1973年松竹、ワールドワイドピクチャーズ
104分
明治時代に北海道塩狩峠で実際に起きた列車事故を題材としたヒューマンドラマ。
原作は『氷点』で一躍有名になったクリスチャン作家三浦綾子の同名小説。
ワールドワイドピクチャーズは、アメリカの最も有名なキリスト教布教組織「ビリー・グラハム伝道協会」が設立した映画制作会社である。
つまり、キリストの教えの素晴らしさと信仰の価値を伝えるために作られたスピリチュアル小説、スピリチュアル映画である。
明治42年2月28日夜、塩狩峠において、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す。乗客全員、転覆を恐れ、色を失い騒然となる。時に乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任・長野政雄氏、乗客を救わんとして、車輪の下に犠牲の死を遂げ、全員の命を救う。その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。「苦楽生死ひとしく感謝。余は感謝してすべてを神に捧ぐ」右はその一節なり 三十才なりき(塩狩駅近くにある長野政雄顕彰碑の銘文、一部読みやすく改変した)
塩狩峠は旅の途中で通ったことがある。こんな事件があったとは知らなんだ。
三浦綾子は、長野政雄氏をモデルに永野信夫という人物を創造し、その魂の遍歴とキリスト教との出会い、愛と信仰に彩られた後半生と壮絶な最期を描いた。
永野信夫は、幼馴染で親友でもある吉川修の妹ふじ子と愛し合っていた。
片足が不自由で結核持ちであったふじ子の闘病を支え、励まし、周囲の反対を押し切って婚約の誓いを交わし、ついにふじ子が回復しめでたく結納を上げる当日に、事故は起きた。
どこまでが実際の話か分からないが、『氷点』同様のドラマチックな展開で、感動は約束されている。
『古都』、『紀ノ川』の名匠中村登監督の堅実で品格ある演出は、どちらかと言えば無名の俳優陣の素朴さや新鮮さ(ソルティが知っている出演者は佐藤オリエと野村昭子くらい)と相俟って、宗教的敬虔さを物語に与えるのに成功している。
DVDパッケージには「文化庁優秀映画奨励賞受賞」「文部省選定」「全国PTA協議会推薦」といった仰々しい文句が並ぶ。
えてして、こうした作品は「教条主義で道徳的で面白くない」と相場が決まっているので、ソルティは昔から敬遠しがちである。
しかも、トランプ政権を支えるキリスト教保守派の伝道映画とくれば、肌に合わないのは先刻承知。
ビリー・グラハム(1918-2018)は、同性愛を「文明の衰退に寄与する『性的倒錯の罪深い形態』」と言い、「エイズは神の裁き」と述べたという。
この映画でも、性的な事柄に対する「キリスト教原理主義的≒明治民法的≒旧統一教会的≒自民党元安倍派的」な価値観による描写がふんだんにあって、ちょっとあっけにとられるくらい旧弊である。
実を言えばそこが、「愛のための自己犠牲」という本来のテーマとはまた別のところで、いろいろ考えさせられて面白かったのである。
つまり、この映画の舞台となった明治末期の日本人の価値観、この映画が制作上映された1973年当時の日本人の価値観、制作に携わったアメリカのキリスト教福音派の価値観、そして2023年現在の日本人の価値観――これらを並行しながら本作を観て、日本人の性意識の変遷や観る者(ソルティ)の価値観との距離を検証していく作業がなかなかに興趣深い。
作り手が受け手に感じ考えて心に刻んでほしいと思うものは、受け手が感じ考えて心に刻むものとは必ずしも一致しない。
そこが芸術鑑賞の面白さである。
一例として、婚前交渉というテーマがある。
主人公である信夫とふじ子は婚約した間柄であるが、婚前交渉はない。
病弱なふじ子にどだい性交渉は無理であるが、それを抜きにしても、明治末期なら「婚前交渉NGは当たり前」で、女性は結婚するまで純潔を守り処女でなければならなかった。
一方、男のほうは必ずしも童貞でいることが奨励されたわけではなく、遊郭で筆おろしする学生なども多かった。
映画でも、信夫が悪友から吉原やススキノに誘われて断るシーンがある。
信夫は子供の頃から正義感の強い潔癖な人間であったが、後年キリスト者となってからは、ますますその傾向が強まった。
親友・修との銭湯での会話で、互いに童貞を告白するシーンがある。
ワールドワイドの立場としては、当然、結婚するまで男女とも純潔でいるべきである。
73年の日本はどうだったろう?
