ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 復活の日 : オーケストラ・ラム・スール 第11回演奏会

復活ラムスール

日時: 2025年11月3日(月)13:30~
会場: すみだトリフォニーホール大ホール
曲目: 
  • 平林遼: 神秘の存在証明 世界初演
  • マーラー: 交響曲第2番「復活」
  ソプラノ: 隠岐 彩夏
  メゾソプラノ: 藤田 彩歌
指揮: 平林 遼
合唱: コール・ラム・スール

 本年2度目の復活。
 平林遼という指揮者もラム・スールもはじめて。
 なかなか個性的かつ独創性ある指揮者のようで、気に入った。

 まず、舞台に登場してすぐ「オッ!」と注目を集めたのが、その衣装。
 タキシードではない!
 黒地に紫を基調としたカラフルな模様が編みこまれた、『銀河鉄道999』に出てくるプロメシューム(メーテルの母親)を思わせるような、お洒落なドレスシャツを着ている。
 そうよ、指揮者はタキシードを着るものと法律で決まっているわけではない。
 どんどん自分の好きなものを着て、気持ちをアゲアゲにして、いい音楽を作ってくれればそれに越したことはない。
 素晴らしい。

 次に、前プロに自ら作曲した世界初演のオリジナル曲(8分)を持ってきた。
 これが東洋風かつマーラーチック、しかも合唱付きで、場内の空気を一気に『復活』臨戦モードに変えていく。
 「ちょうど、いい曲を前プロに持ってきたもんだなあ」と感心したが、あとからプログラムを読んだら、なんとこの日のために即興的に書いたという。
 『復活』の前に置くのにふさわしい短めの曲がなかったから、という動機らしい。
 「大がかりな儀式のような『復活』を演奏するにあたり、場を浄化する露払い的な曲」と本人が記している。
 やるねえ~。
 しかも、前プロのあとに休憩は入れず、曲の切れ目がそれと分からないままに、『復活』第1楽章に突入。
 「前プロ、たしか8分のはずなのに妙に長いなあ~」と思って、途中でそれと気づき、トイレに行く機会を失った観客も少なくなかったと思う(笑)。
 いや、さすがに7度目の復活という最強ゾンビのソルティは、ちゃんとわかりましたとも。
 会場は7割くらいの入り。盛況であった。

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 率直に言って、これまで7回聴いた『復活』の中では、2019年に杉並公会堂で聴いた金山隆夫&カラー・フィルハーモニック・オーケストラと並ぶベストであった。
 全般に迫力と熱意があふれていた。
 第4楽章のオール・フォルティシモの爆風たるや、巨大なトリフォニーホールが木っ端みじんになるんじゃないかと思うほどだった。
 一つ一つの音が明確で、メリハリが効いていた。
 第1楽章がとくに緩急・強弱・硬軟自在で、扉が開けば別の世界、別の景色が目の前に広がる、遊園地のようなマーラーの音楽世界を見事に現出していた。
 合唱もあたたかみがあって良かった。
 人類は、他人からあたたかい声をかけられることで、ホモ・エレクトスからホモ・サピエンスに進化したのでは?――なんて妄想するほど、どんな腕の立つ演奏家がどんなに頑張っても、楽器では得られない人の声のもつ特質を思った。
 平林はこの曲について、マーラーが「魂の永遠の不滅性=輪廻転生」を表現したものと解釈したようだが(それゆえに東洋タッチで開始したのだろう)、そこのところはソルティはよく分からない。
 マーラーは、生まれ変わってこの世に戻りたかったのかな?
 また、最愛のアルマと出会いたかったのかな?

 素晴らしい演奏に出会った時にソルティに起こる現象として、例によって、身体中のチャクラがビクンと反応し、客席で何度もケイレンした。
 そのたびに“気”が湯気のように湧き上がった。
 しかるに――最近薄々感じていたのだが――これはソルティに憑依していた浮遊霊が浄化されている、すなわち音楽による除霊ってことなのかもしれない。
 鑑賞後に肩こりが楽になったのはそのためかも。
 

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終了後、錦糸町駅横の「てんや」で遅い昼食
いい音楽の後の飯は格別!




















 

 

● 令和の「砂の器」 映画:『盤上の向日葵』(熊澤尚人監督)

2025年日本
123分

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 天才棋士を主人公とするミステリーサスペンス。
 原作は柚月裕子の同名小説。
 2019年に千葉雄大主演でNHKでドラマ化されたらしい。
 知らなかった。

 山中で発見された男の白骨死体が胸に抱いていたのは、名工の彫ったこの世に7組しか存在しない将棋の駒。
 ベテラン刑事石破(演・佐々木蔵之介)と、かつてプロ棋士を目指していたが挫折した部下の佐野(演:高杉真宙)の懸命な捜査が、駒の持ち主を洗い出す。
 それは、彗星のごとき現れた気鋭の棋士、上条桂介(演・坂口健太郎)だった。
 圭介の過去を探る石破と佐野の旅は、父親に虐待された圭介の壮絶な子供時代に行き当たる。
 父・上条庸一(演・音尾琢真)は行方知れずだった。
 将棋界をリードする七冠の天才・壬生芳樹と挑戦者圭介とのタイトル戦が迫るなか、死体の身元が判明する。
 “鬼殺しのジュウケイ”と異名をとった元アマ名人・東明重慶(演:渡辺謙)がその人であった。
 圭介と重慶の間になにがあったのか?
 消えた圭介の父親はどこにいるのか?

 令和の『砂の器』というネット上のコメントを観て、映画館に足を運んだ。
 よもや『砂の器』に肩を並べられるほどの作品は、今さら作れないと知りながら・・・。
 
 たしかに、刑事ものミステリーというジャンルや“宿命”という重いテーマのみならず、プロット的に両作はよく似ている。
 『砂の器』が〈天才作曲家+悲惨な子供時代(父親の業病と差別)+過去と決別するための殺人〉であるならば、『盤上の向日葵』は〈天才棋士+悲惨な子供時代(父親からの虐待と呪われた血)+過去と決別するための殺人〉という布置。
 両作とも、日本各地を巡り歩く2人の刑事の捜査模様と、世間的な成功と称賛を手に入れた容疑者の姿とが、交互に描かれる構成を取っており、栄光からの転落がラストに待っている。
 悲惨な子供時代を演じる子役の印象的な眼差しも共通している。
 撮影と音楽はさすがに、川又昻と芥川也寸志・菅野光亮を擁した『砂の器』に及ばないが、ドラマを邪魔することなく、無難な水準である。
 テンポは断然、令和の平均的日本人の感覚に合わせた『盤上の向日葵』のほうがスピーディーで、退屈している暇がない。
 早指し同士の対戦のようにサクサクと話が進んでいく。
 一方、長考同士の対戦のような、『砂の器』のゆったりしたストーリー展開は、令和の若い世代には馴染まないかもしれない。
 テレビドラマやネットドラマとは違って、余白を味わえるのが映画の醍醐味なのだが・・・・。

 『砂の器』では、人間ドラマの合間に映し出される四季折々の日本の風景こそが、もうひとつの主役であった。
 『盤上の向日葵』もヒマワリ畑をはじめ季節感を出すべく頑張っているけれど、やはり、現代日本映画に季節感や風土色を盛り込むのはもはや容易ではないってことを、本作は示唆している。
 『砂の器』の森田健作の汗がどれだけ多くのことを語っていたか。

鰯雲
 
 さて、役者である。
 『砂の器』においては、父親・加藤嘉、息子・加藤剛、刑事・丹波哲郎、田舎の巡査・緒形拳がそれぞれ魂のこもった演技を披露して、観る者の心を鷲掴みにした。
 とりわけ、ハンセン病のため故郷を追われる男を演じた加藤嘉のそれは、一世一代の名演というにふさわしい。

 『盤上の向日葵』では、賭け将棋をなりわいとする真剣師を演じる渡辺謙、同じく真剣師で人生最後の対戦にのぞむ兼埼元治役の柄本明、この2人の役者としての凄みに圧倒される。
 2人が大金を賭けて5番勝負するシーンは、将棋の対決というより演技対決といった迫力。
 駒を打つ音とともに、2人の頭上で交差する白刃の音が聞こえてくるかのよう。
 『国宝』といい、NHK大河ドラマ『べらぼう』といい、今年は渡辺の当たり年だった。

 圭介を虐待するダメ親父役の音尾琢真(おとおたくま)、それと対照的に圭介を保護する元校長役の小日向文世もいい。味がある。
 音尾琢真という役者ははじめて知った。
 大河ドラマ『どうする家康』に出ていたらしいのだが、気づかなかった。

