2009年朝日出版社
2016年新潮文庫

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 本書は、明治維新以降に日本が戦った5つの戦争――日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変からの日中戦争、太平洋戦争――について、その発端から経緯、そして結果をたどった歴史書である。
 著者の加藤は東京大学文学部教授で、日本近現代史を専攻としている。
 本書により2010年小林秀雄賞をもらっている。

 ただの歴史書と違うのは、著者の加藤が神奈川県にある私立栄光学園という男子校を訪れ、歴史好きの中学高校生20名くらいを対象におこなった5日間の授業がもとになっているところ。
 語り口調なので、読みやすく、親しみやすい。
 適宜、生徒たちに問いを投げかけて答えを考えさせるスタイルは、読者もまた中高生と一緒に授業に参加している気分にさせてくれる。
 が、内容そのものはかなり高度。
 暗記科目とみなされやすい歴史を、必然と偶然が織りなす流れとしてとらえ、タイトル通り、当時の日本人(天皇、指導者、軍人、官僚、一般庶民)が5つの戦争を選んだ(選ばざるを得なかった)背景を考えさせるものとなっている。
 政治学、地理学、社会学、経済学、心理学、哲学を総動員するような頭の働きが求められる。
 この授業についていける栄光学園の生徒たちのレベルの高さにぶったまげた。
 (高校時代のソルティなら途中脱落すると思う)

 新たに発見された資料をもとにした研究成果が取り入れられているのも本書の読みどころの一つ。
 たとえば、ソ連崩壊後のロシアでは過去の帝国時代の資料が次々と公開されている。
 それにより、日露戦争の原因をどう解釈するか変化が起きたという。

 マルクス主義の唯物史観という学問が影響力を強く持っていた頃、1970年代までは、日本という国は、帝国主義国家として成長してきたのだから、中国東北部、つまり満州のことですが、そこに市場を求めて、ロシアに門戸開放を迫るために戦争に訴えたのだ、との解釈が有力でした。
 しかし、ロシア側の史料や日本側の史料、これが公開されて明らかになったところでは、どうも、やはり朝鮮半島、韓半島のことですが、その戦略的な安全保障の観点から、日本はロシアと戦ったという説明ができそうです。
(中略)
 戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。

 70年代に歴史を学んだソルティは、アップデイトが必要だ。

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 「敗けると分かっていて戦いの火蓋を切った。」
 「敗けたと分かってからも無駄に戦い続け、延々と犠牲者を増やした。」
 太平洋戦争時の日本の指導者たちの愚かさはよく言われるところであり、それは、「考えたくないことは考えない、考えなくてもみんなで頑張ればなんとかなる」というニッポン・イデオロギーに由来すると笠井潔は喝破した。
 2011年の福島第一原発事故に象徴される日本の原発政策や、国民の過半数の反対を押し切って挙行された2020東京オリンピックや昨年の安倍元首相の国葬モドキをみると、ニッポン・イデオロギーはなおも健在であると言わざるを得ない。
 状況の客観分析なし、論理なし、戦略なし、民意無視、責任者不在の行き当たりばったり戦法である。
 しかるに、本書を読んで思ったのは、日清・日露戦争から第一次世界大戦くらいまでは、かなり国際状況を客観的に分析し、戦略的に動いて、日本の地位向上・利益拡大に努めている。
 明治維新以降、日本の近代化を主導してきた大久保利通、木戸孝允、黒田清隆、伊藤博文、松方正義、井上馨、山県有朋、桂太郎、西園寺公望といったいわゆる元老たちは、やはり優秀だったのである。
 おかしくなったのは、満州事変のあたりから。
 これらの元老たち(=ご意見番)が次々と亡くなって政治家の力が後退し、軍部が台頭するようになってからニッポン・イデオロギーの支配が強まり、結果的に日本を地獄へと導いていったようだ。
 シビリアンコントロール(文民統制)の重要性を再認識した。
 元自衛隊にいた政治家や評論家が目立って発言力を振るうようになったとき、日本は危険な領域にいると思ってよかろう。
 
 以下、とくに興味を引いた部分を引用する。

 あるアメリカの団体が、捕虜となったアメリカ兵の名簿から、捕虜となり死亡したアメリカ兵の割合を地域別に算出しました、そのデータからは日本とドイツの差がわかります。ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%にすぎません。日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼりました。これはやはり大きい。日本軍の捕虜の扱いのひどさはやはり突出していたのではないか。もちろん、捕虜になる文化がなかった日本兵自身の気持ちが、投降してくる敵国軍人を人間と認めない気持ちを生じさせた側面もあったでしょう。しかしそれだけではない。
 このようなことがなにから来るかというと、自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる。

 日本は経済が大事なのだろう、と。国家の重要物質の8割を外国に依存している国なのだから、生命は通商関係の維持にある。通商の維持などは、日本が非理不法を行わなければ守られるものである。現代の戦争は必ず持久戦、経済戦となるが、物質の貧弱、技術の低劣、主要輸出品目が生活必需品でない生糸である点で、日本は致命的な弱点を負っている。よって日本は武力戦には勝てても、持久戦、経済戦には絶対に勝てない。ということは、日本は戦争する資格がない。
 こういうことをいう軍人(ソルティ注:水野廣徳1875-1945)がいたのです。
 (中略)
 しかし、水野の議論は弾圧されます。また国民もこのような議論を真剣に受け止めない。すぐに別のところへ議論が飛んでしまうのです。

 ルソー(ソルティ注:ジャン・ジャック・ルソー1712-1778)は考えます。戦争というのは、ある国の常備兵が3割くらい殺傷された時点で都合よく終わってくれるものではない。また、相手国の王様が降参しましたといって手を挙げたときに終わるものでもない。戦争の最終目的というのは、相手国の土地を奪ったり(もちろんそれもありますが)、相手国側の兵隊を自らの軍隊に編入したり(もちろんそれもありますが)、そういう次元のレベルのものではないのではないか。ルソーは頭のなかでこうした一般化を進めます。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。
 
 繰り返し読みたい本である。
 



 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損