ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 美輪明宏の恋人? 映画:『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』(野口博志監督)

1960年日活
86分

 トニーこと赤木圭一郎主演「拳銃無頼帖シリーズ」第1作。
 ついに“禁断”の赤木圭一郎に踏み入れてしまった (゚∀゚)アヒャヒャ
 なんで禁断なのか自分でもよく分からないが、たぶん、その昔耳にした「美輪明宏の恋人だった」とかという噂が妙な煙幕となって、彼を遠ざけていたようである。
 まあ、裕次郎や小林旭はじめ日活のアクション映画には興味なかったというのが一番の理由であるが。

 まだ一作目なので、赤木圭一郎の魅力がよく実感されなかった。
 感じとしては、時代劇映画とくに眠狂四郎シリーズにおける市川雷蔵のようなイメージだろうか?
 暗い過去や秘密を宿した母性本能をくすぐる無頼漢。
 演技も歌も上手くはない。
 ブルージーンズが似合うあたりが、裕次郎とも旭とも違ったアメリカンな色気を感じさせる。
 
 共演の浅丘ルリ子の美しさも特筆すべき。
 この人は演技力が優れているのに、日活アクションスターの恋人役として毎回つまらない役柄ばかりやらされて、つくづくもったいなかった。
 日活ジェンダリズムの被害者と言っていい。
 
 もう一人、特筆すべきは宍戸錠。
 ニヒルな笑いを振りまくダンディな殺し屋として異彩を放っている。
 こんな役作りができる達者な俳優だったとは!
 豊頬手術と『食いしん坊!万才』4代目レポーターのイメージしかなかった。

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赤木圭一郎と宍戸錠
 
 赤木圭一郎はゲイだったのかなあ~?
 21年という人生は、それを云々するにはあまりにも短い。



 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損









● 父も夢見た、母も見た 映画:『青い山脈』(今井正監督)

1949年東宝
183分、白黒

 過去5回映画化されたうち最初のもので、一番の傑作と名高い。
 3度目の1963年日活版では、吉永小百合演じる女子高生・寺沢新子が主役で、英語教師役の芦川いづみは準主役であったが、本作の主役は明らかに教師役の原節子で、新子役の杉葉子は従に甘んじている。
 同じ原作でほぼ同じ脚本なのに、監督の演出によって、あるいは女優のオーラによって、主従が入れ替わるのが面白い。
 それくらい原節子のオーラは抜きん出ていて、あたかもカメラが自然と吸い寄せられちゃったという感じ。
 美人と言うより麗人。
 こんな女教師が田舎町の学校にやって来たら、近隣一帯大騒ぎになるだろう。
 戦前の封建的な気風が残る町で自由な恋愛(というより交際)をもとめる若い男女を描くという、今となっては笑い話のような古臭くてナンセンスなテーマにあって、原節子の輝ける美貌こそが時代を超越する本作一番の価値である。
 
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「恋愛とは?」と問いかける教師役の原節子

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「麗人」の称号に値する数少ない女優

 他の役者では、芸者梅太郎を演じる木暮実千代がさすがの艶技で、原節子に継ぐ準主役の位置を占めている。着物姿がしっくり似合う。
 新子の恋人役の池部良はこのとき31歳であったが、旧制高校生として違和感ない若々しいイケメンぶり。悲惨な南方戦線を生き抜いてきた池部の経歴を思うと、この無垢なる若さは驚き。
 元気でおしゃまな眼鏡女子を演じる若山セツ子も面白い。この役、メガネっ子キャラ人気爆発の現代なら、主役を食うほどの存在となるかもしれない。
 もっとも嬉しい出演は、町の長老役の高堂国典。素か演技か分からぬとぼけた味わいは、この役者ならではの芸風。こういうジジイ役者がいなくなった。

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昔気質の古老を演じる高堂国典

 本作DVDはブックオフで発見した。
 「原節子厳選傑作集」というタイトルで、小津安二郎監督の『晩春』、『麦秋』との3枚セットで1000円で売られていた。
 『晩春』と『麦秋』のDVDはすでに持っていたので、『青い山脈』が観たいがために、いや『青い山脈』の原節子を観たいがために購入した。
 「古臭くてナンセンス」と上に書いたけれど、現在日本の平和と民主主義の危機的状況にあって、「戦後民主主義を高らかに描いた」本作は、一周回ってリアルでビビッドなものとなっている。
 焼け跡の中の日本人が、青空の下でサイクリングできる「平和」や、不条理と思ったことにNOと言って闘える「民主主義」をどれだけ喜んだかが、どれだけ貴いと思ったかが、本作を見ると深く感じとれる。
 戦後の原点に帰るためにも、本作は今見るべき価値がある。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 映画:『私は告白する』(アルフレッド・ヒッチコック監督)

1953年アメリカ
95分

 殺人犯のぬれぎぬを着せられたローガン神父(=モンゴメリー・クリフト)は、本当の犯人を知っていた。
 だが、それを警察に伝えることは職務上できなかった。
 真犯人の告解を聴いていたからである・・・・・。