 このベテラン4人の濃い演技に圧されて、主役の坂口健太郎はちょっと割喰った感がある。
 脚本のせいもあると思うが、渡辺謙に喰われがち。
 ナイーブな表現のできるいい役者だと思うが、この役に限っては、坂口の持って生まれた清潔感が足を引っ張っているような気がした。
 同じ二枚目で誠実な性格で知られた加藤剛が、『砂の器』で深い業を背負った野心的な音楽家になりきっていたのと比較すると、坂口の演技には何かが足りない。

 昔からいい役者には「陰」が必要と言う。
 森雅之しかり、市川雷蔵しかり、三國連太郎しかり、仲代達矢しかり、高倉健しかり、石原裕次郎しかり、松田優作しかり、松山ケンイチしかり・・・・。
 無いものねだりかもしれないが、若い頃は好青年役しか似合わなかった三浦友和がどんな役でもこなせるバイプレイヤーになったのだから、坂口にも期待したい。
 
 ソルティは将棋指しではないので、将棋マニアの目で観たらもっと深い意味合いをもったシーンに気づかなかった可能性がある。
 将棋マニアの友人に勧めて、感想を聞いてみるかな。

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おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損












● 焼けた運慶仏 本:『運慶講義』(山本勉著)

2025年新潮社

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表紙は円成寺の大日如来像

 過去に足を運んだ高野山金剛峰寺、半蔵門ミュージアムに加えて、この一年間だけで、興福寺、東大寺、六波羅蜜寺、超国宝展(奈良国立博物館)、願成就院(伊豆)、瀧山寺(岡崎)、興福寺北円堂展(東京国立博物館)、浄楽寺(逗子)とめぐって、いま時点で運慶作と言われている国内の主要な仏像はほぼ踏破した。
 残っているのは、栃木・光得寺の大日如来坐像と神奈川・称名寺光明院の大威徳明王像だが、前者は現在東京国立博物館に保管されているようだし、後者は破損はなはだしく通常展示はされていないようなので、そのうち機会あれば拝観したい。
 今年はソルティにとって運慶元年とでも言える一年になった。
 これもそれも奈良大学歴史文化財学科の学生になったがゆえである。
 来年は快慶元年になりそうな予感・・・・。

 そんなタイミングで出会った本書は、まさに運慶仏の総復習にピッタリの充実内容であった。
 著者の山本勉(1953~ )は運慶研究の第一人者で、現在、半蔵門ミュージアムの館長、鎌倉国宝館長をされている。
 栃木・光得寺の大日如来像(1986年)も、半蔵門ミュージアムの大日如来像(2003年)も、たまたま像の存在を知った山本が現地調査に入って運慶作と判定し、その後の驚嘆すべき展開――クリスティーズのオークションで真如苑が約14億円!で落札――につながった経緯があり、いわば、埋もれていた2体の運慶仏を世に送り出した生みの親である。
 「運慶に選ばれた男」と言ってもあながちはずしてはいないだろう。

 本書は、山本の運慶研究の集大成であり、学者人生の総括といった趣きのある渾身作である。
 運慶の手がけた仏像が、時系列でくわしく説明されており、ひとりの偉大な芸術家の成熟が専門的見地からたどられていると同時に、古代から中世に転換する激動の時代を自由闊達に生きたひとりの男の生涯が浮き彫りにされている。
 研究書という側面もあるので、これから運慶や仏像を学ぼうというビギナーには難しいきらいもある。
 が、ひとつひとつの仏像について、造像の背景や技法上の工夫が解説され、あわせて山本の磨き抜かれた審美眼による批評がほどこされ、仏像鑑賞のポイントを学ぶに役に立つ、いわば、「運慶仏鑑賞ガイド決定版」として手元にあって損はない一冊である。

運慶
六波羅蜜寺の運慶肖像

 ときに、運慶仏について、ソルティはしばらく前から気になっていることがあった。
 水上勉著『金閣炎上』を読んで、昭和25年(1950)に修行僧林養賢の放火によって焼失した金閣寺舎利殿の中に、建立者である足利義満の肖像彫刻とともに、観音菩薩像、阿弥陀如来像、勢至菩薩像、地蔵尊像(いずれも木像)があり、そのうちの観音菩薩像は運慶作と伝えられていたと知った。
 仏像はすべて舎利殿とともに灰燼に帰したので、いまとなっては運慶作かどうか調べようがない。
 が、もしこれが本当に運慶がつくった仏像であったとしたら、一体いつどういう事情でつくられ、どういう経緯で金閣寺にやってきたのだろうか?
 実際に、運慶仏であった可能性はあるのだろうか?

 本書には、運慶が関わったことが文献史料で裏付けられている造仏の仕事の全容が漏らさず記されている。
 ありがたいことに巻末には「運慶年表」も掲載されている。
 年表には、「運慶に直接関係する事項」が、典拠の記載とともに、時系列で整理されている。
 さて、運慶の仕事履歴に観音菩薩像の造像はあるだろうか?

 二つあった!
 一つは、正治3年(1201)愛知県岡崎の瀧山寺の寛伝僧都からの依頼でつくった源頼朝追善のための聖観音。息子の湛慶とともに取り組んでいる。
 これは現在も瀧山寺に現物があるので、金閣寺のそれとは関係ない。
 いま一つは、承久3年(1221)北条政子が高野山金剛三昧院を建立した際、その本尊として納めた聖観音。
 本書によれば、

『帝王編年記』には、承久3年(1221)に北条政子が実朝のために高野山に金剛三昧院を建立し、その本尊は正観音(聖観音)で、御身に(身内)に実朝遺骨を籠めたことが記される。この観音像は鎌倉末期の『信堅院号帳』によれば「実朝大臣殿の御本尊」で雲慶つまり運慶の作だという。

 すなわち、孫の公暁によって暗殺された息子実朝を偲び、北条政子が金剛三昧院を建てた。その本尊として、生前実朝が運慶に作らせた観音像を祀ったということになる。(下記※参照)
 しかるに、現在の金剛三昧院の本尊は愛染明王であって、観音菩薩ではない。
 ネットで調べた限りでは、金剛三昧院にも、高野山にも、運慶作の観音菩薩像なるものは見当たらない。
 高野山の運慶仏として知られているのは、霊宝館にある八大童子像6体のみである。
 実朝の遺骨を籠めた観音像、“実朝観音”は何処に消えたのだろう?
 高野山の奥の院に絶対秘仏として隠されているのか?
 金剛三昧院が元徳2年(1330)に焼失したときに一緒に焼かれてしまったのか?
 明治の廃仏毀釈の折に、二束三文でどこかに売られてしまったのか?
 あるいは・・・・高野山から洛中に、金剛三昧院から金閣寺に、実朝観音が移された可能性はあるのだろうか?

金閣寺2

 金閣寺を建てた足利義満をはじめとする足利将軍家と高野山金剛三昧院に、なんらかの因縁はあったのか?
 ――これがあったのである!

室町時代になると足利尊氏が金剛三昧院の僧、実融に帰依したことを契機として室町幕府は高野山を保護するようになり、その後も各将軍の参詣が相次ぐ。中でも康応元年(1389)の三代将軍義満の高野参詣は、空前絶後の規模であったといわれる。(『高野町歴史的風致維持向上計画』より抜粋)

当院の本尊は愛染明王という仏様で、憤怒の相という、怒ったようなお顔をされています。・・・(中略)・・・愛染明王像は、源頼朝公の等身大の念持仏で、仏師・運慶の作であると伝えられています。本尊の脇には源頼朝公・北条政子、足利尊氏公、その弟の足利直義公のお位牌が安置されています。(『金剛三昧院ホームページ』より抜粋)

 愛染明王像が運慶作というのは、さすがに眉唾である。
 菩提を弔うのに愛欲の象徴である愛染明王がふさわしいかどうかという点はおいといても、金剛三昧院の愛染明王像は運慶の作風とは相容れない。本書で山本もまったく触れていない。
 一方、足利尊氏と直義の位牌があることは、足利家と金剛三昧院の関係の深さを十分物語る。
 さらに、

金剛三昧院所蔵の「六巻書」には、鎌倉幕府・室町幕府や、その有力者たちが金剛三昧院に宛てた文書が多数収められている。「六巻書」各巻は、足利尊氏や義満ら、歴代の足利将軍の花押が冒頭に据えられているのが特色で、足利将軍が、金剛三昧院に荘園支配の権利にかかわる文書の効力に“お墨付き”を与えたことになるという。(ラジオ関西トピックス「ラジトピ」ホームページ、2024年5月8日の記事より)

