2022年双葉社

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 んまあ面白い!!
 詐欺の被害者の手記を「面白い!」と言ったら語弊があるかもしれないが、著者は有名な漫画家すなわちプロのクリエイターなので、この場合の「面白い!」は最大の誉め言葉となろう。

 井出智香恵と言っても、男性諸氏は知らない人が多いと思う。
 1948年生まれ。もとは『りぼん』などの少女マンガ誌でお目々キラキラの少女マンガを描いていた。(代表作『ビバ! バレーボール』)
 80年代にバブルと共に巻き起こったレディスコミックブームで大ブレイク。「レディコミの女王」と呼ばれ、最盛期は年収1億を超える超売れっ子となった。
 彼女の描いたレディコミ作品でもっとも有名なのは、大映制作でTVドラマ化された『羅刹の家』(1998年テレビ朝日系列)である。
 きつい姑を演じた山本陽子の鬼気迫る演技、意地悪な義理の姉を演じた伊藤かずえのはまりぶり、ワラ人形を手に牛の刻参りにひた走る加藤紀子の勘違いな熱演、そして、忘れちゃいけない来宮良子のおどろおどろしいナレーション。
 大映ドラマ屈指の怪作と思う。
 
 人の心の表も裏も知り尽くしたような作品を数々発表してきた井出智香恵が、70歳になった2018年、ネットを使った国際ロマンス詐欺に引っかかり、約3年5ヶ月もの間、言われるがままに相手の男にお金を送り続け、結果的に7500万円を失ったというのだから、これが面白くないわけがない。
 しかも、相手の男が世界的に有名なハリウッドスターのマーク・ラファロ(現在55歳)に成りすまし、井出はそれを本物と信じ込んでしまい、甘い言葉にだまされて結婚の約束を交わし、15歳も年下の男に貢いでしまったというのだから、これが面白くないわけがない。
 有名マンガ家、ハリウッドスター、老いらくの恋、年下の男、国際恋愛、ネット詐欺、ブラックな匂いのする黒服の男たち、スーツケースいっぱいの黒塗りの紙幣、電子送金の罠、雨後の筍のごと続々と登場するわけのわからぬ仲介者たち、雪だるま式に膨らむ借金、差し押さえ警告・・・・。
 よくもまあ、こうまで劇画的な展開が続くものよ。
 よくもまあ、こうも徹底的に騙されたものよ。

マーク・ラファロ
マーク・ラファロ
 
 7500万円という被害額の大きさに我ら庶民は驚くが、年収1億を超えたことがある井出の金銭感覚は、庶民とはちょっと違っているかもしれない。
 たださすがに、息子や娘(次女)に何百万も借金させての金策、公共料金やアシスタントの給料を未払いにしての偽マークへのたび重なる送金は、非常識というか、頭のネジが抜けていたというほかない。
 「恋は盲目」と言うけれど、家族を含め周囲の誰も暴走する本人を止められなかった、周囲の誰の言葉も本人はまともに聞こうとしなかったのは、井出自身のワンマンで頑固な性格もあったようだ。
 もちろん、40歳でDV夫とやっと離婚したあと、ずっと子育てと仕事一筋で生きてきた井出が、70の声を聞いて、「失われた時間」を取り戻したい、最初の結婚で得られなかった「女としての幸福」を味わいたいと思ったのも無理はない。
 そこに目をつけて、井出の性格や懐具合も見抜いて、あの手この手で金の無心する輩の手口の巧みさよ。
 孤独癖あるソルティもまかり間違えば同じ目に遭うやもしれない。
 (まあ、金のない相手に目をつける愚かな詐欺師もおるまいが)

 最終的に井出は、容赦なく物を言うのでそれまで借金するのを遠慮していた長女にも借金を願い出る羽目になる。
 そこから長女の詮索と追及が始まって、ようやっと自らが騙されていたことに気づく。
 目が覚める。
 失恋と詐欺被害の二重ショック。
 ズタズタになったプライド。
 失われた信頼。
 70歳にしてこの痛みは耐え難かっただろう。

 しかし、そこからがプロ表現者の本領である。
 自らの痛い経験が世のため人のためになる、かつ面白い作品となることに気づき、この手記を発表し、NHKのドキュメンタリーに出演し、マンガ化をはかる。
 すべての体験がマンガに活かされ、作品として昇華できる幸せ。
 それを可能ならしめる技術と才能と経験値。
 雷は落ちるべきところに落ちる。

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マンガ版『毒の恋』

 別記事で、役者としての吉永小百合の残念さについて書いたが、本作を映画化するなら、ぜひ吉永小百合に井出役をやってもらいたい。
 年齢的にもぴったりだ。(吉永は井出より3つ年上)
 自ら(と周囲)が作り上げた美しい幻想に破れ、過酷な老いの現実に向き合うプロットこそ、サユリストという牢番を蹴散らし、吉永小百合をメルヘンという檻から救い出す最後のチャンスになるんじゃないか。
 偽マーク役は、本物のマーク・ラファロに頼んだら最高の話題作りになる。
 監督は、小百合の魔力が通じない女性監督かゲイの監督がよい。
 伊藤かずえを長女役で。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損