ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● YAMのリアリティ 本:『自由研究には向かない殺人』(ホリー・ジャクソン著)

2019年原著刊行
2021年創元推理文庫

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 英国初のYAM(ヤングアダルトミステリー)。

 女子高生のピップは、自らの町で5年前に起きた女子高生アンディ・ベル殺人事件の真相を探ることを、学校の自由研究課題に選んだ。
 犯人とされたサリルはアンディのボーイフレンドだったが、自白メッセージを残して自殺。アンディの遺体は見つからなかった。
 サリルに憧れていたピップは、真犯人は別にいると思い、サリルの弟ラヴィの協力を得て、ITを駆使して独自の調査を開始する。

 寝る前にちょこっとサワリだけ読むつもりが、あれよあれよと引き込まれてしまい、気がつけば午前4時。寝不足のまま出勤。
 それが二晩続いてしまった。
 日中しんどかった。

 魅力のいちばんは、ピップという少女のキャラにある。
 好奇心旺盛、行動力バツグン(いささか軽率)、家族思い・友達思い、同級生男子を手のひらで転がし大人と対等に話せる押しの強さ、ITを使いこなす頭の良さ。
 ヤングアダルトな読者にしてみれば、自分もこんなふうにありたいなあと思うような痛快キャラである。
 ヤングアダルトでない読者にしてみれば、いくら高校生の自由研究とはいえ、町を揺るがした殺人事件の調査に、記憶いまだ生々しい事件の関係者たち(加害者と被害者の家族含む)がこんな簡単に調査協力するわけないだろと、ご都合主義に鼻白みながらも、ピップの勢いに巻き込まれて調査の行方が気になってしまう。
 それはつまり、著者のストリーテリングの冴えを表している。

 冷静に考えると、この小説には現代社会の若者たちをめぐる毒々しいテーマがてんこもりである。
 いじめ、ドラッグ、レイプ、ドメスティック・バイオレンス、ネット犯罪、機能不全家庭 e.t.c.
 ピップとラヴィは真犯人を見つけ出し、サリルの無罪を証明することに成功するが、その真相は決してハッピーエンドと言えるものじゃない。
 とても自由研究優秀賞としてみんなの前で発表できるたぐいのものではない。
 なのに、なぜか物語には陰惨なところがなく、明るいタッチに終始している。
 読み終えた後は、不思議とさわやかな印象が残る。
 まったく同じ題材を社会派ミステリー仕立てにしたら、かなり陰惨かつ深刻な話となり、読後感は相当に重苦しかったろう。

 ヤングアダルトミステリーならではのリアリティ、すなわち世界観ってのがある。
 それに乗れた人には、寝不足必至の面白さ。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 




● 本:『ケアと編集』(白石正明著)

2025年岩波新書

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 著者の白石は、医学書院「ケアをひらく」シリーズを担当していた編集者。
 このシリーズは、これまでにないようなユニークかつ斬新な切り口で医療介護分野のケアを語り、話題を集めた。
 2019年にはシリーズ全体に毎日出版文化賞が贈られている。
 2024年に白石が定年退職するまで、43点のシリーズを刊行したという。
 名編集者である。

 ソルティは、『驚きの介護民俗学』(六車由美著)でこのシリーズの面白さを知って、それ以降、次の6点を読んでいる。
 「ケアをひらく」シリーズではないが、『俺に似たひと』(平川克美著)も面白かった。医療従事者向けのおカタい(おタカい)本ばかり出している出版社、という医学書院のイメージを刷新してあまりなかった。

 白石正明ってどういう人なんだろう?
 どういったポリシーなりスタンスで編集の仕事をしているんだろう?
 ――と、気になっていたので、白石自身がみずからの編集の仕事について披瀝している本書の刊行はうれしかった。

 開口一番、「ぼくの編集の先生は向谷地生良さん」と書いてあるのを見て、納豆食って血液サラサラ。腑に落ちた。
 向谷地生良(むかいやち いくよし)は、北海道浦河町にある精神障害者の生活拠点「べてるの家」のソーシャルワーカーである。
 べてるの家についてはこれまでにたくさん書かれているので説明しないが、一言でいうならば、「近代的価値観を無効にするプリズム」である。
 プリズムの中心にいるのがべてるの家の住人ならば、それを光線の中に置いたのが向谷地である。

 治療という名で「改変」するのが医学である。一方、モノ自体には手を付けずに周囲との関係を改変するのが、向谷地さんのやっているソーシャルワークだ。

 弱さや依存は「克服すべきもの」という問題設定のままであれば、弱さは強さに、依存は自立に変更されなければならない。・・・・「現在がよくないから、こうしなければならない」あるいは「現在はよくないが、こうすればもっとよくなる」という文脈は同じなのである。どちらも「現在のままではダメ」なのだ。

 出された問題に答えるのではなく、その問題自体を組み替えてしまうこと、あるいは、与えられた問題の外に出てしまうこと、ここで述べた例についていえば「弱さ」とか「依存」といった克服されるべき問題――なにより当人がもっとも「克服すべき」と思っている問題――に別の光を与えること。
 
 べてるの家のこのような思想というか文化に出会って感動した地点に、編集者白石正明が誕生したのであった。
 そこには、白石自身が子供の頃から吃音に悩んでいて、その「克服」のために試行錯誤してきたという事情があった。
 みずからの“問題”とリンクするところが大きかったゆえの出会いと感動、そして展開。
 運命という名の編集者にはだれも敵わないなあ。

 ケアと編集との共通点について、白石は、自ら担当した作品の例をあげて語っている。岡田美智男著『弱いロボット』、熊谷晋一郎著『リハビリの夜』、坂口恭平著『坂口恭平 躁鬱日記』など。
 読んでいて隔靴掻痒の感がするのは、単純に、ソルティがそれらの本を読んでいないからである。
 読んでいた『逝かない身体 ALS的日常を生きる』が例に上げられている部分はすんなり落ちた。
 本書をより深く理解したいのなら、上記の本を含め、「ケアをひらく」シリーズをもっと読まないとなあ~。
 ――と、思わされた時点で、やっぱり編集者・白石の術中にはまったのである。
 編集者にとって重要なのは、一冊でも多く本を売り、ひとりでも多くの人に読んでもらうことなのだから。

