2006年アメリカ
132分

 アメリカ映画でいわゆる「反戦映画」が目立つようになったのは、1970年代からだと思う。
 『ジョニーは戦争に行った』(1971)、『ディア・ハンター』(1978)、『帰郷』(1978)あたりから流れが始まり、80年代に入って、『プラトーン』(1986)、『フルメタル・ジャケット』(1987)、『7月4日に生まれて』(1989)で一気に本流となった。
 それまではアメリカ発の反戦映画と言えば『西部戦線異状なし』(1930)一択みたいな感じで、『禁じられた遊び』(1953)、『かくも長き不在』(1961)、『僕の村は戦場だった』(1962)など反戦映画の主流はヨーロッパにあった。

 アメリカの戦争映画と言えば、戦場における英雄の活躍を描いて男の観客たちを好戦的気分にさせる、マッチョでエンタメ性の強いものが圧倒的に多かった。
 『戦場にかける橋』(1957)、『史上最大の作戦』(1962)、『大脱走』(1963)、『コンバット』(1966)、『特攻大作戦』(1967)、『グリーンベレー』(1968)、『トラ・トラ・トラ!』(1970)・・・・等々。
 この流れを変えたのが、アメリカがはじめて敗北を帰したベトナム戦争(1965-1973)であったのは言うまでもない。
 今となっては、70年代以前の上記のようなマッチョ志向戦争映画のお気楽加減、子供だましのご都合主義、「神はアメリカについている」の独善ぶりは、幼稚に感じるほどである。
 戦争の真実を知って、アメリカも成熟したのである。(もっとも、たまに『トップガン』のような軍隊リクルート映画もあるが)
 沖縄戦におけるアメリカ軍の勝利と実在した英雄を描いた『ハクソー・リッジ』でも、戦争を肯定する描き方は賢明にも避けられていた。
 勝っても敗けても戦争は悲惨、ヒーローなんかいない。
 クリント・イーストウッド監督が、アメリカ視点の『父親たちの星条旗』と日本視点の『硫黄島からの手紙』――硫黄島2部作で伝えたかったことは、まさにそこに他ならない。
 本作は、ジェームズ・ブラッドリーとロン・パワーズによるノンフィクション小説『Flags of Our Fathers』(文春文庫:『硫黄島の星条旗』)を原作としている。

 従軍カメラマンのジョー・ローゼンタールが撮った一枚の写真は、米国内で大反響を巻き起こした。
 6人の兵士らによって摺鉢山に今まさに建てられつつある星条旗。
 まさに硫黄島攻略の輝かしい瞬間である。
 盛り上がる愛国心。
 ヒーローの誕生。
 被写体となった兵士のうち生き残った3人は、帰国後、国じゅうを巡る大興行に否応なしに駆り出される。
 それは今なお続く日米戦の莫大な戦費を賄うために、国民に国債を買ってもらうためであった。
 3人の運命を大きく変えることになるその写真こそ、「硫黄島の星条旗」(Raising the Flag on Iwojima)であった。

硫黄島の闘い
ジョー・ローゼンタール撮影「硫黄島の星条旗」(Raising the Flag on Iwojima)

 映画は、3人の主人公が硫黄島で体験した地獄の戦場と、帰国後にヒーローとして持て囃された銃後アメリカの乱痴気騒ぎを、交互に映し出す。
 そのギャップの激しさ!
 片や、耳をつんざく銃弾や爆音の下、内臓が飛び出た死体やバラバラになった体の一部がほっぽり出されている岩ばかりの荒野。(『硫黄島からの手紙』同様、火炎以外はセピア色で統一されている)
 片や、ブラスバンドが景気のいい曲を演奏し、着飾った女性たちが歌い、沢山の勲章をぶら下げた軍の幹部や政治家らが威張りくさるパーティー会場やコロシアム。
 これが同じ一つの戦争を体験している同じ国民同士とはとうてい思えない。
 広大なコロシアムのど真ん中にしつらえた摺鉢山をかたどった張りぼてに登り、星条旗を掲げるパフォーマンスを行い、満場の拍手喝采とカメラのフラッシュを浴びながら、3人の頭によぎるのは、硫黄島で亡くなった戦友たちの顔とその無惨な最期である。
 「俺たちはヒーローなんかじゃない」
 「いや、戦争にヒーローなんかいない」
 彼らの心の声をかき消すように、周囲は3人の周りに群がって熱い視線を送り、サインや握手や記念撮影を求め、ショービジネスと化した国債販売興行は続く。

 敗戦国である日本の視点から描いた『硫黄島からの手紙』が、暗く重苦しくなるのは当然だとしても、戦勝国アメリカの視点から描いた本作もまた同様に、陰鬱にして物悲しい。
 勝利を素直に喜べるのは、戦場を知らない者ばかり。
 本当の戦争を知る者にとっては、勝利の味はあまりに苦い。喜びとは程遠い。
 共に飯を食った仲間の残虐な死に様を目にし、たとえお国のため・愛する家族のためであろうと、自らの手で個人的にはなんの恨みもない人間を殺めた者にとっては、それがあたりまえの感情であろう。
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)が米国で社会的に認知されるようになったのは、ベトナム戦争以降であると言われるが、当然それ以前から戦争神経症に苦しむ元兵士は少なくなかったのである。

 思い出すのは約40年前のこと。
 学生だったソルティは通学の途中、渋谷駅そばの大きな書店によく立ち寄った。
 そこで毎回見かける60代くらいの男がいた。
 痩せて貧相な顔立ち、いつも同じ着古した服、近づくと饐えた匂いがした。
 男はいつも戦争関連の本が並んでいる棚の前にいて、太平洋戦争について書かれたドキュメンタリーを読んでいた。
 ただ読んでいるのではない。
 大きな声で、つっかえつっかえ、音読していた。
 本を持つ男の手は小刻みに震えていた。
 その表情には、何かに憑りつかれたような険しさと物狂おしさとが漲っていた。
 他の客たち、そして店員たちも、男の存在に気づかなかったように振舞っていた。
 もちろんソルティも・・・。
 男の半径数メートルはいつも無人地帯となった。

 今思えば、年の頃からして太平洋戦争時は20代。
 おそらく召集令状を手にどこぞの戦地へと駆り出されたのだろう。
 どこで、なにを、見てきたのだろう?
 戦後、どのような人生を送ってきたのだろう?
 バブル真っ盛りの80年代日本をどう思っていたのだろう? 

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ktphotographyによるPixabayからの画像

 興行に駆り出された3人の兵士の一人アイラ・ヘイズはその後、生き残ったことへの罪悪感から酒びたりになり、うつ状態に陥った。
 地方の街で葬儀屋を開いたジョン・ブラッドリーは、硫黄島での体験を、家族を含め誰にもほとんど語らなかった。(『硫黄島の星条旗』の原作者の一人であるジェームズ・ブラッドリーは彼の息子である)
 
 国家がヒーローを必要とするときは危ない。  
 かつて、アメリカ最大のヒーローの一人であったイーストウッド自身が言うのだから、間違いない。





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損