第1日の夜はお稲荷様のおかげか、コンコンとよく眠れた。
 平日早朝の京都はすっかりビジネスタウン。
 出勤客に立ちまじってリュックかついで駅構内をうろうろする。
 エスカレータに乗ろうとして、「あっ、関西に来たんだ」と実感した。

第2日(2/27)奈良

【行程】
07:52 京都駅でJR奈良線乗車
08:42 JR棚倉駅
09:10 蟹満寺(50分)
10:17 JR棚倉駅
10:56 JR法隆寺駅
11:15 昼食
12:00 法隆寺(3時間半)
15:52 JR法隆寺駅
15:59 JR郡山駅
    大和郡山市街探索(2時間)
18:30 奈良健康ランド送迎バス乗車

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JR奈良線・棚倉駅は無人駅
昭和の風情に心なごむ
蟹満寺は京都(木津川市)の寺なのだが、風景や大気はほとんど奈良である

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駅前に「こんな田舎になぜ?」と驚くほどに立派な神社がある
涌出宮神社は天平神護二年(766)創建の古社
主神は天乃夫岐売神(あめのふきめのかみ)で、雨をもたらす神として崇拝されてきた
まずは土地の神様にご挨拶する

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駅から歩くこと20分
土手を越え、民家の細い路地を抜け、奈良線の走る畑中を行く
こんなところにホントに白鳳時代の仏像があるの?

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普門山蟹満寺(かにまんじ)
白鳳時代末期に秦氏によって建立されたと伝えられる
寺名は、「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる蟹幡(かむはた)郷という地名に由来する
『今昔物語』には創建にまつわる「蟹の恩返し」譚が載っている
現在は真言宗のお寺である

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この付近には、奈良時代の豪族で光明皇后の異父兄である橘諸兄が晩年を過ごした邸宅や、彼が建立した巨大な寺院(井出寺)があった。(貴田正子著『深大寺の白鳳仏』より)
駅前の神社の格といい、古代にはかなり栄えた土地だったのだろう

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国宝釈迦如来像は、白鳳時代に造られた時から台座から動かされていないという
2m40cmの金銅座像で、ほぼ完全に近い形のまま今日に至っている
ラグビー選手のような、砲丸投げ選手のような、重量感ある逞しいボディは迫力満点だが、表情はおだやかでやさしい
螺髪(チリチリパーマ)でないところ、白毫(眉間の珠玉)を欠いているところなど、深大寺の白鳳仏によく似ている(同じ工房で造られたのかも)
とにかく、ガラスケースも鉄柵もなく、至近距離で鑑賞できるのが凄い!
若干のひび割れと欠けはあるものの、この時代の仏像でここまで完璧なのは珍しい
堂内に50分一人っきり、心ゆくまで鑑賞し祈った

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ほんと、こんな田舎にねえ・・・・

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JR法隆寺駅
30年ぶりに来ました!
立派な駅舎になって・・・

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駅から徒歩20分
こんな参道あったかしら?
すっかり忘れている

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南大門
青空を背景にすると美しさが際立つ

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中門
壮麗にして爽やか
ど真ん中に柱(いわゆるエンタシスの柱)がある不思議な構造
通せん坊するかのよう

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金剛力士像は怖い中にもどことなく剽軽さが感じられる

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ただただ「美しい」というほかない
わが国最古の五重塔
双眼鏡持参で最上部の相輪がよく見えた

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横並びの金堂と五重塔
金堂内には鞍作止利によって造られた釈迦三尊像がある
観光客も修学旅行生も少なく、存分に鑑賞できた

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大講堂
薬師三尊像や四天王像がある
手前の燈籠は、徳川5代将軍綱吉の母桂昌院が寄進したもの

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大宝蔵院
玉虫厨子、九面観音、百済観音、金堂小壁画、橘夫人厨子など宝の山
深大寺の釈迦如来像とともに白鳳三仏の一つ「夢違観音」を間近でじっくり拝観できた
スレンダーな姿態うるわしき百済観音も約20分独り占め、贅沢すぎる時間だった

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西院伽藍から、夢殿や中宮寺のある東院伽藍に向かう
人がいないと壮大さが実感される

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伽藍周囲の築地もまた見事である
近寄って見ると、砂や砂利や糸くずが塗りこめられてザラザラしている

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夢殿
中にある救世観音像は長いこと秘仏であったが、今は期間限定で公開されている
聖徳太子をモデルにしたと言われるこの像について、梅原猛はその著『隠された十字架』で、太子の怨霊を封じるための「呪いの人形」と解釈し、大きな議論を巻き起こした

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中宮寺本堂
昭和43年(1968)落成

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弥勒菩薩半跏像(飛鳥時代)
スフィンクス、モナ・リザと並び「世界三大微笑像」と呼ばれる
たおやかな体のラインと軽みを感じさせる造型が素晴らしい!
諸星大二郎の『暗黒神話』を連想する人はかなりの漫画好き

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西大門から退出
奥に見えるは、遣唐使阿倍仲麻呂が歌に詠んだ三笠山じゃなかろうか?
ソルティの記憶の中の法隆寺は、どういうわけか、カラスが鳴く畑中のこじんまりしたお寺と化していた
正岡子規の俳句のせいだろうか

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JR郡山駅
宿に行くにはまだ早いので、大和郡山市街を探索
もちろんはじめて降りた街である

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ここは郡山城を核とする城下町であった
戦国時代末期、郡山城は豊臣秀吉の弟・羽柴秀長が城主となり、隆盛を極めた
外堀が遊歩道として整備され、市民憩いの散歩道になっている

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南御門
当時の城の建物はほとんど残っていない(一部は復元されている)
秀長時代に建てられた南御門は幕末期に永慶寺へと移築され、山門としてその姿をとどめている

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街中に気になる神社を発見
正一位源九郎と書かれた旗に誘われて寄ってみたら・・・

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源九郎こと源義経を助けた白狐伝説にまつわる有名な稲荷神社であった。
お参り後に宮司らしき方に話を伺ったところ、「ここは全国から三種類の参拝客が来る。歌舞伎が好きな人、義経が好きな人、稲荷が好きな人。歌舞伎役者は『義経千本桜』を演じる前には必ずここを詣でる」(たしかに歌舞伎役者のサイン入り写真が掲示されていた)
なんでも伏見稲荷、豊川稲荷と並んで「日本三大稲荷」に挙げられるとか
どうやら、今回のソルティはお稲荷様に呼ばれたらしい

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地域の人々から奉納された雛人形がたくさん飾られていた

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宮司さんから名刺をいただいた
宮司「大和郡山の名物は3つ。郡山城と金魚と源九郎稲荷神社」
ソルティ「金魚?――ですか」
宮司「そう。江戸時代の武士が副業として始めた金魚養殖がいまも続いている」
なるほど、『カムイ伝講義』に見るとおり、下級武士は傘張りや朝顔栽培など内職をしなくては食べていけなかった

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そう言われて街中を見ると、たしかに金魚づくしだった

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マンホール

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これには「魚ッ!」とした

 大和郡山探索は、予定に入ってなかった。
 やはり、旅の面白さは予定を破ったところにあると実感しきり。