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 ソルティも高齢者のケアを担う一人である。
 高齢者支援に利用できる社会資源の中では、介護保険という行政の作った枠組みの占める部分が大きいので、知らぬ間に行政的視点でケアを考えていることが少なくない。
 対象者の問題を分析し、長期目標と短期目標を設定し、そこに至る途上にある障害(=課題)を見つけ出し、それを克服する手段を考え、支援の担い手を探す。財政逼迫の折、できる限り効率的な費用対効果の高いケアプランを立てなければならない。
 ともすれば、対象となる高齢者にとって「何が一番いいか」が二の次になって、「障害の克服と自立」を目指した“現在否定”のケアプランありきで支援を進めていることも、まったくないとは言えない。
 高齢者が80年なり90年なりの時間をかけて作ってきた“問題=アイデンティティ”が、そう簡単に変えられるわけがないと、内心思っているにもかかわらず。
 一度立ち止まって、自分のケアのあり方をみつめてミルキー。

 ケア提供者とは、未来に奉仕するような貧しい「現在」ではなく、今すでにここにある豊かな「現在」に働きかける人である。「もう本番は、はじまっているのだ」と宣言して、今ここにある快を十全に享受できるように状況を設定する人である。


 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損














 

● 本:『絵は語る 源頼朝像 沈黙の肖像画』(米倉迪夫著)

1995年平凡社

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 これが問題の書 (*゚▽゚*) である。
 この本の刊行がきっかけとなって、美術史学会や日本史学会はもちろんのこと、マスコミや美術愛好家や歴史マニアを巻き込んだ「神護寺三像論争」が持ち上がったのである。
 ソルティは全然知らなかった。
 当時は仙台にいて、テレビも新聞もまったく見ない生活を送っていたし、そもそも美術や歴史にさほど関心がなかった。
 京都・神護寺にある源頼朝の肖像画――学生時代の歴史教科書に載っていて、クラス男子5人1人がいたずら書きしていたもの――が、実は足利直義(ただよし)らしいと知ったのは、つい最近である。
 関心がないと、たとえ目の前にあっても、情報は入って来ないものである。
 まあ、何百年も前の肖像画のモデルが、源頼朝だろうが、足利直義だろうが、北条実時だろうが、志村けんだろうが、社会生活を送るのになんら関係ないってのが、大方の社会人の意識であろう。
 研究者がつくる学界の社会隔絶性ってのは、社会学の研究テーマの一つになりそうだ。

 しかし、研究者でない一介のミステリーマニアにとっても、この謎は十分興味をそそる。
 著者の米倉が、通説に疑問をもち、いろいろな角度から調べ上げ、新たな文書の発見に光明を見出し、ついに満を持して新説を打ち出す過程が、あたかも、警察からも世間からも殺人犯と思われていた容疑者が、名探偵の丹念な調査と卓抜な推理、新事実の発見によって嫌疑不十分となり、ついには真犯人指名とトリックの解明によって無実が証明される――そんな本格推理小説のプロットのようで、面白く読んだ。
 問題の肖像画を含め、たくさんの図版が掲載されていて、読者が自分の目で証拠の品々を確かめられるのも親切である。

 神護寺三像というのは、源頼朝・平重盛・藤原光能(みつよし)と伝えられてきた、3点の大きな(約143cm×112cm)カラー肖像画のこと。
 絵自体には作者名もモデル名も描かれた日付も記されていないので、時代が下るにしたがい、絵のモデルが誰なのか不明になっていった。
 神護寺が上記3名をモデルと比定したわけは、南北朝時代(14世紀中頃)に書かれた『神護寺略記』に、神護寺の仙洞院(現存せず)に源頼朝・平重盛・藤原光能・平業房・後白河院の肖像画があり、それは藤原隆信が描いた、という記事が載っているからである。
 そこで神護寺は、前者3人の肖像画と比定し、平業房と後白河院のそれは無くなったと判断したのである。藤原隆信(1142-1205)が作者ならば、制作年代は鎌倉時代初期である。
 以後、これが学界においても通説となった。

神護寺金堂
神護寺金堂

 昭和になって、この通説に疑問を投じる研究者が現れた。
 美術史的観点から、また服飾史的観点から、さらには肖像が描かれている絹のサイズに着目し、肖像が描かれた時代はもっと下るのではないか、鎌倉末期以降なのではないか、という見解が出された。
 しかし、通説をひっくり返すほどの確証もなく、学会と鎌倉殿の権威はビクともしなかった。

 米倉迪夫が新説を堂々と打ち出したきっかけは、新たな歴史文書の発見にある。
 それが、安永4年(1345)4月23日に書かれた『足利直義願文』で、米倉は東京大学史料編纂所と東山御文庫(京都御所にある皇室の文庫)にその写しを見つけたのである。
 そこには、足利尊氏の弟である直義が、阿含経とともに兄・尊氏と自分の肖像画を縁ある神護寺に奉納する旨、書かれていた。画家の名はなかった。
 これにより、米倉は肖像画のモデルを次のように比定し直した。

 源頼朝     ⇒ 足利 直義
 平重盛     ⇒ 足利 尊氏
 藤原光能 ⇒ 足利 義詮(よしあきら)

 もちろん、制作年代は14世紀半ば。通説より100年以上もあとになる。

 そうして、神護寺三像をめぐる論争が巻き起こった。
 その後の経過に興味ある方は、ウィキペディア神護寺三像をお読みいただければと思うが、令和の日本史教科書から神護寺の源頼朝画像が撤退している現状からして、米倉説が定着しつつあるようだ。
 一方、肝心の神護寺は、公式ホームページの記載からすると、源頼朝像であるという姿勢を崩していない。

 ひとつの謎の解明は、新たな謎を生む。
 本書を読んでソルティが疑問を抱かざるを得なかったのは、以下の点である。
  1. 足利直義願文の原本はどこにあるのか?
    ⇒順当に考えれば神護寺だが、神護寺のホームページの寺宝紹介にはその記載がない。神護寺は文書を紛失してしまったのか? この足利願文が存在することをまったく知らなかったのか?
  2. 神護寺の思惑はいかに?
    ⇒本書のあとがきには、「神護寺御住職谷内乾岳師にはひとかたならぬお世話になった」という米倉による謝辞が載っている。肖像画の図版掲載など、神護寺の協力なしにはできないことである。谷内乾岳師(1939-2004)は、米倉説の中味を知った上で研究協力されたのだろうか? 現在の神護寺(住職は乾岳師の息子の弘照師)のスタンスから察するに、「米倉に裏切られた!」と思っても無理ない状況に思えるが・・・。
  3. 藤原隆信が描いた本当の源頼朝像および他の4名の肖像画はどこにあるのか?
    ⇒ソルティが東京国立博物館『神護寺展』で観た後白河法皇の肖像は、手元にある作品リストによれば、京都・妙法院所蔵の鎌倉時代(13世紀)のものであった。これと、神護寺に納められた後白河法皇の肖像は関係あるのか?
 ソルティの頭の中にある源頼朝は、神護寺のそれではなく、『草、燃える』の石坂浩二であり、『鎌倉殿の13人』の大泉洋である。NHK大河ドラマの影響のほうが強い。
 歴史教科書の画像は、いたずら書きしてしまったせいか、あまり印象に残ってなかった。(ソルティのことだから、おそらく女装化させたのだろう)

