2017年
119分
ウェスタ川越(埼玉県)にて鑑賞
「戦前」が生まれるのは、戦争が始まってから、あるいは戦後になってからである。
実際に「戦前」にいる人たち――少なくとも庶民は、それが「戦前」だと認識していない。
あとになってから、「ああ、あの時が戦前だったんだなあ」と判るのである。
俳人の渡邊白泉が「戦争が 廊下の奥に 立つてゐた」と詠んだのは、日中戦争が始まって2年後(1939年)のことであった。
1937年以前の白泉は、「今は戦前」と思っていなかったのだろう。
戦争は我が家の外の、どこか遠い街で起きていることだ、と感じていたのだろう。
満州事変(1931)があっても、犬養毅首相が暗殺(1932)されても、日本が国際連盟を脱退(1933)しても、「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉が国会議員を辞めさせられても(1935)・・・・・。
気づいたら、それは廊下の奥に、出口を塞ぐように立っていた、のである。
振り返ってみれば、戦争に至る道標は着々と立てられ、帰り道は消されていたのに、道中にいて昨日とさほど変わり映えしない今日を送っている庶民は、その危機に気づかず、戦争を遠い異国の話と思っている。
芸能人の起こした不祥事を伝えるニュースを嬉々として追っている。
この上映会を知ったのは、川越に遊びに行ったとき街角のポスターを見たからであった。
むろん、こんな作品があることも、三上智恵という監督の名も知らなかった。
作秋、沖縄の戦跡巡りをして沖縄戦について学んでいたこともあって、主としてネット界隈でのみ(ヒロユキのおかげで)話題となっている辺野古新基地建設をめぐる現状を知りたいと思った。
が、本作は辺野古基地だけの話ではなかった。
ここ数年、国が強硬に押し進めている本島北部の高江におけるオスプレイのヘリパッド建設や、宮古島、石垣島におけるミサイル基地建設と自衛隊配備の様相がレポートされていた。
すなわち、中国を威嚇するための、中国からの攻撃に備えるための、中国に反撃するための一連の南西諸島の要塞化である。
それはもう対中戦争を見越した準備と言っても過言ではないレベルの武装である。
むろん、一番しわ寄せを受けるのは島民たち。
環境が破壊され、騒音に悩まされ、治安が悪化する。
基地や武器があることで、まさかの場合、敵の標的にされるのは明らかである。
その際、「自衛隊は島民を守ってくれるのか」と問えば、国は答えを濁す。
沖縄県民は先の戦争で嫌と言うほど経験し、知っているのだ。
国は本土を守るためなら平気で沖縄を犠牲にすることを。
国が守るのは国民ではなく、国家としての体面であり、国体であることを。
タイトルの「風(かじ)かたか」とは、琉球方言で「風よけ、防波堤」のことである。
カメラは、基地建設を強行する国家権力と、沖縄の軍備化に反対し子供たちの「風かたか」にならんとする島民たちとの間で繰り広げられている激しい闘いの模様を、生々しい臨場感と迫力をもって映し出す。
正直、辺野古騒動の陰でこんなことが進行していたのかと愕然とした。
沖縄戦跡巡りをしたにもかかわらず、宮古や石垣や与那国といった島で現在進行形で起こっている恐るべき事態に意識が向かなかった自分にあきれた。
こういったことをまったく報道しようとしない、国民に知らせようとしないマスメディアの非道っぷりにも!
このままだと、仮に中国との間で一戦交えるようなことになれば、1945年沖縄戦の二の舞になるのは明らか。地獄の再来だ。
子供の頃に沖縄戦を体験した島民は語る。
「次に戦争になったら、前回どころの話ではない。沖縄は人も島も無くなるでしょう」
不穏な米中関係にあって、アメリカの楯にされている日本。
本土の楯にされている沖縄。
米軍基地のある本島の楯にされている与那国、石垣、宮古。
この人身御供の入れ子構造をますます強化しようとする自公政権。
本作を観て、はっきりと分かった。
2023年の今は「戦前」である。
観ていてなによりやり切れないのは、当の宮古島島民、当の沖縄県民の中にも、本気で軍備増強を求める人たちがいるってことだ。
国家権力と結びついて何かと利便を図ってもらっている上層の人間、あるいは家族や自分が日本やアメリカの基地関係で働いているというなら、まだ分かる。
そうでない一般市民の中に、「抑止力」としてのミサイル配備、自衛隊駐屯を求める者も少なくないのだ。
でなければ、基地建設に賛成する下地敏彦宮古島市長が3期連続当選を果たせたはずがない。(コロナ禍の2021年1月の選挙で、野党の推した座喜味一幸が当選したのは記憶に新しい。一方の下地は、落選後に陸上自衛隊駐屯地の用地売却を巡る贈収賄事件で逮捕された)
先般可決された『LGBT理解増進法』をめぐる一連の運動の中でも見られたことだが、不当に権利を抑圧されているほかならぬ当事者の中に、上から頼まれたわけでも脅されたわけでもないのに、体制側に組してしまう者がいるのだ。
この倒錯的現象の理由を考察するのは別の機会に譲りたいが、本来なら一枚岩になって体制と闘うべき者たちが分裂し、体制側についた者が現状を変えたい者の足を引っ張り、卑劣なデマを流し、事態を混乱させる。
当事者でない外野からは、「なに内輪もめしているんだ」、「結局、当事者の中でも意見がまとまっていないんじゃないか」と思われて、賛同を得られるどころか、巻き込まれたら面倒だと、ますます遠巻きにされてしまう。
その陰で、体制側はほくそ笑む。
やり切れない・・・・。
倒錯と言えば、元安倍首相を暗殺した容疑者が、子供の頃から悲惨な境遇に置かれ福祉の欠如に苦しみながらも、体制翼賛的すなわち右翼的思想に引き付けられていたということにも思いは及ぶ。
いやいや、旧統一教会問題であれほど騙され愚弄されたというのに、いまだに自民党に政権を担わせる日本人こそ、倒錯の最たるものだろう。
ドイツ人とよく似たマゾ的国民性ゆえか?
やっぱり、聖徳太子の呪縛なのか?
ソルティはそのような一人であることを拒否する。
まずは、『ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会』の賛同人になった。
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損