 寺領である荘園の権利を守るために、金剛三昧院が足利将軍の庇護を恃むのは無理からぬところである。
 片や、源頼朝と共通の先祖・源義家をもつ足利将軍家が、源氏の末裔としての血統を誇るべく、源頼朝や源実朝の菩提を弔った金剛三昧院を贔屓するのも然るべきところである。
 金剛三昧院と足利将軍家には深いつながりがあったのだ。

 もし、足利義満を崇敬する足利将軍の後継が、金閣寺舎利殿の義満像と並べて祀るために、大仏師運慶のつくった実朝観音を強く所望した場合、金剛三昧院はこれを断れるだろうか?
 それなりの好条件と引き換えに譲り渡すこともあり得るのではないか。
 たとえば、焼けた金剛三昧院の再建と引き換えに・・・。 

 昭和25年の夏、林養賢が舎利殿とともに焼却した観音菩薩像が、運慶作の実朝観音だったとしたら・・・・。
 実朝はまたしても出家に襲われた  
 妄想は膨らむばかり。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮(鎌倉)
実朝暗殺の舞台となった


※この引用文中の「実朝大臣殿の御本尊」についての解釈で、著者の山本勉氏より「誤読」とご指摘いただきました。ソルティは最初、「実朝の死後に政子が運慶につくらせた観音像」と解しそう記しました(10/29)が、そうではなくて、「実朝が生前運慶につくらせた観音像」を政子が金剛三昧院に祀ったとのこと。然るべく訂正いたしました(11/5)。謹んで山本勉氏に御礼申し上げます。

 


おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 傾聴の効用

 午後のコンサートが終わった後、某駅前のファミレスに寄った。
 日曜だったので混んでいたが、店の一角に電源コンセント付おひとりさま専用席があり、一番端っこが空いていた。
 店の一番奥にあたる隣りのテーブル席には、妙齢のオバサマ4人が、罪のない無責任なおしゃべりを楽しんでいた。家に帰ったら、夕餉の支度が待っているのだろう。
 ドリンクバーを注文し、図書館で借りた考古学の本にしばらく集中した。
 奈良大学通信教育のレポート作成のためである。

 章の終わりでドリンクバーに立ったときに気がついた。
 いつの間にか、隣りにいたオバサマ連中は帰ってしまって、3人の男と入れ替わっていた。
 普段着の70代くらいのインテリ風の白髪の男と、30~40代のスーツ姿の男2人であった。
 これはどういった関係のトリオなのか?
 なんとはなしに会話に耳を傾けた。

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 3人はクラシック音楽の話をしていた。
 さては、さっきのコンサートに行ったお仲間か? テーブル席が空くのをいままで入口で待っていたのかな?
 親しみと好奇心が湧き、本の文字を追いながらも、テーブル席側の片耳はダンボ状態になった。
 コンサートの感想披瀝はすでに終わったらしく、いまは年長の白髪の男の独壇場であった。
 どうやら彼は芸大出身らしく、若い頃は音楽家を志していたようで、クラシック音楽にも業界事情にも詳しかった。
 プロの道には進まなかったが、ピアノの腕前は相当なもののようで、近々に地元のカフェを借り切って独演会を開くという。良かったら君らも聴きに来ないか?
 若い2人は二つ返事で了承し、白髪の男から連絡先を受け取った。年長の男の博識や人脈の広さに感嘆の声を上げ、抜群のタイミングで相槌を打ち、さらなる蘊蓄を引き出す。
 師匠と弟子?
 先輩と後輩?
 かつての上司と部下?
 編集者と執筆者?
 3人の関係が読めなくてもどかしい気もしたが、それよりむしろ、若い2人の傾聴能力の高さに感心した。
 いまどきこれだけ人の話をさえぎらずに聴ける男も珍しい。
 相槌、オウム返し、共感のことば、パラフレーズの使用、適宜な沈黙・・・・傾聴のテクニックが身についている。
 ひょっとして、ソルティと同じ相談関連のひと?
 2人の男はトイレやドリンクバーなどで席を離れるときも代わる代わる行き、残った一人が聞き役を引き取り、会話の流れを途絶えさせない。
 白髪の男の口はますます滑らかになり、話の内容もどんどんプライベートなものになっていく。
 海外にいる息子家族の話、学生運動していた頃の話、持病の話、亡くなった友人や妻の話・・・・。
 「もうこの先そんなに長くないから、あとはこうやって好きなことをして過ごしたい」
 「コロナの時みたいに、いつ何があるかわからないからな」
 「生きていれば、こういう楽しい出会いもあるしな」

 と、ここでこれまでひたすら聞き役に徹していた2人のうちの1人が、おもむろに切り出した。
 「やっぱり、だれだって最後は心細くなったり、不安になったりしますよね。そんなときに、心の支えになるものがあるのとないのとでは大違いです。ぼくたちがお手伝いできると思うんです」
 すかさず、もう1人の男が手元のカバンからパンフレットようなものを取り出すのが見えた。
 あっ、保険の勧誘か!
 顧客候補と営業マンか。
 自分の鈍感さにあきれた。
 
 差し出されたパンフレットを見て、白髪の男ははじめて我に返ったごとく押し黙った。
 いままでと違うトーンが声に現われた。
 「いや、自分は・・・・。自分も、今までいろんなところに行って、いろんな人の話を聞いているから。もうそういうの必要ないんだな」
 若い1人が切り返す。
 「どういったところに行かれたんですか?」
 「それはもういろいろ。仏教系もあるし、キリスト教系もあるし、スピリチュアル系もあるし、自分なりに西洋哲学や東洋思想を勉強したし・・・・。」
 「それでなにか結論が出ましたか?」
 「・・・・・」
 保険の勧誘ではなく、某新興宗教団体のリクルートだった。

 そこからは攻守変わって、スーツの2人が白髪の男を説得するモードに転じた。
 白髪の男が持ち出した意見(=勧誘を断るための言い訳)をひとつひとつ理屈と能弁をもって棄却し、矛盾があれば追及し、それまでに聞き出していた白髪の男の苦労話を持ち出してそれに役立ちそうな会の教えを諄々と説き、入信したことで運が向上した第三者の具体的な事例を滔々と語り、白髪の男のためにドリンクバーから飲み物を取ってきて・・・・。
 はじめのうちは勢いよく「自分には必要ない」と主張していた白髪の男も、若者2人の攻勢に押され、だんだんと声に力がなくなり、さっきまで自信に満ちていた表情はかげりを帯びてきた。
 これまでずっと話を真剣に聞いてもらっていた手前か、白髪の男も無下な態度で席を立つこともできないようであった。
 そもそも、最初からテーブルの壁際のほうに白髪の男が一人で座り、通路側に2人の若い男が陣取ったので、押し込められているような形勢ができあがっていた。

 まだまだ3人の会話は続きそうな気配。
 窓の外はすっかり暗くなった。 
 家で夕食が待っているソルティは、本をリュックに押し込み、席を立った。
 最後に振り返ってみたとき、白髪の男は心なしか涙目になっていた。

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● 運慶独り占め :神奈川・浄楽寺に行く

 JR逗子駅からバスに乗って、三浦半島の西側を南下すること約30分。
 葉山御用邸、長者ヶ崎を過ぎて、右手に大きく迫る相模湾を見送って、三崎に向かう国道が少し内陸に入ったあたりに、浄楽寺はある。
 正式名称は金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺。
 創建は明らかでないが、三浦一族の和田義盛が、奥州征伐の戦勝祈願のため文治5年(1189年)前後に創建したのではないかという説がある。
 であれば、北条時政が伊豆に建てた願成就院と同時期である。

 時政が運慶に本尊・阿弥陀三尊像、毘沙門天像、不動明王像、制吒迦童子(せいたかどうじ)像、矜羯羅童子(こんがらどうじ)像を依頼したのと同様、義盛もまた運慶に5体の彫像を頼んだ。
 それが、今も残る阿弥陀如来像、観音菩薩像、勢至菩薩像、不動明王像、毘沙門天像である。
 建暦3年(1213年)、源実朝や北条義時ら率いる幕府軍によって、和田一族が滅亡したことはよく知られる。(和田合戦)
 2022年放映のNHK『鎌倉殿の13人』では、横田栄司が髭もじゃの武骨で心やさしい義盛を好演していた。

