1858年原著刊行
1969年雄松堂出版より邦訳刊行
2008年講談社学術文庫(高野明、島田陽・訳)

 彼らが唯一の頼みとする鎖国排外制度は、彼らに何も教えず、彼らの成長を止めただけだと分かっているのだ。その制度は小学生の悪戯のように、教師の姿が見えると、すぐさま崩壊する。彼らは孤独だし、援助がない。大声で泣き出し「私たち子どもが悪いのです!」といって、子供らしく先輩の指導に身をまかせる他には何の術も残されていない。(本書より引用、以下同)

 「彼ら」「小学生」とは日本人のことであり、「教師」「先輩」とはアメリカ人、イギリス人、ロシア人ら列強諸国のことである。
 本書は、1853年8月に日本との通商を求めて長崎に来航したロシア船に、提督秘書官として乗船していたロシアの文豪イワン・アレクサンドロヴィッチ・ゴンチャローフ(1812-1891)の手記である。
 同じ年の7月8日には、ペリー提督率いるアメリカ船が浦賀に来航し、日本に開国を迫った。
 いわゆる黒船来航である。
 東にアメリカ、西にロシア。
 時の将軍徳川家慶は7月27日に病気のため崩御。
 この夏、幕府は驚天動地、てんやわんやの大騒ぎだったのである。
 もちろん、民もまた「夜も眠れぬ」パニックに陥ったことは有名な狂歌にある通り。

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図版は「魯西亜本船之図」(長崎歴史文化博物館蔵)

 ゴンチャローフらを乗せたパルラダ号は、1953年6月末に香港を出立。
 あわや沈没かというほどの激甚な台風を経験したのち、7月末に小笠原諸島に到着。
 最初の長崎滞在は3ヶ月余り。
 長崎奉行や幕府とのいっこうに進まない交渉にしびれを切らし、ヨーロッパの動向を確かめるためいったん上海に赴き、クリスマス前に再び長崎に戻り、日本で新年を迎えた。
 ロシア側の提示した日露修好条約草案への幕府からの回答を受け取った後、1月末に琉球諸島に向かっている。
 本書には、台風体験、小笠原諸島(父島)上陸、最初の長崎訪問、2度目の長崎訪問、琉球諸島探訪の記録が収録されている。
 
 やはり興味深いのは、ロシア人であるゴンチャローフの見た幕末期の日本および日本人の姿である。
 1603年の開幕からすでに250年。鎖国開始から214年。
 封建制にもとづく幕藩体制、士農工商の階級制度もすっかり定着して、よく言えば太平安楽、悪く言えばぬるま湯につかったような因循姑息の世が続いていた。
 人生50年の時代、250年と言えば10世代にあたる。
 「世の中は変わらない、変えられない」が庶民の常識になっていただろう。
 そんな17世紀で時間が止まった日本を、19世紀の西洋人はどう見たか。

 国民は開化の必要を痛感しているし、その欲求はいろいろもれ聞こえてくる。そのうえ国民は貧しく、外国との交流を必要としている。まともな人々、わけてもヨーロッパ人と接している通詞(ソルティ注:通訳)たちの中には、前にも書いたように、退屈と知的及び精神生活の欠如ゆえに慨嘆している者がいる。
 
 彼ら(ソルティ注:日本人)のこの無感動の底には、どれほどの生命が、どれほどの陽気さや茶目っ気が隠されていることか! 才能、天分の豊かさは――ささいなことにも、空虚な会話のやりとりにも見受けられる。だが、中味がないだけで、すべての本来の生命力が滾りつき、燃えつきて、今や新たな活力回復の原理を求めていることも明らかである。日本人はとても活発で素朴である。彼らには、シナ人のような愚劣さはない。
 
 彼らが自国に作り上げたのは、何か以前になかったことで、よいことでさえ、とにかくそれをやってみたくなったり、拒絶しないつもりになったとしても、少なくとも自発的にはそうできないような体制なのである。たとえば、彼らは二百年も前に「西洋人は有害だ。彼らを相手にしてはならぬ」と決めて、今もなお自らそれを改められないのである。
 
 ヨーロッパ側からの威嚇と、日本人側からの平和希望は、彼らの圧制をいくつか廃止させるのに役立つだろう。日本人自身は改革にふさわしい国民であるが、私が前に述べたように、外部の緊張した情勢しか彼らの体制を揺り動かすことはできないだろう。
 