 主演のモンゴメリー・クリフトは正統派二枚目で、ゲイであったという。
 どこか影ある美貌の正体は、「告白できない」秘密を生涯抱え屈託していたためであろうか。
 そのパーソナリティが、ここでは、真実を知っているのに話すことができず懊悩する神父の姿にぴったり重なって、リアリティある深い演技となっている。
 クリフトは30歳頃からアルコールとドラッグに溺れるようになり、35歳のとき交通事故で顔面整形するほどの大ケガを負うなど、波乱が続いた。
 46歳で心臓発作で亡くなった。 

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モンゴメリー・クリフトとアン・バクスター

 ときに、日本人には馴染みの薄いキリスト教の告解という儀式は、他人に悩みを話すことで心の重荷を軽くするカウンセリング的役割を果たしてきたと思う。
 が一方、担当地区の住民たちの秘密を知った聖職者には決して小さくないパワーが付与される。
 大事な秘密を握られている住民にしてみれば、聖職者の言うことに逆らうことは――たとえ彼を信じていて秘密が洩らされる心配はないと分かっていたとしても――容易ではなくなる。
 これは思うに、住民の心を支配しコミュニティを掌握するためにキリスト教会の編み出した奇策という気がするのだが、どうなのだろう?
 結構長い間、電話や対面での相談の仕事をしてきた者の一人として、気になるところである。
 
 もっとも、相手がモンゴメリー・クリフトのような美形神父であったなら、おそらく多くの女たちは適当な罪をでっち上げ、念入りに化粧し着飾って、いそいそと告解に通うだろう。
 ゲイの神父には効果ないことも知らずに。
 (彼の心は聖歌隊の少年の一人にあったのであった。つづく・・・・)




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 
 

● ゴールドフィンガー :オーケストラ・ルゼル 第28回演奏会


ルゼルオケ

日時: 2023年7月9日(日)13:30~
会場: なかのZERO 大ホール
曲目:
  • ワーグナー: 歌劇『タンホイザー』序曲
  • R.シュトラウス: オーボエ協奏曲 ニ長調 
  • チャイコフスキー: 交響曲第4番 へ短調
  • アンコール ワーグナー: 歌劇『ローエングリン』より エルザの大聖堂への行進
オーボエ: 最上 峰行
指揮: 和田 一樹

 「タンホイザー」序曲くらいカッコよくて血沸き肉躍る曲はそうそうないと思う。
 それを「つかみはバッチリ」の我らが和田一樹が一曲目に持ってくるのだから、会場が沸騰しないわけがない。
 一曲目にして「ブラボー」が放たれた。
 たしかに、メインプロ前の食欲増進を企図したアペリチフという位置づけに納まらない出来栄えだった。
 この序曲の中に、「タンホイザー」という聖と性をテーマとするオペラのドラマが凝縮されているわけだが、和田の指揮はそのドラマ性を十分に開示し、表現していたと思う。
 そろそろオペラに挑戦してもよいのでは?
 ぜひとも、『トロヴァトーレ』を振ってほしいなあ。
 
 オーボエ協奏曲ははじめて聴いた。
 モーツァルトを思わせるロココ風の典雅な曲で、華やいだ気分になった。
 ソルティは舞台向かって右側の前から4列目にいたので、指揮台の横に立つオーボエ奏者の姿がよく見えた。
 とにかく指の動きが凄かった。
 よく吊らないものだ。
 楽章に分かれていないので休みもなく、装飾符だらけの難しい曲を、いとも軽やかに鮮やかに奏しきった最上峰行の技術とスタミナに感嘆した。
 そして、ソリストを引き立てながらも、オケとの活気ある対話を作りあげて、シュトラウスの世界を作りあげていく和田の手腕に唸った。
 とくに、オーボエと他の木管との掛け合いが、森の中の鳥同士の会話のようで非常に愉しかった。
 コンチェルトとはこうでなければいけないと思うような名演。
 ときに、オーボエの響きには脳細胞を鍵盤で叩くような頭蓋骨浸透性がある。
 頭が疲れたときはオーボエを聴くといいんだなあと発見した。

オーボエと脳波
 
 今回、コンサートマスター(第1ヴァイオリンのトップ)をつとめる男性の演奏中の動きが激しくて、1曲目では気になって仕方なかった。(目をつむっていればいい話なんだけどね)
 このままだと、2曲目で主役のソリストより目立ってしまうんじゃないか、悪くするとソリストの集中を妨げやしないか、と他人事ながら心配になった。
 ところがどっこい、オーボエ奏者の動きもこれに負けず劣らずダイナミックで、相並んで揺れ動く中年男子2人の周囲には、あたかもボリウッド映画『RRR』の主役男優二人によるナトゥーダンスのような熱く濃い磁場が生じていた。
 さしもの和田一樹も薄く見えるほどで、大層面白かった。
 
