマもCMも小説も歌謡曲も、あるべき「男」の像をしきりに生産し続けた。

男には自分の世界がある、男はサムライ、男は度胸、男は涙を見せない、男の勲章、男なら一国一城、男の背中、男は40になったら自分の顔に責任を持て、男は無口な戦士、男の意気地、男は敷居を跨げば7人の敵がいる、男は台所に立つな、男の世界(マンダム)、男は黙って××ビール、嵐を呼ぶ男、俺は男だ!・・・・・

 そんなマチョイズムの奔流の中に物心つく頃から浸っていれば、内面化されたマチョイズムの物差しが、自分という「男」を自然と査定するのを避けるわけにはいかなくなる。
 自分は男として“落第”なのだろうか・・・・?
 自己否定は自信の欠如をまねくので、ますます“男らしさ”が失われる。
 うざったい時代だった。

detective-8465893_1280
ThankYouFantasyPicturesによるPixabayからの画像

 ついに『深夜プラス1』を読んで、「ああ、そうか」と今さらながら思ったのは、ハードボイルドの誕生の背景には戦争の影があるってことだ。
 戦争の傷と言ってもいい。
 本作の主人公の英国人カントンは、第2次大戦中ドイツによるフランス占領時にレジスタンスに協力していた過去を持つ。
 今回フランスからリヒテンシュタインに行く富豪のボディガードとして雇われることになったのは、戦時のさまざまな体験や知恵が役立つと見込まれたからだ。
 車や銃の扱いに長け、いかなる時でも冷静沈着で、刻々変わりゆく事態に臨機応変に対応する能力を有し、敵の裏をかくことができ、身を守るために情け容赦なく敵を殺し、目的を果たすまであきらめない。
 カントンの才能や性質は、戦争によって鍛えられたところ大である。
 一方で、戦時中に親友を目の前で殺されたという心の傷も持つ。
 ハードボイルド小説の骨格を成す「暴力、非情、車と銃、謀略、ペシミズム、マチョイズム」はまさに戦争の延長線上にあるものなのである。

 戦争が終わって平和な世の中になり、戦争ドラマの代わりにハードボイルドが登場した。
 作者のギャビン・ライアルは1951年から2年間イギリス空軍にいた。実戦経験があるかどうかは知らないが、先輩の体験談をずいぶん耳にしたことだろう。
 考えてみれば、ハードボイルドの創始者と言えるアーネスト・ヘミングウェイもまた、第1次大戦時に瀕死の重傷を負い、1930年代のスペイン内戦の際には外国人義勇兵の一人として従軍している。そうした体験が、『武器よさらば』や『誰がために鐘は鳴る』などの作品に結実した。 
 ハードボイルドは、戦争が生んだ文学なのだ。
 それはまた、「戦争(闘い)をせざるを得ない、いびつな社会のいびつな男たちの物語」なのである。
 困ったことに、男という種族(の一部)は、そういった世界になぜか憧れて模倣したがる。
 本能だから仕方ない?
 世界から戦争が無くならない根本要因はそこにあると思う。

copper-age-7352583_1280
Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

  一方で、ハードボイルド=男の美学が、女性を男の暴力から守っていたという側面もあると思う。
 「女に暴力を振るう男は、男のくずだ」、「困っている女性を見たら助けろ」という哲学がそこには歴然とあったので、つき合っている男がハードボイルドを気取っているうちは、女も安心していられた。
 その美学が崩れた現在、女は自分の身を自分で守らなければならない。

 本作は、構成がしっかりしていて、叙述は簡潔にして正確無比。
 人物描写が巧みで、ウィットと深みのある洗練された会話は大人の味。
 スリルとサスペンスも十分。
 ただ、肝心のどんでん返しは、1965年の読者ならば腰を抜かしたことだろうが、60年後の現在、どんでん返しに慣れ過ぎてしまった読者は、途中で真相に気づいてしまうだろう。
 『週刊文春』東西ミステリーベスト100の2012年版において、『深夜プラス1』は25位に転落してしまっている。
 どんでん返しの賞味期限が切れたことが一因なのかもしれない。
 一方、『鷹は舞い降りた』も19位に落ちている。
 やはり昭和から平成になって、マッチョイズムが忌避されるようになったことが影響しているのではなかろうか。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● なんなら、奈良8(奈良大学通信教育日乗) 仏像は生きている