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JR逗子駅
自宅から列車で2時間
4年前に仙元山に登ったとき以来である  

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浄土宗浄楽寺
今年8月に収蔵庫の改修工事が済み、9月1日より、これまで開帳日を設定しての予約制だった仏像の拝観が、常時予約なしでできるようになった。
しばらく前から、このときを待っていた。

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本堂
江戸時代の再建

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本堂の阿弥陀三尊像
内陣の周囲を「南無阿弥陀仏」と唱えながら右繞三匝(うにょうさんぞう、右回りに3周)すると、煩悩の根である三毒(欲・怒り・無知)が消滅するという。
指示通りにやってみたが、駄目だった模様。

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宝池
映画上映会、音楽コンサート、写経会、竹細工づくりのワークショップを催したりと、お寺の開放による地域活性化に取り組んでいる様子が伺える。
宿坊にも泊まれるようだ。

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収蔵庫
ここに運慶仏はおられる。
大人600円

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阿弥陀如来、観音菩薩(右)、勢至菩薩(左)
社務所でポストカードやクリアファイルなどを購入することができる。

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毘沙門天
宝塔を手にしているのに注目。

   見仏雑感    
静かで薄暗い堂内に、5体が寡黙な威厳のうちに居並んでいる。
阿弥陀三尊は、のちの時代に鍍金し直したものと思われる。
金色に輝いて美しい。
昭和34年(1959)に毘沙門天と不動明王の胎内から発見された木札により、運慶が小仏師10人を率いて造像したことが判明した。

阿弥陀如来坐像(像高141.8cm)
どっしりとふくよかな体と、広い胸と左右に開かれた両腕によって作りだされた空間が、像の前に立つ者をあたたかく包みこむ。
くっきりした切れ長の目とピンと張った頬は、興福寺国宝館にある運慶作の木像仏頭に似ている。
面差しは、円成寺大日如来より厳しいが、興福寺北円堂の弥勒如来ほどの諦観はなく、壮年期の男子のよう。
流れるような衣の襞が美しい。

観音菩薩立像・勢至菩薩立像(178.8cm、171.1cm)
抜群のプロポーションの良さに感嘆する。
薬師寺金堂の、あるいは福島会津若松の勝常寺の日光・月光菩薩を想起した。
この三尊は、阿弥陀如来のどっしり感といい、勝常寺の薬師三尊(平安前期作)の像容に近い。
なめらかな体の線はセクシーであるが、衣の襞はやや平板で、手を抜いている感がある。

不動明王立像(135.5cm)
かなり表面が傷んでしまって仏師の腕前を確認しにくいのは差し引いても、これは運慶の手は入っていないと思う。
全体に雑なつくりで、反対側の端を守る毘沙門天像との差は歴然としている。
弟子のだれかの手によるものか?

毘沙門天立像(140.5cm)
この像が一番出来が良い。
運慶らしい躍動感、迷いのない彫り跡。
願成就院の毘沙門天より、ひん剥いた玉眼や踏みつけられた邪鬼のなかば恍惚とした表情など、人間的でユーモラスな風がある。
いつまでも観ていられる。

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「日本の郵便の父」といわれる前島密(1835-1919)の墓があった。
浄楽寺境内に建てた如々山荘で晩年を送り、亡くなった。
墓のデザインはここから望める富士山をかたどっている。

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郵便事業の創業以外にも、漢字廃止の建議、江戸遷都を建言、鉄道敷設立案、新聞事業の育成、電話の開始、東京専門学校(のちの早稲田大学)の創立、訓盲院の創立など、日本の近代化のために様々なことをした。

前島密
偉人なのに1円切手は可哀想

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満州事変、支邦事変、大東亜戦争で亡くなった人たちを祀る忠魂碑
相模湾越しの富士山に面している
(昭和49年設立)

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帰りのバス待ち
約2時間の滞在だった。
60分以上、運慶独り占めの贅沢を味わえた。

葉山海岸
天気が良ければ、葉山海岸を歩いて富士山や江の島を見るのも楽し。
今日はあいにくの雨模様で寒かった。

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京急・逗子葉山駅構内にある蕎麦屋さん
前回来た時に見つけた。

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毎朝打ちたての生麵
鰹節・鯖節・宋田節を配合したまろやかで玄妙な出汁
大きなかき揚げ
美味しかった記憶は忘れないものである。


















● 毘沙門天の謎

 毘沙門天と聞くと、70年代に地元埼玉で悪名を轟かせた暴走族を思い出す。
 当時中学生のソルティは、学校近くを流れる川のコンクリートの橋げたや、田んぼの中に立っているボンカレーの看板に、毒々しい黒ペンキで「毘沙門天」と殴り書きされているのを見た。
 文金高島田のごときオールバックに剃り込みを入れた、校内一、二を争う札付きの不良たちは、「おれ、高校行ったら毘沙門天に入れてもらうんだ」と熱っぽく語ったものである。
 「毘沙門天=不良、おっかない、うるさい、シンナー、カツアゲ」というイメージがついてしまったものだから、その後、仏教の守護者としての毘沙門天を知ったとき、族イメージを払拭するのに手間取った。
 「おっかない」というイメージだけは、毘沙門天像の憤怒の面差しに通じるものであったが・・・。

暴走族

 仏像に興味をもつようになって、毘沙門天が、仏像の四区分(如来,菩薩,明王,天)のうち天部に属する神様で、東南西北(トン・ナン・シャー・ペイ)を護る四天王のひとりとして北を担当し、多聞天という別称を持つことを知った。
  • 東 持国天(ドゥリタルーシトラ)
  • 南 増長天(ヴィルーダカ)
  • 西 広目天(ヴィルーパクシャ)
  • 北 多聞天(バイシュラバナ)
 もともとはインド古来の神様だったが、お釈迦様の教えを聞いて真理に目覚め、仏教を守護する存在になったのだという。
 ちなみに、東南西北の順に「じ・ぞう・こう・た(地蔵乞うた)」と覚える。

 四天王は、普通、お寺の山門の中やお堂の本尊の周囲に、それぞれが守護する方角に合わせて置かれているので、名前の表示がなくとも方角さえ分かれば、どの像がどの神様なのか判明する。
 しかるに、博物館や宝物館などで横に4体並んで置かれていたり、方角の見当がつかないような場合、見分けるのに苦労する。
 というのも、それぞれの神様が手にもつアイテム(道具)や体のポーズが、明確にはこれと決まっていないからである。
 広目天は、国宝指定されている法隆寺金堂や東大寺戒壇堂の像に見られるように、筆と巻物を持っていることが多い。憤怒の表情と文系アイテムのギャップが面白い。
 だが、広目天が必ずしも筆と巻物を持っているとは限らない。
 現在東京国立博物館で開催されている『運慶 祈りの空間――興福寺北円堂』の広目天像は、先が3つに分かれた三叉戟(さんさげき)を左手に持ち、右手は腰に当てている。
 こうなるともはや、シャッフルされたら、誰が誰だか分からないってことになる。

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東大寺戒壇堂の広目天

 救いの手がひとつだけある。
 それは宝塔を捧げる手である。
 お釈迦様の教えの象徴である宝塔を持つことが許されているのは、四天王の中で多聞天だけである。
 間違っても、ほかの三神が手にすることはない。
 多聞天は、四天王のリーダー格であり、特別な存在なのである。
 であればこそ、毘沙門天という異名をもらって単体でも祀られるのであり、四天王の中でひとりだけ七福神の仲間入りして福の神らしからぬ物騒な戦闘服で違和感をかもし出しているのであり、埼玉の暴走族のチーム名に選ばれたのである。

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興福寺中金堂の四天王像
右下より時計回りに、持国天・増長天・広目天・多聞天

七福神
七福神
左手に宝塔を持っているのが毘沙門天

 田辺勝美著『毘沙門天像の誕生 シルクロードの東西交流』(吉川弘文館、1999年発行)によると、インドで四天王像の原型がつくられるようになったのは、紀元前2~1世紀で、仏塔――お釈迦様の象徴。お釈迦様そのものの姿は最初は造形化されなかった――を守護する神として、インド古来の民間信仰の神であるヤクシャ(夜叉)を東南西北に配した。
 ヤクシャは本来、樹神や樹精であったという。
 北方の神をクヴェーラと言った。
 当時建てられた石柱に残っている彫像を見ると、四天王はみな同じインド人王侯風の外観をしていて、とくにこれといったアイテムも持たず、クヴェーラを見分けるのは難しい。