お女装大師
秩父の某寺にあるお女装大師



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 
 




 
 

  
 

● なんなら、奈良18(奈良大学通信教育日乗) 真夏のスクーリング 

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 3回目のスクーリングは「美術史特殊講義」。
 講師は日本中世絵画史専門の原口志津子先生であった。

 とにもかくにも、アウトドアの学外実習は灼熱地獄と思い、インドアのみの講義を選んだのだが、同じことを考える人は多いようで受講者は100人を超えていた。
 むしろここは、あえてアウトドア講義を選んで、少人数の中身の濃い授業を受ける特典を狙うというのもありか・・・?
 空調服があれば何とかなるかもしれない。
 来夏は検討に入れよう。

1日目
 午前、午後とも学内講義
2日目
 午前: 奈良国立博物館「世界探検の旅―美と驚異の遺産―」展見学
 午後: 学内講義
3日目
 午前: 学内講義
 午後: レポート作成

 「美術は楽しんでなんぼのもの」
 ――というのが原口先生のポリシーであり、今回の講義も、「いかにして美術から楽しみを見つけるか」というところに焦点が置かれていた。
 まったく同感である。
 芸術というのは食うためには役に立たない代物なので、その存在価値は常に議論の的にされる。
 コロナ禍の時など、どれだけの役者や音楽家や咄家が職にあぶれ、みずからの非力を嘆いたことか。
 平和があって、健康があって、衣食住が保障され、はじめて人は娯楽や芸術活動に目を向けられる。
 人類にとって、芸術は娯楽と同じレベルなのだ。
 であれば、楽しんでこそ、楽しませてこそ、その存在は正当化される。
 (むろん、「楽しい」にもいろんな質がある)

 今回の講義でとくに印象に残ったことをいくつか。
 (実際の講義内容そのままではありません、あしからず)
  • 「美術」という言葉や概念は日本にはなかった。明治の文明開化の折、それまで伝統的に技芸や工芸としてあったものを、西洋の枠組みに合わせて「美術」と「工芸」に分けた。絵画と彫刻(と美術工芸)のみが「美術」とされ、殖産興業に役立つものが「工芸」とされた。そのどちらにも入らない書道がいちばん割を食った。
    ⇒たしかに、西洋にはカリグラフィはあっても「書」という芸術はない。人間の精神や自然の表現である「書」は、東アジア漢字圏ならではのものだ。
  • 装潢師(そうこうし)・・・絵画、書跡、古文書など文化財の保存修理を専門に行う技術者。一般社団法人国宝修理装潢師連盟が資格制度を設けている。
    ⇒はじめて聞いた職名。『大辞泉』(小学館)によると、潢は「紙を染める」の意で、装潢とは本来、「書画を表装すること」を言う。国立博物館の学芸員と装潢師の青年を主人公にした『国宝のお医者さん』(芳井アキ作、KADOKAWA)というコミックがある。探してみよう。
  • 「百人一首」随一の歌聖・柿本人麿の “だらっとした” ポーズの秘密は、中国のある有名な詩人、および仏典に出てくるある有名な在家信者にルーツがあった!
    ⇒そんな関連があるとは思わなんだ。見えているものの背後に隠された意味がある。図像学の面白さよ。

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  • 歴史の教科書でお馴染みの源頼朝の肖像画(神護寺所蔵)が実は足利直義(ただよし)だった件
    ⇒30年前に新進の研究者であった米倉迪夫(よねくらみちお)がこの説を発表した際、喧々諤々の議論が起こった。その後、歴史研究家の黒田日出男や米横手雅敬(うわよこて・まさたか)らの傍証も加わって、今では頼朝説は旗色が悪い。教科書の掲載も見送られつつある。一方、所有主である神護寺は、そのホームページに見るように、頼朝像であることを疑っていない。なので、博物館や美術館がこの肖像を借りるときは「伝・源頼朝」と表記するほかない。頼朝だろうが直義だろうが、美術的価値は変わらないのだが・・・。さまざまな方面からの証拠が積み上げられていって、通説が変わっていくダイナミズムが面白い!
  • 鑑定書が付いている美術品は、時代の混乱期(江戸前期、明治維新、アジア・太平洋戦争後など)に動産移動したことを意味する。つまり、過分に箔付けされた可能性が高く、中身は当てにならないことが多い。
    ⇒今度「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)を観るときに確認しよう!
  • ほかにも、『鳥獣戯画』や『伴大納言絵巻』や『釈迦涅槃図』など、興味深い話題がてんこもりで、日本絵画に対する関心が高まった。謎を発見することが出発点なんだと思った。
 原口志津子先生は定年間近という。
 この講義に間に合って良かった。

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昼休み中の学食
(社員食堂ではありません)

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学食の日替わり定食「ミックスフライ・ランチ」

 2日目の奈良国立博物館「世界探検の旅―美と驚異の遺産―」展は、今年3月のスクーリングで見学した天理参考館の所蔵品が主だった。
 なので、実質2度目の鑑賞。
 仏像と涅槃図に奈良博物館所蔵のものがあり、これが初見であった。

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奈良国立博物館

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展示内容のためか、外国人入場者が多かった

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釈迦涅槃図(中国・南宋時代、13世紀、絹本)
よく見ると、寝台の前で踊っている人がいる
涅槃は寿ぐべきことなのである

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釈迦如来立像(日本、13世紀、木造)
清凉寺式と言われる模刻像で、生前の釈迦の姿を写し取ったとされる。
仏像が造られ始めたのは仏滅後500年経ってからなので“方便”である。

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兜跋毘沙門天立像(日本、12世紀、木造)
これ、カッコいい!
タロットカードの絵柄のよう

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迦楼羅(かるら)像(日本、13世紀、木造)
千手観音を守る二十八部衆の一人
永久保貴一のコミック『カルラ舞う』で日本でも知られるようになった

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霊鳥ガルーダに乗るヴィシュヌ神(インドネシア、20世紀、木造)
この鳥が仏教に取り込まれて迦楼羅となった

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加彩鎮墓獣(中国、8世紀、陶製)
貴人の墓を守る獣

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魔女ランダの仮面
インドネシア・バリ島に伝わる魔女で人間に災いをもたらす
鬼子母神がバリ化したものという説がある

