2009年原著刊行
2012年東京創元社(訳:金原瑞人、樋渡正人)

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 『心のナイフ』に続く英国発YA小説『混沌(カオス)の叫び』シリーズの第2部。
 原題は THE ASK AND THE ANSWER 

 生まれ故郷であるプレンティスタウンを、地球からやって来た入植組の少女ヴァイオラとともに逃げ出したトッド。
 二人は、プレンティスの軍隊に追われながら、数々の苦難を乗り越え、惑星でもっとも大きな町ヘイヴンに到着した。
 「ついに安息の地にたどり着いた!」と思ったのも束の間、すでにヘイヴンは、先回りしたプレンティス首長、転じてプレンティス総統に占領され、ニュー・プレンティスタウンと名を変えていた。

 ――という『猿の惑星』的悪魔的結末で終わった第1部。
 トッドとヴァイオラがくぐり抜けた数々の試練はなんだったのか?
 愛犬マンチーの死はなんのためだったのか?
 それなら最初から逃げ出さないでいたほうが良かったのでは?
 これは、読者であるYA(ヤングアダルト)たちに、世間の厳しさや、権力と闘うことの無益さ、希望を持つことの愚かさを伝えるための計らいなのか?
 いやいや、最後は必ず悪がしりぞけられ、正義が勝つはず!
 それでこそYA小説。

 ――と思いながら、第2部に突入した。
 プレンティス総統に囚えられたトッドとヴァイオラは、別々の処遇を受ける。
 トッドは大聖堂の一室に閉じ込められ監視されながらも、日中は仕事を命じられ、プレンティス総統の息子デイヴィと一緒に、原住民スパクルの収容所の監督をまかされる。
 トッドはどういうわけかプレンティスに気に入られ、特別待遇を受けるようになる。
 一方、ヴァイオラは傷の治療のために送られた施療院で、女性ヒーラーたちの世話を受ける。
 そのリーダーであるミストレス・コイルはただ者ではなかった。
 密かに、プレンティス総統の転覆をはかり、町を取り戻すための算段をはかっていたのだ。
 この状況が、友情以上恋愛未満で固く結ばれていたトッドとヴァイオラを、思いもかけぬ運命に追いやる。

 ミストレス・コイルとその同志は、町を離れ、武器や食料を蓄えておいた軍事拠点に籠り、アンサー(ANSWER)隊を名乗ってテロ攻撃を開始する。
 夜間に町に侵入し、ニュー・プレンティスタウンの重要施設を次々と爆破していく。
 ヒーラーたちに命を救われたヴァイオラは、行き掛かり上、行動を共にせざるを得なくなる。
 そして、プレンティスの軍隊の男たちが、スパイ活動を疑われて収容された男女におこなった虐待の数々を目にし、自発的にアンサー隊に協力するようになる。
 一方、トッドは、プレンティス総統の強いマインドコントロールのもと、次第に良心を麻痺させられ、スパクルたちへの虐待も平気で行えるようになる。
 ますます総統に気に入られ、昇進し、いつしか息子のデイヴィと同格の扱いを受けるようになる。
 総統は、テロリストであるアンサー隊と闘うため、アスク(ASK)隊を組織する。
 トッドとヴァイオラー。我らが若き恋人たちは、敵と味方に別れてしまう。
  なんという展開か!

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Erich RöthlisbergerによるPixabayからの画像

 読んでいて背骨の底のほうからゾクゾクしてくるのは、主人公たちのむごい運命や彼らに次から次へと襲いかかるピンチのためだけではない。
 YA小説の枠を超えた「とてつもない傑作文学を読んでいる」という感が、ひしひしと湧いてくるからである。
 大人向けの小説でもなかなかお目にかかれないくらいに、現代という混沌とした時代を見事に映し出しているのだ。

 たいていの読者は、途中まで、「プレンティス=アスク隊=男性中心社会=悪」と読み、「ミストレス・コイル=アンサー隊=女性中心社会=善」と読むだろう。
 その図式の中では、アンサー隊の行うテロリズムは、悪を倒すための手段と思えば、許容される、と。
 フェミニズムを学んだ読者なら、とりわけ、男性の支配欲と暴力性に抵抗するアンサー隊を応援したくなるかもしれない。
 本シリーズの一つのテーマが「暴力」であることはもはや疑い入れない。
 「YA小説でここまで許されるのか?」と思うほどの暴力描写が続く。(ただし、そこはYA小説、女性に対する性暴力だけは描かれない。大人の読者は行間を読み取ることだろう)

 現実は単純ではない。
 ヒトラーかプーチンかデスラー総統を思わせるプレンティス総統はともかく、アンサー隊のリーダーであるミストレス・コイルもまた、敵の暴力に対して暴力で、奸計に対して奸計で、無慈悲に対して無慈悲で抵抗するうちに、「暴力」の魅力に捉えられていく。
 いつしか敵であるプレンティスと同格の、「目的のためには手段を選ばない」冷酷なカリスマへと変貌していく。
 善と悪という単純な二元論はもはやここにはない。
 いったん「暴力」という“神”を崇拝したら、その信者はすでに「暴力」という名の教会の、祭壇へと続く通路を挟んだ、左右座席の信者仲間でしかない。男も女も関係なく。
 戦争には善も悪もない。
 始まればただ「混沌(カオス)」あるばかり。
 勝者は「暴力」のみ、敗者は「人間性」である。

 対立する国がそれぞれ、自分たちの善を信じ正義を掲げ、戦争を「悪に対する闘い」と定義すれば事足りた、わかりやすい時代はとうに終わった。
 笠井潔がいみじくも『新・戦争論 「世界内戦」の時代』で語ったように、世界はいまや混沌とした内戦状態にある。 
 いや、一国の中でさえ、善と悪が単純に定義し得ないことは、アメリカ映画『ジョーカー』で暴き出されたとおりである。
 そんな世界で、トッドもヴァイオラもひとり善や正義であり続けることはできない。
 YA小説の主人公でありながら、2人とも殺害者となって、暴力の“神”に生贄を捧げていく。
 本作で描かれるのは、「善悪の彼岸」の物語なのである。
 第2部の扉ページには、哲学者ニーチェの次の言葉が掲げられている。

 怪物と闘う者は、自らが怪物と化さぬように心せよ。
 おまえが深淵をのぞきこむとき、深淵もまたおまえをのぞきこむ。

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Gérard JAWORSKIによるPixabayからの画像

 (たかが)YA小説が、ここまで現代の世界的状況を描きとり、そこで生きる人間の矛盾と撞着に陥らざるを得ない生を描いていることに、驚嘆のほかない。
 もっと話題にされ、大人たちにこそ読まれて然るべき本である。
 じゃないと、YA(ヤングアダルト)に置いていかれる。  





おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損