 紀元前後に大乗仏教が起こると、お釈迦様の姿も造形化されるようになった。
 釈迦如来像の誕生である。
  
 西暦1~3世紀頃、大乗仏教はパキスタン北部ガンダーラ地方に広まった。
 ゾロアスター教から仏教に改宗したイラン系のクシャン族は、四天王のうち特に北方を守護する神を重視し、インド系のクヴェーラ神をイラン系のファッロー神に変え、四天王の筆頭とした。
 外観もまた、ファロー神の特徴――頭部の一対の鳥の翼、長袖の上着(チュニック)、ズボン、靴――に合わせて変身させた。
 これが毘沙門天像の原型となった。
 その後、毘沙門天はさらに出世し、釈迦が出家踰城(ゆじょう)したときの道案内の役を担い、闇を追い払う力を持つとされた弓矢をアイテムとして与えられたり、釈迦が悟りを開いたあと四天王を代表して食事の鉢を献上する役を仰せつかったりと、ほかの三神に差をつけていった。

四天王捧鉢
紀元3~4世紀ガンダーラ出土の仏像彫刻
釈迦如来を取り囲む四天王たち
釈迦の左にいるのが毘沙門天
1人だけカッコいい出で立ちである

 大乗仏教は中央アジアから中国へと広まった。
 大量の大乗教典が中国へと伝わり、その内容に即したさまざまな仏像がつくられるようになる。
 四天王像は、仏法と国家を守護する神として重視されていくにつれ、鎧を身に着け、さまざまな武器を具し、軍神化していった。 
 領土を守るとは、すなわち、東西南北の守りを固めることにほかならない。

 松浦正昭編著『日本の美術NO.315 毘沙門天像』(至文堂、1992年)によると、宝塔をもつ毘沙門天像は、インドにもガンダーラ地方にも見つかっていない。
 宝塔をもつ現存最古の毘沙門天像は中国にある。
 523年、南北朝時代の武帝統治下の梁(南朝)においてつくられた石造釈迦如来諸尊像の中に、うずくまる邪鬼の上に立ち、右手に大きな宝塔を捧げた毘沙門天像が刻まれている。
 宝塔を持つ毘沙門天像は、この時代の中国において生まれたと考えられている。
 宝塔を持たせた理由は分かっていない。
 が、それは釈迦の教えを象徴するものであるから、すでに四天王の中でゆるぎない地位を築いていた毘沙門天がその栄に浴したのは、不思議ではなかろう。

 日本における現存最古の毘沙門天像は、623年止利仏師によってつくられた法隆寺金堂釈迦三尊像の台座に描かれた四天王像である。
 ただし、この絵は剥落が激しく、持物や手勢など細部が不明で、どれが毘沙門天かわからない。
 が、日本の初期の仏像は中国の南朝の影響を受けているので、宝塔を手にしていたものと思われる。
 現存最古の宝塔を手にした毘沙門天像は、同じ法隆寺金堂の中にある木造の四天王像で、つくられたのは650年頃とみられる。
 以降、日本の毘沙門天像は宝塔を持つのがお約束となった。
 実に1400年間、その姿は変わっていない。
 宝塔を捧げている、あるいは宝塔を捧げていたような形跡がある。それが毘沙門天を見分けるポイントである。

毘沙門天像(奈良仏像館)
兜跋毘沙門天
奈良国立博物館所蔵

 最後に、なぜ毘沙門天を多聞天とも呼ぶのか?
 サンスクリット語の「バイシュラバナ」の音をそのまま漢字表記したのが「毘沙門」で、バイ(多く)+シュラヴァナ(聞く)を漢訳したのが「多聞」だからである。
 毘沙門天がお釈迦様の教えをよく聞いたという逸話からその名がついたと説明されることが多い。
 しかるに、上記書の中で田辺が指摘しているとおり、
 
 釈迦牟尼仏陀の説法を最も多く聴聞したのは仏弟子のアーナンダないしその化身ともいわれる執金剛神なのであって、決して毘沙門天ではないのである。
 
 ソルティは、むろん大乗経典、小乗教典(阿含経典)のすべてに目を通したわけではないが、少なくともこれまで15年以上仏教を学んできて知る限りでは、毘沙門天がお釈迦様の教えを聞く場面を説いたお経には出会ったことがない。
 なぜ、バイシュラヴァナ(多聞)と名づけられたのかはいまも謎であるけれど、少なくとも、多聞天という名前の暴走族はカッコよくない。
 
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● あの鐘を鳴らすのは誰? : クラースヌイ・フィルハーモニー管弦楽団 第7回定期演奏会

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日時: 2025年10月19日(日)14:00~
会場: 和光市民文化センターサンアゼリア 大ホール
曲目:
  • チャイコフスキー: 序曲『1812年』
  • ヤナーチェク: 『シンフォニエッタ』
  • ハチャトゥリアン: 交響曲第2番『鐘』
指揮: 山上 紘生

 家を出るのが遅れて、2曲目から会場入り。
 ヤナーチェク(1854-1928)ははじめて知った。
 ドヴォルザークと同じチェコの作曲家で、13歳年下である。
 曲の冒頭から、金管楽器と打楽器チームによる勇ましいファンファーレ。
 度肝を抜かれた。

 クラースヌイ・フィルは100名を超える大所帯。
 迫力がすごかった。
 思えば、ソルティがショスタコーヴィチの真価に目覚め、指揮者山上紘生の才能を知ったのは、クラースヌイとの出会いのお陰であった。 
 山上による指導はこれが最後だという。 
 感謝!

 ハチャトゥリアンについては、『剣の舞』と『仮面舞踏会』しか知らない。
 〈1903-1978〉というその人生は、同じソビエトの作曲家ショスタコーヴィチ〈1906-1975〉とほぼ重なる。
 であれば、独裁者スターリンの恐怖政治と粛清の嵐を経験しているはずである。
 ショスタコーヴィチが共産党からの批判を恐れて、自らの個性と才能を犠牲にして、党=スターリンの求める「社会主義リアリズム」の曲を作らざるをえなかったのと同様に、ハチャトゥリアンも葛藤に苦しんだのだろうか。
 そこが聴きどころである。

 交響曲第2番『鐘』がつくられたのは1943年。
 ソ連はナチスドイツとの戦い、いわゆる「大祖国戦争」の真っ只中で、1941年発表のショスタコーヴィチ交響曲第7番で知られる「レニングラード包囲戦」が続いていた。
 多くの芸術家は、好むと好まざると、戦意高揚に役立つ作品をつくることが求められた。敵の非道や残虐を訴え、国民の士気を高め、亡くなった者を追悼し、戦場の兵士を力づけ、最終的な勝利に寄与する作品である。
 それは、アジア・太平洋戦争中の日本も同じことで、木下惠介監督は『陸軍』を撮らされたし、火野葦平は『麦と兵隊』『土と兵隊』を書いた。
 国家総動員とはそのようなものである。
 ハチャトゥリアンもまた、前線の兵士を慰問し、ラジオ放送のための音楽や愛国的な行進曲を多く作曲したという。 
 この交響曲のテーマは、まさに戦争なのである。

宇宙人襲来

 第1楽章は、郷愁をそそる民族的なタッチのもの哀しい主旋律に、聴く者を落ち着かなくさせる不穏な動機がからむ。平和な街に軍靴の響きが近づいて来る。
 敵の攻撃をもって戦いの火ぶたが切られる。
 日常生活は断ち切られ、世界は一変する。

 第2楽章は、戦場そのもの。
 凄まじい爆撃と破壊、恐怖と混乱、大量の死と絶望。

 第3楽章は、レクイエム。
 葬送行進曲が流れ、死者を追悼する人々の嘆きは頂点に達す。
 敵への怒りと深い悲しみ、相反する感情に引裂かれた心は崩壊寸前。
 喪失感は尋常でない。

 第4楽章、人々は再び立ち上がる。
 いつまでも悲しみに浸ってはいられない。国を守るために、愛する家族を守るために、最後の闘いに挑まなければならない。
 やがて、黒雲に蔽われた空から光が差し込み、勝利の兆しが見えてくる。
 やはり、正義は勝つ。
 スターリンと共産党は常に正しい。
 鐘を打ち鳴らして、祖国の勝利を讃えよう!

