2021年
179分
いささか勇気を出して告白する。
ソルティは村上春樹を読んだことがない!
ソルティは村上春樹を読んだことがない!
80年代末に『ノルウェイの森』があそこまでブームにならなければ、とっくに読んでいたかもしれない。
猫も杓子も女子大生も「ノルウェイ、ノルウェイ」といったバブリーな風潮に、天邪鬼たるソルティは背を向けた。それがはじまり。
もうここまで来たのだから、村上春樹を読まずに一生を終えようと思っている。
たとえこの先、ノーベル文学賞を獲ることがあっても。
春樹のない人生。
もったいないだろうか?
もったいないだろうか?
が、映画となれば話は別である。
映画と文学はまったく別のアート表現なので、評価のポイントも全然違う。
本作は村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』ではなく、あくまでも濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』である。
で、間違いなく傑作。
文学的に素晴らしいのではなく、映画的に素晴らしいのだ。
カンヌ国際映画祭や米国アカデミー賞での受賞が濱口竜介の名を世界に広め、本作の興行的価値を高めたのは間違いなかろう。
が、逆もまた真なりで、本作を受賞作に選んだことが、カンヌ国際映画祭や米国アカデミー賞の価値を高め、「審査員の目も全くの節穴じゃないんだなあ」と世界中の映画通に思わせしめたはずである。
実際、179分が短く感じられるほど、映画的愉楽に満ちた作品である。
真っ赤なサーブ900が瀬戸内の海岸沿いを滑るように走るロングショットや、豆粒となって四国大橋に吸い込まれていく俯瞰ショットなど、観ていてゾクッとなる瞬間が多々あった。
ある意味、本作の主役はサーブ900にほかならず、西島秀俊や三浦透子や岡田将生は主役を引き立てる小道具のような位置づけとすら感じた。(と言っても、三人とも演技は素晴らしかった)
『寝ても覚めても』でも感じられたが、濱口監督は演劇に強い関心があるようだ。
本作の主筋となるのは、広島で開かれる演劇祭で上演するチェーホフ作『ワーニャ伯父さん』を創り上げるまでの舞台裏であり、演出家や役者たちや裏方の間で生じる人間ドラマである。
いわゆるバックステージものと分類できる。
いわゆるバックステージものと分類できる。
劇中劇である『ワーニャ伯父さん』の登場人物やそのセリフが、舞台の外で展開される人間ドラマと重なり合うところが面白いし、作り手(村上か濱口かは問わず)のたくらみを感じた。
こうした手法の代表作と言えば、薬師丸ひろ子主演『Wの悲劇』にとどめを刺す。
『Wの悲劇』にあっては、舞台外の人間ドラマの中心たるテーマは「少女の成長物語」であった。
薬師丸ひろ子演じる少女の“皮を剥く”役目を果たしたのは、初体験の相手となった男(世良公則)ではなく、芸にかける先輩女優(三田佳子)の意地と凄みであった。
薬師丸ひろ子演じる少女の“皮を剥く”役目を果たしたのは、初体験の相手となった男(世良公則)ではなく、芸にかける先輩女優(三田佳子)の意地と凄みであった。
一方、本作のテーマは「大の男の再生物語」といったところで、西島秀俊演じる大の男の“皮を剥いた”のは、30歳近く年下の寡黙な女性(三浦透子)でサーブの運転手。
大の男が、若い女性の凄みある過去によって“剥かれる”という、ある意味、倒錯した物語である。
Drive My Car 「ぼくの車を運転して」とは、「ぼくの人生を君に預けるよ」という意味なのだろう。
ラストシーンは、サーブの持ち主(西島)とその運転手(三浦)が結ばれて、日本中で成功した『ワーニャ伯父さん』を今度は韓国で上演することになったので、二人でサーブごと渡航した――とソルティは解釈した。
違うかな?
違うかな?
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損