 日本では反対に、今日でもなお仕事は早く運ばないし、急いで事を運ぼうとする弱点のある人間は好かれないのだ。私たちの艦から長崎までは、たっぷり45分はかかる。日本人たちはしきりに私たちの艦にやって来る。では、その往復の時間をみずから浪費しないように私たちが町のそばに碇泊するよう招けばよいではないか。だめなのである。なぜだろう?
 老中にお伺いを立てねばならず、老中は将軍に伺い、将軍はミカドの許へ人を差し向けるのである。 

 ほんの3~4ヶ月の期間で、しかも数えられるくらいの日本人との交流機会を持っただけで、ここまで的確に日本人と日本社会を見抜いているゴンチャローフの慧眼がすごい。
 日本ではほとんど知られていない作家だが、ドストエフスキーに高く評価された国民的作家(代表作『オブローモフ』)だけあって、その観察眼と洞察力は一級である。
 上記の指摘が、江戸末期の日本人のみならず、令和現在の我々にも今なお通じるところがあると思うのは、ソルティだけであろうか?
 
ゴンチャローフ
イワン・ゴンチャローフ


 ゴンチャローフが初めて接する日本の風物について書いた箇所も滅法面白い。
 何のことを書いているかお分かりだろうか?
    1. 頭は顔と同じようにすっかり剃っていたが、ただ後頭部から髪を上げて、切り取られたおさげ髪のように短く狭くして、脳天に固定している。
    2. ノリモノは、外見はかなり美しく、さまざまな織物で表装され、紋章や房で飾られている。だが、その中に乗り込むことはできなかった。脚か頭か、どちらかのやり場がないのである。それを見ていると、「このノリモノは拷問用につくられたものではないだろうか」という気がする。
    3. 「はて、これは食事をするな、という意味かな」と私は、硬い食物も軟らかい食物も手にとれそうもない二本のなめらかな、白い、先の丸い編棒を眺めながら考えていた。どんなふうにして、何を食べればよいものやら?

 1は「ちょんまげ」、2は「駕籠」、3は「箸」のことである。

駕籠とちょんまげ

 個人的には本書一番の読みどころは、17世紀末の沖縄、すなわち薩摩藩の支配下にある琉球王国の情景についての記述である。
 ゴンチャローフは、その美しさを筆を尽くしてほめちぎっている。

 然り、これは太平洋の果てしなき水の真只中に投げ出された田園詩なのである。さて、御伽噺に耳を傾けていただきたい。木は木として、木の葉は木の葉にきちんと整頓され、ふつう自然が生み出しているようなまぎらわしさもなく、偶然の無秩序に混乱していることもない。すべてがワトーVatoの絵とか、舞台装置にあるように、測定され、掃き清められ、美しく配置されているかのようである。

 私は目にするものに見とれていたが、驚きの目を見張ったのは熱帯の植生でも、暖かい、穏やかな、香ぐわしい空気でもなく――そうしたものはすべて他の場所にもあった――森や、道路や、小径や、庭園のあの見事に整えられたたたずまいであり、質素な衣服や、老人たちの族長制的な威厳あふるる態度や、彼らのきびしい思慮深い表情であり、若者に目立つはじらいや優しさであり、そしてまたどれほどの労力に値するやもしれぬ土木工事や石材工事であった。これは蟻塚か、そうでなければ実際に牧歌の国であり、古代人の生活の一断片なのだ。ここでは、あらゆるものが生まれたまま何千年にもわたって姿を変えていないように思われる。・・・・ここではいまだ黄金時代が可能なのだ。

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琉球王国時代の風貌をわずかに伝える金城町石畳道

 外圧に逆らうことままならず、日本は自らの身を縛る錆びついた鎖を解いた。
 あっという間の大政奉還。
 文明開化に殖産興業。
 またたく間に列強の仲間入り。
 その後100年で、日本も琉球も大きく変わったのは誰もが知る通り。
 しかし、日本以上に変わったのは、ゴンチャローフの愛する故郷ロシアであった。
 プロレタリア革命による帝政終焉、史上初の社会主義国誕生、冷戦からのソ連崩壊、独裁国家ロシア誕生、そして・・・・・。

 艦名であるパルラダとは、ローマ神話の知恵の女神パラスのロシア語読みである。
 パラスは、ギリシア神話におけるアテネであり、知恵の神であると同時に軍神である。

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misterfarmerによるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★★

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 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損