 チャイコフスキーの4番は、迫力が凄かった。
 それはしかし、生きる力に満ちた意気軒高たるパワーではないように思った。
 絶望の底をついた人間が見せる、狂気すれすれ自棄っぱちの捨て身パワーである。
 「こんな曲を作る人は自殺しかねないなあ」と、つい思ってしまうような作曲者の不安定な精神状態を垣間見させる。
 実際、この曲はチャイコフスキーが結婚に失敗してモスクワ川で自殺をはかった直後に書かれたものだという。
 作曲という代償行為を通じて精神の危機を脱したのかもしれない。

 シュトラウスで舞い上がった気分が一気に突き落とされて、このまま終わるのはつらいなあと思っていたら、アンコール曲で見事に引き上げて癒してくれた。
 こういうサービス精神&バランス感覚もこの指揮者の才能の一つである。

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なかのZEROホール






 


 
 
 

● タイタニックJAPAN 本:『分断と凋落の日本』(古賀茂明著)

2023年講談社新書

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 ソルティの記憶にある最初の総理大臣は、大阪万博や沖縄返還のかすかな記憶とともに顔が浮かぶ佐藤栄作(在任:1964年11月9日~1972年7月7日)である。
 現在の岸田文雄まで26人の首相を見てきたことになる。
 選挙権を得て投票するようになってからは約40年。
 振り返るに、ここ20年くらい日本の凋落と政治の劣化と社会の右傾化を感じたことはなかった。
 とりわけ、第2次安倍晋三内閣誕生(2012年12月26日)から現在に至る10年強ほど、『日本国憲法』のもとで先人たちが営々と積み上げてきた平和と繁栄と民主主義と国民同士の信頼が損なわれた期間をかつて知らない。 
 憲法の精神をないがしろにするような不条理なことが自公政権によって次々と強引に決められ、野党はおろかマスメディアにも司法にも止められない。
 あまつさえ、投票によって、あるいは投票しないことによって、それに認可を与えてしまう国民たち。
 対米従属の軍国主義化、教育現場への圧力と介入、メディア統制による言論封殺、日本経済の没落と格差の拡大、嫌韓・嫌中の世論形成といやます右傾化
 悪夢の中にいるようであったし、それは今も続いている。

 自公政権寄りの人々は、「民主党政権時代(2009年9月16日~2012年12月26日)の悪夢」としきりに言うけれど、自民政権下で既得権のあった人はともかく、一介の庶民のソルティにしてみれば、たいした害は感じなかった。
 むしろ、東日本大震災(2011年3月11日)と福島第一原発臨界事故という未曽有の惨劇が政権担当中にあったことを思えば、「民主党はよくやった」と言いたいくらいである。
 現政権の反省の色なき原発推進の様子を伺うに、あの時もし自民党が政権に就いていたとしたら福島原発事故は隠蔽されていたのではあるまいか、と疑わざるを得ない。
 
 2022年7月8日に起こった安部元首相銃殺は痛ましい事件であり、許されざることに違いないが、猛烈な勢いで右に引っ張られていく日本社会の流れを、いったんストップさせて、国民を覚醒させるきっかけとなったことは確かである。
 犯行動機の公表がきっかけになって、自民党とくに清和会(元安倍派)と反社会的カルト集団である旧統一教会との癒着が暴き出され、多くの国民は日本を牛耳る保守右翼層のデタラメぶりと、口先では「日本を取り戻す」と言いながらその実「日本を売っていた」安倍晋三の倫理感の欠如を知ったのであった。

 しかし、それで潮流が変わったかと言えば、今のところその様子はない。
 岸田首相は、今回の一周忌に際して「安倍氏の遺志に報いる」と発言したことが示すように、安倍政権が敷いたレールの上を引き続き走っていくつもりらしい。
 国民も現政権にNOを突きつける様子も見られない。
 つまりそれは、政治の劣化と経済の停滞と格差拡大と軍国主義化が今後も続いていくということで、日本の凋落は止みそうもない。
 タイタニックJAPANよ。

タイタニック

 著者の古賀茂明は、1955年生まれのジャーナリスト。
 通商産業省(現:経済産業省)に30年以上勤めた元官僚である。2011年に退職勧奨をうけて辞職した後、著述業のかたわらテレビ朝日『報道ステーション』のコメンテーターをしていたが、政権に睨まれて2015年降板を余儀なくされた。
 日本の政治経済を官僚という立場で内側から覗いてきたところに、この人の言葉のリアリティと信憑性が担保されている。
 「左の人」というよりは、「反安部の人」である。

 安倍氏の最大の「功績」は、日本の岩盤右翼層をがっちりと固めたことだ。その結果、反日思想を持つ旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と日本会議など国粋主義的勢力がともに自民党保守派を支持するというまったく支離滅裂な現象も起きた。その遺産を受け継いだのが自民党安倍派(清和会)である。
 彼ら岩盤右翼層は、数としては大きくなくとも、選挙の投票率が下がる傾向が続く中、自民党の得票の中では重要な地位を占める。また、下手に敵に回すと落選運動を起こされたりもするので、自民党議員にとって、ますますその支持を取り付けることが重要になる。この構図は、岸田首相のみならず、親安倍だろうが反安倍だろうが、自民党の他の派閥でも、議員でも同じだ。かくして、すべての自民党議員にとって、この「安倍派的」岩盤右翼層の支持を得ることが至上命題になったのだ。
 私は、この状況を「妖怪に支配された自民党」と呼んでいる。“昭和の妖怪”と呼ばれた岸信介元首相。その孫が安倍晋三だから、安倍氏は“妖怪の孫”である。そして“妖怪の孫”亡き後もなお、得体のしれない安倍的なものが政界に漂っている。まさに妖怪は滅びずいまもなお自民党を支配しているのだ。