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霊魂舟ブラモン(インドネシア、20世紀後半、木製)
死と再生を象徴する祭具として成人式に使われる

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パプア・ニューギニアの精霊像(20世紀中頃)

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こういった未開地まで天理教を広めに行ったというのがすごいと思う。
パプア・ニューギニアといったら人喰いの噂で有名だった。

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サラスヴァティー女神像(インド、20世紀後半、金属製)
学問と技芸をつかさどる女神
仏教に取り入れられ、弁財天となった

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ガネーシャ神像(インド、18~20世紀、石像)
密教に取り入れられて聖天様となった

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魔人アスラの仮面(インド、20世紀後半)
いわゆる阿修羅
興福寺の美少年像とのギャップがはなはだしい

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蛇飾壺(エジプト・ローマ時代)

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赤像式アンフォラ(イタリア、紀元前4世紀頃)

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万年壺(中国、8世紀)

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約2時間の世界探検の旅だった
時代や国や民族は違っても、人間がつくる物語には共通項があるなあとつくづく思った。ユングの言う、いわゆる元型か。

 今回のスクーリングの評価は、3日目の講義終わりに提出するレポートも含まれていた。
 課題は初日に告げられていたが、400字詰め原稿用紙最低3枚、できれば5枚以上という指定があり、何をどう書いたらいいか迷った。
 おかげで、今回初めて大学図書館を利用した。
 2日目の講義終了後に図書館に足を運び、司書の方に本を探すのを手伝ってもらい、閉館時間近くまでレポートを書く準備作業に追われた。
 そう。せっかく現地まで来たのだから、大学施設を利用しない手はなかった。
 今後はもっと図書館はじめ学内施設を活用しよう。

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 スクーリング終了後にテキスト科目の筆記試験が待っていた。
 平安文学論である。
 手書き原稿のみ持ち込み可なので、これまでの試験のように回答を事前に暗記する必要はなかった。持参した原稿をただ書き写せばよかった。
 そこは気楽なのだが、持ち込み可ということは、それだけ事前作成した回答の質が問われるということである。
 この科目は採点が厳しいという噂が立っており、ソルティもレポートは再提出となった。
 練りに練った答案を用意して臨んだのだが、結果はどう出るか?
 ほぼ制限時間いっぱい使って、解答用紙の裏面まで書いた。
 さすがに手が痛くなった。

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通信教育学部棟
学科試験の会場だった

 スクーリングも3回目ともなると、勝手がずいぶんわかってくる。
 自動販売機やトイレの場所とか、午前の講義の休憩時間に日替わりランチの食券を買っておくとよいとか(新千円札は使えないとか)、オペラグラスがあると講義中モニターを見るのに役立つとか、大学から高の原駅(近鉄京都線)までの近道とか・・・・。
 今回は、奈良大学から平城(へいじょう)駅まで歩いてみた。
 正門・裏門からの距離はほぼ同じ(1.7km)である。


google map

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奈良大学裏門(サブゲート)

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大阪との県境をなす生駒山が見える

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奈良大学付属高等学校
奈良大学の前身
1925年南都正強中学(夜間制)として薬師寺内に創立
祝!創立100年

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赤いドームは奈良競輪場

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神功皇后陵
第14代仲哀天皇の后
気の強い男まさりの女人として知られる

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八幡神社

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近鉄京都線・平城駅
徒歩20分ほどだった
住宅街や御陵脇を通るので気持ちいい散歩道であるが、平城駅には各駅停車しか止まらない。通過電車を3本見送った。つまり、急行の止まる高の原駅のほうが便利。

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乗り換えの大和西大寺駅構内には飲食店がいろいろある

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マーボー豆腐定食
学割がきく!
陳皮やぶどう山椒が入って深みのある辛さ

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猿沢池周囲は夜間、燈籠が灯される

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対岸から
奈良のいいところは暗さを大切にするところ
街灯がない
そのぶん、池ポチャする人がたまにいるのではないかと思う(笑)
猿も池に落ちる

 今年度のスクーリングはこれで終了の見込み。
 3日間×3回、都合9日間の通学だったが、内容的には平素の3ヶ月分くらい脳を使った気がする。













● VRゴーグル初体験 :東京国立博物館「江戸大奥」展に行く

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 盆明けの平日の午後なら空いているかと思ったのだが、結構混んでいた。
 女性客が多いのは想定内だが、外国人の多さは不思議。
 外国人がなぜ江戸時代の大奥に関心ある?
 よしながふみのコミック『大奥』(男女逆転!パラレル時代劇)が英訳されて、アザーワイズ賞(旧ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞)を獲ったことが影響しているのだろうか?

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 ドラマ『大奥』(NHK放映)で俳優たちがまとった衣装の展示から始まって、有名な御台所たちの肖像画、明治時代の浮世絵師揚州周延が描いた「千代田の大奥」シリーズ、大奥の成り立ちや構造、大奥の暮らし、女中たちの生涯、歴代ヒロインゆかりの品々、豪華絢爛な着物や調度の数々・・・。
 大奥ファンにはたまらない内容だろう。
 ソルティは大奥に詳しくないし、よしながふみの『大奥』を読んでいなければ、TVドラマや映画も観ていないので、2時間程度で大まかに鑑賞した。

 大奥ってのは、一度入ったら簡単には出られない広大な座敷牢みたいなもので、厳しい規則やしきたりがあった。
 斬首や島流しや江戸追放を含み関係者1400名が処罰された江島生島事件など、きっかけは大奥お年寄の江島が、墓参りの帰りにちょっと芝居小屋に寄って門限に遅れたことであった。
 恋もままならないし、側室間の派閥争いや権謀術数には巻き込まれるし、ふつうに町娘でいるほうがずっと幸福だと思うのだが・・・・。
 それでもセレブにあこがれる女子は多かったのだろうなあ。
 食うには困らないってのも大きかったのかもしれない。

 足が止まったのは、東京目黒区にある祐天寺の阿弥陀如来坐像の前。
 これは享保8年(1723)に5代将軍徳川綱吉の養女である竹姫(浄岸院)より寄進されたのだと言う。信仰篤き大奥人だったのだ。
 全般シンプルなつくりであるが、そのシンプルさが表面を蔽う金の輝きを品よく見せている。表情も穏やかで観る者に安心感を与える。
 大奥展で仏像を見るとは思わなかった。 
 人間よりも仏像に興味が向いてしまうソルティであった。

 実を言うと、いちばん面白かったのは入口の脇でやっていた大奥VR(Virtual Reality)体験。
 NHK番組『歴史探偵』がCG制作した大奥の内部映像を、VRゴーグルを頭に付けて体感するというもの。
 ソルティ、実はVR初体験。
 頭を左右に動かしても、上下に動かしても、後ろを振り向いても、ちゃんと奥行きある映像が不自然なく立ち現れて、まさに江戸の大奥の座敷に自分がいるような感覚が味わえる。
 隣には自分と同じようにゴーグルを付けている現代人がいるはずなのに、その存在がすっかり消えてしまう。
 不思議な感覚だった。
 これが進化したら、実際に足を運ばなくとも、観光旅行や時間旅行できるようになるのでは?

