colorphil21

日時 2023年7月17日(月・祝)19:40~
会場 杉並公会堂大ホール
曲目 マーラー:交響曲第5番
指揮 金山 隆夫

 土日の演奏会はふつう14時開演が多い。
 が、今の時期、昼日中の外出&移動はなるべく避けたい。
 なんたって最高気温38度、都会は天然サウナである。
 この遅い開演時間、非常に助かった。
 
 金山隆夫&カラーフィルは、2019年3月にたいへん感動的なマーラー『復活』を聴いて以来。
 今回も同じマーラー、しかも最も好きな第5番なので期待大であった。
 客席は半分くらいの入り。
 入場無料!なので、もっと埋まるかと思った。

IMG_20230717_211810
JR荻窪駅

 ソルティがクラシック演奏会に足繁く通うようになって20年くらいになるが、素晴らしい演奏と出会ったときの証を上げるなら、
  1.  演奏時間を短く感じる
  2.  知っている曲が、まるで初めて聴いた曲のように新鮮に感じられる
  3.  作曲家と出会ったような気分になる
  4.  体中のチャクラがうずき、気の流れが活性化する 
 4つすべてが揃う演奏会にはごくたまにしか巡り合えない。
 運よく当たった時はミューズ(音楽の神)に感謝のほかない。
 本日はまさにミューズさまさまであった。

 約70分の演奏時間が体感的には30分くらいに思えた。
 ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』でお馴染みの甘美なヴァイオリンの調べが流れたとき、「えっ、もう第4楽章!?」と驚いたのなんの。
 いつも、第1楽章から第3楽章までの約40分強の長丁場を、クライマックスたる第4楽章を最大の喜びをもって迎えるための試練のように思いながら聴いていることが多い。
 忍耐と言うほどではないが、より高く飛ぶための雌伏期間といった感じで。
 が、今回はあっという間だった。
 テンポそのものは1楽章と2楽章は通常よりゆっくりめだったのだから、不思議なことよ。
 雌伏期間どころか、それぞれの楽章が主役と言っていいくらい聞きどころ満載だった。

 これまでおそらく30回以上は聴いていて耳がマンネリ化している第5番が、初めて聴いた曲のように感じられた。
 すべての楽章が新鮮、というか斬新だった。
 といって、金山の指揮には聴衆を驚かすような奇を衒ったところもなければ、21世紀を生きる音楽家ならではの新解釈なんてものもない。
 非常に丁寧に、楽譜に忠実に、振っただけのように思えた。
 だのにこの新しさ。
 いままで聴いていた5番とは別の曲のような気さえした。
 もしかして別バージョンの楽譜が新たに見つかった?・・・・なんて思うほど。

 いつもは座席の背に体を預けて目を閉じて聴いているソルティだが、今回は途中から身を乗り出して舞台を注視しながら聴いていた。
 自然と集中力が高まった。
 体のあちこちのチャクラがうずき、滞っていた気のかたまりがほぐれて体内を駆け上がるごとに、感電したかのように身体が痙攣した。
 左右が空席で良かった(笑)

チャクラと仏
 
 以前、この第5番を自分なりに解析して、「男の性」を表現していると書いたことがある。
 音楽を無理やり物語に変換することで、曲を理解した気になっていた。
 まあ、そういった聴き方もまた、クラシック音楽を聴く楽しみ方の一つとして「あり」と思う。
 が、今回の演奏ときた日には、まったく物語化を許さなかった。
 ただ音楽のみ!

 思うに、“物語化を許す”とは音楽が物語に負けているのである。
 音楽の力が、表現の力が弱いから、退屈した脳は、「この曲のテーマはなんだろう?」などと勝手に考察し始めるのだ。
 今回は、音楽の力が圧倒的で、物語をつくる脳の部位が封殺されていたのである。
 退屈している暇がなかった。

 そうやって余計な物語を介在させずに音楽と向き合えた結果、作曲家マーラーと直接出会えた気がした。
 「マーラーよ。お前は“こんな”作曲家だったのか!」
 “こんな”とは“どんな?”。
 それは、「パッチワークの楽しさ」といったようなもの。
 いろいろな国や民族の音楽ありーの、クラシック古典調ありーの、童謡風ありーの、教会音楽ありーの、メロドラマ調ありーの、ヨーロッパ宮廷舞踏風ありーの、軍隊調ありーの、チンドン屋風ありーの、ジプシー風ありーの、なんでもござれの世界である。
 ただそれを最近はやりの“多様性”と言うにはちょっとハイブロウすぎる。
 むしろ、“ごった煮”とでも言いたい庶民臭さ、アクの強さ。
 目まぐるしく表情や言語を変えてゆく音楽は、一見統合失調症的で支離滅裂に思えるが、前後の脈絡を“物語的に”追わずにその場その場の流れに身を浸して、「去る者は追わず来る者は拒まず」で楽しんでしまえば、目くるめく体験が待っている。
 そこではたとえば、ホルンのちょっとした音はずしやテンポの乱れさえ、“ごった煮”の一部に包含され、世界をいっそう豊かに、面白くするのに役に立つ。

 この“なんでもござれ”のパッチワーク的楽しさ、サーカスを思わせた。
 スリル満点の綱渡り、離れ業炸裂の空中ブランコ、滑稽だがどこか哀しい道化師のパントマイム、小人たちのコミカルな軽業、調教された虎の火の輪くぐり、玉乗りする熊、胴体を切断される美女、景気づけの花火、アコーディオンや笛太鼓・・・・。
 そう。サーカステントの中で、目の前で次々と展開されるショーをあっけにとられて見ている小さな子供のような気分であった。
 他の作曲家とは一線を画すマーラーの音楽の特質がまざまざと知られた。

 金山団長に拍手!
 お代は見てのお帰りに。(出口で募金箱に投入しました)

猛獣使い