 本書は、「得体のしれない安倍的なもの」の正体に迫るとともに、9年近く続いた第2次安倍政権が、日本社会にどういった変化をもたらしたかを具体的に検証している。
 各章の内容に即して簡潔にまとめれば、以下のようになる。
  1. 日本国憲法軽視の日本の軍事国家化
  2. 福島第一原発事故反省の色なしの原発推進
  3. 既得権益を持つ層だけを潤し格差を広げたと共に、国際競争力を著しく低下させた経済政策(アベノミクス)
  4. 安倍首相自らが“範を垂れた”官僚と政治家のモラル破壊
  5. 「社会の木鐸」としての権力監視機能をまったく失ったマスメディアと司法
  6. アベノマスクに象徴される実質のない見掛け倒しの政策と失敗の数々
  7. 選挙に勝つためのなりふり構わぬ旧統一教会との癒着
 一介の庶民目線でまとめれば、こう言えよう。

 戦争ができる国づくりと原発推進によって国民の命と安全を脅かし、経済・金融政策の失敗により格差拡大を招き国民の生活を苦しめ、メディア統制と司法介入によって政権維持に不都合な情報を国民から覆い隠し、「やってる」感を示すだけの中味のない政策で国民をたぶらかし、裏で反社会的カルト教団と手を結んで国民をあざむいた。
 
 「国民のため」など1ミリも考えていない。
 どんだけ酷い政権だ。
 明らかにソルティの知る過去26人の首相の中で最低最悪で、これにくらべればロッキード事件で世を騒がせた田中角栄や指三本で芸者を買った宇野宗佑が天使に見えるほどである。

 安倍氏には経済政策におけるこだわりはほとんどなかった。大事なのは株価を上げて、選挙に勝つことだった。軍拡を進めて戦争ができる体制を作る。軍事力を背景に米国を筆頭とする西側列強の一員となり、憲法改正を実現するという目的のためには、とにかく長期政権が必要だ。その前提として、高い支持率の維持が至上命題だった。

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WikiImagesによるPixabayからの画像

 沈みゆくタイタニックJAPANを前に船外脱出する富裕層や若者も見られる中、それでも古賀は、日本再生のための道を提言する。
 次の4つだ。
  1.  現実を直視すること
  2.  過ちを認めること
  3.  過ちを分析して責任を取ること
  4.  新しい改革に取り組むこと
 こんな小学生でもできる当たり前のことを今さら言わなければならないくらいに、日本の中枢にいる大人たちはトチ狂っている。(あるいは、トチ狂っていないと日本の中枢には入り込めない)
 ああ、そうか。
 上記の4つを見ると、これはまさに太平洋戦争に際して大日本帝国の成し得なかったことと重なる。
 すなわち、最初から敗けると分かっている戦争をやり始めてしまった愚、敗けたと分かっても戦争を止められず原爆投下や沖縄戦に代表される凄まじい人的被害を招いてしまった愚。
 どうも日本人は科学的思考が身につかない国民のようだ。
 神風まかせの体質が抜けない。

 安倍氏が亡くなり、その妖術が解けてきたのか、我々はようやく現実を直視して真実が見えるようになってきたかもしれない。そして、安倍政治の過ちに気づくところにようやくたどり着いた。ここからが第3のステップ。責任の所在を明らかにし、選手交代を求める段階だ。その意味するところは政権交代である。

 現実直視するなら、いま野党で政権を担える体力・能力のあるところは(連立したとしても)ないと思う。
 次善の策として、自民党の中にいる「戦争絶対反対・脱原発・統一教会NG・夫婦別姓YES、同性婚OK」の議員たち(いるのか?)が自民党を出て新しい党を作ってくれたら、多くの国民はそこに流れ込むのではないかと思う。
 選挙区の自民党支持者を失わないために、なんなら「シン自民党」と名付けてもいい。
 政界再編が急務だ。

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おすすめ度 :★★★★

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● 70年代少女漫画の原点 映画:『赤い蕾と白い花』(西河克己監督)

1962年日活
80分

 ハイソな未亡人役に高峰三枝子、その一人娘が吉永小百合という、老いも若きも街中の男たちが花束片手に押しかけそうな母子家庭の話。
 赤い蕾は吉永小百合、白い花は高峰三枝子のことである。
 関川夏央著『昭和が明るかった頃』によれば、西河克己監督が駆け出しの頃に初めて会って、「この世のものと思われない美しさ」にメロメロになった憧れの大女優・高峰三枝子に出演を乞うて実現したという。
 西河にとってのヒロインは、小百合より三枝子だったのだ。

