ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

● 映画:『第五福竜丸』(新藤兼人監督)

 1959年近代映画協会、新世紀映画制作。

 この作品を観ている途中、急に寒気に襲われ体の震えが止められなくなった。風邪ではない。
 マグロをもとめてミクロネシアに漁に出た第五福竜丸の23名の乗組員たちが、3月1日の早朝、洋上はるか遠くに明るく輝く光のショーを、寝起き姿のほとんど裸に近い恰好で並んで目撃しているシーンで、ぞっと寒気が走ったのである。その数分後に爆音が鳴り響き、キノコ雲が起立する。

 今でこそ我々は、キノコ雲が原水爆の爆発に附随する現象であることを知っているし、放射線被曝が相当の範囲にまで及ぶことも知っている。もし、現在の船員が同じ場面に遭遇したら、すぐに救助信号を発して甲板から船底に退避するだろう。
 しかし、当時(1951年)の焼津の漁師達は、そんなこと知らなかった。

 1時間後に空がかき曇って、白い粉雪のようなものが降ってきた。強い放射線を放つ、いわゆる死の灰である。もちろん、船員達はその恐怖も知らない。甲板やマストに降り積もる灰の中、何の防御もせずに作業を続ける。灰を浴びた食料を帰港の日まで食べ続ける。
 結果、23名全員が重い放射能症にかかり、数ヶ月後、無線長だった久保山愛吉が脳症を発症して亡くなった。

 ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験。
 この作品は、実際にあった事件を映像化したものである。

 カメラは、家族らに見送られて福竜丸が焼津港を華々しく出立する場面からはじまって、船内での男達の活気ある生活ぶり、荒々しい漁の様子、被曝する瞬間、帰港してから事件がマスコミに知られ騒がれるまでの経緯、船員達の悪化する症状、病院内での生活、日米の医療者の対峙、船員と家族らの関わり、そして全国民が注視する中の久保山愛吉の死までを、急がずに、あおらずに、淡々と描き出していく。ナレーションも、説明ゼリフも、過剰な演技も、凝った演出も、音楽による盛り上げも、主義主張の押しつけもない。焦点は、あくまでも、漁師達の被った被害の様子に置かれている。
 その謙虚なまでのつつましさが、かえって事件のリアリティを浮き上がらせている。この悲劇の持つ意味をえぐり出している。そこには観る者がなんらかの「物語」を仕立てて味わうべき余地などもはやないのだ。
 若者達の未来の剥奪、家族の別離、被爆者への偏見と励まし、医療者の奮闘と絶望、国民的な関心と反核運動の高まり、日米関係の不均衡が生み出す様々なレベルの情報操作、犠牲者の死・・・・。どのエピソードも元来なら観る者の感情移入を許し、物語に酔いしれる快楽(=娯楽性)をくれるに十分な要素を持っている。スピルバーグなら、ここからどれほどの感動の波を作り出し、観客の涙を絞り出させることだろう。
 しかるに、新藤兼人は律儀に娯楽になりきることを拒絶するのである。感動的ドラマも政治的意味づけも、気軽に生みだし味わうことを許さないような潔癖さを保つのである。


 そして、それは正しい。
 我々が紡ぐいかなる「物語」も、地上にある何万発という核兵器(+何百基とある原発)の前では死の灰一片ほどの重さも持たないのだから。我々は、死刑台の上でマタタビに酔って踊っている猫みたいなものなのだ。

 イギリスの小説家アーサ・ケストラーはこう述べた。

 有史、先史を通じ、人類にとって最も重大な日はいつかと問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は「個としての死」を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は「種としての絶滅」を予感しながら生きていかねばならなくなった。


 核は共同幻想(=物語)を崩壊させるに十分な力を持つ。国という幻想、主義という幻想、宗教という幻想、民族・人種という幻想・・・。
 実に皮相で、逆説的なのだが、核の前でやっと人類は一つになった。
 一つの運命共同体に。

 


評価: B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」 
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 映画:『レコード~シッチェス別荘殺人事件』(フェルナンド・バレダ・ルナ監督)

 2010年スペイン映画。

 たまには、退屈しのぎになるだけの、頭を空っぽにしてワインでも嘗めながら、そこそこ楽しめるホラーが見たいと思うことがある。それを期待して、この作品を借りた。

 期待に違わず、75分飽きずに過ごさせてもらった。
 それで十分だ。
 人に薦められるものではない。


 この手の映画をよく観ている人なら、途中で犯人が誰かは分かるだろう。
 それはまあいい。
 最後まで観て気になるのは、死んだのは誰なのかという点である。

 惨劇が明るみになってからのシーンで、メディアが「別荘で4人の死体が見つかった」と言っている。
 シッチェス家の3人の子供は明らかに殺された。悲惨な遺体も映される。
 あと一人は誰なのだろう?


 父親か? 惨劇が起きる前日に、急な仕事でマドリッドに行ったことになっているが、実際は殺されたのか。
 母親か? 3人の子供の無残な姿を見て、ショックで自分の手を切ったのか。
 第一発見者カルロスか? 警察に通報したとき、館にはまだ殺人犯が潜んでいて、その刃にかかったのか。

 それとも・・・・。

 4人ではなくて、4つの死体という意味か?(翻訳の間違いか)
 井戸の中のペットの犬を勘定しているのか。


 はっきりと描かれていない。
 が、それが分かったからといって、作品の質が上がるわけでも、のどに引っ掛かった小骨が取れるようなスッキリ感が得られるわけでもないのだが・・・。



評価:C-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 神々しき人、原節子 映画:『日本誕生』(稲垣浩監督)

 1959年東宝。

 神社巡りが続いているせいか、日本神話への関心が高まっている。
 その昔、ポプラ社の古典文学全集『古事記物語』(高橋正巳著)を読んだので、大体の有名なエピソードは頭に入っているが、なにしろ子供向けなので性愛描写はとんと記憶にない。ギリシャ神話の例に見るように、神々のまぐわい(性愛)は神話の核である。とりわけ、多産を言祝ぐ日本神道にあって性は重要である。
 そんなことを思いながら、気になっていた『日本誕生』をレンタルした。182分あるこの映画をテレビ用に編集したものを昔観たような覚えがある。

 CG全盛の現代で、一昔前の特撮技術はきっとちゃっちく見えて笑ってしまうだろうと思っていたのだが、なんのなんの、改めて日本の特撮技術のクオリティの高さを思い知った。ゴジラやウルトラマンを生んだ円谷英二が全面協力しているのだから当然である。手間ひまかけて、創意工夫を凝らして作り上げたのだという心意気に何より感動してしまう。
 それに、特撮やセットを生かすも殺すも監督の腕と役者の力量次第なのだということが良く分かる。どんなにCG技術が向上して臨場感ある迫力ある映像が生み出されようが、演出と演技のレベルが低ければドラマとしてのリアリティはまったく備わらない。それは、評判の芳しくない昨今のNHK大河ドラマを見れば歴然である。


 とにかく役者の顔ぶれが凄い。東宝映画1000本目の威信をかけただけある。
 ざっと挙げるだけでも、三船敏郎、田中絹代、原節子、杉村春子、司葉子、中村鴈治郎、東野英治郎、宝田明、志村喬、鶴田浩二、左卜全、乙羽信子、エノケン、三木のり平、天本英世・・・・。どこに誰が何の役で出てくるかを確かめるだけでも存分面白い。
 しかも、重要な役どころを、三船敏郎(ヤマトタケル、スサノオの二役)、杉村春子(神話の語り部の老婆)、田中絹代(タケルの叔母で伊勢神宮の斎王)、原節子(アマテラス)、司葉子(タケルの妻)、東野英治郎(タケルの敵方の大伴一族の長)という華のある演技派が押さえているので、話がしまること。ドラマにリアリティをもたらすのは役者なのだとつくづく思う。


 音楽もまた素晴らしい。
 子供の頃からゴジラや大魔神で聞き馴染んでいる伊福部昭だが、古代という舞台に似つわかしい曲を、ヤマト、熊襲(中国・朝鮮風)、東国(アイヌ風)と民族ごとにふさわしい調子で書き分けて、物語に燦然たる効果を与えている。


 『日本誕生』というタイトルに内容的に誤りはないが、本筋は日本古代の英雄ヤマトタケルの物語である。
 父王に遠ざけられ、熊襲征伐や東国征伐を命じられ、最後は大和に帰る途上で客死し、白鳥になったこの英雄のドラマチックな逸話を中心に、ところどころに日本神話の有名なエピソード(イザナミ・イザナギの国産み、天の岩戸、スサノオのヤマタノオロチ退治など)をはさんでいく構成は、長尺を飽きさせない工夫が見られる。
 とりわけ、原節子がアマテラスを演じる天岩戸シーンが魅力的。この役にこれほどピッタリ合う女優は、日本の女優の歴史を見渡しても他に見つかるまい。吉永小百合では威厳に欠ける。岩下志麻では幻想性に欠ける。京マチ子では気品に欠ける。山田五十鈴では明るさに欠ける。次点で山本富士子、別次元で坂東玉三郎、美輪明宏か。「神々しさ」を演じるのは、美貌と演技力だけでは無理なのだということが分かる。
 岩屋の前で踊り狂うアメノウズメを乙羽信子が、岩戸を開くタズカラノミコトを第46代横綱の朝潮太郎が演じているのも見所である。


 ヤマトタケルの物語には、日本男児の理想が描かれている。それは、いわゆる近代的な「男らしさ」とは微妙に異なる。
 たとえば、タケルは父親に愛されないことを悲しみ人目もはばからず大きな声で泣き喚く。熊襲征伐に際しては女装する。妻に対しては実に細やかな愛情を振り向ける。
 この魅力的なヤマトタケルを世界の三船がこれまた魅力的に演じている。大らかな感情表現、部下たちへの深い愛情、高いこころざし、平等を愛する心、あくまで正直であくまで潔い。そのうえ剣さばきの見事なこと。こんなふうに日本男児を演じられる風格と技量のある俳優がいまでは思いつかない。
 
 人と人とが嫉妬し差別し争いあう世の中に、ヤマトタケルは慨嘆する。
「今の世の中では思いを音にしたらみな哀しい調べとなる。天岩戸を開いたような、あの大らかな笑いに満ちた高天原の調べがこの地上には必要だ。それが日本人本来の心なのだ。」


 これがこの大作にかけた制作陣の心からの思いなのであろう。
 1959年、今から50年以上も前の願いである。



評価: B-



A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」 
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 


● 昇仙峡&弥三郎岳(1058m)を歩く

 昇仙峡は、読売新聞が創刊135周年(2009年)を記念して企画した「平成百景」で第2位に選ばれている。
 上位20を挙げると、こうなる。

  1 富士山 
  2 昇仙峡 
  3 知床 
  4 十和田湖・奥入瀬(おいらせ)川
  5 合掌(がっしょう)造り 
  6 京都の寺社
昇仙峡120410 015  7 姫路城 
  8 上高地 
  9 函館の夜景
 10 尾瀬 
 11 高千穂峡
 12 宮島 
 13 甲府盆地の夜景
 14 秩父夜祭
 15 縄文杉 
 16 東京タワー
 17 美瑛(びえい)の丘
 18 釧路湿原 
 19 白崎海岸 
 20 伊勢神宮

 半分くらい行っていない(見ていない)。まだまだ旅は続くな。
 自分としては学生の時分に行った北海道大雪山の層雲峡が圧倒的な感動であった。それを超える感動は海外の名所・名跡も含めてまだない。30位にも入っていないが、おそらく1987年にあった崩落事故(死亡3名、重軽傷者6名)のイメージと、以降立ち入りが制限されたことによるのかもしれない。

 昇仙峡へは甲府駅からバスで30分ほどで行ける。アクセスのいいところが人気のポイントであろう。
 天気は上々。この日、甲府の気温は24度に達した。

10:25 甲府駅発(山梨交通バス)
10:54 昇仙峡口着。ウォーキング開始。
     長瀞橋~愛のかけ橋~羅漢寺~石門~仙娥滝
昇仙峡120410 01213:20 ロープウェイふもと駅着
13:30 パノラマ台
13:50 弥三郎岳登頂。昼食
15:00 パノラマ台。下り開始。
     白砂山~白山~刀の抜き石
17:15 天神森バス停。ウォーキング終了
17:50 バスに乗る
18:20 甲府駅着

所要時間 6時間(うち休憩時間 1時間)
 

昇仙峡120410 042 この時期の平日は人が少ない。昇仙峡口でバスを降りたのは自分一人だった。たいていの人はゴールである仙娥滝の上まで行き、そこから下って滝の周辺の渓谷を楽しむようだ。

 昇仙峡は、荒川が花崗岩を侵食したことにより形成された全長5キロの渓谷である。岩壁に生うるは松の木ばかりなので、空の青と川の碧と松の緑、そして岩壁の灰色だけの、単調な色彩の世界が続く。暖色系の映らなくなった壊れたカラーテレビを見ているかのようである。

 観光客用トテ馬車が通る道路から見下ろす川底には、様々な形をした巨岩がゴロゴロしていて、特徴のある形状から名前の付いているものも多い。オットセイ岩、五月雨岩、松茸石、熊石というように。言われてみれば確かにそう見える。(写真は熊石)

昇仙峡120410 011昇仙峡120410 003

 途中にある愛のかけ橋は、「この橋を二人で渡ると愛が結ばれるという言い伝えがあります」という説明版が立てられている。しかし、橋桁には「竣工は昭和61年」とある。言い伝えねえ~(笑) 橋の下の岩で休んでいたオシドリもやらせ?

