2022年アイルランド・イギリス・アメリカ合衆国

 のっけから、どこかで聴いたようなBGM。
 スピリチュアルで透明で、波のごとく折り重なって繰り返される心地良い響き。
 ああ、エンヤだ!
 そうか、ここはアイルランドだ!

 アイルランドの孤島の風景がスクリーンに広がる。
 海と絶壁、丘と草原、羊や馬、白漆喰の壁にわらぶき屋根の家々、パブと教会・・・。
 平和で美しい光景を打ち破るのは、海の向こうから轟く大砲の音。
 ダブリンでは内戦が繰り広げられている。
 100年前の話である。

 主役は2人の男。
 「島で2番目のうすのろ」と言われる中年のパードリック(コリン・ファレル)と、ヴァイオリンが得意な老年のコルム(ブレンダン・グリーソン)。
 パードリックは読書好きでしっかり者の妹と暮らし、コルムは一人暮らしで犬を飼っている。
 長年の親友である2人は、仕事を終えた午後はいつも連れ立って馴染みのパブに出かけていた。
 ある日突然、パードリックはコルムから言い渡される。
 「もうお前とは付き合わない。今後いっさい俺に話しかけないでくれ」
 わけが分からず戸惑い、落ち込み、関係回復につとめるパードリック。
 しかし、コルムの決意は固かった。
 「お前が話しかけるたび、おれは自分の指を切断してお前に送る」
 事態は悲惨なものになっていく。

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 この映画、若い人にはなかなか理解し難いものだろう。
 特に、パードリックを忌避するコルムの行動の深意がつかめないと思う。
 コルムには昔から音楽の才があり、本当はモーツァルトのような作曲家になりたかった。
 が、どういう経緯か分からないが、老い先短くなった今、孤島に一人くすぶって酒で気を紛らわせる日々を送っている。
 「俺の人生はこのまま終わってしまうのか?」
 焦燥感が募る。
 一念発起し、残りの生涯を音楽に捧げることにした。
 「もう無駄な時間を過ごさない」
 そのときに一番障害となったのが、パードリックとの付き合いだったのである。

 おそらく、パードリックが普通の男であれば問題なかった。
 自分の心のうちを説明し、理解してもらい、適当な距離を置いて付き合い続けることができるだろう。
 が、いかんせん、パードリックは若いうえに頭がとろかった。
 「生きる目的」のような難しいことを考える人間ではなく、コルムの心のうちを理解する能力をもっていない。
 よしんば理解したところで、翌日には忘れてしまう。
 パードリックは平凡で退屈な島の生活に――家畜を追い、牛乳を搾り、気の置けない仲間とビールで騒ぐ日々に――満足していた。
 島の誰よりも素朴な心を持ち、純粋無垢で、神に愛されていた。
 ある意味、パードリックにとっての「生きる目的」は、生きることそのものにある。
 そのような「あるがまま」の人生を受容できるパードリックの存在自体が、それができないコルムの苛立ちとも足枷ともなる。
 関係を切らないと、流されてしまう。
 自分は何事もなさないまま、何物をも生み出さないまま、人生を終えてしまう・・・。
 (パードリックとの関係を断つ前に酒浸りの生活をやめるほうが先ではないか、と一瞬ソルティは思ったが、ギネスに代表される黒ビールをあきらめるなんて、アイリッシュには到底考えられない話なのだろう)

黒ビール


 コリン・ファレルが無垢で素朴な男パードリックを好演している。
 『フォーンブース』で美形アイドル的な人気を誇った頃とくらべると、役者としての成長が著しい。
 コルム役のブレンダン・グリーソンも上手い。長年の親友をけんもほろろに突き放す冷酷な男と、(村人からも、映画を観る者からも)憎まれて仕方ない役どころなのに、心の奥底に優しさと哀しみを宿した哲学者風キャラを造りあげており、憎み切れないものがある。

 この2人の男はともに独身である。
 30~40代のパードリックは妹と同じ部屋で寝起きしている。女性関係を匂わせるシーンもなく、いったいどうやって性処理しているのだろうと不思議に思う。たまにダブリンに行って、街の女を買っていたのだろうか?
 60代くらいのコルムは、これまでに結婚したことがあるのか、子供がいるのか、いっさい描かれない。同性愛者でもないようだ。
 2人の性愛生活の描写の排除が気になってしまうのは、現代日本に暮らすソルティの頭が性的なことに侵されているからであって、カトリック信仰が強かった100年前のアイルランドでは、結婚していない男女においてはストイックな思考と生活が当たり前だったのだろうか?(一方で、自分の息子を性処理の道具に使う警官が登場する)

教会


 人生100年と言われる時代だけれど、やはり50を過ぎると残りの人生を考えてしまうのは、気力と体力が急激に衰えるからであろう。
 これまでに自分がやったこと、やらなかったこと、やれなかったことを数え上げ、残されている時間で何ができるのか、何を優先すべきか、思い惑う。
 「四十にして惑わず」どころではない。
 コルムのように一念発起して、やりたかったことに挑戦するのが、悔いのない最期を迎えるには大切とは思う。
 が、コルムの払った犠牲の大きさには唖然とする。
 いろんなことを考えさせる映画である。



  
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損