 構成的には、ショスタコーヴィチの『レニングラード』とよく似ている。
 社会主義リアリズムの枠組みでは、そうならざるを得ないのだろう。
 ただ、ショスタコの第7番が、ナチスドイツの恐怖とそれとの戦いおよび最終的勝利を描いたのみならず、その裏に、スターリンと共産党への批判を隠し入れたと解されるようには、ハチャトゥリアンの『鐘』は政治的隠喩を含んでいないように思われる。
 警告的な響きを伴ったショスタコの第4楽章の凱歌にくらべると、勝利の喜びがストレートに打ち出されているように感じた。
 ハチャトゥリアンは、ショスタコより“体制より(保守的)”だったのかもしれない。

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和光市文化センター・サンアゼリア

 なんだか、時代はどんどんショスタコーヴィチ・モードになっている。
 世界的にナショナリズムが高揚し、欧米でも日本でも排外主義が激化し、保守の台頭が顕著である。
 自国ファーストの掛け声かまびすしい中、強大な権力を持つ独裁者の登場が待望され、歓迎されているように見える。
 人類が数万年の血みどろの試行錯誤の末にやっと手に入れた民主主義と人権が、いまや風前の灯。
 トランプもネタニヤフもルカシェンコも、習近平も金正恩もプーチンも、スターリンの子供たちって点で、右も左も関係なく共通している。
 実際、今のアメリカの状況には、目を覆うばかり。
 これが、自由と希望の国、アメリカなのか! 
 このままだと、自由の女神が倒壊し、砂の中に埋もれるのも時間の問題だ。
 日本も危ない。

猿の惑星







● 松田優作の色気 映画:『それから』(森田芳光監督)

1985年東映
130分

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 現在、東京駅近くの国立映画アーカイブで森田芳光特集が組まれている。
 デビュー作『の・ようなもの』(1981)はじめ、出世作『家族ゲーム』(1983)、大ヒットとなった薬師丸ひろ子主演『メイン・テーマ』(1984)と黒木瞳主演『失楽園』(1997)、サスペンスミステリーの傑作『39 刑法第三十九条』(1999)と『黒い家』(1999)など、主要作品がラインナップされている。
 80年代映画青年だったソルティにとって、まさに青春時代の映画監督である。
 懐かしさも手伝って、未見の『それから』を観に行った。
 もちろん夏目漱石原作である。

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国立映画アーカイブ
場内は同窓会を思わせるがごとく同世代男子が多かった

 主役の長井代助を演じた松田優作は89年に早逝し、不倫相手の三千代役の藤谷美和子はプッツン女優と騒がれたのち芸能界から姿を消し、代助の書生を演じた羽賀健二は梅宮アンナとのすったもんだののち刑事事件を起こして転落の一途をたどり、代助の父親役の笠智衆は93年に亡くなった。
 主要人物のうち今も一線で活躍しているのは、小林薫、草笛光子、風間杜夫くらい。
 2011年に亡くなった森田監督の没年(61歳)をソルティは越えようとしている。
 時はどこに消え去るのやら?

 この年のキネ旬1位をとった映画の出来もまた、時代の変化を感じさせるに十分であった。
 むろん、漱石が生きた明治時代が舞台の話だから、すでに公開時(昭和60年)において古臭い内容ではあった。
 愛する女に告白せずに彼女の幸せを考えて親友に譲る主人公とか、お互いに惹かれ合っていながら倫理に縛られて一線を超えられない関係とか、欲望追求こそ善の昭和バブルにあって相当ナンセンスなプロットであった。そのレトロ感が、かえって新鮮に映ったのかもしれない。
 が、時代を感じさせたのはストーリーそのものではなく、映画のスタイルである。
 フィルムのざらざらした質感然り、明治時代のロケセットのリアリティ然り、美術や照明のクオリティの高さ然り、フィルムの巻が変わる直前にスクリーン右上に出る黒いドット(チェンジマーク)然り。
 さらには、話のテンポの遅いこと!
 テレビドラマだったら45分あれば描けてしまう単純なストーリーを、130分もかけて描いている。
 ひとつひとつのシーンが長く、重要な対話シーンではカットそのものが長い。
 代助が三千代についに愛を告白するシーンなど、9分半の長回しで、その間、セリフはほんのわずかである。
 セリフのない沈黙シーンが延々と続くさまは、まるでタルコフスキーかテオ・アンゲロプロスかカール・ドライヤーの作品のよう。
 このゆったりしたテンポ、沈黙(会話の間)の長さは、テレビゲームやファスト映画のテンポになれた令和の若者には耐えられまい。
 だが、真のドラマはたいてい沈黙の中で進行する。
 それは活字では表現できない映像ならではの特典である。
 沈黙の時間の中に、代助と美千代の互いに気持ちを伝えられないもどかしさが見事に描き出されている。

 80年代当時、すでに日本映画界は斜陽を通り過ぎて、ヒットするのはアニメと動物映画とアイドル映画ばかりといった寒々しい状況だったと記憶する。
 が、溝口や小津や黒澤を先達にもつ日本映画の良心を感じさせる、質の高い、丁寧につくられた、見ごたえある映画が作られていたのだ。
 ソルティは洋画ばかりに目が行っていた。

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 松田優作がいかにすぐれた役者であったことか!
 アクション映画だけでなく、文芸映画でもバッチリはまっている。武骨な表情と訥々とした口調のうちに、恋と友情の板挟みになる男の葛藤が色気となって表れている。
 小林薫も上手い。
 本来なら小林という役者のイメージは、主人公の男にこそ向いている。イメージと異なる、どちらかと言えば暴君な夫を、違和感なく演じている。
 二人の男に挟まれる美千代を演じる藤谷美和子は、演技はうまくないが、美しいことこの上ない。演出や美術や照明や衣装の力で、魅力ある女性像に仕立てられている。
 やっぱりうまいなあと舌を巻くのは、草笛光子。
 市川崑監督の金田一耕助シリーズでみせた役幅の広さが、ここでも発揮されている。名家の嫁としての品の良さと、姉さん女房風の世話焼きの面を矛盾なく造形している。
 笠智衆が出演しているとは知らなかったので、うれしい驚きであった。
 笠が出てくるシーンでは、キャメラは常にローポジションに据えられる。おそらく、森田監督による小津安二郎に対するオマージュであろう。笠さんの姿勢の良さはいかにも明治男らしい。
 羽賀研二はイケメンで芝居も悪くない。つくづく、もったいないことをした。真面目に生きていれば、いい役者になっただろうに・・・。
 
 国立映画アーカイブの鑑賞料金は、一般520円、学生310円。
 310円で映画が見られるって、ほんと素晴らしい。
 学生のうちにたくさん観ておこう。 



 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







● 離隔のひと 本:『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(内海健著)

2020年河出書房新社

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 水上勉の『金閣炎上』、三島由紀夫の『鏡子の家』と立て続けに読んだのは、実は本書が読みたかったからである。
 ソルティの読書傾向を解析したネット上の何者か(AI?)が薦めてくれた、いわゆるターゲティング広告に教えてもらった本である。
 著者の内海健は1955年東京生まれの精神科医。分裂病、うつ病、自閉症などに関する本を書いている。
 広告で見た限りでは、金閣寺放火事件の犯人である林養賢と、事件を題材に『金閣寺』を執筆した三島由紀夫――この2人の精神医学的分析がなされているらしく、著者の視点に興味が惹かれた。
 三島由紀夫の著作では、主に『仮面の告白』『金閣寺』のほか、『鏡子の家』も言及されているらしい。
 そこで、未読であった『金閣炎上』と『鏡子の家』を読んだのであった。

 結論を先に言ってしまえば、内海は、小説『金閣寺』の主人公溝口が三島由紀夫の分身であることを前提に、林養賢と溝口(=三島由紀夫)の共通点を「離隔」と指摘している。
 聞き慣れない言葉であるが、精神医学における「離隔(detachment)」は、解離症の主要な症状の一つで、自己の意識や身体、あるいは周囲の現実とのつながりが希薄になる感覚を指す。
 AIアシスタントが教えてくれるところによれば、その特徴は、
  1. 離人感:自分の身体や精神が自分のものではないように感じたり、自分を外部から傍観しているかのように感じる。
  2. 現実感消失:周囲の出来事や環境が非現実的で、夢の中にいるように感じたり、ぼやけて感じられる。
 養賢と三島に共通するのは「離隔」である。それゆえ、彼らが邂逅するポイントがあるとすれば、まずはそこになる。とはいうものの、二人がかかえた離隔はその性質を異にする。似て非なるものである。
 養賢の離隔は二つある。一つは元来の気質に含まれるものである。彼のそもそものテンペラメントであった分裂気質は、現実との間に長い心的距離、間合いを要する。それが離隔の正体である。その距離は安全保障感を与えるものであり、心底には他者に対する秘められたおびえがある。彼もまた親密さをどこかで希求しているのだが、恐れのほうがまさる。こうして分裂気質には、鈍麻、近さと遠さが共存している。
 もう一つの離隔は、のちに病の発動とともに彼の中に宿ったものである。実存の励起とともに、彼の存在は浮き上がり、世間から、そして生きている現実から隔てられる。誰とも気持ちが通じなくなり、世界は自分から遠ざかる。同時に、外界は何かが起こりそうな予兆をはらむものとなり、内面には他者が侵入してくる不安がつきまとう。ここでも近さと遠さが共在しているが、よりパラドキシカルな様態をとり、彼を困惑させるものとなる。(本書より、以下同)

