1960年日活
86分
赤木圭一郎主演、拳銃無頼帖シリーズ第2弾。
舞台は三重県四日市。
四日市と言えば、50年代末から70年代にかけて「四日市ぜんそく」で有名になった。
公害の街のイメージが抜けない。
映画冒頭で美しい海岸を歩く主人公・丈二(赤木圭一郎)の向かう先に、白い煙を吐き出す工場の煙突が並ぶのが見える。社会問題化する直前くらいの撮影であろうか。
四日市駅周辺や標高 1,180mの御在所ロープウェイなど、60年当時の風景が感興をそそる。
ビキニ姿の黒人女性が客席を縫いながら腰を振って踊るキャバレーなど、昭和感いっぱいの映像がかえって新鮮である。
ヒロイン役の浅丘ルリ子、敵役の宍戸錠、恋のライバルで刑事役の二谷英明、中国人役の藤村有弘など、日活アクション映画のお馴染みメンバーが出揃い、「恋と煙草と港と拳銃」のハードボイルドな雰囲気が漂っているところに、それを一瞬にしてぶち壊す大型新人女優が登場。
この作品が日活デビューとなった吉永小百合である。
喫茶店のウエイトレスにして下っ端ヤクザのガールフレンドという役を与えられている。
出番は多くないが、破壊力は凄い!
小百合が出てくるだけで作品のトーンが変わってしまうのである。
ハードボイルドが、一瞬にして、少女漫画の世界になる。
顔に傷ある男が背広の内ポケットに手を入れたら白い鳩が飛び出した、ピストルを発射したら銃口から花束が出てきた、みたいな・・・・。
この違和感にはただならぬものがあり、もうちょっと小百合の出番が多かったら、赤木も浅丘も喰われてしまい、この作品は破壊されただろう。
ハードボイルドの文脈に置かれたことで、小百合の持っている無垢なる資質が演技やメイキャップや演出では隠しようもないことが証明されている。
ビスクドールのように整った顔立ちのせいもあるが、湖畔の白百合のごと侵しがたい気品(と学芸会風の芝居)が、周囲をファンタジーかメルヘンの世界に変えてしまい、裏社会で生きる者たちのシリアスな渡世感が消失してしまうのである。
日活は、浅丘に代わるアクション映画の新ヒロインとして小百合を考えていたのかもしれない。
が、小百合は日活アクション路線にはまったく馴染まない。
そのスター性を生かすには、彼女のための新たな路線を開発するしかない。
が、小百合は日活アクション路線にはまったく馴染まない。
そのスター性を生かすには、彼女のための新たな路線を開発するしかない。
小百合の登場が、日活アクション路線の終焉を予告したのは間違いあるまい。
一方、赤木圭一郎の魅力は、先行する日活アクションヒーローである石原裕次郎や小林旭、あるいは東映ヤクザヒーローである高倉健や菅原文太とは、タイプがちょっと異なる気がする。
他の4人は当人そのものに強い個性がある。カリスマ性が備わっている。
赤木の場合、カリスマ性や強い個性は感じられない。
むしろ、ライバルである宍戸錠や二谷英明、浅丘や白木といったヒロインたちのほうが個性的である。
赤木は演技も下手で、セリフは棒読みに近い。肝心の拳銃の扱いも宍戸には劣る。
容姿もまた、イケメンには違いないが、一度見たら忘れられないというインパクトには欠ける。
自らの個性を埋没させて、共演者やスタッフの仕事を輝かせるところに、赤木の良さがあるのではなかろうか。
結果として、作品の質は高いのである。
追って確認しよう。