1958年東映
85分
原作は『ゼロの焦点』と並ぶ松本清張ミステリーの代表作。
そして、西村京太郎を帝王とする鉄道ミステリーの始発駅と言える。
たしか「点は駅、線は線路」だった。
原作を読んだのは中学生の時なので、ストーリーをすっかり忘れていた。
もちろん真犯人もトリックも。
ビートたけし主演で2007年にテレビドラマ化されているが、こちらは観ていない。
45年以上ぶりに再会して驚いた。
「こんなずさんなトリックだったっけ?」
「こんなずさんなトリックだったっけ?」
このミステリーの一番の目玉は、「東京駅ホーム空白の4分間」ってのにある。
13番ホームで列車を待っている人物が、15番ホームを歩いている被害者二人を目撃したと証言する。
発着列車が入り乱れる東京駅で果たしてそんなことが可能なのか?
警察は、1日のうち17時57分から18時01分の4分間だけ、それが可能であることを突き止め、それをきっかけに容疑者を絞っていく。
このダイヤ上の「空白の4分間」を発見したことが、清張がこの小説を構想する発端になったのだと思う。
たしかに奇抜で独創的な着眼点で、時刻表マニアや鉄道オタクでなくとも、現場に足を運んで確かめたくなるようなネタであった。
中学生のソルティもそこに興奮したのだと思う。
中学生のソルティもそこに興奮したのだと思う。
しかるに、目撃場所をわざわざこの「稀なる4分間」に設定する物語上の必然性はない。
東京駅であればどこだっていいのである。
犯人は、こんな偶然とは思えないような目撃の仕方を設定したことで、かえって警察に怪しまれる羽目になるのだから、何をやっているのやら・・・?
ほかにも、九州の福岡の海岸で殺人があった翌日に、容疑者は札幌で商談相手と会っており、とても列車では間に合わないというアリバイが築かれる。
確かに原作が書かれ映画化された当時の(新幹線のない)列車事情では、福岡から札幌まで行くのに一日では無理である。
警察は頭を悩ます。
警察は頭を悩ます。
しかし当時も飛行機というものがあり、犯人は実際、飛行機を使って移動していたのだから、「なんて警察は馬鹿なんだ。飛行機を先に思いつけよ」と思わざるを得ない。
そういうわけで、今となってはミステリーとして質的には疑問符が立ち並ぶ。
推理小説を映画化することの難しさも含めて、映画としての出来もあまり良くない。
本作をいま観ることの意義は別のところにある。
ひとつは、昭和30年代の日本の風景、とくに鉄道駅や列車の姿が楽しめるところ。
列車の発着時刻を示す駅頭の発車標が、今のような電光掲示板ではなく、反転フラップ式(いわゆるザ・ベストテン式)で、懐かしく思った。
列車内の喫煙もあたりまえだった。
いまひとつは、役者を見る楽しみ。
主演の刑事役の南広こそよく知らないが、高峰三枝子、山形勲、加藤嘉、志村喬といったベテラン勢がそれぞれにいい味を出している。
志村喬は人間味あふれる警部を好演。
加藤嘉は相変わらず貧乏くさい。
犯人役の山形勲は岸田文雄首相そっくり。
志村喬は人間味あふれる警部を好演。
加藤嘉は相変わらず貧乏くさい。
犯人役の山形勲は岸田文雄首相そっくり。
結核病みの病人に扮する高峰は、このときストレスからくる喉の病気で声を失っていた。
弱々しい小声で話せばいい役柄だから引き受けたそうな。
色白で細面のクールな美貌が、病床にいる人妻という役を得て、ますます冴えて見える。
刑事役の南が、この高峰に片恋するという設定にすれば、ドラマ的に面白くなったのになあ~。
原作を久しぶりに読みたくなった。
おすすめ度 :★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損