2021年勉誠出版

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 本書によれば、日本には聖徳太子が建てたと伝えられているお寺が355あるそうだ。
 いくら太子が天才で仏教を篤く信仰していたとしても、50年に満たない生涯で355は無理だろう。
 その多くは、寺の開基を太子と結びつけることで寺格を高め、国家の保護を期待すると同時に、参拝客や檀家を増やそうという“良き”魂胆からと思われる。
 ソルティが2017年に訪れた千葉県の神野寺も、聖徳太子が598年に建てたと伝えられ、関東一の古刹を誇っているが、まずありそうもない話である。
 虎やタヌキの出没する房総の山奥に、何が悲しくて太子がお寺を建てようか。
 
 720年成立の『日本書紀』の記述によれば、太子の没後2年が経過した推古天皇32年(624年)の時点で、早くも46の寺院が太子建立とされているという。
 その所在の大半は畿内(京都・奈良・大阪・兵庫)および近江(滋賀)で、むろん千葉県はない。
 一番初期の聖徳太子伝である『上宮聖徳法王帝説』では、太子建立として7つの寺院が挙げられている。法隆寺、四天王寺、中宮寺、広隆寺、橘寺、葛木寺、法起寺である。
 太子信仰の広がりに伴って、太子ゆかりのお寺の数はどんどん増えていったのである。

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法隆寺夢殿

 では、実際に聖徳太子が生前に建立した寺院はどれなのだろうか?
 本書によれば、法隆寺(改名前は斑鳩寺)は確からしい。
 法隆寺のすぐそばに尼寺として建てられた中宮寺も、太子創建の可能性がある。
 それ以外の初期5寺は、太子が亡くなってから太子を偲んで建てられたという説が有力である。
 歴史を通じて、長いこと「聖徳太子建立の寺」として法隆寺と並び称され、太子信仰の中核を担ってきた大阪の四天王寺(旧名は荒陵寺)もまた、考古学的な調査をもとに、その創建は620~630年代と推定されており、太子没後の可能性が高い。
 創建したのは、朝鮮半島から日本にやって来た渡来人を祖とする、難波吉士(なにわきし)と呼ばれた有力な氏族の集合体ではないか、という。
 四天王寺にとっては、とうてい受け入れがたい説であろう。

 この四天王寺と法隆寺のライバル関係を描いた章が面白い。
 どっちがより聖徳太子と強いつながりを持ち、極楽浄土に行ける効験があるかで、本家本元争いの如き、何世紀にもわたる両寺の張り合いがあった。
 太子没後387年経った寛弘4年(1007)に、四天王寺が、金堂内に安置されていた六重塔の中から聖徳太子直筆の『四天王寺縁起』を発見した!
 ――と世間の注目を一身に集めれば、方や法隆寺は、これまで門外不出で非公開を貫いてきた聖徳太子の遺言『四節文』をやおら公開し始めるという具合。(『四節文』の書かれた原文を見た者はいない)
 この2つの文書は類似点が多いという。

 法隆寺と四天王寺の歴史を振り返り、伝えられてきた史料を見ていくと、法隆寺、四天王寺ともに、聖徳太子信仰の中心寺院としての自負と、互いの寺に対する対抗意識を常に持ち続けていたことが明らかである。こういった意識は、実際に行動に移され、それぞれの寺院の歴史となり、それが繰り返されてきた。法隆寺側が行動を起こせば、それを受けて、四天王寺側が行動を起こし、さらにそれを受けて、法隆寺、そしてまた、四天王寺といったように、連鎖した行動となっていったのである。(ゴチはソルティ付す)

 実際の行動とは、ありていに言えば、由緒の誇張や偽造である。
 寺院の奥で高僧たちが禿頭を集め、こうした策略を練っているところを想像すると、なんとも面白い。
 停滞に悩む現代のお寺さんもこれだけの図々しさとアイデア精神があれば・・・・と思うけれど、仏への信仰を失った現代人はちょっとやそっとのことでは乗せられないだろう。

四天王寺
四天王寺(ウィキペディアより)

 聖徳太子は日本に仏教を広め、お寺や仏像を作り、自ら経典の講義をし、仏教文化の礎を築いた。
 日本初の憲法を作った人であり、氏姓にとらわれず才能ある人物を重用し、遣隋使を送り中国と対等の関係を築こうとした。
 天皇を中心とする中央集権体制の確立につとめた。
 現代まで続く日本という国の骨格を作った人と言える。
 そればかりでなく、日本に大陸由来の建築技術や製紙技術、お香や伎楽の文化を広め、「大工の神様」「紙の神様」として信仰されてきた。
 華道もまた太子由来で、聖徳太子の命で出家した小野妹子(遣隋使だった人!)が仏前に花を供えたことが華道の始まりという。
 流派の一つとして有名な「池坊」とは、小野妹子が住んでいた建物(坊)が池の辺りにあったことから、そう呼ばれるようになったそうな。(現在の京都六角堂)
 実に、日本人の精神文化、政治意識に深い影響をもたらした、いや、日本人の国民性の土台を築いた人と言っても過言ではあるまい。
 「和をもって貴しとなし、逆らわないのを教義とせよ」という十七条憲法の冒頭の言葉くらい、協調性に富み、お上に対して従順で、かつ同調圧力の強い国民性を端的に表現した言葉はない。

 我々は聖徳太子に、良い意味でも悪い意味でも、呪縛されている。
 聖徳太子について知ることは、日本人について知ること、日本人である自分自身について知ることなのだと思う。
 なので、今はまだ「聖徳太子虚構説」は早過ぎる。
 個人的にはそう思う。






おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損