2013年原著刊行
2016年岩波書店(松本妙子・訳)

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 『戦争は女の顔をしていない』の著者によるインタビュー集。
 社会主義国家ソ連を生きた人々、および1991年崩壊後の元ソ連を生きる人々の声に耳を傾け、およそ過去100年のロシア≒ソ連の歴史を、庶民視点から浮き彫りにしている。
 タオルでくるんで枕にしたら気持ちいいだろうなあ~と思うほどの小口の厚さに、読む前からくじけそうになった。
 が、いざページを開いてみたら、一つ一つのエピソードの想像を超える凄まじさに啞然とし、生々しい語りに呪縛され、あれよあれよと読み終えてしまった。
 語るべきことを持った人が良い聴き手を前にしたときに起こる、封じ込めていた記憶と感情の奇跡的な蘇生が、今まさにその時代その場を生きて目撃しているかのような証言の迫力となって結実している。
 過去100年、ロシアの大地を幾度も揺るがした動乱と、庶民が流したおびただしい血と涙の量に言葉を失った。

●過去100年のロシア(ソ連)史概略
1917年 ロシア革命起こる。ロシア帝国(封建制)の崩壊。
1922年 ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)誕生。
1934年 スターリンによる大粛清が始まる。
1941年 独ソ戦(~1945)
1945年 東西冷戦始まる。
1953年 スターリン死去。
1962年 キューバ危機。
1979年 ソ連軍のアフガニスタン侵攻。
1985年 ゴルバチョフ大統領による改革運動(ペレストロイカ)始まる。
1986年 チェルノブイリ原発事故発生。
1989年 冷戦終結。
1991年 共産党解体。ソ連消滅。ロシア連邦発足。
1994年 ロシア軍のチェチェン侵攻。
2000年 プーチンが大統領就任。
2022年 ロシア軍のウクライナ侵攻。

 年表を見るだけでは動乱の質が分かりづらいので、いまモスクワ近辺で暮らす5世代のロシア人男性を例にとってみよう。
 1950年生まれのアレクセイを軸に置き、彼の上下2世代、アレクセイの祖父からアレクセイの孫までを設定してみる。
 便宜上、5人とも25歳で後継ぎとなる長男をつくり、60歳まで生きたとする。

祖父(1900~1960)
ロシア帝国に誕生。青春の頃、ロシア革命を経験、史上初の社会主義国家誕生に胸躍らせる。共産党員となり理想国家建設のため、過酷な労働に励む。30代半ばの時に始まったスターリンの粛清では友人や親戚が処刑される。晩年は社会主義に幻滅しロシア帝国時代を懐かしむも、家族を守るため本音を隠したまま死去する。

父(1925~1985)
革命後のソ連に誕生。子供の頃より熱心な共産党シンパ。スターリンの粛清の際、反体制の疑いある親戚や隣人を次々と密告し、党に表彰される。青春の頃、独ソ戦に参加し、多くのドイツ兵を殺戮し、勲章をもらう。生涯スターリンを英雄と仰ぐ。

アレクセイ(1950~2010)
冷戦最中のソ連に誕生。父の影響でアメリカをはじめとする西側諸国に強い敵対心を持つ。29歳の時、アフガニスタン侵攻に従軍し、敵弾を受けて帰国。その後は障害と窮乏に苦しむ。41歳の時、共産党解体とソ連消滅。ロシア連邦国民となる。“弱肉強食”の資本主義の世界に馴染むことができず、晩年はアルコールに溺れる。

息子(1975~2023)
ソ連に誕生。10歳の時にペレストロイカ始まる。16歳でソ連消滅。ロシア連邦国民となる。大量に押し寄せてきた西側の嗜好品に目を奪われる。時代遅れの不用物と共産主義を罵倒。友人らとジーンズの卸しを手がけて成功し財を成すも、ウクライナ侵攻の影響で経営破綻、失業する。現在48歳。

孫(2000~2023)
ロシア連邦に誕生。物に囲まれた裕福な子供時代を送る。父親との関係悪化で家を出て、モスクワで不良生活を送る。22歳の時にウクライナ戦争に志願、現在戦場で闘っている。共産主義についても、ウクライナとロシアがもともと同じ一つの国であったことも知らない。現在23歳。

