2011年NHK出版
2011年1~8月にNHKスペシャルで5回に分けて放映されたドキュメンタリーの書籍化。
日中戦争、太平洋戦争開戦に至る経緯をたどった上下巻と、真珠湾攻撃のあと戦線が拡大していく様相に焦点を当てた戦中編から成る。
ソルティはこの放送を観ていなかった。
当時、テレビを持っていなかった。
今思うに、2011年という年に放映・出版されたことに、少なからぬ意味を感じる。
一つには、もちろん、東日本大震災と福島原発事故があったからだ。
本作品において、複数の専門家が異口同音に指摘し、制作陣が結論としてまとめている「日本人が敗けると分かっていた戦争へと向かった」原因、さらには、「敗けたと分かっても戦争を終わらせることができなかった」原因は、まさに福島原発事故の起きた原因や事故後の政府の対応のあり方と重なるところ大だからである。
この番組を観た人は、間違いなく、「ああ、また同じことが繰り返されてしまった」と愕然とし、嘆き、憤り、落胆したことだろう。
今一つには、時の政権が自公連立でなく、民主党だったことである。
第2次安倍政権(2012年12月26日~)以降の政府によるマスコミへの報道圧力およびメディア側の萎縮や忖度のさまを鑑みるに、本作のような内容をもつ番組が制作・放送されるタイミングはこのときを措いてなかったのではないか、と思うのである。
安倍政権下であったなら、安倍派国会議員や日本会議やネトウヨら歴史修正主義の保守右翼から「自虐史観」と叩かれ、NHKに何らかの横やりが入ったのではあるまいか。
開戦に至る経緯をたどるのに、本書では「外交」「陸軍」「メディアと民衆」「リーダーの不在」の4つのテーマを立て、公的史料はもとより、関係者の証言や当時の日記や手記、および専門家へのインタビューなどをもとに検証している。
「軍部が暴走した」とか「軍国主義だったから」といったように単純化せずに、多角的な視点から原因を探っているところに、制作陣の意気込みを感じる。
開戦を不可避とした要因は何だったのか。番組は四点、指摘する。第一は1930年代の日本外交の国際的孤立、第二は満州事変をきっかけとする陸軍の暴走のメカニズム、第三は戦争支持の国民世論を煽ったメディア(新聞だけでなく、とくにラジオ)の役割、第四が政治的なリーダーシップの問題である。番組はこれら四点の相互連関のなかで、ドミノ倒しのように開戦へと進んだ日本の姿を活写していた。(下巻より)
なぜ日本は孤立化への道を歩んだのか。それは、時代の選択の一つひとつが、確とした長期計画のもとに行われなかったという点があげられる。むしろ浮かび上がってきたのは、定まった国家戦略を持たずに、甘い想定のもと、次々に起こる事態への対応に汲々とする姿であった。いったい誰が情報をとりまとめ、誰が方針を決めるのか。そして、いったん決まったことがなぜ覆るのか。そうした一連の混乱を自らの手で解決できなかった日本は、やがて世界の信用を失っていく。(上巻より)
日本の舵取りを任された指導者たちは、自分たちの行動に自信が持てなかった。そのために世論を利用しようと考え、世論の動向に一喜一憂した。その世論は、メディアによって熱狂と化し、やがてその熱狂は、最後の段階で日本人を戦争へと向かわせる一つの要因となってしまったのである。(下巻より
国家全体の利益より組織の利益が優先されるセクショナリズムが横行し、連携を欠いた陸海軍が独善的に戦争を続けていく。政治は指導力を失い、国民と世論に迎合したメディアには冷静な分析と批判など望むべくもなかった。日本の社会から歯止めという歯止めが失われ、膨張する戦争を押しとどめるものはいよいよなくなろうとしていた。(戦中編より)
- 確とした国家戦略を持たず右顧左眄に終始したこと。
- 決定権を持ち責任のとれるリーダーがいなかったこと。
- 省庁間や陸海軍の縦割りシステムが国家の利益より組織の利益を優先させてしまったこと。
- 戦意高揚をひたすら煽り利益増加を狙ったメディアと、その情報を妄信し踊らされた民衆。
笠井潔が指摘した、令和の今なお続く日本人の宿痾=ニッポン・イデオロギーがここには巣食っている。
下巻では、太平洋戦争開戦に至るまでの大本営政府連絡会議の議事の様子が描かれている。
大本営は、総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍統帥部の両総長、次長らが顔をそろえる実質的な日本の最高意思決定機関である。