 いささか乱暴に要点を言ってしまえば、林養賢は分裂病患者だったのであり、分裂病の主症状としての離隔に取り憑かれた挙句、金閣寺に火をつけたということである。
 なので動機を探しても無駄である。病気だからと言うほかない。

 分裂病は、その前駆期において、つまりは症状が顕在化する手前において、もっとも唐突な行為へと突き抜けるポテンシャルをもつ。その典型が自殺であり、稀に殺人である。それには動機がない。徹底的に「無動機」である。それゆえにこそ、驚天動地、人々の耳目を驚かせるものとなる。

 養賢についてのこの解釈は、水上勉が『金閣炎上』で試みたものと異なる。
 水上は、逆に、養賢を分裂病とみなすことに不合理なものを感じていたらしく、養賢の生来の吃音からくる劣等感や、金閣寺の実態を間近で見ての絶望、将来への悲観など、世間一般が理解しやすいところに動機を求めている。

金閣寺

 一方の三島であるが、内海は、離隔こそが三島由紀夫に「生涯にわたって取り憑いた宿痾」であり、その正体は三島と現実の間に横たわっている「言語」であると述べる。

 三島の言語の特異性は、リアリティへの回路が半ば閉ざされているところにある。現実はいつも一歩遅れてやってきて、鮮度の落ちたものとして与えられる。むしろリアリティは言語空間の内部で作り出されなければならなかったのである。

 これもまた乱暴に言い換えてしまえば、生まれついての三島の言語の美に対する突出した天才が、三島を生の現実から締め出してしまった。普通の幼児なら、肉体(=なまの体験)を通して世界の豊饒と出会ったあとに言語を獲得するが、三島の場合、言語空間が先に成立してしまったため、長じてから、現実世界をリアリティあるものと感じられにくくなったということである。
 その結果として、三島文学に特徴的な形質が備わる。

 つまり三島の精神世界は、論理的なものと感覚的なもので成り立っており、その間にあるはずの感情や心理的なものが抜け落ちている。その欠落を両者で補っているのである。

 本書の白眉はこの一文にあると思う。
 まさに、三島文学の、三島由紀夫という人間の肝をついてあまりない。
 『鏡子の家』や『朱雀家の滅亡』において身もふたもないまでに曝け出された三島自身のニヒリズム(虚無)の本質も、『鏡子の家』が失敗作と文壇でけなされた原因も、三島が小説よりもむしろ戯曲においてその輝かしい才能を発揮できた理由も、この一点に秘められている。
 「感情や心理的なもの」につながる回路が遮断されているがゆえに、周囲の世界をリアリティある生き生きとしたものと感じられない、すなわち、「生きているという実感」が得られにくかったのである。
 
朝霧の大洲

 養賢と三島は「離隔」という点ではつながっているが、二人を分かつものがある。三島の離隔は、分裂病ゆえのものではなく、ナルシシズムに出来するものだから、と内海は述べる。
 なるほど、三島由紀夫の晩年の行動にはナルシシズムと言うほかないものが多い。
 ボディビルで鍛えた肉体を見せつけるがごとく、ギリシャ彫刻やキリスト教絵画の人物のようにポージングしたヌード写真集を出版したり、映画や舞台に似合わないチンピラ役で出演したり、有名デザイナーに注文したボディコンシャスな制服をまとって軍事パレードを行ったり、文豪の酔狂にしては行き過ぎの趣味の悪さ。当時、三島のナルシシズムに辟易した人も少なくなかったろう。(ソルティはリアルタイムで見ていない)
 だが、ここで内海が言うナルシシズムは、フロイトのナルシシズムや上記のような一般的な自己愛とは異なる。

世界に起こる出来事は、彼とは無関係であり、自分はそこに居合わせない。だが、それが彼の世界のすべてである。そこには彼の心的世界に食い入ってくる異質な他者はいない。

 三島のナルシシズム世界において、決定的に欠けているのは他者に対する意識である。この点において、ひりひりした他者意識を隠し持つ分裂気質とは決定的に異なる。もちろん、三島は他者の心理がわからないわけではない。それどころか、異常心理も含めて、通暁しているといっても過言ではない。彼の言語は瞬時にその機微をさばいてみせることだろう。だがそれは知解しているに過ぎない。あまりに見事な手さばきでやってのけるので、人の心に精通していると勘違いされることもあるだろう。
 だが、いくら精妙に理解したとしても、いや、むしろすればするほど、それらに実感が伴っていないことが、彼自身に浮き彫りになる。恋愛の身悶えする苦しみも、胸にこみ上げる切なさも、所詮は他人事である。

 『仮面の告白』『愛の渇き』から始まって、『沈める滝』『音楽』を経て、『サド侯爵夫人』『豊饒の海』に至るまで、三島文学が他者との関係の不毛を描くことにおいて秀でていた理由はまさにここにある。
 内海はその様相をたとえて、「ナルシシズムの球体に閉じ込められている」と言う。
 その球体は、感じやすく壊れやすい平岡公威少年を守り、美に対する研ぎ澄まされた感受性と類まれなる言語能力を有する芸術家を育み、世界的作家三島由紀夫を誕生せしめた。
 だが、その見返りとして要求されたものは過酷であった。
 他者との関係によって生じる感情や心理的な味わい、すなわち「生きている実感」が奪われたのである。
 後年になって、そのことが自覚されたとき、三島にとって、ナルシシズムの球体は、愛すべきものであると同時に呪うべき対象となる。まさに、溝口にとっての金閣寺がそうであったように・・・・。
 だが、ナルシシズムの球体を突破しようとあがいても、結局は徒労に終わる。
 なぜなら、それは自我そのものだから。
 離隔からの解放を求めてその球体を壊すことは、自らを滅ぼすことにほかならない。

三島由紀夫

 世にはたくさんの三島由紀夫論がある。
 右翼的解釈もあれば、オカルト的(憑依霊)解釈もあれば、LGBT解釈もあれば、 兵役回避によって大戦を生き残ってしまったことへの慚愧の念という解釈もあれば、才能の枯渇や老いに対する不安という解釈もある。 
 本作はそこに新たな解釈をつけ加えるものに過ぎない。
 精神医学的解釈とでもいったところの・・・・。
 このうちのどれを正しいとするかは、もはや、三島文学の愛読者ひとりひとりの好みの問題であろう。
 ソルティは、内海の提出したこの精神医学的解釈はかなり真相を突いているのではないかという気がする。
 ただ、あえて付け加えさせていただくならば、三島の宿痾である離隔の主要な原因として内海は「言語」を上げているが、そればかりではないと思う。
 自らの切実なる欲望(=ゲイセクシュアリティ)が社会に位置づけられていないところからくる感情抑圧、すなわち「仮面」の装着を、幼いころから習い性としてきたことも無視できない要因なのではないかと、三島と同じく昭和時代に青少年期をすごしたLGBTの一人として思うのである。

滝にかかる虹

 さすがに精神科医だけあって、本作で論じられる分裂病(統合失調症)の説明はえぐいほど面白い。
 分裂病患者の行動に動機がないことを説明するのに、ベンジャミン・リベットの自由意志に関する実験を持ち出したり、分裂病の症状が事後的に形成されることを説明するのに、量子論で有名な「シュレディンガーの猫」の話を持ち出したり・・・・。
 あるいは、分裂病患者がしばしば訴える思考伝播(「私の思考が他人に盗まれている」)が、乳幼児期の母親との関係を通して誰もが経験し意識の基層にもっている構造であると言ったり、分裂病の発症はすでに回復の始まり(復路)であると言ったり・・・・。
 これが現在の統合失調症治療の標準的パラダイムなのか、それとも内海ひとりの考えなのかは知るところでないが、とても興味深く読んだ。
 さらには、本書ではさらりと言及されるにとどまっている、無視できない一節がある。

