日時 2023年7月31日(月)18:30~
会場 四谷区民ホール(新宿区)
プログラム
- 新井勝紘氏(高麗博物館前館長):「関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く」
- 徐京植氏(高麗博物館理事、東京経済大学名誉教授):「韓国現代アーティストの映像作品に見る 『ルワンダ虐殺の記憶』」
主催 高麗博物館
高麗博物館で開催中の『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』に行って、この講演会あるを知った。
四谷区民ホールは新宿御苑のそばなので、早めに行って御苑の木陰で昼寝でもしようと思ったら、月曜定休であった。仕事を早退までして来たのに残念。
開場時間まで、区民ホール9階のラウンジでクリームパン食べながら読書した。
プログラム1では、2021年に新井氏がヤフオクで見つけて9万6千円で競り落とした湛谷(きこく)作『関東大震災絵巻』を中心に、朝鮮人虐殺を目撃した人が描いたいろいろな絵画作品をパワーポイントを使って紹介、解説された。
視覚芸術は、文章以上に直截的でインパクトがある。
刀や鳶口で襲われた朝鮮人の流した血の色が毒々しい。
中には小学生が描いた絵もあった。
震災被害だけでも相当なショックだろうに、日本の大人たちが寄ってたかって朝鮮人を虐殺している現場を目撃させられた子供は、どれだけのトラウマを背負ったことだろう? その後の人生にどう影響したことだろう?
新井氏は繰り返し言った。
「こんなものを子供たちに見せちゃいけない」
まったくその通りだ。
と言って、隠してもいけない。
プログラム2では、このような悲惨な虐殺事件を後世の人々にどう伝え、どう自分事として受け止めてもらい、「省慮(かえりみてよく考えること)」を呼び起こすか、というテーマであった。
リアルタイムで現場を見ている証言者が少なくなったとき、事件は風化され、忘却される可能性がある。つまり、繰り返される危険がある。
もちろん、「被害者〇名、いつ誰がどこで」といったデータは残るかもしれない。
証言集や小説や映画といった形で、2次的に事件に触れることもできるかもしれない。
しかし、事件を直接知らない後世の人や他国の人は、そうした事実に触れる機会を持っても、「ふ~ん、そんなことがあったんだ」で終わってしまう可能性がある。
朝鮮人虐殺についても、「100年も昔の話だろう。民主主義の進んだ現在とは関係ない」とか、「こういったパニックは災害時にはよくあること。日本人だけが特別じゃない」とか、「きっと朝鮮人のほうにも何らかの落ち度があったんだろう」とか、ひどいのになると、「朝鮮人虐殺は反日左翼が作ったデマ。デマを教科書に載せて子供たちに教える必要はない」などと言う始末。
徐京植氏は、「重要なのは想像力。当事者の立場に身を置いて、状況や気持ちを想像できること」と語り、それを考える鍵として、1994年の『ルワンダ虐殺』をテーマにしたジョン・ヨンドゥ氏の映像作品を紹介した。
ソルティはエイズNPOで働いていた時、学校に講演に行くことが多かった。
HIV/AIDSという病気の基礎知識や予防方法を伝えるだけでなく、感染者に対する差別の事例を話し、人権や共生について考えてもらう。
そのときにいつも使っていたのが、メモリアルキルトという畳一帖ほどの布であった。
AIDSで亡くなった人の家族や友人らが、故人の思い出を語りながら、その人らしいデザインを考え、遺品を縫い付けたり、イニシアルを縫い込んだりする。
行政が発表するAIDS死者〇名という統計数字ではなく、そこに「愛する人や物に囲まれ、喜怒哀楽をもって暮らしていた人間がいた」ことの証明である。
メモリアルキルトの説明を通じて、生徒たちにHIVと共に生きた人の生を想像してもらい、数字や“怖い”イメージばかりが先行していたAIDS患者もまた、自分たちと同じ一人の生活者であることや、実名でなくイニシアルであることの意味を考えてもらった。
うまく伝わったのかどうか、生徒たちの想像力を喚起できたのかどうか・・・・。
ただ、伝えるという経験を通して思ったのは、「自らが一人の人間として大切に扱われてはじめて、他の人も大切に扱えるようになる。他の人の苦しみや悲しみを想像し、共感できるようになる」ということであった。
自分に与えられていないものを他人に施せというのは、どだい無理な話である。
ソルティが話した生徒たちの中には、普段親から虐待を受けている子供も少なくなかっただろう。
彼らの心にどう響いたかは、いまでも気になるところである。
その意味で、ソルティは朝鮮人虐待の加害者となった者たち――警察、軍人、自警団の男たち――のパーソナリティがどのように作られたかが気になるのである。
子供の頃に親や教師や周囲の大人たちから、どのような扱いを受けたかが気になるのである。
ナチス時代のドイツ国民が、幼少の頃、体罰当然の厳格で暴力的な教育を受けていたこと。それが成人してのち、ある種の“意趣返し”として、ユダヤ人らに向けられたこと。すなはち、“虐待の連鎖”がそこにあることを指摘したのは、『魂の殺人』で有名なアリス・ミラーである。
戦前の軍国主義教育は、子供たちに「これこれの行為は良い」「これこれの行為は悪い」と一方的に教え込む(洗脳する)ものであって、「自らの頭で是非を考える」「他人の置かれた立場を想像する」ようなものではなかった。体罰も当たり前にあった。
令和現在の教育現場で起きている戦前回帰的兆候を思うとき、朝鮮人虐殺を昔の話にはできないと強く思う。
約400席の会場は満席だったけれど、高齢者が圧倒的であった。
平日ではあるが、18:30からの開始なので仕事帰りの人だって来られるはずである。
学生だって夏休み中だろう。
正直、団塊の世代亡き後の日本が心配だ。