ここで戦略が決められなければ、日本人の他の誰も決めることはできない。
天皇は決められたことを事後承認するだけだった。
しかるに会議はいつも、参加者がそれぞれの要望を主張し紛糾するばかりで、重要なことは、決められずに先送りされるか、中途半端なまま投げ出されるか、体裁だけつくろい中味の矛盾する決議でお茶を濁すか、もうグダグダなのである。
中学生の学級会のほうがまだマシだ。
このくだりを読んでいて、背筋が寒くなった。
四谷怪談よりも永田町会談のほうが、よっぽど避暑効果がある。
こんな無能な男たちのために(日本人だけで)300万という命が失われたのかと思うと、あまりの理不尽に・・・・・・(言葉を失う)。
一方、下巻に載っているアメリカの歴史学者ジョン・ダワーのインタビューを読んで、「なるほど」と思い、自戒するところもあった。
ジョン・ダワーは、「戦争へと至った道を、日本文化の特殊性によって説明することには、価値がない」と言い、アメリカによる「愚行」であったイラク戦争と比較する。
イラク攻撃に至るブッシュ政権の意思決定過程を調べると、それは、真珠湾攻撃に至る日本の意思決定プロセスと非常によく似ていることがわかります。
確かに、日中戦争時および太平洋戦争時の「愚行」の原因のすべてを、日本と日本人の特殊性に帰するのは、正当でない。
ナチス時代のドイツ、ベトナム戦争やイラク戦争におけるアメリカ、ウクライナを攻撃するロシア・・・・国際社会から認められない大義なき戦争や、指導者の理性を疑うようなおかしな戦略はいくらでも例がある。
組織のセクショナリズムの弊害や、マスコミに踊らされる大衆の姿も、どの国も変わりない。
また、非常時に置かれた個人や集団がはまりやすい心理の罠――たとえば、コンコルド効果やバンドワゴン効果やリスキー・シフトなど――あるいは、脳の機能にもとから備わっているとされる認知の歪みなどは、人類に共通するものだろう。
戦死者が増えれば増えるほど、亡くなっていった兵士やその遺族の手前、退くに退けなくなる、簡単に降参できなくなる「死者への負債」という現象も、日本人だけのものではない。
さらには、本書では指摘されていないけれど、やはり戦争とマチョイズムの関係は切っても切れない。
「敗北という言葉を口にすることができない」「戦わずに引き下がるなんて男がすたる」「素直に負けを認めることができない」「生き恥をさらすくらいなら死んだ方がマシ」・・・・軍国主義下のマチョイズムがどれほど強烈なものか、今のロシアを見るとよく分かる。
マチョイズムは、「男子たるもの教」という一つの宗教なので、理性や論理は容易に吹き飛ばされてしまう。
非常時に置かれたどこの国、どこの国民にも起こり得る現象なのか、日本人特有の気質(ニッポン・イデオロギー)に由来するのか、両者をごっちゃにして語らないほうが賢明には相違ない。
いずれにせよ、我々が過去の戦争の歴史を学ぶのは、「こうすれば勝てた」「こういう戦略をとれば良かった」と次の戦争に向けて敗因分析するためではないし、「こいつが悪い」「この組織が間違っていた」と当時の人間を批判したり責めたりして、留飲を下げるためでもない。
同じ過ちを繰り返さないために、どこに破滅に向かう要素が潜んでいるか、我々日本人がどんな制度文化的弱みや思考のクセを持っているか、を知るためである。
反省すべき点は反省し、同じ轍を踏まないことがなにより大切だ。
そこで“いの一番”に言えるのは、「ある程度、事態が進んでしまうと、引き返すのが困難になる」ということである。
コロナ禍での2020東京オリンピックの開催をめぐる議論や、安倍元首相の国葬の実施をめぐる騒動を思い起こせば、それは明らかだろう。
戦争の芽は、早いうちに見つけて、摘んでおく必要がある。
良くない流れを押し止めて、手遅れにならないうちに、方向転換する必要がある。
毎年8月になると、戦争に関する記事や番組を登場させるのを慣例にしてきましたが、いつでも他人事のように取り扱って、自分たちの問題として考えようとしてこなかった。自分自身を正視しないジャーナリズムの報道や言論が大きな説得力をもつとは思えません。自分自身をまず正視し、そこから考えることがジャーナリズムを変えていく第一歩のはずです。(下巻より)
頼みますよ、NHK!
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損