1946年東宝
110分、白黒

 この黒沢作品は観てなかった(かもしれない)。
 京大事件、ゾルゲ事件を材にした反戦映画と言われるが、そういった歴史に疎くても、面白く鑑賞できる。
 というのも本作は、一人の女性を主人公とした恋愛ドラマかつ成長ドラマの面が強いからだ。
 その意味で、岩下志麻主演『女の一生』(1967)や、司葉子主演『紀ノ川』(1966)に通じるものがある。

 大学教授の一人娘でわがままに育ったお嬢様・八木原幸枝(原節子)が、反戦活動家・野毛隆吉(藤田進)とのつらい恋を経て世間を知り、自分自身に目覚め、「非国民、スパイ」と周囲に嘲られながらも自らの意志を貫いて厳しい生き方を選んでいく姿が、感動的に描かれる。
 原節子は難役を見事にこなしている。
 とりわけ、監獄で亡くなった夫・隆吉の実家に赴いて、泥と汗まみれの畑仕事に従事する後半が素晴らしい。
 小津安二郎監督の『晩春』や『東京物語』の美しく上品な原節子とはまったく違った、文字通りの“汚れ役”を性根の据わった演技で見せている。
 内に秘めた情熱と強い意志を示す表情が素晴らしい。
 これをして「大根役者」というなら、いまの女優たちは「かいわれ役者」である。

 本作は、途中までは、「巨匠黒沢にしては力不足かな?」という、ちょっと期待外れの印象を受ける。
 「やっぱり黒沢は、男を描くのは上手くとも、女はイマイチかな・・・」と。
 が、後半になると、「やっぱり黒沢は凄い!」となる。
 幸枝が隆吉の実家に飛び込んでからが巨匠の本領発揮。
 観る者を圧倒し、心を鷲づかみにするボルテージの高さとリアリティの深みがある。
 そして、後半のドラマを第一級の演技でしっかりと支え、間然するところなきドラマに押し上げているのが、隆吉の父親役の高堂国典と母親役の杉村春子。
 この二人の名役者の存在感と鬼のような演技力は、本作の白眉である。

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高堂国典と杉村春子

  「スパイの家」と村八分にされた隆吉の父母は、家に引きこもって、夜しか外に出られない。
 絶望した父親は、日がな一日、働きもせず囲炉裏ばたに座し、一言も発しようとしない。
 なかば強引に野毛家に住み込んだ幸枝は、隆吉の母親を見習いながら、田んぼを耕し始める。
 いまのように耕運機も田植機もない時代、農作業は困難を極める。
 それでも、嫁と姑は力を合わせて田植えを終える。
 が、喜びも束の間、悲劇が待っていた。
 村の心ない連中が、田植えをすませたばかりの田んぼを滅茶苦茶に荒らした。

 ある朝、それを知って家に駆け込み土間に打ち伏して泣き喚く姑(杉村)、それを聞くや病床から飛び出して畑に駆けつける幸枝(原)、目の前の惨状に呆然とたたずむ二人、やがて身をつらぬく怒りをばねに田んぼを片付け始める嫁、それを見て我もと手伝う姑、そこへついに百姓の血が覚醒して駆けつける舅(高堂)。
 このシークエンスは、おそらく黒沢作品中でも一、二を競う素晴らしさ! 
 名優二人に負けていない原の存在感もやはり大変なものである。

 しばしば、原節子が演技開眼したのは小津監督の出会いによると言われる。
 しかし、本作を観て思ったのは、杉村春子との共演を重ねることで、原は女優として育てられたのではないかということである。
 本作で二人が共に経験した農作業の苦労が、『晩春』以降の二人の息の合った演技につながっているのではなかろうか。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損