1956年松竹
144分、白黒

 この映画の主眼はなんといっても岸恵子。
 岸の美しさとパッション、演技の上手さが、他の名だたるベテラン役者陣および前作『東京物語』で究極の完成をみた小津映画のスタイルを食っている。
 これは原節子はもちろん、岡田茉莉子にも司葉子にも岩下志麻にも山本富士子にもできなかったことである。
 岸恵子の出演作では、大庭秀雄監督『君の名は』(ソルティ未見)、市川崑監督『おとうと』『悪魔の手毬唄』、豊田四郎監督『雪国』にならぶ印象に残る代表作と言ってよいのではなかろうか。
 岸は小津に気に入られたそうだが、この翌年、本作と同じ池部良とのコンビで『雪国』を撮ったあとイヴ・シャンピ監督と結婚、フランスに行ってしまった。
 結局、小津映画への出演はこれ一作きりとなった。
 もし日本に残って小津作品に出続けていたら、晩年の小津作品は今あるものとはかなり作風の異なったものになっただろう。
 そのくらい、スクリーンにおける岸の威力は強い。
  
 倦怠期の夫婦の危機と再生を描くホームドラマで、夫・杉山正二役に池部良、妻・昌子役に淡島千景、夫の浮気相手・金魚(あだ名)役が岸恵子である。
 池部と淡島の演技もすばらしい。
 岸演じる金魚は、妻がいると知りながら正二に目をつけ、積極的にアプローチし、自ら誘いかけて関係を結び、いったん「裏切られた」となれば正二の家まで押しかけて昌子の目の前で正二を誘い出し、激しい感情をぶつける。
 この、異性にはモテるが同性には嫌われる、いわゆる“小悪魔”を、岸は見事に演じきっている。
 小津映画で役者たちは、監督の指示通りの「型にはまった」演技を求められ、自由な表現が許されなかったと言われるが、岸の演技を見ていると、「ここに例外があるじゃないか」と思わずにはいられない。
 料亭の一室で正二を“落とす”場面など、手つきといい目つきといい身を寄せるタイミングといい、演技とは思えぬほど堂に入っており、小津の指示にただ随っているようには見えない。
 この手でシャンピ監督を落としたのか、と納得した。

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料亭シーンの岸恵子と池部良
「狙った獲物は逃さない」という金魚(岸)の目に注目

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「裏切った」正二(池部良)をビンタする金魚(岸)
フィルムで捉えきれない手の速さに注目

 さらに勘繰れば、不倫というドロドロした反道徳的テーマといい、岸や池部の初起用といい、平穏無事な世界に善人ばかり登場する『晩春』『麦秋』『東京物語』3部作で出来上がった小津映画のイメージを、小津自身、ちょっと壊したかったのではなかろうか。
 結果として、登場人物の感情表現が抑制され、空ショットや紋切り型の挿入歌やセリフを多用する3部作続きのスタティックな世界と、岸恵子に象徴される荒々しい感情が流出するドラマチックな世界とが、不思議な混在を見せている。
 それは見ようによってはアンバランスな感じも受けるけれど、作品自体を壊すことなく、微妙なところで均衡を保っている。
 田中絹代主演の『風の中の牝鶏』(1948)ではそれに失敗した。

 常連の杉村春子、笠智衆、中村伸郎、東野英次郎、山村聡はじめ、役者陣も充実。(ただし、ここでの笠智衆の下手さは目にあまる)
 とくに、昌子(淡島)の母親役をつとめる浦邉粂子、正二の友人役の高橋貞二、正二の元戦友役の加東大介らの滑稽味が好ましく、ドロドロした物語の清涼剤となっている。
 高橋貞二は小津の『彼岸花』(1958)でも、だらしないが愛敬あるサラリーマンを好演していた。
 ウィキによると、33歳の若さで飲酒運転で事故死している。
 それを知るとますますスクリーンでの彼の駄々っ子のような演技が愛おしくなる。

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名バイプレイヤー、高橋貞二