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dlohnerによるPixabayからの画像

 ソルティにとって今秋の最大のイベントは、9月9日から東博で始まる『運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』展である。
 なんと、奈良・興福寺北円堂の諸仏をすべて東京に運んできて、その空間を再現してしまおうというのだ。
 日本彫刻史上の最高傑作と言われる世親・無着菩薩立像、弥勒如来坐像、四天王立像の計7点の国宝がやってくる!
 はたして、リアルな運慶空間に、仮想現実は太刀打ちできるのか?

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● 2025年夏・みほとけまつり4 即成院、悲田院

 京都市内観光はレンタサイクルが便利。
 渋滞も駐車場探しも一方通行も待ち時間も関係なく、狭い路地でもスイスイ入っていける。
 東福寺駅そばのサイクルステーションで電動アシスト自転車を借りて、泉涌寺(せんにゅうじ)の2つの塔頭寺院をめぐった。

日時 2025年8月12日(火)曇り
行程
10:00 JR東福寺駅
10:15 即成院
11:15 悲田院
12:30 鳥戸野陵
13:00 東福寺駅
15:00 新幹線・京都駅発 

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即成院(そくじょういん)
藤原頼通の次男・橘俊綱による創建と伝わる
真言宗泉涌寺の塔頭の一つ

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本堂

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阿弥陀如来と二十五菩薩
最下段左隅の光輪を持たない如意輪観音をのぞいて25菩薩と数える
26体のうち、阿弥陀如来坐像を含む11体が平安時代作、残りの15体は江戸時代の補作(画像は受付でいただいたポストカード)

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この観音菩薩像が見たかった!
阿弥陀如来に向かって右隣に座す
手にもっているのは蓮台である
27体中、飛び抜けた美しさ。
定朝の孫の院助作とする説がある

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本堂から渡り通路を登っていくと・・・

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那須与一の墓
源平合戦屋島の戦いの際、敵(平家)の船上に掲げられた扇を一射で落としたことで知られる日本のウィリアム・テル。
即成院の阿弥陀仏への信仰篤く、晩年は当地に庵を結び、没したと伝えられている。

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泉桶寺総門
山内に9つの塔頭寺院をもつ広大な寺

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悲田院
悲田院と言えば、聖徳太子や光明皇后や鑑真がつくった福祉施設。平安京にも存在したが、当寺との関係は不明である。
拝観は予約が必要。

 ここの何よりの目玉は、快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像。
 2009年の調査で頭部内より「アン(梵字)阿弥陀仏」の墨書が見つかり、快慶作と判明した。快慶がこの署名を使ったのは「法橋」という地位を授かる1203年までなので、それ以前の作と考えられている。
 醍醐寺の弥勒菩薩坐像に似た、左右対称性の強い、非常に洗練された像容。
 快慶仏の特徴の一つは、切れ長の目の美青年ってところにあると思う。
 たとえれば、昭和のアイドル沖田浩之。  
 衣もまた、昭和時代のアイドルがよく着ていた、スパンコールをあしらったドレープの波打つきらきらドレスを思わせるところがある。

 このお寺にはまた、土佐光起・土佐光成父子が描いた襖絵がある。
 これが素晴らしい。
 なんでも、長い間お寺の天井裏に丸められ捨て置かれていたものを、平成18年(2006)に京都市観光文化資源保護財団が修復し、3室34面の襖絵に仕立て上げたという。
 「松に猿」、「竹に鶴」、「紅葉に雁」、「蓮・梅・菊」、「滝を見る李白」、「ホトトギスを聴く杜甫」など、よくもまあ紙屑のような古紙からこれだけ修復したものと、保存科学技術の技に感心した。 
 繊細にして優美な筆致も見どころであるが、興味深いのは人物の左目がすべて潰されているところ。
 どういった謂れがあるのやら?
 ちょっと、ぞっとした。


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境内から北西方向に京都市街を望む
左端に京都タワーが見える

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東側に広がる鳥戸野陵と東山

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鳥戸野(とりべの)陵
平安時代以降、葬送の地として知られる
東の鳥辺野、西の化野(あだしの)、北の蓮台野が京の三大葬地

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ここに来たのにはわけがある

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清少納言『枕草子』の主人公である一条天皇妃・定子のお墓なのだ

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ほかにも、醍醐天皇妃・穏子、円融天皇女御・詮子、後朱雀天皇妃・禎子など王朝時代の6人の后が祀られている

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お経の代わりに朗読

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

秋は夕暮れ。夕日の射して、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼なりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

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陵墓から見える京都市街
清少納言との楽しき日々を思い出してくれただろうか

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カンカン照りではなかったけれど、奈良と京都の蒸し暑さは関東とはレベルが違う!
徒歩5分でシャツが背中に張り付いた。
でも、この湿気ゆえにお寺や仏像が守られてきたのかもしれないな。

いにしえの人々のいろいろな思いに浸った旅だった。
















● 2025年夏・みほとけまつり3 奈良国立博物館・仏像館

 奈良国立博物館の一角を占める仏像館は、仏像専門の展示施設として2010年にオープン。
 飛鳥時代から南北朝時代にいたる日本の仏像を中心に、常時100体近くの仏像を展示している。
 まさに仏像の巨大集積地であり、仏像マニアにとっての聖地である。
 ついにここにデビューした。

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仏像館
一般入場料700円だが、奈良大学の学生は学生証提示で無料
写真撮影可の仏像もある

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現在、吉野金峯山寺の金剛力士像が展示されている

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出山釈迦如来立像(木造、南北朝時代)
苦行で悟りは開けないと知ったお釈迦様が山を下りたところ
このあと乳がゆを飲んで菩提樹の下に座す

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五大明王像(木造、平安時代)
多面多手の奇怪な姿は密教の影響
空海帰国以降の像と知られる

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二十八部衆立像(木造、鎌倉時代)
左より、婆藪仙人、毘沙門天、毘楼博叉天、五部浄居天
力強く写実的な像容はおそらく慶派?