 たしかに、高峰三枝子は美しい。
 公開時44歳。服飾学院の院長というキャラ設定もあって、ファッショナブルでエレガントな洋服や上品で高価そうな着物を完璧に着こなして、山の手マダムの典型といった風情。
 「元祖歌う女優」と言われ『湖畔の宿』始め数々のヒットを飛ばしただけあって、声や話し方も魅力的である。
 劇中では歌声を披露してくれる。
 『女の園』(1954)の鬼舎監や『犬神家の一族』(1976)の真犯人松子の演技が素晴らしいので、どうしても「気の強いコワい女」というイメージが先立つのだが、この人の清楚でノーブルな良さが引き出された作品に『按摩と女』(1938)がある。
 出世作となった『暖流』(1939)、得意の歌を生かした『情熱のルムバ』(1950)などの音楽映画シリーズなど、若い頃の作品をもっと観たいものだ。

白いフリージア

 一方の吉永小百合。
 前作の『キューポラのある街』の成功に乗じてか、ここでも活発で勇ましい女学生を演じている。 
 ボーイフレンド(もちろん浜田光夫である)に自分からキスを求めたり、家出につき合わせて一緒にサカサクラゲもとい連れ込み旅館に泊まったり、駅まで駆けっくらしてみたり、戦後の男女平等精神を身につけた元気で明るい美少女である。
 こういう女性像は、戦前生まれの人にとっては新鮮で眩しかっただろうなあ~。

 もっとも、そこはあくまで「清く正しく美しく」の日活青春路線。
 キスは唇ではなく額やほっぺに、連れ込み旅館では机を借りて二人で猛勉強したあと布団を離して寝る、といった具合。
 なんかどっかで見たようなシチュエーションだなあと思ったが、ずばり、ソルティが小中学生の頃(70年代)に妹やクラスメイトの女子に借りて読んだ少女漫画のノリなのだ。
 ヒロインが菓子を頬張りながら電話に出るとか、ボーイフレンドと駅まで(あるいは学校まで)駆けっくらするとか、ボーイフレンドが「こいつゥ、しょってやがる」とか言いながら人差し指でヒロインの額をつつくとか、飼っている犬が食卓で粗相して大騒ぎとか・・・・。
 「なんつうベタな展開だろう」と連打される紋切り型にあきれたが、途中で、「ああ、そうか!」と気づいた。
 この作品が少女漫画チックなのではない。逆なのだ。
 70年代少女漫画の原点が、60年代日活青春純愛映画なのだ。
 70年代にデビューした少女漫画家たちは、小百合&光夫の青春純愛映画を観て育ち、キラキラしたその世界に憧れ、純愛カップルの日常的振る舞いの型を映画から学びとったのだろう。
 してみると、吉永小百合こそが、バックに花を背負った瞳きらきらヒロインの最高にして最良のモデルだったのかもしれない。 
 ヒロイン少女の優しくおシャレなママは高峰三枝子がモデル、というのもありだ。
 ただ、少女漫画でヒロインが憧れるボーイフレンドは、浜田光夫タイプの気の置けない幼馴染の同級生よりは、『エースをねらえ!』の藤堂貴之のようなスポーツ万能の先輩であるほうが多かった。
 ここは浜田光夫脱落である。

赤い蕾

 高峰三枝子+吉永小百合のビューティ母子家庭と一対になるのが、金子信雄+浜田光夫の三枚目父子家庭。
 金子信雄と言えば、テレビ朝日系列で放送されていた『金子信雄の楽しい夕食』(1987-1995)が記憶に残る。
 金子は料理が得意だった。
 料理番組なのに、いまでは放映できないくらいのパワハラ・セクハラ親爺トーク炸裂で、アシスタントの女性泣かせで有名だった。
 初代アシスタントを務めた東ちづるだけは、どこで身に着けたのか絶妙な親爺あしらいを見せ、金子に気に入れられ、業界内で株を上げ、その後のビートたけし司会番組のアシスタントに抜擢されるきっかけをつくった。
 これも『昭和が明るかった頃』に書かれていたことだが、金子信雄は高峰三枝子との初共演に際し、緊張して手が震えてセリフもままならなかったという。
 昭和の典型的パワハラ親爺のイメージが強い金子信雄にもそんな一面があったのだ。
 
 本作中、金子が足を捻挫した高峰を「お姫様だっこ」するシーンがある。
 金子は力持ちじゃなさそうだし、高峰は軽そうには見えない。
 国民的大女優を落としたらそれこそ大変。
 金子がどれだけ緊張したことか、想像すると楽しい。
 東ちづるの横で包丁を握っているほうが何倍も楽だったろう。

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左から、浜田光夫、吉永小百合、金子信雄、高峰三枝子 





おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 高麗博物館企画展 :『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』


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 7/5(水)より始まった当展をツイッターで知り、さっそく足を運んだ。
 高麗博物館は在日コリアンが多く居住する新宿区新大久保にある。
 JR山手線新大久保駅から徒歩10分、職安(ハローワーク)通りに面したビルの7階にあった。
 ここを訪れたのは初めて。

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JR新大久保駅
15年ぶりに下車した。若者、外国人が多くてビックリ!

