平和憲法の熱心な護持者で『沖縄ノート』の執筆者であったノーベル賞作家・大江健三郎氏の冥福を祈り、四国遍路にて氏の故郷・愛媛県内子町を歩いた時(2018年11月5日)の記事を再掲載します。



 弘法大師がその下で野宿したという十夜ヶ橋から久万高原に向かう途中に、内子という町がある。
 江戸や明治の伝統的な造りの町屋や豪商の屋敷が今も残るタイムスリップな町並みが、興趣をそそる。
 そこから小田川に沿って二里ほど山の中に入ったところに、大瀬の里がある。
 ノーベル文学賞作家・大江健三郎のふるさとである。

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 燃料店をしていたという実家は今も残っていて、内子ほどではないにせよ、瀟洒な家並みの中にある。

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 二十代の頃、この作家にはまったソルティにとって、ここはいわゆる“聖地“と言える。
 彼の小説(とりわけ初期)の原風景はここにあったのか! と、ワクワクしながら小さな集落を歩き回った。

 その後、また遍路に戻り、しばらく歩いていたら、80才はゆうに越えていると思われる翁に遭遇した。
 道行く遍路にお接待したり、病気や事故で困っている遍路を助けたり、近くの名所まで道案内したり、遍路との交流エピソードの尽きない人だった。
 そんな話を聞いていたら、自然、大江健三郎の話になった。

 なんと翁は、大江の親戚筋だったのである。
 若い頃、大瀬まで店の手伝いに行ったこともあると言う。
 翁曰く、 「とにかく子供の頃から頭が良かった。あんまり出来がいいから、内子の学校まで越境通学していた」
 さもありなん。
 「ノーベル賞取った時はマスコミが押し寄せて、そりゃあ、たいへんな騒ぎだったよ」

 とてつもなく澄みきった小田川のほとりの、この小さな山間の里が一躍脚光を浴び、揺れに揺れた光景を想像し、心がニンマリした。

小田川


文豪を「健ちゃん」と呼ぶ 大瀬老