 大正14年に時の東宮が行啓されたときの碑があった。昭和天皇である。このあとすぐに即位されたわけだから、青春の日の最後の楽しい一時をここで過ごされたのかもしれない。

昇仙峡120410 006昇仙峡120410 008

昇仙峡120410 009



 気持ちのいい、楽しい渓谷散歩のゴールは仙娥滝が待っていた。
 轟音が聞こえる滝の近くの遊歩道の曲がり角を曲がったとたん、「気」が変わった。ヒヤッとする冷気と共に清浄な気の中に体ごと突入した。マイナスイオンかなにか知らぬが、やはり滝の偉力はすごい。一瞬にして別世界、別心地である。
 30メートルの高さを激しく落ちる水の流れは、一瞬たりとも同じものではない。瞬間瞬間、滝は更新を繰り返している。滝壺にかかる虹もまた同じ。一瞬として同じ虹はない。いや、虹そのものが実体としてそこにあるわけではない。細かい水しぶきに屈折、分散、反射する太陽光がその正体である。が、太陽光も一秒たりとも同じものではない。ここには現象だけで成り立っている物質世界(この世)の本質が垣間見られる。

 我々は滝をいつも下(滝壺)から、あるいは中間地点から見ることが多いけれど、ここの滝は上から、つまり滝が始まる地点、川が滝となって落ちていくスタート地点を見ることができる。実際に見てみると、あっけないものである。引力の法則により水が落ちていくだけの話。


昇仙峡120410 018

昇仙峡120410 021



 ロープウェイでパノラマ台に上る。南アルプスの白い輝きがまぶしい。空気に溶け込んではいるが富士山もよく見える。

昇仙峡120410 023



 ここから山歩きの開始。
 まず、尾根道を15分ばかり歩いて弥三郎岳(羅漢山)へ。

 山頂(下写真)は手すりも柵もロープもない狭い滑らかな岩の上。怖いったらありゃしない。足をすべらせたら一巻の終わりである。風の強い日は本当に危険であろう。
 しかし、360度の展望は素晴らしい。二等三角点の柱石の周りにはなぜか硬貨が散乱している。羅漢寺山というもう一つの名前のためであろうか。
 ここでおにぎりを食べる。

昇仙峡120410 033

 

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 パノラマ台まで戻って下りに入る。
 傾斜のきつくない、道標のしっかりした、歩きやすい道である。まだ芽吹いてさえいない木々の合間から、周囲の奇怪な山塊や遠方にかすむアルプスの山々やはるか下方の家々や道路やダムが見える。これがこの時期の登山の魅力である。
 もちろん、人も少ない。途中で会ったのはドーベルマンを連れた中年夫婦だけであった。

 花崗岩でできた山の頂きは風化が激しく、石が粉々に砕けて、最後には砂になってしまう。白砂山、白山という名前通り、山頂に突如として松林のある白い砂浜が出現する。この砂浜は青い空を海としているのである。
 荷物を降ろし砂浜に座って、しばし瞑想する。

昇仙峡120410 036

 

昇仙峡120410 037



 途中で拾った天然の杖の助けを借りながら、下ること2時間。最初にバスを降りた昇仙峡入口に着地した。
 色彩の単調な山の世界にいたせいか、ふもとの花が美しい。黄すいせん、コブシ、椿。あでやかな色彩が疲れを癒してくれた。

昇仙峡120410 038 昇仙峡120410 040

昇仙峡120410 039 昇仙峡120410 041


 帰りのバスの窓から、山の合間に光の柱が立っているのを見た。
 なにかいいことあるのかな~。

 乗り換えの高尾駅では桜が満開であった。

昇仙峡120410 044



高尾の桜120410




 家に帰ると先日面接した老人ホームの採用通知が届いていた。


 
  


● 日本のヘソ、諏訪大社めぐり 

 4/10まで使える18切符が2回分残っていたので、一日は長野県の諏訪大社に、一日は山梨県の昇仙峡と羅漢寺山(弥三郎岳)に行くことにした。

 諏訪大社は死者を出すことも珍しくない天下の奇祭「御柱(おんばしら)」で有名である。自分の鎮守である諏訪神社の総本社なので一度はお参りしたいと思っていたが、なんとなく近寄りがたいものを感じていた。

諏訪大社120409 011 一つには、諏訪大社のシンボルとも言えるあの巨大なしめ縄に仮託される蛇に対する信仰のためだ。
 今でこそ諏訪大社のご祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、その妃である八坂刀売命(やさかとめのみこと)、同じ大国主命(おおくにぬしのみこと)を父とする兄弟の八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)のお三方、つまり「古事記」や「日本書紀」に出てくる日本神話の神々であるが、もともと土着の神々が祀られ信仰されていたのである。
 
 本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
 (ウィキペディア「諏訪大社」より)

 今でも、蛙や鹿を生け贄として捧げる儀式があり、神殿の四隅に御柱を立てるのもミシャグチを降ろすための依り代の意味があると言う。御柱祭の死者も実は想定の範囲内であって、あれはミシャグチへの人身御供なのだという説もある。(このあたり長久保貴一の怪奇マンガ『カルラ舞う』に面白い。)

 ミシャグチの正体はよく分かっていないのだが(蛙を捧げるのだからやっぱり蛇だろう)、大和朝廷に侵略され乗っ取られ、ご祭神を代えさせられてもなお土地の人々の間で生き続ける強い信仰を感じさせる。
 それが、蛇に対する苦手意識に加え、ヨソ者への排他性を感じてしまうのである。
 ともあれ、謎に包まれた秘密めいた匂いのする、もっとも神秘的な神社であるのは間違いない。


 諏訪大社は、中央線「下諏訪」に下社2つ(春宮・秋宮)、二駅離れた「茅野」に上社2つ(前宮・本宮)の計4社ある。どうせ行くのなら全部回ろう。

諏訪大社120409 00110:30 中央線「下諏訪駅」着。
     ウォーキングスタート。
        下社秋宮~来迎寺~青塚古墳
      ~矢除石~慈雲寺~下社春宮
      ~万治の石仏~諏訪湖 
13:20 下諏訪駅発(中央線)
13:30 茅野駅着、タクシーで上社本宮へ
        北斗神社~相本社~上社前宮
       ~達屋・酢蔵神社~横内笠地蔵
16:40  茅野駅着(中央線)
18:00 石和温泉駅着

諏訪大社120409 002 平日の下諏訪の町は静かで落ち着いている。あちこちに温泉があり、旧中山道沿いの本陣や旅館やお寺など、過ぎし宿場町の繁栄の名残が感じられる。

 秋宮では第一の柱(拝殿に向かって右前)の裏手で、神官さんたちが何かの儀式の最中であった。全体に澄んだきれいな空間ではあるが、それほど強い気は感じられない。


 旧中山道を通って春宮に向かう。来迎寺にある銕焼(かなやき)地蔵は平安時代の恋多き美貌の歌人和泉式部のゆかりで、伝説によると和泉式部はこの地で生まれて「かね」という名で温泉に奉公していた。たまたま京から訪れた大江雅致に見出されて養女となったという。和泉式部が美貌を授かったのは、この地蔵の御利益ということらしい。温泉地らしいエピソードである。
 ルルドのいずみ式部か・・・。
諏訪大社120409 007
 武田信玄が戦場におもむく前に心を静めに来たという臨済宗慈雲寺に寄る。杉並木に囲まれた苔むした石畳の参道、それを丁寧にそうじする修行僧の姿、境内の枯山水の庭と見事な松。いかにも禅寺らしい静かさと簡素な美しさとがある。

 
 高台にある寺から望む下諏訪は、ここが湖とお社に囲まれた町であることを感じさせる。

諏訪大社120409 008



諏訪大社120409 009 春宮は気持ちの良いところであった。拝殿で手を合わせていると、呼吸に合わせて体が律動し始めた。体が繭に包まれて、その繭がゆっくりと膨らんだり縮んだりを繰り返す。あたたかな女性らしい気である。秋宮では何も感じなかったのに、なぜ?

 駅の観光案内所でもらった説明文を読んで合点がいった。神様たちは、季節によって居場所を変えるのである。2月から7月までは春宮に、8月から1月までは秋宮に。つまり、いまは春宮に住まわれているのだ。そう言えば、秋宮を訪れた時に見あたらなかったしめ縄が春宮の神楽殿には堂々と飾られていた。神様のいない時はしめ縄もご用済みなのか?(秋宮に電話で問い合わせてみたら、秋宮神楽殿が現在工事中のためということであった。な~んだ。)


諏訪大社120409 015 春宮の気持ち良さの理由の一端は、裏手に回って分かった。木立の並ぶ涼しげな空間を、神社の背中を洗うように清流が流れているのだ。砥川(とがわ)は町の中を通って諏訪湖に注いでいる。

 この空間の奥まった位置に岡本太郎が激賞した名仏がある。万治の石仏だ。
 巨大でユーモラスで摩訶不思議な文様の彫り刻まれた仏様が、畑の真ん中にデンと居座っておられる姿は、なんとも微笑ましい。表情も和ませる。ちょっと、マツコデラックスに似てないか?

諏訪大社120409 014


 春宮の鳥居をくぐり参道を逆進し、諏訪湖に出る。青い空を映す穏やかな湖面が春らしい。うららかである。
 途中で買ったパンを食べる。

諏訪大社120409 019



 第2部は茅野駅から。

 さすがに本宮までは遠いのでタクシーを使う。
諏訪大社120409 024 ここ本宮が四社の中で一番大きい。真っ白い鳥居も立派。御柱も立派である。
 面白いのは、鳥居をくぐって参道があって正面に拝殿(幣殿、本殿)というのが普通の神社の造りだが、ここは変わっている。鳥居の正面の階段を上って左に直角する位置に拝殿があるのだ。もう一つ別の入口(鳥居)もあるのだが、そちらからだと今度は拝殿の後ろからになる。おかしな配置だ。

 地図で見ると、拝殿の向きは諏訪湖を越えて春宮拝殿に相対している。そう考えると、いつもは本宮におられるという男神(建御名方命)が、春宮にいる妻の八坂刀売命(やさかとめのみこと)に諏訪湖を渡って会いに行くという言い伝えには合致する。このとき湖につけられる跡のことを御神渡(おみわたり)と呼んでいる。

 ここは春宮とは違う男らしい力強い気を感じた。無口な健さんみたいな。
 おみくじを引いたら、出た番号が49。渡されたくじを開いたら案の定、凶だった。「天網恢々、疎にして漏らさず」というようなことが書かれてあった。
 自戒、自戒!(でも、気にしない)

諏訪大社120409 023


諏訪大社120409 028

 

諏訪大社120409 025



 前宮まで歩く。
諏訪大社120409 030 途中、北斗神社というカッコイイ名前の神社があった。北斗とはもちろん北極星の意であるが、なんとご祭神は天御中主命(アメノミナカヌシノカミ)、この世で最初に現れた神様、まさに神々の親分である。
 この神をご祭神とする神社はほとんど見かけたことがないのだが、まさかこんなところにあるとは! 本宮と前宮とを結ぶライン上である。しかも祭主は禰宜太夫、つまり諏訪神社の官職にあった人だ。面白いではないか。なぜミシャグチでも建御名方命(たけみなかたのみこと)達でもなくて、天御中主命なのか。諏訪大社より格の高い神を祀りたいどんな理由がこの官職にはあったのか。
 拝殿は山の中腹にあり、下から見上げると冗談のように急な石段が空に続いている。周囲は木もまばらで丈の低い枯れた茂みばかりなので、石段とはるか彼方に見える社の様はいかにも唐突である。

諏訪大社120409 032 のぼろうか止めようか。
 考える前に足が動いていた。

 二百段はあっただろうか。粗末な小屋のような社が、粗末な石の祠に取り囲まれて立っている。なんだか奇妙な社だ。この石段を上がってお参りする(自分のような)酔狂者がそうそういるとは思えないし・・・。
 そばにあった掘っ立て小屋の縁に腰を下ろして、茅野の町を見下ろして一服。

諏訪大社120409 031


 奇妙な符号はまだ続く。
諏訪大社120409 035 やはり前宮に向かう国道16号の途中にあった相本社。
 諏訪にある神社はどれも、たとえご祭神が諏訪大社のそれ(建御名方命ら)とは異なっていても、すべからく社殿の四隅に木の柱を立てている。結界さながらに。それが諏訪にある神社のお約束、諏訪に住む人々の昔からの風習なのだ。そのことは通り過ぎる際に見たいくつかの神社(自宅の敷地内のお稲荷様でさえそうだった!)で見当がついた。この相本社も同じであった。
 そのことはいい。問題はここの御祭神。
 なんと今度はイザナミ・イザナギと来た。矛で泥をかき回し日本の大地を造った国産みの夫婦神である。
 いったいこのラインはなんだろう?
 日本誕生レイラインか。