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職安通り
通りを挟んだ向こう側は歌舞伎町

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博物館のある第2韓国広場ビル

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高麗博物館は日本とコリアの相互理解や友好を目的に2001年12月にオープン

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博物館入口
入館料は大人400円
(月・火は休館、12~17時)

 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「あちこちで放火やレイプをしている」といったデマゴギーに端を発して起きた日本人による朝鮮人虐殺事件については、これまでにずいぶんと関連図書を読んできたので、今回の展示内容そのものに関して取りたてて新しい知見はなかった。
  •  当時の日本に蔓延していた朝鮮人に対する差別や偏見。
  •  未曽有の震災による被害の凄まじさ。
  •  錯綜する情報とパニック。
  •  群集心理の怖ろしさ(ちょっと前にJR山手線内で起きた「包丁を持った外国籍の男」事件を想起)
  •  自警団をはじめとする軍国主義下の男たちの残虐ぶり。
  •  率先して朝鮮人虐殺をそそのかし、国際社会からの批判が強まるや、今度は朝鮮人の犯罪証拠をでっち上げようとした閣僚や警察や官人たち。
  •  そして、学者たちによって認められ長く教科書に掲載されていたにもかかわらず、半世紀以上たって、「朝鮮人虐殺はなかった」、「あったのは震災に乗じて犯罪をおこなった朝鮮人たちに対する正当防衛」などと言い始め、教科書の記述を変えさせようと圧力をかける歴史修正主義者の厚顔無恥ぶり。それが現岸田政権のお膝元に巣食っているのだから、ほんとうに自民党は、日本は、おかしくなった。
 100年経ってもいまだにこの事件が大々的に蒸し返されて、こうやって展示やイベントが開かれるのも、政府が事件にきちんと向き合って来なかったからである。
 左翼のせいなんかではない。

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会場の風景
いくつかの新聞に報道されたらしく入場者は絶えなかった。

 今回の展示に惹かれたのは、本邦初公開の『関東大震災絵巻』が展示されているというからであった。
 2021年にネットオークションに出品されていたものを、前館長の新井勝紘氏が見つけて個人的に落札したという。
 作者は、福島県西白川郡出身の画家・大原彌市。雅号を「湛谷(きこく)」という。
 震災の2年半後の大正15年に描かれたもので、2巻合わせて32mにもなる長大な巻物である。
 保存状態も良い。 
 関東大震災直後の町や村の様子が生々しいタッチで描き出されているのだが、その一部に朝鮮人虐殺の場面もあった。
 場所がどこかは特定されていなかったが、警官と軍人と自警団の男たちがよってたかって無抵抗の朝鮮人をなぶり殺しにしているのを、柵の向こうにいる群衆が見物している。
 中には、柵を乗り越えて自分も加わろうとする住民らしきもある。
 まさに虐殺の動かぬ証拠である(上記チラシ参照)。

 関東大震災100周年を待っていたかのように忽然と現れた絵巻。
 「日本人よ、忘れるな!」
 安倍元首相一周忌を目前に、真に日本を愛し日本の行く末を心配する故人たちが草葉の陰から我々に伝えるメッセージのように思った。

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第二次安倍政権の頃から反韓ヘイトスピーチの舞台となった大久保通り

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韓国アイドルのグッズショップ
イケメンに国境はない
















● 映画:『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』(サイモン・カーティス監督)

2022年イギリス、アメリカ
125分
脚本 ジュリアン・フェロウズ

 英国大ヒットTVドラマの映画版第2作。
 TVシリーズの放映開始は2010年、ほんとうに息の長い人気である。
 これだけ長くやっていると、出演者たちは本当のファミリーみたいになってくるだろうし、観る者からすれば遠い親戚みたいな感覚になってくる。
 懐かしの顔触れとの再会が楽しかった。

 今回もいろいろと事件は起こるのだが、最大のものは、ラストに用意されたヴァイオレット・クローリー〈先代グランサム伯爵夫人〉の逝去である。
 息子夫妻、娘、孫、親友らが見守る中、各人に言いたいことを言い放って、穏やかにして荘厳な最期を迎える。
 女優マギー・スミスの独壇場だ。
 それはまた、このシリーズからのマギーの卒業を意味するわけで、ヴァイオレットを看取る親族たちの眼差しは、偉大な女優マギーとの共演という光栄に浴し、撮影時の様々な思い出を反芻する後輩役者たちの感謝と愛情にあふれ、演技を超えた名シーンとなっている。
 ヴァイオレットことマギー・スミスの存在が、ドラマの中でも、実際の撮影現場においても、非常に大きなものであったことが知られる。
 芸の上で本邦で匹敵する女優を上げるなら、亡き杉村春子だろうか。

