2022年新潮社

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 著者の宮下洋一は、高度生殖医療や安楽死など、人間の誕生と死をめぐる現場を取材し、本を書いている。
 スペインとフランスを拠点とし、欧米諸国を飛び回って取材できるだけの国際感覚、語学力、交渉力、行動力、取材力、そして思弁性を兼ね備えた才能あるジャーナリストである。
 本書の一番の特徴は、人権理念の強い欧米における死刑制度――ヨーロッパでは独裁国家であるベラルーシをのぞき死刑は廃止されている――を取材することで、日本の死刑を巡るさまざまな状況を相対化し、「死刑のある国=日本」で生きるとはどういうことなのかを考えるきっかけを与えてくれるところにある。
 執筆動機をこう語っている。

 死刑制度が犯罪抑止につながるとか、死刑廃止こそが人権の尊重であるとか、一般的な存続の議論も重要だろう。しかし私が知りたいのは、多くの国々が世界の潮流として、死刑廃止を決めてきた中で、日本がその実現に向かわない理由、そしてその潮流に乗る必要がそもそもあるのかどうかだ。それを各国の現場を取材しながら見極めたい。

 本書でメインに取り上げられているのは、以下のようなエピソードである。
  1. おのれの妻子を殺した44歳の死刑囚との面会、および1年4か月後の処刑の様子(アメリカ)
  2. フランスの死刑制度廃止(1981年9月)に決定的な役割を果たした元・司法大臣ロベール・バダンテールへのインタビュー(フランス)
  3. 勤めている介護施設で11人の高齢者を殺害し、懲役40年を受けて服役中の男の地元の声(スペイン)
  4. 刑を終えて出所した殺害者と、彼に殺された被害者遺族とが、わずか50メートルのところに暮らしている村の様子(スペイン)
  5. おのれの妻子6人を手にかけたものの、犯行当時の記憶を失っている30代の死刑囚との面会(日本)
  6. おのれの義母と妻子を殺した死刑囚の減刑を求め、加害者家族を支える会を立ち上げた地元の人々(日本)
  7. 犯人Aに叔父を殺されたにもかかわらず、その死刑執行に反対する被害者遺族である住職と、同じ犯人Aに家族を惨殺され、「犯人が苦しみ続けるなら死刑でなく終身刑でもかまわない」と言う被害者遺族(日本)
  8. 正当防衛という名目のもと、警察官による「現場射殺」が増えているフランスの現状(フランス)
 いずれのエピソードにおいても、お国事情や事件のあらましなど、理解の前提となる知識を簡潔に上手にまとめる手腕、臨場感ある情景や対話の描写など、書き手としての巧さを感じさせる。
 日本とは異なる風土、価値観を有する異国の事情は興味深い。
 それぞれの現場に出向いて、当事者や周囲の人々の声を聞き、取材をひとつ終えるごとに、揺れ動いていく著者の心境や変化していく視点、深まっていく思考のあとが辿られる。
 死刑制度をどう考えるかは、国により、地域により、文化により、歴史により、なされた犯罪の質により、語る人の立場や思想により、それこそ千差万別。そこに「正しいor 正しくない」という判定は容易に下せない――というのが、本レポートより浮かび上がってくる見解であろう。

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 そんな中、ヨーロッパ各国は死刑廃止に舵を切り、日本は死刑を存続させている。
 最終的に著者は、「日本においては死刑制度はこのまま残したほうがいい」という結論に達したようだ。
 その理由をこう述べている。

 国際社会は日本に対し、死刑を廃止するよう求めている。しかしそれは、文化、宗教、生活様式が異なる国の人々が考える「普遍的価値観」であり、それは日本のそれとは相容れないのではないか。

 日本人は、罪人が罪を自覚して償うのであれば、たとえ死刑が執行されても「浄土へ還る」ことができるという宗教観を有しているように思える。それは、欧米人には理解し難い日本特有の価値観であるのかもしれない。
 その視座からも、日本人にとって死刑とは、罪人が国家によって処刑され、地獄に落ちるというキリスト教的な発想よりも、国家が個人を悔悛させながら、死をもって浄土へ向かわせるという感覚のほうが近いのではないか。

