2013年サンガ新書

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 久しぶりに読むサンガ新書。
 ブックオフで見つけた。
 コロナ禍の2021年1月にネットで(株)サンガの破産を知り本当にびっくり&残念・・・・。
 と思っていたら、元編集者らが復活を呼びかけてクラウドファンディングを開始。
 わずか一ヶ月半の間に一千万円を超える額が集まり、同年7月めでたく(株)サンガ新書が誕生。
 仏の智慧をもとめる在家信者の志しの熱さを感じる展開であった。

 本書は2人の社会学者による対談形式の仏教概説である。
 シッダールタの覚りとサンガの誕生から始まった仏教が、仏滅後の結集を経たのち、三蔵(経・律・論)を備えた初期仏教として完成(紀元前5世紀頃~紀元前後)。
 そこへ出家中心主義を批判し利他行を重んじる大乗仏教が登場し、在家修行者(=菩薩)が重視されるようになる。
 新しい経典が次々と創作された。
 仏教は、初期仏教の流れを汲む北伝仏教(ミャンマー、タイ、スリランカなど)と、大乗仏教の発展形である南伝仏教(中国、朝鮮半島、日本など)に分岐した。(4~5世紀頃)
 大乗仏教は我が日本において大きく花開き、即身成仏や密教や修験道や阿弥陀信仰や念仏やタントラや禅や56億7千万年後の弥勒菩薩や本地垂迹や葬式仏教やなにやらかにから、ディズニーランドのアトラクションのごとき種々雑多なんでもありの様相を呈す。
 本書は、このような仏教の歴史をたどりつつ、キリスト教やイスラム教と比較したり、仏法をデカルトやカントやウェーバーやヴィトゲンシュタインなどの近代哲学の視点から読み解いたり、「苦」や「悟り」や「空」や「唯識」や「自由意志と因縁」といった仏教の重要概念についてズバリと切り込んだり・・・。
 両人の幅広い学識と縦横無尽な切り口で語られる仏教の姿。
 面白く読んだ。
 
 おおむね、10歳年下の大澤(58年生まれ)が問いを発し、仏教の専門研究者であり先輩学者でもある橋爪(48年生まれ)がこれに答える、という形式をとっている。
 大澤が繰り広げる様々な世界の思想との対峙を通して、北極星のごとく不動なる橋爪の姿勢によって、仏教の仏教たるゆえんが浮き彫りにされていく――という印象を持った。
 
 以下、橋爪の言葉より引用。

 苦というと、楽とは反対で、辛かったり痛かったりする感覚的な苦しみを思い浮かべてしまう。でも、そう考える必要はない。私は、ただ単に、苦とは、「人間の生が不完全であること」だと思うのです。
 
 私の理解、仏教にいう苦は、自分の人生が思いどおりにならない、ということと等しい。「思いどおりにならない」という部分を苦と表現すれば、愛する人と出会うのは思いどおりになっているから苦にならないけれど、愛する人と別れることは思いどおりではないからそれを苦と感じてしまう。おいしいものを食べられればそれは苦ではないが、食べたいものが食べられなかったらそれを苦と感じてしまう。
 もしも思いどおりにならないことをネガティブなものとしてカウントしていくと、人生はネガティヴだらけになり、自分の人生が自分の思いどおりにならないというそのことに圧倒されて、へしゃげてしまうだろう。そうならないため、自分の人生が思いどおりにならないのはなぜなのか、と考えるわけです。
 
 覚るというのは自分を外側からみることなので、覚った結果は、自分が最大の他者になるわけです。世界の中に自分とか人間とかいうくくりがあることが不自然であり、不当であるということを含むと思うから。つまるところ、私は私でなく、私は人間でなく、私は生命でもなくて、私は奇妙奇怪な宇宙のメカニズムそのものだ、ということが結論になるはずです。
 
 覚りがあるのと、覚りがないのと、どこが違うか。覚りは、自分の人生を測り直すものさしのようなもので、価値ないもの、苦しいものである自分の人生が、価値ある覚りとの関係で意味あるものになる。そういう体験だと思う。 

 橋爪さん、預流果ってる?
 



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損