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憤怒の五部浄居天

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金峯山寺仁王門・金剛力士立像(木造、南北朝時代)
康成作、像高約5m
東大寺南大門の次にデカい仁王像
寄木造のため分解して運び入れた(by警備員さん)
天井ぎりのド迫力!

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阿!

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吽!

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血管が蛇のようにのたくっている

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毘沙門天立像(木造、鎌倉時代)
これも慶派だろう

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男女神坐像(木造、平安時代)
ひな人形の原型のように見える

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伊豆山権現立像(木造、平安~鎌倉時代)
静岡県熱海市の伊豆山神社の祭神
これぞ『源氏物語』時代のイケメン!

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獅子(木造、鎌倉時代)
かつて背上に文殊菩薩を乗せていた
主を失って、どことなく淋しげである

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伽藍神立像(木造、鎌倉時代)
「走り大黒」と呼ばれていたが、禅宗寺院を護る伽藍神との説
宅急便のキャラクターにしたら受けそう

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 今回仏像を見るにあたってソルティがチャレンジしたのは、キャプション(解説)を読む前に、仏像の造られた時代を推定するゲーム。
 奈良大学通信教育の美術史概論で、時代ごとの仏像の様式を学んだので、観るだけでどれだけ当てられるものか試してみた。
 結果、約7割くらいの仏像について、正しい(キャプションどおりの)時代を当てることができた。
 難しいのは、鎌倉時代以降の仏像について、鎌倉か室町か南北朝か、見分けがつかなかった。
 〇〇派や仏師の名前まで当てられるようになれば、上級者入り?

 今回もっとも感動した仏像は、金峯山寺仁王像のほかに2点あった。
 1点は、快慶の阿弥陀如来立像。
 よもやここで快慶仏と出会えると思っていなかった。
 建仁元年(1201)に快慶が兵庫県浄土寺のためにつくったもので、奈良国立博物館が預かっているのだという。
 浄土寺の阿弥陀如来三尊像と言えば快慶の代表作(国宝)として有名だが、これはそれとは別物。
 俗に「裸阿弥陀」と呼ばれ、法会の際に裸の上半身に実際の衣を着せ、台座に乗せて信徒の間を練り歩くのに使われた像らしい。
 普通に考えて、あの国宝がなんの広報も宣伝もなく、仏像館に並んでいるわけがなかった。
 しかし、この阿弥陀如来像も素晴らしいことこの上ない。
 像高266.5cmのすらりとした麗姿と、透過力ある眼差しを前にすると、一歩も動けなくなる。
 蜘蛛の巣にかかった虫のように身動き取れなくなってしまうところが、快慶仏の凄さ。  
 巣の中心から放射されたキラキラした糸が、慈しみの光で観る者を包み込む。

 もう1点は、平安時代の十一面観音菩薩立像。
 木造、等身大、なめらかな黒檀のような肌と細くくびれたウエストをもつ非常に美しい像で、インドの女神のごとく下半身を軽く捻った姿勢が官能的である。
 一方、表情はたおやかにして童女のようにあどけない。
 どことなく現役時代の浅田真央に似ている。
 衣の彫りは丁寧で、指先の表情の豊かさは、法隆寺の百済観音か、中宮寺の菩薩半跏像を思わせる。
 この完成度、超国宝展でお会いした京都・宝菩提院の菩薩半跏像に近い。
 一目惚れしてしまった

 帰宅後に調べたところによると、斑鳩の勝林寺が所有していたのだが、現在廃寺になってしまった。
 東京文化財研究所のデーターベースによると、1960年2月の記事に、

奈良県斑鳩町高安の勝林寺では、本堂再建資金の調達と重要文化財の仏像の保持困難を理由に、重要文化財指定の仏像三体を売却する法的手続をとつた。仏像は、木造十一面観音立像、聖観音立像、薬師如来座像の三体で、文化財保護委員会ではこれを許可した。
 
とあるので、このとき奈良博に所有が移ったものと思われる。
 なんと、白洲正子がその著『十一面観音巡礼』の中でこの仏像に触れている。

 殊にくびれた胴から腰へかけての線はなまめかしく、薄ものの天衣を通して、今や歩みだそうとする気配がうかがわれる。十一面観音にはよく見られるポーズだが、この観音の場合は、極端に細い胴と、豊満な腰のひねりによって、その動きが強調され、太っているわりにはひきしまって見える。(白洲正子著『十二面観音巡礼』、新潮社)

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 また会いに行くよ












  

 
 





 





● 2025年夏・みほとけまつり2 奈良市・元興寺

 奈良大学の3日間のスクーリングを終えた翌日、目覚ましをかけない朝寝坊を楽しみ、ホテルの食堂でゆっくりモーニング。
 荷物をフロントに預かってもらって、チェックアウト。
 本日は歩いて行ける仏閣・仏像めぐり。
 
日時 2025年8月11日(月)晴れのち曇り
行程
09:30 元興寺
12:00 猿沢池
     昼食
12:30 奈良国立博物館・仏像館
16:00 JR奈良駅
17:30 京都入り 

 元興寺は猿沢池から徒歩5分強の住宅街にある。
 あまり知られておらず、訪れる旅行客もさほど多くないのだが、実は長い長い歴史を誇る由緒ある寺である。
 なんと、日本で一番古い寺!なのである。

 いや、日本で一番古い寺は、蘇我馬子が596年に飛鳥の地に建てた法興寺(飛鳥寺)、鞍作止利のつくった金銅造の釈迦如来像がある別名・安居院だろう?
 そのとお~り。
 実は、飛鳥寺は平城遷都のときに当地に移され、元興寺と名を変えたのである。
 それゆえ、元興寺は「平城(なら)の飛鳥」と呼ばれたという。
 知らなかった。

 もとの飛鳥寺のほうはその後、元法興寺と呼ばれて平安時代頃まではそれなりに栄えていたらしい。
 が、室町時代には廃寺同然となり、釈迦如来像は吹きさらしに置かれていたという。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの、釈迦如来像は顔の一部と右手の3本の指をのぞいてあとから作り直されたものなのである。

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飛鳥寺(安居院)

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飛鳥大仏(釈迦如来像)

 もし、平城京に移る際に釈迦如来像も一緒に移していたら、日本で一番古い仏像がもっとマシなかたちで残っていたかもしれない、と一瞬思う。
 が、平重衡による南都焼討ち(1180年)によって、興福寺・東大寺を含む現在の奈良市主要部の大半が焼け野原になったというから、やっぱり期待はできなかった。
 文化遺産の最大の敵は戦である。


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養老2年(718)、飛鳥より現在地に遷された
もとは猿沢池のほとりを北辺とする広大な寺所があった