世俗的成功の絶頂に支えられ、四年後、満を持して「鏡子の家」が発刊される。この作品の運命についてはすでにみた。おそらく、この小説に描かれたいくつかの類型と主体のあり方は、半世紀後の人間像を先取りしている。俗にいうなら、早すぎたのである。複数化と劇化の中で、ニヒリズムとナルシシズムの牢獄から抜け出し、歩みだそうとした夏雄は、嬰児のまま、川に流された。三島の精神病理はむしろ現代的だったのであり、今においてこそアクチュアルなものである。

 つまり、ナルシシズムの球体に包まれた「離隔」は、令和の日本人に一般化していると言っている。
 これは単に、分裂病もとい統合失調症患者が増えていることを意味しているのではあるまい。
 察するに、他者と向き合って対話する能力を欠く人間が増えているという示唆なのかもしれない。
 あるいは、「生きている実感」をつかむために、その場限りの全体主義的な昂揚に身をまかせる人間が増えているという警句なのかもしれない。
 ひょっとしたら、来たるべきAI社会においては、人間の感情や心理的なものは邪魔になるばかりで、情報の出入力(感覚的なもの)とアルゴリズム(論理的なもの)のみが有用になるという予言なのかもしれない。
 あなたはどう読むだろうか?

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● なんなら、奈良21(奈良大学通信教育日乗) れきはくデビュー

 現在、テキスト6科目目の「考古学概論」に取り組んでいる。
 レポートの課題がずいぶんとアバウトで、「考古学とはどのような学問か、自由に論じなさい。(6400字程度)」
 テキストに書いてあることをまとめて考古学を定義するだけなら、おそらく原稿用紙3枚(1200字)で終わってしまうだろう。
 考古学という学問の成り立ちなり、具体的な発掘事例なり、自分なりの視点を入れて、ふくらませなければならない。
 と言って、ソルティはたまに古代エジプト関連と邪馬台国関連の情報番組を見るくらいで、考古学には疎い。ピンとくるネタがない。
 なにかアイデアはないものかとググったところ、国立歴史民俗博物館(通称、歴博)なるものが千葉県佐倉市にあるのを知った。
 「歴史学・考古学・民俗学の調査研究の発展、資料公開による教育活動の推進を目的に、昭和56(1981)年に設置された研究機関」である。
 この種の博物館では、おそらく、日本で一番大きく、所蔵資料件数も豊富(約22万件)で、本格的なものと思われる。
 自宅から列車で2時間強かかる遠隔地ではあるが、実物資料に接すれば、なにかアイデアが思いつくかもしれない。
 連休を利用して出かけた。

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京成電鉄・佐倉駅
お隣はもうNRT(成田空港)。
列車内には大きなスーツケースを引きずった旅行客が目立つ。
そう言えば、先頃亡くなった元ジャイアンツの長嶋茂雄が佐倉出身だった。

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駅からバス5分、徒歩15分。
佐倉城址の中にあって、緑が多く、広々と気持ちいい。

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大分県臼杵摩崖仏のお出迎え。
凝灰岩から彫り出した大日如来像で、平安時代後期の作である。
頭上の突き出た岩が屋根となって、雨水の浸透から像を守っているのだろう。

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所要3時間を見越して午後1時過ぎに入館した。
大人600円、学割250円
同日中ならば入退場自由なので、朝から行くならお弁当持参がおススメ。
館内は広く、休日でも混雑は感じられなかった。

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先史時代
石器を作る親子。
日本列島に人類がやって来たのは約3.7万年前とされる。
こういったジオラマや映像や体験型ワークショップなど、子供でも楽しめる工夫が随所でなされている。

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縄文時代
約1万1千年前から、狩猟・採集・漁労・栽培など自然の恵みを生かしながらの定住生活が始まった。

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各地で出土した縄文土器

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人骨に含まれているコラーゲンから食生活を推定できるという!
ほかにも、永久歯に固定されたストロンチウム同位体から「在地の人か移住者か」を見分けたり、頭骸骨に特徴的に現われる遺伝的形質から集団の血縁関係の有無を判定したり、考古学に応用されている最新科学技術の粋にたまげた。

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縄文犬

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山内丸山遺跡(青森)の復元ジオラマ

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女性器が刻まれた土器
亡くなった赤ん坊をこの器に入れて埋葬したらしい。
生まれてきたところに戻すという意味合いか?

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複数の遺体を埋葬した墓穴
すでに死んだ後に祖霊と一つになるという来世観があった。

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弥生時代
紀元前10世紀頃に九州北部で始まった水田耕作は、700年以上かけて関東に到達した。稲作、環濠集落、弥生土器、青銅器・鉄器使用が弥生時代の特徴である。

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人の顔が描かれた弥生土器

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環濠集落
濠をめぐらした環状の土地に血縁で結ばれた数家族が暮らした。

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弥生時代はまた戦争のはじまりである。

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発掘された人骨や装身具をもとに復元された女性像。
どちらも現代日本人女性によく見られる顔立ちである。

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倭の登場
弥生時代後期になると、各地に巨大な権力と支配域をもつ王が登場し、しのぎを削った。いわば戦国時代。
面白いことに、古代史で最もホットなテーマである邪馬台国に関する展示がここにはない。
首から鏡を下げた卑弥呼さまの像もない!
いまだ考古学的証拠がない、つまり歴史的事実として証明されていないからなのだろうか?

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古墳時代
3~7世紀にかけて、日本列島には16万基もの大きさかたち様々な古墳が築かれた。古墳には上記のような埴輪や高価な服飾品が一緒に埋められた。
最終的に前方後円墳に集約されていく過程こそが、ヤマト王権成立の道である。

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ここで閉館時間となった。
第6展示室まであるのに、半日かけて第1展示室(先史・古代)しか観られなかった! 
この展示室が一番充実しているので仕方ない面もあるが、予定狂いすぎ。
結局、その夜は船橋のカプセルホテルに泊まり、翌日は朝から通った。
が、丸一日いても、江戸時代までで time over
第6展示室(昭和以降と民俗コーナー)は流し観るほかなかった。(しかも、現在第5展示室は改装中で閉鎖している)
ブックコーナーやおみやげコーナーにも寄りたい。佐倉城址も歩きたい。
じっくり観ようと思うなら、まる二日、いや三日は必要である。

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奈良時代
平城京の羅城門の復元模型
青丹よし 奈良の都は 咲くはなの
匂うがごとく いま盛りなり(小野老)


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お経を筆写する官営工房の職員
この時代は官主導による人民と土地と仏教の管理が進んだ。

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平安時代
寝殿造の内部

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十二単の女性貴族
束帯(正装)、直衣(普段着)の男性貴族

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鎌倉時代
武家屋敷の模型

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安土・桃山時代
鉄砲伝来

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江戸時代
南蛮貿易で活躍した御朱印船

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徳川家康の作った銅活字

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古活字版『群書治要』
周囲の枠の交点(角)に空きが生じていれば、木版でなくて活字版である。
書誌学で習ったことの復習ができた。

DSCN7697
『宋版後漢書』の東夷伝
これは木版である。
一部拡大すると・・・

DSCN7697 - コピー
ようやっと、ここに「卑弥呼」を見つけたり!

DSCN7716
江戸の町
さまざまな職業の町民たちの模型がリアルでこまかい。
オペラグラス必携で楽しみたい。

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のぞきからくり
江戸時代中頃にヨーロッパから渡来した。

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のぞきからくりの内部

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江の島の土産店で売られていた貝で作った孔雀
いまなら相当の値が付くことだろう。

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民俗コーナー
村の境界を守る人形
もったいないが、もうこのあたりは流し見。

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昭和時代
戦後の貧しい民家
これ、成瀬巳喜男監督×高峰秀子主演『浮雲』で使われたセットだと。

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1970年代の学校給食
ソルティがちょうど小学生の時。
ひょっとして令和の今よりゴージャス?

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昼食休憩30分をはさんで約6時間立ちっぱなしだった。
が、あっと言う間の閉館時間だった。
やっぱり、歴史学習は楽しい。
考古学、歴史学、民俗学、書誌学、古文書、日本美術、建築史・・・e.t.c.
奈良大学通信教育で歴史文化財を学んでいる学生なら、ぜひとも足を運びたい施設である。

結局、レポートのアイデアはいまだ定まらず。
とりあえず、考古学とは体力が必要な学問である――ということだけは分かった。
















 








 

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