この年、上村一夫の漫画『同棲時代』を原作とした由美かおる主演『同棲時代―今日子と次郎―』が封切られ、大ヒットした。
大信田礼子が歌った主題歌『同棲時代』(都倉俊一作曲)も大ヒットし、「同棲」という言葉は社会現象となった。
当然、同棲するカップル(婚前交渉する男女)は増えた。
しかし、同棲は社会から後ろ指をさされる現象には変わりなかったし、NHKが73年に実施した『日本人の意識調査』においても、「婚前交渉はNG」とする人が6割近くいた。(「婚約してなければNG」を含めると7割を超える)
戦後、太陽族やヒッピー文化の影響を受けた若者たちの性行動の奔放化はあったし、それに憧れる層もいたには違いないが、大方において日本人は保守的であった。
だいたい、男社会における性の自由は、男にとっては歓迎でも、女にとっては損に働く。
誰とでも寝る尻の軽い女は、男たちから「公衆便所」とか「サセ子」とか陰口をたたかれていた。
だいたい、男社会における性の自由は、男にとっては歓迎でも、女にとっては損に働く。
誰とでも寝る尻の軽い女は、男たちから「公衆便所」とか「サセ子」とか陰口をたたかれていた。
大きな変容を見たのは、やはり80年代に日本を席巻したバブルとフェミニズムの洗礼であろう。
80年代に東京で 学生生活を送ったソルティの周辺では、同棲はもう当たり前にあった。
婚前交渉なんて言葉さえ、口の端に乗らなかった。
愛し合っていればSEXして当然、愛が消えたら別れて当然。
賢い女子なら、いろいろな人と付き合って、精神的にも肉体的にも経済的にも自分の好みにマッチする人を探すのが良ろしい。
「処女をあげたんだから、責任を取って」なんて男に詰め寄る女は、鬱陶しがられるだけであった。
男も女も、少しでも早く処女や童貞を捨てるほうが好ましいという風潮があった。
上記のNHKの調査では、88年に「婚前交渉NG」は4割を切り、98年には25%まで減っている。
その後、若者の「草食化」が言われ、2000年代に入ってからは旧統一教会の息のかかった勢力による「行き過ぎた性教育」バッシングもあり、2023年現在は保守への揺り戻しが起こっている感がある。
それでも、「結婚するまで処女、童貞を守るのが当然」というのは、なんらかの宗教的信念を持っている人にほぼ限られるだろう。
2018年の調査では16.6%が「婚前交渉NG」である。
また、夜中に目を覚ました信夫が、下半身からせり上がってくる性欲にもだえ苦しむという、なんとも“漫画チックな”シーンがある(上記画像)。
「オナ禁」を自分に課しているらしいのだ。
信夫は布団から飛び出して、庭の井戸のところに走り、ふんどし一丁となって冷たい水を頭からかぶる。
なんつう、ベタにして、なつかしい演出だろう!
『白蛇抄』で滝に打たれる小柳ルミ子を思い出した。
自瀆(オナニー)はやはり70年代くらいまでは、あまり褒められたものではなかった。
「頭が悪くなる」とか「貧血になる」とか「背が伸びなくなる」とか言われていたし、十代のソルティがよく読んでいた芸能雑誌『明星』、『平凡』の相談コーナーでも、オナニーで罪悪感を持った本人からの相談や、息子のオナニーを心配する母親からの相談がよく載っていた。
大方の回答は、「スポーツをして性欲を発散させよ」であった(笑)
現在は、オナニーして虚脱感に襲われることがあっても、罪悪感に囚われる人は多くないと思う。
むしろ、性的欲求の制御装置として、あるいはストレス解消や手頃な睡眠療法として、あるいは男であれば夜間に下着を汚さないために、賢く活用するのが大人の知恵――というのが一般的ではなかろうか。
キリスト教(聖書)がオナニーを禁止しているという話は有名だが、キリスト者たち、とりわけ福音派の若い信徒がどのように欲求と闘っているのか・・・・あまり知りたいとは思わない。(昔の修道院では、若い修道僧たちは、寝る時は必ず布団から手を出して寝るという決まりがあったと聞く)
なにはともあれ、ほかの乗客の命を救うために列車に飛び込んだ永野信夫(長野政雄)の行為はまさに英雄的で、メル・ギブスン監督『ハクソー・リッジ』しかり、普段の生活で培われた純粋で真剣な信仰の力以外に、このような行為がなし得るとは思えない。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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