 日本取材を始めた当初から、私は、日本人にとっての正義とは何かについて、考えを深めてきた。それは、国民が生きる価値をどう解釈するのかに関わってくる。欧米のように神を信じる宗教的な社会とは違い、世俗的なありのままの社会で生きる日本人は、個人よりも集団との関係性の中で、その価値を発見し、幸せを見出そうとしているように見える。
 言い換えれば、身内の死は、家族のみならず、集落全体の悲しみにつながる。つまり、殺人犯に対する被害感情は、被害者遺族だけでない多くの人々が感受する。私は、死を語り合う際に、欧米と日本では、その感受の領域に本質的な差があると思っている。

 結局、日本人は、欧米人のそれとは異なる正義や道徳の中で暮らしていることになる。だからこそ、西側先進国の流れに合わせ、死刑を廃止することは、たとえ政治的に実現不可能ではなくとも、日本人にとっての正義を根底から揺るがすことになりかねない。

 それぞれの国で、独自の価値観に則った裁きがあれば、それでいいのではないか。

 以上の考察で示されるように、本書は、死刑制度という題材を巡ってなされた日本人論、比較文化論ということもできる。
 個人主義、権利意識の高いヨーロッパでの生活の長い著者の言だけに、傾聴に値するところである。

 一方、ソルティは、この結論は最初から(取材前から)準備されていたのではないかという印象も受けた。
 一つには、エピソードが語られる順番である。
 上記1~8のエピソードは取材した順番通りに時系列で並んでいるので、そこに著者の編集上の作為は認められないものの、このエピソードの順に読んでいったら、読者は、著者と同じ見解(=日本においては死刑制度はやむを得ない)に達しやすいだろうなあと思った。
 もしこれが、8の「現場射殺」のエピソードから始まって、2のバダンデールへのインタビューを経て、1の「処刑現場への様子」で終わっていたら、全体としては同じ内容であっても、そこから著者が達したのとはまったく反対の結論を導き出せそうな気がする。
 つまり、取材の順番(仕事の遂行計画)を決める段階において、著者の中である種のストーリーができていた可能性があるのではなかろうか。
 そもそも、執筆動機に見る通り、最初から著者は「死刑制度の是非」を問うことをテーマとしているのではない。
 日本が、死刑廃止の世界的「潮流に乗る必要があるのかどうか」を問うているのだ。
 「死刑なしでは社会は収まらないのではないか」という問いを長い間もっていたと、著者は述べている。
 してみると、本書の狙いは、日本で死刑制度を残すべきもっともな理由を探すことにあったのではなかろうか。

 あとがきで、思わず目を疑うような箇所があった。

 生まれ育った国の下で、人はその社会に適応する術を身につけ、喜びを見つけたり、正義を見出したりしていく。そして、その国で培われた伝統や文化、制度や道徳を重んじながら暮らしているのである。
 しかし、異国の異質な価値観の押しつけや干渉に譲歩すれば、遅かれ早かれ、国の基盤は揺らいでいくだろう。西洋諸国が提唱する「ヒューマンライツ」(人権)は、全世界に通用する普遍の権利と言えるのか。私は、この点に違和感を持ち続けていた。
(ゴチはソルティ付す)

 普遍的価値としての「人権」に疑いを抱いている。
 これはかなり危険な、そして反動的な思想ではなかろうか。(中川八洋の著作を想起した)
 ことは、死刑制度に対する是非の問題だけでは済まない。
 人種差別、民族差別、女性差別、性的少数者差別、部落差別、障害者差別、高齢者差別、病人差別、言論・表現の自由、集会の自由、信仰の自由、教育の自由、幸福追求の自由、生存権に関わる問題である。
 人権思想の輸入あってはじめて我が国民はこうした差別を弾劾できる言葉を手に入れ、現在あたりまえのものとして行使している数々の権利に目覚めたのである。
 それらを著者は、西洋由来だからと言って、否定したいのだろうか。
 ちょっと理解に苦しむ。
 著者が、人権概念の普遍性について普段から「違和感を持ち続けていた」のであれば、死刑制度についても最初から「結論ありき」だったのではないかという疑いを持たざるを得ない。

 一読者として言わせてもらえば、死刑制度や安楽死について調べたり書いたりするのもよいが、著者にイの一番にやっていただきたいのは、ヒューマンライツ(人権)について違和感を持つようになった経緯に関する自己省察である。
 それを言論・表現・出版の自由を駆使して、ぜひ発表してほしい。

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おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損