1897年発表
1899年モスクワ芸術座初演
2001年岩波文庫(小野理子・訳)

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 濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』を観て、劇中劇として出てくる本作が読みたくなった。
 戯曲の内容や役柄と、舞台の外で生きる役者たち(映画の登場人物たち)の日常とがリンクする面白さがあるからだ。
 原作を知れば、もっと映画の深みが増すだろうと思った。
 そのとおりであった。

 この戯曲は、帝政末期(19世紀末)のロシアの片田舎で暮らすある家族を描いたものである。
 領地を守る仕事をしながら退屈ながらも平穏裡に生きてきたワーニャや姪のソーニャたちのもとに、都会からソーニャの父親である大学教授セレブリャコーフとその2番目の妻エレーナがやって来る。
 我儘で尊大なセレブリャコーフと若くて美しいエレーナの登場で、屋敷内に波紋が生じる。
 もともとインテリのワーニャは、妹ヴェーラの亭主となった学者セレブリャコーフに憧れ、その成功を信じ、自らの半生を犠牲にしてまで彼の学究生活を支えてきた。
 しかし、さしたる成果もないままセレブリャコーフは退職し、亡くなったヴェーラの代わりに何十歳も年下のエレーナを妻に迎え、いまや暴君のごとく振舞っていた。
 セレブリャコーフに幻滅し、自らの半生を無益なものと嘆じ、一方、エレーナに恋するワーニャ。
 いま一人、エレーナに夢中になるは、独身の田舎医師アーストロフ。彼はワーニャの親友である。
 そのアーストロフに恋するは、おぼこ娘のソーニャ。
 みな気もそぞろで、仕事も手につかない。
 愛と憎しみと嫉妬と絶望とが渦巻く不穏な空気の中、幕が上がる。

 映画の中で主役ワーニャを演じるのは、家福悠介(西島秀俊)と高槻耕史(岡田将生)の2人。稽古中は高槻が、本番では悠介が。
 この2人は、悠介の亡くなった妻・音(おと)を巡って三角関係にあった。
 音は悠介を裏切って若い男たちと関係を持っており、その中の一人が高槻だった。
 そして、実は悠介は音の裏切りを以前より知っていた。
 知っていながら、見て見ぬふりをしていた。
 演出家である悠介は、音と高槻の関係を知りながら、オーディションにやって来た高槻を合格させる。
 この複雑にして、ちょっと理解しがたい悠介のパーソナリティに、『ワーニャおじさん』の中のセリフやシチュエイションがかぶるのだ。
 例を挙げよう。

 ワーニャは人妻であるエレーナに思いを寄せて口説くのだが、エレーナは最後まで貞淑を守り続ける。
 ワーニャのセリフ。

だってあの貞節は一から十までまやかしだからさ。そこには修辞学だけがあって、論理が欠けている。我慢のならない亭主を裏切るのは不道徳で、自分の中の哀れな若さや生きた感情を押し殺すのは不道徳じゃないっていうんだから。

 長いことワーニャ役を演じ続けてきた悠介の妻である音は、まさにここに書かれているエレーナとは逆の女性であり、亭主である悠介を裏切って、若い男と浮気を重ねている。
 つまり、ワーニャが望むとおりの女として振舞っている。
 この皮肉。

 一方、アーストロフもエレーナを口説き、逢引しようと迫る。
 夫を裏切るようそそのかす。
 エレーナも本心では、若くて有能なアーストロフに惹かれている。
 映画では、2人が感情をぶつけ合う場面を、アーストロフ役志望の高槻とエレーナ役志望の韓国人女優がオーディションで演じている。
 演出家兼審査員である悠介の目の前で。
 高槻と妻・音の不倫現場を目撃している悠介が、冷静さを保てなくなって、いきなり座席を蹴るのも無理もない。
 悠介は高槻を合格とし、アーストロフ役でなく、ワーニャ役に抜擢する。
 その心中はいかに?
 
 また、ワーニャの次のセリフ。

おれは47だ。仮に60まで生きるとしたら、あと13年残ってる。長い・・・。どうやって13年も暮らすんだ。何をしてそれだけの年月を埋めればいい? なあ、君・・・。(ひきつるようにアーストロフの片手を握りしめる)なあ、この残りの人生を、なんとかあらたに生き直すことは出来ないだろうか・・・。

 愛する妻・音を失って、孤独と寂寥と後悔に生きる悠介の心情とヴィヴィッドに重なる。

舞台

 『かもめ』にも見るように、チェーホフの作品からは帝政末期のロシアの閉塞状態、因習に縛られ抑圧され希望を失った人々の鬱屈、あるいは状況に流されるままの怠惰で投げやりな生き方、が伺える。
 この作品の発表から20年後にロシア革命が起こる。
 爆発に向けて、ガスは溜まっていたのだ。 

 現代まで読み継がれるこの作品の魅力の一つは、中年クライシスを描いているところではなかろうか。
 時代や場所が異なろうとも、ワーニャの抱く鬱屈や後悔や焦燥や絶望は、もはや「若い」とは言えなくなった中高年世代の心を鷲づかみにするに十分だ。
 ただ、チェーホフの時代と違うのは、47歳だろうが、60歳だろうが、82歳だろうが、新しい自分を生きるのに遅すぎることはないという点だろう。
 ワーニャを慰めるソーニャの最後のセリフのように、神や来世に縋る必要はない。

復活の光




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損