2015年朝日出版社

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 『新・国防論』の著者が、2012年に福島県立福島高校の2年生18人相手におこなった講義をもとに加筆している。
 同じ2015年に刊行された『新・国防論』では、シエラレオネ、東チモール、アフガニスタンなど拘束や死の危険と隣り合わせの現場で「武装解除」の仕事をしてきた伊勢崎の体験をもとに、伊勢崎なりの国防論が提示されていた。
 そこでは、今の世界情勢とりわけ東アジア情勢をどう読むか、戦後日本の置かれている国際的立場をどう捉えるか、最先端の武器とITを用いた21世紀戦争の実態、原子力発電所を含む核の問題、自衛隊や憲法9条や沖縄問題、テロリズムとどう向き合うか、といったテーマが俎上に載せられ、それぞれについて伊勢崎なりの解釈がなされ、具体的な解決案が提示されていた。
 本書の講義がおこなわれた時には、伊勢崎の頭の中にはすでに『新・国防論』の骨組みはでき上がっていたのではないかと思う。

 だが、実際の講義では、講師である伊勢崎の一方的な見解を押しつけることはなく、伊勢崎の豊富な現場体験から材料を提供しつつ、生徒たちに問題を投げかけ、問題に気づかせ、各々に考えさせ、意見を述べさせ、問題の解決の難しさに直面させ、平和と戦争をめぐる思考を開発させるような内容になっている。
 『新・国防論』の最後でも、伊勢崎がどこかの小学校に行って「対立をめぐるワークショップ」をおこなうエピソードがあった。
 若い人たちへの平和教育に対する熱意を感じる。
 講義のあとには、福島高校のジャズ研究会の生徒と得意なトランペットで共演したりと、NGO出身者ならではのフランクで現場を愛する姿勢がうかがえる。

 それにしても、福島高校の生徒には感心する。
 自分から手を上げて伊勢崎の講義への参加を希望しただけあって、その知識の高さと理解力、問題を多面的に把握する能力は、大人顔負け。
 いやいや、これだけ難解で複雑で日本的日常とはかけ離れたショッキングな話にひるまずについて来れる大人は、むしろ少ないのではないか。
 戦後生まれで日本国憲法下の日本人があたりまえとする「平和」「正義」「公正」「平等」「人権」「安全」などの概念が、伊勢崎の語るエピソードによって木っ端みじんにされていく、世界の残酷な現実。
 「カッコいいから」という理由で自発的にゲリラに加わる14歳の男の子の前に、人権教育やジェンダー教育がなんの役にも立たないという無力感。
 少年を「男」にする暴力の圧倒的な魅力
 溜まった鬱憤を解放する怒りの圧倒的な快楽。
 東北大震災や福島原発事故を経験した生徒たちは、現地から離れた他の日本人に比べれば、「非日常」に対する免疫は出来ているとは思う。
 それでも、さすがに講義終了後には知恵熱を出した生徒もいたんじゃないかな。

 伊勢崎は「武装解除」という、文字通り、世界の対立を仕切る現場で働いてきた人であるが、誰もが知る通り、対立はどこにでもある。
 与野党の対立、右翼と左翼の対立、企業の対立、ヤクザの対立、コミュニティ同士の対立、学級内での対立、ご近所さんとの対立、家族内の対立・・・・e.t.c.
 もめごとの大きさや影響を受ける人の数は異なれど、構造的にはどの対立も同じようなものだと思う。
 なので、対立を仕切る、しかも暴力に依らずに平和的に仕切る、という点では、「紛争屋」を僭称する伊勢崎の言葉は、他のどの対立においても役立つものであろう。

 世の中は、結局、原則論とご都合主義のバランスで動いてゆくのでしょう。僕自身、原則論者ではないけれど、そのご都合主義があんまり行き過ぎないように、ブレーキは常に必要だと思う、ここでいう原則論とは「人権」という概念です。法という名の下に、すべての人間が、どんなにとんでもない重罪人であろうと、平等であるという原則です。

 そもそも悪は、正義がないと成立しない。民主主義だったり、自由だったり、平和だったり。それを脅かすものが「悪」になる。「悪を倒す」って、字面からしたらいいことに決まっているから、僕らは、これからも「悪」を倒しつづけるのかな・・・・。でも、なるべく人の血が流れないような方法でやれれば、それに越したことはないよね。
 そして、どんな「正義」の熱狂のなかにあっても、僕らの正義を「悪」のほうから見ようとする少数意見は大事なんだろう。たぶんいつでも圧倒的な少数派なんだろうけれど。このことを頭の片隅に入れておく。これだけで十分だと思うよ。  

 異文化共存というような生易しい掛け声ではない。我々自身が生き延びるために、異質なものと、融合しなくてもいいから、身近にいても、なんとかやってゆく。こういう胆力を、集団としての我々がもつ以外にないのだろう。我々が排他する側の視点を、理解しなくてもいいから知る。その必要性を、生存のための条件として認識するしかない。

 いままさに熱くなっている当事者同士は、相手の言葉なんか「聞く耳持たない」のが普通。
 だから、どちら側からも信頼を得ている第三者が間に入って、それぞれの言葉に耳を傾け、感情を交えずに先方に伝え、理解や納得は難しくとも、とりあえずクールダウンしてもらう作業が必要となる。
 妥協点を探るのはそれからである。
 どの現場においても、いま必要なのは、対立を仕切ることのできるファシリテーターなのだと思う。

 伊勢崎は生徒たちに、「武装解除」に失敗したケース、つまりファシリテートし損なって対立が悪化してしまった事例も、正直に告白している。
 一度こういう痛い経験をすると、「二度と他人の問題なんかに首を突っ込むものか!」と思うものだけれど、伊勢崎はへこたれていない。
 その胆力がうらやましい。
 もしかしたらそれは、トランペットを操る肺活量と関係しているのかもしれない。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損