日時: 2023年6月25日(日)13:30~
会場: すみだトリフォニーホール大ホール
曲目:
- マルティヌー: リディツェ追悼
- マーラー: 交響曲第9番
指揮: 冨平 恭平
リディツェとはチェコ共和国の中部やや西、中央ボヘミア州にある村です。第二次世界大戦の悲劇の舞台として知られています。1942年5月27日に発生したナチス・ドイツの高官ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件、その犯人をリディツェ村が匿っていたと判断したナチスは6月10日に村の成人男性を全員銃殺し、女性と子供は強制収容所に送りました。(配布されたプログラムより抜粋)
チェコの作曲家で、ナチスのブラックリストに載っていたためアメリカに亡命していたボフスラフ・マルティヌーは、この事件を知って衝撃を受け、1943年8月、数日間で約8分間の曲を作った。
それが一曲目の『リディツェ追悼』。
こんな事件があったとは、こんな曲があったとは、ついぞ知らなかった。
ナチスの暴虐は測り知れない。
破壊された村は今は記念施設となっており、その近くにリディツェ村は再建されているそうな。
この曲が演奏されるたび、ドイツ国民は自らの罪を恥じ入ることになろう。
ル スコアールは1996年8月に発足したアマオケで、フランス語で「広場」を意味するという。
過去53回の演奏会のプログラムで取り上げた作曲家で一番多いのはマーラー(13回)とのこと。
演奏会の曲目は毎回団員の投票で選んでいるというから、マーラー好きの団員が多く、演奏にも自信があるということだ。
期待が高まった。
休憩をはさんで、90分の旅が始まった。
いつもと違ったのは、オケの配置。
第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向かい合わせに配置され、ステージ向かって左側にコントラバスが並び、右側にハープ奏者。
残念ながらソルティは、オケの配置の違いによる音響効果を聴き分けるところまで耳が達者でないので、その試みの成否については何とも言えない。
楽章が進むにつれて、オケの集中力が高まり、尻上がりに調子を上げていく。
哀切極まる第4楽章は、息の合った見事なアンサンブルのうちに、ソロ奏者のテクニックとナイーブな感性が冴え、目頭が熱くなった。
指揮棒が下りたあともしばらく会場を静寂が占めたのは、聴衆の気持ちがすぐには拍手モードに切り変わらなかったためだろう。
素晴らしい演奏であった証である。
2階席正面にいたソルティのチャクラもずいぶん反応した。
第1楽章では胸のチャクラがうずき、第2楽章では股間のチャクラが圧迫され、第3楽章では眉間のチャクラに“気”が集中し、第4楽章では前頭葉が明るく灯った。
身体のあちこちの“気”の滞りが、音波によって刺激され、解きほぐされていくような感があった。
音楽による全身マッサージ。
梅雨時のうっとうしい空模様でくさくさしていた気持がすっきりした。
ときに――。
第3楽章の途中から入って来て、第4楽章で主役に躍り出て、全曲の終わりまで様々な楽器で何度も繰り返される音型「ミ・ファミレ♯ミ」が、頭の中でどうしても、「よ~く洗いなよォ」と変換されてしまう。
1976年に日本でヒットした『チンチンポンポン』というコミックソングのメロディの一部にそっくりなのだ。
もとはイタリアの童謡で、「チンチンポンポン( cin cin pon pon )」とは汽車ポッポのことを意味していたと思う。
それが日本語に訳された時、いとけない兄と妹が一緒に風呂に入った時に交わした会話という設定になり、エッチな意味合いを帯びることになった。
令和の今では、放送禁止レベルの内容である。
第9交響曲はマーラーの白鳥の歌とも言える渾身の作で、甘美な思い出のうちに「死に絶えるように」消えゆく痛切な曲なのに、「ミ・ファミレ♯ミ」が出てくるたびに、「よ~く洗いなよォ」と変換され、泡だらけの可愛い男児と女児が脳裏に浮かぶ始末。
ほんと困ったことだ。(ソルティはロリコンでもショタコンでもない、念のため)