2014年イラン
102分
少年が一人、国境の川に浮かぶ廃船で暮らしている。
釣った魚を塩漬けして干物にし、集めた貝殻に穴をあけて飾りを作り、それらを売って必要な物を手に入れている。
岸と船の往復は、川底を潜る。
水面で見つかったら、敵方につかまってしまうからだ。
危険と隣り合わせの生活。
だけど、広く複雑なつくりをした船の中の生活は、孤独だけれど快適そうだ。
「腕白でもいい。たくましく育ってほしい」
昔のCMの文句が思い浮かぶ。
少年は誰なのか、なぜ一人ぼっちで生活しているのか、家族はいないのか。
いつの時代の話なのか、ここはどこなのか、どことどこの国境なのか、両国はなぜ断絶しているのか。
何の説明もないまま、映像だけが流れていく。
はじめてセリフが出てくるのは、開始20分も経ってから。
少年の船に、敵国から武装した少年が侵入したのである。
彼もまた訳あって家を離れ、逃げ延びて、この船を隠れ家として選んだらしい。
船の中に勝手にロープを張って境界線をつくる新参者。
先住権を侵された少年は苛立つが、新参者は銃を手にしている。
新参者は言う。
新参者は言う。
「このロープよりこっちには来るな!」
先に来た少年には相手の言葉が分からない。(観る者は字幕で分かる)
「アラビア語?」
ここで状況がおぼろげに見えてくる。
イラン映画というからには、少年はイラン人だろう。
となると、少年の話す言葉はペルシア語だ。
厳重な国境線を間に挟み敵対しているのは、イラクだろう。
だから、新参者のセリフはアラビア語だ。
船が浮かんでいるのは、イランとイラクの国境を流れる川の上。
80年代のイランv.s.イラク戦争が背景にある。
戦争当時は生まれていなかったであろうが、敵国同士の2人の少年。
言葉は通じない。一人は銃を持っている。
一つの船でうまくやっていけるのか?
ある日、イランの少年は、船の中の境界線を超えて相手の領域に侵入した。
銃を奪おうと思ったのだ。
聞こえてきた歌声に足を止める。
歌声がする方へそっと忍んでいくと、銃が無造作に壁に立てかけてあるのが見えた。
アラビアの少年が長い髪を梳かしている。
少年は・・・・少女だった。
相手が女だと知った途端、気持ちや態度が変わってしまう少年の姿が、ジェンダー平等の声高らかな令和日本の一員として、いや、相手が同性か異性かで態度がコロッと変わるのは「下司いなあ」と常日頃思っているゲイの一人として、ちょっと苦々しく思う。
が、ここは中東のイスラム教圏、しかも主役は思春期の少年。
仕方ないと大目に見よう。
少年は相手の正体を知って戸惑いを隠せない。少女が気になって仕方ない。
これは、イスラム版『ロミオとジュリエット』なのか?
ここから恋愛ドラマに発展していくのか?
ある日、イラクの岸のほうで爆音が響き、黒煙が吹き上がる。
血相を変えて船から飛び出していく少女。
しばらくして戻ってきた少女が腕に抱いていたのは赤ん坊。
少女はずっと泣いている。
空爆で家と親を失ったらしい。赤ん坊だけが生き残ったのだ。
船に同居者が増えた。
赤ん坊の世話を通して、少年と少女は敵愾心を解いていく。
少女の手で、船の中のロープがはずされる。
ある日、イラクの岸から一人の兵士が船に飛び込んで来た。
戦場から逃げてきたアメリカ兵らしい。
英語を話すが、少年にも少女にも理解できない。
男は愚痴る。
男は愚痴る。
「××を見つけろと言われてイラクにやって来たが、そんなものはどこにもない」
ここでまた状況が明らかになる。
2003年に息子ブッシュが「大量破壊兵器の隠匿」を理由に仕掛けたイラク戦争が背景なのだ。(米軍は劣化ウラン弾やクラスター爆弾を投入して、市民を含む10万人を殺傷した。大量破壊兵器は結局、存在しなかった)
少年と少女はアメリカ兵を恐れ、一室に閉じ込める。
当然だろう。とりわけ、自分の家族を殺された少女は、アメリカ兵に憎悪をたぎらせる。
少年は、しかし、アメリカ兵を解放する。
船にまた一人、同居人が増えた。
イランの少年と、イラクの少女と、赤ん坊と、アメリカ兵。
あたかも疑似家族のよう。
4人はうまくやっていけるのか?
過剰な説明もなく、会話らしい会話もなく、派手な銃撃戦や暴力描写や死体のカットもなしに、一隻の廃船を通して描きだされる戦争の現実。
少年が船から姿を消すラストシーンに、少女が駅の雑踏に消えゆく往年の名画『禁じられた遊び』を想起した。
だが、少年は自らの意志をもって行動を開始したのである。
だが、少年は自らの意志をもって行動を開始したのである。
水兵リーベ、ぼくの船
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損