諏訪大社120409 038 上社前宮は四社の中では一番地味で、淋しいところにある。
 昔はずいぶん栄えていたらしく、山一つ分くらいが関係する建物で埋まっていたようだが、室町時代に神殿が移転され、いまでは祭典に必要な建物だけが残っている。
 諏訪大社120409 039拝殿の左側の三の柱と二の柱の脇を「水眼(すいが)」と呼ばれる清流が流れている。せせらぎを聴きながら手を合わせていると、心が洗われる思いがした。



 これで四社クリア。
 ほっとした。
 どこも思ったより小さかった。大社というからには、出雲大社か奈良の天理教本部くらいの規模を想像していたのである。一番大きい本宮でも明治神宮よりずっと小さい。もっとも、四社を合わせればなるほど文句の言いようのない大社である。
 気(パワー)も思っていたより強くなかった。御柱祭の年に最大となるに違いない。いまは、春宮→本宮→秋宮→前宮の順か。が、前宮にはなんだか捨て置けないような雰囲気がある。禁忌という言葉が似つかわしい謎めいた匂いがある。


 歩いて茅野駅に戻る。
 途中に達屋・酢蔵神社(たつや・すくらじんじゃ)という聞いたことのない名前の神社があった。達屋社のご祭神は大国主命(おくにぬしのみこと)と手置帆負神(たおきほおいのかみ)。前者は諏訪大社の兄弟神の父親であり、農業、商業、医療の神様として信仰されている。後者は、天の岩戸の物語に登場する建築・祭器具製作の神である。一方、酢蔵社のご祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、やはり天の岩戸に登場しアマテラスを岩穴から引っ張り出すアイデアを出した知恵の神様である。
 なんだか茅野駅周辺は、神話の世界が生きているようだ。高千穂に似ている。


諏訪大社120409 046 駅近くの横内笠地蔵も一風変わっている。二体のお地蔵さんが頭の上に平たい石を笠に見立てて乗っけている。重いだろうに。笠の上を、ちょっと早めの鯉のぼりが春風に吹かれて踊っていた。住宅街のこの一角は、塀で四角く囲われていて、笠地蔵の他にも水子地蔵やウルトラマン兄弟よろしく六地蔵が並んでいる。ちょっと異様な空間である。昔、この敷地でなにか忌まわしい事件でもあったか。なんてことを想像する。

 

 帰宅してから、諏訪について調べていて、ぎょっとするような記述を見つけた。


 下諏訪町はフォッサマグナの上にある。


 そうなのだ。
 諏訪湖は、日本の二大断層である中央構造線とフォッザマグナの糸魚川・静岡構造線の交差点に位置するのである。まさに日本のヘソである。
 ミシャグチとはもしかしたら日本最大の龍脈たるフォッサマグナの神格化、すなわち巨大地震の比喩ではないだろうか。
 そして、地鎮祭の青竹さながら、諏訪湖を囲むように立っている四社も、各社殿の四隅に御柱を立てる風習も、この龍を鎮めるためのまじないなのではないだろうか。


 結界は、外からやって来る脅威を防ぐためにだけあるのではない。中にある怖ろしい何かを外に出さないようにするためのバリアでもあるのだ。

 6年に1度の御柱祭の人のパワーが、普段は諏訪湖の奥深くに眠る荒ぶる力を抑えている。そんな想像はいかがであろうか。




● 映画:『テンペスト』(ジュリー・テイモア監督)

 2010年アメリカ映画。

 言わずと知れたシェイクスピアのラストメッセージTHE TEMPEST(嵐)の映画化である。

 いまや映像芸術はCG全盛の時代であるが、CGの効果がもっとも生かされるジャンルはファンタジーではないだろうか。
 もちろん、SFやホラーや戦闘ものもCG技術の向上によって多大なる恩恵にあずかった。スーパーノヴァの爆風に宇宙空間を木の葉のように錐揉みしていく宇宙船だろが、人間の内臓を喰らう見るも恐ろしいグロテスクな怪物だろうが、何万という兵士たちが大草原を兜と旗の色とで塗り替えていくシーンだろうが、CGを使えば簡単に低予算で実現できる。今や、人の頭の中で想像するもので作れない映像はないと言っても過言ではないだろう。
 SFやホラーや戦闘ものが多かれ少なかれ物語を語るためにCGを利用するのにくらべ、ファンタジーというジャンルは物語もあるにはあるが、非日常的な夢のような魔法のような現象が目の前におきているという、まさにそのこと自体に特徴があり魅力がある。つまり、夢のような魔法のような視覚体験を紡ぎだすことがファンタジーの使命である。
 であるから、CGはファンタジーというジャンルにおいて、その進歩のほどを存分に発揮できると思うのである。

 シェイクスピアのあまたある作品中、もっともファンタジー色の強いのは『真夏の世の夢』と『テンペスト』であろう。とくに、主役のプロスペローが縦横無尽に魔法を使う『テンペスト』こそ、CGによる映像化が待ち望まれていたと言ってよい。
 そんなわけで、期待大でレンタルした。

 さて、CGによる映像そのものは可もなく不可もなく、「まあ、こんなところかなあ」という仕上がりである。なかなか『ザ・セル』(ターセム監督)レベルの映像表現はお目にかかれない。
 面白いと思ったのは、主役のプロスペローを原作の男から女へと変更している点である。

 ミラノの王であったプロスペローは、実の弟とそれにつるんだナポリ王たちの陰謀により失脚し、3歳の娘ミランダともども、島流しの憂き目にあう。辿り着いた島で、臥薪嘗胆、魔術の腕を磨きながら復讐の時を待つ。12年後、島の近くを仇の男たちが船で通り過ぎる。ついに、そのときがやってきた。プロスペローは船を遭難させるべく、魔術を使って嵐を巻き起こす。


 プロスペローを演じるは、イギリスの誇る名女優ヘレン・ミレン。エリザベス二世を演じた『クイーン』(スティーブン・フリアーズ監督、2006年)で主演女優賞を総なめにしたのが記憶に新しい。
 現代でも、イギリスで名役者と言われる条件は変わらない。シェイクスピアを演じられることである。ヘレン・ミレンは、見事にシェイクスピアの古めかしくて、長くて、難しいセリフを自分のものにしている。その上、原作では男であり王であり父親であるプロスペローを、女として女王として母親としてリアリティもってつくりかえて、まったく不自然を感じさせない。さすがである。

 この女プロスペローを見ていて、たくまず思い起こしたのはモーツァルトのオペラ『魔笛』に出てくる夜の女王であった。崖の上で魔法の杖を振り回し、仇の男たちの乗る船に向かって雄叫びを上げるミレンのプロスペローは、まさにコロラトゥーラでザラストロを罵倒する夜の女王そのものである。自然と両者の比較してしまうのである。

 『魔笛』は、父権社会の象徴たるザラストロと、母権社会の象徴たる夜の女王が、二人の間にできた娘パミーナを取り合っていがみあうストーリーである。パミーナの肖像に一目惚れした若者タミーノは、ザラストロに誘拐されたパミーナを助けるよう夜の女王に頼まれる。取り戻せば、娘はお前のものと約束を得て。
 若者はザラストロのところへと向かうが、どうやら悪いのはザラストロではなく夜の女王の方であると知る。何かの教団の長であるザラストロは、パミーナを求めるタミーノに試練を与える。その試練に耐え抜き合格したタミーノは、晴れて教団の一員として認められ、パミーナを得る。

 単純に言えば、青年が通過儀礼を乗り越えて男社会(父権社会)の一員となって恋する女を獲得する物語である。(こうダイジェストするとミもフタもないな~)
 自分が『魔笛』をその素晴らしい音楽にもかかわらず、どうも好きになれない、とくに途中からつまらないと思ってしまうのは、このストーリー構造が気に入らないからである。ザラストロより夜の女王の方が数段魅力的である。(与えられている歌の点でも)
 ザラストロを長とする教団とは、モーツァルトが入会していたというフリーメーソンだという説がある。そうなのかもしれない。ただ、それを超えて、このストーリーは父権社会の構造を「よし」とする圧力が全編みなぎっている。


 『テンペスト』でも、これとよく似た仕掛けが見られる。
 ナポリの王子であるファーディナンドは、遭難したあと、島で出会ったプロスペローの娘ミランダに一目惚れする。しかし、ミランダを手に入れるためにはプロスペローから与えられた試練を乗り越えなければならない。最終的には、無事試練を潜り抜け、ミランダの手をとることを許される。


 プロスペローを男から女へと変えたことによって、ジュリー・テイモア監督とヘレン・ミレンは、この作品に新しい視点をもたらした。
 男たちの陰謀によって娘ともども島流しにあい、男たちへの復讐を誓いつつ魔法の腕を磨き、雌伏12年、ついに男たちに報復する機会を得た女プロスペローの「男社会への闘い」の物語と読めるのである。(「雌伏」とは、まさにメスが伏せることだなあ。)
 その文脈では、王子ファーディナンドの受ける試練の意味も変わってくる。『魔笛』とは逆に、若者に試練を施し、若者が一人前になったと承認するのは娘の母親なのであるから。
 女プロスペローにとっては、自分の大切な娘を、自分を虐げた男社会の一員であり、やがてはそれを継ぐことになる青年に、そのままの形で託したくないに違いない。だから、彼女が青年に与える試練は、「男社会の一員たれ」というものではないと想定される。

 さしものシェイクスピアもモーツァルトもこんな展開が有りうるとは予想しなかったであろう。



評価: C+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 岡田茉莉子、礼讃! 映画:『水で書かれた物語』(吉田喜重監督)

 1965年日活映画。

 自分にとって岡田茉莉子と言えば、なんといっても『人間の証明』(佐藤純彌監督、1977年角川)の母親役である。地位と栄誉と世間体と今ある家族を守るために、戦後の混乱期にパンパンをしていた自らの過去を隠し、黒人兵との間にできた色の黒いハーフの息子の突然の名告りに怯え、ついにはその手で息子を殺める。「母」たることを自ら封印し子殺しするという、強烈な業を背負った女の哀しい姿が目に焼きついている。こうやって書いているうちにも、西條八十の詩をもとにした、あの大ヒットした主題歌の出だしが頭の中でリフレインするほどだ。
 その後(1978年)、テレビで古谷一行が主演した金田一耕介シリーズの『女王蜂』で犯人役を演じた岡田茉莉子を見た。自らの「よこしまな」恋のため、恐るべき連続殺人事件の発端をつくってしまった眉目秀麗な家庭教師役を大女優の貫禄をもって好演した。(映画では岸恵子がこの役を演じていた。それにしても、なぜ「よこしま」なのかが、当時も今も理解できない。)
 この2作で自分の中で岡田茉莉子のイメージがつくられた。
 それは、「深い業を背負った犯罪者の役がよく似合う、顔立ちの派手なおばさん」である。

 そう。岡田茉莉子のスターとしての最盛期を自分は知らない。日本の女優にはめずらしく老け顔であるし、太りやすい体質なのだろう。自分が知ったときには美貌というにはちょっと無理があった。彼女を主役とした昔の映画を観る機会もなかったので、若い頃の美しさのほどを知らずにいた。
 今回はじめて、32歳の岡田茉莉子の主演作を見た。

 う、うつくしい!
 い、いろっぽい!