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国宝・極楽堂(本殿)
本尊は、天平期に智光僧都がつくった曼荼羅(浄土変相図)
現在は模写が飾られている

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手入れが行き届いた気持ちいい空間
この寺を愛する地元民のこころを感じる

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極楽堂を裏手から見ると、飛鳥時代(創建当初)の瓦が見える
鎌倉時代にお堂が再建されたときに再利用された

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 ここの宝輪館の展示が実に面白い。
  • 奈良時代唯一の五重塔(高さ約5.5m)は、ずっと屋内に保管されていたため保存状態がとても良く、国宝指定されている。ただし、当初の色は失われている。2階に上って、塔の上層部を真横から見ることができるのは貴重。
  • 平安時代の阿弥陀如来像、鎌倉時代の毘沙門天像、桃山時代の閻魔大王像、江戸時代の弁財天像など、各時代の仏像が居並び、バラエティ豊か
  • 聖徳太子2歳像、16歳像、弘法大師坐像と揃っているのが民間信仰を感じさせる
  • 3階には、国家でも貴族でもなく地元庶民の篤い信仰によって支えられてきた寺の歴史を感じる資料がたくさん展示されている。鎌倉時代の女性が作った「DV夫との離婚を祈願する祭文」はじめ、中世の庶民信仰の様子をうかがえる第一級の資料の数々に感嘆した。国の庇護を受けた東大寺、藤原氏の氏寺である興福寺のそばに、奈良庶民の寺があった。
  • 卒塔婆など木製遺物の保存修復の実際など、文化財保存科学に関するわかりやすい展示もあって、テキストで勉強したことの復習ができた。

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境内に咲く桔梗に癒される

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かえる石
太閤秀吉により大阪城に召し出された奇石
淀君の霊がこもっていると言われ、城堀に身投げした人は必ずこの石の下に帰り着いたとか
いかなる縁からこの寺にたどり着いたのやら
毎年7月7日に供養しているとのこと

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春日山を借景とする緑豊かな境内は、市中とは思えない静かさ
落ち着いた時を過ごせる良い寺である

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興福寺の梵鐘を聴きながら、猿沢池のほとりで昼食
午後から仏像館へ。











 

 
 

● 2025年夏・みほとけまつり1 愛知県・瀧山寺

 奈良大学のスクーリングに合わせての寺社仏閣・仏像めぐり。
 今回も、名宝&秘宝&珍宝てんこもりの満足至極な旅となった。
 40度近い炎天下の行軍(?)を覚悟していたが、曇りや雨が多く、身体的にはさほどしんどくなかった。
 スクーリング前日、名古屋で途中下車し、運慶・湛慶父子作の仏像がある瀧山寺に寄った。

日時 2025年8月7日(木)曇り時々晴れ
行程
11:18 JR名古屋駅発(名鉄名古屋本線)
11:47 名鉄・東岡崎駅着
12:00 東岡崎駅発(名鉄バス・上米河内行)
12:30 滝山寺下バス停着
     瀧山寺参詣(約2時間)
14:48 滝山仁王門前バス停発
15:17 東岡崎駅着
15:47 新幹線・名古屋駅発 

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東岡崎駅北口から名鉄バスに乗る
本数が少ないので、事前チェックは必須

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滝山寺下バス停下車
こんな里中にあるとは思わなかった
「市街地より気温が2度ほど低い」とご住職

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その名の通り、滝のある川沿いの山の上にある
石段で汗を絞られた

 瀧山寺は、天武天皇(673-686)の時代に役行者によって開かれたと言われる。
 もとは吉祥寺という名前であったが、平安末期に天台宗になり、瀧山寺となった。
 以来、源頼朝や足利義氏や徳川家光の庇護を受け、三河屈指の古刹として地域の人々の信仰を集めてきた。
 
 
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本堂
鎌倉時代建立
本尊は50年に1度御開帳の薬師如来坐像
内陣には十二神将が立ち並ぶが、暗くてよく見えなかった

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瀧山寺パンフレットより
薬師如来三尊像と十二神将

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本堂の背後にある日吉山王社
平安末期、瀧山寺の守護神として山王権現を勧請した
いわゆる神仏習合である
建物自体は江戸時代建立

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徳川家光建立の東照宮
岡崎は家康公誕生の地なのである

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宝物殿
拝観料500円
ちょうどご婦人団体と一緒になり、住職の愉快な解説が聞けた

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運慶・湛慶作の聖観音立像
(瀧山寺パンフレットより)

 なぜ、鎌倉からも京都や奈良からも離れたこんな愛知の里中に運慶作の仏像があるのか?
 それは鎌倉時代初期に瀧山寺の住職を務めた寛伝僧都が、源頼朝の母方の従弟だったから。
 頼朝が亡くなった際、寛伝は頼朝の追善供養のため堂を建て、頼朝と関係の深かった運慶に本尊と脇侍の制作を依頼。
 運慶は、息子の湛慶と共に、聖観音菩薩立像、梵天立像、帝釈天立像の3体を彫像。
 寺の縁起によれば、頼朝の3回忌にあたる正治3年(1201年)に完成、像内に頼朝の鬚(あごひげ)と歯を納入したという。
 近年のX線撮影では、聖観音像の頭部に人の髪の毛と歯が発見されている。

 実を言えば、美術の本やインターネットで観た時は、運慶作という点に疑心暗鬼なところがあった。
 肌を白ベタや金ベタに塗りたくられ、カラフルな衣装をまとった3像からは、温泉地の土産物屋で売られている人形のようなゴテゴテしい安っぽさを感じた。
 しかるに、実物を目の前にしてみたら、思ったより大きくて、周囲の空気を薙ぎ払う風格と品の良さがあった。
 静かな落ち着きのうちに神々しいオーラを放っていた。
 聖観音と梵天は、とても優しい顔立ちで、体の線には女性らしい柔らかさとなまめかしさがある。母性的といおうか。
 対して、帝釈天は、きりっとした勇ましい顔立ちで、アスリートのごとく引き締まった体から漲る力を感じる。“美しい緊張”は願成就院の毘沙門天像に近い。
 個人的な印象では、帝釈天は運慶、梵天は湛慶、聖観音が合作といった感じ。
 江戸時代に彩色されてしまったため、国宝指定は受けられないのだそう。

 宝物殿にはほかに、深大寺の巨大彫刻のミニチュア版のような元三大師坐像(鎌倉時代)、いっとき快慶作ではないかと騒ぎになった十一面観音菩薩立像(美術史家の奥健夫氏によって否定されたそうな。but 慶派の作であるのは間違いなかろう)、愛知県で一番古い木彫りの狛犬、旧正月七日に行われる瀧山寺鬼まつりの鬼面、まつりの光景を描いた巨大絵画などが展示され、見どころたっぷりだった。

