1959年松竹
61分、白黒

 吉永小百合、14歳の映画デビュー作。
 それゆえにこそ、本作はDVD化されて今もレンタルショップの棚に並び続けているのだし、ウィキペディアには引っかからない生駒千里の名も今に残っているのである。
 一時代を築いたスターの力はまことに凄い。

 吉永小百合はこのあと何本かの日活作品に出演し、62年の『キューポラのある街』で人気実力ともに大ブレイクを遂げた。
 子役から女優へ仲間入りし、石原裕次郎に代わる日活トップスターにしてドル箱に躍り出た。
 太陽族に象徴される不良アクションものから、小百合と浜田光夫のコンビによる青春純愛ものへと、日活の主要路線は大きく変わった。
 もはや戦後は終わり、64年の東京オリンピックに向けて大衆の求めるものも変わっていったのである。

 ここでの小百合は主役ではない。脇役の一人に過ぎない。
 主役は新聞配達の少年稔(加藤弘)である。
 中学生の稔が、貧乏や親の病気にも負けず、周囲に助けられながら、明るくけなげに生きていく姿を描く、いわば下町人情物である。
 小百合が演じているのは、稔の配達先の家の娘美和子。お手伝いさんがいて洋犬を飼っているちょっとブルジョワな家庭である。(70年代くらいまで、「洋犬を飼っている」は「ピアノがある」と並んで金持の証であった)
 稔は可愛くてやさしい美和子に心ときめくが、最後には美和子一家は引っ越してしまう。
 淡い初恋の1ページが終わった。
 
 やっぱり、吉永小百合の輝くばかりの美少女ぶりに目を奪われる。
 栴檀は双葉より芳し。
 セーラー服姿で犬を撫でる小百合、同級生と一緒に歌を歌いながら軽やかに土手を歩く小百合、憂いを含んだ瞳で稔に別れを告げる小百合。
 小百合、小百合、小百合・・・。
 彼女が登場するや、その名の通り、白百合のような清らかさと気品がスクリーンを覆う。
 他の役者が目に入らなくなる。 
 『河内山宗俊』(山中貞雄)や『新しき土』(アーノルド・ファンク)で幸運にもいまも確認できる、デビュー当時の原節子の衝撃に勝るとも劣らない。(と言いつつ、ソルティはどことなく虚無と神秘を宿した原節子の顔のほうが好きである。)
 小百合が大スターになるのはこの一作で決定された。
 と同時に、64年後の現在に至るまで更新され続けた「清く正しく美しい」小百合イメージもまた、この一作で刻印されてしまった。

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 ついつい、小百合の出番を待ち望みながら観てしまうのだが、本作は心洗われるような秀作で、小百合が出ていなかったとしても観るだけの価値はある。
 失われた昭和30年代の景色や風俗への郷愁とともに、貧しくとも明日を夢見て支え合い励まし合った当時の庶民の姿に、涙を禁じえなかった。
 新聞販売店(読売新聞)の住み込み従業員らが、新しくできた団地の住民を勧誘するため引越しの手伝いに押しかけるシーンがある。ライバル社の従業員らも我先にと荷物を運ぶ。
 「ああ、こんなことがあったな!」と、ソルティが幼かった60年代の記憶がよみがえった。
 新聞社同士が販路拡大にしのぎを削った日々も今は昔、いまや新聞がネットに取って代わられるのを防ぐすべもない。
 新聞少年の姿も見なくなった。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損