 着物姿の岡田のなんともあでやかで、しとやかで、なまめかしいことよ。
 頭の斜め上から女性を撮るというアングルは、着物を着た日本の女優を美しく撮るために開発された日本独特のものではないだろうか。その角度からだと、髪を結い上げた女の首筋やうなじの美しいラインが映えるのである。若尾文子を撮った増村もその角度を使っていた。
 う~ん。「顔立ちの派手なおばさん」なんて言ってゴメンナサイ。
 あなたは美しい。

 もちろん、撮っているのが夫である吉田喜重であることも大きい。当然、妻をもっとも美しく見せる手段を熟知している。共演の浅丘ルリ子が、若くオシャレで美貌盛りであるにも関わらず、迫力負けしてしまっているのは、女優としてのキャリアの差ばかりではなかろう。監督の愛が女優を美しく見せるのだ。


 さて、この映画は微妙なテーマを扱っている。洋の東西問わず、あまりお目にかからないテーマである。それは、美しい母親を持つ一人息子が、母親が「女」であることを受け入れられず煩悶する、というもの。

 静雄(入川保則)は、デパートの会長の娘である美しい婚約者・ゆみ子(浅丘ルリ子)との結婚を控えながらも心が晴れない。夫亡き後、女手一つで自分を育ててくれた母親からの親離れができないからである。そこに、母親・静香(岡田茉莉子)がゆみ子の父親・伝蔵(山形勲)に長年囲われていたことを知り、ショックに打ちのめされる。ゆみ子と自分は異母兄妹なのかという疑惑が頭をもたげるが、もちろんそうではなかった。彼にとって一番の鬱屈は、自分だけの優しい母親が他の男の「女」になっているという事実を受け入れられないところにある。結局、ゆみ子とは上手くいかず、別居してしまう。自暴自棄になって仕事も辞めて、母親と心中することを考える。母親を自分だけのものにしておきたいがために・・・。

 簡単に言えば、究極のマザコン男なのであるが、それも無理もないと思わせるほどの岡田茉莉子の美貌とたおやさかなのである。

 中学生の息子を持つ知り合いの女性がこんなことを言っていた。
 「うちの子供、自分が体外受精で生まれたと思っているの。何で?って聞いたら、私がAVに出てくる女優みたいにハアハア言いながら、パパとセックスしている姿が想像できない、想像したくないって。私、ぜ~んぜんバリバリなのに・・・。」
 男の子にとって、母親とは「神聖にして侵すべからず」なのである。

 しかし、「母」というカテゴリーにとじこめられ、「家」という世間体を背負ったところで、個人の性は満足しない。女が性的であることに対する非難や反感が強かった時代、結婚相手に処女が求められていた時代、女たちの抑圧された性のプレッシャーはさぞ強かったであろう。
 いや、女性の性が解放された今だって、こと母親に限って言えば、その呪縛は決して弱くはない。父親が外で女をつくったり、女を買ったりするのと、母親が同じことをするのとでは、まったく世間の反応が違う。子供のショックの度合いも違う。おそらく、その後の家庭の成り行きも違ってくる。
 この差は、男と女に社会から付与されているジェンダーの違いだけに還元できようか。
 父親と母親に付与されている役割・イメージの違いに起因しているのか。
 女が性的に盛んであるとき、生まれてくる子が誰のタネか分からなくなる。自分の遺伝子を継ぐ子供かどうかを男は知ることができない。母子を養う責任者を決めるのに困難が生じる。家督相続に問題が生じる。タネをまく性と産む性。生物学的な差異に差別の生じる基盤があるのか。

 しかし、前近代までは庶民の性はもっと大らかだったと聞く。夜這いに見るように、結婚した女も性を結構楽しんでいたのだ。祭りのドサクサでまぐわって、誰の子供か分からずに生まれた子供は村の子供として育てたと聞く。
 すると、やはり近代化に発端はあるのか。 

 明治政府は、都市では遊郭、三業地、銘酒屋その他、カフェー、のみ屋など遊所の発達を保護、監励し、はるかに広大な領域の農村にも芸妓屋、料理屋、性的旅館、簡易な一ぱい屋などの普及によって、その営業税、酒、ビールその他の酒類の巨大な税収を企図したのであり、一夫一婦制だの、青年、処女たちの純潔教育など、ただの表面の飾りにすぎなかった。したがって広く、深く普及していた農村の性民族、とくに夜這い慣行に対して徹底的な弾圧を加えたのは当然であった。(赤松啓介著『夜這いの民俗学』ちくま学芸文庫)

 欧米がもたらした近代的家族制度が、母親から「女」を奪ったのだろうか。
 母親が処女であることが「聖」である、という途轍もない矛盾をあたりまえの前提とし、それを根底に立ち上げられた西洋文化による洗礼こそが諸悪の根源か。(吉田監督はこの作品の制作意図として「父権社会への抵抗」と述べている。)

 
 「母」であり続けることも「女」であることも許されず、また選ぶこともできなかった静香は、結局湖に身を沈めてしまう。ボートに乗って遺体を探す静雄とゆみ子は、湖面に浮かび波に揺られ流れていく静香の日傘を呆然と見つめる。
 それは、息子のために「女」として生きることを自ら封印した母親の形見である。


 かあさん、ぼくのあの帽子、どうしたんでしょうね。



評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 日本女性の美の2つの極北 映画:『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー監督)

 1950年アメリカ映画。

 今さら評価する必要もない名作である。

 主演のグロリア・スワンソンの一世一代の怪演は、同レベルのものを挙げるとしたら、『ジェーンに何が起こったか』のベティ・デイヴィス、『狩人の夜』のロバート・ミッチャム、『シャイニング』のジャック・ニコルソン、『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンズ、『ダークナイト』のヒース・レジャーなどを持って来るほかない。サイレント時代のスワンソンを知らないが、これ一作だけでも彼女は映画王国の殿堂入りを十分果たしている。ポーズをつけながら階段をゆっくり降りてくる最後の場面などは、風邪で寝込んだ夜の夢に出てきそうである。
 エリッヒ・フォン・シュトロハイムの抑制された存在感たっぷりの演技、ウィリアム・ホールデンの適役ぶり、そしてビリー・ワイルダーの見事な脚本と気の利いた科白の数々。実に見ごたえがある。この作品をこれを上回るレベルでリメイクするのは絶対に不可能であろう。

 美貌の大女優が老いて世間に忘れられることの残酷さをテーマにしたものであるが、ひるがえって日本の芸能界を見ると、本邦の往年の大女優たちは老いても結構頑張っているなあと感心する。
 もちろん、グレタ・ガルボのひそみにならって40才の若さで引退した「永遠の処女」たる原節子さまがいるけれど、CMで見ない日のない吉永小百合はもとより、若尾文子、藤(富司)純子、浅丘ルリ子、岩下志麻、岸恵子などなど、かつての銀幕のヒロインたちはさすがに映画の主役こそ張らないけれど、今でも現役で高い人気を保ちながら活躍している。たいしたものだ。
 思うに、銀幕のスターという存在がもはやいなくなってしまったことが一つにはあるのだろう。彼女たちは、今やすっかり消滅してしまった一つの文化、夢と神秘と憧れとに包まれた銀幕の彼方にあった輝ける世界、の栄光とオーラを背負っている希少な存在なのである。
 一つには、日本の文化ひいては日本人が、アメリカナイズされたとはいえ、なんだかんだ言って「わび」「さび」に示されるような枯淡の境地に対する嗜好を持っているからではないだろうか。整形を繰り返し、変に若作りする故エリザベス・テーラーやカトリーヌ・ドヌーブより、それなりに枯れて落ち着いていく八千草薫(「香醇」)に、年経るごとに苔むして渋みを増していく日本庭園を見るような好ましさを感じているのではないだろうか。
 もちろん、女優たちもそれぞれ美貌を保つため、美しく見せるための奮闘はしているだろう。撮影技術やCG等による編集技術の向上も無視できないところではある。

 とつおいつ考えていたら、思い当たったことがある。
 日本の女優の(女性の、と言ってもいいが)美を語る上で、二つの極が存在する。
 この極があるがために、この極の不動の気高さ、有無を言わさぬ輝きのために、日本の女優たち(女性たち)は、老いによる美の消失を怖れる必要など決してない。この極の方向へと自らを高めていけばよいのである。

 一つの極は、美智子皇后である。
 若い頃のあの方は類い希なる美貌の持ち主だったが、年老いた今、「老けて美しくなくなった」などという人がいるだろうか。むしろ、内面からにじみ出る慈しみの輝きはいや増す一方ではないか。ブランドの衣装も皇室伝統の宝石も、あの永年の忍耐と祈りとによって刻まれた皺ほどの美しさはなかろう。

 もう一つの極は・・・・・・・美輪明宏である。
 神武以来の美少年とうたわれたのははるか昔である。だが、やはり「美」の代名詞であり続けている。ひとえに、芸術と潔い生き方と品格の力とによって。

 こうした二つの極を持つ日本の女性は幸せである。


 さて、日本の男はどう老いたらいいのだろう?
 


評価: A-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!










 

 

● ああ、無明! 映画:『100,000年後の安全』(ミカエル・マドセン監督)

 2009年、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア。

 人類はどこかの時点で自己破滅を選択した。

 この映画を観るとそう思う。
 一体、どの時点だったのだろう?

 チェルノブイリ原発事故にもかかわらず原発推進を止めなかった時か(1986年)。
 スリーマイル島原発事故にもかかわらず原発推進を止めなかった時か(1979年)。
 ラスムッセン報告(大規模事故の確率は原子炉1基あたり10億年に1回)により原子力発電の安全性が喧伝された時か(1974年)。
 世界初の原子力発電所ソビエト連邦のオブニンスク原発が発電を開始した時か(1954年)。
 アイゼンハワー大統領が国連総会で原子力平和利用に関する提案を行った時か(1953年)。
 広島、長崎に原爆が落とされた時か(1945年)。
 キュリー夫人が放射能を発見した時か(1898年)。
 いやいや、ノーベルがダイナマイトを発見した時か(1866年)。
 銃が使用されるようになった時か(13世紀)
 剣を手にした時か。
 棍棒を手にした時か。
 エデンから追われた時か。

 あたかも人類はそもそもの最初から絶滅に向けて歩んでいるかのようである。それも人類という一つの種の絶滅だけでなく、大地も、生きとし生けるすべての命も道連れにするつもりらしい。
 まぎれもなく人類は、地球上に現れた最悪の生命体である。
 そのことはいい加減自覚しなければならないだろう。
 これは悲観主義でもニヒリズムでもなく、客観的な事実である。

 地球と他の生命達とを守るには、本当は人類が絶滅するのが一番いいのである。
 
 ・・・と、思っていた。
 だが、もうそれすらも無理らしい。
 人類が今絶滅したところで、地球の未来も他の生命の存続も保障できなくなってしまった。
 それは25万トンの放射性廃棄物が今すでに地上にあり、その半減期は数万年に及ぶからである。
 放射線被爆以外の他の理由によって人類は滅びるかもしれない。第三次世界大戦か、地球の温暖化か、氷河期の到来か、地殻変動か、惑星の衝突か、ウイルスの蔓延か、宇宙人の来襲か、第2のノアの洪水か、サードインパクトか・・・・。数万年の間には何が起こっても不思議ではない。
 しかし、今すでにある放射性廃棄物は地上に残り続ける。致死性の放射線を出し続けながら。

 フィンランドのオルキルオトに世界で初めての高レベル放射性廃棄物の最終処分場が建設されている。固い岩盤をくり抜いた地中奥深く、アリの巣のようにいくつものトンネルが連なる施設を造って、放射性廃棄物を詰めたカプセルをあたかもアリの卵のように並べて、今後10万年間保管するのだという。
 この映画は、その処分場オンカロの建設に関わる人々へのインタビューを中心としたドキュメンタリーである。

 今さらオンカロの建設の是非を問うても仕方ない。
 すでにあるものをほうっておくわけにはいかないのだから。
 できるだけ知恵を絞って、今ある科学的データと工学的技術を結集させて、未来の人類のためにできる限り安全な施設を造るほか選択肢はないのだから。
 このあたり、やはり西欧人は合理的だなあと変な意味で感心する。目の前の現実を客観的に分析し、理性的に判断し、最善の策を考える。
 日本人だときっとまず「オンカロ建設反対!」の声がかまびすしく、なかなか対策が進まないだろうと想像する。その結果、手遅れとなり、最悪の事態が待ち受けている。太平洋戦争でこれをやり、原爆投下を招いた国民である。(→ブログ記事『なぜ日本は負けに行ったのか』p://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/4699834.html
 
 10万年間オンカロが耐久できるか。
 10万年の間に地殻変動があって、廃棄物カプセルが地表に出て破損したらどうするのか。
 もうそんなことを議論できるレベルはとうに終わっているのだ。一番耐久できそうな方法で保管するしかない。後戻りはできない。
 だから、オンカロ建設上の最大の懸念は、「未来の人類がこの施設の危険性を知らずに、開けてしまうのではないか」という笑い話のようなところにある。それをどう防ぐかが真剣に議論されている。
 1万年前の人類と我々とがコミュニケーションできない現状を考えてみれば、それは納得できよう。わずか2000年前のピラミッドの文字の解読さえ、非常に困難が要るのだから。
 オンカロの入り口にモノリス状の石碑を建てて、世界のあらゆる言語で警告を記すというアイデアがある。
「何人もこれより先に行ってはならない。」
 未来人が文字を使わない文明を築いていることも予想して、本能的に危険を知らせるイラスト(ドクロマーク等)を描くアイデアがある。
 警告のようなものがあるとかえって好奇心を刺激して開いてしまうだろうから、何も置かずにほうっておいたほうがいいというアイデアがある。

 この映画はもう一つの『博士の異常な愛情』(キューブリック)であろう。


 こうまでして手に入れた原子力だが、その寿命はあと数十年と言われている。原料となるウランが尽きるからである。



 

評価: B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 映画:『イブの総て』(ジョセフ・L・マンキウィッツ監督)

 1950年アメリカ映画。

 この年のオスカーの作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞を受賞している名作である。
 面白いことに主演女優賞は獲っていない。
 これは、この作品の中で新人女優イブ・ハリントンを演じたアン・バクスターと、ベテラン女優マーゴ・チャニングを演じたベティ・デイヴィスの二人ともが主演女優賞にノミネートされたため、票が割れた結果だと言う。オスカーは『ボン・イエスタディ』という日本未公開の作品で主演したジュディ・ホリデーという日本ではほとんど無名な女優に持って行かれた。舞台裏でも作品の中同様、女優同士の火花を散らす闘いが繰り広げられたのだ。いや、違う。舞台裏を写したのがこの作品であった。

