2011年
114分

 2012年5月に満100歳で亡くなった新藤監督の遺作である。
 これが最後の作品という思いもあってか、自身一番伝えたかった若い頃の体験をテーマに据えたようだ。
 すなわち、戦争体験。

 1944年、32歳の時に召集を受けた新藤は、掃除部隊として奈良の天理教本部宿舎に配属された。
 そのとき一緒にいた100名のうち94名がその後、フィリピンに送られるなどして亡くなった。
 運の強い新藤は、今度は宝塚歌劇場の掃除部隊に配属され、そこでアメリカの爆撃を受けるなどしたが、無事生き残って終戦を迎えた。
 本作の主人公である松山啓太(豊川悦司)の境遇はまさに上記のとおり、モデルは新藤自身である。

 100年という長い人生の中のほんの1年余りの出来事が、生涯最も忘れられない記憶として残っている。
 ソルティが老人ホームで働いていた時、多くの高齢者が一番よく覚えていて、よく語っていたのも戦争体験であった。
 訪ねてきた家族の名前も出てこない認知症の爺さん婆さんが、何十年も前の戦火の日々の些末な事柄を、臨場感を持って淀みなく語るのを聴いて、不思議な感を抱くと共に、人間にとって戦争とはそれだけのインパクトなのだと実感したものである。

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Alice CheungによるPixabayからの画像


 掃除部隊で働く松山啓太は、くじ引きによりフィリピンに送られることになった仲間の森川定造(六平直政)から、一枚のハガキを託される。
 田舎に住む定造の妻友子からの手紙であった。
 定造は言う。
 「俺が死んだら、このハガキをもって妻を訪ねてくれ。俺がちゃんと読んだと伝えてくれ」
 定造の乗った船は、海上爆撃を受け、乗組員は海の藻屑と消えた。
 生きて8月15日を迎えた啓太は、ハガキを手に友子(大竹しのぶ)の住む村を訪ねる。
 定造を亡くした友子は、舅の願いにより定造の弟である三平の嫁となったが、三平もまた兵隊にとられ沖縄で戦死。後を追うように舅と姑も亡くなり、あばら家のような家に一人で暮らしていた。
 

 ソルティは、新藤監督の良い鑑賞者ではない。
 これまでに観たのは、『第五福竜丸』(1959)、『藪の中の黒猫』(1968)、『鉄輪』(1972)、『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年)、『落葉樹』(1986年)の5作品だけで、評判の高い『裸の島』、『午後の遺言状』は観ていない。
 『鉄輪』と『落葉樹』はがっかりな出来栄えだった。
 出来不出来のある、安定感のない作家というイメージがある。
 師匠であった溝口健二、あるいは小津安二郎や市川崑のような独自のスタイルを持つ作家ではないので、その評価はテーマの切り口や脚本の出来や役者の演技に負うところが大きいのではないかと思う。
 本作では、役者の演技が見どころである。

 2人の夫を戦争で亡くした友子を演じる大竹しのぶ、やはり抜群に上手い。
 一見、大人しやかで耐える女に見えながら、身内に激しい感情をたぎらせ、たまに爆発するという難しいキャラを、不自然なく造型化している。
 この人の場合、それを計算でなく直感でやっている(ように見える)ところが凄い。
 ただ、髪の毛が茶色っぽいのが気になった。地毛なのか。

 啓太役の豊川悦司、たたずまいや表情は役にあっていて良いのだが、長ゼリフが持たない。大竹とやり合う場面で実力差が丸わかり。

 定造役の六平直政、出番は少ないが印象に残る。友子が愛したというのも納得の、大らかで優しいキャラを作りあげている。
 舅役の柄本明、啓太の叔父役の津川雅彦、長い役者業で燻された渋みと深みある艶々しい演技である。

 本DVDの特典映像では、本作撮影中の新藤監督の様子が映されている。
 撮影当時98歳。
 孫娘に助けられての車いす移動は仕方ないものの、驚くべき気力と体力である。
 頭もしっかりして、役者やスタッフへの気遣いも忘れない。
 上映初日の劇場挨拶では、次作について意欲を見せている。
 年相応のボケのせいなのか、計算されたユーモアなのか、客を惹きつけ笑いを生み出す絶妙の間と語り口がなんとも魅力的。
 「なにがあっても立ち上がって、前を向いて、生きることです」
 この人から見れば、還暦なんてヒヨッ子だろう。
 人生に定年はないのだ。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損