 すべての世代が、戦争か国家規模の革命か、その両方を体験している。
 国が生まれ消滅し、体制が引っくり返り、価値観や文化がガラリと変わり、戦争や内紛が絶え間なく続き、一人の圧政者が亡くなると新たな圧政者が現れ・・・。
 なんとせわしないことか。
 当然、世代間断絶もすごいものになる。
 たとえば、アレクセイの父親とアレクセイの息子とでは完全に話が合わないだろう。互いを理解するのは難しい。
 日本で言えば、明治維新前後や太平洋戦争前後のギャップに相当するものが、各世代間で生じている感覚だろう。

 本書には、ロシア帝国時代に生まれ、インタビュー時(90年代)には87歳だった元共産党員の男の話(「べつの聖書とべつの信者たち」)が収録されている。
 貧しいロシアの家に生まれ、共産主義に触れて「平等と団結」のユートピアを夢見、革命に参加する。レーニンに心酔するも、スターリン「粛清」では知人の密告から自らと妻が刑務所に収容され拷問を受ける。それでも独ソ戦に志願して闘い、勲章をもらう。名誉軍人として晩年を過ごすつもりが、ソ連崩壊。生涯、信じ捧げていたものが無に帰した。
 この男の生涯はそのまま映画化したいほどドラマチックで、筏で激流を下っているような目まぐるしさと危険に満ちている。
 一冊まるごと読むのが億劫だという人は、この証言だけでも読んでみてほしい。 
 慄然とするはずだ。  

 わたしの祖国は、十月革命。レーニン、社会主義・・・・。わたしは革命を愛していた。党は、わたしたちにとっていちばん大事なものだ。70年間党員です。党員証はわたしの聖書だ。

ソ連共産党の旗
ソ連共産党の党章

 一つの家族の、一人の人間を時系列で追ってもそこに凄まじいドラマがあるのだが、ソ連の場合、世代により、党における立場により、民族により、住んでいる土地(共和国)により、まったく異なる体験をしている点も見逃せない。
 とりわけ崩壊後のソ連では、チェチェン紛争に代表されるような民族紛争が各地で勃発した。
 ルーツは異なっても同じソ連の国民として、数十年同じ村で仲睦まじく暮らしてきた人々が、ある日を境に、「民族が違う」「国が違う」「宗教が違う」という理由だけで殺し合いを始める。
 その残酷さ、わけのわからなさは、日本人にはなかなか想像及ばないものである。
 実際、ソ連から独立したタジキスタンやアゼルバイジャンなどで当時起きたことの証言を読んでいると、まだスターリン独裁下の“管理された平和”のほうがマシだったのではないかとすら思うほど。

 圧倒的な一人の暴君の行う恐怖政治によって管理されないと、民族や宗教や言語や文化の異なる多様な人々が平和裡に暮らせないとは、なんと悲しいことだろう。
 逆に言えば、個人のアイデンティティが、特定の国家や民族や宗教や文化や主義や価値観に固着し妄信しそれらと同一化している限り、つまりは条件付けから解かれない限り、他者との共生は永遠に不可能だということ、地上から闘いが無くなる日が訪れることはないということを、本書は裏書きしている。

 世に巣食うさまざまな“物語(虚構)”に囚われた人間たちの底知れない無明をまざまざと感じ、おのれの無明を振り返らざるを得ない読書体験であった。


以下、いくつかの証言より引用。

戦争と刑務所。このふたつがロシアの重要なことばなんです。ロシアの!
ロシアの女にはまともな男がいたためしがない。女は、いつもいつも治しているんです。男を少しだけ英雄とみなし、少しだけ子どもとみなしている。そうやって救っているんです。

父は人間ではなく、思想の一部だった。祖国はひたむきに愛すべきもの。無条件に。子ども時代、ずっとそう聞かされていたんです。命は祖国を守るためだけに与えられていると・・・・。

ぼくのいってることが、わかりますか。
人は幸福になる気がないんです、人は戦争への覚悟ができている。寒さと雹への。
ぼくはしあわせな人間に出会ったことがない、三か月になるぼくの娘のほかには、だれにもね・・・・。ロシア人は幸福になろうとしていないんです。

もしかしたら、あれ(ソルティ注:スターリン時代)は刑務所だったのかもしれない。でも、わたしにはあの刑務所のなかのほうがあたたかかった。 

ロシアでは5年ですべてが変わりうるが、200年ではなにも変わらない。

林檎の花
林檎の花




おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損