 しかし、これは誰がどう見てもベティ・デイヴィスに軍配は上がる。
 今では伝説の域に達した大女優そのものの風格に加え、役作りが素晴らしい。
 わがままで情が強くてプライドが高い、一見イヤ~な女だけれど、好きな男の前では素直になれない、どこか可愛い気があって憎めない、魅力的な女優像を造り上げるのに成功している。
 対するアン・バクスターも、野心を隠した計算高い若い女優の卵を見事に演じている。この役が弱いと、この作品はベティの印象が強すぎて物語が成り立たなくなってしまうから、その意味で先輩役者と「堂々と渡り合った」演技と言える。ノミネートは不思議ではない。
 両者がっぷり四つに組んで見ごたえのある作品に仕上がっている。140分近い上映時間なのだが、長さをまったく感じさせなかった。脚色賞もむべなるかな。
 ただ、このアン・バクスターという女優は顔で損している。きれいだけれど特徴がなくて、まったく印象に残らないのだ。次に別の作品で見ても彼女と気がつかないだろう。デートリッヒ風のバンプ(妖婦)顔を持ったベティ・デイヴィスに並んだら、貫禄負けする前に、顔で負けている。これが舞台ならばまた違った競り合いになるのかも知れないが、アップの多い映画は「顔が命」である。

 ところで、タイトルのイブとはもちろん、瞬く間にスターダムにのし上がったイブ・ハリントンの隠れた素顔をあばくという意味ではあるが、今ひとつの意味は、イブ=女性である。
 スターになるために「女」を捨てたけれど、やっぱり「女」であることに生き甲斐を求めるマーゴ、スターになるためには「女」も利用するイブ、主婦として幸福に暮らしながらもどこか満たされずスター性にあこがれ続けるカレン。3人のイブ達の姿を通して、「女」を描いた作品と言える。
 そこで語られる「女」とはなにか。

 演出家の恋人とのこじれた関係に悩むマーゴ(ベティ・デイヴィス)が、親友であるカレンにしみじみと漏らすセリフが「総て」である。

 私たちって、遅かれ早かれ「女」に戻るしかないのよ。どんな仕事をしていても、国際的なVIPになってもどんなに有名になっても、結局、食事する時や寝る時に夫が一緒じゃないと「女」になれないのよ。




評価: B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 熱海パワースポット巡り

 熱海の来宮神社は昨今のパワースポットブームに乗ってか参詣者が多い。テレビや雑誌で紹介されることもたびたびである。

 人々の目的は、神社にある樹齢2000年以上の大楠である。
 幹の周囲24メートルのこのクスノキの周りを一周すると寿命が一年延びる、心を込めて願い事をしながら回ると願いが叶う、といった迷信、もとい言い伝えがあって、神木に触れることなく参詣者が周囲を回れるように、ちゃんと階段状の通路ができている。

熱海2 熱海6

 拝殿の左奥にその楠は鎮座している。
 実際、見事な楠である。
 環境省から全国2位の巨木の認定を受けていると言う。
 1位は鹿児島県姶良(あいらい)市の蒲生八幡神社にある「蒲生のクス(周囲24.2メートル)」である。
 屋久島の縄文杉は周囲14メートルでトップ10に入っていない。
 だからって、どうってこともないが・・・。 

 そばで見ると、幹の節というかコブというか気根というかのグロテスクなこと。これを「垂乳根」と言うにはあまりに世の母たちに失礼である。
 
 神聖な感じは特段しないけれど、「木の宮」というだけある。圧巻のたたずまい。
 
     熱海7 
 
     熱海1

 神社の祭神は次のお三方。

1.日本武尊(やまとたけるのみこと)・武勇と決断の神

2.五十猛命(いたけるのみこと)・営業繁盛・身体強健の神
 アマテラスの弟・素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御子。木の神として有名。

3.大巳貴命(おおなもちのみこと)・樹木と自然保護の神
 素盞鳴命(すさのおのみこと)の御子。大国主命(おおくにぬしのみこと)、俗に「ダイコク様」として有名。

 
熱海3 熱海に行ったら時間あれば必ず立ち寄ることにしている温泉がある。
 日航亭大湯である。
 1200年以上の昔、平安時代に噴き出した温泉で、徳川家康も湯治に来たという。
 もちろん、源泉100%掛け流しである。

 ここの良さは、お湯の質もさることながら、雰囲気である。
 家族や若い女性を呼び寄せるべく「おしゃれに、豪華に」開発されてしまったホテルが立ち並ぶ中にあって、昭和の面影を残しているのだ。そこが実に落ち着くのである。
 一見「ボロい」たたずまいを敬遠してか、熱海駅や海岸から少しはずれている場所にあるせいか、いつ行っても空いていて、ゆっくり浸かれるのも良い。
熱海8
 ここの露天風呂は広くて、静かで、日当たりも良く、本当に気持ちがいい。ややぬるめの湯に浸かって青空を眺めていると、ふつふつと幸福感が身内に湧き上がってくる。湯のしょっぱさに熱海という名の由来を感じることができる。
 隣にある同じ大きさの内風呂もいい。
 山小屋みたいな造りで、壁と屋根に檜を使っている。その香がプ~ンと籠もっていて、気分がほぐれる。
 脱衣所が広いのもゆったりできて良い。

 これからもあまり混まないでいてほしい。
 変にきれいに建て直しなんかしないでほしい。

 今回はじめて建物の入口の所に、空海の手形があるのに気づいた。
 なんでここにあるのか、本物なのか、手形の上の説明版に由来は書いてあったけれど、メモしなかった。熱海と空海、単に「海」つながりか?
 ただ、この手形に手を合わせ、その手で体の悪い部分に触れると痛みが消え、快方に向かうらしい。
 試みに手形に自分の左手を乗っけてみたら、

なんと!

 シンデレラとガラスの靴よろしく、寸分違わず、空海の手と自分の手はピッタリ合ったのである。5本の指の太さや長さまで、全く同じだなんて正直驚いた。

 しかし、先日の延岡と言い、どうも行く先々で、空海と出会うなあ~。(屋久島&高千穂スピリシュルツアー参照→
http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6027567.html


熱海4



 


● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー8

8日目(3/19)熊本~久留米~博多(福岡空港)→東京
 10:02熊本駅 ~ 11:26久留米駅(JR鹿児島本線)
  ・久留米散策
 17:49久留米駅 ~ 18:23博多駅(JR鹿児島本線)
 20:40福岡空港 ~ 22:15羽田空港(スターフライヤー)

 最終日は18切符で、ゆっくり熊本から博多に移動する。特段、目的もない。
 ふと思いついて、久留米で降りてみた。
 久留米と言えば、松田聖子とチェッカーズのイメージしかない。
 他に何があるのだろう?

 あなどってはいけない。
 久留米は、
 その1 とんこつラーメンの発祥地なのだ。
 その2 ブリジストンの石橋正二郎の生まれ故郷なのだ。(石橋美術館がある)
 その3 水天宮の総本宮があるのだ。
 その4 靴のメーカー「ムーンスター」の本社があるのだ。
 
 駅の案内所でもらった散策マップはしっかり作られていて、芸術鑑賞、歴史探訪、サイクリング、グルメと、いろいろな目的に応じて久留米を楽しむことができる。

 水天宮は、壇ノ浦で入水した安徳天皇と母親の建礼門院を祀っている。そう、ここでも人が神になったのだ。今では、海運守護や安産の神様として名高い。大河ドラマ『平家物語』の最終回に近づくほどに観光客が増えることだろう。
 宮の横手は筑後川。広々とした川原が気持ちよい。聖子ちゃんもフミヤもここでデートしたのかな。

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 行書体で「つきほし歴史館」と書かれた看板と古民家風の造りと「見学無料」に誘われて入ってしまった建物は、有名な靴のメーカー「ムーンスター」の歴史を展示してあった。ここでは、発展していく社の歴史と共に、たびから始まった靴の製造が、ゴム靴となり、布靴となり、化成となり、用途に応じた様々な靴が生まれ・・・といった日本人の靴の歴史を見ることができてとても面白い。自分もスニーカーや学校時代の上履きでお世話になっている。
 また、世界地図と共に世界各国のさまざまな靴が展示されているのも楽しい。
 本社の敷地内にある。
 久留米に行ったら、寄ってみる価値あり。

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 久留米駅は、新幹線開通でやはりお祝いモード。構内では、舞台を設置して記念イベントをやっていた。新しい駅舎のステンドガラスが美しい。


2012年3月屋久島&九州旅行 111


 夜、福岡空港を発つ。スターフライヤー航空ははじめて使うが、気に入った。きれいで、座席がゆったりとしていて、設備が充実していて、何かとセンスがよい。しかも、低価格。
次回もぜひ利用したいものだ。


 今回も天候に恵まれた、充実した旅であった。
 屋久島で、高千穂で、素晴らしい「気」をたくさん浴びることができた。
 気分一新。就活がんばろう!

2012年3月屋久島&九州旅行 004




   

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー7

7日目(3/18)延岡~高千穂~熊本
 7:30延岡駅バスセンター ~ 8:30高千穂バスセンター(宮城交通バス)
  ・高千穂巡り
    高千穂神社~高千穂峡~くしふる神社~神武天皇生誕地
    ~高天原遥拝所~天岩戸神社~天安河原
 16:31高千穂バスセンター ~ 19:10熊本交通センター(宮城交通バス)
 熊本市内のカプセルホテル泊

 延岡にははじめて降りたが、この町には実は「日本一高い弘法大師像」(17メートル)がある。
 空海ファンとしては、見逃すわけにはいくめえ。
 早朝、雷雨の中を30分かけて歩いて見に行った。
 延岡と弘法大師に何か直接的なゆかりがあるのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。次のような縁起がある。

 1839年(天保10年)延岡の地で疾病が猛威を振るいました。
 そこで延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請(かんじょう)して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっています。(今山大師ホームページhttp://www.imayamadaisi.com/

 大師像は、4月16日から始まる命日の大法要に備えて化粧直し中であった。大師を取り巻く仏像たちがなかなか表情に富んでいて愉快。

2012年3月屋久島&九州旅行 074 2012年3月屋久島&九州旅行 073

 
 バスで高千穂に入る。
 日本人なら知らぬ人とてない天孫降臨の地。神話と伝説が生きる秘境。神秘的で高貴な高千穂峡。そして、屈指のパワースポットである。
 腹の調子も疲れもなんのその。高千穂に降り立ったら(もちろん、バスからである)、急に元気が出てきた。さすがパワースポット。
 荷物を観光案内センターに預けて、地図をもらい、見所を教えてもらって、半日の高千穂巡りスタート!

 まず、高千穂神社。
 祭神はニニギノミコトほか(失礼)。
 ニニギノミコトは天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたり、アマテラスの命により、葦原中国(つまり日本)を統治するため高天原(たかまがはら)から地上に降りたとされる神である。これがいわゆる「天孫降臨」。
 降りた場所が、この高千穂のくしふるの峯とされている。
 さて、ニニギノミコトは木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と結婚し、3人の男児をもうけるが、その一人が天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)、すなわち神武天皇の祖父である。
 つまり、こうなる。


 アマテラスー○○ノミコトーニニギノミコト(天孫降臨)ーアマツヒコヒコホホデミノミコトー○○ノミコトー神武天皇(初代天皇)

 なんとしたことか。
 自分が屋久島の宮之浦で何の気なしにお参りした益救神社の祭神は、ニニギノミコトの子供ではないか。海を越えて、親子の神を知らずにつないでいたのだ。なんだか謀られているようだ。

 高千穂神社の境内は、清らかであるが熱いパワーに満ちていた。伊勢神宮の内宮を拝んだ時と近いものを感じた。その場にいると、ポーっとして、あたりの空気に体ごと溶け込みそうになる。

2012年3月屋久島&九州旅行 082


 
 高千穂峡はそこから車道を歩いて20分くらいだが、もっとずっと良いアクセスがある。高千穂神社の拝殿の右後ろに種田山頭火の碑がある。ここから続いている気持ちのいい森の中の歩道を行けば、高千穂大橋の真下をくぐって、次第に大きさを増してくる渓流の響きを頼りに、五ヶ瀬川へと抜けられる。
 あとは、流れに沿って、切り立った崖の続く見事な景観を楽しみながら、高千穂のトレードマークたる真名井の滝をゴールとする素晴らしいウォーキングが楽しめる。
 帰りは、傾斜のゆるい車道を登ればよい。
 掛け値なしのおすすめコースである。

        2012年3月屋久島&九州旅行 077 

       2012年3月屋久島&九州旅行 081


 いったんバスセンターまで戻って、次はくしふる神社(字が難しいので開いた)まで歩く。この神社のある山に神々はご降臨され、近くにある小高い丘(高天原遙拝所)でふるさとである天界を拝んだと言う。この一角には、また神武天皇生誕地もある。
 いずれも神話上の話であり、史実では無かろうが、この慄然とするほどすばらしい「気」の中にいると、そういったおとぎ話も実際にあったのではないかという思いがしてくる。文字通り「気のせい」だ。特に、高天原遙拝所あたりの透明感あふれる清らかさは、全身の細胞に浸透して身も心も生き返らせてくれる。
 神社の境内では、パワースポットツアーの一行が外国人の女性(霊能者?)に先導されて、神妙な顔をしてあたりを拝んでいた。