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前を流れる青木川
豊田市との境で矢作川に合流し、三河湾にそそぐ

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三門(仁王門)
鎌倉時代建立
お寺からはバス停ひとつ分(歩いて10分)離れたところにある
かつてはここから境内が始まっていた

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バスの待ち時間にベンチで横になる
イチョウの緑の大群のなかに、紅葉を発見

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名古屋駅に戻る

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新幹線の車窓から
岐阜県近江八幡付近を走行中

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JR奈良駅到着
明日からスクーリング












● 本:『謎の平安前期』(榎村寛之著)

2023年中公新書

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 副題は――桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年。
 著者の榎村寛之は、1959年生まれの古代史専門の歴史家である。

 藤原道長や紫式部や清少納言が活躍し、貴族中心の国風文化が花開いた10世紀後半~11世紀。
 院政が始まり、保元・平治の乱で武士が興隆し、源平合戦のすえに平氏一族が壇ノ浦に滅びた12世紀。
 NHK大河ドラマ『ひかる君へ』、『平清盛』はじめ、小説でもドラマでも映画でもよく題材にされ、時代の空気がつかみやすい平安後期にくらべて、9~10世紀前半の平安前期は今一つどういう時代かわかりにくく、茫漠としたイメージがある。

 桓武天皇が都を京都に遷して、薬子にたらし込まれた平成上皇の乱があって、最澄や空海が仏教界をリードして・・・・くらいまではそれなりにイメージが描けるが、それ以降が弱い。
 応天門炎上の罪を源信になすりつけようとした伴善男が失脚した(866)、大宰府に左遷された菅原道真の祟りで宮中に雷が落ちた(930年)、平将門や藤原純友が反乱を起こした(935~941)、派手な事件は起こっているのだが、突発的な印象が否めない。

 つまり、天皇中心の公地公民の律令国家を目指した奈良時代と、藤原北家が実権を握った摂関政治時代との間に空白があり、時代のつながりがよく見えないのである。
 一般に、平安時代=国風文化×摂関政治×寝殿造×『源氏物語』&『枕草子』×阿弥陀信仰&末法思想・・・のイメージで語られることが多いけれど、それはあくまで平安後期の政治や文化であって、平安前期はまた違った政治と文化のかたちがあったはずである。
 そこが気になっていたところに、まさに痒いところに手が届くようなタイトルの本書と出会った。

竹取物語
『竹取物語』のクライマックスシーン
かぐや姫が十二単でなく中国風衣装である点に注目
(京都「風俗博物館」の展示より)

 そんなわけで非常に期待してページをめくったし、2度読みしたのだが、残念ながら、やっぱり、どんな時代かよくわからなかった!
 理由のひとつは、内容が専門的(トリビア)すぎて、話についていけない部分が多かったから。
 はじめて聞く人名や職掌や制度が次々と出てくるのは仕方ないと思うが、そのために説明が煩瑣になって、要点がぼける。
 説明の仕方も、あたかも鉄オタかミリオタの少年が、聴いている他人の理解度なんか気にせず、自分の喋りたいことだけを滔々と気持ちよさげに語っているのに似て、読者にしてみれば置き去りにされた感が強い。
 とくに、著者の一番の得意分野である伊勢の斎宮や賀茂の斎院をめぐる箇所でその傾向が著しい。
 「お前の知識不足、読解力不足のせいだろう!?」と突っ込まれれば、一言もないが。

 また、著者は平安前期の政治や文化、中央と地方の関係などを、いろいろな興味深い人物やエピソードを上げて描き出してくれている。
 たとえば、
  • 朝鮮ルーツを持つ劣等感ゆえに桓武天皇はスーパー支配者となった
  • 門閥を後ろ盾にもたない者が、学問を通して出世できる道が残っていた
  • 名前を持った女性が官人として政治の場で活躍できた
  • 娘を入内させる摂関政治の興隆により、内親王が結婚できなくなった
  • 公的な場における漢文重視とは別に、仮名文字による和歌や物語の発展が起こった
  • 律令制度が形骸化し、地方官(受領)の権限が強まった
といったような点について。
 それぞれ「なるほど」と勉強になることばかりなのだが、「では、総論的に言って、平安前期はどんな時代だったのか」という、一言で納得できるようなまとめがない。
 本書の帯やカバーの紹介文の中に、「この国のかたち」を決めた云々とあるのだが、平安前期に成った「この国のかたち」とはいったい何を意味しているのだろう?
 そのあたり、もう少し総論的に丁寧なまとめが欲しかった。
 というのも、常識的に考えれば、「この国のかたち」を決めたのは、むしろ、
  1. 仏教を取り入れ「和をもって貴しとなす」を規定した聖徳太子
  2. 「日本」、「天皇」という国号や称号、『日本書紀』『古事記』を制作した天智・天武・持統・文武朝
  3. 中国に習って律令制度を導入した天平期
  4. 仏教が武士や庶民にひろまった鎌倉時代
  5. 現代につながる流通や商業のしくみが整った江戸時代
  6. 国軍を持つ近代国家として生まれ変わった明治時代
  7. 日本国憲法がつくられた戦後
などをあげるほうが適当と思うからである。

紅葉前線

 閑話休題。
 ソルティが一つ思いあたったのは、平安前期が曖昧模糊としている理由は、権力がどこにあるか=為政者が誰か、がはっきりしていないからではないか?
 つまり、
  • 飛鳥時代前期=天皇、蘇我氏
  • 飛鳥時代後期~奈良時代=天皇
  • 平安後期=藤原氏、院、平氏
  • 鎌倉時代=源氏、北条氏
  • 室町時代=足利氏
  • 戦国時代=群雄割拠
  • 安土・桃山時代=信長・秀吉
  • 江戸時代=徳川氏
  • 大日本帝国時代
  • 日本国憲法時代
と、それぞれの時代の権力の所在がある程度はっきりしているなかで、平安前期だけは、(桓武・嵯峨両天皇の御代をのぞいて)誰が権力者なのかよくわからない。
 別の観点で言えば、藤原北家が権力を握るまでの過渡期=武器のない戦国時代――といったところだろうか。
 そう解釈することで一応すっきりした気にはなるけれど、一方、権力の変遷(=支配者視点)のみによって歴史を認識するのは、ソルティが受けてきた学校の歴史教育の偏りの最たるものかもしれない。
 歴史を語る上で「視点をどこに置くか」は、前提として重要なのである。

 いろいろ考える機会を与えてくれた読書であった。


 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


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