 本シリーズの見どころの一つは、ダウントン・アビーの使用人の一人で最後は執事になったトーマス・バロー(演:ロバート・ジェームズ=コリアー)を同性愛者に設定したことである。
 英国の現代ドラマでゲイが出てくるのはもはや珍しくもなんともないが、20世紀初頭を舞台とするドラマでゲイがレギュラーキャラとして登場し、宿命を背負った一人の人間として、その屈折や葛藤や悲しみや成長が描かれたのは画期的であった。
 むろん、LGBT視聴者を意識した制作側の目論見あってのことだろう。
 同性愛が違法とされた時代にトーマスの幸福を描くのはなかなか難しかったことと思うが、理解ある主人一家や同僚に恵まれ、本作の最後ではハリウッド男優との新天地アメリカでの生活という道が開かれた。
 「自分に正直に生きたい」というトーマスのセリフは、制作者のLGBT視聴者へのエールでもあろう。
 こういうドラマがヒットしないわけがない。

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出演者一同
左端がヴァイオレット・クローリー役のマギー・スミス



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● ストラディヴァリ! :Orchestra Canvas Tokyo 第8回定期演奏会


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日時: 2023年7月2日(日) 14時~
会場: 東京芸術劇場 コンサートホール
曲目:
  • ファリャ: バレエ音楽《三角帽子》第2組曲
  • シベリウス: ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
  • チャイコフスキー: 交響曲第5番 ホ短調 作品64
指揮: 田代 俊文
ヴァイオリン: 中野りな

 今回のハイライトは、2曲目のヴァイオリン協奏曲だった。
 なにより特筆すべきは、音色の素晴らしさ!
 張りと艶とコクのある美しい響きが、巨大なホールの空気を一瞬にして変えた。
 「あのヴァイオリン、生きているんじゃないか」と思うほどの人間的ぬくもりと表情の豊かさがあった。

 中野りなが使用しているのは1716年製のストラディバリウス。
 やっぱり、最低でも億はくだらぬという世界的名器は音が違うなあと思ったが、実はソルティ、開演前に中野のプロフィールを読んで、そのことを知っていた。
 一般財団法人ITOHより貸与されているのだという。 
 先入観が耳に魔法をかけたのかもしれない。

 一般財団法人ITOHは、将来有望な日本の若手音楽家に対し銘器の弦楽器、弓等を無償貸与する事を通じ、その人達の育成に間接的に役立て、もって日本の芸術文化の振興に寄与することを目的として2013年9月9日に設立されました。(一般財団法人ITOHの公式ホームページより抜粋)

 ITOHとはなにかの英語の略語かと思ったが、どうやらそのまま「いとう」と読むらしい。
 この団体の設立者にして代表理事が伊東さんという紳士なのだ。
 素晴らしい活動である。

 ともあれ、響きの美しさに陶然となり、演奏中は肝心の曲の主題や曲調やオーケストレイション(管弦楽法)やオーケストラとのコンビネーションにほとんど意識が向かわず、シベリウスであることも忘れ、ただただヴァイオリンの響きに包まれていた。
 むろん、楽器からこの音色を引き出せる中野のテクニックあってのことである。
 2004年生まれというから現在21歳。
 若いのに驚嘆すべき技巧の持ち主。
 最終楽章では圧巻のパフォーマンスが会場を圧倒した。
 
 チャイコの5番は無難にまとめた感じ。
 個人的には、こちらはもうちょっと冒険してほしかったな。
 
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池袋西口公園の噴水で水遊びに興じる子供たち
 




● 2023年という戦前 ドキュメンタリー:『標的の島 風かたか』(三上智恵監督)

2017年
119分
ウェスタ川越(埼玉県)にて鑑賞

 「戦前」が生まれるのは、戦争が始まってから、あるいは戦後になってからである。
 実際に「戦前」にいる人たち――少なくとも庶民は、それが「戦前」だと認識していない。
 あとになってから、「ああ、あの時が戦前だったんだなあ」と判るのである。
 俳人の渡邊白泉が「戦争が 廊下の奥に 立つてゐた」と詠んだのは、日中戦争が始まって2年後(1939年)のことであった。
 1937年以前の白泉は、「今は戦前」と思っていなかったのだろう。
 戦争は我が家の外の、どこか遠い街で起きていることだ、と感じていたのだろう。
 満州事変(1931)があっても、犬養毅首相が暗殺(1932)されても、日本が国際連盟を脱退(1933)しても、「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉が国会議員を辞めさせられても(1935)・・・・・。
 気づいたら、それは廊下の奥に、出口を塞ぐように立っていた、のである。
 振り返ってみれば、戦争に至る道標は着々と立てられ、帰り道は消されていたのに、道中にいて昨日とさほど変わり映えしない今日を送っている庶民は、その危機に気づかず、戦争を遠い異国の話と思っている。
 芸能人の起こした不祥事を伝えるニュースを嬉々として追っている。
 