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 いったんバスセンターまで戻り、最後は天の岩戸。ここはバスでなければちょっと無理。
 天の岩戸神社のご神体は、言うまでもなく、天の岩戸そのものである。西宮の拝殿の後ろを流れる岩戸川の向こう岸に、木々に埋もれている大きな裂け目がそれである。社務所にお願いすれば見学(遙拝)することができる。
 案内してくれた若いちょっとイケてる宮司さんの説明に驚いた。
 アマテラスオオミカミについて、だいたいこう語ったのだ。
「菅原道真公が亡くなられてから祀られて天神様(太宰府天満宮)となったように、日本人は、生前人々の記憶に残るような偉業をなした人物や非業の死を遂げた人物を、亡くなった後に神様として敬う習慣があります。おそらく、アマテラスも当時実際にいた非常に力のある女性のリーダーだったのでしょう。それが亡くなった後に、人々は彼女を偲んで神様として祀ったのでしょう。」
 天孫降臨を否定している。
 むしろ逆。人天上昇だ。
 本家本元で(伊勢神宮はおいといて)、こうまではっきりと言うとは思わなかった。右翼対策は大丈夫だろうか。
 それにしても、「当時実際にいた非常に力のある女性のリーダー」と言えば、誰でも思い当たるのが卑弥呼であろう。手塚治虫の『火の鳥』古代編でも、アマテラス=卑弥呼説がとられているが、実際魅力的な説である。「卑弥呼」もおそらく「日巫女」か「日見子」の意だろうし。天の岩戸神話が実際にあった皆既日食をもとにつくられたとすると、古代日本で皆既日食が見られた年(247年)と、卑弥呼の没年は重なるそうである。いよいよもって有力だ。邪馬台国は高千穂か? いろいろ思いをめぐらすとワクワクする。
 ところで、この岩戸の扉は、はるか長野県まで飛んでいって戸隠神社のご神体となったのである。(ブログ記事「長野パワースポットツアー」参照http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/4662547.html

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 天の岩戸に引き籠もったアマテラスをどうやって外に引っ張り出すか、神々が相談したのが天安河原。会議にうってつけの中の広い洞窟がある。
 アメノウズメノミコトのけつまくった舞いによって天の岩戸からおびき出されたアマテラスが、最初に遷り住んだのが岩戸神社東宮である。ここまではあまり観光客が足を運ばないので、高い杉木立に囲われた空間を静かな、落ち着いた空気が支配している。ここで40分ほど冥想した。

2012年3月屋久島&九州旅行 091 2012年3月屋久島&九州旅行 089

2012年3月屋久島&九州旅行 090 2012年3月屋久島&九州旅行 093 


 バスで阿蘇を通って熊本入り。JR熊本駅の新しい駅舎は、安藤忠雄デザインだそうである。なかなか瀟洒で品もあって良い。熊本出身の友人の話では、このあたりは昔赤線があったらしい。


8に続く。


2012年3月屋久島&九州旅行 097


● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー6

6日目(3/17)屋久島出発~延岡(宮崎県)到着
 10:40宮之浦港 ~ 12:30鹿児島本港南埠頭(高速船トッビー)
 13:09鹿児島中央駅 ~ 18:45延岡駅(JR日豊本線)
 延岡の「ビジネスホテル・フクハラ」泊

 高台から宮之浦を見渡して、屋久島ともお別れ。
 最後まで美しい姿を見せてくれてありがとう。
 快晴をありがとう。

 2012年3月屋久島&九州旅行 067


さらば屋久島  帰りは高速船。速くて便利だが、やはり情緒はない。

 鹿児島中央駅からは、お待ちかね「青春18切符」の出番である。
 霧島神宮、都城、宮崎と過ぎて延岡まで約6時間半の列車の旅。
 飛行機や車だと苦痛に思える6時間半が、なぜか列車だと、いや、なぜかボックスシートタイプの普通列車だと、まったく苦にならないから不思議である。同じ列車でも新幹線や特急列車やロングシートタイプの普通列車ではやはりダメである。
 昔から、ボックスシートの窓際に腰掛けて、向かい側の空席に靴を脱いだ足を伸ばして、窓外の流れる景色をぼーっと見ていると時間を忘れてしまう。退屈の「た」の字もない。一応、文庫本はいつもバッグに入っているのだが、結局、列車の中では1ページも読まないでいることが多い。自分も、立派な鉄男(ノリ鉄)なのであろう。
えんこ弁当 もちろん、弁当を広げるのも最高の楽しみ。鹿児島中央駅で買った「えんこ弁当」(420円)は「こういう弁当がほしかったんだよ~」という涙ものの一品。鮭とおかかの大きなおむすびに、さつま揚げ、だし巻き卵、沢庵、ししゃも二匹が、竹皮模様の包み紙におさまって紐でくくられている。「えんこ」とは鹿児島弁で遠足のことである。この弁当を企画した人、えらい! きっとあなたも鉄男でしょう?

 しかし・・・・。
 延岡駅に着いた頃から、腹の調子がおかしくなった。
 食べ過ぎと疲れである。
 腹がエンコしたらしい。(笑)

 夜は大人しく、絶食して、狭く薄暗い部屋で、つのだじろうの『恐怖新聞』と『うしろの百太郎』を読んで寝た。(ホテルのロビーの本棚にあった)


7に続く。

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー5

5日目(3/16)バスで島巡り(南部)
 8:40宮之浦港入口 ~ 10:18大川の滝(屋久島交通バス)
    ・大川の滝
 11:00大川の滝 ~ 11:37尾之間中央(同)
2012年3月屋久島&九州旅行 054    ・パン工房「ペイタ」
    ・尾之間の町と海岸巡り
    ・尾之間温泉 
 14:41尾之間中央 ~ 14:55中の橋(同)
    ・猿川のガジュマル
 16:05焼酎川 ~ 16:47Aコープ前(同)
    ・宮之浦地区散策(益救神社)
 宮之浦の民宿「屋久島89」泊


 今日は曇り時々雨。山の上には灰色の雲が憩っている。登山組は冷たかろう。
 しかし、こちらはバスで島巡りなので問題ない。

 宮之浦から時計回りに島をめぐり、終点が大川の滝。

 日本の滝百選に選ばれるだけあって、予想を越えた壮大さ。実に見ごたえあった。
 雄滝と雌滝が仲良く並んで80メートルを駆け下りる様は、麗しくも優美。パワフルな「気」を山間にはなっていた。
 屋久島に来たら、この滝を見なければ損。
2012年3月屋久島&九州旅行 038 2012年3月屋久島&九州旅行 037


 バスで戻る途中にある尾之間地区に下車。
 この集落のどこにいても見えるのがモッチョム岳(940メートル)。花崗岩がむき出しになったゴツゴツとした山頂は、決して他の山と見間違うことのない特異な格好をしている。まるで、生クリームを空に向かって絞っているかのような格好。いやいや、はっきり言おう。モッチョムとは「女性の性器」を表す言葉らしい。
 この集落の人々は、モッチョムに見守られながら生活を送っているのである。

2012年3月屋久島&九州旅行 042 「ペイタ」という名前の手作りパン屋さんで、噛むほどにおいしさ広がる本物のパンとカフェオレで一服。この店は落ち着けていい。
 このあたりの海岸は鋭く切り立った崖が入り組んでいて、高台から見ると壮観である。JRホテルの裏のテラスは、絶景ポイント。また、ホテルの脇にある小道を行くと、崖を降りていく階段にたどりつく。崖の上から覗き込むと、はるか下の岩棚で釣り糸を垂れている男の豆粒のような姿が確認できた。釣りキチ、恐るべし。

2012年3月屋久島&九州旅行 040


 観光ポイントだけでなく、その土地の匂いを肌で感じることも旅の楽しみである。尾之間地区をぶらぶらと路地裏探訪。まるで、チイさん。
 路地を抜けるとギョッとするような光景が飛び込んできた。
「なんじゃ、これは?」
 岡本太郎作、屋久島版「太陽の塔」か。
 ちょっと、こわい。

2012年3月屋久島&九州旅行 043


 が、角度を変えて横から見上げてみたら、ユーモラスなものになった。
 モッチョムに吼えるゴジラ。

2012年3月屋久島&九州旅行 044


 廃港となった尾之間港へと続く道は、うっそうとした森に囲まれて、森の精か魔法使いが棲んでいるようなムードであった。

2012年3月屋久島&九州旅行 050



2012年3月屋久島&九州旅行 053 歩き回って汗をかいたので、尾之間温泉に行く。
 ここは集落の人々のオアシス。素朴な、ざっかけない、こじんまりした感じが嬉しいではないか。いつまでもこのままであってほしいものだ。
 お湯ははじめ熱く感じるが、浸かっているうちに肌に馴染んできて、ちょうど良い案配になる。ちょっと硫黄の匂いがする、力強い、実にいいお湯である。地元のおじいさんが石けんを貸してくれた。

 尾之間から猿川のガジュマルに。
 ガジュマルだらけの志戸子のガジュマル園とは違って、ここは照葉樹の森の中の一角に大きなガジュマルが数本かたまって、からみあい、もつれあいながら生えている。お化け屋敷みたいな異様な雰囲気である。ガジュマルにはキジムナーという名の妖怪(座敷わらしみたいな子供)が棲んでいるという。
 富士の樹海のような森の中に一人っきりでいるのに、なぜか恐ろしくも淋しくもない。むしろ、とても心が落ち着く。なんでだろう?
 俺がもしかしてキジムナー? 

2012年3月屋久島&九州旅行 057



 宮之浦に戻って、夕食前にあたりを散策。
 海の近くにある益救(やく)神社にお参り。
 祭神は、天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)、神武天皇の祖父にあたる神話上の人物である。
 この境内にあるガジュマルもすてきだ。フランスのアーティスト、ニキ・ド・サンファルの作品のように過激で、自由奔放で、生命力にあふれている。

2012年3月屋久島&九州旅行 061 2012年3月屋久島&九州旅行 062


 夕暮れ時の宮之浦川の情景は、筆舌に尽くしがたい。
 満々と清らかな水を湛えた川と、青い山々と、澄んだ空と、緑の中に点々とある川岸の家々とが作り出す一瞬の幻のような光景。それは平和という名前の繊細な美である。泰西の名画と言う言葉が頭に浮かんだが、いやいやこれは、れっきとしたアジア特有の美である。
 江戸時代、長崎に初めて着いたオランダの人々は、その美しさに陶然となったと言う。海と山と自然と人々のつつましい暮らしとが織りなす交響曲を耳にしたのであろう。
 それに近いものがあるとしたら、この宮之浦の景色なのではないだろうか。
 実際、今回の旅で一番感動し心に残ったのは、この景色であった。


6に続く。

 
 2012年3月屋久島&九州旅行 035

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー4

4日目(3/15)白谷雲水峡ハイキング
 9:21春田 ~ 9:59小原町バス停(屋久島交通バス)
 10:09小原町 ~ 10:35白谷雲水峡(屋久島交通バス)
 10:50ハイキングスタート
       ・原生林コース
       ・白谷小屋
       ・もののけの森(苔むす森)
       ・楠川コース 
 15:50ハイキング終了
 16:10白谷雲水峡 ~ 16:37宮之浦バス停(屋久島交通バス)
 宮之浦の民宿「屋久島89」泊

 朝、「杉の里」の周辺を歩く。
 この宿は屋久島のガイドブックで見つけたのであるが、「緑に囲まれた宿」という謳い文句に惹かれた。予約電話を入れると、出てきた女性(娘さんと思われる)の第一声が、
「お客さん、猫は大丈夫ですか?」
 まさに自分のためにある宿のようではないか。
 明るい朝の光の中で見ると、確かにすばらしい環境である。家の裏にある畑では野菜や果物を作っているという。それが食卓に出される。
 猫は十匹くらいが家の外の段ボール箱の中でおしくらまんじゅうをしていた。一匹、人なつこいのが自分を追いかけてきた。
 カモもいた。どこからか飛来して、なぜか宿に居着いてしまったのだという。
 この宿のもう一つ良いところは、お風呂場に無添加の石けんやシャンプを置いているところ。タオルも無添加石けんで洗ったとわかるすがすがしい香りがしていた。
 そうそう、みそ汁がとても旨かった。
 また、泊まりたい宿である。

2012年3月屋久島&九州旅行 024 2012年3月屋久島&九州旅行 021

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2012年3月屋久島&九州旅行 019 2012年3月屋久島&九州旅行 026

 本日は白谷雲水峡。
 3時間あれば回れるので、ゆっくりのんびり森を歩く予定である。前日の長距離ウォーキングの疲労も残っていることであるし。
 宮之浦からバスで山をグングン登っていく。青い海に縁取られた港町は、レリーフのように整然として美しい。今日も快晴。
 標高を上げていくと、道路脇に猿の群れが出現。バスに驚く様子もなく、仲間同士毛づくろいをしていた。

 白谷の原生林コースは実に気持ちの良い森であった。
 森に入った瞬間から、木々と清流が醸し出す清冽な「気」が充溢しているのを感じた。
 これぞ屋久島。
 弥生杉、奉行杉、びびんこ杉・・・命名された幾本もの杉の巨木や『もののけ姫』のモチーフとなった苔むす森が有名で、それはそれで素晴らしいのであるが、それ以外にも、土の上にメデューサの髪の毛のように「のたうつ根っこ」や、「考える猿」のような形状をした切り株とか、奇怪な光景をあちこちに見つけることができる。
 純粋に気持ちよいウォーキングをしたいのなら、縄文杉登山よりもこっちのほうがオススメである。 
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2012年3月屋久島&九州旅行 034