 3科目めの美術史概論(4単位)に取り組んでいるところ。
 テキストは『日本仏像史』(水野敬三郎監修、美術出版社)。
 詳細な解説に加え、各時代の有名な仏像のカラー写真が豊富に(240点近く)載っている。
 観仏マニア必携の素晴らしい本である。

IMG_20250204_174445

 本文の文字が小さい(8ポイント程度)うえに小口が結構ぶ厚い(約200ページ)ので、読み通すのが大変と思っていたのであるが、写真スペースを除いた文章部分は100ページに満たない。
 意外にすいすい読み進めている。
 もっともソルティは観仏マニアの一人なので、多大なる興味を持って読めるってのが大きい。

 実際、国宝に指定されているような各時代の代表的な仏像は、大半は実物を観ている。
 中学・高校時代の修学旅行に始まり、たびたびの京都・奈良旅行、鎌倉周遊、東北&関東の国宝仏をめぐる旅、そして東京国立博物館をはじめとする特別展出演のために上京された仏さまとの出会いの数々。
 旧友たちとの再会といった感覚で学習できるのは楽しい。
 気がつけば、地元の受験生らと一緒に、一日図書館で机に向かっていたなんて日も・・・。
 好きに勝るものはなし。

勝常寺の国宝
勝常寺(福島県湯川村)の国宝

 普段の観仏は、心を静めて手を合わせて拝み、仏像の種類(如来、菩薩、天部、明王、その他)を確認した後は、美的見地(美しいか否か)あるいはスピリチュアル的見地(癒されるか否か、パワーを感じるか否か)において、目の前の像を査定するのがならいであった。
 仏像が造られた歴史的・文化的・宗教的背景なり、時代ごとの様式の違いなり、材料や造仏技法といった点は、たいして気に留めなかった。
 仏師についても、法隆寺の釈迦如来三尊像をつくった鞍作止利、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像をつくった定朝、東大寺南大門の金剛力士立像をつくった運慶・快慶くらいしか名前が出てこない。

 今回、仏像が日本でつくられ始めた飛鳥時代からはじまって、天武天皇の詔により各地に寺院や仏像がつくられた白鳳時代、造仏が国家事業となった天平時代、空海のもたらした密教の影響を受けた貞観時代、国風文化と末法思想の興った藤原時代、そして武家政権の鎌倉時代・・・・と時代を追いながら、各時代の世相や仏教の様相や造仏技術や仏像の様式、あるいは個々の仏像のつくられた背景(注文主、制作の動機、作り手など)を知ることで、旧友たちのプロフィールをより深く知ることができた。
 「そうか。君はこんなライフヒストリーを持っていたのか。こういった時代の流行や制約や人々の願望を背負っていたのか」

 平成27年に国宝指定を受けた東京・深大寺の釈迦如来倚像について、その謎の来歴を調査した貴田正子著『深大寺の白鳳仏』(春秋社)に見るように、ひとつひとつの仏像には波乱万丈の物語がある。
 有名な興福寺の阿修羅像なんて、明治維新の廃仏毀釈の折りには、警官たちが暖を取るためにあやうく火にくべられそうになったそうな。
 同じ仏像を見る目も、時代によって変遷してきたのである。 

深大寺釈迦如来像
深大寺の釈迦如来倚像(東京都三鷹市)

 科学の進歩や新たな資料の発見等で、仏像の由来に関するこれまでの定説が書き換えられることもある。
 たとえば、東大寺南大門の金剛力士像について、ソルティは高校時代、「阿形は快慶、吽形は運慶」と習った。が、平成の解体修理の際に像内で発見された文書から、「阿形は運慶と快慶、吽形は定覚と湛慶」が担当したことが判明している。運慶が総監督だったのだろう。(明治時代の案内人は、「右は運慶、左は快慶、共に左甚五郎の作」と語っていたとかいないとか)
 一昨年の春に会いに行った京都・蟹満寺の金銅丈六の釈迦如来坐像も、白鳳時代の作とばかり思っていたが、本テキストでは天平期の可能性が示唆されている。
 仏像研究は現在進行形で動いているんだなあ。

 これからの観仏の旅がいよいよ楽しみになった。










記事検索
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文