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 この上映会を知ったのは、川越に遊びに行ったとき街角のポスターを見たからであった。
 むろん、こんな作品があることも、三上智恵という監督の名も知らなかった。
 作秋、沖縄の戦跡巡りをして沖縄戦について学んでいたこともあって、主としてネット界隈でのみ(ヒロユキのおかげで)話題となっている辺野古新基地建設をめぐる現状を知りたいと思った。
 が、本作は辺野古基地だけの話ではなかった。
 ここ数年、国が強硬に押し進めている本島北部の高江におけるオスプレイのヘリパッド建設や、宮古島、石垣島におけるミサイル基地建設と自衛隊配備の様相がレポートされていた。
 すなわち、中国を威嚇するための、中国からの攻撃に備えるための、中国に反撃するための一連の南西諸島の要塞化である。
 それはもう対中戦争を見越した準備と言っても過言ではないレベルの武装である。
 
 むろん、一番しわ寄せを受けるのは島民たち。
 環境が破壊され、騒音に悩まされ、治安が悪化する。
 基地や武器があることで、まさかの場合、敵の標的にされるのは明らかである。
 その際、「自衛隊は島民を守ってくれるのか」と問えば、国は答えを濁す。
 沖縄県民は先の戦争で嫌と言うほど経験し、知っているのだ。
 国は本土を守るためなら平気で沖縄を犠牲にすることを。
 国が守るのは国民ではなく、国家としての体面であり、国体であることを。
 
 タイトルの「風(かじ)かたか」とは、琉球方言で「風よけ、防波堤」のことである。
 カメラは、基地建設を強行する国家権力と、沖縄の軍備化に反対し子供たちの「風かたか」にならんとする島民たちとの間で繰り広げられている激しい闘いの模様を、生々しい臨場感と迫力をもって映し出す。
 正直、辺野古騒動の陰でこんなことが進行していたのかと愕然とした。
 沖縄戦跡巡りをしたにもかかわらず、宮古や石垣や与那国といった島で現在進行形で起こっている恐るべき事態に意識が向かなかった自分にあきれた。
 こういったことをまったく報道しようとしない、国民に知らせようとしないマスメディアの非道っぷりにも! 
 このままだと、仮に中国との間で一戦交えるようなことになれば、1945年沖縄戦の二の舞になるのは明らか。地獄の再来だ。
 子供の頃に沖縄戦を体験した島民は語る。
「次に戦争になったら、前回どころの話ではない。沖縄は人も島も無くなるでしょう」
 
 不穏な米中関係にあって、アメリカの楯にされている日本。
 本土の楯にされている沖縄。
 米軍基地のある本島の楯にされている与那国、石垣、宮古。
 この人身御供の入れ子構造をますます強化しようとする自公政権。
 本作を観て、はっきりと分かった。
 2023年の今は「戦前」である。
 
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米軍がスーサイドクリフ(自殺の崖)と呼んだ
沖縄本島南部のギーザパンダ(慶座集落の崖)
 
 観ていてなによりやり切れないのは、当の宮古島島民、当の沖縄県民の中にも、本気で軍備増強を求める人たちがいるってことだ。
 国家権力と結びついて何かと利便を図ってもらっている上層の人間、あるいは家族や自分が日本やアメリカの基地関係で働いているというなら、まだ分かる。
 そうでない一般市民の中に、「抑止力」としてのミサイル配備、自衛隊駐屯を求める者も少なくないのだ。
 でなければ、基地建設に賛成する下地敏彦宮古島市長が3期連続当選を果たせたはずがない。(コロナ禍の2021年1月の選挙で、野党の推した座喜味一幸が当選したのは記憶に新しい。一方の下地は、落選後に陸上自衛隊駐屯地の用地売却を巡る贈収賄事件で逮捕された)
 
 先般可決された『LGBT理解増進法』をめぐる一連の運動の中でも見られたことだが、不当に権利を抑圧されているほかならぬ当事者の中に、上から頼まれたわけでも脅されたわけでもないのに、体制側に組してしまう者がいるのだ。
 この倒錯的現象の理由を考察するのは別の機会に譲りたいが、本来なら一枚岩になって体制と闘うべき者たちが分裂し、体制側についた者が現状を変えたい者の足を引っ張り、卑劣なデマを流し、事態を混乱させる。
 当事者でない外野からは、「なに内輪もめしているんだ」、「結局、当事者の中でも意見がまとまっていないんじゃないか」と思われて、賛同を得られるどころか、巻き込まれたら面倒だと、ますます遠巻きにされてしまう。
 その陰で、体制側はほくそ笑む。
 やり切れない・・・・。

 倒錯と言えば、元安倍首相を暗殺した容疑者が、子供の頃から悲惨な境遇に置かれ福祉の欠如に苦しみながらも、体制翼賛的すなわち右翼的思想に引き付けられていたということにも思いは及ぶ。
 いやいや、旧統一教会問題であれほど騙され愚弄されたというのに、いまだに自民党に政権を担わせる日本人こそ、倒錯の最たるものだろう。
 ドイツ人とよく似たマゾ的国民性ゆえか?
 やっぱり、聖徳太子の呪縛なのか?
 
 ソルティはそのような一人であることを拒否する。
 まずは、『ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会』の賛同人になった。
 




おすすめ度 :★★★★★

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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




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