2012年3月屋久島&九州旅行 069 夜は宮之浦の素泊まり民宿「屋久島89」に泊まる。
 ここは屋久島観光協会のホームページから見つけたのだが、外見も中身もまったくの民家である。2階の空いている二間(和室)を民宿として使っている。自分の部屋にいるみたいな「なごみ感」がある。2階に、流しもガスレンジも冷蔵庫も電子レンジもあるので、スーパーで新鮮な屋久島素材を買ってきての自炊も可能である。
 宿の親切なご主人に教えられた食事処「とし」で、キビナゴの塩焼き、カキ酢、揚げ豆腐を食べる。お通しに出てきたのは、血を吸って膨らむ前のヒルみたいな色と形をしたグロテスクな何か。口に入れてみると、ブリみたいにシコシコしていてなかなか美味。女将に聞いてみたら、トビウオの卵だと。
 へえ~。



5に続く。

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー3

3日目(3/14)縄文杉登山
  5:12春田 ~ 5:18屋久杉自然館(まつばんだ交通バス)
  6:00屋久杉自然館 ~ 6:40荒川登山口(まつばんだ交通バス)
   7:00登山開始
    ・トロッコ道
    ・ウィルソン株
    ・大王杉
 11:10縄文杉到着、昼食
 12:00縄文杉出発
 16:50登山終了
 17:00荒川登山口 ~ 17:40屋久杉自然館(まつばんだ交通バス)
 17:42屋久杉自然館 ~ 17:48安房(屋久島交通バス)
 安房の民宿「杉の里」泊

 暗いうちに宿を出る。縄文杉が俺を待ってるぜ。(お前は裕次郎か)
 屋久杉自然館から先は登山バスでしか行けない。ここまで乗用車で来た人々と合流してバスに乗る。2台で150名くらいか。春休みのせいだろう、学生らしきが多い。
 荒川登山口でバスを降りると、寒いこと寒いこと。0度だと言う。ノースフェイスのレインウェア(24000円)を奮発して良かった。防水だけでなく防寒効果も高いすぐれものなのだ。ちょっと、そこの学生さん。ジャージ上下に100円ショップのレインコートとは山をなめてはいませんか。

 往復10時間、道のり22キロ、最終のバスの時刻に間に合うよう登山口に戻ってこなければならないという時間制限ありのウォーキング。苦労話はこれまでいろいろなところで聞いていた。痛む足を引きずりながら土砂降りの中、走ったとか。せっかく来たのに、帰りのバスに間に合いそうになくて縄文杉まで行かず途中で泣く泣く引き返したとか。
 結論から言うと、思ったより楽であった。
 もちろん、自分が普段山登りをしているせいもあるが、4分の3はトロッコ道、つまり傾斜に気づかぬほどゆるやかな坂道なのである。息も切れない。山登りと呼べるのは残り4分の1。せいぜい2時間弱、標高差400メートル分だけなのだ。これ、東京の高尾山レベルである。特別、技術は必要ない。歩道もしっかりしている。長い距離が歩ける体力があれば子供でもぜんぜん大丈夫なのである。 
 心配していた時間制限も普通の早さで歩ける人ならば、往復8時間で行って帰って来られる。自分のように、途中何度も休憩を取り、帰りのバス待ちの時間を最短にしようと、ゆっくりと景色を楽しみながら歩いて9時間50分である。(うち休憩が1時間30分)
 朝方の寒さはどこへやら、日中は快晴、途中ヒートテックを脱いだくらい汗ばむ陽気となり、最高のトレッキング日和であった。

 渓谷沿いのトロッコ道、沢沿いの照葉樹林の道、目も眩むような高みから渓流を見下ろしながら渡る橋、大きな杉が立ち並ぶ山道、と変化があって面白いのだが、それほど特別にパワフルな「気」は感じられなかった。やはり、人がたくさん来るようになったためだろうか。同じ杉木立ならば、長野県の戸隠神社のほうが数段パワフルで、崇高なまでに清らかであった。
 ゴールである縄文杉も「ここまで歩いて来た」という達成感もあって、ありがたく感じはしたけれど、予想していたほどのパワーや偉容や神秘は感じられなかった。
 しかし、これは自分の見方が影響しているのかもしれない。

 というのも、前の夜の「杉の里」での夕食時、食堂でかかっていたビデオを観たのである。
 それは、屋久島が世界遺産に登録されて観光客がどっと押し寄せてから、いかに自然が破壊されてしまったかを描いたドキュメンタリーであった。制作されたのは7年前くらいと宿のご主人は言っていた。
 そこで知った驚愕の事実。
 なんと縄文杉の余命は、樹木の専門家の鑑定によれば、あと十数年だというのだ!
 嵐にも雷にも豪雨にも山火事にも伐採にも負けずに何千年(一説によると7千年)も生き抜いてきた縄文杉が、世界遺産に登録されてたった数年で命が尽きようとするところまでダメージを受けてしまったのだ。(登頂記念に樹皮を剥いで持って帰るヤツがいるそうだ)
 なんたることか!
 もちろん、なんとか縄文杉をよみがえらせようと専門家たちは努力を続けているわけであるが、宿のご主人が言うように「数十年単位でないと結果は分からない」。

 ・・・・・・。

 この事実を知ったために、トレッキングの意味合いがすっかり変わってしまったのである。次々と山道に現れる杉の巨木達も瀕死のうめき声を発しているように感じられる。崩壊した杉の残骸がいやでも目に入る。これでは「気」もパワースポットもあったもんじゃない。
 そんなわけで縄文杉も、包帯姿の綾波レイのように痛々しく見えたのであった。

 しかし、縄文杉を越えて宮之浦岳に続く山道を少し入ると、空気がまるで違っていた。
 清浄な、きめ細かい、打ち震えるようなバイブレーションがあたりを領していた。これがもともとのこの山の「気」だろう。人があまり入らないところには残っている。逆に言うと、それだけ人の発する「気」は強くて、粗雑ということだ。一人ならどうという影響もないが、大勢集まれば明らかにその場の「気」が変わる。

 ウッドデッキでお弁当を食べていたら、鹿の親子が遊びに来た。


4に続く。


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2012年3月屋久島&九州旅行 007




  

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー2

2日目(3/13)屋久島到着、バスで島巡り(北部)    
  8:30鹿児島本港南埠頭 ~ 12:40屋久島宮之浦港(フェリー屋久島2)
 14:00宮之浦港入口 ~ 志戸子 ~ 16:17いなか浜
    ・志戸子ガジュマル園
    ・いなか浜
 17:43いなか浜 ~ 19:00春田(屋久島交通バス)
 安房の民宿「杉の里」泊

 海を渡るのにフェリーだと4時間(4600円)、高速船だと2時間(7700円)かかる。時間があるのなら、船酔いの心配がないのなら、フェリーが断然良い。高速船は席が決まっていてシートベルトなんかあるから、基本そこから動けない。甲板にも出られない。つまらないではないか。
フェリーで屋久島到着 フェリーなら、自由に広い船内を探索できる。風呂にも入れる。甲板に出て間近に汽笛を聞きながら遠ざかる鹿児島港や桜島を見送れる。(BGMは小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」) 大海原と大空を独り占めできる。コーヒーを飲みながらラウンジでくつろげる。通り過ぎていく大隅半島や種子島にカメラを向けられる。もちろん、客室にゴロ寝して船内図書館で借りたマンガを読みながらビール片手にうだうだ過ごすのも最高である。そして、だんだんと大きくなって近づいてくる屋久島の姿に感動できる。イケメンの逞しい男たちが、船から撃たれた縄を手際よく扱って船を係留させる姿を見るのも楽しい! 
 4時間なんかあっという間だった。

 宮之浦港の観光案内所で、登山届けを出し、バスの一日フリー乗車券(2000円)を買い、登山用ステッキを借り、昼食をすませた後は、いざ、屋久島巡りのスタート!

屋久島地図 屋久島はキャベツみたいな、赤ん坊のオムツ姿みたいな、五角形に近いいびつな円形をしている。島全体が山なので、道路と集落は海岸に沿ってぐるりと円周を成している。大きな集落は3つ。時計で言えば、1時にある宮之浦、3時にある安房(あんぼう)、5時にある尾之間(おのあいだ)。港は前2つの地区にある。島を車で一周すると約3時間(周囲132キロ)かかるが、島内のバスは10時にある永田浜から時計回りに島の東側を巡って8時にある大川の滝までをつないでいる。つまり、島の西部(8時から10時の区間)はバスでは行けない。時計の中心部に島内最高峰である宮之浦岳(1936メートル)と、屋久島詣をする人々の最大の目的である縄文杉が聳えている。

 今日は、宮之浦港から時計の逆回り(1時から10時)でいなか浜へと向かう。
 右手に岩壁を洗う海、左手に畑と民家を裾にして目前に迫る山々。といった景色が延々続く。(BGMは山本コータローとウィークエンド「岬めぐり」)
 亜熱帯だけあって植物は冬枯れしていない。秋と春が冬をほったらかして同居しているようである。ススキと白い木蓮が一緒に見られる不思議。
志戸子のガジュマル いっぽう、民家や畑や電柱などはまったく本土と同じなので(当たり前だが)、沖縄に初めて足を踏み入れた時に感じたような異国風な感じはない。のどかな日本の田舎といった風情。
 志戸子のガジュマル園(200円)をゆっくり見学したあと、海亀の産卵で有名ないなか浜に行く。ゴミ一つない広いきれいな砂浜を透明な波が洗う。しょっぱいとはとても思えなくて、なめてみたらやはりしょっぱかった。
 人の姿の少ない浜辺をぶらぶら歩いて、砂浜に仰向けになってボーッと夕日を眺める。(BGMはトワ・エ・モア「誰もいない海」)

いなか浜 時計回りで、今夜の宿泊先である安房の「杉の里」へ。バスを降りたら、あたりは真っ暗。宿を見つけるのに苦労した。
 懐中電灯持ってきて良かった。


3に続く。


 

● 屋久島&高千穂スピリチュアルツアー1

 スペインでは雨は主に平野に降る。
 屋久島では一月に35日雨が降る。

 屋久島といえば縄文杉である、世界遺産である、海がめの産卵である、もののけ姫である・・・・と言いたい向きもあろうが、自分のイメージでは「屋久島=雨」だ。
 そのイメージの形成にあずかっているのは、成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』(1955年)である。冒頭の「屋久島では一月に・・・」は、この映画の原作である林芙美子の同名の小説に出てくる文句で、屋久島を紹介するパンフレットや本の中で必ずと言っていいほど紹介され、屋久島の天候を語る枕詞とされる。「屋久島=雨」を世間に知らしめた名文句であろう。(「スペインでは・・・」の出典はミュージカル『マイフェアレディ』)
 が、自分の場合、なによりも映画『浮雲』に出てきた雨に煙る屋久島の情景が強く心に残っている。それはおそらく、映画の中の恋人たち(高峰秀子と森雅之演じる)のどうしようもなくやさぐれた姿、切っても切れない間柄と言えば聞こえはいいが実のところは共依存の果てのぬかるみにはまり込んだ自暴自棄の男女の姿が、屋久島の暗い森にやむ気配なく降り続ける雨に朽ちていく二人の愛の巣(あばら家)の姿とあいまって、自分の中に強烈な「屋久島観」を形成しているからである。
 そう、映画では屋久島は社会から放擲された男が流される僻地であった。いや、元来、島とはそういうところであったろう。佐渡しかり、壱岐しかり、オーストラリアしかり。
 それが今では、世界遺産であり、国内有数な観光地であり、登山やダイビングする人々の憧れの地であり、スピリチュアル信者がこぞって訪れるパワースポットである。
 とりわけ世界遺産に登録されてからの屋久島は、365日訪問者の途切れることがない。ゴールデンウィークや夏休みの縄文杉登山などは、11キロに及ぶ長いトロッコ道と登山道がほとんど数珠繋ぎであるという。
 世界遺産登録前に訪れておけば良かった、と思ってももう遅い。
 雨と混雑。この二つにわずらわせられることなく屋久島旅行できる人は、かなりの強運の持ち主ではないだろうか。(それは私)

 3月12日~19日までの8日間、わが国最大級のパワースポットである屋久島と高千穂とを旅した。

日程は以下のとおり。


1日目(3/12)東京→鹿児島(飛行機)
2日目(3/13)フェリーで屋久島到着、バスで島巡り(北部)    
3日目(3/14)縄文杉登山
4日目(3/15)白谷雲水峡ハイキング
5日目(3/16)バスで島巡り(南部)
6日目(3/17)屋久島出発~延岡(宮崎県)到着(高速船とJR)
7日目(3/18)延岡~高千穂~熊本(バス)
8日目(3/19)熊本~久留米~博多(福岡空港)→東京(JRと飛行機)

 交通手段は、飛行機・バス・路面電車・フェリー・高速船・電車・モノレール・タクシー・徒歩と多岐に及んだが、なにせペーパードライバーである。レンタカーだけはなかった。いつもながら、車に頼らなくてもこれだけ移動できて楽しめるという証明のような旅であった。時刻表を研究してバスを上手に使うことがコツである。あとは健脚。

 全体の予算は、おおむね以下の通り。

交通費  70000円(往復飛行機、バス、フェリー、高速船、電車)
宿泊費  26000円(7泊)
飲食代  12000円
その他  12000円(土産代、入場料、ステッキレンタル代ほか) 
合計  120000円

 一から自分で組み立てたプランだったのだが、オリオンツアーという屋久島に強い旅行会社(エイチ・アイ・エス系列)が企画しているプランを利用すれば、もっと安くなったかもしれない。が、その場合、かなり前から申し込む必要があるから、天気が読めない。これは屋久島行きの場合、大きなネックである。雨の屋久島も風情があって緑も生き生きして良いのかもしれないが、デビューは印象良く行きたいところである。でなくても、やさぐれた男女のイメージが頭の片隅にあるのだから。
 まず屋久島地方の向こう一週間の天気を調べて、なんとか晴れそうだという日を縄文杉登山の日と決めてから、それに合わせて他のスケジュールを組み、飛行機や宿の手配をしたのであった。(それができるのが無職の特権)

 しからば、屋久島&高千穂スピリチュアルツアーにいざ出発!

1日目(3/12)東京→鹿児島
 15:10羽田空港  ~ 17:10鹿児島空港(スカイマーク)
 17:30鹿児島空港 ~ 18:30鹿児島市内(バス)
 市内サウナ泊


山形屋 久しぶりの鹿児島。
 路面電車も瀟洒な山形屋デパートも懐かしい。
 フランシスコ・ザビエルも懐かしい。
 この3月に新幹線が開通した鹿児島中央駅は、すっかり建物が新しく立派になって賑やかであった。東京の主要駅とまったく変わらない雰囲気。スタバなんかも入っている。グローバル化の波も新幹線と共にやってきた。ザビエル像
 忘れちゃいけない。雄々しい桜島も懐かしい。この日、歓迎の雄叫び(噴火)を上げてくれた。
 
 夜、鹿児島中央駅近くの路地で見つけた「和田屋」でラーメンを食べる。あっさりした豚骨スープ。うまい!


2に続く。

● 本:『仏陀出現のメカニズム 拡大せし認識領界』(山口修源著)

修源 何か面白い本はないかと近所の古本屋を渉猟しているとき目についた。
 大袈裟なタイトルとハードカバーのぶ厚さ(442ページ)に最初は買う気なかった。「仏陀出現」とはいかにもトンデモ本っぽいし、大川隆法が自分のことを「仏陀再来」とかふざけたことを言っているのを連想させる。大体、輪廻を解脱した仏陀が再来するわけないのである。再来したのであれば、「もう二度と生まれ変わりません」と宣言した仏陀は嘘をついたことになるから、自身が作った五戒を破ったことになり、とうてい信用できる人物ではないということになる。山口修源という名前もまた、ちょっと前に世間を騒がせた「法の華」の福永法源を連想させて胡散臭さを感じさせる。
 著者プロフィールを見ると、

 幼少より無常観に生きる。中学より聖書を学ぶようになり、キリストに傾倒。同時に高校より仏教に目覚め、更に大学にてインド仏教を専攻。水行等の荒行や、『人間改造講座』の原型となった修行法の実践及び瞑想三昧の日々を経ながら、新聞記者を経験。啓示を受けて1986年ニュー・タイプス・ユニバースを設立、霊性向上を目指した『人間改造講座』を編纂し、指導にあたる。その後、延べ一年にわたる深山幽谷に於いての滝行を中心とした荒行と瞑想三昧の山籠りを経て、ヒマラヤにても数ヶ月に及ぶ行を為すも、目的に達せず。1990年、三十代半ばでついに因縁の地イスラエルの荒野に於いて二ヶ月の感応の行を成し、キリストの出現に出遭い、阿羅漢(悟)を得、現在に到る。


 ・・・・・・・・。

 またぞろ新興宗教団体のリーダーによる誇大妄想チックな自己宣伝本&信者勧誘本か。
 普通なら無視するところであるが、サブタイトル「拡大せし認識領界」がどうも気になる。手にとって中味をパラパラめくってみたら、思いの外であった。ずいぶんと堅気な学術書風な装いで、しかも最新の科学について書かれているらしい。各ページに付けられている用語注釈も親切でしっかりしている。
 前書きを読むとこうある。

 本書は、科学理論に基づいて述べられている。かなり難解である。これ程広い分野にまたがって論が進められ、しかも精緻に及んでいるものはほかに見聞したことがない。・・・・この種の本は、常に科学者の立場から著されてきたが、今回このような形で、行者の立場から分析されたことは意義のあることだと自負している。・・・・・
 これからの宗教は科学性を持たなければいけない。旧態依然とした形で、信じれば救われる的教義は、もはや時代遅れである。何より妄信・迷信・狂信の巣窟になりかねない。一件科学的内容を述べたものもあるにはあるが、結局は牽強付会的に自宗を擁護するところで止まっている。これでは宗教に新の未来は訪れない。


 自信たっぷりである。そこがちょっと恐いところだが、後半部分は正鵠を射ているし、冷静な分析が入っている。
 確かに、見るからに難解そうではあるけれど、4ヶ月通っていた介護の学校も終了したいまは元の無職に舞い戻り時間はたっぷりある。
 だまされるを覚悟で読んでみるか。(定価2000円のところを1000円で購入)

 読み終えるのに半月くらいかかるかなと踏んでいたのであるが、一週間足らずで読了してしまい、我ながら驚いている。
 面白くて、しかも読みやすかったのである。
 他人はどう思うか知らないが、トンデモは感じなかった。むしろ、著者の言うとおり、実に広い分野にわたる最新(この本の書かれた80年代終わり頃)の科学理論のダイジェストが、批判的な検討も加えながら、非常にわかりやすく体系的かつ客観的に紹介されており、現代の科学(物理学、分子生物学、脳生理学、精神分析学等)の最先端がどのあたりにあるのかを知る格好のテキストになっている。新聞記者の体験があるだけあって文章も実にこなれていて、うまい。
 これは当たりであった。
 やはり偏見は損をする。

 とは言え、やはり著者は行者であり宗教家である。
 自称「阿羅漢」でもある。


 阿羅漢とは完全に悟った(解脱した)人のことを言う仏教用語である。「完全に」悟ったとはどういう意味か。完全でない悟りもあるのか。
 そうなのである。
 仏教では悟りは4段階ある。
1.預流果(よるか)・・・悟りの流れに入った。今生にあと7回生まれ変わる間に解脱する。
2.一来果(いちらいか)・・・あと1回今生に生まれ変わって解脱する。
3.不還果(ふげんか)・・・今生には生まれ変わらない。天界に生まれ変わってその命が尽きて解脱する。
4.阿羅漢果(あらかんか)・・・もうどこにも生まれ変わらない。輪廻を脱した。

 こういったことが日本でこれまで伝えられてこなかったのはまことに不可解である。日本は大乗仏教の国で、釈迦本来の教えが入ってこなかった(広まらなかった)からという一応の理屈はあろうが、ことは仏教の核心たる、すべての修行者の最大にして最終目的たる「悟り」に関してである。
 悟りが何なのか、どうすれば悟れるのか、悟りには段階があるのか、伝統仏教(いわゆる小乗仏教)でははっきりと経典に示され、そのための修行体系も整っている、修行において最も重要なポイントが、我が国には明確に伝わっていなかったのである。長い日本仏教の歴史の中でどれだけ多くの行者や僧侶が悟りを求めて苦難呻吟してきたかを思うと、実にもったいないというか奇妙奇天烈な話である。おかげで、日本においては「悟り」というものが亀の毛か兎の角のように、現実にはありえない、暇で奇特な一握りの人間たちが執りつかれた世迷い言のようなものになってしまったのである。

 だが、実際に人は悟れるのである。
 最後の阿羅漢果まで行くのはさすがに難しいが、最初の預流果はきちんと修行すればそれほど期間をかけずに得られる。実際、古い経典でも釈迦の説法を聞いて一度に多くの人がその場で預流果を得た話があちこちに見られる。チャレンジする価値はある。

 話がそれた。
 山口修源は阿羅漢ということだから、完全に悟ったということである。本当だとしたら、たいしたことである。
 この本は、阿羅漢・山口修源が見出した究極の真理と、現在わかっている最先端の科学知識及び理論との整合性の確認という意味合いもある。「行者の立場から分析された」とはそういうことである。

 第一章では、著者のこれまでの人生で起った数々の神秘体験が述べられる。このあたりは好奇心も手伝って面白く読める。
 とりわけ、20歳の時に起こったという体験が興味深い。

 「アッ・・・無い!」
 「本当に無い。何も存在しない。全ては幻影ではないか」
  ・・・・・・・
 それは、劇的な体験だった。二十歳の夏の出来事だった。それまでの認識では、この世(現象世界・三次元世界)の存在は明らかに実在しており、且つ、非現象世界(四次元以上)も、三次元世界に重複して実在していると考えていたのである。もちろん、この考えは一定の法則性において間違ってはいない。しかし、これ以上の新たな認識、否、真実に気付かされたのである。・・・・・・端的に言えば、この世は存在しないーということになる。 


 修原氏(当時はまだ修源を名乗っていなかったであろうが)は、まさに般若心経で有名な「色即是空」を悟ったのである。
 面白いのは、このときの悟り方である。

 実は私にとって、この体験はもう一つの興味ある側面をもっていた。それは、従来のこの種の“神秘体験”が直感をもって行われてきたのに対し、この時に限っては、無限な程に速いスピードで脳が活動し、この把握(認識)を導き出したことである。脳が瞬時にして、信じ難い程のスピードで次々と論理を追い遂に最終結論を導き出したという驚くべき体験は、味わった者でなければ理解し難いことであろう。


 第2章からいよいよ本論である現代科学の分析に入る。
 次々と読者の前に紹介される学者や研究者の名前と彼らの提唱した理論名を挙げるだけでも、著者がいかに広い分野の本を読破し、科学素人の読者にかみ砕いて紹介できるまでに内容を深く理解しているかが分かる。そのうえ、各理論について欠陥や不足を指摘できるまでに検討・分析を加えているのである。これだけでも、修源氏が尋常でない頭脳の持ち主であることが知られる。

 詳しい内容は省くが、物理学(フリッチョフ・カプラやデイヴィド・ボームが登場)、分子生物学(今西錦司や利根川進やリチャード・ドーキンスが登場)、脳生理学(クンダリニーへの言及、ペンフィールドが登場)、精神分析学(フロイト、ユング、ソンディが登場)という多岐の異なる科学領域を闊歩しつつ、そこに浮かび上がって見えてくる‘統一理論’を著者は指し示そうとする。それはまた、著者が深い理解と敬意をもっているのが歴然である中国古来からの教えである道家思想につながる。

 われわれはこれまで、全くの自由意志の許に生きてきたと信じて疑うことはない。しかし、本書は、それを現代科学に基づいて否定してきた。実は、自由人生どころか機械的な人生であることを明らかとしてきたのである。さらには、先祖及び個人の前世にまで言及しその意識の奥に無意識なる存在があり、それによって衝き動かされているという心理学理論を紹介した。・・・・・それらを整合していくと、われわれには如何ともし難い因果の関係性を見出すのである。それは巨大な力でわれわれを衝き動かしていく。
 しかし、その巨大な力に抗し得る偉大な自我或いは自己或いは霊(たましい)の存在があることを心理学者は示してくれたのである。それは、物理学法則にいう「ゆらぎ」によって導かれるものである。われわれの透徹した意識は、このゆらぎを通して巨大な力に対抗し、すでに定められた運勢を少しでも良い方向に転換させることを可能とするのである。


 この「如何ともし難い因果の関係性」から抜けることが、いわゆる解脱なのであろう。
 修源氏は、そのための方法(修源之法)を一章をあてて読者に伝授してくれている。
 なに、おびえることはない。頭にヘッドギアなんかつける必要も、滝に打たれる必要もない。

 自観法―自分自身を観る、気づく。

 いま、あなたは私のこの本を読んでいるところだ。正にこの文字を見、理解しようと必死(?)である。そこでこの本を読んでいる自分に改めて気づけば良いのだ。これが自観法である。

 単純で簡単そうなのだが、やってみるとこれが結構難しいことに気づく。
 「今ここ」の自分自身(の身体・心・動き)に気づくことをサティ(念)と言うが、これこそ伝統仏教の悟りに至る瞑想と言われる「ヴィッパサナ瞑想」の中核を成す。してみると、修源之法はそれほどナンセンスなものではない。

 自分自身に気づくことがなぜ「如何ともし難い因果の関係性」の集合体であるところの自分を変容させるのか。
 その点について量子力学の第一命題とも言うべき次の一文が何かを示唆しているようで面白い。

 量子物理学において一個の粒子を観察すると、観察するという行為が、粒子そのものに対して何らかの影響を与える。


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